2017年06月30日

◆沖縄の言論空間に八重山日報の新風

櫻井よしこ



長年、沖縄の言論空間は、地元の2紙、「琉球新報」と「沖縄タイムス」
によって歪められてきた。私は度々、両紙の目に余る偏向報道を批判して
きたが、その異様な状態に風穴を開けるべく、今年4月1日、「八重山日
報」が沖縄本島の新聞市場に参入した。

同紙は石垣島を中心とする八重山諸島で発行されてきた。現在、「産経新
聞」の記事を大幅に取り入れて2大紙とは対照的な8頁立ての小振りな新聞
として発行中だ。八重山日報が沖縄本島で定着すれば、沖縄の言論空間が
よりまともになることも期待できる。そこで目下の目標は、今年中に沖縄
本島で5000部の契約を獲得することだそうだ。5月末までの2か月で購読は
約2000部を超え、県民の受けはよいという。

「那覇で八重山日報を読めて本当に嬉しい、こんな新聞を待っていた、こ
れで元気になれると言って下さる人が後を絶ちません」と、八重山日報社
長の宮良薫氏が語る。

活発な言論活動を展開中の我那覇真子さんも、なぜ沖縄県民が「八重山日
報」を歓迎するのかを語った。

彼女は、6月14日にスイス・ジュネーブの国連人権理事会で、「沖縄の人
権と表現の自由が、外からやって来た基地反対活動家や共産革命主義者、
さらには偏向したメディアによって脅かされています」と報告した。シン
ポジウムでは「(国連などで、日本政府に弾圧されていると訴え)被害者
のふりをしている人たちが、本当は加害者です」と、反基地派への批判も
した。
 
信用すべき沖縄のメディアは2大紙か八重山日報か、それを知るには国連
人権理事会で日本政府を批判した特別報告者、デビッド・ケイ氏の演説を
各紙がどう報じたかを見るべきだと、我那覇さんは強調した。

「約15分の演説でケイ氏が沖縄に触れたのは4秒間。激しい論争になって
いる場所でのデモ活動が、『たとえば沖縄のように、制限されているよう
に思う』という部分です。この演説を正確に伝えたのは八重山日報だけで
した。琉球新報も沖縄タイムスも、国連のイメージを利用して自分たちの
主張である日本政府非難を強調したにすぎません」

記者クラブ制度を批判

ケイ氏は沖縄ではデモ活動が制限されていると報告したが、沖縄では事あ
るごとに大規模なデモが行われてきた。那覇の米軍基地正門前では常に反
米軍基地派がデモをし、辺野古では暴力沙汰も珍しくない。沖縄ではデモ
は禁止などという批判が当たらないのは明らかだ。

そこで我那覇さんは演説後、ケイ氏に沖縄に行ったことはあるかと問うた。

「一度もないと、ケイ氏は答えました。それなのになぜ『たとえば沖縄の
ように』などと、恰(あたか)も沖縄を見てきたように言うのか。そこでま
た尋ねました。これから行く予定はあるか、と。今後も行く予定はない
と、彼は答えました」

このようなことも含めて、全体像を詳しく報道したのは八重山日報だけ
だった。対照的に2大紙は、ケイ氏が「16分の演説の中で沖縄にも触れ」
たと報じたが、それがわずか4秒だったことや、氏が一度も沖縄を訪れて
いないことなどは、全く報じていない。ついでに言えば、2大紙は我那覇
さんの演説もシンポジウムでの発言も報じていない。彼らが詳報したの
は、ケイ氏の日本政府批判である。

そうした中、噴飯物だったのは、沖縄タイムスによるケイ氏への取材記事
だ。その中でケイ氏が次のように記者クラブ制度を批判している。

「政府が気に入ったメディアに情報を提供し、独立メディアを排除すると
いう問題点がある」

日本の記者クラブ制度はメディアが創ったものだ。現在は外国人記者にも
雑誌記者にも開放されているが、かつてはメディア側が、記者クラブに加
入できるメディア、できないメディアを選んでおり、極めて排他的だっ
た。主役は大新聞やテレビ局であり、外国人記者も雑誌もお呼びではな
かった。

従って、記者クラブ批判はメディアに向けるべきで、政府にではない。お
門違いの日本政府批判は、ケイ氏が日本の記者クラブ制度の歴史や構図を
理解していないからであろう。

それを沖縄タイムスがそのまま報じたのは無知ゆえではないだろう。彼ら
もメディアの一員であるからには、記者クラブについて知らないはずがな
いからだ。であれば、ケイ氏の発言が日本政府批判であったために見逃し
たのだろうか。

同紙の6月14日の社説にも驚いた。日本政府がケイ氏に反論したことに関
して、「1930年代のリットン調査団への抗議を彷彿させる」と書いている。

2大紙の圧力

満州事変に関連して、国際連盟は米英仏独伊の55国からなるリットン調
査団を派遣、彼らは約8か月かけて、日本と中国でおよそすべての関係者
と面談して報告書をまとめた。日本批判の内容だと思われがちだが、実は
満州国に関して日本の立場を驚くほど認めている。

沖縄に行ったことのないケイ氏が沖縄について4秒間語った報告を権威づ
け、利用したいために、社説子はケイ報告をリットン報告書と並べたの
か。教養不足か偏見か。いずれにしても、この種の比較をする論説は全く
信用できない。

我那覇さんは問うているのだ。全体像を伝えようとする八重山日報と、自
分たちの主張したいことだけを強調する沖縄タイムスの、どちらが公平・
公正かと。

より公正なのは明らかに八重山日報だ。だが同紙は、その後伸び悩んでい
る。配達要員不足、販売店不足、沖縄紙に欠かせない「お悔やみ情報」の
欠落などに加えて、2大紙の圧力があると思われる。宮良氏が語った。

「販売店に『八重山日報を配達することを禁じます』という通達書が配ら
れたのです。これをやられたら、我々は本当にきつい。ただ明らかに独禁
法違反ですから、公正取引委員会が、通達書を出した沖縄タイムスに調査
に入りました。沖縄タイムスは慌てて通達書を回収しました」

国際社会に向かって、日本政府が沖縄に圧力をかけ続けていると訴えてき
た沖縄タイムスが、足下では弱小新聞社に違法に圧力をかけている。欺瞞
そのものではないか。

新聞社の貴重な収入源のひとつ、折り込み広告がどこかで止められている
疑いについても宮良氏が語る。

「我々の営業力不足かもしれませんが、4月1日から今日まで、折り込み広
告が1件もないのです」

沖縄における熾烈なメディア戦争の行方は、日本の国家としての在り方に
も深刻な影響を及ぼす。事実を基に全体像を伝えるメディアこそ必要な
今、偏向報道をやめず、公正な競争原理をも踏みにじる沖縄タイムスに断
固、抗議するものだ。

『週刊新潮』2017年6月29日号  日本ルネッサンス 第759回 

◆これほどの大物が居た

渡部 亮次郎



名古屋市には、その中心に、100m道路がある。道幅100mの道路が東西南北
に走っている。もちろんその100mの道幅そのものが、自動車の走行の為の
道幅ではない。道幅100mの間には、公園もあれば、テレビ塔もある。

名古屋も戦後直後は、空襲でこの辺りも焼野原となった。戦後の混乱の時
期に、市の幹部は、まず道路を設定した。その時に、未来に備えての道幅
100mの道路を設定したのである。

さて、なぜ道幅100mの道路を名古屋の中心に東西南北に走らせたか?である。

戦後の焼野原を見ながら、どんな火災が起きても、延焼を食い止め、名古
屋全域が焦土と化さないように名古屋の中心のタテヨコに幅100mの空間
(道路)を作ったのである。

一方、将来来るはずの自動車社会を見越して東京中心部の設計をしたのが
岩手県人後藤新平(ごとう しんぺい)綽名大風呂敷である。関東大震災
後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の都市復興計画を立案した。

特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と、環状道路の
双方の必要性を強く主張し、計画縮小をされながらも実際に建設した。

当初の案では、その幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・
歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので、自動車が普及する以前の当時の
時代では受け入れられなかったのも無理はない。

現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など皇居外苑付
近に見ることができる。上野と新橋を結ぶ昭和通りもそうである。日比谷
公園は計画は現在の何倍もあったそうだ。

また、文京区内の植物園前 、播磨坂桜並木、小石川5丁目間の広い並木道
もこの計画の名残りであり、先行して供用された部分が孤立したまま現在
に至っている。現在の東京の幹線道路網の大きな部分は後藤に負っている
といって良い。

関東大震災。1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ
沿いの断層を震源とするマグニチュード7・9による大災害。南関東で震度
6 被害は死者99,000人、行方不明43,000人、負傷者10万人を超え、被害
世帯も69万に及び、京浜地帯は壊滅的打撃を受けた。(以下略)「この項の
み広辞苑」

新平は関東大震災の直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝
都復興院総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な区画整理と
公園・幹線道路の整備を伴うもので、30億円という当時としては巨額の予
算(国家予算の約2年分)。

ために財界などからの猛反対に遭い、当初計画を縮小せざるを得なくなっ
た。議会に承認された予算は、3億4000万円。それでも現在の東京の都市
骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評
価されている。11%!に削られながら。

三島通陽の「スカウト十話」によれば、後藤が脳溢血で倒れる日に三島に
残した言葉は、「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ
者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」であったという。

後藤新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4
年(1929年)4月13日)は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家。
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東
京市(現・東京都)第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京
放送局(のちのNHK)初代総裁。拓殖大学第3代学長。

陸奥国胆沢郡塩釜村(現・岩手県奥州市水沢区吉小路)出身。後藤実崇の
長男。江戸時代後期の蘭学者・高野長英は後藤の親族に当たり、甥(義理)
に政治家の椎名悦三郎、娘婿に政治家の鶴見祐輔、孫に社会学者の鶴見和
子、哲学者の鶴見俊輔をもつ。椎名さんは新平の姉の婚家先に養子に入った。

母方の大伯父である高野長英の影響もあって医者を志すようになり、17歳
で須賀川医学校に入学。同校を卒業後、安場が愛知県令をつとめていた愛
知県の愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)で医者となる。

ここで彼はめざましく昇進し、24歳で学校長兼病院長となり、病院に関わ
る事務に当たっている。この間、岐阜で遊説中に暴漢に刺され負傷した板
垣退助を治療している。後藤の診察を受けた後、板垣は「彼を政治家にで
きないのが残念だ」と口にしたという。

1882年(明治15)2月、愛知県医学校での実績を認められて内務省衛生局
に入り、医者としてよりも、病院・衛生に関する行政に従事することと
なった。

1890年(明治23)、ドイツに留学。西洋文明の優れた一面を強く認識する
一方で、同時に強いコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、
留学中の研究の成果を認められて医学博士号を与えられ、1892年(明治
25)12月には長与専斎の推薦で内務省衛生局長に就任した。

1893年(明治26)、相馬事件に巻き込まれて5ヶ月間にわたって収監さ
れ、最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する
破目となった。

1883年(明治16年)に起こった相馬事件は 突発性躁暴狂(妄想型統合失
調症と考えられる)にかかり 自宅に監禁されさらに加藤癲狂院(てん
きょういん)や東京府癲狂院に 入院していた奥州旧中村藩主 相馬誠胤
(そうまともたね)のことについて

忠臣の錦織剛清(にしごおりたけきよ)が 「うちの殿様は精神病者では
ない。
悪者たちにはかられて病院に監禁された。」 と、告訴したことに始まった。
結局この騒ぎは1895年(明治28年)に 錦織が有罪となって終結すること
になった。


1898年(明治31)3月、台湾総督となった兒玉源太郎の抜擢により、台湾
総督府民政長官となる。そこで彼は、徹底した調査事業を行って現地の状
況を知悉した上で、経済改革とインフラ建設を進めた。こういった手法
を、後藤は自ら「生物学の原則」に則ったものであると説明している。

それは、社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生
したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって、現地
を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというもので
あった。

また当時、中国本土同様に台湾でもアヘンの吸引が庶民の間で常習となっ
ており、大きな社会問題となっていた。これに対し後藤は、アヘンの性急
に禁止する方法はとらなかった。

まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許
制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功
し、アヘン患者は徐々に減少した。

総督府によると、1900年(明治33年)には16万9千人であったアヘン中毒
者は、1917年(大正6)には6万2千人となり、1928年(昭和3)には2万6千
人となった。

なお、台湾は1945年(昭和20)にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。
これにより後藤の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成
功したのである(阿片漸禁策)。

こうして彼は台湾の植民地支配体制の確立を遂行した。台湾においては、
その慰撫政策から後藤は台湾の発展に大きな貢献を果たした日本人とし
て、新渡戸稲造、八田與一等とともに高く評価する声が大きい。

1906年、後藤は南満洲鉄道初代総裁に就任し、大連を拠点に満洲経営に活
躍した。ここでも後藤は中村是公や岡松参太郎ら、台湾時代の人材を多く
起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、満鉄のインフ
ラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。

また、満洲でも「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄
内に調査部を発足させている。東京の都市計画を指導するのはこの後である。

その後、第13代第2次桂内閣の元で逓信大臣・初代内閣鉄道院総裁(1908
年7月14日-1911年8月30日)、第18代寺内内閣の元で内務大臣(1916年10
月9日-1918年4月23日)、外務大臣(1918年4月23日-1918年9月28日)。

しばし国政から離れて東京市長(1920年12月17日-1923年4月20日)、第22
代第2次山本内閣の元で再び内務大臣(1923年9月2日-1924年1月7日)など
を歴任した。

鉄道院総裁の時代には、職員人事の大幅な刷新を行った。これに対しては
内外から批判も強く「汽車がゴトゴト(後藤)してシンペイ(新平)でた
まらない」と揶揄された。しかし、今日のJR九州の肥薩線に、その名前を
取った「しんぺい」号が走っている。

1941年(昭和16)7月10日、本土(下関市彦島)と九州(当時、門司市小森江)
をむすぶ、念願の日本ではじめての海底トンネルが貫通した。この日貫通
したのは本坑道で、それより先39年4月19日には試掘坑が貫通している。

新聞はこの貫通を祝っているが、関門海峡の海底をほって海底トンネルを
つくる構想ははやくも1896年(明治29)ころからあり、当時夢物語のような
この話を実現化へ向けて進言したのは、鉄道院総裁の後藤新平だったとつ
たえている。[出典]『中外商業新報』1941年(昭和16)7月10日

晩年は政治の倫理化を唱え各地を遊説した。1929年、遊説で岡山に向かう
途中列車内で脳溢血で倒れ、京都の病院で4月13日死去。72歳。

虎ノ門事件(摂政宮裕仁親王狙撃事件)の責任を取らされ内務省を辞めた正
力松太郎が読売新聞の経営に乗り出したとき、上司(内務大臣)だった後
藤は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。

その後、事業は成功し、借金を返そうとしたが、もうすでに後藤は他界し
ていた。そこで、正力はその恩返しとして、新平の故郷である水沢町(当
時)に、新平から借りた金の2倍近い金を寄付した。この資金を使って、
1941年に日本初の公民館が建設された。今は
記念館になっているようだ。

後藤は日本のボーイスカウト活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日
本連盟の初代総長を勤めている。後藤はスカウト運動の普及のために自ら
10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。

彼がボーイスカウトの半ズボンの制服姿をした写真が現在も残っている。
制服姿の後藤が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕らの好き
な総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニ
コ」と歌声が上がったという。

後藤はシチズン時計の名付け親でもある(彼と親交のあった社長から新作
懐中時計の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」とCITIZENの名を
贈った)。再掲

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◆指導者としての資質を考える A

眞鍋 峰松



以前に私が読んだ本の中に、「決断」について、一方では、如何にもアメリカ人的な合理的な考え方と、他方、如何にも日本人的な思考方式を記述した文章があったので、ご紹介しておきたい。 

この二つの「決断」に関する記述の内容は、「政治家の任務は決断にある」という一点では同じようであり、また、「政治家の責任のあり様」という点では多少違っているようにも、私には思えるのだが。

その一つが、コリン・ルーサー・パウエル(Colin Luther Powell)の自伝。 ご承知の通り、コリン・ルーサー・パウエルはジャマイカからの移民の両親を持ち、共和党員であり、統合参謀本部議長(アメリカ陸軍大将)、ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領(息子の ブッシュ)の1期目政権の国務長官の経歴の持ち主。

その著書、マイ・アメリカン・ジャーニー「コリン・パウエル自伝」(鈴木主税訳 角川書店)の中の次の言葉である。

『いまでは意思決定の哲学を作り上げていた。簡単に言えば、できる限りの情報を掘り起こして、後は本能のおもむくままにまかせる。我々はみなある種の直感を備えている。そして、年をとるにつれて、次第にそれを信じ、それに頼るようになる。

私が決定を迫られた時、つまりある地位に誰かを選ぶとか、作戦の方針を選択するかしなければならない時、私はあらゆる知識をきれっぱしも残らずさらって集める。人に助けを求める。彼らに電話する。手当たり次第に何でも読む。つまり、私は知性を使って本能を教育するのだ。 

その後、本能を使って、このデータの全てをテストする。「さあ本能、これは聞いて正しく聞こえるか。嗅いで臭くないか。手ざわりはいいか。違和感はないか」。しかし、我々はいつまでも情報収集ばかりしているわけにはいかない。入手可能なすべての情報がまだ集まっていなくても、あるところで決定を下さなければならない。 

大事なことはあわてて決めないで、適切な時期に決断を下すことである。私には決定の公式、p=40〜70というものがある。pは成功の確率を、数字は得られた情報のパーセンテージを示す。 手持ちの情報だけでは正しいという見込みが40%以下しか得られないなら、私は行動しない。 

また、100%正しいと確信するだけの情報・事実が集まるまで待つことはしない。 なぜなら、その時には必ずと言っていいほど遅すぎるからである。 私は40から70%の範囲の情報が得られたと感じたとき、本能にしたがって動く』。
 
もう一つが、小室 直樹氏の「歴史に観る日本の行く末」の中の次の文章である。

『「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」これこそ、日本人のエトス(民族精神、気風、社会思潮)を一言であらわした表現であろう。その後の句は、「戦争に突入した」とも、「大不況を招来した」とも、いろんな表現が代入されうる。 

このエトスは、どこから出てきたのか。 日本人独特の現実認識からくる。「現実」とは何か。「“現実”というものは、作り出されてしまったこと、いま、さらにはっきりといえば、どこからか起こってきたものと考えられている」(丸山 真男)。このエトスこそ、政治的無責任体制を理解するための急所である。

政治家の任務は決断にある。官僚と根本的に違う点である。このことの重大さは何回繰り返しても、繰り返し過ぎることはない。政治家の任務は、現実を自分の判断によって作り変えることにある。ここに、政治家の責任が生じる。 

現実を、自分の決断によって作り変える時、より良くなるか、より悪くなるか、その結果は、事前には分からない。分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する。(繰り返して強調するが、ここが官僚と違う点なのである。) 

もし、現実を、「作り出されてしまったこと」「どこからか起こってしまったこと」と考える時、そこに、「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考える余地はない。 政治家の存在意義は無いのである』。

以上の二つの文章で明らかなことは、決断への道筋について、アメリカにおいては数理的、合理的規準の下に対処すべきものと観念されており、こと、パウエル氏に限らず、古くはベトナム戦争におけるマクナマル戦略(戦争=軍事に「費用対効果」の考えを持ち込んだ)においても同様である。

一方、日本においては小室直樹氏が指摘のとおり、「何となく、何物かに押されつつ、ずるずると国を挙げて」決断に追い込まれてきたということが、これまでの近代史、現代史の示すところではなかったか、と考える次第である。

私は、むしろ前者が政治判断の前提として官僚のなすべき責務であり、後者つまり「現実は政治家の決断によって作り変えることができる」と考え、「分からないことを決断するところから、政治家の責任が発生する」という複合的な考え方が正鵠を得ていると思うのだが、どうだろうか。 

官僚からの成功確率を聴取しての外交戦略だったのか。あまりにも粗雑な外交戦略であったと思わざるを得ない。(完)

2017年06月29日

◆「措置入院」精神病棟の日々(52)

“シーチン”修一 2.0



6/28も慌ただしく過ぎた。アクリルの透明波板による笠木の補強は23日に
続いて25日に長男坊がやってくれたが、小生の工作は「家にある物を再利
用して用が足りればOK」であり、見栄えは二の次だ。ところが長男坊は
「用が足り、なおかつ美しく」と二兎を追う。パーツがなければ買いに行
く。納得したいのだ。

補強というより「作品」を創っている感じで、「手伝おうか?」と声をか
けると「要らない」。邪魔をしないでくれと言わんばかりだ。

“春琴”は「アンタとそっくり」と笑うが、どうやら父系のご先祖様からの
モノヅクリの血、職人の血が引き継がれているようである(曽祖父は。手
抜きは恥、納得できる、誇れる仕事をしたいという職人魂は男にしかな
い、多分。女の場合は趣味以上にはなかなかならないのではないか。

幕末の日本と清朝末期の支那を訪れたハインリッヒ・シュリーマンが面白
いことを書いていた。

<1860年、清国と英仏間に締結された条約の結果、賠償金を支払い終える
まで、清国政府は自国の税務業務に外国人官吏を登用せざるを得なくなっ
たが、そうするとほどなく税収が大幅に増え、それまでの自国役人の腐敗
堕落が明らかになった。それで清国政府は彼らを罷免し、代わりに支那語
を話せる外国人を雇うようになったのである。

イギリス人レイ氏は1861年に年俸50万フランで税関の長官に任命された。
レイ氏の後任に、昨秋、25歳になるかならずの元イギリス領事ハート氏が
据えられた。その若さにもかかわらず、ハート氏は行政の天才で、彼の
とった施策のおかげで、税関の所得は、外国人官吏を雇う前の4倍に跳ね
上がった>(「シュリーマン旅行記 清国・日本」1865年)

当時の1フランは今の1000円ほどか。年俸50万フランなら5億円だ。日本の
税収は60兆円だが、支那の場合だと、国庫に入るのは1/4の15兆円、3/4の
45兆円は役人のポケットに入っていたわけだ。5億円の投資で45兆円も増
えるのなら安いものだ。

高給に魅かれたこともあって日本でも「お雇い外国人」は幕末から増えて
いったが、シュリーマンによると口さがない欧米人は「日本は欧米の掃き
だめ」と言っていたそうだ。本国では門閥や身分制などもあって、能力は
あっても就職できない、出世できない、十分な俸給を得られない、と鬱屈
していた人々がすこぶる評判の良かった日本(今で言うクールジャパン)
を目指したのだ。

福翁が幕藩封建体制=身分制を嫌った(ほとんど憎悪していた)のは、才
能ある父親が下級官吏に甘んじるしかなかった、その口惜しさ、諦観を見
ていたからだ。勉強しろ、才覚さえあれば庶民も立派な仕事に就ける、こ
れが自由主義、民主主義だ、と叫び続けたのはご先祖様からの後押しが
あったからだ、「恨み晴らさでおくものか!」と。

「江戸・幕末滞在記 若き海軍士官の見た日本」の著者エドゥアルド・ス
エンソン(仏)は横須賀海軍造船所を訪ねて、日本人の職工に感動している。

<(お雇い外国人のフランス人>技師が指令を(幕府の)役人に与え、そ
れが日本人に伝えられる・・・ひょっとすると日本人の職人の方が西欧人
より優秀かも知れなかった。日本のものよりはるかに優れている西欧の道
具の使い方をすぐに覚え、機械類に関する知識も簡単に手に入れて、手順
を教えてもその単なる真似事で満足せず、自力でどんどんその先の仕事を
やってのける。

日本人の職人がすでに何人も機械工場で立派な仕事をしていた>

支那人は儲からなければ一所懸命にはやらない。カネ、カネ、カネの世
界。日本人は「とにかくいい仕事をしたい、カネは暮らしに困らない程度
でも構わない」。支那人は今頃になって「日本の職人に学べ、匠を目指
せ」と言っているが、彼らの生活空間は昔から「臭い、汚い、カネとコ
ネ」の4Kで、「汚物、汚染、汚辱、汚職」の4O(4オー)付き、恐ろしく
「清潔、正確、質素、清貧、正直、正道、精勤」の7Sに欠ける。

そういう職場で「いい仕事」ができるはずも「いい職人」が育つはずもな
い。中韓北露・・・われわれは厄介な隣人に悩まされている。厄介者とし
て3Fに隔離され、餌場の今では10羽以上に増えた雀を相手に晩年を送る発
狂老人の病棟日記から。

【2016/12/9】承前。*「古い友人が丹東(中国遼寧省)で日帰り北朝鮮
ツアーを催行している。一緒に行かないか」と(中国通の)Nさんに誘わ
れ、北京経由で無事に丹東着。中朝友誼橋(鴨緑江大橋)を渡ってバスを
降りたとたん、「救援金」と書かれた袋を持った人々の群に囲まれ、彼ら
は口々にこう叫んでいる。

「ドル、ユーロ、人民元、円、ポンド・・・わが国の朝鮮ウォン以外なら
OKです。住民は皆困窮しています、助けてください!」

はなっから観光どころではない。観光地、土産屋、レストラン・・・バス
が停まれば人、人、人の渦で、歩くこともままならない。「どうなってい
るんだ、これじゃあまるでボッタクリツアーだ!」とガイドに苦情を言う
と、Nさんが「修一さん、これが北の現実なんです。中国から毎日大量の
物資が入ってくる丹東対岸の街でさえこの有様です。奥地では飢餓線上の
人々があふれているでしょう」・・・

ここで目が覚めた。夢だったが、幽体離脱で空から眺めたようなリアリ
ティがあった。北の自然発生的“草の根資本主義≒改革開放”が進めばいい
が、上からそれを押さえつけられたら北は破綻するしかない。

〔今朝の産経から〕*措置入院解除後のフォロー体制を整備するという。
医療刑務所、予防拘禁、保護観察などが必要ではないか。

*あしながおじさん運動はいいことだが、「一口○○円」という寄付の“足
切り”は再考した方がいい。低額でも高額でも、その人なりの精いっぱい
の浄財ではないのか。

*正論/榊原英資「統合危うくするEUの歯車」。

<戦後、統合と経済の自由化が進んできたが、再び主権国家への回帰、保
護主義化が進んできている。リベラリズムや寛容な態度でまとめて、一つ
のヨーロッパをつくりあげたのがEUである。確かに難民などの問題を生ん
でしまったのだが、その理念に立ち返るときなのではないか。

日本は自由化の流れを止めない、保護主義を食い止める(というグローバ
リゼーション/GLBの)リーダーシップを取るべきだ、云々>

GLBとは、国境をなくす or フェンスを低くし、ヒト、モノ、カネができ
るだけ自由に動けるようにすることで、それによって経済は活性化すると
言われ、希望に輝いていた。自由化=○、保護主義=×だった。

日本で派遣労働が認められたころ、識者は「年功序列、終身雇用という労
働市場の固定化は不合理だ。企業は必要な時に、必要な労働力を求めてお
り、労働市場の流動化は進めるべきで、生産性向上につながる」と言って
いた。で、どうなったか。非正規雇用が急増し、多くの労働者の収入は
減った。

モノとカネの流動化は、賃金の安い後進国、中国など新興国への工場移転
を促し、日本では国内製造業の衰退、産業空洞化、失業率の上昇、景気悪
化を招き、「就職氷河期」などと言われたものである。

米国ではGBLにより「儲かればよし」とする風潮に一層拍車がかかり、自
動車の街デトロイトをはじめ中部の製造業都市は軒並み産業空洞化により
壊滅的打撃を受け、今やラストベルト(鉄さび地帯)と呼ばれるように
なった。

EUでは移民、難民モドキが押し寄せ、低賃金化、既存労働者の解雇が進ん
だ。英国のEU離脱、欧州全体での“極右”の台頭、米国のトランプ勝利は、
明らかにGLBの大失敗を示しているのではないか。

GLBは孤立主義の対語で、「世界的連携拡大・相互干渉主義」の意味だろ
う。国家、国民、民族、人種にはそれぞれの歴史、伝統、文化、成り立
ち、価値観がある。国家主権とは「アナタはアナタの、ワタシはワタシの
道を行く」ということで、せいぜい国連やWTO(世界貿易機関)のタガで
いいものを、EUは「言うことを聞かなければ村八分にするぞ」と干渉しま
くり、脅かし続けた。アカモドキのEU真理教から皆が目覚め始めたのだ。

榊原などリベラル≒アカモドキは、どうせ東大を出て大蔵省か外務省など
の官僚を勤めたアホだろう。お花畑の邪論、愚論、暴論、詐論、偽論のど
こが「正論」なのか。読者はこの手の妄言を読むためにカネを払っている
のではない。編集者はよくよく反省すべし。(つづく)2017/6/28






◆米国防総省の報告に見る中国の脅威

櫻井よしこ



米国防総省が6月6日、「中国の軍事情勢」に関する年次報告書を発表し
た。海洋、宇宙、核、サイバー空間の4分野を軍事戦略の要として、中国
が世界最強の国を目指して歩み続ける姿を描き、警告を発している。
 
報告書は、中国の目標が米国優位の現状を打ち砕くことだと分析し、その
ために中国は、サイバー攻撃によって、軍事技術をはじめ自国で必要とす
る広範な技術の窃取を行い、知的財産盗取を目的とする外国企業への投資
や、中国人による民間企業での技術の盗み取りなどを続けていると、驚く
ほど率直に告発している。
 
この件に関して興味深い統計がある。中国政府は長年、経済発展を支える
イノベーション重視政策を掲げてきた。2001年から複数回の5か年計画を
策定し、研究開発費をGDP比で20年までに2・5%に引き上げようとして
きた。だが、目標は一度も達成されていない。理由は、彼らが必要な知的
財産を常に他国から盗み取ることで目的を達成してきたために、自ら研究
開発する風土がないからだとされている。
 
ただ、どのような手段で技術を入手したかは別にして、中国が尋常ならざ
る戦力を構築しているのは明らかだ。中国は世界で初めて宇宙軍を創設し
た国だ。米国家情報長官のダニエル・コーツ氏は今年5月、「世界の脅威
評価」で、ロシアと中国はアメリカの衛星を標的とする兵器システム構築
を宇宙戦争時代の重要戦略とするだろうと報告している。
 
15年末に、中国は「戦略支援部隊」を創設したが、それはサイバー空間と
宇宙とにおける中国の軍事的優位を勝ち取るための部隊だと分析されている。
 
国防総省の報告書は、中国を宇宙全体の支配者へと押し上げかねない量
子衛星の打ち上げに関しても言及しているのだ。

大中華帝国の創造
 
昨年、中国は宇宙ロケットを22回打ち上げ、21回成功した。そのひとつが
世界初の量子科学実験衛星の打ち上げだった。量子通信は盗聴や暗号の解
読がほぼ困難な極めて高い安全性が保証される通信である。「仮に通信傍
受を試みたり、通信内容を書き換えようとすると、通信内容自体が崩
壊≠キる。理論的にハッキングはまず不可能」(産経ニュース16年9月3
日)だと解説されている。
 
量子衛星打ち上げの成功で、地球を包み込んでいる広大な宇宙を舞台にし
た交信では、どの国も中国の通信を傍受できないのである。
 
中国は07年に地上発射のミサイルで高度860`の自国の古い気象衛星を破
壊してみせた。攻撃能力を世界に知らしめたのだ。衛星破壊をはじめとす
る中国の攻撃の狙いは、「敵の目と耳を利かなくする」こと。違法なハッ
キングで世界中の技術を盗んできた中国が、選りに選って絶対にハッキン
グされない技術を持てば、世界を支配する危険性さえ現実化する。
 
中国は現在独自の宇宙ステーションを構築中だが、来年には主要なモ
ジュールの打ち上げが続く見込みだ。東京五輪の2年後には、中国だけの
宇宙ステーションが完成すると見られる。さらに、中国は月に基地をつく
る計画で、月基地の完成は27年頃と発表されている。習近平氏の「中国の
夢」は、21世紀の中華思想の確立であり、宇宙にまで版図を広げる大中華
帝国の創造ではないのか。
 
中国の遠大な野望の第一歩は、台湾の併合である。その台湾に、国防総省
報告は多くの頁を割いた。「台湾有事のための戦力近代化」(Force
Modernization for a Taiwan Contingency)という章題自体が、十分注目
に値する強いタイトルだ。付録として中国と台湾の戦力比較が3頁も続い
ている。
 
台湾と中国の軍事力は比較にならない。中国の優位は明らかであり、将来
も楽観できない。たとえば現在、台湾は21万5000人規模の軍隊を有する
が、2年後には全員志願兵からなる17万5000人規模の軍隊を目指してい
る。しかし、この縮小した規模も志願兵不足で達成できないだろうと見ら
れている。他方、中国は台湾海峡だけで19万人の軍を配備しており、人民
解放軍全体で見れば230万人の大軍隊である。
 
台湾、南シナ海、そして東シナ海を念頭に、中国は非軍事分野での戦力、
具体的にはコーストガード(海警局)や海上民兵隊の増強にも力を入れて
きた。
 
10年以降、中国のコーストガードは1000d以上の大型船を60隻から130隻
に増やした。新造船はすべて大型化し、1万dを優に超える船が少なくと
も10隻ある。大型船はヘリ搭載機能、高圧放水銃、30_から76_砲を備え
ており、軍艦並みの機能を有し、長期間の海上展開にも耐えられる。
 
ちなみに1000d以上の大型船を130隻も持つコーストガードは世界で中国
だけだと、国防総省報告は指摘する。海警局は、もはや海軍そのものだ。

ローテクの海上民兵隊
 
海警局とは別に海上民兵隊も能力と規模の強化・拡大を続けている。事態
を戦争にまで悪化させずに、軍隊と同じ効果を発揮して、海や島を奪うの
が海上民兵隊である。
 
彼らは人民解放軍海軍と一体化して、ベトナムやフィリピンを恫喝する。
16年夏には日本の尖閣諸島周辺にまで押し寄せた。国防総省報告は、この
海上民兵隊に重要な変化が表れていることを指摘する。かつて海上民兵隊
は漁民や船会社から船を賃借していた。それがいま、南シナ海に面する海
南省が、84隻にも上る大型船を海上民兵隊用として発注した。独自の船を
大量に建造しているのだ。
 
海上民兵隊は南シナ海を越えて尖閣諸島や東シナ海、さらには小笠原諸
島、太平洋海域にも侵出してくる。
 
宇宙軍と量子衛星、そして海上民兵隊。ハイテク戦力とローテク戦力を併
せ持つ中国が世界を睥睨しているのである。サイバー時代においては、先
に攻撃する側が100%勝つのである。その時代に、専守防衛では日本は自
国を守れないであろう。
 
日米同盟はいまや、責任分担論が強調される。アメリカはかつてのアメリ
カとは異なる。国家基本問題研究所の太田文雄氏が問うた。

「仮にアメリカのトランプ政権が、ハイテクの宇宙・サイバー空間にお
ける脅威はアメリカが対処する。そこで責任分担で、ローテクの海上民兵
隊には日本が対応してほしい≠ニ言ってきたら、わが国はどうするので
しょうか」
 
日本を守る力は結局、日本が持っていなければ、国民も国土も守りきれ
ない。そのような事態が近い将来起きることは十分にあり得るのだ。
 
折りしも安倍晋三首相が自民党総裁として憲法改正論議に一石を投じ
た。この機会をとらえて、危機にまともに対処できる国に生れかわるべきだ。

『週刊新潮』 2017年6月22日  日本ルネッサンス 第758回

◆いちごの生産者だった夏 

石岡 荘十



「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が、本誌に掲載した「いちごの話」を読んで思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやっていたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転がり込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマトを作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初めての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通っていた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬。・高崎と決まり、半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわが一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、就職。で、ここまで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかったことに気がつく。

70年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけだった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込むいちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは二度とないのかもしれない。    

◆安倍は早期改造で局面転換を図れ

杉浦 正章

 

弱り目に祟り目の稲田発言
 

こればかりはいかんともしがたい。安倍は早期の内閣改造に踏み切り、悪い流れにストップをかけるしかあるまい。それにつけても何度も書くが、日本の女は政治家には向かない。自民党の女性総理候補は小池百合子、野田聖子、稲田朋美と続いたが 小池はポピュリズム一辺倒で党内的に嫌われて脱落。せいぜい大衆迎合がまかり通る都知事がいいところで、とても都議選の余勢を駆って首相になるような政治情勢にはなるまい。野田はあらぬ時に総裁選に出馬しようとするなど焦りすぎて、党内情勢を見誤り失敗。


今度は稲田が失言の山を築いて「死に体」なってしまった。長年政治記者をやっていると政治家を見る目だけは肥えてくるが、稲田は最初から無理だと思っていた。しかし野党も蓮舫が居丈高になって勝ちどきを上げるケースでもあるまい。民進党への“逆風”も自民党に勝るとも劣らない。蓮舫自身も自らの2重国籍問題を巻き起こし、都議選も不調では、選挙後自分の首が危うくなりかねない情勢だ。だから、しめたとばかりに稲田を追及しているが、ブーメラン返しがそこに見えている。


日本の女は、知的には極めて優秀で、家事や育児にも秀でているが、政治家としては英国首相メイやドイツ首相メルケル、米大統領候補クリントンなどと比べるとあまりに低レベルである。長い封建社会で植え付けられた男を立てる遺伝子が、まだ取り切れずに作用しているのだろう。
 

どうも首相・安倍晋三は昭恵夫人を選ぶのには成功したが、それ以外は女性を見る目がないようだ。前の内閣では女性閣僚が二人も辞めている。そもそも稲田は、安倍の秘蔵っ子だ。安倍が副幹事長の頃稲田のスピーチを聞いて、スカウトして12年前に初当選させた。安倍とともに靖国参拝をしたこともある。14年に政調会長に抜擢、今度は防衛相という重要閣僚にした。安倍はかつて「将来の総理候補として頑張ってもらいたい」と激励したことすらある。


しかしとりわけ防衛相になってからがハチャメチャだ。資質を問われる発言が相次いでいる。陸上自衛隊が参加する南スーダンの国連平和維持活動(PKO)では、派遣部隊の日報をめぐる大臣報告が約1カ月もかかり、省内を掌握していない状況が浮き彫りになった。この答弁もちぐはぐで、不必要に野党の攻撃を集中させた。スーダンにおける陸自の日報問題でまるで幼稚園児のような答弁をしている。「憲法9条上の問題になる言葉を使うべきではないから、戦闘という言葉を使わず武力衝突という言葉を使っている」と答弁してしまった。部下が大臣に内々にご進講したとおりの内容を答弁してしまったのだ。
 

「森友問題」の訴訟に原告側の代理人として出廷していた問題もコロッと忘れて、「虚偽だ」と答弁。その後事実であることが判明した。一連の稲田発言に対して感ずるのは、答弁が下手なのに加えて、思い違えが激しいことだ。年増の女性に多いど忘れ現象が頻繁なのだ。今回の場合も仮にも防衛相であるならば、発言していいことと悪いことのけじめを付けなければならないが、事もあろうに憲法違反そのものの発言をしてしまった。都議選候補の応援演説で「防衛省、自衛隊、防衛相、自民党としてもお願いしたいと思っている」だ。これは公務員の地位を規定した「すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない」という憲法15条に紛れもなく違反している。


そもそも戦後の自衛隊員教育の根幹は、戦前の軍部独走の愚を繰り返さないため「政治的行為を慎め」と徹底して教えてきたのであり、稲田発言は大臣そのものが率先してその禁を破ったことになる。組織としての自衛隊を率いるトップの発言としてあるまじき事は言を待たない。
 

まさに安倍にとっては弱り目に祟り目の事態だが、この悪い流れを断ち切るためには、内閣改造による人事刷新しかあるまい。今度ばかりは熟考して、憲法改正という重大テーマに対処し、衆院選挙にも対応できる人事をする必要がある。派閥順送りは無視して、ベテランを起用して重厚な政権に脱皮しなければなるまい。稲田の後任には経験者で手堅い小野寺五典が適役ではないか。官房長官・菅義偉はよく働いたから幹事長に抜擢すべきではないか。


今のところよく育っていて国民的人気も出てきた小泉進次郎を起用することもよいかも知れない。奇策となるから絶対によいとは言い切れないが、盟友の前大阪市長橋下徹などを起用する手もあるかもしれない。いずれにしても8月中と言われる改造を7月下旬にも断行する必要があるのではないか。局面転換には早ければ早いほどいいのではないか。まだ安倍本体への打撃は少ない。改造して再出発すれば支持率も回復基調に入る。

        <今朝のニュース解説から抜粋>  (政治評論家)

◎俳談

【即かず離れず】

◆捻子まけば動くヒコーキ沖縄忌 毎日俳談3席

正規軍より一般人の方が犠牲が多かったという沖縄忌は6月23日。沖縄軍司令官が摩文仁岬で自決した日だ。戦没者20万人。激烈な地上戦であり、俳句では終戦日、開戦日などと並ぶ戦争関連の季語となっている。その難しい季語とどう向き合うかだが、沖縄戦が哀れだとか、凄まじいとか直接的に沖縄忌を形容しない。ひたすら間接的に哀しさを表現する。そしてそこはかとなく連想させる。掲句は昔あったブリキのヒコーキで戦争を連想させる。次の句は棒きれが流れ着くという表現で、海の向こうの沖縄を連想させた。

◆沖縄忌棒きれ一つ流れ着く  朝日俳談入選
人の忌の句も全く同様な手法をとる。

◆浅酌をして大石忌過ごしけり  日経俳談入選
浅酌という粋な言葉で粋な大石良雄(内蔵助)を詠んだ。

            <俳談>      (政治評論家)

◆指導者としての資質を考える @

眞鍋 峰松



最近の中国やロシア、さらに北朝鮮などのニュースに接する度に思うことがある。

どうも日本の優秀と言われる人物とりわけ政権中枢にいる方々の、不測事態へ対応する能力が本当に大丈夫なのか、不足しているのではないか、という危惧である。また、幾ら事前の準備に怠りがなくても、肝心の決断力がなくてはどうにもならない。
 
これに関連し、思い出すのが昔、昔の話。 阪神・淡路大震災の経験から、毎年恒例として行われる地震災害へ備えた、防災訓練について、である。 

地方自治体や国の出先機関などの行政を始め地元自治会など幅広い方面を巻き込んで大々的に実施されてきた。
 
だが、毎年恒例の行事として行われる故もあってか、災害発生時の住民への避難誘導や救急医療体制の初動活動などが中心で、その当時からマンネリ化の懸念を感じていた。

仄聞するところでは、アメリカでのこの種の訓練では、対策本部における非常事態へのギリギリの判断。例えば、A地点とB地点とに危機が迫っている場合に、如何に防災力を適正分散するべきか、最悪の場合にはどちらか一方に優先して防災力を振り向け、どちらか一方を犠牲にするかなど、指揮を執る人物の決断力が試されるようなケースまで想定し訓練しているとのことだった。
 
最近ようやく我が国においても、この実例として、負傷者多数の場合における負傷程度による治療優先順位の決定問題が、ギリギリの決断訓練の一つとして採り上げられている。

ところが、である。過去に一度、ある都道府県で、このアメリカの方式を採り入れて、水防訓練の中で破壊的水量を抑制するために人為的に堤防決壊させ、水量分散を計るというギリギリの決断を想定したことがある。
 
決壊した場所では、当然なにがしかの被害が発生するのだが、その時、当時の知事は激怒し、そのシュミレーションの場を立ち去ってしまったというのである。要は、彼は逃げたのである。だが、このような決断力こそが、本来のトップ・リーダーに求められる能力、不測事態への対応能力である。              
以前読んだ書物の中に「孤独は全ての優れた人物に課せられた運命」との表題で、
@トップには同僚がいない 
A最終意思決定には誰の助力を求められない 
B自由に意思の伝達がし難い 
C正しい情報を得ることが稀である 
Dしかも、なお、最終的な責任を負っている、
と記述されていたのを思い出す。
 
まさに、これがトップ・リーダーに課せられた運命なのだろう。また、これは、塩野七生氏の著書「日本へ 〜国家と歴史篇」からの引用だが、人間の優秀さについての記述で、その一つが、色々な事態に対し、原則を変えずに、如何に例外を設け、さらにその例外事項を他に類を及ぼさないようにするか。
 
さらにもう一つ。日本的秀才は、予期していた事態への対処は上手いが、予期していなかった事態への対処は、下手なのが特質であるらしい。

しかし、予め分かっている質問に答えるのに、人並み優れた頭脳は必要ない。真正面から答えるか、それともすり抜けるかの違いはあっても、予期していなかった質問に対処して初めて、頭脳の良し悪しが計れるのである、というである。

私が思うに、前半の部分は、むしろ上級公務員の優劣の判断基準に向いおり、後半の部分は政治家を始めとする、組織のトップの資質の判断基準に向いているように思われる。
 
要は、決断するのは難しい作業である。決断に際して、十分に情報を集め、徹底して分析したから万全だ、ということは絶対にない。考える材料が全部そろい、やるべきことが自ずと分るのなら、リーダーは何もしなくてよい。つまり、決断するための情報収集と分析は程度問題である。
 
信頼を繋ぎ止めたるためなら、「ここまでは考えたけれど、これ以上は運を天に任せる」と踏み切るのがリーダーの役割だ。
 
それを検討会議や関係閣僚会議の設置ばかりで逃げてばかりではどうにもなるまい、と思う。日本語で上手い表現があるではないか。“腹をくくる”と。
 
少々穏当でない言い方だが、それこそ、判断を過てば腹を切ればよい、ではないか。 塩野 七生氏は言う。「たとえ自分は地獄に落ちようと国民は天国に行かせる、と考えるような人でなくてはならない。その覚悟のない指導者は、リーダーの名にも値しないし、エリートでもない」と。これができないなら潔く職を辞するしかあるまい。(続)
                

2017年06月28日

◆インスリン注射不要の夢

渡部 亮次郎



2006年8月、京大の山中伸也教授が、人の皮膚から採った細胞に4つの遺伝
子を入れて培養したら、万能細胞ができた。iPS細胞=人工多能性幹細胞
と言うそうだ。

万能細胞から、神経細胞、心臓細胞、臓器細胞、血液細胞、軟骨などが作
られ糖尿病や心臓病に使えるとされている。

自分の皮膚から採った細胞だから、自分の体に入れても拒否反応がない。
ノーベル賞だという声が上がって本当に受賞した。細胞や臓器の再生へ、
万能細胞の研究競争が激化するだろう。

山中教授は、何年かしたら、人工細胞ができると言う。激しい競争がある
からだ。

しかし、4つの遺伝子は、癌細胞から採っているので、人に応用すると思
わぬ事故になる可能性があると言う。

山中氏は、神戸大→大阪市立大→カリフォルニア大と研究を続けて、世界初
の万能細胞を作った。

人工細胞は、糖尿病、心筋梗塞(しんきんこうそく)、脊髄損傷(せきず
いそんしょう)などの治療に使える。
http://www2.ocn.ne.jp/~norikazu/Epageh3.htm

このうち糖尿病治療への展望について専門家に聞いて見ると、うまくすれ
ばインスリン注射が要らなくなる可能性があるという明るい見通しがある
らしい。

糖尿病は、食べたものを血肉にするホルモン「インスリン」が膵臓から十
分に出てこないため、溢れた栄養(ブドウ糖)が血管を内部から攻撃した
末に小便に混じって出る病気である。小便が甘くなるから糖尿病。

糖尿病それ自体ではなかなか死なないが、内部から血管を糖分で攻撃され
ると、脳梗塞、心筋梗塞、盲目、足の切断、癌多発といった
「合併症」を招いて、寿命より10年は早く死ぬ。

栃木県にある自治医科大学内分泌代謝科の石橋俊教授によると、駄目に
なった膵臓や膵頭を何らかの方法で丈夫なものを移植すれば問題は一挙に
解決し、インスリン注射も要らなくなる。

しかし日本ではドナーが不足し、膵頭を調整する試薬の供給がストップし
たりして、こうした治療を受ける患者は2桁どまりだ。

そこで注目されたのが、インスリン「製造工場」ともいえる膵ベーター細
胞の再生治療だったがヒトの受精卵の仕様に付随する倫理的制約や拒否反
応が壁になって進んでいなかった。

そこへ登場したのが山中教授の万能細胞。ヒトES細胞から膵ベーター細胞
を作る研究は壁に突き当たったが、山中教授のiPS細胞なら、自分の皮膚
から出来た物だから拒否反応も倫理的な問題も起きない。

問題は今回できた4つの遺伝子が、がん細胞からとっているので、人に応
用すると思わぬ事故になる可能性があることだ。石橋教授は「この問題が
解消されれば、実用化は意外に早いかも知れない」と言っている。

資料:(社)日本糖尿病協会関東甲信越地方連絡協議会機関紙「糖友
ニュース」91号(2008・7・1)  執筆 08・06・28



◆政権、加計問題で反転攻勢を展開

杉浦 正章



「抵抗勢力官僚」は獅子身中の虫だ
 

論客動員で国民に説明を
 

満を持していたのであろう。ようやく反転攻勢が始まった。官房長官・菅義偉が27日、学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関し、日本獣医師会、農林水産省、文部科学省を名指しして「抵抗勢力」と断定、岩盤規制を突破する方針を改めて鮮明にさせた。首相・安倍晋三も「加計」を突破口に獣医学部の全国展開を進める方針を明言。これまで沈黙していた国家戦略特区での獣医学部新設決定に関わった諮問会議の民間議員らも「加計問題の根底に日本獣医師会の強い抵抗があった結果一校に絞らざるを得なかった」ことを暴露、いかに岩盤を突き崩すことが困難であったかを強調した。


まさに事態は政府・与党が「改革派」で、民新・共産両党と朝日、毎日、民放など反政権メディアが「守旧派」となる構図だ。かくなる上は安倍はちゅうちょすることはない。文科、農水など政権の方針に反対する幹部官僚を人事で押さえ込むべきだ。


堰を切ったように岩盤規制突破の発言が相次いだ。「抵抗勢力」を名指しした管の発言は「そもそも52年間、獣医学部が設置されなかった。日本獣医師会、農林水産省、文部科学省も大反対してきたからではないか。まさに抵抗勢力だ。規制がこれだけ維持されてきたことが問題だ」というものだ。


そのうえで菅は「安倍政権とすれば、まず1校認定したわけであり、突破口として全国に広げていくのは獣医学部だけでなくてすべての分野において行っていく方針だ」と述べ、国家戦略特区で認めた規制緩和策の全国展開を目指す考えを強調した。安倍も「今治市に限定する必要はない。全国展開を目指す。意欲あるところはどんどん獣医師学部の新設を認める」と明言した。
 

また諮問会議の民間議員を務める大阪大学名誉教授八田達夫は「獣医学部の規制は既得権による岩盤規制の見本のようなものであり、どこかでやらなければいけないと思っていた。『1つやればあとはいくつもできる』というのが特区の原理で、1校目は非常に早くできることが必要だった」と強調。


東洋大学教授竹中平蔵は、文部科学省前事務次官前川喜平が先の記者会見で「行政がゆがめられた」などと述べたことについて、「最初から最後まで極めて違和感がある。今回の決定プロセスには1点の曇りもない」と反論した。加えて、竹中は「『行政がゆがめられた』と言っているが、『あなたたちが52年間も獣医学部の設置申請さえも認めず行政をゆがめてきたのでしょう』と言いたい。それを国家戦略特区という枠組みで正したのだ。2016年3月までに結論を出すと約束したのに約束を果たさず、『早くしろ』と申し上げたことを『圧力だ』というのは違う」と切り返した。
 

こうした発言が一致して指摘するのは獣医師会のごり押しだ。今治市だけに学部新設を限定しようと躍起になっていた姿が鮮明になっている。確かに獣医師はペットブームで笑いが止まらない状況にあるといわれる。マスコミは伝えていないが法外な治療費を請求される被害が続出しており、社会問題となっている。獣医師会が既得権にしがみつくのは、言うまでもなく“甘い汁”を囲い込み、拡散するのを防ぎたいからにほかならない。岩盤規制の突破はその意味からも必要不可欠であり、政府はこの辺のPRが不足している。
 

一部マスコミも政権が改革を推進しようという時に、何でも政局に結びつけようとする姿勢が見られる。朝日は28日付朝刊の社説で安倍が「地域に関係なく2校でも3校でも意欲のあるところはどんどん認めていく」と発言したことにかみついている。「(親友が経営する加計学園を優遇したという)疑惑から目をそらしたい安直な発想といらだちが透けてみえる」と、もっともらしい論旨を展開している。


しかし、自民党副総裁・高村正彦ではないがこれこそ「ゲスの勘ぐり」社説だ。岩盤規制の突破という、今の日本に喫緊に必要な問題への視点と大局観がゼロだ。朝日は52年間も岩盤を死守し、天下り先を確保してきた文科官僚を礼賛していいのか。
 

管は抵抗勢力として獣医師会、文科省、農水省の名を挙げたが、こうしたマスコミが存在する以上、一部マスコミも含まれるのは当然だろう。最近では米国のトランプ政権も抵抗勢力との戦いを繰り広げている。同政権にとっても抵抗勢力の排除は政権基板確立の基礎であり、人事が遅れているのは、官僚が敵か味方かを見定めている結果であろう。大統領上級顧問スティーブン・バノンが、米主要メディアに対して「メディアは抵抗勢力だ。黙っていろ!」とかみついたのは記憶に新しい。


また、小泉純一郎も自らが進める「聖域なき構造改革」に反対する諸勢力を「自民党内の族議員、公務員、郵政関連団体、野党、マスメディア」などに絞って、郵政改革を成し遂げた。
 

安倍政権が改革の旗を高く掲げればかかげるほど、風圧に対処する政治手法が必要になっていることは言を待たない。安倍は通常国会中は加計問題に関してどちらかと言えばあいまいな対応をとってきたが、これはテロ準備法成立の必要という喫緊の重要課題の処理を意識したものであろう。その結果、文科省内部からの漏洩事件が頻発、民放テレビを利用して買春疑惑の前次官が我が物顔で政権の足を引っ張るという“弛緩(ちかん)”が生じていた。


政権の前途には外交・安保問題、経済対策など重要課題がひしめいており、野党の要求する臨時国会などは当面開催する必要はあるまい。閉会中審査なども無視して当然だ。しかし、左傾化民放の口から生まれたような低級コメンテーターらに言いたい放題の発言を繰り返させておくことはない。管でも高村でも竹中でも論客を繰り出して、テレビで直接岩盤規制の突破を訴える必要があるのではないか。また文科、農水両省などに対して幹部人事も断行して、引き締めを図る必要もあるのは当然だ。世界中の政権は獅子身中の虫を取り除くのが常識なのだ。


 ◎俳談

【固有名詞の使い方】

◆捕虫網立てればスーパーあずさ発つ  東京俳壇入選
 
むかし子どもと上高地に行ったときの懐旧句。座席に捕虫網を立てて、蝶々を捕るぞと勇ましく出発だ。固有名詞のスーパーあずさは関東地方では知らない人はいない。日本全域でも結構通用している。だから違和感が感じられないだろうと思って使った。全然通用しない固有名詞を使う句が散見されるが、これは最初から論外だ。普遍性のある言葉が俳句の一番重要ポイントだ。

    <今朝のニュース解説から抜粋・俳談>    (政治評論家)