2017年06月11日

◆チープ・ガバメント

眞邊 峰松

  

国民・住民の役に立つ行政機構とは、能率のいい必要にして最小限度の組織・人員―。この考え方を否定する人はいないと思う。 ただ、機構は仕事に対応するものである。 


だから、機構を廃絶したり、簡素化したりするには、仕事を亡くすか、仕事のやり方を変えるか以外に、簡素にして効率的な機構への改革はないはずである。 


意外と、この簡単な事実を理解し納得する人は少ない。とりわけ、最近の風潮のようにも思える公務員叩きの大合唱の中では、とくにそうである。 それはよく風刺的に“お役所仕事”と揶揄される公務員労働への批判と同列視される。
 

だが、そもそも、日本の公務員数から見て、既に群を抜く小さい政府だという事実が議論から抜け落ちてしまっている。 


それでいて、日本の行政サービスがこれらの国々に比し劣悪だという話も聞かない。 これからすると、私には、現下の風潮はかっての官尊民卑の裏返しのような感情的な議論が先行し、冷静さ・客観性を欠いているような気がしてならない。
 

とは言っても、このような公務員への厳しい批判も、現在ではいざ知らず、かっての公務員の勤務態度には休まず・遅れず・仕事せずと揶揄される実態が一部にあったことからすれば、当たらずとも遠からずの非難ではあるだろう。
   

しかし、この非難は公務員の数量(人数)と質の話。 これを逆に、機構の方から考えていこうとするのは本末転倒であり、やはり実効はあがらない。

これをやはり実効あらしめるためには、やはり「民でできることは、できるだけ公から民へ」という程度に止まらず、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という、現在までの行政サービスを根底から見直すと言う極限的な対応の検討が必要ということになろう。 


同時に、国民・住民側としても行政サービスの低下をも受け入れるという覚悟が必要となろう。 


その場合、勿論、かく主張するマスコミ・論者が純粋に公益を主体にした考えに立っているかどうか、自身がサービスの受益者なのかどうか、または受益者の立場をも踏まえた議論を行っているのかどうか、という点を十分吟味してかかることが必要なることは、論を待たないであろう。


これらを踏まえず、公務員叩きに闇雲に突き進む現在のマスコミなどの論調は、「どうしても公でやらねばならないことのみを、公で」という真剣な議論抜きの感情論を煽り、それこそ、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者」という言葉を裏書する事態に立ち至っているのではないかと思われる。


大事なことは、現代生活における公平・公正・安全といった面が行政の果す役割を抜きにして維持し得ない以上、いかにして最小のコストで最大の効果を発揮せしめるかであろう。 


そして、その基礎をなすものが公務員労働であるとせば、一に懸かって質の向上が眼目ということになる。だが、現在の公務員叩きが続いている中で、果たして国及び地方の公務員のモラール(士気)はどういう状態なのか、危惧される。


日産自動車の名経営者として名高いカルロス・ゴーン氏の言葉に「経営者がやるべきことの中で最も重要なことは、従業員のやる気を起させること」「彼らのやる気こそが価値創造の源泉となる」とあった。


現在のような公務員叩きの風潮のみが席巻する中で、果たして公務員のやる気を引き出し、労働の再生がなし得るのだろうか。

こう考えれば、やはり、簡素にして効率的な行政改革を進めていくための現実的な方法の一つとしては、官僚自らがその線に沿い協力するよう誘導し、また、人員削減に成功したら、その浮いた経費の一部を徹底的に見直しされた後の残存人員の労働強化に対応し、プラス化しうるようなインセンチブに充ちた方策をも合わせ考えれば、より効果をあげうるのではなかろうかと、と思料する次第である。(評論家)

2017年06月10日

◆首相提言で改憲論の停滞を打破せよ

櫻井よしこ



停滞の極みにある憲法改正論議に5月3日、安倍晋三首相が斬り込んだ。
➀2020年までに憲法改正のみならず、改正憲法を施行したい、➁9条1項と2
項を維持しつつ、自衛隊の存在を明記したい、➂国の基(もとい)は立派
な人材であり、そのための教育無償化を憲法で担保したい、という内容だ。
 
それまで弛緩しきっていた憲法改正に関する政界の空気を一変させた大胆
な提言である。大災害時を想定した緊急事態条項でもなく、選挙区の合区
問題でもなく、緊急時の議員の任期の問題でもなく、まさに本丸の9条に
斬り込んだ。
 
9条1項は、平和主義の担保である。2項は「陸海空軍その他の戦力は、こ
れを保持しない。国の交戦権は、これを認めない」で、軍事力の不保持、
即ち非武装を謳っている。
 
改憲派にとっても1項の維持に異論はない。むしろ1項に込められた日本国
の平和志向を積極的に強調すべきだと考える。
 
問題は2項だ。2項を維持し、如何にして軍隊としての自衛隊の存在を憲法
上正当化し得るのかという疑問は誰しもが抱くだろう。現に、民進党をは
じめ野党は早速反発した。自民党内からも異論が出た。だが、この反応は
安倍首相にとって想定内であり、むしろ歓迎すべきものだろう。
 
矛盾を含んだボールを憲法論議の土俵に直球に近い形で投げ込んだ理由
を、首相は5月1日、中曽根康弘元首相が会長を務める超党派の国会議員の
会、「新憲法制定議員同盟」で明白に語っている。

「いよいよ機は熟してきました。今求められているのは具体的な提案で
す」「政治は結果です。自民党の憲法改正草案をそのまま憲法審査会に提
案するつもりはありません。どんなに立派な案であっても衆参両院で3分
の2を形成できなければ、ただ言っているだけに終わります」
 
約15分間の挨拶で、首相が原稿から離れて繰り返したのは、どんな立派な
案でも衆参両院で3分の2を形成できなければ、ただ言っているだけ、政治
家は評論家ではない、学者でもない、立派なことを言うところに安住の地
を求めてはならない、ということだった。

首相談話を肯定
 
護憲派の評論家や学者はもとより、改憲派の保守陣営にも首相は切っ先を
突きつけている。「口先だけか。現実の政治を見ることなしに、立派なこ
とを言うだけか」と。
 
この構図は、安倍首相が戦後70年談話を発表した2年前の夏を連想させ
る。あのとき、首相の歴史観を巡って保守陣営は二分された。首相の歴史
観は欧米諸国の見方であり、日本の立場を十分に反映しておらず、歴史研
究の立場から容認できないとの批判が噴き出した。

その一方で、首相談話は歴史研究の成果を披露するものではなく、中韓両
国が国策として歴史問題で日本を叩き、日本が国際政治の渦中に置かれて
いる中で、日本の立ち位置をどう説明し、如何にして国際世論を味方につ
けるかが問われている局面で出された政治的談話だととらえて評価する見
方もあった。
 
首相談話には、歴史における日本国の立場や主張を十分に打ち出している
とは思えない部分もあった。だが私は後者の立場から、談話の政治的意味
と国際社会における評価を考慮し、談話を肯定した。これと似た構図が今
回の事例にも見てとれる。
 
正しいことを言うのは無論大事だが、現実に即して結果を出せと首相は説
く。その主張は5月9日、国会でも展開された。蓮舫民進党代表が、首相は
国会ではなく読売新聞に改憲の意向を表明したとして責めたのに対し、首
相は、蓮舫氏との質疑応答が行われている予算委員会は行政府の長として
の考えを述べる場であり、自民党総裁としての考えを披瀝すべき場所では
ないと説明した。蓮舫氏は納得せず、その後も憲法の本質、即ち日本が直
面する尋常ならざる脅威、それにどう対処するかなどとは無関係の、本当
につまらない質問に終始した。
 
首相批判もよいが、民進党は党として憲法改正案をまとめることさえでき
ていない。どうするのか。この点を質されると、蓮舫氏は答えることもで
きなかった。
 
民進党だけではない。「結果を出す」次元とは程遠い政界の現状を踏まえ
て、首相が政党と政治家に問うているのは、憲法審査会ができてすでに10
年、なぜ、無為に過ごしているのかということだろう。なぜ、世界情勢の
大激変の中で、日本を変えようとしないのか、それで、国民の命、国土、
領海を守りきれるのか、ということだろう。

ポスト安倍の資格
 
自衛隊を9条に書き入れ、自立するまともな民主主義の国の形に近づけた
い。結果を出すには、加憲の公明党、教育無償化を唱える日本維新の会も
取り込みたい。蓮舫・野田執行部の下で、重要な問題になればなる程まと
まりきれない民進党の改憲派も取り込みたい。

離党はしたが長島昭久氏や、憲法改正私案を出した細野豪志、自衛隊の9
条への明記を求める前原誠司、笠浩史各氏らをはじめ、少なからぬ民進党
議員も賛成できる枠を作りたい。憲法改正の最重要事項である9条2項の削
除を封印してでも、世論の反発を回避して幅広く改憲勢力を結集したい。
そうした思いが今回の政治判断につながっているのは明らかだ。現実的に
見れば首相提言は評価せざるを得ない。
 
安倍政権下での好機を逃せば、改憲は恐らく再び遠のく。「立派なことを
言うだけ」の立場は、この際取るべきではない。首相提言を受けて改正論
議はすでに活性化し始めた。2項と、自衛隊を規定する3項の整合性を保つ
にはどんな案文にするかを大いに議論することが、いま為すべきことだろう。
 
こうして改憲の第一段階をクリアしたとして、次の段階では、まさに9条2
項削除の道を切り開くべきで、その責務を担える人物が次のリーダーだ。
誰がその任に値するのか。
 
ポスト安倍を狙う一人とされている石破茂氏は、首相提言直後のテレビ番
組などで年来の議論の積み重ねを跳び越えるとして首相提案を批判した。
何年も議論ばかりしていること自体が問題なのであり、国際情勢を見れ
ば、日本に時間的余裕などないことを、石破氏は忘れていないか。氏の批
判は手続き論に拘る印象を与えるが、そんなことでは次代のリーダーたり
えないであろう。
 
世界の現実を見て、長期的視点に立って日本国憲法を改めていく覚悟が
必要だ。日本周辺の現実の厳しさと国家としての在り方を考えれば、9条2
項の削除こそが正しい道であるのは揺るがない。その地平に辿りつくま
で、あるべき憲法の実現を目指して闘い続ける責任が、政治家のみなら
ず、私たち全員にある。

『週刊新潮』 2017年5月25日号  日本ルネッサンス 第753回

◆国語は既に破壊が始まっている

前田 正晶



カタカナ語論も継続したくなってきた。その動機は13日の朝に何処の局
だったか、14歳の女子中学生がフィギュアスケートで素晴らしい技を見せ
た件を採り上げインタビュー(カタカナ語なのでジーニアス英和を見ると
「取材訪問、聞き込みの他に何とインタビューするとも出ていた)したと
ころ「もっとレベルアップしなければ」と語ったところにあった。カタカ
ナ語の害毒は最早ここまで回っていたのだと慨歎した。

そこで、念のためというか何気なくプログレッシブ和英で「レベルアッ
プ」をひくと、例文に“raise the level of a soccer
team”や“We must increase our physical
strength.”が挙げられていて、ご丁寧に「レベルダウン」の例文には
“Quality seems to have generallydeteriorated (grown worse).”や
“There has been a general decline in students’academic
ability.”も出ていた。即ち、この辞書は「レベルダウン」も「アップ」
も日本語として公認していると解釈した。ここまでで、レベルアップもダ
ウンも立派な日本語で英語では別の言葉を使うのだとお解り願えたと思う。

私はこれまでに何度も国会議員は言うに及ばずテレビに登場する有識者や
専門家の方々が平気で「フリップ」と言ったり、安全保障を「セキュリ
ティ」と言うのを嘲笑い且つ嘆いてきた。

何処がおかしいか誤りかを今更ここに採り上げる気力も勇気もない。あの
様なカタカナ語が罷り通るのを文科省の官僚や英語の教師の方々が何とも
思っていない感覚が素晴らしいと言うべきか、恥知らずと指摘すべきか悩
んでしまうのだ。

ここに、敢えてこれまでに採り上げてきた国語破壊の例を採り上げて、皆
様のご参考に供したい。16年12月23日には

<ではどのような例が私の気に障っているかを、思いつくままに採り上げ
てみよう。「トラブル」の濫用はそれこそ日進月歩ではなかった日々濫用
である。「揉め事」、「事故」、「故障」、「何らかの製品の品質問
題」、「諍い」等々はすべてそれぞれ別個の内容であると思うが、すべて
を簡単に「何かトラブルを抱えていませんでしたか」などと表現している。

また「スタッフ」も完全に戸籍を得た日本語として定着した。私はファミ
リーレストランから居酒屋のような場所で(テレビでしか見聞したことが
ないが)「ホール・スタッフ」という役目を人がいると聞こえたとき
に"whole staff"とは何のことかと一瞬判断に迷った。ここでは「職員、
部員、局員、社員、従業員」という意味でアメリカでは「参謀」をあらわ
す単語がカタカナ語されてあれほど普及したのには驚く以外なかった。中
には「チーフ」などとの役職もあるが"thechief of staff”とは「参謀
長」を意味するのだ。

すでに何度も採り上げてきたが、これらの他にも「シンプル」、「コンパ
クト」、「カジュアル」、「コラボ」、「何とかアップまたはダウン」、
「アップ(ダウン)する」等々は完全にマスコミ、特にテレビに出てくる
タレントとやら言われているアホどものみなら普通(マスコミ用語では一
般人)の人までが真似させられているのは、私は漢字文化の破壊の第一
歩、いや二乃至はそれ以上に進んでいるかと憂いている次第だ。

試しに、ここに挙げたカタカナ語を漢字化してみれば「シンプル」は”解
りやすい、簡単な、単純な、易しい”等が当たるだろうか。「ノミネー
ト」は言うまでもなく”推薦”だが「〜賞にノミネート」という表現は厳密
に英文法で言えば体をなしていないのだ。「コラボ」というのは私を驚か
せてくれたカタカナ語だった。

"collaborate"か"collaboration"
という「(文芸・科学の分野で協力(共同する)、合作する、共同で研究
する」とジーニアス英和にある言葉を知らなかったわけではないが、日常
でも社内の報告書にでも使った経験もなければ使われていた例をほとんど
知らなかったからだ。それが「コラボ」などと省略した形で芸人の行為の
表現に当たり前のように使われている豊富な単語の知識に驚いたという皮
肉である。>

15年6月15日には

<最後に「ノミネート」も切り捨てておく。ピースという漫才なのかお笑
いコンビなのか知らないが、その片割れの又吉というのが小説本を出して
大当たりしたのは結構だと思う。

しかし、三島賞は外れたが芥川賞の候補作に上がったそうだ。それは候補
に推薦されたのであって「ノミネート」という必要はないと思う。私は何
故に「候補に推薦された」という我が国の言葉を棄てて、ジーニアスには
先ず「動詞」として出てくる”nominate”をカタカナ語にして使うのかと問
いたい。

難しいことを言えば”nominate”には「推薦する」か「指名する」の意味は
あるが、又吉の場合は推薦されたのであるから”He was nominated for
芥川賞.”と受け身であるべきなのだ。

それを弁えずしていきなり「ノミネート」では無茶苦茶ではないか。しか
も過去形であるべき。ここにも我が国の学校教育の英語の成果が垣間見え
るではないか。これでは国語での表現力が低下する一方ではないか。

この他にも、これを使うことをおかしいとは思わないのかという珍妙なカ
タカナ語は幾らでもある。確か松坂大輔が言い出したと思う「リヴェン
ジ」も立派な誤用でありながらドンドン広まっている。

”revenge”は基本的には他動詞であり、目的語(復讐する相手等)を必要
とするが、単なる「仕返し」か「前回グラウンドに忘れ物をしたので取り
返しに行く」という意味のことを言いたくて使われている。>と述べていた。

私は間もなく漢字を排除してカタカナ語だけの日本語の時代が来るだろう
と本気で心配している。同様に英語でも活字体だけしか通用しない時が来
るのかも知れない。先日も大学で言語学を教えている先生に念のため確認
してみたが、現在の中学や高校の英語教育では筆記体を教えられていない
というか教えない場合があるのだそうだ。そう言えば、私が自慢の達筆で
黒板に書いた英文を見た大学生たちがキョトンとしていた訳が解った。

一旦トランプ大統領論を離れてEnglishを採り上げたところ、続けたく
なってしまった。English独特の言い方だと思うものを採り上げてみた。


*Englishの簡単な言葉だけの表現集:

“Well put.”

解説)俗な言い方を採れば「言えてる!」だろうが、「上手い表現だ」と
する方が正確だろう。一寸聞いただけでは何のことか解らないだろうと思
う。“Let me put it this way.”と言えば「私に言わせて貰えばこうな
ります」となるので、“put”の使い方の例として覚えておくと役に立つだ
ろう。即ち「言う」の意味で使われるのだ。

“Let’s sit down to have a chat.”

解説)「座って話をしよう」ではなく、「話し合おうぜ」と言いたい時に
使われる。“chat”と言ってはいるが、往々にしてそれほど簡単に話が終わ
らないのだ。即ち、「重要な話しがあるから一寸来い」と考えても良いか
も知れない場合があった。しかし、本当に「一寸話をしようぜ」と言いた
くても使える表現。

“What time do you have?”

解説)これで「今何時ですか」と尋ねているのだ。普通は“What time is
itnow?”と教えられているだろうと思う。それでも確かに“通じる”のだ
が、彼らは時間とは自分のものであると認識しているので、自分の都合で
動くことが多い。故に「貴方の時間は?」と尋ねるのだ。ところで、“You
 have time?”だと「時間があるかい?」となってしまうので、英語はや
やこしい。

“Nice meeting you.”または“It was very nice to have met you.”
解説)前者はかなり略式だが、こういう事をいきなり言われることはある
だろう。後者は言わば正式な表現で、学校教育で教えそうなものだと思っ
ている。何れも「お目にかかれて良かったです」なのだが、初対面で一寸
挨拶をした程度でも“Nicemeeting you.”と言われることがあると思う。
なお、私は個人的に“meet”は目下か自分よりも年少の相手に使う言葉で、
“see“を使って“I
am pleased to see you.”が無難だと心得ているが。

“Nice talking to you.”

解説)これも略式だが「良い話が出来たね」か「話し合えて良かった」と
別れ際に言う台詞。強いて言えば「今日はどうも」辺りか。軽く握手でも
してから、こう言って別れれば格好良いぜ。正式には何と言えば良いかは
適当にお考え願いたい。

“So what?”

解説)こう言われるのは余り芳しくないと思う。折角一所懸命に何か助言
をしたとか、意見なり考えを述べた時に「それがどうした?」か「それだ
からどうだって言うのか」と切り返されたのだから。何か気に入らないこ
とを言われた際に、こう言って見れば良いような表現だ。

“So far, so good.”

解説)「これまでの所、まあまあ何とか上手く行っている」か「ここまで
は調子は悪くはない」といった意味で使われる。何事も断定的に言うしか
ない英語の表現としては珍しく曖昧だ。だが、曖昧なるが故に使えるの
だ。例えば“How is your big project going?”と訊かれた時に、こう言
えば良いのだ。その前に「よくぞお尋ね下さいました」として“Good
thing. You asked.”とでも言えば面白いか。

“Let’ put this matter behind us.”

解説)「この件はこれで終わりにしようぜ」という意味だ。初めて“put
it behindus”を聞いた時には一瞬迷った。だが、前後の関係とその自分た
ちが置かれた局面と「語感」で何とか判断出来た。上手いことを言うもの
だが、簡単なと言うべきかやさしい言葉で結構複雑なことを言えるのが
Englishのイヤらしさだと思う。



◆トウ小平の刺身以後

渡部 亮次郎



中華人民共和国の人は、肝臓ジストマを恐れて,生の魚は食べないが、ト
ウ小平氏は初来日(1978年)して刺身を食べたかどうか、従(つ)いて来
た外相・黄華さんが1切れ呑み込んだのは現認した。そんな中国が最近は
刺身の美味さを知り、マグロの大消費国になった。

元は琵琶湖に次ぐ大湖沼だった秋田県の八郎潟。今はその殆どが干拓され
て水田になっているが、私の少年時代はこの八郎潟が蛋白質の補給源だった。

鯉、鮒、鯰(なまず)、白魚など。またそこに注ぐ堰で獲れる泥鰌や田螺
(たにし)も懐かしい。但し、これら淡水魚には肝臓ジストマがいて危険
だとは都会に出て来るまで知らなかったが、地元では理由もなしにこれら
淡水魚を生では絶対食わさなかった。

そのせいで私は中年を過ぎても刺身が食べられず、アメリカへ行って日本
食好きのアメリカ人たちに「変な日本人」と言われたものだ。

62歳の時、突如食べられるようになったのは、久しぶりで会った福井の漁
師出身の友人・藤田正行が刺身しかない呑み屋に入ったので、止むを得ず
食べたところ、大いに美味しかった。それが大トロというものだった。そ
れまでは、鮨屋に誘われるのは責め苦だった。

ところで、肝臓ジストマ病は「広辞苑」にちゃんと載っている。「肝臓に
ジストマ(肝吸虫)が寄生することによって起こる病。淡水魚を食べるこ
とによって人に感染し,胆管炎・黄疸・下痢・肝腫大などを起こす。肝吸
虫病」と出ている。

そんな記述より、実話を語った方がよい。九州の話である。著名な街医者
が代議士に立候補を決意した直後、左腕の血管から蚯蚓(みみず)のよう
な生き物が突き出てきた。

びっくりしてよく見たら、これが昔、医学部で習った肝臓ジストマの実物
であった。おれは肝臓ジストマ病か、と悟り立候補を突如、断念した。

「おれは、川魚の生など食べたことはないぞ」と原因をつらつら考えても
心当たりは無かったが、遂につきとめた。熊を撃ちに行って、肉を刺身で
食った。

熊は渓流のザリガニを食っていて、そのザリガニに肝臓ジストマがくっつ
いていたとわかった。しかしもはや手遅れ。体内のジストマを退治する薬
はない(現在の医学ではどうなのかは知らない)。夢は消えた。

中国人は福建省など沿岸部のごく一部の人を除いて、魚は長江(揚子江)
をはじめ多くの川や湖の、つまり淡水魚だけに頼っていて、肝臓ジストマ
の恐ろしさを知っているから、生の魚は絶対、食べなかった。

トウ小平と一緒に来た外相・黄華さんが東京・築地の料亭・新喜楽で鮪の
刺身1切れを死ぬ思いで呑み込んだのは、それが日本政府の公式宴席であ
り、そのメイン・デッシュだったからである。外交儀礼上食べないわけに
いかなかったのである。

後に黄華さんも海魚にはジストマはおらず、従ってあの刺身は安全だった
と知ったことだろうが、恐怖の宴席をセットした外務省の幹部はジストマ
に対する中国人の恐怖を知っていたのか、どうか。

中国残留日本人孤児が集団で親探しに初めて来日したのは昭和56年の早春
だった。成田空港に降り立った彼らに厚生省(当時)の人たちは昼食に寿
司を差し出した。懐かしかろうとの誤った感覚である。

中国人が生魚を食べないのは知っているが、この人たちは日本人だから、
と思ったのかどうか。いずれ「母国でこれほど侮辱されるとは心外だ」と
怒り、とんぼ返りしようと言い出した。

中国の人は冷いご飯も食べない。それなのに母国は冷いメシに生の魚を
乗っけて食えという、何たる虐待か、何たる屈辱かと感じたのである。

最近では、中国からやってきた学生やアルバイトの好きな日本食の一番は
寿司である。ジストマの事情を知ってしまえば、これほど美味しい物はな
いそうだ。催促までする。奢るこちらは勘定で肝を冷やすが。

よく「この世で初めて海鼠(なまこ)を食った奴は偉かった」といわれ
る。それぐらい、何でも初めてそれが毒でないことを確かめた人間は偉
い。だとすれば淡水魚を生で食っちゃいけないと人類が確認するまで、犠
牲者はたくさん出たことだろう。感謝、感謝である。

1972年9月、日中国交正常化のため、田中角栄首相が訪中した時、中国側
が人民大会堂で初めて出してきたメニューは海鼠の醤油煮だった。田中さ
んより前に来たニクソン米大統領にも提供しようとしたのだが、アメリカ
側に事前に断られたと通訳の中国人がこっそり教えてくれた。

以上を書いたのが確か2003年である。あれから中国は驚異的な経済発展を
遂げた。それに応じて食べ物も変化し、都市では今まではメニューに無
かった牛肉が盛んに消費されるようになった。それに伴って過食から来る
糖尿病患者が相当な勢いで増えて━いる。

問題の魚の生食についても2007年3月1日発売(3月8日号)の「週刊文春」57
ページによると中国のマグロ販売量は、中国農業省の調査によると、2006
年上半期だけで50%から60%も伸びている。

経済発展著しい中国が異常なスピードで鮪の消費量を増加させている事実
は意外に知られていない。日本料理店ばかりでなく、北京や上海の高級
スーパーにはパック入りの刺身や寿司が並ぶ、という。

共産主義政治でありながら経済は資本主義。物流が資本主義になれば食べ
物は資本主義になる。肝臓ジストマが居ないと分れば中国人がマグロだけ
でなく生魚を食べるようになるのは当然だ。とう小平の現代化には5つ目
があったのか。2007.03.06


◆中小企業における経営承継円滑化に関する法律

川原 俊明(弁護士)



中小企業において、経営自体は順調だが、経営者が体力面等から経営の一線から退きたいと考えた場合、どうしたらいいでしょうか?

 廃業という手段もありますが、顧客のニーズや従業員の雇用を考えると、そうもいかないケースも少なくないでしょう。

 適当な後継者がいない場合には、会社や事業を売却して、今後の生活資金を確保するのが相当でしょう。

 推定相続人等に適当な後継者がいる場合には、株式や事業用資産をその人に集中させて、経営を安定化させることが重要になります。

 しかし、何の対策もしないで経営者が死亡してしまうと、相続により、株式や事業用資産がバラバラになってしまう虞があります。

 また、生前贈与や相続分の指定は集中の有効な手段ですが、他の相続人の遺留分(民法1028条〜)により必ずしも集中ができない虞もあり、また、多額の贈与税や相続税もかかります。

 さらに、他の相続人から株式や事業用資産を買い取るとすると、多額の資金が必要になります。
   
そのような問題の解決の一助になるのが、中小企業における経営の承継の円滑化に関する法律です。

 この法律では、遺留分に関する特例制度、贈与税や相続税の納税猶予制度、
政府系金融機関からの低利融資制度等の経営承継を円滑に行うための制度が用意されています。

 しかし、かかる制度を上手に利用して承継を円滑に進めるためには、まず、綿密な事業承継計画の作成が必要となります。

530-0047 大阪市北区西天満2丁目10番2号 幸田ビル8階  
弁護士法人 川原総合法律事務所      
弁護士 川 原 俊 明 


2017年06月09日

◆白村江の戦い、歴史が示す日本の気概

櫻井よしこ



少し古い本だが、夜久正雄氏の『白村江の戦』(国文研叢書15)が非常に
面白い。
 
昭和49(1974)年に出版された同書を、夜久氏が執筆していた最中、日
本と中華人民共和国との間に国交が樹立された。中華民国(台湾)との国
交断絶を、日本政府が北京で宣言する異常事態を、氏は「これは私には国
辱と思へた」と書いている。

72年の田中角栄氏らによる対中外交と較べて、「7世紀の日本が情誼にも
とづいて百済を援けた白村江の戦は、不幸、敗れはしたが、筋を通した義
戦だった」と、夜久氏はいうのだ。

「その結果、日本の独立は承認され、新羅も唐と戦って半島の独立をかち
とるに至った」とする白村江の戦いを、なぜいま振りかえるのか。言うま
でもない。日本周辺の状況が100年に1度といってよい大きな変化を見せて
おり、中国、朝鮮半島との歴史を、私たちが再び、きっちりと理解し、心
に刻んでおくべき時が来たからだ。
 
かつて中華思想を振りかざし、中国は周囲の国々を南蛮東夷西戎北狄など
として支配した。21世紀の現在、彼らは再び、中華大帝国を築こうという
野望を隠さない。中華人民共和国の野望は習近平主席の野望と言い換えて
差しつかえない。
 
習氏は昨年10月、自らを「党の核心」と位置づけた。毛沢東、ケ小平ら
中国の偉大な指導者に、自らを伍したのだ。まず、秋の全国代表大会でそ
の地位を確定するために、党長老を集めて行われる夏の北戴河会議で、自
身の威信を認めてほしいと、習氏は願っている。そのために、いまアメリ
カのトランプ政権と問題を起こす余裕は全くない。習政権が低姿勢を保つ
ゆえんである。
 
アメリカという超大国に対しては低姿勢だが、逆に朝鮮半島は、彼らに
とって支配すべき対象以外の何ものでもない。その延長線上に日本があ
る。日本もまた、中国の視線の中では支配すべき対象なのである。

百済救済のために
 
663年の白村江の戦いを振りかえれば、日本にとってこれが如何に重要な
意味を持つかが見えてくる。アメリカのトランプ政権が如何なる意味で
も、西側諸国の安定や繁栄につながる価値観の擁護者になり得ないであろ
う中で、白村江の戦いでわが国が何を得たのか、何を確立したのかを知っ
ておくことが大事である。
 
白村江の戦いは663年、日本が、すでに滅びた百済救済のために立ち上
がった戦いである。その前段として、隋の皇帝煬帝(ようだい)の高句麗
(こうくり)遠征がある。
 
隋の第2代皇帝煬帝は612年から614年まで毎年、高句麗遠征に大軍を投入
した。夜久氏はこう書いている。

「進発基地には涿郡(たくぐん)(河北省)が指定され、全国から一一三
万八千の兵があつめられた。山東半島では300隻の船を急造し、河南・淮
南・江南は兵車五万台の供出(きょうしゅつ)の命(めい)をうけた。兵
以外の軍役労務者の徴発は二三〇万という数にのぼった。その大半は地理
上の関係から山東地区から徴発された」
 
煬帝の治政は残酷極まることで悪名高い。夜久氏は、「多数の労働力を
とられた農地に明日の不作荒廃がくるのは必然であった」と書いている。

「山東東萊(とうらい)の海辺で行なわれた造船工人は悲惨のきわみで
あった。昼夜兼行の水中作業で腰から下が腐爛(ふらん)して蛆(うじ)
が生じ、一〇人に三、四人も死んでいった。陸上運輸労務者もこれにおと
らず悲惨であった。旧暦五月六月の炎暑の輸送に休養も与えられず、人も
牛馬もつぎつぎに路上にたおれた。『死者相枕(あいまくら)し、臭穢
(しゅうあい)路にみつ』と書かれている」
 
このようにして612年、煬帝の高句麗親征軍は出発した。100万の大軍の進
行はその倍以上の輜重(しちょう)部隊(糧食、被服、武器弾薬などの軍
需品を運ぶ部隊)を伴い、行軍の列は長さ1000里を越えたという。1里は
約400bとして、隊列は400`にも延びていたということだ。白髪3千丈の
中国であるから話半分としても200`の長さである。
 
現在のように、命令伝達の手段が発達している時代ではない。部隊命令
は当然末端までは届かない。そこで途中で行方不明になる部隊、行き先を
間違える部隊が続出した。高句麗軍はピョンヤン近くまで、わざと敵を侵
入させ、隋軍の退路を断って四方から襲ったと書いている。こうしてピョ
ンヤンに侵攻した部隊、30万5000の兵は、引き揚げたときわずか2700に
減っていたという。
 
この大失敗にも懲りず、隋は613年、614年と続けて討伐を企てた。しか
し、軍は飢餓と疫病に見舞われ、煬帝の力は急速に衰えた。
 
隋の朝鮮遠征を夜久氏は「文字が出来てからこのかた、今にいたるま
で、宇宙崩離(ほうり)し、生霊塗炭、身を喪ひ国を滅す、未だかくのご
とく甚しきものあらざるなり」と描いた。

中国と対等に戦い
 
隋はこうして滅び、唐の高祖が台頭して中国を治めた。唐の2代皇帝、太
宗は文字通り、大唐帝国を築き上げた。
 
そして再び、中国(唐)は朝鮮半島を攻めるのである。日本は前述のよう
に百済救援におもむき、唐と戦い敗北する。敗北はしたが、日本はその
後、唐・新羅連合軍の日本侵攻に備えて国内の体制固めを進めた。国防の
気概を強める日本の姿を見て、最も刺激を受けたのが前述の新羅だった。

彼らが如何に日本の在り様に発奮させられたかは、唐と共に日本に迫るべ
きときに、逆に唐に反攻したことからも明らかだ。新羅はこのとき、日本
を蔑称の「倭国」と記さず、「日本」と記したのである。夜久氏はこれを
「七世紀後半の東アジアの大事件」と形容した。
 
日本は中国と対等に戦い、敗れても尚、「和を請わず、自ら防備を厳に
して三十余年間唐と対峙し続けた」「我々今日の日本人は当時の日本人の
剛毅なる気魄を讃嘆すると共に、自ら顧みて愧(は)ずる所なきを得ませ
ん」という滝川政次郎氏の言葉を夜久氏は引用している。
 
日本が思い出すべきは、このときの日本の、国家としての矜恃であろ
う。敗れても独立国家としての気概を保ち続け、朝鮮半島にも大きな影響
を及ぼしたのが、日本だった。
 
中国が再び、強大な力を有し、時代に逆行する中華大帝国の再来を目指
し、周辺国への圧力を強めるいま、日本は、歴史を振りかえり、独立国と
して、先人たちがどのような誇りと勇気を持ち続けたかを思い出さなけれ
ばならない。
 
トランプ政権はいま、先進国首脳会議(G7)に中国とロシアを入れる考
えさえ提示している。世界の秩序は基盤が崩れ、大きくかわろうとしてい
るのである。このときに当たって、わが国日本が歴史から学べることは多
いはずだ。

『週刊新潮』 2017年6月8日号   日本ルネッサンス 第756回



◆「措置入院」精神病棟の日々(48)

 
“シーチン”修一 2.0



産経6/5「週刊新潮の中づり広告、6年前から文春側に貸し出し トーハン
が調査結果公表」から。

<発売前の「週刊新潮」(新潮社)の中づり広告を出版取次大手「トーハ
ン」から文芸春秋が入手していた問題で、トーハンは5日、約6年前から中
づり広告を文芸春秋側にほぼ毎週貸し渡していたなどとする社内の調査結
果を公表し、改めて新潮社に謝罪した。

トーハンの特別調査委員会は「(「週刊文春」の)内容変更が間に合うと
知っていれば、貸し渡しは行わなかった」と指摘。「当社担当者が金銭授
受や供応などの提供を受けた事実は確認されていない」とした。

調査結果に対し、週刊新潮編集部は「文芸春秋側が事実と異なる説明で出
版取次会社の担当者を欺き、中づり広告のメモやコピーを取るようになっ
たことが明確になった。看過できない不正行為」などとする見解を発表。
一方、週刊文春の新谷学編集長はこれまでに公式サイトで、「情報を不
正、不法に入手したり、それをもって記事を書き換えたり、盗用したりし
た事実は一切ない」としていた>

中づり広告を戦後、広告媒体の一つとして大普及させたのはキョウエイア
ドエージェンシーの力が大きい。これは利権でもある。創業家は大金持ち
になり、「キョウエイ○○」とか「○○グッドラック」などの馬主でもあり、
競馬界では有名だそうだ。小生はその子会社の役員からずいぶん可愛がら
れたので、以上の話を知ったわけだ。

他者にモラルを求め、「こいつはインモラルだ!」大騒ぎして買わせるの
が週刊誌で、少なくとも東名阪福札の都市部で売ろうというのなら中づり
広告は欠かせない。週刊文春をメジャーに育てた花田氏は、事件が発覚し
た直後の産経5/20読書面の「花田紀凱の週刊誌ウォッチング」に一読唖
然、「花田さん、それはないでしょう」と言いたい。

<文藝春秋OBだから言うわけではないが、文藝春秋の体質、新谷編集長の
性格からしてスクープ潰しとかスクープ泥棒という悪どい意図はなかった
と信じたい。単純にライバル誌が、今週はどんなメニューなのか知りた
かっただけなのではないか。新潮としては・・・皮肉で済ませた方がス
マートだった>

先日、家の北側マンションに若い女の子が引っ越してきた。小生が観察し
ていたらどうなるか。

<覗きこんで録画したり、洗濯物を盗むといった悪どい意図はありませ
ん。単純に若い女性の暮らしぶりを知りたかっただけなのです。“変態ヂ
ヂイめ、いい歳をして”とここは皮肉で済ませるのがスマートでしょう>

<ワシントンDCと東京に核ミサイルをぶち込むといった悪どい意図はあり
ません。単純に自国を防衛したかっただけなのです。“格違いのキチ○イ豚
め”とここは皮肉で済ませるのがスマートでしょう>

とでも言うのが花田流、文春流か。

花田主宰の月刊誌の内容が事前にライバル誌の「WILL」に流れていても、
花田は皮肉で済ませるのか。これでは出版人としてのモラルはもたない。
編集部を「何でもあり」のゴロツキ集団、梁山泊、赤匪にしないように、
ここは一罰百戒、「泣いて馬謖を斬る」くらいのことをしないとダメだろう。

スマートであろうがなかろうが、不文律であろうが、売文屋の掟は掟だ。
掟破りは業界永久追放ではなかったのか。

掟破りは全身拘束という全然スマートじゃない病棟日記から。

【2016/11/29】緊急措置入院から1か月、あっという間という感じだ。心
も体も少しずつ正常≒普通になりつつある。いいのか悪いのか・・・持ち
味の「エキセントリックな無頼派モドキ」が薄れるようで、ちょっと複雑
な思いだ。

【11/30】病院の上をトンビが遊弋していた。気持ち良さそうだ。人間は
大昔から自由に大空を飛びたかった。ダビンチは元祖ヘリコプターを考
案、ライト兄弟が動力飛行機を砂浜で飛ばしたのは1900年頃だから、それ
から100年ちょっとで宇宙まで飛んでいくようになった。

ムササビのような格好をして山の上から飛ぶ映像を見たが、最初は怖かっ
たろうな。高層ビルから飛ぶ人もいるが、まあこれは落ちるということに
なり、歩行者が巻き添えになったりする。「一人で死ねよ、一人で!」と
皆思っているだろう。

10:00〜11:00、作業療法で木製オートバイ作り。とても難しくてぐった
りしたが、刺激にはなる。草むしりでも包丁研ぎでもいいから仕事をさせ
てくれないかなあ。人の役に立ちたい。世話になるばかりではちっとも面
白くない、生き甲斐を感じたい。

14:30、救急車が来て3Fの患者を乗せていった。多分、電気ショック療法
で気絶したのだろう。この療法(カミサンによると麻酔も使う)を受けて
いる美女“バスケ”は車椅子に乗って病室に戻ってきたが、本人によると
「被害妄想」だそうだが、統失なのかもしれない。

16:40、毎日恒例、全患者の「所在確認」。外出の際に失踪したり、屋内
でもどこかへ隠れたり、首を吊ったり、風呂場でリストカットしたりする
患者がたまにいるのだろう。精神病棟勤務は大変だ。

なにしろ完治しないのだから看護師にとってはやりがいが薄いかもしれな
い。いろいろな事情から精神病棟勤務に就いたのだろうが、小生ら患者を
含めて個性的な人が多い。

昨日の夕食から、転院したボスの席を使っており、座高が高い使いやすい
椅子に替えて坐り心地が良くなった。

ところが知能障害の上に呆けが進行して言語不明瞭の“コンチャン”(60歳
ほど)が昨日から小生の隣に引っ越してきた。彼は別の4人掛けのテーブ
ルにいたのだが、このところ敬遠されてシカトされていたのだ。

追い出すわけにもいかず、並んで食事を摂っているが、ご飯はポロポロこ
ぼす、箸は落とす、どうでもいいことで看護助手を呼びつける、服は着た
切り雀、隙あらば小生に話しかけようとする、ベッドは隣同士だが、独り
言を言う、失禁、脱糞はしょっちゅう、その上に風呂嫌い・・・

敬遠されるのも無理ないが、孤独に耐えられず、人の輪に入っていきたが
り、またまた煙たがれるのだ。

先日は“コンチャン”の父親、85歳ほどが面会に来たが、本人はともかく親
は気の毒だ。一生が転院の連続、過酷な人生だとは思うが、小さい頃から
施設を転々として暮らした本人は、それ以外の人生、社会を知らないのだ
から何とも思っていないのだろう。呆けるが勝ちか・・・

15:00、ベッドで本を読んでいると“コンチャン”がカーテンを開けて顔を
出し、「お昼食べた?」。

「うん、12時に食べたよ」
「その時に俺いた?」
「うん、いたよ」
「そうか・・・」

母もよく言っていたっけ。呆けの典型的な症状だ。(つづく)2017/6
/8(この号はワケアリで以前のものをリメイクしました)


◆大阪は本当に「日本最貧!?」か?

 
毛馬 一三



大阪の経済は、米ニューヨーク.タイムスが、以前<意気消沈するニッポン>と題した特集記事を載せたのを思い出した。

特集記事によれば、<(あれほどリッチだった日本が)これほど急激に経済が逆転してしまった国は世界でも珍しい>と、日本経済の有り様を指摘していた。

その上で、何と<そんな凋落ニッポンの“象徴”が「大阪」なのだと書き立てている>のだ。

しかも、<誇り高き商都・大阪では、商人たちが極端な行動に走り始めている。街には10円で缶入りドリンクを売る自販機が並び、レストランに行けば50円でビールが飲める>と書き、<日本のデフレスパイラルを激化させるだけだ>と切り捨てている。

この論評に「週刊新潮は」、<まるで大阪がデフレで今にも沈没しそうといわんばかり」だと補足し、日本のことになると嫌がらせみたいな記事ばかり載せるNYタイムスの記事だから、多少割引いて読むべきだと示唆している。

ここまで商都大阪をコケにされていいのだろうか。

たしかにあれほど賑わっていた歓楽街・北新地の閑散ぶりは目に余るものがあり、今では土曜日に営業している店はほとんど無く、居るのは人待ちタクシーばかりだ。とわ言え、この閑散ぶりが大阪低迷の総てを語るものではなかろう。

街歩きが好きな大阪の知人数人に聞いてみても、10円の自販機など北と南の繁華街で見たことは一切無く、ましてや50円ビール看板に出会ったこともないという。早い話、NYタイムスの記事は、ゴミ箱をほじくった類の記事だと見下す。

NYタイムスは、大阪商人の商売根性を知らないようだ。どうやら浪速商魂とデフレ化とを混同しているとしか思えない。

驚くような「値下げ」して商売するのは、決して商買破綻の表れではない。ましてやデフレの象徴でもない。

「労せずしてカネ儲けは出来ない!」ことを家訓とする商家では、大根1本でも鮮度に合わせだんだんと値下げをしながら、その日に売り捌き、元を取ってしまえば、残りはタダにする。これが次に繋がると考えるのが浪速商法だ。

「常に人のせんことをしなはれ」と真似らない知恵を出せ。万一真似られても「古井戸と知恵は枯れぬ」の例え通り、汲めば汲むほど湧き出るものだ。
<あきない夜話・和田亮介著>

つまり、浪速商法を「永続」したいと思えば、「利を取るより(信用)をとれ」と戒め、買い手を楽しませ、買い手側に喜ばれる方法で商売を乗り切れとの定法を取ってきたのだ。

NYタイムスが載せた大阪・千林商店街では、「100円商店街」を開催した。食料品・衣類・雑貨アクセサリーなど153店舗が100円均一の品揃えをして販売したので見学に行って見たが、予想を越える賑わいだった。

タイムスが載せた<結果は、皆を落胆させるばかりだった>との記事は、とても想像できないことだった。

いずれにしても、「安い値段」が「商都大阪のデフレ」を見せつけ、「凋落ニッポンを象徴している」という見方は、皮相的であり、真実を伝えていない。

集客を拡大して将来の浪速商法を発展させるために、長期視野にたった「知恵」を絞って商いをしている実像を、NYタイムスはよく見極めて欲しいものだ。(了)                 

2017年06月08日

◆鏡に映る自分に憤る民進党

阿比留 瑠比



鏡に映る自分に憤る民進党 自分たちなら特区制度を悪用するから、きっ
と安倍政権も?

時代小説の名手、池波正太郎氏の代表作の一つ『剣客商売』の中で、主
人公の老剣士、秋山小兵衛が自分を鏡に例え、こう語る場面が出てくる。

「相手の写りぐあいによって、どのようにも変わる。黒い奴には黒、白
いのには白。相手しだいのことだ。(中略)だから相手は、このわしを見
て、おのれの姿を悟るがよいのさ」

唐突にこのセリフを引用したのは5日の参院決算委員会での民進党の平
山佐知子氏の質問を聞いて連想したからである。平山氏は学校法人「加計
学園」問題をめぐり、安倍晋三首相とこんなやりとりをしていた。

「もし私ならば…」

平山氏「親友の加計さんがそういうふうに(獣医学部新設を)希望され
ていたということは、(首相も)じゃあ新設されればいいと思ったことは
あるか」

安倍首相「私がそう思っていたら、政策に関与しただろうという印象操
作に一生懸命になっている」

平山氏「もし友人が獣医学部をずっと新設したいと思っているのであれ
ば、そうなればいいと私だったら思うから聞いてみた。だから首相もきっ
とそう強く願ったんじゃないか」

安倍首相「私がそうしたいなあと(思っていると)いうことを前提に質
問されても困るんですよ」

長年にわたる民主党(現民進党)のエースであり、「民主主義は期限を区
切った独裁」が持論の菅直人元首相はこのところ、自身のブログで激しい
安倍首相批判を繰り返している。

「官僚が安倍総理の私兵化し、安倍独裁国家になる。このままでは民主主
義が死ぬ」(5月30日付)

「安倍総理自身がウソであることを自覚しているにもかかわらず、ウソで
押し切れると考えていることだ。国民を心底馬鹿にしている」(6月6日付)

「批判する者を社会的に抹殺するためにスキャンダルをマスコミに流す。
独裁政治の始まり」(7日付) 菅氏もきっと自ら思い当たることが多
く、自分の姿を安倍首相という鏡に投影して怒りと焦りを募らせているの
だろう。

長年にわたる民主党(現民進党)のエースであり、「民主主義は期限を区
切った独裁」が持論の菅直人元首相はこのところ、自身のブログで激しい
安倍首相批判を繰り返している。

「官僚が安倍総理の私兵化し、安倍独裁国家になる。このままでは民主
主義が死ぬ」(5月30日付)

「安倍総理自身がウソであることを自覚しているにもかかわらず、ウソ
で押し切れると考えていることだ。国民を心底馬鹿にしている」(6月6
日付)

 批判する者を社会的に抹殺するためにスキャンダルをマスコミに流
す。独裁政治の始まり」(7日付) 菅氏もきっと自ら思い当たることが
多く、自分の姿を安倍首相という鏡に投影して怒りと焦りを募らせている
のだろう。

長年にわたる民主党(現民進党)のエースであり、「民主主義は期限を区
切った独裁」が持論の菅直人元首相はこのところ、自身のブログで激しい
安倍首相批判を繰り返している。

 「官僚が安倍総理の私兵化し、安倍独裁国家になる。このままでは民主
主義が死ぬ」(5月30日付)

「安倍総理自身がウソであることを自覚しているにもかかわらず、ウソで
押し切れると考えていることだ。国民を心底馬鹿にしている」(6月6日付)

 「批判する者を社会的に抹殺するためにスキャンダルをマスコミに流
す。独裁政治の始まり」(7日付) 菅氏もきっと自ら思い当たることが
多く、自分の姿を安倍首相という鏡に投影して怒りと焦りを募らせている
のだろう。(論説委員兼政治部編集委員)産経ニュース6・8


◆王岐山の暗殺未遂、驚くベシ、27回

宮崎 正弘



<平成29年(2017)6月7日(水曜日)通算第5318号>  

 〜王岐山の暗殺未遂、驚くベシ、27回。なぜ王岐山は不死身なのか?
「私は不死身、私には霊感があり、先祖の霊が私を守ってくれている」〜

王岐山への武装襲撃、自動車事故偽装など直接的な暗殺未遂事件が17
回。郵便小包、宅配便などに化学剤混入が8回。河北省、四川省などでは
飲料、食材への毒物投入が2回。

合計27回というのは「未遂」と判明した案件だけで、この他にも暗殺の企
てはあった。 しかしいずれも未遂におわり、王岐山は不死身である。

香港誌『動向』(16年12月号)に拠れば、王岐山の車両は特別仕様で、防
弾ガラス、特殊合金の車体、そのうえ、王自身が『私は不死身、私には霊
感があり、先祖の霊が私を守ってくれている』と発言しているという。

神を否定したマルクス主義を、共産主義者である筈の王自身が、この発言
によって否定していることになる。

彼は無神論ではなく、あきらかに有神論者だ。

「わたしの目、口、鼻には霊が宿り、これらは神が与えてくれた。善行を
積まず、徳を修めなければ、この神の霊感は消滅するだろうとも発言した
という(The Echor Times、5月31日号)。

多くの中国人は、この話を信じていない。しかし、そうあって欲しいとは
希望している。なぜなら王岐山の「活躍」によって、悪徳高官がつぎつぎ
と逮捕され、裁判で有罪となり、服役しているからだ。

この腐敗一斉、汚職追放キャンペーンが強く継続されることを祈る庶民に
対して、王岐山は一風風変わりな譬喩を用いたということだろう。