2019年09月21日

◆世界から見た皇室

加瀬 英明

世界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて

私は昭和天皇が崩御されて、殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人としてお
招きをうけたほかに、何回か新宮殿にあがったことがある。

私はそのたびに、ヨーロッパの絢襴豪華な宮殿や、歴代の中国の皇帝が住
んだ北京の故宮と較べて、日本の皇居は何と違うのかと痛感する。

新宮殿のなかには金銀に輝く装飾や、人々を威圧する財宝が一つもない。
神社の雰囲気が漂っている。

皇居の杜に囲まれた宮殿の建築様式は、日本に上代から伝わる高床式で、
屋根に千木が組まれている。

天皇陛下がおわされるところに、まことにふさわしい。日本の国柄が表れ
ている。天皇が権力者ではなく、千古を通じて日本を精神的に束ねてこら
れたことを、感じさせられる。

私が親しくしてきた外国の元首も大使たちも皇居を訪れると、異口同音に
諸外国の宮殿とまったく異った空間であることに驚いたと、語っている。

天皇に拝謁した外国人は口を揃えたように、陛下が世界でもっとも謙虚な
人であられると述べている。歴代の天皇は「私」をお持ちになることがな
く、日本だけでなく、全世界の平和を真撃に祈ってこられたからだ。

私はアメリカの未来予測の大御所といわれた、ハーマン・カーン博士
(1922年〜83年)と親しかった。ハドソン研究所の創設者だった
が、著書『超大国日本の挑戦』によって知られていた。博士が来日した時
に、高松宮宣仁親王殿下の高輪の御殿にお連れして、御紹介したことが
あった。

その時に、殿下が兄宮に当たられる昭和天皇について、「私たちはせいぜ
い百年前後しか考えないが、(昭和天皇は)つねに、これまでの2000
年と、これからの2000年の時間によって、お考えになられている」と
仰言ったので、饒舌な博士がしばらく黙ってしまった。

外国人識者による日本論といえば、イギリスの大記者だったヘッセル・
ティルトマン氏(1897年〜1976年)を忘れることができない。戦
前、イギリスの名門日刊紙『ザ・ガーディアン』東京特派員として来日
し、戦後、日本に戻って吉田茂首相の親友として知られたが、在京の外国
特派員協会会長もつとめた。

私は当時からアメリカの新聞に寄稿していたが、26歳の時にティルトマ
ン記者の知遇をえて、戦前と占領下の日本における体験をきくうちに、目
を開かれることが多かったので、新潮社に話して同氏の回想録を『週刊新
潮』に、昭和40年に36週にわたって連載した。

このなかで、ティルトマン氏は満州国を絶賛するなど、日本の行動を擁護
している。 

そして、日本が建国以来国柄を変えることなく守ってきたことを、「日本
は2600年古い国ではない。2600年も新しい国だ」(『日本報道三
十年』、平成28年に 祥伝社が復刊)と述べている。

ティルトマン氏は私に「日本は古い、古い国であるのに、外国と違って廃
墟となった遺跡が一つもないのは珍しい。皇室が万世一系で続いているの
を説明しています」といって、伊勢神宮など多くの神宮や神社が20年あ
まりの周期で、式年遷宮―昔の姿のまま忠実に造営されていることをあげた。

私はギリシアのアテネで古代アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿を訪
れたことがあるが、今日のギリシアのありかたとまったく無縁である。

私は『源氏物語』や、川端康成文学の名訳者として知られた、エドワー
ド・サイデンステッカー教授(1921年〜2007年)とも親しく、上
野池の端で催されたお別れの会で献杯の言葉をのべたが、口癖のように
「わたしは明治翻訳語の『指導者』という言葉が、大嫌いです。日本は和
の国です。最高神の天照御大神も権威であっても、権力はなかった」と嘆
いていた。

日本では、神代のころから合議制の「和」の国だったから、英語のリー
ダー、ドイツ語のフューラーに当たる言葉が存在しなかった。

日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、幕末から明治にかけて、西洋
の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なもの
にとどまった。

いま、日本の万物に霊(アニマ)が宿っているアニメや、日本発のエモジ、
自然と一体の和食から、人と自然が平等だというエコロジーまで、かつて
のジャポニズムをはるかに大きく超える、日本の心の高波が世界を洗って
いる。

ヨーロッパ、アメリカでは、エコロジーが新しい信仰となって、一神教を
置き換えつつある。日本の和の心がひろまることによって、抗争に明け暮
れる人類を救うこととなろう。

日本文化への共感が増すなかで、天皇の御存在に対する理解が、いっそう
深まることとなってゆこう。



加瀬 英明

世界から見た皇室――令和の御大典を寿ぎて

私は昭和天皇が崩御されて、殯宮伺候(ひんきゅうしこう)の1人としてお
招きをうけたほかに、何回か新宮殿にあがったことがある。

私はそのたびに、ヨーロッパの絢襴豪華な宮殿や、歴代の中国の皇帝が住
んだ北京の故宮と較べて、日本の皇居は何と違うのかと痛感する。

新宮殿のなかには金銀に輝く装飾や、人々を威圧する財宝が一つもない。
神社の雰囲気が漂っている。

皇居の杜に囲まれた宮殿の建築様式は、日本に上代から伝わる高床式で、
屋根に千木が組まれている。

天皇陛下がおわされるところに、まことにふさわしい。日本の国柄が表れ
ている。天皇が権力者ではなく、千古を通じて日本を精神的に束ねてこら
れたことを、感じさせられる。

私が親しくしてきた外国の元首も大使たちも皇居を訪れると、異口同音に
諸外国の宮殿とまったく異った空間であることに驚いたと、語っている。

天皇に拝謁した外国人は口を揃えたように、陛下が世界でもっとも謙虚な
人であられると述べている。歴代の天皇は「私」をお持ちになることがな
く、日本だけでなく、全世界の平和を真撃に祈ってこられたからだ。

私はアメリカの未来予測の大御所といわれた、ハーマン・カーン博士
(1922年〜83年)と親しかった。ハドソン研究所の創設者だった
が、著書『超大国日本の挑戦』によって知られていた。博士が来日した時
に、高松宮宣仁親王殿下の高輪の御殿にお連れして、御紹介したことが
あった。

その時に、殿下が兄宮に当たられる昭和天皇について、「私たちはせいぜ
い百年前後しか考えないが、(昭和天皇は)つねに、これまでの2000
年と、これからの2000年の時間によって、お考えになられている」と
仰言ったので、饒舌な博士がしばらく黙ってしまった。

外国人識者による日本論といえば、イギリスの大記者だったヘッセル・
ティルトマン氏(1897年〜1976年)を忘れることができない。戦
前、イギリスの名門日刊紙『ザ・ガーディアン』東京特派員として来日
し、戦後、日本に戻って吉田茂首相の親友として知られたが、在京の外国
特派員協会会長もつとめた。

私は当時からアメリカの新聞に寄稿していたが、26歳の時にティルトマ
ン記者の知遇をえて、戦前と占領下の日本における体験をきくうちに、目
を開かれることが多かったので、新潮社に話して同氏の回想録を『週刊新
潮』に、昭和40年に36週にわたって連載した。

このなかで、ティルトマン氏は満州国を絶賛するなど、日本の行動を擁護
している。 

そして、日本が建国以来国柄を変えることなく守ってきたことを、「日本
は2600年古い国ではない。2600年も新しい国だ」(『日本報道三
十年』、平成28年に 祥伝社が復刊)と述べている。

ティルトマン氏は私に「日本は古い、古い国であるのに、外国と違って廃
墟となった遺跡が一つもないのは珍しい。皇室が万世一系で続いているの
を説明しています」といって、伊勢神宮など多くの神宮や神社が20年あ
まりの周期で、式年遷宮―昔の姿のまま忠実に造営されていることをあげた。

私はギリシアのアテネで古代アクロポリスの丘にたつパルテノン神殿を訪
れたことがあるが、今日のギリシアのありかたとまったく無縁である。

私は『源氏物語』や、川端康成文学の名訳者として知られた、エドワー
ド・サイデンステッカー教授(1921年〜2007年)とも親しく、上
野池の端で催されたお別れの会で献杯の言葉をのべたが、口癖のように
「わたしは明治翻訳語の『指導者』という言葉が、大嫌いです。日本は和
の国です。最高神の天照御大神も権威であっても、権力はなかった」と嘆
いていた。

日本では、神代のころから合議制の「和」の国だったから、英語のリー
ダー、ドイツ語のフューラーに当たる言葉が存在しなかった。

日本の浮世絵を中心としたジャポニズムが、幕末から明治にかけて、西洋
の絵画、庭園、建築、服飾などに深奥な影響を及ぼしたが、視覚的なもの
にとどまった。

いま、日本の万物に霊(アニマ)が宿っているアニメや、日本発のエモジ、
自然と一体の和食から、人と自然が平等だというエコロジーまで、かつて
のジャポニズムをはるかに大きく超える、日本の心の高波が世界を洗って
いる。

ヨーロッパ、アメリカでは、エコロジーが新しい信仰となって、一神教を
置き換えつつある。日本の和の心がひろまることによって、抗争に明け暮
れる人類を救うこととなろう。

日本文化への共感が増すなかで、天皇の御存在に対する理解が、いっそう
深まることとなってゆこう。


◆イスラエル次期政権は

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月21日(土曜日)通算第6203号 

イスラエル次期政権はガンツ元参謀総長か連立を主導へ
    ネタニヤフ政権の継続は難しい雲行き。米国外交にも影響

ユダヤ人の特質は「全員一致ならやめちまえ」である。

定数わずか120の国会(クネセト)の議席を巡り少数政党乱立。全国区だ
から、その選挙制度からも、乱戦となる。

今回の選挙で議席を得た政党が11もある、そのうえ、議席を得なかった
少数党が、じつ18.多彩さに鎬を削るコンクール?

ネタニヤフ首相は10年以上の長期政権となって、国民からかなり飽きられ
ている。

そのうえ、汚職の噂がついて回った。しかし米国トランプ政権と呼吸が
あって、米国大使館のエルサレム移転。ゴラン高原の併呑容認、そしてヨ
ルダン川西岸の入植拡大は黙認と、事実上の応援団長だった。

トランプ政権で実務的な中東問題を担当するのはイヴァンカの夫、クシュ
ナーであり、かれは屡々エルサレムとリヤドを往復し、イラン問題などを
協議してきた。トランプ政権はネタニヤフ続投と踏んでいたからだ。

ジョンボルトン補佐官が解任されたのも、イランに対する政策に一貫性が
ないとして、トランプ大統領と激論をしたことが原因の一つとされた。

事前のネタニヤフ有利という予測は修正された。

9月17日のイスラエル総選挙は、与党リクードと、新・野党連合の「青
と白」が議席35で同数。今後、連立相手を求め、政策調整がこれから進む。

リクードの唱える「大連立」を「青と白」が拒否しており、中間派の「我
が家イスラエル」をはじめとする少数政党のいずれを味方につけるかで、
政権の行方が右に曲がるか、左に逸れるかが決まる。

まず選挙結果を得票率でみるとリクードが26・27%、青と白が25・
95%と伯仲しており、議席数はともに仲良く35。

ということはどちらかが連立の主導権をとって他の少数政党を説得し、政
策協定を結んでいくことになるだろう。

議席数をみるとリクードも五議席増やしているが、青と白はいきなり24
義戦増だ。

リクードと連立を組む宗教政党「シャス」の議席獲得は8,ユダヤトーラ
連合が同8、これにハタシュタールが6議席。

野党側は従来の労働党が13議席も減らして6議席となった。

同様に議席減を記録したのは、「我が家イスラエル」が5議席に留まり,
右翼連合が5,「メレツ」が4,クラヌも同数4,そしてアラブ政党が
4.これら少数党の議席減は合計24,つまり、この少数政党が減らした
24議席がすべて「青と白」に流れ込んだ結果となった。


 ▲ネタニヤフ下野、大連立も先行き不透明

事前予測と開票速報の段階ではキャスティング・ボードを握るのは「吾が
家イスラエル」と言われたが、予測議席10が、結果は5に終わり、とて
も連立のキィを握るとは言えなくなった。

「我が家イスラエル」は「正統ユダヤ教徒の兵役免除、免税得点を廃止せ
よ」と公平を訴えて支持を伸ばしてきただけに、その敗北が意味するの
は、正統ユダヤ教徒への優遇措置に変更はないだろうと考えられる。

投票から2日後、ネタニヤフは敗北を宣言し、一方「青と白」のガンツは
「勝利宣言」をした。

この結果を踏まえ、米紙ワシントンポストは、ガンツ元参謀長が連立政権
を率いるだとうと予測した(9月20日)。

ガンツは18歳で軍隊へ入隊し、38年間軍人一筋の生活を送り、着々と
軍歴をあげて、幾多の戦争を指導し、現役組トップの参謀総長となって、
引退した。しばし実業界に身を置いたが、政治への関心が高く、新政党を
組織したのだ。世界の政界は「ガンツ? WHO?」だ。

さて日本への影響は殆どないが、米国は深刻な影響が出る。

イラン政策でネタニヤフと米国は一致してきた点が多いだけに、もしガン
ツ元参謀総長が率いる「青と白」が中核の連立政権となれば、外交政策に
多少の路線修正、とりわけイランへの姿勢に変化が出るかも知れない。


 ▲イスラエルと中国の怪しい関係

 問題は中国である。

中国はイランから大量の石油を輸入しているが、同時に武器を供与してき
た。イラン・イラク戦争ではイランと同時にイラクへもスカッドミサイル
を供与し、「死の商人」と言われた。

その中国が、イランと併行してイスラエルにも深く食い込んでいる。この
二重人格的多芸ぶりは、日本が到底真似の出来ない外交の多重性外交を発
揮する。

イスラエル重視の中国の狙いは、第一にハイテク、暗号技術、ハッカー防
御。つまり軍事方面でのテクノロジー取得である。イスラルは米国と協同
で開発していたアロウ・ミサイル技術を、米国の怒りをよそに、秘かに中
国へ供与していた。

イスラエルのコンピュータ特殊部隊はイランの原子炉設備のコンピュータ
システムにウィルスをしかけて開発を数年遅らせた。その技量を中国は教
訓としている。

第二は中国企業の多国籍化、とりわけM&A(企業合併、買収)のノウハ
ウを米国のファンドや乗っ取り屋から学び、欧米並びに豪、日本のハイテ
ク企業を巧妙に買収してきた。その秘訣を中国はユダヤ人から得たフシが
ある。

       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1958回】                 
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――徳田(13)
  徳田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

     △
徳田は「(満鉄の)設備のほとんどすべてがツアール・ロシアの殘したも
の」と綴るが、「坊主憎けりゃ・・・」といった類の言い掛かりであるこ
とは明らかだ。

ここでモスクワで開催された極東民族大会への往復の旅程を追うと、
1921(大正10)年10月初旬の上海到着後、長江を遡って南京へ。南京から
北上し曲阜、済南を経て天津へ。天津から北上し山海関で満洲入りし、以
後は長春、ハルピンへ。ここで西に向かって満洲里でモンゴル入りした
後、「何となくソヴエト同盟入りの目的をその日のうちに達した」。

一方、モスクワからの帰路を見ると、「蒙古を通過したのは一九二二年の
三月末から四月の中旬にかけて」であり、その後は張家口、北京、天津、
徐州、南京、上海、大連を経て帰国している。おそらく各地に張り巡らさ
れたスパイ網から逃れるために、このように手の込んだ旅をせざるを得な
かったのだろう。

ところで徳田は、帰国から3年ほどが過ぎた1925年に上海に現れた。中国
共産党創立から4年後で、3回目の上海ということになる。

1923年のドイツ革命失敗「世界的に革命運動が低調とな」る一方、国内で
は1924年に「憲政會の加藤高明を中心とする資本家勢力の内閣が成立し
た」。こういった内外状況のなか、日本共産党内で「解黨の可否の論議が
鬪わされていた」。

それを知ったコミンテルンが日本共産党の中心人物を上海に呼び付けたの
である。

「1925年の1月に解黨を主張する側の代表として佐野文夫、青野季吉兩君
とこれに反對する荒畑寒村君と佐野學君と私が代表して上海でコミンテル
ン代表者極東部長同志ボイチンスキーと會見することとなつた」わけだ。

「會見」とはいうものの、実態はボイチンスキーの前で釈明し、解党すべ
きか否かの指示を仰ごうというのだろう。(以後、徳田は「ヴォイチンス
キー」と記す)

「同志ヴォイチンスキーの住んでいた宿は日本人租界の中にあ」り、「事
務員級の人ばかり住んでいる相當大きなアパート式の家で、多くのソヴエ
ト同盟人が住んでいた」。

ここで徳田ら日本共産党員は解党問題に就いて「約一週間にわたつて晝夜
をわかたず論議した」のである。日本人租界にコミンテルンの拠点とは。
これを灯台下暗しというのだろうか。

徳田も「こういう家が何の不安もなく日本人租界内にあつたことからみて
も當時の上海の空氣がどんなものであるか察しがつく」。無政府状態とで
も言うべきか。

「上海での一週間の討論の結果黨を解體することの誤びようは全代表者に
よつて認められた」。「特に当時の上海の革命的ふん圍氣がこれまで解黨
を主張していた人々をも勇気づけることのなつたのである」。じつは中国
共産党は1923年の第3回党大会で「黨全體として國民黨に參加する決議が
採擇」された。

この第一次国共合作が「上海の革命的ふん圍氣」を醸成させたことから、
「わが黨は再び勇氣りんりんと起ち上がった」という。「勇氣りんりん」
と少年探偵団の主題歌のようなアッケらかんとした表現が徳らしく微笑ま
しいが、まあ実態は「同志ヴォイチンスキー」に強く叱責されたというこ
とだろう。

じつは上海行きの船に日本のスパイが乗っているとの情報を事前に得てい
た徳田らは、「上海行の半客船である4千トン級の熊野丸に乘つた」。こ
の船も満員だったが、満員であることは「日本帝國主義がイギリスと中國
市場を爭つて動亂を援助し、その背景の下に中國に手をのばしていた」こ
との証拠だと言う。やはり日本帝国主義は「親の仇」か。

この時、非合法時代の日本共産党(第二次日本共産党)で書記長を務め、
1928(昭和3年)に湾の基隆で官憲包囲の中で拳銃自殺した「渡政」こと
渡邊政之輔も一緒だった。
「同志渡邊政之輔ははじめての外國行きだものだからすつかり有頂天にな
つて」いた。
          
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 読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS
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   ♪
(読者の声1海外放送を見ていたら、トランプ大統領について気になる報
道があった。それは米国の議員の発言だが、トランプは今八方ふさがりで
混乱しており戦争になる危険があると言う。

八方ふさがりとはトランプは再選を目指すので当面海外のトラブルは避け
たい。しかしそれを見こして海外の反米勢力が重大なトラブルを起こして
くる。イランのサウジ精油所攻撃は良い例だ。北の核問題もある。そこで
困ったトランプは解決が見いだせずフラフラ状態だという。それが逆に戦
争を起こす可能性があるということだ。

これが正しいかわからないが、日本が国防をトランプ個人に頼っているの
は危ない。失敗すると破滅する。日本の優先課題はやはり再軍備だ。国防
は外国と違い裏切らないからだ。

トランプの真の解決案は、日本やドイツのような地域の核になる国に核保
有を認めることであろう。米国は必死に核拡散を止めようとしているが、
止まらない。技術というものはそういうものなのだ。その結果、米国は途
方もない負担を背負い込んでいる。さらに不拡散の代償に必要な防衛代行
が出来ないことだ。いくら米国でも核の身代わり被曝はできないのだ。こ
うした状況で、地域に狂気じみた強気の指導者が出ると被害国も米国も屈
服せざるをえない。

ジョージ・ケナンの著書を読んでいると、第二次大戦の米国はまるで高校
生のようであったと批判している。

日本を滅ぼせばソ連が南下することは現在の目で見れば明らかだった。こ
れを当時外交専門家のマクマレが気づき、国務省に対日敵視方針を止める
ように建言したが握りつぶされてしまった。

その結果は戦後の冷戦であり被害国は勿論米国にとっても大損害だった。
これは米国の政治家が愚かであったからである。したがって日本は全面的
には米国に頼ることは出来ないのだ。(落合道夫)

◆「痴呆」から「認知症」へ

 向市 眞知


「ボケ」も「痴呆」もやはり不適切な呼び方だと思います。やはり「認知症」「認知障害」が、用語としては適切と思います。
 
<脳生理学によれば、脳の神経細胞は140億個というとんでもないたくさんの数だそうです。しかし、実際に働いているのは40億個だけ。脳は20歳頃に発達を終え、脳のピーク時の重量は1400gだそうです。20歳のピークを過ぎると、1日に10万個ずつ脳の神経細胞がダメになっていき、脳細胞の数は日に日に減少。
 
1日に10万個、1年365日で3650万個が失われていき、10年で3億6500万個が失われ、30年で約10億個が失われる計算になります。すなわち20歳で40億個働いていた脳の神経細胞が50歳で30億個になり、80歳で20億個になる。つまりピーク時の重量より100gも重量が減るのです。>

この話を知った時、物忘れがひどくなって当たり前と納得してしまいました。一生懸命考えても考える脳の量が減っているのだから、思い出せないし覚えられなくて当然と思ってしまいました。人の名前が出てこない、ふと用事を思いついて立ってみたものの「さて何をするつもりだったのか?」わからなくなってしまう。まさしく老化の入口なのでしょう。

しかし、「認知症」となるともっともっと記憶の障害が強くなるわけです。よく言われるように自分が朝ごはんを食べたことさえも忘れてしまう。とすれば、一瞬のうちに自分のしたことを忘れてしまうという、とてもつらい体験のなかで暮していることになります。
 
1週間前の記憶、昨日の記憶、今朝の記憶も忘れてしまう。自分のしたことを忘れて記憶していないということは、記憶喪失に近い感覚で、体験の積み重ねができないことになります。

すなわち毎日毎日新しい体験ばかりが自分に降りかかってくるという、緊張とストレスの連続の中で生きてゆかねばならないことになります。そんな認識の中で生きている高齢者の辛さをまずわかってあげてほしいと思います。

「認知症」の人が、それぞれの脳に残された能力の範囲で一生懸命に世界を認識しようとしている。私達からみればその世界が非現実的でまちがっている世界であっても、高齢者からすれば他に考えようのない現実なのです。それを頭から否定されたらどうしてよいかわからなくなって、混乱におちいってしまうことになります。
 
「認知症」の人への対応の奥義は「(相手を)説得するより(自分が)納得する」ことです。しかし、だんだんと世の中の決まりごとを超えた行動をとりはじめるのが、「認知症」や「精神科疾患」の特長です。客観的に見ればありえない話が患者さんを支配します。

もの取られ妄想とか、しっと妄想といわれる行動です。たとえば妻が「ここに置いてあった財布を知らないか?」と夫にたずねたとします。夫が「知らないよ。見なかったよ。」と答えます。

夫の答えに対して通常妻は「おかしいなあ、どこへ置いたのかなあ。」と自分の態度を修正するのです。しかし、「認知症」となると自分の態度が修正できません。夫の「知らない。見なかった」という答えに対して「おかしい?!私の財布をとったな?!かくしたな?!」と思い始めるのです。
 
今のところ「認知症」に対する効果的な治療は見つかっていません。まず周りの者が「認知症」を理解し、対処のしかたを身につけることが現実的な道です。そして、その対処の仕方を授けてくれるのが、医療や介護の専門家です。

「老人性認知症疾患センター」という相談機関があります。精神科のある総合病院などに設置されており、大阪全域の場合、9ヶ所の病院にあります。ここでは、「認知症」についての診断と、医療・福祉サービスの情報提供を行っています。まずしっかりと診断を受けないことには対処方法も立てられません。

介護保険をはじめ福祉サービスをうける場合も、入院や施設入所をする場合も、すべて医師の診断書がなければ利用できないことをご存知でしょうか。診療をうける必要を感じない「認知症」の本人を診察につれて行くことが最大の難関となります。もし高齢者に認知症状を疑われたら、本人の身体に関する訴えに注意しておきましょう。

「もの忘れがひどくなった」とか「夜ぐっすり眠れない」という症状は、案外本人も自覚しているものです。それを理由に「受診」をすすめてみましょう。最近は「精神科」という看板ではなく、「もの忘れ外来」という看板をあげている病院もふえてきています。

「おしっこの出が悪い」でも何でも構いません。ご本人の訴えをもとに医師に診てもらうチャンスを作り出してください。精神科でなくても内科系の開業医でも「認知症」の理解はあります。受診にこぎつければ、医師は検査や服薬をすすめてくれます。

「おかしい」と気付いた家族が、本人の診察の前か後かに医師へ本人の在宅の様子を伝えておけば医師は上手に診察をしてくれます。家族の方々も皆それぞれに生活があるのですから、その生活までもが脅かされる問題行動が続く場合には、施設の利用も考えていかざるを得な
いと思います。         (了)
             大阪厚生年金病院 ソーシャルワーカー

2019年09月20日

◆中国が軍事介入の可能性

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月19日(木曜日)弐 通算第6201号 

「10月1日の軍事パレード以後、中国が軍事介入の可能性」(黄之峰)
 「騒擾が続けば香港はすべてを失うだろう」(王振民・清華大学・香港
専門家)

 国で議会証言に立った黄之峰(「雨傘革命」の指導者」)は「香港人権
民主法 2019」の早期制定を議会人に促し、また「10月1日の建軍
パレードまで、中国軍の香港侵攻はないが、その後は分からない」とした。

その前の週に黄はドイツへ赴き、ベルリンの名門=フンボルト大学で講
演、「香港は東西に割かれていたベルリンのようだ」とも語った。ドイツ
は香港の民主化運動に冷淡だが、いくばくかの民主化支持派がいるようで
ある。

黄之峰は2014年の雨傘革命のリーダーだった。当時、彼は17歳の少年、指
導力はなく、またヒロインに祭り上げられた周庭とて、組織を団結させ永
続化させるリーダーシップには欠けた。

雨傘運動は尻つぼみとなり、その後に出てきたのは「香港独立」を訴えた
勢力だった。西側メディアは雨傘から、港独に焦点を移動させ、彼らの政
党(「青年新政」)は立法府に2人の議員を当選させるほどだった。

以後、民主化運動は下火になった。しかしながら庶民の間には不満が鬱積
していた。富と貧困の二極分化、その再分配が不公平であると認識していた。

中国は国連の場を情宣活動の道具に使い始めた。

ジェネーブの国連に中国は清華大学・香港マカオ研究センターの王振民を
派遣し、「いまの騒擾が続けば、香港は全てを失うことになる」と発言し
た。威嚇的発言なのか、政治宣伝のため、国連を利用しているのかは不明。

また香港では大陸からの新移民や第五列を動員し、五星紅旗をふってシッ
ピングアーケードに歌声広場を演じさせ、そのうえ愛国行進のデモを組織
化し、「逆進行動」というキャンペーンを始めさせた。このデモ隊はパト
カーに守られていた。
いずれにしても、暗い近未来予測しか並ばないことが気になる。

     
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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   ♪
(読者の声1)貴誌前号、ならびに前々号の書評に関連してですが、宮崎
先生の『神武天皇以前――縄文中期に天皇制の原型が誕生した』(育鵬社)
のなかにも紹介のあった、青森県八戸市の是川縄文館に展示された「合掌
土偶」について。
 従来言われてきた解釈は、この合掌土偶は「祈り」の象徴でした。

しかし最近の研究では、この土偶の下腹部に注目し、出産間際の情景と判
明しています。安産祈願を兼ねての出産、あたらしい生命力の躍動を描い
た土偶ではないか、という解釈です。ご一考までに。
(青森市さつき)

  ♪
(読者の声2)貴誌創刊から16年、通巻6200号突破、まことに慶賀
に絶えません。今後とも、日本の常識に基づいた言説が維持、発展される
ことをいのっております。

 ところで、貴誌6193号で「乗っ取り王」といわれたピケンズ氏の死
亡を扱われていて、日頃の中国論とかけ離れていて不思議と思っていたの
ですが、昨日発売の『週刊新潮』を読んで得心がいきました。

同誌の追悼コラムに宮崎さんの談話が掲載されていて、ほかにも『財界』
主幹の村田さんと、明治大学の越智道雄・名誉教授のコメントが並列され
ておりました。

ピケンズが日本上陸の衝撃、それがいまや株主重視の風潮が日本に定着し
つつある時代の変化という文脈でピケンズを捉えているのですね。基底に
あるのが歴史観ということに、気がつきました。(NO生、横浜)


   ♪
(読者の声3)貴誌前号で、宮崎先生の『神武天皇以前――縄文中期に天皇
制の原型が誕生した』(育鵬社)に関連し、長野県で五つの国宝に指定さ
れた縄文土偶を一堂にならべての画期的な展示会があること、初めて知り
ました。

宮崎正弘先生のように函館、青森、山形、茅野と尋ね歩かれなくても一度
に見られる機会ですから、老生も長野は近いので見に行きたいと考えてお
ります。(TT生、富山)


◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号 日本ルネッサンス 第868回

◆春日局は光秀重臣の娘

毛馬 一三


春日局(かすが の つぼね)は、本名斎藤福(さいとう ふく)と云い、江戸幕府の3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」との名は、朝廷から賜った称号である。

ところが、福の父は本能寺の変で織田信長を暗殺した明智光秀の重臣・斎藤利三で、福はその娘だった。

斎藤利三は捕えられ斬首されたが、そんな本能寺の変の主役の娘・福をどうして江戸幕府の大奥に招き入れ、大奥の頭の「春日局」にまで優遇したのだろうか。「謎」の一つだ。

<福は父斎藤利三の所領のあった丹後国の黒井城下館(興禅寺)で生まれる。丹波は明智光秀の所領であり、利三は重臣として丹波国内に、光秀から領地を与えられていた。

光秀の居城を守護するため、福知山城近郊の要衝である黒井城を与えられ、氷上群全域を守護していたものと思われる。福は、黒井城の平常時の住居である下館(現興禅寺)で生まれたとされている。

こうして福は、城主の姫として、幼少期をすごした。

その後、父は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し、帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて斬首され、他の兄弟も落ち武者となって各地を流浪していたと考えられている。

そうなって福は、母方の実家の稲葉家に引取られ、成人するまで美濃の清水城で過ごしたとみられ、母方の親戚に当たる「三条西公国」に養育された。これによって、公家の素養である書道・歌道・香道等の教養を身につけることができた。>以上 ウイキペディア


このような歴史背景から見て行くと、明智光秀の重臣だった父親の血を惹く実の娘が、江戸幕府に召し上げられて、「春日局」となるとは、首を傾げたくなる訳だ。

大阪堺の歴史家によると、徳川家康は本能寺の変の前に、織田信長を訪ね酒杯を頂きながら戦況を交わしている。明智光秀はこの酒杯のお世話を担務したが、段取りを信長に嫌悪されて過激の叱責を受け、信長側近の地位を剥奪された。

そこで信長を将来の身を絶望恨み、本能寺の変を決意した。ここで重要なことだが、重臣斎藤利三を遣って、徳川家康に信長暗殺を秘かに伝え、本能寺の変に突入したのだそうだ。そして徳川家康には、無事に京都から大阪を経て、堺まで逃げ込む方策を告げたのだという。

密告通り、京都で「変」が起こったことを知った家康は、迎えに駆けつけてきた斎藤利三の強力家来に誘導されて方策通り、堺に向けて脱出。そのあと伊賀の多数の忍者に擁護されながら、本城の三河城に苦労して辿りついたという。

この行動は、恰も本能寺の変とは「無縁」であり、むしろ「被害者」たる姿勢を世間に見せ付ける行動を敢えて披露したように見える。堺にはそれを裏付ける資料もが少々あるというのだ。

つまり、家康にとって、斎藤利三は命の恩人ということになる。秀吉にとってもゆるせない反乱重臣の斎藤利三は、家康にとっては恩返しをしなければならない重要人物であることは間違いない。つまり、福は紛れもない命の恩人の娘だったのだ(歴史家)。


ところが、もう一つの見方もある。「謎」の二つ目である。

つまり、家康がすみやかに京都を脱出出来たのは、家康と光秀の間で、信長を暗殺する方策を事前から立案し合っていたものではないか。その脱出方策の実行を斎藤利三に任せ、家康の身の安全と、信長後任の詰めまでも、申し合わせていたのではないかと云う見方もある。つまり、家康こそ「暗殺首謀者」だとの見方だ。

方策は見事に成功した。だが、斎藤利三は斬首された。となれば上記と同様、家康は、紛れもない命の恩人の娘だった福に、父親の恩を返してやることを考えたに間違いないと考えられる。


さて、<福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。慶長9年(1604年)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)の乳母に正式に任命される。このとき選考にあたり、福の家柄及び公家の教養と、夫・正成の戦功が評価されたといわれている。

家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切るようになる。寛永3年(1626年)の江の没後からは、家光の側室探しに尽力し、万や、楽、夏などの女性たちを次々と奥入りさせた。

また将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握る。
寛永6年(1629年)には、家光のほうそう治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま10月には上洛して御所への昇殿を図る。

しかし武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため、血族であり(福は三条西公条の玄孫になる)、育ての親でもある三条西公国の養女になろうとしたが、既に他界していたため、やむをえずその息子・三条西公条と猶妹の縁組をし、公卿三条西家(藤原氏)の娘となり参内する資格を得た。
そして三条西 藤原福子として同年10月10日、後水尾天皇や中宮和子に拝謁、従三位の位階と「春日局」の名号及び天酌御盃をも賜る。

その後、寛永9年(1632年)7月20日の再上洛の際に従二位に昇叙し、緋袴着用の許しを得て、再度天酌御盃も賜わる。よって二位局とも称され、同じ従二位の平時子や北条政子に比定する位階となる。

寛永11年に正勝に先立たれ、幼少の孫正則を養育、後に兄の斎藤俊宗が後見人を務めた。寛永12年には家光の上意で義理の曾孫の堀田正敏を養子に迎えた。

寛永20年(1643年)9月14日に死去、享年64。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。法号は麟祥院殿仁淵了義尼大姉。墓所は東京都文京区の麟祥院、神奈川県小田原市の紹太寺にある〉。以上  ウイデペディア。

このように福の奇跡的な生涯を見て行くと、上記に<武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため>とあって、これを秘匿した工作がはっきりしてくる。「謎」の一つは解けそうだ。

しかも、素晴らしい殿中での政治的画策の実現を図る、福の明晰な頭脳が分かる。

しかし、家康と明智光秀が共謀者同士だったかの、二つ目の「謎」は分からない。
                                        
この「春日局」の生涯には、興味が深まる。              以上
                        

2019年09月19日

◆「香港は燃えているか?」

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月16日(月曜日)弐 通算第6198号 

「香港は燃えているか?」。「ええ、本日(9月16日)で100日目になり
ます」
 
またも香港の中心街は火炎瓶、ショットガン。乱戦、混沌。駅が燃やされた

 9月16日の日曜日。前夜のランタン祭り、中秋の名月が政治色濃厚な
集会や抗議活動になったが、ひきつづき香港の随所で抗議活動が行われ
た。夕暮れとともに「ブレーブス」と呼ばれる武装集団が登場、金鐘駅周
辺から政府庁舎へ火炎瓶と投石を始めた。

「ブレーブス」(勇敢)と呼ばれるようになった「民主派」側の武装集団
の実態は謎のベールに包まれている。

毎回、黒服、ヘルメット、特殊ゴーグル、手袋、ガスマスクで顔を隠す一
方、火炎瓶などが周到に用意されている。きっとアジトがあり、軍資金も
必要だろう。行動も統率がとれており、動作がきびきびしている。だから
軍人が民主行動の波に混入しているのではないか、中国の工作隊ではない
か、という疑念が以前から囁かれてきた。

デモ行進や集会の一般参加者は香港市民であり、穏健派である。ただし多
くが放水を避けるため傘を持参している。乱闘がときおり発生するのは警
官の乱暴な遣り方にいきり立つ付和雷同組、行きがかり上、乱戦に加わる
地元のチンピラ、失業者など、逃げ遅れて巻き添えとなり、あげくに拘束
されるのは一般市民のハプニング組が多い。

当局によって穏健派の「民戦」が申請した集会が禁止されたため、9月
15日の行動は、SNSによる呼びかけに自発的集まった参加者だ。みる
みるうちに数万人。日頃の逆コース、解散予定地だった銅鑼湾から湾仔、
金鐘、中環へと行進をはじめ、平和的な行動で、メインストリートは参加
者で埋め尽くされた。「リンゴ日報」は参加者が十万と報じた。

英国領事館前にはおよそ千名が結集し、「英国は何をしているのか、香港
の自由のために協力せよ」とユニオンジャックの旗をなびかせながら訴えた。
 
午後5時ごろから武装集団が火炎瓶を投げ始め、警官隊は催涙ガス、放水
車で応戦、乱闘現場では警官隊がショットガンを構えた。

地下鉄の金鐘(アドミラリティ)駅は先週と同様に入り口にバリケード、
道路工事用のプラスチック標識や段ボールが摘まれ、放火された。

火は燃え広がり、付近を明るくした。火傷による重傷者がでた。駅に設置
された監視カメラは殆どが破壊された。

またこの日予定されていたテニスのトーナメント予選会、音楽会などは中
止を余儀なくされ、この夜の逮捕者は49名と発表された。英紙ガーディ
アンは「逮捕者は千名」と報じたが、これは累計数字だろう。

穏健派の別グループ「香港人権擁護」(CIVIL RIGHT 
ADVOCATES=香港では「香港民権抗争」と名乗る)は、台湾へ活
動家を派遣し、連帯を呼びかける署名運動。台湾各地にもレオンの壁があ
らわれた。

「香港は燃えているか?」。

15日で連続99日、本日でちょうど百日目。
香港は燃え続けている。
    

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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1956回】               
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(11)
!)田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

      △
ここで徳田の目は日本に転ずる。「日本でも古くから三井、大倉、高田と
いう財閥が、この古武器商賣をやつていた。むろん中國えの輸出であ
る」。こういう商売は「各國の條約で禁止されている」が、「平氣で政府
の援護の下にこのボロい商賣が行われた」。「これらの財閥がとくに陸海
軍御用商人であつたことを忘れてはならない」。

「こういうやり方が日本軍閥の本性なのである。天皇の支配の下に世界平
和をめざすという、あの八紘一宇を讀者は思い出すであろう」。

当然、徳田は非合法活動に従事しているわけだから、要らぬゴタゴタは起
こしたくない。南京では旅館のボーイが部屋に「いきなり14、5くらいの
娘を2人つれてきた」。もちろん「うしろには、卅代の女がちやんとつい
ている」。そこで?田は「ははア」と察した。「要するに娼婦なのだ」。

そこで「さて知らない國のことだし、重大な任務をおびているので、これ
が因でけんかを始めたりしてどんな災難が降つてかかるかしれないと思つ
たから」、幾許かの金を渡して「『かえれ』と手ぶりをした」そうだ。
はて「要するに娼婦」だったのか、それともハニートラップか。

ところが「金をもらつたからには、そう簡單にはかえれません」。脅迫で
はなく、「金をただもらつて追い拂われるのが心外だといつた樣子」。だ
が「どうもこちらも相手にする氣はない」。さんざん手こずったが「よう
やくのことで撃退できた」そうだ。

じつは『わが思い出 第一部』は単行本として出版される以前に共産党機
関紙『アカハタ』に連載されたというが、この件を当時の生真面目な読者
はどのように受け取っただろうか。

「これでみると南京の町は一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもい
いくらいで」、それというのも「地方の土ごう連中が地方では得られない
享樂を求め集るのと」、「地方の戰爭や殺人強盗の難をさけて南京によつ
て來るから」であり、要するに「他にする仕事はなく、享樂を追い求めて
暮らすばかりになつている」。

徳田の南京に対する発言を今風に言い換えるなら、さながら徹底したヘイ
ト・スピーチということになるだろう。それはそれとして首を傾げるの
が、徳田が南京大虐殺の一件に一切言及していないことである。

たしかに徳田の南京滞在は1922(大正11)年であり、南京大虐殺が行われ
たとされる1937(昭和12)年の15年前に当たる。『わが思い出 第一部』
が出版されたのは1948(昭和23)年であり、それ以前に『アカハタ』に連
載されているはず。

だが南京大虐殺が日本軍の「戦争犯罪」として告発された極東国際軍事裁
判が行われたのは1946(昭和21)年5月から1948(昭和23)年11月まで。
つまり同裁判と同時並行的に『アカハタ』連載が行われ、『わが思い出 
第一部』が出版されている。

にもかかわらず、「一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもいいくら
い」の南京で起こったと言われる南京大虐殺についての言及が一切ない。
ということは徳田は南京大虐殺に興味を示さなかったのか。それともデッ
チ上げのヨタ話と考えていたのか。

いずれにせよ、南京大虐殺に対する敗戦後数年間における日本共産党幹部
の「立ち位置」が浮かび上がってくる。『わが思い出 第一部』から判断
する限り、故意か偶然か、あるいは特別の理由があってかは不明だが、徳
田が南京大虐殺に関心を示すことはなかった。

南京を後に上海へ。日本式旅館で働く女性たちは「いずれも天草、島原、
長崎あたりの人々」で、「中國全體からシンガポールあたりまで賣られて
行く哀れな娘子軍である。女中とはいいながら、何かしら一種變つたふぜ
いを帶びている」。
村岡伊平次の世界か。《QED》
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
(読者の声1)経済評論家の言をみていて、違和感があるのはネオコンの
ボルトン補佐官がトランプによって解任されたので、政権に強硬派がいな
くなり、今後、米中貿易戦争は緩和されるという、明らかな基盤のない論
説です。

米中戦争は貿易戦争の段階から、技術覇権争奪戦、そして金融戦争へ移行
するだろうと宮?さんは著作などで予測されていて、ボルトン解任の動き
とは無関係ではないかと思いますが、如何でしょう?(GH生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)対中強硬派は議会とメディアです。とくに民主党
は人権がらみで中国制裁を言っていて、むしろ緩和を言ってきたのがトラ
ンプですから、分析はあべこべに近いですね。

それからボルトンが「ネオコン」というのは明らかな間違いで、保守の人
です。ネオコンというのはアービン&ウィリアム・クリストル親子が代表
するように元トロツキストからの転向組で、ユダヤ系が多い特徴があり、
その親玉がチェイニー元副大統領などと言われましたが、チェイニー元副
大統領も、ネオコンではなく、政策がときおり一致したにすぎません。

◆原発ゼロに立ち向かう台湾の若者たち

櫻井よしこ


香港も台湾も、若い世代が闘っている。彼らは果敢に中国共産党に立ち向
かっている。或いは政治を未来に向けて正しい方向に導こうと国民を動か
している。彼らのその勇気と気概を応援したい。

9月5日、10人余の台湾の人たちが訪ねてきた。20代の若者たちにまじって
64歳の李敏(リミン)博士と37歳の廖彦朋(リャオイエンペン)氏も意気
軒昂だ。李氏は台湾原子力学会理事長、廖氏は台湾の医学物理学会所属で
「核能流言終結者」(核の流言蜚語を打破する会)の一員だ。

「核能流言終結者」は黄士修(ファンシシュウ)という31歳の理論物理学
研究者が立ち上げた約30名の若い研究者から成る集団だ。彼らは台湾のエ
ネルギー政策を正しく導くために、李博士の全面的支援を得て、原子力に
ついての危険を煽る虚偽情報を論破する活動を続けている。台湾に広がっ
ていた原子力発電に関する虚偽情報の中でも特に黄氏の危機感を高めたの
が、驚くことに菅直人元首相が流布した情報だったという。日本の首相ま
で間違いを流し、原発危機を煽るなどあってはならないことだろう。

昨年11月24日、台湾では原子力発電に関する国民投票が行われたが、それ
を主導したのが黄氏らだった。国民投票に込められた目的は、「2025年ま
でに原発ゼロを実現する」という台湾政府のエネルギー計画を反転させ
て、原発をベース電源として位置づけることだ。

2011年に福島第一原発が水素爆発を起こしたとき、台湾でも反原発運動が
盛り上がった。当時建設中だった原発は工事が止まり、試運転中の原発は
停止された。そして16年1月、反原発を公約に掲げた蔡英文氏が総統に当
選した。蔡氏は稼働中の3基全てを、25年までに停止し、原発ゼロにする
と決定した。電力を自由化し、再生可能エネルギーを開発し、25年までに
全エネルギーの20%を再生エネルギーで賄うという蔡氏の政策は17年1月
に国会で承認された。

台湾の電力は火力が80%、原子力16.5%、残りを水力などに依拠する。そ
うした中、17年夏に、大規模停電が発生し、全契約世帯の約半分、700万
世帯が影響を受けた。

原発ゼロへの反対

真夏のうだる暑さの中で発生したこの大停電がきっかけとなって、台湾の
人々は安定的なエネルギー供給源として、原発の重要性を再認識したとい
う。年々乱調を烈しくする気候の背景に地球温暖化がある、という指摘も
広がった。電力の80%を化石燃料に頼り、CO2の排出を増やし続けてい
る台湾の現実についてもSNSで広く問題提起された。

日本も台湾も資源小国だ。原発を止めれば、化石燃料を輸入し、燃やし続
けるしかない。電力不足時に、ドイツのように他国から供給してもらえる
環境もない。李氏が語った。

「日本の経験から学ぶと、台湾にとって原子力発電の放棄はあり得ない。
しかし蔡政権は原発放棄を謳っています。そこで私たちは、国の未来、発
展の持続性を考えて、政府の政策は間違いであること、国民は原発ゼロを
望んでいないこと、化石燃料を燃やしてCO2を排出し続けるのは間違い
であることを訴え、国民投票を求めたのです」

核能流言終結者の研究者と共に李博士は若者たちに向けて正しい科学的情
報を発信し続けた。情報はSNSで拡散され、原発ゼロ政策は逆に危険だ
という認識が広がった。

「李先生は原子力の専門家の中の専門家です。私は放射線の専門家です。
私たちは専門家として原子力発電所の安全性について議論し、若者たちは
それをよく学び理解を深めました。そうして私たちは力を合わせて、昨年
11月の国民投票に臨んだのです」と廖氏は振りかえる。

結果は驚くべきものだった。原発ゼロへの反対が非常に多かったのだ。

「投票率が50%以下なら国民投票は無効です。この基準は十分にクリアで
きましたし、投票者の約60%、589万人が政府の原発ゼロに反対を表明し
ました」

投票結果を受けて頼清徳行政院長(首相)=当時=は昨年11月27日、25年
までに原発を廃止する政策は強制力を失ったと語った。

他方、原発反対派は、国民投票で問うたのは原発ゼロ政策への賛否であ
り、原発再稼働を求めるということではないと、屁理屈を展開した。原発
ゼロを公約にして総統になった蔡氏は国民投票の結果を尊重するとは一言
も言わず、再生エネルギー計画などについて発言するばかりだ。

廖氏は、原発を稼働させ、重要なベース電源として位置づけるには、原発
の安全性を確認しなければならないと強調する。福島の復興情報はすでに
知ってはいたが、自分たちの目で確かめる必要があると考えて、若者たち
と共に福島を訪れた。

エネルギーで独立する

彼らが口々に語った。

「廃棄物を運んでいるトラックの運転手に、なぜここで働いているのかと
尋ねたら、『日本の為に役に立ちたい。福島をきれいにしたい』と答えま
した。本当に感動しました」

「店の食品の放射能レベルを次々に測りました。どれも皆安全で、買って
その場で食べました。福島の海底にいた平目も放射能を測りましたが、全
く問題がない。刺身にして皆で食べました。美味しかった」

「福島のあちらこちらで空気中の放射能も測定しましたが、東京より低
かった。全然、安心です」

彼らはこうした体験を映像に撮ってユーチューブで拡散するという。廖氏
も福島を訪ねて自信を深めたと語る。

「東京電力も日本政府も極めて真面目に復興の努力をしています。その態
度と復興の進展を見て、原子力発電をコントロールする力が人間にはある
と、私は自信を持ちました」

台湾の若い世代にとって原発の活用は、台湾独立の可能性と重なると彼ら
は言う。エネルギーの独立は経済の自立に欠かせない、台湾にとって死活
的問題だ。いま、若い世代が問うている。台湾は政治で消滅するのか、電
力政策の失政でなくなるのか、と。

再度強調するが、エネルギーの安定供給なしには経済は廃れる。安定した
経済成長なしには一国の自主独立は望めない。蔡氏は独立志向の人だが、
原発は否定する。結果、中国経済につけ込まれる可能性は否定できない。
だから廖氏らは、「原発再稼働」を掲げて再び国民投票に持ち込みたいと
語る。

こんなに一所懸命に台湾の自立を目指し、中国支配の排除を念じ、自主独
立を日々肝に銘じて発言する台湾の若者たちのなんと凜々しいことか。
翻って日本の若者たちはどうだろうか。私はつい、問うてしまう。日本の
若者よ、覚醒せよ、頑張れ。まぎれもなく、いまが正真正銘、頑張りどき
なのだ。

『週刊新潮』 2019年9月19日号 日本ルネッサンス 第868回


◆健康百話 乳がんの治療

小川 佳成(医師)


乳癌の治療法は、病状や進行度、あなたの全身状態を考慮して決まります。治療には主として、手術、放射線治療、抗癌剤(抗ホルモン剤を含む)治療があります。

病状の進んでいる方には抗癌剤治療が優先されますが、通常は手術を行い、その後再発予防のための抗癌剤治療を行います。

【手術】
手術には主として、1.乳房切除、2.乳房温存手術があります。腫瘍の大きさや広がり具合などにより術式を選びます。当大阪市立総合医療センターでは、半数以上の方が乳房温存療法を受けられています。
 
乳癌の手術では転移の有無に関わらず、癌の根治・予防のためにわきの下のリンパ節を全部取り除くこと(リンパ節郭清といいます)が標準的に行われてきましたが、リンパ節郭清をすると術後に腕がむくみやすい等の症状が残ります。

そこでわきの下のリンパ節転移がないと予測される方を対象に術後の症状を軽減するために、センチネルリンパ節生検という方法を用いた、腋窩(わきの下)リンパ節郭清を省略する術式が行われるようになりつつあります。当センターでは6割の方がこの術式を受けられています。

【放射線治療】
乳房温存手術を行った場合には、残った乳腺での再発を抑えるために乳房に対する放射線治療を術後に行っています。治療期間は5〜6週間でこの治療により乳腺内での再発は2〜3%以下に抑えることができると考えられています。

【抗癌剤治療】
切除した癌の性格を詳しく調べて、術後の抗癌剤治療の必要性とその内容を決めます。これらの治療で再発の3〜4割を抑えることができるとされます。抗癌剤治療は充分な副作用対策をして外来にて行っています。

【乳房再建】
乳房切除後の乳房再建は形成外科にて行っています。当センターでは、術後1〜2年を過ぎ、治療が一段落してからの再建をお勧めしています。

乳癌の治療は5〜10年ごとに大きく進歩しています。当センターでは、“あなたがより良く生活していくために治療があるのだ”という想いのもとに、各分野の専門医が協力し合い乳癌の治療に当たっています。  
                      <大阪市立総合医療センター 外科>

2019年09月18日

◆「香港は燃えているか?」

宮崎 正弘


令和元年(2019)9月16日(月曜日)弐 通算第6198号 

「香港は燃えているか?」。「ええ、本日(9月16日)で百日目になり
ます」
  またも香港の中心街は火炎瓶、ショットガン。乱戦、混沌。駅が燃や
された

 9月16日の日曜日。前夜のランタン祭り、中秋の名月が政治色濃厚な
集会や抗議活動になったが、ひきつづき香港の随所で抗議活動が行われ
た。夕暮れとともに「ブレーブス」と呼ばれる武装集団が登場、金鐘駅周
辺から政府庁舎へ火炎瓶と投石を始めた。

 「ブレーブス」(勇敢)と呼ばれるようになった「民主派」側の武装集
団の実態は謎のベールに包まれている。
毎回、黒服、ヘルメット、特殊ゴーグル、手袋、ガスマスクで顔を隠す一
方、火炎瓶などが周到に用意されている。きっとアジトがあり、軍資金も
必要だろう。行動も統率がとれており、動作がきびきびしている。だから
軍人が民主行動の波に混入しているのではないか、中国の工作隊ではない
か、という疑念が以前から囁かれてきた。

デモ行進や集会の一般参加者は香港市民であり、穏健派である。ただし多
くが放水を避けるため傘を持参している。乱闘がときおり発生するのは警
官の乱暴な遣り方にいきり立つ付和雷同組、行きがかり上、乱戦に加わる
地元のチンピラ、失業者など、逃げ遅れて巻き添えとなり、あげくに拘束
されるのは一般市民のハプニング組が多い。

当局によって穏健派の「民戦」が申請した集会が禁止されたため、9月
15日の行動は、SNSによる呼びかけに自発的集まった参加者だ。みる
みるうちに数万人。日頃の逆コース、解散予定地だった銅鑼湾から湾仔、
金鐘、中環へと行進をはじめ、平和的な行動で、メインストリートは参加
者で埋め尽くされた。「リンゴ日報」は参加者が十万と報じた。

英国領事館前にはおよそ千名が結集し、「英国は何をしているのか、香港
の自由のために協力せよ」とユニオンジャックの旗をなびかせながら訴えた。
 
 午後五時ころから武装集団が火炎瓶を投げ始め、警官隊は催涙ガス、放
水車で応戦、乱闘現場では警官隊がショットガンを構えた。

 地下鉄の金鐘(アドミラリティ)駅は先週と同様に入り口にバリケー
ド、道路工事用のプラスチック標識や段ボールが摘まれ、放火された。
火は燃え広がり、付近を明るくした。火傷による重傷者がでた。駅に設置
された監視カメラは殆どが破壊された。
またこの日予定されていたテニスのトーナメント予選会、音楽会などは中
止を余儀なくされ、この夜の逮捕者は49名と発表された。英紙ガーディ
アンは「逮捕者は千名」と報じたが、これは累計数字だろう。

 穏健派の別グループ「香港人権擁護」(CIVIL RIGHT 
ADVOCATES=香港では「香港民権抗争」と名乗る)は、台湾へ活
動家を派遣し、連帯を呼びかける署名運動。台湾各地にもレオンの壁があ
らわれた。

「香港は燃えているか?」。
15日で連続99日、本日でちょうど百日目。
香港は燃え続けている。
      

  ♪
樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1956回】               
 ――「浦口は非常に汚い中國人の街だ」――?田(11)
!)田球一『わが思い出 第一部』(東京書院 昭和23年)

      △
 ここで徳田の目は日本に転ずる。「日本でも古くから三井、大倉、高田
という財閥が、この古武器商賣をやつていた。むろん中國えの輸出であ
る」。こういう商売は「各國の條約で禁止されている」が、「平氣で政府
の援護の下にこのボロい商賣が行われた」。「これらの財閥がとくに陸海
軍御用商人であつたことを忘れてはならない」。
「こういうやり方が日本軍閥の本性なのである。天皇の支配の下に世界平
和をめざすという、あの八紘一宇を讀者は思い出すであろう」。

当然、徳田は非合法活動に従事しているわけだから、要らぬゴタゴタは
起こしたくない。南京では旅館のボーイが部屋に「いきなり十四、五くら
いの娘を二人つれてきた」。もちろん「うしろには、卅代の女がちやんと
ついている」。そこで?田は「ははア」と察した。「要するに娼婦なの
だ」。そこで「さて知らない國のことだし、重大な任務をおびているの
で、これが因でけんかを始めたりしてどんな災難が降つてかかるかしれな
いと思つたから」、幾許かの金を渡して「『かえれ』と手ぶりをした」そ
うだ。
はて「要するに娼婦」だったのか、それともハニートラップか。

ところが「金をもらつたからには、そう簡單にはかえれません」。脅迫
ではなく、「金をただもらつて追い拂われるのが心外だといつた樣子」。
だが「どうもこちらも相手にする氣はない」。さんざん手こずったが「よ
うやくのことで撃退できた」そうだ。

 じつは『わが思い出 第一部』は単行本として出版される以前に共産党
機関紙『アカハタ』に連載されたというが、この件を当時の生真面目な読
者はどのように受け取っただろうか。
「これでみると南京の町は一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもい
いくらいで」、それというのも「地方の土ごう連中が地方では得られない
享樂を求め集るのと」、「地方の戰爭や殺人強盗の難をさけて南京によつ
て來るから」であり、要するに「他にする仕事はなく、享樂を追い求めて
暮らすばかりになつている」。

 徳田の南京に対する発言を今風に言い換えるなら、さながら徹底したヘ
イト・スピーチということになるだろう。それはそれとして首を傾げるの
が、徳田が南京大虐殺の一件に一切言及していないことである。

たしかに?田の南京滞在は1922(大正11)年であり、南京大虐殺が行わ
れたとされる1937(昭和12)年の15年前に当たる。『わが思い出 第一
部』が出版されたのは1948(昭和23)年であり、それ以前に『アカハタ』
に連載されているはず。
だが南京大虐殺が日本軍の「戦争犯罪」として告発された極東国際軍事裁
判が行われたのは1946(昭和21)年5月から1948(昭和23)年11月まで。
つまり同裁判と同時並行的に『アカハタ』連載が行われ、『わが思い出 
第一部』が出版されている。

にもかかわらず、「一種の腐敗だらくした女郎屋の町といつてもいいく
らい」の南京で起こったと言われる南京大虐殺についての言及が一切な
い。ということは徳田は南京大虐殺に興味を示さなかったのか。それとも
デッチ上げのヨタ話と考えていたのか。

 いずれにせよ、南京大虐殺に対する敗戦後数年間における日本共産党
幹部の「立ち位置」が浮かび上がってくる。『わが思い出 第一部』から
判断する限り、故意か偶然か、あるいは特別の理由があってかは不明だ
が、徳田が南京大虐殺に関心を示すことはなかった。

 南京を後に上海へ。日本式旅館で働く女性たちは「いずれも天草、島
原、長崎あたりの人々」で、「中國全體からシンガポールあたりまで賣ら
れて行く哀れな娘子軍である。女中とはいいながら、何かしら一種變つた
ふぜいを帶びている」。
村岡伊平次の世界か。
《QED》
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読者の声  どくしゃのこえ  READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)経済評論家の言をみていて、違和感があるのはネオコンの
ボルトン補佐官がトランプによって解任されたので、政権に強硬派がいな
くなり、今後、米中貿易戦争は緩和されるという、明らかな基盤のない論
説です。
 米中戦争は貿易戦争の段階から、技術覇権争奪戦、そして金融戦争へ移
行するだろうと宮?さんは著作などで予測されていて、ボルトン解任の動
きとは無関係ではないかと思いますが、如何でしょう?
  (GH生、横浜)


(宮崎正弘のコメント)対中強硬派は議会とメディアです。とくに民主党
は人権がらみで中国制裁を言っていて、むしろ緩和を言ってきたのがトラ
ンプですから、分析はあべこべに近いですね。
 それからボルトンが「ネオコン」というのは明らかな間違いで、保守の
人です。ネオコンというのはアービン&ウィリアム・クリストル親子が代
表するように元トロツキストからの転向組で、ユダヤ系が多い特徴があ
り、その親玉がチェイニー元副大統領などと言われましたが、チェイニー
元副大統領も、ネオコンではなく、政策がときおり一致したにすぎません。