2017年06月28日

◆インスリン注射不要の夢

渡部 亮次郎



2006年8月、京大の山中伸也教授が、人の皮膚から採った細胞に4つの遺伝
子を入れて培養したら、万能細胞ができた。iPS細胞=人工多能性幹細胞
と言うそうだ。

万能細胞から、神経細胞、心臓細胞、臓器細胞、血液細胞、軟骨などが作
られ糖尿病や心臓病に使えるとされている。

自分の皮膚から採った細胞だから、自分の体に入れても拒否反応がない。
ノーベル賞だという声が上がって本当に受賞した。細胞や臓器の再生へ、
万能細胞の研究競争が激化するだろう。

山中教授は、何年かしたら、人工細胞ができると言う。激しい競争がある
からだ。

しかし、4つの遺伝子は、癌細胞から採っているので、人に応用すると思
わぬ事故になる可能性があると言う。

山中氏は、神戸大→大阪市立大→カリフォルニア大と研究を続けて、世界初
の万能細胞を作った。

人工細胞は、糖尿病、心筋梗塞(しんきんこうそく)、脊髄損傷(せきず
いそんしょう)などの治療に使える。
http://www2.ocn.ne.jp/~norikazu/Epageh3.htm

このうち糖尿病治療への展望について専門家に聞いて見ると、うまくすれ
ばインスリン注射が要らなくなる可能性があるという明るい見通しがある
らしい。

糖尿病は、食べたものを血肉にするホルモン「インスリン」が膵臓から十
分に出てこないため、溢れた栄養(ブドウ糖)が血管を内部から攻撃した
末に小便に混じって出る病気である。小便が甘くなるから糖尿病。

糖尿病それ自体ではなかなか死なないが、内部から血管を糖分で攻撃され
ると、脳梗塞、心筋梗塞、盲目、足の切断、癌多発といった
「合併症」を招いて、寿命より10年は早く死ぬ。

栃木県にある自治医科大学内分泌代謝科の石橋俊教授によると、駄目に
なった膵臓や膵頭を何らかの方法で丈夫なものを移植すれば問題は一挙に
解決し、インスリン注射も要らなくなる。

しかし日本ではドナーが不足し、膵頭を調整する試薬の供給がストップし
たりして、こうした治療を受ける患者は2桁どまりだ。

そこで注目されたのが、インスリン「製造工場」ともいえる膵ベーター細
胞の再生治療だったがヒトの受精卵の仕様に付随する倫理的制約や拒否反
応が壁になって進んでいなかった。

そこへ登場したのが山中教授の万能細胞。ヒトES細胞から膵ベーター細胞
を作る研究は壁に突き当たったが、山中教授のiPS細胞なら、自分の皮膚
から出来た物だから拒否反応も倫理的な問題も起きない。

問題は今回できた4つの遺伝子が、がん細胞からとっているので、人に応
用すると思わぬ事故になる可能性があることだ。石橋教授は「この問題が
解消されれば、実用化は意外に早いかも知れない」と言っている。

資料:(社)日本糖尿病協会関東甲信越地方連絡協議会機関紙「糖友
ニュース」91号(2008・7・1)  執筆 08・06・28



◆政権、加計問題で反転攻勢を展開

杉浦 正章



「抵抗勢力官僚」は獅子身中の虫だ
 

論客動員で国民に説明を
 

満を持していたのであろう。ようやく反転攻勢が始まった。官房長官・菅義偉が27日、学校法人「加計学園」の獣医学部新設に関し、日本獣医師会、農林水産省、文部科学省を名指しして「抵抗勢力」と断定、岩盤規制を突破する方針を改めて鮮明にさせた。首相・安倍晋三も「加計」を突破口に獣医学部の全国展開を進める方針を明言。これまで沈黙していた国家戦略特区での獣医学部新設決定に関わった諮問会議の民間議員らも「加計問題の根底に日本獣医師会の強い抵抗があった結果一校に絞らざるを得なかった」ことを暴露、いかに岩盤を突き崩すことが困難であったかを強調した。


まさに事態は政府・与党が「改革派」で、民新・共産両党と朝日、毎日、民放など反政権メディアが「守旧派」となる構図だ。かくなる上は安倍はちゅうちょすることはない。文科、農水など政権の方針に反対する幹部官僚を人事で押さえ込むべきだ。


堰を切ったように岩盤規制突破の発言が相次いだ。「抵抗勢力」を名指しした管の発言は「そもそも52年間、獣医学部が設置されなかった。日本獣医師会、農林水産省、文部科学省も大反対してきたからではないか。まさに抵抗勢力だ。規制がこれだけ維持されてきたことが問題だ」というものだ。


そのうえで菅は「安倍政権とすれば、まず1校認定したわけであり、突破口として全国に広げていくのは獣医学部だけでなくてすべての分野において行っていく方針だ」と述べ、国家戦略特区で認めた規制緩和策の全国展開を目指す考えを強調した。安倍も「今治市に限定する必要はない。全国展開を目指す。意欲あるところはどんどん獣医師学部の新設を認める」と明言した。
 

また諮問会議の民間議員を務める大阪大学名誉教授八田達夫は「獣医学部の規制は既得権による岩盤規制の見本のようなものであり、どこかでやらなければいけないと思っていた。『1つやればあとはいくつもできる』というのが特区の原理で、1校目は非常に早くできることが必要だった」と強調。


東洋大学教授竹中平蔵は、文部科学省前事務次官前川喜平が先の記者会見で「行政がゆがめられた」などと述べたことについて、「最初から最後まで極めて違和感がある。今回の決定プロセスには1点の曇りもない」と反論した。加えて、竹中は「『行政がゆがめられた』と言っているが、『あなたたちが52年間も獣医学部の設置申請さえも認めず行政をゆがめてきたのでしょう』と言いたい。それを国家戦略特区という枠組みで正したのだ。2016年3月までに結論を出すと約束したのに約束を果たさず、『早くしろ』と申し上げたことを『圧力だ』というのは違う」と切り返した。
 

こうした発言が一致して指摘するのは獣医師会のごり押しだ。今治市だけに学部新設を限定しようと躍起になっていた姿が鮮明になっている。確かに獣医師はペットブームで笑いが止まらない状況にあるといわれる。マスコミは伝えていないが法外な治療費を請求される被害が続出しており、社会問題となっている。獣医師会が既得権にしがみつくのは、言うまでもなく“甘い汁”を囲い込み、拡散するのを防ぎたいからにほかならない。岩盤規制の突破はその意味からも必要不可欠であり、政府はこの辺のPRが不足している。
 

一部マスコミも政権が改革を推進しようという時に、何でも政局に結びつけようとする姿勢が見られる。朝日は28日付朝刊の社説で安倍が「地域に関係なく2校でも3校でも意欲のあるところはどんどん認めていく」と発言したことにかみついている。「(親友が経営する加計学園を優遇したという)疑惑から目をそらしたい安直な発想といらだちが透けてみえる」と、もっともらしい論旨を展開している。


しかし、自民党副総裁・高村正彦ではないがこれこそ「ゲスの勘ぐり」社説だ。岩盤規制の突破という、今の日本に喫緊に必要な問題への視点と大局観がゼロだ。朝日は52年間も岩盤を死守し、天下り先を確保してきた文科官僚を礼賛していいのか。
 

管は抵抗勢力として獣医師会、文科省、農水省の名を挙げたが、こうしたマスコミが存在する以上、一部マスコミも含まれるのは当然だろう。最近では米国のトランプ政権も抵抗勢力との戦いを繰り広げている。同政権にとっても抵抗勢力の排除は政権基板確立の基礎であり、人事が遅れているのは、官僚が敵か味方かを見定めている結果であろう。大統領上級顧問スティーブン・バノンが、米主要メディアに対して「メディアは抵抗勢力だ。黙っていろ!」とかみついたのは記憶に新しい。


また、小泉純一郎も自らが進める「聖域なき構造改革」に反対する諸勢力を「自民党内の族議員、公務員、郵政関連団体、野党、マスメディア」などに絞って、郵政改革を成し遂げた。
 

安倍政権が改革の旗を高く掲げればかかげるほど、風圧に対処する政治手法が必要になっていることは言を待たない。安倍は通常国会中は加計問題に関してどちらかと言えばあいまいな対応をとってきたが、これはテロ準備法成立の必要という喫緊の重要課題の処理を意識したものであろう。その結果、文科省内部からの漏洩事件が頻発、民放テレビを利用して買春疑惑の前次官が我が物顔で政権の足を引っ張るという“弛緩(ちかん)”が生じていた。


政権の前途には外交・安保問題、経済対策など重要課題がひしめいており、野党の要求する臨時国会などは当面開催する必要はあるまい。閉会中審査なども無視して当然だ。しかし、左傾化民放の口から生まれたような低級コメンテーターらに言いたい放題の発言を繰り返させておくことはない。管でも高村でも竹中でも論客を繰り出して、テレビで直接岩盤規制の突破を訴える必要があるのではないか。また文科、農水両省などに対して幹部人事も断行して、引き締めを図る必要もあるのは当然だ。世界中の政権は獅子身中の虫を取り除くのが常識なのだ。


 ◎俳談

【固有名詞の使い方】

◆捕虫網立てればスーパーあずさ発つ  東京俳壇入選
 
むかし子どもと上高地に行ったときの懐旧句。座席に捕虫網を立てて、蝶々を捕るぞと勇ましく出発だ。固有名詞のスーパーあずさは関東地方では知らない人はいない。日本全域でも結構通用している。だから違和感が感じられないだろうと思って使った。全然通用しない固有名詞を使う句が散見されるが、これは最初から論外だ。普遍性のある言葉が俳句の一番重要ポイントだ。

    <今朝のニュース解説から抜粋・俳談>    (政治評論家)

◆名所旧跡だより 住友活機園(滋賀県大津市)

石田 岳彦



滋賀県大津市石山に「住友活機園」という施設があります。重要文化財に指定されたお屋敷とその庭園で、毎年5月ころに2日ほど一般に特別公開されている他は、住友グループの社員しか見学できません。

しかも、この特別公開も事前に往復はがきで申し込む必要があり、かつ定員を超過すれば、抽選となります。実際には毎年定員を超過するので、毎年抽選です。

私の場合、最初の申し込みは抽選で外れ、翌年は当選したものの、妻の体調不良で行けず(号泣。冗談抜きに妻と一緒に寝込みました。)、3度目の正直で見学の機会を得ました。今回はその際の話です。

京阪電鉄石山坂本線の東側の終点である石山寺駅から、来し方に向かって5分ほど歩き、新幹線の高架をくぐって、すぐ左側に高い塀で囲まれた森が見えてきます。

苔生した石段を登り、門で見学証(当選を伝える往復はがき)を示して中へ。
入って早々、鬱蒼と葉の茂った木の枝が歩道に垂れかかって、緑の幕のようになっています。

このような演出なのでしょうか。それとも雨で濡れて重くなり、垂れてきたのでしょうか(そう、せっかくの3年越しだというのに見事な雨です。)。坂道を蛇行し、左側に池を見下ろしつつ進んでいくとやがて2階建ての洋館が見えてきます。

洋館の外壁の下半分は鱗のような板で飾られています。鱗といえば、神戸市北野の異人館街にも「鱗の館」というのがありますが、石製のスレートで葺かれた「鱗の館」と異なり、こちらの洋館の鱗は木製なので、「鱗の館」に比べて、見た目にも柔らかな雰囲気です。

洋館の左隣には和館も見えます。明治のころのお屋敷には洋館と和館を併設したものが少なくありません。

洋館で公務或いはビジネス関係の客と会い、プライベートな時間は和館で過ごすという使い分けになります。まだまだ、西洋風の生活様式になじめない人が多く、和館の方がくつろげたということでしょう。明治天皇もプライベートな時間は服装その他で和風を好んだという話です。

この屋敷自体は基本的に隠居所なのですが、住友財閥の元・総理事(住友財閥の筆頭番頭。住友家が王家で、総理事が首相というイメージでよいでしょうか。)ともなると、隠居先にもそれなりにグループ各社の幹部がやってきたのでしょう。

遅くなりましたが、この屋敷の本来の主は、伊庭貞剛(いば・ていごう)といい、上記のように住友財閥で総理事を務めたという超大物財界人です。

貞剛が晩年、故郷、滋賀の地(もっとも、大津市ではなく、現在の近江八幡市の出身のようですが)に建てた隠居所がこの屋敷であり、現在は住友グループの研修施設となっています。

見学者は我々の他、30人弱のようです。このグループで屋敷を見学して回ることになります。(やや記憶が曖昧になっていますが)一日3グループほどで、2日間ですから、特別公開に参加できるのは1年で180人くらいでしょうか(30人×3回×2日)。

一般的な旅行ガイドにはまず記載がないし、滋賀県内でも一般的な知名度が高いとは言い難いのですが、(人のことは言えませんが)世の中には結構マニアックな人が多いです。

案内の方の話によると、例年10倍近い抽選になるところ、今年は東日本大震災後の自粛ムードもあってか、応募数がかなり低く、競争率は2倍程度にとどまったとのこと。

「皆さん運が良いです。」というのが締めくくりの言葉でしたが、「空気の読めない野郎共(の中で相対的にくじ運のよい者)が集まった」と聞こえてしまうのは被害妄想でしょうか。

それはさておき、屋敷の中に入りましょう。

洋館と和館の間は廊下で繋がっていて、中央に玄関があり、そこでスリッパに履き替えて、まず、洋館に進みます。残念ながら室内撮影禁止のため、画像はありません。

壁紙は真っ白、階段も(彫刻はされているものの)白木のままで飾り金具も無い、シャンデリアもシンプル。実に装飾控え目の上品な雰囲気です。

貞剛が設計者に「清楚に」との注文を出していたとのこと。私のような小市民からすれば、洋館のお屋敷という時点で「豪華」と思えてしまうのですが、確かに、少なくとも派手ではありません。

窓ガラスに微妙に歪みがあり、外の光景が若干屈折して見えます。昔の製法で作成されているため、現在のガラスのように均一にはなっていないのです。

現代では再現が難しいとのことで、慣れてしまえば、この歪みも味があるように感じます。古い洋館に入る際には注意して見てください。

2階に登ると貞剛の事績に関するパネルが置かれています。案内の方が特に触れなかったので(奥ゆかしさというところでしょうか。)、自分で読むことにします。

貞剛は別子銅山(愛媛県)の経営の任にあたって成功を収めた人物であり、しかも、精錬場からの煙害を解決するため、これを四国本土から島に移し、或いは銅山開発によって荒れ果てた山に植林を実施した云々。

開発と環境保全の両立を目指す、この時代の人物としてはかなり先見的だったようです(足尾鉱毒事件の解決に尽力した田中正造が、別子銅山については賞賛していたとのこと。)。

大財閥のトップに立つ程の人物となれば、やはり、単に事業家として優秀なだけではなく、自分の哲学を持ち、社会に対して利益を還元できるようでなくてはいけないということでしょうか。なるほど。

廊下を渡って、和館に回ります。こちらは平屋です。


 素人の私には、それなりに広いものの一般的な和室に見えますが、案内の方によると、かなり珍奇で高価な木材を所々に使っているとのことで、幾つか、解説してくださいました。

説明されても素人の私には「そうなんだ。」としか思えませんが。
「分かる人だけ、分かってくれればよい」という、成金趣味とは対極的な趣向です。
 
奥の座敷の襖を開けたところ、暖炉が出てきたのは少々びっくりしました。

庭をのんびりと眺めていると、時々、轟音が響きます。実は、活機園の敷地に入る前から何度と無く響いているのですが。

上でも書きましたが、新幹線の高架橋が活機園の敷地のすぐ傍を通っている(というよりも、本来、新幹線の線路を含め、その向こう側まで活機園の敷地だったのが、新幹線を通す際に分断されてしまい、敷地面積が大幅に減少してしまったそうです。)ので、新幹線が通過する度、耳を劈く騒音が活機園の敷地全域に響き渡ります。

史跡の中にわざわざ新幹線を通さずともよかろうと思わなくもありませんが、「一般人の住宅を何棟も立ち退かせるより、本来の主を既に失った屋敷の広い敷地の一部を割く方がよい」という発想は民主国家としては、おそらく健全なものでしょうね。多分。(終)
                          <弁護士>

2017年06月27日

◆民進党こそが政局に動き良識を捨てた

櫻井よしこ



「テロ等準備罪の成立へ強硬に反対した民進党こそが政局に動き良識を捨
てた」

この原稿を執筆中の6月15日未明、国会ではまだ、与野党が「テロ等準備
罪」を巡って攻防を続けている。14日夜、参議院では自民党議員らが本会
議場に入ろうとするのを、福島みずほ氏ら野党議員が廊下に立ち塞がる形
で妨げようとしていた。複数の民進党議員らが、テレビカメラを意識して
か、強硬な反対の意思を厳しい表情に表していた。

民進党の未来を担うこれら若手政治家の、テロ等準備罪に反対して仁王立
ちになっている姿を見るのは本当に残念だ。本欄でも取り上げたことがあ
るが、11年前、民主党(現民進党)は、現在の法案の素となった「共謀
罪」に次に示すような厳しい注文をつけた。

(1)対象となる犯罪を政府案の619から306に絞りこむこと、(2)取り
締まる対象を単なる「団体」から「組織的犯罪集団」に改めること、
(3)犯罪実行のための「予備行為」を処罰の要件とすること、の3点で
ある。

私は当時、右の民主党修正案を評価し、自民党に丸ごと受け入れるよう求
めた。今日15日に成立する「テロ等準備罪」は民主党修正案をほぼそのま
ま受け入れている。にもかかわらず、彼らはいまも、戦前の治安維持法を
引き合いに出し、「普通の人々が監視され、次々と引っ張られた。同じ事
を繰り返してはならない」などと極論で世論を煽る。或いは与党の手法が
強引だと論難する。

私たちはここで、約2年前の「平和安全法制」を巡る議論を思い返すべき
だ。民主党ら野党は国会の外に飛び出し、デモ隊と一緒に「戦争法案だ」
「人殺しの法案だ」と叫んだ。

法案は成立して法となった。いま、北朝鮮有事が起きたと仮定すれば、自
衛隊は同法に基づいて横田めぐみさんら拉致されている人々の救出に向か
う。だが、断言してもよい。実際には自衛隊は何もできないだろう。

なぜか。まず、自衛隊が救出に向かうには、当該国政府の同意が必要とい
う条件がつけられている。北朝鮮は何十年も拉致被害者を拘束してきたに
もかかわらず、拉致被害者はもういない、或いは死亡してしまったと主張
している。自衛隊が拉致被害者救出のために北朝鮮に入ることを彼らが了
承することなどあり得ないだろう。従ってこの条件は決して満たされず、
自衛隊は動けない。

条件の第2点は、「当該国」つまり北朝鮮の治安が維持されていて自衛隊
が戦闘に巻き込まれないことが保証されなければならないという点だ。

自衛隊出動の可能性があるのは北朝鮮の現体制が大きく揺らぐときだ。韓
国軍、或いは米軍も中国軍もすでに展開中かもしれず、戦争状態だろう。
だからこそ、日本人救出には自衛隊が行かなければならない。にもかかわ
らず、北朝鮮の治安が維持されていない限り、自衛隊の展開は許されない
というのであれば、自衛隊は動けない。

第3の条件はもっと噴飯ものだ。自衛隊の展開には当該国(北朝鮮)の国
軍や警察との連携が必要だというのだ。

参議院議員の青山繁晴氏が語った。

「自衛隊の出動は韓米軍が北朝鮮と戦争状態になっているなど、尋常では
ない状況下ですよ。米軍と戦っている北朝鮮の軍や警察と、日本の自衛隊
がどうやって連携できるのか。こんな非現実な酷い条件がつけられている
のが安保法制です」

ここまで自衛隊を縛る条件付きでも民進党は「人殺し法案」だと反対し
た。拉致被害者とその家族に思いを致さないのか。

午前六時、まもなくテロ等準備罪の成立だと、テレビのニュースが伝えて
いる。「参議院は良識の府としての良識を捨てた」と蓮舫氏が批判してい
た。加計学園問題を材料に、それとは本質的に無関係の重要法案阻止で政
局に動いた民進党こそ、良識を捨てたのではないのか。

『週刊ダイヤモンド』 2017年6月24日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1187


◆現状維持は「阿Q政策」

Andy Chang



パナマが中国と国交樹立を発表して台湾と断交したため台湾はショックを
受けた。民進黨、蔡英文に対する批判が相次ぎ、蔡英文の支持率は21%
まで下落した。やがて台湾と国交のある国はゼロとなり台湾は世界の孤児
となると言う論もあるが、国交を断たれたのは中華民国で台湾ではない、
今こそ中華民国を捨てて台湾国を名乗るべきだと言う人も居る。

中国は台湾に対し敵意を露わにしている。それなのに蔡英文は現状維
持とか善意と言う叩頭外交を続ける。メディアは親中派の宣伝ばかり、
商売人は中国投資を続ける。人口の85%が台湾人と言うのに蔡政権は中
華民国の名義を捨てず統一派の主張を抑えることをしない。

6月14日のワシントンの新聞によると、ティラーソン国務大臣は国会に赴
い「長期中国政策」について説明を行い、アメリカは将来50年の中国政
策において「従来のチャイナポリシー」を維持するのは当然だが、米国の
台湾に対する約束を固守することにも変わりはないと述べた。つまり米国
50年の長期政策とは、中国と戦争はしたくないが台湾の安全は守るという
ことだ。

これに対し中国は台湾は中国の領土で、台湾が独立すれば武力で併呑
すると言う。片方が台湾併呑の野心を隠さず恫喝し、片方は武力で台湾
を防衛すると言う。両方が頭越しに「政策」を掲げているのに対し、台湾
は「中国の領土か、台湾人の領土か」を明確にしない。台湾は台湾人の国
だと言うべきだが言わずに現状維持と言う「阿Q政策」を続けている。

●台湾の七不思議

台湾問題の七不思議とは以下の通りである。

1.台湾は西太平洋の第一列島線の中央にあり、中国が併呑すればハワ
イ、米国西海岸は中国の脅威を受ける。米国は台湾を放棄しない。

2.台湾が中国に併呑されたら日本、フィリッピン、インドネシアなど東南ア
ジアの多くの国が中国の脅威に晒される。

3.台湾では在台中国人の圧力で「親中」、「反中」、「和中」といった意見
を流している。

4.台湾人は中国の恫喝を怖れて独立宣言をしない。

5.アメリカも曖昧政策を維持して台湾独立阻止している。

6.中国は台湾人の投資を歓迎し、同時に台湾に経済進出する。

7.台湾は中国の脅威に晒されても南進政策がなかなか進展しない。

●蔡英文の支持率低下

パナマ外交が失敗して蔡英文の支持率は大幅に下がった。台湾の人口
比は85%が台湾人で15%が中国人だが、政治力では独立と統一が半半で
ある。蔡英文が総統になり、民進黨が国会で大多数となって完全執政と
言われる台湾で蔡英文の支持率が21%となったのは台湾人が蔡英文・民
進黨に失望したからである。しかし蔡英文を支持しないけれども絶対に国
民党を支持しない。つまり人民の独立願望が強くなったのだ。

選挙で国民党に勝ったとは言え、蔡英文は国民党や親民党の政治人物
を閣僚に任命し、国名を中華民国とし、民進黨と國民黨の二大政党政治
を進めている。これほど愚劣な政策はない。国民党を潰せば台湾の政治
は一枚岩となるではないか。

中国の台湾併呑は台湾が中華民国の名義を保持するから有効であり、
諸国がどんどん中華民国と断交すれば自然と中華民国は滅亡する。そう
なったら台湾は自然と台湾国となる。国名を変更しないから蔡英文の人
気が落ちるのである。

蔡英文が中華民国の名義を放棄しないのは「現状維持と言う阿Q政策」
を取るからである。阿Qは何もしないから中国は恫喝だけで武力行使を
せず、アメリカは戦力で台湾を保護する必要がない。蔡英文が何もしない
から台湾は独立できない、だから蔡英文の支持率が落ちるのだ。

●外交よりも内政を優先せよ

パナマが一方的に断交しても蔡英文は何もせず口先だけ強がりを言う。
蔡英文が強い政治を行えないのは外省人が干渉するからである。「阿Q
政策」を放棄するなら外交より内政を優先すべきである。

台湾は中国の領
土ではない。台湾人は中国人ではない。台湾は中国の併呑を拒否し、台
湾国を作る。独立を宣言し国内に蔓延る統一派を一掃すれば政治は安定
し、台湾は国際的に尊重され、台湾と国交を始める国が増加する。

独立を宣言すれば中国はミサイルを撃ってくるだろうか。アメリカは台湾
防衛を放棄するだろうか。そんなことはない。本当にそうなったらアジア
全体が戦乱となり、アメリカの中国政策は根本的に失敗となる。

台湾が何もしないのは蔡英文が「善意と自称する叩頭外交」を行い、中華
民国の名称を放棄しないからである。

蔡英文が中華民国を固執するのは国民党・外省人の勢力が強いから、蔡英
文の国民党と親民党の外省人を起用しているからである。内閣も軍隊も外
省人に占められているのに民進黨の完全政治と言えるはずがない。

しかも民進黨が独立を放棄したから台湾が中華民国の首枷を嵌められたの
である。蔡英文は早急に内閣改造を行って外省人政治家を排除すべきである。

国民党を潰せば台湾は良くなる。国民党を潰すのは簡単である。第一に
国民党が違法取得した日本の資産を清算して没収、賠償、処罰を明確

にする。第二に司法正義を実行して国民党の過去の数々の違法を清算
する。この二つを実行すれば国民党は破産し外省人勢力を一掃できる。
民進黨がこの二つを実行しなければ台湾人は民進黨を捨てて独立を主
張するはずだ。

パナマとの断交が起きたあと、蔡英文が阿Q政策を捨てて独立路線を取
るか、或いは台湾人が蔡英文を見限って自立路線を選ぶか、これが台湾
人の二者択一となるだろう。


◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎



1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京
湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい
た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。
屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に
よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、
このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり
とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ
て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と
いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を
した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大
造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で
初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組
員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極
めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦
「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始
まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高
木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事
は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た
だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、
野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間
に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか
り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。
以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜
を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ
とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気
はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ
け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ
れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い
「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有
効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に
ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん
ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、
飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが
足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。
その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ
ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ
た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート
した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明
治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って
いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ
ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ
けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー
ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米
ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し
た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し
た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ
うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と
した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン
B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい
うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣
の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本
人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ
たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の
学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に
玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで
あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄
米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食
べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ
ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森
一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です
が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な
がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ
て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験
ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた
め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒
でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾
病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問
題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい
た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確
たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と
の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確
立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない
か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら
い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では
ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、
「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革
案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚
気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸
軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定
する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても
「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で
しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近
代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール
が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気
に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に
対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で
発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統
計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概
に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で
その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対
する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で
は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい
た。> 2006.05.07  再掲


◆「木に竹を接ぐ」マスコミの都議選認識

杉浦 正章
 


国政選の先行指標などにはならない
 


安倍は堂々と街頭に立て


「一犬虚に吠ゆれば万犬実を伝う」とは、一人がいいかげんな ことを言うと、世間の多くの人はそれを真実のこととして広めてしまうということのたとえだ。近頃の政治記事の風潮はまさにこの様相である。日経、毎日、時事の順で、今回の都議選が1989年や2009年のケースとそっくりで、都議選に敗れれば政局につながると言いはやしている。過去2回の都議選が先行指標になるというのだ。民放などはオウムのようにこの論調を繰り返しているが、本当にそうだろうか。


筆者は「木に竹を接ぐ論法」だと思う。当時の状況は24年前はもちろん、8年前もつぶさに覚えているが、全く政治状況が現在と異なっている。まだ編集局内に当時を知る幹部や記者がいるだろうに、「とろい記事」を書かせて黙認しているのはどういうことか。
 

最初に書いた日経は23日付で「1989年は消費税導入とリクルート事件の直後で、都議選は改選前から20議席減らし43議席に終わった。続く参院選で自民党は33議席を減らす惨敗。宇野宗佑首相が退陣に追い込まれた。2009年は自民党が都議選で10議席減らし38議席に落ち込み、都議会第1党から転落した。その後の衆院選は改選前から181議席減の119議席となり、民主党に政権交代を許した。」と書いて、安倍の置かれた状況につなげている。毎日は24日、時事は25日に似たり寄ったりの記事を書いて追いかけている。
 

まず89年の例と現在の政治状況を比較すれば、似て非なるものであることが分かる。首相の置かれた状況が異なる。竹下登のあとを継いだ宇野宗佑は芸者に「3本指でどうだ」と月30万円で囲う話を持ちかけたスキャンダルが明るみに出て、与野党から総スカン。国民もあきれ果てて支持率は10%まで落ち込んだ。安倍の場合は宇野のような薄汚いスキャンダルはゼロであり、歴代首相と比べても外交・安保や経済上の実績は最高の部類である。
 

加計問題なども民新、共産両党と朝日など一部マスコミが大袈裟に騒いでいるだけで、疑獄事件にはほど遠い実態である。都議選は、小池の「都民ファーストの会」などというど素人集団が、都民の民度の低さをバネにして小池の名前だけで一定の数を確保しそうである。自民党が第一党の座を確保出来るかどうかは予断を許さない。しかし小池の支持率も豊洲移転問題の失敗で馬脚が現れ、陰りが生じ始めている。都議選の勢いを駆って国政選挙に多数の候補を擁立する勢いが出るかどうかは疑わしい。


都民と違って他府県は民度が高く、小池のタヌキ的な“化かしのポピュリズム”は見抜かれる。一方でこれだけマスコミから叩かれても安倍の支持率は40%台ある。毎日だけが36%だが、これはいかに毎日の調査がいい加減であるかを如実に物語るものだ。
 

もう1人支持率10%台で2009年に退陣したのが麻生太郎だ。まず麻生個人の首相としての資質の問題があった。しょせん器ではなかったのである。加えてかつてない早さで悪化する経済情勢、ねじれ国会における野党の審議拒否・審議引き延ばしの結果、迅速な景気対策もとれなかった。日本郵政をめぐる人事問題での総務大臣鳩山邦夫更迭などで支持率は急降下をたどった。この結果総選挙に大敗して民主党との政権交代となり、以来3年にわたる民主党政権の暗黒時代をもたらしたのだ。
 

89年も09年も都議選が国政選挙の惨敗につながったが、今度の場合都議選と直結する国政選挙はない。したがって国政で民新、共産が大幅に議席を伸ばす可能性はない。ましてや民進党が政権交代できるほど躍進する気配などゼロだ。その上両党は都議選でも不振である。都議選は「都議会第1党」の維持を目指す自民党と、一過性の「つむじ風」になりそうな都民ファーストによる「一騎打ち」の色彩を濃厚にしている。


この結果民進、共産両党が弾き飛ばされる流れが各種世論調査でも生じている。まさに両党埋没の危機である。早くも蓮舫は選挙後に代表辞任せざるを得なくなるとの観測すら生まれているのだ。
 

こうした中で首相・安倍晋三が都議選の選挙応援を街頭に立って行うかどうかが注目される。民放テレビでは反安倍のバリバリの慶応大学教授片山善博らが、安倍が都議選公示後街頭に立たなかったことをあげつらい、鬼の首を取ったように勝ち誇った解説をしている。落ち目の蓮舫までが26日、「総理は表に出て堂々と話をすればいいのに、しないのは都合の悪いことがあるからではないか」と、かみついた。加えて「国会では語らず、街頭で演説に立たない。しかし自分のシンパが多い講演では、べらべら話をする。説明もできず、逃げている姿勢は、絶対に許してはならない」と挑発している。こうしたムードを打ち破るには安倍が機を見て堂々と街頭に立つしかあるまい。


26日も自民党都議選候補者の演説会に出席し、応援演説をしているが街頭には立っていない。街頭演説も支持率40%以上なら十分過ぎるほどであり、戦える。風林火山ではないが「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」のうち「不動如山」から一挙に「侵掠如火」に転ずるべきだろう。
たとえ負けても闘うのが安倍政治の真骨頂であるはずだ。街頭演説も自民党がフル動員して、人種のレベルが高い銀座のど真ん中で盛り上げればよい。選挙戦の常識だ。


◆俳談

【2物衝撃】

◆真夜中の天井裏に青大将    毎日俳談入選
 
意外な二物の取り合わせの句を二物衝撃句という。真夜中の天井裏とネズミでは日常的。しかし天井裏と青大将となるとゾクゾクとする恐怖感をもたらす。そしてよく考えてやっと旧家には青大将が住みついていることに考えが至る。

◆露人ワシコフ叫びて石榴(ざくろ)打ち落す 西東三鬼
 
妻を亡くした隣人のロシア人が、長いサオを持ち出し叫び声と共に手当り次第にザクロをたたき落していたのを三鬼が描写したものだ。事情を知らない読者はロシア人と石榴の取り合わせの意外感から、様々な空想の世界へといざなわれる。


<今朝のニュース解説から抜粋・俳談>     (政治評論家)  

◆中小企業経営承継円滑化法

川原 俊明



中小企業経営承継円滑化法には、遺留分に関する民法の特例、事業承継時の金融支援措置、事業承継税制の基本的枠組みが規定されています。
   
今回は、遺留分に関する民法の特例について簡単に解説します。

  民法では、相続人らの生活の安定や相続人の公平を担保するために、
最低限の相続の権利を規定しています。

例えば、被相続人に配偶および子の相続人がいるにもかかわらず、遺言によって不倫相手の女性に財産を遺贈された場合、配偶者や子は不倫相手に最低限の相続分を主張し、金銭の支払いを要求することができます。これを遺留分減殺請求権といいます。
   
事業承継の場面では、先代は後継者に多くの株式を譲りたいと
  考えます。しかし、遺言によって後継者に株式を譲り渡しても、
  他の相続人が遺留分を主張すれば、後継者が多くの支出をするこ
  とになり、事業継続が困難になる場合があります。
   
そこで、中小企業経営承継円滑化法は、この民法の遺留分の規
  定について、2つの特例を設けました。
   
1つ目は、一定の株式の価額を遺留分算定の基礎にしない除外
  合意ができ、2つ目は、遺留分算定の基礎財産に算入すべき価額
  を予め固定できることになりました。但し、推定相続人全員の合
  意が必要です。
   
どちらかの合意をして、経済産業省の確認および家庭裁判所の
  許可を受けることによって、当該合意の効力が発生します。
   
同特例を利用するためには一定の要件があります。
   
スムーズな事業承継をご検討の際は、当事務所にご相談ください。

530-0047 大阪市北区西天満2丁目10番2号 幸田ビル8階  
弁護士法人 川原総合法律事務所      
弁護士 川 原 俊 明 



2017年06月26日

◆ブラジル日系移民、一世紀の苦闘

伊勢 雅臣



 日系移民がブラジルで尊敬される地位を獲得するまでには、日本人の
「根っこ」に支えられた苦闘の物語があった。


■1.「ブラジルでは日系人は人口の1%しかいないのに、大学生は10%
も占める」

筆者がアメリカに留学していた時に、ブラジルから来た留学生から「ブラ
ジルでは日系人は人口の1%しかいないのに、大学生は10%も占める」と
聞いて、嬉しく思った事がある。

たとえばサンパウロ大学は、ブラジルのみならずラテンアメリカ世界での
最難関大学であり、多くのブラジル大統領を出しているが、そこでの日系
人学生は14%を占めている。

筆者が嬉しく思ったのは、日本人が優秀だ、という事ではない。ブラジル
に移住した日本人も、親は子のために尽くし、子もその恩に応えて頑張
る、という日本人らしさを発揮しているのだろうと想像したからだ。

私自身も一度、ブラジルに出張して仕事をした事があるが、多くの日系人
社員が企業の幹部を務め、その誠実さと有能さは、日本からの駐在員に勝
るとも劣らないと実感した。ブラジル国内でも日系人はいまや社会的に尊
敬されている。

親が子を思い、子が親の恩に応えるという、いかにも日本人らしい成功物
語が地球の裏側で展開されたと私は受け止めていたのだが、それがいかに
浅薄な理解であるかを、深沢正雪氏の『「勝ち組」異聞─ブラジル日系移
民の戦後70年』[1]を読んで知った。

深沢氏は長らくサンパウロ市の邦字紙「ニッケイ新聞」の編集長を勤め、
この本でも現地で集めた多くの史実を紹介している。それらを通じて、ブ
ラジルの日系移民が今日の地位を得たのは、一世紀もの間、幾多の苦難を
乗り越えてきた苦闘の結果である事がよく分かった。

その苦闘ぶりにこそ、日本人らしさが現れていることも。


■2.出稼ぎ

日本からブラジルへの移民は明治41(1908)年に始まり、戦前戦後を通じ
て25万人にのぼるが、その半分以上にあたる13万人が1926年から1935
年までの10年間に集中している。

これは大正12(1923)年の関東大震災、昭和5(1930)年から翌年にかけての
昭和大恐慌という国内の経済的困窮に迫られたこと、国外からは大正
13(1924)年に米国で排日移民法が成立して道をふさがれ、ブラジルが新た
な移民の受入れ先になったことによる。

しかし、1934年にはブラジル政府が日本移民の入国制限を始め、またその
ころには満洲が新たな移住先となっていたことで、ブラジルへの移民は激
減した。ブラジルへの移民は自由な選択というよりも、国内の経済的逼迫
と国際政治の風向きによって、やむなく新天地を求めた、という側面が強
かったようだ。

したがって戦前の移民20万人のうち、85%は何年かブラジルで働いて金を
貯めたら、帰国しようとする出稼ぎ意識でやってきたのである。


■3.日系移民の苦難

しかし移民がたどり着いたブラジルは、豊かで平和な新天地とはほど遠
かった。

ブラジルは土地も肥沃で日本の日雇い労働者の2倍も稼げるという話に惹
かれてやってきたのだが、大規模コーヒー農園で働いても、低賃金から食
費を引かれるとほとんど残らない。やむなく自力で低湿地を切り開いて米
を作り始めても食べるのに精一杯、雨期には蚊が大量発生してマラリアの
病魔に襲われたりもした。[a,b]

社会的にも「かつてのブラジル人エリートは常に人種差別者だった。ブラ
ジルが発見された当時、下等民族とみなされたインディオが大量虐殺さ
れ、黒人は動物,商品として非人間的な扱いを受け、その次は移民、特に
アジア系移民が標的にされた」と評される有様だった。[1, p255]

政治的にも不安定で、1924年には6千の革命軍が20日にわたってサンパ
ウロ市内を占拠し、それを3万の政府軍が包囲して激戦を展開する、とい
うような物騒な国だった。

言葉も解さず、政治力も持たない日本人移民は農村に散在していたが、革
命軍の敗残兵は格好の餌食としてそうした植民地を襲って、略奪を行っ
た。移民たちは結束して銃撃戦を繰り広げて自衛したが、無残に撃ち殺さ
れる人々も少なくなかった。

そんな苦難の中でも、日本語学校が集団地ごとに作られ、戦前だけで500
校近くあったという。ブラジルで生まれた子供たちも、やがて日本に帰っ
た時、普通の日本人としてやっていけるように、という親心からだろう。

日系移民たちは互いに助け合って、共同体として生き延びるしかなかっ
た。そんな共同体を支えたのが、勤勉、誠実、正直という日本人の「根っ
こ」だった。そして苦難の中で生き抜くことで、日本人の根っこは移民た
ちの心の中で、より太く、深く成長していったのではないか。

そうした勤勉さで成功した移民の中からは、大農場や工場、貿易会社を営
む人々も現れるようになった。


■4.日系移民への弾圧

1930年に軍事クーデターを成功させたヴァルガスが大統領となった。ヴァ
ルガス独裁政権はブラジルでのナショナリズムの高揚を狙って、初等、中
等教育でのポルトガル語以外の外国語の学習を禁じた。1938年にはブラジ
ル全土の日本語学校が閉鎖され、1941年には日本語新聞禁止令によって全
邦字紙が停刊となった。

1941年12月、大東亜戦争が勃発すると、日系人が築いてきた大規模農場、
商社、工場などの資産が差し押さえられた。日系社会の指導者層が検挙さ
れ、拷問を受けた。

1943年7月に、サンパウロの外港・サントス港沖でアメリカとブラジルの
汽船合計5隻がドイツの潜水艦によって沈められると、日独伊の移民に対
して24時間以内にサントス海岸部からの立ち退きを命ぜられた。日系移
民も女子供老人に至るまで手回り品だけをもって、移民収容所まで歩かさ
れた。

その当時の人々の心境を、移民画家・半田知雄氏は次のように描いている。

多くのものが警察に拘引され、留置場にたたきこまれ、ときには拷問され
たという噂があり、不安がつのればつのるほど、この状態を脱出するため
の未来図は、東亜共栄圏内に建設されつつあるはずの『楽土』であった。

民族文化を否定され、そのうえ日常生活のうえで、一歩家庭をでれば、
戦々恐々として歩かねばならないような息苦しさに、ブラジルに永住する
心を失った移民たちは、日本軍部が約束した共栄圏のみが、唯一の生き甲
斐のあるところと思われた。[1, p64]


■5.勝ち組と負け組

1945年8月14日(時差により日本時間とは一日ずれる)、祖国敗戦の報が
もたらされた。いつかは帰国すると願っていた移民たちにとって、敗戦は
帰る場所が無くなってしまう事を意味した。

その心理的抵抗に加えて、「天皇の神聖な詔勅が、ポルトガル語で新聞に
でたというのが、すでにおかしい」とか、「20万同胞の在住するブラジル
に、正式な使節が派遣されないという理由はない」と多くの人々は考え、
実は日本が勝ったという噂が広がった。移民の7、8割がこれを信ずる
「勝ち組」に属した。

一方、移民社会のリーダーたちは、戦時中の検挙や資産差し押さえに懲り
て、ブラジル政府を恐れ、敗戦を受け入れて「負け組」となった。彼らは
勝ち組がやがてブラジル政府批判を始めて、自分たちはその巻き添えを食
うという心配から、勝ち組を抑えにかかった。

戦前には大日本帝国の国威発揚を説いていた指導者たちが、手のひらを返
すように敗戦を説き始めたことに、勝ち組の人々は裏切られたと感じた。
負け組からは「負けたんだから、もう日の丸はいらない」などという発言
まで飛び出したという。


■6.「日本国家と皇室の尊厳のために立ち上がったんです」

負け組の筆頭と目された脇山甚作・退役陸軍大佐は勝ち組の若者4人に暗
殺された。実行犯の一人、日高徳一はこう語っている。

僕等はなにも勝った負けたのためにやったんじゃない。あくまで日本国家
と皇室の尊厳のために立ち上がったんです。脇山大佐には申し訳ないが、
彼個人になんら恨みがあったわけではない。[1, p176]

日高はすぐに自首して、牢獄島で2年7ヶ月を過ごしたが、その後、官選
弁護士からは「目撃者はいない状況では犯罪は成立しない」から釈放だ、
と言われた。日高は「それは違う。人の家庭をグチャグチャにしたんだか
ら、こんなことで釈放では大義名分が通らない」と言い張り、約30年の
量刑を言い渡された。

結局、10年で釈放されたのだが、「日本人が普通の生活をしていたらそれ
だけで模範囚ですから、どんどん刑期が短縮されちゃうんですよ」。テロ
リストですら純真な日本の心根を持っていた。

こうした事件を機に、ブラジル官憲が勝ち組と見なした3万人以上、すな
わち在留邦人の7人に一人が取り調べを受けるという捜査を行った。その
中では、「御真影(天皇陛下の写真)を踏んだら、留置所から出してや
る」と言われた移民もおり、それを拒否しただけで監獄島に送られる、と
いう弾圧も行われた。


■7.「日本を愛する心を子どもに植え付けるために」

戦後、4、5年も経つと「戦争は終わり、日本は負けた。でも日本は残っ
ている。引き揚げ者であふれ、食糧難の日本には帰れる場所はない。それ
に、子供はブラジルで大きくなってしまった。ブラジルに骨を埋めざるを
えないのか」という諦めが広がっていった。

しかし、その諦めをバネにして「ここで子供にしっかりと勉強させて良い
大学にいかせ、社会的に立派な立場にさせよう。そうすることで戦争中に
自分たちをバカにしてきたブラジル人を見返さなくては」という志につな
がった。サンパウロ大学を「ブラジルの東大」と呼んで、親は身を粉にし
て働き、子供を送り込んだ。

勉学ばかりでなく、「日本を愛する心を子どもに植え付けるために日本語
教育に力を入れよう」と考え、日本語教育や日本文化継承に全身全霊を捧
げた人々も現れた。

拙著『世界が称賛する 日本人の知らない日本』でも、江田島の旧海軍兵
学校を訪れた17歳のナタリア・恵美・浅村さんが、英霊の心を偲んで書
いた「げんしゅくな気持ち」という一文を紹介した[c, p201]。

ナタリアさんは、サンパウロ市の松柏(しょうはく)学園の生徒で、この
学園は2年に一度、2,30人の生徒を日本に送り、生徒たちは約40日をか
けて沖縄から北海道までを回っている。

地球を半周する飛行機代と40日もの宿泊費は送り出す親にとって相当な負
担であるが、「自分のルーツに誇りを持ってほしい」「美しい日本を見て
きてほしい」という日系人父兄の切なる願いが40年にもわたる使節団の
派遣を支えてきたのである。

このように祖国は敗れ、帰国も絶望的になったという境遇の中でも前向き
な精進を続ける所に、日本人の根っこからのエネルギーが発揮されている。


■8.「我々は日本語や日本文化の灯を絶やさなかったから生き残った」

深沢氏は勝ち組系の二世長老から聞いた次のような発言を紹介している。

戦後、認識派(JOG注: 負け組)の子孫はどんどんコロニア(JOG注: 日系
人社会)から離れ、同化して消えていったが、我々は日本語や日本文化の
灯を絶やさなかったから生き残った。そして、むしろそれが評価される時
代になった。[1, p77]


日本人としての「根っこ」を失えば、圧倒的多数のブラジル人に同化吸収
されてしまう。逆に日本語や日本文化の根っこを大切に育ててきた人々
は、ブラジル社会に独自の貢献ができ、それが評価される。

ブラジル法学界の権威である原田清氏は編著書『ブラジルの日系人』の中
で「ニッケイは日本人の魂をもってブラジル人として振る舞う」人々で、
「本国ではもう見られないような(伝統的な)日本文化をわかちがたい絆
として引き継いでいる」と書いている。

深沢氏が「どんな伝統的な日本文化が次の世代に継承されるのか」と原田
氏に問うと、「勤勉、真面目、責任感、義理、恩、礼などが残ると思う」
と答えた[1, p76]。

これらの徳目こそ、日本人の根っこそのものだろう。本国・日本では占領
軍とその後の左翼思想による歴史の断絶によって、我々の根っこがほとん
ど断ち切られてしまったが、ブラジルの日系人は意図的な努力で根っこを
太く深く伸ばし、そこから湧き出るエネルギーによってブラジル社会で称
賛される地位を築いたのである。

 ブラジルの日系人の苦闘の物語は二つの事を我々に示してくれている。

 第一に、日本人の根っこは、ブラジルという異境の大地においても、
しっかりと太い根を伸ばし、立派な幹を育て、美しい花を咲かせたこと
だ。この事実は、日本人の根っこが世界に通用する普遍性を持っているこ
とを示している。いまや世界各地で暮らし、仕事をしている在外邦人に
とって貴重な示唆である。

 第二に、ブラジルの日系人が、日本人の根っこからのエネルギーによっ
て苦難を乗り越え、その過程でまた根っこを太く深く伸ばした事である。
これは防衛、経済、少子高齢化など多くの苦難に直面している日本列島に
住む日本人に希望を指し示している。

 現代の日本人全体にこのような貴重な教訓を示してくれた在ブラジル同
胞の一世紀の苦闘に深甚の敬意と感謝を捧げたい。


■リンク■

a. JOG(396) ブラジルの大地に根付いた日本人(上)
家族のために「大儲けして、一日も早く広島に戻らんといけんなあ」と
二人はブラジルに出発した。
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h17/jog396.html

b. JOG(397) ブラジルの大地に根付いた日本人(下)
ブラジルの大地に残した「ジャポネース・ガランチード」(日本人は保
証付き)の足跡
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h17/jog397.html

c. 伊勢雅臣『世界が称賛する 日本人が知らない日本』、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4594074952/japanontheg01-22/

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 深沢正雪『「勝ち組」異聞─ブラジル日系移民の戦後70年』★★★、無明
舎出版、H29
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4895446247/japanontheg01-22/

◆「措置入院」精神病棟の日々(51)

“シーチン”修一 2.0



大相撲本場所は15日間だから、前回「今は終盤戦で崩れて5連敗。結局6勝
14敗」と書いたのは「10勝5敗」の間違いだった。こうして徐々に呆けて
いく。「老人呆けやすくポックリ成り難し」だな。

平幕で連勝していた人が書いていたが、「もしかしたら優勝できるかもし
れない」と思い始めたら「もう敗けられない」となり、連敗したという。
平幕だと場所の始めから上位と戦うから「敗けて当たり前、ここは思い
切っていこう」と踏み込みもいい。が、横綱、三役に勝って11連勝、優勝
を意識し始めて「もう敗けられない」となったら、思い切ってぶつかって
いけなくなり、連敗したそうだ。

守りに入ってしまうとか、衝突を避けたい、勝てなくても負けたくはな
い、落としどころを探る、情勢の変化を待つ・・・といった消極姿勢にな
りがちで、もうこれでは「築城8年、落城3日」にまずなってしまうだろう。

仕事もそういうことで、常にチャレンジする。「生き残りたければ自分を
変えろ」、つまり「今現在に安住していたら置いてけ堀になる、飽きられ
る、見向きもされなくなるぞ」という警句がある。

一流の人ほど、たとえば一流の経営者、管理職、エンジニア、研究者、芸
人、職人、芸術家などなど、それぞれの世界で「名人」「やり手」「カリ
スマ」「パイオニア」「指導者」と言われる人々ほど日々チャレンジして
いるだろう。

無形文化財として叙勲された方が「自分で心から納得できた作品はたった
一つです、毎日が勉強です」と言っていた言葉が思い出される。

古人曰く「日暮(く)れてなお道遠し」、スラムダンクの安西先生曰く
「諦めたらそこで終わり」、武田鉄矢のおふくろさん曰く、

「いうとくがなあ、なまじ腰ば降ろして休もうなんて絶対思うたらつまら
んど。死ぬ気で働いてみろ、テツヤ。人間働いて、働いて、働き抜いて、
もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、一度でも思うたら、はよ死
ね。それが人間ぞ。それが男ぞ」

岡本太郎は「芸術はバクハツだ!」と叫び、既成の芸術秩序を彼らしく革
新した。奇想天外、媚びることなく、真似ることなく、太郎にしかできな
い表現をした。ゴッホもそうだった。

チャレンジし続ける、常に限界へ挑む。それは失敗の連続かもしれない
が、1%あるいは0.1、0.01%未満の成功率でも「いつか青空」と信じて
チャレンジし続ける、「後に続く者ある」を信じて・・・

梶山季之曰く「裸にて生まれて来たに何不足」。老人となり、気力、体力
はどんどん衰えていくが、這ってでもチャレンジ、前進、攻撃を続け、
“戦死”したいものである。ま、これは理想であり、小生の現実は「人生は
ボウハツだ!」の連続だったが・・・

6/20は4週ごとの精神病院外来へ。カウンセラー“ピーコック”の名前は
ヨーコだったが、「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」を真似れば「お山
のヨーコ・丹沢・秦野」か。

♪心理学好きだっていってたけど キチ○イ相手じゃカワイソーだったね
エー あんまり何にも云わない娘だったけど ヂヂイ連中とよく話してい
たっけ 患者を残したまんま 三年たったら おサラバさ! アンタ あ
の娘の何なのさ!・・・

小生はヨーコ・ファン患者の一人に過ぎないのだが、入院以来の8か月で
一番話をしたのがヨーコで、お互いにすっかり馴染んでいるから、今さら
病院を変われない。患者のなかにはお気に入りのDr.が他の病院へ移ると
それを“追っかけ”る人もおり、そうなるとカウンセラーも変わってしま
う。小生もDr.の“イチロー”を信頼していたが、彼はフェミニストっぽく
て女性観が小生とはかなり違っていた。

しかしヨーコは「女はそういうものなのよ、だからこうしなさい」という
知恵を授けてくれる。今日のヨーコは「奥様に“こうした方がいい”とかの
アドバイスを修一さんがしてはいけません、優しい言葉をかけるだけにな
さい」だった。

“春琴”は術後で機嫌は最悪だ。「具合はどう、大丈夫?」なんて声をかけ
れば、「いいわけないじゃないの、ほっといてよ!」と怒られそうで、ど
んな優しい言葉をかけたらいいのか困惑している。佐吉の悩みは深い。

6/21、午前からすごい風雨。室内で機嫌よく趣味の世界に没頭を楽してい
たら1Fテナントから「雨漏りがしている」と通報。雨合羽を着て屋上へ行
くと、天地左右からの強風(多分ビル風)と豪雨で、笠木(かさぎ)の下
部から雨が侵入したのだ。

<笠木はビルの屋上などの陸屋根の周囲に防水のために立ち上がる低い壁
や外壁上部の断面などの水平になった部分など様々なところに取り付けら
れており、防水の役割を担っています。普段、雨水の漏水を防いでいます
が、年数が経過すると傷む確率も高く、劣化が進むと防水効果が薄れマン
ションの早期老朽化に繋がってしまいます>(ジェイ・プルーフ)

風で飛ばされそうだが、「腰が痛い、足がふらつく」なんて言っていられ
ない。とにかく浸水を防がなければならない。ビニールシートは風に飛ば
されるから利用不可で、大きなカーペットで笠木を覆い、飛ばされないよ
うに大急ぎでブロックを積み上げ、それが落ちないようにロープと3枚の
スノコで固定した。

まるで急造のバラック砦のようで、1971/9/16の天浪団結小屋での攻防戦
を思い出した。♪砦の上に我らの世界、築き堅めよ勇ましく ♪立て飢えた
る者よ、今ぞ日は近し・・・いざ闘わん 、いざ、奮い立て、いざ、あぁ
インターナショナル、我等がもの

放水銃の代わりに豪雨だが、スイッチオン、気分は吶喊モード、火事場の
くそ力。♪もうどうにも止まらない

大雨や大雪で老人が屋根から落ちて死傷する意味がよく分かった。危険な
のは分かっちゃいるが、やらざるを得ない場面なのだ。産経によると神奈
川県内では5人の老人が風に煽られて転倒しケガをしたそうな。仕事で死
ねば戦死、本望だぜ、全国30万(1971)の学生同志諸君!

翌22日は砦の安全確保のためにタイヤチェーンと、わが家族がキャンプの
時によく使った車屋根の荷物を固定するゴム製ネットで補強、23日は早朝
に孫のプール遊び用の日除けネットで覆い、目立たないようにし、フェイ
ルセーフでさらに頑丈になった。

10時ごろに援軍の長男が夜勤明けなのに参戦、ホームセンターで波板など
を買い、さっそく修理に入るために長男はわが砦を撤去し始め、小生は片
づけに回ったが、「築城10時間、落城30分」だった。一夜城の役割は終
わったのだ。

この間には宴会を含む家事、脚立を2つ利用して階段と玄関ホールの蛍光
灯交換、3F階段踊り場の観葉植物置き場増設、スズメの餌場作りも。狂
気、侠気、驚起、狂喜、強記&兇器の多動老人の病棟日記から。

【2016/12/9】*鴨緑江、豆満江を北朝鮮との国境とする支那。支那側は
都市、北側はただの林か村落で、経済格差は大きく、川の浅瀬を渡って北
から支那へ密航する人、食糧強盗する兵士などが少なくない。支那も1980
年代までは貧しかった。

大先輩で、その当時は中堅旅行会社社長、その後は投資コンサルタントに
転身したNさんは、中共高級幹部の子息の日本留学を支援し、何人かは自
宅で同居させていたようだ。「修一さん、中国では“古い友人”の人脈で物
事が動きますからねえ」、Nさんはいつもそう言っていた。

1984年に取材で東の上海、杭州をめぐり、空路で西の桂林へ向かうことに
なっていたが、運悪く欠航してしまった。ところが現地の国家旅游局のガ
イドが「大丈夫です、解放軍にお願いしましたから」。

「軍・・・軍用機で行くのか?」と半信半疑だったが、すぐに白い中型旅
客機が飛んできた。なんと軍が財閥となり、傘下に航空会社も持っていた
のだ。「スクランブルだ!」となれば最優先で滑走路を使えるから、速
い、安い、美味いの三拍子。こうした副業で軍人の懐は大いに潤ったので
ある。

軍はまるで総合商社のようになり、トウ小平が「これではあんまりだ」と
思ったのだろう、軍人の給与を上げることで軍の副業を禁じたが、「上に
政策あれば、下に対策あり」の国柄だから、軍の副業(正業が蓄財=私腹
を肥やすことで、国防は副業=バイトかもしれない)は地下に潜っただけ
のようだ。

軍用車両や戦闘機などの兵器をばらして部品として転売する(2007年)、
軍用地を転売する(2012年)、官位を売る(売官)、軍用地を農地として
貸し出す、就職に絡む贈収賄・・・何でもあり。

これは大昔からの伝統で、時の最高権力者、西太后が日清戦争の海軍予算
をチョロマカシて高級別荘「頤和園」を造ったのは有名な話。大砲の弾薬
には火薬の代わりに砂が入っていたという。これでは負けるわな。

中共では為政者は軍律を正せない。習近平を見よ、あちこちの軍を視察
し、「呼べば来る、来れば戦う、戦えば勝つ!」といったイロハのお題目
を飽きもせずに説教し、それを暗記させ、試験に出すだけ。軍事予算は
ちょっと削るだけで、それ以上やれば確実に殺されるから何もできない。

2015/9/3の「抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利70周年」軍事パレード
で、習近平は実につまらなそうな顔をしていた。まるで俎板の上の鯉、車
上からの閲兵では彼は右手でしっかりバー(手摺)を握っていたのだろ
う、軍から「軍を敵に回して殺されなかった政治家はいませんよ」とでも
脅されていたとしか考えられない。

軍は上海閥が握っており、その長老は江沢民だ。天安門の貴賓席で彼だけ
がはしゃいでいた。(つづく)2017/6/25