2016年10月31日

◆地球・月系の支配を狙う中国の野望

櫻井よしこ



いま、世界のどの国よりも必死に21世紀の地球の覇者たらんと努力してい
るのが中国だ。彼らは習近平国家主席の唱える中国の夢の実現に向かって
走り続ける。そのひとつが、宇宙制圧である。

21世紀の人類に残された未踏の領域が宇宙であり、宇宙経済
を支配できれば、地球経済も支配可能となる。宇宙で軍事的優位を打ち立
てれば、地球も支配できる。
 
10月17日、中国が2人の宇宙飛行士を乗せた宇宙船「神舟11号」を打ち上
げた背景には、こうした野望が読みとれる。内モンゴル自治区の酒泉衛星
発射センターから飛び立った中国の6度目の有人宇宙船打ち上げは、無人
宇宙実験室「天宮2号」に48時間後にもドッキングし、2人の飛行士は30日
間宇宙に滞在する。
 
打ち上げは完全な成功で、計画から実行まで全て中国人が行ったと、総責
任者の張又侠氏は胸を張った。中国は独自の宇宙ステーションを2022年ま
でに完成させ、30年までに月に基地を作り、中国人の月移住も始めたいと
する。
 
いま宇宙には、日本をはじめアメリカやロシアなど15か国が共同で運営維
持する国際宇宙ステーション(ISS)が存在する。ここに参加しない唯
一の大国が中国である。

中国はアメリカとロシアの技術をさまざまな方法で入手し、独自の開発を
続けてきた。また彼らは世界で初めて「宇宙軍」も創設した。その狙いは
何か。少なからぬ専門家が中国の軍事的意図を懸念する。
 
アメリカのシンクタンク「国際評価戦略センター」主任研究員のリチャー
ド・フィッシャー氏もその一人だ。氏が中国の宇宙開発に関して最初の警
告を発したのは、85年だった。

「詳細な分析と報告を国防総省をはじめ、主要シンクタンクに提出しまし
たが、誰も私の危惧を理解しませんでした。中国が宇宙に軍事的野心を抱
いているということ自体、誰も信じなかった。私は変人扱いされ、中国の
脅威を大袈裟に言い立てているだけだと思われたのです」

宇宙戦闘部隊
 
だが、中国の宇宙進出は、氏の指摘どおりの道を辿ってきた。いまや多く
の人の目に宇宙における中国の軍事的野心は明らかだ。そうした中、氏
は、中国政府の姿勢に興味深い変化が見られると、シンクタンク「国家基
本問題研究所」で語った。

「彼らは自分たちの宇宙活動について、以前よりずっと積極的に語り始め
ています。無論、国家機密は口外しませんが、イーロン・マスクが目論む
ような宇宙開発が実現されるとき、中国はそれを支配(dominate)しよう
と考えていると思います」
 
マスク氏は南アフリカ生まれの起業家で、アメリカのシリコン・バレーの
寵児にして宇宙企業「スペースX」の創業者だ。今年9月末、氏は新たな
ロケットと宇宙船の開発計画を発表、地球滅亡に備えて火星への人類移住
を進めるという。
 
フィッシャー氏が続ける。

「中国はマスクの考えるようなビジネスから、宇宙資源の活用までひっく
るめて宇宙経済を支配したいのです。その前に地球・月系の宇宙圏を自ら
の支配圏として確定させようとしています。それこそが中国の軍事・政治
戦略の基本です」
 
その第一歩がアジア地域での覇権確立だと、氏は語る。

「アジアにおいて軍事力、経済力、政治力で圧倒し、それを地球全体に広
げていく。そのための能力を、現在、磨いています」 
海や陸を制するには空を制しなければならない。空を制するには宇宙を制
しなければならない。

その意味で中国は着々とアジア制圧の構えを築き、支配圏を広げていると
して、あと10年もすれば、中国の覇権は現在よりはるかに目に見える明ら
かな形で出現すると、警告する。地球の覇者となるのと同時進行で、宇宙
での支配力を強めているというのだ。

「想像して下さい。高高度の宇宙を制すれば、地球上のどの国もどの地域
も制圧できます。中国の宇宙開発が濃い軍事的色彩を帯びているのは、宇
宙開発の全てを人民解放軍(PLA)が担っていることからも明らかで
す。習主席は今年、軍の大改革を断行しました。そのときに新設された戦
略支援部隊が、中国の宇宙戦略を支えています」
 
近い将来、PLA空軍に創設されると見られているのが宇宙戦闘部隊であ
る。その長に、リ・シャンフー将軍の名が挙がっているという。

「リ将軍は2007年に中国が地上発射のミサイルで800キロ上空の軌道上に
あった中国の衛星を撃ち落としたときの指揮官です」とフィッシャー氏。
 
中国の衛星破壊は当時世界を震撼させた。なぜなら、中国はアメリカの衛
星も破壊できる能力を見せつけたからだ。アメリカ軍は高度のハイテクに
依拠しており軍事衛星はアメリカ軍の生命線だと言ってよいだろう。

その意味で衛星破壊行為は宇宙戦争に踏み込んだ行為だと解釈されたの
だ。それを指揮した人物が宇宙戦闘部隊の長になるということは宇宙戦争
の体験者が長になるのと同じ意味だというのだ。

地球規模で衛星監視
 
アメリカの専門家たちを真に憂慮させる次元に至るまでの中国の努力は凄
まじい。今年6月、彼らは南シナ海の海南島東部の文昌市から新世代ロ
ケット「長征7号」を打ち上げた。

2030年までに米露と並ぶ宇宙強国になると決意している中国の宙開発の鍵
を握るロケットである。

「今年から運用を開始した文昌衛星発射センターは今後、非常に重要な地
球・月系支配の拠点となると思います。中国が南シナ海の支配に拘る大き
な理由のひとつが、この衛星発射センターにあると、私は見ています」
と、フィッシャー氏。
 
中国は地球・月系支配のために、地球規模で衛星を追跡、コントロールす
る監視基地網を築いてきた。
 
中国を中心に、パキスタンのカラチ、アフリカ大陸のケニアのマリン
ディ、ナミビアのスワコプムンド、南米チリのサンティアゴ、豪州西部の
ドンガラに、各々衛星追跡及びコントロールのための基地を築き上げた。
アルゼンチンにも、新しい衛星監視基地が間もなく完成する。

フィッシャー氏が、そうした衛星監視基地の意味を解説した。

「アルゼンチンは中国に基地を提供する見返りに、中国の衛星情報を貰う
取り決めを結んでいます。もう一度、フォークランド紛争が起きたら、ア
ルゼンチンは中国提供の情報を活用して、大西洋の真ん中で英国の艦船を
待ち伏せできるのです」
 
このような中国の宇宙進出を前に、オバマ政権はブッシュ前大統領が月開
発計画を再開しようとしたのを、全て止めた。日本も参加するISSは
2024年にも運用を終えるかもしれない。

日本はここで宇宙開発における国際協力体制を推進する強い力とならなけ
ればならない。
『週刊新潮』 2016年10月27日号 日本ルネッサンス 第726回
                 (採録:松本市  久保田 康文)


◆「宝大御」への道

伊勢 雅臣



移民問題、2つの進路 (下)

 国民が安心して結婚し、子供を産み、仕事ができる社会を作れば、労働
移民は不要となる。

■1.少子化の原因は未婚者の増加

前号[a]では「洗国」というシナの恐るべき戦略を紹介して、安易な移民
受け入れが、国民生活にどのようなコストとリスクをもたらすかを考察した。

しかし、それだけでは移民受入れ論者の説得には不十分だ。彼らが「移民
は必要」と主張する人口減少や労働力不足などの問題をどう解決するのか
を、提案しなければならない。この問題を三橋貴明氏の『移民亡国論』
[1]や政府の統計を参考に本号で考えてみよう。

まずは人口減少の問題を先に取り上げよう。人口減少が食い止められれ
ば、そもそも労働力不足の問題も相当に緩和されるからだ。

人口減少の理由は、少子化、すなわち生まれる子供の数の減少である。昭
和46(1971)年から3年間の第2次ベビーブームでは、出生数は年間200万
人を超えていたが、昭和59(1984)年には150万人を割り込み、平成
25(2013)年は約103万人まで落ち込んだ。[2]

出生数の減少には、以下の2つの仮説が考えられる。

(1) 晩婚化、女性の職場進出などで既婚女性が産む子供数が減っている。
(2) 未婚の男女が増えている。

統計的に見れば、(1)ではなく、(2)が真の原因となっていることは明らか
である。既婚女性が生む子供の数(有配偶出生率)は90年代に千人あたり
66人と最低を記録したが、その後は緩やかに回復し、2010年代は794人
と80年代をも上回っている。

 (2)を未婚率で見ると、「30〜34歳」男性の未婚率は1970年にはわずか
11.7%だったのが、2010年には47.3%にもなっている。すなわち、1970
年代には30代前半で独身だった男性は10人に1人強だったのが、今や半
分近くにも達している。女性の未婚率も同様に上昇している。

すなわち未婚者が増えているから、子供の数も減っている、という、ごく
当然の現象が起きているのだ。

■2.結婚したくともできない多くの成年男女がいる

未婚が増えた理由は種々考えられるが、有力な原因は実質賃金の低下や雇
用の不安定である。厚生省の調査によると、現在の日本で約600万人の男
性が年収200万円以下で暮らしているという。その多くはパート、アルバ
イト、派遣などで雇用自体が不安定だ。

女性では年収200万円以下は1180万人もいるが、パートタイムの主婦も相
当含まれているので、以下、男性を対象に考える。

男性で月収十数万円、それもいつ失業するか分からない状況で、結婚して
家庭を持とうとするのは難しい。未婚男性の約85%は「いずれ結婚するつ
もり」と答えながら、結婚への障害として挙げられているトップが「結婚
資金」、2位が「結婚のための住居」である[3]。その結果が「30 〜34
歳」男性で半数近くが未婚という結果なのである。

わが国は皇室が国民を「大御宝」と呼んで、その安寧を代々祈られてき
た。そういう国で、結婚したくともできない多くの成年男女がいる、とい
う事自体が大問題ではないか。


■3.「移民400万人」より「日本国民400万人出生増」

仮に、何らかの政策によって、これらの人々の所得を上げ、雇用が安定し
たとしよう。そして独身男性600万人のうちの3分の1の200万が結婚して、
平均2人の子供を持ったとすると、400万人の子供が生まれることになる。

400万人の子供が増えたら、政府が受け入れようと提言した移民20 万人の
20年分に相当する。日本語もよく話せない、文化も習慣も異なる移民
400 万人と、日本で生まれ日本人として育った400万人のどちらが良いか
は言うまでもない。

さらに大きな違いが、その裏にある。移民を受け入れれば、国内の賃金
ベースがさらに下がり、雇用も不安定になるので、未婚率が今以上に悪化
し、少子化が加速する。移民を増やした結果、日本人の少子化が進んだの
では、さらに移民を増やさなければない、という悪循環にはまることになる。

逆に、未婚率を下げることで出生数が増えれば、その出産、教育、結婚、
家庭作りと、新たな消費需要が生まれ、経済発展の原動力となる。さらに
彼らが成人して仕事につけば、税金を払って国家財政にも寄与する。まさ
に「子は国の宝」である。

多くの未婚者の生活水準をあげて、結婚できるようにすることで、善循環
を生み出すことができる。どのように彼らの収入を上げるかは、後で考察
しよう。

■4.子供を産みたくても産めない

経済的理由が少子化を招いている事を示唆するデータがまだある。

子供1人を持つ夫婦が、「もう1人子供が欲しい」という出産願望は、「25
〜29 歳 89.8%」「30 〜34 歳 79 .0%」と非常に高い。すでに子
供二人を持つ夫婦でも「もう1人欲しい」という夫婦は「25〜29歳 47
.5%」「30 〜34 歳 28.3%」もいる。[1, p222]

しかし、実際の夫婦の出生児数は2人を割っている[4]。上記の強い出産
願望と現実の出生数のギャップを見ると、子供を産みたいのに産めない、
という夫婦が相当数いることが窺われる。理由はやはり経済的理由や住居
の制約だろう。

弊誌633号「『明るい農村』はこう作る 〜 長野県川上村の挑戦」では、
「信州のチベット」と呼ばれていた寒村が、高級レタスの栽培で農家の平
均年収が25百万円にもなり、東京から多くの女性も嫁いできて、平均出
生率(一人の女性が一生に生む子どもの人数)は1.83と全国平均より
0.5人も多い、という事例を紹介した。[a]

産みたいのに産めない、という状況を示すもう一つのデータが、人工妊娠
中絶である。近年は毎年20万件程度で推移しており、その理由の多くが
「経済的理由」である。もちろん母体保護など別の理由もあるが、出産と
育児・教育の負担を減らせば、せっかく授かった赤ちゃんを産めないとい
う悲劇は大きく減らせるだろう。[1, p222]

わが国は経済大国といいながら、低収入から結婚できない、結婚しても子
供を作れない、子供を授かっても産めない、という点で、経済力が国民の
幸せに結びついていない面があり、その結果が少子化となっているよう
だ。こういう国民の不幸を差しおいて、移民による穴埋めを図ろうとする
のは、政治として本末転倒ではないか。


■5.30万人の生活保護受給者を再教育する

次に、労働力不足の問題を考えてみよう。国内には、労働力として活躍で
きていない層がある。たとえば、30万人近くもいる「働けるにも関わら
ず、生活保護を受けている日本国民」。

三橋氏は、こういう層をなぜ教育して、資格を取得させ、労働市場に送り
出さないのか、と問う。

労働市場から退出したままの「日本国民」を「人材」(即席であっても)
に育成するためならば、それこそ政府はいくらお金を使っても構わない。

たとえば、働けるにもかかわらず生活保護を受けている30万人の「人材予
備軍」に対し、1人100万円のコストをかけたとしても、「わずか」300
億円の支出ですむ。・・・

300億円のコストで、即席ではあっても「人材」に成長した、あるいは人
材に成長する可能性がある「日本語が堪能」でコミュニケーション上の問
題も起きない「専門職30万人」を、需要が拡大している分野に送り出すこ
とができるのだ。[1, p116]

仮に生活保護費用が、1人あたり平均月10万円だとすると、年間で120万
円。人材育成に100万円を投じたとしても、それで彼らが職を得て、生活
保護を脱することができれば、10ヶ月で回収できる。さらにこれらの人々
の多くは税金を払うようにもなるだろう。

金銭的な問題だけでなく、人は誰でも世間のお荷物になるより、自分の力
を十分に発揮して、世のため人のために貢献したいという気持をもってい
る。そういう充実感を30万人の人が味わえるようになるだけでも、大きな
価値がある。


■6.高齢者の活躍

もう1つ、未開拓の人材のプールが高齢者層である。平成26(2014)年の日
本人女性の平均寿命は86 .83歳で3年連続世界一。男性は80 .50 歳で3
位。長寿国として世界に誇れる記録である。我々の周囲には70 代、80代
で元気なご老人をよく見かける。

平成25 (2013)年の統計では、65 歳以上70 歳未満の高齢者人口は869
万人[5]。この大半は定年後で無職と思われるが、たとえば70歳まで働
けるようにすれば、その半分のみが就業したとしても、やはり400万人
以上が生産労働人口に加わる。

移民を毎年20 万人、20年間受け入れるのと同数の労働力人口がすぐに生
まれるのである。それも日本語に不自由しないだけでなく、人生経験も職
業経験も豊かな人々なのだ。しかも高齢者が働ける環境を作れば、それだ
け元気になって医療費も減るだろうし、年金の原資不足も緩和されるだろう。

現代医学の急速な進歩により、2045年には平均寿命は100歳に到達してい
るだろうと予測されている。そういう時代に60代半ばで定年退職して、あ
とは暇を持てあましつつ、年金暮らしをする、という事自体が、時代にあ
わなくなってきている。

弊誌926号「『寿命100歳』時代の生き方」でも紹介したように、高齢者の
雇用を生み出す会社も健闘している[b]。我が国は高天原の神々でさえ、
田畑を耕したり機織りをしたりして働いている。体が動く限りは働いて世
の中のお役に立つことが幸せなのだ、というのが、我が国の労働観である。

高齢者が働ける環境作りを進めることは、国家にとっても、企業にとって
も、そしてお年寄りの生き甲斐のためにも良い施策である。


■7.労働人口不足が呼んだ高度成長

以上は、人口減少を食い止め、生産年齢人口を増やすための余地がまだま
だある事を示したが、それでもまだ人手不足の状態であったら、どうする
のか、という反論が寄せられるかもしれない。

人手不足が日本経済の縮小をもたらすのだろうか。三橋氏はその可能性を
明確に否定する。かつての高度経済成長時代は、人手不足の中で、いや、
人手不足だったからこそ実現した、と氏は主張する。

昭和31(1956)年から48(1973)年までの20年近くもの間、日本のGDP(国
内総生産)の平均実質成長率は9.22%にも達している。しかし、この間の
生産年齢人口は平均で1.7%程度しか伸びていない。慢性的な人手不足
で、地方の中学卒業生が都会に集団就職をして、「金の卵」と大切にされ
た時代だった。

人口が1.7%増えれば、それに伴い経済規模も1.7%は膨らむ。逆にい
えば、9.22%の経済成長のうち、人口増による部分は1.7%に過ぎな
い。残りの7.5%はコンピュータ化、自動化などを含む一人あたりの生
産性向上によるものである。高度成長期の民間企業設備投資は、実質年平
均17.33 %もの率で伸びていた。

人手不足だから、賃金が上昇する。企業は賃金上昇をカバーしようと、自
動化設備やコンピュータ投資によって生産性を上げようとする。すると設
備メーカーやコンピュータメーカーの売上げが増える。そしてそれらの企
業に部品材料を売ったり、サービスを提供したりする企業も売上げが増大
する。

一方、就業者の方は高い賃金を貰って、結婚して家や車、家電製品を買
う。こうした生活水準の上昇によって、消費需要が増大する。それがまた
人手不足を呼び、賃金を上げる。

人手不足が、生産性向上のための投資需要を呼び、賃金上昇によって消費
需要も増やす。かつての高度成長は供給と需要が両輪となって、人も企業
も、そして社会全体も豊かになっていったのである。これこそ国民を大御
宝として、その安寧を実現する道だろう。

高度成長時代に「人手不足だから外国人労働力の導入を」という安易な逃
げ道に行かなかったのは幸いだった。この時、外国人労働力を入れていれ
ば、設備投資は冷え込んで投資需要は増えず、賃金は下降して消費需要も
冷え込み、高度成長は腰砕けになっていただろう。


■8.「洗国」への道か、「大御宝」への道か

85%近くもの結婚願望を持つ青年が経済的制約に縛られずに結婚できる社
会、2人、3人と子供を産みたい夫婦が自由に産める社会、そして70代、
80代でも働きたい老人が働ける社会。それが国民を大御宝として大切に
する国のあり方だろう。

労働移民により人件費を安くして企業の利益を上げたいという近視眼的な
政策だけでは、どういう国家を作りたいのか、という国家観が全く見えな
い。多くの国々の移民導入失敗から見れば、その道は移民による無法地帯
を作り、国民の安定した生活を破壊する道だ。わが国では、さらにシナの
「洗国」工作に乗ぜられる危険も大きい。

外国人労働者を入れるかどうか、というのは、短期的な政策的選択の問題
ではなく、長期的にどういう国家をめざすのか、という次元で考えなけれ
ばならない。企業の目先の利益だけでなく、国民が労働者として、消費者
として、そして生活者として、物言いをすべき問題なのである。

■リンク■

a. JOG(974) 移民問題、二つの進路 (上)「洗国」への道
「洗国」とは他国に数十万人規模の流民を移住させて、やがてその国を
乗っ取るという、シナ大陸で多用される手法である。
http://blog.jog-net.jp/201610/article_6.html

b. JOG(633) 「明るい農村」はこう作る 〜 長野県川上村の挑戦
「信州のチベット」が高収入、高出生率を誇る「明るい農村」に変貌する
まで。
http://blog.jog-net.jp/201006/article_19.html

c. JOG(924) 「寿命100歳」時代の生き方
「2045年の平均寿命は100歳」と多くの研究者が予測しているが、そこで
の生き方は?
http://blog.jog-net.jp/201510/article_8.html


■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 三橋貴明『移民亡国論: 日本人のための日本国が消える!』★★★、徳間
書店、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4198638152/japanontheg01-22/

2. 内閣府『平成27年版 少子化社会対策白書』
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2015/27webgaiyoh/html/gb1_s1-1.html

3. 厚生労働省「結婚と出産に関する全国調査」
http://www.mhlw.go.jp/wp/hakusyo/kousei/13/dl/1-02-2.pdf

4. 国立社会保障・人口問題研究所「結婚と出産に関する全国調査 2.夫
婦の出生力」
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14/chapter2.html

5. 総務省統計局「高齢者の人口」
http://www.stat.go.jp/data/topics/topi721.htm



◆米国の選挙はオセロゲーム

Andy Chang



10月28日、大統領選挙の投票日まであと11日に迫った日に新しい
ニュースが出てアメリカは騒然となった。朝のうちはヒラリー当確
と言われていたヒラリーの選挙事情に突然翳りが出てきた。オセロ
ゲームのように黒白がひっくり返る可能性も出てきた。

28日朝はヒラリー当確と報道されていたのに、ワシントン時間の午
後1時にFBIのJames Comey(コミー)長官が、米国会の司法委員会
Goodlatte委員長宛に手紙を送り、ある「別件の調査」の際にヒラリ
ー国務長官の私用メールに関する新事実が見つかったのでヒラリー
私用メール問題の調査再開始を通知したと発表した。調査にどれだ
け時間がかかるかは不明、投票まであと11日だがFBIは政治と無関
係であると述べた。

●ヒラリーの私用メール問題

嘗てコミーFBI長官は7月5日、ヒラリーの私用メール調査の結果
を発表した。ヒラリーはメールの取り扱いに「極めて不注意」だっ
たが「意図的に違法行為を行った証拠は見つからなかった」ので調
査を打ち切ると発表した。国民はこの発表に大不満で、FBIは政治
判断でヒラリー訴追を取りやめた、FBIの司法中立を裏切ったとさ
え酷評された。

コミー長官の捜査打ち切り発表の前日、ヒラリーの夫ビル・クリン
トンとロレッタ・リンチ(Loretta Lynch)司法長官がアルバカーキ
ー空港で「偶然に出会った」として護衛を機外に残し、2人だけで
飛行機内に入って半時間の秘密会談を行ったのである。だから世間
ではリンチ司法長官が、彼女の部下のコミーFBI長官にヒラリーの
追訴取りやめを命じたと噂されたのである。

その後コミーFBI長官は7月5日の追訴放棄決定で国会喚問された。
長官はヒラリーが私用サーバーを使い、私用スマホで公務メールを
送受信していたのは違法、ヒラリーに私用メールには機密メールが
110通あったのも違法、私用サーバーにあったメールの提出を命じ
られて一部のメールを消去したのも違法などと認めた。

これだけの違法行為が明確にされたにも拘らず、コミー長官は「ヒ
ラリーが意図的に違法行為をした事実は見つからなかった」と述べ
た。但し、新事実が見つかれば調査を再開するとも述べた。

つまりヒラリーは「限りなく黒に近い灰色」である。あれも違法、
これも違法、数々の証拠が揃っていたのに追訴を取りやめたのは、
オバマ大統領がリンチ司法長官に命じてヒラリーの私用メール問題
の追訴に圧力を加え、司法長官がFBIの調査打ち切りを命じたと噂
されたのである。

だから今回の新事実はヒラリーが黒である証拠が出てきたと国民が
喝采したのである。調査再開始はFBIが法に忠実で政治に関係なく中
立である証拠だとも言われた。

トランプ陣営はこのニュースに大喝采し、これまで酷評してきたコ
ミー長官にも最大の賛辞を贈り、遂に正義が通ったと述べた。

●FBIの別件調査とは猥褻問題

発表後アメリカのメディアは騒然となり、相次いでニュース速報が
発表された。この発表の10日ほど前からウィキペディアはヒラリー
陣営が2009年以来ヒラリー陣営の間のメール交信をどんどん発表
していた。

ウィキペディアの発表ではクリントンの慈善団体「クリントン基金
会」が各国から多額の献金を受けていた事実、献金者はヒラリー国
務長官から特別待遇を受けていろいろなプロジェクトを受けた、ビ
ル・クリントンはこの基金会から違法な手段で3300万ドルを個人口
座に流し、未来9年の間に更に6600万ドルを受け取れると言う取り
決めを暴露されていた。ヒラリー陣営は「米国政府調査」によると
ロシアのプーティンがウィキペディアのメールハッキングを助けた
証拠があると述べ、ヒラリーに不利なニュースをロシア政府のせい
にしてきた。プーティンはヒラリー陣営の言いがかりを否
定した。ところがFBIの「別件調査」はウィキのメールとは全然関
係がなかったのである。

別件調査とはクリントン陣営幹部ウマ・アベディン(Huma Abedin)
と別居中の夫、アンソニー・ウィーナー(Anthony Weiner)が起こし
た、15歳の未成年者に対する猥褻事件の調査中に、ウィーナー氏の
パソコンにアベディンが送受信した数千通のメールが保存されてい
たのが発見されたのである。

ウィーナー氏は過去にもセックススキャンダルを起こしたことがあ
り、アベディンは子供の為に離婚しないと発表したが、更に未成年
者とのスキャンダルが起きたので遂に夫と別居したのである。別居
した夫の所持していたパソコンに公用メールが発見されたのである。

●発見されたメールの問題

アベディンはヒラリーのホワイトハウス時代から彼女に付き添って
いたヒラリーに最も親しい側近で、ヒラリーの国務長官時代は国務
省の上級幹部として雇用され、常にヒラリーに付き添っていた。だ
からヒラリーの私用メール事件でFBIにメールの提出を命じられ、
個人スマホやパソコンにあるメールは全て提出したはずだが、今回
別居中の夫のパソコンから数千通のメールが発見されたのだ。

公用メールが夫と共通で使用していたパソコンにメールが残ってい
た。アベディンがFBIに提出しなかったメールが数千通もあった、
しかもその内容がアベディンの提出したメールに無かったのも発見
されたなら、(1)未提出メールが前に提出したメールとどれほど違
うか、(2)未提出メールに機密メールがあるったか、(3)未提出
メールは証拠隠匿と偽証罪、(4)公務員でない夫がすべての公用メ
ールを読む機会があった機密漏洩罪などである。もしも未提出メー
ルに機密メールがあったら問題である。

●ヒラリーの問題

コミー長官は既に7月の国会喚問でヒラリーの私用メールに110通
の機密メールがあったと証言しているから、新しい機密メールが見
つかっても大した問題にならないかもしれない。問題は機密の内容
が国家安全にかかわるかどうかである。

更なる疑問は、新発見のメールにヒラリーが意図的に法を犯した事
実が見つかったかどうかである。発見されたメールとアベディンが
前に提出したメールを詳しく比較し、調べる必要がある。コミー長
官が調査再開を決定した理由がこれである。

●選挙に対する影響

但し新発見の事実が十日後の投票にどれだけ影響を与えるかは不明
である。FBIは新発見があったから調査を再開始したが、調査は短
期間で終了するはずがない。ヒラリーが当選する可能性は大いにあ
る。報道によるとすでに1400万人が事前投票を済ませた、しかも事
前投票はヒラリーに有利だというニュースもある。

投票日まであと十日、この十日の間にもっとたくさんのヒラリーに
不利なニュースがあるかもしれない。但しヒラリーに不利なニュー
スががあっても今年の選挙は「誰を支持するから」ではなく「誰に
反対だからもう一人に」投票する者が多いと言われ、ヒラリー不利
でもトランプ有利になるかはわからない。或はトランプ有利でオセ
ロゲームのような黒白どんでん返しが起きるかもしれない。

●新ウォーターゲート事件

ニクソンのウォーター事件では、当選した共和党のニクソンがニク
ソン陣営の部員がウォーターゲートにあった民主党のオフイスに侵
入した事件で嘘を吐いたことが発覚してニクソンは辞職した。今回
の事件ではFBIがヒラリーのメール問題の調査を再開始しても、ヒ
ラリー有罪と決まったわけではないのでヒラリーが当選する可能性
は大いにある。調査の結果が出るまで何か月かかる。

しかしヒラリーが当選してもFBIと国会の追及は停まらないからヒ
ラリー政権の4年は混乱と麻痺は避けられないだろう。

調査の結果ヒラリーが黒と判定されたら国会は司法部に対し特別検
察官の任命を要求する。たとえヒラリーが大統領でも新任の司法長
官が特別検察官の任命を拒否するのは難かしい。トランプが当選し
たらクリントン夫妻の調査はもっと早く進展するだろう。

たとえヒラリーが当選しても有罪と決まったら辞職か、国会が大統
領罷免を開始するかのどちらかである。大統領罷免となれば国会は
共和党優勢だから問題はないが、選挙で民主党が上院多数となった
ら罷免は紛糾する。上院議員が4名入れ替わったら民主党と共和党
が同数となり、新任の副大統領が決定票を持つ。

ヒラリーと夫のビルはこの数十年間にいろいろな犯罪が取り沙汰さ
れ、いずれも罪とならなかった。多くの国民はクリントン夫妻に対
する「正義の判断」に期待していると言ってもよい。

◆春日局は光秀重臣の娘

毛馬 一三



春日局(かすが の つぼね)は、本名斎藤福(さいとう ふく)と云い、江戸幕府の3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」との名は、朝廷から賜った称号である。

ところが、福の父は本能寺の変で織田信長を暗殺した明智光秀の重臣・斎藤利三で、福はその娘だった。
斎藤利三は捕えられ斬首されたが、そんな本能寺の変の主役の娘・福がどうして江戸幕府の大奥に招き入れられ、大奥の頭の「春日局」にまで昇進したのだろうか。「謎」の一つだ。

<福は父斎藤利三の所領のあった丹後国の黒井城下館(興禅寺)で生まれる。丹波は明智光秀の所領であり、利三は重臣として丹波国内に、光秀から領地を与えられていた。

光秀の居城を守護するため、福知山城近郊の要衝である黒井城を与えられ、氷上群全域を守護していたものと思われる。福は、黒井城の平常時の住居である下館(現興禅寺)で生まれたとされている。
こうして福は、城主の姫として、幼少期をすごした。

その後、父は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し、帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて斬首され、他の兄弟も落ち武者となって各地を流浪していたと考えられている。

そうなって福は、母方の実家の稲葉家に引取られ、成人するまで美濃の清水城で過ごしたとみられ、母方の親戚に当たる「三条西公国」に養育された。これによって、公家の素養である書道・歌道・香道等の教養を身につけることができた。>ウイキペディア

このような歴史背景から見て行くと、明智光秀の重臣だった父親の血を惹く実の娘が、江戸幕府に召し上げられて、「春日局」となるとは、首を傾げたくなる訳だ。

大阪堺の歴史家によると、徳川家康は本能寺の変の前に、織田信長を訪ね酒杯を頂きながら戦況を交わしている。明智光秀はこの酒杯のお世話を担務したが、段取りを信長に嫌悪されて過激の叱責を受け、信長側近の地位を剥奪された。

そこで信長を将来の身を絶望恨み、本能寺の変を決意した。ここで重要なことだが、重臣斎藤利三を遣って、徳川家康に信長暗殺を秘かに伝え、本能寺の変に突入したのだそうだ。そして徳川家康には、無事に京都から大阪を経て、堺まで逃げ込む方策を告げたのだという。

密告通り、京都で「変」が起こったことを知った家康は、迎えに駆けつけてきた斎藤利三の強力家来に誘導されて方策通り、堺に向けて脱出。そのあと「伊賀の多数忍者」に擁護されながら、本城の三河城に苦労して辿りついたという。

この家康の行動は、恰も本能寺の変とは「無縁」で、むしろ「被害者」たる姿勢を世間に見せ付ける様子を敢えて披露したように見える。堺にはそれを裏付ける資料もが少々あるというのだ。

つまり、家康にとって、斎藤利三は命の恩人ということになる。信長にとってゆるせない反乱重臣の斎藤利三は、家康にとっては恩返しをしなければならない重要人物であったことは間違いない。
つまり、福は紛れもない命の恩人の娘だったのだ。>

<ところが、もう一つの見方もある。「謎」の二つ目である。

つまり、家康がすみやかに京都を脱出出来たのは、家康と光秀の間で、信長を暗殺する方策を事前から立案し合っていたものではないか。その脱出方策の実行を斎藤利三に任せ、家康の身の安全と、信長後任の詰めまでも、申し合わせていたのではないかと云う見方だ。つまり、家康こそむしろ「暗殺首謀者」だとの見方だ。

方策は見事に成功した。だが、斎藤利三は斬首された。となれば上記と同様、家康は、紛れもない命の恩人の娘だった福に、父親の恩を返してやることを考えたに間違いないと考えられるべきだろう。>

さて、<福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。慶長9年(1604年)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)の乳母に正式に任命される。このとき選考にあたり、福の家柄及び公家の教養と、夫・正成の戦功が評価されたといわれている。

家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切るようになる。寛永3年(1626年)の江の没後からは、家光の側室探しに尽力し、万や、楽、夏などの女性たちを次々と奥入りさせた。

また将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握る。

寛永6年(1629年)には、家光のほうそう治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま10月には上洛して御所への昇殿を図る。

しかし武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため、血族であり(福は三条西公条の玄孫になる)、育ての親でもある三条西公国の養女になろうとしたが、既に他界していたため、やむをえずその息子・三条西公条と猶妹の縁組をし、公卿三条西家(藤原氏)の娘となり参内する資格を得た。
そして三条西 藤原福子として同年10月10日、後水尾天皇や中宮和子に拝謁、従三位の位階と「春日局」の名号及び天酌御盃をも賜る。

その後、寛永9年(1632年)7月20日の再上洛の際に従二位に昇叙し、緋袴着用の許しを得て、再度天酌御盃も賜わる。よって二位局とも称され、同じ従二位の平時子や北条政子に比定する位階となる。
寛永11年に正勝に先立たれ、幼少の孫正則を養育、後に兄の斎藤俊宗が後見人を務めた。寛永12年には家光の上意で義理の曾孫の堀田正敏を養子に迎えた。

寛永20年(1643年)9月14日に死去、享年64。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。法号は麟祥院殿仁淵了義尼大姉。墓所は東京都文京区の麟祥院、神奈川県小田原市の紹太寺にある〉。  ウイデペディア。
このように福の奇跡的な生涯を見て行くと、上記に<武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため>とあって、これを秘匿した工作がはっきりしてくる。「謎」の一つは解けそうだ。

しかも、素晴らしい殿中での政治的画策の実現を図る、福の明晰な頭脳が分かる。

しかし、家康と明智光秀が共謀者同士だったかの、二つ目の「謎」は分からない。
                                        
この「春日局」の生涯には、興味が深い。
                        

2016年10月30日

◆フィリピンが中国に擦り寄る理由

櫻井よしこ



フィリピンが中国に擦り寄る理由は大統領の思想と米政府の失策にあり 

当欄の原稿執筆中のいま、フィリピンのロドリゴ・ドゥテルテ大統領が中
国を訪問中である。大統領は10月19日までに中国国営中央テレビの取材に
応じ、「中国がフィリピン経済にとって唯一の希望だ」と語った。20日の
習近平国家主席との会談では、南シナ海問題が事実上棚上げにされる。
 
オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所が、中国の主張を全面的に退けた裁定
を、なぜ中国に突き付けないのか。フィリピンの国土と領海を奪い、軍事
要塞化を続ける中国に「礼を重んじる東洋的なやり方」で応じるのはなぜ
か。反対に少なくとも南シナ海問題でフィリピン側に立つ米国に、なぜ、
罵詈雑言を投げ付けるのか。
 
一連の疑問への答えは、ドゥテルテ氏の背景から見えてくる。中国の軍事
力の分析で知られる米国のシンクタンク「国際評価戦略センター」主任研
究員、リチャード・フィッシャー氏が驚くべきことを語った。

「ドゥテルテ氏の無二の親友がフィリピン共産党創設者、ジョマ・シソン
氏でした。シソン氏はもう死亡していますが、ドゥテルテ氏自身が半ば共
産主義者なのです」
 
ドゥテルテ氏が駐北京大使に新たに任命したホセ・サンタロマーナ氏も興
味深い経歴を持つと、フィッシャー氏は指摘する。サンタロマーナ氏はシ
ソン氏らと共にフィリピン共産党創設間もないころからマルコス政権打倒
の運動に従事してきたという。

その彼は中国の軍事援助を受けるために北京に送り込まれ、トロール船に
武器を山積みにして帰国しようとした。ところが毛沢東がこれを爆撃させ
たというのだ。
 
再びフィッシャー氏の説明だ。

「同事件をきっかけに1974年、フェルディナンド・マルコス大統領は北京
を承認しました。一方、毛主席は中国におけるフィリピン人共産主義者の
活動を厳しく取り締まったのです。サンタロマーナ氏は中国に残りまし
た。中国語を学び、中国を研究し、中国について報じ続けました。マルコ
ス政権が倒れたときに帰国し、中国問題専門家としてフィリピンの大学で
も教えました。ドゥテルテ氏が政権を取ると、ご存じのように彼は駐北京
大使に任命されたのです」
 
アキノ政権下で要職から追放されていた親中派人士の多くが、いま息を吹
き返している。中国には、サンタロマーナ氏をはじめ、将来利用できるか
もしれない人物を長く手元に置いて世話をする長期戦略がある。米国には
それがないと、フィッシャー氏は語る。

「80年代の終わりに、コラソン・アキノ政権の外相だったラウル・マング
ラパス氏は、南シナ海でフィリピンが領有権を主張する島々や海を守って
ほしいと、米国に訴えました。ところが米国政府はこれを拒否したので
す。マングラパス氏は心底立腹し、その後フィリピンで反米軍運動が起き
たとき、その動きに乗りました」
 
米国がフィリピンの訴えに耳を貸さなかったのには、冷戦が終わったこ
とによる油断があったとしか思えない。フィリピンで高まった反米軍運動
にブッシュ(父)大統領は、基地閉鎖を決断した。米軍基地は91年末まで
に閉鎖され、米軍が去った直後の92年1月に、中国は南シナ海のフィリピ
ンの海に調査船を派遣した。フィリピンは対抗したが、打つ手はない。ス
プラトリー諸島のミスチーフ礁に中国軍が上陸したのは95年1月だった。
 
こうして見ると米中のフィリピンへの対応は大きく異なる。米国が長期戦
略を欠く一方で、中国は長期戦略を保持し続け、その果実を手にしつつある。
 
ドゥテルテ氏が一見多額の、しかし国の運命を決めるにはあまりにもわず
かな援助によって中国側に付けば、米国のみならず日本の国益も大いに損
なわれる。国の戦略的思考について考えさせられる。
『週刊ダイヤモンド』 2016年10月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1155

◆「4割は死ぬ」手術をクリアした

石岡 荘十



〜心臓手術、怖れるに足らず〜

1 手術予測死亡率とは何か

すべての手術は一定のリスクを伴う。患者が死ぬこともある。一命をとりとめても、重い後遺症に苦しむこともある。しかし、こんな手術のリスクについて、ほとんどの人の認識は漠然とした不安の域を出ない。

手術で患者が死ぬかもしれないリスクのことを、専門的には「手術予測死亡率」という。「手術後30日以内に患者が死亡するパーセンテージ」のことだ。

手術に伴うリスクは、患者の症状や年齢、病歴、併存疾患(*)、懸念・想定される合併症などの危険因子を、手術前に点数化して積算した客観的な数字で表わされる。

*「併存疾患」は、併発している別の病気のこと。

患者にとっては手術死亡だけでなく、術後の重い後遺症もまたリスクであることに変わりはないが、術後30日を超えからの死亡や、死ななくともその後長い間、後遺症に苦しむかもしれないリスクは、この「予測死亡率」には含まれない。ではまず心臓手術のリスクとは、一体どれ程のものなのか。

心臓手術の実績、つまり手術方法が確立している“ありふれた心臓手術、“冠動脈バイパス手術や弁置換手術で患者が死ぬ割合は、大体どこの病院でも、緊急手術を除けば、3%以下だと言われる。1%以下、0.5%というところ(金澤大学病院「チーム・ワタナベ」)もある。

医療技術の進歩で、心臓手術のリスクはよく航空機事故の乗客死亡率に例えられ、限りなくゼロに近づいているといわれる。

ところがそんな中、昨年春、私は突然の体調異変から極めて難度の高い心臓手術を受けなければならない事態に追い込まれた。手術に先立って突きつけられた手術予測死亡率は39.9%という想像を絶する残酷な数字だった。

外科手術では、予測死亡率が20%を超える手術は「手術不適応」、つまりリスクがあまりにも高すぎて手術をする意味がないというのが“常識”だ。

だから、それが39.9%となると、最早、選択肢の一つとして手術を考えること自体、無謀、“非常識”な数字ということになる。それも高齢者の場合、患者はそんな危ない手術に耐えられるのか。

そんなリスクを承知の上で、丁度1年前、敢えて手術に踏み切らざるを得なくなった。72日間の入院治療、9時間に及ぶ大手術。“4割は死ぬ”かもしれない手術だけでも無謀なことなのに、これに加えて、術後6割近い確率で重い後遺症に苦しむことになる可能性が高い、その覚悟をするよう求められた。喜寿の11ヶ月目、高齢者の症例としては文句なしのハイリスク心臓手術だった。

以下、「今度こそやばい」と万一を覚悟して臨んだ手術体験の顛末である。

執筆に先立って、似たケースがほかにないか捜したが、類似の記録は見つからなかった。

2 胃潰瘍で緊急入院

小雪の降る寒々とした朝、足がだるい上、呼吸困難に陥って長男の車でかかりつけの東京女子医大病院(東京・新宿区)に駆け込み、そのまま入院を命じられた。

胃カメラ検査で胃の上部2カ所に胃潰瘍痕があり、それぞれ1×2センチほどの黒々としたかさぶたが確認できた。年末年始、年甲斐もなく調子にのった暴飲暴食が祟った。

<採血にてヘモグロビン量6.8(g/dL)と顕著な低下あり>(カルテ)ヘモグロビン量の通常の基準値は男性で13.0〜18.3(g/dL)とされているが、それが6.8しかない。ということは、基準値の半分から1/3。

体内のどこかで大量の出血があったことを疑わせる。それまで多分、ほぼ1ヶ月の間、胃潰瘍による大量の出血で、酸素を全身に運ぶ血液中のヘモグロビンが通常の半分以下に減少している。

こんなに大量の出血を招いたのには原因があった。毎日飲んでいたワルファリンという薬の影響だ。ワルファリンは、血液をさらさらに保つ薬で、心臓に人工弁を入れた患者にできやすい血栓(小さな血の塊)ができないようにする薬だ。

私は以前大動脈弁を人工弁に置き換える手術(大動脈弁置換術)を受けた結果、心臓内で血栓ができやすくなり、これを防ぐため、ずっと飲み続けている。その影響で血液は常にさらさら状態に保たれている。

で、潰瘍ができたりすると、普通の人以上に容易に出血して止まらない。あらゆる臓器が貧血、酸欠状態に陥ってダメージを受けていると診断された。酸素が足りない! 全身60兆個の細胞が悲鳴を上げている。

酸欠が引き金となって、心不全を発症。その上、心臓の筋肉に酸素と栄養を送る冠動脈が詰まって拍動は弱々しく、全身に充分な血液を送り出すパワーが落ちている。肺には血液が溜まり(うっ血状態)、呼吸困難を起こしている。

直ちにCCU (Coronary Care Unit:冠動脈集中治療室)に運び込まれた。CCUは重篤な心臓病患者に濃密な治療をするための特別な治療部屋だ。

<高度の貧血が心不全の発症に大きく関与している>(レセプト症状詳記)ため、大量の輸血を続けると共に、心臓のパワーアップを図る強心剤の投与。特殊な酸素マスクで、強力な圧力で肺に酸素を吹き込む酸素吸入など、弱った心臓と肺の機能回復のため集中的な治療が行われた。

輸血量は全身の血液、約5000mlの三分の一近い10単位、1400mlにのぼった。急速に激減したヘモグロビンを補給するため、赤血球濃厚液も随時注入された。

酸素マスクはCPAPというフルフェイス型で、ベルトでがっちり頭に装着されている。自分ではずすことはできない、自分で呼吸ができないほど強力な酸素の圧力だ。「苦しい。マスクを取ってくれ」とわめくと、「今マスクをとったら死んでしまいます」と、取り合ってもらえない。精神錯乱状態で苦しさのあまり「死んでもいいからマスクを取れ」と怒鳴りまくる。丸々2日、こんな状態が続いた。

その結果、肺にたまっていた水がかなり少なくなり、自力呼吸ができるようになった。胃潰瘍は2週間ほどでかさぶたもなくなって、もう大丈夫と判断された。

3月1日、春一番が吹いたとポケットラジオで知った。その翌日(2日)、循環器内科の3階一般病棟に移った。尿道にはカテーテルが突っ込まれたままになっているが、ひとまず虎口を脱したと判断されたらしい。

3月18日、東京にさくら前線が上陸した、らしいが、ベッドはカーテンで仕切られ、シャバの空気は入ってこない。陽射しも見えない。

心臓機能は相変わらず不安定だ。引き続きドブポン(強心剤)を投与しながら本格的な心機能検査が始まった。

◆中国、日本国債爆買いの狙い

田村 秀男



中国、日本国債爆買いの狙い 円に対する人民元安政策か

今年2月、証券業界筋から「中国が日本国債を爆買いしている」との情
報を耳にした。財務省の国際収支統計で国別の対日証券投資の動向が明ら
かになるのは2カ月後で、4月に2月のデータを見ると購入額がかなり
減っていた。つい先日、最近のデータをみると、中国による対日債券投資
は4月に再び活発化し、6月まで大きな規模で行われたことがわかった 。

中国の対日投資の大半は国債であり、そのうち主に短期債である。短期
債は価格の変動リスクが小さく、外国為替市場での通貨投機の手段とな
る。現在の円高基調は昨年12月に始まり今年1月から6月にかけて加速
した。円高トレンドと中国の短期債投資動向は一致している。円高の背後
に中国あり、である。

 円投機は中国勢に限らない。米欧のヘッジファンドはもっと強力だし、
やみくもに円を買うわけではない。円高に賭けるだけの合理的な根拠があ
る。それは日米間の実質金利差の縮小・逆転だと、本欄では以前から指摘
してきた。

2014年4月の消費税増税後のデフレ圧力のために、名目金 利からインフ
レ率を差し引いた実質金利は昨年12月、米国よりも高く なってしまっ
た。この2月には日銀がマイナス金利政策に踏み切ったが、 実質金利は
逆に上昇を続ける始末だ。中国の対日短期債投資はその線にも 沿っている。

中国のどこが日本国債の爆買いを行ってきたのか。大手の国有電力会社だ
とする見方が有力だ。電力会社は現金収入が豊富で、手元資金を日本の証
券会社に委託して臨機応変に売買し、円高投機で大いに利益を稼ぐ。日本
の財務省は米オバマ政権の反発を恐れて円売り市場介入に動かないので、
投機家にとってはやり放題だ。

円債投機は国有電力会社の独断であって、習近平政権は無関係なのだろ
うか。

中国の日本国債買いは米国債売りと対になっている。昨年12月から今 年
8月までの9カ月間累計で、中国は米国債を日本円換算で約14兆円売 却
した。この間の日本国債買いは10・7兆円に上る。米国債売りと日本 国
債買いはいわばセットであり、北京の政策的意図が底流にあるはずだ。

この意図とは、円に対する人民元安政策だとみる。中国は対円、対ドル
とも人民元を安く誘導している。昨年11月に比べ、この8月時点で、元
は対ドルで4・5%安、対円で21%安である。中国人民銀行はドルに対
する基準レートを人為的に設定し、基準レートに対して上下2%の変動幅
に収まるように管理する。対ドルでなだらかな元安とする一方、東京市場
では円債を買って円高を助長する。

中国製品は今や鉄鋼、自動車、家電、情報技術(IT)関連を含め、広範
囲の分野で日本製と競合する。円高・元安で日本企業の対中投資継続を促
す効果もあるだろう。対日債券投資は今、縮小気味だが、北京はもう一段
の円高・元安の機会を待っているに違いない。 
産経ニュース【田村秀男のお金は知っている】10.29


◆「古寺旧跡巡礼」当麻寺 A

石田 岳彦



当麻寺は、境内の南側に2つの三重塔があり、その北側に金堂、更にその北側に講堂があるという、薬師寺と同じ伽藍の配置ですが、スペースが足りなかったのか、敷地の南側は丘になっていて、2つの塔は斜面を削り取って造成された高台に建てられています。

しかも、金堂と講堂の西側に本堂が東向きに建っていて(講堂と金堂は南向き)、大門(正門)が南ではなく、東側にあり(金堂ではなく、本堂に合わせているようです。)、更に金堂と東西の塔の間に2つのお坊が割り込み、西塔と東塔の間にもやはりお坊が建てられるなど、平地に整然と建物が並んでいる薬師寺に比べて、かなりのカオス状態です。

そこに見えている2つの三重塔に境内案内図で通路を確認しながらでないと辿り着けないというのですから、何時か、何処かで、何かを間違えてしまったに違いありません。

 金堂とはその寺のご本尊となる仏像がまつられているお堂で、本堂とはその寺の中心的なお堂をいいます。講堂は仏法についての講話を聴くための場所となるお堂です。

 古代からの寺院の場合、法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺等のように、金堂はあっても、本堂とはされていない(つまり、その寺院に「本堂」と呼ばれる建物がない)ことが多いようです。仏舎利をまつった塔が伽藍の中心という考えが強かったためでしょうか。

 他方、比較的新しい時代のお寺では、金堂=本堂で、単に「本堂」と呼ぶことが多く、いずれにしても、金堂とは別に本堂があるという当麻寺のようなお寺は珍しいです(ざっと調べた範囲では、有名な寺院だと、他に室生寺くらいです)。

 もともと当麻寺は、聖徳太子の異母弟の麻呂古王(日本書紀によると当麻氏の祖とされています)が開いた寺を、当麻国見(たいまのくにみ)が現在の地に移したとされる(あくまでも寺伝で、実際のところはよく分かっていないようです)、金堂を中心とするお寺でした。

 しかし、後世に中将姫伝説が有名になってしまい、もとから存在した金堂とは別に、中将姫お手製の曼荼羅をまつったお堂(曼荼羅堂)が「本堂」に昇格してしまったため、「金堂」と「本堂」が並存するという珍しい状態になったようです。

本堂にある受付にいって、本堂、金堂、講堂の拝観共通券を買います。国宝の本堂は瓦葺で、寄棟造(屋根の形状で、棟から4方向に傾斜する屋根面を持つもの)、平入り(床が長方形の建物で、広い辺の側に入り口があることをいいます)と、仏教寺院の本堂としては、オーソドックスな形をしています。

上記のように中将姫の織った曼荼羅をまつるお堂で、奈良時代末から平安時代初期に建てられたものが、平安時代末期に改造されて現在の姿になったということです。

 本堂の中央に立派な須弥檀(しゅみだん)があり、その上にやたらとでかい厨子が載っています。奈良時代末から平安時代の初期に作られたものといわれているそうです。

 厨子の中に飾られている曼荼羅(約4m×4mというでかさです。厨子がでかくなるのも当然です)は、まさしく中将姫により織られた伝説の曼荼羅・・・ではなく、残念ながら、室町時代に作られた複本ですが、それでもかなりの古さを感じさせます。というか、相当に傷んでいます。

ちなみにオリジナルは更に傷みが激しいらしく、原則として非公開になっていて、私もいまだに実物にお目にかかったことがありません。オリジナルの写真を見ましたが、思わず「傷み」を「悼み」と誤植したくなるくらい、相当に傷んでいます。

 阿弥陀様が中央に座っていて、その周囲を多くの菩薩が囲み、後方に描かれた横長の建物は平等院鳳凰堂のモデルになったということですが、退色に加え、曼荼羅の上に金網が張られているので、細かな部分までは分かりません。

ちなみに厨子の蓋(現在残っているのは鎌倉時代に作られた後補のものですが)は取り外されていて、時々、奈良国立博物館に展示されています。黒漆の地に金蒔絵というシンプルながら豪華な一品です。

 厨子の右側には中将姫の念持仏と言われる十一面観音像がまつられており、弘仁時代(平安前期。810年−823年)の作といわれています。

「奈良時代に亡くなったお姫様が、何故、平安時代に作られた観音様を拝めたのだろう?」という素朴な疑問は忘れて、素直な心でお参りしましょう。歴史考証というものは、少なからずロマンと対立するものす。   <弁護士>               

2016年10月29日

◆私の「身辺雑記」(390)

平井 修一



■10月21日(金)、朝6:00は室温20.5度、茜色の空で快晴になりそうだ
が、とても寒い。甚平の季節は終わったようで、長袖のパジャマが必要に
なってきた。

昨夜は9日ぶりの集団的子育て。久し振りに孫のにぎやかな声を聞くのは
いいものだ。しょっちゅう来られると困惑するのだが・・・世の中のこと
は思うようにはいかない。

10/19から屋上手摺のさび落としとさび止め塗りを始めた。体力がないの
で1時間ほどしかできないが、意外に面白く、結構はかが行く。

「はかが行く」は死語になりそうな言葉で、若い人はあまり使わないので
はないか。「笑える国語辞典」から。

<はかが行く(捗が行く)とは、仕事などの進み方が早くなる、効率がよ
くなるという意味。「はかどる(捗る)」も同じ意味。

「はかが行く」の「はか(捗、計、量)」は、古くは米などの収穫予想量
を言い、そこから、物の量や大きさを数値化する「計る、測る」や、計画
を立てるという意味の「図る」なども生まれた。

また、「米の収穫(はか)」が「無い」と、この世の中は生きている価値
もない「はかない」世の中だと感じ、いっそ死んでしまいたいと世を「は
かなむ(消えてしまいたいと思う)」という、毎日「死にたい、死にた
い」といっている源氏物語の登場人物のような精神状態に陥るのである>

確かに「笑える国語辞典」だ。

ところで「土人」は差別用語なのか。先住民とか土着した人、ネイティブ
くらいの意味だと思っていたが・・・「ニコニコ大百科」から。

<土人とは、「土着の元からそこに住んでいる人、原住民」といった意味
の言葉。しかし、 現在では未開で野蛮であるというニュアンスから、メ
ディアなどでは差別語として使われなくなっている>

未開で野蛮なマスコミやリベラル≒バカどもの言葉狩りだ。米国ではイン
ディアンをNative Americanと呼んでいるが、米国へ乗り込んで苦情を
言ったらどうか。間違いなくキ○ガイと認定されるだろう。Fuck you!

今、沖縄サヨクの3分の2は本土で食いはぐれた連中ではないか。1970年前
後から本土の共産革命を目指すサヨクは減少し、連合赤軍リンチ事件で激
減した。左翼の資金源はカンパと機関紙販売が主だが、カンパは大衆の同
情を買うような事件が華々しくマスコミに報道されないと集まらない。

機関紙販売は党員とシンパが減るばかりなのだから売上は落ちるばかり
で、編集員のリストラをしないととても発行できない。栄えある編集員が
肩たたきされ、タクシーの運転手になったりしている。

沖縄は斜陽サヨクが辛うじて生活できる、日本で唯一の“聖地”だ。全国の
アカ労組の専従は中核派や革マル派など札付きのサヨクが珍しくない(千
葉動労=中核派、JR総連=革マル派)。この手の労組が資金を提供してい
るのだろう。沖縄サヨクは常に事件を起こさないと食えないことになる。

「デジタル版 日本人名大辞典+Plus」の解説から。

<石田郁夫 いしだ-いくを 1933−1993 昭和後期-平成時代のルポル
タージュ作家。

昭和8年7月8日生まれ。共産党で活動し,昭和36年除名される。70年安保闘
争時は沖縄にわたる。この間狭山裁判糾弾闘争にもくわわり,つねに実践
活動の中から作品をうみだした。平成5年2月25日死去。59歳。東京出身。
大島高卒。本名は川口富男。著作に「新島」「沖縄・土着と解放」「狭山
差別裁判」(共著)など>

石田は中核派に近かったようだが、「沖縄・土着と解放」(1969年刊)で
はサヨクの愚かさをこき下ろしていた。以下引用。

<「沖縄を返せ カエセ>という歌がある(カエセは合いの手)。私はこ
れを歌わなければならないときは、恥の感覚で煮えくり返る。

「民族の怒りに燃える島、沖縄よ、我らと我らの祖先が血と汗をもて守り
育てた沖縄よ、我らは叫ぶ、沖縄よ、我らのものだ」と繰り返す。

この歌はまさにハレンチ極まりない、と私は歌いながら冷や汗が出てく
る。この歌の中の「我ら」とは誰だという問い詰めを自分にして、吟味な
しで平然と「我ら」とうたっている、その「我ら」の複合体から脱出した
くなる。

この歌を平然として歌い、それどころか恍惚としてすら歌っている感覚
は、沖縄を本質的に解放しない、解放する側には組することはできないの
ではないかと私は考える。

無知であり、無恥であり、傲慢なものが、その感覚の底にはわだかまって
いると私は思う。

もちろんそれは、本土の人間が歌う場合のことだが、沖縄の人が歌う場合
も、一種の胡乱な感じがもやもやと立ち上るのではないかと思う。

「(今日の反体制陣営における)ニセ歌の放歌乱舞の状況は、闘争の内的
主体の絶望的な未創出の直截な表れだ」(と谷川雁が指摘するが)それは
また、日本の運動の「文化」程度の平均水準を示す指標としてそこにあ
る>(以上)

石田はサヨクの軽佻浮薄を知っていたから、染まることなく冷静な観察者
でい続けられたのだろう。

日共民青とその傍系のシールズ(志位るず)の組織論は「歌って踊って恋
をして」だ。恍惚の歌と踊り、色気でバカを誘い込み、“党の奴隷”にしよ
うとする。

♪ヨヨギを知ったその日から 党の奴隷になりました アカと言われりゃ
アカになり とても幸せ サヨクだけに言われたいの 可愛い奴と 好き
なように私を変えて ヨヨギ好みの サヨク好みの 闘士になりたい

かくして今日も明日も明後日も未開で野蛮な沖縄サヨクはメシのために暴
れまくるのだ。

■10月22日(土)、朝6:30は室温19.5度、薄曇、寒い。

朝食前に屋上補修開始、朝食後にしばらく休んで、再び補修。いい運動に
もなる。4時にはさび止め完了、へたった。早めに夕食をとり、横になった。

■10月23日(日)、朝7:00は室温18度、薄曇だったが晴れたので8時から
補修個所の下塗り、10時には完了した。あとは全体の仕上げ塗りだけだ。

■10月24日(月)、朝6:00は室温18度、快晴だがずいぶん冷え込んでお
り、夕べから掛け布団を使い始めた。自転車で段ボールの資源ごみ回収所へ。

今日から屋上手摺全体の仕上げ塗り開始だ。

■10月25日(火)、朝6:00は室温15度、今季最低、晴。晩秋か、初冬か。

今日もペンキ屋。4分の3が終わった。夕方から雨。

■10月26日(水)、朝5:00は室温16.5度、快晴。朝日に輝くハイビスカス
の花に雨滴。美しい。

米からおかゆを作り、梅干し、明太子、卵、そして鶏出汁の美味しい味噌
汁といただく。実に旨かった。食欲が向上したのはいいことだ。

体調はかなり改善し、ふらつきは軽度になったが、ペンキ塗りの効用もあ
りそうだ。無理してでも体を動かした方がいいのかもしれない。

ところで小生は小4から週刊新潮の「黒い報告書」の熱心な読者だったか
ら、濡れ場になるとゲラゲラ笑うようになった。人間の哀しさ、愚かさが
ナニにはたっぷり感じられる。

というわけでナニを下劣とも下品とも羞恥とも秘め事ともほとんど思わな
いようになったが、品格を重んじる人からすればそれは認めがたいのだろ
う。自分は自分、人は人だから、「ああ、そういう人もいるんだ」と思っ
てオシマイにするのがいい。現実は、恬淡となるのはなかなか難しいが・・・

さて今日もペンキ屋だが、作業はほぼ完了した。ちょこちょこと追加仕事
はあるが、まあ95点、素人としては金メダルだ。コストはペンキとワイヤ
ブラシで5000円未満。業者に頼めば50万円だろう。

業者がいい仕事をするかどうか・・・素晴らしいプロがいるし、一方で愚
かな手抜きクズ野郎もいる。今年2月に外のバルコニーの給湯器取り換え
で、ついでに手摺も補修してもらったが、8か月でもうサビが浮きだし
た。サビ止めをしていないのだ。やっつけ仕事。

クズが一人でもいるとその業者の評価はガタ落ちになる(くい打ち事故、
病院を見よ)。さっさとクビにすることだ。5人、10人に1人は「足をひっ
ぱる」、クズは子供の頃からクズで、それが運命なのだろう。

はんちく【半ちく】( 名 ・形動 )中途はんぱな・こと(さま)。はん
ぱ。 「何をやらせても−な奴だ」

せいぜい人を巻き添えにすることなく静かに死んでほしいものだが、クズ
は死ぬまで迷惑をかけっぱなしなのだろう。この世は実に厄介だ。

■10月26日(水)、朝5:00は室温16.5度、快晴。朝日に輝くハイビスカス
の花に雨滴。美しい。

■10月27日(木)、必死で仕事。やりすぎだ。屋上でペンキ屋さん、ベラ
ンダでスノコづくり、キッチンであれこれ補修・・・ほとんどムリポ・・・

■10月28日(木)、朝10:00は室温18度、小雨。

夕べ、6時ごろにトイレに出た時に気絶した。ああ、気絶するなあ、こう
して倒れるのだなあ、と1秒間、思って崩れたが、気絶は1971年9月16日に
機動隊員と一緒にクレーン車から落下して以来だから45年ぶりか。

昨日の夕方に母校の多摩校生が街にチラチラと現れ、ゴミ掃除をしている
が、まったく掃除になっていないので、頭にきて「なにやっているんだ、
ちゃんとやれ、ちゃんと、俺は11期の応援団副団長の平井だ」と言って、
「フレーフレー多摩校!」と大音響と叫んだら皆逃げた。

コンビニから甥っ子がニコニコしながら「お元気でなにより」と挨拶して
きたのは大いに結構だが、まあ、高校生をビビらせてはいかんな。バカは
爆弾で迷惑をかけるが・・・

夕べ、気絶してからの記憶はないが、今朝、カミサンが寝室をのぞいたの
で10時起床だ。小生がくたばりそうなのでカミサンはすこぶるご機嫌、N
は小生の枕元にトト(愛犬)のぬいぐるみを置いてこれまたご機嫌だ。み
んなうれしそう。

今日は仕事はお休み。

隣のテッチャン(多摩校→東工大→建設省→天下り)が庭仕事しているので
屋上に招いて、自宅の北側の屋根がカビていることを見せ、&長いハシゴ
をわが家の軒先に置いていいから「俺にも使わせてくれ」ということで合
意した。ウィンウィンのような・・・

小生は5歳の時にテッチャンから落とし紙をもらったことをトラウマに
思っているが、なんとテッチャンは高2の時に「修ちゃんに塙さん(素敵
に色っぽい女の子、小生の友達、がさつだから小生は興味なし)を紹介し
てもらった」。

テッチャンはこれがトラウマになっているわけだ。みな、トラウマを抱え
ている。

カミサンは大いにはしゃいでいる。午後に電動のこぎりを教えてスノコの
仕上げをさせた。なついてしまって「ポテトサラダをつくって♡!」だ
と。しょうがない、女は可愛がるしかない。男は辛いよ。(2016/10/28)


         

◆A面あってのB面

渡部 亮次郎



昔の話。昭和15(1940)年のある日、女優で流行歌手の高峰三枝子の自宅に、当時既に手に入らなくなっていた高級洋服地がどっさり送られてきた。送り主はデビュー間もない伊藤久男。人気の高峰に対する「御礼」のしるしだった。

昭和13年、古賀政男がテイチクを退社。同年、映画「愛染かつら」の主題歌「旅の夜風」が霧島昇とミス・コロムビアのデュエットによりヒットした。

次第に流行歌の世界にも軍国調の歌が多くなって来るのも、この頃からであった。軍国調でなくとも、大陸を舞台にした作品も激増して来る。

昭和15年には、戦地からの逆輸入のヒットとして、霧島昇の「誰か故郷を想わざる」がヒット。また、高峰三枝子の「湖畔の宿」もヒットした。

1940年5月、コロムビア・レコードは人気高まる高峰に「湖畔の宿」を歌わせた(佐藤惣之助作詞、服部良一作曲)。さてB面はどうするかとなって作詞:関沢潤一と作曲に新人の八洲秀章(やしまひであき)を起用して「高原の旅愁」。歌手はデビュー後7年になるのにヒットの無い伊藤久男に決定。

榛名湖を舞台にした「湖畔の宿」は後に、センチメンタルな曲調や歌詞が時局に不適合と発売中止となるも、それまでに大ヒット。当然B面の伊藤久男もいきなりスターになった。

これを伊藤はA面高峰のお蔭と感謝したわけだ。もともと「高原の旅愁」自体、優れていたとの評価もあるが、伊藤久男の人柄の良さが表れていて心洗われるエピソードである。Aが立派だからこそBも光るのだ。心すべき事である。

高峰三枝子(1918-1990)

東京の高輪出身。筑前琵琶の宗家であった高峰筑風の娘。東洋英和女学校卒業後、父の急死もあり、昭和11年に松竹大船の女優になる。「母を尋ねて」でデビューし、12年には「荒城の月」で主役に。

13年に歌手デビューし、「宵待草」を吹き込む。14年には映画「純情二重奏」「暖流」で人気を博す。

15年の榛名湖を舞台にした「湖畔の宿」は後に、センチメンタルな曲調や歌詞が時局に不適合とプレス中止となる。しかし曲中の台詞が、死地へ赴く兵士の心情とあいまって、特攻隊、前線兵士の間では歌われ続けた。

さらにビルマのバーモ長官が高峰のファンで、来日時に東条首相など政府
首脳の前で高峰が「湖畔の宿」を歌うといった事もあった。放送自粛といっても後世に想像するような厳格なものでもなかったのである。

17年に「南の花嫁さん」でヒットを飛ばし、21年には松竹を退社、英文雑
誌社長と結婚して「百万円の結婚式」と話題になったが29年に離婚。

27、28年には持ち馬のスウヰイスーが、競馬の安田記念を2回、桜花賞、オークスで優勝している。

この間も「懐かしのブルース」などでヒットを飛ばしたが、31年に突然、声が出なくなり歌手活動を引退。しかし40年には再びステージに復帰。

56年からの上原謙との国鉄フルムーンのテレビCMでも話題を呼んだ。60年には紫綬褒章、平成2年には勲四等宝冠章を受章。晩年までテレビ出演で活躍した。昭和天皇の園遊会の席上、感極まって泣いてしまった話は有名。

岐阜県明智町の日本大正村の初代村長もしていた。平成2年3月にはインド旅行に行くなどしていたが、4/18に倒れ、5/24には容態が急変、5/27午後5時30分、世田谷区の日産厚生会玉川病院で死去。上原謙は高峰に取りすがって泣いたという。本名は鈴木三枝子。住まいは大田区田園調布3丁目だった。
 
昭和14年   純情二重奏(霧島昇)
昭和15年   湖畔の宿
昭和17年   南の花嫁さん
昭和23年   懐かしのブルース
昭和24年   別れのタンゴ(引用:同じ)

伊藤久男(1910-1983)
福島の本宮町出身。本名は四三男(しさお)だが、訛りから芸名を久男と
する。

昭和4年に東京農大に入るが、豪農だった親の反対を押しきり6年に帝国音楽学校声楽科に入学しピアノを学ぶが、仕送りの停止から生活苦になり、やむなく8年、コロムビアの「旅に泣く」を吹き込んだのをきっかけに宮本一夫として歌手デビュー。

男性的な歌唱は当時の時局にぴったりで、古関裕而が満洲から帰国、神戸から東京までの汽車の中で作曲した「露営の歌」や「父よあなたは強かった」「暁に祈る」など数多くの軍歌を吹き込んだ。

「暁に祈る」の「ああ、あの顔で」の出だしは、陸軍省の「ああでもない、こうでもない」のうるさい注文に難渋した作詞者の野村俊夫の愚痴を聞いた、作曲者の古関裕而が、それを使うように薦めたのがきっかけ。

この間の13年には赤坂百太郎と再婚、4人の子供を設ける。戦火が激しくなった18年暮れには伊藤は福島に帰郷し、レコード吹き込みの度に上京した。

戦後は主にラジオ歌謡で活躍、「イヨマンテの夜」はのど自慢で大人気を誇るヒットとなった。他にも「あざみの歌」「山のけむり」などの叙情的な歌のヒットがある。

私生活では宝塚の桃園みかと同棲し、妻であった赤坂百太郎から「生活費を入れない」と25年、家庭裁判所に訴訟を起こされ、後に離婚している。

53年に紫綬褒章、58年に勲四等旭日小綬章を受章。持病のぜんそくに加え晩年は糖尿病で、浅草の国際劇場のステージでは、痙攣からマイクにすがりつきながら鬼気迫る歌唱をみせたという。

55年頃より糖尿病が悪化してステージに立てなくなり、56年秋より入院、そのまま事実上、歌手活動を引退。57年春には関係者の間では危篤とされていた。

涙もろく、「酒を飲まない奴は信用できない」が口癖だった。その反面で、極度の潔癖症でもあり、楽屋なども絶対に他の歌手と同室しなかったという。

服装には無頓着で、10年以上前の体に合わなくなった背広でステージに上る事もしばしばであった。レパートリーは何でもこなしたが、本人は抒情歌を好んでいたという。

また1年間を通じて10月から3ヶ月だけ禁酒をするという、独特な健康術を毎年行っていた。58年4/25午後11時40分、糖尿性肺水腫で中野区の沼袋病院で死去。

住まいは中野区沼袋だった。その死に際して霧島昇は「同郷人でよく一緒に飲んで喧嘩した」と思い出を語った。福島県本宮町の石雲寺に眠る。
 
昭和12年   露営の歌(松平晃、中野忠晴、霧島昇、佐々木章)
昭和14年   父よあなたは強かった(二葉あき子、霧島昇、松原操)
       白蘭の歌(二葉あき子)
昭和15年   暁に祈る
       高原の旅愁
       お島千太郎旅唄(二葉あき子)
       熱砂の誓い
昭和23年   シベリヤ・エレジー
昭和25年   イヨマンテの夜
昭和26年   あざみの歌
昭和27年   山のけむり
昭和28年   君いとしき人よ

引用:『日本流行歌通史』
http://www.geocities.jp/showahistory/music/history.html