2017年06月17日

◆「措置入院」精神病棟の日々(50)

 “シーチン”修一 2.0



PCのバッテリーパックを交換したら処理速度が格段に向上した。視力も衰
えてきたので型式の「S」を「3」と読み間違えたので、最初に届いたもの
は使えない、で、交換したから日にちが経ってしまった。

力仕事をすると回復するまでに2、3日間はかかるようになった。老人用の
交換パックはないものか。産経には「ピンとする!」「スッキリ!」
「ぐっすり!」なんていう老人向けの広告があふれている。

そんな“不老長寿の秘薬”があったら若者のブレーキになるから倫理にもと
るだろう。老人はブログや趣味で余生を楽しんでいる方がいい。後がつか
えているし、労働市場に参入すれば若者の仕事を奪いかねない。子・孫の
支援をしてポックリ逝くのがいい、が、現実はダラダラ逝くのだろう。

市役所から検診の案内が届いたが、医者に行くと病名をつけられるから嫌
なものである。キチ○イ、多動児(翁)だけで十分だ。

その多動児は6/13にイタズラ道具の工具とネジなどのパーツ類の整理に着
手した。病院の作業工房には小さいながら旋盤と溶接機械もあってとても
充実していた、戻りたくはないが。

同時期に園芸、造形芸術、裁縫にも大いに目覚めたから忙しい。さらに男
児の6歳誕生パーティなど立て続けでキッチンヂイヂもこなしたから14、
15日は体が動かないし、気力も萎えて、3日分の新聞を読むだけで精一杯
だった。

今朝は心技体がそこそこ良い(と言うか悪くない)ので記事を書く。公休
の“春琴”は友だちとスーパー銭湯へ。結構なことだ。小生は午前中に記事
を仕上げて、午後からは息子の部屋だった8畳間(今はおもちゃ部屋と呼
んでいる)の壁の補修を開始する予定だ。男の子は腹が立つと壁にゲンコ
ツで穴を開ける、そうしないと高ぶる神経を冷やせないのだ。

それにしても4つも穴を開けるのはやり過ぎだが、体育会系なので先輩や
先生、師匠に面と向かって歯向かえないから拳で壁に当たりかかるしかな
いのだろう。小生のように「お縄頂戴」よりはよっぽどマシ、ベターだが。

夕べは数年ぶりに楽しい夢を見た。内容は忘れたが、一時期、枕元にメモ
用紙をおいて夢の内容を夢うつつで書いたことがあったが、読み直すと
まったく面白くもなんともないのですぐにやめた。発狂から6か月で、確
かにオツムの病状は改善しているようだ。

ワースト老人の病棟日記から。

【2016/12/6】*6:30、起床とともに採血。老化で静脈が見えにくくなっ
ているから2発目で成功したが、チト痛い。ナースの‟女帝”曰く「ごめん
ね」。2回目までは許容範囲だ。

喫煙所に向かう慢性期病棟の金髪ヤンキー娘は23歳ほどか、右腕に青の刺
青をしていた。極妻一直線。

【12/7】*2日連続で道に迷ってパニクル夢を見て、ぐったりした。初日
の舞台は神田とか人形町、門前仲町、箱崎あたりで、取材なのに道に迷
い、高速下の用水路沿いに行くと行き止まり。車外に出たらなんと、ケー
タイも財布も車の鍵も車内に残したままでドアをロック、二進も三進もい
かず、ひたすら迷路のような狭い道をうろつくという悪夢。

翌日は箱根で会議があるのに、時刻表の読み方が分からず、電車も来ない
ので呆然としているという悪夢。いずれもカフカの「城」のような焦りと
もどかしさを“堪能”させられた。原因は何か。

“春琴”への「謝罪と誓い」の推敲で脳ミソを酷使したこと、完全に小生の
一方的な無条件降伏、完敗したことによるだろう。小生は「7勝7敗1分け
人生」と思っていたが、今は終盤戦で崩れて5連敗。結局6勝14敗で、平幕
に落ちた気分だ。来場所で勝ち越さないと十両さらに幕下に転落しかねな
いという「焦り」が悪夢になったのではないか。

【12/8】*日米開戦記念日。ホールの吾がテーブルに新人“ヒッキー”が来
た。‟ドカベン”と同じ19歳。‟ドカベン”は挨拶するようになったが、
“ヒッキー”もそのうち声を出すだろう。

*“令夫人”の旦那が見舞いに来て、やがて帰って行ったが、1F広場に出た
旦那が2Fを振り仰いで廊下の“令夫人”に手を振ると、彼女も盛んに手を
振っていた。近くで運動していた小生が「“あかねさす紫野行き標野行き
 野守は見ずや君が袖振る”だね」と声をかけると、彼女は「修一さん
は?」と聞いてきたので、妻の数だろうと思って人差し指を一本立てたら
「一回で十分ですよね」だって。

結婚はしないより、した方がいいが、確かに1回すれば十分だわな。トラ
ンプは3回、オマケに倒産(会社更生法適用)も5回。再チャレンジが好き
なのだろうが、いやはやお元気。

ヒラリーは何をしているのだろう。疲れ果てて入院でもしているのか、そ
れとも三度目の正直を準備しているのか・・・

*今朝もリアルな悪夢で目が覚めた。小生ら4人はフランス人で、オー
ナー社長のもと、深海調査を生業とし、その日は海底火山を調査してい
た。社長が自ら深海艇のロボットアームを操作していた際、突如として噴
火し、岩石が船体正面のアーム操作室を直撃、ガラス窓にひびが入って熱
湯が社長の顔面を直撃した。

それを見た我々部下3人は、救出はできない、今はアーム室を密閉するし
かないと判断、同時にアーム室の排水を開始した。

数時間後、ようやく海上に浮上し、アーム室を開けると、顔面を大やけど
したものの社長は生きていた。

我々3人は「3人の命と船を守るためには、ああするより仕方がなかったの
だ」と思いつつも、いつも自責感を抱いていた。社長も「逆の立場なら私
もそうしたよ」と慰めてくれたが、複雑な思いだった。

仕事は順調に拡大し、世界有数の深海調査会社になった。「苦労は共にで
きるが、繫栄は共にできない」という教訓通りなのか、我々3人は十分な
報酬を得ているにもかかわらず、恩人の社長を排除しようと画策し、つい
には創業家派、古参派の2派閥に分かれて対立し、やがて銃の撃ち合いに
なってしまった・・・

ここで場面が日本のリゾート地になり、“春琴”と小生が別荘に暮らしてい
る。下の谷側は大きくて深く、自衛隊の潜水艇訓練基地になっていた。
“春琴”はどういうわけかゴミを高台の別荘から下に捨てる。いくら注意し
ても聞かない。

やがて事件が起きた。潜水艇の空気取り入れ口にプラゴミが詰まって隊員
一人が死んだのだ・・・

不思議な夢はそこまで。いろいろな原因が考えられるが、今の読書の影響
がかなりありそうだ(表と裏の二重人格的人物が登場する。「織田信長」
の松永弾正、「失われた時を求めて」のスワンとか、島尾敏雄夫妻の狂気
とか)。

*9:00、新人“イネムリ”が加わり、部屋は3人になった。彼は昼夜逆転ど
ころか朝から晩まで食事の時以外は寝っぱなし。11:00、“ハカセ”はホー
ルで新聞をいつも読んでいるが、同じ面ばかりを何度も読んでいる。若年
性健忘症、認知症か?

30歳ほどの娘さん“ヒマン”と、見舞いに来た姉妹2人、母親は皆そっくり
のメガネっ子。1Fの喫煙所でみんながスパスパやっていた。ホールでは聖
書のようなものを出していたからエホバかと思っていたが、まったく違っ
ていた。

*15:45〜14:20、‟ピーコック”による心理面接。「謝罪と誓い」を読ん
でもらい、まずは合格だったようだ。これからは「夫婦の接点、(シル
バーボランティアなどを通じての)社会との接点を探しましょう」とのこ
と。(つづく)2017/6/16


◆世界の安定剤、マティス長官の安全観

櫻井よしこ




毎年シンガポールで開催される「アジア安全保障会議(シャングリラ・ダ
イアローグ)」は、世界の安全保障戦略で何が一番の問題になっているか
を知り、大国の思惑がどのように交錯しているかを知る、極めて有意義な
場である。今年は米国防長官、ジェームズ・マティス氏が演説を行った。
 
トランプ大統領が、ロシア問題で追及され、身内のジャレッド・クシュ
ナー大統領上級顧問までもが疑惑を取り沙汰されている。そうした中、軍
人として培った揺るぎない安全保障観を披露したマティス国防長官は、国
際社会の安定装置として機能しているかのようだ。
 
6月3日に行われた氏の演説の内容は予想を超える率直さだった。敢えてポ
イントを2つに絞れば、➀アジアの同盟諸国への固い絆の再確認、➁中国に
は断固たる姿勢を取る、ということになるだろう。
 
まず、アジアの安全保障についてマティス氏は、アメリカが如何に国際法
順守を重視しているかを強調した。
 
アジアの安全保障が国際法に基づいて担保されるべきだとの考えは、世界
恐慌とそれに続く第二次世界大戦の凄まじい体験から学びとった教訓だ
と、マティス氏は強調する。氏は演説で人類の戦いの歴史にさり気なく触
れたが、蔵書6000冊を有し、その大半が戦史に関する著作だといわれる氏
の、国家と国家の摩擦としての戦いや、その対処の原理についての、奥深
い理解を感じさせる。
 
氏は語っている。国の大小、その貧富に拘らず、国際法は公平に適用され
るべし、と。海の交通路は全ての国々に常に開かれ、航行及び飛行の自由
が保たれるべきだという価値観は、時代を通して守られてきたとマティス
氏は語る。その自由で開かれた世界を、アメリカはこれからも担保するの
だと。
 
同じ趣旨を、表現を変えながら、マティス氏は繰り返した。講演録を読む
と、国際法の重要性を説いた段落が幾つも続いている。

「航行の自由」作戦
 
それらの発言が中国に向けられているのは明らかである。マティス氏がこ
れ程、或る意味で執拗に、国際法や航行の自由について語ったのは、アメ
リカは北朝鮮問題で中国に協力を求めても、南シナ海、東シナ海、台湾な
どの他の重要な地域問題で従来の基本的立場を譲るつもりは全くないと示
しているのである。マティス氏は、中国について前向きに丁寧に言及しな
がらも、要所要所で釘をさしている。

「トランプ政権は、朝鮮半島の非核化に向けての国際社会の努力に中国が
コミットメントを再確認したことに安堵している」「(4月の米中首脳会
談で)習近平主席は、全ての関係国が各々の責任を果たせば、朝鮮半島の
核の問題は解決されるはずだと語った」と、紹介したうえで、マティス氏
は述べた。

「自分は習近平主席に全く同意する。大事なのは、そうした言葉は行動に
よって本物であることが確認されなくてはならないということだ」
 
中国に強い口調で迫っているのである。中国よ、言葉はもういい。実行
によって証明せよ、制裁を強化せよと要求しているのである。
 
約30分の演説の中で、マティス氏は南シナ海の問題についても、中国の
建設した人工島を批判しながら言及した。主旨は、➀中国の行動は国際社
会の利益を侵し、ルールに基づく秩序を揺るがすもので、受け入れること
はできない。➁人工島の建設とその軍事化は地域の安定を損ねる。
 
氏の一連の発言に、質疑応答で、多くの質問者が率直な謝意を表した。
国防長官の発言は「希望をもたらす」とまでコメントした人がいた。膨張
する中国が恐れられ、嫌われているのとは対照的に、強いアメリカが望ま
れているということだ。
 
トランプ政権発足以来約4か月が過ぎた5月下旬、ようやく南シナ海で「航
行の自由」作戦を行った。北朝鮮問題で中国に配慮して南シナ海とバー
ターするのではないかという懸念の声さえささやかれていたときに行われ
た「航行の自由」作戦は、オバマ政権のときには見られなかったアメリカ
の断固たる意志を示すものだった。
 
スプラトリー諸島のミスチーフ礁に建設された人工島の近く、中国が自国
の領海だと主張している12カイリ内の海で、「航行の自由」作戦は、中国
への「事前通告」なしに行われた。オバマ政権時代に4回行われた「航行
の自由」作戦と、今回のそれには全く異なる意味があった。今回は、通常
は公海で行う海難救助訓練を行ったのだ。

「米中接近」はない
 
中国の主張など全く認めないという姿勢を示したのだが、この訓練には
中国も反対しづらい。なぜなら、それは「人道的な」海難救助だったからだ。
 
非常に慎重に考え抜かれた緻密な作戦を決行したことでアメリカは、人
工島を建設しても中国は領海を拡大することはできないと示したのだ。ア
メリカの考えは、まさに常設仲裁裁判所がフィリピン政府の訴えに対して
出した答えと同じものだった。
 
もうひとつ、非常に大きな意味を持っているのが、マティス氏がパート
ナー国との関係を継続していくとする中で、インド、ベトナムなどに続い
て台湾に触れたことだ。

「国防総省は台湾及びその民主的な政府との揺るぎない協力を継続し、台
湾関係法の義務に基づいて、台湾に必要な防衛装備を提供する」と、マ
ティス氏は語った。
 
トランプ大統領が北朝鮮の核及びミサイル問題で中国に配慮する余り、南
シナ海や台湾への配慮が薄れて、台湾も事実上見捨てられるのではないか
という懸念さえ、生れていた。そのような疑念をマティス氏の発言はさっ
と拭い去った。
 
米国防長官としては異例のこの発言と、それを支える戦略的思考が、ト
ランプ政権の主軸である限り、台湾や日本にとっての悪夢、「米中接近」
はないと見てよいだろう。
 
会場の中国軍人が直ちに質問した。「中国はひとつ」という米中間の合
意を覆すのかと。マティス氏は「ひとつの中国」政策に変更はないと答え
たが、蔡英文総統は独立志向が高いと見て、台湾に軍事的圧力を強めるよ
うなことは、アメリカが許さないという強いメッセージを送ったというこ
とだ。
 
アメリカの政策は読み取りにくい。マティス発言に喜び、トランプ発言に
不安を抱く。トランプ氏は基本的にマティス氏らの進言を受け入れている
かに見えるが、究極のところはわからない。だが、マティス氏ら手練れの
兵(つわもの)が政権中枢にいる間に、わが国は急いで憲法改正などを通
して、国の在り方を変えなければならないと、心から思う。

『週刊新潮』 2017年6月15日号 日本ルネッサンス 第757回


◆アフガニスタンの泥沼から抜け出せ

宮崎 正弘



<平成29年(2017)6月16日(金曜日)通算第5329号> 

〜 アフガニスタンの泥沼から抜け出せ
  トランプ戦略がつぎに当たりをつけている戦場は〜
 アフガニスタンの泥沼がトランプの足を引っ張っている。

9:11テロへの報復として開始された対テロ戦争。当時のブッシュ大統領が
宣言したように、「この戦争は長くなる」。じつに長曳いている。

米国がアフガニスタンに足を取られてから16年。死傷者は夥しい数に登
り、これも国内の厭戦気分をいやます。

オバマ前政権の左顧右眄、優柔不断ぶりが状況を悪化させ、軍が進言した
作戦をことごとく無効にした。

オバマ政権下では、国防長官がオバマに見切りをつけて次々と辞任した。
ペンタゴンを蔽ったのも厭戦ムードだったのだ。カーター国防長官はオバ
マに怒りをぶっつけ「軍事方面の理解がまるでない」(だから軍の作戦に
口出しするな)と回想録に書いたほどだった。

このアフガニスタンにおける長期の泥沼をもっとも喜んでいるのはロシア
と中国である。アメリカの疲弊を待っているのだ。
 
NATOの欧州参加国は渋々緒線に軍を派遣したが、ドイツ、カナダを筆
頭につぎつぎと引き上げ、現在残留はアメリカ兵が8500である。

米軍は空軍によるピンポイント攻撃とドローンを駆使しての指導者暗殺を
作戦の主体としており、同時に力点を置くのがアフガニスタン政府軍の育
成。訓練である。これらの費用は米国が負担している。

しかしアフガニスタン政府軍の腐敗、いや政府そのものの汚職体質が普遍
的であり、ガニ政権は決断力に乏しく、トランプは「アフガニスタンを早
く解決したい」としてマティス国防長官に従来を画期する作戦立案を要請
した。

米軍は作戦の迅速化、効率化のため5000名を増派する計画を提示している
が、おそらく2000−3000の兵力に留まるだろうと議会の軍事専門筋は予測
している。

アフガンに深入りしてしまった米国は、シリアでミサイル発射したくら
い、二正面作戦をとれないというジレンマ。北朝鮮の増長は、こうした背
景を読んでいるようだ。
     
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◆樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1585回】   
――「正邪の標準なくして、利害の打算あり」――(徳富24)
   徳富猪一郎『七十八日遊記』(民友社 明治39年)

              ▽
  (38)【一切平等の宗?界】=中国史には「種々なる慘劇の續出する
に拘らす、殆んと宗教的迫害なるものは、絶無」だが、それは「支那人か
宗?に對して、寛大なりと云はんよりは、寧ろ其の無頓着なるか爲めと可
申歟」。「一切の宗?者皆な平等の待遇を享け」ている。「儒?、佛教、
道?、回々?、及ひ基督?、其他牛鬼蛇神、種々雜多の宗?らしきもの」
は互いに「相接觸して、何等の衝突なく、平和を保ち居り候」。

 (39)【宣?師問題】=「一切平等の宗?界」であるにもかかわら
ず、なぜ「近來の基督?に對してのみ」「宣?師殺害や、會堂焼拂の事
件、出來する」かといえば、「畢竟宣?師の方より、喧嘩を押し賣りする
か爲め」である。「元來宗?に無頓着なる支那人、喧嘩嫌ひの支那人をし
て」「宣?師殺害や、會堂焼拂」に奔らせるのは、やはり「宣?師の總て
と申さゝるも、其の多くの中の或者等」が「罪人たるの言行を逞ふしつゝ
あ」るからだ。

 ここで疑問が1つ。徳富が宣教師が「押し賣りする」と指摘する「喧
嘩」とは、いったい何を指すのか。おそらく東西の本願寺による仏教布教
を含め、いずれ考察すべき課題として残しておきたい。

(40)【寫實以上に出てす】=「吾人は支那の風景に對して、支那畫の
實に寫實たることに感服致し候」とは、内藤湖南が『支那漫遊 燕山楚
水』(博文館 明治三十三年)で語っていた点に通じるだろう。

内藤は北京郊外を歩き、「到る處楊柳、白楊、楡などの類より外に樹木」
はなく、「墳墓の畔り」に極く僅かに常緑樹が見えるような殺風景な景観
に接し、宋代の画には「老蒼たる松柏」が描かれているが、「元明以下の
畫に、青?の山水といえば、多く楊柳の類より外に畫ける樹木とはな」く
「甚だ力なき心地する」と綴り、「元明以下の畫」は「自然の結果」であ
り、その極めて貧相極まりない自然を忠実に描いたのが「元明以下の畫」
だと結論づけている。つまり「元明以下の畫」に自然の持つ豊饒さが見ら
れないのは、元明以後になって豊かな自然が失われてしまったから、とい
うことだろう。

徳富と内藤の考えは、奇妙に一致している。

 (41)【文學と藝術】=彼らは写実に優れているが、「動もすれは、時
間空間の觀念、精確を缺き、且つ事物の釣合、權衡の觀念、其の宜しきを
得す。加ふるに彼等の言葉の餘りに概括的」であるがゆえに、「語りて精
しからす、詳かならさる」という致命的な欠陥を持つ。そこで「寫實的な
る文學や、藝術も」、じつは写実的な作品として昇華させることができな
い。たとえば白楽天の詩とはいえ、やはり「詩と云はんよりも、新聞の三
面雜報に候」。そのうえ彼らは「形式病に感染し、此れか爲には折角の寫
實も、めちやめちやに相成」ってしまう。

 時間と空間の観念の欠如、言語表現の定式化、文章の形式化などによ
り、「文學と藝術」に写実表現は発揮されず、表現する側の個性は消さ
れ、結果として「めちやめちやに」。それにしても白楽天の詩を「新聞の
三面雜報」と断じる辺り、徳富の面目躍如・・・かなァ。

 (42)【趣味の幼穉と野鄙】=先ずは「彼等は俗物に候」とズバリ。
「其の趣味の幼穉にして、且つ野鄙」である。「彼等は、物質主義を、其
の生活の一切に及ほし居り」、それゆえに「天然の美を愛する者、甚た多
からす」。自然に同化しようなどという発想は欠片もみられない。家の外
観から室内の造作まで、一切が「幼穉と野鄙」に過ぎる。

(43)【假我と眞我】=彼らほどに「空論的の人民は無之候」。徳富によ
れば、「空論とは、行はるゝと行はれぬとに頓着なく、否な寧ろ其の行は
れぬを知り、其の行ふ能はさるを期して矢鱈滅法に論するものに候」。
でればこそ言行不一致は一向に差し支えナシ。
      

◆のど自慢に出場したのだ

渡部 亮次郎



1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始
され、それを記念してNHKが制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関
だった。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。1946(昭和21)年のこの日、NHK
ラジオで東京)「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHK
が制定しました。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関で
した。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。

私も高校生のころ、秋田市での大会に出場、合格した。受験戦争ムードに
反発したもの。歌ったのは「チャペルの鐘」
   作詞:和田隆夫
   作曲:八州秀章

1)なつかしの アカシアの小径は
 白いチャペルに つづく径
 若き愁い 胸に秘めて
 アベ・マリア 夕陽に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

2)嫁ぎゆく あのひとと眺めた
 白いチャペルの 丘の雲
 あわき想い 風に流れ
 アベ・マリア しずかに歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

3)忘られぬ 思い出の小径よ
 白いチャペルに つづく径
 若きなやみ 星に告げて
 アベ・マリア 涙に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

この歌を聞くと、なぜか札幌の時計台を思い出す。理由は分からない。で
もあれは時計台であってチャペルではない・・・。では「チャペル」とは
何ぞや? Wikipediaによると、

「チャペル (Chapel) は、本来クリスチャンが礼拝する場所であるが、日
本では私邸、ホテル、学校、兵舎、客船、空港、病院などに設けられる、
教会の所有ではない礼拝堂を指している。」
とある。どうも教会の礼拝堂はチャペルとは言わないらしい。結婚式場が
チャペルだ。

でもこの歌詞は、何とも淡い恋でいいな〜。(オジサンには縁が無い
が・・・)
白いチャペルか・・・

フト、2年前の今頃、オーストリアに行って教会を見た事を思い出した。
ヨーロッパはどこに行っても教会だ。2年前は2週間掛けてオーストリアを
一周したが、オーストリアでも、どこに行っても尖塔の教会があった。中
でも有名で「これどこかで見た事がある・・」と思った教会が2つあっ
た。ハイリゲンブルートの教会とハルシュタットの教会である。この歌と
はあまり関係ないが、“絵になる”教会の写真を見ながら、岡本敦郎の歌を
聞くもの一興か?
大学を出てNHKで記者になった。

政治部所属に成ってある夜、新宿のスナックで唄っていたら、見知らぬ男
に声をかけられてびっくりした。「うちへ入りませんか」という。名刺に
は「ダニー飯田とパラダイスキング」とあった。「政治記者から歌手へ転
身」というのがおもしろいというのだ。

記者の仕事が面白くてたまらない時期だったこともあって断った。
あれから50年。まったく歌う機会が無いままにすごしたから今では歌は聴
くものと心得ている。2013・10・29

     
     

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十



今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

毛馬一三氏が先日レポートしたとおりで、初動がこの病気治療の決め手で
ある。他山の石とされたい。




2017年06月16日

◆これほどの大物が居た

渡部 亮次郎



名古屋市には、その中心に、100m道路がある。道幅100mの道路が東西南北
に走っている。もちろんその100mの道幅そのものが、自動車の走行の為の
道幅ではない。道幅100mの間には、公園もあれば、テレビ塔もある。

名古屋も戦後直後は、空襲でこの辺りも焼野原となった。戦後の混乱の時
期に、市の幹部は、まず道路を設定した。その時に、未来に備えての道幅
100mの道路を設定したのである。

さて、なぜ道幅100mの道路を名古屋の中心に東西南北に走らせたか?である。

戦後の焼野原を見ながら、どんな火災が起きても、延焼を食い止め、名古
屋全域が焦土と化さないように名古屋の中心のタテヨコに幅100mの空間
(道路)を作ったのである。

一方、将来来るはずの自動車社会を見越して東京中心部の設計をしたのが
岩手県人後藤新平(ごとう しんぺい)綽名大風呂敷である。関東大震災
後に内務大臣兼帝都復興院総裁として東京の都市復興計画を立案した。

特に道路建設に当たっては、東京から放射状に伸びる道路と、環状道路の
双方の必要性を強く主張し、計画縮小をされながらも実際に建設した。

当初の案では、その幅員は広い歩道を含め70mから90mで、中央または車・
歩間に緑地帯を持つと言う遠大なもので、自動車が普及する以前の当時の
時代では受け入れられなかったのも無理はない。

現在、それに近い形で建設された姿を和田倉門、馬場先門など皇居外苑付
近に見ることができる。上野と新橋を結ぶ昭和通りもそうである。日比谷
公園は計画は現在の何倍もあったそうだ。

また、文京区内の植物園前 、播磨坂桜並木、小石川5丁目間の広い並木道
もこの計画の名残りであり、先行して供用された部分が孤立したまま現在
に至っている。現在の東京の幹線道路網の大きな部分は後藤に負っている
といって良い。

関東大震災。1923(大正12)年9月1日午前11時58分に発生した、相模トラフ
沿いの断層を震源とするマグニチュード7・9による大災害。南関東で震度
6 被害は死者99,000人、行方不明43,000人、負傷者10万人を超え、被害
世帯も69万に及び、京浜地帯は壊滅的打撃を受けた。(以下略)「この項の
み広辞苑」

新平は関東大震災の直後に組閣された第2次山本内閣では、内務大臣兼帝
都復興院総裁として震災復興計画を立案した。それは大規模な区画整理と
公園・幹線道路の整備を伴うもので、30億円という当時としては巨額の予
算(国家予算の約2年分)。

ために財界などからの猛反対に遭い、当初計画を縮小せざるを得なくなっ
た。議会に承認された予算は、3億4000万円。それでも現在の東京の都市
骨格を形作り、公園や公共施設の整備に力を尽くした後藤の治績は概ね評
価されている。11%!に削られながら。

三島通陽の「スカウト十話」によれば、後藤が脳溢血で倒れる日に三島に
残した言葉は、「よく聞け、金を残して死ぬ者は下だ。仕事を残して死ぬ
者は中だ。人を残して死ぬ者は上だ。よく覚えておけ」であったという。

後藤新平(ごとう しんぺい、安政4年6月4日(1857年7月24日) - 昭和4
年(1929年)4月13日)は明治・大正・昭和初期の医師・官僚・政治家。
台湾総督府民政長官。満鉄初代総裁。逓信大臣、内務大臣、外務大臣。東
京市(現・東京都)第7代市長、ボーイスカウト日本連盟初代総長。東京
放送局(のちのNHK)初代総裁。拓殖大学第3代学長。

陸奥国胆沢郡塩釜村(現・岩手県奥州市水沢区吉小路)出身。後藤実崇の
長男。江戸時代後期の蘭学者・高野長英は後藤の親族に当たり、甥(義理)
に政治家の椎名悦三郎、娘婿に政治家の鶴見祐輔、孫に社会学者の鶴見和
子、哲学者の鶴見俊輔をもつ。椎名さんは新平の姉の婚家先に養子に入った。

母方の大伯父である高野長英の影響もあって医者を志すようになり、17歳
で須賀川医学校に入学。同校を卒業後、安場が愛知県令をつとめていた愛
知県の愛知県医学校(現・名古屋大学医学部)で医者となる。

ここで彼はめざましく昇進し、24歳で学校長兼病院長となり、病院に関わ
る事務に当たっている。この間、岐阜で遊説中に暴漢に刺され負傷した板
垣退助を治療している。後藤の診察を受けた後、板垣は「彼を政治家にで
きないのが残念だ」と口にしたという。

1882年(明治15)2月、愛知県医学校での実績を認められて内務省衛生局
に入り、医者としてよりも、病院・衛生に関する行政に従事することと
なった。

1890年(明治23)、ドイツに留学。西洋文明の優れた一面を強く認識する
一方で、同時に強いコンプレックスを抱くことになったという。帰国後、
留学中の研究の成果を認められて医学博士号を与えられ、1892年(明治
25)12月には長与専斎の推薦で内務省衛生局長に就任した。

1893年(明治26)、相馬事件に巻き込まれて5ヶ月間にわたって収監さ
れ、最終的には無罪となったものの衛生局長を非職となり、一時逼塞する
破目となった。

1883年(明治16年)に起こった相馬事件は 突発性躁暴狂(妄想型統合失
調症と考えられる)にかかり 自宅に監禁されさらに加藤癲狂院(てん
きょういん)や東京府癲狂院に 入院していた奥州旧中村藩主 相馬誠胤
(そうまともたね)のことについて 忠臣の錦織剛清(にしごおりたけき
よ)が 「うちの殿様は精神病者ではない。 悪者たちにはかられて病院に
監禁された。」 と、告訴したことに始まった。

結局この騒ぎは1895年(明治28年)に 錦織が有罪となって終結すること
になった。

1898年(明治31)3月、台湾総督となった兒玉源太郎の抜擢により、台湾
総督府民政長官となる。そこで彼は、徹底した調査事業を行って現地の状
況を知悉した上で、経済改革とインフラ建設を進めた。こういった手法
を、後藤は自ら「生物学の原則」に則ったものであると説明している。

それは、社会の習慣や制度は、生物と同様で相応の理由と必要性から発生
したものであり、無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって、現地
を知悉し、状況に合わせた施政をおこなっていくべきであるというもので
あった。

また当時、中国本土同様に台湾でもアヘンの吸引が庶民の間で常習となっ
ており、大きな社会問題となっていた。これに対し後藤は、アヘンの性急
に禁止する方法はとらなかった。

まずアヘンに高率の税をかけて購入しにくくさせるとともに、吸引を免許
制として次第に吸引者を減らしていく方法を採用した。この方法は成功
し、アヘン患者は徐々に減少した。

総督府によると、1900年(明治33年)には16万9千人であったアヘン中毒
者は、1917年(大正6)には6万2千人となり、1928年(昭和3)には2万6千
人となった。

なお、台湾は1945年(昭和20)にアヘン吸引免許の発行を全面停止した。
これにより後藤の施策実行から50年近くかけて、台湾はアヘンの根絶に成
功したのである(阿片漸禁策)。

こうして彼は台湾の植民地支配体制の確立を遂行した。台湾においては、
その慰撫政策から後藤は台湾の発展に大きな貢献を果たした日本人とし
て、新渡戸稲造、八田與一等とともに高く評価する声が大きい。

1906年、後藤は南満洲鉄道初代総裁に就任し、大連を拠点に満洲経営に活
躍した。ここでも後藤は中村是公や岡松参太郎ら、台湾時代の人材を多く
起用するとともに30代、40代の若手の優秀な人材を招聘し、満鉄のインフ
ラ整備、衛生施設の拡充、大連などの都市の建設に当たった。

また、満洲でも「生物学的開発」のために調査事業が不可欠と考え、満鉄
内に調査部を発足させている。東京の都市計画を指導するのはこの後である。

その後、第13代第2次桂内閣の元で逓信大臣・初代内閣鉄道院総裁(1908
年7月14日-1911年8月30日)、第18代寺内内閣の元で内務大臣(1916年10
月9日-1918年4月23日)、外務大臣(1918年4月23日-1918年9月28日)。

しばし国政から離れて東京市長(1920年12月17日-1923年4月20日)、第22
代第2次山本内閣の元で再び内務大臣(1923年9月2日-1924年1月7日)など
を歴任した。

鉄道院総裁の時代には、職員人事の大幅な刷新を行った。これに対しては
内外から批判も強く「汽車がゴトゴト(後藤)してシンペイ(新平)でた
まらない」と揶揄された。しかし、今日のJR九州の肥薩線に、その名前を
取った「しんぺい」号が走っている。

1941年(昭和16)7月10日、本土(下関市彦島)と九州(当時、門司市小森江)
をむすぶ、念願の日本ではじめての海底トンネルが貫通した。この日貫通
したのは本坑道で、それより先39年4月19日には試掘坑が貫通している。

新聞はこの貫通を祝っているが、関門海峡の海底をほって海底トンネルを
つくる構想ははやくも1896年(明治29)ころからあり、当時夢物語のような
この話を実現化へ向けて進言したのは、鉄道院総裁の後藤新平だったとつ
たえている。[出典]『中外商業新報』1941年(昭和16)7月10日

晩年は政治の倫理化を唱え各地を遊説した。1929年、遊説で岡山に向かう
途中列車内で脳溢血で倒れ、京都の病院で4月13日死去。72歳。

虎ノ門事件(摂政宮裕仁親王狙撃事件)の責任を取らされ内務省を辞めた正
力松太郎が読売新聞の経営に乗り出したとき、上司(内務大臣)だった後
藤は自宅を抵当に入れて資金を調達し何も言わずに貸した。

その後、事業は成功し、借金を返そうとしたが、もうすでに後藤は他界し
ていた。そこで、正力はその恩返しとして、新平の故郷である水沢町(当
時)に、新平から借りた金の2倍近い金を寄付した。この資金を使って、
1941年に日本初の公民館が建設された。今は 記念館になっているようだ。

後藤は日本のボーイスカウト活動に深い関わりを持ち、ボーイスカウト日
本連盟の初代総長を勤めている。後藤はスカウト運動の普及のために自ら
10万円の大金を日本連盟に寄付し、さらに全国巡回講演会を数多く実施した。

彼がボーイスカウトの半ズボンの制服姿をした写真が現在も残っている。
制服姿の後藤が集会に現れると、彼を慕うスカウトたちから「僕らの好き
な総長は、白いお髭に鼻眼鏡、団服つけて杖もって、いつも元気でニコニ
コ」と歌声が上がったという。

後藤はシチズン時計の名付け親でもある(彼と親交のあった社長から新作
懐中時計の命名を頼まれ、「市民から愛されるように」とCITIZENの名を
贈った)。

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◆興味深い試合だった

前田 正晶



興味深い試合だった読売対ソフトバンク:

14日夜のこの試合は、さしたる興味も関心もなく見始めた。だが、開始と
同時に異様な閃きがあり、「デスパイネ、内川、和田等の故障者を抱えて
多少運気が下がっているソフトバンクには勝ち目がない」と思わせてくれた。

それは1回表のアメリカ帰りの川崎があっけなくFA後の故障上がりの山口
俊に三振させられたところで、これはもしかしてソフトバンクの惨敗かと
思うに至った。得点差の問題ではなく、あれは惨敗だろう。

読売はこれまでに散々酷評してきたようなテイ―ム構成で、確か平均年齢
が12球団中最高で30歳を遙かに超えていたと記憶する。しかし、頑迷な球
団幹部は今年も高齢のFA選手を買いまくり、高橋由伸の迷采配の下に順調
に?負けてきたのだった。

しかも14日夜の大殊勲の山口も日本ハムから来た陽岱鋼も2ヶ月以上何の
貢献もしてこなかった。それが漸く昨夜で買い入れた全員が揃ったという
状態だった。

それにして、山口は良く投げていたし、何処か気迫を欠いたソフトバンク
の好打者連中は面白くないほど三振させ、凡退させていった。私はかなり
早い時点でこのまま「ノーヒットノーランがあるかも知れない」と思って
見ていた。

私のDeNAの頃の山口の印象は「何か纏まりを欠いた力一杯の投手」だった
が、監督がラミレスに替わってから花が咲きかけてきたかと思っていた。
それが、何と読売移籍に踏み切ったのだった。最悪の選択だと思った。

理由はいくらでもあるが、私はFA即読売というのは引退後を考えれば賢明
な策かと思うが、それほど他球団の待遇に至らざるところがあるのだと見
做している。

即ち、読売に行けば引退後に、比較論として元の球団にいるよりも安定し
た生活が保障されているかのようであり、狭き門であるテレビ解説者への
機会も増えているようだから。

私はアメリカ系の球技は「モメンタムのスポーツだ」と言ってきたが、昨
夜もその例に漏れず、ソフトバンクは完全に流れを山口に奪われてしまっ
ていた。それだけではなく、投手の絶対量が不足したかに見えるソフトバ
ンクは「育成上がり」という石川柊太を使ってきたこともあった。無理が
あるとみていた。

石川は良く投げていたが、坂本にホームランを打たれた頃には解説の小久
保が指摘したように、最初は150 km以上出ていた球速が130 km台の落ちて
いたのだった。私は坂本に打たれたところで「石川君、ここまで楽しませ
てくれて有り難う」とお礼を言ったのだった。その辺で山口が投げ続ける
かどうかは別にしてノーヒットノーランの気配が濃厚になったと思っていた。
そこに、読売が二軍から挙げて戻したCruzの代わりにカミネロとやら言う
逃げ切りの投手を挙げてあったので、マシソンと2人で繋げば可能性が高
いと踏んだのだ。それに、昨夜は高橋由伸の采配というか投手起用が珍し
く大正解で、山口を6回で引き下げたのは見事だった。

私は山口はDeNAで完投が多かったとは言うが、あれだけ力一杯では6〜7回
が限度だと思っていたのだ。こういう力の限界が来る投手には阪神の能見
やDeNAの井納と読売の内海がいると思っている。

話が逸れたが、昨夜の読売の出来は経験豊富な選手を集めておいた効果が
一気に現れたのだと思っている。あのまま一年中勝ち続けられるかと言え
ば、それは単なる希望的観測だろう。兎に角打てな過ぎるのが問題だ。そ
れに投手もやや先発型というべきかローテーションを組めるだけ数が揃っ
ていない。曰く、菅野、田口、マイコラスに山口か吉川では一寸無理があ
る気がする。

しかも、高齢者が多いのだから、昨夜のような良い試合運びが一年中出来
るかという疑問もある。だが、如何に首位の広島から12.5ゲームも離され
てはいても、今後は広島も阪神も安心してはいられない強敵が復活したと
見做すべきだろうと思う。そうではないと、セントラルリーグが面白くな
らない。

ところで、昨夜も鈴木誠也がサヨナラホームランを打ったが、あれは緒方
監督がただ単に「神がかっている」を「神ってる」と言い間違えただけの
ことだと、ハナから確信していたが、如何かな。


◆安邦保険トップ拘束で

宮崎 正弘



<平成29年(2017)6月15日(木曜日)弐 通算第5328号> 

 〜安邦保険トップ拘束で、株価45億元が蒸発
  「紅二代」への手入れにより中国バブル崩壊の序曲〜

(承前)
6月14日、香港A株に上場されている安邦生命保険の株価が暴落し45億
2400万元(邦貨換算728億円強)が1日で蒸発した。

中国全土に3万人の従業員、保険契約者は3500万人。総資産は1900億元。
投資家はパニック状態である。

すでに米国で買収したウォルドルフ・アストリアホテル、スターウッド・
ホテルチェーンなど在米資産の売却も噂されはじめている。

同集団の在米資産は60億米ドル(6699億円)という見積もりもある。

また2016年11月に呉小輝(安邦集団のボス)がトランプ大統領の女婿ク
シュナーと面会したことも伝えられた。

ニュージャージー州のトランプタワー分譲案件は、このクシュナーの親族
が「永住ビザに有利」と売り出していたため、安邦集団が主導し、中国人
投資家がごっそりと購入し、米国でも問題視されてきた。

 中国メディアが大騒ぎしているのは、この呉小輝が、トウ小平の孫娘と
結婚して、紅二代に成り上がり、エスタブリシュメントには絶対に捜査の
手が伸びないとされていたが、にも関わらず王岐山主導の「反腐敗キャン
ペーン」チームが、彼を拘束し、「聖域」に挑戦したからである。

保険契約者はプレミアムの支払いが行われるかどうか疑心暗鬼に陥った。
銀行なら取り付け騒ぎに発展しかねない。

 単に保険会社のボスの拘束ではなく、これは北京中南海の陰湿な権力闘
争の荒波のなかから派生した汚職事件であり、これから株価崩落がさらに
下落方向へ突き進めば、バブル崩壊の序曲が奏でられたことになる。

     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW  
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   中国の権力状況を、この一冊が見事に描き出した
  明るい未来のシナリオは不在。習近平政権の余命は尽きかけてきた

             ♪
福島香織『米中の危険なゲームが始まった』(ビジネス社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

あまたある中国関連書物のなかで、群を抜く面白さ、そして卓越した分析
力。この本を読まずして現代中国は語れない。それほどに中国の現在の権
力状況が手に取るようにわかる内容である。

副題が「赤い帝国 中国崩壊の方程式」とあって、しかしながら中国が大
国として生き延びるシナリオのひとつが、トランプという何をしでかすか
わからない米国大統領によって、もし、『米中蜜月』がもたらされるとす
れば、それこそ日本にとっては恐怖のシナリオになるだろう、という。

表紙のデザインもまた卓抜である。『ゲーム』というタイトルが示唆する
ように、これを列強のパワーゲームとたとえ、麻雀の卓を囲む4人はトラ
ンプ、習近平、プーチン、そして安倍晋三。トランプはにんまり、プーチ
ンは横目、なぜなら習近平が見せつけるカードが『金正恩』牌だからだ。
安倍首相が脂汗をかく構図となっていて、この漫画は日本で活躍し、米国
へ亡命した辣椒がみごとに描いた。

さて習近平の権力の在りようだが、実態は日本のメディアが分析すること
とは、まったく異なっている。

既に『朋友』とされた王岐山は、習近平との共闘関係から大きく距離を置
いているため「仲良しクラブ」は事実上、空中分解しているという。曾慶
紅はいうまでもなく江沢民の懐刀、国家副主席だった。

習近平に裏切られた曾慶紅が、静かに、そして陰湿に、だが着実に党内の
根回しに動いている。裏切られた怨念が次の復讐への執念を生むわけだ。
 そもそも曾慶紅が党内および長老を根回しをして習近平を総書記に押し
上げたのに、いまや恩人を敵視し、曾や江沢民人脈を汚職追放と称して、
次々と失脚させたことを忘恩の行為ととらえているわけである。

しかし、特別驚くに値しない。それが中国の伝統ではないか。

曾慶紅の復讐戦は任志強事件、郭文貴事件、そして令完成事件に飛び火
し、防御策を講じる習近平は江沢民派の金庫番だった肖健華を香港から拉
致拘束した。

そういえば、胡錦濤も江沢民も、ときどき公衆の面前に姿を現し、政治的
パフォーマンスを演じているという動静が伝わってくる。習への牽制と露
骨な嫌がらせである。

 ▲習近平は「ひとりぼっち」。友人も同士も去った

 評者(宮崎)は、本書を通読したあと、なぜか連想したのは小林秀雄の
石原慎太郎への助言だった。

古い話かもしれないが、な昭和43年(1968)、石原が参議院全国区から立
候補して政治家になるというと「君の周囲に君のために死ねる人は何人い
るかね? 君のために死ぬ人間がたくさんいれば、君は政治家として成功
するだろう」と予言的な言葉だった。

三島由紀夫にはともに死ぬ同士があまたいた。しかし石原にはおらず、晩
節を汚すことになった。

習近平には、かれのために死ぬ同士が不在である。
 
第19回大会を無事に乗り切るには、強引な指導力で派閥を糾合する必要が
あるが、すでに習には、その求心力がない。暴力装置を党内に持たず、し
たがって習には強い味方がおらず、友達も同士もいない。裸の王様でしか
なく、独りぼっちである。王琥寧も栗戦書も劉鶴も、習から距離を置き始
めている。

さらには太子党の、強い兄貴分だった劉源が去り、軍部は習の茶坊主たち
の異様出世状況を見て、不満が爆発している。これを抑える政治力は、す
でに習近平にはない。

すると今後の中国はいったいどうなるのか。

福島さんは、いくつかの蓋然性を提示しているが、なかにはフルシチョフ
的失脚。あるいは全党融和を図らざるを得なくなり、李源潮、王洋、胡春
華、孫政才ら共青団を大量に政治局常務委員に登用せざるを得なくなると
見立てる。

あるいは党の核心なる幻像を自ら誤見しているとするなら、戦争に打って
出るしか残るシナリオはないと指摘する。

フットワークの強さと中国内の情報網を通じて得たフレッシュな情報とに
裏打ちされて福島さんの力作、群書圧倒のパワーを醸し出している。

◆民進党にまたもや疑惑のブーメラン

杉浦 正章



蓮舫加計誘致を推進、江田も親密
 

文書追及は空振りに終わるだろう
 

民主党代表前原誠司が偽メール事件で代表を辞任したことは記憶に新しいが、「総理の意向」文書を追及する民進党にまたもや疑惑のブーメランが返って来そうである。代表蓮舫自身が行政刷新相だったころに加計学園の獣医学部新設を推進、最高顧問江田五月が学園理事長加計孝太郎と親密であり、民進党議員が地方創生相石破茂に「なんとしてでも誘致を推進せよ」と国会で迫っている。


民進党は16日の参院予算委員会集中審議で何の進展もない文科省メモの公表をまるで鬼の首を取ったかのようにあげつらい追及する方針だが、自分の足下が崩れていることを自覚していない。
 

そもそも加計学園獣医学部の今治市新設問題は、民主党政権時代に本格化したものだ。それまでは加計学園が長期にわたって申請し続けたが政治が動かなかった。ところがルーピー鳩山政権は、この陳情を取り上げ、一転して推進に流れを変えたのだ。その中心に位置したのが行政刷新相蓮舫であった。蓮舫は2010年6月8日に枝野幸男から刷新相を引き継ぐに当たって、加計学園の獣医学部設置を重要引き継ぎ事項として受け継いで、獣医学部新設へと動いた。それも22年度を目途に加計学園問題を推進することを決めたのだ。従って蓮舫が安倍を加計と友人であるという理由だけで「加計疑惑がある」と追及するなら、蓮舫は推進したのだからやはり疑惑を追及されてもおかしくない。


自らの“加計疑惑”へとブーメラン返しを食らうことになる。従って安倍政権の方針を「政治をゆがめている」などと批判しても、「民主党の方針をゆがめでいない」という反論がそのままできることになる。本来なら16日の予算委は蓮舫が追及すべきであろうが、質問者は福山哲郎になっている。どうも逆襲を恐れて逃げた感じが濃厚だ。
 

さらに民進党の最高顧問江田五月も加計と親密であることを自らのブログで明らかにしている。2016年10月20日付のブログは加計との親しげな写真を掲載し、「16時から30分ほど、岡山理科大学構内で加計学園の加計孝太郎理事長に議員退任のご挨拶をして懇談しました。長くご支援いただいており、新校舎の最上階からの岡山市内の眺望も、ご案内いただきました。絶景でした」と書いている。


この文章から見る限り何らかの援助を受けていた可能性が強い。普通政治家が「長くご支援いただいており」と書けば、政治献金を意味する。江田が加計から見返りに今治市への獣医学部誘致で陳情を受けたかどうかは定かではないが、可能性としてはあり得ることだろう。
 

加えて民進党衆院議員の高井たかしの場合はもっと“確信犯”的だ。ホームページで「地方創生特別委員会にて、国家戦略特区について、石破大臣に質問しました。愛媛県今治市に50年ぶりの新設をめざす獣医学部について。四国4県の大学には獣医学部が一つも無く、獣医師の偏在が問題になっています。地元の岡山理科大学が力を入れており、『これは何としても実現して欲しい』と強くお願いしました。石破大臣もかつて鳥取県に誘致を試みた経験があるそうで、前向きな答弁を引き出すことができました。」と書いている。地元の加計から少なくとも陳情されている証拠だ。


こうした党内の一連の動きをまずいと判断したか幹事長野田佳彦は、記者会見でお得意の三百代言的な言い訳をしている。野田は「当時の、民主党政権下における特区というのは構造改革特区です。いわゆるボトムアップで(地方から)上がってきたものについて、検討を加えていくというもの。


一方で、2013年12月から制度がスタートしている安倍政権になってからの国家戦略特区はトップダウン型。したがって、総理の意向とか、誰かへの忖度(そんたく)とか、トップダウン型とボトムアップ型とは全く違うので、同じ前提であったかのように議論をすりかえるのはまさに国民に誤解を与えるものである」だそうだ。この幼稚園児もびっくりするようなこじつけ論理は、ハチャメチャだ。


たとえボトムアップであろうが、地元への忖度がなければ政治家は動かない。口から出任せの目くらましを駆け出し記者にしてはいけない。トップダウンだから安倍への忖度が働くといっても、首相の場合、官僚の忖度が犯罪行為かと言えば、そんな話など全く成り立たない。
 

そもそも官僚が忖度してどこが悪いかだ。実力派の首相であるほど官僚は首相が何を考えているかをしょっちゅう考えるのだ。それが政治をスムーズに展開させる要諦であり、忖度こそが重要なのだ。トランプの初閣議を見るがよい。閣僚全員が臆面もなく忖度しているではないか。野田も首相当時に野党である自民党の解散の主張を忖度して、民主党政権が自滅した解散を断行しているではないか。


獣医学部問題は国家戦略特区諮問会議を経て実現しているのであり、その議論の内容をみれば「安倍の意向」などという言葉は一言も出てこない。官房長官・菅義偉が「特区の指定、規制改革項目の追加、事業者の選定などいずれのプロセスにおいても関係法令に基づく適切な処理がなされており、圧力が働いたりしていない」と発言しているとおりだ。民進党は「加計」と名前が出ればごみ記事でもトップに据えて紙面を作り、「政局」へと結びつけようとする朝日など左傾化マスコミの“トラの威”を借りてパンチを繰り出しても駄目だ。しょせんは空振りに終わると予言しておく。


◆俳談

【作句のこつ】

芭蕉は俳句上達の秘訣について「師を頼りとせず、弟子を頼るわけでもなく、自らの器量を当てにしても仕方がない。つまるところ、句を多数作る人で、昨日の自分に飽きてしまった人こそ上手になる」と述べている。要するに多くを作句し、常に前向きに思考する人が成功すると言うのだ。

 これは多作多捨の作句方法であり、芸事全てに通用する普遍の原理だ。ゴルフでも格闘技でもダンスでも場数を多く踏むほど、上達は早い。多くの句を作って、それを捨てる。これを繰り返すことによって、風景や人間の事象を俳句にする回路が脳内に成立するのだ。そうなれば写真を撮るように俳句ができるようになる。筆者は毎朝10句作っている。過去に作った句も発想のよいものは推敲してまた使う。句会の前日になってやっと一句作るようでは、いつまでたっても上達は望めない。

先生の顔見て逃げし軒燕      産経俳壇入選

<今朝のニュース解説から抜粋>     (政治評論家)
 

◆腰の痛みと二人三脚 〜私のゴルフ人生〜

真鍋 峰松



今の私のゴルフは年来の腰痛との闘いである。パターやアプローチ、ボールのピックアップ時に腰を屈めると、時にはビーンと身動きできなる位の激痛が加齢とともに。 元々、30歳過ぎから発症の年代物の腰痛だが、意外とゴルフ好きの中にもこの戦いを続けておられる方が結構多い。
 
もっとも私の場合、後半ハーフのスコアーの悪さを常にこの腰痛のせいにする不届きな人間でもある。 
                      
ところで、20歳台から始めた多くのゴルファーに比べ、私のゴルフ歴は短い。初めてクラブを握ったのは、と言うより単に手にしたというのが正確なところで、25・6歳の頃。
 
当時大阪市内の都島辺りにあったゴルフ練習場へ同じ職場の先輩に引き連れられて行ったのが最初。先輩の教えに従い7番アイアンを手にしたものの、ボールがクラブに殆ど正確に当たらず、こんな筈はないと焦るばかり。その私を尻目に、隣席の見知らぬ妙齢の女性は100ヤード表示場所にドンドン飛ばしている。

当時腕力自慢の私のボールは渾身の力でぶっ飛ばしても偶に50ヤードの場所へ到達するのがやっとのこと。 悔しさにクラブを放り投げたくなった記憶が今でも鮮明に残っている。

以来、ゴルフとは相性が悪いと思い込み、40歳になるまで一切クラブを手にしたことがなかった。だが、いよいよ40歳代に突入し何か運動を始めなければとの思いと、酒に弱く宴席が苦手な私が先輩・同僚と懇親を深めるにはとの思いから始めたのが、再開の切っ掛けである。
 
我ながら殊勝にも、最初は8月の夏期休暇を利用し、自宅近辺の練習場の教室へ入門。しかし、同門の士は中高年の女性ばかり10人程度。練習途中の休憩時には男一人で会話相手にも困り、こりゃ駄目だと渋る家内を無理やり入門させ、4回程度のレッスンを受けクラブの握り方から始めた。
 
この練習で、初めは7番アイアンで70ヤードの飛距離に過ぎなかったものが、徐々に150ヤード近くに達することを体験して、やはりゴルフは力じゃないナ〜、難しいものなのだと実感した。

その後、心を入れ替え、やれベン・ホーガンがどうの、自分自身のやや肥満体質から同形の尾崎将司のスイングが良い等々とっかえひっかえ色々研究を重ねたものの、その割に成果も上がらず。 遂にはインストラクターの最近の診断では、上半身と下半身の動きがバラバラとの診立て。 
自分自身の診断でも、スポーツは心・技・体のバランスが大事とよく言われるが、この全てのアンバランスが問題で治療不能。 私のゴルフは、もう精神修養の場でしかないとの諦めムード。
                                そして現在、月一のゴルファーとして無駄に年齢だけを重ね、実力不相応のお情けハンディが21。 それも60歳を超えてからというもの、100超のスコアーが常態化。
     
今や、有り余る時間を過ごすための週2回の練習と月1〜2回のラウンドでも一向に上達の兆しが見えず、体重調整の単なる一手段に陥った昨今である。
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