2017年03月31日

◆「措置入院」精神病棟の日々(20)

“シーチン”修一 2.0



「またやっちゃった・・・」

JR駅からたった150メートル、街の中心を東西に流れる清流は両岸を桜並
木に飾られ、桜が開花する春には住民はもとより近隣の人々で賑わう。か
つては駅前通りには書店が2つ、古書店が1つあったが、今はすべて廃業
してしまい、文化の香りがまったくしない街にとって、清流は住民の自慢
の種、誇り、憩いの場、吟行の散歩道であった。

商店街のSさんが嘆く。「この街は暮らすには最高だが、商売にはまった
く不向きだよ」

北は多摩川に、南は多摩丘陵に遮られ、東と西にはJRと交差する小田急
線、東急電鉄の駅があり、そこにはそれなりに繁華な小都会があるし、30
分も乗ればデパートの林立する町田、新宿、渋谷、横浜などにも行けるか
ら、地元で買うのはほとんどが食品くらいだ。Sさんの嘆きは商店会の嘆
きでもある。

その清流と桜並木が街の発展を阻害しているとして、古からの地主が代々
議員を務めている町議会と町長が「清流の暗渠化(地下に水路を造る)と
桜並木の整備(事実上の伐採)によりショッピングセンターやオフィスビ
ルを誘致し、街の発展を促す再開発計画」を決議したのは昨年の夏だった。

「桜堤保存会」「多摩の自然を守る会」の人々などが反対の声を上げた
が、いつしか切り崩しにあったのだろう、小生が酒乱発狂で精神病院から
退院したこの春の今では誰も表向きには反対を唱えなくなった。

ペットロスの影響もあり、小生は愛犬とともに毎日のように散歩した桜堤
が消えることを悲しみ、やがて密室で再開発計画を進めてきた町長や議
長、そしてゼネコンの走狗となって議員や有力者(皆大地主)を買収ある
いは懐柔してきた地元のM建設社長を激しく憎むようになっていった。

彼らが再開発を云々すること自体が矛盾している。彼ら地主が駅周辺を占
拠し、建物が朽ち果てようが放置したままで、デベロッパーが土地を売っ
てくれ、貸してくれと何十年もアプローチしたものの、かたくなに節税の
ために拒否し続けていたのだ。中には門柱に「不動産関係者立入禁止」の
看板を掲げている旧家もある。

それが急に「再開発」に乗り気になったのは、わが街の不動産ミニバブル
が影響している。そのお陰で路線価が上がり、今が売り時、貸し時、しか
も大手デベロッパーが「自己資金ゼロでOK、30年間、土地を活用してビル
やマンションを建てれば弊社が30年間借り切ります、賃貸料保証」と煽り
に煽ったからだろう。

その先鞭をつけたのはわが家の本家である。小生は記者時代、旅行産業と
いう限られた世界ではあるとはいえ、凄まじい数の人間に接したが、自分
より頭がいい奴、「コイツには勝てないな」と思ったのは10人ほどだろ
う。彼らは知識、知恵(智謀、先見の明を含む)、度胸(山っ気、断行
力)という3つの面でとても歯が立たないという人なのだが、そのうち2人
は東大出(東大出はバカが多いが、たまには優秀でまともな人もいるとい
うこと)、同じく2人は本家の惣領(そうりょう・総領)3代目と4代目で
ある。

その4人は必ずしもいい人というわけではなく、特に本家の3代目(小生の
従兄。小生の父の兄=小生にとっては伯父さんだが、伯父さんも優秀な起
業家だったものの時代の先を行きすぎ、資金繰りが上手くいかずに50歳ほ
どで自殺した。

小生の母方の一番仲良かった従兄も10年ほど前に自殺しているが、小生は
両親からそのマイナス遺伝子を受け継いでいるようだ)と4代目(3代目の
長男、税理士資格保持)はともに外面(そとづら)は悪い(小生は苦手だ
し、2人とも愛嬌がない)が、実に利に聡く、慎重すぎるほど慎重だが起
業家精神にあふれ、小生が知っているだけでマンション2棟、大駐車場2か
所を経営し、数日前にはわが街で初めてオフィスビルを竣工した。

街の大地主たちは3代目がマンション経営に成功すると皆マンションを建
てた。皆モノマネばかり。今回の再開発計画も、もしかしたら本家が発信
源かもしれない。

いずれにしても「町長と議長は絶対許さない、絶対白状させる」と決意
し、父が二重金庫の奥深くに隠していたU.S.M1カービン自動小銃(父が米
軍座間キャンプの警備員(Security Guard)、憲兵隊補助員(Military
Police)をしていた時、軍需物資の横流しもしていたから、その際にブ
ローニング拳銃とともに護身用に入手したのだろう。

当時、キャンプ座間周辺では黒人兵の強姦事件が多く、母によるとわが家
も襲われそうになったそうだ。黒人兵用の慰安所が整備されていなかった
のかもしれない。なお父は金庫の番号を跡取りの小生にだけは教えた)を
持って朝食時に桜堤に面した町長宅を襲撃、バラバラっと天井を連射し、
全員を床に伏せさせると、町長に議長を電話で呼び出させ、2人揃ってか
ら家人を解放するや高塀の屋敷は機動隊に囲まれた。

2人を後ろ手錠と腰縄で拘束し、ビンタをくらわしてから今度は床に連射
して脅し、再開発計画の一部始終を白状させた。“越後屋”は菩提寺の庫裏
新築工事で味をしめたM建設だったが、背景は分からなかった。地価の高
騰とビル/マンション経営を促進するためで、特に農地転用が公共事業の
場合は有利になるからだという。

小生は金嬉老事件(寸又峡事件)を真似て屋敷内でマスコミ相手の記者会
見を開き、“お代官様”にすべてを喋らせたが、テレビでは臨時ニュースと
して報じられていた。

海千山千の記者の質問攻撃で、贈収賄事件も発覚した。ここまでやれば
「再開発計画の白紙撤回」という所期の目的は達成されるだろうと、越後
屋の後頭部から銃口を下げたとたんに記者を装った警察官4人が覆いかぶ
さってきた。1人が叫んだ、「監禁、器物損壊、傷害で容疑者逮捕、11時
28分!」と叫んだ。

小生は手錠、腰縄で拘束され、頭にジャンパーを被せられたときは「俺は
顔を隠すようなことはしていない、正々堂々と出ていく。シートで隠すの
も止めろ、それがダメなら舌を噛むぞ!」と言うと、ジャンパーははずさ
れ、シートも地面に置かれた。道路へ出ると桜堤は人出でごった返してい
た。彼らは小生に拍手を送ってくれ、女性は小さな女児に「あのお爺さん
が街を救ってくれたのよ、忘れちゃだめよ」と教えていた・・・

今日もまた一日が始まるなあ、今日も鉄格子とにらめっこか・・・「また
やっちゃった・・・ビョーキだな・・・でも今回はカミサンは許してくれ
るかもしれない・・・ああ、このまま眠っていたい・・・」

目を開けると、「ン? 鉄格子が見当たらない・・・ここはどこか・・・
あっ、俺の部屋だ、夢だったのだ、ああ、夢で本当に良かった」、小生は
ホッとし、同時にぐったりした。発狂と入院は小生のトラウマになってい
るようだ。病棟日記から。

<【2016/11/16の続き】10:00〜11:00、初めてのOT(作業療法)で、自
由工房にてプラ製のクワガタを作る。細かい作業でとても面白く、いろい
ろな人が見物に来たので言葉を交わした。OTは月水金の週3日やることに
したが、作業療法師から「目標を設定しましょう」と言われたので、「人
付き合いの練習をする」にした。

おしゃべり苦手で、「孤高の人」「寡黙な考える人」を目指していた小生
が「人付き合いの練習」だなんて、苦笑するしかない。そのうち、眠って
いるとき以外は喋りまくっていた松岡洋右みたいになるのか・・・「静か
な晩年」は夢のまた夢になりそうで、複雑な気持ちだ。

夕食後“ボス”とその友人“ポール”とビートルズをテーマにおしゃべり。彼
らは40歳前後だが、世代を越えて語り合える流行歌はビートルズくらいで
はないか。やはりビートルズはすごいと思う。“ポール”はビートルズの曲
をカバーするライブが仕事のようだ。こんなにお喋りしたのは生まれて初
めてだ。「人付き合いの練習」初日は大成功か。(つづく)2017/3/30

◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎



1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京
湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい
た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。
屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に
よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、
このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり
とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ
て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と
いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を
した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大
造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で
初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組
員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極
めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦
「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始
まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高
木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事
は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た
だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、
野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間
に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか
り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。
以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜
を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ
とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気
はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ
け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ
れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い
「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有
効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に
ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん
ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、
飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが
足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。
その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ
ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ
た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート
した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明
治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って
いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ
ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ
けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー
ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米
ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し
た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し
た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ
うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と
した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン
B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい
うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣
の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本
人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ
たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の
学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に
玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで
あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄
米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食
べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ
ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森
一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です
が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な
がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ
て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験
ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた
め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒
でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾
病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問
題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい
た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確
たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と
の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確
立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない
か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら
い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では
ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、
「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革
案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚
気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸
軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定
する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても
「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で
しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近
代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール
が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気
に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に
対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で
発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統
計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概
に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で
その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対
する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で
は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい
た。>2006.05.07

◆春の花、鳥〜鶯のこと

眞鍋 峰松
 


朝夕の犬の散歩に通る道筋の隣家の庭に、一本の辛夷(こぶし)の木がある。ほぼ毎日、二回は通る道なのだが、20日ほど前に白いつぼみが膨らむまで何の木やら一向に気付かず、10日前から次々と開花しだした。

「あぁ、満開だ!」と思う間も無く、白い花びらの先端から黄ばみかけ、一輪また一輪と次々に道端に落下。花の命は儚く、真に残念の一語に尽きる。

住んでいるのはニュータウン。同時期の移住者が多い故か、近隣には同年配の高齢者が多く、ほとんどの世帯が65歳以上を主体とする家庭である。それぞれの庭には、丹精込められた四季折々の花々が咲き乱れる。

その庭に共通して多いのが金木犀。私は特にこの花の何とも言えない高雅な甘い香りが好きなのだが、秋の早朝や夕暮れ、玄関から一歩足を踏み出すと、地域全体に金木犀の強烈な甘い香りが漂う。 

これからの春の深まりとともに、梅、椿、桃、辛夷、雪柳、れんぎょう、桜、木蓮などが咲き乱れ、赤・桃・白・黄色と次々に鮮やかな色合いで眼を和ませてくれる。 この辺りは野鳥も多い。 

とりわけ多いのがヒヨドリ、モズ、メジロ。この季節、木々に隠れて姿を容易にはみせないが、鳴き声を楽しめるのが鶯だ。例年なら今の季節には庭の木々の枝にとまり、早朝から鳴き声が聞こえるのだが、何故か今年は未だ聞こえてこない。 

ただ、鳴き声も季節初めの所為か、まだまだ練習不足。特有のホ―・ホヶキョという鳴き声にもならず、ホ―だけでお仕舞か、チィチィという声のみ。もう鶯の季節かと、耳を澄ませて聞く当方としては、この中途半端な鳴き声に何だか肩透かしを食らったような気持がする季節でもある。

ところで、NPO法人近畿フォーラム21主宰の事業の一つに、大阪市内都島の毛馬村で生まれた与謝蕪村の生誕300年を祝う顕彰俳句大学があった。同大学講座は 31日「解散」するが、その大学第2期講座の「修了式兼表彰式」が行われ参列した。

その中、「一般の部講座」(他には「児童・生徒の部」も)で「大阪市長賞」を受けられた方の作品に「笹子くる いつもの薬 飲みをれば」という句があった。

撰者の先生は、“笹子とはまだ整わない鳴き方をしている冬のウグイス、薬を飲みながら庭に来た「笹子」のチィ、チィという可愛げな声を楽しんでいる様子、・・・笹子はいつかは春が訪れることを告げながら、一病息災、一病息災と作者に告げているのかも知れない”、との評。 

笹子といえば、俳人高浜 虚子には「石垣の 上の竹垣 笹子啼く」との句がある。 

日本大歳時記(講談社)によると、古来梅に鶯(うぐいす)といって春のさきがけとされ、鶯の初音は二月はじめごろ、清亮にして円滑な美声で囀る。囀りの整ってくるのは三月ごろで、鳴く時は尾を揺るがす。 四月には山へ帰ると解説している。 

また、基本季語の鶯に対し、一般季語には初鶯、春告鳥、経読鳥、匂鳥、黄粉鳥、花見鳥、歌読鳥、流鶯等々と記されている。まぁ、同じ鶯にも様々な呼び名があるものだと、日本人の感性とボキャブラリーの豊かさを象徴する一例かと、改めて感心するばかり。 

中でも面白いのが経読鳥。なるほど、ホ―・ホヶキョと言えば誰しも法華経を想像する。 真に日本の春はありがたいお経の声に満たされた時季である。また、流鶯とは、春たけなわの頃、木から木へ枝移りしながら鳴き立てる有様からの名付け。 これまた、十分に納得させられる。

この式典では大阪市立大学文学部長の村田 正博先生の「蕪村俳句の面白味」と題する興味深い講演が行なわれた。

その中で蕪村秀句として紹介された鶯の句。「 うぐいすの 啼くやちひさき くち明(あけ)て」と「 鶯の 枝ふみはづす はつね(初音)かな」の二句。

この二句から見ても、芭蕉や一茶と並び称される俳人蕪村の、出生時からの数奇な人生にも拘らず、暖かい人情味を失なわなかったという人柄が偲ばれる。どうやら花や鳥というものは、老年になって、ようやくその味わいが深まってくるもののような気がする。

花を見れば、自ずと花を見るのも今年限りかも知れぬの思いが浮かび、それで花の味わいが一層深くなるのだろう。花は老年のためにこそあるもののようである。若い時分には自分が生きることに精一杯で、そんなふうに思って花を見ることはなかったのに、近頃はどういう訳か、そんな思いを抱かずには花を見ることができなくなった。 

やはり人間というものは、加齢とともに自然に回帰する習性を持つ生き物のようだ。

西行法師の歌 「願はくは 花のしたにて 春死なん そのきさらぎの 望月(もちづき)の頃 」。「散る花も 根にかへりてぞ または咲く 老こそ果ては 行方しられね」。 

詠むほどに、何ともなしに、この歌に心ひかれる昨今である。

2017年03月30日

◆森本学園問題の異質感

大江 洋三



この問題は、よく考えればおかしな話である。

籠池氏から、昭恵夫人に100万円が渡ったのであれば大問題だが、事は逆
である。

仮に寄付行為があったとしても、志に共感したのであれば、選挙期間中で
なければ何ら問題はない。「頑張ってください」という程度だ。何を頑張
るかで民進他の野党は揉ましているのだ。

森本学園では、幼稚園段階から教育勅語の素読をやっていたという。国会
で、福島瑞穂が稲田防衛大臣を追求していた。曰く「子供に、戦争の種も
とになった教育勅語を教えるなんて、とんでもない」

福島瑞穂も弁護士なら、内容をよく読まなければならない。教育勅語のど
こに、そんな文句が書いてある?

そもそも、反日家が「瑞穂」などと日本ゆかりの美名を用いてはならな
い。だから日本人なりすましと疑われるのだ。文句があれば改名してから
にせよ。

官邸サイドは、寄付を「事実無根」としているが、事実であっても構わな
いのではないか。

教育勅語は、「人の道の実践」の書である。中に「夫婦相和し」ともあ
る。普通の女房殿なら、旦那を応援してくれている人がいれば謝意に駆け
付けるのは当り前ではないか。それがどうした?

昭恵夫人に落ち度があるなら、狭い空間で男女2人きりになった事だ。
二人だけになったということは、司法も関与できない男と女の暗黙の了解
が成ったということでもある。少なくとも大きく疑われる。

ゲスの勘繰りと思うなかれ。男と女は歳に関係なく、そういうように神様
がお作り給うたのだ。おまけに昭恵夫人は非常にアッケラカンとした方だ。

みんな底では分かっているから、やがて昭恵夫人騒動は収まるだろう。
件の豊中の土地売買価格も、公認会計士や不動産鑑定士に査定させれば簡
単に済む話である。

公会計の簿価は、土地取得や形成費用が表示されているだけで、評価額が
記載されているわけではない。

元・ゴミ捨て場で、おまけに実物が出土したら公認会計士はゼロ査定する
だろう。

財務省・理財局は政治家が関与しなくても喜んで売ったと思う。評価ゼロ
は管理費用だけでも税金の無駄使いだから大臣に相談するまでもない。報
告すれば「よくやった」

話は簡単に済みそうだが、民進他は簡単に済ましてはらない人物がいるの
だ。稲田朋美防衛大臣である。

彼等は、彼女の周辺を探っていて森本学園を見つけたのではなかいか。
彼女に欠けているものは、自分の信条に忠実であること。
「確かに森本学園の顧問弁護士を務めた事があるけど、それがどうしたのよ!

瑞穂さんのように、韓国挺隊協の顧問をしたわけではありません」

        

◆「斬首作戦」がおこなわれた場合

宮崎 正弘 



<平成29年(2017)3月28日(火曜日)通算第5240号>   

〜「斬首作戦」がおこなわれた場合、シールズ部隊が北に潜入するだろうが
  報復手段にサリン、VXなど化学・生物兵器を北は大量に抱えている〜

3月7日、朝鮮中央通信は「在日米軍攻撃用の弾道ミサイルの4発同時発
射訓練に成功した。金正恩朝鮮労働党委員長が立ち会った」と報道した。
もし在日米軍を攻撃対象とすれば、米国は「北はレッド・レインを越え
た」と判断することになるが、金正恩の強気の姿勢は変わらない。
 
トランプ政権は「戦略的忍耐」という前オバマ政権が採用していた、意味
不明、曖昧模糊の作戦は終わったと宣言し、「あらゆる選択肢を考慮す
る」と方針を転換させた。

3月17日にソウルを訪問したティラーソン国務長官は「オバマ政権がとっ
てきた『戦略的忍耐』をやめる」と記者会見したが、その足で最前線の板
門店を視察しているのである。

米国の言う「あらゆる選択肢」に含まれる「斬首作戦」に関しては別に新
基軸というわけではなく、2016年の米韓合同演習でも行われている。その
うえ、特殊部隊シールズの「チーム5」は韓国に常駐している。

sealsとはse(海)a(空)l(陸)から取られた複合組織だが、
SEAL(アザラシ)に引っかけられている。

米海軍最強を誇り、2つの特殊線部隊、8チームからなる。歴史は古く第
2次大戦中の水中破壊工作班が前身で1962年のベトナム戦争対ゲリラ特殊
線に備えて正式に発足した。

▼北のドン斬首作戦は実施されるか?

2011年5月、パキスタンのなかに潜伏していた国際テロ組織「アルカィー
ダ」の首魁オサマ・ビン・ラディンを特殊ヘリコプターを飛ばして殺害し
た「実績」が有名だが、ほかに数十の特殊作戦に従事し、何回もハリウッ
ド映画のモデルとなった。

ラディン殺害ではタリバンから報復を受けてアフガニスタン渓谷を飛んで
いたシールズの武装ヘリが撃墜され31名のシールズ隊員が犠牲となる事件
もあった。
 この米軍特別チームが次に北朝鮮に潜入し、金正恩ひとりを殺害すると
いう軍事作戦が視野に入った。
 
問題は隠れ家を転々と移って常に居場所を秘密にしている金正恩だ。地下
150メートルの要塞に潜むという金正恩をいかに見つけ出し、特殊部隊が
地下へ潜り込んで始末するか。現実に米韓合同軍事演習に特殊部隊が投入
されており、そのシナリオに沿っての訓練を行っていることは周知の事実
である。

「斬首作戦」によって独裁体制のトップが不在となれば北朝鮮の指揮系統
は乱れ、誰も命令を下せなくなって、中国の介入を待たざるを得なくなる
とするシナリオに基づく。

独裁国家においては指揮系統がなくなれば混乱と無秩序になり、国家崩壊
へ雪崩を打つことは過去にもサダム・フセイン、あるいはカダフィ大佐の
実例がある。

イラクはサダム・フセインが不在となった直後から中核のバース党が行政
も兼ねていたため国家は自動的に崩壊した。

サダムは部隊同士の横の連絡を取らせず、つねに一人で命令系統を掌握し
たため、軍事的に効率の悪い軍隊だった。北朝鮮軍隊のシステムもそう
なっている。

しかし北朝鮮を想定した場合、もし斬首作戦に成功しても、それ以後、軍
の指令系統が生き残り、北朝鮮の一部の軍高官が報復を宣言して軍事的行
動にでた場合、非武装地帯(DMZ)から僅か40キロしか離れていないソ
ウルは猛攻撃を受けて「火の海」となり、およそ100万人の犠牲がでると
するシミュレーションが存在するため、いざ実行という決断がなされるの
はよほどの場合であろう。北はDMZに総兵力102万人のうち、3分の1
を配備している。

米軍のピンポイント爆撃は引き続かなければならず、北朝鮮のおよそ700
の攻撃目標への空爆は、在韓米軍に加えて在日米軍基地、日本海洋上の艦
船ならびに在日米軍所属の潜水艦などから行われる。

空爆のあと精密な戦果の測定が偵察衛星やドローンを駆使して行われ、繰
り返しの空爆が続行されるため、最長で2ヶ月の時間を覚悟しなければな
らない。


 ▼北の化学兵器の貯蔵地は秘密のままである

その事態に遭遇したとき最悪のシナリオとは、北朝鮮が化学・生物兵器を
平然と使用し、世界中どこへでも出向いて化学兵器による報復テロを惹起
する危険性が高い。

米軍は北の核施設や軍事基地は偵察衛星で把握しているが、化学兵器の貯
蔵庫を発見していない。幾重ものトンネルが重なった、まるでベトコンの
地下基地のような迷路の果てに化学兵器は貯蔵されているとされ、VXの
ほかにサリン、タブン、ソマンなど匂いの無い、透明な液体やガスがたっ
ぷりと貯蔵されている。

マレーシアにおける金正男暗殺はvxガスが使われた。
どうやって持ち込まれたのか?

おそらく外交行李で運ばれ、税関をフリーパスしたに違いなく、今後も意
思さえあれば、欧州や国交のある国々に持ち込める。そこを経由地として
米国での報復戦争に打って出るという悪夢のシナリオも米軍は想定している。

そもそも化学兵器は1950年代に英国において開発され、米国が化学兵器の
生産を始めたのは196年である。

しかし人道上の配慮から、化学兵器は使えない手段とされ、備蓄の削減、
全廃が開始され、2009年には米国も化学兵器を保有しないこととなった。

 もっか、トランプ政権にとって軍事行動の優先はIS退治にあり、マ
ティス国防長官もマクマスター大統領補佐官も、北朝鮮は後回しとするこ
とで合意している。

であるとすれば、米国がいきなりの軍事行動を採るという事態はしばら
く考えにくい。 「戦略的忍耐」から「あらゆる選択肢」に切り替えた、
その中味のなかの他の選択肢である。 

◆アジサイは葉に毒

渡部 亮次郎



各地で紫陽花が咲き始めたが、これが鈴蘭と並ぶ「毒の花」と知る人は少なく飲食店などが料理に使用してしまい、経口摂取した客が中毒する事故が発生している。

毒部位は蕾、葉、根 (花には無いようだ)。毒症状 めまい、嘔吐、痙攣、昏睡、呼吸麻痺

ウシ、ヤギ、人などが摂食すると中毒を起こす。症状は過呼吸、興奮、ふらつき歩行、痙攣、麻痺などを経て死亡する場合もある。

日本では、アジサイには青酸配糖体(グリコシド)が含まれており、それが中毒の原因であると考えられている。

ただし、農業・食品産業技術総合研究機構動物衛生研究所によると、原因物質は青酸配糖体ではなく、別の物質の可能性があるとしている。

毒成分 アミグダリン(amygdalin)、アントシアニン(anthocyanin)、ヒドラゲノシドA、グリコシド

アジサイ(紫陽花、英名・学名:Hydrangea)とはアジサイ科アジサイ属の植物の総称である。学名は「水の容器」という意味で、そのまま「ヒドランジア」あるいは「ハイドランジア」ということもある。

いわゆる最も一般的に植えられている球状のアジサイはセイヨウアジサイであり、日本原産のガクアジサイ(Hydrangea macrophylla)を改良した品種である。

6―7月に紫(赤紫から青紫)の花を咲かせる。一般に花と言われている部分は装飾花で、本来の花は中心部で小さく目立たない。花びらに見えるものは萼(がく)である。セイヨウアジサイではすべてが装飾花に変化している。

花の色は、アントシアニンのほか、その発色に影響する補助色素(助色素)や、土壌のpH(酸性度)、アルミニウムイオン量、さらには開花からの日数によって様々に変化する。そのため、「七変化」とも呼ばれる。

一般に「土壌が酸性ならば青、アルカリ性ならば赤」と言われているが、土壌のpH(酸性度)は花色を決定する要因の一つに過ぎない。

花弁(正確には装飾花)に含まれる補助色素によっては青になり得ない・なり難いものがあるほか、pHは地中のアルミニウムがイオン化する量を左右する要因に過ぎないため、仮に酸性土壌であっても地中のアルミニウムの量が少なければ花が青色になることはない。また、初めは青かった花も、咲き終わりに近づくにつれて赤みがかかっていく。

「あじさい」の名は「藍色が集まったもの」を意味する「あづさい(集真藍)」が訛ったものと言われる。

また漢字表記に用いられる「紫陽花」は唐の詩人・白居易が別の花(ライラックか)に名付けたもので、平安時代の学者・源順がこの漢字をあてはめたことから誤って広まったといわれている。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』   2010.・6・18

◆いちごの生産者だった夏 

石岡 荘十



「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が、本誌に掲載した「いちごの話」を読んで思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやっていたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転がり込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマトを作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初めての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通っていた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬。・高崎と決まり、半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわが一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、就職。で、ここまで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかったことに気がつく。

70年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけだった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込むいちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは二度とないのかもしれない。    

2017年03月29日

◆苦慮するトランプ政権

加瀬 英明



北朝鮮の脅威にどう対抗? 苦慮するトランプ政権

北朝鮮が4発の弾道ミサイル弾を、日本海側の東倉生から発射して、3発
が日本の経済水域に着弾した。

北朝鮮が弾道ミサイルの試射を行ったのは、2月10日に日米首脳がフロリ
ダで、会議を終えた直後以来だった。その時に、トランプ大統領は「北朝
鮮の脅威への対処に、きわめて(ベリー・)高い優先順位を与えねばならな
い(ベリー・ハイ・プライオリテイ)」と、述べた。

北朝鮮は今回のミサイル発射後に、「在日米軍を標的とした訓練」だった
と、発表している。北朝鮮が同時に多数のミサイルを日本へ向けて発射し
た場合に、日本に迎撃して撃破する能力がない。

トランプ政権にとって北朝鮮の脅威に対応することが、政権の信頼性がか
かる噄緊の課題となっている。

トランプ政権は北朝鮮の核施設を破壊する、外科的な軍事攻撃も辞さない
という姿勢をとって、政権発足直後に日本の岩国にF35新鋭ステルス戦闘
爆撃機を配備したが、どうするべきか苦慮している。

トランプ政権はクリントン政権からオバマ政権にいたるまで、北朝鮮の核
兵器開発を事実上放置してきたツケを、払わねばならない。

どうするか? といって、北朝鮮の核施設を除去するために、限定的な攻
撃を加えることはできまい。北朝鮮はソウルのすぐ北の軍事境界線に沿っ
て砲列を敷いており、停戦までにソウルを火の海にすることができる。数
十万人のソウル市民が死傷することがあれば、韓国はアメリカが戦争を挑
発したといって、アメリカを恨もう。

それに、トランプ政権は北朝鮮よりも、オバマ政権が深入りして、シリ
ア、リビア、イエメン、ソマリアなど中東アフリカ諸国にアメリカ軍が介
入してきたのを、引き揚げることを優先しているが、6ヶ月以上はかかろ
う。北朝鮮に限定的な攻撃を加えるとしても、朝鮮半島において全面戦争
に発展する可能性を、想定しなければならない。現状では、アジアに十分
な軍事力を割くことができない。

だが、北朝鮮の金正恩委員長の危険な火遊びを、放置しておくことはでき
ない。いくら北朝鮮の「暴挙」を非難して、経済制裁を強化しても、北朝
鮮は核兵器なしに体制を守ることができないと確信しているから、核を捨
てることはありえない。それに、中国が経済制裁の大きな抜け穴となって
いる。

トランプ大統領は、6ヶ国協議や、オバマ政権が北朝鮮を「核保有国家」
として認めないという愚かしい政策などに、まったく束縛される必要がない。

そのようなしがらみがないから、北朝鮮の核弾頭や、ミサイルや、化学兵
器について、北朝鮮と交渉することができる。トランプ大統領自身、選挙
戦中に「金正恩委員長と会談してもよい」と、発言していた。

私はアメリカが北朝鮮を核保有国として認め、核弾頭の数とミサイルの射
程について制限を受け入れることと引き替えに、米朝平和条約を結ぶこと
を、主張してきた。金体制の至上の目的が、金体制の存続を保障すること
だから、喜んで交渉に応じよう。

日本も北朝鮮と並行して交渉し、弾頭数と射程距離について合意すれば、
日朝国交正常化を行い、1964年の日韓条約と見合った経済協力を、提供する。

そうすれば、拉致被害者が全員帰国し、朝鮮半島に平和秩序が確立される
こととなろう。


◆国家元首の責任

Andy Chang



トランプ大統領が強引に通そうとしたオバマ健保法案(オバマケア)
の代替案は、二日間の議員説得と協議にも拘らず過半数を獲得でき
ない見通しとなってトランプも遂に投票を中止した。

この結果はトランプにとって最大の敗北と言われているが、トラン
プは法案が通らなかったのは民主党が反対したからと述べたが、事
実はそうではない。トランプは民主党員を説得していない。一部の
共和党議員が反対したから投票直前に廃止となったのである。

国会投票の過半数は216票だが国会には共和党議員は237人いるか
ら、オバマケアの代替案は21人の共和党議員がトランプの説得にも
拘らず反対したのである。自党の議員が反対したから投票に持ち込
むことができなかったのである。

トランプは自分から国会に赴いて法案に反対する自党議員を説得し
た。反対を表明した21名の自党議員に対し、もし賛成票を投じなけ
れば二年後の中間選挙で落選するかもしれないと脅迫したそうであ
る。つまり彼に反対する者は中間選挙でトランプ大統領の応援が得
られないと脅したのである。彼はタフ・ネゴシエーターを自認して
いるので、彼が説得すれば反対者も賛成にまわると思っていたが失
敗した。自大狂トランプは大きく傷ついたのである。

この失敗は3つの重大な結果を生んだと思う。第一に、トランプの
強引さが反対議員の態度を硬化させ逆効果となった。このあと4年
間のトランプ政権が国会で行われる数多の投票に彼らの態度が大き
く影響するはずだ。つまりトランプが態度を改めなければ共和党が
分裂する危険がある。

第2に、オバマの健保代替案はトランプの説得と脅迫にも拘らず自
党の議員でさえ反対するような未熟な法案だったのだ。大切な法案
ならシッカリと時間をかけて国会議員だけでなく世論の動向を見な
がら修正を重ねて完璧なものにしなければならない。健康保険と言
う長期的にアメリカ国民の医療と健康にかかわる重要な制度改革を
強引に過半数で通しても国民が納得するはずがない。そのような重
大法案を共和党多数、ゴリ押しで通そうとしたのだ。国民の要求を
無視し、オバマケアを廃止するだけがトランプの目的だったら国家
元首としてあまりにも無責任と言わざるを得ない。タフ・ネゴシエ
ーターと自認していても国家元首として失格である。

第三に、オバマケアの代替法案に失敗した直後にトランプはホワイ
トハウスで「民主党が反対したから失敗した」と述べた。事実は自
党の議員が反対したから議会の過半数が取れなかったのである。未
熟な法案を無理に通そうとした強引さ、無神経さは、オバマ時代か
らすでにあった民主と共和両党の政党闘争を更に悪化させた。国政
を困難にした責任はトランプにある。

●トランプの責任回避

一部の評論家によると、トランプがオバマケア代替案を無理に投票
せよとライアン議長に命じた理由は、通らなかったらライアン議長
の責任にしてライアンを議長から降ろす陰謀だと言う。オバマケア
の代替案はライアン法案とも呼ばれ、トランプ陣営が提出した法案
ではない。

オバマケアと呼ばれる国民健保法は発足して6年経つ。共和党はオ
バマケアに強く反対していたのに6年たっても満足な代替法案を作
れなかった。ライアン議長もその責任を認め、不満足な箇所は改正
して国民が満足する健保法案を作ると言った。つまり今回は失敗し
ても間もなく修正法案を提出するはずである。

トランプは当選すれば直ちにオバマケアを廃止する、代替案を出す
と公約していた。だから大統領になると公約を守るため国会でオバ
マケア廃止と共和党代替案の投票を命じたが、いまでは代替案はラ
イアン案でトランプ案ではないと責任回避をしてる。

ライアン議員は去年の選挙運動のときから一貫してトランプに批判
的だったからライアンをトランプ派の議長に換えると言う説はかな
り説得力がある。Foxnewsではライアン辞職を呼びかけるものも居る。
だがトランプが本気でこのような謀略を考えていたとすれば、ライ
アンの辞職で共和党員の反撥が起きて共和党は団結力を失うだろう。

もともと共和党とトランプはシックリした関係ではなかった。当選
したけれども党内には批判的なものが多く、民主党員は反トランプ
で国民の半分以上もトランプに批判的である。それでもトランプは
反省どころかツイッター放言で敵を作る。

数週前にトランプがオバマが彼の電話をハッキングしていたとツイ
ッターで攻撃したが、FBI、NSAとCIAはハッキングの証拠は見つか
っていないと全面否定した。このツイッターのおかげでトランプと
民主党の関係は極度に悪化し、国民の支持率は下がった。オバマ誹
謗の証拠が一つもないのにトランプは過ちを認めない。国家元首と
してあまりにも無責任である。政党は分裂し、国民もトランプ支持
と反対が各地で騒動を起こしている。アメリカは無責任な国家元首
のため混乱が続いている。


     

◆ウィルス性肝炎

渡部 亮次郎



2007年1月22日に義兄をC型肝炎による肝臓癌で喪った。彼の73歳の誕生日の前日だった。発症は42歳のとき。医者の説明から俺の人生は50代で終わる、と覚悟したそうだ。

死ぬ前の月、つまり2006年12月8日に浦安のホテルに招待されて懇談した。死ぬ兆候なんか全く無い状態だったが「70過ぎまでこれたのは、珍しくインターフェロンが効いたからなんだ」と言っていた。

B型、C型肝炎の場合、徐々に肝臓の繊維化が進み、肝硬変に至り肝癌が発生することがあるのは今や常識だから、義兄は早くから覚悟を決めて肝炎との闘いを続けながら洋酒の輸入商を営んできたのである。

それから20日たった12月27日夕方、都内の彼の本社で会った。明日から孫など一族郎党を連れて北関東のホテルで年末年始の休暇を取るのだ、とうれしそうだったが、顔は真黄色、明らかに肝機能悪化に伴う黄疸が始まっていた。それでも翌日は車を運転して出かけたという。

密かに心配していたら、正月空けの4日に連絡があり、只今港区内の大きな病院に入院との知らせ。黄疸がひどくなったので帰路は運転を代わってもらって来たとのこと。

かかりつけの病院で担当医も決まっていたから、早速、黄疸の手当てにかかったが、腹水が溜まり始めた。それを抜き取ったところ、当然、腎臓の機能が低下。時折、意識混濁。かくて入院18日後 死去してしまった。

急なことで死に目には会えなかった。幸い痛みを訴えることも無く、安らかな死に顔だった。

死亡診断書。死因は腎不全。その原因は肝臓癌、その原因はC型肝炎。私は20年近く前に友人を59歳で肝炎で亡くしており、これで周りの肝炎犠牲者は2人となった。

昔、長く日本医師会長を務めた故武見太郎氏に話を聞いたことがある。「きみ、21世紀は肝臓の時代ですよ。肝臓が様々なウィルスに攻撃される」と聞かされたが、当に人類は要の肝腎をウィルスに曝されて、まだ医学は殆ど無力の状態、と言わざるを得ない。

ウィルス性肝炎とは肝炎ウィルスが原因の肝臓の炎症性疾患のことを指す。急性肝炎と慢性肝炎および急性肝炎の劇症化した劇症肝炎に分けられる。

現在知られているウィルス性肝炎には以下のものがある。

A型肝炎
B型肝炎
C型肝炎
D型肝炎
E型肝炎
F型肝炎
G型肝炎
TT型肝炎

このうち、日本での肝炎の原因のほとんどはA型、B型、C型である。

主な感染経路は

A型・E型は汚染された食べ物や水で。

B型は血液媒介・親子(垂直)・性行為(水平)。

C型はウィルスの混入した血液を介したもの(輸血や集団予防接種の注射針の回し射ち、刺青など)である。C型の性行為での感染、母子感染は稀である。

アメリカではB型肝炎の予防接種を受ける事が義務付けられている。

殆どのC型肝炎感染者は医療行為が原因で感染と推測される(上記の注射針が主因と考えられる)。

非A非B型(現在のC型)肝炎ウィルスに感染すると肝癌などに進行する危険性が疫学的に示されている。義兄は輸血を受けた経験が無いといっていた。何かの予防注射というのも記憶がない、とも。

慢性肝炎:自覚症状に乏しい事が多い。B型、C型肝炎の場合、徐々に肝臓の繊維化が進み、肝硬変に至り肝癌が発生することがある。

C型慢性肝炎ではインターフェロン(α or β)、PEG-インターフェロン、リバビリン+(インターフェロン or PEG-インターフェロン)といった治療法がある。ウィルス量・型、年齢、性別、貧血の程度などにより治療法を選択する。

肝癌。B型肝炎では推定10%前後、C型肝炎では推定25%前後と高率に肝癌を発症する。義兄はこの25%に引き込まれたのだった。あれから5年が過ぎた。