2016年11月30日

◆中国のオンライン・カジノは400億ドル

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)11月29日(火曜日)弐 通算第5114号> 

〜中国のオンライン・カジノは400億ドル(4兆5000億円)の市場 だった
  主宰した「周」グループが稼いだテラ銭は9300億円〜

中国では表向き賭け事は御法度。例外は公営の宝くじだけ。
 
武漢に競馬場があるが、見るだけ。上海郊外にはF1のレース場もある
が、多くはマカオまで出かけて巨額を賭ける。

ツアーを組んで、ラスベガスやキプロスに出かける富裕層もいる。ベラ
ルーシも、モルドバもハンガリーもカジノは合法である。

中国全土、どこでも例外なく町を歩くと、公園で、店先で、レストラン
で、それも早朝から夜中まで、庶民はトランプ、将棋。ほぼ全員が金を掛
けている。

麻雀はホテルの部屋を借り切ったりして見張りを立て、或いは湖にボート
を浮かべて徹底的にやる。
なんと賭け事の好きな民族だろうかとあきれかえるほどに。

ネットに[ONLINE CASINO]があらわれたのは2012年 だっ
た。「周」をなのる集団が、ネット上に参加者を募り、ビットコイン な
ど架空の通貨を利用して、オンライン・カジノという商売を始めた。

またたく間に200万人の参加者があった。ネットで舞ったカネは 400億ド
ル(4兆5000億円。日本の防衛費に匹敵)。彼らが稼い だコミッション
だけでも9300億円だ。

当局は「周」集団を追った。彼らはさっとベトナムに逃亡し、ネットで
のカジノを続けたが、ついに御用となった。周は47歳。浙江省で、裁判
が始まったが、庶民の関心は、かれらが手にした膨大なテラ銭の行方である。
     

◆福田赳夫さんの命日

渡部 亮次郎



福田赳夫さんが「角福戦争」で田中角栄氏にあえなく敗れた時、福田派
担当の記者(NHK)だった。福田赳夫さんは1995(平成7)年7月5日に90
歳で亡くなった。死因の慢性肺気腫は、夫人にも隠れて吸った永年の煙草
のせい。

1976年12月、内閣総理大臣に就任したとき、私は田中角栄総理による
大阪左遷からNHK東京国際局へ帰還直後。その1年後の改造で、官房長官園
田直(そのだ すなお)さんから、朝、国立(くにたち)の自宅へ掛かっ
てきた電話で官房長官秘書官就任を承諾。

およそ1時間かけて電車で永田町の総理官邸に到着してみたら、あろう事
か、全閣僚が辞任した中で園田さんだけが居残って、しかも外務大臣に横
滑りしていた。私はいまさら引き返しもならず、外務省で秘書官なるもの
を始めた。

大臣秘書官は、大臣が任命するものではない、とは知らなかった。総理大
臣が任命して、俸給額だけが外務大臣によって決められる。したがって、
形式的には、私は福田さんから招かれて外務大臣秘書官になったことになる。

さりとて辞令は誰かが総理官邸から貰ってきてくれたし、とくに就任挨
拶にも出向かなかった。1977(昭和52)年11月29日のことだった。

翌年7月に入り、あさってからボン〔ドイツ〕でのサミットに出発すると
言う12日の朝6時半、園田さんは目白の田中角栄邸を訪れた。

夜は明けていったが記者はまだ誰一人居なかった。門前の警察官が告げ口
しない限り、福田さんの耳には入ってはならない行動である。サシの会談
は2時間に及んだ。

名目は大詰めに来ていた日中平和友好条約の締結をどうするかについて、
「先輩総理」に仁義を切るという園田さんの申し入れによるもので、連
絡役を務めたのが外務政務次官愛野興一郎氏。田中派だったのが幸いし
た。

2人がサシで会談したのは、角福戦争(1972年)以来約6年ぶりのこと。い
わゆる「大福密約」を取り仕切った2人ではあるが、ゆっくり話し合う
事はそれまで無かった。なんだかこの時点で福田総理再選の目が消えた
ように思う。

ついでだから、この会談で角さんが園田さんに述べた事を私は園田さん
から聞いてメモしてあった。紹介しておこう。

<@首相退陣(1974年12月〕を決意した直接のきっかけは、健康状態の悪化
にあった。モノが2重に見えるほどになっていた。

A退陣に際し後継に椎名悦三郎を「指名」しようと決意していた。

Bところが、佐藤栄作元総理が「指名はするな」と言ってきた。佐藤は
その頃は田中に買収されていたのではなく昭和電工(三木武夫のスポン
サー)に買収されていた。そこで椎名には後継者選びを委ねることにした。

C後継者について、感情的に福田には渡したく無かった。彼はオレの政
権が苦しくなった時に、蔵相を辞めて、首吊りの足を引っ張った。大平
のことが気になった(椎名に委ねれば、大平が指名されることは無くな
る)。

D福田のあとは大平だ。中曽根はモノになるまい。大平のあとは1万石
大名の背比べで混沌とするだろう。>

福田総理、園田外相らは7月13日午前9時、羽田空港から日航特別機で
出発。パリに2泊したあと、ボンのパレ・シャンブルグでのサミットに
臨んだが、園田外相は不機嫌だった。

この頃から福田さんは「世界が福田を招いている」と言って総裁再選出
馬をちらつかせるようになった。これを感じての園田さんの不機嫌は、
密約破りとなり、立会人としては大平さんに対して誠に苦しい立場になる
からである。

園田さんから密約の経緯を知らされている私は事情は良く分かるが、福
田さんから密約のことは一切聞かされていない福田側近は、福田再選態
勢作りに積極的でない園田氏を次第に非難し始める。総理秘書官になっ
ていた長男の康夫さんから何度も赤坂の料亭に呼び出されて「説得」さ
れたが、私としては如何ともし難かった。

以下、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』による経
歴。

群馬県群馬郡金古町足門(現在の高崎市足門町)に父・福田善治(第20代金
古町長)の次男として生まれた。福田家は江戸時代には庄屋をつとめた地
元の名門であった。

小学校のころから神童の誉れ高く、旧制高崎中学を首席で卒業し、第一
高等学校から東京帝国大学法学部へすすみ大蔵省に1番の成績で入省し
た。

だが、1948年に昭電疑獄が起こると、当時大蔵省主計局長だった福
田は収賄罪容疑で逮捕された。結局、無罪にはなったものの、これを機
に大蔵省を退官した。

大蔵省では官房長、銀行局長(このとき三島由紀夫の上司だった)を経
て戦後、主計局長。

1948年9月13日、昭電疑獄との関連を疑われて逮捕される。その後、大蔵
省を退官。

1952年10月、無所属で立候補し衆議院議員に初当選。

1958年6月、党政調会長に就任。

1959年1月、党幹事長に就任。

1959年6月、農林水産大臣に就任。

1960年12月、再び党政調会長に就任。

1965年6月、大蔵大臣に就任。

1967年2月、党幹事長に就任。(2度目)

1968年11月、再び大蔵大臣に就任。

1971年7月、外務大臣に就任。

1972年7月、自民党総裁選挙で田中角栄に敗れる。

1973年11月、3度目となる大蔵大臣に就任。

1974年12月、副総理・経済企画庁長官に就任。

1976年12月、内閣総理大臣に就任。(渡部註:福田・大平正芳密約による。
@福田総裁に任期は2年 A幹事長は大平)

1978年、派閥解消を目指して党員投票による自民党総裁予備選挙を導入
し実施されたが、現実には大平正芳候補を支持する田中派が大掛かりな
集票作戦を展開する。

一方で福田派は派閥解消を主唱する建前や事前調査における圧倒的優勢
から動きが鈍く、当初の下馬評が覆され福田は大平に大差で負けること
になる。

福田は「予備選で負けた者は国会議員による本選挙出馬を辞退するべき」
とかねて発言していたため本選挙出馬断念に追い込まれることになる。

自民党史上、現職が総裁選に敗れたのは、福田赳夫ただ1人である。「天
の声も変な声もたまにはあるな、と、こう思いますね」の言を残して辞
任。(1978年12月)

1986年7月、派閥を安倍晋太郎に禅譲し、福田派会長を辞任。

1990年2月、政界を引退。

1995年7月5日、慢性肺気腫のため死去。享年90。

平成7年7月5日:大勲位菊花大綬章 (執筆:06・07.04)


◆次期韓国大統領選は「反日を競う」様相

杉浦 正章


慰安婦合意やGSOMIAへの影響が懸念される
 

朴槿恵は絶対外れることのない罠である「虎挟み」にかかった。遅かれ早かれ辞任することになるが、韓国政界では、早くもポスト朴に向けての動きが加速してきた。今のところ最大野党「共に民主党」前代表・文在寅(ムン・ジェイン)、来年1月に任期が終わる国連事務総長・潘基文(パン・ギムン)、城南市長・李在明(イ・ジェミョン)、第2野党「国民の党」前共同代表・安哲秀(アン・チョルス)らの戦いになる様相だ。


ただ野党が統一候補に絞る可能性もあり流動的だ。その政策は韓国大統領選に特有の「反日を競う」流れとなるだろう。首相・安倍晋三と朴槿恵がようやく築いた日韓和解という賽の河原の石積みは崩されかねない。慰安婦合意や11月23日に日韓両政府が締結した軍事情報包括保護協定(GSOMIA)の履行に誰がなっても影響が出かねない情勢だ。
 

30日付け産経新聞は11月上旬の世論調査を例に取り、大統領選挙候補者の支持率は潘基文がトップと報じているが、ひどい誤報だ。記事は直近の調査で書くべきだ。韓国世論調査会社のリアルメーターが28日発表した調査結果によると有力候補の支持率は、文在寅が0.6ポイント上がった21.0%となり、4週連続で1位を維持している。潘基文は0.4ポイント下がった17.7%だった。李在明は1.0ポイント上がった11.9%となり、安哲秀を上回って初めて3位に浮上した。


潘基文は28日、国連日本人記者団との会見で「1月1日から韓国に戻り、母国のために私に何ができるかを友人や韓国社会の指導者と相談する」と述べ、出馬に含みを持たせたが、この世論調査では内心は複雑なはずだ。
 

朴槿恵を巡る疑惑が浮上する前までは、潘基文が次期大統領の最有力候補として支持率トップを独走していたが、ここになって急速に陰りが出始めた。最大の理由は与党セヌリ党の朴槿恵に近い勢力がバックアップしていることが問題化しているからだ。坊主憎けりゃ袈裟まで憎しの状況に置かれているのだ。セヌリ党の支持率が大幅に下がって、これまで調査で1位を維持してきた潘の支持率も共に下落しているのだ。


トップの文在寅はその分得をしていることになる。一方最近めざましく進出しているのが李在明だ。その理由は日本を「敵国」呼ばわりする徹底した反日路線にある。「我々を侵略し独島(竹島の韓国名)への挑発を続けている事実上の敵国である」と明言している。その上でGSOMIAについて「日本に軍事情報を無制限に提供する協定であり、朴槿恵は大統領ではなく日本のスパイだ」と断じている。まさに「韓国版トランプ」との異名をとるだけあって、言動は候補の中で一番激しいが、訴求力は一番あるかもしれないダークホースだ。
 

支持率トップで前回の大統領選で朴槿恵に僅差で敗れた文在寅も、今年7月25日に竹島に上陸、芳名録に「東海の我が領土」と書き、日本外務省が抗議している。ばりばりの反日政治家である。潘基文も日本にとっては最悪の候補だ。国連内部の人事も韓国人ばかりを重用、国連職員組合が批判する文書を採択する事態。


ニューズウイークが「レベルの低い国連事務総長のなかでも際立って無能」と批判した。こともあろうに去年9月3日に北京で行われた「抗日戦争勝利70年」の式典に出席している。国連事務総長としてもバランス感覚など全く欠如しており、逆に事務総長の立場をフルに活用して事前運動を繰り返している。


事務総長は概して小国の政治家がなるが、韓国では世界を左右する人と誤解され、尊敬の対象だから度しがたい。安哲秀は左派のソウル大教授で54歳という若さが売りだが、他の3候補にリードされつつある。


こうした反日キャンペーンの傾向は、今後増幅しこそすれ後退することはあるまい。なぜなら、選挙戦に入れば「反朴」の主張は皆同じであろうから訴えても効果がない。従って、大衆に一番訴えやすいのは「反日」となるのだ。各候補が「反日競争」で選挙戦を勝ち抜こうとする誘惑に駆られるのは間違いない。これは誰がなっても反日政権が誕生しそうであり、日韓外交は再び賽の河原に置かれかねないのだ。


当面問題になるのは昨年暮れの慰安婦合意が滞りなく進められるかどうか。GSOMIAの履行が順調に行われるか。12月に予定している日中韓首脳会談が実現するかどうかなどに絞られる。慰安婦合意は既に日本が出した10億円で慰安婦への支給などが始まっているが、象徴となっている日本大使館前の少女像の撤去が進展するかというと、朴退陣後はまず絶望的ではないか。外相会談でも努力目標的な表現であり、朴退陣はいよいよ難しくさせるだろう。


GSOMIAについては、朴槿恵が批判をそらそうとして合意を早めた気配があるが、これがあだとなって野党の批判を増大させた。選挙戦では撤回論が出る可能性も十分考えられる。慰安婦問題合意やGSOMIAはいずれも国家間の合意、協定であり、本来なら新しい政府になっても変えることはあり得ないが、感情的な方向転換が早い国だ。何でもありと警戒しておくべき問題だろう。


安倍は毅然とした対応をすべきなのは言うまでもない。首脳会談も朴槿恵の出席はまず不可能だし、当事者能力もない。代理でやることも考えられるが、形だけの会談をしても実りは少ない。ここは当分様子見が正解ではないか。

          <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆我が畏友の死の想い

真鍋 峰松


高校時代の畏友が東京の自宅で亡くなったことを、ふと想い出した。長年勤務した大手都市銀行を経て、関連会社の常勤監査役を勤めていた。享年68歳だったのだ。いま思えば若年死だった。

高校入学15歳の時以来、55年以上の歳月を経ての永遠の別れである。愛煙家の私と違って、喫煙もしないのに肺ガンによる死であった。大阪市内の中学から入学したのが、当時は学区のトップ校と言われていた府立I高校。旧制中学校以来、来年には創立117年を迎える伝統校である。
 
高校時代の彼は、一本筋の通ったなかなかの硬骨漢。少々運動を苦手としたが、勉学の方はいつも学年上位の成績であった。

親しくなったのは、1年生の時に同じクラスだった故と記憶しているが、それよりも同じ新聞部に所属したことの方が大きい。

我々の学年は、昭和17年〜18年の生まれ。 終戦直後の混乱振りを記憶しているはずも無いのだが、多少なりともその匂いを嗅いだことのある世代ということになる。
 
高校時代は昭和33年4月〜36年3月。ちょうど、昭和35年(1960年)の日米安全保障条約改定時の大騒動の真っ只中に、最も多感な高校時代を過ごした世代である。 この安保反対闘争の余波は、当時の高校生たちにも及んでいた。

当時のI高校は教職員組合の拠点校の一つと目される程の激しい活動に巻き込まれていた。組合員である教員の中には、安保反対を唱えて、学校内で座り込みハンガー・ストライキを敢行する者も現れる始末。
 
今から考えると、幾ら自分の主義・信条と異なる政策が採択されたからと言っても、教育現場である学校での斯かる行動は到底許されることではなく、多分、現在の世の中の大半の人達には受け入れられもしまい。
 
だが、当時の校内の雰囲気は凡そ現在の社会常識からかけ離れたものであった。しかも、組合員の教員の影響の下、生徒会活動も先鋭化し、遠い記憶では、一高校でも一日、最も激しかった同じ府立の某高校に至っては、一週間以上も校門を閉鎖しロックアウトに至る異常な状態であったように思う。
 
その他の高校でも似たり寄ったりの状態では無かったろうか。 また、学校内では大学生の学生運動家など外部からのオルグ活動も激しかったという記憶もある。

このような混乱の中、我が新聞部は、組合教員の行動や外部からの学生運動家の活動を批判し、高校生らしく自制を求める論説を載せ、賛否両論の激しい渦の中に放り込まれ、挙句の果てには、一時期、反対派の生徒達によって部室に長時間閉じ込められるという苦い経験もあった。 
                                    
この渦の中、同じ考えを抱く同期生の仲間が集まり、安保反対闘争から距離を置くための校内活動を進めた。

彼は、高校時代から、確かバイク販売事業を営んでいた父親の影響か、どちらかと言えば右よりの堅実な思想の持ち主で、当時の反安保運動体制下にあったI高校の組合活動家やその影響下にあった生徒会や文芸部などの過激な行動に反対するグループの一員。 私もその一員であった。
 
今から思い起こすと、ここら辺りが55年以上も続く我々のグループ結成の端著になったのではなかろうか。 そして、現在に至るも、年一回の総会と大阪と東京それぞれの地区に分れ、勉強会と称する親睦を深めてきた。 
                     
この総員14人の仲間は、何しろ15〜16才の紅顔(厚顔)の美少年時代(?)から55年以上も経ち、今や前期高齢者の仲間入り。卒業した大学や専門分野が違い社会人としてのその後の身の振り方も様々だが、今ではその殆どが現役を引退。

僅かに、現役組には医者が二人、会社社長が一人、大学教員二人として残るのみ。寂しいことではあるが、いよいよ会員の殆どが“毎日が日曜日”状態になりつつある。
                                    
思えば、我われのグループは、当時の反安保闘争の中で発足し、少々オーバーな表現だが、高校時代はもちろん、戦後の高度経済成長期などの政治・経済の激動の時代を共に闘い、共に生き抜いてきた仲間たちである。

そして、思いがけなくも、彼が仲間の最初の物故者ということになってしまった。当時のいがぐり頭の面影を我われの脳裏に残しながら。

2016年11月29日

◆2020 次の大統領選挙

宮崎 正弘
 

<平成28年(2016)11月28日(月曜日)弐 通算第5112号 > 

〜2020 次の大統領選挙。民主党候補ラインアップ
  クリントン人脈から女性が4人、リベラル色強い候補者ばかり〜

バイデン副大統領は、すでに野心潰え、事務所を畳む。
 ヒラリー・クリントンも、2回落選。次の望みは絶たれ、批判の強かっ
た「クリントン財団」を株式会社にでもするか、先行き社会活動でも展開
するのだろう。

民主党の若手が早くも準備に入ったとワシントンポストが伝える6人の
「候補」予定とは、誰々か。

コリー・ブッカー上院議員がファースト・ランナーとなるかも知れない。
ニューアーク市長。スタンフォード大学にロード奨学金で入学。フット
ボールの花型選手だった。黒人。47歳。カリスマ性がある。

キルステン・ジリブレッドはヒラリーの愛弟子、ヒラリーが大統領選のた
め、NY上院銀を止めたときの後釜。49歳。女性。

カマラ・ハリスはカリフォルニア州から上院議員に当選したばかり。カリ
フォルニア州司法長官からリベラル色を鮮明にして上院議員選挙では1300
万ドルの政治資金を集めた辣腕に衆目が集まる。黒人女性。

ジョン・ヒッケンルーパーはコロラド州知事。共和党主流と変わらない穏
健派ゆえに、予備選で苦戦が予想される。コロラド州は、民主党がトラン
プを破った。

アミィ・クロブッチャーはミネソタ州選出の上院議員。女性。

そしてダークホウスで、もっとも強力な候補はファーストレディのミッ
チャル・オバマ大統領夫人だ。ファーストレディが大統領候補というの
も、ヒラリー流儀に倣うことになり、一部に支持者がいる。

   

◆「監獄島ではなかった」の確からしさ

櫻井よしこ



「産業革命遺産の軍艦島を見て分かった「監獄島ではなかった」の確
からしさ」

10月末の日曜日、早朝の便で長崎に飛んだ。明治産業遺産関連の取材で、
昨年7月に国連教育科学文化機関(ユネスコ)に「明治日本の産業革命遺
産」として登録された端島、通称、軍艦島に向かった。
晴天に恵まれ、海は穏やかだった。港や桟橋などの施設が乏しい軍艦島
は、波が高くなると上陸できないため、島に上がれるのは年間200日ほど
だという。私は長崎市内から陸路伝いに南の方まで下り、野々串港という
小さな漁港で小舟に乗った。
 
10分ほどで島に着いた。狭い島には、日本初の鉄筋高層ビルが約30棟も並
び立っている。1974(昭和49)年に採炭を中止し、住民が去り、それから
40年余り、島は幾十度台風に見舞われたことだろう。鉄筋コンクリート造
の建物は、壁や窓枠が崩落してはいるが、それでも枠組みはしっかり立ち
続けている。
 
特別の許可を得て約2時間かけて島を歩いた。小学校の建物があり、中
学校のそれがある。病院があり、タイル張りの手術室が残っている。地下
には大浴場があったが、いまは立ち入ることはできない。当時の最大の娯
楽、映画館(昭和館)の跡も残っている。
 
鉄筋高層の住居棟がコの字形に建築されており、3つの棟に囲まれた広場
は子供たちの遊び場、運動場でもあった。島の東側に一群の建物が並び
立っているのは、台風などによる大波で一家の主人である父たちの働く採
炭のための竪坑が浸水するのを防ぐためだったという。
 
端島では江戸時代から磯掘りが行われていた。1869(明治2)年以降、台
風や出水という問題を乗り越えながら開発が行われたのだ。三菱財閥が端
島炭鉱の経営に乗り出したのは、1890(明治23)年である。

1900(明治33)年には米国のGE(ゼネラル・エレクトリック)の直流発
電機を設置して、世界有数の海底炭鉱へと発展した。この点が、今回、世
界産業遺産に指定された理由である。
 
その間に端島は採炭に伴って生じるいわゆるボタ(選炭後に残る商品にな
らない石炭)を材料にして、埋め立てを行い、現在より狭かった島を多
少、拡張した。それでも、総面積は6万5000平方メートル、1万9700坪だ。
 
この島で人々がどんな暮らしをしていたのか。韓国などは「強制労働の地
獄のような島」だったと主張する。
 
そのような非難の声があることも承知で、いざ現場に立って驚いた。私の
耳に人々のさんざめく声が聞こえてきたのである。建物と建物の間の狭い
道に所狭しと並ぶ店──、これを人々は端島銀座と呼んだ。

そこに集い買い物をする人々、走り回る子供たち、島の1番高い所に通ず
る急峻な階段を駆け上がる若者たち、頂上に建てられた端島神社へのお参
りを欠かさない律義な人々、高層建築とは対照的に、低層の木造家屋で営
まれていた3軒の遊郭。島にないのは火葬場とお墓だけ。狭い島の中に、
全てが備わっていた。そこに最盛期は5267人が住んだ。
 
この小さな共同体で、軒を連ね、全てを分かち合って暮らさざるを得ない
空間で、一部の人間が、朝鮮半島出身者だという理由だけで、強制労働で
むち打たれ、地獄の暮らしをさせられることは、隣人たちもそれを受け入
れていたことを示す。そんなことは可能性として成り立たないと実感した。
 
長崎市は、韓国側の非難に、「島民は、共に遊び、学び、働く、衣食住
を共にした1つの炭鉱コミュニティーであり、1つの家族のようであったと
いわれている。島は監獄島ではない」との見方を示している。現場に立て
ば、長崎市の言い分が圧倒的に自然である。当時を知っている人はまだ複
数存命する。彼らから真実の声を聞くべきだ。

『週刊ダイヤモンド』 2016年11月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1157



◆日本における売春の現状

渡部 亮次郎



私の大学在学中に国会で売春防止法案が審議されて成立。卒業とともに売
春宿はなくなった。しかし法律は「防止」であって「禁止」ではないこと
が示す如く、売春はなくなっていない。

売春防止法は『何人も、売春をし、又はその相手方となつてはならな
い。』としている。

しかし、売買春そのものに刑罰は設けられておらず、売春防止法におい
て、売春行為自体は禁止されていても、刑罰の対象とはならない。

その理由としては、売春防止法制定当時の官僚による国会答弁が参考となる。

<性欲の捌け口を作ることで性犯罪を防止すること、諸先進国では合法化
されている国が多いこと、風俗業従事者の生活維持、地域経済・税収への
深刻な影響を挙げている>。

他方、売春防止法では単に売春を行ったという単純売春(条例に反さない
範囲において)は刑事処分対象外であるが、売春の勧誘、周旋、売春契
約、売春をさせる業(俗にいう「管理売春」は、これに含まれるなど売春
を助長する行為は禁止されており、刑事処分の
対象となる。

売春防止法が売春そのものを禁止するのではなく、売春を助長する行為を
禁止しているのは、そもそもの立法経緯において、女性の性的役務の隷属
被害や、暴力団等や親による搾取行為を無くすのが主
目的で、売春行為自体を取り締まる事が主目的ではなかった。

『売春が人としての尊厳を害し、性道徳に反し、社会の善良の風俗もので
あることから、売春を助長する行為等を処罰すると共に、性行又は環境に
照して売春を行うおそれのある女子に対する補導処分及び保護更生の措置
を講ずることによって、売春の防止を図るこ
とを目的とする』為である。

売春防止法の他に、児童買春・児童ポルノ禁止法が存在する。児童に対す
る性的搾取・性的虐待を防止し、児童の権利を擁護することを目的として
いる。

売春の斡旋、あるいは売春をさせる業を為すことは刑罰の対象となってい
るが、斡旋ではなく知り合った男女が売春しているにすぎないという建前
を用いてソープランドでは公然と売春が行われている。

旧赤線地帯などでは、ソープランドのような風呂を設けずに個
室で売春させている所も多く、ファッションヘルス、ホテトルなどにおい
ても、店が売春を黙認している所もあるなど、売春の斡旋、売春をさせる
業を為したということで処罰されないよう、店側は関知しないという建
前、暗黙の了解のもとに営業している例は見られる。

この外、テレクラ、出会い系サイトを発端として当事者同士の合意で売買
春がなされる場合や、ラブホテル付近に売春する側が立ってが客待ちを
し、売買春が為される場合などもある。

また、韓国で2004年に性売買特別法が施行された結果、韓国人売春従事者
が日本をはじめとする海外諸国で「遠征売春」が増加しているといわれる。

◆自由貿易で日中対峙は不可避の兆候

杉浦 正章
 

TPPは高度の国家戦略で長期戦を
 

トランプは米国を再び偉大な国にできない。逆に中国を偉大な国ににしてしまう。それが環太平洋経済連携協定(TPP)を巡る構図だ。トランプによって早期発効は困難となり、トランプが作る自由貿易の真空地帯を中国が埋めるか、日本が埋めるかの勝負になりつつある。


人民日報は東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の早期締結に向けての主張を展開し始めた。RCEPをテコに米国抜きの弱体化したTPPを巻き込み、中国主導の貿易システムの構築を図る意図を次第に明らかにし始めたのだ。これはTPPが最も嫌う社会主義市場経済を柱に据えた貿易システムが環太平洋を支配することにほかならず、首相・安倍晋三は阻止しなければ中国に主導権を完全に奪われる。米議会の諮問機関の発表によると中国が濡れ手にアワで勝ち取る経済効果は880億ドル(約9兆6千億円)に達するという。
 

早くも17日の段階で人民日報の電子版人民網が中国の今後の戦略を説き起こしている。それによると@大統領選の勝者がトランプ氏だっただけでなく、共和党が上下両院で主導権を握ることにもなった政治情勢の下、オバマ大統領が議会でTPPを発効させることは不可能になったAバトンをつなぐのは誰かといえば、世界3位の経済大国の日本は、ほぼ準備ができているようにみられ、日本はTPPをめぐってリーダーの責任を果たす意志を明らかにした


Bアジア太平洋地域の二国間・多国間の自由貿易メカニズムには、いずれもリーダー役が必要であり、米国が政治的要因でTPPをあと少しのところで挫折させた今、中国はアジア太平洋地域一体化の推進でより多くの責任を果たさなければならなくなったといえるーとの戦略論を展開している。紛れもなく中国が主導権を握るべきとする論調だ。


そして人民網は、ペルーのクチンスキ大統領が、「米国を含まない新しい環太平洋経済協力協定を構築すべきだ」と延べ、オーストラリアのビショップ外相は、「TPPが進展できないなら、その空白はRCEPが埋めることになる」と発言していることをとらえてTPP内部崩壊の兆しを予言している。
 

こうした動きをとらえてか米議会の諮問機関「米中経済安全保障調査委員会」は16日公表した年次報告書で、TPPが発効せず、中国が主導しているRCEPが発効した場合、中国に880億ドル(約9兆6千億円)の経済効果をもたらすとの試算を紹介した。トランプの主張するTPP脱退が逆に中国の立場を強めると警告したのだ。
 

一方選挙中「就任初日にTPPから離脱する」と主張していたトランプは、東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳会議による「あらゆる形態の保護主義に対抗する」という宣言に、まるで当てつけるかのように「就任当日に離脱を通告する」と再度明言した。度しがたい男はいっぱいいるが、度しがたい次期大統領は初めて見た。


トランプほど事の重要性を理解しないで発言する次期大統領は見たことがない。トランプの主張と異なり、米国の通商関係のあらゆるデータはTPPで雇用が失われると指摘しているものは一つも無い。さらにトランプはTPPの極東安保上の戦略的意義など全く認識の外だ。TPPは自由貿易の推進に加えて非関税障壁の撤廃に重点を置いており、国営企業を中心に社会主義市場経済路線を推進している中国の路線とはまったく合致しないのだ。


合致しなくて中国が入ることができないからTPPには中国包囲網としての効果があるのだ。にもかかわらずトランプは対中強硬路線を唱えながら、TPPの撤廃を唱えており、まさに小学生でも言いはばかる論理矛盾なのだ。
 

代替措置としてトランプは2国間交渉で自由貿易を進める方針を唱え始めたが、多数を相手にしては不利になるから1国づつ個別に籠絡しようという野心がすけすけで、乗る国は少ないことは自明の理だ。中国は対米輸出制限につながるから、安易には応じないだろう。米国では「箱を開けたら死んだ猫が入っていた」というブラックジョークがはやっている。


確かに実際に就任式のふたが開いたら、何をしでかすか分からない危険性のある大統領だ。しかし、中国にしてみればトランプの反TPP路線は願ったり叶ったりであり、まさに大統領選は棚から牡丹餅の幸運を中国にもたらすかに見える。


しかし、これに待ったをかけられるのはTPP賛同諸国ではGDPトップの日本の安倍しかいない。安倍はいわば「対中自由貿易論争」の先頭を切らざるを得ない役割が巡ってきているのだ。


従って今国会でのTPP批准は絶対に避けて通れない。女の淺知恵とは差別用語だから言わないが、蓮舫のように事態の重要性を理解せず言葉尻を捉えてニワトリが自分の前の餌だけをつつく質問を繰り返すような野党党首は無視した方がよい。蓮舫は、安倍トランプ会談が会うこと自体に効果があったことを全然理解していない。
 

安倍のとるべき戦略はまずTPP加盟国の批准を促し、外交ルートを通じて中国による分断工作に乗りそうな国々への説得工作を続けることであろう。そうして団結を維持して、トランプがようやく事態の何たるかを悟るまで待つ作戦だ。熟柿を待つのだ。


ホワイトハウスという場所はこれまでトランプが得ていた与太情報とは異なり、情報のレベルと質が格段に異なる正確な情報が上がってくるところである。その情報を分析すればするほどTPPの重要性を理解せざるを得なくなるのだ。
 

加えてRCEPでも、日本代表は社会主義市場経済の欠陥を露呈させて、RCEP主導でアジア太平洋自由貿易圏(FTAAP)へと発展させることにくさびを打つべきであろう。FTAAPは何らかの形で米国を巻き込んで、TPP主導で実現を図るべきであろう。トランプを説得してTPPは嫌でもFTAAPはいいと言わせるのも手かもしれない。


猿にトチの実を朝に三つ、暮れに四つやると言うと少ないと怒ったため、朝に四つ、暮れに三つやると言うと、たいそう喜んだという朝三暮四戦略である。ここは長期戦に持ち込み、中国の早期実現論にくさびを打ち込んだ方がよい。まさに高度の国家戦略が今こそ必要なときはない。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆リハビリって、再び生きること

 向市 眞知 (ソーシャルワーカー)


「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとてもくせものです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者様もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練をさすだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者様、家族様のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとのもくあみです。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者様に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士さんの訓練の20分が終われば、患者様自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さんまかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。

療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者様も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていくいきごみが大切です。

                

2016年11月28日

◆「李克強インデックス」

宮崎 正弘 



<平成28年(2016)11月25日(金曜日)参 通算第5109号 >  


 〜お蔵入りだった「李克強インデックス」を急遽復活させた
   「これは都合が良い」とばかり第3四半期の統計に適用〜


ウィキリークスがすっぱ抜いた「李克強インデックス」って何だったっけ?

李首相が遼寧省書記のころ、面談した米国大使との会話で語った内容とは
「私たちは政府発表の経済統計を信用していない。(あれは作文である)」

驚いた米大使が訪ねた。

「それならあなた方が信用している経済統計とは何か?」

李曰く。「電力消費量、鉄道貨物輸送量、そして銀行の融資残高です」

この李克強インデックスを用いると、2015年の経済指標は電力消費が横ば
い、ややマイナス。鉄道貨物輸送量がマイナス11%だったから、「中国経
済のGDP成長率はおかしい。天地の乖離現象がある」と世界のエコノミ
ストが中国政府国家統計局発表の数字を疑ってきた。

「李克強インデックス」は「チト、まずい」ということになり、お蔵入り
していた。

とくに習近平政権となって李克強首相との間にはビュービューと「すきま
風」が吹き荒れ、李インデックスなぞ使うわけがなかった。

11月23日、突如、思い出したのだ。「李克強インデックスを、今期の統計
発表では『適切である』から使おうぜ」と。中国はことしのGDP成長率
を6・6%から6・7%へと上方修正した。

第1に電力消費量が伸びた。上半期の伸びは2・7%でしかなかったが、
第三四半期は7%のアップを示した。

第2に鉄道貨物輸送量が2016年10月に11・2%伸びた。「よっしゃ、これ
も使おう」

現実は季節的要因と一時的に電力需要が集中したためで、電力の家庭消費
量に限って言えば横ばいである。

鉄道貨物輸送は輸出入ばかりか軍の移動に使われる。部隊の移動が10月に
集中した所為か、どうかの具体的内容の開示がない。輸出入貿易は港湾の
コンテナ取扱量でわかるが、その発表はまだない。

『李克強インデックス』のもう一つ、「銀行の融資残高k」の開示がな
い。それは発表するには『不都合なデータ』であるからだ。

権力闘争のあおりで、お蔵入りしていた李克強インデックスを、第3四半
期の統計では『成長に見せかけるに都合がよい』とばかりに持ち出して適
当なところだけを切り取って利用する。

共産党の常套手段とはいえ、機会便乗主義のそしりは免れないだろう。

11月24日の為替レートは一段の人民元安を示した

同日、江西省の発電所建設現場で組み立て中の足場が崩壊し、80人近くが
死ぬという痛ましい事故が起きた。