2017年04月14日

◆うきうきボーナス

川原 俊明(弁護士)



Q 先日、経団連が発表した大手企業の今夏のボーナスの支給状況によると、前年比7%増となったようです。私の会社は逆にボーナスが減ってしまいました!納得できないので訴えて、増額請求することは可能でしょうか?

A 夏のボーナス、景気のいい話ですね!一部は念願のマイホームの頭金として・・・などという妄想はこれくらいに、質問にお答えしましょう!
 
実は、そもそもボーナスというものは法律上、給与とは違う性質で、あくまで、会社からの恩恵と考えられています。
 
この意味で、就業規則や雇用契約で、ボーナスを支払う、となっていない限り、会社側に支払う理由はありません!
 
しかし、仮に、他の方はもらっているのに、自分だけがもらっていない!という場合は別問題です。
 
この場合、会社は、慣例としてボーナスを支給しているものとみなされる場合が多いので、ご自身だけもらっていない場合は会社に訴えかけてみてください。
もし、日頃の勤務態度や、営業成績などを理由にされた場合は、労働局や労基署に相談することも可能です。

ただ、これらに訴えてみたところで、せいぜい勧告書を送ってくれる程度かもしれません。
 
効果的なのは、弁護士に代理人として交渉役となってもらい、内容証明郵便を送り、場合によっては法律違反を理由とした訴訟をすることです。
 
その場合はぜひ当事務所にご相談ください!初回相談料は無料です♪


2017年04月13日

◆蓮舫・民進党が向かう先は…

阿比留 瑠比



北の脅威に目を背け、長島昭久氏にも見放された蓮舫・民進党が向かう先は…

民進党が「反党行為」を理由に除籍処分する方針の長島昭久元防衛副大
臣が、鳩山由紀夫内閣の防衛政務官を務めていた平成21年12月のこと で
ある。ある会合で、長島氏がこうぼやいていたのが記憶に鮮明だ。

「民主党政権になって政府に入れてもらったと思っていたら、社民党政
権だった。米国との関係は完全に冷え切るだろう。盧武鉉政権時代の韓国
のように」

当時、米国は米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設問題の年内決着
を強く求めていた。だが、鳩山首相が連立を組む社民党の意向を優先さ
せ、結論の先延ばしを決めた。そんな頃の話である。

自覚していたのならば、もっと早く離党すればよかったのではないかと
いう気もするが、ともあれ、党内保守派の代表格だった長島氏に見放され
た民進党は、どこへ向かうのか−。

「党内ガバナンスという魔法の言葉によって、一致結束して『アベ政治
を許さない!』と叫ぶことを求められ…」

長島氏は10日の離党表明記者会見でこう振り返っていた。政治思想・ 信
条を共有できないまま無理にまとまろうとすると、特定の攻撃対象を設
定しただけのようないびつな結束になってしまうのだろう。

12日の衆院厚生労働委員会では、民進党議員が飽きもせずに「森友学 園
問題」を取り上げていた。この日の同委は、質問内容を介護保険法改正
案に限定することを条件に安倍晋三首相が出席し、野党のみの質疑に応じ
ていたにもかかわらず、である。国民生活に直結する介護保険問題より
も、森友問題が喫緊の課題であるかのようである。

ともすると左側に引きずられ、傾きがちな民進党にあって、長島氏の存在
はバランスを保つ上でも「保守派もいる」とのイメージを維持する上でも
貴重だったともいえる。長島氏なき今後、民進党はさらに先鋭化し、社民
党化が加速するのではないか。(論説委員兼政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2017.4.13



◆「国民力・庶民力」

MoMotarou



【日本を底から支える力:「国民力・庶民力」】

気になる先導者2人。桜井誠(日本第一党)さんと我那覇政子(がなはま
さこ、沖縄県)さん。詳しくはネットで経歴をお調べくださればわかりま
すが面白い。日本の国会議員が二世三世が多くなり、また当選しやすいイ
ケメンや有名人・芸能人が多くなっている中、現場から“叩き上げられて”
きた人々だ。

この上の世代には青山繁晴自民党参議院がいる。特徴はマスメディアから
は黙殺されているがインターネットで活動が知られていることだ。「先物
買い」が好きな小生には楽しみだ。

明治維新では坂本龍馬や高杉晋作・吉田松陰が賞賛されているが、最初は
「異端」扱いだった。先のお2人の「日本語」は聞き取りやすい“公的”な
言葉使いだ。声も良い。辻元や福島氏等のものとは違う。現実に動き辛い
方は“視聴応援”や著書の“購買応援”をやるのも一助でしょう。

             ☆彡

(転載 長文失礼)「情報を読む力」中西輝政 2010年刊 より。タイト
ルは小生。

<<では、(情報収集力の弱い)日本という国はいったい、どうしたらよ
いのでしょうか。

それには日本人全体の国民力を高めることだとしか、いいようがないので
す。といっても、諜報員のような情報獲得力、情報解析力を身につけると
いう意味ではありません。 日本の国力、日本人の国民力は、日本人が本
来持っている「勤勉さや自発性」に支えられてきました。

■「空気」を支えてきた人々
 
たとえば、東京でいえば大田区に多く存在する町工場の人たちが、日本の
技術力を支えてきました。これは政府の指導でも公教育の紡果でもなく、
自分たちで試行錯誤を重ねて築き上げたものです。

あるいは霞が関のノンキャリア組にも、一つの仕事に徹してコツコツやっ
てきた人、たとえばインテリジェンスの世界でも、長い間、一つの国を
ずっとウォッチしているような職人肌の専門家がたくさんいますし、最前
線で都民の安全を守っている警視庁の警部補や巡査部長といった人たち
も、みな叩き上げで実力をつけてきました。

■「不立文字(ふりゅうもんじ・禅語)」の大和民族型民主主義

このような、誰に教えられるわけでなく、自分の勤勉さ、自発性でもって
能力を磨く力こそが、本当の「日本の国力」、「日本の国民力」の源で
す。この強固な国民力が、ぶれない、惑わされない強い個をつくりだし、
なんとか下から支え続けて、乏しい情報力やエリートの無能力を補ってき
たのです。

*不立文字(ふりゅうもんじ)は、禅宗の教義を表す言葉で、文字や言葉
による教義の伝達のほかに、体験によって伝えるものこそ真髄であるとい
う意味。(wikiより)

■大和民族型民主主義

国の発展は、トップダウンではなく、ボトムアップで成されるものです。
かつての江戸文化が江戸庶民によって支えられていたように、日本の場合
はとくに、ボトムアップ型の社会です。国際比較をしてみても、日本の場
合はとくに下からの支えが欠かせず、上にいけばいくほど、個の能力は下
がる傾向があります。

■戦争に見た民族精神

軍隊で各国の社会構造を比較するとわかりやすいのですが、いわゆる一兵
卒が優秀なのは、日本とロシアだといわれています。黙々と耐えて任務に
当たる、会社でいえば何の役にもついていない平社員のような人びとです。

日本が日清戦争、日露戦争で勝利し、負けたとはいえ太平洋戦争というあ
れほど大きな戦争を戦い抜けたのは、一兵卒クラス、下士官クラスが必死
で歯を食いしばってがんばったからです。

また、焦土と化したにもかかわらず、戦後にあれほどの高度成長を成し遂
げられたのも、庶民の創意工夫と刻苦勉励のたまものです。日本の社会
は、こうした下からの支えがあって発展してきたのです。

■大和民族型民主主義の神髄

このように、国際比較をしてみても、日本の場合、下からの支えが社会の
発展、維持繁栄には欠かせないということがよくわかります。社会の構造
や国民性の違いから、こうした違いが生まれるのですが、「動機づけ」と
いう要素もあると思います。

というのも、「しっかり仕事をしていれば必ず報われる」という論理が貫
徹するのは、日本では真ん中から下の社会だからです。がんばれば報われ
ると思えばこそ、一兵卒クラスも下士官クラスも、がんばることができた
のでしょう。

■大和型民主主義を弱体化する「竹中平蔵型ディベート民主主義」

ところが残念なことに、ここ20年ほどで、下からの支えが、とみに弱く
なっています。経済力から精神力まで、近年顕著な「日本の弱体化」に関
しては、政治が悪い、経済が悪いと、さまざまな議論がなされています
が、日本の国力の低下は、国民力が低下している、国民全体の力が落ちて
いるからにほかなりません。

日本人がかつて持っていたような国民力が、どんどん弱くなってきている
のです。 戦国時代の後に江戸時代があるように、また太平洋戦争の後に
六十年来の平和があるように、世の中は、静と動、乱と治、混乱と秩序を
繰り返しています。>>(転載終)

               ☆彡

■「竹中平蔵型ディベート民主主義」

竹中平蔵氏型は兎に角相手を論争で言い負かすことが第一でアメリカ仕込
み。マスメディアを駆使する。「民族精神」の分断化の危険性もありま
す。会社では「派遣社員・非正社員」という「奴隷身分型労働」も始まり
ました。

「民族精神」に侵入して、敵方の“内から支配”もありうる。民主党政権の
三年間は、将に「行政組織」を通じて反日組織が浸透して行った。庶民が
粘らなければ国・民族が危ない。反転攻勢を!。現場からの「庶民力」を
全開せよ!


◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎



1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京
湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい
た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。
屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に
よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、
このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり
とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ
て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と
いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を
した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大
造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で
初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組
員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極
めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦
「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどる実験が始
まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高
木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事
は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た
だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、
野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間
に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか
り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。
以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜
を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ
とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気
はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ
け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ
れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い
「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有
効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に
ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん
ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、
飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが
足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。
その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ
ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ
た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート
した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明
治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って
いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ
ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ
けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー
ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米
ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し
た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し
た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ
うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と
した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン
B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい
うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣
の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本
人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ
たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の
学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に
玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで
あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄
米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食
べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ
ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森
一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です
が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な
がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ
て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験
ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた
め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒
でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾
病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問
題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい
た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確
たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と
の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確
立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない
か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら
い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では
ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、
「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革
案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚
気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸
軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定
する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても
「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で
しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近
代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール
が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気
に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に
対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で
発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統
計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概
に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で
その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対
する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で
は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい
た。>2006.05.07


◆「聖徳太子」が復活した!

育鵬社編集部M



(1)パブリックコメントで文部科学省が異例の方針転換



◆厩戸王(聖徳太子)へのパブリックコメントが殺到

聖徳太子の名称をこれまで通りに戻す――3月20日に産経新聞、朝日新聞が
報道し、翌日、各社も一斉に報道した。

焦点となっていたのは、文部科学省が2月に公表した中学校の次期学習指
導要領の社会科【歴史】の改訂案で、日本史上、重要人物の一人である聖
徳太子を()書きにして、厩戸王(聖徳太子)と表記する方針を打ち出し
ていた点である。ちなみに厩戸王は「うまやどのおう」と読む。

これを現行の学習指導要領(平成20年3月告示)通りに聖徳太子をメイン
として、聖徳太子(厩戸皇子[おうじ])と表記することで最終調整が行
われていると報道された。

文科省は、この改訂案に対するパブリックコメント(政策に関する意見募
集)を3月15日まで行ったが、その「総数は1万1210件で、そのうちの4割
にあたる約4600件が『聖徳太子』について」であったという(『つくる会
FAX通信』3月25日号より)。聖徳太子を厩戸王と呼称することに対する、
国民からの強烈な反対と読み取れる。

この件は国会でも問題になり、笠浩史衆院議員(民進党)や松沢成文参院
議員(無所属)が、それぞれの文部科学委員会で質問していた。

こうした反響を受け文科省は、次期学習指導要領案の「歴史用語」の変更
に関して、異例ともいえる方針転換表明を行ったのである。最終的には、
今月3月末に次期学習指導要領は確定して公示される。

◆10年に一度改訂される学習指導要領は、どのように作られるか

そもそも、学習指導要領は、どのように作られるのか。

 学習指導要領は、おおむね10年前後に一度、改訂され、その改訂内容に
基づき教科書会社は教科書を編集し直し、学校現場では新しいカリキュラ
ム(教育課程)に基づき児童・生徒に授業を行う。こうした性格のため、
学習指導要領の改訂作業は、膨大な手間暇がかけられる。

文科省の担当部署は、義務教育を担当する初等中等教育局の中の教育課程
課であり、(1)課長をトップとして、(2)主任視学官、(3)視学官、(4)教科
調査官(国立教育政策研究所に所属)というラインがある。

ここが学習指導要領の原案を作成し、中央教育審議会(中教審)の中の教
育課程部会や教育課程企画特別部会に諮られ、中教審の総会で答申がまと
められる構図である。

今回の歴史用語の変更に関しては、上記の(4)教科調査官(小中学校の教
員出身)⇒(3)視学官(ベテランの教科調査官)⇒主任視学官(文科省キャ
リア)のボトムアップで原案がつくられ、そのまま中教審の各部会や総会
で了承された経緯という(自民党の山田宏参院議員の『言論テレビ』3月
10日放送などより)。

◆歴史用語の変更は「勇み足」?

教科調査官や視学官は、小中学校の教員出身者であり、「アクティブラー
ニング」といった教科をどう教えるかの教育方法についてはプロ中のプロ
であるが、歴史用語の詳細にわたる機微については、歴史教育に造詣の深
い専門家の意見を聞く必要がある。

仮に、中教審の各部会を含め、歴史用語の変更に関して専門家から詳しい
ヒヤリングを重ねていなかったとしたら、勇み足だったのではないか。

その一方で次期学習指導要領案では、世界史重視の観点から「ムスリム商
人」(イスラム教徒の商人)という用語を新規に加えるなど、専門家から
のヒヤリングの形跡もうかがえる。(続く)


◆中国、北への原油供給制限を検討かー環球時報

杉浦 正章

 

習近平は米に抑制的対応を求める


米の攻撃は核実験とICBM次第か
 

韓国が「朝鮮戦争以来最大の危機」(中央日報)と焦燥感を強めている中で、中米、日米の外交的接触が活発化している。中国は習近平が2日のトランプとの電話会談で「平和的解決を」と抑制的対応を求めれば、日本は米国に対して攻撃する場合には事前協議をするよう要求した。


こうした中でトランプが北への攻撃に踏み切るかどうかを判断するポイントが、北の核実験と大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射の2点に絞られつつある。中国もいずれかの実験をすれば、米国の攻撃を傍観する可能性すら生じている。ひしひしと迫る米国の重圧の中で、金正恩が予定通り早期の核実験とミサイル実験に踏み切るという「自殺行為」をするかどうかだ。


韓国では新月の4月27日を狙って爆撃を開始するとの情報がネットで拡散しているが、筆者はおそらくトランプは、北が核かICBMの実験をしない限り攻撃を先送りするかもしれないと思い始めている。

 

中国は昨日書いたように大きくその姿勢を変化させている。習近平は電話会談でも厳しい口調はなく、説得調であったといわれる。その証拠に習近平はトランプの年内訪中を再確認している。もちろんトランプがこれに応じたのは言うまでもない。習近平の「平和的解決」要請にトランプがどう応じたかは霧の中だが、少なくとも中国の北への圧力強化を求めたことは間違いあるまい。


トランプが原油供給問題に言及した可能性もある。北への圧力強化は、既に中国が実施に移している石炭の輸入1年停止では足りまい。最大の焦点は中国が北の首根っこを押さえている原油の供給停止か供給制限に踏み切るかどうかであろう。北朝鮮は原油の9割を中国に依存しており、原油が止まれば北の経済は崩壊する。金正恩体制も危機に瀕することは自明の理だ。
 
 

原油は豆満江をわたるパイプラインで供給されているが、驚くことにその中国に石油供給を制限するという説が台頭し始めた。読売によると中国共産党系のタブロイド紙環球時報は、12日の社説で「北朝鮮が今月、追加の核実験やICBMの発射に踏み切れば、中国が原油の供給の制限に踏み切る可能性」を示唆したという。環球時報は共産党機関誌『人民日報』の国際版とも言えるが、人民日報ほど高級志向ではなく、大衆的だ。


しかし、中国首脳が環球時報を使って観測気球を上げるケースが多く、今回もその可能性が強い。北に対して「禁じ手をあえて使うぞ」というどう喝に出たのであろう。

 

一方、日本政府も米国に対して攻撃の場合には事前協議をするように求めている。官房長官菅義偉は否定しているが、ありそうな話だ。


北は日本の米軍基地を名指しで攻撃すると言っており、突然米軍に攻撃されてはたまらない。事前協議は、60年に安保条約を締結した際の交換公文で在日米軍が戦闘作戦行動をする際に事前協議をするよう規定されている。今回のケースはカールビンソンを使う場合には在日米軍基地は使用しないから適用外だが、横須賀で点検整備中の空母ドナルド・レーガンが北に向かって攻撃のための出撃する際には当然対象となる。

 

各社報道していないが事前協議の対象は、もう一つある。それは沖縄返還時に日米間で交わされた、米軍による有事の際の日本への核兵器の持ち込みに関する密約のことだ。米国政府は核兵器の所在について否定も肯定もしない政策をとる一方、沖縄返還に当たってはいったん撤去した沖縄の核を再持ち込みする事がありうるとの立場を強硬に主張した。日本政府は「核兵器を持たず・作らず・持ち込ませず」を“国是”としており、これと矛盾するが、米国の強い要求に佐藤内閣はこれを認めた。


しかし、密約として公表されなかった。従って国会でも社会党の追求の的となった。どちらのケースかは状況によるのだろう。いずれにしても北が核でどう喝するという、異常事態の発生である。有事寸前の事態でもある。米軍の核持ち込みが必要とされるケースはあり得るのであり、事前協議を経てこれを認めるのは日本防衛の要であり、当然であろう。
 

もっとも、簡単に米軍による北攻撃が行われると見るのは早計であろう。米統合参謀本部議長ジョセフ・ダンフォードが昨年3月の議会軍事委員会で「北の軍事力は世界第4位だ」と発言している。しかし軍事分析会社グローバル・ファイヤーパワー(Global Firepower)による「世界の軍事力ランキング2016年版」では上位10位は米国、ロシア、中国、インド、英国、フランス、ドイツ、トルコ、韓国、日本の順で北朝鮮は36位となっている。


ダンフォードの指摘は陸上の白兵戦を意味するのかもしれない。いずれにせよ北を叩くといってもそう簡単ではない。第一次朝鮮戦争では3万6000人の米軍人が戦死しており、空爆だけで北が降伏すれば簡単だが、地上戦ともなれば甚大な被害が予想される。シリアの空爆などとは比べようもない。本格戦争を覚悟しなければなるまい。また極度に緊張が高まれば米国の先制攻撃どころか、北が誤判断などから先制攻撃に出る可能性すら否定出来ない。


従って、軍事行動を示唆して最大限の圧力を行使し続けるものの、北が核実験の実施やICBMを発射しない限り、トランプといえどもそう簡単に全面戦争に踏み切れるものでもない。

       <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆ヒズ・マスターズ・ボイス

石岡 荘十



蓄音機から飛び出したラッパのような形をした大きなスピーカーの前に、きちんとお座りをして、ちょっと首をかしげた犬が音楽に聞き入っている。この図は、最近はあまり見かけなくなったが、歴史のある音響メーカー「ビィクター」のトレードマークである。

http://www.jvc-victor.co.jp/company/profile/nipper.html

昭和21年、群馬県新町(現・高崎市)に紡績工場があり、わが一家は中国から引揚げてきたばかりで、その社宅に住んでいた。木造平屋の粗末な建物だったが、その居間に、小型冷蔵庫ほどの大きさの電蓄がでーんと居座っていた。

クラシック好きの父親がどこでどう工面してきたのか、戦後間もない食うや食わずの時代にいかにも似つかわしくない“贅沢品”であった。

おまけに、唯一のレコード、これがすごかった。羊の皮表紙の12枚組みのアルバムで、その表紙の真ん中には「ヒズ・マスターズ・ボイス」が刻印されている。収蔵された曲は---

1.A&B パガニーニ作曲 「狂想曲イ短調」 ハイフェッツ
2A&B  ヘンデル作曲 「ピアノ組曲ニ短調」 フィッシャー
3.A&B  ヴェルディー作曲  歌劇「トラヴィアータ 第一幕、
(あヽ、そは彼の人か)」 ソプラノ独唱 アイデ・ノレナ

4.A&B  ヨハン・シュトラウス作曲 管弦楽 歌劇「蝙蝠 序曲」 
ミネアポリス交響楽団 
5.クラヴサン独奏 ランドルフスカヤ
A「燕・愉しき夢」
B シャコンヌ 円舞曲」

6. A&B  ハイドン作曲 「弦楽四重奏曲ヘ長調」 プロ・アルト弦
楽四重奏楽団
7.バス独唱 シャリアピン ムソルグスキー作曲 
A  ヴォルガの舟歌
B 蚤の歌

8. チェロ独奏 ピアティゴルスキー
 A ウエーバー作曲「アダヂオとロンド」
  B フランクール作曲「ラルゴーとヴィヴォ」
9. A&B 管弦楽 バッハ作曲 「トッカータとフーガ」 フィラデル
フィア管弦楽団 

10. A&B ベルリン独唱者連盟
  A バリトン独唱 ベートーベン作曲 「自然に顕はる神の栄光」
  B ソプラノ独唱 ヴェルディー作曲
     「アヴェ・マリア」
11. A&B  ヴァイオリン独奏 ヴェラチーニ作曲 「奏鳴曲ホ短調」
(ティボー)

12. A&B  管弦楽 ワグナー作曲 歌劇「ローエングリン」(第一幕
への前奏曲) ニューヨーク愛好家協会 

どうです、この見事な選曲と演奏者の顔ぶれ。珍品はシャリアピン本人のサイン入りのレコードだ。一つしかないこのアルバムを小学校の高学年から高校を卒業して家を出るまで繰り返し繰り返し聴いているうちに、全曲、鼻歌を歌うように何気なくハミングできるように刷り込まれてしまった。

その一方で、ラヂオから流れるハリー・ベラフォンテ、高校のときには、高崎市に本拠を置く群馬フィルハーモニーオーケストラ」(群響)合唱団でロシア民謡から第九まであらゆるジャンルの楽曲を歌い続けた。

群響はあの映画「ここに泉あり」(昭和30年 監督今井正、音楽団伊玖磨、出演岸恵子・小林桂樹)で知られた市民オーケストラで、当時大学生であった小沢政爾もしばしば指揮をとった。

この映画のストーリどおり、夏休みには県内の田舎の中学校を群響と一緒に巡回して移動音楽教室を開き、歌った。

当時、シルクを生産していた鐘紡では、年に1回、当時有名な歌手を工場に呼んで、社員の慰労演芸会を開いていた。高峰三枝子、林伊佐緒、奈良光枝、灰田勝彦・晴彦----ナマの流行歌手を目の前にして、ジャンルを問わない音楽にのめりこんだ。

音に対するこんな思い入れのきっかけとなったのが、「ヒズ・マスターズ・ボイス」だった。この出会いがなければ、この歳で、クラシックからカントリー、演歌まで、数百曲をパソコンに取り込んで、一日中BGMに濫読ならぬ“濫聴”する生活をエンジョイすることにはならなかっただろう。

1889年にイギリスの画家フランシス・バラウドによって画かれビクターの商標となった原画は、フランシスの兄マークが亡くなるまで可愛がっていた愛犬のフォックス・テリア「ニッパー」が、兄のマークの生前、蓄音機に吹き込んだ声に聞き入っている姿を描いたものだそうだ。

愛犬ニッパーがラッパの前でけげんそうに耳を傾けて、なつかしい主人の声に聞き入っている姿だとビクターのHPにある。つまりHisMaster's Voiceに耳を傾ける姿なのである。

そこで話は飛ぶが---、

政権に関わる者は、この国の主である国民の声に耳を傾けるニッパーを見習ってもらいたいものである。         

2017年04月12日

◆北朝鮮攻撃の前に二次的制裁

宮崎 正弘
 


<平成29年(2017)4月11日(火曜日)通算第5264号>    

 〜北朝鮮攻撃の前にセカンダリー・サンクション(二次的制裁)
  米国、中国などの関与した貿易会社、銀行に制裁準備。
リストはあがっている〜

 カール・ビンゾン空母攻撃群がシンガポールから、寄港予定だったオー
ストラリア訪問をキャンセルして南シナ海の北上を開始し、米国西海岸サ
ンディエゴ海軍基地からは駆逐艦なども西太平洋方面へ出航した。

朝鮮半島近海に展開し、北朝鮮のミサイル、核基地攻撃準備態勢の示威で
ある。空母には特殊部隊も乗り込んでいるとされるから、「斬首作戦」の
同時展開もシナリオに入っているのだろう。

その前に、米国はいくつかのセカンダリーサンクションの選択肢を撰ぼう
としている。

第一は遼寧省丹東、瀋陽にある北朝鮮の銀行、ならびに北朝鮮にミサイル
部品など国連制裁決議に違反して輸出していた中国系商社の制裁を強める。

第二に在米中国の銀行に資産凍結、取引停止など強い処分をふくめての制
裁準備である。これは中国への強いブローとなる。報復として中国が、米
国系銀行の在中国支点の営業停止などの挙にでると、米中貿易は自動的に
縮小し、双方の痛手となるため、どこまでの制裁レベルに留めるかが、こ
れからの検討課題となる。

マレーシアの妖しげな貿易会社も制裁対象になっているとされる。

北朝鮮からの亡命者がロイターに語ったところに拠れば、ハンフンイル
(音訳不明)は20年前にクアランプールへやってきて、張成沢と繋がるマ
レーシアの商売相手とコングロマリット「MKP」(マレーシア・朝鮮
パートナー社)を設立した。

この商社は、労働者の斡旋、貿易、石炭の輸出、石油の輸入などを表看板
に、アジア、アフリカ40ヶ国と取引していた。

 中には不正な武器輸出が含まれ、武器取引は、このマレーシアの北朝鮮
系商社が行っていた」(ロイター、2017年4月10日)。

年に一度、北朝鮮から高官が現れ、ドル、ユーロの現金を手渡していたこ
とが目撃談として語られた。

ことほど左様に金正男がクアラランプール空港で暗殺されるまで、北朝鮮
とマレーシアは持ちつ持たれつの関係であったことが明るみに出た。


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 ◆樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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――「彼等の體力は實に野生である、獸性である」――(高瀬14)
高瀬敏?『北清見聞録』(金港堂書籍 明治37年)


ロシア、イギリス、フランス、日本との戦いに敗れたことは「清國にとり
ては皆な、その自尊の頭を下げ傲慢の氣を屈して、大いに覺醒すべき動
機」であるにもかかわらず、「彼等は容易にその頑夢より覺むること能わ
ず」。とどのつまりは「日清戰役に於て大敗を取り、大打?を蒙るに至れ
り」と、高瀬は説いている。

その後も列強の蚕食が続いたが、「彼等の頑鈍なる更に覺醒する所なく、
徒に政權の爭奪に骨を折り、地位の維持に心を勞して、外壓の岩の如く迫
り來るを知らず」。そこで義和団が排外運動を起こした結果、八カ国連合
軍によって北京が制圧されたばかりか、「清國の故郷なる滿洲三省は、殆
んど露國の所有の如く」になってしまった。こういった亡国的状況を前に
したなら、「憤慨する能はずんば、何を憤慨するといはんや」。にもかか
わらず、「彼等の愛國的神經」は一向に見られない。

たしかに近年になって近代化政策を進め、「一見清國の覺醒を意味するが
如く」ではあるが、実際に現地を歩いてみると、「慷慨國事を談ずるも
の」も「誠心誠意家國の憂を以てわが憂となすもの」も見当たらない。ど
うやら改革を掲げながら、結果として「數多の屬國民となり了らん」。や
はり「彼等の頑夢は頑として醒めざるなり」としかいいようはない。

いまや「世界に文明の大潮流あり」。「その物質的なると、精神的なると
を問はず、世界を?流し來り」。日本は「此の潮流に接觸するや、直ちに
之を汲み、之を注いで國家を一洗し」、新しい国作りに成功し「世界の舞
臺に突進しつつあり」。そこで隣国に目を転じる。

「隣國の支那は如何」。「その知覺神經は、文明の大潮流を感知する程に
鋭敏なら」ず。そのうえ「彼等は阿片煙の如く有毒なる文明固有の保守劑
を飲んで、今に頑夢を樂みつゝあるなり」。

「國の將に亡滅せんとするを知るや知らずや、よし、知りたりとて損得の
外には多くの痛痒を感ぜず、高尚なる神靈の知覺を萎痿せしめたる支那人
は、平々然として、遊惰逸樂に耽り徒に肉慾を貪りつゝあるなり」とした
後、「誰か支那人を勤勉の人民なりといふ」と疑問を呈す。

高瀬の経験によれば、彼らは「利を示す時勤勉なるが如く見ゆるなり」。
「鞭撻その頭に加はる時忍耐力あるが如くに見ゆるなり」。国家存亡の緊
急事態であるにもかかわらず「急がず、迫らず悠々安閑たる」様子は、た
しかに「根氣強しとも」誉められないわけではないのだが、彼らは「國家
の存亡を眼前に控えたる國民に非す」。

これに「わが輩をして氣の毒の思ひに堪へざらしむる(中略)男女間の腐
敗」が加わるのであるから、事態は一層深刻だ。「西人曾て支那人を評し
て不品行なる病人」と称したように、彼らは「(精神の)病に次ぐに不品
行を以てす」るわけだから、「その治し難きや當然のことゝいふべきなり」。

だが「支那啓發のことは全然望」みがなくなったわけではない。「支那人
もまた人間」であり、「何れの處にか人間本來の眞を存」しているはず
だ。だから「もし世界を同胞とする至大博愛の心を以て、忍耐努力之に?
へ、之を導かば」、時間はかかるだろうが、「彼等を伴ふて、世界と共に
文明の大道を歩むに至らしめ」ることができるだろう。

だから、今こそ「支那人民を精神的に啓發して、世界文明の好伴侶たらし
める」絶好機であり、ゆえに「わが國民が支那に向つて大に活動すべき
は、今の時を以て最も急なり」。

「今にして支那に於ける我國の經營を怠り、利權を失墜するに至らば、必
ず國家百年の憂を殘す」。たしかに財政的にも苦しいが、「上下一致心を
此處に注ぎ、(中略)大いに國民の對外心を奮起せしめ」るべきだとした
後、高瀬は「學校經營」「宗?傳道」「滿洲移民」「鐵道敷設」「鑛山開
掘」「製造所設立」「航海運搬業の擴張」「日清銀行設立」などを挙げ、
現状のように「手緩き」ままでは「露、獨、佛の三國」に遅れをとってし
まうと警告する。
《QED》

◆政治家は世界情勢を忘れるな

櫻井よしこ



ニュースはどこも森友学園一色だ。
 
私は6年前、同学園の幼稚園の父母を対象に家庭教育、食事、親子の対
話、日本の歴史や戦後社会の変容などについて講演した。その学園の籠池
泰典氏が証人喚問され、問題の核心が逆にぼやける中、3月27日の予算成
立後も国会では他の重要課題を横において、森友学園問題に集中するそうだ。
 
しかし、世界では本当に激震が起きている。日本が森友学園問題にかまけ
ている暇はあるのか。
 
トランプ米大統領は、3月16日、540億j(約6兆円)に上る大幅な軍事費
増額を盛り込んだ予算教書を発表したが、各省の局長級人事さえ固めきれ
ていない現在、手足となって働くスタッフが揃っていない。自身の交渉力
を最大の「売り」にするトランプ氏だが、共和党議員さえ説得できず、3
月24日には目玉政策の医療保険制度改革(オバマケア)改廃法案の撤回に
追い込まれた。
 
トランプ政権の求心力低下が懸念される中で、北朝鮮軍は米韓が3月1日か
ら行っている史上最大規模の合同軍事演習に反発して、「いかなる策動も
先制攻撃で踏みつぶす」と宣言した。彼らは3月6日のミサイル4発発射の
際、標的は在日米軍基地だとしており、現実に日本攻撃の可能性が眼前に
ある。急いでも間に合わないかもしれない危機対策を尻目に、森友学園問
題にかまける国会とは一体、何なのか。
 
3月26日、フジテレビの番組では、民進党の玉木雄一郎氏が安倍昭恵氏を
証人喚問せよと主張していた。共産党でも社民党でもない民進党の、将来
を担う貴重な人材の一人である氏の発言に驚いた。

森友学園問題の本質は国有地払い下げの手続き及び大幅値引きに正当な理
由はあったのか、政治家の介入はあったのかに尽きる。昭恵夫人の喚問は
筋違いだ。
 
まず、大幅値引きの妥当性についてだが、その判断に必要な財務省(近畿
財務局)の書類が処分されている。法令上、違法ではないというものの、
事業完了まで関連資料を保存しないのは、政府側の瑕疵といえるのではな
いか。書類保存について与野党は早急に新たな規則を打ち立てるべきだろう。

「口利きはなかった」

同時に、籠池氏を喚問した自民党の葉梨康弘議員の指摘に注目したい。氏
の指摘では、伊丹空港周辺の国有地払い下げは森友学園、豊中市の公園及
び給食センターの3か所だ。給食センターの場合、2015年に掘りおこした
ら、アスベストを含むコンクリート片が埋まっていたため、撤去費用14億
円が計上された。隣の公園の売却額は14億2000万円だったが、廃棄物処理
費は14億円とされ、土地は豊中市に2000万円で払い下げられた。いずれも
処理費は14億円規模だ。
 
森友学園である。埋設廃棄物等の運び出しと処理に8億2000万円が必要と
され、その分を引いて1億3000万円で売却された。
 
ここに至るプロセスが公正だったかどうかを示す財務局資料は前述のよう
に処分済みだ。ならば、先の給食センターや公園、他の国有地の払い下げ
と比較すればよい。ちなみに国有地はごみ処理名目以外でも、「朝日新
聞」をはじめ多くの新聞社にも公益名目で通常では考えられない廉価で払
い下げられている。
 
次は政治家の介入の有無だ。証人喚問で籠池氏は、買い取り価格の値下
げについて、「政治家による対応はなかった」(衆議院、自民党葉梨氏へ
の回答)、「(国有地の)定期借地権料は結果として高止まりになってい
る。本来口利きがあれば低止まりになっていた。だから口利きはなかった
と思う」(参議院、自民党西田昌司氏への回答)と述べている。後述する
外国特派員協会での記者会見でも、「安倍首相は口利きはしていないで
しょう」と語っている。
 
一方で籠池氏は昭恵夫人への忖度があったのではないかと推測するが、
森友学園側の要請に昭恵夫人付職員は、「ご希望に沿うことはできない」
と回答した。要請拒否は忖度はなかったということではないのか。
 
国会証言後に東京・有楽町の外国特派員協会で記者会見に臨んだ籠池氏
に、雑誌「エコノミスト」のマクニール記者が、安倍首相も夫人も100万
円の寄付を否定する中で、籠池氏の主張を信じるべき理由は何かと質し
た。籠池氏は次のように答えた。

「私一人ではない。100万円の件は職員、先生方にもその時すぐに伝え
た。嘘を言うわけではない」
 
一方、公開された安倍・籠池両夫人のメールで、昭恵夫人は100万円に
ついても、森友学園が夫人に講演料として支払ったと主張する10万円につ
いても、「記憶がない」と丁寧な言葉で繰り返し否定している。

辻褄が合わない
 
ニコニコ動画の記者は幼稚園のホームページに、「天皇陛下が訪問された
という、事実でないことが掲載されている」件を取り上げた。参院で、天
皇陛下が籠池氏の幼稚園を訪問されたと園のホームページに掲載されてい
ることを質されて、籠池氏は「知らなかった」と答えており、ニコ動の記
者は、では誰が、畏れ多くも天皇陛下行幸に関する重大な虚偽を、別の行
幸の際の写真までつけて、ホームページに載せたのかと問うたわけだ。籠
池氏の答えだ。

「本というんですかね、雑誌の中で、その書き取りの中で、編集者が間
違って書いておるということは今日の国会の、なんだったかな、なにかの
関係で私は知ったことがあります」「申し訳ないですけどもホームページ
をすべてチェックしてるわけではございませんので」
 
だが、天皇陛下行幸の有無は余りにも重大な問題だ。だからこそ、記者は
尚も質した。誰が虚偽の情報をホームページに載せたのかと。

「私どもの職員になるのか、ホームページを立ち上げたときの業者になる
んだと思います」と籠池氏。
 
回答になっていないだろう。日本の新聞やテレビはなぜ、こうした質問
ができないのか、と思う。
 
前述のフジテレビの番組で印象深い場面があった。籠池夫人のメールに
民進党の辻元清美氏が幼稚園に「侵入しかけた」と書かれている点に言及
されて、玉木氏が「党として事実に反すると発表した。間違ったことを言
わないで下さい」と反論した場面だ。
 
辻元氏に関する籠池氏側の情報は事実ではないと断ずる玉木氏は、で
は、なぜ、昭恵夫人や安倍首相の否定を認めないのか、辻褄が合わない。
 
森友学園で残る疑惑は、籠池氏が刑事訴追を受ける可能性ありとして答
えなかった3種類の見積りについてである。
 
この間にも国会は朝鮮半島と中国の動きに目配りを怠ってはならない。政
治の責任は国民の命、領土領海領空を守ることだ。そのことを国会議員全
員が肝に銘ずべきだ。

『週刊新潮』 2017年4月6日号   日本ルネッサンス 第748回


◆五輪担当大臣の貫禄

渡部 亮次郎



メルマガ「頂門の一針」の常連投稿者に指摘されて、先にといっても1954
年に開かれた東京オリンピック当時、担当大臣故・河野一郎の担当記だっ
たことを久々に思い出した。

と言っても1964年7月の人事異動でNHKの盛岡放送局から東京の政治部
へ発令され、河野大臣を苦手だといって誰も担当したがらない。田舎者の
あいつに回そうというので河野担当になった。事情は後から知った。

記者会見に出かけて名刺を差し出したらろくに見もせず、もてあそび、そ
のうち紙飛行機に折って飛ばしてしまったのには、おどろいた。記者を怖
がっていた田舎の県会議員とは大分、違うなと覚悟した。

何か質問あるかい、というからした。「大臣の右目は義眼だと言ううわさ
がありますが、本当でしょうか」と聞いた。相手を見つめるときすが目に
なるからである。すると「君はどこの社の記者だ」と言うからNHKだと
答えて叱られるのを覚悟した。

ところが違った。「君は記者の誰も聞かなかったことを良くぞ質問してく
れた。ほれ、このとおり義眼ではないよ」目を剝いて見せた。なるほど毛
細血管も走っているから義眼ではない。

翌朝、恵比寿の私邸に行き、門の脇で待っていると出てきた河野さんが私
を手招きする。近くまで行ったら「乗んなさい」という。驚いた。政治家
の専用車に同乗することを政治記者連中は「箱乗り」と言い、政治家は余
程気に入った記者で無ければ乗せないことになっている。

河野一郎自身自分を「実力者」と言い、記者たちは勿論、自民党内からも
畏怖されていた。だからこそ過去に前例の無い無任所にして東京五輪の担
当大臣を池田勇人首相から任されたのである。

その恐ろしい実力者が、どこの馬の骨とも知れぬ記者をいきなり箱乗りさ
せるとは当に驚きだった。しかしこの待遇は終始続き、最期は夫婦2人き
りの夕飯の席に呼ばれるまでに成った。

小田原に生まれて早稲田大学では箱根駅伝の選手として活躍、卒業後は朝
日新聞の政治記者。間もなく神奈川から代議士に当選して政界入り。かの
吉田茂とは激しい党内対立を繰り返しながらついに鳩山政権を樹立。日ソ
正常化を達成。


フルシチョフ首相とも対等な交渉を成し遂げ、ついに実力者に成長した。
池田首相もそこを見込んで史上初の東京五輪の担当大臣を任せることが出
来た。

いま政界を見渡してもあれだけの實力者はいない。これは世界の変化に伴
うものであり、日本の平和が長続きするからであり、小選挙区制度が政治
家を小物のしたと思わざるを得ない。 

河野さんはアルコールを一滴も飲めない体質だった。それを知っていてフ
ルシチョフはウオッカを飲むよう強要した。河野さんは「国家のため、死
んだ心算で飲み干した。体が火照り眩暈が止まらない。「あの時は死ぬか
とおもった」と言っていた。

東京オりンピックの翌年夏7月8日、剝離性動脈瘤破裂のため自宅で死去。
まだ67歳だった。2015・8・3