2009年11月23日

◆1通の手紙

川原俊明

1通の手紙によって、家屋明渡執行が回避できました。

1年半もの長い間、賃料滞納の事態が発生。人の良い家主さん。ようやくしびれを切らし、K弁護士に相談したのです。

当然のことながら、賃貸借契約の即時解除。これを前提とする明け渡し判決。ところが、訴状の送達から判決の送達まで、すべて受領を拒否し続けてきた相手方。よほどの事情があったのでしょうか。

しかしながら、家主にとって、契約当初から賃料を支払わぬ借主を住まわせるわけにはいきません。それが契約(約束ごと)なのですから。

私たちは、家屋明渡の判決を得て、強制執行を申し立てました。
大阪地方裁判所執行官とともに、相手方の住むマンションに立ち入り、動産を差押さました。そして、1か月後に来るべき強制執行日を予告したのです。相手方不在の部屋に、執行予告通知を貼り付けました。

私たちは、その後、何度も現場を確認し、相手方に、任意明渡を勧める書面を送り続けていたのです。しかし、法律事務所から、何度も書面を送り続けているのに、全く反応がなかったため、相手方は、よほどの悪質な入居者だ、と考えていました。

同時に、私たちは、強制執行を実施するにあたり、相手方の住民票を取り寄せ、家族調査をしました。
 
その結果、相手方の家族には、高校生の息子と娘がいたことがわかりました。私は、これらの事情を踏まえ、もはや「最後通告」、の意味で、相手方に、次のような1通の手紙を書きました。

「1年半も家賃滞納していれば、追い出されても仕方がないけど、子供達に、強制執行の残酷な場面を見せないよう、任意で明け渡すよう勧めます。」
「強制執行は、子供達の大事な思い出のものまで、ゴミと一緒に処分されてしまいます。」
「私にも子供がいます。罪もない子供達の大事な思い出までも、ゴミと一緒に処分されるのは、あまりにもかわいそうです。」

しかし、私は、手紙を何度も送り続けているのに、相手方からは、まったく連絡がありません。相手方が手紙を読んだかどうかわからことため、直接、届けることにしたのです。それも、私の息子が経営するビジネスサポートのB社に依頼して。

手紙を届けた翌日、私の意図が、ようやく相手方に通じました。相手方から、ついに法律事務所に電話連絡が入ったのです。それまで、訴状から判決文に至るまで、一切無視されていていたのに・・・・。

今日の午後、相手方から電話がありました。 「会いたい。」と。

不況下で仕事にあぶれた相手方。 以前、所有だった自宅は、ローンが支払えず、競売で追い出をくらう。以前から迷惑をかけた祖母には、この一年、連絡も取っていない。相手方は、私に、このような事情を語ってくれたのです。

父親の苦労を目のあたりにした長男。裁判所や法律事務所から送付されてくる書類を一切、父親に隠していたそうです。

ところが、昨夜、娘や息子から、隠していた手紙を見せつけられ、相手方は、あわてて法律事務所に電話したそうです。 
  
そして、私は、相手方の事情を踏まえ、次のように言いました。
「子供たちを泣かすな。」
「この連休中に、任意で明け渡せ。」
「当面、祖母に頭を下げてでも、孫を預かってもらえ。」
「今は苦しいけれど、きっと良いことがあるから、我慢してがんばれ。」
「任意に明け渡すなら、すでに動産執行で差し押さえているテレビなど、必要な家財道具は持って行きなさい。私が目をつぶるから。」

のちほど、相手方から、私宛に電話がありました。「祖母が、しばらく子供達を置いてくれることになりました。」、と。
相手方の子供二人の将来を考え、ベストの状態で、任意明け渡しを確認した次第です。(完)2009.11.21

◆最近の風潮に思うこと(その二)

真鍋 峰松

<主宰者より:真鍋 峰松氏寄稿の「最近の風潮に思うこと」(その三)を、(その二)より先に掲載してしまいました。お詫びいたすと共に、(その二)を本日掲載致します>。

今年7月29日、肺炎のため101歳でお亡くなりになった松原泰道師は、私が心から敬愛し、私叔する仏教家のお一人である。

 同 師の説かれるところには、我われ凡人の機微に触れること多く、限りない人間への愛情に満ちた言葉が多い。

それこそ数多ある著書の一つである「迷いを超える法句経」は、真に平明にして、教えられるところの多い本であるが、その中で「こころこそ こころ迷わす こころなれ こころにこころ こころ許すな」との詩句が引用され、愛と憎しみの意(こころ)が理性に勝ち過ぎ、感情が狂うと眼まで曇るものです、と説かれている。
 
そのことを故亀井勝一郎氏は、「言葉は、心の脈拍である」、松原師は「言葉は、心の足跡である」と表現されている。 

真に人間の健康状態は其の人の脈をみれば判るように、其の人の心が病んでいるかどうかは其の人の言葉を聞けばたちどころに判断できる、其の人の言葉を聞いているうちに、次第に其の人の心の足どりが微妙に感じられてくるものだ、との教えである。 

また、同師は、寒山詩からの引用として「心直ければ出づる語も直し、直心に背面なし」と。 

世間は直心からでる直語に反感を持ちやすい。世渡りに賢明な現代人はもちろん直心から出る直言を避ける。しかし、現代最も大切なのは、背面無き直心から発せられる直言の叱責であろう。それが実るには他者に成り切る愛情の涵養である、と説かれる。

私は、これらいずれも、ギスギスした人間の心と感情的な二者択一的な議論ばかりの現在の政治や社会への、惜しくも逝去された恩師からの遺言・直言と受け止めたい。  合掌。
(評論家)

2009年11月22日

◆最近の風潮に思うこと(その三)

真鍋 峰松

昔、学校で国会を「言論の府」、特に参議院は「良識の府」と呼ばれると教わった遠い記憶がある。だが最近では、私には、その言い回しが如何にも虚しいものに聞えてくる。 

そこで見られるのは、出し入れ自由自在のご都合主義で、論戦にはほど遠いお互いの尊厳を損じ合う罵詈雑言に近いものまで見受けられる。いつの時代からこんな風になったのだろうか。 

言葉一つで相手を殺すことだってできる。本来、それほどの力を持ったものが、言葉である。そんな言葉であるから、無責任なものであって良い筈がない。まして国会という、これ以上ない公開・公式の場ではないか。
 
国会(帝国議会)の第一回開会は明治23年(1890年)のことだから、国会論議も約110年の歴史を刻んできた。 その歴史の中では、それこそ生死を賭けた言葉のやり取りは、多々ある。 

昭和12年第70回帝国議会での浜田国松衆議院議員(政友会)が行った軍部の政治干渉を攻撃する演説を巡る、時の寺内寿一陸軍大臣との有名な「腹切り問答」、昭和15年第75回帝国議会での斎藤隆夫衆議院議員(民政党)の軍部批判演説など、当時の世相の下では生死を掛けた発言であったろう。
             
道元禅師の正法眼蔵には「愛語 回天の力あり」という言葉がある。 

分かりやすく言うと「思いやりのある言葉は、人を変えていく力がある」ということのようだ。 

また、中国古典の漢書(劉向伝)には有名な「綸言 汗の如し」つまり、出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いことを意味する言葉もある。 斯様に、古くから言葉の重みを強調する警句は数多い。

さらには、老子には「多言なれば、しばしば窮す」、荘子には「大弁は言わず」と多弁の愚を戒める警句すらある。
 
それに較べて、最近の・・・、と一々並べ立てるのも野暮というものだろう。 だが、こと、国会や閣僚に限らず、今やマスコミの寵児と化した大阪府橋下徹知事にも言葉を重要視しない言動が多々見受けられるのも、如何にも真に遺憾なことである。(完)
                       <評論家> 09.11.22


2009年11月21日

◆「川向う」を変えるか「スカイツリー」

渡部亮次郎

東京の「川向う」が、東京一になる。世界で2番目に高い建造物が、「川向う」たる墨田区押上(おしあげ)に完成するからである。東京スカイツリー、高さ634mの電波塔。東京タワーの約2倍である。

大学が1つも無く、「学術」「文化」に無縁の「川向う」だったが、一挙に「電波」の発信と「観光」の街に変身することになった。
東京湾の波が押し寄せていた「押上」の浴びる脚光の陰で、旧来の観光地浅草は寂れるんじゃないかと心配しているそうだ。

だが、タワーの建つ押上、向島近辺は余りにも開発から取り残されており、果たして関係者が目論む皮算用に、地元商店街や町内会がどれほど呼応できるのか、新参者は心配しながら見ている。

いずれにしろ、タワーは私のパソコンから目を上げると真正面に聳え始めており、やがて北の空を東と西に分割する「線」になりそうだ。

元々押上あたりは1902(明治35)年に東武伊勢崎線吾妻橋駅(のち浅草駅、現・業平橋駅)が開業。 続いて1912年11月3日には、京成本線(現・京成押上線)の始発駅として、押上駅が開業した。 東京の下町で最も繁華な街の一つを形成していた。

しかし、1960(昭和35)年12月4日に都営浅草線が開通し、京成押上線 - 京成本線との相互直通運転が始まると、押上駅は単なる中間駅となり、ターミナル駅の座を失い、商業が衰退。

2003年3月19日、押上駅に半蔵門線と東武伊勢崎線(両線も相互直通運転)が開通。

2006年3月25日、新東京タワーの建設地に決定。同時に周辺区域の大規模な再開発も予定されている。

スカイツリーは2008年7月14日 安全祈願祭と起工式典をして着工。タワー部分の総事業費は約650億円を見込む。2009年11月10日 高さ200m到達(公式HP)。 12月末 高さ230mに到達予定。

東京スカイツリー(とうきょうスカイツリー、Tokyo Sky Tree)は自立式鉄塔で計画・着工当初の高さを610.58mとする予定だったが2009年10月16日に高さ634mに修正、自立式電波塔の高さ世界一を目指すことを発表した。

事業主体は、東武鉄道が出資する東武タワースカイツリー株式会社。2011年12月(遅くても2012年早春)に竣工の予定。

2003年12月にNHKと在京民放キー局5社が600m級の新しい電波塔を求めて、「在京6社新タワー推進プロジェクト」を発足し。2006年3月に現在の建設予定地に決定した。

東京スカイツリーの建設目的は東京都心部に建てられている超高層ビルの増加に伴う、東京タワーの電波障害を低減することにある。建設計画の中で地上デジタル放送やワンセグ放送が普及してきており、2011年7月24日には地上アナログテレビ放送が終了となるため地上デジタル放送用の電波塔となる。

東京都墨田区に所在する東武伊勢崎線・東京メトロ半蔵門線・京成押上線・都営浅草線の押上駅と東武伊勢崎線の業平橋駅の間に挟まれた、東武鉄道の本社隣接地で所有の貨物駅(のちの業平橋駅3、4、5番線ホーム)跡地に建設されている。

事業費約500億円を東武鉄道が出資。建設費は約400億円。総事業費は約650億円。テレビ局からの賃貸料および観光客からの入場料などで収益を得る見込みである。

2006年5月に第一生命経済研究所が出した予測によると、開業から1年で300万人が訪れると仮定、経済効果を473億円と試算している。

また2008年1月公表の墨田区「新タワーによる地域活性化等調査報告書」では東京スカイツリーへの来場者を年間552・4万人、併設される商業施設等を含めた開発街区全体での来場者数を年間2,907.9万人と試算している。こちらの試算は「捕らぬ狸」の感。

施工:大林組
階数:地上31階、地下3階(オフィス棟)
高さ:634m(電波塔)及び約160mのオフィス棟
敷地面積:36,844.41m2(施設全体)

構造:鉄骨造、鉄骨鉄筋コンクリート造

電波塔内の施設:放送施設・展望施設(450mに特別展望ロビー・350mにも展望ロビー)・商業施設ほか。」

350mの展望台にはレストランやカフェ、ショップなども併設される。また4階には出発ロビー、5階には到着ロビーがそれぞれ設置される。

エレベーター:地上から350mの高さにある第1展望台まで約50秒間の分速600m40人乗り4台、第1展望台と450mの高さにある第2展望台を結ぶ約40秒間の分速240m40人乗り2台。

地下駐車場から第2展望台まで昇降距離464.4m27人乗り業務用2台、その他にも第1展望台内の移動用に1台、タワーの足元の施設に4台がある。

地上31階建てのオフィス棟の他、中層の商業棟、広場、約1,100台分の駐車場なども建設される予定。
完成時の高さ [編集]
2011年完成時点で、自立式鉄塔としてはキエフテレビタワーの385mを上回る世界第1位。自立式建築物としては広州テレビ・観光塔(建設中)の610mを上回り、ブルジュ・ドバイの818mに次ぐ世界第2位となる予定。

建設計画を策定する中で当時世界一の高さであったカナダオンタリオ州・トロントにあるCNタワーを上回る高さとしてアメリカイリノイ州・シカゴに建設予定であった「シカゴ・スパイア」(現在は凍結中)のアンテナを含めた高さが約2,000フィート(約609.6m)であったため、「610m」という数字になった。

構想段階では世界一高い建造物を目指していたが、完成時の高さを非公開にして建設していたブルジュ・ドバイが高さ818mで完成した。この高さを超えるように計画は修正されていないため、世界一高い建造物にはならない。

2009年10月16日に計画を修正し、高さ634mを目指すことを発表した。数字には「むさし」武蔵地区などの語呂合わせも考慮したとしている。

デザインは五重の塔を参考にして、心柱(鉄筋コンクリート造の高さ375m直径約8mの円筒で内部は階段)により地震などによる揺れを抑える心柱制震構造となっている。

タワーの水平方向の断面は地面真上では正三角形であるが、高くなるほど丸みをおびた三角形となり地上約320mで円となる。概観は「起り」(むくり)や日本刀の緩やかな「反り」(そり)の曲線を生かした日本の伝統建築の発想を駆使し、反りの美的要素も盛り込まれている。

2009年2月26日にカラーデザインが「スカイツリーホワイト」と決定された。これは日本伝統の「藍白」(あいじろ)をベースにした独自の命名のオリジナルカラーで、青みがかった白である。なおエレベーターシャフトはグレー、展望台はメタリック色、頂部は鮮やかな白である。

総務省は情報通信審議会情報通信政策部会「第42回地上デジタル放送推進に関する検討委員会」(2009年1月16日)において、「関東広域圏の地上デジタル放送の親局が東京タワーから東京スカイツリーに移行することによる視聴者への影響はほとんど無いであろう」との見解を示した。

東京23区内は電波の強度が強く、アンテナが東京スカイツリーに向いていなくても地上デジタル放送の番組を視聴できる可能性が高く、また東京タワーや東京スカイツリーから離れている地域については位置関係が相対的に変わらないため、視聴者に与える影響はほぼ無いであろうとの見方が示された。

NHKは2009年度から3か年の経営計画において、完全デジタル化後に北関東を総合テレビの広域圏エリアから切り離す構想を明らかにしている。このため、送信アンテナの設計にあたっては他局とのエリア調整をどのように行うかが課題として浮上した。

TOKYO MXは親局を東京スカイツリーに移すことで都内全域に放送を届けられるようになるが、その一方で大幅なスピルオーバーが発生するとして近隣県の独立放送局から反発を受けている。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2009・11・19

2009年11月20日

◆古稀のホールインワン

毛馬一三

70歳以上の高齢者が楽しむゴルフで、ホールインワンをしたという記憶はないではないが、私の高校同期生の70歳の友人が、つい最近その快挙を果たしたことを知って、その壮健ぶりに脱帽した。

その話が持ち上がったには、所用のため11月16日に実家の福岡市に帰省し、集まってもらった新宮松比古氏(自民県支部連合会長)ら母校・福岡高校同窓会関係者との会合が、一段落した折だった。

その快挙を成したのは、同席していた同期生の高杉重行氏(9回生)。同氏が、はにかみながら吶々と語ったその時の状況とはこうだった。

ゴルフ場は、福岡市内で名門クラシックゴルフ場で有名な手作りの「福岡カントーリークラブ・和白コース」で、9月10日福岡・福中福校同窓会親睦ゴルフ大会に参加した時のことだった。ここには何度も足を運んでいるが、ゴルフ場全体が起伏やドッグレッグが入り組む難コースで、過去いい成績を残したことはない。

この日4人で回り、アウトの2番「157ヤード・ショートホール・パー3」のティーグランドに立った。このホールは、打ち上げで、うまくグリーンに乗せても前方から後方に向けて2段の高低があるため、ピン側には中々寄せられない。せいぜいグリーン回りからアプローチしてパーが取れれば、万々歳のホールだ。

7番ウッドを取り出し、距離とグリーン方向をイメージしながら振り抜いた。しかしハーフトップとなり低い弾道で飛び出し、うまい具合にグリーン上にオンするのが見えた。

グリーンに上がってボールを探したが、回りも含め何処にも見当たらない。奥が林のOB区域なので、きっとここに飛びこんだに違いないとガッカリして、駆け足で再び元のティーグランドに駆け戻り、4打目で打ち直した。

再びグリーンに上がり、カップまでの距離を確認しようとカップを覗き込んだところでアット驚いた。なんと1打目のボールがカップの中にあるではないか。同僚3人も、高杉氏が引き返してくるのをグリーン回りで待機していたので、その事実を知る由もなかった。

高杉氏は叫んだ。「おーい、ホールインワンやで!」。3人の仲間とキャディーが駆け寄ってきた。「凄い!やったなぁ!」「高杉君は70歳やろ、奇跡やな!」。仲間が口々に絶賛する。

本人は嬉しさより、「驚き」で頭が白くなり、言葉が出てこない。28歳からゴルフを始め、一時はハンディーが14までに上達し、78のベストスコアを出したしたこともある。だが今は99くらいで回ればいいほうだ。しかも、43年間のゴルフ暦の中でホールインワンとは全く縁もなかった。

暫くして喜びが込み上げてき出し、「古稀のお祝いにおまけがついた」と思うようになると、初めてにんまりし出した。

以上が、高杉氏からの「古稀快挙」の話だった。

筆者も、腰痛を患ってからここ7年程は中断しているが、ゴルフ暦は長い。そこそこの実績は残している積もりだが、ホールインワンの経験は無い。「運」に恵まれなかったこともあるが、ピンに寄せられない実力不足が主因だろう。

世界の高齢者によるホールインワンの記録は、2007年4月5日のアメリカの102歳の女性が、100ヤード・パー3で達成している。<参考・ウィキペディア(Wikipedia)>

しかし老齢に伴い体が動きにくくなった70歳の高杉氏がホールインワンを果たしたのは、単に幸運だっただけではなく、まさに今なお壮健の証であろう。慶事そのものといっていい。福岡の同期生たちが「お祝いの会」をするらしい。(了)   2009.11.19


2009年11月19日

◆摂食拒否の幼稚な容疑者

渡部 亮次郎

<市橋容疑者、医師が診察=異常なし、依然食事せず−千葉県警

英国人女性死体遺棄事件で、千葉県警は14日までに、市橋達也容疑者(30)に医師の診察を受けさせた。診断の結果、健康状態は良好で、脱水症状もないとされた。

行徳署によると、13日夕に診察。市橋容疑者は逮捕後一度も食事をしていないが、「お茶を飲むか」と聞くと、うなずいて飲んでいるという。>11月14日13時2分配信 時事通信

私は記者を20年ほどしたが、初年兵が必ずやらされるという「警察(サツ)まわり」は、事情あって、専門的にやった事は無い。大学は政治学科だったので、刑法は勿論、刑事訴訟法の解釈も知らない。

今度の事件の展開もネットと週刊誌で知るだけだが、事件を所轄した千葉県警行徳署の努力は大変なものだったらしい。それだけに留置した途端、提供する食事を何日にも亘って拒否する容疑者への当惑には同情する。

2年7ヶ月も行方をくらますことの出来た容疑者。ひょっとすると時効まで逃げおおせるかも知れないと、自信らしきものを持ち始めていたのではないか。1000万円の懸賞金も気にしなくなっていたのかも知れない。

しかし、30男にしては幼稚だったのは整形手術だ。容貌が変われば逃げ延びるにプラスになることだけを考え、医師から警察に通報されるマイナスを全く考えていない。この程度の頭脳では、親と同じ医者になれるわけが無い。

特に、頬の黒子除去手術跡が、致命傷になるとは皮肉だった。男性で黒子を除去する人間は少ない。それを敢えて除去したということは「特徴」とされている人間、つまり「指名手配」の男と疑われる事になる。

それに大阪南港で4時間も動かずに顔を隠し、サングラスをして坐っていれば、却って疑われる事になるとは考えなかったのだろうか、不思議である。

いずれにしろ「万事終了」もはや逃げる事はできない。死刑にはならないだろうが、刑期を終えた頃は50を越しているだろう。とうとう、異常な一生が始まった。喉をメシが通らないだろうが、何時までだろうか。

まさか餓死する度胸があるとも思えない。09・11・14

2009年11月18日

◆世論通りは政治じゃない

渡部亮次郎

<普天間問題「鳩山発言ぶれはなぜ?」、日米合意も「無視せず」→「前提としない」→「重い」

米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、鳩山由紀夫首相の発言の「ブレ」が続いている。日米首脳会談で合意した閣僚級作業グループの開催を前にした16日朝に「日米合意のもとにすべてを決めるなら議論する必要はない」と言ったかと思うと、同日夕には「日米合意は重い」。なぜブレは続くのか。

背景に「世論重視」の首相の政治スタイルがある。「沖縄の皆さんの思い」というフレーズを好み、沖縄県読谷村(よみたんそん)のひき逃げ事件では「基地があるからこういう事故が起こる」。県民を代弁したいとの姿勢が強く、発言の力点を左右する。マニフェスト(政権公約)の目玉「高速道路無料化」も、世論調査で不人気と分かると、方針転換に言及するなど世論重視は徹底している。

首相にも日米関係への配慮はみえるが、日によってまちまちだ。「日米合意を無視して結論を出すつもりはない」(11月2日)の後で「合意のもとにすべてを決めるなら議論する必要はない」(同16日)と言う。あれもこれも語る手法が問題を複雑にしている。>
産経新聞 2009.11.17

政治は世論を重視しなければならないが、世論そのものは多面的であり、日々、変化するものであるから、鳩山首相が、発言を世論に合わせようとすれば、それこそ「ブレ」が日常化せざるを得ない。

<世論は多くの人々が共有する意見であり、社会の統合化の促進、支配者の統治の正当化のために世論は重要であると考えられている。

特に現代の議会制民主主義に基づいた社会においては選挙を通じて世論が政治的支配の正当性を左右することになる。すなわち世論は政治的リーダーに対する国民の意思表示としての機能があると言える。

しかし世論がどのような内容となっているのか、またそもそも世論といえるような共通意見が世間一般に存在するのか、を知るのは相当程度に困難なことであり、単なるマスメディアの意見、ないし願望が「世論」として紹介されることも多い。またアナウンス効果による世論操作と言われることもある。

世論と対外政策形成過程の関係についてはカナダの国際政治学者ホルスティがいる。ホルスティは先進国における世論の形成者である国民を、国際問題に強い関心や知識・意見を持つ関心層、

関心はあるが知識がないために政党やマスコミの意見を受け入れることで自らの意見を持つ中間層、

知識がないため意見が持てない無関心層に分類し、政策形成の過程において関心層の影響力が大きいとした。

一般的な国際関係理論ではこのように無知な大衆を軽視し、少数エリート集団が対外政策過程に影響しているように考える傾向が強い。現実主義的な世界観が国家を統一的な政治共同体として認識していることが関係しているため、内部的な意見対立を研究対象としない場合もある。>「ウィキペディア」

<民主党関係者が指摘するのは「首相には日米合意の基本である抑止と地元負担のバランスという感覚が少ない」点だ。日米合意の閣議決定にも明記された概念で、米軍の抑止力への理解が根底にないと日米安保は発展しないという考えだ。これが欠けると発言がブレるという解説だ。

実は民主党内にも、抑止と地元負担のバランスを取る「民主党らしい解決シナリオ」(党関係者)があった。衆院選期間中に党幹部が語った沖縄県外への移設論議を撤回し、キャンプ・シュワブ沿岸部に移設する現行計画にできるだけ近い内容で着地する考えだ。

岡田克也外相、北沢俊美防衛相ら関係閣僚は、来年半ばまで時間をかけ「県外移設路線」を軌道修正する案をまとめたが、首相は10月16日、沖縄県名護市長選(来年1月)と県知事選(同11月)を挙げて「その間の来年半ばに決着」と発言し、結論を先取りしてしまった。
これに米側が態度を硬化させると、岡田、北沢両氏は「年内」「早期に結論」を言わざるを得なくなり、「調整した結果の軌道修正にしたかった」(政府関係者)と悔やむ。

岡田氏らと首相のズレも、当初のシナリオに戻ろうとする岡田氏との齟齬(そご)のようだ。岡田、北沢両氏は16日、首相官邸で平野博文官房長官と協議したが、首相のブレを調整する妙案は見つかっていないようだ。>産経新聞 2009.11.17

民主党が総選挙に勝てば、鳩山が首相になる事は自明の理だったが、
大方の人は、鳩山に、これほど思想、哲学、信念が無く、決断力が皆無である事を知らなかったのだろう。

落第したことも無く、挫折を知らずに大人になり、落選も知らずにいきなり首相になってしまった男は、むしろ不幸である。しかも不幸の対策を知らないのだから、救い様がない。大学を出ただけの暗愚である。

昔から言うよ。「バカにつける薬は無い」最高権力者をバカ呼ばわりする失礼は承知しているが、バカな首相を頭に戴く国民の不幸を首相自身が理解して退陣しないうちは叫ぶしかない。(文中敬称略)
2009・11・17

◆巴里だより 20年前の興奮ベルリンの壁

岩本宏紀(在仏)

ブランデンブルグ門での式典のテレビ中継を見ていて、
20年前を思い出した。

あの時、アムステルダムに住んでいた。

テレビは毎日、ハンガリーからオーストリアに入国し、隣の西ドイツに入ってくる人が日ごとに増えていると伝えていた。

そのうち、東ドイツのひとがオーストリア経由で西ドイツになだれ込む映像が映し出された。

なにか途轍もないことが起こる予感がして、胸がわくわくした。

そして11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。

統合にかかる費用負担は予想以上に大きく、5,6年経っても景気はなかなか回復しなかった。

旧西ドイツのひとに大変ですね、と声をかけたら
「でもね、これまで絶対に会えなかった家族や親戚に自由に会えるようになったのですから、、、」と言われた。

ぼくはそうですね、と頷くしかなかった。(完)

2009年11月17日

◆東大出の暗愚の帝王

渡部亮次郎

昔、鈴木善幸首相はマスコミから「暗愚の帝王」と陰で呼ばれた。
外交がまるで分からず、発言がブレ続けたからである。そこへ行くと普天間でブレ続け、日米同盟の本質を分かっていない点で鈴木に似ており、「暗愚の帝王再来」「東大出の暗愚」である。

日米首脳会談(11月13日、日本首相官邸)は「日米同盟の深化、発展」「日米同盟はアジア太平洋地域の安定の為の機軸との認識」「米普天間飛行場の移設問題は、早期に結論を出す」などで「合意」した。

ところが、オバマを置き去りにしてシンガポールへ夫人と共に先に飛んだ鳩山首相は記者団に鳩山由紀夫首相が米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、「13日の日米首脳会談で合意した日米閣僚級作業グループでの検討は、名護市への移設を決めた平成18年の日米合意を前提としない」と述べたのである。

「オバマ大統領とすれば日米合意を前提と思っていたいだろうが、それが前提なら作業グループを作る必要がない」というのが鳩山首相の理屈。

一方、大統領は同日の演説で「(作業グループは)すでに達した合意を履行するためのものだ」と述べており、認識の違いは明確だ。
これだけの認識の差があるなら、「日米同盟の深化、発展」「日米同盟はアジア太平洋地域の安定の為の機軸との認識」と合意するだろうか。

民主党の中ですら長島昭久防衛政務官は、NHKの番組で「オバマ大統領が『今の日米合意を迅速に実行する』と言ったにも拘わらず、首相が(打ち消すような)話をして正直びっくりした」と述べた。

自民党の石破茂政調会長は15日、「背信行為とも言うべきだ」と批判し記者団に「こんなことなら首脳会談をしない方がよかった」と強調。さらに「大統領の言ったことが合意の中身だと思う。首相は自分の言ってきたことと整合性を取るために合意をなかったと言ったとしか思えない」と指摘。

<普天間飛行場の移設問題をめぐっては、首相は衆院選の最中、国外・県外移設を目指す考えを表明していた。9月の就任後、「移設先は名護市しかない」とする米側の姿勢が硬いことから対応に苦慮。

13日の首脳会談では、主要議題を「個人的信頼関係の構築」に置き、ひとまず結論を先送りすることでどうにか米側の配慮を取り付けた。

オバマ政権は普天間移設に伴う米海兵隊のグアム移転費も含む
2010年度予算編成を年末に固める必要がある。タイムリミットは迫っており、大統領も首脳会談で「迅速な決着」を促している。

そうした中で大統領の発言を否定するかのような首相発言は、「不確実な状況が続くことは望ましくない」(クリントン国務長官)とクギを刺してきた米側の態度を一気に硬化させる可能性もある。>
産経新聞 2009.11.15 17:13

鈴木善幸は岩手の網元の息子。水産講習所(後の東京水産大学、現在の東京海洋大学)を出た政治家とはいえ、自民党の総務会長を長く務めた「まとめ屋」。それが大平の死後、田中角栄の後押しで急に首相になってしまった。

大平の初盆の日に、自民党両院議員総会で総裁に選出されたとき、「もとより私は総裁としての力量に欠けることを十分自覚している。しかし、その選考の本旨に思いを致し、総裁の大役を引き受ける決意をした」と、異例の挨拶をしたぐらいである。

経歴としては、郵政大臣、官房長官、厚生大臣、農林大臣と「幅広く」活動してきたようには見えるが、帝王学に欠かせない大蔵、外務大臣の経験は無い。日米共同声明は、首脳会談の議事録と勘違いして発言がブレたので、気のきいた屋山太郎あたりが「暗愚の帝王」と言って揶揄した。

そこへ行くと鳩山は東大で足りず、アメリカの一流大学まで行って、他人(人)のかかあまで盗んできて、暗愚の帝王である。産経新聞ワシントン駐在編集特別委員の古森義久氏は「鳩山首相に欠けるのは防衛意識と価値観」と言っていますが、わたしは別だと思う。

大学を2つも出たのだから、学問は十分だ。だが世界観が定まっていない。哲学がない。信念に欠ける。「友愛政治」とか「不戦共同体などは、厳しい国際情勢のなかでは趣味に過ぎない。

国際情勢に定見が無い。無いのに発言してしまうから、訂正を余儀なくされる。世間はこれを「ブレる」と言って許してしまう。

そんな粗末な人間がまず、国会議員になれたのはなぜか。有権者に定見の無いのを見込んで手練手管を用いて騙した「手先」だけの浅ましさである。

政界入りして後は、「名家」「経歴」をゼニにまぶして神輿に乗っただけ。所詮「戦略なき戦術家」の域を出ない三流政治家に過ぎない。
元祖善幸には、元社会党代議士の思想の残滓があったが、鳩山には何も無い。あるのはポーズだけ。鈴木に劣る暗愚の帝王である。2009・11・16



◆「還暦・古希」など満年齢の思い込み

渡邊好造

本誌「百家争鳴・8月14日号」で、還暦、古稀など日本古来の祝い事はすべて数え年だから、本年の全英オープンゴルフ準優勝者『トムワトソンが、9月に満60歳の還暦』とテレビ解説していたのは間違いだと指摘した。

くどいようだが、還暦(10干12支の組合せが60あり、61回目に元の組合せに戻ること)は数え年61歳(満60歳の誕生年)、古稀は数え年70歳(満69歳の誕生年)のそれぞれ1月1日〜12月31日が該当する。

ところが、その後テレビ番組や新聞をみていると、満年齢との思い込みが大勢をしめていて、還暦は満60歳としていることがたびたびあり、NHKのテレビ番組では満69歳のある画家について「来年のお誕生日には満70歳の古稀をお迎えになります」とアナウンサーが紹介していた。

そんな間違いについてブツブツぼやいていると、来年満70歳で現在古稀の我が女房殿曰く。

「誰でも歳はとりたくないから、還暦も古稀も遅い方がいい。私の古稀は来年。なにを杓子定規に、、。間違っていても多数意見に従うこと。"一所"懸命も今では"一生"懸命で通じるし、麻生さんの”未曾有”も、そのうちに”みぞ・い・う”と読むようになるかも、、、」と、一喝された。

そういえば、昔読んだマーケテイングの本に、「一つのエリア、グループ、限られた社会などで、ある事象や慣行が40%を超えて人々に行き渡ると、その段階で残りの60%の人は従わざるをえなくなる」との記述があったのを思いだした。

最近また見直されてきた”ランチェスターの法則”で、有名なイギリスのフレデリック・ランチェスター(1868〜1946年)が、約95年前に提唱した理論(元は戦争、工学論だが日本では30〜40年位前に経営論にアレンジして紹介された)。

「市場で勝ち抜くにはまずシェア目標を40%におく。そして、40%に達するまでに手をぬくとシェアは減り始めるが、40%を確保すると、後は普通の努力でシェアは伸ばせる」というのである。

例えば、アメリカ・ロサンゼルスで乗用車の個人普及率が40%を超えた時点で、路線バスの採算がとれなくなり廃線、タクシーもなくなりハイヤーのみとなった。

約30年前の筆者のメモによると、洋酒界では"サントリー"のシェアが75%(2位"ニッカ"20%)、ビール界では"キリン"が65%(サッポロ20%)、広告界では"電通"が40%("博報堂"15%)といった具合で、40%を超えるシェアの会社はまさになにをやってもうまくいく、寡占状態の左うちわだった。

それがいつまでも続かないのは、業界の再編、新商品(新媒体)の誕生、法律の改正などのためで、そうなるといくらシェアを誇っても天下は続かない。

暖房器具として石炭ストーブ隆盛時の"Cストーブ"社はシェア60%以上を占めていたが、新商品の電気や石油ストーブが出回ると、シェアは維持できたものの売上げは、ガクンと落ちてしまった。ともあれ、一時的にせよ10人中4人以上がこうだと言い出したら、それが例え間違っていたとしてもなにかキッカケがないと間違いは正されず、多数決となりやすい。

還暦、古稀だけでなく喜寿、傘寿、卒寿、白寿といった祝い事は、今や半数以上の人が数え年でなく満年齢として意識しているようだから、ここは筆者も四の五の言わず話を合わせておくのが無難のようである。

まあそのうち何かキッカケがあれば先祖がえりの復古調になり、数え年が甦るにちがいない。(完)
                    (評論家)