2008年07月04日

◆悲喜交々各位殿

渡部亮次郎(全国版メルマガ「頂門の一針・主宰」)

「頂門の一針」のホームページには下記から手続きしてください。(無料)
http://www.max.hi-ho.ne.jp/azur/ryojiro/chomon.htm


昭和35(1960)年前後にNHK仙台で記者生活を送った仲間が2006年11月14日夕、九段会館の地下レストランに集まり、懐旧談義に時を忘れた。

中華7品にアルコール呑み放題。会費5000円を集めたが、終わってから500円のお釣を返却。珍しいことだ、お前、永久幹事だと大笑いした。

丁度南米のチリ沖で起きた津波が三陸海岸を襲って死者119人を出した「チリ地震津波」の取材の思い出で話は始まったが、あの時、名文を評価された先輩が「俺は著名な国文学者から直接、電話を貰って用語の誤りを指摘されたことがある」と敢えて恥を披露した。

それは大学入試の合否発表のニュース。合格を小躍りして喜ぶ顔、がっかりする顔、悲喜交々(ひきこもごも)でした、と放送したところ、直後に電話がかかって来たのだと言う。

「悲喜交々とは、一人の顔に喜びと悲しみが交互に表れることであって、あのような場面に使う言葉ではありません」と教え、窘められたというのである。

岩波の四字熟語辞典でも「悲しみと喜びが入混じること」とあり「悲喜交交至る」の略。交々は、入混じり、あるいは代る代る訪れる意とある。名文家にも間違って覚えた若輩時代があったのだ。名文家はスペイン語の名手でもあって南米特派員を経て外信部長になった。

NHKには今はどうか知らないが昔は研修所があって、何年かごと、1週間ぐらい泊まりこみで、文章の錆を落とされた。いい大人に言葉を教える事は世間では憚られるだろう、とそっと教えてくれるのである。

各位のあとに様や殿を付けてはいけない。各位というのは、皆様がた、皆様と言う意味で既に様が含まれているのだ、と。皮切りとは包茎と関係があるから使ってはいけない。本腰を入れるもいけない。性行為と関係があるからだ、といった具合。しかし、各位様殿は至る所で見る。

しかし、最近は新聞が自由に使っている。まだ未熟も出てくる。未熟とは未(いまだ)熟さずの意味だから「まだ」は不要。これらは高校で漢文を不履修する時代だからだろう。

漢字そのものを漢の国(中国)に拠っているのに漢文を履修しないとあっては漢字の使用方法を習わないに等しいから、こういうことが起きる。そのうちに馬から落馬なども読まされるかも知れない、ちょと覚悟が要る。

偉い政治家でも、若い頃に間違って覚えた言葉は世間が直してくれないから、陰で笑われることになる。

芝居や映画の立ち回りを殺陣(たて)というが「さつじん」と読んだり、旗幟鮮明(きしせんめい)を「きしょくせんめい」と読む。偉い人だから聴いている人はまさか注意も出来ず、心の中で馬鹿にしている。

この人は憎悪(ぞうお)を「ぞうあ」と国連で演説した。幸い通訳は予め演説原文を持っていたからhatredと訳したから、本人は笑われずに済んだ。消え入りたい思いをしたのは日本語原文を草した私であった。2006.11.15

2008年07月03日

◆濁酒作りの名人

渡部亮次郎

濁酒(だくしゅ=ドブロク)作りの名人とはわが母だった。先年98歳で夕食が美味しかったと言った直後に死んだ。元気で長生きぽっくりでGNP。大方の理想とする死に方である。

勿論、個人でアルコールを製造する事は日本の場合、法律で禁じられており、母も1度は摘発されて罰金刑に処せられた。しかし舅たる我が祖父、日露戦争の喇叭手は嫁の作った濁酒以外の酒は呑まないのだから仕方ない。

酒を仕込むためには麹が要る.その種麹を買いに行かされるのが次男たる私の役目。対米戦争中から町内の麹屋に通った。つまり小学生時代から脱法行為に加担していたのである。大袈裟?

麹(こうじ)とは、米、麦、大豆などの穀物や精白するときに出来た糠などに、コウジ菌などの食品発酵に有効なカビを中心にした微生物を繁殖させたもの。

日本酒、味噌、食酢、漬物、醤油、焼酎、泡盛など、発酵食品を製造するときに用いる。ヒマラヤ地域と東南アジアを含めた東アジア圏特有の発酵技術である。

麹の作り方。別途培養した麹菌胞子である種麹を、蒸した原料に散布して製造する方法と、以前に製造した麹の中から良質なものを保存しておき、新たに麹を製造する際に蒸米に加えて用いる方法がある。後者の方法を共麹(友麹とも)と呼ぶ。

現在の日本では、もっぱら前者の方法が採用されており、麹を製造する際には種麹を専門に製造する業者が供給する種麹を利用する場合が多い。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

母は変わった人だった。偏食を絶対、とがめなかった。また、好きな物は子供でも食べて良かった。濁酒も。「体が呼んでいるんだから」が理由だった。当然、私は小学生ながら酒の味を覚えた。

4つ年上の兄は当然、弟より悪で、爺さんが清酒を飲んでいる時代、酒屋に買いに行かされると、帰る途中、2口、3口呑んでしまい、井戸水を足して帰った。祖父は日本酒がこの頃、水臭くなった、戦争の所為だな、と嘆いたそうだ。

お袋の手順を見ているからある日、兄と一緒に隠れて濁酒製造に挑戦した。毎日、発酵具合を見るべく味見をするのだが、発酵が進まず、甘酒のまま呑みおえてしまった。

母のは3日ぐらいで完成する。少し甘味が残り、アルコール分は十分。何度作っても味は一定していたから名人である。祖父は夕方を待ちきれず、それを瓶から土鍋に汲みだし、囲炉裏で暖めて茶碗で飲むのである。

なるほど濁酒は清酒のようなツンとした刺激臭がなく、なんとなく牛乳のように飲める。祖父としてはそれがたまらなく美味しかったのだろうと思う。母は祖父が80歳で死ぬまで濁酒を造り続けた。

当時、農村では税務署といえば密造酒の摘発隊のこと。後年、秘書官としてつかえた外務大臣園田直(そのだ すなお)さんは、特攻隊生き残りで地元の町長を務めていたころ、摘発隊たる税務署員ちに消防ポンプで水をかけて撃退していた。「日の丸共産党を名乗っていたな」と回想していた。

わが祖父は私が大学2年の夏、脳溢血で倒れた。大きな鼾をかいて意識不明。7日目の朝、母が吸いさしに清酒を入れて口にさしたらとくとくと呑んでその直後に息絶えた。

若い頃からの祖父の酔態の醜さを見聞していたから、その息子たる父は酒は呑めたが呑まなかった。祖父が清酒を呑んで逝った吸いさしで砂糖水を飲んで死んだ。80歳。呑んでも80、呑まなくても80。

最早、私と濁酒の縁は薄くなった。僅かに月に1回、錦糸町で懇談する会でNHK時代からの友人大谷英彦氏が朝鮮半島の酒マッコリを呑むのを横目でみているだけである。  2008・06・30

2008年07月02日

◆健康百話 乳がんの治療

小川 佳成(医師)

乳癌の治療法は、病状や進行度、あなたの全身状態を考慮して決まります。治療には主として、手術、放射線治療、抗癌剤(抗ホルモン剤を含む)治療があります。

病状の進んでいる方には抗癌剤治療が優先されますが、通常は手術を行い、その後再発予防のための抗癌剤治療を行います。

【手術】
手術には主として、1.乳房切除、2.乳房温存手術があります。腫瘍の大きさや広がり具合などにより術式を選びます。当大阪市立総合医療センターでは、半数以上の方が乳房温存療法を受けられています。
 
乳癌の手術では転移の有無に関わらず、癌の根治・予防のためにわきの下のリンパ節を全部取り除くこと(リンパ節郭清といいます)が標準的に行われてきましたが、リンパ節郭清をすると術後に腕がむくみやすい等の症状が残ります。

そこでわきの下のリンパ節転移がないと予測される方を対象に術後の症状を軽減するために、センチネルリンパ節生検という方法を用いた、腋窩(わきの下)リンパ節郭清を省略する術式が行われるようになりつつあります。当センターでは6割の方がこの術式を受けられています。

【放射線治療】
乳房温存手術を行った場合には、残った乳腺での再発を抑えるために乳房に対する放射線治療を術後に行っています。治療期間は5〜6週間でこの治療により乳腺内での再発は2〜3%以下に抑えることができると考えられています。

【抗癌剤治療】
切除した癌の性格を詳しく調べて、術後の抗癌剤治療の必要性とその内容を決めます。これらの治療で再発の3〜4割を抑えることができるとされます。抗癌剤治療は充分な副作用対策をして外来にて行っています。

【乳房再建】
乳房切除後の乳房再建は形成外科にて行っています。当センターでは、術後1〜2年を過ぎ、治療が一段落してからの再建をお勧めしています。

乳癌の治療は5〜10年ごとに大きく進歩しています。当センターでは、“あなたがより良く生活していくために治療があるのだ”という想いのもとに、各分野の専門医が協力し合い乳癌の治療に当たっています。  
<大阪市立総合医療センター 外科>
               

2008年07月01日

◆東京地検特別捜査部

                      渡部亮次郎

若い頃、記者(NHK)を20年ばかりやったが、警察や検察を担当した事は全く無い。大学も法学部とはいえ政治学科だったから刑法や刑事訴訟法は読んだ事も無い。

政治記者だったが、担当する政治家が逮捕されたり起訴されることも無かったから、こういう片輪な人間が出来上がってしまった。

ところが今年(2008年)は以前、17年間も理事長を務めた社団法人の日米文化振興会が最近社団法人日米平和・文化交流協会に名称変更され、専務理事の秋山直紀氏が防衛不祥事の関係者に浮上しているというので、なぜか私がマスコミに追い回された。

秋山氏の素性を知っている人が私しか居ないのでというのが理由だったようだが、私も実はあまり素性を知らないし、事件の背景にいたってはまるで知らない。

そこで秋山氏を一時は捜査対象にしたらしい東京地方検察庁特別捜査部(とくべつそうさぶ)とは、如何なる存在かを改めて勉強した。

ここは日本の検察庁の一部門であって、特別捜査部(通称特捜部)は東京・大阪・名古屋の各地方検察庁に設置されている。

独自の捜査権限を有している検察庁の中でも、大規模事件など、集中的に捜査を行う必要がある案件に取り組む機関として存在している。検事(副検事)のほかに検察事務官により構成されている。

検事や検察事務官は東大ばかりではなく、中央、明治といった私立大学出身者もかなり目立つ。特に検事は司法試験さえ通っていればいいからだ。

戦後、東京・大阪の2特捜部態勢が続いていたが、1996年に名古屋地方検
察庁にも特捜部が置かれ全国で3特捜部の態勢となっている。

政治家汚職、大型脱税、経済事件を独自に調査する。なお、3地検以外の地方検察庁にもこれに準じた部署として特別刑事部が置かれている。

1947年(昭和22年):東京地検で特捜部の前身「隠匿退蔵物資事件捜査部」、通称「隠退蔵事件捜査部」が発足。
1957年(昭和32年):大阪地検特捜部が発足。
1996年(平成 8年):名古屋地検特捜部が発足。

東京地方検察庁特別捜査部
通称「東京地検特捜部」は現在総勢 検事38名、副検事3名、検察事務官
84名

特別捜査部長(部長:検察官)
特捜事務課(課長:検察事務官)
特捜資料課(課長:検察事務官)
特殊直告第一・二班(責任者は検察官たる班担当副部長)
財政経済班(責任者は検察官たる班担当副部長)

汚職#主な汚職事件のうち、1947年(隠退蔵事件捜査部発足)以降のものを
掲載。

歴代特捜部長

代 氏名 在任期間 主な手掛けた事件 出身校 後職 隠退蔵事件捜査部長

1 田中萬一 1947年11月 - 1948年1月(心得、兼任渉外部長) 中央大学 最高検刑事部長
2 山内繁雄 1948年1月 - 1948年7月 昭和電工事件 最高検検事

特別捜査部長

1 福島幸雄 1949年5月 - 1950年1月 炭鉱国管疑獄

3 山本清二郎 1953年11月 - 1955年10月 造船疑獄及び造船疑獄指揮権発動、保全経済会事件、陸運汚職事件 中央大学 次長検事、大阪高検検事長

4 天野武一 1955年10月 - 1958年12月 売春汚職事件 東京帝国大学 大阪
高検検事長、最高裁判事

6 河井信太郎 1961年7月 - 1965年9月 武州鉄道汚職事件、吹原・森脇事
件 中央大学 大阪高検検事長 。政治記者かけだしのころ、よく耳にした名前。

7 大江兵馬 1965年10月 - 1967年4月 田中彰治事件、共和精糖事件 京都帝国大学 札幌地検検事正

8 木村喬行 1967年4月 - 1970年3月 日通事件 東京帝国大学 仙台高検検事長

11 大堀誠一 1972年6月 - 1975年1月 協同飼料株価不正操作事件、石油ヤミカルテル事件 東北帝国大学工学部 東京高検検事長

12 川島興 1975年1月 - 1978年3月 ロッキード事件 中央大学 大阪高検検事長

13 吉永祐介 1978年4月 - 1980年6月 ダグラスグラマン事件、KDD事件 岡山大学 検事総長

14 岡村泰孝 1980年6月 - 1981年11月 誠備グループ脱税事件 京都大学 法務事務次官、検事総長

15 藤永幸治 1981年12月 - 1983年1月 三越事件 京都大学 東京高検検事長

16 河上和雄 1983年1月 - 1984年11月 新潟鉄工所ソフトウェア等横領事
件、新薬産業スパイ事件 東京大学 最高検公判部長 。テレビによく出演。

17 山口悠介 1984年11月 - 1987年1月 リッカー事件、撚糸工連事件、平
和相銀不正融資事件、日本共産党幹部宅電話盗聴事件 東京大学 札幌高検検事長

19 松田昇 1987年8月 - 1989年9月 明電工脱税事件、リクルート事件 中
央大学 最高検刑事部長、預金保険機構理事長

20 石川達紘 1989年9月14日 - 1991年1月 国際航業事件、稲村利幸脱税事件 中央大学 名古屋高検検事長

21 五十嵐紀男 1991年1月 - 1993年7月 共和汚職事件、東京佐川急便事件・金丸信巨額脱税事件・ゼネコン汚職事件 北海道大学 横浜地検検事正

22 宗像紀夫 1993年7月 - 1995年7月 ゼネコン汚職事件中村喜四郎元建
設相逮捕、東京協和・安全信用二信組事件 中央大学 名古屋高検検事長

23 上田広一 1995年7月 - 1996年12月 泉井石油商脱税・関空汚職事件 明治大学 次長検事、東京高検検事長

24 熊崎勝彦 1996年12月 - 1998年6月 野村證券・第一勧銀総会屋利益供与事件、防衛庁調達実施本部背任事件 明治大学 最高検公安部長

31 大鶴基成 2005年4月 - 2007年1月 ライブドア事件 東京大学 函館地検検事正

32 八木宏幸 2007年1月―緑資源機構官製談合事件、商社及び防衛関連企業からの収賄容疑による守屋武昌元防衛次官逮捕 中央大学 。

大阪地方検察庁特別捜査部
通称、「大阪地検特捜部」。1957年4月創設。
総勢54名:部長、副部長以下検事13名。副検事3名。事務官38名。

主な事件

大阪タクシー汚職事件 関谷勝利衆院議員逮捕 (1967年4月)
阪大ワープロ汚職事件(1984年7月)
砂利石材船汚職事件(1988年1月)

イトマン事件(1991年7月)
牛肉偽装事件(2004年4月)
和歌山県知事談合・収賄容疑(2006年11月)
枚方市第二清掃工場建設工事(仮称) 官製談合 (2007年5月)

特別捜査部は汚職を取り締まるために時の政権の意向に左右されやすい
と言われている。また、有罪にするために強引な捜査手法が目立つとの
批判もある。出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2008年06月30日

◆弁護士の役割

川原俊明(弁護士)

鳩山法相に対する朝日新聞の「素粒子」コラムに、「死に神」指摘があったので、私は、マスコミの表現として、明らかに不適切であることを指摘しました。<本欄6月24日号に「鳩山法相は、死神なのか」を掲載>
 
鳩山法相が、現在の日本の法律に従って、法務大臣としての義務を履行している以上、従来の法務大臣と比較して、執行の多さを非難することは、筋違いです。後の朝日新聞が、同じコラムで「執行の多さをチクリと刺した」、というのは、今回の問題を理解していないし、使う言葉を間違えているように思います。
 
これに関連して、私のブログにも、ご意見が殺到しているので、誤解なきよう、私の弁護士としての考え方なり、信念、をお伝えします。
 
私は、一つの新聞社を批判しているのではありません。マスコミの質を問題にしています。全国紙を代表する新聞記事の一行が、どれだけ指摘された人の心を踏みにじむのか。これが理解されていないことを問題にしています。

マスコミは、その道でプロであるべきしょう。安易なペンの暴力は、自らの身を滅ぼすことになります。その意味で、今回、軽率な表現に対する謝罪がなかったことは、新聞社としての姿勢を疑います。
 
もう一つ考えたいのは、刑事弁護における弁護士の役割です。司法に対する一般的な理解として言えることは、公権力を背景に犯罪を糾弾する検察官と、被告人を保護する弁護人、これを中立的な立場から判断する裁判所。

この図式は正しいものがあります。しかし、私が言いたいのは、弁護士の社会的役割をふまえた上で、この図式を運営させる必要があります。

さまざまな欲望と自我を持った人間が、利害を対立させている社会では、残念ながら、犯罪は決してゼロにはなりません。しかし、一旦、発生させた犯罪者に、二度と犯罪をおこさせるべきでない。この姿勢を貫くことによって、世の中が少しでも良くなる、と私は考えています。

司法の中で、弁護士が、検察官と立場を異にすることがあっても、よりよき社会を築くべき役割は、司法の一員として同じことであるはずです。

私は、弁護士が、被告人の更生のため、適切な量刑を求めるのが大切であり、単に被告人の量刑さえ軽くなればいい、と考える刑事弁護は間違っている、と思っています。
どんな刑事事件であろうが、弁護士が、被告人に「刑を軽くしてやった。」と思わせる弁護は、その被告人の、犯罪に対する安易な考えを植え付けることになりかねません。

被告人が、凶悪犯罪にもかかわらず「こんな量刑で済んだ」、と思わせるのは、弁護士が、被告人に、更生どころか、次の犯罪を助長させるようなものでしょう。

私が刑事弁護する場合、絶えず、被告人と向き合い、犯罪が明らかな場合、弁護人の立場から、罪を犯すことのむなしさと、身柄拘束など、犯罪が割に合わないことを説諭します。被告人の更生を望んで、「同じ過ちを犯すな」と、説得するのです。このことにより、社会が少しでも良くなってくれたら、と考えています。 

この観点から、弁護士は、検察と立場を異にしますが、社会を少しでも良くしたい、被告人に立ち直ってもらいたい、と考えて弁護活動すべきでしょう。(完)