2017年02月28日

◆トランプはまだよくわからない

宮崎 正弘
 


<平成29年(2017)2月27日(月曜日)通算第5202号>  

 〜トランプは何を考えているのか、まだよくわからない。
青ざめる中国、楊潔チ国務委員が訪米、ティラーソン国務長官らと会談へ〜

中国の外交を司るのは王毅外相ではない。その上の国務委員(閣僚級)の
楊潔チである。楊は元外相、元駐米大使、国連総会で「尖閣諸島は日本が
盗んだ」と公言した、日本から見れば危険人物、基本的に強固な「反日」
派である。

王毅は習近平に取り入るため、国内の動きのほうが国際情勢より重要であ
り、ボンのG20外相会議には土壇場まで出席をためらった。もし国内の重
要会議をすっぽかしたら、首が危ないうえ、次の国務委員昇格という野望
が潰えるからである。

要するに中国の外交高官は習近平の顔色をみてから行動を起こすのである。

北朝鮮の暴走を甘やかしてきた中国は、いま金正男暗殺という予期せぬ出
来事に、国連制裁決議に基づいて石炭輸入禁止措置を講じた。

この大向こうを狙った政治的ジェスチャーを、米国はほとんど一顧だにせ
ず、「中国は影響力を行使するべきだ」と批判を緩めない。

南シナ海では7つの岩礁を埋立て、勝手に3つの人口島に滑走路を建設
し、合計20ヶ所に軍事施設、あまつさえミサイルを配備し、格納庫を
造って、国際秩序に真っ正面から挑戦し続けている。米国はこれを座視し
ているつもりはないらしい。

なにしろ上級顧問のスティーブ・バロンは、安全保障会議のメンバーにも
加わり、米国の国防、安全保障、軍事戦略の最終位置決定プロセスに関与
する。

中国が注目するのは、このバロンである。通商タカ派のピーター・ナヴァ
ロ教授は「国家通商会議」の議長だが、安全保障会議には加わらない。マ
クマスター安全保障担当大統領補佐官は政治的パワーが未知数である。

バロンへの酷評も盛んである。

「バロンは暗い歴史の強迫観念に取り憑かれていることは憂慮に耐えな
い」(ビジネスインサイダー)

「バロンは黙示録予言を信じ切っており、戦争は不可避的であると考えて
いる」(ハフィントンポスト)

「バロンは大惨事世界大戦は不可避的であると信じている」(ネィション)。

中国は狙いをつけ、まずはバロンの思想、考え方の分析に入った。

トランプ政権の閣内不一致をアキレス腱として狙いを定め、ティラーソン
国務長官に近づくことが第一目標、そしてトランプの側近らの攻略を準備
しようというわけだろう。


なにしろバロンは「5年から10年以内に、米国と中国は戦争になる」と公
言してはばからない人物であるにも関わらず、トランプはもっとも頼りに
しているのだから。


 ▼バロンに思想的影響を与えた書物

スティーブ・バロンに甚大な思想的影力を与えた書物があるという。ワシ
ントンポスト(2月24日号)の拠れば、ニエール・ハウとウィリアム・ス
トラウスの共著3冊であるという。

『世代(1584−2061 アメリカの歴史と未来展望)』

『第4次転回点 威厳とのランデブーは次の歴史循環』、

『千年の勃興 1982年移行の世代こそ次の偉大な世代』
という本だ。

ただし、いずれも邦訳はなく、筆者は原書を読んでいないので、ニエー
ル・ハウ本人が書いたコラムから推量するに次のような内容だという。

バロンが製作した『ゼロ世代』は、彼らが書いた黙示録としての未来の歴
史を下敷きにしている。それはポピュリズムとナショナリズムが国家正統
派思想とともに拡大し、その傾向は米国だけではなく世界的規模でおこる
(まさに現在西欧でも進行中だ)。

第2次大戦の勝利の高揚から偉大な社会建設とアメリカ人の戦後的価値観
は、ほぼ20年ごとに変遷している。

もし、この1世代が20年とすれば、次におこるのは新しい世代の価値観に
求められるだろう、とする。
 

 ▼第4次歴史的転換点とは何か?

また米国史という歴史からいえば、過去に3回、価値観の大変革があっ
た。いま迎えようとしているのは「第4次転換点」であり、それは国家、
社会の価値観、個人主義、国家の運営のあり方を根源から変革する衝動の
波となって現れた。

その過去のパターンとは、すなわち1945年、1865」年、1794年の出来事が
参考になるという。

1945年はいうまでもないが、1865年は南北戦争、リーカーンが再選され、
アメリカは南北に別れて死闘を繰り返した。

1794年は独立宣言から18年後だが、上院議会が成立した。

第4次転換点はすでに2005年に開始されており、金融恐慌、アメリカ経済
の減退は、あたかも1930年代の不況とのパターンと重なる。

アメリカは新しいアイデンティティを必要としている。

経済成長と減退は変則的で失業の増大と労働、資本の投資対象が変わり、
デフレへの恐れを目撃しつつ、不平等の拡大、中央銀行への不信、消費の
衰えという状況の中で、孤立主義とナショナリズムと右翼思想の興隆を見
てきた。民主党リベラル思想は沈下した。トランプはまさに時代の流れを
掴んで出てきたのだ。

まさに1930年代のような『ゼロ世代』の時代が来ているのだ、とする。

ニエール・ハウはこう書いた(ワイントンポスト、2月24日)。

「われわれは変動激しい時代に遭遇しており、歴史は加速し、リベラルは
退潮している。レーニンが『数十年間は何事もおこらなかったが、数週間
で数十年にあたりする出来事が起こる』と書いたように、いまアメリカが
遭遇しているのは、こういう変革の時期なのである」

バロンは、こうした考え方におおきな影響を受けており、彼は「5年から
10年以内に中国と戦争が起きるだろう」と予測するに至った。

◆大成功に終わった日米首脳会談

伊勢 雅臣



御存知の様に、日本時間2/11未明にかけて安倍総理とトランプ大統領がホ
ワイトハウスのオーバルオフィス(大統領執務室)で行った日米首脳会談
ですが、大成功に終わりました。

相変わらず、「戦後レジーム」という妾意識でいる日本のマスコミ連中の
報道は、こわもてのするトランプ大統領が日本に対して自動車市場や貿易
収支の米国側の赤字を問題にして無理難題を首脳会談で 安倍総理に要求
するのでは、ないかという報道に終始しました。

日本のマスコミ連中は米国の属国・植民地意識しかないので主体的に日本
が今回の首脳会談で成果を獲得するには、どうしたら良いかの発想が無い
のです。

日本にとっての最優先な課題はシナ共産党中央の脅威を取り除くか減らす
事です、その為には当用憲法上、自衛隊法の元では米国の協力が必要で
す。一方、トランプ大統領の最大の関心事は自国民の雇用増とテロリスト
や違法難民からアメリカと自国民を守る事です、その為には日本と日本企
業の経済及び金銭の協力が必要な訳で現状、日米は相互訪問関係になって
いるのです。

この点を確認して共同声明で文章化出来た時点で大成功なのです。
その上に、「素晴らしい友情を育んだ。われわれは相性がいいんだ」。

米国のトランプ大統領は10日の日米首脳会談後の共同記者会見で、早くも
安倍晋三首相との「親密」な関係をアピールした。

トランプ氏は会談で、首相を車寄せで出迎えて握手するつもりで いたと
ころ「思わずハグ(抱擁)してしまうほど親しみを感じた」と打ち明けた。

時事通信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170211-00000032-jij-pol

トランプ大統領に、ここまで日米首脳の親密さをプレゼンさせればかなり
のフリーハンドを安倍総理はゲットできたと判断出来ます。

さて、大枠の評価が出来た所で、ここからは、もう少し細かく観て行きま
しょう。

まずはシナ様の御機嫌を損ねたくない売国省庁である外務省のHPから。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/na/na1/us/page1_000297.html

2.共同声明

安倍総理とトランプ大統領は、日米同盟及び経済関係を一層強化するため
の強い決意を確認する共同声明を発出した。

政治・安全保障分野に関しては、両首脳は、アジア太平洋地域の安全保障
環境が厳しさを増す中で、同地域における平和、繁栄及び自由の礎である
日米同盟の取組を一層強化する強い決意を確認した。

特に今回、(1)拡大抑止へのコミットメントへの具体的な言及や、(2)日米
安全保障条約第5条の尖閣諸島への適用、そして(3)普天間飛行場の辺野古
移設が唯一の解決策であることを文書で確認した。

経済については、日米両国が、自由で公正な貿易のルールに基づいて、両
国間及び地域における経済関係を強化することに引き続きコミットしてい
くことを確認したほか、双方の利益となる個別分野での協力を積極的に推
進していくことでも一致した。

これらの課題に取り組んでいく観点から、両首脳は、麻生副総理とペンス
副大統領の下で経済対話を立ち上げることを確認した。

転載終了

拡大抑止へのコミットメントへの具体的な言及って何?
これは、次の読売新聞のまとめ記事を見ると分かります。

日米首脳が会談〜共同声明を発表
http://www.yomiuri.co.jp/matome/20170208-OYT8T50071.html

前略

「東シナ海、南シナ海、インド洋、いずれの場所であろうとも、航行の自
由と法の支配に基づく国際秩序が貫徹されなければならない。日本と米国
は力の行使や威嚇による原状変更の試みに反対する」

「北朝鮮に対しては、核および弾道ミサイル計画を放棄し、さらなる挑発
を行わないよう強く求める。拉致問題解決の重要性についても、大統領と
完全に一致した」

後略

シナと北朝鮮に直接関わる点については、曖昧な表現をHPに載せる外務
省、税金と高給とプライド分だけの仕事は、ちゃんとしろ!と言い たい
です。ま、無能な外務省への文句はともかく今回の日米首脳会談で (2)日
米安全保障条約第5条の尖閣諸島への適用、そして(3)普天間 飛行場の辺
野古移設が唯一の解決策であることを文書で確認した点は非常に大きいです。

これでシナ共産党中央と人民解放軍、そしてパヨクとシナ名誉市民の沖縄
知事に対する抑止力になります。

さて、この他にも安倍総理は日本の国益になる安全保障と経済関連の 声
明を出しています。
再度、読売新聞から。
日米首脳が会談〜共同声明を発表
http://www.yomiuri.co.jp/matome/20170208-OYT8T50071.html

共同記者会見での安倍首相発言要旨

「トランプ大統領のリーダーシップで、今後大規模なインフラ投資が 進
められるだろう。日本は高い技術力で大統領の成長戦略に貢献できる。そ
して、米国に新たな雇用を生み出すことができる」

「日米関係を一層深化させる方策について、今後、麻生副首相とペンス副
大統領との間で分野横断的な対話を行うことで合意した」

「急速に成長をとげるアジア太平洋地域において、自由な貿易や投資を拡
大することは日米双方にとって大きなチャンスだ。自由かつルールに基づ
いた公正なマーケットを日米両国のリーダーシップのもとで作り上げていく」

「アジア太平洋地域の平和と繁栄の礎は強固な日米同盟である。その絆は
揺るぎないものであり、私と大統領の手でさらなる強化を進めていく」

「尖閣諸島が安保条約第5条の対象であることを確認した」

「在日米軍の再編をこれまで通り進める。普天間飛行場の全面返還を実現
すべく、唯一の解決策である辺野古移設へ向け、日米で協力して取り組ん
でいく」

「あらゆる形態のテロリズムも強く非難し、テロとの戦いにおいて協力を
強化していくことで合意した。日本は日本の役割をしっかり果たす」

後略

>麻生副首相とペンス副大統領との間で分野横断的な対話を行うことで
合意した
この点は、外務省HPに詳細に書かれていますので再度転載します。

3.ワーキングランチ

前略

両首脳は、活力ある日米経済関係は、日米両国、アジア太平洋地域、ひい
ては世界経済の力強い成長の原動力かつ雇用創出の源泉であり、この両国
の経済関係を更なる高みに発展させることで一致した。その上で、麻生副
総理とペンス副大統領の下での経済対話においては、経済政策、インフラ
投資やエネルギー分野での協力、貿易・投資ルールの3つを柱とすること
で一致した。


>エネルギー分野での協力

ここにこそ、米国の雇用増、米国の対日貿易赤字減少、日本のエネルギー
安全保障を高める購入先の多角化が実現できる良い手が、あるのです。

米国は、今やシェールガスやシェールオイルが取れるようになったので世
界最大の産油国です。一方、日本は東日本大震災以降、原発を再稼働出来
ていない為にエネルギー輸入費用が増大しています。その上に原油は南シ
ナ海や台湾海峡を通ってくるのです。又、今後の中近東情勢も不透明です。

しかし、原油をアメリカ方面から入手できればシナ共産党中央に対する交
渉力upになるし、その上に日本にエネルギーを売りたいプーチンロシアに
対しても手持ちカードが増えるのです。

是非、早急に実現させるべき懸案事項です。

対米石油輸入に関して詳しくは、以下のブログをご覧ください。

経済コラムマガジン
日米主脳会議への対策はアラスカ原油輸入(2017/2/6)
http://adpweb.com/eco/eco925.html

米国産石油の輸入に関し状況は大きく変化

10日に日米主脳会議が予定されている。これをうまく乗り越えるには先
週号で述べたように、米国の「全体の底流に流ているもの」を把握してお
くことが必要である。「全体の底流に流ているもの」とは長期的な米国の
国益や重要な政治課題である。特にトランプ氏という異質な人物が大統領
となったため、どのような要求を日本に突き付けてくるのか関係者は戸
惑っていると思われる。

しかしトランプ大統領が重視する米国の国益や政治課題について正しく
理解するなら、対日要求を予想することはそんなに難しいことではないと
筆者は考える。まず「通商問題」、つまり米国の対日貿易赤字問題であろ
う。このことはメディアを始め人々も当然と思っている。

ところがこの問題は既に解決済みと、これまで日本の政府関係者は考えて
いたことも事実である。たしかに大きかった対日貿易赤字はある程度小さ
くなっている。またこれまでの歴代の米大統領は、長い間これを問題とし
て取上げていない。しかし一頃より小さくなったと言え、年間7兆円程度
の対日貿易赤字はずっと続いているのである。

様子を見ていると安倍政権は、これまでの自動車関連の対米投資によって
米国で雇用を創って来たという説明でこれをかわす方針と見受けられる。
もしこれでトランプ大統領が納得するのなら問題はない。たしかにトラン
プ大統領の貿易赤字問題のメインターゲットは日本ではなく中国である。
しかし日本の説明で大統領が満足しない事態が十分考えられる。

そこで今週はその場合の腹案を提案したい。筆者は、普通の方法で日本の
対米貿易黒字を減らすには限界があると思っている。米国の対日貿易赤字
が大問題になった時代(80年代から)にも、「一体何を米国から輸入すれ
ば 良いのか」ということが話題になった。

まず農産物輸入を大きく増やすことは当時から無理であった。ところが日
本で売れそうな米国の工業製品がほとんどないのである。トヨタはGMのシ
ボレーを輸入したがほとんど売れなかったという話である。今日でも状況
は変わっていない。せいぜい ボーイング社の旅客機の購入を増やすぐら
いなものであろう。

この状況に至っては、筆者は日本の対米貿易黒字を大きく減らす方法とし
て、米国から原油・ガスの輸入を大きく増やす他はないと考える。都合良
く米国 は、一昨年の暮、40年振りに原油の輸出を解禁した。

15/3/2(第834号) 「実態がない地政学的リスク」で述べたように、米
国は原油を戦略物資としてエネルギー保存・政策法(1975年制定)で輸出
を長らく禁じてきたのである。

この原油輸出解禁を主導したのは共和党である。この背景としてはシェー
ルオイルとシェールガスの増産が見通せるようになったことが挙げられ
る。このように米国産石油の輸入に関しては、状況が大きく変わっている
のである。

しかしシェールオイルとシェールガスを輸入すると言っても問題がある。
シェールオイルとシェールガスが集積するのは東海岸(大西洋側)や メ
キシコ湾岸である。これらを運ぶといっても距離とコストの問題がある。
たしかに昨年、パナマ運河の拡張工事が終わりかなり大きな船も通れる
ようになった。どうもLNG船はなんとか通れそうである。しかし大型の 原
油タンカーは難しいようである(どうも15万トンクラスが限界)。

そこで日米主脳会議では、米国から原油とLNG(液化天然ガス)の輸入を
増やすことを前提に、トランプ大統領に太平洋側に通じるパイプラインの
建設を日本が要請することを筆者は提案したい。場合によっては、日本も
パイプライン建設に投資を行うことを申入れることも有り得る。

最良はアラスカ原油の輸入

前段で述べたようにLNGは直にでも輸入を増やせそうである。しかし原油
はパイプラインが完成しないとなかなか輸入が困難と考える。「キースト
ンXL」というパイプラインも、今回の大統領令が出るまで 工事は長らく
中断していた。

また新たなパイプライン建設に対しては、環境保護団体の激しい反対運動
が予想される。特に米国の西海岸のカリフォニア州やワシントン州などは
民主党の強いところである。場合によってはカナダを迂回させることも考
える必要がある。

このように米国でシェールオイルが増産されても、簡単には日本に輸入す
ることはできないのである。そこでもう一つ提案したいのは、パイプ ラ
インの完成までシェールオイルの代わりにアラスカ原油(ノース・スロー
プ原油)を輸入することである。

ただノース・スロープ原油の産出量はピーク時の210万b/dからかなり減っ
ている。つまり輸入すると言っても今のところ量的に限界がある。

ところでアラスカの産油量が減ったのは、政府(特に民主党政権)が深海
原油掘削に長らく許可を出さなかったことが一因である。ところが 今
回、トランプ大統領はこれにも許可を出した。つまりこのアラスカ での
石油開発にも日本の投資が考えられる。

シェールオイルが脚光を浴びているが、むしろ筆者は日本にとってはアラ
スカ原油の方が有望と見ている。アラスカから米国内の精製地まで原油を
運ぶのと日本がアラスカから運ぶのでは、距離的にそんなに違わない。

また日本にとってアラスカ原油の輸入は、原油輸入先を分散させるために
も望ましい。また総じて米国産原油は軽質留分が多く精製しやすい。この
ようにアラスカ原油の輸入は、日本にとっても良いことばかりなのである。

筆者は、日本はアラスカ原油輸入という政策を早く打出した方が良いと
思っている。対米貿易黒字が問題になりそうな国として他に中国や韓国が
考えられるが、これらの国も対策としてアラスカ原油輸入に行き着く可能
性がある。つまり日本はこれらの国に先んじてアラスカ原油輸入を打出す
べきである。

次に筆者提案の米国からの原油(アラスカ原油)とLNGの輸入は金額が問
題になる。まず原油の輸入量を50万b/dとして、1バーレル50ドル、1米ド
ル113円で計算すると年間約1兆円となる。LNGの年間輸入額は 5,000億円
程度を見込む(日本の輸入額の10%)。つまり両者の合計は1.5兆円にな
る(数年前の高価格時代だったら3兆円程度)。

日本の対米貿易黒字7兆円に対して、この1.5兆円の対応を十分なものか意
見が別れるであろう。しかし1.5兆円は乗用車100万台分(1台150万円とし
て)の輸出金額に相当する。日本の自動車輸出は年間190万台ということ
を考えると、これはかなり有力な対策と筆者は考える。

これらの対策の他に、日本の内需拡大政策を説明すべきと考える。ヘリコ
プターマネー政策を別にして、これから日本政府は財政支出を増やし内需
拡大を行うことを言明するのである。もちろん防衛費の増額も有り得る
(GDP比1%突破も念頭に)。

トランプ大統領は日本を為替操作国と思い込んでいる。これ対して日本政
府は誤解と強く反論している。しかし10/8/30(第629号)「外為特会の
31兆円の評価損」で指摘したように、小泉政権時代、日本が為替操作まが
いの為替介入を行ったことは事実である。

たしかに今日為替介入を行っていなくとも過去にそれに近いことをやって
いたのであり、無理に反論しない方が良いと筆者は思う。

日米で為替管理のルール作りという話が出るなら対応を考えておく必要が
ある。筆者は、経常収支の状況に加え購買力平価も考慮した為替管理ルー
ルというものがあっても良いと考える。これによって一定の範囲内に為替
を落着かせるのである。

この為替管理ルールに 則れば、おそらく80円前後のレートは過度な円高
であり、130円を 越えるレートは円が安過ぎると判定できる。したがって
このような 行過ぎた円高・円安には為替介入が可能と日米で取決めれば
良いと 筆者は考える。


◆万全な目配りが必要な日米関係の構築

櫻井よしこ



「大統領補佐官の辞任は政権内の闘争か 万全な目配りが必要な日米関係
の構築」

ドナルド・トランプ米大統領の政策や決定を評する中で最も頻繁に使われ
る語彙が衝動的、或いは直感的という言葉である。
 
CNNの政治討論番組で、論者の1人がトランプ氏を見ているとベーブ・
ルースを思い出すと言った。アメリカ野球界の英雄、ベーブ・ルースはあ
る日「なぜそんなにホームランを打てるのか」と問われ、「ただ直感的に
打っているのさ」と答えたそうだ。

トランプ氏も、なぜこのような決定をしたのかと問われると、「直感的に
決めたんだ」と答えることが多いというわけだ。
 
この主張に対して別の論者が、「直感的に打ったベーブ・ルースだって、
空振りは多くあったよね」と皮肉った。
 
国家安全保障担当、マイケル・フリン大統領補佐官の辞任をこんな
ジョークで語るのは適切でないかもしれない。

また元々、共和党には批判的で、かつ、トランプ政権には非常に強い反感
を示している米国のリベラルなメディアの報道をそのまま受けとめるのも
適切ではないだろう。
 
だが、その点を考慮したうえでも尚、実感するのは、政権発足からひと月
も経たない2月13日のフリン氏の辞任は、トランプ政権内の権力闘争や一
貫性を欠く不合理な政策の象徴なのではないかという思いであり、政権の
未来展望に疑問を抱かざるを得ないということだ。
 
共和党の多数がトランプ氏を批判していた大統領選の最中から、トランプ
氏支持を打ち出したフリン氏は、大統領に最も近い人物の一人だ。
 
その人物が、昨年12月29日、まだバラク・オバマ氏が大統領だった時に、
複数回にわたって駐米ロシア大使と電話で語り合い、対露制裁見直しの可
能性を話し合ったのではないかとの疑惑が報じられた。
 
当初、フリン氏は疑惑を否定したが、「ワシントン・ポスト」紙が、2月9
日、フリン氏は「トランプ政権発足後、制裁を見直す方針だ」とロシア大
使に伝えていたと、複数の人々の証言を元に報じた。会話の録音も存在
し、司法省はフリン氏がロシアから脅迫を受ける危険性があることまで、
「政権」に報告していたというのである。
 
フリン氏はロシア大使と電話会談した時点ではまだ「民間人」だ。民間人
は外国政府と外交を協議することを法で禁じられており、フリン氏は違法
行為をしていたことになる。その証拠を当局が録音していたことも驚きで
ある。
 
トランプ大統領はフリン氏辞任の翌日、「なぜこんなに多く違法の情報
リークが起きるのか」とツイッターで怒りを表明した。
 
ホワイトハウス内の人間関係を見ると、大きく分けて2種類の人々が混在
している。1つのグループが今回辞任したフリン氏をはじめとするいわば
伝統的な政治権力とは異質の人々である。その1人はトランプ大統領が突
然、ホワイトハウスに首席戦略官として招じ入れたスティーブ・バノン氏だ。
 
両氏と対照的な人々に大統領主席補佐官のラインス・プリーバス氏、マ
イク・ペンス副大統領がいる。いわば伝統的な政治勢力に属する人々だ。
情報リークがこうした人間関係の中から生じている可能性は少なくない。
 
日本政府は安全保障問題に関してフリン氏とのパイプに多くを託してき
た。氏は昨年10月11日、菅義偉(よしひで)官房長官と対談した。トラン
プ政権誕生を全く想定していなかった日本側にとって、11月に氏が大統領
補佐官に指名されたことは、ひとつの安心材料になった。その後、河井克
行首相補佐官が訪米しフリン氏と会談するなど交流を深めてきた。
 
2月10日の日米首脳会談でもフリン氏は国家安全保障局長の谷内正太郎氏
のカウンターパートだった。その人物の辞任である。トランプ政権を待ち
受ける波は高く、日米関係の構築には万全の目配りが必要だ。

『週刊ダイヤモンド』 2017年2月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1171 

◆トランプは記者魂の根幹に触れている

杉浦 正章
 


報道の自由の憲法すれすれの抑圧
 

「これがメディアへの弾圧の始まりかどうかの判断は急がなくてもいい」ホワイトハウス記者会会長のジェフ・メイソンは落ち着いている。同記者会の一部に台頭している報道官の記者会見ボイコット論にはくみしないという。ということはどういう状況かと言えば、トランプ政権対メディアの戦いが早くも佳境に入っていることだろう。


ワシントン特派員としてウオーターゲート事件でのニクソン政権とメディアの全面対決を目の当たりにした筆者も、血湧き肉躍る状況の再現である。問題はトランプ側近にメディア対策のプロが存在しないことだ。逆に君側の奸はたくさん居る。その筆頭バノンは「メディアは敵だ」「メディアは黙れ」とけしかけ続けている。トランプはこの人物に依然として全体重を乗せているかのようで危ない。


背景にはトランプの大統領選対策と女性スキャンダルも含めた「ロシア疑惑」がある。FBIは本来大統領を守る核であるにもかかわらず、トランプは「漏洩」を激しく非難する。罵倒と言ってもよいくらいだ。いわく「FBIは漏洩組織ではないはずだ」「FBIは漏洩するものを見つけられない」といった具合だ。これは為政者がツイッターで書くことではない。まるで蛸が自分の手足を食らうような姿であるからだ。あのニクソンですら、やはりリーク源のFBIを直接非難したことはない。裏で必死に見つけようとしたが見つからなかった。
 

トランプの最大の欠点はメディアにリーク源の公表を求めていることだ。これは対メデイア戦を圧倒的に不利にしている。なぜならリーク源を守って匿名記事を書くケースは記者の命であるからだ。本人の了承を得ない限り「政府筋によると」と書いて、「FBIの誰々によると」などとは決して書かないのが記者魂だ。為政者は記者と報道機関の最も基本的な倫理に干渉してはいけない。匿名を自ら暴露することはジャーナリズムの死を意味する。
 

ウオーターゲート事件のリーク報道で社名を上げたワシントン・ポストで「世紀の情報源」の人物を編集局次長が「ディープ・スロート」と名付けた。当時のポルノ映画をもじったものだが、電話でのどの奥深くから声を出したからだという。当時誰かと言うのが最大の関心事となり、キッシンジャーまでが名前に上がったが、ポスト紙は名前を出さなかった。


その後、33年を経て2007年になってFBIの副長官であったマーク・フェルトが自分であったと表明。それを聞いて特ダネを書き続けたボブ・ウッドワードも初めてこれを認めた。33年も取材源を守り通したのだ。トランプの「実名を出さない限り情報源を使うのは許されるべきではない」という発言は、マスコミというものの実態を知らない姿をさらけ出している。
 

商売人トランプの基本的な誤算は、自らが商売敵を叩き潰してきたように、メディアの基本的な報道の姿勢を潰せると思っている事である。だからメディアを「国民の敵」呼ばわりできるのだ。メデイアは「国民の側」に立っているからこそ存在価値があることを理解しない。だからバノンの受け売りで「メディアは野党」などと言えるのだ。トランプの忠実な下部(しもべ)というか、茶坊主のような報道官スパイサーが、通常の記者会見を避け、別室で限られた人数でブリーフをしたことも、ホワイトハウス記者会の激怒を買った。


おべんちゃらのFOXニュース、ネットのブライトバート・ニュースなどを報道官室に招き入れ、ニューヨークタイムズ、CNNを除外したのだ。憤慨したロサンゼルス・タイムズ、AP、BBC、タイム誌などは参加しなかった。こうしたトランプ政権の姿勢は言論弾圧へとすすむ危うさを内包している。トランプにメディア対策を諫言(かんげん)する側近が存在しないことがこの政権最大の弱点だ。 
 

こうしたトランプ政権の対メディア姿勢について米自由人権協会(ACLU)は声明を出し、「政府による検閲の可能性がある」と非難。報道の自由の原則に対するトランプ政権のいかなる脅しも、憲法修正第1条の「力強い防御」に阻まれるだろうと指摘した。修正第一条(the First Amendment)は言論および出版の自由を制限することが出来ないなどと規定している。トランプ政権のさらなる言論抑圧が続けば、言論及び表現の自由を監視する国際的非政府機関である国際新聞編集者協会(IPI)などが動き刺す可能性もある。


IPIは2001年に韓国をロシア、ベネズエラ、スリランカ、ジンバブエ等と並び、「言論弾圧監視対象国」に指定しており、現在米国の有様をかたずをのんで見守っているに違いない。この組織が行動に移せば、トランプの国際的評価は地に落ちる。さらに弾劾要求の動きや、ウオーターゲート事件で懐かしい「特別検察官」任命論も台頭している。正副大統領を捜査できる特別検察官はニクソンが首を切ったが、その後法改正で第3者的権限を一段と強化された。
 

辛辣なメディア批評で知られるジャック・シェーファーはツイッターで「報道陣は罵倒され、おとしめられ、中傷され、侮辱されるものだ。それも仕事のうちだ」と語っており、もっともではある。


しかし多くの米メディアはそんなことは織り込み済みだろう。トランプ側のメディア批判は、批判されたメディアにとっては勲章のようなものであろう。米国のメディアは驚くほど執拗だ。バノンが「メディアとの関係は悪化しており、毎日が戦いとなる」と宣言しているが、最後に笑うのは十中八九メディアであろう。


ただし日本の一部メディアや三流コメンテーターのようにことごとく首相・安倍晋三を目の敵にして「批判のための批判」を繰り返すのは浅薄だ。ツイッターなどでもその傾向が見られるが、国民の支持率が60%を超える政権は久しぶりに日本という国が手にした、貴重なる政治資源であり、トランプとは別次元のものと見るべきであろう。ニクソン辞任劇は田中角栄辞任要求に大きな影響を及ぼしたが、無理に風潮を“伝染”させる必要はない。それを猿まねという。

          <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆木津と応仁の乱 続編 C 

白井 繁夫



応仁の乱も文明4年(1472)となると、すでに戦乱も6年、兵士たちも厭戦気分です。

ところが、将軍義政をはじめ幕府首脳に戦乱を治める収拾能力が欠けていました。だから、管領家の家督相続争い.守護被官やその国人層の分裂抗争など諸事情あり、だらだらと応仁の乱は長引いていたのです。

そこで、前回述べたように同年5月、西軍の総大将山名宗全が東軍の細川勝元に講和を提案しましたが赤松政則の強硬な反対、西軍では畠山義就も拒絶し和平は成立できませんでした。

不成立になると早速、最強硬派畠山義就は京の喉首と云われてきた重要拠点の天王山を守る東軍の赤松政則の軍勢に意表を突く夜襲攻撃を仕掛けて(当時では想定外の戦法)、勝蔵寺から山頂に攻め上った。

不意の急襲を受けた東軍は防御できず退却しましたが、西軍が戦勝に酔い休息していた早朝、今度は赤松軍の浦上則宗が間道から反転攻撃に出て山頂を奪回する戦闘がありました。但し、この合戦は相国寺の戦闘のような大激戦ではありません。

京やその周辺(山城など)の収拾が治まらない間に、守護が不在の領国では勢力争い.他国の侵入.治安の乱れなどが各地で起こり、戦乱地から抜けて帰国する武将も出始めました。

文明5年(1473)に入ると、京ではだれも予想が出来なかった状勢の変化が起こりました。西軍の領袖山名宗全が3月に70歳で病没し、その2ヶ月後の5月に東軍の領袖細川勝元が44歳の若さなのに一週間の患いで(伝染病に罹感か?)逝去してしまいました。

宗全の嫡子教豊(のりとよ)は没していたので孫の山名政豊(まさとよ.33歳)が家督を継ぎますが、勝元の嫡子細川政元(まさもと)はわずか8歳で家督を継ぐのです。

しかしながら、両者はともに戦意に欠しく、京都においてはしだいに両軍ともに和睦のムードが高まり(各武将も国元の治安が気がかり)、町衆も平和の期待が高まりました。

そうした状況のもと、翌年(文明6年)4月に山名政豊と細川政元は会見し、講和を決定しましたが、またも全面講和には至りませんでした。

和平に反対する西軍の大内軍と東軍畠山政長は同年7月に入り京都一条の猪熊や堀川などで戦い、焼けずに残っていた市街までがまた灰になりました。更に、東軍の政長は13日には油小路の西軍(大内軍)を攻撃して妙光寺.法華堂なども焼失したのです。

もっと大きく驚愕したのは、西軍の総師山名政豊が和平後東軍に属したことです。これに反対した西軍の諸将(大内政弘.畠山義就.土岐成頼)は自分たちの今までの領袖山名政豊を北野神社に包囲したのです。この戦いで北野から千本にかけて数多の民家が巻き込まれ焼失したと云われています。

両軍の停戦交渉が軌道に乗らないのは度々述べたように、東軍赤松氏は嘉吉の変の失地奪回、畠山両家の家督をめぐる領地争いが続き家臣たちの対立も更に激化、西軍大内氏らの諸将は将軍家の足利義政と義視の和睦を条件にしたこと等で解決が出来なかったのです。

その上に、大乱が終息できない最大の要因は将軍家の権威が失墜してしまったことです。
大内政弘は合戦を一気に集結させようとして、諸国より軍勢を徴集し、大和では古市胤栄が呼応して京へ軍勢を進めたのです。

内乱は京だけでなく、各地でも領国内の対立が激化してきました。文明7年5月には大和の合戦が南山城にも影響して、西軍は木津を攻めましたが、大和の筒井軍の支援を得て「木津」は無事でした。

しかし、大内軍が相楽(木津川市相楽)に陣を張り、大和の古市軍(鹿野薗.長田氏等)が次々と山城に出陣してきて再び緊張は高まり、14日、遂に全面的な合戦になりました。

奈良の春日神社大鳥居では西軍の古市.越智.五条野氏らと東軍の成身院.箸尾.十市北氏などが合戦し、市氏らが敗北。木津近郊の小寺口では大内軍と東軍の狭川.福住氏が戦い、天神川原では大内軍と東軍の筒井軍が合戦、東軍の秋篠.宝来.超昇寺氏らは大内軍が守る染山城(木津川市相楽曽根山)を落城さす。いずれも東軍の筒井派軍勢が全面的勝利でした。

この戦いは大規模な合戦でしたが筒井一族の奮戦で木津はまた焼亡が避けられました。

(応仁の乱が起こり京の公家衆や多数の人々は戦乱から逃れ疎開しましたが、西軍の陣所近隣に居住していた大舎人織手座(おおとねりおりてざ)の人々も同じく奈良、大津、堺などへ疎開しました。)

ところが、堺に疎開して海岸沿いに居住していた織手座の人たちへ、文明7年(1475)8月、大阪湾に起きた大高潮が襲いかかり多数の死傷者が出たと云われています。
この人々も長引く応仁の乱の不幸な犠牲者となったのです。

しかし、応仁の乱は地方から戦線に参加した兵士や、各地へ避難した京都の文化人や技術者により京の文化.技術などが全国的に伝わり、京の人々も避難先でいろいろ学びました。

堺へ疎開した大舎人織手座の人々は大変な被害を受けましたが、堺では中国(明時代)伝来の最新織物技術を習得しました。(戦乱後は西陣:西軍の陣地跡:に帰り、新しい高度な織物の生産をはじめ、高級織物の産地:西陣織として、現在は世界的にも有名になっています。)

戦乱もだらだらと続き乱れていた京で、文明8年(1476)11月、3代将軍義満造営の室町第(花の御所)が民家からの火事の延焼によって灰となりました。この室町第には後土御門天皇の臨時皇居があり、将軍義政との同居(避難)状態が約10年近くになっていました。

その後、文明9年11月に旧土御門内裏の修復計画に取り掛かり、清涼殿、黒戸御所、春興殿を修理して、東、北、西門と改築し、なんとか天皇が皇居へ帰られたのは文明11年12月でした。(皇居修復費用としての臨時課税が町衆の抵抗で長期間要したと云われています。)

戦乱から逃れて地方の領地へ疎開した公家衆も、荘園主(本来の領主)とは名ばかりで、地元の国人(土地の武士)か侵略者の被官が領地を押領しており、本来の領主としての縁も切れた状況では、きちんと遇してももらえませんでした。

戦乱も開戦以来11年となった文明9年(1477)、9月に情勢が大転機を起こしたのです。
享徳3年(1454)以来畠山政長と家督争いを繰り返し戦ってきた超主戦論者の畠山義就が応仁の乱に見切りをつけて、幕府を見限り、馬上3百余騎と甲冑兵数千の軍勢を従え、堂々と隊伍を組んで領国(河内国)へ帰還したのです。
(反将軍派(西軍)の最強の武将(義就)の行進に対して東軍は手出しできず眺めるだけでした。河内では管領畠山政長の被官遊佐長直が治めていました。)

南山城では、義就の河内入国で情勢が一変し、下狛の大北城にいた西軍大内政弘の軍勢(甲冑兵3百.雑兵数千)が南都攻めを目指し、10月12日に突如行動を起こしました。

東軍(畠山政長)の支援についた伊賀の仁木氏軍や大和の宝来氏らも木津氏の援軍として戦うが敗れ、木津氏らは没落、木津の町並みも遂に炎上し、般若寺まで焼亡しました。
(尚、大内軍の南都への侵攻は大和の西軍古市氏の奔走で阻止できたと云われています。)

河内国は現管領畠山政長の領国ですが、義就は入国後河内を瞬く間に占領し、大和も押さえて、(東軍の被官らを没落させる)大成功を収めました。他方京都では西軍の武将朝倉孝景は東軍派になっており、義就が抜けた西軍は解体寸前となり、11月に美濃守護土岐成頼は不運な足利義視を伴い敗軍の将のごとくすごすごと美濃へ帰って行きました。

西軍の雄大内政弘は幕府に降伏して、改めて周防.長門.豊前.筑前の4ヶ国守護を将軍より安堵されて、同じく11月11日に京を出発して帰国の途に就きました。
これで西軍の有力武将は全て京から退きました。応仁.文明の乱は11年間をもって終結したのです。だから、形式上は東軍が勝利したことになりました。

大内軍の帰国で木津はまた平穏になりましたが、長期にわたる戦乱で京都の町はほとんどが焼け野原になってしまいました。その上将軍の権威もすっかり弱くなり京に隣接する山城国ぐらいまでしか将軍の意向が伝わらなくなりました。

しかし、山城国ではその後も畠山政長と義就の両家の紛争が繰り返してつづき、南山城の国人らによる山城国一揆が後に起きるのです。他方京都からの京文化が日本各地へ伝播しましたが、同時に地方へ疎開した人々により新しい文化も取り入れられ、日本の中心都市京都で京文化が再び芽生えさらに発展して千年の歴史を刻んできたのです。(完)

参考資料:木津町史  本文篇  木津町、  山城町史  本文編  山城町。
     京都の歴史  2  中世の展開  熱田 公 著
     乱世京都  上  明田 鉄男 著

2017年02月27日

◆強気、楽天ムードのCPAC

宮崎 正弘 


<平成29年(2017)2月26日(日曜日)通算第5200号>  
 
〜 強気、楽天ムードのCPAC(全米保守政治行動委員会)大会
  「我々の時代が来た」(ペンス)「偉大な大統領になる」(ヘリティ
ジ財団会長)〜


 トランプ大統領は2月24日、異例の記者会見を行った(正確には記者会
見を中止し、記者懇談会としてFOXやウォールストリートジャーナルな
ど十数社だけを招いた)。

偏向メディアのCNN、ニューヨークタイムズなどを「嘘ニュースであ
り、国民の敵だ」として締め出したのだ。

快挙と言えば快挙、首相の記者会見から朝日新聞、東京新聞、NHKを締
め出すようなものであろう。「朝日新聞は国民の敵だ」と安倍首相が言っ
たら、どういう騒ぎになるか、想像してみると、よく判る。

その後、トランプ大統領はCPACの年次総会へ向かった。

おりからワシントンDCのおとなりメリーランド州で開催されていた
CPAC(全米保守政治行動委員会)はお祭り騒ぎになって、トランプ大
統領、ペンス副大統領を筆頭にベトシー・デバス教育長官ら閣僚、プリー
バス、バノンら大統領補佐官も勢揃いして、保守の勝利を謳った。

英国や欧州の保守政党、グループからも来賓が登壇し、「嘘ニュースを伝
えるメディアは敵」などと訴えた。

「次の8年、われわれの大統領が続く」(ウエイン・ラピエール全米ライ
フル協会副会長)。

「この政権は公約したことをすべて実行する」(バノン上級顧問)

「健康保険制度でオバマケアは『ガン』だった。あたらしいシステムの構
築を」(ジム・デミント前上院議員、ヘリティジ財団会長)
「われわれの時代だ」(ペンス副大統領)。

CPACのマット・シュラプ議長は「トランプは偉大な大統領となって歴
史に残る」と一際高くトランプ礼讃。

CPACは共和党右派の本丸であり、2011年の状況下では運動が萎み、イ
デオロギーが強調された寂しい大会だった。

2016年にはトランプは予備選の最中、共和党主流派、右派、ウォール街派
すべてを敵に回していたから出席しなかった。

2017年の大会は勝利の酔いがまだ尾を引いており、一方的な宣伝、アジ演
説も見られたが、ティパーティ(茶会)のテッド・クルーズ議員らも出席
し、発言した。

共和党あげての挙党態勢という状況ではないが、トランプ政権をもり立て
ようという合意が、共和党の末端組織にも拡がったという意味で、大変化
の大会だった。

    

◆大城バネサの2017年、いざ!

馬場 伯明



私が大事に想い絶対的に応援しているのはプロ野球チームの(広島)カー
プである。ファン歴は60年を超えた。だが、その次に応援するのは歌手の
大城バネサである(以下「バネサ」という)。

バネサの略歴(Official HP等より抜粋)。《大城バネサ(Oshiro
Vanesa)本名同じ。1981/11/26アルゼンチン・ブエノスアイレス生まれ、
血液型O型。日系アルゼンチン人2世。両親ともルーツは沖縄県だ。幼少か
ら沖縄民謡や日本の音楽に親しみ、日系人カラオケ大会などに出場した。

2001/10「NHKのど自慢」アルゼンチン大会で優勝。翌3月「NHKのど自慢
チャンピオン大会」で平成13年度グランドチャンピオンに輝く。海外勢
初。2003/8「鷗も飛ばない海だよ」で EMIミュージック・ジャパンからデ
ビュー。2013/6の「三陸海岸/女漁師(日本コロムビア)」が好評を博
し、2015/4の「俺の漁歌(日本ビクター)」は5万枚を突破・・》。

2017/1/23(月)岐阜県羽島市ホテルKOYOでの「2017バネ隊新春の集い」
に出席した(「バネ隊」:Fan club)。300人超のコア(核心的)なファ
ンが集結した。12時開演。さあ、バネサの2017年、いざ、出陣だ!

奇抜な鶏のコスプレ衣装で登場した高橋雄蔵さんの名司会で始まった。高
橋さんは国際クラブ専務理事・Rサプライ副社長。盛り沢山のプログラム
である。主催者代表挨拶、羽島市長等の来賓挨拶、マジック、コスプレ
(歌と踊り)、カラオケ(素人名人)、TV放送画像、商店街からのエール
など。全部をご披露したいけれども、ここでは印象に残る4つを紹介する。

第1.バネサの歌の領域が広がった。2017年の飛躍を確信する。漁師歌の
「三陸海岸」や「俺の漁歌」などで高い評価を得た。転じて祖父母の出身
地沖縄への思いが詰まる「逢いたい島」・「三線のかほり」がヒット中で
ある。また頑張る人への応援歌「伝えたい/情熱テコンドー」もいい歌だ。

バネサのファンは着実に増えている。だが、もっとも重要なことは「歌が
うまい」と評価されることである。諸先生の指導に従い、学び、精進・努
力し、ファンと音楽界に大きな衝撃を与えてほしい。

第2. バネサを2010年から羽島市に住まわせ全面的に支援している青山馥
(かおる)・るみご夫妻に心から感謝する。バネサの大恩人である。青山
馥さんは、幅広い事業のオーナーであるとともに、一般社団法人国際クラ
ブの元理事長。後進国等への支援を続けている。国際クラブは、現在、る
み夫人と青山光司さん(長男)との二人理事長体制である。

るみ夫人はバネサの所属事務所「Rサプライ(株)」の社長であり、バネ
サと二人三脚で全国行脚の日々である。「『主人は激辛の唐辛子で私は砂
糖とハチミツ』と主人に言われます」と青山社長。時に厳しく時に甘く温
かく・・・。青山ご夫妻お二人の立ち位置と行動との絶妙のバランスが相
まってバネサはここまで来ることができた。バネサは「果報者」である。

第3.東北の漁業界の人たちはバネ隊の最右翼にいる。サンマ船第十一光
洋丸の千葉茂喜漁労長との出会いが最初だったという(2次会で千葉さん
から詳しく聞いた)。2013年に気仙沼での「三陸海岸」のPV撮影に際し、
漁労長の全面協力をいただいた。その後「港祭り」や「出船おくり」へ出
演させてもらえるようになり、バネサは大きくなっていった。

サンマ船団を率いる大船渡の鎌田水産(株)の鎌田和昭会長はバネサをあ
たたかく見守りその成長を楽しみにしている。気仙沼で食工房「貞秀」を
経営する片山秀昭さんもバネサを励ましに羽島市へやって来た(片山代表
は著名なジャズドラマーのバイソン片山の実兄である)。

さらに、マル井水産(有)の井上幸宣社長が続く。井上社長はLED集魚灯
搭載サンマ船の建造と操業の嚆矢。第三・第五太喜丸(共に199トン)の2
隻を操り2016年も高位の漁獲・売上を達成している。

井上社長は(私と同じ)長崎県雲仙市南串山町生まれ。ずっと同町に住み
京泊港を母港とするも、サンマ漁の基地は気仙沼港である。先の震災と津
波で全資機材を失ったが見事に復活を果たした。バネサとその歌に出会い
支援を続ける。この間、長崎県(島原半島等)に18回招き、歌謡ショーや
ディナーショーなどを通じ動員数は累計数千人に達している。

新春の集いでは井上社長が壇上でバネサに豪勢な「福沢諭吉sのレイ」を
プレゼントし会場から拍手喝采を浴びた。2016/12/4には井上社長の友人
の金澤秀三郎雲仙市長がバネサに「雲仙市ふるさと大使」を委嘱している。 

第4. 最後に作曲家・歌手の岡千秋先生、4番打者の登場である。青山夫妻
とは旧知の仲だという。都はるみとのデュエット「浪花恋しぐれ
(1983)」や五木ひろしの「長良川艶歌(1984)」で作曲家としての地位
は不動のものとなった。東京からバネサのために来てくださったのだ。感謝!

「浪花恋しぐれ」など数曲の披露の後「バネサに新曲を・・」との青山社
長からのお願いに前向きの力強い言葉をいただいた。これは百人力、いや
千人力である。「長良川艶歌」に続く岐阜(羽島)の名曲をぜひお願いし
たい。後はバネサがしっかり歌い、私たちが懸命に応援すればよい。

もう一つ書きたいことがある。1995年の阪神淡路大震災を挟み大阪で苦労
を共にした1歳上のNさんが兵庫県で闘病中だ。難病である。カラオケが抜
群にうまいNさんの十八番(おはこ)が「浪花恋しぐれ」だった。

岐阜市若宮町のクラブ「サルビア」(追立涼子代表058-264-1664)の2次
会で、岡先生に「Nさんの事情」を伝え色紙にサインをもらった。「Nさん
へ:死ぬな、生きろ!岡千秋 2017/1/23」。例の髪型と髭のイラスト付
き。岡先生と私が並んだ写真も合わせNさんへ郵送した。バネサのサイン
とCDも同封した。Nさんが元気になればいいな・・・。

以上4つを紹介した。最後に第5を追加させていただきたい。それは、本誌
読者5,500人のみなさんへのお願いである。「みなさん、大城バネサへの
応援をなにとぞよろしくお願い申しあげます」。なお、Fan club「バネ
隊」への入会手続き等はこちらです。http:vane-music.com/

じつは、新しい発見があった。バネ隊には専用の赤いウインドブレーカー
がある。これは(広島)カープの真っ赤な応援服(ジャケット)に似てい
る。2017年の私の応援目標は、カープのリーグ連覇&日本一とバネサのさ
らなる大ブレイクに決定する。

来年2018年春にはアルゼンチン(ブエノスアイレス)で移民の人たちをね
ぎらう盛大な花火大会とバネサの故国への凱旋公演(リサイタル)が企画
されているという。日亜爾の楽しい交流の場になるだろう。

さあ、津々浦々からバネサにエールを送ろう。がんばれバネサ!全国の声
なき声に耳を澄ませ! 勝負の2017年、いざ、出陣だ!
(2017/1/29 千葉市在住)


◆古代穀物 ディンケルス/スペルト小麦

永冶ベックマン啓子

南ドイツの現在観光ルートとなるロマンチック街道は、2000年以上の昔
ローマ人がアルプスを越えて北上する以前に中部イタリアに住んでいたエ
トルリア人が,北海の琥珀を求めて旅をしていた南北の通商街道の歴史が
あります。 

もう1つの東西(プラハーパリ)を結ぶニーベルンゲン街道とロマンチッ
ク街道が交わる街がディンケルスビュールという城砦の街、戦争の破壊を
一度も受けて居ない中世の生きた街がなだらかな穀倉丘陵地帯にあり現在
も文化保護財の街として残ります。

17世紀30年宗教戦争の折に子供達が町を守ったという歴史祭が有名です
が、その街は麦の穂3本が街の紋章に使われています。

ドイツ語で、ディンケルスは麦、ビュールは岡、と言う意味があり、昔よ
りディンケルス麦が栽培されていてその収穫地だったわけですが、1万前
からにヨーロッパで栽培されていた事が証明されています。

小麦は中世イタリアなど暖かいところで収穫されていたのが、ベネチア貿
易でドイツにも知られましたが、ディンケルスは天候が寒くて良くないド
イツでも強健な植物でよく育ちます。

ディンケルスは人工的な品種改良がされていなく普通小麦の原種に当たる
古代穀物ですが、現在も昔のまま遺伝子組み換えなし、農薬、化学肥料な
しで栽培されて、英語ではSpelt / スペルト、イタリアではファッロ、
スイスではスペルツと呼ばれてこのパンは大変人気があります。

私がまだ学生の頃、ミュンヘン郊外の町でドイツのパン屋さんの3代目の
後継者で、パンのマイスター学校で勉強をしている人に会いました。

日本人の知人が彼と同じお菓子のマイスター学校で学んでいたかのです
が、そのドイツ人学生は小麦アレルギーが酷く、セリアック病と診断され
職業病だと言いながらとても悩み、腸管の調子が悪いと痩せて不健康な肌
で疲労した青い顔をしていました。

家業のパン作りを真剣に考えたああげく、アレルギーを殆ど出さないディ
ンケルス全穀粒パンやジャガイモパンを考案して焼き、これが今ミュンヘ
ンでも大成功大人気の風味豊かな美味しく健康なブランドパンになってい
ます。

日本のあるパンメーカーの社長さんが、自社でもドイツパンを焼きたいと
のご要望があり彼を紹介しました。日本で1週間社内講習会を開いて指導
してきました。そのパンを私も日本で食べてみましたが、ドイツ人が褒め
る程確かに美味しいドイツパンが日本で焼かれています。

小麦アレルギーの原因は2種類の蛋白質ですが、グルテンとグリアジンで
す。食べ物にトロミを付け、粘着性があり、小麦粉とイーストと混ぜ合わ
すとフワフワに軟らかく膨らみます。 

ディンケルスはグルテンフリーではありませんが少ない為、長年の研究で
は小麦アレルギーの人が食べても85〜90%は発症していません。敏感な方
は、完全にグルテンフリー の製品を選択する事が大切になります。
グルテンとは、ラテン語で“膠”(にかわ)の事で、酵素が十分働かなく消
化器官にダメージを与えてしまいます。

先天性、遺伝性、食事、添加物など原因は複雑ですが、日本ではフワリと
した砂糖入りの菓子パン屋さんが到る所で目に入り、パスタのお店、ピッ
ツアなど、日本人の食生活が随分と変化し、小麦を原料とした食品のお店
が最近あまりにも多のにも驚きます。

本人があまり気がつかないで食べて、原因不明の症状に悩まされ、診断名
もつけられていない人が案外多いのではないかと思えます。

グルテンアレルギーの症状は;慢性の便秘や下痢、脂肪便、腹痛、過敏性
腸症候群、消化管の痛みや不快感、腹部の膨満感、リーキガット症候群、
糖尿病、心臓疾患,発疹、疲労、倦怠感、体重減少、体重増加、子供の成
長障害、子供の肥満、骨そしょう症、貧血、不妊、流産、頭痛、乳糖不耐
症,関節炎、等々です。

そしてブレインフォッグ(思考に霧がかかる)おかしな認知症的な神経症
状(脳の炎症)、さらにグルテンは軟骨を糖化させ、悪いホルモンのレプチ
ンが軟骨を攻撃して関節炎が起きたりします。

蛋白質を遺伝子組み換え(農薬、化学肥料、防腐剤を使用)した小麦がい
かに問題を持つか驚くばかりですが、反対にグルテンフリーの玄米、お米
がいかに素晴らしい食品であるかが見えてきます。
 
日本には問題の小麦粉食品が溢れて消費量が増え、お米の消費量が減少し
ているという事は嘆かわしいことですが、自分や家族を守る賢い食品の真
剣な選択が求められている時代ではないでしょうか?         
                    2,2017  


◆歳は足に来る

石岡 荘十



数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。


このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については前回述べた。今回はその続編である。


先般、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。


はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。


血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

8/23、心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。

これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

治療を受けた東京女子医大では、ステントを使った心筋梗塞治療が今年すでに数百件に上るのに対して、足に使った症例は筆者でまだ56件目だという。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。が、成功症例はまだそれほど多くない。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。歳は足にくる。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。(再掲)

◆木津と応仁の乱 続編 B

白井 繁夫


応仁の乱は応仁元年(1467)から文明9年(1477)までの11年間と言われていますが、
最も激しい合戦は初期の2年間です。この間、洛中では東軍(細川勢)と西軍(山名勢)の戦闘に巻き込まれた数多の神社.仏閣は焼亡し、その上、戦乱に紛れて足軽集団が公家屋敷や町家にまで放火し、掠奪するため、京は治安が大変乱れた焼け野原の都と化しました。

その後の洛中では、両軍ともにゲリラ戦などの小規模な衝突程度の戦いとなり、戦乱はむしろ地方の地域へと拡大していきました。

応仁3年4月には、改元して文明元年となりました。しかし、東軍(細川方)は将軍.嫡子義尚と天皇も取り込んでおり、「官軍」と称していますが、西軍(山名方)は将軍の弟(義視)を引入れただけです。

だから山名宗全は南朝の後胤.小倉の宮(南朝最後の後亀山天皇の孫)の御子を西軍の総師として迎えようと思うのです。そこで大和高市郡の越智邸から、文明3年(1471)7月に京の安山院(尼寺)へ御子を迎え入れたのです。

ところが、西軍の有力武将畠山義就の領国(河内.紀州)と南朝の勢力地とが重なるため、義就の強い反対にあい、その後御子を上手く利用も出来ず、宗全は後南朝勢の小倉宮皇子として西軍の西陣南帝としたが、御子の存在そのものも不明になってしまいました。

応仁2年以降、洛外に拡大しはじめた戦乱は、当時の日本における2大都市「京都と奈良」を結ぶ重要な地域「山城国」の争奪戦の渦に、木津川地域を巻き込んで行くのです。大和では長年筒井.十市氏等と古市.越智氏等の両派が争ってきましたが応仁の乱でもそれぞれが東軍細川方の畠山政長と西軍山名氏の畠山義就方に属していました。

「山城国の十六人衆」は応仁の乱開戦以来、細川勝元の被官として合戦に動員されており、出陣の際には兵糧米に宛てるため自身の支配地以外の興福寺や石清水八幡などの荘園も押領していたのです。

他方、洛外に拡大し山城乙訓郡.摂津.河内に勢力を強めていた畠山義就.大内政弘の西軍の大内軍が文明2年(1470)7月南山城に進出してきました。

大軍で押し寄せた大内軍は先ず東軍の宇治大路氏を7月22日に降参させ、山城国十六人衆の内12人も瞬く間に降参させました。残ったのは木津.田辺.狛.井出別所氏の4氏でした。この間、西軍方の椿井氏までが古市胤栄を頼り大和国へ没落(避難)しました。

7月25日、大内氏の大軍は杉備中守.弘中上総守を両大将にして田辺郷(京田辺市)を強襲し、田辺郷の武士(荘官:下司.公文の2人:田辺氏.武藤氏)は支えきれず自ら城を焼き没落したと云われています。

田辺郷の合戦には狛下司.木津氏も参戦するが、戦いに敗れた狛氏は隠居して子息を降人に出して解決しました。木津氏も同じく子息に家督を譲り降人に出したのです。田辺郷の寺や民家はほとんど焼亡してしまうが、ただ天神宮(棚倉孫神社)だけが焼け残ったと云われています。

今まで南山城は東軍が優勢でしたが、大内軍の進攻で大部分が大内氏の支配下になり、平野部ではわずかに木津だけが東軍の手に残る状況となりました。東軍は西軍に対抗するため、8月末、伊賀国守護仁木氏が伊勢国の関.長野氏の軍勢を率いて木津に進出してきました。

9月には筒井派の狭川氏が東軍(仁木氏)の支援に入り、大和の古市勢は大内軍に加わって
合戦が起きましたが、東軍が木津へ引き上げて、大内.古市両氏により守備された下狛の城は以後、戦乱がおさまる文明9年11月まで西軍が支えていたのです。

文明3年(1471)4月、大内軍と畠山義就軍は木津の占領を目指し、古市氏とも連絡を取って、木津川の対岸(北側)の上狛、下流(西側)の吐師.相楽等に火を放ち木津の小寺口まで押し寄せたが、本隊は木津川を中に挟んだ対陣状態で、結果的に、木津の町は焼けずに済みました。

この時、西軍(大内軍)の軍勢数はあまり多くなく、翌日木津の東軍からの反撃で合戦は鎮静化しました。しかし、この戦闘中の火災で、数多の寺院や民家が焼亡し、特に奈良時代の行基が開祖と云われる泉橋寺(木津川市山城町)の門前に建つ地蔵堂も炎上しました。

この地蔵堂には徳治3年(1308)9月9日般若寺(奈良市)の真円上人が造立供養した日本一大きい石造地蔵菩薩坐像(高さ5.88m)が祀られていたのです。被災した地蔵堂跡の地蔵尊は元禄年間(1688-1703)損傷部を修復して露佛となった状態のまま祀られています。

また、文明3年(1471)には、将軍義政から越前守護職の補任を得た「朝倉孝景」は斯波義廉の有力家臣でしたが、東軍に寝返り、5月に京の戦乱地から領地を治めるため、越前へ復帰してきたのです。

越前では(西軍)斯波義廉や重臣の越前守護代甲斐敏光と合戦になりましたが、越前の国人達(斯波義敏側)の支援を得た朝倉孝景軍が実力で越前一国を掌中に収めてしまいました。

文明4年(1472)に入ると、南山城の両軍の合戦は下狛大北城の攻防後、東軍が退きしばらくは平静になりました。京においては、開戦以来6年ともなると、兵士たちもさすがに少々厭戦的になって来たのです。

ところが、国元では反乱や、隣国からの侵略、農民の一揆などと気がかりなことが発生しており誰のための戦いか各守護や被官たちも動揺を感じるようになりました。

そんな状況の折、西軍の山名宗全から東軍の細川勝元に講和の提案がありましたが、細川方の武将赤松政則が頑なに反対したのです。(赤松氏は嘉吉の乱後、山名宗全に奪われた領地(播磨など)の奪回のため、東軍に参加して、宗全打倒を目指して戦ってきたのです。)

超有力管領畠山家の義就と政長が西軍と東軍の武将に分かれて領地をめぐる激烈な家督争いを続けてきており、やはり講和には断固反対でした。

しかし、文明5年には誰も予期出来なかった事態が発生するのです。(つづく)

参考資料: 木津町史  本文篇  木津町、 山城町史  本文編  山城町
      京都の歴史  2  中世の展開  熱田 公 著
      乱世京都  上  明田 鉄男 著