2017年01月31日

◆標準語と軍隊規律

大江 洋三



1937年の南京事変が一昨年10月に「南京大虐殺」として世界記憶遺
産に登録されて幻が現実になった。あの時はマサカと思った。

慰安婦問題と同様に、国内に同調し輸出する者がいたし、NHKや朝日・
毎日も追随したからマサカと思った人は少ないだろう。

そこに風穴を開けたのが、アポホテル個室に置かれた読み物である。19
日に、シナ政府(中共)の報道官が「歴史の歪曲」と非難していたから、
ここは、手を変えてアポホテルの応援をしなければならない。

中共が、子供たちに公用語として簡体字を与えている。漢字は一字々々に
意味をもつが、圧倒的な簡略化で漢字の意味そのものを失うから、子供達
には外国語を学ぶ事と同じ意味になるだろう。

いつぞやのNHKの放映によると、簡体字にローマ字を振って子供たちに
読みを教えているが、我々が漢字にカナを振って読みを知るのと訳が違
う。なりふり構わず標準語を整備し教えている事が解る。

一方で、都市部ではスマホを操る若者も多いし、それにネットの書き込み
も多いから一定の成果は出ているようだ。これらの現象はシナに1949
年、久ぶりに中華人民共和国(中共)という「統一政府」ができた事と大
いに関係がある。

それ以前は?

シナの歴史については、泰斗・岡田英弘名誉教授の弟子でもあり、女房殿
でもある宮脇淳子女史から教わる事が多い。

漢字はシナ王朝の高級官僚の統治用語として存在したが、その他は多民
族、多部族、多言語社会のままであった。読みを含めて、漢字文字が下々
に普及した事は全くなかった。この点が、助詞を開発して文を構成し普及
した日本語漢字と大きく異なる。

19世紀半ばから20世紀半ばまでは、シナは騒乱期で統一政府はなかっ
た。19世紀に入るや満州族の建てた清王朝が傾きだして、いつもの通り
言葉の異なる幾つかの軍閥が台頭した。その中の一つに浙江省の蒋介石軍
閥がある。

軍隊も、平時と戦闘時では「言葉の扱い」は全く異なる。

戦場における上官の命令は、ゴッド神の言葉の如く絶対である。少しでも
疑う兵がいれば戦闘単位にならない。

これも標準語教育を受けた者を、軍事教練する事により得られる。あるい
は入隊させた後で教練として標準語を鍛える場合もある。地方なまり言葉
や文では命令にならないからだ。

従って、標準語を持つ軍隊と、持たない軍隊の性質は別物である。言い換
えれば、共通の識字が有るか無しかである。

シナの歴史にしばしば起きることだが、農村部(文盲貧民)を食(餌〉で
釣れば、直ぐに大軍(群)ができる。

一例に明王朝を取り上げると、創始者・朱元璋は1368年に南京で皇帝
に即位しているが、もとは貧農民盗賊の親分の一人であった。盗賊群は、
ある意味の貧農救済組織で忽ち大群になる。

一方の蒋介石夫婦は浙江閥の大金持ちであったから、読み書きできない私
兵をかき集める事ができた。彼は日本陸軍の将校を務めた事があるから、
自分の命令言葉が下達しない事にイライラしたであろう。

この種の、標準語を持たない間に合わせ軍隊は、上官の個別の命令が届か
ないから、保身のため各個バラバラの動きをする。こういう軍隊では敵前
逃亡を防ぐため、銃を構えた督戦隊が後ろに控える。

異民族など言葉の通じない兵を最前線におく場合、ユーラシア大陸では普
遍的に起きる現象である。そのため、腰の引けた兵は後ろの味方と戦う事
になる。こういう現実が南京でも起きている。

督戦隊を持つ軍隊の、もう一つの特徴は、略奪・強姦を兵の解放として黙
認している事である。だから、日本軍の来る処に人々は集まった。

板垣征四郎麾下の南京派遣軍が、期限付きの無血開城を申しいれたにも拘
わらず、南京城防衛司令官の唐生智は無応答であった。というより、派手
に籠城主戦論をぶっている。因みに唐生智は湖南軍閥上がりである。

応答がなければ派遣軍は攻撃するまでで、察した唐生智は部下を置きざり
にして単独で逃げだしている。

将がそうなら、兵は尚更そうであった。後に逃げれば督戦隊にやられる
し、武器をもったまま軍装を解いて民家に隠れた。

派遣軍もシナの常識は心得ていたから、入念な家宅捜査が行われた。そう
しないと、安心して平定統治ができないからだ。軍装を解いて武器を隠し
ていれば、派遣軍は「民間人なりすまし」と見做し引っ張りだした。

シナには靴を脱いで部屋に入る習慣がないから見つけるのは簡単である。
戦場には敵か味方のどちらかしかいないから、当たり前だが恭順しない者
は殺した。

今日でもアメリカの警察官は「止まれ」に逃げ出すと発砲する。平時です
らそうだから戦時では尚更である。占領統治にあたっては、自軍の安全確
保のため闇を無くすることが最優先である。ここら辺りは、現行憲法下で
は戸惑う人も多いだろうが、戦時・平定戦の常識である。

また、「民間人成りすまし」はハーグ陸戦条約違反だから、派遣軍は徹底
的に掃討した。つまり、国際法における権利の行使をした。蒋介石国民党
は中華民国を名乗って同条約に署名していたから遠慮はしなかった。

日本軍は権利に基づき「シナ兵」を捕虜あるいは殺したのであって、民間
人を殺したわけではない。だから従って虐殺ではない。

略奪は、兵士個人の部分としてはあったであろうが、日本軍は現地物資を
軍票(通貨)で買って調達したのであって略奪をした事はない。あれば、
撤退焦土作戦をした蒋介石軍である。なにせ督戦隊を必要としたのだ。

既に、軍票は従って円は、かの地の物の交換価値(値段)を定めていた。
通貨は発行元の信用がなければ流通しない。終戦後、かの地が物価高に
なっているのは日本軍が通貨統治していた証である。通貨統治のないと処
で、インフレもデフレも起きるはずがないからだ。日本軍の憲兵隊と経理
隊は良く機能したのだ。

ついでに、日本軍将兵に督戦隊の必要性は全く無かった事を加えよう。裏
返して言えば、軍人勅諭をはじめ平素から日本兵は、共通の読み書きがで
きたという事だ。

その後の、唐生智は反蒋介石の毛沢東政権下でも出世しているから、よく
仕事のできる共産党(コミンテルン)の手先だったのだろう。そうでなけ
れば、猜疑心の強い毛沢東が召し抱えるはずがない。

彼らにとって、市街戦で多くの民間人が死亡することが望ましかった。そ
れが南京大虐殺の実態である。多数の「民間人犠牲者」を出す事は、革命
の本質みたいなものだからだ。

言葉・文字から言えば、統一語たる標準語を持たなかった言質を信じて、
持っていた派遣軍の記録を信じないのは、初めから政治目的があるという
事になる。

それこそ、彼らのいう「歴史の歪曲」である。

◆日中友好を願うは大罪

渡部 亮次郎



L日中国交正常化以前、日本人で日中「友好」なんて口にする者はいなか
った。昭和47年、政権を獲得したばかりの田中角栄氏が首相として北京
に乗り込んだ途端に中国が言い出した言葉なのである。

日本人は愛する者に「愛している」とは言わない。気恥ずかしいからで
ある。口には出さぬが深く愛しているのである。奥ゆかしいのだ。

中国人は愛して無くても口先では愛しているという。共産党の幹部にな
ると愛人が何十人もいるという猛者がいるそうだ。今回、党籍を剥奪さ
れた前重慶市党委書記薄煕来氏は、その理由として愛人問題が指摘され
た。愛なき愛人が一杯いるのだ。

「多くの女性と不適切な関係を持った」。おゝこわ。

彼らは彼らの都合で日本を餌食にしているだけなのに、こともあろうに
対中、対韓関係の改善を急ぐべきだなどと頓珍漢な主張を掲げて自民党
内の主導権獲得を目指す人いるのにはのには呆れるばかりだ。

私は1972年9月、田中角栄首相にNHK記者として同行し、日中国交正
常化の現場に立ち会った。その6年後に今度は園田直外相の秘書官とし
て日中平和友好条約の締結に力を尽くした。ODA(政府開発援助)供
与開始に責任を負ったのである。

このときの中国は毛沢東、周恩来が既に世を去り、共産党資本主義を掲
げるトウ小平の時代に入っており、工業、農業、国防、科学技術の近代
化(四つの現代化)実現に狂奔しており、わが方の莫大な資金と科学技
術が必要不可欠になっていた。

元々中国が佐藤内閣までの聞くに堪えない日本非難を突然止めて中日友
好こそがアジアの安定を齎す、そのためには戦時賠償を放棄するといっ
て田中内閣に国交正常化を求めてきた時、わが方は日中戦争の贖罪意識
もあって簡単にその手に乗った。彼らが全体主義国家であることを忘れ
た。人情で考えてしまったのだ。

また日中平和友好条約の時は、彼らの方から「覇権主義称揚の禁止」を
条約中に書き込むことを執拗に要求してきたため、田中、三木両政権は
対応できず、調印、締結を断念した。

今思えば、この頃わが方は完全に中国の掌の上で裸踊りを踊っていたの
だ。なぜなら3度目の政治復活を果たしたトウ小平は、わが世の春を謳
い、国の舵を資本主義に切り替え、アジアにおける覇権確立を企図して
いた。

そのためにはとりあえず日本の資金と技術を獲得することを主眼として
いたのであるから、条約の区々たる文言なんかどうでもよくなっていた
のである。6年も纏まらなかった条約が、人民大会堂でなんらの議論も
なしに妥結したのを思い出す。中国は都合が変ったのである。


あれから34年。江沢民、胡錦濤時代になって急に対日姿勢が厳しくなっ
たように誤解する向きがあるが、違う。所得、地域格差の矛盾に悩む共
産中国が体制維持のために求める敵を日本と設定しただけであって、靖
国は方便に使われているに過ぎない。それなのに靖国を総裁選挙の争点
にするとは売国的大罪である。中国の手に乗ってはいけない。


政治は共産主義のまま、経済だけを資本主義に切り替えたトウ小平。国
が僅か30年で世界2位のGNP大国になるとは予想していなかったはず。
まさか航空母艦を持つ海軍大国になるなど予想していなかったはずだ。

精々国中を新幹線が走るぐらいの夢しかなかったはずだ。だからあのと
きは海底に眠る石油とガが欲しくて尖閣棚上げを主張したのである。

それが今や目的が変わった。海軍国家中国として太平洋の半分を制覇す
るためには尖閣が邪魔でしかたなくなったのである。それなら「奪って
しまえ」となったのである。

この期(ご)に及んでも中国と「友好」でなければいけないと主張する
輩(やから)が自民党員にもまだいるらしいが、やめたほうが良い。

「中日友好」は「日本強奪」の包み紙なのである。それなのに「日中友
好」を日本人が願う事は当に「大罪」なのである。





◆皇女和宮の死因は急性心筋梗塞

石岡 荘十


NHK大河ドラマとしては久々に当たった「篤姫」再放送のことをが思い出した。中々良く出来た大河ドラマだった。

ところで、このドラマに登場する将軍に降嫁した皇女和宮ことだが、和宮は脚気(かっけ)だったといわれる。挙句、今風に言えば、急性心筋梗塞に襲われたのだった。

簡単におさらいをしておくと、和宮は弘化3年(1846年)仁孝天皇の第8皇女として生まれるが、公武合体を図る幕府の画策の末、文久2年(1862年)、14代将軍徳川家茂の妻となった。ともに16歳だった。

慶応元年、家茂は20歳のとき、長州征伐のため大阪に赴いたが、翌年大阪城で病死する。死因は脚気だったとされている。

脚気はビタミンB1の欠乏による末梢神経障害、下肢のしびれ、心臓の機能に異常を起こす原因となり、心機能の低下、心不全(衝心)を起こすことから、昔から「脚気衝心(かっけしょうしん)」と呼ばれている。

NHKのドラマでは、家茂は江戸城で胸をかきむしって、最後は、勝海舟に抱きかかえられて息を引き取るシナリオとなっている。現代の病名で言うと、脚気から急性心筋梗塞を起こした、というのが定説である。

「将軍家十五代のカルテ」(新潮新書 石川英輔)によると、3人の将軍が脚気衝心で死んでいる。10代・家治、13代・家定、それに和宮の夫15代・家茂の3人だ。

10代・家治の頃(在職1760〜1786)から江戸の裕福な家庭では、ビタミンB1を含む米糠や玄米を丹念にといだ精米をたべる習慣が広まった。

まず富裕層に患者が多発、江戸末期には一般庶民にも患者が出るようになったことから「江戸患い」と呼ばれたという。115代桜町天皇(在位(1735〜1747)もこの病に冒されて亡くなったという説もある。

さて皇女和宮である。

和宮は夫・家茂の死後、大政奉還の後、1868年、江戸城を出て一時、江戸に住んでいた。明治になって京都に帰ったが、東京に移られた天皇の勧めで明治7年、東京に移住。

それが<数え32歳の頃、脚気の病になり、明治10年8月7日から箱根塔之沢「元湯」に静養のため滞在、(中略)26日目、俄かに衝心の発作が起こり>(以下、ウイキペディア)、他界した。

つまり現代医学で言うところの脚気の合併症たる急性心筋梗塞で亡くなったと考えられる。

脚気は明治時代、日本の風土病と考えられ、都市部の富裕層や陸軍に多発していた。が、じつは<脚気は栄養障害の一種と断定したのが高木兼寛、ビタミンB1の単離に成功したのが鈴木梅太郎である>

海軍では高木がパンや麦飯を出したところ、海軍では脚気を根絶した。

ところが陸軍では森林太郎(森鴎外)らが麦飯に反対。麦飯しか食えなかった田舎から徴兵した健康な兵隊に白米を食わせ、多くの脚気患者を”生産“するという皮肉な結果を招いた。

日清・日露戦争では戦死者より多い数万人の兵士を脚気で病死させている。麦飯を支給した海軍に病死者はなかった。

明治天皇も脚気に苦しみ漢方による食事療法を希望視したが、森を中心とするドイツ系学派の侍医に反対され、西洋医学そのものに不信を抱いていたといわれる。(この項については、主宰者がいつだったか詳しく書いている)。

原因がB1欠乏と分からないまま、<大正時代以降、精米された白米が普及し、副食を摂らなかったことで非常に多くの患者を出し、結核と並んで2大国民病とまで言われた>

脚気が根絶されたのは1952(昭和27)年になってからだ。ビタミンB1の工業生産に成功し、安く簡単に摂取することができるようになったためだ。

ところが、1972年に脚気が再燃したことが、日本内科学会誌で取り上げられている。原因は若者を中心に、砂糖の多い飲食品や副食の少ないインスタント食品といったビタミンの少ないジャンクフードをよく食べるようになったためだといわれる(糖分の消化にビタミンB1を大量に消費するため)。

脚気は心臓にダメージを与える。心筋梗塞は老人の病気だという考えが一般的だが、若い人の食生活を見聞きすると、家茂・和子夫妻がそうだったように、若くして脚気衝心から急性心筋梗塞を発症する患者が増えてくる恐れがある。(再掲)

◆見えてきたトランプの“本性”

杉浦 正章



ディールの“弱点”も露呈
 

世界中がトランプの“本性”を探ろうと躍起になっている。外交ルートはもとより諜報機関を通じて情報を得て、その“真の姿” を描き出そうとしている。CIAのスパイ活動は公になった情報の分析が97%であると聞いたが、それなら筆者の手法と同じだ。


筆者は公開情報を数日かかって集めて、その上で“推理”を働かせる。したがって、記事の90%は推理である。しかも書く記事は情報量の10分の1である。情報収集には1つの記事で7時間から12時間かけている。


そこでまず就任前と就任後10日間のトランプの言動を分析・推理すれば、そこに見えるのは浅ましいほどの商人根性である。多くが「高くふっかけて値引きする」ところにある。それが英国首相メイ、メキシコ大統領エンリケ・ペニャ・ニエトとの会談に如実に表れている。これは早くもトランプの“弱点”が露呈したことになり、首相・安倍晋三を始め各国首脳は、今後この駆け引きの掛け値に引っかからないだろう。


なぜなら世界の名だたる指導者たちは、“政治駆け引き”でぬきんでているから存在しているのだ。ディールは、政治ど素人のトランプの専売特許ではない。まだいかなる会談もしていない中国とのディールが最大の焦点だ。
 

それでは米外交防衛の要である国務長官レックス・ティラーソン、国防長官ジェームズ・マティスら政権中枢は何をしているのだろうか。議会の公聴会を聞く限り、正常な感覚の持ち主だ。この米国の超エリートが、事態を掌握する能力がないはずはない。おそらく今のところは“ご乱心の殿”トランプに世界・国内の「反発」を実感させて、「方向を転換」を悟らせるような対応を基本としているのではないか。


両者共官僚組織の進言を重視している。とりわけマティスは国防総省からのアドバイスで最初の訪問国を日本とした可能性が高い。誰が見ても膨張政策の中国をにらんだ在日米軍基地は、米国の世界戦略の第一の要であり、これを毀損するような発言をしたトランプ路線を引き継げば、より窮地に立つのは日本ではなく米国であるからだ。横須賀の米第7艦隊は中東までをにらんだ存在なのである。
 

それでは、トランプ流「値引き」である譲歩の手法を実際の会談から分析する。まずニエトとの会談である。トランプはニエトに対して国境の壁の建設資金を要求したうえに、譲歩しなければ「会談しない」と脅しをかけていた。しかしハンサムな上に反トランプで世界的に男を上げているニエトは、会談しなくて結構とけつをまくった。トランプがどう出たかと言えば妥協である。両者は電話会談で「壁の負担については協議を通じて解決を目指す」事で合意した。ここにトランプの弱点が露呈した。強く反発すれば折れるのだ。
 

同様に値引きはメイとの会談でも如実に表れた。トランプはかねてから北大西洋条約機構(NATO)の存在を批判し続け、「NATOはテロに対応できていないから古い」などと表明し続けた。しかし、メイはおそらくトランプにNATOの軽視は自殺行為などと警鐘を鳴らしたのだろう。


メイが記者会見で暴露した「大統領、あなたはNATOを100%認めると言いましたね」という言葉は、おそらくトランプの本音であろう。それを公の記者会見で暴露するメイも相当な女だ。トランプがホワイトハウスの回廊で手を握ったくらいでは、“落ちない”のだ。トランプはメイ発言におたおたしていたが、熟練の政治家は単純なトランプを手玉に取るくらいわけもないことを知らされた一幕であった。
 

さらにトランプの変節を挙げれば、日本の核武装論である。選挙中トランプは在日米軍の撤退を示唆したかと思うと、北に対抗して核武装を勧めるといった具合だったが、最近では一切口にしなくなったばかりか、「そんなこと言っていない」と打ち消している。淺知恵で思いつき発言をしたが、日本の核武装は、世界戦略の激動を意味すると、専門家などから忠告を受けたフシがある。忠告したのはキッシンジャーあたりかもしれない。
 

また水責めなど拷問についてトランプは「拷問は間違いなく効果的で有用だと考えている。IS(イスラム国)が中世以来誰も聞いたことのないような行いをしているという時に、水責めがなんだというのか。私としては、『毒をもって毒を制す』べきだと考える」と意気軒昂だったが、マチスが否定的な発言をした。これに対するトランプの反応は「マチス氏は専門家なので尊重する」であった。ここで露呈した弱点は専門家の言辞には左右されるという側面だ。
 

では対日関係でどう出るかだが、トランプは選挙中二つの重要な発言をしている。その第一は「日本が攻撃を受ければ米国は軍事力を全面的に行使しなければならないが、米国が攻撃を受けても連中はテレビを見ている」と発言した点だ。


この誤謬はどこから来ているかと言えば、やはり70年代80年代の「安保ただ乗り論」からだろう。しかし安保条約には5条で米国の日本防衛義務、6条で日本の基地提供義務が明記されており、日本はその線に沿って対応しているだけだ。さらに昨年成立した安保法制で、米国に向かうミサイルの阻止など大きく戦略が転換されたことが分かっていない。無知という弱点をここでも露呈している。


第二は「公平な駐留経費の支払いが必要だ。さもなければ軍を撤退させる」発言だが、これも無知から来る弱点の最たるものだ。日本が駐留経費の75%を分担しており、これが、衰退気味の米国の世界戦略の要になっていることを知らない。これも無知の弱点だ。NATOや韓国が「100%重要」なら、「日本は180%」と言えといいたい。
 

さらにトランプは日本の規制が米国制自動車の輸入を制約していると繰り返すが、無知の弱点もいいところだ。米国製は大きすぎる上に、日本の消費者の精密指向にそぐわない。その証拠には日本車に匹敵する精密指向のドイツ車は売れまくっているではないか。


15年の数字ではフォルクスワーゲンが前年比4.4%増の68万5,669台、メルセデス・ベンツが5.3%増の28万6,883台、アウディが3.7%増の26万9,047台だ。買ってほしかったら他国に文句を付ける前に、米国メーカーに製品向上を指導すべきだろう。関税はゼロで門戸は開かれている。


トランプは克明にメモを取って人の話を聞くタイプであるらしい。見えてきたものは話せば理解出来る能力があると言うことでもある。

      <今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)

◆平原遺跡巡り  福岡県糸島市

石田 岳彦



私の故郷である福岡市の周辺では、「桧原(ひばる)」、「屋形原(やかたばる)」、「前原(まえばる)」と、「原」を「はら」ではなく、「ばる」と呼ぶ地名が散在しており、上記の「平原」も「ひらはら」ではなく、「ひらばる」と読みます。

本日は福岡県糸島(いとしま)市にある平原遺跡について述べさせていただきます。

魏志倭人伝には邪馬台国を初め、多くの国名が記載されていますが、伊都(いと)国もその中の1つです。

現在の福岡市西区から糸島市にかけては、もともとは糸島郡であった地域ですが(平成の大合併で、前原市と志摩町、二丈町がまとまって糸島市が誕生し、糸島郡は最終的に消滅しました。)、この糸島郡自体、明治時代に怡土(いと)郡と志摩(しま)郡が合併して成立しました。

この怡土が伊都と通じること、佐賀県の旧松浦郡(現在の伊万里から唐津あたりにかけての地域)にあったとされる末廬国(まつら)国の南東に伊都国があったとの魏志倭人伝の記載から、伊都国は旧糸島郡にあったとされているそうです。

平原遺跡はこの伊都国の女王の墓とされています。 平原遺跡は糸島市の平原地区(遺跡の大半は発見された場所の地名で呼ばれます)にあり、周辺はのどかな農村地帯です。

そもそもこの遺跡が発見されたのも、昭和40年に地元の農家が蜜柑の木を植えようとして、銅鏡の欠片を発見したことがきっかけでした。

報告を受けた福岡県は、郷土史家の原田大六(大正6年の生まれということで、こう名付けられたそうです。)に発掘の指揮を依頼しました。

この原田大六は、糸島中学校(今の福岡県立糸島高校)を出たものの、大学では学ばず(歴史しか勉強しようとしなかったので、進学が無理だったとか)、太平洋戦争から復員した後、公職追放にあったのを契機に(軍隊において憲兵隊に入っていたのが祟ったといわれています)、中山平次郎博士に弟子入りし、博士から9年以上にわたり、1日6時間以上のマンツーマン指導を受け、考古学者になったという歴史小説の主人公にもなれそうなユニークな経歴と個性の持ち主です。


ちなみに中山博士は、現在でいうところの九州大学医学部の教授でありながら、寧ろ考古学者としての業績が有名という(九州考古学会の設立者だそうです)、これまた変わった経歴の持ち主で、この師匠にして、この弟子ありというところでしょうか。

この原田大六が、途中からは自費で発掘を継続し、遺跡からは墳墓の副葬品と見られる多くの出土品が発掘されました。

発掘品の中でも特に目立つのは39面又は40面(何分、破片で見つかったので、枚数について争いがあるようです。)発見された銅鏡で、うち4枚は直径46.5cmと、日本で発見された銅鏡として最大のものです。

他方で、剣等の武器はほとんど見つかっておらず、被葬者が女性であったことをうかがわせます。 副葬品の内容と豪華さから見て、時代は弥生時代。被葬者は王クラスの女性、つまり女王。遺跡(墳墓)のあった場所は伊都国があったとされるエリアということで、現在では、上記のように伊都国の女王の墓と推定されています。

弥生時代の女王といえば、邪馬台国の卑弥呼が有名ですが(実際には「日巫女」という太陽神を祀る神官女王の役職名だったのではないかとの説もあるそうですが)、それ以外にも女王がいたのですね。

ちなみに原田大六は玉依姫(たまよりひめ。神武天皇の母親とされる神話上の女神です。)の墓と主張していました。

平原遺跡の女王の墓は四角形(現在では少なからず形が崩れていますが)で、写真を見ればお分かりのように、その周囲には溝が掘られています。学問的には方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれるタイプの墓だそうで、上記の発掘品も近年になって「福岡県平原方形周溝墓出土品」という名称で一括して国宝に指定されています。

現在の平原遺跡は、墳墓の周りが低い柵で囲まれ、その周囲は横長のレリーフが建っているのを除けば何もない広場になっており、少し離れたところに古民家(遺跡とは全く関係ありませんが、保存のため移築されたようです)が1軒ぽつんという、よく言えば開放的、率直にいえばスペースが広々と余った歴史公園となっています。
個人的にはこういう長閑な雰囲気は好きですが。

平原遺跡から車で10分ほど走ると農村風景の中に4階建の立派な建物がそびえているのが見えてきます。伊都国歴史博物館です。もともとは伊都歴史資料館といったようですが、平成16年に新館が建てられて博物館に昇格したとのこと。

「福岡県平原方形周溝墓出土品」の一部は九州国立博物館の平常展示室で公開中ですが、大半の発掘品はこちらの新館に保管・展示されています。館内撮影禁止のために写真はありませんが、鈍く緑色に輝く大型の銅鏡がケースの中にずらっと並ぶ姿はさすがに壮観です。
 
展示ケースの前に、立てられた状態の銅鏡が1枚、機械仕掛けでゆっくりと回転しながら展示されていましたが、見学者が私と妻の他におらず(施設と所蔵品の豪華さを考えれば、もったいない限りです。)、静けさの中で、微妙なモーター音をあげながら回転する銅鏡の姿は率直にいって不気味でした。

この博物館の前身たる伊都歴史資料館の初代館長には、上でも述べた原田大六が予定されていたそうですが、大六が開館を待たずに死去したため、名誉館長の称号が追贈され、資料館の前に銅像が立てられました(銅像は現在も立っていますが、新館の入り口からだと目立たない場所になっています)。

自分の主導で遺跡を発掘し、国宝級の副葬品を発見して、それを納めた郷里の資料館の前に銅像を建ててもらう。郷土史家としては頂点を極めたという感じですね。大学の考古学の教授でもここまでの成功を得られる人は滅多にいないでしょう。
 
福岡市やその近郊にお住まいの方は、休日にでもドライブがてらにでも、平原古墳と伊都国歴史博物館を訪れてみてください。晴れた日には本当に気持ちの良い場所ですので。                  
<弁護士>

2017年01月30日

◆大城バネサの2017年、いざ!

馬場 伯明



私が大事に想い絶対的に応援しているのはプロ野球チームの(広島)カー
プである。ファン歴は60年を超えた。だが、その次に応援するのは歌手の
大城バネサである(以下「バネサ」という)。

バネサの略歴(Official HP等より抜粋)。《大城バネサ(Oshiro
Vanesa)本名同じ。1981/11/26アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ、
血液型O型。日系アルゼンチン人2世。両親ともルーツは沖縄県だ。幼少か
ら沖縄民謡や日本の音楽に親しみ、日系人カラオケ大会などに出場した。

2001/10「NHKのど自慢」アルゼンチン大会で優勝。翌3月「NHKのど自慢
チャンピオン大会」で平成13年度グランドチャンピオンに輝く。海外勢
初。2003/8「鷗も飛ばない海だよ」で EMIミュージック・ジャパンからデ
ビュー。2013/6の「三陸海岸/女漁師(日本コロムビア)」が好評を博
し、2015/4の「俺の漁歌(日本ビクター)」は5万枚を突破・・》。

2017/1/23(月)岐阜県羽島市ホテルKOYOでの「2017バネ隊新春の集い」
に出席した(「バネ隊」:Fan club)。300人超のコア(核心的)なファ
ンが集結した。12時開演。さあ、バネサの2017年、いざ、出陣だ!

奇抜な鶏のコスプレ衣装で登場した高橋雄蔵さんの名司会で始まった。高
橋さんは国際クラブ専務理事・Rサプライ副社長。盛り沢山のプログラム
である。主催者代表挨拶、羽島市長等の来賓挨拶、マジック、コスプレ
(歌と踊り)、カラオケ(素人名人)、TV放送画像、商店街からのエール
など。全部をご披露したいけれども、ここでは印象に残る4つを紹介する。

第1.バネサの歌の領域が広がった。2017年の飛躍を確信する。漁師歌の
「三陸海岸」や「俺の漁歌」などで高い評価を得た。転じて祖父母の出身
地沖縄への思いが詰まる「逢いたい島」・「三線のかほり」がヒット中で
ある。また頑張る人への応援歌「伝えたい/情熱テコンドー」もいい歌だ。

バネサのファンは着実に増えている。だが、もっとも重要なことは「歌が
うまい」と評価されることである。諸先生の指導に従い、学び、精進・努
力し、ファンと音楽界に大きな衝撃を与えてほしい。

第2. バネサを2010年から羽島市に住まわせ全面的に支援している青山馥
(かおる)・るみご夫妻に心から感謝する。バネサの大恩人である。青山
馥さんは、幅広い事業のオーナーであるとともに、一般社団法人国際クラ
ブの元理事長。後進国等への支援を続けている。国際クラブは、現在、る
み夫人と青山光司さん(長男)との二人理事長体制である。

るみ夫人はバネサの所属事務所「Rサプライ(株)」の社長であり、バネ
サと二人三脚で全国行脚の日々である。「『主人は激辛の唐辛子で私は砂
糖とハチミツ』と主人に言われます」と青山社長。時に厳しく時に甘く温
かく・・・。青山ご夫妻お二人の立ち位置と行動との絶妙のバランスが相
まってバネサはここまで来ることができた。バネサは「果報者」である。

第3.東北の漁業界の人たちはバネ隊の最右翼にいる。サンマ船第十一光
洋丸の千葉茂喜漁労長との出会いが最初だったという(2次会で千葉さん
から詳しく聞いた)。2013年に気仙沼での「三陸海岸」のPV撮影に際し、
漁労長の全面協力をいただいた。その後「港祭り」や「出船おくり」へ出
演させてもらえるようになり、バネサは大きくなっていった。

サンマ船団を率いる大船渡の鎌田水産(株)の鎌田和昭会長はバネサをあ
たたかく見守りその成長を楽しみにしている。気仙沼で食工房「貞秀」を
経営する片山秀昭さんもバネサを励ましに羽島市へやって来た(片山代表
は著名なジャズドラマーのバイソン片山の実兄である)。

さらに、マル井水産(有)の井上幸宣社長が続く。井上社長はLED集魚灯
搭載サンマ船の建造と操業の嚆矢。第三・第五太喜丸(共に199トン)の2
隻を操り2016年も高位の漁獲・売上を達成している。

井上社長は(私と同じ)長崎県雲仙市南串山町生まれ。ずっと同町に住み
京泊港を母港とするも、サンマ漁の基地は気仙沼港である。先の震災と津
波で全資機材を失ったが見事に復活を果たした。バネサとその歌に出会い
支援を続ける。この間、長崎県(島原半島等)に18回招き、歌謡ショーや
ディナーショーなどを通じ動員数は累計数千人に達している。

新春の集いでは井上社長が壇上でバネサに豪勢な「福沢諭吉sのレイ」を
プレゼントし会場から拍手喝采を浴びた。2016/12/4には井上社長の友人
の金澤秀三郎雲仙市長がバネサに「雲仙市ふるさと大使」を委嘱している。 

第4. 最後に作曲家・歌手の岡千秋先生、4番打者の登場である。青山夫妻
とは旧知の仲だという。都はるみとのデュエット「浪花恋しぐれ
(1983)」や五木ひろしの「長良川艶歌(1984)」で作曲家としての地位
は不動のものとなった。東京からバネサのために来てくださったのだ。感謝!

「浪花恋しぐれ」など数曲の披露の後「バネサに新曲を・・」との青山社
長からのお願いに前向きの力強い言葉をいただいた。これは百人力、いや
千人力である。「長良川艶歌」に続く岐阜(羽島)の名曲をぜひお願いし
たい。後はバネサがしっかり歌い、私たちが懸命に応援すればよい。

もう一つ書きたいことがある。1995年の阪神淡路大震災を挟み大阪で苦労
を共にした1歳上のNさんが兵庫県で闘病中だ。難病である。カラオケが抜
群にうまいNさんの十八番(おはこ)が「浪花恋しぐれ」だった。

岐阜市若宮町のクラブ「サルビア」(追立涼子代表058-264-1664)の2次
会で、岡先生に「Nさんの事情」を伝え色紙にサインをもらった。「Nさん
へ:死ぬな、生きろ!岡千秋 2017/1/23」。例の髪型と髭のイラスト付
き。岡先生と私が並んだ写真も合わせNさんへ郵送した。バネサのサイン
とCDも同封した。Nさんが元気になればいいな・・・。

以上4つを紹介した。最後に第5を追加させていただきたい。それは、本誌
読者5,500人のみなさんへのお願いである。「みなさん、大城バネサへの
応援をなにとぞよろしくお願い申しあげます」。なお、Fan club「バネ
隊」への入会手続き等はこちらです。http:vane-music.com/

じつは、新しい発見があった。バネ隊には専用の赤いウインドブレーカー
がある。これは(広島)カープの真っ赤な応援服(ジャケット)に似てい
る。2017年の私の応援目標は、カープのリーグ連覇&日本一とバネサのさ
らなる大ブレイクに決定する。

来年2018年春にはアルゼンチン(ブエノスアイレス)で移民の人たちをね
ぎらう盛大な花火大会とバネサの故国への凱旋公演(リサイタル)が企画
されているという。日亜爾の楽しい交流の場になるだろう。

さあ、津々浦々からバネサにエールを送ろう。がんばれバネサ!全国の声
なき声に耳を澄ませ! 勝負の2017年、いざ、出陣だ!(2017/1/29 千
葉市在住)



◆100年前の日本人

永冶ベックマン啓子
       


100年前明治時代までの日本人が、現代の日本ではとても考えられないよ
うな、とてつもない体力や精神力を持ち合わせていたという話があります。 

もっと昔の1549年、室町の戦国時代ですが、スペイン人のキリスト教宣教
師 フランシスコ・ザビエルは、当時出会った日本人の印象を次のように
述べています。「日本人は米や麦、時々魚を食べるが少量である。ただ
し、野菜や山菜は豊富である。

粗食に見えるが不思議なほど達者であり、高齢に成る者も多数いる。この
国の人は、他のアジアの国とは異なり、私が返事に困るような難しい質問
もしてくる。」 

幕末から明治にかけての殖産興業の時代、ドイツから何人かのお雇い外国
人が日本にきています。その1人であるドイツ帝国の医師、エルヴィン・
フォン・ベルツ(1849−1913)は、ライプチッヒ大学で医学を学び、親友
シーボルトの影響も受けていましたが27歳の時日本に来て東京医学校(東
京大学医学部 )で医学や栄養学を教授して日本の医学に貢献し、「ベル
ツ水」を作り、蒙古斑の命名者です。

日本女性(花子)を妻に娶り4人子供が生まれ、29年間日本に滞在しまし
た。名前にシーボルトもベルツにも Von / フォンがつきますが、これ
は貴族の称号になります。

ベルツは後にベルリンで日本での体験を報告しますが、この中に大変興味
深い内容の実験報告があります。ある日、ベルツが東京から日光までの約
110kmの旅をした時の事ですが、最初は馬を6回も乗り替えて14時間か
けてようやく辿りついたそうです。

日光が気に入り、2回目に行った時は人力車を雇ったのですが、所要時間
は14時間と30分でした。この時なんと1人の車夫が交替無しで人力車を引
き続けて走ったのでした。

小柄な日本人男性の方が軽い足取りで馬より何倍も体力があったという普
通では考えられない事が起きたのです。本当に驚いたベルツは、その日本
人男性の体力がどこから来ているのか不思議に思い、車夫に一体何を食べ
ているのか食事内容を聞きました。

車夫の答えは「仕事中は、玄米のおにぎりと梅干、味噌大根の千切りと沢
庵」という答えだったそうです。普段は、お米、麦、栗、じゃがいも、味
噌汁、野菜、漬物、百合根、時に魚と言うものでした。

これはドイツ人からみれば、肉の蛋白質もカロリーの脂肪もない大変粗食
に見えました。そこで、彼はドイツの進んだ栄養学の豊かな食事を与えれ
ば、きっとより一層体力が出来るだろうと考え、22歳と25歳の車夫を2人
雇い、1人はお肉や脂肪の多い食事を摂らせ、1人には従来どおりの玄米お
むすびと梅干などの食事で、成果を比較検証してみるという「ベルツの実
験」を行う事にしました。

2人の若者に別々の食事内容で、80sの荷物を積んで、40キロメートルの
道のりを走らせました。肉料理を食べた車夫は3日間走ると疲労度が強
く、「もう力が出ないので元の食事に戻して欲しい」と懇願したそうで
す。おにぎりを食べた方は、そのまま3週間も走り続ける事が出来たそう
です。
  
当時の人力車夫は、一日に50q(30哩)走るのは普通だったといいます
が、ベルツの思惑が完全に外れて困惑した顔が見えるようです。息子が徴
兵制訓練で30km歩いた時がありましたが、ハードなものでした。 更に
「日本女性においては、こんなに母乳が出る民族は見たことが無い」と述
べている。

アメリカ人のお抱え学者エドワード・S・ モースやフランス人の学者も当
時日本人の体力にはとにかく目を見張るほど驚いていた記録が残ります。
山形県酒田市の資料館にある、日本女性が力自慢でお米5俵(300kg)
を背中に乗せて運んだ写真をみたことがありますが、ただただ驚くばかり
です。

100年後の現在と比較してみますと、容易に推察できる事は、当時は人体
が必要とするミネラルが土壌にはバランスよく全てあったという事です
が、これは戦後日本人の強さの謎を解くために、アメリカ人が日本全国
500箇所の土壌サンプルを採取、アメリカの研究所で分析させて判明して
います。

明らかに、化学肥料や農薬の汚染がなかった事が考えられ、また当然遺伝
子組み換えの技術も現在異常に多い食品添加物もなかったわけです。
その健全な土壌と豊富な水、空気で育てられたお米や野菜,豆類は現在よ
りも実に栄養価が豊富で味も良い、人を良くする本物の食品だったと考え
られます。

人は全身の細胞が必要な栄養素で十分満たされれば、病気を寄せ付けない
体を獲得し、知能指数も今より更に10〜20ポイント 上げることが可能です。
単一の穀物で、必須アミノ酸9種類を全て取る事が出来るのは、お米だけ
です。これは玄米レベルですが、小麦やトウモロコシなどはその半分位に
なってしまいます。

しかしお米にはややリジンが不足しがちですが、発酵食品のみそ にはリ
ジンが多く、従い御飯とお味噌汁のコンビメーションが理想的という事に
なります。

100年前のドイツ人はお肉を食べたのは日曜日だけ、と聞きますから、西
洋人は栄養面で問題が多くあって体力もそれ程なかった事が想像されます。
本来の日本を、そして肉体も精神も健康で健全な日本人を取り戻すという
事は、この100年前の健全な土壌と食料品を取り戻すという事ではないで
しょうか。

「もう食べるものが無い」と言いますと思考停止になりますから、考えて
食品を賢く探し出し選択し、生産する努力が重要ではないでしょうか。

◆日中友好を願うは大罪

渡部 亮次郎



日中国交正常化以前、日本人で日中「友好」なんて口にする者はいなか
った。昭和47年、政権を獲得したばかりの田中角栄氏が首相として北京
に乗り込んだ途端に中国が言い出した言葉なのである。

日本人は愛する者に「愛している」とは言わない。気恥ずかしいからで
ある。口には出さぬが深く愛しているのである。奥ゆかしいのだ。

中国人は愛して無くても口先では愛しているという。共産党の幹部にな
ると愛人が何十人もいるという猛者がいるそうだ。今回、党籍を剥奪さ
れた前重慶市党委書記薄煕来氏は、その理由として愛人問題が指摘され
た。愛なき愛人が一杯いるのだ。

「多くの女性と不適切な関係を持った」。おゝこわ。

彼らは彼らの都合で日本を餌食にしているだけなのに、こともあろうに
対中、対韓関係の改善を急ぐべきだなどと頓珍漢な主張を掲げて自民党
内の主導権獲得を目指す人いるのにはのには呆れるばかりだ。

私は1972年9月、田中角栄首相にNHK記者として同行し、日中国交正
常化の現場に立ち会った。その6年後に今度は園田直外相の秘書官とし
て日中平和友好条約の締結に力を尽くした。ODA(政府開発援助)供
与開始に責任を負ったのである。

このときの中国は毛沢東、周恩来が既に世を去り、共産党資本主義を掲
げるトウ小平の時代に入っており、工業、農業、国防、科学技術の近代
化(四つの現代化)実現に狂奔しており、わが方の莫大な資金と科学技
術が必要不可欠になっていた。

元々中国が佐藤内閣までの聞くに堪えない日本非難を突然止めて中日友
好こそがアジアの安定を齎す、そのためには戦時賠償を放棄するといっ
て田中内閣に国交正常化を求めてきた時、わが方は日中戦争の贖罪意識
もあって簡単にその手に乗った。彼らが全体主義国家であることを忘れ
た。人情で考えてしまったのだ。

また日中平和友好条約の時は、彼らの方から「覇権主義称揚の禁止」を
条約中に書き込むことを執拗に要求してきたため、田中、三木両政権は
対応できず、調印、締結を断念した。

今思えば、この頃わが方は完全に中国の掌の上で裸踊りを踊っていたの
だ。なぜなら3度目の政治復活を果たしたトウ小平は、わが世の春を謳
い、国の舵を資本主義に切り替え、アジアにおける覇権確立を企図して
いた。

そのためにはとりあえず日本の資金と技術を獲得することを主眼として
いたのであるから、条約の区々たる文言なんかどうでもよくなっていた
のである。6年も纏まらなかった条約が、人民大会堂でなんらの議論も
なしに妥結したのを思い出す。中国は都合が変ったのである。


あれから34年。江沢民、胡錦濤時代になって急に対日姿勢が厳しくなっ
たように誤解する向きがあるが、違う。所得、地域格差の矛盾に悩む共
産中国が体制維持のために求める敵を日本と設定しただけであって、靖
国は方便に使われているに過ぎない。それなのに靖国を総裁選挙の争点
にするとは売国的大罪である。中国の手に乗ってはいけない。


政治は共産主義のまま、経済だけを資本主義に切り替えたトウ小平。国
が僅か30年で世界2位のGNP大国になるとは予想していなかったはず。
まさか航空母艦を持つ海軍大国になるなど予想していなかったはずだ。

精々国中を新幹線が走るぐらいの夢しかなかったはずだ。だからあのと
きは海底に眠る石油とガが欲しくて尖閣棚上げを主張したのである。

それが今や目的が変わった。海軍国家中国として太平洋の半分を制覇す
るためには尖閣が邪魔でしかたなくなったのである。それなら「奪って
しまえ」となったのである。

この期(ご)に及んでも中国と「友好」でなければいけないと主張する
輩(やから)が自民党員にもまだいるらしいが、やめたほうが良い。

「中日友好」は「日本強奪」の包み紙なのである。それなのに「日中友
好」を日本人が願う事は当に「大罪」なのである。2012・9・30


◆大規模な中国のワクチン治療

石岡 荘十



ランセット(Lancet)と並んで世界的に権威のある医学誌だとされるNEJM(The New England Journal of Medicine)が、「さまざまな年代群における新型インフルエンザワクチン」 (A Novel Influenza A (H1N1)Vaccine in Various Age Groups)と題する論文を掲載し、専門家の注目を集めている。(原文は下記)

http://content.nejm.org/cgi/content/full/NEJMoa0908535

論文は、中国で3歳から77歳までの2200人を対象に年齢別に4群に分けて、新型インフルエンザワクチンの有効性や安全性を調べた試験(治験)についてだ。具体的には

 ・プラセボ対照のランダム化比較試験
 ・1回接種と2回接種
 ・アジュバンドの有無
などによる抗体価(免疫力)の変化を調べている。

試験の詳細はきわめて専門的なものなので、ここでは、その概要の紹介にとどめる。

まず、「プラセボ対照のランダム化比較試験」というのは、治験に参加する人をランダムに2つのグループに分ける。一方にはワクチンを打つ、もう一方のグループには偽のワクチン(プラセボ)を打つ。その上で、双方を比較する試験のことで、これによってワクチンの効果を確かめることが出来る。

ワクチンに限らず、新薬が開発されたときなどには、相手の同意を得たうえで行われる標準的な治験方法である。

つぎの「1回接種と2回接種」は、2つのグループに分け、一方には1回しか打たない、もう一方には3週間後に2回目の接種を行う。そしてこの双方の効果にどれくらいの違いが出るかを比較する。

これによって、我国でも問題となった1回打ちでいいのか、2回打たなければ充分な効果が出ないのかを判断するデータを得ることが出来る。

最後の「アジュバンド(adjubant)」というのは、ワクチンの免疫力を強める目的でワクチンと一緒に投与される試薬のことで、国内産のものにはこれを使っていない。

しかし欧米から輸入を予定されているワクチンにはこれが含まれている。因みに「ブースター・ロケット」というと、ロケットの推進力を高める2段目の補助推進装置のことをいう。

ところが、厚労省医系技官のなかには、このことを理由に「輸入ワクチンは危ない」と否定的な意見を吐く者が少なくないが、じつは新型インフルエンザについて欧米でも日本でもきちんとしたアジュバンドの試験が行われたことはない。

中国でアジュバンドの有無を比較した治験が行われたとすれば、世界で初めてということになる。

NEJMによれば、研究を実施したのは、中国江蘇省をはじめとする行政機関、Southeast Universityなど。ワクチンを製造したのは、中国のHualan Biological Bacterin Companyだという。

新型インフルエンザワクチンの有効性について、このような大規模な治験は初めてのことだ。日本での治験は20歳から50歳までのわずか健常者200人についてのものだけで、ワクチンの有効性、全体像を評価するデータとしては不足だとされ、他の年代別の治験は先送りになった経緯がある。

ワクチン接種の回数をめぐっては、厚労省内部でごたごたがあり、マスコミを誤報へ追い込んだ。この“事件”については、10/23既報の通りである。
http://www.melma.com/backnumber_108241_4648006/

自治医科大学感染免疫学講座・臨床感染症学部門准教授の森澤雄司氏は「この論文は二重の意味で、衝撃だった。臨床医学のレベルで日本は中国にはるかに及ばないこと、日本のワクチン戦略が世界標準から大幅にずれていることが浮き彫りになった」と述べている。

森澤氏は厚労省の新型インフルエンザワクチンに関する意見交換会などで、専門家の立場から積極的に発言しているだけでなく、前厚労相に対しても医系技官の施策に批判的な意見を述べてアドバイスしているが、

同氏はさらに「日本では200人という規模で臨床試験をやっただけで、中間結果が報告されたのは10月16日だった。それに対して、中国では(大規模な)臨床試験の結果が既にNEJMに掲載されている。もう率直に言って、話にならない。

また、従来、感染症の領域ではドラックラグ、つまり新開発の薬を患者に投入できるまでの時間差、あるいは、海外での新薬を国内承認できるまでの時間差はあまり問題になっていなかったが、今回の新型インフルエンザでは、急に流行が開始し、早急な対応を求められる事態になり、ドラックラグが強く認識されるようになった。

中国で今回の試験が可能だったのは、ワクチンを海外に売ろうという意識を国策としてきちんと持っているからだ。これに対して、日本ではワクチンを作っているのは小規模のメーカー(4社)。

行政が企業を守り、護送船団でがんばるという発想はもうあり得ないはずなのに、まだやっている。今の状況は、そのようにしか見えない。

ワクチンを作るのであれば、ワクチンを輸出するくらいの心意気、ビジョンが必要なのではないか」。と憤懣やるかたない思いを医療従事者限定のメールマガジン(「m3.com」)で語っている。

「そもそも国産ワクチンと輸入ワクチンを区別して考えているのは、恐らく日本だけ。この考え自体が、世界標準からも大幅にずれている」と批判している。

仰るように、論文が示唆するところは少なくない。ただ、中国の食品問題で痛い目にあっている日本人としては、「エッ、中国製のワクチンだって?それは勘弁してよ」という庶民感覚があってもおかしくない。

治験に参加した人々がどのように集められたのか、重大な副作用がおきた場合の補償はどうなっているのか、NEJMの論文で示された科学的なデータだけではストンと腑に落ちない、別の次元での不信感は拭えないというのが、素人の筆者の正直なところである。

◆ノロウイルス食中毒の予防

柴谷 涼子



老人保健施設などで、ノロウイルスの集団発生が最近報じられていました。またごく最近は、関西の小学校で700余人のノロウイルスの集団発生が在ったのです。

「ノロウイルス」について正しく理解し、ご自身も感染しないよう予防しましょう。

★ノロウイルス感染症とは・・・
 
ノロウイルスが人の小腸で増殖して引き起こされる急性胃腸炎です。

@ カキや貝類を十分に加熱せず食べた場合
A 生ガキや貝類で汚染された調理器具で調理した生野菜などを食べた場合
B ウイルスに感染したヒトの便や吐物に触れた手で調理をした場合・・・などに感染する可能性があります。

★症状
  
年齢に関係なく感染は起こりますが、高齢者や抵抗力の弱ったヒトでは重症化する例もあります。嘔気・嘔吐・下痢が主症状です。
 
腹痛、頭痛、発熱、悪寒、筋痛、咽頭痛などを伴うこともあります。 高齢者の場合、症状が出て、水分摂取ができなくなるとすぐに脱水症状を起す可能性がありますので、早めに病院の診察を受けて下さい。

★予防

生のカキや貝類は内部まで十分に加熱してから食べるようにしましょう。カキの処理に使用したまな板などは、よく水洗いし、熱湯消毒をしてから使用しましょう。

★冬場はこのノロウイルスに限らず、様々な感染症が流行します。感染予防としてもっとも重要なのは、普段からの手洗いやうがいです。

外から帰ったあとは必ず手洗いとうがいをする習慣をつけましょう。

 <参考文献;>

1.国立感染症研究所 感染症情報センター感染症発生動向調査週報 感染症の話
 http://idsc.nih.go.jp/idwr/kansen/k04/k04_11.html
2.大阪府食の安全推進科    http://www.pref.osaka.jp/shokuhin/noro/
3.厚生労働省ノロウイルス食中毒の予防に関するQ&A
http://www.mhlw.go.jp/topics/syokuchu/kanren/tobou/040204-1.html
          (大阪厚生年金病院 感染管理認定看護師 )<再掲>