2017年04月21日

◆友と語らん鈴懸の径

渡部 亮次郎



散歩する恩賜公園は落葉樹のすべてが新芽をふいている。鈴懸(すずか
け・プラタナス)も新芽をだしている。

スズカケノキ(木) (common) plane‖Platanus orientalis 日本には明
治初めに渡来し,小石川植物園に植えられた。秋に多数の小堅果からな
る直径3〜4cmの球形の集合果が山伏の着る篠懸の衣に付いている房の形
に似ているところから,鈴懸という和名がついた。

バルカン半島からヒマラヤまでの温帯に分布し,紀元前からすでにイタ
リアに入り,16〜17世紀にはフランス,イギリスでも街路樹に用いられ
たという。

日本で栽植されているものは,スズカケノキのほかに2種ある。

アメリカスズカケノキ P.occidentalis L.(英名 buttonwood)は高さ30m,
とくに大きなものでは50mになり,樹皮は乳白色で小さくはがれる。葉は
浅く切れ込み,集合果は1個が柄で垂れる。北アメリカ東部に分布し,日
本には1900年に入ったが,あまり広められていない。

日本で最も多く植栽されるのはモミジバスズカケノキ(一名カエデバスズ
カケノキ) (英名 Londonplane)で,スズカケノキとアメリカスズカケノ
キの雑種といわれ,樹皮は灰緑色で鹿の子まだらにはげ,葉の切れ込み
は両種の中間で全形がカエデの葉に似る。集合果は1〜2個ずつ垂れる。

スズカケノキの仲間は,やせ地や低湿地でもよく生長し,公害に強く,
刈込みにも耐えるので,世界の温帯で広く植栽される。

日本でもプラタナス(英名plane tree)と総称して明治40年ごろから挿木
で広がり始め,今日各地で街路樹としてはイチョウと並んで最も多く用
いられている。

スズカケノキ科 Platanaceae は1属だけからなり,ヨーロッパ南東部か
らインドまで,インドシナ半島,北アメリカからメキシコに6〜8種が隔
離的に分布する。(世界大百科事典(C)株式会社日立システムアンドサー
ビス)

「友と語らん 鈴懸の径(みち) 通いなれたる 学舎(学びや)の街 
やさしの小鈴 葉かげに鳴れば 夢はかえるよ 鈴懸の径」と灰田勝彦
が唄ったのは昭和17(1942)年。

兄の灰田晴彦が作曲、それに新聞記者出身の作詞家佐伯孝夫が詞をはめ
た。大東亜戦争に命令されて出陣する学生たちは、万感の思いを込めて
この歌を唄ったという。

あの戦争中はまず学徒動員が日中戦争が始まって間もない1938年(昭和13)
ころから、食糧、軍需品生産の人手不足を補うために行われた。学生、
生徒の勤労動員。学徒勤労動員ともいう。

大東亜争中の44(昭和19)年3月の学徒動員令からは中学生(旧制)以上は全
員、軍需工場などに動員され、45年8月の敗戦まで、学校教育は事実上、
停止した。(地域で差があるが、旧制中学の一、二、三年生は食糧増産
のために農家の勤労動員に駆り出され、軍需工場に動員されたのは四、
五年生)

学徒出陣はそれに続く措置。戦争下で、徴兵猶予制度の廃止により理工
科系・教員養成系をのぞく大学生・高専生を入営させた措置。それまで
大学生、高等専門学校の生徒には、26歳まで徴兵猶予の特典があった。

しかし満洲事変につづく日中戦争で兵員の不足に悩んでいた政府は、
1941(昭和16)年10月以降、修学年限の短縮による繰り上げ卒業の措置で
兵員を補った。

戦局の悪化でさらに兵員の不足が深刻になると、1943年10月に「在学徴
集延期臨時特例」を公布して、20歳以上の学生・生徒の徴兵を決定。
「徴兵猶予」とう特典を消して徴兵をかけたわけだ。

10月21日、冷雨のなか明治神宮外苑競技場(現在の国立競技場)で、文
部省主催の出陣学徒の壮行会出が挙行された。東京とその近県から集まっ
た出陣学徒は、東条英機首相の閲兵と激励を受け、場内を行進。

スタンドを埋め尽くした6万5000人の家族・級友・女子学生などがこれを
見送った。出陣学徒は、13万人とも20万人とも推定されている。

中国大陸や南方戦線、南太平洋へ送られ多くの戦死者を出した。1949年
には戦没学生の手記「きけわだつみのこえ」が出版され、大きな反響を
よんだ。参考:マイクロソフト「エンカルタ」
2009.11.20 Friday name : kajikablog

◆米、北へのサイバー攻撃実施の可能生

杉浦 正章



16日のミサイル発射失敗が怪しい


NYTやCNNが報道


サイバー攻撃などは宇宙戦艦ヤマトの専売特許かと思っていたが、なかなかどうして米軍では実戦に配備されているかのようだ。とりわけ16日の湿った花火のような北朝鮮のミサイル発射実験失敗は怪しい。発射後数秒で爆発している。ニューヨーク・タイムズ(NYT)紙によるとやはりその可能性が高いようだ。もともと米軍にはオバマ時代から「Left of Launch作戦」(発射寸前作戦)があり、時々北のミサイルにサイバー攻撃やレーザー攻撃を仕掛けているようだ。


もちろんトップシークレットである。サイバー兵器問題を漏らした米軍幹部が処分されている。サイバー攻撃が米軍によって採用されているとすれば、すでに北との“暗闘”が宣戦布告なしに展開されていることになる。この重大な事態を日本の全国紙が掌握していないのか、ほとんど報道しないのにはあきれた。


NYTは米軍から最近までサイバー攻撃について書かないように要請されていたが、15日付の同紙は「北朝鮮と米国の間では、過去3年にわたり、ミサイル計画をめぐる隠密の戦争が行われてきた」と暴露した。確かに16日の実験の失敗はアメリカによるサイバー攻撃が原因である可能生がある。NYTはこの種の攻撃は少なくとも過去3年にわたって展開されてきた「Left of Launch作戦」だという。


北朝鮮は今年2月から3月にかけて北極星2型およびスカッドERの発射に成功したが、3月以降、ミサイル発射は3回連続で失敗した。今月5日には、新浦から弾道ミサイルを発射したものの、飛行距離は60キロにとどまっている。16日に新浦から発射した弾道ミサイルは、発射後わずか4−5秒で墜落した。


さらにNYTは、北朝鮮が使用しているロシア製ミサイルの発射成功率が低いのは、アメリカが北朝鮮のミサイル関連ソフトを操作したり、北のネットワークを妨害しているからだという。同紙によると、北朝鮮の失敗が多いのは、ミサイル関連インフラがロシアのそれには及ばないという事情はあるものの、北朝鮮のミサイルがベースとしている旧ソビエト時代のミサイルの発射失敗率が13%だったのに対し、北朝鮮のミサイルは88%もの確率で失敗していると指摘している。この失敗の確率の高さは、米国が部品の輸入段階でのサプライチェーンを使って欠陥を生じさせている可能性もあるようだ。


16日の実験失敗の経緯について米CNNは来日した副大統領ペンスに空母ロナルド・レーガン上でインタビューしている。サイバー技術などを使った可能性について質問されたペンスは、「我が軍の電子およびIT能力についてはコメントできない」と発言。「私に言えるのは、(北朝鮮のミサイル発射が)失敗したということだ。あれはさらなる挑発だった。そしてそれは終わらせなければならない」と強調した。「ノーコメント」として否定も肯定もしなかったのだ。


サイバー攻撃は人工衛星や、U2やグローバルホークなど有人無人偵察機、ドローン、スパイ情報、通信情報などを通じて得た情報をクロスチェックしたうえで実施されるようであり、戦時には針の落ちる音すら見逃さない精度があるという。従って新浦での動きは掌握されているのであろう。新浦に接近しているイージス艦などが攻撃の役割を果たすものとみられる。ひょっとしたら16年には実戦配備されているはずのレーザー兵器を使っている可能生も否定出来ない。


レーザー兵器は、2010年にイギリス国際航空ショーで軍艦に設置された米レイセオン社製レーザー兵器が、約3.2キロ先を時速480キロで飛行する無人飛行機4機を破壊している。最新の技術情報によれば、ポーランドで遠距離到達も可能な極めて高出力のレーザー衝撃波を生成する技術的なブレークスルーがあり、小型艦船・迫撃砲弾・ロケット弾などへの攻撃・迎撃にも使用可能となっているといわれる。


従って今後北朝鮮の核実験にもサイバー攻撃やレーザー攻撃が行われる可能生も否定出来ない。既に核施設へのサイバー攻撃はイランに対して行われている。2009年にイランの核燃料施設を破壊したサイバー攻撃プログラムは、NSA(米国家安全保障局)のサイバー集団がイスラエル軍と共に作り上げたものだ。このサイバー攻撃作戦は、大統領ジョージ・W・ブッシュの下で立案され、オバマに引き継がれて決行され、成功している。


北は衛星写真向けに、核実験場前の広場で職員にバレーボールをやらせて、「実験はまだしない」と訴えているかのようだが、する兆候が察知されれば攻撃されると覚悟した方がよい。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆日本語をなぜ“片仮名文字”にする

渡邊 好造



わが国には漢字という折角の表意文字があるのに、いつのまにか聞いたこともない英語、仏語などをもとにした片仮名文字に変えてしまう。

それで、意味不明にしたり、都合のよい解釈をする。いかにも目新しく、恰好よく見せかけているだけではないか。ちょっと拾ってみるだけでも腹がたつ。

 [片仮名文字=日本語なら⇒本当の裏の意味]

1)カジノ=博打場、とばく場⇒堂々とてら銭をとる公共の超法規的賭場施設。もうすぐ日本にも。
2) シェフ=優秀調理士⇒板前、板長、料理人、包丁頭なら目の前で調理してくれる。シェフは命令するだけ。
3)タレント=芸人⇒ただのお笑い芸人なのになんでも完全にこなす能力がありそうで、照れず厚かましい。
4)コンシェルジェ=ホテルの接客責任者⇒客がどんな悪辣なことを言ったり、したりしても我慢できる接客係。
5)ファイナンス=金貸し⇒利息も安く、簡単に貸してくれ、取立ても厳しくない善意の金融業者。

6)コンプライアンス=規定・法律を遵守した行動⇒規定・法律の抜け道をどこに見つけるかが秘訣。
7) マニフェスト=公約⇒公に約束はするが、後で訂正自由。最近の貼り薬”膏薬”は剥れないのに。
8)アジェンダ=政策課題⇒期限がなく実行希望の政策。後で間違いなく"唖然とする"。
9)タトウ-=刺青⇒やくざのいれる全身のモンモンとは違い、体の一部に化粧するような軽い感覚。
10)エッセイ=随筆⇒タレントが「エッセイ書きました」は、起承転結のない日記、手紙、メモなどの駄文が多い。

11)コラボレ-シヨン=協同競演作業⇒過去の栄光をひきずる者同士の再生競演策。
12)レシピ=調理法⇒美味そうに感じさせる秘密の調理法。美味くない時の表現”この味は玄人好みですね”
13)パフォ-マンス=表現、才能、処理能力⇒派手な言動、ごまかし、でたらめ演技。
14)リベンジ=雪辱する⇒仇討ち、復讐、返り討ち、闇討ち、暗殺。
15)ホ-ムレス=住む家のない哀れな人⇒道路や公園を不法に占拠する同情の余地のない浮浪者、乞食。

16)バッシング=たたく、攻撃⇒高収入、好待遇に見合う行動、成果をあげないとやっかみで眼の敵にされる。
17)パテシエ=製菓技術者⇒砂糖とクリ-ムをたっぷり使い、高血圧や糖尿病を忘れさせてくれる菓子職人。
18)ボランテイア=時間と能力の無償提供奉仕⇒作業量に見合った経費のいらない、善意に期待した労働。
19)アドバイサ-=助言者⇒野球賭博や脱税など楽して儲かることを教えてくれる人。
20)バックパッカ-=リュックサックを背負う旅人⇒金のない貧乏のふりをして、安上がりの旅行をする人。

21)リーズナブル=価格が手ごろなさま⇒品質が良く、より安いのを手ごろというが、、。つい騙されやすい価格。
22)キャンペーン=企業・団体の目的をもった宣伝活動⇒消費者のためとみせかけて、自社の販売拡大が狙い。
23)アウトソ-シング=外部発注⇒下請け会社に無理やり安く発注し、資金が少なくてすむ経営方法。
24)アシスタント=助手⇒安い給料で便利にこき使える我慢強い見習い人で、「今にみておれ」と歯噛みしている。
25)エコカ-=燃料節約車⇒燃費が安いといわれる高級車で、税金で補填してくれるのでよく売れる車。

26)コメンテ-タ-=解説者⇒聞かれたことの3倍以上にしゃべりまくることの出来る人。「、、そうすね」は失格。
27)カリスマ=教祖⇒一見すると能力ある風で、他人と違うことをする目立ちたがりの超変人。
28)コンテンツ=内容物、中味⇒内容のない、中味のないものでもなんとなく見たくさせる。
29)セレブリテイ=話題の人 、有名人⇒親の莫大な遺産を相続しただけで、実力があるとは限らない。
30)モラトリアム=(融資金返済)一時停止⇒単なる一時停止なのに、「もう取らぬ」と全額返済不要と錯覚させる。

ハングル文字に統一した韓国では、漢字の自分の名前が読めない人が現れたという。中国の物まね商品、商標権侵害を非難したら「日本は漢字を盗んだ」と開き直った。その大事な漢字を略字にしてしまう中国は変な国だ。

片仮名文字はこれからも増え続ける。以上、日本語で”ボヤキ”。(完)

2017年04月20日

◆北朝鮮攻撃は遠のいたのでは?

宮崎 正弘 



<平成29年(2017)4月19日(水曜日)通算第5269号>   

 〜4月27日(新月)の北朝鮮攻撃は遠のいたのでは?
  米国の「レッドライン」は、いまだ具体策が意味不明〜

 「北朝鮮がレッドラインを越えたら、米国は単独でも行動する」とトラ
ンプ大統領は習近平にも直接言った。中国が北の暴走を押さえ込めると推
測したわけだが、中国の軍を掌握していない習に、そんな力はない。

日本の新聞はさかんに習近平が権力態勢を磐石としていると分析している
が、北京情報筋からの分析はまるで逆である。

軍の抗議集会が北京のど真ん中に展開されるという前代未聞の事態が出来
している。

米国の言う「レッドライン」とは具体的に何を意味するのか。

メディアは「北が核実験をしたとき」「北がICBMの発射事件をおこな
えば」と報じているが、トランプ政権は「あらゆる選択肢が卓上にある」
と曖昧に表現するだけで、この中味は巡航ミサイル数百発発射して核兵器
施設、ミサイル発射基地、軍事施設の全てを攻撃するという壮大なシナリ
オから、金正恩の「斬首作戦」にとどめおき、北の新体制と核凍結の交渉
をするアイディア、対シリアのように象徴的に打撃を与えるプランまでが
飛び交っている。

巷間囁かれてきたのは4月27日が「新月」となるため、この日に米軍の軍
事作戦が行われるだろうという推測だった。

新月は言うまでもなく太陽と月が一線となるため、夜中に月明かりがない
日である。

タイミングから言えば4月25日に北が建軍記念日を迎えるため、祝賀ムー
ドに湧く北朝鮮は核実験をおこなう可能性が高いからだ。

それがレッドラインを越えたと判断し、ミサイル攻撃、あるいは特殊部隊
の上陸作戦があると言われた。

アルカィーダの首魁だったオサマ・ビン・ラディンがパキスタンに潜伏中
の隠れ家を襲ったのも、新月だった。

トランプ大統領としては、振り上げた拳を降ろさなければならない。低迷
気味の人気回復にはもってこいの作戦ともなる。

急浮上している作戦アイディアは、金日成、正日親子の巨大な銅像を破壊
するという象徴的襲撃作戦だ。

これは複合的効果を産む。つまり独裁者二人の銅像を破壊すると、民衆は
体制崩壊と誤認し、反政府暴動に発展する可能性がある。

また軍高層部、警察、秘密警察がいかなる反応をするか、つまり権力機構
の通信、命令系統がどのようは反応をするかを見て取れるわけで、同時に
通信設備や発電所の破壊も行われるだろう。

北朝鮮の軍や警察が相互の通信がとれなくなれば、有効な反応が出来ない
ばかりか、防衛体制が機能せず、無秩序状態に陥るだろう。


▼しかし、攻撃は遠のいたのではないか
 
シンガポールを出航した米海軍カールビンソン空母攻撃群は、朝鮮半島近
海にはほど遠く、まだインドネシア沖を航行中であることが分かった。

1つには追尾している中国とロシア艦船に対しての陽動。いま1つは南シ
ナ海を北上していないので、東シナ海へやってくるにはまだ時間がかかる。

だが、もう一つ顕著な理由がある。軍を動かすトランプ大統領に進言する
べきマティス国防長官は、いまサウジアラビアにいる。

ペンス副大統領は日本にあって、19日には空母ロナルドレーガン艦上で演
説する。

マクマスター安全保障担当大統領補佐官はインドにいる。

最終決定をする3人がワシントンに不在とあって軍事行動を決定する態勢
にはない。
       
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 ■■■■■■■■ 渡部昇一氏を悼む 宮崎正弘 ■■■■■■■■
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渡部昇一氏が4月17日に亡くなった。振り返れば、氏との初対面は4半世
紀以上前、竹村健一氏のラジオ番組の控え室だった。文化放送で「竹村健
一『世相を斬る』ハロー」とかいう30分番組があって、竹村さんは1ヶ月
分まとめて収録するので、スタジオには30分ごとに4人のゲストが待機す
るシステム、いかにも超多忙、「電波怪獣」といわれた竹村さんらしい遣
り方だった。

ある日、久しぶりに呼ばれて行くと、控え室で渡部氏と会った。何を喋っ
たか記憶はないが、英語の原書を読んでいた。

僅か10分とかの待機時間を、原書と向き合って過ごす人は、この人の他に
村松剛氏しか知らない。学問への取り組みが違うのである。

そういえば、氏のメインは英語学で、『諸君!』誌上で英語教育論争を展
開されていた頃だったか。

その後、いろいろな場所でお目にかかり、世間話をしたが、つねに鋭角的
な問題意識を携え、話題の広がりは世界的であり、歴史的であり現代から
中世に、あるいは古代に遡及する、その話術はしかも山形弁訛りなので愛
嬌を感じたものだった。

近年は桜チャンネルの渡部昇一コーナー「大道無門」という番組があっ
て、数回ゲスト出演したが、これも一日で2回分を収録する。休憩時に、
氏はネクタイを交換した。意外に、そういうことにも気を遣う人だった。

石平氏との結婚披露宴では、主賓挨拶、ゲストの祝辞の後、歌合戦に移る
や、渡部さんは自ら登壇すると言いだし、ドイツ語の歌を(きっとお祝い
の歌だったのだろう)を朗々と歌われた。

芸達者という側面を知った。情の深い人だった。

政治にも深い興味を抱かれて、稲田朋美さんを叱咤激励する「ともみ会」
の会長を務められ、ここでも毎年1回お目にかかった。稲田代議士がまだ
一年生議員のときからの会合で年々、参加人員が増えたことを喜んでいた。
最後にお目にかかったのは、ことしの山本七平授賞式のパーティだった
が、氏は審査委員長で、無理をおして車椅子での出席だった。「おや、具
体でも悪いのですか」と、愚かな質問を発してしまった。

訃報に接して、じつは最も印象的に思い出した氏との会話は、三島由紀夫
に関してなのである。

三島事件のとき、渡部さんはドイツ滞在中だった。驚天動地の驚きととも
に、三島さんがじつに偉大な日本人であったことを自覚した瞬間でもあっ
た、と語り出したのだった。渡部さんが三島に関しての文章を書かれたの
を見たことがなかったので、意外な感想に、ちょっと驚いた記憶がふっと
蘇った。三島論に夢中となって、「憂国忌」への登壇を依頼することを忘
れていた。  合掌。
        
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  樋泉克夫のコラム 
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 【知道中国 1558回】
―「湖南省を目して小日本・・・自ら稱して小日本人といふ」――(安井3)
    安井正太郎『湖南』(博文館 明治38年)

               ▽

『湖南』の出版から6年を遡った明治32(1899)年、白岩は「湖南人はそ
の性質に於て真摯質実、我古武士の風あり。其排外は攘夷の思想に他なら
ず。故に一朝自覚する所あれば豹変して熱心なる改革論者たらんことは、
甲午役(日清戦争)後の情勢に徴し識者の早く已に認識する所なり。

況んや近時人材の輩出、未だ湖南省の如きはあらず。必ずや流風余韻の子
弟青年に依りて紹述せらるるものあらん。見来たれば湖南将来の希望、転
た多大なるを覚ゆ」と記している。

以上は、白岩の事績を研究した中村義が『白岩龍平日記 アジア主義実業
家の生涯』(研文出版 1999年)に引用している。白岩が、いつ、どこに
発表した記述なのかを注記されていないが、やはり『湖南』の主張と大差
がないところに注目しておきたい。

 中村は、白岩の湖南論は「すぐれて予見的であった」と評価した後、
次のような解説を加えた。興味深い指摘だと思うので引用しておく。

「19世紀末から20世紀30年代にかけての中国近代史を俯瞰すると、湖南
省の歴史的軌跡が太く貫いていることに気付く。それは人脈と湖南気質で
ある。人脈とは太平天国に対決した曽国藩と湘軍の登場、そして左宗棠、
改革をめざした変法運動の先頭をきった譚嗣同や唐才常、つづいて辛亥革
命期に中国同盟会の主力をになった黄興、宋教仁はじめとする俊傑、そし
て中国革命をリードした毛沢東、劉少奇等の共産党指導者らの故郷であっ
た。近代中国を通じて、第一級のジャーナリスト梁啓超は『湖南は天下に
あって人材の淵藪なり』とし、日本の幕末明治維新の薩摩、長州になぞら
えている」

たしかに黄興と近かったのは宮崎滔天であり、宋教仁は北一輝にとっては
血盟の友だった。不確かながら、北は黄興を西郷隆盛に擬えていたように
記憶する。また大正6(1917)年2月から5月にかけて湖南省を訪れた宮
崎滔天は、4月に湖南省立第一師範学校で学友会が主催したと伝えられる
講演会に望んでいるが、宮崎を招請したのは毛沢東だった。こう見てくる
と、湖南人と日本人は俗にいうウマが合ったということだろうか。

『湖南』は湖南人を「極端より極端に趨るも亦彼らの性情然るに由る
か」と記すが、譚嗣同、宋教仁、毛沢東と並べてみれば、たしかに彼らの
人生は「極端より極端に趨」っている。かりに1949年10月1日に天安門の
楼上に立ったのが湖南人の毛沢東でなかったら、あるいは毛沢東を指導者
に選ばなかったら、その後の歴史は変わっていただろうか。だが歴史は、
「極端より極端に趨」は湖南人だけではなかったことを教えてくれる。

毛沢東が敷いた対外閉鎖路線を決然と擲って、1978年末に対外開放へと国
の基本を180度転換させた?小平もまた「極端より極端に趨」った。考え
てみれば、あれだけの、しかも身勝手で扱い難い人々の群である。

マアマアとか、皆さんのゴ意見を伺ってなどと言っていたのでは何も出来
はしないだろう。儒教道徳が讃える中庸なんぞを求めて居たら、喧々諤々
で纏まるものも纏まらない。であればこそ、一気呵成にエイヤッと「極端
より極端に趨」らないかぎり、なにもできないのではなかろうか。

1949年の建国以来を振り返ってみても、50年代半ばの双百運動から始ま
り、反右派運動から大躍進、さらには社会主義教育運動を経て文化大革命
へ。劉少奇が抹殺され、林彪が憤死し、四人組が粉砕され、毛沢東が後継
と定めたと伝えられる華国鋒ですら権力の座から簡単に排除されてしまっ
た。かくして登場した?小平は「毛沢東を掲げて毛沢東を否定し」、遮二
無二に対外開放へ。外資が流れ込むと、昨日まで金科玉条と崇め奉ってい
た毛沢東をいとも簡単にボロ雑巾のように捨て去り、国を挙げての拝金思
想の道をまっしぐら。

「極端より極端に趨るも亦彼らの性情然るに由る」・・・豈湖南人のみ
ならんや。《QED》
      

◆ゴールデンウィークへの誤解

渡部 亮次郎


町医者の看板なんかに、休診日は「祝祭日」と書いてあるのが目立つのだが、「祭日」とは戦前の話であり、今は国民と祭日は無関係になったのだ。「国民の祝日」しかない。

『ウィキペディア(Wikipedia)』によると、祝祭日(しゅくさいじつ)とは、第2次世界大戦(大東亜戦争)以前の日本において行われていた祝日と大祭日の総称で、正式には祝日大祭日と言った。

明治時代には「年中祭日祝日ノ休暇日ヲ定ム」(明治6年太政官布告第344号)によって、大正時代には「休日ニ關スル件」(大正元年勅令第19号)によって、昭和時代には「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25号)によって定められていた。

1948(昭和23)年の「国民の祝日に関する法律」(祝日法)によって祭日は全て廃止され、国民の祝日がそれに代わった。現行の国民の祝日のことを「祝祭日」と呼ぶのは誤用である。つまり「国民の祝日」はあるが「祭日」は存在しない。

むかしの祝祭日一覧。

1948年の祝日法制定時点までの祝祭日を以下に示す。

「祝日」
四方拝(新年) - 1月1日
紀元節 - 2月11日
天長節 - 4月29日
明治節(明治時代には天長節) - 11月3日
新年宴会 - 1月5日

このうち、新年宴会を除く4つを四大節(しだいせつ)という。

「大祭日」にはどんなものがあったのか。

元始祭 -   1月3日
春季皇霊祭 - 春分日(3月21日ごろ)
神武天皇祭 - 4月3日
秋季皇霊祭 - 秋分日(9月23日ごろ)
神嘗祭 -   10月17日
新嘗祭 -   11月23日
大正天皇祭 - 12月25日

今の法律では春分の日と秋分の日しか残っていない。昭和11年1月生まれの私には春季皇霊祭と秋季皇霊祭の言葉が耳に残っている。こうした記憶を基に考えると、祝日をずいぶん増やしたものだなぁと思う。

NHKのアナウンサーは、いわゆる団塊の世代がぼちぼち定年退職して「ラジオ深夜便」に移行しているが、彼らとて「ゴールデンウィーク」が昔からあったようなことをのたまうからやりきれない。

調べてみると憲法記念日(5月3日)もこどもの日(5日)も昭和24年(1949年}から始まった。当時の天皇誕生日(4月29)にメーデー(5月1日)を休日扱いに無理にしてみてもゴールデンにはならなかった。まだ土曜日は「半ドン」で休日ではなかったからだ。

その後、5月4日を無理無理、「国民の休日」なんて、休みたいための国民の祝日にしたり、昭和天皇誕生日を昭和の日としてのこしたりしてとうとうゴールデンウィークに仕立て上げたのは平成に入ってからだ。

その後の経過と現状。

祝日法改正「ハッピーマンデー」〜平成12年から3連休増加〜

成人の日(1月15日)と体育の日(10月10日)をそれぞれ各月の第2月曜日にする国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律(通称・ハッピーマンデー法)が、平成10年10月21日に公布され、平成12年(2,000年)1月1日から施行されました。

改正祝日法(祝日3連休化法)と改正老人福祉法〜平成15年から3連休増加〜

海の日(7月20日)と敬老の日(9月15日)をそれぞれ各月の第3月曜日にする国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律が、平成13年6月15日に可決成立、同6月22日官報で発表されました。

4月29日の「みどりの日」を「昭和の日」に、5月4日の「国民の休日」を「みどりの日」の祝日に変更。平成17年5月13日に可決成立。同5月20日官報で発表されました。平成19(2007)年から施行。

祝日

 1月 1日 元日  
 1月 第2月曜日 成人の日 満20才になった青年男女を励まし祝福する日
 2月11日 建国記念の日 国を記念する日 紀元節(1966年制定)
 3月232日頃 春分の日 注)暦により変動する。
 4月29日 みどりの日
  ↓
昭和の日(2007年から。昭和天皇の誕生日)
 5月3日 憲法記念日 日本国憲法が施行記念日(1947年)
 5月 4日  みどりの日2007年から。 この日は祝日でなく休日で、日
曜日の場合振替はされませんでしたが。2007年から。祝日となりました。

 5月 5日 こどもの日  
 7月 第3月曜日 海の日 海や自然に感謝する日(1996年制定)
平成15年より第3月曜日になりました
 9月 第3月曜日 敬老の日 老人を敬う祝日(1966年制定)
  平成15年より第3月曜日になりました

 9月23日頃 秋分の日 注)暦により変動する。
 10月 第2月曜日 体育の日 東京オリンピック(1964)開会の記念日
(1966年制定)
 
11月 3日 文化の日 新憲法公布を記念し、日本の平和と文化の発展を
祝う日

11月23日 勤労感謝の日 勤労を尊び、生産を祝い、国民が互に感謝し
あう日

12月23日 天皇誕生日 現在の天皇、今上天皇(きんじょうてんのう) の
誕生日 (了)

◆踏んだり蹴ったりの韓国外交

杉浦 正章
 


米中双方からこけにされる


善意の安倍発言まで曲解
 

大統領という政治の核を失った韓国が“漂流”し続けている。対米、対中、対日外交で明確な指針を失い、これに北朝鮮のどう喝が加わる。マスコミは相変わらずの対日批判に終始し、近頃は、首相・安倍晋三の発言を曲解して報道、国民を煽る。今こそ米韓同盟と日米同盟を基軸に対北朝鮮政策で団結力を示さなければならないときなのに、まるで大局観を喪失したかのようである。


こうした中で韓国のマスコミの間で、脱北した超エリート外交官韓進明による金正恩の心境分析が的確であると評判を呼び、しきりにインタビューが行われるようになった。日本でもTBSが放映した。これらの報道によると金正恩は先制攻撃に出る可能性はないという。

 

韓国はまさに踏んだり蹴ったりの様相である。まず信頼すべき米国のトランプが米メディアに、なんと韓国を「中国の一部」と発言してしまったのだ。誇り高き漢民族の神経逆なで発言である。米紙ウォール・ストリート・ジャーナルとのインタビューによると、トランプは「習主席が(6〜7日の米中首脳会談で)中国と朝鮮半島の歴史について話した。数千年の歴史と数多くの戦争についてだ。韓国は実は中国の一部だった」と述べたのだ。おそらく習近平がそのように受け取れるレクチャーしたのを請け売りしたのであろう。


聯合ニュースによると韓国の外交部当局者は「一考の価値もない」と強く反発した。同当局者は「報道内容が事実かどうかと関係なく、数千年間の韓中関係の歴史で韓国が中国の一部ではなかったことは、国際社会が認める明白な歴史的事実であり、誰も否認できない」と反論した。しかし、これは歴史的事実を知らない発言だ。


例えば元によって支配されている。モンゴル帝国による高麗侵攻は1231年から始まり、1259年高麗はモンゴル帝国に降伏、属国的な扱いを受けて日本侵攻に協力させられている。文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の蒙古襲来では、戦艦の漕ぎ手として朝鮮人が使われているのだ。

 

また「中国による露骨な韓国外しだ」とメディアが騒いでいるのが、来月開催される一帯一路首脳会議に韓国首脳が招待されなかったことだ。習近平の一帯一路構想にもとづくアジアインフラ投資銀行(AIIB)は、日米が主導するアジア開発銀行(ADB)の向こうを張ったものだが、韓国も参加している。中央日報によるとこの会議に首相にも閣僚にも招待状が来なかったというのだ。


韓国政府当局者は「THAAD配備問題で韓国政府代表を意図的に招待しなかったようだ」との見解を示している。これに関連して、中国の外交部報道官陸慷は、「来月、韓国の新しい大統領が決まったら招待する意志はあるか」との質問に「仮説的な状況については答えることはできない」と述べている。

 

韓国メディアは安倍の国会答弁にもかみついている。安倍が17日、朝鮮半島有事の際に避難民が流入した場合について、「避難民の保護に続いて上陸手続き、収容施設の設置および運営、わが国が庇護すべきものに当たるか否かのスクリーニングといった一連の対応を想定している」と述べたことが、気にくわないようだ。マスコミにせっつかれるがままに外交部報道官の趙俊赫が「朝鮮半島状況と関連し、仮想的な状況を前提として誤解を招き、平和と安全に否定的な影響を与え得る言及は自粛する必要がある」と批判したのだ。ネットも炎上し「日本が地震で滅べば避難民を受け入れるものの、選別的な受け入れ基準を設けるべきだ。


朝鮮半島の核戦争よりは日本の大地震のほうがより近い未来だ」といった反発が乱れ飛んでいる。しかしこれも実態を掌握していない感情論だ。安倍が善意で言っていることを曲解している。朝鮮戦争では韓国軍が敗走を続け、北朝鮮軍に釜山周辺にまで追い詰められたことを忘れている。この経験から言えば韓国からの避難民が海を越えて流入することも考えられる。しかし北の工作員などが原発や新幹線爆破などの目的で紛れ込む可能性があり、そのチェックは当然必要だ。

 
まさに度しがたい感情論が目立っている。こうした中で脱北した北朝鮮の元外交官・韓進明の発言が注目される。15年に亡命した韓進明は平壌出身で、超エリート校金日成総合大学卒業後、08〜13年まで外務省で勤務し、13〜15年までベトナム大使館で書記官を務めた人物。韓によると、北朝鮮の外務省のスローガンは「即時受付、即時実行、即時報告」で、直ちに仕事を処理しなければならない。


特に金正恩の指示はその日のうちに実行、報告するように義務づけられている。ちょっとしたミスが命取りになり、金正日時代とは緊張感がまるで違うという。また出先の大使館は「信じられないほどカネがなく、自動車を秘密裏に購入し、転売して資金を分配していた」という。

 

さらに韓進明は金正恩の心境を読み取って「金正恩は単なる暴君ではない。自らの行為を1歩踏み間違えると大変なことになることが分かっている」と分析した。また金正恩が先制攻撃に出るかどうかについて「政策決定の過程をよく知っているが、北の国民性から言っても絶対に発砲(ミサイル発射)して開戦の火蓋を切ることはない」と言い切った。北の外務次官韓成烈らが、「アメリカが先制攻撃を企てるなら我々は核の先制攻撃で応ずる。全面的な戦争になる」などと吠えまくっているのとは別の見方である。

     <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆木津川だより  和伎神社(涌出宮)@

白井 繁夫



木津川の右岸に式内社の「和伎(わき)神社(涌出宮わきでのみや)」がJR奈良線棚倉駅の東(木津川市山城町平尾)に鎮座しています。

涌出宮の正式名称は「和伎坐天乃夫岐賣(わきにますあめのふきめ)神社」で延長5年(927)、
律令制度の細則『延喜式』で国の保護を受けることになった神社(式内社)に格付けされました。しかし、当神社の創建年代はいまだに確定しておりません。

社伝によると奈良時代、天平神護2年(766)伊勢の五十鈴川の畔(舟ヶ原岩部里)から御祭神天乃夫岐賣命(あめのふきめのみこと)を勧請して、三女神:田凝姫命(たごりひめのみこと).市杵(いちき)姫命.端津(たきつ)姫命を併祀したと云われています。

当神社の社名が歴史上の史料に登場したのは1150余年前、平安時代の貞観元年(859)に従五位下から従五位上へと昇叙されて神階が上がった時です。その後、現地の有力な神社となり人々の崇敬も更に増しました。創建は不明ですがこの年よりは前だと推測できます。

南山城の相楽郡(含木津川市)に『延喜式』の式内社は6社在りますが、当神社の特にユニークと思った下記の事柄等を話題に入れて取り上げてみようと思います。

@涌出宮境内地は弥生時代の土器や石器が昔から出土しており涌出宮遺跡として知られていました。

A木津川流域(木津川市)は古代から水陸交通の要衝のため、この地域の支配権を得る為の戦乱などがあり、古事記.日本書紀(以下『記』.『紀』と云う)にこの地域も登場しています。和伎神社の「わき」の語源や奇祭と云われる神事(居籠祭:いごもり)も『記.紀』の物語にまつわっていると云われてきました。

B涌出宮は縄文から弥生時代の土器や石器が出土する遺跡地ですが、弥生中期の3様式の土器が出土し人々が連続して居住した跡や、居籠祭の神事は室町時代の農耕儀礼なども演じ、豊作を祈る伝統的予祝行事として国の重要無形民俗文化財に指定されています。

JR棚倉駅で下車して、すぐ東の涌出宮(和伎神社)の一の鳥居、二の鳥居と神社の森の参道を進み四脚門から拝殿へ詣でて参拝した折、壁に当神社の由緒書き(神社の概要説明文)が掲示されていました。

説明文の一部抜粋:一千二百年余前称徳天皇の時代(766年)、伊勢の国より御祭神(天照大神)を勧請、社蔵『和伎坐天乃夫岐賣大明神源緑録』による天照大神の御魂である。
涌出の森は後に伊勢より前述の3女神を勧請して併祀すると、一夜にして森が涌き出し、
4町8反余(約4万8千平方メートル弱)が神域となった。この3女神は大神と素戔嗚尊(すさのおのみこと)との誓約により生まれた御子である。

当神社は山城国祈雨神十一神社の一社に数えられ、56代清和天皇(859年)、59代宇多天皇(889年)が奉幣使を立て、雨乞祈願をしたところ忽ち大雨を降らした。

現本殿は元禄5年(1692)造営.3間社 流造り 屋根は「千本.勝男木」を置く
当社は中世より度々の戦火に会い、再々焼失したが、源頼朝、後小松朝、後柏原朝の代に
再建されてきました。 (以下省略)

和伎神社(涌出宮)の話題に戻ります。『記.紀』に当地域が関わった物語を『紀』から:10代崇神天皇(御間城入彦:みまきいりびこ)が大和の大王から国の統一を目指し、戦乱などを経て御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと)となる、過程の物語:四道将軍と武埴安彦(たけはにやすびこ)の反逆による木津川流域での激戦物語の抜粋。

大和朝廷の全国的な権勢樹立を目指して、天皇は4将軍を選び北陸道へは大彦命(おおびこのみこと)、東海道(武渟川別たけぬなかはわけ).西道(山陽道:吉備津彦).丹波(山陰道:丹波主命)を任命し、大彦命が山背(やましろ)の平坂(ひらさか:『記』では幣羅坂)へ到着した時、南山城の木津川市と奈良市の国境、(現)市坂付近、少女の歌「御間城入彦(天皇)の殺害予告とも採れる詩」の文言に不信を抱き大彦命が天皇に奏上しました。

天皇は武埴安彦の謀反を察知して諸将軍の出発を留め、反乱軍との戦闘に対峙する。と、
やはり、武埴安彦は妻吾田姫(あたひめ)と謀り、夫は山背(現木津川市)から妻は大坂(現奈良県香芝市)から両反乱軍は共に帝京(みやこ)を目指し襲撃しようとしました。

天皇は五十狭芹彦命(いさせりびこのみこと)を吾田姫軍討伐に差向け、吾田姫をはじめ兵士残らず殲滅させた。山背の武埴安彦軍へは大彦命と和珥臣(わにのおみ)の遠祖彦国葺(ひこくにぶく:『記』日子国夫玖命)を派遣し、那羅山(ならやま)を下って、輪韓河(わからがわ:木津川)の河を挟み両軍相挑む。(いどむ河→泉河.『記』は伊杼美いどみ→伊豆美いづみ)、泉河(泉川)は木津川の木津町あたりを指す。

武埴安彦の忌矢(いわいや)が先に彦国葺を射るが外れ、彦国葺の射た矢は埴安彦に命中して殺した。反乱軍は総崩れとなり逃げ惑った。敵兵は川下(北方面の敵陣)へ逃れるが追われ首切られ、屍骸が満ちあふれた。(羽振苑はふりその→現祝園ほうその)

敵兵は恐怖の逃亡中、屎が褌(はかま)に漏れた。(屎褌くそばかま→樟葉くすば)
観念した兵は地面に頭を叩きつけて助命を乞う「我君あぎ」と。(我君あぎ=わぎ→和伎)
『記伝』はアギをワギと訓み、『延喜式』神名.「和伎坐天乃夫支売神社」(涌出宮)とする。
その後、武埴安彦命の霊や数多の戦死兵を悼み弔った神事が「居籠祭」とも云われています。

涌出宮遺跡について:出土した土器や石器から:

縄文時代の土器が出現した1万2千年前から水稲農耕が渡来して弥生時代の文化が始まる紀元前3世紀までの約1万年間を土器から観ると、草創期.早期.前期.中期.後期.晩期の6期に分けられています。

近畿地方の縄文時代前期の標識遺跡の土器は北白川小倉町遺跡(京都市左京区)が有名です。
北白川下層式と名付けられた爪形文を主体とする土器が前期の標識土器と云われています。
南山城では涌出宮遺跡(木津川市山城町)、丸塚古墳下層遺跡(城陽市)で北白川下層式土器が出土しました。

南山城の人々の痕跡は縄文前期から弥生にかけて、ひき続き人々が生活した足跡がたどれます。

涌出宮の縄文人は北隣町の井手町鳥休(とりやす)遺跡へ移動し、丸塚古墳下層の人々は
同じく城陽市の芝山遺跡へ移動しています。

弥生時代の涌出宮遺跡は連続する3形式の土器が出土しており、継続的に人々は集落を形成していたと推測できます。

涌出宮境内地に昭和43年(1968)保育園の建設計画が起こり、事前調査した結果、弥生時代の中期全般にわたる遺跡であり、境内地のかなり広範囲な地域に広がった集落遺跡であることが推測できました。

出土した土器(畿内土器様式の第2様式から第4様式の弥生中期)や石器(磨製の石斧.石剣.石包丁や石鏃.石錐.砥石)などの変化発展から見た地域交流や農耕社会の定着と経済的な安定化など。和伎神社の宮座と奇祭と言われる祭事などについては次回に続きます。

参考資料: 山城町史  本文編  山城町。 木津町史  本文篇  木津町
      新編 日本古典文学全集 1 古事記 、同全集 2 日本書紀@ 小学館
      発掘成果速報 (涌出宮遺跡) 京都府立山城郷土資料館

2017年04月19日

◆マルフォートが中国企業の助っ人

宮崎 正弘
 


<平成29年(2017)4月18日(火曜日)弐 通算第5268号>   

〜あのマルフォートが中国企業の助っ人(ロビィスト)に
  トランプ大統領の対中国政策変化の兆しかも知れない〜

ポール・マニフォート。やや懐かしき名前だ。

昨年初春に大統領予備選緒線で、ポーランド系の若者を選挙本部主任から
降ろしたトランプは、悪名高きロビィストのポール・マニフォートを選対
本部長として雇用した。

リベラル派のメディアは一斉に彼を叩く一方で、「これでトランプの当選
確率はなくなった」などと書いていた。
 
マニフォートはウクライナの親露政権ヤヌコビッチ大統領のロビィストを
2007年から12年まで、つとめたほか、妖しげな外国政府、機関のロ
ビィストとして活躍した。政治的経歴は古く、ニクソン選挙から頭角を表
していた。

トランプ選対にプリーバス(共和党全国委員長)や、スティーブ・バノン
が加わると、マニフォートとの関係が軋みだし、16年8月の本戦最中にト
ランプはマニフォートを解雇した。

そのマニフォートガ中国財閥7位の厳介和(ヤン・ジェィヘー)が率いる
「中国太平洋建設集団」のロビィストとなった(フィナンシャルタイム
ズ、4月17日)。

驚き桃の木山椒の木。

中国太平洋建設集団と言えば、インフラ建設の大手、地方政府との契約
で、代金未納が出始めると次々と訴訟に持ち込み、「建設業というより
も、代金回収屋か」と言われた。

中国の資本規制、金融規制の波をもろに被って、中国太平洋建設集団が請
け負った六つの地方政府の物件の代金が回収不能となったからだ。

同社は海外のインフラ進出でもパイオニア的存在であり、ブルガリアや、
ギリシアでの工事請負に積極的に進出を果たしてきた。

CEOの厳介和の個人資産は142億ドルと言われる。

さて問題は、トランプ陣営のトップをつとめ、ワシントン政界の闇を知り
尽くしたロビィストが、なぜ中国太平洋建設集団のコンサルティングを請
け負ったか。

中国側の狙いは、アメリカでのインフラ工事請負であるが、トランプ政権
は、中国からの投資は歓迎するとしており、外交とは切り離して考えたい
姿勢になる。

       

◆オムライスは大阪? 東京?

渡部 亮次郎



オムライス は、日本で生まれた米飯料理である。ケチャップで味付けしたチキンライス(またはバターライス)を卵焼きでオムレツのように包んだ料理である。

日本料理のうち洋食に分類される。オムライスという名称はフランス語のomeletteと英語のriceを組み合わせた和製外来語である。

フライパンに割りほぐした卵を入れて焼き、半熟になったところでチキンライスをのせる。卵を折りたたむように裏返してチキンライスを包みこみ、木の葉型に整形して皿に盛る。ケチャップをかけて供されることが多いが、デミグラスソースを用いる店も少なくない。

「オムライス発祥の店」を自称する店はいくつかあるが、中でも有名であり有力とされるのは大阪心斎橋の「北極星」、東京銀座の「煉瓦亭」である。

「煉瓦亭のオムライス」は白飯に卵や具を混ぜ炒めたもので、どちらかというとチャーハンに近い。賄い食として食べていたものを、客が食べたいと所望したため供されるようになったもので、現在はこれを「元祖オムライス」という名前で提供。他に一般的なオムレツも別に提供している。

「北極星のオムライス」は、ケチャップライスを卵で包んだものであり、現在の主流のオムライスのルーツである。白飯とオムレツを別々に頼んでいた胃の弱い常連客を見て「いつも同じものでは可哀そうだから」という主人の思いから生まれた。

東西という違いや品物の違いなど、どちらが元祖かという判断は非常に難しいが、煉瓦亭が元祖オムライスを世に送り出したのが明治34年、北極星がケチャップライスを使ったオムライスを作り出したのが大正15年であるという点、創業年代(煉瓦亭が明治28年、北極星が大正11年)などからか、雑誌や本など一般的には煉瓦亭が元祖とされることが多い。

時期はそうであるにしろ、北極星のは煉瓦亭のを真似たものでは無いのだから、それぞれを元祖だと私は思う。

映画「タンポポ」で有名になった作り方として、皿に盛ったチキンライスの上に中が半熟のプレーンオムレツをのせ、食卓でオムレツに切れ目を入れて全体を包み込むように開くという方法がある。

これは伊丹十三がアイディアを出し、東京・日本橋にある洋食屋の老舗「たいめいけん」がつくりだしたもので、現在「タンポポオムライス(伊丹十三風)」という名前で供され、店の名物の一つである。

チキンライスではなく白飯を玉子焼きで包み、カレーやデミグラスソース、ハヤシライスのソースなどをかけた料理は、オムライスとは区別され、「オムカレー」や「オムハヤシ」のように「オム○○○」と呼称されることが多い。

チキンライスの代わりにソース焼きそばを卵で包んだものは「オムそば」と呼ばれる。このオムそばは関西地域のお好み焼き屋では定番メニューとなっている。

ラーメン店では、チャーハンを卵で包んだものを「オムチャーハン」として供している場合がある。オムチャーハンでは、焼いた面を裏、半熟の面を表と、通常とは表裏逆に包むことが多い。

また、ケチャップなどは用いず、チャーシューのエンドカット部分を細切れにしたもの(チャンコマ)を乗せ、チャーシューの煮汁をかける。チリソースなどをかけて中華風にすることもある(甘酢あんかけにすると天津飯になってしまう)。

有名どころとしては、東京都中央区の「チャイナクック龍華」、大阪市北区の「まんねん」など。

昔、大阪心斎橋の「北極星」に勤めていた元「唐金」のママと電話で昔話をしているうちに、オムライスの話になった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


◆日米会談、謎の35分は霧の中

杉浦 正章
 


北への軍事圧力強化では一致
 

安倍・ペンス会談を一言で形容すれば、中国の北朝鮮への働きかけを当分見守るというところにあるのだろう。従って米国が当面軍事行動に出ることはまずあり得ない。会談からは、軍事行動が迫っているような雰囲気は感じ取れなかった。しかし、禁止用語を避ければ「クレージーマンに刃物」を持たせたような金正恩が、突如核実験に踏み切れば事態は軍事衝突へと一変する。


米国務省高官は「金正恩政権の転覆は求めない」とまで言い切っているが、これも筆者が前回指摘したとおり中国との「密約」の急所だ。これがなければ中国は金正恩を説得する手段がない。したがって米空母打撃群は、北と中国をにらんだ脅迫材料として朝鮮半島周辺に存在し続けるだろう。


会談での注目点は、首相・安倍晋三が「米国が全ての選択肢がテーブルの上にあるという考え方で対処しようとしていることを評価する」と軍事行動への支持を正式に表明したことだろう。ペンスにしてみれば安倍発言は願ってもない支持表明であり、日米の一致した軍事行動も辞さない構えは、北への抑制効果を一段と増幅されることになる。


ペンスは「戦略的忍耐の政策は終わった」と、優柔不断のオバマの政策からの決別を明言した。また「国際社会が団結して北に圧力をかければ、朝鮮半島の非核化達成の好機が生まれる」と日米韓の中国との結束の必要を強調した。両者の口ぶりからは、北への圧力をひたすら強化しなければならない現状が分かる。この方向を公表しなければ、ペンスの同盟国歴訪の意味がないからだ。


しかし、ソウルが甚大な被害を受けかねない韓国が、ペンスに軍事行動への慎重論を説いたといわれるように、北の攻撃にさらされる恐れがある日本も、むやみやたらに主戦論に傾いているわけではあるまい。北のミサイルにはまだ原爆は搭載されていないが、サリンなど化学兵器をイタチの最後っ屁のように一発でも撃ち込まれてはたまらない。


従って会談では公表以外のきわどいやりとりがあった可能性がある。会談は一時間の昼食が終了した後、人数を絞って35分間行われている。そこでの話し合いは、機密事項であり推測するしかないが、あえて推測すれば、まず中国がどこまで本気で北朝鮮を説得するかが話し合われたのではないか。米中両国はこのところ頻繁な接触を繰り返しており、ペンスは米国の感触を伝えたはずだ。


また公表されていないが、米国が攻撃に踏み切る場合の日本との事前協議についても話し合われた可能性がある。安倍は15日の参議院予算委で、朝鮮半島有事の際について「米国海兵隊は日本から出て行くが、事前協議の対象になるため、日本が了解しなければ韓国を救援するために出動できない」と述べている。既に日本政府は米政府に対し、北朝鮮への軍事行動に踏み切る場合には事前協議を行うよう求めているといわれる。


こうした方向を安倍がペンスにも再確認することはあり得るだろう。政府高官は「北が核実験を行った場合の対応については、今日のやりとりはなかった」と述べているが、既にトランプは「核実験=軍事行動」を明確にしており、ここの“急所”が話し合われなかっただろうか。米側から何らかの見通しの説明があってもおかしくはあるまい。

 
こうした中で、北朝鮮の“口撃”は佳境に達している。日朝国交正常化担当大使宋日昊は「我々はアメリカだけでなく日本軍国主義も主たる敵だ。戦争になったら一番の被害を被るのは日本だ」と毒づいている。既に北は3月に、金正恩が在日米軍基地を攻撃する任務を負った部隊による4発のミサイル発射実験を指揮しており、露骨な嫌がらせを展開している。日米の離反を目指す戦略が見え見えだが、こうした言動が繰り返されるたびに、眠っていた日本国民の国防意識を目覚めさせていることが分かっていない。


日本の極端な右傾化が、朝鮮半島にとっては、米国より怖いことは歴史が証明している。これを知らない金正恩の挑発と火遊びはいいかげんにしないと、火の粉は自分に降りかかることを肝に銘ずるべきだ。いずれにしても、すべては中国の対北外交の成り行き待ちだが、金体制を崩壊させないことを前提条件としていることは、金正恩をいよいよつけあがらせるだけとも言える。中国が原油ストップなどよほどの強硬策をとらない限り、水面下での中朝交渉はラクダを針の糸に通すくらい困難であろう。

      <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)