2016年08月26日

◆つまらない民進党代表は勘弁

阿比留 瑠比



民進党の岡田克也代表に深い同情を覚えたのは、初めてのことだった。
9月の党代表選への出馬を表明した蓮舫代表代行が23日、日本外国特派
員協会での記者会見で、こう言い放ったことについてである。

「私は岡田代表が大好きです。ただ、1年半一緒にいて、本当につまら
ない男だと思った」

手元の角川書店の辞書によると「つまらない」とは(1)おもしろくな
い。興味がない(2)価値がない。とるにたりない(3)ばかげている−
といった意味である。直属の部下、しかも後継代表の大本命からここまで
はっきり断じられたら、普通はへこむ。落ち込んでしまう。

蓮舫氏は一応、「大好き」という言葉も添えてはいるものの、フォロー
になっていない。続けて「人間はユニークが大事だ。私にはそれがある」
と述べていることから、岡田氏には独自性も欠けていると指摘しているに
等しい。

それでは蓮舫氏はどんな政治家なのだろうか。記者会見では将来、首相
の座を目指す考えもにじませながら、こう述べていた。

「(女性で台湾とのハーフの)私がトップを目指す、トップに立つとき
が来たときには、日本が変わったという大きなメッセージになると思う」
「われわれは平和憲法を保持しているので、集団的自衛権は行使できな
い。安全保障関連法は違憲の疑いがあるので反対だ」

蓮舫氏は改めてこう述べたが、平和憲法を保持するとどうして集団的自衛
権が行使できないのか論理に飛躍がある。昨年夏の安保関連法案審議中、
街頭演説で「戦争法案絶対反対!」と訴えていたのに比べると幾分落ち着
いた物言いだが、安全保障面では「岡田路線」を引き継ぐのだろう。

 菅直人内閣時代の平成22年10月、衆院内閣委員会でのことだ。行政
刷新担当相だった蓮舫氏が、自分を指さし笑う海江田万里経済財政担当相
に対し、指さしを返してこう爆笑する場面があった。

「最悪でしょ。このオヤジ!」

もし代表に就くことになっても、あんな緊張感のないつまらない国会は再
現しないでほしい。(論説委員兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】8.25 01:09更新


◆ロシア、イランに24億ドルの信用供与

宮崎 正弘



<平成28年(2016)8月24日(水曜日)通算第5004号 >

 
〜ロシア、イランに24億ドルの信用供与、70のプロジェクトを契約
   S300対空ミサイルシステムをイランに納入〜


ロシアは8月21日、懸案だった対空防衛ミサイルシステムをイランに納入
したと発表した。

同システムは2007年からイランに配備されていたのだが、核開発疑惑で
2010年の国連決議により、ロシアもイラン制裁に加わったため、数年
間凍結されていた。商談の額は8億ドル。

ロシアはまたイランにスホイ戦闘機を供与するとし、具体的交渉に入った。

ロシアが誇るスホイ戦闘機はF16に匹敵するシロモノと言われ、中国も数
百機を購入している。

イランのホセイン・デガン航空旅団長(将軍)は、「ロシアがシリア爆撃
の為、イランの飛行場をつかったのは確かであるが、以後、ロシアジェッ
ト戦闘機ならびに爆撃機は駐留してはおらず、ロシアへ戻っている」と
語った。

同時にスホイ戦闘機導入の交渉開を認めた。

他方、民間部門を含めてロシアとイランは70件のプロジェクト案件に合意
し、ロシアが24億ドルの信用供与を行うとしているが、これらは2015年の
プーチンのテヘラン訪問時に合意されたものである。

要点は、ロシアとイランの関係緊密化が、具体的なかたちを取って現れて
きたことであり、イスラエル、米国が注視している。

        

◆昇る朝日沈む太陽

MoMotarou



朝日新聞讃美ではありません。日本国や旭日旗のことで、“沈む太陽”とは
石原慎太郎知事の事。「太陽の季節」は終わった。尖閣諸島の東京都化を
派手にぶち上げて、耳目を引き付けたがそれでお終い。

何時もの様に、形成悪くなると格好良い理由をつけて投げ出す。最後は小
池さんを「大年増・厚化粧」と侮辱する。しかし時代は変わっていた。日
本は「口先」ではなく「信念と行動」で動き出す。

■政治家が「表面的」に成ってきた。

育メン国会議員が登場し男子の育休を普及させると率先習得。地方では切
手収集が趣味の県会議員が大泣きの大演技。首都東京では“老人の味方”舛
添前都知事が「せこさ・みみっちさ」を世界に発信しました。

投票した人々は、その言説を信頼して一票を投じたはず。もう当選したら
「こっちのもの」という訳でもなさそうですが、その落差に驚きます。米
国のトランプ現象ではありませんが、一体何を信じて良いかわからなく
なってきます。

それが政治不信・信頼感の崩壊に繋がり、昔なら「ファシズムの台頭」を
招くとサヨクが騒ぎ立てるのです。しかし日本のサヨクは反日反国家だと
バレてきたので、勢力の伸長ができなくなりました。

■青山繁晴・桜井誠氏の登場は日本を変えた
 
特徴は自分の「信念・方針」を訴え続けた事。当選するために、「信念・
公約」を選ぶ既存勢力とは別でした。街頭演説を見に聞きに来る人がドン
ドン増えて行きました。青山繁晴氏47万票、桜井誠氏11万4千票。動
員無し。都知事選後期には、小池陣営が桜井氏の主張の一部を採用する面
白い現象が見られました。

日本を動かすことができる。それを実感した2つの選挙でした。

■韓国は済んだ。

朴韓国大統領が11月に来たいそうだ。取り敢えず、お断りしなければ「礼
儀」に反する。

 
         庶民が頑張る大日本! (笑)!!!



◆角さんは糖尿病だった

渡部 亮次郎



肩書きを言うより「角さん」で通っていた田中角栄氏。脳梗塞により75歳
で逝去した。若いころからの汗っかきは「バセドウ病」のためと周囲に説
明していたが、実は糖尿病持ちだったことは隠していた。糖尿病だったか
ら脳梗塞を招いたのだ。

彼が自民党幹事長だったころ私も彼を担当したが、糖尿病で医者通いをし
た事実はなかった。ところが、彼が首相を辞めた後会ったところ「あん時
は血糖値が400にもなった」としゃべりだした。

「文春で立花隆に書かれたことには堪えなかったが児玉に書かれた佐藤昭
(あき)とのとを連日真紀子(娘)にわーわーいわれて参っちゃった。血
糖値も400まで上がるしな」と糖尿病を発症していたことをうっかり告白
してしまった。

おなじく糖尿病から「合併症」としての心筋梗塞で死亡した政治家に大平
正芳がいる。同じく首相を務めて死んだが年下の角栄を「兄貴」と呼んで
政治的にすがっていた。大平は甘党だったが、糖尿病と真剣にむきあって
はいなかった。

ちゃんとインスリン注射をしていれば総理在任中70の若さで死ぬことはな
かったはずだ。もっとも当時は今と違ってインスリン注射を患者自身がす
ることは厚生省(当時)の「省令」で禁止されていたから多忙な政治家が
連日医者通いをすることは無理だった。

この大平の無二の親友だった伊東正義も糖尿病だった。外務大臣当時は政
務秘書官も糖尿病だった。伊東はしかし医者通いをちゃんとしていたから
80まで生きた。インスリン注射を怠ると寿命を10年は縮めるといわれている。

糖尿病にともなう網膜症のため国会の代表演説の原稿を大きすぎる字で書
いてきて有名になった田中六助は心筋梗塞で死んだが、まだ62歳と若すぎ
た。医者通いをしていなかったのではないか。まず眼底出血して網膜をや
られ、最後に若くして死んだことがそういう推測を招く。

日本で糖尿病患者のインスリン自己注射を許可したのは昭和56年厚生大臣
園田直が初めてである。それまでは日本医師会の反対を歴代厚生大臣がお
しきれなかったためである。

このときの園田氏はすでに1回目の厚生大臣の後、官房長官、外務大臣2期
の末という実力者に成長していたためか日本医師会も抵抗はしなかった。
禁止の「省令」は廃止された。

結果、「テルモ」など医療器具メーカーの競争が活発になり、たとえば注
射器が小型化してボールペン型になった。針も極細になり、いまでは0・
18mmと世界一の細さになった。また血糖値の事故測定器の小型のものが
発明されて便利になっている。

これらはすべて園田さんの決断の賜物だが、その園田さん自身は若いころ
からの患者であり、患者の苦しみを知るが故に自己注射許可の決断をした
のだった。わたしは秘書官として側にいたからよく見ている。

患者によっては医者に一日3回も注射のため医者に通わなければならない
人もいた。1日に医者に3回!!仕事ができない。自覚症状としては何もな
い病気とあれば医者通いをやめて早死にをずる不幸をまねく例もおおかった。

そうなのだ。大決断をした園田さん自身はその恩恵に浴することなく70の
若さで死んだ。そう武道の達人も注射の痛さを嫌いインスリンから逃げて
いたのだ。腎臓が機能しなくなり「腎不全」で死んだ。再掲


◆リハビリって、再び生きること

向市 眞知



「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとてもくせものです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者様もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練をさすだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者様、家族様のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとのもくあみです。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者様に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士さんの訓練の20分が終われば、患者様自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さんまかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者様も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていくいきごみが大切です。

ソーシャルワーカー

2016年08月25日

◆ハリー・ウーの正体

宮崎 正弘



<平成28年(2016)8月23日(火曜日)通算第5003号 >

 〜労働改造所の告発で一時はノーベル賞にも議せられた「人権活動家」
    ハリー・ウーの正体を「中国ではなく」、アメリカのメディアが報じた〜


ハリー・ウーこと呉弘達が死亡したのはことしの4月26日、休暇先のホ
ンジュラスだった。人権活動家が、なぜホンジュラスに居たのか?

訃報に接し、ナンシー・ペロシ(民主党下院院内総務)は「かけがえのな
い人物だった。民主と人権の闘士として生涯を捧げた。世界にとって大き
な損失である」と最大級の弔意を表明したものだった。

死後つぎつぎと暴かれたハリー・ウーの「実像」は、人権活動家としての
彼の「虚像」とはかけ離れていた。

晩年、彼は「中国で労働改造所でなくなった遺族への生活援助」などを名
目にファンドを設立した。ワシントンに旗揚げした「労働改造研究財団」
は、小さな写真パネルの記念館も併設したが、集まった資金のうち、遺族
等の見舞金に使われたのは300万ドル足らずで、残りの1700万ドルはハ
リー・ウーの私的な活動に使われた(アジアタイムズ、8月22日)。

「彼はモラルが破壊していた」「公金横領の疑いが濃厚」「私的な女性と
のことにカネが流れていた」などと批判が相次ぎ、米国の中国系メディア
ではなく、『フォーリンポリシィ』(4月25日号)や『ニューヨークタイ
ムズ』(8月14日付け)が報道した。

嘗て客員研究員として籍を置いたフーバー研究所は「研究がいい加減であ
り、内容は杜撰、フーバー研究所とは無縁の人とおもっていただきたい」
と絶縁に近い声明をブーバーの幹部が明らかにした。それほどに多くの支
援者を失望させるに至った。

とりわけ労働改造所の数、労働者の数がほかの研究者等との研究結果と大
きな齟齬があった。

実際の呉弘達は銀行家の息子として生まれ反右派闘争では労働改造所送り
とはなっていない。だから「彼の自伝は誇張が大きい」とされてきた。

1985年に米国へ渡り、妹の住むサンフランシスコでUCBAに通いながら
昼はドーナツ屋に職を得た。

体験談を近所で講演するようになり、その評判を聞いたフーバー研究所の
ラモン・マイヤーズの耳に入った。このころ、ハリーは米国永住権を獲得
した。

マイヤーズの引き立てで、フーバー研究所客員研究員となるが、1991年に
はワシントンDCへ進出し、財団を設立した。

同時にボーイング社やKマート本社にピケを張り、「販売している中国製
品には労働改造所で作られた製品が多いのは問題だ」と煽動した。左派や
人権グループが応援に駆けつけ、新聞ダネになった。

1995年に新彊ウィグル自治区へカザフスタンから潜入を試みて逮捕され、
ときのクリントン政権が「人権」を楯に中国政府に釈放を要求し、ハ
リー・ウーは米国へ凱旋した。一躍かれや有名人となっていた。

◆汚染と介入で自滅する中共

平井 修一



産経7/31「【手帖】日本人の美しい心で空撮した風景」から。

<中国の雲南省に「紅大地」と呼ばれる名所がある。土中の酸化鉄のため
に大地が赤いのだ。その赤い大地に、畑の緑がコントラストとなって絶景
を生んでいる。しかし紅大地を空から俯瞰して、一部に植林された森を発
見する。

(モーターパラグライダーで内外の空を飛び撮影する多胡光純氏が)村の
長老に話を聞くと、紅大地にはもともと豊かな森が広がっていたが、約50
年前に溶鉱炉が建設され、その燃料として瞬く間に木々が伐採された。そ
して森の跡地を耕し、今の風景が生まれたのだという。

しかし森を失った農地は、大雨のたびに流れてしまう。そのため一部で植
林が行われたのだ。「紅大地」は環境破壊が生んだ「絶景」だった>(以上)

50年前、毛沢東は重工業化を推進するために「大躍進運動」を提起し、無
理に無理を重ねた。農業国なのに自作農民を人民公社の公務員にしたり、
農村に溶鉱炉を作って、農業に使う道具まで供出させ、鉄を作った。結果
的に食糧は減産し、3000万〜4000万人が餓死した。その上に鉄は粗雑で使
い物にならなかった。

毛沢東率いる匪賊「共産党」に政権をとらせたという「ボタンの掛け違
い」・・・今でも支那はその異常事態が続いている。

支那の今を知るために訪中は有効かどうか、小生のような中国語もできな
い普通の人が訪中したところで無理だろうと思っていたが、国際派ビジネ
スマンや内閣官房参与の方でも「支那は相当怪しい」くらいしか分からな
いようだ。

ブログ「Argus Akita」2015/12/30「2016年の支那は大きく変化する
か?」から。

<駆け足で上海1泊出張。支那には二度と行きたくないと常々思っていた
のだが、何とか行かずに案件を済ませたかったものの、やむを得ずトンボ
帰り。

かつてのロンドンくらいのスモッグかと思ったが、聞きしに勝る空気の悪
さは異常を通り越している。何しろ街中に漂う臭いがどうにも気色悪い。
北京よりはマシという話だったが、人間が住む環境ではないという印象。

TVニュースでよく映る上海タワーや上海テレビ塔のあたりは確かに夜景は
奇麗だが、あの一画から少し外側に広がるゲットーのような貧民窟も相変
わらずで、支那という国の抱える強烈な格差というか別次元の『パラレル
ワールド』は日本を含めた先進国の都市ではほぼあり得ない。(強いて言
えば南朝鮮のソウルくらいか)

ああいった両極端の『世界』を一元的に扱うには支那共産党(CCP)のよう
な独裁体制が今のところ必要なのだろう。

支那で反テロ法が成立し、この影響が多くの分野に波紋を引き起こしてい
る。当初の草案に盛り込まれていたサーバやユーザのデータを全て支那国
内に置くことを義務付ける条項は削除されたが、当局の要請があればIT企
業は暗号情報の解読を支援しなければならない。(冗談ではない!)

結局、基本的に暗号通信などが当局の管理下に置かれるため、VPN通信な
どの自由度が侵されることになり、場合によっては『テロの恐れ』という
キーワードで通信の傍受はおろかH/Wの管理にも当局が口出しをできるこ
とになる。

情報通信セクタやそれを用いる金融、オンライン小売等も影響を受けるこ
とになる。

アメリカやイギリスにも反テロ法のような当局による制約はあるものの、
支那の反テロ法は民間のビジネスにも影響が出ることが十分考えられるた
め筆者の関わるようなビジネスは『触らぬ神に祟り無し』で遠くから様子
見だ。

経済のハードランディングがCCP崩壊に繋がるかどうかはわからないが、
ロシアのようにはいかないだろう。何しろ貧民窟の人口が大きすぎる。

2016年は支那は大きく動くと知人の多くも予想しているが、自己責任で未
だに支那に進出している企業は放っておけば良いが、災厄が日本全体に降
りかからないように願いたいものだ>(以上)

浜田宏一・内閣官房参与/エール大学・東京大学名誉教授の論考「岐路に
立つ中国経済『計画中毒』から脱却し、市場化路線を歩めるか」(JBプレ
ス2015/12/31)から。

<9月初旬、筆者はほぼ10年ぶりに中国を訪問した。前回の訪問からこれ
ほど時間が経っていたため、中国が繁栄したところ――そして、引き続き苦
労しているところ――を見て取るのは容易だった。

中国の主要都市は、トウ小平が1980年代に着手した開発政策の目覚ましい
成功を体現している。

こうした都市はわずか20〜30年で極度の貧困から救い出された数億人の中
国人の大半が暮らす場所だ。

北京と上海は、キラキラ光る超高層ビルが立ち並び、明るいネオンで飾ら
れ、ますます国際化する市民で満ち溢れており、その規模と活力に圧倒さ
れるほどだ。

こうした活気のある都市の街頭に立つと、中国の国内消費の増加を示す最
近の統計をより深く理解することができる。人々は最新の技術を使ってお
り、国際的な高級ブランドの名前の付いたショッピングバッグを抱えてい
る。彼らの繁栄は、ますます豊かになる中国人観光客が「爆買い」に勤し
む東京とソウルの小売りセクターにも反映されている。

*ちゃんと機能しない一流ホテルの電話

だが、筆者が抱いた近代的な資本主義経済の印象はすぐに、北京の一流ホ
テルのちゃんと機能しない電話によって汚された。ある米国人の友人は、
恐らく日本政府の顧問としての筆者の役割のために、電話が盗聴されてい
るのではないかと勘ぐっていた。

このような主張は、もちろん、控えめに言っても確認するのが難しい。た
だ議論の余地がないのは、北京訪問が終わった1週間後に、北京で買い物
をするために使った筆者のクレジットカード番号が、ニューヨークの中国
系スーパーでの買い物に使われたということだ。

個人情報の窃盗は決して中国だけの問題ではないが、そのような経験は、
中国の技術的な近代化は、規制とデータセキュリティーのインフラを上回
るペースで進んでいるのかもしれないという印象を生む。

そして、空気の質の問題がある。今年(2015)、北京は度重なる深刻な大
気汚染を経験し、今月(12月)は2度「赤色警報」が発令された。筆者が
2005年に、第2次世界大戦終結60周年記念の直後に北京を訪れたときは、
空は澄んでいた。

もちろん、10年前にはすでに大気汚染は中国にとって問題だった。

だが、記念式典の前に、中国政府は(車のナンバープレートに基づき)多
くの車の運転を禁止し、選ばれた工場の操業を停止し、一部の企業には一
時的に市から移転することを強いた。

*中央計画に頼る中国

このアプローチ――中国経済のような中央計画経済でしか追求できない取り
組み――は、一時的な問題の軽減をもたらした。だが、突き詰めると、ほと
んど役に立たなかった。実際、問題を覆い隠すことで、効果的な行動を遅
らせてしまった可能性もある。

中国が長期的な進展をもたらせない――場合によっては進展を阻害さえする
――短期的解決策を講じるために中央計画を駆使したのは、これが初めてで
もなかったし、唯一のケースでもなかった。

例えば、2015年の夏の株式市場暴落は、自然な調整として広く認識されて
いた。なぜなら、株価は主に政府の介入に駆られる形で、それまでの1年
間で経済的なファンダメンタルズに見合う水準を大きく超えるところまで
上昇していたからだ。それでも、株価が急落したとき、政府は即座に動
き、かなりの数の銘柄の売買を停止し、日本が1990年代に追求したものに
似た株価維持対策を実施した。

*中国株急落、1200以上の銘柄が売買停止

このようにして中国政府は大暴落を食い止めることができ、一見すると、
統制経済では経済危機や金融危機は起きないというマルクス主義の見方を
裏付けたようだった。

実際、中国の指導者たちは、株価維持対策は結局、自分たちが適切と考え
る形で株価を操作する効果的なメカニズムだと確信しているように思え
る。筆者の最近の訪問時に、とある中国政府顧問が言ったように、「株価
指数の動きは、経済の実態とは全く関係がない」のだ。

中国の政策立案者たちが理解していないように思えるのは、そのような介
入には重大な長期的代償が伴うということだ。政府がいつ何時でもルール
を変えることのできる市場に投資したいと思う人はまずいない。

*自由市場に向かう道を進め

しかし、株式市場の暴落からほどなくして、当局は人民元の下落を容認し
た。中国はこの道を歩み続け、自由市場経済で主流な金融政策のアプロー
チ――物価と雇用の適切な組み合わせの確保を目指したもの――を追求すべき
である。

継続的な元安は、ちょうどアベノミクスを通じた円安が日本を長引く景気
後退から脱却させる助けになったように、減速する中国経済に弾みを与え
られるはずだ。

2015年が終わろうとしている今、中国の指導者たちは岐路に立っている。
経済を統制しようとし続けるのか、真に市場志向のシステムを築くという
約束を最後までやり通すのか決めなければならない。中国のために、そし
て近隣諸国のために、指導者たちが自由市場に向けた計画を貫くことが望
まれる>(以上)

中共中央は環境汚染に有効な対策をとれないでいる。社会・経済のコント
ロールもできなくなってきた。建前として中共は国有企業の利益をもとに
「人民に安心安全を提供する」ことで独裁を正当化してきた。もうそれが
できなくなりつつあるということだ。

自由主義市場経済=民営化と中共独裁=上意下達の計画経済は両立しな
い。中共が介入し続ければそれは自由主義市場経済ではない。旧態依然の
国家独占資本主義のままであり、国際競争力はなく、多くの国有企業は破
綻し「ゾンビ」になっている。

中共の未来はすこぶる暗い。環境は最悪、経済も低迷が目立っている。国
際社会で孤立してきた。上層階級はとっくに逃げ出し、中層階級も逃げ出
し始めている。そして誰もいなくなった、となりそうだ。(2016/8/15)


◆私の昭和20年8月15日 

 
渡部 亮次郎



昭和20年、当時は国民(小)学校4年生。学校ではボール紙に印刷された
ルーズベルトとチャーチルの顔を殴っていたのが2年生ごろか。

4年生になったら、先生がアメリカ軍の艦載機はキーンと甲高い爆音が特
徴だと教えてくれた。

7月14日の昼前、突然「キーン」が聞えた。北の空へ3機が飛んで行った
と思ったら、いきなり煙を吐いて落下。こりゃしめたと思ったら「急降
下」だった。列車に向かって機銃掃射だった。

3機とも戻ってきた。胡瓜畑に隠れて妹と肝を冷やして覘いていたら機上
から見られているから掃射されるものと覚悟を決めた。しかし銃撃される
事は無く3機は去って行った。生まれて初めて体験した「死の恐怖」だった。

この日は隣県岩手県の太平洋に面した釜石市が米海軍による艦砲射撃をう
けた日。その響きは地鳴りとなって日本海岸にも伝わってきて、日本が細
長いことを子供心に実感した。

日本海にひびいた釜石艦砲射撃。釜石艦砲射撃(かまいしかんぽうしゃげ
き)は、太平洋戦争末期に、連合国軍艦隊が岩手県釜石市に行った2度の
艦砲射撃のこと。

昭和20年7月14日の砲撃。一度目は1945年7月14日に、アメリカ海軍の戦
艦部隊によって行われた。北海道空襲など一連の日本本土攻撃を開始した
アメリカ海軍機動部隊。

第34任務部隊から分派した第34.8.1任務隊(司令官:ジョン・F・シャフ
ロス(John F. Shafroth)少将)の戦艦3隻と重巡洋艦2隻、駆逐艦9隻に
より、釜石を砲撃した。主要な攻撃目標は、日本製鐵釜石製鉄所だった。
この砲撃で日本側は一般市民を含む515人が死亡した。

八郎潟に飛んできた艦載機はこれらとは別のところから飛来したものだっ
たろう。しかし日本海岸の住宅のガラス戸を揺らす音は
愈々戦争が私にも迫ったことを教えた。

釜石に二度目の砲撃は同年8月9日に、アメリカ海軍・イギリス海軍の合同
部隊が行った。参加したのは、前回と同じアメリカ海軍第34.8.1任務隊の
ほか、イギリス海軍第37.1.8任務隊(軽巡洋艦2隻、駆逐艦3隻)であっ
た。この攻撃では日本側は301人の死者を出した。出典;フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

本物の恐怖は1か月後に来た。東沿岸に住んでいる旧八郎潟上空を真っ赤
に染めてアメリカの大型爆撃機B29が大編隊をなして南の秋田市方面に引
き返して行く。機体の下腹が火事の明かりで赤く染まっていた。私は西側
に広がる田圃のあぜ道に腹ばいになって見上げていた。4つ上の兄は学徒
動員に出たままだった。

即ち、終戦前夜の昭和20年8月14日の22:30から翌15日の03:30まで、秋
田市「土崎(つちざき)」は米軍機による激しい爆撃を受けた。私の家は
20キロぐらいしか離れていない。

秋田県における最初で最後の大規模空襲は日本石油秋田製油所破壊を目的
にしたもので、132機のB29から投下された爆弾は12047発・約1000トン、
製油所周辺は真っ赤に燃えあがり石油精製工場の87%・貯蔵設備の70%が
破壊された。

夜間の攻撃だったために目標がそれやすく被害は工場周辺の住宅地区にも
及び、特に通称ハマナシ山の日石住宅では住民の被害が大きかった。港で
も工事中の浚渫船2隻が爆撃を受け沈没、死者が出ている。

この空襲による死者は100人とも250人以上とも言われているが、正しい人
数は判明していない。

秋田・土崎港空襲は、日本で最後の空襲となった。

戦後、明らかにされた米軍の資料によると、これらB29はマリアナ基地か
ら飛来した第315航空団の141機。当夜の天候は薄曇のち快晴だった。目標
は日本石油秋田製油所。攻撃高度10200-11800フィート。投下爆弾トン
数、計957・1トン、攻撃は14日23時48分から15日2時39分までの2時間51分間。

米側資料の「任務の概要」によると成果は未確認なるも損失機なし。これ
だけ飛来しながら目標を目視したのは2機だけだった。日本側からは「貧
弱、不正確な対空砲火」があっただけだった。

15日正午の天皇陛下の「玉音」はラジオが無かったから知らないが、夜に
なっても「灯火管制」が無かったから終戦を知った。いや敗戦だった。

この敗戦前日の空襲は埼玉県熊谷市、伊勢崎市、七尾市、下関海峡
(西)、宮津、浜田にも襲い掛かったことが米側の資料にはある。

対英米戦争は草深い田舎でも死の恐怖と対面させられながら展開していた
のである。

当然、学校は夏休みだった。15日の午後近くの「馬冷やし場」で足を洗っ
たのを明確に記憶している。理由は思い出せないが、北国の太陽も強烈
だった。あれから71年。9歳は80になった。2011・8・15

◆離婚年金分割の実態

川原 俊明



平成19年4月施行、平成20年4月施行、と2回に分けてなされた年金法改正。簡単に言えば、夫婦でいた期間に、掛け続けてきた厚生年金記録を、離婚の際に分けましょう、というものです。

サラリーマンは、将来の年金受領を見越して、毎月の給与から、厚生年金負担料を源泉徴収されています。事業主が、負担料の半額を負担しているので、源泉されるのは、半額相当分です。

給与からの天引きですから、勤務者であるサラリーマンの名前で年金負担料を納めることになります。一方配偶者Aさんが得た給与は、他方配偶者Bさんの内助の功を考慮するとき、夫婦の共同収入と見るべきです。
ですから、他方配偶者Bさん(3号被保険者 サラリーマンつまり2号被保険者の配偶者のこと)にも、将来の年金受領にあたって、一方配偶者Aさん名義の年金記録を分け合うのは、いわば当然、ともいえるのです。

改正前は、どんなに婚姻期間が長くとも、どんなに夫Aさんが高収入でも、離婚すれば、夫Aさん名義の厚生年金(標準報酬部分)は、全額、夫Aさんのものでした。離婚した妻Bさんには、夫Aさん名義の厚生年金を分けてもらうことがなかったのです。

高齢化社会のもとでは、離婚配偶者の生活を維持するため、当然、年金分割による生活財源の確保が必要でしょう。平成19年4月施行の年金改正法は、離婚配偶者に年金分割による生活財源確保の道を開きました。

しかし、この法律には、まだまだ問題が残されています。

今でも、離婚によって、当然に、年金が分割されるわけではありません。あくまで、「分割請求」という意思表示を必要とし、「5割を上限」とするものです。しかも、3号被保険者という立場の配偶者だけが、改正法の恩恵を受けます。

しかし、平成19年4月法律施行だから、その4月1日以降に離婚した人が対象でなければならない、というのは、理論的に、当然の結論ではないのです。(現行の法律ではできませんが)

今回の改正法は、施行日以前に離婚した元配偶者の立場にある人は、全く保護の対象外となっています。離婚配偶者の生活保護という観点から考えれば、法律施行日以降の離婚者だけに保護を限る必要はないでしょう。

夫婦平等、夫婦共有財産の認識の深まりを考えれば、この法律をさらに改正し、平成19年4月1日以前の離婚配偶者にも、当然のように、年金記録の分割をすべきでしょう。

さらにいえば、3号被保険者という立場以外の離婚配偶者の生活保護も、私たちは真剣に考えるべきです。    (弁護士)
 

2016年08月24日

◆G20を前に杭州は厳戒態勢

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)8月22日(月曜日)通算第5002号 >

 〜G20を前に杭州は厳戒態勢、長蛇の車列、西湖は封鎖
   習近平のボディガード体制は常時16人に増強〜


 杭州といえば浙江省の省都。その町の中心に拡がる西湖には世界から観
光客が集まり、華やかな観光地。中国六大都市(北京、西安、南京、開
封、洛陽)の一つ。

麓の中山公園には有名は印鑑店があって大繁盛を極め、とくに日本人観光
客なら、ここで印鑑を作る人が多い。あるいはせめて朱肉を買う(小さな
朱肉でも千円もします)。

本来は金石彫刻の研究所だったが、いまや付属店舗の「西冷印社」のほ
うが有名、ほかにも杭州にはシルク博物館、茶葉博物館などがある。

 杭州と言えば、郊外に「中国のシリコンバレー」が開けており、アリバ
バの本社もここ。

ハイテク企業の集積地でもあり、殷賑を極める。日本からも成田と関空か
ら日航、全日空ともに直行便がある。

一昔前は上海からバスで4時間ほどかかった。

さてこの浙江省の書記を、福建省に17年間もいた習近平が腰掛け的に 一
時期、つとめた。

浙江省書記時代に江沢民が視察にきたことがあったが、歴史的沿革をなに
も知らない習に替わって膨麗媛夫人が説明したという逸話は有名である。

ところが数日前から杭州の市内を抜けるのに4時間もかかる長い長い車
列。西湖はIDカードもしくはパスポートを提示しないと園内に入れず、
また荷物検査が行われている。それもこれもG20の警備のためである。 

自爆テロ、要人暗殺を極度に警戒しているからだ。

習近平は中南海の警備陣メンバーを総入れ替えし、とくにボディガード
の数を増やしたが、彼の車の周りには常に16名のSPがつくことになっ
た。米国大統領より、ガードが厳しくなっている。

G20はいよいよ間近となった。