2017年05月28日

◆G7、対北「国際包囲網」へ前進

杉浦 正章



安倍が「トランプ旋風」抑制、米欧離反へ接着剤  
 

中露がほくそ笑むわけにはいかない
 

タオルミナ・サミットは焦点の北朝鮮問題や、米欧対立の保護主義とパリ協定の是非をめぐって、首相・安倍晋三が日本の首相としてかつてない存在感を示した。安倍は北のミサイルを「新たな段階の脅威」と位置づけ、その脅威は極東にとどまらず「伝染病のように全世界に広がる」と訴え、共同宣言に「国際社会における最重要課題」と表現させることに成功した。


対北宣言でG7が一致したことは、隣接する中国、ロシアに対しても強いけん制効果をもたらす性格のものでもあり、さらなる経済制裁へとつながる効果をもたらす。また安倍は、米国第一主義と保護主義を臆面もなく打ち出そうとするトランプをなだめ、欧州諸国との激突、決裂回避へと動き、宣言に「保護主義と戦う」の文言を挿入させた。安倍が接着剤の役目を果たさなかったら、G7は存亡の危機に立たされたかもしれない。
 

G7の記事は新聞各社とも経済部が中心で書くから、北朝鮮問題より経済問題に焦点が向けられ、米欧の亀裂がクローズアップされているが、この編集姿勢には疑問がある。なんといっても米空母の3艦隊が朝鮮半島を取り囲む緊急事態であり、優先順位が違うのではないかと言いたい。ここは安全保障問題の方がトップにふさわしい。


安倍の記者会見も日本時間の深夜だから大きく扱われていないが、北朝鮮に関して極めて重要な発言をしている。安倍はサミットで冒頭発言を行い、北朝鮮問題について「20年以上平和的解決を模索したが対話は時間稼ぎに利用された。放置すれば安保上の脅威が伝染病のように世界に広がる」と極めて強い表現で危機感を表明した。次いで「国際的な包囲網を形成して、経済面での北の抜け道を出来る限りなくして、圧力を掛ける必要がある」と強調した。


欧州は北との国交がない国はフランスのみで英、独、伊は国交がある。しかし中東に比べて北朝鮮問題への関心は薄く、安倍は欧州の目を極東に向けさせて、国際世論を高めることを狙ったのだ。北の“抜け道”にならないよう暗に要求した意味もある。
 

各国からは賛同の声が相次ぎ、宣言は4月の外相サミットの「新たな段階の挑戦」の表現を「新たな段階の脅威」と一段と強めた。世界全体の脅威であるとサミットが確認した事は、国際政治的には大きな意味がある。北への決定的制裁をためらう中国や、臆面もなく万景峰号の定期航路を認めたロシアに対する、G7の意志表示でもあるからだ。次の課題は国連の場などで制裁強化をさらに進めると共に、決め手をもっている中国に対して、石油輸出や鉄鋼輸入の制限、金融取引の封じ込めなどの策を求めてゆく必要があろう。
 

一方、トランプと欧州諸国は、パリ協定をめぐって「湯気の立つような激論」(政府筋)を展開、安倍は“留め男”役を演じた。安倍は「環境問題でアメリカは電気自動車の技術をはじめトップランナーであるから、排気ガス問題などリードすべき事は多い。経済大国の役割でもある」とトランプを持ち上げたうえで対応を求めた。安倍は側近に「トランプがうなずくような場面を作ることが肝心だ」と漏らしていたといわれ、一種の“友情ある説得”を試みた。


この結果トランプは決定的な亀裂につながるような発言は避け、首脳宣言では「アメリカは、気候変動およびパリ協定に関する政策の見直し過程のため、コンセンサスに参加する立場にない」としたうえで、「アメリカのプロセスを理解し、ほかの首脳は、パリ協定を迅速に実施するとの強固なコミットメント=誓約を再確認する」と、いわば両論併記の表現で収まった。両論併記はサミット史上異例である。トランプは最終決断を先延ばしにした形となった。ツイッターでは「来週決める」と書いている。
 

さらに宣言には自由貿易に関して、「不公正な貿易慣行に断固たる立場を取りつつ、開かれた市場を維持するとともに、保護主義と闘うという、われわれの誓約を再確認した」と明記された。これは安倍が事前のトランプとの会談でサミットの存在意義がどこにあるかを諄々(じゅんじゅん)と説明した結果であるという。これまで「保護主義」的政策を打ち出しているトランプ政権は、3月のG20では、昨年のG20の声明で盛り込まれた「あらゆる形態の保護主義に対抗する」との文言を削除するよう強く主張して、結局削除させた経緯がある。


今回のサミットでも当然強く要求するものとみられたが、西欧諸国首脳はさすがに譲らず、トランプは孤立して妥協へと動いた。妥協策として「あらゆる形態」という文言の削除で全体の表現を弱めて、トランプが応ずることになったのだという。
 

こうしてトランプ旋風はサミットでも荒れ狂った形となったが、空回りに終わり、それほどの威力は発揮できなかった。もともと自らの生命線でもある自由主義経済を翻弄(ほんろう)し、米国で通用する「わがまま」を世界でも通用させようというトランプの世界認識の浅はかさに問題がある。アメリカが何を言っても通用する時代は去りつつあるのだ。


世界はトランプの足下の米政局が揺らいでいることを知っている。サミットの亀裂が安全保障面にも及べば、重大な事態だが、北朝鮮への足並みがそろったことで、当面問題はないことが証明された。中国やロシアがほくそ笑むのは時期尚早だ。

        <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◆高官の腐敗暴露続ける

宮崎 正弘



<平成29年(2017)5月26日(金曜日)参 通算第5307号>   

 〜中国当局の神経を逆なでする郭文貴、高官の腐敗暴露続ける
  米国メディアに突出する暴露男は、共産党高層部を震撼させ始めた〜

 (承前)江沢民派の腐敗と豪遊と海外不正蓄財を次々と暴き、米国のメ
ディアに神出鬼没の郭文貴だが、前号でも書いたようにトニー・ブレア首
相との昵懇な関係から、世界の投資家との間にコネクションを築き上げ、
スイスの銀行を手玉にとった「蛮勇」ぶりも徐々に表面化した。

とくにブレア夫人の著作(2009年出版。『私自身を語る』)の原書を500
冊、中国語訳本を5000冊も買い上げて、その政治ロビィスト的な、金銭の
配り方も、中国人の伝統的な遣り方である。

「高官らの淫行現場のヴィデオを持っている」と発言したかと思うと、王
岐山の豪邸を暴き、ヴォイス・オブ・アメリカ(VOA)などに突如出演
し、また中国語メディアやユーチューブなど西側のメディアを駆使して、
中国共産党の腐敗を暴くのだから、中国にとっては「除去」すべき対象で
もある。

郭文貴は中国の庶民にとっては人気者となっており、VOAの番組など
は、すぐさま「微博」や「WECHAT」に転載されたが、削除されている。

ヴォイス・オブ・アメリカの番組(4月19日)では3時間にわたって、共
産党幹部等の腐敗を暴き続け、北京の神経を逆なでした。同番組は生中継
だったため、放送は一時間で終わったが、中国共産党幹部等を震え上がら
せた。

翌日から中国は公式メディアばかりかインターネットなどを通じて「法螺
吹き、嘘つき」と郭文貴を避難する宣伝合戦に乗り出した。

すでに中国はインターポールを通じて、郭を指名手配していると発言して
いるが、にもかかわらず郭文貴が米国内のどこかに隠れ住んでいると推定
され、米国FBIの保護のもとにあるのでは、とする疑心暗鬼も渦巻いて
いる。

ただし、郭文貴の暴露した高官等の腐敗など、すでに多くのチャイナ
ウォッチャーにとっては既知の事実でしかなく、「博訊新聞網」などは、
「郭の最終的なターゲットは習近平ではないか」としている(同紙、
22017年5月23日)。

       

◆自衛隊は違憲のまま放置すべきでない

櫻井よしこ



「自衛隊は違憲のまま放置すべきでない 国際情勢の厳しい今こそ改正
へ歩みを」


安倍晋三首相が、憲法改正の直球を投げた。現実主義の極みを行くその提
言で、停滞しきっていた憲法改正論議が賛否両論共に、俄かに活性化した。
 
首相は5月3日の「読売新聞」紙上で単独インタビューとして改正への斬新
な考えを披瀝した。同日午後には「民間憲法臨調」などが主催する「公開
憲法フォーラム」へのビデオメッセージで、「読売」に語ったのと同じ内
容を繰り返した。
 
首相が自民党総裁として述べた点は3点である。(1)東京五輪の行われる
2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、(2)9条1項
と2項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、(3)国の基は立派な人
材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、である。
 
発言の主旨はこうだ。災害救助を含め、命がけで24時間、365日、領土
領海、日本国民の命を守り抜く任務を果たしているのが自衛隊である。9
割を超える国民が信頼している。他方、多くの憲法学者や政党の一部に、
自衛隊は違憲の存在だと主張する議論がある。「自衛隊は違憲かもしれな
いけど、何かあれば命を張って守ってくれ」というのは、余りに無責任だ。
 
こう述べて首相は、「私の世代が何をなし得るかと考えれば、自衛隊を合
憲化することが使命ではないか」と強調した。自衛隊違憲論が生まれる余
地をなくすために、自分の世代で自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置
づけたい。ただし、9条1項と2項をそのまま維持するという提案は大方の
意表を突くものだったはずだ。
 
9条1項は、周知のように「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武
力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
という平和主義の担保である。
 
2項は、「前項の目的を達するため」、即ち、国際紛争解決のための武力
行使はしないという確約のために、「陸海空軍その他の戦力は、これを保
持しない。国の交戦権は、これを認めない」であり、軍事力の不保持、即
ち非武装を明確に謳っている。
 
大半の改憲派にとっても1項の維持に異論はないであろう。むしろ1項に
込められた日本国の平和志向を、1項を残すことで積極的に強調すべきだ
と考える。
 
注目すべきは2項である。「前項の目的を達するため」、つまり侵略戦争
をしないためとはいえ、「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
国の交戦権は、これを認めない」と定めた2項を維持したままで、いかに
して軍隊としての自衛隊の存在を憲法上正当化し得るのかという疑問を、
誰しもが抱くだろう。
 
矛盾を含む発言を「読売」で読んだとき、既視感が生まれた。私の主宰す
るインターネット配信の「言論テレビ」で、昨年暮れ、首相に最も近い記
者の一人といわれる「産経新聞」の石橋文登氏が、自衛隊の存在を3項と
して書き加えることも選択肢の内であると語っていた。
 
憲法で認められない存在という形を、とにかく解消すべきであり、公明党
がどこまで歩みよれるかが、最大の焦点であると氏は指摘し、具体的に3
項のつけ加えに言及したのだ。私は「言論テレビ」でのその発言を、今年
1月14日号の「週刊ダイヤモンド」で報じているが、首相発言と通底する。
 
少々の矛盾は大目的の前には呑み込むのが政治家であり、大目的を達成す
ることが何よりも大事なのだという現実主義が際立つ。
 
国際情勢の厳しさは私たちに現実を見よと教えている。「ウォール・スト
リート・ジャーナル」紙は「憲法9条が日本の安全を妨げる」と書いた。
自衛隊を違憲の存在として放置し続けるのは決して国民の安全に資するこ
とではない。今、改正に取り組みたいものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2017年5月27日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1183


◆ハマナスはナシの訛り

渡部 亮次郎



「ハマナス」の名は、浜(海岸の砂地)に生え、果実がナシに似た形を
していることから「ハマナシ」という名が付けられ、それが訛ったもの
である。ナス(茄子)に由来するものではない。

ハマナス(浜茄子、浜梨、、学名:Rosa rugosa)は、バラ科バラ属の落
葉低木。夏に赤い花(まれに白花)を咲かせる。根は染料などに、花は
お茶などに、果実はローズヒップとして食用になる。皇太子妃雅子のお
印でもある。晩夏の季語。


東アジアの温帯から冷帯にかけて分布する。日本では北海道に多く、南
は茨城県、島根県まで分布する。主に海岸の砂地に自生する。

1-1.5mに成長する低木。5-8月に開花し、8-10月に結実する。

現在では浜に自生する野生のものは少なくなり、園芸用に品種改良され
たものが育てられている。

果実は、親指ほどの大きさで赤く、弱い甘みと酸味がある。芳香は乏し
い。ビタミンCが豊富に含まれることから、健康茶などの健康食品として
市販される。

のど飴など菓子に配合されることも多いが、どういう理由によるものかそ
の場合、緑色の色付けがされることが多い。中国茶には、
花のつぼみを乾燥させてお茶として飲む?瑰茶もある。


バラの一種であり、多くの品種が存在する。北米では観賞用に栽培され
る他、ニューイングランド地方沿岸に帰化している。イザヨイと呼ばれ
る園芸品種は八重化(雄蕊、雌蕊ともに花弁化)したものである。

日本においては、ハマナスは北海道襟裳岬や東北地方の海岸部、天橋立
などが名所として知られる。

都道府県の花に指定 北海道
市町村の花に指定北海道 - 石狩市、紋別市、稚内市、浦幌町、江差町、
雄武町、奥尻町、興部町、寿都町、斜里町、標津町、天塩町

岩手県 - 野田村
青森県 - 青森市、鰺ヶ沢町、大間町、風間浦村、野辺地町
福島県 - 相馬市

茨城県 - 鹿嶋市
新潟県 - 村上市、聖籠町
石川県 - かほく市、内灘町
福井県 - 高浜町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

<ハマナス(浜梨)、ナシが訛ってナスとなったとのことですが、よく見
ると実はトマトのようです。

トマトはナス科のナス属です。食べたら梨のようだから、「浜梨」と書
いてあるものが多いのですが、中国語ではトマトのことを「番茄」とい
い、意味は「外国のナス」、ですので「浜茄」で「ハマナス」と言うの
も、「ハマナシ」よりも洒落ているかもしれません。ちなみに、ハマナ
スはバラ科バラ属です。ハマナスの実を乾燥させたローズヒップティー
もなかなか美味しいですよ。>(唸声)2011・6・13


◆木津川だより 和伎神社(涌出宮)A

白井 繁夫



涌出宮わきでのみや:正式名称は和伎座天乃夫岐賣神社わきにますあめのふきめ:は木津川の右岸(木津川市山城町平尾)にあり、前回は『記.紀』の崇神天皇の武埴安彦の反逆物語から神社名(語源)や奇祭の由来について少し触れました。

今回は涌出宮遺跡から出土した弥生時代中期の豊富な遺物や集落遺跡、当神社の南方1km余の所にある椿井大塚山古墳(三角縁神獣鏡が30数枚出土)等が存在する当地域で、弥生から古墳時代にまたがる大和朝廷確立に関連した戦の物語、木津川流域で争われた反乱、『神功皇后(日本書紀).仲哀天皇(古事記)の忍熊王の反乱』の概要を、追加記述します。

『記』息長帯日売命(おきながたらしひめのみこと:神功皇后『紀』息長足姫尊:以後皇后と略称)が新羅を討伐されて、海路にて倭(大和)への帰途、筑紫国で仲哀天皇のご遺体を収めて、一艘の喪船を用意し、御子(後の応神天皇)を乗船させました。

皇后は御子の異母兄(香坂王かぐさかのみこ.忍熊王おしくまのみこ)を欺くため、御子の崩御説を流しました。他方の香坂王.忍熊王は共に播磨(兵庫県)に兵を集めて天皇の山稜を赤石(明石)に造営すると称していたのです。

香坂王.忍熊王は難波の菟餓野(とがの:現大阪市北区兎我野町付近)に出て、祈狩(うけひがり:誓約狩:狩の獲物で吉凶の神意を伺う)を催行した折、香坂王が怒り狂った猪に食い殺されました。弟の忍熊王は誓約の結果を無視して、皇后軍との戦闘態勢を整えました。

然し、天皇と御子も死亡した噂を信じた忍熊王は皇后軍が乗船していた喪船をやり過ごしました。太子の軍は喪船から上陸して、丸邇臣(わにのおみ)の祖先、難波根子建振熊命(たけふるくまのみこと)を将軍とする皇后軍から攻撃を仕掛け、吉師部(きしべ)の祖先、伊佐比宿禰(いさひのすくね)を将軍とした敵軍を追撃して、淀川から木津川へと追い詰め山城まで来ました。

山城で軍勢を立て直した忍熊王は反撃に出ましたが、菟道(うじ.宇治)でまたも、(皇后が崩御されたので、弓の弦を折り降伏すると云う)建振熊命の知略に騙されて、敵軍も弦を折り停戦しました。太子軍は隠し持った弓矢で再度追撃を開始し、敵軍は逢坂から近江まで追われ、ついに忍熊王は近江の海(琵琶湖)に入水し崩御されました。(古事記と日本書紀ではストーリーに若干差異があります。)

大和盆地の東南部の纒向(まきむく)古墳群(桜井市)や大和古墳群(天理市)にはヤマト政権誕生に関わった3世紀から4世紀末頃の王族の古墳群があります。東北部へ移動後の佐紀盾列(さきたたなみ)古墳群(奈良市)には4世紀末から5世紀中葉まで多数の大王墓(全長200m超)が築造され、この古墳群の被葬者から4世紀末にはヤマト政権の最高首長が推戴されました。

その後、政権は大和から河内へ移動し、古墳も5世紀初頭には400mを超える応神天皇陵(羽曳野市)から世界最大の大仙陵古墳(仁徳天皇陵:堺市堺区)へと大規模古墳が出現したのです。

木津川右岸に在る椿井大塚山古墳は纒向古墳群の箸墓古墳(築造3世紀中:魏志倭人伝の卑弥呼の墓か)に類似し、3世紀末に築造、約2/3の大きさの前方後円墳で出土品は竪穴式石室内から三角縁神獣鏡など36面余、武器.武具、工具.農具、日本最古の刀子等々が出土しました。

大和政権確立を目指し、大和平野の東北部(奈良市)へ移動して、全国展開に利便な水陸交通の要衝(泉津)と木津川流域を勢力範囲に組み込んで行く過程で起きた戦いが前述の『記.紀』2話の物語と思われます。政権が河内国へ移動後は全国的にみても大古墳の築造は無くなりました。

涌出宮遺跡は「前回記述の社伝の神域」伊勢より勧請した女神を併祀した時、一夜で涌き出た森:4町8反余.約4.8万平方メートルの森が出現:の神域近辺を昭和43年(1968)の保育園建設計画や平成元年(1989)の涌出宮遺跡の範囲確認に基づく発掘調査が其々実施されました。

(涌出宮は縄文時代前期の土器が出土した涌出宮遺跡地に社があり、古来の奈良街道と伊賀街道が交差する地点でもあり、現在も境内に伊賀街道の道標が残っています。)

涌出宮遺跡の昭和43年の1次から平成元年の2次にわたる発掘調査による出土品等の遺物より、
涌出宮地域は縄文.弥生.古墳時代から、平安.鎌倉、江戸時代を経た現在まで連綿として人々の生活が営まれ、宮の祭りも繰り返された場所だと、推測できる遺物が発掘されました。

第1次(1968年)の調査地は参道の東側の水田地帯(現保育園の建設地域)
第2次(1989年)の発掘調査地区は社殿の建築に合わせてAからD区の4か所を発掘調査
(A区は現境内の東方外側、BからD区は涌出宮の境内地域)
 A区:湧出宮境内の東方の水田、B区:拝殿の西南.四脚門の西北側の現手水社付近。
 C区:A区とB区の中間.戦没者慰霊碑の前面地、D区:拝殿の東側.現社殿(神楽殿.社務所)の建設地域。 

当遺跡の第1次発掘調査の出土遺物:縄文時代前期の土器が出土、弥生時代の畿内土器様式の第U様式から第W様式の土器、石器類は石匕.石鏃.叩石から磨製石剣.石鏃.石包丁等、更に鉄剣形石剣も出土しました。土器は弥生中期の水稲農耕の定着に伴い生産力.経済力が増強し、地域間交流の発達などがあり、第V様式の土器が特に多種.大量に出土しました。

土器の組成も壺.甕.鉢の単純な組み合わせから各種の用途別に壺.甕.鉢.高杯等々が複雑化した組み合わせや形も色々に変化して社会的ニーズ(穀物の貯蔵.煮炊き.祭祀用等々)や人々の嗜好に合わせて発展した土器の文様(櫛書き直線文.波状文.簾状文等々)が出土しました。

当遺跡は縄文時代前期から継続的に営まれた集落跡であり弥生時代中期には特に発展したと思われました。また、弥生末の第X様式の土器や古墳時代の遺物も少し出土しております。その後、遺跡地の範囲を確認するため、さらに調査地を広げ、第2次の発掘調査を行ったのです。

第2次発掘調査地:(A区):境内外の東方の水田: 東西に2m幅のトレンチ、弥生時代の磨製石剣が出土、杭穴38ヶ検出、竪穴式住居の柱穴に弥生土器片混入等々

(B区):楼門脇西側:東西4mx南北6mのトレンチ、遺物包含層の上部から中.近世と弥生時代に分層、弥生土器(壺.甕.鉢.高杯.器台.ミニチュア壺)、弥生時代の集落跡など
(C区):戦没者慰霊碑前:東西4mx南北6mのトレンチ、表土は近.現代の瓦礫が多量、表土下は弥生時代から古墳時代の遺物包含層、C区の遺構は近世の壺埋設遺構と弥生の土壙。

(D区):拝殿の東側、社務所などの建設地:東西約10mx南北約20mの範囲の調査区:遺構は弥生時代から近世までが混在、弥生時代の竪穴式住居跡3基と多数の土壙、B区の南北遺構の東側にも同様の南北遺構が出現し、弥生の住居群の存在が確認できたのです。又南北に走る土塀跡もあり、現神社が平安時代末にその輪郭が出来ていた事が分かる貴重な遺構の発掘でした。さらに、平安時代末(12世紀)から近世までの多数の土器溜り群から当神社の祭祀に関連する土器が多数出土したのです。

当遺跡の第2次発掘調査で出土した遺物はコンテナバケットに換算すると約100箱分になり、
その内の約30箱は弥生土器です。残りは平安時代から中.近世にわたる土器や瓦類などでした。

平安時代から中.近世の土器類には涌出宮の祭祀関連を示唆する貴重な遺物があり、出土した多
数の瓦類から涌出宮に付属していた神宮寺の軒丸瓦や平瓦などの瓦類も出土しました。

涌出宮遺跡は出土した土器や石器が各時代にまたがり人々の営みの変化.発展の様子を示す遺
物を出土するまさに複合遺跡です。土器も文様から時代が分かり、甕形土器も近江系土器、「大和
形」甕、瀬戸内系甕など文化の交流や物流など、また品種も多様化し、高杯やミニチュア壺(祭
祀用)などから祭祀との関連も分かります。

出土品より和伎神社(涌出宮)は延喜式に記載された平安時代中期に創建された神社と推測可能
です。(現神社の区画が平安時代末頃(鎌倉初頭以前)には確立していました。)
涌出宮の祭祀に使用した土器を一括投棄したと思われる土器留り群から宮座行事(居籠祭)との
関連を想像する楽しみも増します。(当神社の宮座行事などは次回につづきます)

参考資料:山城町史 本文編  山城町。 木津町史  本文篇  木津町
     日本古典文学全集1 古事記  同全集2 日本書紀@ 小学館 
     山城町内遺跡発掘調査概報 涌出宮遺跡第2次調査 山城町教育委員会

2017年05月27日

◆天才詐欺師の郭文貴

宮崎 正弘



<平成29年(2017)5月26日(金曜日)弐 通算第5306号>   

〜天才詐欺師の郭文貴、アブダビ王室とベンチャー・キャピタル?
自家用ジェット機にブレア英首相(当時)を乗せてアブダビへ乗り込んだ〜


北京が[WANTTED]として国際手配している天才的詐欺師、郭文貴
は中国から忽然といなくなったが、その後も欧米メディアに頻繁に登場
し、「共産党幹部等の秘密を握っているが、ばらしても良いぞ」とでも言
いたげに、爆弾発言を続けている。

そればかりか、最近はダライラマ法王とも面会したことがわかった。

郭文貴は江沢民、曽慶紅ら上海派人脈に深く食い込み、かれらの資産形
成、とくに外国への資産隠匿の走狗として世界を走り回った。

いま中国に拉致拘束されている肖建華の兄貴分とも言える。権力者の金庫
番である。

5月25日にサウスチャイナ・モ−ニングポストが伝えた。

郭文貴族は英国のブレア元首相を仲介に自家用飛行機でアブダビへ飛ん
で、モハメド・ビン・ザイード・アル・ナーヤン皇太子ら王室のメンバー
と会見し、共同のファンドを設立したという。アブダビ訪問の時期は不明。

郭文貴は中国の株式インサイダー取引に絡み、秘密口座などを駆使して、
太子党や共産党幹部のカネを運用していたため、秘密を握る人物とされた
が、馬健(当時公安部副部長)の失脚直前に海外へ逃亡した。

この逃亡は令計画の実弟、令完成の米国亡命と時期が重なったため、世界
のマスコミも騒いだ。

郭文貴は上海に設立した「海通国際証券」(Haiton 
Security)を通じて世界のプロジェクトに派手は投資を繰り返
し、とくに2014年には385億ドルを7つのプロジェクトに投下した。

資金繰りが苦しくなると、2015年にはUBSから7億7500万ドルを借りて
焦げ付かせ、UBSが訴追した。

スイス銀行の大手UBSも、彼の手口に引っかかった。

ブレア元首相は「郭文貴とは10年来の友人である」と語ったこともあるの
だが、今回の報道には一切口をつぐんでいる。
       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ◆樋泉克夫のコラム 

【知道中国 1576回】        
――「正邪の標準なくして、利害の打算あり」――(徳富15)
   徳富猪一郎『七十八日遊記』(民友社 明治39年)

                ▽

これまで秦檜の石像への放尿は、岳飛を讃え、秦檜を怨み蔑みを募らせ
る、いわば復仇への執念の発露だと迂闊にも思いこんできた。宋朝が危機
に陥ったのは千年余も昔だ。そんな遠い過去の話をいつまでも引きずって
いるとは、なんとも執念深い民族だと半ば呆れ果てていたものだ。

だが、放尿すれば養蚕の出来がいいとの徳富の説に接するに及んで、ここ
は考えを“劇的”に転換する必要がありそうだ。底なしに功利的な行為であ
ることか。

はたして養蚕の出来がよくなるとのデマを撒き散らして無智な農民を騙
し、秦檜を侮辱し、漢奸(民族を売り渡した犯罪者)の罪の重さを未来永
劫に民族の歴史に刻み付けようとしたのか。それとも偶々秦檜の石像に放
尿したら、その年の養蚕のデキが佳かったから、バカの一つ覚え然と、そ
れ以後も季節になれば放尿を続けてきたのか。どちらにしたとろでマトモ
ではない。

バカバカしい話だが、そんなバカバカしく不謹慎な放尿をバカバカしくも
続けているバカバカしさが、じつにバカバカしい限りだ。

 孔子の「巧言令色、鮮なし仁」に倣うなら、「放尿大量、豊なる哉、
収穫」ということになりそうだが、放尿の狙いが養蚕の豊作にあると考え
た方が、よりリアルにも思える。それにしても人前で放尿とは不衛生で風
紀紊乱の極み。子供の放尿でも問題だが、大人ならなお問題だろうに。

(13)【降參者の辛抱】=古来、「支那人か、征服せられたる經驗に致さ
れて」、常に「被征服者」やら「弱者」の立場から振る舞う。

いわば「降参者の心得にして、唯た無理非道の目に遭ふても、其の辛抱す
る心得を示」す。陶淵明にしても、その文学を「詮し來れは、此れの消極
的作用」に基づいているわけだ。
 
度重なる引用になるが、林語堂の『中国=文化と思想』(講談社学術文庫
 1999年)は、「成功したときは中国人はすべて儒家になり、失敗したと
きはすべて道家になる。儒家は我々の中にあって建設し、努力する。道家
は傍観し、微笑しているのである。

中国の文人は朝にあれば道を説き、徳を論ずるが、いったん野に下ると詩
を賦し、詞を作る。その詩は道家思想に溢れたものばかりである。これ
が、中国の文人のほとんど全部が詩を作る理由であり、彼らの著作の中、
詩歌がその大部分を占めている理由である」「道家の思想はモルヒネのよ
うな麻痺作用があり、人の心を鎮めてくれる。

それが中国人の頭痛や心痛を軽減しているのである」「道家のロマン主
義、道家の詩、道家の自然崇拝は、(中略)乱世の時代に中国人の苦しみ
や憂いを解き放っている」などと、道家思想が中国人の本性に根差してい
るものであると説く。

一方、大正期に京都帝国大学で「支那学」を修めた粋人学者の青木正児
は、『江南春』(平凡社 昭和47年)で「上古北から南へ発展してきた漢
族が、自衛のため自然の威力に対抗して持続して来た努力、即ち生の執着
は現実的実効的の儒教思想となり、その抗すべからざるを知って服従した
生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となったのであろう。彼らの慾ぼけた
かけ引き、ゆすり、それらはすべて『儒』禍である。諦めの良い恬淡さは
『道』福である」と綴る。

有史以来の度重なる王朝交代、異民族支配を受けた経験から、徳富は中国
人の行動原理は「被征服者」「弱者」の立場から導かれる、と説く。

一方、林語堂の見解に従えば、中国人は「失敗したときはすべて道家に
な」り、自らをも「傍観し、微笑している」。

さらに青木は、「『儒』禍」と「『道』福」の間で揺れ動く中国人だが、
とどのつまり「生の諦めは、虚無恬淡の老荘的思想となった」とする。

徳富、林、それに青木・・・判り易く言えば、泣き寝入りの恨み言とい
うことか。《QED》
     

◆『日本の経営』を読み解く

伊勢 雅臣



〜『世界が称賛する、日本の経営』を読み解く〜
■■■ JOG Wing ■■■ 国際派日本人の情報ファイル ■■■

『国際インテリジェンス機密ファイル』

(伊勢雅臣) 私が常々、参考にさせていただいているメルマガ書評紙
「国際インテリジェンス機密ファイル」で、拙著が紹介されましたので、
転載させていただきます。

読者に興味深いポイントを厳選して抜き出して拙著の言わんとしている所
を示していただきました。

伊勢雅臣『世界が称賛する 日本の経営』、育鵬社、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594076858/japanontheg01-22/
アマゾン「日本論」カテゴリー 1位(3/6-10)

AMAZONカスタマーレビュー 29件/5つ星のうち4.9
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※要旨


・筆者は欧州で4年、アメリカで3年、
日本企業の現地法人社長として企業経営を経験している。


・逆に欧米で仕事をしていると、
欧米企業のほうが、かつての日本的経営の良いところを学んで、
元気を回復しつつある、と感じる。


・近年の多くの日本企業は、
アメリカからやってきた株主資本主義的経営こそ
最新の経営だと思い込み、
かつての三方良しを追求する日本的経営など時代遅れのものとして、
捨て去ってしまったのではないか。


・しかし、人間が成長する存在であることを考えてみれば、
日本的経営の方が経済的パフォーマンスも良く、
人々や社会を幸福にするパワーもはるかに優れていることは、
自明ではないか。


・たとえば、人間はじっくり育てて、創造力、意欲、
チームワーク力を伸ばせば、数倍、数十倍の働きができる。
それを派遣社員・アルバイト化して、人件費を下げて、
仕事量が減ればすぐ人員整理するというアプローチでは、
まさに宝の持ち腐れである。


・「人の能力差は、あると言ってもせいぜい5倍。
しかし意識の差は100倍もある。
能力は磨いて上げるのは難しいが、
意識は磨けば磨くほど上げられる。
だから、企業を強くしたかったら、社員の意識を磨け」
(川勝宣昭『日本電産・永守重信社長からのファックス42枚』)


・永守流経営の基本は「6S」である。
これは整理・整頓・清潔・清掃・作法・躾の6つの「S」を意味する。
この観点から各事業所を100点満点で評価するのだが、
これが60点を超えれば事業は必ず黒字になる。


・当たり前のことを徹底する。


・トイレ清掃などから芽生えた「ものを大切に使おう」という意識が、
こういう問題に向けられ、設備や部品を少しでも安く買い、また設備や作
業者や事務員の時間を大切に使おうという、当たり前のことが徹底して行
われるようになる。


・知的障がい者が社員の7割を占める、

チョーク製造の日本理化学工業の会長、大山泰弘さんは
わからないことがあった。

彼らは会社で働くより施設でのんびりしている方が楽なのに、なぜ彼らは
こんなに一生懸命働きたがるのだろうか、ということだった。

・これに答えてくれたのが、ある禅寺のお坊さんだった。
曰く、

幸福とは「人の役に立ち、人に必要とされること」この幸せとは、施設で
は決して得られず、 働くことによってのみ得られるものだと。

大山さんは目から鱗が落ちる思いがした。


・ソニーは今まで他人のやらないことをやってきた。未解決のものがあ
れば、ソニーで解決してやればいい。日本初、世界初のものをつくってこ
そ、人より一歩先に進むことができるのだ。(井深大)


・1973年、本田技研の社長本田宗一郎が中国出張中に「本田社長、藤澤副
社長引退」との 予期しないニュースが流れた。

本田が帰国すると 迎えに出た西田専務は藤澤武夫副社長の辞意を伝えた。

・本田はすぐに藤澤の思いを理解し、副社長の藤澤がやめるというのな
ら、自分も一緒に辞める、と西田に言った。

マスコミは「さわやかなバトンタッチ」と賛辞を送った。

・退任が決まった後のある会合で、本田は藤澤に言った。

「まあまあだな」

「そう、まあまあさ」と藤澤。

「幸せだったな」

「本当に幸せでした。心からお礼を言います」

「おれも礼を言うよ。良い人生だったな」

(本田宗一郎『夢を力に』)


・事業が成功するか失敗するかは、 一にも人物、二にも人物、その首脳
となる人物如何によって決まる。(安田善次郎)


・「陰徳を積め」とは、安田善次郎が子供のときから、父親から叩き込
まれた精神であった。人に知られることがなくても世のため人のためにな
ることを黙々と実践しなさい、 というのである。


・自分の利益ばかり考えていると利益は逃げていってしまうが、
陰徳を積んでいると、勝手に利益が向こうからやってくるという
商売の秘訣を、善次郎はすでに25歳で身につけていた。


・道徳が経済を発展させる。


・日本的経営で追求すべき徳が、
「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」なのである。
※コメント
日本が長い歴史と伝統をもって作り上げた仕事手法、経営手法の凄さを
知った。
これは伝統芸といってもよい。
たった一代でマニュアルを読んで習得できるものではなく、 先祖代々、
先人たち、大物たちの苦労して導き出された経営力だ。これを今一度、思
い返し、日本の政治経済、社会に活用したい。


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◆お邪魔虫共産党

渡部 亮次郎



中国では幹部でも汚職がばれれば死刑になる。それでも幹部の汚職が引き
もきらない。いくら共産主義に共鳴しても、私欲とは人間の本能に等しい
ものだからである。

こうした目で中国を見ていれば、共産党が政権を掌握している限り人権尊
重や政治の民主化なぞは絶対実現しないと思うのが普通だが、経済の改革
開放が進むのに比例して民主化が進むはずだと考える人々がいる。特にア
メリカの人たちに多い。

中国が何故、共産革命に成功したか。それは国家権力を手中にしようとし
た毛沢東の策謀が成功したからである。国家の形態は何でも良かったが、
とりあえず貧民が国民の大多数だったので、「金持ちの財産を分捕り、皆
で平等に分配しよう」と言う呼びかけに合致したのが共産主義だった。

共産主義政府の樹立が毛沢東の望みではなかった。真意は権力の奪取だっ
た。日中戦争の終結で、日本軍の放棄して行った近代兵器を手中にして蒋
介石と国内戦争を続けた結果、蒋介石は台湾に逃亡した。毛沢東は昭和
24(1949)年10月1日、中華人民共和国建国を宣言した。

人民も共和も中国語には無い。日本語だ。畏友加瀬英明氏の説明だと、中
国語には人民とか共和と言う概念が無いのだそうだ。北朝鮮はそれに民主
主義が加わって嘘が深化している。

権力は掌握したが、人民への約束を果たす手段が無い。とりあえず人民公
社と大躍進政策が当時のソ連をモデルに実施されたが、農民は生産意欲の
低下とサボタージュで抵抗。

結果として食糧不足に陥って各地で飢饉が発生。餓死者は1500万人から
4000万人と推定されている(「岩波現代中国事典」P696)。

毛沢東の死(1976年)後2年、失脚から3度目の復活を遂げていたトウ小平が
経済の開放改革を断行。開放とは日本など外国資本の流入を認め、改革と
は資本主義制度への転換を意味した。

4つの近代化を掲げたのだ。工業、農業、国防、科学技術の近代化であ
る。今のところ実現に近付いているのは軍事の近代化である。

トウ小平は政治の近代化だけは断乎として拒否した。肥大化した経済が政
治(共産政府)を圧倒する危険を回避したのである。だから第2天安門事件
には反革命の匂いを嗅ぎ、断乎、弾圧した。

しかし発展する資本主義にとって共産党政府による様々な統制は邪魔以外
の何物でも無い。工場用地の確保一つとってみても、土地すべての国有は
障害でしかないが、自由にならない以上、共産党幹部を「買収」する以外
に方法が無い。

したがって多発する共産党幹部による汚職事件はいわば構造的なことで
あって、客観的にみれば「事件」ではなく「日常茶飯事」に過ぎない。

しかも冒頭に述べたように「私欲」は本能のようなものだ。所有を否定す
るのが共産主義の思想でも「本能」には勝てっこない。つまり共産主義体
制化で経済だけを改革開放すれば汚職簸自動的に起きるし、共産党幹部に
すれば、現状を変更するメリットは全く無いわけだ。

汚職は時たましか発覚しない。摘発で死刑になるのは不運な奴で政府の知
るところではないのだ。かくて中華人民共和国政府は汚職にデンと腰を下
ろした政権。民主化を抑え、人権無視の批判など絶対耳に留めない。耳が
左右に付いているのは右から聞いたら左から逃す為にあるのだ。
2010・12・5(再掲)

◆経済政策の具体論見えない共産党

櫻井よしこ



経済政策の具体論見えない共産党 共闘の民進党ともに描けぬ明るい展望 」
連休中に読んだ『共産主義の誤謬』(福冨健一著、中央公論新社)がため
になった。民進党が日本共産党と選挙協力を深めようとするいま、共産党
が一体どんな政策を実現しようとしているのか、知っていればきっと役に
立つ。
 
皇室については「一人の個人が世襲で『国民統合』の象徴となるという現
制度は民主主義および人間の平等の原則と両立するものではない」とし
て、否定する。
 
自衛隊については「憲法9条の完全実施(自衛隊の解消)に向かっての前
進をはかる」としている。
 
ちなみに( )内の自衛隊の解消という注釈は私がつけたのではなく、共
産党綱領に書いてあるものだ。
 
引用した皇室、自衛隊に関する記述は2004年綱領に明記された内容そのま
まだ。同綱領は現在も維持されていることから、皇室も自衛隊もいずれ廃
止する政党が共産党である。
 
では次に共産党の経済政策はどうか。福冨氏は04年綱領には経済成長のた
めのマクロ経済政策が欠落していると指摘する。経済の大枠を示すことな
く、個々の政策だけを示しても余り意味はない。ロシア経済が破綻しそう
なのも、中国経済が矛盾と問題だらけなのも明らかな中、共産党は綱領に
「旧ソ連の誤りは、絶対に再現させてはならない」と明記するが、共産党
の経済政策とは具体的には何か。
 
その前に彼らがどんな国の形を目指しているのかも知っておきたい。共産
党綱領は、日本の課題は、「資本主義を乗り越え、社会主義・共産主義の
社会への前進をはかる社会主義的変革」を行うことだとしている。
 
社会主義的変革とは、「主要な生産手段の所有・管理・運営を社会の手
に移す生産手段の社会化」だそうで、「社会主義的改革」を推進するに
は、「計画性と市場経済とを結合させた弾力的で効率的な経済運営」が重
要だと結論づけている。
 
こうした文言を読んでも、しかし、具体的な経済政策のイメージは湧いて
こない。福冨氏は「中国で行っているような改革・解放の経済運営なの
か、判然としない」と論評するが、そのとおりだ。氏は、コミンテルン
(共産主義インターナショナル)の日本支部として日本共産党が設立され
た1922年の綱領から04年の綱領まで、全部で7つの綱領(時にテーゼ、或
いは文書、などと表現される)を読んだうえで、共産党が全ての綱領で
「経済の統制を掲げている」ことを指摘する。
 
その一方で、共産党綱領には統制経済の全面的な否定や、私有財産の保障
なども明記されていて、分かりにくい。
 
04年綱領には「主要な生産手段の社会化」が、94年綱領には「大企業の生
産手段の社会化」が謳われているが、具体的にどういうことか。福冨氏
は、共産党幹部会委員長の志位和夫氏が「共産党の統一戦線の対象者」か
ら外す人として「資本金十億円以上の(企業の)役員」と語っているのを
参考に、次のように警告する。

「綱領に具体的記述はないが、仮に資本金十億円以上の企業の国有化を行
えば、株価の暴落、金利の高騰、グローバル企業の撤退、企業の国際競争
力の破綻など、日本経済は壊滅的打撃を受ける危険性がある」
 
共産党は国民に手厚い福祉を保障し、国民が主役の国を目指すと標榜す
る。こうした政策の実現にはしっかりした経済基盤が必要だ。しかし、健
全で成長する経済をどのように実現するのかという点になると、さっぱ
り、展望が見えてこないのが、共産党の問題だ。
 
世界の先進国の中で、共産主義勢力が伸びているのは日本だけだが、理
由として、そのイデオロギーに加えて共産主義経済ではうまくいかないか
らではないか。とまれ、民進党は共産党と共闘するという。私は両党の未
来に全く明るい展望を抱けないでいる。

『週刊ダイヤモンド』 2017年5月20日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1182

◆「古寺旧跡巡礼」 当麻寺 B

石田 岳彦



さて講堂へと移動します。講堂も瓦葺で、寄棟、平入りですが、本堂に比べると一回りほど小さく感じます。講堂の中には、ずらっと2列で阿弥陀如来×2、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、多聞天・・・・。
  
このラインナップを見て、だから何だと思った人はお寺巡りの初心者です。このラインナップを見て、その組み合わせの必然性の無さに疑問を感じた人は中級者です。このラインナップを見て、なるほどと思った人は上級者です。多分。

お寺の方の説明にもありましたが、明治初期の廃仏毀釈で多数のお寺が廃寺になった際、つぶれた寺院の仏像が生き残った寺のお堂にまとめて押し込まれるというケースがしばしばあり(近畿地方の古寺を回っていると、誇張抜きに、しばしば出くわします)、この講堂のやたらと脈絡のない顔触れも、要するにその名残というか、傷痕ということになります。

講堂の南隣には金堂があります。こちらは入母屋屋根(文章での説明はややこしいので、ググってください)です。正面入り口は南側ですが、何故か拝観者には北側の裏口が開放されていて、そこから入って、正面に回り込む形になっています。

金堂の中には、国宝の弥勒仏像と重要文化財の四天王像がまつられていますが、本尊の弥勒仏坐像は頭でっかちで、造形的にはあまり美的感覚を刺激されません。

しかし、この仏様こそが当麻寺の本来のご本尊で、7世紀後半の白鳳時代の作だそうです。ここで「弥勒仏」とは、弥勒菩薩が遠い未来において悟りをひらき、如来になった後の姿を指します。

実は、「弥勒仏」の像は、他に興福寺の北円堂や東大寺などにあるくらいで、作例が少なく、結構、レアものだったりします。

他方、周囲を囲む四天王立像は、説明書によると、現存するものの中では法隆寺金堂のものに次ぐ古い四天王像だそうですが、4人全員が見事なまでのアゴヒゲを生やしていて、やたらと男臭い像になっています。

 私はこれまで様々な四天王像を見てきましたが、ここまで「濃い」アゴヒゲを生やした四天王像というか仏像はこれ以外に見たことがありません。

一見の価値ありです。ただし、やたらとインパクトがあるので、一度見てしまったら、忘れたくても忘れさせてくれないかも知れません。

上でも述べたように2基の三重塔はそれぞれ1段高い斜面上にあります。塔の一層目には仏像が祀られているそうですが、基本的に開扉はなされていません。

もっとも、来年(2010年)は平城京遷都1300年祭関係のイベントとして、特別に東西の塔の開扉が行われるという話です。今から楽しみです。

 本を見ると、古代に建てられた東塔と西塔が揃って現存するのは当麻寺が唯一とありますが、両塔は同時に建てられたものではなく、東塔が奈良時代末、西塔が平安時代初めだそうで、屋根の組み物や、窓の有無など、デザイン的にもかなり違ったものになっています。

他に中之房、奥の院といった塔頭も公開されています。真面目に見て回ると半日がかりです。

当麻寺から少し歩いたところには中将姫の墓とされる石造の十三重塔があります。ちなみにこの塔は鎌倉時代の作らしいですが(中将姫は上記のように奈良時代の方です)、無粋なことはいいっこなしです。(終)
<弁護士>