2017年06月20日

◆木津川だより 高麗寺跡 A

白井 繁夫



「史跡 高麗寺(こまでら)跡」は木津川の右岸の棚田の中(山城町上狛)で、建物がないためか、観光客も少なく、飛鳥時代に創建された国内最古の仏教寺院「飛鳥寺」と同笵の瓦が出土した国の史跡の古代寺院跡と思われずに千年の時が経って来たのです。

この高麗寺跡の第T期発掘調査(昭和13年)から第V期(平成22年度の第10次発掘調査)までの調査で出土した遺物や伽藍跡から皆様と高麗寺の建立の様子や歴史を観て行こうと思います。

高麗寺は渡来氏族の狛氏の氏寺として7世紀初(610年頃)には存在していただろうが、出土遺物などから、12世紀末から13世紀初期ごろに消滅したと推察されています。

高麗寺跡の出土遺物には金銅製の破風(はふ)拝み金具、円盤等の建造物の装飾金具、南
門の屋根の鴟尾や最古の築地塀などがあり、更に各時代を現す文様の瓦や三層基壇の講堂など高麗寺の伽藍は驚嘆するような荘厳さで、文明の先端を行く寺院と推察されます。

最初に年代を調べるために、高麗寺の出土遺物で数量が多くて比較的に年代を決めやすい文様瓦(軒丸瓦.軒平瓦)を中心に4期に分けた瓦から始めます。

T期の瓦 飛鳥時代の瓦(軒丸瓦:十葉素弁蓮華文じゅうようそべんれんげもん)
   
  日本最古の寺院「飛鳥寺」の創建時の瓦と同じ型で作られている。京都府下では当然
  最古の瓦ですが、高麗寺から4点しか出土していません。(飛鳥時代に瓦葺の建物が確実に存在していたのか?堂宇は萱葺だったのか?)

U期の瓦 白鳳時代の瓦(軒丸瓦:八葉複弁ふくべん蓮華文、軒平瓦:重弧じゅうこ文)
     川原寺式の瓦と同笵でもあり出土量が圧倒的に多種大量です。

  川原寺式の瓦:古代瓦では最も文様が華麗で日本各地に普及した。地域文化の指標にもなった瓦ですが、高麗寺の瓦は原初的な川原寺創建時と同じ型の瓦から始まり、さらに発展した瓦など多種類が出土しています。(高麗寺は660年頃本格的に造営された伽藍建築の寺院となったのです。)

(川原寺は天智天皇が母(斉明天皇)の冥福を祈るため建立した寺で、飛鳥4大寺の一つ、
 壬申の乱で勝利した天武天皇が崇敬していた寺院であり、天武天皇に味方した各地の豪
族に恩賜として瓦の使用許可が与えられました。山城国では南山城に集中しており、地方では尾張、美濃、伊勢などが特に多い。)

南山城:木津川市の古代寺院では高麗寺と蟹満寺が有名です。
(前代の古墳時代:各豪族は氏族の権威の象徴として大古墳を築きましたが、飛鳥時代以降は氏族の権威となるモニュメントが大寺院の建立に変化しました。)

壬申の乱では渡来氏族の狛氏一族が大海人皇子に味方して大変貢献したため、高麗寺が
最初に川原寺の創建時の瓦(同笵瓦)の使用許可を得たのです。その後、川原寺式瓦は
高麗寺を核として南山城の3郡にも広がりました。

「蟹満寺:国宝の白鳳仏が有名」から川原寺式瓦の破片が出土したことから、白鳳時代
末期(7世紀末から8世紀初)に創建されたと云われているのです。
蟹満寺は前代に平尾城山古墳.稲荷山古墳を築いた豪族の後裔氏族が建立したのでは?と云われています。

V期の瓦 奈良時代の瓦(軒丸瓦:蓮華文、軒平瓦:均整唐草文)平城宮式瓦や「中臣」
   と文字がある平瓦、恭仁宮式軒瓦など恭仁京造営時に製造した瓦も出土しました
が多種少量のため、高麗寺の修理用として八世紀に使用した瓦と思われます。

W期の瓦 平安時代前期の瓦(軒丸瓦:蓮華文、軒平瓦:唐草文)修理用に高麗寺独特の瓦が少量作られた。(この時代以降の瓦は出土していないので、高麗寺の大伽藍は平安時代以降修理など出来ずに荒廃にまかされたか? 法蓮寺の棟札では金堂などが室町時代まで存在していたようですが?)

高麗寺を軒瓦から観た場合、飛鳥時代(610年頃)萱葺の堂?が創建され、白鳳時代、
川原寺式に準じた七堂伽藍の本格的寺院の造営(7世紀後半)が施工され、法起寺式伽
藍建築へ繋がって行きました。

奈良時代(8世紀)に聖武天皇が恭仁京(木津川市)へ遷都(740年)して都城の造営
時には高麗寺も独特の瓦を作り、他寺院にも供給しました。

しかし、平安時代初期の修理用の瓦の出土が最後でそれ以降の瓦の出土は有りません。
瓦から調べた高麗寺の創建時期の推測や隆盛時代は分りますが、歴史(終焉)は何世紀
か判断は困難です。

瓦以外の出土遺物や伽藍跡の発掘調査、昭和13年の第T期からV期(平成22年の10
次調査)まで、から高麗寺の概要を視ようと思います。(つづく)

参考資料:山城町史 本文篇 山城町、
南山城の寺院.都城 京理セミナー資料No.0106−327
史跡 高麗寺跡 第10次発掘調査概報 木津川市教育委員会
   

2017年06月19日

◆情報機関の調査機能の一掃を目論む韓国

櫻井よしこ



「情報機関の調査機能の一掃を目論む韓国の現状を日本は注視すべき」

46年前の1971年に、東京・渋谷で沖縄返還協定反対デモがあり、警備に当
たった新潟県警の中村恒雄警部補、当時21歳が殺害された。「渋谷暴動事
件」である。その犯人と思われる大坂正明容疑者が6月7日、逮捕された。
実に46年間も逃げ続けていたのだ。
 
人々が忘れ去っても、ずっと事件を追い続けた公安と警察の働きがあって
初めて、大坂容疑者の逮捕となった。国や社会の安全は、このような地道
な息の長い努力によって守られていることを改めて認識する。
 
いま、欧州、中東、南アジアなどではテロが続発し、国内治安を守るのは
容易でない。国内の不穏な動きを厳しく監視できなければ、安全な国民生
活は守りきれないといってよい。
 
とりわけ南北に分断されている朝鮮半島では、韓国は北朝鮮の対南工作に
晒されてきた。他のどの国と較べても、国内治安維持のための監視体制が
必要な国だ。ところが、文在寅氏が大統領に就任して日も浅い6月1日、早
くも非常に憂うべき決定が下された。
 
国家情報院(国情院)を「改変」するというのだ。第一報を、私は6月5
日付の「産経新聞」櫻井紀雄記者による、ソウル発の記事によって知っ
た。国情院は北朝鮮の独裁政権から韓国を守るために、あらゆる謀略工作
に目を光らせる機関である。

国家保安法を執行する、日本でいえば公安調査庁と警察を合わせたような
組織だ。その国情院院長に就任した徐薫氏が、これまで、国情院のみなら
ず各種の機関で情報収集に当たってきた国内情報担当官(IO)制度の廃
止を指示したという。もし、実行されれば、日本でいえば公安調査庁、警
察を筆頭とする全情報機関の調査機能が一掃される事態が生ずる。

「統一日報」論説主幹の洪熒(ホン・ヒョン)氏が語る。

「もし、そのようなことを実行したら、スパイ捜査もできなくなります。
全ての公安関係の組織活動が根底から切り崩されます。果たしてそんなこ
とができるのか、疑問です」
 
実は、金大中、盧武鉉、金泳三各氏ら歴代の左翼系大統領は皆同じ提案
をした。しかし、流石に国家の基盤である情報組織を解体することはでき
なかった。今回も同じ展開になるのではないかと、洪氏は見る。
 
一方で懸念すべきは、これまで北朝鮮の工作員など韓国に害をなすと思
われる勢力に向けられていた情報機関の活動が、逆に国民の方に、とりわ
け、保守勢力に向けられてくるのではないかということだ。洪氏の解説で
ある。

「日本からでは韓国の実態はわかりにくいかもしれません。朴槿恵前大統
領があっという間に弾劾、逮捕され、収監された背景を頭に入れておく必
要があります。民労総(全国民主労働組合総連盟)や全教組(全国教職員
労働組合)などの勢力が反朴運動を支えましたが、これらは日本の自治労
や日教組をもっとずっと激しい極左にしたような組織です。彼らの支持の
上に現在の文政権があるのです」
 
彼らは文氏も含めて、北朝鮮の破綻が明らかな現在も、金日成氏の主体
思想を信奉する人々である。
 
文氏は盧政権下の秘書室長(官房長官)だった。盧大統領は事実上、国
情院によって、北朝鮮に従う余り韓国を裏切ることになった行動を暴露さ
れている。今回の措置は、文氏が盧氏の失敗に学んで、まず、韓国内の情
報機関の潰滅を狙った可能性も考えられる。隣国の状況の深刻さが窺える。
 
こんなときこそ、日本国内の状況への目配りが重要だ。沖縄での反米軍基
地運動をはじめ、慰安婦問題で政府を追及する会合などが、日本各地で驚
くような頻度で開催されている。少なからぬ朝鮮半島の人々や中国人が参
加している。外国籍の運動家の、日本における政治活動の実態の危険度に
注視し、日本は韓国の現状から学びとるべきではないか。

『週刊ダイヤモンド』 2017年6月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1186 


◆好きな作詞家星野哲郎

渡部 亮次郎



流しから歌手になった北島三郎は今や歌謡界の大御所だがプロになって初
めて出したレコードは発売早々「放送禁止」になった。「「ブンガチャ
節」で合いの手が卑猥とされたためだった。作詞星野哲郎、作曲船村徹。

ならばと出したのが同じコンビによる「なみだ船」これが大ヒットとなっ
て大歌手北島三郎が誕生した。北島は一滴も呑めない。サイダーが大好きだ。

水前寺清子を売り出したのも星野。「涙を抱いた渡り鳥」「三百六十五歩
のマーチ」など。「恋は神代の昔から」でデビューした畠山みどりも星野
作詞。

かと思うと「黄色いさくらんぼ」という色っぽい作品も星野が書いた。ク
ラブのホステスからかかってきた誘いの電話をヒントに書いた「昔の名前
ででています」小林旭の歌も星野。

美空ひばりの遺作となった「みだれ髪」は塩屋岬へ出かけて書いた。

そういう星野だが運命は数奇。腎臓結核のため下船した船乗り。腎臓摘出
で療養中、作詞したものを投稿したところを作曲家の船村徹に見出されて
作詞家になった。腎臓1つで85まで長生きした。

<星野哲郎(ほしのてつろう、本名:有近哲郎、1925年9月30日 –―2010年
11月15日)。山口県大島郡周防大島町(旧・東和町)出身で、東京都小金
井市に在住していた。各所で「星野哲朗」という表記がされることがある
が、「哲郎」が正しい表記。

妻(1994年没)との間に一男一女がおり、長男はシンガーソングライター
の有近真澄。

1925(大正14)年9月30日、山口県大島郡森野村(現・周防大島町)和佐
に生まれる。1946(昭和21)年、官立清水高等商船学校(現・東京海洋大
学)を途中結核で休学しながらも卒業。

翌年、日魯漁業(後のニチロ、現・マルハニチロ食品)に入社、遠洋漁業
の乗組員となる。しかし就職して数年後、腎臓結核のために船を下りざる
を得なくなり、腎臓を摘出。郷里周防大島にて4年にわたる闘病生活を余
儀なくされる。

闘病期間中に作詞を学び、1952(昭和27)年に雑誌「平凡」の懸賞に応募
した「チャイナの波止場」が入選し、選者の石本美由紀の勧めで、翌
1953(昭和28)年に作詞家デビューした。

石本の主宰していた歌謡同人誌「新歌謡界」に参加、同人として作品の発
表や後進の育成に携わった。「新歌謡界」は多くのプロ作詞家を輩出し、
同期生には松井由利夫・たなかゆきを・岩瀬ひろしなどがいたが、中でも
八反ふじをとは特に親交が深く、後にクラウンレコードで共に専属作詞家
として活躍することになる。

1958(昭和33)年、横浜開港100年祭記念イベントに応募した「浜っ子マ
ドロス」「みなと踊り」がそれぞれ1位、2位を獲得。このイベントの審査
員をしていた作曲家の船村徹に誘われる形で上京、日本コロムビアと専属
契約を結ぶ。

船村とは以後永きにわたってコンビを組み、作詞:星野哲郎、作曲:船村
徹の作品を数多く世に輩出することになる。

1964(昭和39)年にクラウンレコードの創設に関わり、同レコードに移
籍、1983(昭和58)年にフリー作家となる。コロムビア時代からを通じて
手がけた歌詞は演歌を中心に4000曲に及び[、数々のヒット作を生み出した。

1996年(平成8年)7月9日、石本美由紀の後を継いて社団法人日本作詩家
協会の会長を務め(2008年(平成20年)6月16日まで)。2001年(平成13
年)10月1日には社団法人日本音楽著作権協会 (JASRAC) の会長を務めて
いる(2004年(平成16年)9月30日まで)。

これらの功績が認められ、1986年(昭和61年)4月29日には紫綬褒章を、
1988年(昭和63年)8月31日には紺綬褒章を、2000年(平成12年)11月3日
には勲三等瑞宝章を受章している。

1988(昭和63)年6月16日には出身地である東和町(現・周防大島町)の
名誉町民に選ばれ、2008(平成20)年6月5日には宮崎駿と共に居住地であ
る小金井市の名誉市民第一号に決定し、同年10月5日に名誉市民証が授与
されている。

1985年(昭和60年)2月21日、故郷周防大島に「なみだ船」の歌碑が建立
される。2007(平成19)年7月26日には周防大島町に町営の「星野哲郎記
念館」が完成、周防大島の子供達を支援する償還義務のない奨学金制度
「星野哲郎スカラシップ」事業を立ち上げた。

2010(平成22)年11月15日午前11時47分、心不全のため東京都武蔵野市の
病院でで死去。85歳没。葬儀・告別式は11月19日に東京都港区の青山葬儀
所で営まれた。

喪主は長男の有近真澄が務め、葬儀では長年親交が深かった作曲家の船村
徹と、愛弟子である水前寺清子が弔辞を読み上げ、自ら作詞した「男はつ
らいよ」の曲に乗せて出棺された。その後、品川区の桐ヶ谷斎場で荼毘に
付された。戒名は「宝徳院航謡暁哲居士」。

ちなみに旧暦・新暦での違いはあるが、11月15日と言えば坂本龍馬の命日
である。大政奉還を見届けて約1か月後に京都・近江屋で暗殺された英傑
にちなみ、星野哲郎も生涯かけて作詞の金字塔を建てた偉人であるとファ
ンから述懐されている。

星野哲郎の死去に当たり、NHK(日本放送協会)が追悼番組『追悼 作
詞家 星野哲郎』を急遽制作し、2010年11月21日にNHK総合テレビジョンに
て放送した。

星野節とも称される、自分の実体験をベースにした独特の世界観を持つ
作風で知られる。船村や石本と銀座に繰り出しては音楽論をたたかわせ、
そのとき思い浮かんだフレーズをコースターにしたため、翌朝までに夫人
がそれを清書した物を作詞の下地としていたという。

こういった形で生まれた歌詞を星野自身は「演歌」と称さず、遠くにあり
て歌う遠歌、人との出会いを歌う縁歌、人を励ます援歌などと称してい
た。星野哲郎記念館でも、これらをまとめて星野えん歌と表現している。

なかにし礼によると、性格は大変穏和で、「荒っぽい大声はついぞ聞いた
ことがなく、後輩でも丁寧に扱った」という。

水前寺清子・都はるみ・北島三郎など、デビュー前から関わってきた歌手
も多い。水前寺の愛称である「チータ」は「ちっちゃな民子」から連想し
て星野が名付けたものである。>ウィキペディア
2012・11・3

◆安倍総裁提案の改憲に期待

宝珠山  昇



安倍自民党総裁が憲法記念日に表明された憲法改正の論議加速、実行の決
断・提案(注1)は、現在の日本が抱えている安全保障上の最大の課題
(注2)を前進させる安価で効果的な施策であると考える。

また「憲法改正」は、何等の“省益・個益”をもたらさないためか、論議ば
かりで七十年近くも放置されていたものを、合意できるものから実行に移
すべきだとの国家の指導者に相応しい決意表明に敬意を表し、賛同する。

注1:安倍自民党総裁が提案された改憲論議加速実行案の要旨:「自衛隊
が全力で任務を果たす姿に対し国民の信頼は九割を超えている一方、多く
の憲法学者は『違憲』と言っている、--北朝鮮情勢が緊迫し、安全保障環
境が一層厳しくなっている中、『違憲かもしれないが、何かあれば命を
張ってくれ』というのはあまりにも無責任--私の世代は自衛隊を『合憲
化』することが使命」、「憲法9条の第1項、2項をそのまま残し、自衛
隊の存在を記述するということを議論してもらいたい」

注2:現在の日本の安全保障上の最大の課題は、「自国第一主義」等が顕
在化し、先進国の指導力・統合力が低下している国際社会で、(1)国際
法が順守される世界への推進、(2)日米安全保障関係、共同作戦態勢の
充実、(3)対中、南北朝鮮、ロ関係の改善----(北には「核放棄まで圧
力」を継続し、核保有の効果はないことを知らしめること)、(4)対
欧、印、東南アジア等との関係強化、(5)過激派テロ対応態勢の充実、
等するために、(1)ミサイル防衛態勢の充実・強化、(2)民間防衛態
勢の充実・実効化、(3)敵基地攻撃能力の整備、(4)非核三原則の緩
和・見直し、等であると認識している。

なお「テロ準備罪法」は、北朝鮮が、核兵器やミサイル開発等を推進する
とともに、国外の工作員に指令を出すためと見られる“乱数放送”を16年ぶ
りに再開している状況、諸国におけるテロ行動の頻発、等を考えれば、で
きるだけ速やかに施行されるべきものである。これに反対する勢力は、こ
の法律のリスクの側面に目がくらみ、目前に迫っている基本的人権、安全
保障上の脅威に目をつぶり過ぎていると考える。

この安倍総裁の提案に対し“第2項との整合性はどうなるのか。憲法に自
衛隊という言葉はないが、国民に定着している。無理に書く必要はないの
ではないか”、“第3項を加えて自衛隊を書いたとき、『それは軍隊なのか
違うのか』という矛盾が続く”、“自衛隊は第2項の「戦力」には該当しな
いとの趣旨を第3項に盛り込むべきだ”、“第9条はそのまま残す方が、解
釈を変えない趣旨が明快であり、「第9条の2」を新設して書くのが良
い”、”憲法改正はまだ機が熟していない”等の慎重論、条件付き賛成論、
反対論が見られる。

しかし、これらの懸念は、第9条の次に次の趣旨の1条を加えることによ
り、大部分解消するのではないかと考える。

●第9条の2 前条第1項に規定する「正義と秩序を基調とする国際平
和」が実現するまでは、同条第2項の規定にかかわらず、我が国の平和と
独立並びに国及び国民の安全を確保するため自衛軍を保有する。

2 自衛軍は、内閣総理大臣を最高指揮権者とし、次の要件が充足される
場合に国際法規に従い行動する。
 
(1)我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係
にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かさ
れ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険
があること
 
(2)これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当
な手段がないこと
 
(3)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと

3 自衛軍は、前文において希求している「平和を維持し、専制と隷従、
圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占める」諸活動に国際法規に従い貢献する。

基本的補足説明:戦後の神学的な憲法9条解釈論争の起因は、基本的に次
のようなものであると理解している。

△「自衛隊は違憲」の解釈は、日本国憲法第9条を素直に忠実に日本語に
従って読めば、憲法学者でなくても、中学生でも、導かれるものである。
これを反日、反米活動家などが利用などして、日本の生存環境の変化・激
化を軽視し、改憲の論議に浸り、実行を停滞させた。

△歴代政府は、「国防の基本方針」(昭和32年5月20日・国防会議及び閣議
決定)等に示されているように、第9条を憲法が国家の生存と生存のため
の相応の備えを否認することはあり得ないとの基本点に立って解釈し、国
力の増進、国際情勢・安全保障環境の変化などに対応しつつ、漸進的に自
衛力の整備を進めて来た、せざるを得なかった。

△日本国民は、国力の充実、国際的地位の向上、安全保障環境の変化・激
化、国際平和貢献の重要性などを実感する中で、政府の憲法解釈・運用を
支持する勢力を増加させた。

△この私案は、これらを、日本国憲法前文及び第9条との関連を踏まえつ
つ、追認するものである。

〇9条の2の条項案についての補足説明:

△第1項は、国際情勢は9条第1項が規定している「国際平和」は実現し
ていないとの認識を前提として、それが実現するまでの条件付きで第2項
の施行を停止し、自衛のために必要最小限の戦力・軍隊を保有すること
を、「9条の2」として明記・加えるものである。
△第2項は、自衛軍は「専守防衛」の軍隊であることを、自衛権行使の3
原則をもって、明記するものである。

△第3項は、自衛軍は「国際平和」を実現するための国際社会の諸活動に
貢献することを主任務とすることを明記するものである。

△この私案は、次のような関連するこれまでの「憲法解釈」「政府統一見
解」と齟齬をきたすものではない。

(1)憲法第9条についての見解(主権国家として持つ自衛権)
(2)憲法前文の平和主義についての見解
(3)交戦権の否認と自衛力の行使
(4)戦力と自衛隊  (5)自衛力の限界  (6)自衛隊と軍隊

○なお、現実の北朝鮮の暴挙、朝鮮半島の混迷などとの関連については、
次のような理解の下で効果的な施策の一つであると考えている。

△古来、我が国への災難は、大陸の混乱とのかかわりでもたらされてい
る。一衣帯水の朝鮮半島で戦乱が起これば被害も甚大なものとなる。
△超大国に囲まれていて、非核中級軽武装国家の日本が採りうる政策には
大きな限界がある。

△我が国は、国際社会の経済的・政治的・軍事的圧力・制裁の強化を補強
し得るべく、北朝鮮の軍備増強を恐れなくて良いように、北朝鮮の増強ス
ピードに先行して少なくとも並行して、我が国の防衛態勢を充実・強化
(注2)することが賢明・肝要である。
               〈2017年6月18日記〉


◆木津川だより 高麗寺跡 @ 

白井 繁夫



古代の仏教寺院「高麗寺(こまでら)」の創建は不明ですが、「高麗寺跡」の発掘調査から飛鳥時代に創建された日本最古の寺院「飛鳥寺(法興寺)」と同笵の軒丸瓦(十葉素弁蓮華文:じゅうようそべんれんげもん)が発掘されました。

飛鳥寺と同笵の瓦の出土は、この寺院跡「高麗寺跡」は蘇我氏創建の飛鳥寺(日本最古の本格的仏教寺院)と同時期頃の創建か?と歴史的な注目を集めました。

「高麗寺跡」は木津川市山城町上狛高麗、JR奈良線上狛駅より東へ約600m、木津川の右岸の棚田の中に位置しています。

「高麗寺跡」は昭和13年(1938)から本格的な発掘調査(第T期調査)が行われ、回廊に囲まれた主要な堂塔(塔跡、金堂跡、講堂跡)など含む伽藍の一部が75年前の昭和15年(1940)8月30日、国の史跡に認定されました。

(高麗寺は飛鳥時代に創建され白鳳時代に最盛期をむかえ平安時代の末期(12世紀)頃まで存続していた国内最古の寺院の一つ(京都府内では最古の寺院)と推察されています。)

「史跡高麗寺跡」の発掘調査はその後、第V期調査(平成22年度の第10次調査)まで実施され、平成22年史跡地の追加指定を受け、現在は20100m2の指定地です。調査内容については後述しますが、まず寺名(高麗寺)の「由来」からスタートします。

朝鮮半島と日本列島の九州は距離的にみると近畿と九州の数分の一であり、古代、5世紀の初めごろまではあまり強い国家意識を持たずに朝鮮半島南部の百済.新羅.加羅から渡来人が来ました。渡来氏族では漢氏(あやし)や秦氏(はたし)の氏族が優勢でした。

5世紀半ば過ぎからは北部の高句麗が強大化し南部の百済.新羅が戦場化し、戦火を逃れて日本列島に渡る人々が増加しました。

5世紀の後半は日本の古代国家形成にとって重要な時期であり、大王権力を拡大し、畿内政権を支える官司制の構成員として渡来人を採用し、彼等の文筆を持って官吏に執りたて、国家組織の整備や先進的技術の導入に役立てようとしました。

山城国への渡来人:秦氏は北部に多くの史跡を持ち、氏寺は京都の広隆寺(秦河勝が聖徳太子から下賜された仏像:弥勒菩薩半跏思惟像が有名です。)その他、商売の神様、稲荷神社(稲荷大社)、酒の神様、松尾神社(松尾大社)や嵐山の桂川周辺(大堰川)など。

山城国の南部では高句麗系の渡来氏族高麗(狛)氏が相楽.綴喜の南部2郡に集中しています。高麗寺は地名にもなっている高麗(狛)氏の氏寺です。しかし、南部以外でも有名な八坂神社の「祇園さん」(京都市東山区)は高句麗系渡来人の八坂氏の氏神です。

朝鮮半島からの渡来ルートは一般的には九州へ渡り、瀬戸内海を経て難波に来るルートを採りますが、高句麗から北西の季節風を利用して日本列島に渡るルートもありました。
古代の交通は主として水路を利用した結果、大和は木津川と深く関わりました。

木津川市は大阪市内から直径30kmの圏内です。

古代の水路の場合は、難波から淀川を遡上して八幡市(宇治川、木津川、桂川が合流)を経由する約60kmの道程です。別途、日本海の敦賀から近江の琵琶湖北岸に達し、水路で大津から宇治川経由木津に到着し、大和へ向うルートもありました。

『古事記』の仁徳天皇条、皇后石之日売命が天皇の浮気に嫉妬して難波高津宮から木津川の舟旅で出身地(大和の葛城)への途次の詩に「山代河:木津川」が詠まれています。

6世紀継体天皇が樟葉宮から弟国宮(おとくに)へ遷宮(518年)の頃、朝鮮諸国と畿内政権とは関係が緊張状態でした。
欽明天皇31年(570)条、高句麗の使節のため、南山城に高楲館(こまひのむろつみ)や相楽館(さがらかのむろつみ)を設けた。(木津川沿いに渡来人が多く居住していた。)

6世紀末、廃仏派の物部守屋が敗れ、用明天皇2年(587)、蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)の建立発願。飛鳥寺は日本最古の本格的仏教寺院であり、創建は6世紀末〜7世紀初、蘇我氏の氏寺、本尊は重文の飛鳥大仏(釈迦如来)です。

「高麗寺跡」の発掘調査から、南側土檀で仏舎利を祀る塔跡は東側、本尊仏を祀る金堂跡は西側、伽藍は南面しており、北側の土檀が講堂跡の伽藍配置です。

出土した瓦は年代の古い順から第1期は飛鳥寺と同笵の瓦、第2期は天武天皇が崇敬した寺、川原寺式瓦「種類.数量が最多」白鳳時代、第3期は平城宮式瓦、8世紀の修理、「多種.少量」、第4期は高麗寺独特の修理用瓦「少量」、平安時代前期と4時代の瓦でした。

出土品から高麗寺は新興勢力狛氏の氏寺として飛鳥時代(7世紀前半)に創建され、白鳳時代(7世紀後半)に本格的な造営が成されたが、都が平安京に遷都後は平安時代前期の修理が最後で12世紀末から13世紀初期まで高麗寺は存続していたと思われます。


<国の史跡「高麗寺跡」に付いては、新しい想いを込めて、新規に続編を掲載致します。
筆者の「木津川だより」にご関心を頂き、有り難う御座います。これからは以前の本編を、折を見て再掲させて頂きます。>

参考資料:山城町史 本文篇 山城町、
史跡 高麗寺跡 第V期(第8−10次発掘調査)発掘調査報告 木津川市教育委員会


2017年06月18日

◆「措置入院」精神病棟の日々(50)

“シーチン”修一 2.0



PCのバッテリーパックを交換したら処理速度が格段に向上した。視力も衰
えてきたので型式の「S」を「3」と読み間違えたので、最初に届いたもの
は使えない、で、交換したから日にちが経ってしまった。

力仕事をすると回復するまでに2、3日間はかかるようになった。老人用の
交換パックはないものか。産経には「ピンとする!」「スッキリ!」
「ぐっすり!」なんていう老人向けの広告があふれている。

そんな“不老長寿の秘薬”があったら若者のブレーキになるから倫理にもと
るだろう。老人はブログや趣味で余生を楽しんでいる方がいい。後がつか
えているし、労働市場に参入すれば若者の仕事を奪いかねない。子・孫の
支援をしてポックリ逝くのがいい、が、現実はダラダラ逝くのだろう。

市役所から検診の案内が届いたが、医者に行くと病名をつけられるから厭
なものである。キチ○イ、多動児(翁)だけで十分だ。

その多動児は6/13にイタズラ道具の工具とネジなどのパーツ類の整理に着
手した。病院の作業工房には小さいながら旋盤と溶接機械もあってとても
充実していた、戻りたくはないが。

同時期に園芸、造形芸術、裁縫にも大いに目覚めたから忙しい。さらに男
児の6歳誕生パーティなど立て続けでキッチンヂイヂもこなしたから14、
15日は体が動かないし、気力も萎えて、3日分の新聞を読むだけで精一杯
だった。

今朝は心技体がそこそこ良い(と言うか悪くない)ので記事を書く。公休
の“春琴”は友だちとスーパー銭湯へ。結構なことだ。小生は午前中に記事
を仕上げて、午後からは息子の部屋だった8畳間(今はおもちゃ部屋と呼
んでいる)の壁の補修を開始する予定だ。男の子は腹が立つと壁にゲンコ
ツで穴を開ける、そうしないと高ぶる神経を冷やせないのだ。

それにしても4つも穴を開けるのはやり過ぎだが、体育会系なので先輩や
先生、師匠に面と向かって歯向かえないから拳で壁に当たりかかるしかな
いのだろう。小生のように「お縄頂戴」よりはよっぽどマシ、ベターだが。

夕べは数年ぶりに楽しい夢を見た。内容は忘れたが、一時期、枕元にメモ
用紙をおいて夢の内容を夢うつつで書いたことがあったが、読み直すと
まったく面白くもなんともないのですぐにやめた。発狂から6か月で、確
かにオツムの病状は改善しているようだ。

ワースト老人の病棟日記から。

【2016/12/6】*6:30、起床とともに採血。老化で静脈が見えにくくなっ
ているから2発目で成功したが、チト痛い。ナースの‟女帝”曰く「ごめん
ね」。2回目までは許容範囲だ。

喫煙所に向かう慢性期病棟の金髪ヤンキー娘は23歳ほどか、右腕に青の刺
青をしていた。極妻一直線。

【12/7】*2日連続で道に迷ってパニクル夢を見て、ぐったりした。初日
の舞台は神田とか人形町、門前仲町、箱崎あたりで、取材なのに道に迷
い、高速下の用水路沿いに行くと行き止まり。車外に出たらなんと、ケー
タイも財布も車の鍵も車内に残したままでドアをロック、二進も三進もい
かず、ひたすら迷路のような狭い道をうろつくという悪夢。

翌日は箱根で会議があるのに、時刻表の読み方が分からず、電車も来ない
ので呆然としているという悪夢。いずれもカフカの「城」のような焦りと
もどかしさを“堪能”させられた。原因は何か。

“春琴”への「謝罪と誓い」の推敲で脳ミソを酷使したこと、完全に小生の
一方的な無条件降伏、完敗したことによるだろう。小生は「7勝7敗1分け
人生」と思っていたが、今は終盤戦で崩れて5連敗。結局6勝14敗で、平幕
に落ちた気分だ。来場所で勝ち越さないと十両さらに幕下に転落しかねな
いという「焦り」が悪夢になったのではないか。

【12/8】*日米開戦記念日。ホールの吾がテーブルに新人“ヒッキー”が来
た。‟ドカベン”と同じ19歳。‟ドカベン”は挨拶するようになったが、
“ヒッキー”もそのうち声を出すだろう。

*“令夫人”の旦那が見舞いに来て、やがて帰って行ったが、1F広場に出た
旦那が2Fを振り仰いで廊下の“令夫人”に手を振ると、彼女も盛んに手を
振っていた。近くで運動していた小生が「“あかねさす紫野行き標野行き
 野守は見ずや君が袖振る”だね」と声をかけると、彼女は「修一さん
は?」と聞いてきたので、妻の数だろうと思って人差し指を一本立てたら
「一回で十分ですよね」だって。

結婚はしないより、した方がいいが、確かに1回すれば十分だわな。トラ
ンプは3回、オマケに倒産(会社更生法適用)も5回。再チャレンジが好き
なのだろうが、いやはやお元気。

ヒラリーは何をしているのだろう。疲れ果てて入院でもしているのか、そ
れとも三度目の正直を準備しているのか・・・

*今朝もリアルな悪夢で目が覚めた。小生ら4人はフランス人で、オー
ナー社長のもと、深海調査を生業とし、その日は海底火山を調査してい
た。社長が自ら深海艇のロボットアームを操作していた際、突如として噴
火し、岩石が船体正面のアーム操作室を直撃、ガラス窓にひびが入って熱
湯が社長の顔面を直撃した。

それを見た我々部下3人は、救出はできない、今はアーム室を密閉するし
かないと判断、同時にアーム室の排水を開始した。

数時間後、ようやく海上に浮上し、アーム室を開けると、顔面を大やけど
したものの社長は生きていた。

我々3人は「3人の命と船を守るためには、ああするより仕方がなかったの
だ」と思いつつも、いつも自責感を抱いていた。社長も「逆の立場なら私
もそうしたよ」と慰めてくれたが、複雑な思いだった。

仕事は順調に拡大し、世界有数の深海調査会社になった。「苦労は共にで
きるが、繫栄は共にできない」という教訓通りなのか、我々3人は十分な
報酬を得ているにもかかわらず、恩人の社長を排除しようと画策し、つい
には創業家派、古参派の2派閥に分かれて対立し、やがて銃の撃ち合いに
なってしまった・・・

ここで場面が日本のリゾート地になり、“春琴”と小生が別荘に暮らしてい
る。下の谷側は大きくて深く、自衛隊の潜水艇訓練基地になっていた。
“春琴”はどういうわけかゴミを高台の別荘から下に捨てる。いくら注意し
ても聞かない。

やがて事件が起きた。潜水艇の空気取り入れ口にプラゴミが詰まって隊員
一人が死んだのだ・・・

不思議な夢はそこまで。いろいろな原因が考えられるが、今の読書の影響
がかなりありそうだ(表と裏の二重人格的人物が登場する。「織田信長」
の松永弾正、「失われた時を求めて」のスワンとか、島尾敏雄夫妻の狂気
とか)。

*9:00、新人“イネムリ”が加わり、部屋は3人になった。彼は昼夜逆転ど
ころか朝から晩まで食事の時以外は寝っぱなし。11:00、“ハカセ”はホー
ルで新聞をいつも読んでいるが、同じ面ばかりを何度も読んでいる。若年
性健忘症、認知症か?

30歳ほどの娘さん“ヒマン”と、見舞いに来た姉妹2人、母親は皆そっくり
のメガネっ子。1Fの喫煙所でみんながスパスパやっていた。ホールでは聖
書のようなものを出していたからエホバかと思っていたが、まったく違っ
ていた。

*15:45〜14:20、‟ピーコック”による心理面接。「謝罪と誓い」を読ん
でもらい、まずは合格だったようだ。これからは「夫婦の接点、(シル
バーボランティアなどを通じての)社会との接点を探しましょう」とのこ
と。(つづく)2017/6/16


◆韓国に謝罪すべき理由とは

阿比留 瑠比



韓国に謝罪すべき理由とは…鉄道網整備に護岸工事、ダム建設…みんな懺悔
に値する。

「韓国国民の中で受け入れられないという感情もあるのも事実だ」「日
本が韓国国民の心情をくみ取ろうとする努力が重要だ」

自民党の二階俊博幹事長と12日に会談した韓国の文在寅大統領は、慰安
婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を確認した日韓合意について、
こう述べた。文氏の言葉の「感情」の部分を、「情緒」と訳していた新聞
もあった。

文氏は5月に安倍晋三首相と電話会談した際も「国民の大多数が、心情
的に合意を受け入れられないのが現実だ」と語っており、これが公式見解
なのだろう。

国民感情が実定法や国際条約に優越する韓国独特の「国民情緒法」が、
どうして外国にも通用すると考えるのか。なぜそんな自分勝手で甘えた要
求を、日本が受け入れると思うのか。

先人の行いと姿勢

韓国は、本当に面倒くさい国だなあとあきれていたが、作家の百田尚樹
氏の新刊『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社)を読んで自分の浅慮に恥
じ入った。

百田氏はここ数年、日韓併合の歴史を調べていくうちに、次のように感
じてこの本を書いたのだという。

「日本が朝鮮および朝鮮人に対して行った悪行を知り、愕然としたから
です。その非道の数々は、私の想像を絶するものばかり」

「現代に生きる日本人のほとんどが、70年以上前に、祖先が朝鮮半島 で
いかにひどいことをしてきたか知りません」

詳しくは本を手に取ってもらいたい。百田氏は例えば、日本の悪行につ
いて次のように例示している。

▽朝鮮人の子供たちに学校に通うことを強制して、自由を奪うという人 権
蹂躙▽下層階級が使う文字とされていたハングルを勝手に広め、文字文 化
を変えてしまった▽はげ山の植林事業で5億9000万本もの木を植 え、 地
肌むき出しの朝鮮半島独特の景色を作り替えてしまった−など。

韓国に謝罪すべき理由とは…鉄道網整備に護岸工事、ダム建設…みんな懺悔
に値する

「韓国国民の中で受け入れられないという感情もあるのも事実だ」「日
本が韓国国民の心情をくみ取ろうとする努力が重要だ」

自民党の二階俊博幹事長と12日に会談した韓国の文在寅大統領は、慰 安
婦問題の「最終的かつ不可逆的」な解決を確認した日韓合意について、
こう述べた。文氏の言葉の「感情」の部分を、「情緒」と訳していた新聞
もあった。

文氏は5月に安倍晋三首相と電話会談した際も「国民の大多数が、心情
的に合意を受け入れられないのが現実だ」と語っており、これが公式見解
なのだろう。

国民感情が実定法や国際条約に優越する韓国独特の「国民情緒法」が、
どうして外国にも通用すると考えるのか。なぜそんな自分勝手で甘えた要
求を、日本が受け入れると思うのか。

先人の行いと姿勢

韓国は、本当に面倒くさい国だなあとあきれていたが、作家の百田尚樹
氏の新刊『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社)を読んで自分の浅慮に恥
じ入った。

百田氏はここ数年、日韓併合の歴史を調べていくうちに、次のように感
じてこの本を書いたのだという。

「日本が朝鮮および朝鮮人に対して行った悪行を知り、愕然としたから
です。その非道の数々は、私の想像を絶するものばかり」

「現代に生きる日本人のほとんどが、70年以上前に、祖先が朝鮮半島 で
いかにひどいことをしてきたか知りません」

詳しくは本を手に取ってもらいたい。百田氏は例えば、日本の悪行につ
いて次のように例示している。

▽朝鮮人の子供たちに学校に通うことを強制して、自由を奪うという人 権
蹂躙▽下層階級が使う文字とされていたハングルを勝手に広め、文字文 化
を変えてしまった▽はげ山の植林事業で5億9000万本もの木を植 え、地肌
むき出しの朝鮮半島独特の景色を作り替えてしまった−など。

また、美しい朝鮮半島の至る所に醜い鉄道網を敷き、河川の護岸工事で川
本来の原始の美を壊し、現在も電力源となっている多くのダムを造り、傷
痕を今に残したことなども記し、懺悔している。朝鮮半島は日本統治時代
に耕地面積は倍近くに増え、人口も2倍となり、24歳だった平均寿命は
42歳にまで延びたとされる。

 百田氏は「そんなものを朝鮮人たちが望んだわけではありません」と指
摘し、こう問いかける。

 「私たちの先人が朝鮮半島で行ってきた非道で勝手なふるまいを反省す
べきではないでしょうか」

 なるほど、韓国がいまなお日本に対しては何をやっても許されると誤解
しているのは、先人たちの行いと姿勢のせいだったのか…。

日本の誤った報道

韓国に関連してはもう一冊、ジャーナリストの大高未貴氏の新刊『父の
謝罪碑を撤去します』(産経新聞出版)も紹介したい。

韓国・済州島で朝鮮人女性の強制連行を行い慰安婦にしたと虚偽証言し
た故吉田清治氏の長男のインタビューなどをまとめて検証した内容で、長
男のこんな言葉が紹介されている。

「父が発信し続けた虚偽によって日韓両国民が不必要な対立をすること
も、それが史実として世界に喧伝され続けることも、これ以上、私は耐え
られません」

慰安婦問題が日韓間の国際問題化した発端が吉田氏の偽証や、吉田氏を
しつこく取り上げ続けた朝日新聞など日本側の誤った報道にあったのも事
実だろう。

ならば朝日新聞にも、韓国に対し、心から謝罪してもらいたい。

(論説委員兼政治部編集委員)

産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2017.6.17

◆情報機関の調査機能の一掃を目論む韓国

櫻井よしこ



「情報機関の調査機能の一掃を目論む韓国の現状を日本は注視すべき」

46年前の1971年に、東京・渋谷で沖縄返還協定反対デモがあり、警備に当
たった新潟県警の中村恒雄警部補、当時21歳が殺害された。「渋谷暴動事
件」である。その犯人と思われる大坂正明容疑者が6月7日、逮捕された。
実に46年間も逃げ続けていたのだ。
 
人々が忘れ去っても、ずっと事件を追い続けた公安と警察の働きがあって
初めて、大坂容疑者の逮捕となった。国や社会の安全は、このような地道
な息の長い努力によって守られていることを改めて認識する。
 
いま、欧州、中東、南アジアなどではテロが続発し、国内治安を守るのは
容易でない。国内の不穏な動きを厳しく監視できなければ、安全な国民生
活は守りきれないといってよい。
 
とりわけ南北に分断されている朝鮮半島では、韓国は北朝鮮の対南工作に
晒されてきた。他のどの国と較べても、国内治安維持のための監視体制が
必要な国だ。ところが、文在寅氏が大統領に就任して日も浅い6月1日、早
くも非常に憂うべき決定が下された。
 
国家情報院(国情院)を「改変」するというのだ。第一報を、私は6月5
日付の「産経新聞」櫻井紀雄記者による、ソウル発の記事によって知った。

国情院は北朝鮮の独裁政権から韓国を守るために、あらゆる謀略工作に目
を光らせる機関である。国家保安法を執行する、日本でいえば公安調査庁
と警察を合わせたような組織だ。その国情院院長に就任した徐薫氏が、こ
れまで、国情院のみならず各種の機関で情報収集に当たってきた国内情報
担当官(IO)制度の廃止を指示したという。もし、実行されれば、日本
でいえば公安調査庁、警察を筆頭とする全情報機関の調査機能が一掃され
る事態が生ずる。

「統一日報」論説主幹の洪熒(ホン・ヒョン)氏が語る。

「もし、そのようなことを実行したら、スパイ捜査もできなくなります。
全ての公安関係の組織活動が根底から切り崩されます。果たしてそんなこ
とができるのか、疑問です」
 
実は、金大中、盧武鉉、金泳三各氏ら歴代の左翼系大統領は皆同じ提案
をした。しかし、流石に国家の基盤である情報組織を解体することはでき
なかった。今回も同じ展開になるのではないかと、洪氏は見る。
 
一方で懸念すべきは、これまで北朝鮮の工作員など韓国に害をなすと思
われる勢力に向けられていた情報機関の活動が、逆に国民の方に、とりわ
け、保守勢力に向けられてくるのではないかということだ。洪氏の解説で
ある。

「日本からでは韓国の実態はわかりにくいかもしれません。朴槿恵前大統
領があっという間に弾劾、逮捕され、収監された背景を頭に入れておく必
要があります。民労総(全国民主労働組合総連盟)や全教組(全国教職員
労働組合)などの勢力が反朴運動を支えましたが、これらは日本の自治労
や日教組をもっとずっと激しい極左にしたような組織です。彼らの支持の
上に現在の文政権があるのです」
 
彼らは文氏も含めて、北朝鮮の破綻が明らかな現在も、金日成氏の主体
思想を信奉する人々である。
 
文氏は盧政権下の秘書室長(官房長官)だった。盧大統領は事実上、国
情院によって、北朝鮮に従う余り韓国を裏切ることになった行動を暴露さ
れている。今回の措置は、文氏が盧氏の失敗に学んで、まず、韓国内の情
報機関の潰滅を狙った可能性も考えられる。隣国の状況の深刻さが窺える。
 
こんなときこそ、日本国内の状況への目配りが重要だ。沖縄での反米軍基
地運動をはじめ、慰安婦問題で政府を追及する会合などが、日本各地で驚
くような頻度で開催されている。少なからぬ朝鮮半島の人々や中国人が参
加している。外国籍の運動家の、日本における政治活動の実態の危険度に
注視し、日本は韓国の現状から学びとるべきではないか。

『週刊ダイヤモンド』 2017年6月17日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1186

◆インスリン注射不要の夢

渡部 亮次郎



2006年8月、京大の山中伸也教授が、人の皮膚から採った細胞に4つの遺伝
子を入れて培養したら、万能細胞ができた。iPS細胞=人工多能性幹細胞
と言うそうだ。

万能細胞から、神経細胞、心臓細胞、臓器細胞、血液細胞、軟骨などが作
られ糖尿病や心臓病に使えるとされている。

自分の皮膚から採った細胞だから、自分の体に入れても拒否反応がない。
ノーベル賞だという声が上がって本当に受賞した。細胞や臓器の再生へ、
万能細胞の研究競争が激化するだろう。

山中教授は、何年かしたら、人工細胞ができると言う。激しい競争がある
からだ。

しかし、4つの遺伝子は、癌細胞から採っているので、人に応用すると思
わぬ事故になる可能性があると言う。

山中氏は、神戸大→大阪市立大→カリフォルニア大と研究を続けて、世界初
の万能細胞を作った。

人工細胞は、糖尿病、心筋梗塞(しんきんこうそく)、脊髄損傷(せきず
いそんしょう)などの治療に使える。
http://www2.ocn.ne.jp/~norikazu/Epageh3.htm

このうち糖尿病治療への展望について専門家に聞いて見ると、うまくすれ
ばインスリン注射が要らなくなる可能性があるという明るい見通しがある
らしい。

糖尿病は、食べたものを血肉にするホルモン「インスリン」が膵臓から十
分に出てこないため、溢れた栄養(ブドウ糖)が血管を内部から攻撃した
末に小便に混じって出る病気である。小便が甘くなるから糖尿病。

糖尿病それ自体ではなかなか死なないが、内部から血管を糖分で攻撃され
ると、脳梗塞、心筋梗塞、盲目、足の切断、癌多発といった
「合併症」を招いて、寿命より10年は早く死ぬ。

栃木県にある自治医科大学内分泌代謝科の石橋俊教授によると、駄目に
なった膵臓や膵頭を何らかの方法で丈夫なものを移植すれば問題は一挙に
解決し、インスリン注射も要らなくなる。

しかし日本ではドナーが不足し、膵頭を調整する試薬の供給がストップし
たりして、こうした治療を受ける患者は2桁どまりだ。

そこで注目されたのが、インスリン「製造工場」ともいえる膵ベーター細
胞の再生治療だったがヒトの受精卵の仕様に付随する倫理的制約や拒否反
応が壁になって進んでいなかった。

そこへ登場したのが山中教授の万能細胞。ヒトES細胞から膵ベーター細胞
を作る研究は壁に突き当たったが、山中教授のiPS細胞なら、自分の皮膚
から出来た物だから拒否反応も倫理的な問題も起きない。

問題は今回できた4つの遺伝子が、がん細胞からとっているので、人に応
用すると思わぬ事故になる可能性があることだ。石橋教授は「この問題が
解消されれば、実用化は意外に早いかも知れない」と言っている。

資料:(社)日本糖尿病協会関東甲信越地方連絡協議会機関紙「糖友
ニュース」91号(2008・7・1)  執筆 08・06・28




    

◆春日局は光秀重臣の娘

毛馬 一三



春日局(かすが の つぼね)は、本名斎藤福(さいとう ふく)と云い、江戸幕府の3代将軍・徳川家光の乳母。「春日局」との名は、朝廷から賜った称号である。

ところが、福の父は本能寺の変で織田信長を暗殺した、明智光秀の重臣・斎藤利三で、福はその娘だった。

斎藤利三は捕えられ斬首されたが、そんな本能寺の変の主役の娘・福をどうして江戸幕府の大奥に招き入れ、大奥の頭の「春日局」にまで優遇したのだろうか。「謎」の一つだ。

<福は父斎藤利三の所領のあった丹後国の黒井城下館(興禅寺)で生まれる。丹波は明智光秀の所領であり、利三は重臣として丹波国内に、光秀から領地を与えられていた。

光秀の居城を守護するため、福知山城近郊の要衝である黒井城を与えられ、氷上群全域を守護していたものと思われる。福は、黒井城の平常時の住居である下館(現興禅寺)で生まれたとされている。
こうして福は、城主の姫として、幼少期をすごした。

その後、父は光秀に従い、ともに本能寺の変で織田信長を討つが、羽柴秀吉に山崎の戦いで敗戦し、帰城後に坂本城下の近江国堅田で捕らえられて斬首され、他の兄弟も落ち武者となって各地を流浪していたと考えられている。

そうなって福は、母方の実家の稲葉家に引取られ、成人するまで美濃の清水城で過ごしたとみられ、母方の親戚に当たる「三条西公国」に養育された。これによって、公家の素養である書道・歌道・香道等の教養を身につけることができた。>ウイキペディア

このような歴史背景から見て行くと、明智光秀の重臣だった父親の血を惹く実の娘が、江戸幕府に召し上げられて、「春日局」となるとは、首を傾げたくなる訳だ。

大阪堺の歴史家によると、徳川家康は本能寺の変の前に、織田信長を訪ね酒杯を頂きながら戦況を交わしている。明智光秀はこの酒杯のお世話を担務したが、段取りを信長に嫌悪されて過激の叱責を受け、信長側近の地位を剥奪された。

そこで信長を将来の身を絶望恨み、本能寺の変を決意したという。

ここで重要なことだが、重臣斎藤利三を遣って、徳川家康に信長暗殺を秘かに伝え、本能寺の変に突入したのだそうだ。そして徳川家康には、無事に京都から大阪を経て、堺まで逃げ込む方策を告げたのだという。

密告通り、京都で「変」が起こったことを知った家康は、迎えに駆けつけてきた斎藤利三の強力家来に誘導されて方策通り、堺に向けて脱出。そのあと伊賀の多数の忍者に擁護されながら、本拠城の三河城に苦労して辿りついたという。

この行動は、恰も本能寺の変とは「無縁」であり、むしろ「被害者」たる姿勢を世間に見せ付ける行動を敢えて披露したように見える。堺にはそれを裏付ける資料もが少々あるというのだ。

つまり、家康にとって、斎藤利三は命の恩人ということになる。秀吉にとってもゆるせない反乱重臣の一人斎藤利三こそ、家康にとっては恩返しをしなければならない重要人物であることは間違いないことになる。つまり、「福」は紛れもない命の恩人の娘だったのだ(歴史家)。
ところが、もう一つの見方もある。「謎」の二つ目である。

つまり、家康がすみやかに京都を脱出出来たのは、家康と光秀の間で、信長を暗殺する方策を事前から立案し合っていたものではないか。その脱出方策の実行を斎藤利三に任せ、家康の身の安全と、信長後任の詰めまでも、申し合わせていたのではないかと云う見方もある。つまり、家康こそ「暗殺首謀者」だとの見方だ。

方策は見事に成功した。ところが斎藤利三は斬首された。となれば上記と同様、家康は、紛れもない命の恩人の娘だった「福」に、父親の恩を返してやることを考えたに間違いないと考えられる。

さて、<福は、将軍家の乳母へあがるため、夫の正成と離婚する形をとった。慶長9年(1604年)に2代将軍・徳川秀忠の嫡子・竹千代(後の家光)の乳母に正式に任命される。このとき選考にあたり、福の家柄及び公家の教養と、夫・正成の戦功が評価されたといわれている。

家光の将軍就任に伴い、「将軍様御局」として大御台所・江の下で大奥の公務を取り仕切るようになる。寛永3年(1626年)の江の没後からは、家光の側室探しに尽力し、万や、楽、夏などの女性たちを次々と奥入りさせた。

また将軍の権威を背景に老中をも上回る実質的な権力を握る。

寛永6年(1629年)には、家光のほうそう治癒祈願のため伊勢神宮に参拝し、そのまま10月には上洛して御所への昇殿を図る。

しかし、武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため、血族であり(福は三条西公条の玄孫になる)、育ての親でもある三条西公国の養女になろうとしたが、既に他界していたため、やむをえずその息子・三条西公条と猶妹の縁組をし、公卿三条西家(藤原氏)の娘となり参内する資格を得ている。

そして三条西 藤原福子として同年10月10日、後水尾天皇や中宮和子に拝謁、従三位の位階と「春日局」の名号及び天酌御盃をも賜るのである。

その後、寛永9年(1632年)7月20日の再上洛の際に従二位に昇叙し、緋袴着用の許しを得て、再度天酌御盃も賜わる。よって二位局とも称され、同じ従二位の平時子や北条政子に比定する位階となる。
寛永11年に正勝に先立たれ、幼少の孫正則を養育、後に兄の斎藤俊宗が後見人を務めた。寛永12年には家光の上意で義理の曾孫の堀田正敏を養子に迎えた。

寛永20年(1643年)9月14日に死去、享年64。辞世の句は「西に入る 月を誘い 法をへて 今日ぞ火宅を逃れけるかな」。法号は麟祥院殿仁淵了義尼大姉。墓所は東京都文京区の麟祥院、神奈川県小田原市の紹太寺にある〉。  ウイデペディア。

このように「福」の奇跡的な生涯を見て行くと、上記に<武家である斎藤家の娘の身分のままでは御所に昇殿するための資格を欠くため>とあって、これを秘匿した工作がはっきりしてくる。「謎」の一つは解けそうだ。

しかも、素晴らしい殿中での政治的画策の実現を図る、「福」の明晰な頭脳が分かる。

しかし、家康と明智光秀が共謀者同士だったかの、二つ目の「謎」は分からない。
                                        
この「春日局」の生涯には、誠に興味が深い。