2017年06月06日

◆激腰痛で、歩けない

毛馬 一三



激腰痛等に悩まされ出して3年2か月が経つ。歩行が100b位しか出来ず道路で座り込んで仕舞う。バス・地下鉄には立ったまま乗車はできない。ましてや、地下鉄の階段は手すり棒にすがって上り降りをするが、激痛みに襲われている。

家でも、椅子に座ってパソコンに向かい合うのも、30分とはもたない。どうしてこんな腰痛に絡む激痛が起こったのだろうか。昼間、やむを得ない所要で外出先から帰宅すると、激痛のため、布団に寝転ぶしかない。

腰痛といえば、6年前に脊髄部の「すべり症」に見舞われ、下半身が痺れて倒れる症状が起き、大阪厚生年金病院で手術をした。手術は成功し、「すべり症」からは完全回復したので、以後腰痛には何の懸念も抱いていなかった。

ところが、冒頭記述のように、突然3年2か月前から、激腰痛が始まったのだ。そこで、今毎日、整形外科診療所に通って診察とリハビリを受けている。リハビリを受ければ次第に回復すると思っているが、中々痛みが減らない。

整形外科診療医院での診察で、まずレントゲンを撮影し、「すべり症手術の後遺症」の障害有無を調べてもらったが、それは無しとの診断だった。

しかし、痛みは、腰だけでなく、時間が経過するにつれて、右足の臀部、右下肢ふくらはぎに広がり、3か月前からは左右の腕筋肉にまで痛みが出だした。

腰痛だけでなく、右足・下肢の筋肉に痛みが広がり出したため、改めて診療所の院長に「病名」を質した。すると「仙腸関節炎」だと伝えられた。ではこの痛みの原因は何であるかを尋ねた処、「分からないです」との回答。

一体「仙腸関節炎」とは何か。日本仙腸関節研究会によると下記の様の記述されている。
<仙腸関節は、骨盤の骨である仙骨と腸骨の間にある関節であり、周囲の靭帯により強固に連結されている。仙腸関節は脊椎の根元に位置し、画像検査ではほとんど判らない程度の3〜5mmのわずかな動きを有している。
仙腸関節障害は決して稀ではない。仙腸関節障害で訴えられる“腰痛”の部位は、仙腸関節を中心とした痛みが一般的だが、臀部、鼠径部、下肢などにも痛みを生じることがある。
仙腸関節の捻じれが解除されないまま続くと慢性腰痛の原因にもなる。長い時間椅子に座れない、仰向けに寝れない、痛いほうを下にして寝れない、という症状が特徴的。
腰臀部、下肢の症状は、腰椎の病気(腰部脊柱管狭窄症・ようぶせきちゅうかんきょうさくしょう や 腰椎椎間板ヘルニア・ようついついかんばん など)による神経症状と似ているので、注意が必要。
また、腰椎と仙腸関節は近くにあり、関連しているので、腰椎の病気に合併することもあり得る。>

上記説明で、筆者の「仙腸関節炎」の症状や痛み箇所が一致し、神経症状と似ているとの指摘があったことからも、院長の病名診断に納得出来た。

しかし肝腎の「仙腸関節炎」の原因が何処から発生しているのかが分からないのでは、不安が増幅する。

どうすればこの激腰痛から脱出できるのだろうか。整形外科の分野で、「腰痛」の原因は、総じて分からないことが多いという説もある。

当診療医院で、1週間に1度、痛み止め注射(トリガーポイント注射、ノイロトロピン注射、ジプカルソー注射)を打ってもらい、1日3回・薬剤ザルトプロフェン錠80mgを飲んでいる。痛みの各局部には湿布も貼る。

また頼らざるを得ないのは、毎日の主軸治療の「リハビリ」だ。柔道整復師による局部マッサージのあと、ホットパック(タオルによる温め)、干渉波(電気)、腰の牽引の物理療法の4リハビリを40分間行っている。しかし局部の痛み緩和には余り効果はない。

「仙腸関節炎」の原因が分からない以上、対象療法しかないのは事実だ。だとすれば、歩けない、立てない、座れないのが強度になっていくばかりなので、日常寝たきりしかない。

「入院して高度手術」を再度受けることしかないのだろうか。     (了)


2017年06月05日

◆自分ファーストに映る小池都知事

櫻井よしこ




「自分ファースト」に映る小池都知事 言葉に信を置けない同氏の実
行力を注視」

飯島勲氏といえば長年小泉純一郎元首相に仕えた人物として名高い。
 
小池百合子氏といえば、政党を渡り歩き、多くの政界実力者に接近してき
たことで名高い。都知事就任以降の氏は、敵を作って対立構造に仕立て、
相手を悪者、自身を改革の旗手と位置づけて、高い支持率を保つ。
 
次から次へと敵を作り出してはケンカを売り続ける小池氏の手法は、ケン
カ上手の小泉氏を師として学んだものか。私は或る日、飯島氏にそのよう
に尋ねた。すると、強い調子で飯島氏が反論した。

「とんでもない。全く似ていません。正反対です」
 
間髪を入れない勢いと声音の強さに私は驚いた。氏はさらに強調した。

「政(まつりごと)においては誰もが納得する公平さが大事なんです。争
点が深刻な時ほど、目配りが必要になる。私が小泉首相にお仕えした時に
は、どんなことでも、必ず、対立相手の意見も本人に聞かせるようにしま
した。そうすることで、何かが見えてくる。そこが大事なんです。でも、
小池さんは、そうじゃないでしょ」
 
小池氏の唱えるスローガン、「都民ファースト」は、実は「自分ファース
ト」ではないかと私は感じている。調査によっては、70%という高い支持
率にも私は違和感を抱いている。氏の行動を見詰めれば見詰める程、氏の
言動への拒否感は強くなる。
 
今年4月1日、氏は東京都東村山市の国立ハンセン病療養所「多磨全生園
(ぜんしょうえん)」を訪れた。多くのテレビカメラの前で、氏はハンセ
ン病患者の方と握手し、納骨堂で献花し、手を合わせた。鮮やかなブルー
のパンツスーツ姿の小池氏は格好の報道素材となり、事実、メディアは大
いに報じた。
 
長年社会の一隅に追いやられ、辛い日々をすごしてきた方々に思いを致
し、救済の施策を進めることは、政治家の責任であり、美しい行動である。

「いまだに残るハンセン病への差別や偏見をどのように無くすのか。国立
施設ではあるが、都として解消に努めたい」と小池氏は述べた。
 
立派である。その決意は是非実行してほしい。全生園で暮らしている人々
は180人で、平均年齢は85歳近い。施策は急がねばなるまい。小池氏はど
んな指示を出したのか。
 
ここで思い出すのは氏が環境大臣だったときのことだ。水俣病が公式に確
認されて50年を迎えたにもかかわらず、救済されずにいわば放置されてい
る患者は、当時少なくなかった。そこで小池氏は柳田邦男、屋山太郎、加
藤タケ子各氏ら錚々たる10人の委員を選んで私的懇談会を設置した。
 
柳田氏らは1年4カ月をかけて、水俣病患者らの声に耳を傾け、現地を訪れ
て調査し、2006年9月19日、提言書を提出した。60ページを超える提言書
は、国民の命を守る「行政倫理」の確立と遵守を迫り、眼前で水俣病に苦
しむ人々を患者として認定する基準の緩和を求めていた。

患者救済が進まない最大の障害は、環境省がまだ庁だった時代に設定した
認定基準だった。2つ以上の症状がなければならないとする基準を1つでも
よいとすべきだと、柳田氏や屋山氏は主張した。
 
結論からいえば、小池氏は自らが設けた私的懇談会の提言を無視した。彼
女は、柳田氏らの調査が進行中の06年3月16日、参議院環境委員会で
「(水俣病患者か否かの)判断条件の見直しということについては考えて
いない、この点をもう一度明らかにしておきたいと思います」と答弁して
いる。
 
錚々たる人々を招集し、水俣病患者救済に取り組む姿勢をアピールした
が、行動は伴わなかったのだ。
 
だから私は、小池氏の言葉に信を置かない。あくまでも行動を見たい。5
月下旬の現在、彼女は全生園で語ったことに関して何の指示も出していない。
『週刊ダイヤモンド』 2017年6月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1184


◆脳卒中予防のために

渡部 亮次郎



脳梗塞や心筋梗塞は血栓(血の塊)が動脈に詰まって、血液が必要な場所
に行けなくなることから起きる。しかし、現在の医学はかなり進歩して、
新薬もできている。

それなのに街や公園では卒中による半身不随患者を沢山見かける。先日電
車で見かけた20歳代の男性は「若いオレが脳梗塞になるとは思えないから
病院に掛かるのが遅れちゃった」と残念がっていた。

脳卒中は、昭和26(1951)年から昭和55年までの30年間、日本人の死亡原因
の1位を占めていた。現在でも富山県では死因の第2位であり、全国的に
も昭和40年代後半から死亡率は減少しているが、その内訳をみると、この
40年間で脳卒中の主流は脳内出血から脳梗塞へと変化してきている。

死亡率が減少している反面、患者数はむしろ増加していることから、今
後、発症予防や発症した後のリハビリテーションの推進がますます重要に
なる。

脳卒中の種類(この場合の「脳卒中」は、国際疾病傷害死因分類における
「脳血管疾患」にあたる。)

脳内出血
脳の血管が破れて出血をおこすもので、多くの場合深い昏睡とともに半身
のマヒが起こる。誘因として疲労、精神不安、寒冷刺激などが多く、また
活動中にも起こることが多い。鳩山一郎、石橋湛山氏ら。

くも膜下出血
脳は、くも膜という膜でおおわれているが、くも膜と脳の表面との間にあ
る小さな動脈にこぶ(動脈瘤)があると、血圧が上がった時などに破れて
出血(脳動脈瘤破裂)し、くも膜下出血になる。

頭痛がひどく悪心、嘔吐があり意識が混濁するが、四肢のマヒは通 常お
こらない 。

脳梗塞
動脈硬化などのために動脈が狭くなったり、あるいは動脈や心臓内に出来
た血の固まりが脳の動脈に流れ込み、詰まってしまうために起こるもの。
長嶋茂雄氏など。私も軽い症状を体験した。

その血管によって栄養を受けている部分の脳組織に、血液がいかなくなり
破壊されて、脳の軟化を起す。田中角栄氏など

突然、発症するもの、段階的に増悪するものなど、病型により様々だが、
多くの場合、前駆症状としてめまい、頭痛、舌のもつれ、手足のしびれ、
半身マヒや昏睡などになる。

一過性虚血
脳の血液循環が一時的に悪くなり、めまい、失神、発作などをひき起こし
ます。少し横になっていれば治りますが、脳梗塞の前駆症状と考えられて
おり、高齢者では十分な注意が必要。数年前に私が体験、入院・加療した。

73歳の朝、起きて暫くしても、左手小指の先の痺れが治らない。心臓手術
がきっかけで医療に詳しくなったNHKの同僚 石岡荘十さんに電話で相
談。「脳梗塞かもしれないよ」という。

そこでかかりつけの病院に行って申し出たら「脳梗塞患者が歩いてこれる
わけが無い」と取り合ってくれなかったが、「念の為」と言って撮った
CTで右の頚動脈の詰まっているのが判って即入院。1週間加療した。

後に石岡さんの助言に従ってかかった東京女子医大神経内科の内山真一郎
教授によると、このときに念を入れて加療してもらったのが大変よかった
そうだ。

なぜならこれを脳梗塞の前兆と見ないで放っておくと、直後に本格的に脳
梗塞を起こしてしまうからとのことだった。爾来、内山教授の患者になっ
ている。

高血圧性脳症
高血圧がかなりひどくなると、脳の内部にむくみが起こる。このため、頭
痛、嘔吐、手足のけいれんなどが見られ、目が見えなくなることもある。

これらに共通するものは、コレステロールに拠る動脈硬化。理屈からすれ
ば、血管内にこびりついたコレステをそぎ落とせばいいようなものだが、
今のところ医学界にそういう薬は存在しない。

いまのところ世界が束になって取り組んでいるのが、血液をさらさらにし
て詰まりにくくする方法であり、そのための薬が「ワーファリン」である。

2011年になって新薬「プラザキサ」が許可になった。2012年4月から処方
期間が延びたのでこれに替えた。納豆を食えるようになった。

それでも卒中になったらどうするか。私の場合はプラザキサを服用中のた
め使用禁止だが、そうでない患者が発症3時間以内に担ぎこまれたら助か
る薬がある。「tPA」だ。

血管を塞いだ血栓を溶かす薬だ。長嶋さんは、発見された時、すでに3時
間を過ぎていたからtPAを注射しても無駄だった。右手と言葉に後遺症
が残ってしまった。

とにかく脳卒中の症状が出たらどこの病院に担ぎこんでもらうかを予め決
めておけば、死ぬことは勿論、後遺症すら残らない時代に既になってい
る。私の場合は石岡荘十さんの助言に従って決めた。

私の場合はかかりつけの東京女子医大病院か近くの都立墨東病院に決めて
いる。2012・7・19執筆



      

◆脳梗塞「2時間59分だとOK!」

安井 敏裕 (脳外科医・産業医) 



脳卒中とは、脳に酸素やブドウ糖などの栄養を送る血管が「詰まったり、切れたり、破裂して」、にわかに倒れる病気の総称である。脳卒中には、脳梗塞(詰まる)、脳出血(切れる)、くも膜下出血(破裂)の三種類ある。

この病気の歴史は古く、「医学の父」と言われているヒポクラテスは既に今から2400年前の紀元前400年頃に、この脳卒中の存在を認識し「急に起こる麻痺」という表現で記載している。脳卒中による死亡率は日本では癌、心臓病に次ぎ、第三位で、毎年15万人程度の人が亡くなっている。

しかし、本当に問題となるのは、脳卒中が原因で障害を持ち入院あるいは通院している人たちが、その約10倍の150万人もいることである。現在、脳卒中の中では、脳梗塞の発生頻度が突出して多い。2分20秒に一人が脳梗塞になっていると言うデータもあり、全脳卒中の70%程度を占めている。

この最も多い脳卒中である「脳梗塞」について、大きな治療上の進歩があったので紹介する。

脳梗塞は、脳の動脈が血栓や塞栓という血の固まりのために詰まることで起こる。この血の固まりで閉塞さえた血管から血流を受けていた部分の脳は、いきなり脳梗塞という不可逆的な状態になってしまうのではなく、数時間の猶予があり、徐々に脳梗塞になる。

この数時間の間に血流を再開してやれば、再度、機能を回復できることになる。いわば、「眠れる森の美女」のような状態で、医学的には、このような状態の部分の脳を「ペナンブラ」と言う。見方を変えると、この部分は、血流が再開しないと数時間後には脳梗塞という不可逆的な状態となってしまう訳である。

このペナンブラの部分に血流を再開する方法として、古くは開頭手術をして、目的の血管を切開し、中に詰まっている血の固まりを取り除く方法を行っていたこともあるが、それでは、多くの場合に時間がかかりすぎ、再開通させた時には、ペナンブラの部分は既に脳梗塞になっている。また、間に合わないばかりか、出血性梗塞というさらに悪い状況になってしまうことさえある。

開頭術の次に登場した再開通法は、カテーテルという長い管を血管の中に通し、その先端を詰まった部分にまで誘導して、血栓を溶かす薬を注入する方法である。

この方法では開頭手術よりも早く、血管を再開通させることができるが、この方法であっても、血管が閉塞してから6時間以内に再開通させないとペナンブラが脳梗塞になってしまうことが防げないし、間に合わずに血流を再開させた場合には、やはり脳出血が起こってしまう。

このようなことから、一時、我々脳卒中に関わる医師は、口には出さないが、最も理屈にあった治療法である「急性期に閉塞血管を再開通させて脳梗塞になることを防ぐ」と言う治療を諦め、虚無的になっていた時期がある。再開通させることを諦め、梗塞に陥ってしまった脳自体の治療として、脳保護薬や低体温療法へと興味が移行していた時期もあった。

しかし、米国で1996年から特別な手技や道具が不要で、ただ静脈内注射するだけで詰まった血管の血栓を溶かしてくれるアルテプラーゼと言う薬の使用が始まり、2002年にはヨーロッパ連合(EU)でもこの薬剤による血栓溶解療法が認可された。

わが国でも日本脳卒中学会を中心にこの薬の早期承認を厚生労働省に求めたが、「日本人を対象とした治験で良い結果が出ない限り承認できない」という厚生労働省の方針に答える準備のために時間がかかり(drug lag)、米国から遅れること約10年の2005年10月11日に漸く承認された。

この薬は血管に詰まった血栓を溶かしてくれる血栓溶解剤で、発症後3時間以内に静脈内注射するだけで良好な予後が得られる。

しかし、この薬剤は両刃の剣で、39項目に渡る使用基準を尊守しないと、脳出血の危険性が著しく増大することが分かっている。従って、厚生労働省も非常に厳しく市販後調査(2.5年間に3000例以上の全例調査)を課している。現在は、言わば試運転ないしは仮免状態と心得て、慎重に使用する必要がある。

そして、この薬剤を用いるためには、一定の講習を受ける必要があり、全国で130回以上行われ、8000人以上が受講した。実際に、この薬剤を発症後3時間以内に注射するには、患者さんには、遅くとも発症後2時間以内に病院へ到着してもらう必要がある。

すなわち、病院へ到着しても、患者の診察、一般検査、脳のCT検査、家族への説明など、最低1時間は必要であるためである。そのために、最初にこの薬剤の使用を始めた米国では、脳梗塞を“ブレインアタック(brain attack)”と言い直し、社会全体に向かって、その緊急性を啓発した。

すなわち、“Time is brain. Time loss is brain loss.”などの標語で注意を喚起した。日本においても脳梗塞を“ブレインアタック”という緊急を要する疾患として一般の方々に認識していただくために、学会や医師会などの啓発運動も行なわれるようになっている。

さらに、平成9年3月に創設された日本脳卒中協会においても、毎年5月25日〜5月31日までの一週間を脳卒中週間と定め啓発運動に努めるようになっている。脳卒中週間をこの時期にしたのは、とかく脳卒中は冬に多いと思われがちであるが、脳卒中の中で最も多い脳梗塞は、最近の研究では6−8月に増えだすため、脳卒中予防は夏から気をつけなければならないことを啓発するためである。

この週間で使用される標語も、昨年(2006年)はアルテプラーゼの使用が認められたことを念頭において「一分が分ける運命、脳卒中」であった。2001年の日本での脳梗塞急性期来院時間調査の結果では36.8%の患者が3時間

以内に来院している。この中の一部の方がアルテプラーゼ治療を受けることになるが、この割合をさらに増やして、本薬剤の恩恵を受ける人を増やす必要がある。

この治療では10年の経験を持つ米国では、この治療を受けるためには、@患者の知識、A救急車要請、B救急隊システム、C救急外来、D脳卒中専門チーム、E脳卒中専門病棟、とういう六つの連鎖の充実と潤滑な流れを推奨している。
 
一般市民への啓発や行政への働きかけなどが必要である。一方で、来院から治療までの時間も1時間以内にする努力が病院側に求められている。いつでも、3人程度の医師が対応できなければならないし、他職種(レントゲン部門、検査部門、看護部門)の協力も不可欠である。(了) (再掲)

(元大阪市立総合医療センター・脳神経外科部長 ・現社会福祉法人「聖徳会」岩田記念診療所 勤務)

2017年06月04日

◆「個人」や「幸福追求権」のおぞましさ

加瀬 英明


「日本国憲法」であれば、いうまでもないことだが、日本の2000年以 上
の歴史が培ってきた生活文化に適っていなければならない。

だが、外国人であるアメリカ人が書いて、占領下にあった日本に強要した
から、文化を全く異なっているし、翻訳臭がひどくて、私たちになじまない。

第13条【個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉】すべて国民は、個人とし
て尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要
とする。

「個人」という言葉は明治に入ってから、西洋諸語を翻訳するために、新
しくつくられた「明治訳語」だから、いまでも日本人の心に根づかない。
江戸時代が終わるまで、日本人は人と人との絆(きずな)のなかで生きてい
たから、一人の孤立した人間として人を意識することがなかった。「個
人」ではなく、「人間の尊重」「人間として尊重」でよいではないか。

「幸福追求権」にいたっては、不平不満をあおって、かえって人を不仕合
せにするから、憲法のなかでうたうのは、おぞましい。

西洋で「幸福追求権」が、法律によって定められるようになったのは、日
本で江戸時代に当たったが、支配階級による庶民の収奪と搾取が酷かった
ために、近代に入って人権や平等が求められるようになってからだ。

イギリスの詩人ウイリアム・ブレーク(1年〜1757ー1827年)は、ロンド
ンを流れる「テームズ川のほとり、私の出会った顔にはどれも弱々しさ
と、呪いの烙印(らくいん)が刻まれていた」と嘆き、もう一人の著名な作
家オリバー・ゴールドスミス(1728年〜1774年)は、「富が積まれ、人は
衰えゆくところ、国の歩みは道をはずれ、ますます悪の餌食(えじき)とな
る」と、憤っている。

明治初年のお雇い外国人の一人だった、イギリスのウイリアム・ディクソ
ンは明治9年に来日したが、「日本では西洋の都会にみられる、心労に
よってひしがれた顔つきなど、まったく見られない。老婆から赤子にいた
るまで、誰もがにこやかで満ちたりている。まるで世の中に悲哀など存在
しないかのようだ」と、書いている。

世界のなかで江戸時代の日本ほど、庶民が物心ともに豊かで、自由を享受
していた社会はなかった。庶民は武士よりも恵まれた生活を営んでいた。
庶民はよく働き、よく遊んだ。

歌舞伎は世界でもっとも絢爛豪華(けんらんごうか)な舞台芸術だが、庶民
のもので、武家は観劇を禁じられていた。ゆとりがあったから、庶民は芝
居、見世物、辻相撲、落語、楊(よう)弓場(ゆみば)から、活花(いけば
な)、茶会、香道、書道、囲碁、将棋、園芸、花火、食べ歩き、団体旅行
などの多くの余暇を楽しんだ。

今日の日本はどうだろうか。このごろの人は身勝手な幸せを追うために、
かえって自分を傷けて、不平不満をかこつている。幸せはあくまでも努力
した結果として、ついてくるものだ。

ついこのあいだまで、日本人は無事息災(健康で生活に障りがないこと)
のありがたさに感謝し、損得で幸せを計ることがなかった。たしかに、幸
福を享受している時には、意識されない。幸せは心のなかにあるもので、
物のなかにはな
い。

今日の多くの日本人が、「人生は楽の連続でなければならない」と、誤解
している。これでは人生の真実から、ほど遠い。     

憲法から「幸福追求権」を、削除したい。


◆習近平の夢「一帯一路」

宮崎 正弘



<平成29年(2017)6月3日(土曜日)通算第5314号>   

 〜習近平の夢「一帯一路」、スリランカでまた挫折。前途多難
  現地では反中国暴動が頻発、「反中」の筈のシリセナ政権も困惑〜

 スリランカ南部のハンバントタ港には既に中国の潜水艦が寄港してい
る。中国の意図は明らかにインド洋を扼するスリランカの戦略的要衝の活
用にある。

インド洋を横断し、アフリカ大陸へのシーレーン確保が中国の世紀の野心
であり、習近平の夢というわけだ。

2017年1月におきた反中国暴動は、中国主導の「工業団地」の建設に反対
する現地民がデモを組織し、警官隊と衝突、大暴動に発展した。
なにしろ6000ヘクタールの広大な土地を中国に提供することは、農地をと
られる農民にとって死活問題。しかも、現場労働者は中国からつれてきた
囚人だから、「付近には犬も猫もいなくなった」(スリランカのガイド)。

以来、スリランカ中国の「ウィンウィン関係」は急速冷凍のように冷たく
なった。中国企業のハンバントタ港のシェアは80%から20%に減らさ れた。

二転三転のプロジェクトはコロンボ沖合に人口島を造成し、ニューシティ
(コロンボ・シティ)を創るという壮大な夢である。

ラジャパスカ前政権が前のめりに承認し、その中国との度を過ぎた癒着が
問題化して落選してしまった。2015年1月の大統領選挙での番狂わ せ。
安泰といわれたラジャパスカが落選したことは、中国の「想定外」の 出
来事だった。

中国とのプロジェクト中止を謳うシリセナ大統領はコロンボシティを一度
キャンセルしたが、その後、中国側の強硬な訴訟に発展し、工事中断がま
た復活して埋立工事が再開されている。なぜならスリランカの対外債務は
60億ドル、このうち10%が中国であり、プロジェクトの中断はかえって
利子がかさむことになるからである。

とはいえ、タイでラオスでミャンマーで、中国主導の強引なプロジェクト
は挫折しており、この連鎖がスリランカに及んでいる。
 
日本のメディアが明るく報道しているような「一帯一路」(陸と海のシル
クロード)プロジェクトは随所で挫折しているのが、現状である。
        

◆「措置入院」精神病棟の日々(46)

“シーチン”修一 2.0



「ブログに家族のことを書くな、不愉快だ、バアバのことも書くな、バア
バも心が不安定になる、家族が壊れる」とJから猛抗議を受けた。言論に
は言論で対抗すべきだと思うが、衆を頼んで追放されかねないから、受け
入れるしかない。多勢に無勢。

女には「非勝(ひかつ)三原則」の「勝たない」「勝てない」「勝ちたく
ない」で行くしかない。勝ったところで男からは「バッカじゃない!」、
女からは「サイテーッ」と軽蔑されるだけで、勝つことによるメリットな
んてないのだから。

カウンセラーの“ピーコック”曰く「修一さん、迎えてくれる家庭、家族が
あって良かったですね、それがなければ今頃は野垂れ死にしてますよ」。
確かに・・・

<【女子と小人とは養い難し】〔論語 陽貨〕女子と器量の小さい者とは
節度をわきまえず、近づければなれなれしく、遠ざければ怨みを抱くので
扱いにくい(大辞林第三版)>

「小人」は小生自身なのかもしれない。身近なホモサピエンス雌の観察は
終わりにするが、作用には反作用があり、キチ○イの小生は「怨みを抱」
いて“10倍返し”しかねないから、自分で自分をちっとも信用できないし、
自分を恐れている。

それが多分ブレーキになっているうちはいいのだろうが、病膏肓で神を信
じ、自分を信じ、自分を殉教者だ、天国が待っているというISなどの宗教
テロリストはブレーキがなく暴走するばかりなのだろう。世界は要「措置
入院」病者、予備軍で溢れかえっている。

小林秀雄著「ゴッホの手紙」から。

<酔ってはいないと言い張る酔っ払いが危険なことは、誰でも知ってい
る。酔うのはアルコールだけとは限らない。主義主張に酔う人間の心の構
造も同じことなのです。ゴッホのように激しい妄想の襲来と戦わねばなら
なかった人は、それ故にいよいよ研ぎ澄まされた鋭い意識を持つように
なったが、私たちは、正気のおかげで、鈍い自己意識に安住しているので
はないかどうか。これは一考に価することでしょう>

アルルの市民の告発による緊急措置入院で監禁されたゴッホ。小林は
「ゴッホがアルルに定住してから自殺までの3年間で、サンレミイの精神
病院から自由だったのは合計1年ほどしかない」と指摘し、この(3年?)
間に傑作を描いたと言う。

小林は「彼の芸術と彼の精神病とは深い関係があることは否定できない」
としているが、ゴッホはアルルの市民を恨まなかったし、怒りもしなかっ
た。そうしなければさらに狂人と見られるし、感情を高ぶらせることは治
療にも良くないと耐え抜いたのだ、絵を描くことで。小生も耐えるしかな
い、家事をこなし、ブログを書くことで。

ゴッホは名画を遺した。小生は何を遺すのだろう・・・アルルのごとく緑
豊かな丹沢山麓の病棟日記から。

【2016/12/3】(承前)*10:00、“コンチャン”が病室で嘔吐、すごい臭
い。掃除のオバサンに伝えたが、「余計な仕事を」という感じで、ヤル気
なし。彼女は患者をバカにしているようで、聞く耳をもたない性格だろう。

小生は11時から入浴予定だが、5分前でも鍵がかかっていると訴えたが、
「開いている」と言う。確認したら開いていないので再度言うと、ようや
く自分でチェックし、鍵を開けた。

自分の仕事に何の意味も誇りも感じず、ただの金稼ぎと思っているのだろう。

人は年齢、キャリアにふさわしい地位、仕事に就いていないとフラスト
レーションを起こす。儒教の影響で「長幼の序」とか「年功序列」の意識
が残っているせいだろう、「歳下の上司なんて耐えられない」という人は
少なくないのではないか。

看護師の“オーヘイ”は45歳ほどで、管理職になってもいいはずだが、相変
わらず患者の世話をしている。かなり鬱屈しているのだろう、応対が実に
横柄、不愛想、無礼千万、言葉遣いはまるで患者を見下しているみたいに
乱暴だ。

“オーヘイ”は小生が逃亡を図った際に後ろから羽交い絞めにして小生を
ベッドに叩きつけた。そのために小生の小指は機能しなくなったのだが、
介護施設などでの老人虐待は、介護する側の不満の爆発として起きるのだ
ろうなあと分かった。

*3日ほど前に“コンチャン”は小生のテーブルから離れていった。小生は
オシャベリができないからつまらなかったのだろう。その代わりに19歳の
“ドカベン”が入院してきて、小生の向かいに座っている。上背があり、相
撲取りになれそうな体格だ。中学でサッカー、高校でバスケをやっていた
という。

今は多分、スポーツは何もしていないだろうが、食習慣は(貴乃花のよう
に意識的に変えないと)変わらないから、どうしても肥満になる。肥満解
消も治療のうちだから、“ドカベン”の食事量は若い女の子と同じだった。
やがて慣れるのだろう。

彼も廊下散歩と柔軟体操を始め、「よく眠れるようになった」と言う。小
生の安眠もそのせいかもしれない。やらないよりやった方がいい。

やりたいことをやって失敗するのと、やらないで悔やむのと、どちらを選
ぶか? 戦争をすれば敗けることもあるが、再起三起を後に続くものに期
することができる。しかし戦争を恐れて小さな4島に引きこもったら誇り
をなくし、永遠に列強の餌食となり、生体解剖され、国土は東西南北に分
断されたかもしれない。

先の大戦で米兵の死傷者が一番多かったのは対日戦である(死亡だけで10
万人)。今でも米国が一番恐れている国は日本で、リベンジされかねない
と思っているはずだ。

*14:00、“令夫人”に誘われてオシャベリしながら廊下散歩20分、結構な
運動になった。「疲れたから部屋に戻ります」と言うと、「もっとやりま
しょうよ」、「またにしましょう」と離脱したが・・・深情け、執着質の
ようで何やら心配ではある。

彼女はなんと8か月ぶりの再入院だそうで、「今回はお正月前に退院でき
そう」とうれしそうだった。

:15:40、Dr.と面談、Wへの「謝罪と誓い」を読んでもらった。カウンセ
ラーからは「奥様、社会との接点を探りなさい、奥様を交えて考えましょ
う」と言われていたが、Wとの共通項目は子・孫の世話ぐらいしかない。
それとも一緒に「エホバ」に入信するか・・・最悪の冗談だ。
(つづく)2017/6/3


◆京都山科の歌人

渡邊 好造



”百人一首”など古来の和歌には、「山科」が数多く登場する。

”百人一首”は、鎌倉時代の歌人・藤原定家が100首を選んだ歌集のことで、京都小倉山で編纂されたので通称”小倉百人一首”ともいう。主に古今集(平安時代)、新古今集(鎌倉時代)から選んでいる。"小倉"があるなら他にもあるのかとなるが、確かに"源氏"" 女房"" 後撰"" 武家" が頭につく”百人一首”もあるにはある。

その何れもが、制作年や編者が明確でなく、小倉で洩れた歌人を補っただけのものもあり、”百人一首”といえば"小倉"を指すとみてよい。今回の"山科だより"は、この”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」を紹介する。

山科の地名、駅名にも名前が残る有名歌人といえば「小野小町」である。"小野御霊町"にある”随心院(真言宗)”は、小野一族の邸宅跡に正暦2(991)年=平安時代=「僧・仁海」が創建した。「小野小町」は仁寿2(852)年=平安時代=に宮廷を辞した後、40年間当院内の遺跡”小町の井戸”辺りに住んでいたという。

「小野小町」が詠んだ和歌のうち、”百人一首”(原典・古今集=以下同じ)にとりあげられ、とくによく知られているのはこの一首で、境内に歌碑がある。

『花の色は移りにけりないたずらに 我が身世にふるながめせしまに』(桜の花の色はスッカリ褪せた。私の美しかった姿も衰えた。むなしく世を過ごし物思いにふけっている間に)。

"北花山河原町"の”元慶寺(天台宗)”は、「僧・遍昭」が貞観11(869)年=平安時代=に創建し、”百人一首”(古今集)に詠まれた彼の和歌の碑がある。

碑には『天津風雲の通ひ路吹きとぢよ をとめの姿しばしとどめむ』(空に吹く風よ、天への雲の通り道をふさいでしまってくれ。美しい舞姫の姿をもうしばらくの間ひきとめておきたいのだ)とある。


"四ノ宮泉水町"に天文19(1556)年=室町時代=に開創された”山科地蔵徳林庵(臨済宗)”には、町名の語源となる「四之宮人康」(さねやす=第54代仁明天皇第4皇子)と、歌人「蝉丸」(せみまる=正式呼称はせみまろ)の2人の供養塔がある。

両人とも平安時代(9世紀)に生きた歌人だが、「蝉丸」は"四ノ宮"から約2キロほど東の滋賀県大津市に入った峠"逢坂の関"に庵を構え、近くには”蝉丸神社”もある。なぜ山科に「蝉丸」の供養塔があるのか、「人康」との関係は、交流は、など明確ではない。その共通点は両人とも琵琶の名手であったことのようである。
 
 ”百人一首”(後撰集)にある「蝉丸」の歌、『これやこの行くも帰るも分かれては 知るも知らぬも逢坂の関』(ここから行く人帰る人、それを見送る人、知合いの人とそうでない人も、ここで出逢いを繰返す。これがこの逢坂の関なのだ)がよく知られている。

 ”百人一首”に登場する地名でもっとも多いのが"逢坂(の関)"("難波"と同数)で、行政エリアは滋賀県大津市だが京都市山科区との境界線上の峠である。

ついでながら、全国46都道府県のうち県庁所在都市がピッタリ接しているのは、この京都府京都市(山科区)と滋賀県大津市の他は、東北の山形県山形市と宮城県仙台市しかない。

「清少納言」(枕草子で知られる平安時代女流作家)は、”百人一首”(後拾遺集)で『夜をこめて鳥の空音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ』(夜の明けないうちに鶏の鳴き真似をして、夜が明けたように見せかけた中国・函国関の故事まがいの騙しの手をつかっても、私とあなたの間にある関所は開けませんよ)と詠んでいる。

「三条右大臣藤原定方」(平安時代公家・歌人)は、”百人一首”(後撰和歌集)で悩ましく、意味深な歌を披露している。

『名にしおはば 逢坂山のさねかづら 人に知られでくるよしもがな』(「逢坂山」だから"逢える"、「さ寝」だから"一緒に寝られる(さは接頭語)"、名前通りの「かづら=葛・つるくさ」ならそのツタを手繰り寄せると、人に知られずあなたの家で逢いそして一緒に寝る、そんなことが出来ればいいのに)。

”百人一首”に登場する「山科ゆかりの歌人」が詠む和歌には、平安・鎌倉貴族のなんとも優雅で、他に心配事はないのかと言いたくなるお気楽な宮廷生活が滲みでている。そんな宮廷生活を歴史書以上に現代に語り継いでいるのが、和歌なのだろう。(完)

2017年06月03日

◆吉田清治氏長男、父親の謝罪碑書き換え

櫻井よしこ



『週刊新潮』 2017年6月1日号
日本ルネッサンス 第755回

5月19日、インターネット配信「言論テレビ」の番組「言論さくら組」で
ジャーナリストの大高未貴さんがスクープを披露した。

「言論さくら組」は今年2月に発足した、物言う若手女性たちの一団が出
演する番組である。私自身は若くないが、頼もしく勇気のある女性、世の
中の不条理に疑問を感じ、そのことについて思い込みで判断するのではな
く、まず取材して新事実を掘り起こし、それを世の中に提示する意欲と能
力のある女性、そして人間として魅力的だと私が思った女性(ひと)たち
8人を集めた。歴史問題をひとつの大きな柱とし、毎月、できれば特ダネ
で、そうでなければ独自ネタで問題提起したいと願っている。そのメン
バーの1人が大高さんである。
 
彼女はこれまでに100か国以上を駆け巡って取材してきた。彼女が今回取
り上げたのは、自分は慰安婦を強制連行した加害者だと名乗り出て、今日
の慰安婦強制連行説を生み出す原因となった職業的詐話師、故吉田清治氏
の長男である。
 
長男は、後述する決意をもとに、父親が韓国の忠清南道天安市の「望郷
の丘」に建てた「謝罪碑」の文言を今年3月に書き換えた。吉田氏の元々
の碑には「日本の侵略戦争のために徴用され強制連行され」「貴い命を奪
われ」た朝鮮の人々に、「徴用と強制連行を実行指揮した日本人」として
「潔く反省して」「謝罪」すると刻まれていた。氏は同碑を「元勞務報國
會徴用隊長」の肩書きで建てた。
 
氏は同碑建立の式典で、韓国の人々に土下座し、「朝日新聞」はそれを
1983年12月24日、「たった一人の謝罪」として報じた。
 
大高さんの説明だ。

「この記事も含めて朝日は吉田清治氏を大きく取り上げ、強制連行をはじ
めとする慰安婦問題にまつわる虚偽を国の内外に広げました。慰安婦の虚
偽については90年代から指摘されていたにも拘らず、放置され続け、漸く
朝日が吉田証言を取り消したのは14年8月でした。長男は、父は日本軍人
として勤務した経験もなく、労務報国会徴用隊長の職位も全て虚偽だった
と明言しています。慰安婦問題の元凶は父が作ったけれどその嘘は決して
一人で書いたものではない。何人もの協力者、振付師、演出家がいて、そ
のひとつが朝日新聞だと考えています。朝日が父親の嘘を勝手に盛り上げ
て、梯子を外して、『はい、取り消しました。これで終わり』。それはな
いだろうというのが長男の気持ちでした」

父親の嘘
 
大高さんはさらに強調する。

「長男は言うのです。朝日が取り消しても、父親が韓国に建てた石碑は朽
ち果てることなく、後世まで残る。こんなことは許せない。韓国の方にも
失礼、日本人にも失礼。だから自分は日本人として最後までしっかりと責
任を持って後始末したいと」
 
長男は、可能ならクレーン車で碑を撤去したいと願った。それが難しい
とわかった時点で碑の文言の書き換えを決心し、沖縄県に住む元自衛官、
奥茂治氏(69)を代理人として望郷の丘に派遣し、先の謝罪碑を「慰霊
碑」とし、「吉田雄兎 日本国 福岡」と極めて簡潔な内容にした。雄兎
とは吉田氏の本名である。
 
奥氏が相談を受けたときのことを振りかえった。

「あの碑は清治氏が自費で建立したそうです。であるなら、父親の嘘の碑
を消し去る責任も権利も、長男である自分にあるというのです。日韓の摩
擦の原因である慰安婦問題の偽りを正したいとの願いは、日韓両国を大事
に思う心でもあります。私は日本人として応えるべきだと思いました。断
る理由はありませんでした」
 
奥氏は新しい文言を刻んだ重い大理石の石板を望郷の丘に運び、一人で
古い碑の上に、絶対に#剥#は#がれない接着剤で貼りつけた。その行動の
詳細は大高さんの新著『父の謝罪碑を撤去します』に譲りたい。
 
大高さんの取材は産経新聞出版の瀬尾友子さんの尽力で単行本として来
週、出版される。瀬尾さんも「言論さくら組」で語った。

「長男は『吉田家最後の人間』という言葉を繰り返しました。自分が父親
の間違いを正さなければ、大理石上の嘘はいつまでも残る。だからいま、
消し去ると言うのです」
 
産経新聞官邸サブキャップの田北真樹子さんが強調した。

「長男がこういう風に書き換えたことに、よくぞやって下さったと感謝し
ます。韓国のメディアは、吉田氏の長男の意思と決断に、衝撃を受けてい
るようです」
 
儒教では父親の権威は絶大である。伝統的に儒教の影響が強い韓国人に
とって、長男が公然と父親の言動を嘘だと宣言し、父親の嘘から始まった
慰安婦問題を否定したことは、相当なショックのようだ。韓国メディアが
あまり報じないのは、報道すれば、吉田清治氏が本当に嘘つきだったこと
が韓国国民に周知徹底されるからか。氏の嘘を報じた「朝日」の記事取り
消しもより広く伝わる。吉田・朝日の虚偽に依拠する韓国の挺身隊問題対
策協議会をはじめとする運動体の人々の反日の根拠も揺らぎかねない。大
高さんの指摘だ。

「朝日」も酷い

「韓国側は騒ぎたくないのではないですか。自分たちの反日に跳ねかえっ
てきますから。挺対協をはじめ、彼らの最終目的は反日問題を終わらせな
いこと。従って、次には徴用工問題を提起するでしょう。未来永劫日本政
府に謝罪させ、企業から償い金を受け取り、基金を創設して反日を続ける
ことを考えているのです」
 
韓国も事実を見ようとしないが、「朝日」も酷い。5月22日現在、朝日は
この件を全く報じていない。吉田氏の長男も語ったように、朝日が吉田氏
の嘘を内外に拡散した。その責任をも問うている長男の行動に、朝日は見
て見ぬ振りか。とすれば、これ以上の無責任はない。
 
番組の最後で、元衆議院議員の杉田水脈(みお)さんが報告したことも
驚きだった。フランスの大統領選挙の取材中、パリで目にとまったのが
「ZOOMJAPON」というフリー雑誌だった。高倉健さんの「鉄道員
(ぽっぽや)」の紹介など文化的な記事と一緒に、沖縄の基地反対運動が
特集され、日本中から国民が沖縄に集まり基地は要らないと運動している
と報じている。上智大学教授、中野晃一氏への取材記事の中で、日本会議
批判に続いて稲田朋美防衛大臣に言及し、日本では女性は二級市民で、安
倍晋三首相もそう考えている。女性蔑視を覆い隠すために、閣僚に女性を
登用しているのだなどと書いている。
 
この雑誌は広告費で成り立っているが、一番大きな広告を載せているの
が、NHKワールドだ。詳しくは「言論さくら組」を検索して御覧いただ
きたいが、こんなフリー雑誌に視聴者から強制的に徴収する受信料を充て
てよいわけはないだろう。

◆首相提言で改憲論の停滞を打破せよ

櫻井よしこ




停滞の極みにある憲法改正論議に5月3日、安倍晋三首相が斬り込んだ。
➀2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、➁9条1項と2
項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、➂国の基(もとい)は立派
な人材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、という内容だ。
 
それまで弛緩しきっていた憲法改正に関する政界の空気を一変させた大胆
な提言である。大災害時を想定した緊急事態条項でもなく、選挙区の合区
問題でもなく、緊急時の議員の任期の問題でもなく、まさに本丸の9条に
斬り込んだ。
 
9条1項は、平和主義の担保である。2項は「陸海空軍その他の戦力は、こ
れを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」で、軍事力の不保持、
即ち非武装を謳っている。
 
改憲派にとっても1項の維持に異論はない。むしろ1項に込められた日本
国の平和志向を積極的に強調すべきだと考える。
 
問題は2項だ。2項を維持し、如何にして軍隊としての自衛隊の存在を憲法
上正当化し得るのかという疑問は誰しもが抱くだろう。現に、民進党をは
じめ野党は早速反発した。自民党内からも異論が出た。だが、この反応は
安倍首相にとって想定内であり、むしろ歓迎すべきものだろう。
 
矛盾を含んだボールを憲法論議の土俵に直球に近い形で投げ込んだ理由
を、首相は5月1日、中曽根康弘元首相が会長を務める超党派の国会議員の
会、「新憲法制定議員同盟」で明白に語っている。

「いよいよ機は熟してきました。今求められているのは具体的な提案で
す」「政治は結果です。自民党の憲法改正草案をそのまま憲法審査会に提
案するつもりはありません。どんなに立派な案であっても衆参両院で3分
の2を形成できなければ、ただ言っているだけに終わります」
 
約15分間の挨拶で、首相が原稿から離れて繰り返したのは、どんな立派
な案でも衆参両院で3分の2を形成できなければ、ただ言っているだけ、政
治家は評論家ではない、学者でもない、立派なことを言うところに安住の
地を求めてはならない、ということだった。

首相談話を肯定
 
護憲派の評論家や学者はもとより、改憲派の保守陣営にも首相は切っ先
を突きつけている。「口先だけか。現実の政治を見ることなしに、立派な
ことを言うだけか」と。
 
この構図は、安倍首相が戦後70年談話を発表した2年前の夏を連想させ
る。あのとき、首相の歴史観を巡って保守陣営は二分された。首相の歴史
観は欧米諸国の見方であり、日本の立場を十分に反映しておらず、歴史研
究の立場から容認できないとの批判が噴き出した。

その一方で、首相談話は歴史研究の成果を披露するものではなく、中韓両
国が国策として歴史問題で日本を叩き、日本が国際政治の渦中に置かれて
いる中で、日本の立ち位置をどう説明し、如何にして国際世論を味方につ
けるかが問われている局面で出された政治的談話だととらえて評価する見
方もあった。
 
首相談話には、歴史における日本国の立場や主張を十分に打ち出している
とは思えない部分もあった。だが私は後者の立場から、談話の政治的意味
と国際社会における評価を考慮し、談話を肯定した。これと似た構図が今
回の事例にも見てとれる。
 
正しいことを言うのは無論大事だが、現実に即して結果を出せと首相は説
く。その主張は5月9日、国会でも展開された。蓮舫民進党代表が、首相は
国会ではなく読売新聞に改憲の意向を表明したとして責めたのに対し、首
相は、蓮舫氏との質疑応答が行われている予算委員会は行政府の長として
の考えを述べる場であり、自民党総裁としての考えを披瀝すべき場所では
ないと説明した。蓮舫氏は納得せず、その後も憲法の本質、即ち日本が直
面する尋常ならざる脅威、それにどう対処するかなどとは無関係の、本当
につまらない質問に終始した。
 
首相批判もよいが、民進党は党として憲法改正案をまとめることさえでき
ていない。どうするのか。この点を質されると、蓮舫氏は答えることもで
きなかった。
 
民進党だけではない。「結果を出す」次元とは程遠い政界の現状を踏まえ
て、首相が政党と政治家に問うているのは、憲法審査会ができてすでに10
年、なぜ、無為に過ごしているのかということだろう。なぜ、世界情勢の
大激変の中で、日本を変えようとしないのか、それで、国民の命、国土、
領海を守りきれるのか、ということだろう。

ポスト安倍の資格
 
自衛隊を9条に書き入れ、自立するまともな民主主義の国の形に近づけた
い。結果を出すには、加憲の公明党、教育無償化を唱える日本維新の会も
取り込みたい。蓮舫・野田執行部の下で、重要な問題になればなる程まと
まりきれない民進党の改憲派も取り込みたい。

離党はしたが長島昭久氏や、憲法改正私案を出した細野豪志、自衛隊の9
条への明記を求める前原誠司、笠浩史各氏らをはじめ、少なからぬ民進党
議員も賛成できる枠を作りたい。憲法改正の最重要事項である9条2項の削
除を封印してでも、世論の反発を回避して幅広く改憲勢力を結集したい。
そうした思いが今回の政治判断につながっているのは明らかだ。現実的に
見れば首相提言は評価せざるを得ない。
 
安倍政権下での好機を逃せば、改憲は恐らく再び遠のく。「立派なことを
言うだけ」の立場は、この際取るべきではない。首相提言を受けて改正論
議はすでに活性化し始めた。2項と、自衛隊を規定する3項の整合性を保つ
にはどんな案文にするかを大いに議論することが、いま為すべきことだろう。
 
こうして改憲の第一段階をクリアしたとして、次の段階では、まさに9条2
項削除の道を切り開くべきで、その責務を担える人物が次のリーダーだ。
誰がその任に値するのか。
 
ポスト安倍を狙う一人とされている石破茂氏は、首相提言直後のテレビ番
組などで年来の議論の積み重ねを跳び越えるとして首相提案を批判した。
何年も議論ばかりしていること自体が問題なのであり、国際情勢を見れ
ば、日本に時間的余裕などないことを、石破氏は忘れていないか。氏の批
判は手続き論に拘る印象を与えるが、そんなことでは次代のリーダーたり
えないであろう。
 
世界の現実を見て、長期的視点に立って日本国憲法を改めていく覚悟が必
要だ。日本周辺の現実の厳しさと国家としての在り方を考えれば、9条2項
の削除こそが正しい道であるのは揺るがない。その地平に辿りつくまで、
あるべき憲法の実現を目指して闘い続ける責任が、政治家のみならず、私
たち全員にある。

『週刊新潮』 2017年5月25日号 日本ルネッサンス 第753回