2020年07月10日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(28」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/139(2020/7/7/火】好奇心はいいものだ。小さい頃からオモチャ、ラジオ、双眼鏡、拳銃・・・「どうなっているんだろう」と何でもばらしていた。



(拳銃:ベルギー製のFNブローニングM1910で、帝国陸軍の官給品。生家は米軍キャンプ座間近くで、酔った米兵が女を求めて深夜に徘徊するため父が護身用に備えていた。父が夜勤のとき、20代の母は外から雨戸を開けようとする音に震え上がったという。「黒人兵は怖かった」とよく言っていた)



どうにか分解してタメツスガメツ「ふーん、なるほど」とか「分からん、複雑怪奇」とそれなりに納得すると、また復元していた。



両親は呆れながらも「この子はエンジニアになりそうだ」と何となく期待していた様子で、怒られることはなかった。



小生も何となく「エンジニア」という、敗戦後にGHQがもたらした外来語に引かれてはいたが、就学して分かったのは自分が理科、化学、物理、地学・・・つまり理系学問がまったく分からないし、ほとんど興味がないことだった。父母に読書の習慣はなかったため、国語も苦手だった。



国語がダメ、レベル以下だと致命的である。そもそも全教科の内容がよく分からない、さらに試験問題の設問が理解できない、理解するまでに時間がかかる。



2月生まれだから同学年でも最大10か月ほどの体力差、知能差、ハンディがある。これはきつかった、焦る。小5のときに5段階評価の通信簿で「2」がなくなりオール3になった時はちょっと嬉しかった。



一方で4、5月生まれの子はさしたる苦労もせずに結構できるから、やがて遊びやオシャレに夢中になるようで、中高あたりになると早生まれとの差は解消されて同じようなレベルになる。



結局、社会人になると、総合的な学識・教養・知性といった基準では、ほとんどの人は良くて中2レベル、優秀でも高2レベル、それ以上は稀だ。



ただ、現実の社会では「専門分野での能力」が買われる、評価されるから、「物知りの世間知らず、頭でっかちだが雑巾一つも縫えやしない」人より、「変人だけれど実にいい仕事をする、ありゃあカリスマだな」という人に仕事は来る。



というわけで学業≒試験勉強はパッとしない「ドン亀」だったが、文系組ではどうにかバカの一つ覚え=暗記力で英数だけはトップクラスになれた。「ウサギとカメ」。



振り返ると英文和訳がそこそこできたことと、工作機械や道具を使ってのモノ作り、大工さん、電気屋さんなどの職人仕事に小さい頃から興味津々だったのは良かった。


この「興味津々」、正確に言えば「創造的・生産的な知識欲・遊び心」というのは男にとってはとても重要で、前進、挑戦する気概になる。従兄弟が武蔵工大に進んだこともあって、漠然と「建築士はどうだろう」とは思っていたが、まさか文字を書いて食うようになるなんてまったく夢にも思わなかった。


独房では読書と日記=思索しかやることがないのだから、嫌でも文字に親しむ。「落ちたところが上り坂」「人間万事塞翁が馬」、その気になれば敗者復活できる、ということで、日本はいい国だ。


いつも興味津々、退屈知らずだと、老いても脳みその劣化は緩やかで済むような感じがするが・・・


現役時代でも隠居した今でも、記事、文章を書く上で「これどうなっているんだろう」という好奇心、興味がキモになる。日常生活でも「旨そうだな、食ってみよう」「この路地の先はなんなんだ」とかしょっちゅう思う。


孫が通う神奈川県川崎市立下布田(しもふだ)小学校。先日、多摩川を越えて東京側を散策していたら下布田という町名があった。川は蛇行するものだから、昔は一つの村でも、川が移動するとニつに分かれて「飛び地」になったりする。


街の史書などには「多摩川は昔はずっと南の多摩丘陵沿いにあった」とか書かれており、それが北に移動したため「ふたつの下布田」になったのだろう。ツインビレッジ・・・お祭りしたら面白そうだ。


こういうことを知るとか発見するのは面白い。川一本隔てただけなのに東京側の小田急線・狛江駅前通りはびっしりと建物が並んでおり、1階はほとんど店舗。どこまで続くのかと自転車を漕いでいったら京王線・調布駅まで続いていた。


わが街だと駅前商店街はせいぜい150〜200メートル、それくらいで間に合う人口=市場=購買力で、物価も川向うの東京より安い。賃貸住宅も同じ家賃なら川向うより一部屋多い。それでも「お住まいはどちら?」と聞かれて「都内です」と「神奈川県です」ではイメージが違う。


「結構、シカとかイノシシが出るんでしょ?」「まあ、出ますね」

「ジビエ料理、皆さん食べます?」「昔から食べてますから飽きられているみたいで・・・今はコウモリ、ハクビシン、それからヒトを食ってます。奥さんみたいな霜降りはキロ3万円はしますね・・・ほんとに美味しそうですねえ、ヒッヒッヒ」



「都内は一流ブランド」、隣接していても神奈川(横浜を除く)、埼玉、千葉は二流以下なのだろう。在宅勤務が増えると、生活費が安くて自然も残っているような二流以下に引っ越す都民が増えそうだ。「出エジプトリリー記 多摩川を渡れ!」とか。


16世紀のサブサハラ・アフリカは「大西洋を渡れ!」だった。ボタンの掛け違え・・・当時の悲劇が今なお続いているようだ。


サブサハラ・アフリカ(Sub-Saharan
Africa)。サハラ砂漠より南のアフリカは、アラビア人の北アフリカとは大きく異なる世界のようだ。ネグロイド(黒人)が主に居住する地域で「ブラック・アフリカ」とも称される。


現在、サブサハラについて先進国は何となく「触らぬ神に祟りなし」、その隙を中共がついて縄張りにしつつある。


米大陸の黒人のルーツはブラック・アフリカの大西洋側、ルアンダのようだ。不運の地なのか、デフォルトなのか、今でもフツとツチの部族抗争の傷は癒えていない。


<ルアンダは(日本では信長が台頭した)1575年にポルトガル人によって植民され、黒人奴隷の重要な輸出港となった。1641年オランダの西インド会社軍によって占領されたが、1648年にはブラジル植民地軍によって奪回されている。奴隷供給源の喪失はブラジル植民地にとって大打撃だったからである>(WIKI)


初期に新大陸に自ら入植した黒人は「新大陸で一旗揚げよう」という、まるで明治以降の日本人移民のようだった。ところが新大陸は聞くと見るとで大違い、「話が違う」と怒ったところで財布もすっからかんどころか借金だらけで、帰るに帰れない。


要は、裸一貫で入植した白人も黒人も騙されたというか、リクルーターの甘言に乗せられたのだ。こんな具合。


「諸君、神は我々に新大陸を下された。波頭を乗り越え艱難辛苦、我らの先人は畑、農園を作って頑張っている、しかし慢性的に人手不足だ。


そこで私は、優秀で熱意あるがカネがないから新大陸に行けないという諸君を支援したい。渡航と就職先が決まるまでの費用はすべて貸そう。働きながら返してくれたらいい


人生はチャレンジだ! このまま既得権益でガチガチの旧大陸で惨めな一生を送るのか? 叩けよ、さらば開かれん! 新大陸にはたっぷり稼げる仕事がある、すこぶる安い農地がある、自分の道を選べる自由がある、勇気ある青年は申し込んでくれ、先着100名、運命を切り開け!」


前借金という身売りだ。牛詰めになって命からがら新大陸に着き、就職市場のセリに若者が立つ。


「ルアンダ産、オス、16歳、健康、30ドルから始めます(ばんばん!)、はい40、はい60、ほい70・・・上ないか、上ないか、ほい75、80・・・上ないか、上ないか、(ばん!)80でシーチン農場!」


市場で値がつくと、カネ主は買い手に「前借金+諸経費+斡旋料」をもらって一件落着。若者は借金を全額返すまでは買い手、即ち農場オーナーの奉公人になる。


昔の娼妓、お女郎さんと一緒。借金を返しながらも衣食住で新たな借金をするから5年奉公10年奉公ならいい方で、死ぬまで奉公人というケースは珍しくなかっただろう。たとえ独立できたとしても、いくら安いとはいえ農地を買って功成り名を遂げる人は稀だった。


ヨーロッパから来た前借金の白人も同様だったが、職人(技術者)は引っ張りだこの高給で、多くが出世した。広大な農場(プランテーション)では労働者も多く、女、子供もどんどん増えていった。繁殖すれば売って儲けることもできるからだ。


農場は大きな村であり、熟練工を必要とした。大工、鍛冶屋、靴・皮革職人、ロープ職人、煉瓦焼き、醸造職人、織物職人・・・最初は高給でプロを招き、やがては奉公人が技術を学ぶ。


明治の初めみたいだが、日本の年季奉公は少年を一人前のプロに育てる職業訓練所でもあり、前借金で縛る奴隷制度とは全く違う。お女郎さんでも故郷に錦を飾った人は珍しくないだろう。


以上は戦後アメリカでマッカーシー旋風を「私はアカじゃない、社会主義者だ」とごまかして難を逃れたアカの理論家、レオ・ヒューバーマン著「アメリカ人民の歴史」を参考にした。


(アカは今でもFDRやジョージ・マーシャルを讃えているから、ヒューバーマンは読み継がれているだろう。1957年には大内兵衛、向坂逸郎に牛耳られた総評の招きで来日している)


黒人は言語能力、思考力、労働技術力に見るべきものがなかったのか、やがて単純労働、家畜並の動物扱い、反抗する知恵も術もなく借金漬けで奴隷にされてしまったのだろう。夢の新大陸が悪夢の地獄に・・・人生は想定外だ!


日本でも奴隷みたいな労働者は珍しくなかったのではないか。例えば――


<契約社員として奥地のダム工事現場に派遣され、やがて飯場での博打と女で前借金が増え、工事が終わっても親方から他の会社への出向を命じられ、給料も押さえられ、退職も許されない。やがて娼妓上がりのような女を与えられて子もなした。


「でも、何だか俺、奴隷とか唐行きさんみたいだなあ、“ナンダカンダ分からん人生”・・・ま、置かれた場所で咲きなさいって神様が言っているし、そのうち何とかなるかもしれない・・・でも何でこうなったんだろう、不思議だよなあ>


女に騙され惑わされて働きづめ、たまの休みでもドブ掃除や洗車、ペンキ塗りをさせられたり、タバコも外、酒は取り上げられ、家族旅行の参加資格もなく留守番・・・「アンタ、犬の散歩と金魚の世話もちゃんとやってよ!」まるで奴隷・・・


何となく 歌って踊って 恋をして 気付いて見れば 老いたる奴隷(修)


<植民地アメリカでは1619年に最初のアフリカ人奴隷の記録がある。オランダ船がメキシコへ向かうイスパニア船と交戦し50〜60人の奴隷化されたアフリカ人を奪取した。


このイスパニア船はマニラで慶長遣欧使節から買い取ったサン・ファン・バウティスタ号であり、ルアンダから350人の奴隷を調達し輸送する途上だったという説がある>(WIKI)



同志諸君! 光秀、秀吉、家康がいなかったら日本人は慶長遣欧使節の船でアメリカに送られ、奴隷にされていたかもしれない。危うかった。



人種、民族がそれぞれの良さを活かしながら、それぞれの国、町村で、それぞれの桃源郷を創ればいいが、やがて仲良しクラブ、派閥ができて争う。もう、これ、人間の宿命だ。



嗚呼、昔「愛の巣」、今「愛の留守」、良い予感は概ね外れ、悪い予感はよく当たる、誤解はやがて悲劇か喜劇かドタバタか・・・「大団円で幕」というのはまずないね、せいぜい戦い済んで日が暮れて・・・諦観で終わればいい方だな。



米国の人種問題を解決するにはワシントン州・オレゴン州は黒人自治区にするとか、縄張りをはっきりと決めた方がいいのではないか。一度、別居してクールになってみることが大事ではないか。国造りの苦労をしないと分からないことはいっぱいある。



「あんたぁ最初からワシらが担いどる神輿じゃないの、神輿が勝手に歩ける言うんなら歩いてみないや、おぉ」



出ていくわ 勝手にするから 手切れ金 まずは寄こせと 恐喝まがい(修)



ありそうな話。内憂外患、大国になれば悩みも大きいから大変だなあと思うが、日本はEEZを含めると結構縄張りが広いから「対岸の火事」と、のほほんとはしていられない。



中共、半島、ロシアちゅう世界有数のゴロツキ連合と対峙しておるんやで、ガラガラポンの仁義なき戦いにそなえにゃ、ええようにやられるで、のう。褌締めて、腹くくって、チャカ用意して、兄弟仁義の組と足そろえて喧嘩に備えにゃあならん。のほほんと危機感がない組は負けよ、最後にバカが泣く。あんた、ボーッとしとるけど分かってんのかい?(2020/7/7)

◆中国のモバイルプラットフォーム、

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)7月8日(水曜日)通巻第6574号  

 インドに続き、米国もティックタックを禁止へ
  中国のモバイルプラットフォーム、個人情報の取得は安全保障上の脅威

インドは中国製品のボイコットを決定したが、その中にモバイルアプリのティックタックなど59を禁止し、いきなり接続を遮断した。

ユーザーが気軽に動画をおくるシステムが重宝され、世界的な大ブームを引き起こしているが、中国企業なのに、中国では禁止されている。同社の親会社は「バイドダンス」で、未上場。本社登記はシンガポールでなされている。

ここに集まる情報は個人情報のデータになりうるため、安全保障上の脅威とみなす米国も「禁止を検討している」とポンペオ国務長官は記者会見で語った(7月7日)。

また米国はウォール街に上場している中国企業の排斥に乗り出しており、アリババ、京東集団(JDドットコム)、ネットイースなどが標的だとされる。

新興の中国企業は、規制の緩いナスダック(2部上場)に狙いを定め、いきなりウォール街に上場して、膨大な資金をあつめてきた。

ところが、経理報告など、杜撰かつ出鱈目な内容に以前から業を煮やしており、その上で香港に重複上場し、中国の投機筋の資金の受け皿の役目も果たしてきた。
 
ナスダックでは古株で、ウェイボ(微博士)を経営知る「新浪」もMBOを駆使して非公開を検討するとした。
これらの動きはウォール街がナスダックの規制強化を鮮明にしているためである。

          
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜電気自動車、EVと大騒ぎをしているが、未来はそれほど明るいのか
EV販売増の舞台裏は政府の介入、補助金、そして強制購入では?

   ♪
 川口マーン惠美『世界「新」経済戦争』(KADOKAWA)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
マイバッハというのは世界一高価で贅沢なクルマらしい。自動車ファンなら皆が知っている由だが、評者(宮崎)、自動車免許を半世紀以上も前に返上しているので、クルマの種類までは知らなかった。

ところがひょんなハプニングが起こるもので、或るときにマイバッハに乗る機会があった。信号でとまると、わっと人が集まるほど人気だとは、日本にはトヨタのレクサスがあるのに、なぜいまもドイツ車のベンツやBMW信仰なのだろう?

フェラーリやランバルギーニなど伊太利亜勢も人気を博しているが、本書の主眼はドイツの自動車産業の話である。
 「1882年、四十八歳のゴットリーブ・ダイムラー」は「ビジネス・パートナーだったヴィルヘルム・マイバッハとともに、小型エンジンの開発に取り組んだ」

「奇しくも同じ頃、カール・ベンツがやはり車両用エンジンの開発に挑んでいた」
 
いずれ、これら3人の名前が冠せられる名車の誕生に繋がるが、この時期にはお互いに知らず、おなじ夢を描いて、至近距離でそれぞれが独自にクルマの開発に努力していたのだ。

「フェルディナント・ポルシェが19世紀末に造った最初の車」は、電気自動車だった。

役者がドイツで同時代に勢揃いしていた。ちなみに、もうひとつ有名な商標の「メルセデス」は、自動車レースの愛車に選手で金持ちが娘の名前をつけたのが嚆矢、ダイムラーが商標の権利を買い取ったという経緯もあった。

 のちにヒトラーが号令をかけたフォルクスワーゲンは「国民車」の意味であり、ドイツ自慢の高速道路網、アウトバーンは速度無制限。でも夜間の照明灯がない区間が多いため事故が絶えない。

学生時代から37年間、スタッツガルトに住んだ川口さんだからこそ、ドイツの自動車産業界の浮沈、その歴史と輝かしくない未来がわかる。

評者も半世紀ほど前にスタッツガルトで、ベンツ博物館を見学したことがある。ドイツ人は日本車などまったくバカにしていた。フランスでもルノーとプジョーの工場見学をしたが(工業使節団の通訳兼ガイドとしてついていった)、「あれ、日本よりラインが遅いな」というのが率直な感想だった。

直感は当たった。

日本車の大躍進は1970年代から始まった。昨今はフォルクスワーゲンを抜いてトヨタが世界一となった。

先週、テスラの時価総額がトヨタを上回ったというニュースに接した。驚きではなく、株価とはそういう面妖な動きをするモノで、投資家ではなく投機筋がテスラを餌に大儲けを企んでいるのだろう。

テスラが牽引する電気自動車、あのはったりが気に入られて、優遇条件で迎えられ、中国で爆発的に売れている。
その仕掛けは補助金と強制であり、欧州勢は出遅れている。

米国はEVへの興味は深くない。ドイツは補助金をつけたが、潤ったのは外国車だった。そもそもドイツはファーウェイの5G排除を決めかねているが、光ファイバー網が遅れており、4G状況にさえない。長距離鉄道にのるとスマホが通信不能となる。鉄道はいまだにコインを投入して切符を買い、改札がある。時代から完全に取り残されているのがドイツの実相だと著者は指摘する。

さて、電気自動車の未来を、ならば川口さんはどう見ているのか?

「電気自動車は、世間で思われているほど完璧なものではない。本来ならそれらの問題を、イノベーションをベースにして、環境や経済に考慮しながら解決していくことがベストだと思われるが、現実は、多大な政府の介入で、理想の発展が妨げられているように感じられる。そして、急ぎすぎた電気自動車へのシフトは、多くの弊害を生んでいる」。

使用する金属資源、電池のレアメタル類などはやくも過剰な高騰を示しているように。

自動車業界を世界の市場を総括的に比較しながらも、過去、現在、未来をダイナミックに描いた報告である。
            
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
集中連載 「早朝特急」(37) 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その4)

 第三章 パキスタンは幾重もの複雑な顔を持つ

 ▼パキスタンが2億8千万もの人口大国だって知ってました?

パキスタンの実情を日本人はあまり知らない。

まず戦争状態の「物騒な国」というマイナスの印象がある。中国と軍事同盟を結び、核兵器を保有する悪い国。治安が悪すぎて、日本人旅行者が殺害された危険ゾーン。

イスラムのラジカルな人たちがいて、武装し、タリバンを支援し、秘かにビンラディンを軍の情報部が匿っていた信頼の置けない国。

こうした暗いイメージが先行するので、次のような美点は顧みられない。

パキスタンは「清浄な人々のすむ場所」という意味であり、宗教的に高潔である。そのうえ清潔好きである。これは行ってみて現地の人と接しないと分からない。

教育程度も急速に高くなり識字率は60%を超えた。

ましてサウジやイラン、アフガニスタンのような女性蔑視の風潮はない。暗殺されたブッド首相は女性宰相だったではないか。

現地で驚くのは映画産業が盛んなこと、そして美人が多いこと。ホテルで外国人は飲酒可能。ただしパキスタン産のウィスキーはまずいけれど。。。

映画「ランボー」のパート3は、シルベスタ・スタローンがムジャヒディンと協力し合い、ソ連軍をやっつける物語だった。

すなわちパキスタンは米国の同盟国だった。

1971年、突然のニクソン訪中の段取りをつけた秘密会談はパキスタンが斡旋し、補佐官だったヘンリー・キッシンジャーは、イスラマバードで「仮病」を装ってホテルで記者団の目を誤魔化し、秘かに訪中した。周恩来とニクソン訪中の具体策を北京で打ち合わせていた。

その後、CIAがアルカィーダに梃子入れし、ビンラディンはCIAが育てたのだ。

途中からビンラディンはフランケンシュタインのごとき怪物に化けて反米闘争を展開するようになる。ま、国際政治の裏舞台は裏切り、謀事、騙し合いの世界だから。

現実のパキスタンは、中国と半世紀を超える軍事同盟を結んでおり、合弁の戦車工場を運営しているほどの蜜月関係にある。

ところが最近は中国の一帯一路プロジェクトを「鬱陶しい」と思うようになったほど、対中不信感が増大している。理由は後節にみる

インド・パキスタン紛争は1971年に東パキスタン独立戦争となって、インドはバングラデシュの独立を支援した。

戦局はインド有利に転化し、パキスタン軍を後退させた。各地にパキスタンの捕虜が収容されていた頃、筆者はインドを旅行した。シャイプールあたりで捕虜収容所を見た。

インドでも、パキスタンでも、バングラデシュでも、兵隊に強姦されて処女を奪われた女性が10万人以上。彼女たちは決然と自殺した。その高潔! いまの日本女性には意味が分からないだろうなぁ。

戦争が片付くと、日本人が結構パキスタンへの旅行をしていた。モヘンジョダロ観光もさりながら、K2登山、フンザ登山トレッキング組が多かった。治安はそこそこ保たれていた。

4半世紀前に筆者は思い立って、パキスタン各地を旅行した。

イスラマバード、ラホール、ペシャワール、カラチ。ラワルピンジ等々。昔の首都だったカラチは人口1200万の大都会で、国際線の乗り入りも現在の首都のイスラマバードより多い。ビンラディンの独占インタビューをとったパキスタンの英字紙『ドーン』(夜明け)は商業都市カラチの新聞である。

さて現地で筆者がもっとも衝撃を受けたのはペシャワールだった。

世界に密造武器製造工場として悪名高いことは劇画の『ゴルゴ13』にも出てくる。

ここがアフガニスタン難民の集積場所で、当時、難民キャンプの人口が、23万といわれた。いまは百万人以上だろうか、人々でごった返す大都会である。ペシャワール全域の人口は300万。また、ここが故・中村哲医師らアフガニスタン支援の日本人組織ペシャワール会の活動拠点でもある。

 ▼カイバル峠のアフガニスタン国境にて

現在、パキスタンにいるアフガニスタン難民は合計で600万人ともいわれ、ここで生まれ、育ち、就労し、一度もアフガニスタンへ行ったことのない難民の末裔が多数派となった。路地は狭く通行人でぎゅうぎゅう、人口稠密、こんな裏通りにゴールドショップが多数店開きしている理由は何か?

手作りのライフル銃など、危なっかしくて、正規軍は買わないだろう。しかしアフリカのゲリラか、ギャング団の需要は旺盛、密造ライフルなど武器産業に従事している難民も多い。

このペシャワールがアフガニスタンとを繋ぐカイバル峠へ向かう拠点でもある。

この峠は長い長い崖道、坂道、くねくねと曲がる道の連続で、沿道はといえば、驚くべし、プールつき豪邸、屋上にパラボラアンテナ、車庫にはベンツかBMWときている。

無法地帯だからパキスタン政府の統治及ばず、密輸業者、武器業者の豪邸が並ぶのである。

延々と峠をのぼると、ようやくアフガニスタン国境。ここで休憩、少年たちが駆け寄ってきて、「パキスタンの通貨と交換してくれ」という。

紙くずのパキスタンルピーを欲しがるのは、おそらく世界広しと雖も、ここだけだろう。アフガニスタン紙幣と闇の両替が成り立つのである。

国境の碑をまたぎ、2歩、3歩、アフガニスタン領内に足を入れた。警備についてきた軍人がライフルを肩に笑っていた(カイバル観光は当局に届け出て、軍の護衛がある)。

イスラマバードは新首都だが、世界最大のモスクがある。全額サウジアラビアが寄付した。官庁街に近い高級住宅地を見学してみたが、パキスタンの最貧国のイメージはここで完全に吹き飛ぶ。ずらり、ハリウッドの豪邸群かと錯覚するほどの豪邸がならんでいるのだ。

さらにイスラマバードを南下してラウルピンジへ行くと、軍参謀本部がある軍事都市。ここで中国と戦車の合弁工場がある。

軍人65万、パキスタンが軍事大国であることを忘れるところだった。パキスタンは核武装しており、そのノウハウを北朝鮮に提供した疑惑があり、またシリアでも原子炉を建造していた。機密を知ったイスラエルは空軍機六機を飛ばして、破壊した。

 ▼パキスタンはそれほどまでにチャイナマネーが欲しいのか?

2019年7月、IMFはパキスタン支援の60億ドルを最終承認した。

IMFは今後3年間にわたり、毎年20億ドルづつパキスタンに資金供与する。
 
引き換えにパキスタンは改革計画(財政均衡、輸出拡大、内需喚起)を是認しなければならない。同年4月までにIMF特別チームはパキスタンと協議を重ね、支援を決定していた。IMF理事会の最終承認がなされ、パキスタンのデフォルトは当面避けられる見通しとなった。

IMFのパキスタン救済はこれで13回目。完全なモラルハザードだが、この決定にイムラン・カーン首相より、パキスタンで総額620億ドルの大プロジェクトを展開している北京が安堵の度合いが深かったかも知れない。

クリケットの世界チャンピオンだったイムラン・カーンは首相に当選後、すぐに北京には赴かず、陸軍参謀長を差し向け「中国パキスタン軍事同盟」を確認させた。その間にサウジ、UAEを歴訪、緊急の200億ドル融資を勝ち取った。

それからカーン首相はおもむろに北京を訪問したが、追加融資の案件に中国側の明確な回答はなかった。

中国がパキスタンへ注ぎ込んでいる世紀のプロジェクトは、習近平の「一帯一路」の目玉だ。CPEC(中国パキスタン経済回廊)と呼ばれ、各地で工事を展開してきた。

イランのホルムズ海峡に近いグアダル港は深海であり、潜水艦寄港が可能、将来は中国軍の軍港として活用されるに違いない。コンテナ・ヤードでの貨物取扱量は2018年に120トン、2022年には1300トンの貨物を集荷し、仕向地向けに輸送するターミナルとなると中国は青写真を提示した。

中国が港の管理運営権を握り、向こう43年間。収益の91%が中国の懐に入る。巨大な投資はこれが担保だった。

グアダル港の周辺にはコンテナ・ヤードのほか新空港建設に2億3000万ドル(エアバスの民間利用に加え、中国空軍も利用することになる)、病院建設に2億ドルを投じ、230病床を確保する。加えて単科大学を創設し、パロジスタン住民の子供達の将来を考慮したいとしているが、地元住民はまったく納得していない。

グアダル港はアラビア海に面しており、周辺の土地は地下水の層が薄く、海水淡化プラントの建設が遅れており、飲み水に決定的に不足している。飲み水がなければ人間は生活できず、グアダル港新都心の水道設備はどうなっているのか、住民説明会はまだ開かれていないという。将来、立ち退かせた住民の漁業補償や住宅建設後の受け入れも視野にいれていると中国側は説明しているが、住民優先という発想がない。飲み水の問題が解決していない。

ところが中国は、このグアダルより、さらに西に目を付けた。パキスタンの西端に中国軍にとって海外2番目の基地を建設より、もっと西側でイラン寄りのジワニ港。アラビア海を扼する要衝がその標的である。

深刻な危機感を抱き、軍事的緊張感を強いられたインド政府は露骨な対抗措置を講じ始めた。

南アジアの盟主を自認してきたインドにとって明確な敵性国家はパキスタンである。このパキスタンを挟み込む戦略の一環として、インドはイランのチャバハール港近代化に協力し、コンテナ基地のキャパシティが拡大、輸送が開始された。

このタイミングでトランプ大統領はパキスタンへの援助を凍結した。すると中国は直後のタイミングを選んで、秘密にしてきたジワニ港開発を打ち上げた。

▼中国の性急さも賄賂付けには根負け

ところがCPEC(中国パキスタン経済回廊)プロジェクトの現場では、工事の遅れが顕著となった。

まずパキスタン国内のハイウェイの現場である。中国が巨費を投じるCPECはグアダル港から新彊ウィグル自治区まで鉄道、高速道路、光ファイバー網と原油とガスのパイプラインの五本を同時に敷設する複合プロジェクトである。途中には工業団地、プラント、火力発電所などが突貫工事で進捗している。

2016年の習近平パキスタン訪問時に、「中国シルクロード構想」(一帯一路)の傘下に入り、相乗りというかたちで高速道路建築プロセスが修正された。

その高速道路建設現場の3箇所で工事が中断した。中国の資金供与が中断されたのが原因で「汚職が凄まじく、続行が困難」との理由が説明された。

もともとパキスタンは中国同様に政治高官の汚職がはびこる社会。そのパキスタンと中国が軍事同盟なのだから、一部には『汚職同盟』という声もあった。

しかしCPECは習近平が政治生命を賭けての一大プロジェクトであり、死にものぐるいでも完成しようとするであろう。突貫工事のために中国は囚人を労働者として送り込んでいた事実も発覚した。
 
パキスタン野党PPP(パキスタン人民党)のナワブ・ムハマド・ヨーセフ・タルプル議員がパキスタン国会の委員会で質問に立った(2018年3月1日)。

「中国から夥しい囚人がCPEC<中国パキスタン経済回廊>の道路工事に投入されているのは問題ではないのか。國際間の取り決めでは囚人を工事現場に投入するケースでは、ホスト国の受諾が必要であり、ひょっとしてパキスタン政府は非公開の取り決め、もしくは密約を交わして、このような囚人を受け入れているのではないか?」とタルプル議員の舌鋒は鋭かった。

パキスタン政府が期待した現地雇用はなく、治安は悪化し、おまけに労働者ばかりか、セメントから建築材料、建機に至まで中国から持ち込まれ、これはパキスタンの貿易収支を悪化させたわけだ。

くわえてグアダル港が位置するパロチスタン洲では頻繁に中国人へのテロ、誘拐も起こり、労働者は隔離されている。工事現場の警備はパキスタン軍があたっている。バロチスタン地方は独立運動が盛んで、パキスタン中央政府の統治が及んでいない。

中国の囚人らが犯罪に加担したかどうかは不明だが、最近パキスタンではATM詐欺が横行し、カラチでも反中国感情が猛烈に吹きすさんでいるという。ネットの書き込みは凄い。なかに「パキスタンはいずれ中国の犯罪者に溢れ、マフィアの巣窟になるだろう」というのがあった。

 ▼そう簡単には「撤兵」できない米軍、トランプの困惑ぶり

「アフガニスタンの戦局において、米国の勝利はあり得ない。そこには、いかなる希望もない。タリバンと和平交渉をなす方向を探した方がよいだろう」

こう言ってのけたのはパキスタン国家安全保障会議顧問のナセル・カーン・ジャンジュア元陸軍大将である。

しかしトランプはペンタゴンの勧告にしたがってアフガニスタンへ4600名の増派を決めた。

ペンタゴンの方針は、過去17年戦ったタリバンと、どうしても勝利の決着をつけたい。トランプの目的はアフガニスタンに潜伏し、タリバンと連携するテロリストISのせん滅にある。

トランプ大統領とペンタゴンとの思惑は、一枚岩ではない。なにしろ、第1期トランプ政権を囲んだフリン、ジョン・ケリー、マティスらが辞め、エスパー国防長官とも折り合いが悪い上、旧軍人の大者たち、たとえばコーリン・パウエル元国務長官らは『次の選挙ではトランプを支持しない』と連名で発表している。

アメリカの世論といえば、アフガニスタンには関心が薄く、西側の安全を脅かすテロリスト戦争の文脈で捉えているだけである。そのために米国はアフガニスタン政権に軍事的経済的人道的支援をなし、傀儡と言われたカルザイと現ガニ政権を支えて、すくなくとも首都カブールの治安を死守してきた。

パキスタンは、そのアフガニスタン支援の兵たんであり、米軍の橋頭堡である

それゆえに支援してきた国々がアメリカを批判している構図である。米国がアフガニスタン戦争に踏み切ったのは911テロへの報復であり、当時の世論は「アルカィーダをやっつけろ」だった。

首魁だったビンラディンは、パキスタンの軍情報部がかくまっていた。このため米軍特殊部隊は、かれらの盗聴網を出し抜いて、密かにイスラマバード上空から潜入し、パラシュートで降下、奇襲攻撃をかけビンラディンを殺害した。この時点で、アメリカにとっては一応の決着を見たことになる。

パキスタンは意外にジョークの盛んなところで、たとえば次の2つ。

 「パキスタンの国鳥ってなんだろうな?」

 「米国製ドローンさ」

 もし、イムラン・カーン(首相)がカシミール問題をインドと話し合いで解決したら」
 「出来ないね。それなら彼は三回も結婚したんだ」。
       

◆【変見自在】コロナ外交 

高山 正之 


製鉄の歴史を見ると様々な国が寄り合う欧州がつくづく羨ましくなる。

鉄作りはまずスウェーデンが木炭高炉を発達させて欧州諸国に広まった。

ただ、できるのは含有炭素の多い銑鉄。鍛冶屋が叩いて脱炭するのが形だった。

炭素をいかに減らすかで、英国では木炭より高温の石炭を使った。さらに18世紀、A・ダービー卿がコークスを発明し、低炭素鉄を量産する道を開いた。

鉄の橋が盛んに架けられたが、強度はイマイチで3本の橋が落ちた。

もっと含有炭素の少ない鋼鉄を作れないか。

英国のH・コートは平炉で溶けた銑鉄を攪拌するパドル法を開発した。

独シーメンスと仏マルタンは平炉に高温ガスを送り込んで鋼鉄を作ってみた。

英のH・ベッセマーは銑鉄をコークスと熱風で燃やして鋼鉄に変えるベッセマー転炉を発明した。

各国も真似た。コークスも無煙炭から作ると炭素以外の不純物もかなり取れることが分かってきた。

無煙炭の産地、支那、ベトナム、インドが植民地にされていった大きな理由だ。

欧州の国々がそうやって製鉄技術を競い合ったのは19世紀半ば、日本の明治維新前後に当たる。

日本にも支那朝鮮という隣邦がある。そこを訪ねたイザベラ・バードは汚穢(おわい)度で競っていたと記録する。製鉄で切磋琢磨する相手ではなかった。

仕方ないから日本は独力で頑張った。

手掛かりは長崎の出島から漏れてくる西洋事情とオランダ人ヒューゲニンの『大砲鋳造法』だった。

それで島津斉彬と南部藩の大島高任が木炭高炉を試みた。

幕府と水戸、長州、鍋島各藩が反射炉を作った。

しかし明治維新を跨いだ試みは大方が失敗に終わった。幕府の韮山反射炉も青銅の大砲を作るのがせいぜいだった。

ただ地元でいい鉄鉱石が採れた大島の釜石高炉が何とか低炭素鉄を作れた。

明治政府は大島を岩倉使節団に加え、欧州製鉄事情を視察させた。

明治28年、外国製の兵器で日清戦争を戦った日本は改めて「鉄は国家なり」(ビスマルク)を実感した。

すぐに、官営八幡製鉄所が着工された。外国から石炭高炉とシーメンス平炉、ベッセマー転炉を買い込んでドイツ人技術者の指導の下に組み立て火入れした。

しかし何度やってもうまくいかなかった。

政府はドイツ人をお払い箱にし、釜石や韮山で技術を培った日本人技術者にすべてを託した。

彼らは炉を改造し、鉄鉱石を選び、良質コークス探しも並行して進めた。長崎港沖の高島や端島(はしま)に産する優良炭が見つかった。

軍艦島こと端島はすぐ電化され、電動モーターで海底炭鉱の掘削を進めた。

かくて明治36年、日露戦争の前年に日本人の手で初めて銑鉄から鋼鉄までの一貫生産に成功した。

明治41年には三池に5メートルの干満をクリアする閘門(こうもん)式の港が築かれた。設計者は三井財閥の団琢磨。米国のパナマ運河の閘門より6年早く完成し、今も現役で稼働している。

技術大国日本の礎となった明治人の気概はユネスコ世界文化遺産に登録され、その資料館も開設した。

ところが、ここにきて韓国が「朝鮮人にも言及しろ」と文句をつけてきた。

朝鮮人はそのころ汚穢の中にいた。日韓併合前の話だと言い聞かせても「端島で地獄を見た」と言い張る。

確かに昭和期、密航朝鮮人が端島で働いた記録はある。住居と恵まれた賃金が与えられ、朝鮮人専用の女郎屋「吉田屋」もあった。

真実など関係ない。「日本人を汚穢に漬け込めないなら世界遺産登録を取り消させる」と息巻く。

その登録の折に韓国は「朝鮮人苦役の一節を入れたら賛成する」と佐藤地(くに)ユネスコ大使に言った。

そうやって相手を引っかけ禍根を植え付ける。彼女も知っていたはずなのに。

付き合えば腹が立つ。日本人の精神衛生からもこの国と外交はコロナ並みに8割減にしたらいい。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)7月9日号

    【変見自在】コロナ外交

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文さん採録 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◆「切らずに治せるがん治療」

田中正博 (医師)

がん治療の3本柱といえば、手術、化学療法(抗がん剤)と放射線療法です。副作用なく完治する治療法が理想ですが、現実にはどの治療法も多かれ少なかれ副作用があります。

がんの発生した部位と広がりにより手術が得意(第一選択)であったり、化学療法がよかったりします。
 
また病気が小さければ、負担の少ない内視鏡手術で治ることもあります。 放射線療法は手術と化学療法の中間の治療法と考えられています。 手術よりも広い範囲を治療できますし、化学療法よりも強力です。

昔から放射線療法は耳鼻咽喉科のがん(手術すると声が出なくなったり、食事が飲み込みにくくなる、など後遺症が強い。)や子宮頚がん(手術と同じ程度の治療成績)は得意でした。 最近は抗がん剤と放射線療法を同時に併用することで、副作用は少し強くなりますが、治療成績が随分と向上しています。

食道がんでは手術と同程度の生存率といわれるようになってきました。手術不可能な進行したがんでも治癒する症例がでてきました。

また、手術と放射線療法を組み合わせることもしばしば行われています。 最新鋭の高精度放射線療法装置や粒子線治療装置を用いれば、副作用が少なく、T期の肺がん、肝臓がん、前立腺がんなどは本当に切らずに治るようになってきました。

また、残念ながら病気が進行していたり、手術後の再発や転移のため、今の医学では完治が難しいがんでも、放射線療法を受けることで、延命効果が期待できたり、痛みや呼吸困難などの症状が楽になることが知られています。

放射線療法以外の治療が一番いいがんも沢山ありますので、この短い文章だけで放射線療法がよいと判断することは危険ですが、がん治療=手術と決めつけずに、主治医の先生とよく相談されて、必要に応じてセカンドオピニオン(他病院での専門医の意見)を受けられて、納得できる治療を受けられることをお勧めします。(完)      
         大阪市立総合医療センター 中央放射線部

2020年07月09日

◆中国製品不買運動、インド全土に拡大

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)7月7日(火曜日)通巻第6573号  

 中国製品不買運動、インド全土に拡大
  ゲームアプリ禁止から中国人宿泊拒否のホテルまで

6月15日の軍事衝突で、インド側に20名の犠牲がでた。国境未確定のまま中国軍とインド軍のにらみ合いが続いてきた地域での衝突だが、中国側が軍事構造物を建設したため、これを解体していたインド兵が襲撃された。

直後から、インドでは中国製品の不買運動が開始され、各地では「中国出て行け」、「中国製品買うな」とプラカードを掲げて座り込み、抗議集会、デモが巻き起こった。

デリーの上野・秋葉原に相当する商店街では、「当店はスカイビジョンなど中国製品を棚から撤去しました」と張り紙、露天商でも中国製品が見つかると抗議を受ける。

ゲームアプリ59種類も接続を中断し、フェデックスなどはインド向け配送業務を中断している。

「全インド貿易商工会」(CAIT)は「およそ500品目の中国製品の販売禁止キャンペーンとなるでしょう」としているが、中国と長年、敵対関係にあったインドですらこれほどの中国製品の洪水だったとは!

実際に販売されているのは電気製品からスピーカー、扇風機、スマホから、靴、サンダル、スポーツシューズ、化粧品、ゲーム、玩具等々。

さらに全土3000のホテルは「中国人の宿泊お断り」の措置を講じた(もっとも中国人ツアーは催行中止だから、宿泊者は不在だが)。

 マスクにも「中国禁止」デザインが登場し、ファーウェイ、OPPO専門店は襲撃を恐れて店を閉めシャッターを下ろしている。スーパーの食品棚からも中国の加工食品(即席麺など)が姿を消した。
          
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
集中連載 「早朝特急」(36) 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その3) 
 
第二章 仏教国・スリランカの憂鬱

 ▲中国にNOを突きつけたが。。。。

「ポルトガルの前に、やってきたのは鄭和艦隊でした」。
 コロンボ港でガイドがいきなり説明を始めた。

歴史は1410年に鄭和がスリランカに寄港したと印している。鄭和は七回の世界航海を成し遂げ、東アフリカへの港も訪問し、その海図をジェノバで入手したコロンブスが、世界大航海時代の幕をあけたことになっている。

マレーシアの西南マラッカにはポルトガル村がいまも残るが、チャイナタウンの入口にぽつんと建つ石碑は「鄭和、ここに寄港」とあることを急に思い出した。

スリランカについて考えるとき、日本人の認識と現場のリアルとには幾分かのずれがある。

第一に、この国は民主社会主義共和国である。人口は2200万、このうちの4分の3がシンハリ人だ。タミル人とは仲が悪い。

仏教徒が主流だが、ヒンズー、イスラム、そしてキリスト教徒がいる。言語はシンハリ語とタミル語、英語の3つが、たとえば道路標識に並記されている。

いつだったか日本語の源流はタミル語だと主張する頓珍漢な国語学者がいたっけ。

首都はコロンボと思いこんでいる人が多いが、じつはコロンボの近くにあるスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテである。

宗主国はポルトガルからオランダ、英国。

独立は1948年で国の名前をセイロンからスリランカ(聖なる美しき場所)と改称するのは1972年、ときの首相は女性のバンダラナイケ。世界初の女性宰相だった。
以後、南アジアにはインド、パキスタン、バングラデシュ、ミャンマーと女性宰相が輩出。西側でも英国、NZ、ドイツ等々、東南アジアでも、フィリピン、韓国、インドネシア、現在の台湾総統は女性である。だから次は日本でも?

コロンボ港が見渡せるコロニアル・スタイルで白亜の5階建て。いかめしい建物はグランド・オリエンタルホテル。全体が英国植民地の臭いが残る偉容。

ここに宿泊した。周囲は繁華街から外れていて夜はひっそりとした地区だった。目の前のコロンボ港の近代化工事を中国が請け負っていた。建材、コンプレッサー、鉄骨などが店ざらしになっていた。工事は中断している様子なのだ。

歩いて5分ほどの鉄道駅は「フォート(砦)」駅。オランダ時代に建てられ、旧式の汽車には屋根にも鈴なりの乗客が、大きな荷物と一緒に乗っていて、貧困の度合いが知れるのだが、人々は気にしている様子がない。

そこから東西にメインストリートが延び、野菜市場やバザールの奧がバスセンター。いずれも疲れ切ったおんぼろバスで、このバスも屋上に乗客が乗る。運賃が半額以下になるらしい。

ラジャパクサ元大統領が親中路線を突っ走って決めたプロジェクトとはハンバントタ港の99年貸与と、もう一つのプロジェクトは中国に唆されて、コロンボ沖に広大な人工島を建設し、そこをシンガポールと並ぶ「国際金融都市」とすることだった。

この位置はむかし砲台が並んでいた戦略的要衝で、旧大統領官邸の目の前、ちかくに海岸沿いには米国大使館がある。

ハンバントタ港を国際流通ルートのハブとする話にうっかり乗ったら、中国の軍港が出来ていた。世界が嗤う不名誉だが、ラジャパクサ一派は、これを屈辱とは捉えなかった。<カネが入ってくればいいジャン>

おまけにハンバントタはラジャパクサの選挙地盤、ちかくに空港も造成され、つけられた名は「ラジャパクサ空港」だった。

ちょっと立ち止まって考えればわかることである。他人の領海に人工島をつくって当該国の経済発展に寄与する? エゴイズム丸出しの国家が何のためにそれほどの犠牲的精神を発揮するのか。きっと別の思惑があるに違いないと考えるのは常識だろう。

シリセナ大統領となって、すべての中国プロジェクトの見直しが発表された。

しかし契約内容から中国のクレームが続き、もしプロジェクト中断となるとスリランカに膨大な返済義務が生じることが判明した。

まさに麻生財務相が「AIIB(アジア投資開発銀行)は阿漕なサラ金」と比喩したように、高金利が追いかけてくる、身ぐるみはがれる仕組みとなっていた。

不承不承、シリセナ政権は工事の再開を認可し、スリランカ南部に位置するハンバントタ港は熾烈な「反中暴動」が燃え広がったにも関わらず、99年の租借を追認した。同港にはすでに中国海軍潜水艦が寄港しており、近未来にインド洋を扼す地政学的な要衝となる。

インドがただならぬ警戒態勢を敷くのも無理はない。

 ▼経済発展は順調だったのだが。。。

コロンボ沖合の埋め立て工事のほうは2019年1月に完成した。東京ドーム80個分、おおよそ269ヘクタールの人工島は99年間、中国が租借する。

(えっ? ハンバントラと同じ条件ではないか)。

中国はいずれ軍事利用することは明白だが、いま中国が喧伝しているのは「ポート・シティ」とか。「シンガポール、香港にならぶ国際的な金融都市にする」と嘯いている。そのために中国は60階建て高層ビルを3棟建設するとしている。

大風呂敷を拡げるのは中国の特技だが、60階建ての摩天楼を3つ並べる?

数年前に、この現場で、まだ影も形もない沖合を見た。
夕日のきれいな海岸沿いには大統領迎賓館、その裏側が近代的なビルが立ち並ぶ一角であり、海岸線沿いにはシャングリラホテルなど世界の一流ホテルが土地を確保して、建設中だった。

局所的とはいえ、スリランカの発展も迅速である。

土木工事の常識からみても、海を埋め立てる工事は地盤固めが重要であり、シートパイルを打ち込み、セメントなどの流し込みほかの難題。日本は関空、中部、羽田、北九州空港の沖埋め立て工事でおなじみだが、かなりの歳月がかかる。何回も何回も踏み固めて地盤を強固にする。でなければ30年くらいで海に沈む。中国の工期が早すぎるため将来、島の陥没が予想されないのか?

それはともかく海に浮かぶ蜃気楼、例えばドバイは次々と人工の島を作り、モノレールをつなぎ、7つ星のホテルも建てて、繁栄の幻に酔ったが、加熱した不動産バブルは一度破産した。最大の投機集団は中国のユダヤと言われる温州集団だった。

 ▼紅茶の名産地、ほかに名産はナッツ。バナナ

スリランカは昔の名前がセイロン。紅茶の代名詞、日本人には仏教国としてなじみが深く仏跡巡りツアーなども時折見かける。

筆者がスリランカへ最初に行ったのは35年前。ヨハネスブルグへ行くためにコロンボ空港にトランジットしただけで、その掘立て小屋のような粗末なバラックが空港の待合い室だった。天井の扇風機が回っていたが、蚊が入り込んできた。

2014年に、およそ30年ぶりに訪れると、空港はすっかり近代化され、ビル全体に空調が行き届いており、快適だった。

日本の旅行者を通じて予め頼んでいたガイドは土建企業の下請けで日本に3年ほど働いた経験があると言う。その現場でなじんだのだろう、伝法な日本語を駆使した。
 
このガイドに「真っ先にチャイナタウンを案内して欲しい」と言うと、「コロンボにはチャイナタウンはありません。中華料理レストランが3軒あるだけ」と答えた。多くは橋梁の建設現場にいて集団生活をしていると説明しながら、こう呟いたのだ。

「そういえば中国人の建設現場周辺で不思議なことが起きてましてね」

 「何が起きたのですか?」

 「犬と猫がいなくなったのですよ。最近はカラスも」 
 思わず絶句してしまった。

世界中で嫌われている中国人のマナー違反と文化摩擦の典型のパターンがスリランカにも押し寄せているとは!。

中国人が夥しく在住しているのだが、特定の場所に集中している。それもこれもスリランカ政府が中国から膨大な資金と経済援助をもらい、こうした北京との癒着ぶりはインドばかりか欧米ジャーナリズムから批判されていた。

その後、2018年にモルディブへ取材旅行があり、スリランカ航空を利用した。行きも帰りもスリランカで乗換だった。バンダラナイケ空港はみちがえるほど立派になっていた。

スリランカの第2の都市はキャンディ。観光名所でもあり、仏教の寺院が林立し、静かなリゾートでもある。
中世から近代にかけて、この地に首都が置かれた。

一日に2本、コロンボから鉄道も出ているが、つねに西欧人のツアーで満員、切符は取れない。ドライブで4時間ほどかかる。

道路はのびやかなカーブが多く、途中に洒落た喫茶店もあって、珈琲フレーク。キャンディに近付くと渋滞となったので、前方を見ると象が道を塞いでいた。

「のんびりしてるなぁ」と思ったのは誤りで、象をつかって車を止め、通過料を取るのである。私設の関所?

キャンディでは、世界中から押し寄せる観光客は小さなキャンディ湖を見下ろす、緑に囲まれた高台に宿泊し、朝、湖の周囲を散策する。ちょうど1時間である。

緑の高台には日本語の旅館の看板が何軒かあって、日本の仏教団体が宿泊するという。本願寺や高野山の「坊」の発想だ。

やはり白亜コロニアル風のクィーズホテルに宿ることにした。この付近にある王宮跡も、博物館も仏歯寺も歩いていける距離、湖畔には散歩にきている住民の憩いの場でもあり、寺にはいるときは靴を脱がなければならない。

仏歯寺には紀元前5、6世紀に釈迦入滅のさいに歯を譲り受け、代々の王家が守護してきたという伝説が附帯しており、いってみれば正統王権の3種の神器のひとつということになる。長い行列ができていた。

王宮跡は小高い丘の上に聳え立つが、中には入れなかった。規模からして、かなりの広さがあると推測され、当時の王権の強靱さが偲べる。

スリランカはポルトガル、オランダ、つづいて英国の植民地となった歴史的経緯は見てきたが、王朝は衰滅して、独立後の共和制へ移行した。

さて午後6時前に、鳥が一斉に帰巣するため、凄まじい音響が町中に鳴り響く。日没とほぼ同時に鳥の鳴き声、叫び声が静まり、メインストリートの2階のテラスでビールを飲んでいると、鳥たちの鳴声と同様に五月蝿い西洋人の酔客ががやがやと入店してきた。この町はすっかり国際化され、同時に仏教の聖地というより俗化された町になったようだ。

 ▼暴動が頻発する

この静かな町が突然の騒擾に巻き込まれた。
 
2018年3月7日、シンハリ派の仏教徒過激派がムスリム居住区を襲撃し、モスクや商店に火をつけ、みるみるうちに暴動となった。警官隊が導入され、キャンディに非常事態宣言が出された。放火されたとみられる焼け跡から一人の焼死体が見つかった。

原因はムスリムの運転手が事故の処理を巡って仏教徒と対立したことだった。仏教徒過激派は武装し、ミャンマーの過激派とも連携があるとされるが、この背後にいるのが親中派のラジャパカス前大統領である。

セリスナ政権が暴動を制御できなくなって社会が混乱に陥れば、次の選挙での復活がある。ラジャパカスは金権政治の象徴、その背後には中国があるというのがもっぱらの噂だった。その悪い予感が当たって、2018年、シリスナは政権を投げ出し、ラジャパクサの実弟が大統領に当選した。

スリランカは30年にわたってタミル独立運動過激派との内戦が戦われた。それを終結させ、国内に治安が回復させた功績はラジャパカス元大統領派である。

シリセナ前大統領は2018年3月13日に来日し安倍首相主催の晩餐会に出席した。日本は追加援助を約束した。彼はベテランの政治家だった。青年時代から農業改革に挑んで、89年にはやくも国会議員。農業水利相もつとめて、タミル族過激派の暗殺部隊に2回襲撃され、窮地に立った経験もある。

シリセナが、5年前の選挙で勝った原因はラジャパクサ大統領とその一族の利権掌握、とりわけ外国支援をうけたインフラ整備事業、港湾整備などで利権が一族の懐を肥やし、スリランカは孫の代になっても借金を払えない状態に陥没したことへの不満の爆発だった。

 ▼日本人女性観光客の人気はシーギリア・レディズ

中国がインド洋から南シナ海にかけて展開している「真珠の首飾り」戦略の一環としてスリランカの港がいずれ中国軍の基地化しかねない不安があった。

インドは外交戦略上、シリセナ候補を間接的に支持するのは当然としても、旧宗主国の英国がメディアを動員してラジャパクサ一族の腐敗を暴き、シリセナ候補を間接的に支援した。選挙中もシリセナは「浅はかな外交でスリランカのイメージを破損した結果、スリランカは国際社会で孤立した」などと訴え、大統領宣誓でも「今後はインド、日本、パキスタン、中国との友好関係を強化し、新興国との関係も区別しないで促進する」と述べた。

こうした政治状況は2019年の大統領選挙でまたひっくり返り、ラジャパクサの実弟が辛勝した。すぐさま、弟は兄を首相に任命した。

つまり元大統領の傀儡政権が、スリランカのまつりごとを担うこととなり、腐敗が繰り返されそうだ。

スリランカ人は性根がやさしいので、コロナ禍前までは日本女性の一人旅も多かった。彼女たちのお目当てはギャンディからさらに3時間ほどバスで北上したシーギリアの岩山だ。

頂上に宮殿跡があり、岩盤にはフレスコ画の18人の美女が描かれている。英国人探検家が発見し、これを「シーギリア・レディズ」と名づけた。麓の博物館は日本が寄贈しJICAが建てたのである。
              
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
読者の声 どくしゃのこえ REASERS‘ OPINIONS 読者之声
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
   ♪
(読者の声1)「お笑い一帯一路」

(あ)問題発生:一帯一路は、中共が途上国に高額の貸し付けをして、払えない国から、布団はがし的に担保の海外施設を手に入れる仕組みだ。しかし最近その奸計に気がついた途上国側が、ケツをまくり、払えないと言いだし、担保も差し出さないと言い出した。信用制度の否定だ。
(い)コロナと借金棒引き:新型コロナ被害を利用して、コロナの病疫被害で借金をチャラにしたいと言い出したという。頭が良い。

(う)踏み倒しは現地の智恵:もともと途上国には、「金の貸主が最後のたより」という諺がある。ようするに借主が借金を踏み倒すといって逆に脅すのだ。シナでは借金の踏み倒しは常套であるが、中共は自分が踏み倒されるとは思っていなかったようだ。

(え)一帯一路は美味いアイデアだ、と中共幹部は皆で手を打って喜んでいたのだろうが、「天網恢々、疎にして洩らさず」だ。中共は五兆ドルもの外貨をコロナ原発国の汚名と共に、外国に献上することになりそうだ。決めるのは借りた国だ。(落合道夫)

   ♪
(読者の声2)河添恵子先生出版記念講演『習近平が隠蔽したコロナの正体
それは生物兵器だった!?』。
https://www.kokuchpro.com/event/6a1b742bb4a202ea6a90cd4d2eec0f25
【講師】河添恵子(かわそえけいこ) 先生 ノンフィクション作家
【日時】令和2年7月23日(木・祝)14時半〜16時半(開場:14時)
【会場】文京区民センター2F 2-A会議室(文京シビックセンター向かい側)
【参加費】事前申込:1500円、当日申込:2000円
事前申込の大学生:1000円、高校生以下無料
【懇親会】17時〜19時頃 参加費:事前申込3500円、当日申込4000円(先着25名迄)
【申込先】7月22日21時迄にメール又はFAXにて下記で受付(当日受付も可・懇親会は7月21日21時迄受付)
★当日は混雑が予想される為
事前申込の無い方の入場は講演10分前とさせて頂きます★
【主催】 千田会 https://www.facebook.com/masahiro.senda.50
https://twitter.com/Masahiro_Senda
 FAX 0866-92-3551
 E-mail:morale_meeting@yahoo.co.jp


◆「尖閣」から身を隠す米国

渡部亮次郎


アメリカは如何なる態度をとってきたか。調べる為に「ウィキペディア」にあたってみた。

その結果言える事は安保条約も有り、何よりも中国への刺激を避けることを最優先に考えており、私から言えば「アメリカは先覚問題から常に身をかくそうとしている」との印象である。

1972年5月に、アメリカニクソン政権でキッシンジャー大統領補佐官の指導の下、ホワイトハウス国家安全保障会議において「尖閣諸島に関しては(日中などの)大衆の注目が集まらないようにすることが最も賢明」とする機密文書をまとめた。

同年2月に訪中に踏み切ったニクソン政権にとって歴史的和解を進める中国と、同盟国日本のどちらにつくのかと踏み絵を迫られないようにするための知恵だった。

この機密文書には、日本政府から尖閣諸島が日米安保条約が適用されるかどうか問われた際の返答として「安保条約の適用対象」と断定的に答えるのではなく「適用対象と解釈され得る」と第三者的に説明するように政府高官に指示している。

2009年3月、アメリカのオバマ政権は、「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本政府の施政下にある。日米安保条約は日本の施政下にある領域に適用される」とする見解を日本政府に伝えた。

同時に、アメリカ政府は尖閣諸島の領有権(主権)については当事者間の平和的な解決を期待するとして、領土権の主張の争いには関与しないという立場を強調している。すなわち、アメリカ政府は、尖閣諸島に対する日本の「施政権」を認めているが「主権」については不明にしている。

1996年9月15日、ニューヨーク・タイムズ紙はモンデール駐日大使の「米国は諸島の領有問題のいずれの側にもつかない。米軍は条約によって介入を強制されるものではない」という発言を伝え、10月20日には大使発言について「尖閣諸島の中国による奪取が、安保条約を発動させ米軍の介入を強制するものではないこと」を明らかにした、と報じた。

この発言は日本で動揺を起こし、米国はそれに対して、尖閣は日米安保5条の適用範囲内であると表明した。米国政府は1996年以降、尖閣諸島は「領土権係争地」と認定(「領土権の主張において争いがある」という日中間の関係での事実認定であって、米国としての主権に関する認定ではない)した。

その一方では、日本の施政下にある尖閣諸島が武力攻撃を受けた場合は、日米安保条約5条の適用の対象にはなる、と言明している。この見解は、クリントン政権時の1996年米政府高官が示した見解と変わらないとされる。

ブッシュ政権時の2004年3月には、エアリー国務省副報道官がこれに加え「従って安保条約は尖閣諸島に適用される」と発言し、それが今でも米政府関係者から繰り返されている。

ただし「安保条約5条の適用」は米国政府においても「憲法に従って」の条件付であって米軍出動は無制限ではない(条約により米国に共同対処をする義務が発生するが「戦争」の認定をした場合の米軍出動は議会の承認が必要である)ことから、「尖閣諸島でもし武力衝突が起きたなら初動対応として米軍が戦線に必ず共同対処する」とは記述されていない(これは尖閣諸島のみならず日本の領土全般に対する可能性が含まれる)。

むろん「出動しない」とも記述されていない。第5条については条約締改時の情勢に鑑み本質的に「軍事大国日本」を再現することで地域の安定をそこなわないための米国のプレゼンスに重点がおかれているものと一般には解釈されている。

なお、米国の対日防衛義務を果たす約束が揺るぎないものであることは、累次の機会に確認されていると日本の外務省は主張している。

2011年11月14日、フィールド在日米軍司令官は日本記者クラブで会見し、尖閣諸島について日米安全保障条約の適用対象とする従来の立場を確認しつつも、「最善の方法は平和解決であり、必ず収束の道を見つけられる。軍事力行使よりもよほど良い解決策だ」と述べ、日中関係改善に期待を示した。

尖閣諸島の主権に限らず、領土主権の認定は、主権認定に関する条約が締結されていた場合には、国際法上、行政権限ではなく国会の権限が優先するというのが通説である。

つまり、サンフランシスコ平和条約に米国政府が調印して米国議会が批准(国会で承認)している以上、オバマ政権の行政府としての政治的判断や政治的発言がどのようなものであっても、それは条約の更改や廃止や破棄として国会の承認(批准)を経たものでないから、条約更改や廃止、破棄としての法的効果は生じていない。

国際法上、米国の国家責任としての尖閣諸島の主権に関する認定は、議会によって条約の更改や廃止、破棄などの決議がされない限り、あくまでもサンフランシスコ平和条約2条に帰結する。

なお、米国政府(行政府)が尖閣諸島の主権が日本にあることを明言しないことは、尖閣諸島の主権が日本にないことを主張したものとはいえない。

つまりブッシュ政権もオバマ政権も、米国政府として「領土権の主張の争いには関与しない。」と言っているのであって「尖閣諸島の主権は日本にはない」と主張したことはない。

もっとも、もしそのような明言を米国議会の承認なしにすれば、米国議会が批准した条約、条文を行政府が国会承認の手続を経ず恣意的に変更するわけで、それは明白な越権行為であり米国憲法違反になる。

2010年9月に起こった尖閣諸島中国漁船衝突事件の際は、ヒラリー・クリントン国務長官は、日本の前原誠司外務大臣との日米外相会談で、「尖閣諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象範囲内である」との認識を示し、同日行われた会見でロバート・ゲーツ国防長官は「日米同盟における責任を果たす」「同盟国としての責任を十分果たすとし、マイケル・マレン統合参謀本部議長は「同盟国である日本を強力に支援する」と表明している。2013・12・27


◆神を畏れぬ新聞

【変見自在】  高山 正之
 


ロサンゼルス特派員時代はサンタモニカのリンカーン通りに住んでいた。

目の前にルーズベルト小学校があって、右手、ウイルシャー通りに向かうと右側に聖モニカカソリック高校の教会が建つ。

黒人生徒が多い問題校で、プロムの夜、生徒同士の銃撃戦もあった。

ただ教会は珍しいカソリック系ということで日曜には驚くほど多くの市民がミサにやってくる。米国人の信仰の深さを見る思いだ。

ただ彼らの紡いできた歴史はそんな風には見えてこない。

「右の頬を打たれたら左の頬を出す」(マタイ伝5章)ような米国人にはお目に掛かったことがない。

因みに「右の頬を打つ」とは右手の拳骨で相手を殴ることではない。そうしたら左頬を殴ることになるからで、右手の甲で相手の右頬を叩く、つまり平手で相手を張り倒すことを言う。殴るより遥かに辱めの度合いが高いらしい。

米国の歴史ではそうやって黒人やインディアンの右頬を叩き続け、その上で彼らに「右頬を叩かれたら左の頬を出す」ように基督教化していった。

教化された米国人の下で働いた2万人のチェロキーは最後は追い払われ、オクラホマまで2000キロを歩かされた。厳寒の山道で彼らは讃美歌「アメージンググレース」を歌いながら、ほとんどが凍え死んだ。

米国人は「ローマ人への手紙」第12章も繰り返し教えた。「復讐はならない。復讐するは我(神)にあり。

神様が天罰を下すから復讐など考えるなと教える。黒人もインディアンもひたすらアメージンググレースを歌っていればいいのだ。

ただ虐めてきた黒人奴隷は400万を超える。殺戮しまくったインディアンも30万は生き残っている。

中には俺たちも白人の右の頬を打ちたいと思っている者もいるはずだ。

だから米連邦議会憲法修正2条「人民の武器所有」をすぐに成立させた。

右の頬を打ちにきた者には左の頬を出す代わりに鉄砲で返り討ちにしてもいい権利を保障した。

ジョージ・フロイドの殺害など最近の警官による黒人殺害は憲法修正2条の拡大解釈とも思える。

米国はよその国ともよく戦争をした。日本とも戦って原爆2発を落とした。

占領統治では日本人にキリスト教への改宗を迫った。

1500人の宣教師が呼ばれ、人々に「ローマ人への手紙」を読んで「原爆の復讐などはしてはならない」と説教させた。

核の平和利用が始まっても米国は日本人が核に触ることを警戒し、禁じた。

しかしエネルギー資源に不足する日本には原子力発電は絶対必要だった。

米国が拒絶するならと日本政府は英国と交渉して黒鉛減速型のコールダーホール原子炉を入れた。

燃料は安価な天然ウラン。黒鉛炉は東海村で発電を始めたが、実を言うと黒鉛炉はもともと核爆弾用プルトニウム(Pu239)の生産炉だった。

日本がその気なら報復用の核爆弾は即座に作れた。

吃驚(びっくり)した米国は、「軽水炉を提供します。だから黒鉛炉はやめてください」と懇願してきた。

軽水炉からもプルトニウムができるが、燃えないPu239が多くを占める。どんなに工夫をしても核爆弾は作れない。

日本はキリスト教など信じていないが、米国にはそのうちきっと天罰が下されると信じている。

青森六カ所村の再処理工場が完成した。日本のエネルギ資源はこれでかなり安定するが、馬鹿な朝日新聞がすぐ因縁をつけてきた。

社説で根本清樹が「核保有の意図か」と騒ぎ、科学班の川田某もコラムで「海外から批判が」と貶(けな)す。

二人が偉そうに指摘するのがまた「核爆弾6千発分のプルトニウム保有」だ。

軽水炉から核爆弾用のプルトニウムは作れないというのに。なぜ同じ嘘を繰り返すのか。

神は人を傷つける嘘を地獄へ落とす大罪としている。すでに若宮啓文が行き、本多勝一、植村隆らで予約もいっぱいなのに。



出典:『週刊新潮』 令和2年(2020)7月2日号

    【変見自在】神を畏れぬ新聞

著者:高山 正之

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
松本市 久保田 康文 
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

◆「痴呆」から「認知症」へ

向市 眞知



有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」でボケ老人が話題になって、何年が経つでしょうか。「ボケ」も「痴呆」もやはり不適切な呼び方だと思います。やはり「認知症」「認知障害」が、用語としては適切と思います。
 
<脳生理学によれば、脳の神経細胞は140億個というとんでもないたくさんの数だそうです。しかし、実際に働いているのは40億個だけ。脳は20歳頃に発達を終え、脳のピーク時の重量は1400gだそうです。20歳のピークを過ぎると、1日に10万個ずつ脳の神経細胞がダメになっていき、脳細胞の数は日に日に減少。
 
1日に10万個、1年365日で3650万個が失われていき、10年で3億6500万個が失われ、30年で約10億個が失われる計算になります。すなわち20歳で40億個働いていた脳の神経細胞が50歳で30億個になり、80歳で20億個になる。つまりピーク時の重量より100gも重量が減るのです。>

この話を知った時、物忘れがひどくなって当たり前と納得してしまいました。一生懸命考えても考える脳の量が減っているのだから、思い出せないし覚えられなくて当然と思ってしまいました。人の名前が出てこない、ふと用事を思いついて立ってみたものの「さて何をするつもりだったのか?」わからなくなってしまう。まさしく老化の入口なのでしょう。

しかし、「認知症」となるともっともっと記憶の障害が強くなるわけです。よく言われるように自分が朝ごはんを食べたことさえも忘れてしまう。とすれば、一瞬のうちに自分のしたことを忘れてしまうという、とてもつらい体験のなかで暮していることになります。
 
1週間前の記憶、昨日の記憶、今朝の記憶も忘れてしまう。自分のしたことを忘れて記憶していないということは、記憶喪失に近い感覚で、体験の積み重ねができないことになります。

すなわち毎日毎日新しい体験ばかりが自分に降りかかってくるという、緊張とストレスの連続の中で生きてゆかねばならないことになります。そんな認識の中で生きている高齢者の辛さをまずわかってあげてほしいと思います。

「認知症」の人が、それぞれの脳に残された能力の範囲で一生懸命に世界を認識しようとしている。私達からみればその世界が非現実的でまちがっている世界であっても、高齢者からすれば他に考えようのない現実なのです。それを頭から否定されたらどうしてよいかわからなくなって、混乱におちいってしまうことになります。
 
「認知症」の人への対応の奥義は「(相手を)説得するより(自分が)納得する」ことです。しかし、だんだんと世の中の決まりごとを超えた行動をとりはじめるのが、「認知症」や「精神科疾患」の特長です。客観的に見ればありえない話が患者さんを支配します。

もの取られ妄想とか、しっと妄想といわれる行動です。たとえば妻が「ここに置いてあった財布を知らないか?」と夫にたずねたとします。夫が「知らないよ。見なかったよ。」と答えます。

夫の答えに対して通常妻は「おかしいなあ、どこへ置いたのかなあ。」と自分の態度を修正するのです。しかし、「認知症」となると自分の態度が修正できません。夫の「知らない。見なかった」という答えに対して「おかしい?!私の財布をとったな?!かくしたな?!」と思い始めるのです。
 
今のところ「認知症」に対する効果的な治療は見つかっていません。まず周りの者が「認知症」を理解し、対処のしかたを身につけることが現実的な道です。そして、その対処の仕方を授けてくれるのが、医療や介護の専門家です。

「老人性認知症疾患センター」という相談機関があります。精神科のある総合病院などに設置されており、大阪全域の場合、9ヶ所の病院にあります。ここでは、「認知症」についての診断と、医療・福祉サービスの情報提供を行っています。まずしっかりと診断を受けないことには対処方法も立てられません。

介護保険をはじめ福祉サービスをうける場合も、入院や施設入所をする場合も、すべて医師の診断書がなければ利用できないことをご存知でしょうか。診療をうける必要を感じない「認知症」の本人を診察につれて行くことが最大の難関となります。もし高齢者に認知症状を疑われたら、本人の身体に関する訴えに注意しておきましょう。

「もの忘れがひどくなった」とか「夜ぐっすり眠れない」という症状は、案外本人も自覚しているものです。それを理由に「受診」をすすめてみましょう。最近は「精神科」という看板ではなく、「もの忘れ外来」という看板をあげている病院もふえてきています。

「おしっこの出が悪い」でも何でも構いません。ご本人の訴えをもとに医師に診てもらうチャンスを作り出してください。精神科でなくても内科系の開業医でも「認知症」の理解はあります。受診にこぎつければ、医師は検査や服薬をすすめてくれます。

「おかしい」と気付いた家族が、本人の診察の前か後かに医師へ本人の在宅の様子を伝えておけば医師は上手に診察をしてくれます。家族の方々も皆それぞれに生活があるのですから、その生活までもが脅かされる問題行動が続く場合には、施設の利用も考えていかざるを得な
いと思います。         (了)
             大阪厚生年金病院 

2020年07月08日

◆雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(27」

“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red
Gables/138(2020/7/6/月】(承前)産経7/3桑原聡氏論稿「ポリコレという妖怪」は、ジャズシンガーのビリー・ホリデイ、黒人差別、公民権運動、デモ、ポリティカル・コレクトネス(これが絶対正義だ!というアカ的基準)について触れ、こう結んでいる。



<私自身、今回のデモを断固支持する。ただ、デモの先鋭化に大義名分を与えてしまう「ポリコレ」という妖怪が気になってしようがない。こいつがKKK(*)の亡霊を呼び起こしてしまったように感じるのだ>*白人のルールに従わない黒人を処刑する集団



警官が怪しい黒人を捕縛する際に制圧しすぎて黒人が死んだ・・・これを非難するデモはいいが、先鋭化/暴力化して「店舗襲撃、強奪、放火」になったのは遺憾だ、ということだろう。



先鋭化を煽り喜んでいるのは中共、リベラル≒アカモドキ≒アカである。特にANTIFA(極左残党)は暴力革命の最後のチャンスと意気込んでいるはずだ。戦意高揚、「立て!飢えたる者よ、今ぞ日は近し」こういう気分は元アカだからよく分かる。



革命、一揆は理性ではなく猛烈な憎悪、敵意、勢いが不可欠で、チャンスはめったにない。今のチャンスを逃したら次は永久にないかもしれない、だから勝利のためなら何でも許される、何でも政治利用する。60年安保の樺美智子(両親も日共党員、美智子は過激なブント=共産主義者同盟幹部)の事故死も・・・



(良家の美しいお嬢様である樺美智子は偶像として最適だったが、賞味期限は70年安保までだった。それまでは上品な母上を集会でよく見かけた)



キング牧師は長年にわたる「静かな地道な理性的な抗議」で米国を変えた。だからこそ幅広い共感を得たのだ。



<キング牧師を先頭に行われた地道かつ積極的な運動の結果、米国内の世論も盛り上がりを見せ、ついにジョンソン政権下の1964年7月2日に公民権法(Civil
Rights
Act)が制定された。これにより、建国以来200年近く施行されてきた法の上における人種差別が終わりを告げることになった>(WIKI)



黒人問題がデモの先鋭化では解決しないことをインテリのANTIFAが知らないわけはない。つまりこれまで自業自得(前科者)で不遇だったろうANTIFAは、黒人問題を利用して共産主義独裁国家を創りたい、自分たちだけがオイシイ国にしたいのだ。本質的に中共、北、文正寅、日共、立民、社民と同じである。



公民権法制定から50年以上たったが、10年ほど前あたりから「黒人=貧困とは言えない」「低賃金単純労働は黒人からヒスパニック、プアホワイトに代わった」という声が聞かれるようになってきた。



米国の空港の荷物係はほとんどが黒人だったが、あるとき(1995年あたりのロスだと思う)黒人を見かけないので「なるほど、黒人は地位向上したのか」と思ったものである。



<奴隷解放宣言や公民権法、そしてオバマ氏の大統領就任というようにアメリカの黒人住民は少しずつですが着実に政治的・社会的に受け入れられるようになってきてはいます。たしかに法的には彼らへの差別はなくなりましたが、現実社会の中では今でも根強く残っています。そして、それを克服していくことは今もなおアメリカ社会にとっての重要な課題であり続けています>(みんなのお金ドットコム)



直近の状況はどうなのか。



<【ワシントン時事2020/6/7】米失業、黒人高止まり 経済格差が抗議デモ助長 



米景気は2008年のリーマン・ショック後に回復をたどり、少数派の黒人、ヒスパニック、アジア系の雇用が改善し、所得も増えた。



米国労働省が5日発表した5月の失業率を人種別に見ると、白人は全国平均の13.3%を下回る12.4%に下がった。逆に黒人は16.8%に悪化。新型コロナ流行前には「景気拡大で黒人失業率は過去最低」(トランプ大統領)になっていたのは事実だが、ほぼ一貫して黒人が白人より2倍(2割の間違い?)程度高い傾向が続いてきた。



連邦準備制度理事会(FRB)の調査では、16年の平均的な白人世帯の財産は17万1000ドル(約1900万円)だったのに対し、黒人世帯は1万7600ドルと、わずか10分の1だ。FRB高官は「過去の景気拡大は格差縮小につながらなかった」と格差の固定化に警鐘を鳴らしている>



失業率が白人12.4%、黒人16.8%・・・コロナ禍で小売や飲食店が営業中止になったためもあるだろうが、暴動を起こすほどの極端な差ではないだろう。



<(コロナ禍により)失業給付を加算する特例措置の発動により、失業者が労働市場に早期に復帰する動機を持ちにくい面がある>(米国マンスリー2020年7月号)



「貰うものは貰ってから仕事を探そう・・・」小生もそう考えるわなあ。



日本のマスコミのほとんどはリベラル≒アカモドキ≒アカで、中共ヨイショ、北マンセー、韓流ズブズブの“マスコキ”、ナマと遊離した妄想プロパガンダである。特にTVの熱心な視聴者のほとんどは娯楽目的で、面白さを求めており、TV局は視聴率が上がりCF収入が増えれば「優れた番組」と評価され、給料も増える。



優秀なTVマンは真面目で難しい番組なんてまず創らない。創ったところで深夜帯、誰も見ない、せいぜい酔っぱらったオヤジか猫くらい。



「白人警官の手で多数の黒人が犠牲になっていることが糾弾されている一方で、その倍以上の白人が黒人の犯罪者に殺されていることはまったく話題にもならない。全米の暴力犯罪に占める黒人の割合は85%に上り、事件に巻き込まれて殺害される黒人の90%以上は黒人によって殺害されているにもかかわらずに、である」(藤和彦・元官僚、内閣情報調査室内閣参事官など、現・経済産業研究所上席研究員)



小生はジャズボーカルではビリー・ホリデイ(1915年生)とヘレン・メリル(1929年生)が好きだ。黒人のビリーは1930年あたりから、白人(クロアチア人移民の子)のヘレンは1943年から歌い始めたので、活躍時期が重なっており、交流があったという。



冒頭の桑原聡氏は、ビリー・ホリデイの持ち歌「奇妙な果実」(Strange
Fruit、リンチで絞首刑にされた黒人の意、1939年初演)に触れ、白人による黒人虐待を難じ、これが1950〜60年代にかけての公民権運動に繋がったと書いている。



改めてその曲を目的意識的に聞いてみたが、音源が悪いこともあったとは言え、「これってずいぶん奇妙なジャズ!? 全然スウィングしない、まるで四国八十八ヶ所霊場第一番霊山寺の御詠歌、ショスタコーヴィチの交響曲第5番みたい」だった。



ジャズ愛好歴50年だけれど、感動しない小生が異端なのかなあ。余計なことだが、この曲、作詞作曲は米国共産党員である。



白人による黒人へのリンチは今なお是非論が交わされるものの、入植時から特に辺境の治安は自警団が担っていたという歴史があり、1930年代までリンチはそれほど珍しくはなかった。



それをテーマにした小説としてスタインベックの「自警団員」(The Vigilante)とフォークナーの「乾燥の九月」(Dry
September)を読んだが、ともにリンチの殺す側と殺される側のリアルを描くものの、ともに是々非々は保留している。



「誤爆もあったろうし、黒人にとっては法の裁きもなく、確かにむごいけれども、抑止効果もある、地域の安全を守るための必要悪とも言える、作者も判断がつきかねる、読者諸兄はどう思う?」



そんな感じ。政治的マターでもあるから「売れてナンボ」の作家としては寸止めするしかないという事情もあるだろう。私の最大の読者は神様です、神様のご判断に任せます。三波春夫も偉かった!



米国の刑務所はただの隔離施設で、矯正施設ではないようだ。筋トレのスポーツジムみたい。多くの黒人同様に、ビリー・ホリデイもクスリ中毒でほぼ「万年緩やかな自殺」状態、刑務所に何度も世話になっている。



彼女のちょっと舌足らずみたいな可愛い声で歌う My man とか Lover man
は今はただの泌尿器と化したナニも何となく反応するほど「いいなあ、とろけそうだ」と感動する。



モダンジャズの帝王と言われるマイルス・デイヴィス(理性+感性の見事なコラボ))はコルトレーンなど子分(感性>理性)のクスリ依存に手を焼いたが、米国黒人は相変わらずのようで、道遥かなりのままか。



夕方、自転車でシマを巡邏し、スーパーで買い物をし、交番を見ながら「コンクリート打ち放しもいいけど、ちょっと汚れが目立つなあ」と思いつつ左折したら、お巡りさん2人が追いかけてきて誰何された。若いのは新人だろう、まだ顔がピカピカ、ピチピチして、配属されたばかりのようだ。ずいぶん緊張している。



「初めてのお留守番」のような「初めての誰何」、初々しいが・・・ハードな仕事だから・・・現実は「こち亀」とは真逆だ。米国では今「やってられねーよ」とお巡りさんが続々退職しているとか。同情するね。



小生は荷風の「墨東奇譚」を真似て半分とぼけてみたが、次回はしっかり準備して、攪乱したり、笑わせてみよう。それにしてもチョンマゲ、ヒゲ面、日焼けで真っ黒、変な服、古い自転車、裸足でスニーカー・・・ホームレスのような・・・やはり怪しいようだ。



昨日は上から下まで黒ずくめ、大きな帽子で目の玉も見えないというブラックコロナファッションでビシッと決めたお姉さんを発見して「エキセントリック、俺より凄い!、まるでイスラム」と呆れたが、目的意識的に度肝を抜くような怪人ファッション、新地平を拓く革命的コンセプトデザイン、「HARAQLO」ブランドで怪老シニアのハートに火をつけるべく研究しよう。「柳井クン、カネで心は買えないぜ、たまには後ろを見た方がいい」



ファッションは爆発だあ! レッドファッショはコロナ暴走だあ! 俺の脳みそは暴風だあ! 台風一過、青天を目指そう。(2020/7/6

◆「腺ペスト」が中国内蒙古自治区で

宮崎 正弘

 
令和2年(2020)7月6日(月曜日)弐 通巻第6572号  

 こんどは「腺ペスト」が中国内蒙古自治区で発生
  患者ふたりと接触した150名を隔離中

 武漢コロナ、その二次感染に次いで、H1N1新型インフルエンザが中国で発生した。そして7月5日、内蒙古自治区の西部で、腺ペストが発生したと報道された。
ふたりの兄弟がマーモットの肉を食べて症状がでたため隔離され、この二人が接触した人々およそ150名も隔離中という(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、7月6日電子版)。

 一方、米国では、今頃になって、何故、マスクや医療用の器具、手術用器財、検査キッドなどが中国製ばかりで、米国製が皆無という状況に愕然となっている。

 マスクの生産を米国内でできないのかと調査すれば、製造機械が中国にしかなく、緊急に輸入したロスアンジェルズの企業も、材料がどこにあるのか、手配に手間取り、結局すべては中国で作った方が安上がりという事態を改めて確認することになった。
 医者用のゴーグル、手袋なども中国製が多い。

 中国は二月だけでも通常の12倍のマスクを生産したが足りず、3月から5月の三ヶ月だけでも706億枚のマスクを生産した(通常は2019年全体で200億枚だった)。
 とくに西側はN95医療用マスクが払底し、食糧同様に、これも安全保障に直結する物資であり、国産の必要性を認識するにいたる。オランダや伊太利亜では、中国から緊急輸入のマスクが不良品だったとして突き返す一幕もあった。

 医薬品、ジェネリック、とくに抗生物質は90%を中国に依存している。これは危機水域を越えて、製薬業界、医療品の業界の安易な中国依存体質に改めて気がついたことになる。
     ☆○▽◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆ 書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜    

「チベットの明るい未来のために助力することは日本国と日本人の責任」(桜井よしこ)
  「チベットが中国の一部」という歴史的根拠はない」と亡命政権

  ♪
チベット亡命政権・篇、亀田浩史・訳『チベットの主張』(集広舎)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 同胞120万人が虐殺された上、伝統的な土地をすべて中国が盗んだ。
 そのうえ北東部を青海省に、東部の一部を四川省に、東南部の一部を雲南省にかってに省際線を引いて地図上の分割までした。
 嘗ての吐蕃(チベット)をずたずたに引き裂いたのだ。
 どれほどの地獄であったか、当時は正確な情報が伝わらなかった。人間とは思えない虐殺行為をなして、中国軍はチベット人を虐殺し、「あれは農奴解放の戦いだった」と平然と嘯いた。チベットに農奴はいなかった。
 同胞120万がどこで、時系列に、いかように虐殺されたかもグラフを掲げているだけで、この本には激越な文章が見あたらない。
 亡命政権は「中道」を標榜している。
いまも厳重な監視態勢で、チベット人を弾圧している中国共産党に対して、インドへのがれた亡命政権とダライラマ法王は、激しい怨念を抱いているはずなのに、この本はじつに静謐に淡々と、チベットの置かれた状況を客観的に述べ、激しい言葉の非難はみごとに回避されている。
そして「独立」を口にせず、ひたすら「高度の自治」を探り、北京政府に話し合いを求めている。中国共産党は会談に応ずる気配はなく、あまつさえ次期ダライラマは、共産党が選ぶと傲岸にも放言している。世界の自由陣営はあまりのことに、反論の言葉さえ失った。
 だからこそ本書は重要なのである。
 無言、無抵抗で非暴力のダライラマ法王は、世界に静かに訴える。その言葉は飾りも過剰もなく、静謐で、激するところがない。
 だからこそ人々のスピリットを震撼させるのだ。
 本書には1900年以後のチベットの歴史を簡潔に述べながらも英国、印度との関係も比較重視して、国際関係に軸足をおくことを忘れない。
そして数回の民衆蜂起、焼身自殺が連続した背景。辺疆や山奥にいるチベット同胞の近況と運命を語る。
 亡命政権は「チベットが中国の一部という歴史的根拠はない」と一言だけ、その立場を述べているが、それで十分である。中国が「侵略」し、チベットの領土を盗み、住民の多くが殺された事実は全世界が知っているのだから。 
 ダライラマ法王は次期十五世の後継問題について、「それは女性であるかも知れないし、外国人でかも知れないし、また自分が活きている内に選定し、育てることになるかも知れない」と選定基準を曖昧にしつつも、ひとつだけはっきりと言っている。
 「いずれにしても現在の中国(が占領しているチベット地区)から選ばれることはないでしょう」。
桜井よしこ女史が寄稿している。
「チベットの明るい未来のために助力することは日本国と日本人の責任である」と。
            △◎□△◎□△◎□◎△ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
集中連載 「早朝特急」(35) 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

第二部 「暴走老人 アジアへ」 第二節 南アジア七カ国(その2)

 第二章 ネパールにマオイストが猖獗

 ▼ネパールは誇り高い国である

 「国際平和の最前線に貢献するのはネパール」とカトマンズ国際空港の看板が誇らしげに宣している。ご自慢はネパールが誇るグルカ兵のことである。
国連軍に1000名が常時派遣されている(最盛時には五千人)ほか、英国軍には「グルカ旅団」があり、フォークランド戦争にも参加した。米軍ほかにも傭兵として活躍し、ブルネイ王宮を守っているのもグルカ兵だ。さらに香港、シンガポールの警察、警備会社もあってアジア各国の銀行ガードマン(軽機関銃で武装している)を担っている。
エベレスト登山に際して、多くの外国の探検隊は重い荷物をかつぐシェルバという山岳民族の集団を雇用する。あの体力、脚力、精神力をみれば、グルカ兵がなぜ耐久力にすぐれて戦闘に強いかを理解できるだろう。
しかも高山病もへっちゃらである。
50年ほど前に三浦雄一郎がエベレストをスキーで滑降しようという大冒険プロジェクトがあった。名誉隊長が石原慎太郎、総隊長が藤島泰輔だった。そのときの話を藤島さんから何回か聞かされていたので、ネパールには行く前に親しみを持っていた。
 ネパールはヒマラヤ山脈の南側、6000メートルから8000メートルの山々は世界の登山家を魅了した。
 コロナ禍で、現在(2020年6月)、登山は禁止されている。

 ▼政治は複雑怪奇、なぜこの国に毛沢東礼賛派がいるのか?

同時にチベットからの難民ルートであり貴重な水源地でもある。カトマンズにはチベット難民センターがあって、訪問すると刺繍の製作に余念がなかった。しかし、政治情勢もかわり、残るのは少数で、多くはインドへ出る。
 ネパールはお釈迦様が生まれた国でもあり、独自の文化の矜持を誇り、道徳を尊ぶ反面、山岳地域だから空気が薄い。山岳地区にすむ民族の特徴は、山ひとつ超えると方言がことなり、文化にも微妙なずれがでる。
これが部族対立の根源に横たわっている。

 ネパールの東西南北、それぞれが個性的な文化と伝統があり、南はインドに近い所為か、インド文化の影響が濃い。インド人ならびにインドからネパールに帰化した人たちがおよそ60万人。インドとの貿易で生活が成り立つ。 
 ところが盆地に位置する首都カトマンズは玉石混交、まして中国と深い紐帯があるマオイストが跋扈している。
 このくにの共産党政権は北京と馬があう。親中、反インドが基本である。つまり、基本はインドへの反感とみるとおおよその心理状態が把握できる。
 かくしてネパールは独特な国民性をつくりあげ、王制を転覆させたマオイストがかなり専制的な政権運営をしている。ネパール共産党が政権を担って以来、外交と経済政策は中国に急傾斜した。
 慌てたのはデリー政権だ。
 インドは従来、ネパールを保護国なみに扱い、また最貧国で寒冷地のため農業生産も思うようにならない。それゆえにインドの援助に期待してきた。ネパールの若者はインド、シンガポールに出稼ぎにでる。近年は相当数が日本にもやってくる。
 ところが、ところが。今や町を大股で風切って歩く、圧倒的な観光客は中国人となった。
 それも若者のグループが目立ち、傍若無人ではなく、いささかは礼儀を心得ているようだ。しかしネパール料理は口にあわないらしくカトマンズに夥しくある中華料理か日本食レストランに集まる。
 往時、日本人観光客に溢れた時代があり、東京の下町に居るような居酒屋や喫茶店が何軒かあった。それらも中国人ツアー客に溢れている。

 ▼インドと中国をはかりにかける強かさ

 たまたまカトマンズに滞在していたとき、華字紙が「中国外相、尼泊爾、孟加拉を訪問」と報じていた。前者はネパール。後者はバングラの意味だ。
 この中国語の新聞は街のスタンドにはなく、アンナプルナホテルのロビィで読んだ。
 2014年12月26日、王毅(中国外相)はカトマンズを電撃訪問し、「両国関係は互恵的であり、友誼関係に揺るぎはなく、また同時にインド、ネパール、中国の三国関係は南アジアの安定にきわめて重要」と述べた。
 同時に「早い時期に李克強首相がネパールを訪問する」としたうえで、王毅はネパールの発電所建設に16億ドルを貸与するとした。
この額はインドがネパールに対して行っている経済援助より多く、あまりに露骨な札束外交とその傲慢さにインドは不快感を示した。カトマンズ政府はにやり、である。
その後も中国はハイウェイ建設を本格化し、さらにはヒマラヤにトンネルを掘って、チベットからカトマンズまで「新幹線」を繋ぐと豪語している。

インドの警戒感は並大抵ではない。これまでのネパール援助が裏切られて、敵に寝返ったという感じなのだ。自分の庭先に敵国が土足で踏み込んだような印象であり、米国が中庭とおもっていたキューバにソ連がミサイルを搬入したような衝撃だった。
 しかし中国を梃子にインドと距離を取ろうとするのがネパールのしたたかな外交均衡感覚である。
 ネパールは外交的に誇りを重んじ、ときに頑固でさえある。ブータンのようにインド一辺倒の純朴、木訥、純真さはない。

筆者はネパールに二回行った。
 初回はじつに半世紀近く前で、インドのコルコタ(当時はカルカッタと呼んでいた)を経由した。エベレスト登山の拠点、ポカラにも行った。
カトマンズから搭乗した飛行機はうろ覚えだが、旧型DC9で、24名ほどしか乗せられず、ぎっしり客を乗せるから、ガイドは通路に座っていた。
ポカラ空港はみすぼらしく山小屋のようで、それでも西洋人が多く、ターミナルの出口にはおやつをもらおうと素足の少年らがたむろしていた。
そのうちの一人、10歳くらいの子がさわやかな笑顔を見せるので近づくと、かなりの英語を喋るのだ。ポカラの空港で、外国人から教わったのだというから二度びっくり、おやつを見せても、中国のようにひったくる様子はなかった。
いまのポカラはネパール第二の都市、世界の有名ホテルも進出し、一泊二千円のロッジから一泊七万円の豪華ホテルまで。
 ネパール人の多くは信心深く、主流はチベット仏教とヒンズー教徒だ。
しかも多くは向学心が高く、人々は親切で日本人を尊敬している。寺院はチベット仏教寺院、インド系仏教寺院、ヒンズー寺院。そしてストーパが建っている。
スキー冒険の三浦雄一郎は80歳でもエベレストの登頂に成功して話題となったが、これに刺戟されて多くの登山家たちはネパールに行く。近年の流行はヒマラヤ山麓のトレッキングである。それゆえか、カトマンズの目抜き通りは登山関連、トレッキング用品などを売るスポーツ用品店が目白押しだ。

▼目抜き通りは登山関連、トレッキング用品ばかり

 七年前に息子を同行した折、トレッキングをするという息子とは、カトマンズの飛行場で別れ、ポカラを起点に二日ほど歩いてカトマンズのホテルに合流したことがある。野外スポーツを楽しむ若者が世界中からネパールに集まっているのだ。そのホテルは2015年四月、マグネチュード7・8というネパール大地震で損壊し、最近、新築のように改修工事、営業を再開した。
 カトマンズ市内にはダルバール広場、スワヤンブナート、ダラハラ塔、マナカマナなど世界遺産の寺院などの一部で、建造物は修復不可能な損傷を受けた。
観光資源であるこれら寺院は木造建築で14世紀から16世紀に建立された古刹が多かった。
 そういえば、カトマンズ最大の寺院はチベット寺院である。周囲は数百店もあるかと思われる仏具店、土産屋、レコード店などが並び、壮観である。この寺はコンクリト作りだ。中央の塔に目玉のデザイン、てっぺんから小旗を数千、風になびかせている。チベット寺院独特の光景である。
 またネパールはチベットからの亡命者の本場だったが、マオイスト政権となってからはネパール側の監視を強化し、カトマンズにあるチベットセンターにも規制を加えるようになった。

 さてカトマンズを拠点に古都へ出かけた。
バスセンターの端っこからバスがでている。ミニバスで20人ものると一杯になり、意外に大学生が多い。途中にふたつほど大学があり、女子学生も華やかにお喋り。となりに座ったのは十八歳くらいの男子学生で、突如、この若者は日本語をしゃべり出した。
 「学校で日本語を習ってます。親戚の子が日本で仕事しているので、ぼくも学校が終わったら日本に行きたい」
 なるほどインセンティブが強いと語学の上達も早い。
 「日本で殺人事件を起こして疑われたネパールの人、無罪になってネパールに帰ったって話、知ってる?」
 「あの人は、補償金でカトマンズに家を買いましたよ」。
 そうこう世間話をしている内に古都のバグタブルについた。若者は、その先の学校へ行くと、足早にさった。

 ▼古都にて

 旧王宮のあるバクダブルはダルバール広場を中央に 旧王宮から東側には十五、六の、様式がそれぞれことなる寺院が並んでいる。町全体が世界遺産である。
 キアヌ・リーブス主演のハリウッド映画「リトルブッダ」(1993年公開)は、この町で撮影が行われた。
 路地は骨董屋とお面専門店、中世の都、仏教都市にタイムカプセルで運ばれたような感じで、階段の急な或る寺の伽藍に腰掛けていたら、こんどは三人組の中国人。一丸レフを持っているからすぐに分かる。当時、この日本製カメラは中国人のスティタスシンボルだった。
 「あんたたち中国の何処から」
「南京から、貴方は?」
「東京」
「あ、日本人。どうしてカメラもってないですか?」
 わたしは胸ポケット名刺大のデジカメを出したら、なんだか時代遅れのおっさんをみるような目をした。
 ちょうど真ん前の古ぼけた三階建ての寺院の最上階が珈琲テラスになっているのが視界に入った。
 「あそこへ行ってお茶でも飲みませんか?」
 というわけで、三人を誘ってエレベータのない喫茶店へあがると、テラスでも喫煙はできない。「建物が古いですから火気厳禁です」と店主が苦笑した。

 タンカの有名店があるというので、五分ほどあるいて裏手にまわると、イタリアからの観光団がぎっしりと店を占拠している。この店のタンカは世界的にも有名な画家を抱えているらしく、縦60センチ、横120センチほどの仏像や曼荼羅を描いた、色彩の濃いものが西洋人の好みらしい。
 イタリアの老人が手にとった大判のタンカを店員に見せて、「これ幾ら?」
 「120です」
 「えっ、そんなに安いのか」と言って財布からルピーを取り出すと、店員が
 「違います。米ドルです」
 120ルピーって、日本円で120円、米ドルだと13000円。価格感覚が麻痺している。結局、その老人、タンカを買うのを止め、ばつの悪そうに立ち去った。
 タンカは100ドルー300ドルのものが多いが、なかには1000ドル以上のものもあり、小さなサイズのものは20ドル台。なかにダライラマを描いたタンカがあった。
 くだんの中国人が言ったのだ。
 「この人、だれ?」

 さてカトマンズへ満員バスに揺られて(帰りは女子学生が多かった)、カトマンズへ戻り、最大のヒンズー寺院パシュパティナートへ行った。宏大な敷地の中には修業中のサドゥが何人かいる。写真をとっても金を取らない。モノも欲しがらない。意外に愛想が良い。といより達観した段階の瞑想なのだろうか。
猿がたくさんいる公園のまんなかあたりが、火葬場だ。
 インドのベナレス。聖なるガンジスで顔を洗い、歯を磨き、その隣では沐浴し、排泄し、火葬場の遺灰が、ここに一緒に流される。輪廻転生を信じるヒンズー教徒は、遺骨を残さず河に流すのだ。チベット仏教も風葬、鳥葬、火葬が多く、輪廻転生を信じ切っている。三島由紀夫の『豊饒の海』第三巻には、ベナレスの情景が、精密レンズでとらえて記憶したように克明に描かれている。
 パスパティナートの火葬場風景を見ておきたかった。
 河の砦のような出っ張った場所に遺族があつまって食事をとりながら口数少なく、じっと火葬の終わるのを待つ。遺灰をばさっと河に流し、かれらの葬儀は終わる。
 ベナレスでは撮影が禁止されているが、ここでは写真撮影はOKだという。わたしは数十枚かの写真をとった。
        □△●□●△□●□●△□●□●△
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム 
@@@@@@@@

【知道中国 2098回】           
 ──「ポケット論語をストーブに焼べて・・・」(橘58)
「孫文の東洋文化觀及び日本觀」(大正14年/『橘樸著作集第一巻』勁草書房) 

      △
 橘の道教論議では「衒学臭」が気になって仕方がないものの、「普通に云ふ『理論的な道?』の外に『通俗的な道?』」を想定し、その「通俗的な道?」を通じて中国の一般社会を理解しようとした姿勢は評価できる。

 橘によれば、「中國の學者達が好んで研究するところの『哲學的道?』及び宗?家達がその本職として修業するところの所謂『道士の道?』と對立して、民間に行はるゝ通俗的な一切の道?的信仰や行爲や思想を總稱したもの」が「通俗道?」となる。
なぜ橘は「哲學的道?」「道士の道?」とは異なる「通俗的な道?」を思い立ったのか。おそらく現地で民間社会と接触を重ねるに従って、日本で学んだ道教──「哲學的道?」「道士の道?」──では理解し難い振る舞いに、日々接したからに違いない。

 ここで、はたして橘の道教に対する見方を儒教に敷衍できないだろうか、と考えた。日本における伝統的な儒教理解は哲学的に過ぎたがゆえに、中国民間社会に染み込んでいる(あるいは道教秩序に編み込まれている)通俗的な儒教を見落としてしまったのではないか。毛沢東の著作を思弁的・哲学的に考え過ぎたがゆえに、一般民衆の毛沢東思想に対する接し方を誤解してしまったのではなかろうか。
あるいは日本人は中国での出来事、中国人の考えを過大評価することで、日中関係の長い歴史を特殊視し、それに拘泥するあまり中国における現実を見誤ってきたのではないか。

 ここらで「通俗的な道?」という考えを宿題に留め、道教論を離れ、橘による孫文評価(「孫文の東洋文化觀及び日本觀」)に移りたい。

「大革命家の最後の努力」とサブタイトルの付けられた本論文は、「孫文氏は其の最後の努力が如何に報いられるかを見極める事を得ないかも知れぬ」と書き起こされ、「孫文氏は天津に向かふべく日本を離れると同時に、彼の長い且つ名譽ある獅子吼の生活から離れねばならぬ運命に逢着したのである。何となれば彼が天津に到着した時には其の老いたる肉體の中に不治の病を發見し、重大なる時局を眼前に控へつゝも再び民衆の前に其の含蓄多い雄辯を振ふ事が出來なくなつていたのである。(二月十日稿)」と結ばれている。

 孫文が「現在革命尚未成功(現在、革命は未だなお成功せず)」の一言を遺し北京で客死したのが、1925(大正14)年の3月12日だから、橘が本論文の筆を擱いたのは孫文の死の1カ月ほど前になる。本論文が掲載された『月刊支那研究』(第一巻第四號)の出版は「大正十四年三月」であった。

 こう時の流れを追って見ると、本論文執筆時の橘の耳に孫文の命数が尽きつつあることは届いていたはずであり、それゆえに熱情を込めて筆を運んだと十分に想像できる。あるいは橘は死の淵に立つ孫文に篤い思いを込めながら原稿用紙のマスを埋めた。
だとするなら、本論文は橘が唱う孫文への鎮魂歌とも思える。


橘の思いが象徴的に現れているのが「大革命家」の四文字だが、なぜ、そこまで尊敬するのか。
 橘に依れば「孫文氏を普通の革命家とせずして特に偉大な革命家として取り扱ふ」理由は、「第一に、孫文氏は中國の革命を單なる中國のみの政治革命、民族革命、或は社會革命と局限する事なしに、一層深く且つ廣い意味即ち全人類の文化に直接且豐富なる貢獻あらしむるところの革命でなくてはならぬと云ふ確信の上に立つて居た」からである。

 このように橘は、孫文が目指したものは「廣い意味即ち全人類の文化に直接且豐富なる貢獻あらしむるところの革命」であり、三民主義を「此の確信を具體的に表現した」ものであると位置づける。
だが、それは過大な評価というものだろう。