2017年07月31日

◆慟哭の「通州事件」から80年

宮崎 正弘



<平成29年(2017)7月30日(日曜日)通算第5375号>   

 〜慟哭の「通州事件」から80年が経った
  寸鉄を帯びぬ無辜の同胞が無慈悲に惨殺された無念と慟哭〜

 7月29日、あの通州事件から80年を迎えた。靖国神社には、主催者の予
測をはるかに超えて2倍の人々が参集し、無念の犠牲者に祈りと捧げ、2
度とこのような惨劇を繰り返さないことを誓った。

全員が本殿に昇殿参拝した。参列者のなかには文藝評論家の桶谷秀昭氏、
黄文雄氏らの顔もあった。

ひきつづき会場を有楽町に移し、「通州事件80周年 記憶と慰霊の国民集
会」が開催され、会場は満杯、補助椅子を足しても収まりきれない多くの
人々が駆けつけた。

会は佐波優子さんの司会で始まり、最初に映画を上映、未発見のフィルム
が基調は証拠文献などかずかすが挿入された初公開のフィルムに見入った。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%9A%E5%B7%9E%E4%BA%8B%E4%BB%B6

国歌斉唱、黙祷につづいて主催者を代表して加瀬英明氏、ジャーナリスト
の桜井よしこ氏が挨拶した。

第1部の「関係者がかたる事件の真相」に移り、コーディネーターは皿木
喜久氏。事件当日に銃撃を受けながら奇跡的に助かった母が3ヶ月後に産
んだ運命の子、加納満智子さん(現在80歳)が、その奇蹟の運命を語って
会場はしーんとなった。

また犯行に及んだシナ兵と遭遇し、撃滅した部隊長の子息、奈良保男氏が
登壇し、なまなましい当時の事件の背景や伝え聞いている真相など、多く
の証拠品を提示されながら語った。会場には中国専門家の樋泉克夫氏、ま
た女性ジャーナリストとして活躍する河添恵子氏、福島香織氏らの顔も
あった。
 
休憩後、第2部に移り、阿羅健一氏、小堀桂一郎氏、北村稔氏、緒方哲也
氏、ペマ・ギャルポ氏、オルホノド・ダイチン氏、三浦小太郎氏、最後に
藤岡信勝氏がそれぞれ貴重な意見を述べた。

とくに藤岡氏はチベットやウィグル、南モンゴルの夥しい血の犠牲の記憶
回復運動とも連携し、今後の運動方針として、この通州事件をユネスコの
「世界記憶遺産」として登録してゆくことなどの説明があった。閉会の挨
拶は宮崎正弘が担当した。

        
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
◆書評 しょひょう BOOKREVIEW 

 誰も怖くて指摘しなかったAIの本当の脅威とは
   AI(人工知能)が人類を破滅させる恐怖である
 
  ♪
小林雅一『AIが人間を殺す日』(集英社新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@

AIの近未来の恐ろしさを著者は「自動運転、医療、そして兵器」の3つの
分野にみる。

以前から言われている雇用激減、2045年に予測されている「シンギュラリ
ティ」の恐怖を超えて、あまりにも恐ろしくて語られなかったのが自動運
転の車が引き起こす事故、AIが人間を超えるというシンギュラリティなど
も問題よりも、最大最悪の問題は、じつ自律的兵器である。

前者2つは超オートメーションにより、暴走や誤作動、ありは制御不能に
陥ったときの災禍の甚大さ、医療の誤信も死に結びつく恐怖であり、前々
から指摘されてきたことである。

AIの恐怖とは「HUMAN OUT OF THE LOOP」と呼ば
れる問題で、日本語に直すと「制御の環から人間が除外される」ことを意
味すると小林氏は言う。

これらが本書のポイントと言って良いだろう。

とくに著者は自律的兵器に関して具体的な考察を拡大しているが、日本に
は珍しい論点である。

なぜならAI本はあまたあっても、兵器分野すなわち「軍事ロボット」に関
しての考察が日本では殆どなされなかったからである。

評者(宮崎)は、既に35年も前の1982年に『軍事ロボット戦争』(ダイヤ
モンド社、絶版)を上梓し、この問題を提議したのだが、あまりに予測が
早かった所為か、殆ど注目されなかった。

SF小説と映画では、ロボコック、ターミネーター、スターウォーズなど
があり、いやその前に日本では鉄腕アトム、鉄人28号、最近はガンダム
などがある。

想像の世界での出来事で、まさかマンガが本物と化け、人間を本格的に脅
かす日が来るとは誰も想定していなかっただろう。

自律的兵器とは「コンピュータ・プロセッサーの飛躍的進化とコスト低下
に伴い、これら高度な部品・技術などが、謂わば『消耗品』として兵器に
搭載されるようになった」(176p)。

無人機ドローン、巡航ミサイル、無人潜水艇などである。

事態を重視したアメリカは今後3年間でおよそ180億ドルを、これらAI
搭載の自律的兵器開発にあてる。

そのため世界から人材をスカウトしている。

「しかし、このように兵器自体が戦場における周囲の情報から機械学習し
て、臨機応変に対応するようになれば、それはペンタゴンが主張する

「HUMAN IN THE LOOP」、つまり『兵器の使用について実質的な判断を
下し、その責任を負うのは、兵士や指揮官のような人間である』という基
準とは相容れないことにある」

すなわち兵器そのものが自主的に暴走し始める。人間が制御できない兵器
が誕生すれば、いったい人間の未来は、AIに滅ぼされることにならないのか。

しかも、それらがテロリストに渡ったら?

「本来なら米軍の優位性を確保するために開発されるはずだった自律的兵
器は、皮肉にも、これまで米軍とテロ集団・武装勢力などとの間に存在し
てきた『兵器技術の非対称性』を打ち消す方向に動く可能性が高いのだ」
(192p)
 こうした文脈からも、本書は注目されるべきであろう。

◆君が世完成記念日

渡部 亮次郎



国歌「君が代」は1999(平成11)年に国旗及び国歌に関する法律で公認さ
れる以前の明治時代から国歌として扱われてきた。

この曲は、平安時代に詠まれた和歌を基にした歌詞に、明治時代になって
イギリス歩兵隊の軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンが薩摩琵琶歌
「蓬莱山」から採って作曲を試みたが海軍に不評。

海軍から「天皇を祝うに相応しい楽曲を」と委嘱された宮内省が雅楽課の
林廣守の旋律を採用(曲はイギリスの古い賛美歌から採られた)。

これにドイツ人音楽教師エッケルトが和声をつけて編曲。1880(明治13)
年10月25日に海軍軍楽稽古場で試演された。だから10月25日が「君が代」
完成記念日とされている。

明治2(1869)年に当時薩摩藩兵の将校だった大山巌(後の日本陸軍元帥)
により、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきと言うフェトンの進言をいれ
て、大山の愛唱歌の歌詞の中から採用された。

当時日本の近代化のほとんどは当時世界一の大帝国だったイギリスを模範
に行っていたため、歌詞もイギリスの国歌を手本に選んだとも言われている。

九州王朝の春の祭礼の歌説というものがあり、説得力はある。九州王朝説
を唱えるのは古田武彦氏で、次のように断定している。

<「君が代」の元歌は、「わが君は千代に八千代にさざれ石の、いわおと
なりてこけのむすまで・・・」と詠われる福岡県の志賀島の志賀海神社の
春の祭礼の歌である。

「君が代」の真の誕生地は、糸島・博多湾岸であり、ここで『わがきみ』
と呼ばれているのは、天皇家ではなく、筑紫の君(九州王朝の君主)である。

この事実を知っていたからこそ、紀貫之は敢えてこれを 隠し、「題知ら
ず」「読人知らず」の形での掲載した>

文部省(現在の文部科学省)が編集した『小学唱歌集初編』(明治
21(1881)年発行)に掲載されている歌詞は、現在のものよりも長く、幻
と言われる2番が存在する。

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで うごきな
く常盤かきはにかぎりもあらじ」

「君が代は千尋の底のさざれ石の鵜のゐる磯とあらはるゝまで かぎりな
き御世の栄をほぎたてまつる」

後半の「さざれ石の巌となりて」は、砂や石が固まって岩が生じるという
考え方と、それを裏付けるかのような細石の存在が知られるようになった
『古今和歌集』編纂当時の知識を反映している。

明治36(1903)年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が
代』は1等を受賞した。

後は専ら国歌として知られるようになった『君が代』だが、それまでの賀
歌としての位置付けや、天皇が「國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」していた
(明治憲法による)という時代背景から、戦前にはごく自然な国家平安の
歌として親しまれていた。

敗戦で事情は全く変わった。日本国衰退を目指すアメリカ占領軍は。それ
まで聖職者とされてきた教職員に労働者に成り下がって権力に抵抗させる
べく日教組を結成させた。

占領した沖縄では国旗の掲揚と君が代の斉唱を禁止したことでも明確なよ
うに、マッカーサーの本心は日の丸掲揚と君が代斉唱に反対であった。日
本国民が一致団結、再度、アメリカに挑戦することを恐れたのである。

それを組合の統一闘争精神に掲げたのが日教組なのである。いつの間にか
天皇を尊敬する事とか君が代を歌うことが戦争に繋がると論理を摩り替え
て、正論を吐く校長を自殺に追い込んだといわれても反論できないような
状況を招いたのである。

君が代支持の世論を背景に平成8年(1996年)頃から、教育現場で、当時
の文部省の指導により、日章旗(日の丸)の掲揚と同時に『君が代』の斉
唱の通達が強化される。

日本教職員組合(日教組)などの反対派は憲法が保障する思想・良心の自
由に反するとして、旗の掲揚並びに「君が代」斉唱は行わないと主張し
た。先生の癖に論理のすり替えの得意な人が日教組に所属する?

平成11年(1999年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に校長が自殺
し、君が代斉唱や日章旗掲揚の文部省通達とそれに反対する教職員との板
挟みになっていたことが原因ではないかと言われた。

これを一つのきっかけとして日教組の意図とは反対に『国旗及び国歌に関
する法律』が成立した。法律は国旗国歌の強制にはならないと政府はした
ものの、反対派は法を根拠とした強制が教育現場でされていると主張、斉
唱・掲揚を推進する保守派との対立は続いている。

平成16年(2004年)秋の園遊会に招待された東京都教育委員・米長邦雄
(将棋士)が、(天皇)に声をかけられて「日本の学校において国旗を揚
げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言し「やはり、
強制になるということでないことが望ましいですね」と言われている。

なお、天皇が公式の場で君が代を歌ったことは1度もないと言われてい
る。成人前の家庭教師ヴァイニング夫人による何がしかを勘繰る向きがな
いわけではない。08・10.25

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆日本が直面した共産主義の脅威

伊勢 雅臣



ロシア革命 〜 日本が直面した共産主義の脅威

共産主義がどのような脅威を与え、どのような悲劇をもたらしたのか。


■1.「良い動機が必ずしも良い結果を生まない」

東京書籍版(東書版)中学歴史教科書は、「ロシア革命」にまるまる2頁
を割いて、ずいぶんと意気込んだ記述をしている。冒頭からして、こんな
書き出しである。


【ロシア革命】 社会主義は、資本主義がもたらした社会問題を解決しよ
うとして生まれた思想でしたが、国境をこえた労働者の団結と理想社会を
目指す運動になって、各国に広がりました。ロシアでも、政府による弾圧
にもかかわらず、社会主義は勢力を拡大していました。[1, p200]


労働者階級の貧困を助けよう、という動機は立派だが、ここから始まった
社会主義・共産主義によって、世界全体で1億人とも言われる犠牲者が生
まれ、今もその残滓がシナや北朝鮮に残って、日本を含めた周辺諸国を脅
かしている。

良い動機が必ずしも良い結果を生まないという現実を学ぶことは、歴史教
育の眼目の一つであろう。それを歴史から学ぶことで人類の文明も進歩し
てきた。しかし、東書版の記述を見ると、この歴史の智恵を筆者たちが学
んでいるのか、不安を感ずるのである。著者の過ちは、この教科書で歴史
を学ぶ中学生にも受け継がれてしまう。


■2.暴力革命

まず、ロシア革命の経過について、東書版は次のように記述している。

第1次世界大戦が総力戦として長引き、民衆の生活が苦しくなると、ロシ
アで戦争や皇帝の専制に対する不満が爆発しました。1917(大正6)年に「パ
ンと平和」を求める労働者のストライキや兵士の反乱が続き、かれらの代
表会議(ソビエト)が各地に設けられました。

皇帝が退位して議会が主導する臨時政府ができましたが、政治は安定せ
ず、社会主義者レーニンの指導の下、ソビエトに権力の基盤を置く新しい
政府ができました(ロシア革命)。この革命政府は、史上初の社会主義の政
府でした。[1, p200]


「皇帝の退位」に関しては、「ニコライ2世」と題した則注があり、「革
命の翌年に、家族とともに処刑されました」とある。

同じ部分を、育鵬社版はこう記述している。ソビエト政権の誕生までは、
ほぼ同様の記述だが、それからが異なる。

ロシアの革命政府はドイツと講和を結び戦争を中止し、革命に反対する国
内勢力との内戦に入りました。退位したロシア皇帝やその家族は処刑さ
れ、資本家や地主知識人は捕らえられ、多数の人々が殺害されたり、シベ
リアに追放されたりしました。[2, p212]

内戦、逮捕、殺害、追放などの記述は、東書版には全く登場しない。東書
版では、ロシア革命が「暴力革命」であることを学べないのである。


■3.「ソ連の計画経済」の実態

次いで、革命政府がどのような経済政策をとったのか、育鵬社版は、こう
説明する。

ソビエトは世界初の共産主義社会の実現をめざす政府でした。貧富の差を
生むとして自由な生産活動を禁止し、土地や農場銀行、鉱山、鉄道などほ
とんどすべての企業を国有化し、国家が管理することになりました。議会
政治を否定し、共産党にすべての権力が集中する一党独裁政治が行われ、
市民の自由は奪われました。[2, p212]

計画経済を導入しようとすれば、必ず人々の自由を奪い、議会政治を否定
し、独裁政治となる。これが共産主義の常道であり、無数の悲劇もここか
ら起こる。育鵬社版の記述は簡潔かつ正確である。

東書版では「ソ連の計画経済」という3分の1頁ものコラムを設け、その
仕組みを詳しく説明する。

社会主義を唱える人々は、資本主義の問題点が利益を目指す自由競争にあ
ると考え、私有財産を制限して自由競争をなくし、国家が計画的に物を生
産して、個人の必要に応じて分配する理想社会を作ろうと考えました。
[1, p201]

と、また理想論から説き始め、生産性向上のための「5カ年計画」が建て
られたことを紹介して、その結果をこう総括する。

最初の5か年計画は4年で達成され、次の5か年計画に移行するなど、世
界恐慌で苦しんだ資本主義の国々とは対照的に、ソ連は順調に経済成長を
達成し、国家建設が進むかに見えました。

しかし、第2次大戦後には、資本主義の国々に包囲された条件の中で、
人々の自由な活動や個性は抑圧され、形式的な面ばかりが重視されるよう
になり、ソ連の社会は非効率になっていきました。[1, p201]

ソ連の躍進を述べた後で、第2次大戦後には「ソ連の社会は非効率になっ
ていきました」と言う。「非効率」どころか、計画経済の行き詰まりか
ら、社会主義体制が崩壊した事を語らない。しかも、「資本主義の国々に
包囲された条件の中で」と原因を他所に求める。世界中が社会主義になっ
ていたら、うまく行っていたはずだ、とでも言いたいようだ。


■4.「干渉戦争」

皇帝を処刑し、国内の反対者を逮捕、処刑する暴力革命は、欧米諸国や日
本を震撼させた。育鵬社版の記述では:

ロシア革命の影響を警戒した欧米諸国は、シベリアに兵を送り、革命政府
に圧力を加えました。わが国も1918(大正7)年、アメリカなどとともにシ
ベリア出兵を行い、共産系軍と戦いましたが、成果がないまま撤退しまし
た。[2, p212]

 東書版はこう記述する。

ロシア革命は、資本主義に不満を持ち、戦争に反対する人々に支持され、
各国で社会主義の運動が高まりました。しかし、イギリス、フランス、ア
メリカ、日本などは、革命政府の外交方針に反対し、また社会主義の影響
の拡大をおそれて、ロシア革命への干渉戦争を起こし、シベリア出兵を行
いました。

革命政府は労働者と農民を中心に軍隊を組織して干渉戦争に勝利し、国内
の反革命派も鎮圧して、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)
が成立しました。しかしソ連はしばらくの間、国際社会から国として認め
られませんでした。[1, p201]

愛国的なソ連の歴史学者が、干渉戦争の勝利、反革命派の鎮圧を歌いあげ
ているような筆致である。


■5.「文明への恐るべき脅威」

シベリア出兵には、もう少し複雑な背景がある。ドイツは革命政権との講
和により東部戦線から西部戦線に兵力を集中し、英仏は苦戦に陥った。そ
こで、英仏はロシア帝国軍の一部として戦っていたチェコ軍を救出するこ
とを名目に、日本に出兵を求めたのである。

英仏としては、日本軍がシベリアに出兵することで、ドイツの目を再び、
東方に向けさせること、また反革命に立ち上がっていたロシア軍(白軍)
との共同で、革命政権を打倒する事を狙った。日本としては、白軍がシベ
リアで反共産主義の自治領を樹立すれば、共産主義への防壁となる、とい
う防衛構想があった[3,p95]。

これにアメリカも賛同し、日米を主力として英仏伊を加えた連合軍による
共同出兵となった。シベリアでの内戦では60万人の共産軍(赤軍)に対
し、白軍が40万人、それに日本軍7万3千などの連合国が荷担した。

1918(大正7)年11月にドイツが降伏し、また白軍政府も崩壊すると、連合
国はシベリア介入の目的を失い、1920年には相次いで撤退した。しかし、
その矢先に起きたのが、樺太の対岸、尼港(ニコライエフスク)で起きた
虐殺事件だった。

これは共産軍が、白軍と日本軍が護っていたニコライエフスクを襲い、市
民6千人とともに、駐留日本軍と在留邦人約730人を虐殺した事件であ
る。その残虐さに日本国民は激昂し、それがために撤兵も大幅に遅れたの
である。

アメリカのラインシング国務長官は、日本のシベリア出兵に関して、日記
にこう書いている。

ボルシェビキ(共産主義過激派)が満鮮に浸透した場合の日本に対する危
険を考へてみる時、過激派進出を阻止するため日本が十分な兵力を派遣す
ることに反対すべきではない。何故なら、極東へのボルシェビズムの蔓延
は文明への恐るべき脅威だからである。[4, p170]


東書版では則注で「特に日本は、シベリア領土を得ることも目的にして、
大軍を派遣しました」と書くが、シベリア出兵から共産主義の脅威という
背景を隠してしまえば、こういう記述になってしまうのだろう。


■6.日本共産党はコミンテルン日本支部

実際に、革命政府はすぐに世界の共産化に乗り出した。その様を、育鵬社
版はこう記述する。

1919年、世界に共産主義を広めるため、 コミンテルンとよばれる革命指
導組織がつくられました。各国の共産党はコミンテルンの支部として結成
され、それぞれの国を共産化するための活動を始めました。[2, p213]

 さらに、この部分の則注として:

ロシア革命の発生は、日本の社会主義者を強く刺激した。彼らの一部は、
コミンテルンの支援と指導を受けて,1922年、ひそかに日本共産党を結成
した。

日本共産党の正体は、コミンテルン日本支部なのである。この点を、東書
版は次のように巧みにぼやかしている。

ロシア革命を指導した政党は、将来の共産主義の実現をかかげていたの
で、名前を共産党に改めました。共産党は他の国にも設立され、ソ連共産
党を頂点とする国際的な機関も結成されましたが、ソ連以外では社会主義
革命は実現しませんでした。[1, p201]

日本共産党の幹部だった筆坂秀世氏は「活動資金までコミンテルンに依存
していたこともあり、共産党はコミンテルンの歯車の一つだったに過ぎな
い」と語っている[a]。また、コミンテルンの手先だった朝日新聞記者・
尾崎秀實(ほつみ)は「ソ連を日本帝国主義から守る」ために、日本と蒋
介石との戦いを煽っていた[b]。

日本のシベリア出兵をソ連に対する「干渉」と言うなら、こうしたコミン
テルンの工作も日本の内政に関する「干渉」なのである。


■7.「多くの犠牲者」

レーニンの世界革命路線が失敗すると、後を継いだスターリンについて、
東書版はこう述べる。

このためレーニンの後に指導者になったスターリンは、ソ連一国での共産
主義化を優先し, 1928(昭和3)年からは5か年計画を始めて、重工業の増
強と農業の集団化を強行しました。この計画経済によって、 ソ連は国力
をのばしました。しかしその一方で、国の強硬な方針に批判的な人々は、
追放されたり処刑されたりして、多くの犠牲者が出ました。[1, p201]


最後の一文にいたって、ようやく「多くの犠牲者」が出てくる。共産主義
の犯罪を研究した『共産主義国書』では、ソ連の犠牲者数は2千万人とさ
れている。「多くの犠牲者数」という表現から、こんな規模を思い浮かべ
る中学生はいないだろう。

一方、育鵬社版は、次のように総括する。

レーニンの死後、権力をにぎったスターリンは、農業の集団化をおし進め
るとともに、工業国への転換をめざしました。そのあいだ、スターリンは
秘密警察による情報網をはりめぐらせ、共産党に反対する人々を摘発して
収容所に送り、おびただしい数の犠牲者を出しました。[2, p213]

東書版に比べ、「秘密警察」や「収容所」を出して、はるかに具体的だ
が、「おびただしい数の犠牲者」でも、まだ規模のイメージはつかめな
い。確定数字は出せないにしても、過去の主要な研究でいくつかの推定数
字を出すだけでも、ロシア革命による犠牲者数は世界史上空前であること
が分かるはずだ。

育鵬社版は、この項を「わが国は、北の国境で共産主義という新たな脅威
と直面することになりました」と結んでいる。これだけの犠牲者を生み出
す共産主義から、いかに国を護るか、これが20世紀に入ってからの我が
国の重要な防衛課題となるのである。そういう認識が、東書版にはまった
くないように見える。



■リンク■

a. JOG(941) 日本共産党小史 〜 国民政党なのか、外国工作機関なのか
 日本共産党は世界共産化を狙うコミンテルンによって設立され、その資
金と指示で武闘路線を歩んできた。
http://blog.jog-net.jp/201603/article_1.html

b. JOG(263) 尾崎秀實 〜 日中和平を妨げたソ連の魔手
 日本と蒋介石政権が日中戦争で共倒れになれば、ソ・中・日の「赤い東
亜共同体」が実現する!
http://www2s.biglobe.ne.jp/nippon/jogbd_h14/jog263.html

■参考■(お勧め度、★★★★:必読〜★:専門家向け)
  →アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。

1. 『新編新しい社会歴史 [平成28年度採用]』★、東京書籍、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4487122325/japanontheg01-22/

2.伊藤隆・川上和久ほか『新編 新しい日本の歴史』★★★、育鵬社、H28
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4905382475/japanontheg01-22/

3. 伊藤之雄『政党政治と天皇 日本の歴史22』★★、講談社学術文庫、H22
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062919222/japanontheg01-22/

4. 中村粲『大東亜戦争への道』★★、展転社、H2
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4886560628/japanontheg01-22/

◆蕪村生誕地を証明した「一通の書簡」

毛馬 一三



松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸時代の俳人与謝蕪村の生誕地が、大阪毛馬村(大阪市都島区毛馬町)だということは、江戸時代当時から知れ渡っていると思っていた。

仮にそうでなくとも、明治時代になって、蕪村俳句を初めて評価し世に紹介した正岡子規が、毛馬生誕地は把握し、世に広めていたに違いないと思い込んでいた。

ところが、事実は全くそうではないことが明らかになり、驚かされた。

それの事を知らされたのは、NPO法人近畿フォーラム21主催「蕪村顕彰俳句大学」講座で講師をお願いしている、蕪村研究第一人者の関西大学文学部の藤田真一教授と、懇談した時であった。

結論から先にいうと、蕪村生誕地が大阪毛馬であることが「定説」になったのは、実は終戦直後のことだということだった。奈良県でこれに纏わる「蕪村直筆の書簡」が見つかったのが、キッカケだったというのである。

藤田教授の話によると、次のようなことだった。

(蕪村は、自分の生誕地のことは、俳人・画人として活躍していた江戸・京都でも、何故か余り触れたがらず、主宰の「夜半亭」の弟子たちにも語ったという明確な「記録」は残されていないという。このため、蕪村の生誕地を確知していた者は、いなかったのではないかというのだ。

ところが蕪村は、安永六年(1491)に発刊した冊子「夜半楽」(二十頁ほど)の冒頭に、「春風馬堤曲」を書き、毛馬村側の淀川の馬堤に触れ、十八首の俳句を添えている。が、残念なことにその舞台となる馬堤近くが自分の「生誕地」だとは一切触れていない。

想像してもこの書き方では、「生誕地を毛馬村」と結びつけることは出来ない。

しかし、その後願ってもないことが起きていた。

蕪村は、この「夜半楽」冊子を贈呈した大阪在住弟子の柳女・賀端(がつい)に宛てた添え書きの「書簡」の中で、自分の生誕地が毛馬村だと、下記のようにはっきりと綴っている。

春風馬堤曲―馬堤は毛馬塘(けまのつつみ)也。即、余が故園(注釈・ふるさと)也。余幼童之(の)時、春色清和の日ニは、必(かならず)ともどちと此(この)堤上ニのぼりて遊び候。水ニハ上下の船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ」。

それなら、これが物証となって、江戸時代から毛馬村が生誕地だと定説になっても良かったのだろうが、そうならなかったのには理由がある。

というのは、江戸時代の発刊諸本には複製本が多く、勝手に削除・加筆されることが多々あった。このため「夜半楽」の弟子への添え状ですら、複製なのか、それとも蕪村直筆のものか判定出来ず、結局「蕪村生誕地複数説」を加速させる結果を招き、生誕地説は宙に浮いたままの状態だった。

しかし、前記の如く、奈良県で終戦直後偶然見つかった弟子の柳女・賀端(がつい)に宛てた添え書きの「書簡」が、「蕪村直筆」だと、公式に「認定」されたため、「毛馬生誕地」説が確定した。終戦直後の認定だから、遅きに失したと言わざるを得ないが、これは「蕪村生誕地複数説」を破棄し、毛馬村を生誕地とする歴史的且つ画期的「決め手」となったことになる。

しかも「春風馬堤曲」冒頭の記述の淀川風景の描写や添付十八首と、柳女・賀端(がつい)に宛てた添え書きへの想いを結びつけて考えると、「毛馬村への切ない郷愁」を浮き彫りとなる。

以後、生誕地が毛馬村であることを不動のものになったことになる。この経過を考えると、蕪村生誕地を定めた一通の「蕪村直筆書簡」の存在は、実に大きかった。

これが「認定」されていなかったら、蕪村が大阪俳人として登場することも無かったことになるだろう。)

こうして、蕪村が大阪生誕の俳人と称されるようになってから七十余年しか経たない。そのため蕪村は、芭蕉や一茶とは異なり、江戸時代以来、生誕地大阪で「蕪村生誕顕彰」が疎かにされてきたことに繋がってきており、誠に慙愧に絶えない。

このために、今ですら地元大阪で「蕪村生誕地が毛馬村」であることを知らない市民は多い。次世代を担う児童生徒の学習の俎上にすら上がっていないことを考えると、児童生徒が生誕地のことを知らないことも当然のことだろう。残念で仕方がない。

だから、われわれ「蕪村顕彰俳句大学」では、今年の「蕪村生誕三百年記念に合わせて、「三百年記念諸行事」を開催し、俳句文化活性と後世への伝承、そして国際化への発信を大々的に進めたいと考えている。

余談ながら藤田教授との懇談の中で、更に驚いたことがあったことを記して置きたい。
「蕪村は淀川を下って源八橋から船を降りて浪速の弟子のもとに往き来きしていたようですが、それほど郷愁があったのなら、極く近郊にあった毛馬村の生家に立ち寄るのが自然だと思うのです。その痕跡はありませんか」
答えは「それを証明する歴史書類はありません。立ち寄ったか否かどうかも、わかりませんね」ということだった。

となれば、生誕地への郷愁は人一倍あったとしても、生誕地へ何らかの理由で寄りたくない気持ちがあったのだろうという推察が浮上してくる。

恐らく奉公人だった母と実家の父が亡くなってから、家人たちによる極めつけの「いじめ」があり、そのために十七・八歳で家を出ざるを得なかったのではないか。そのことが「生家には生涯立ち寄らなかったこと」に結びついているのではないだろうか。
これはあくまで私の推論である。

最後になりましたが、どうか、私たちが今考慮中「蕪村生誕祭」の開催に、是非共皆様のご賛同とご支援を伏してお願い申し上げます。(了)

2017年07月30日

◆「措置入院」精神病棟の日々(56)

“シーチン”修一 2.0



7/24、朝は予想外に涼しかったので、ゴミ出しの後、寺にお盆の塔婆を申
し込み、年会費も納めた。住職はこの春から真新しく立派な庫裏で暮ら
し、とても機嫌が良かった、というか、営業マンのようにお世辞を言って
いた。

お布施の有無、多寡で住職の態度が大違いというのは分からないでもない
が、あまり感情を表に出さない方がいいだろう、品格を疑われる。たとえ
軽薄でも、穏やかで丁寧な言葉遣いならバレないだろうに、と惜しまれる。

騙し続けるというか、演じ続けるのが大事で、本質がワルでも善人を装っ
ているとワルの本性が消えていき、良き夫、良き父、良き息子、良き市民
として記憶、評価されたりする。小生はプッツンして狂気の本性がバレて
しまったのだが・・・ま、バックミラーを見てばかりいると前進しないか
ら明日は今日よりいいことがあると信じていこう、それしかないし。

寺の帰路に段ボール置き場(資源回収所)に寄ると、新品の小さな掃除機
が捨ててあった。ここに不法投棄する人は絶えないが、町会が管理してい
るからそれほど荒れてはいない。

昨日、1Fと3Fの倉庫を掃除しながら「軽くて小さい掃除機があるといいか
もしれないなあ、そのうち買うか」と思っていたところでの不法投棄掃除
機の発見、出会いだから、家に持ち帰って掃除をし、使ってみたらすごい
吸引力。

ただ、吸引力の調整機能がないためマットに噛みついたら離さない(執着
質)、ノズルが前後にしか動かない(融通、小回りが利かない)、コード
が邪魔になるので左手でコードを持ち、右手だけで操作しなければならな
い(頑固)など、製品としては「?」で小生そっくり、捨てた人の気持ち
がよく分かった。

掃除機はもちろん硬直思想一直線の中共製。小生は左巻から右巻きに転向
したが、出自はマルクス、毛沢東だから、左右の違いはあっても硬直であ
ることに変わりはない。

アフリカの人々が「自転車を買うのなら中国製の新品より中古の日本製の
方が良い」、ロシア人も「自動車ならロシア製より日本の中古車が良い」
と言っているが、ま、そういうことなのだ。使う人や社会の快適性を優先
させる生粋の Made in Japan に小生は今さら戻れやしないが・・・

さて、久し振りにノンビリ過ごし、床屋にも行けたが、昨日まではとても
忙しく、産経を読む間もなく1週間分が溜まってしまい、これを処理する
のにまる一日かかってしまった。「とにかく溜めない、朝一番で産経を読
み終えること」と決めたが、ベッドに横たわって読むと睡眠モードが働く
のだろう、じきに眠くなるので、立つか椅子に座って読むことにした。

読み終えてから園芸、工作、掃除、読書、ブログ、買い物などをするよう
にしたら、とても具合がいい。常に夢中になれるものを探すイタズラ老人
は今日はオーディオに目覚めた。CDプレイヤーに、PC用のアンプ付きス
ピーカーを取り付けてみたが、予想以上の音量、音域、音質(透明感があ
る)で、いつものCDが大変身した印象だ。久し振りの満塁さよなら大ホー
ムランだった。

大工仕事も大好きだが、たまにはオーディオ工作もいいものだ。昔、仕事
で使っていたニコンの200ミリ望遠レンズで雀を観察するのも楽しい。こ
んな安楽な余生でいいのかなあと思うが、カウンセラーの“ピーコック”は
「若い時に十分働いたのだから、今は大いに楽しんでいいんですよ」と
言ってくれる。

体と脳ミソが動くうちはせいぜい楽しもう。この平安、平穏が続いて、最
後は映画「ゴッドファーザー」のドン・コルレオーネのように家庭菜園で
孫と遊びながらポックリ逝けたら最高だと思うが、ま、そういう具合には
いかないのだろうな。

7/27、今日はしっかりブログに専念する気だったが、花屋で可愛いガジュ
マルを見つけたので、玄関前に飾ったものの、おしゃれな受け皿がないの
で、ペンキを混ぜ合わせて砂漠のイメージの黄土色にしてみた。なかなか
いい。

気に入ったのでウッドデッキの柱にしているステンレス製ポールにも塗っ
たらどうかな、ウッドデッキもあとスノコを2、3枚作ればとりあえず完成
するし、庭園は日々美しくなり、隔離室はますます理想郷のような癒しの
ペントハウスになってきた。帝銀事件(1948年1月26日、毒物で12人殺
害)の死刑囚、平沢貞通(さだみち)の独居房も理想郷ではなかったか。

犯罪心理学者/精神科医の福島章によると平沢は「空想虚言者」で、「自
分が空想していることが、あたかも現実であるように自分でも信じ込んで
しまう」(「犯罪心理学入門」)のが特徴だという。

同じく精神科医で作家の加賀乙彦は「死刑囚の記録」にこう書いている。

<私が(東京)拘置所に勤めていた頃、平沢は60代の半ば、半白の髪では
あったが、まだ若々しく、所内随一の有名人であった。医務部には時々現
れ、あれが平沢画伯かと私も横眼で眺めていたものだった。和服を着てい
ることが多く、いつもにこにことしていて、人当たりが極めて柔らか、囚
人というよりお茶の師匠が現れたという感じであった。

初めて私が彼の房を訪れたのは1955年の11月であった。房内には、画架や
絵具箱や水彩画の束が所狭しと置いてあり、私の顔を見ると「やあ先生で
すか」と会釈し、しかし、描きかけの手を休めずにいた。

ふと「この頃でも観音様の夢を見ます。ありがたいです」と言い、「私が
真犯人でないのは確かですよ。しかし、私は死を怖れません。悟りきった
境地で毎日を過ごしています」と、人が口にすると嫌味に聞こえるような
ことを照れる様子もなく言った>

平沢の虚言癖は徹底していた。加賀はこう続ける。

「(平沢の)問題は、(小さなことから大きなことまでの)嘘を、嘘をつ
いた本人がいつの間にか本当のことと信じてしまうことである。嘘か真か
の区別が、本人にも曖昧になってしまうような現象を精神医学では空想虚
言と呼ぶ。空想虚言者または空話症者は、人を騙す詐欺師であるととも
に、自分も騙される空想家であって、彼の行為には金銭を騙しとる詐欺師
と他愛のないいたずらとが混合している」

空想虚言は精神病の一つだが、「津久井やまゆり園」で大量殺傷事件(19
人死亡、26人負傷)を起こした植松聖被告は自分の独自の価値観こそが正
しいという「自己愛性パーソナリティー障害」などと診断されている。

自分が妄想した世界がリアルであり、それを否定する世界は間違い、愚の
骨頂と思い、「自分の正義」を貫く。一時的な発狂ではなく、重症的、確
信犯的な精神病者だろう。

“ピーコック”に「精神病と性病は誰からも同情されない」とグチると、
「そりゃあそうでしょ。修一さんの場合はお酒が原因になっており、自己
責任の面が強いから同情されませんよ、当たり前です」と突き放された。
トホホ、お山のヨーコ、お前もか!?

小生は「ただの病気」と思っているが、プロでさえ「自分が蒔いた種、お
前が悪い」という評価なのだ。

「よく街を歩けるね、恥ずかしくないの?」とさえ言われたことがある。
「やまゆり園」の多くの被害者家族は匿名報道を望んだ。つまり遺伝子に
かなり関わる病気だから「精神病は一家の恥」と伏せておきたいのだ。

それも仕方がない面もある。たとえばプロポーズした相手から「実はきょ
うだいが精神病で・・・それでもいいんですか」と告白されたら、小生
だって「うーん、ちょっと考えさせて・・・」となってしまうだろう。
「ボクは君が大好きで、一生君と一緒にいたいんだ、君のきょうだいと結
婚するわけじゃない」と即答する勇気はない。

被害者の親族も社会も、ほとんどの人が「精神病は遺伝するから・・・普
通の病気とは違う。縁組にも差し障りがあるから報道されたらたまらな
い、ここは匿名でお願いしよう」となることを小生は責められない。

遺伝性の要素が強いことは父方の伯父さん、母方の叔母さんの息子(小生
にとっては従兄)が自殺していることから子供の頃から知っていた。父方
の伯母さんの娘は知能障害だった(葬儀の挨拶もなかった。世間体の悪い
家の恥、厄介者として闇に葬られた感じ)。父方のもう一人の伯父さんは
20歳ごろに亡くなっているが、父方の親戚はこの人のことをまったく話題
にしなかった。多分精神病で自殺したのだと思う。

精神病は誰でもなり得るただの病気、成人病と別に変わっているわけでは
ない、隠す必要はない、と小生が“居直っている”のは子供がみんな結婚し
て孫もなんの障害もないからかもしれない。運が良かったのだ。

そう言えば退院からちょうど半年たった。自分のアクがずいぶん抜けてき
て、すっかり大人しくなり、まるで猛禽類から人畜無害の雀になったみた
いだ。今日は唇を曲げてチュンチュンとやってみたら、雀が「俺の縄張り
を荒そうとしているのは誰だ」とばかりにキョロキョロしていた。“スズ
メ命”になりそうな“発狂亭雀庵”の病棟日記から。

【2016/12/12】*夕べは悪寒がし、風邪をひきそうなので、軍手、靴下、
毛糸帽子、ジャンパー、マフラーという完全武装で寝たが、午前2時ご
ろ、火災警報で叩き起こされたものの、しっかり眠れ、今朝は体調がすこ
ぶる良い。

警報時に物々しい格好をしていたから、「すっかり職員さんだと思ってい
たわ」とオバサンに言われ、共に笑った。警報は誤作動だったそうだ。

一人暮らしのために介護で入院している80過ぎの“オカーサン”が2週間ぶ
りに戻ってきたが、肺炎だったという。老齢になると風邪は侮れない。片
肺の父は「忍耐の人」だったが、いささか早すぎる晩年には風邪をとても
怖れていた。

*廊下運動をしていたら、これから電気療法を受ける“令夫人”が声をかけ
てきた、「何の病気? お仕事は?」。ほとんど同じことを毎日聞いてく
るが、次の愚痴も毎日同じだ。

「死にたいわ・・・なんでそう思うようになったか考えてみたのだけど、
退職してから再就職できなかったことが原因だったのよ。今は全くやる気
が出ないし、家事もできなくなっちゃって、主人には済まないと思ってい
るのよ」

かなり健忘症というか認知症、痴呆、アルツハイマーが進んでいるようだ
が、“オカーサン”以外は皆精神病患者だ。健常者を「健康な体、健康な心
の人」と定義すれば、国民の多くは多少なりとも非健常者ではないか? 
何らかの葛藤、鬱屈、不満、悩みや、アレルギーを含めた肉体的不調を
持っていない方がむしろ“異常”ではないか。

*9:20、精神社会福祉士のOさんと明日の4者面談(Dr.、Oさん、カミサ
ン、小生)について話す。カミサンとの接点は身近な散歩とか、ハイキン
グあたりから始めるのが良さそうだ。社会との接点はシルバーボランティ
アあたりか。大学の公開講座や英会話スクールもいいが、チンドン屋の修
業はやってみたいものだ。

*10:00〜11:10、作業療法で木製オートバイ組み立て。エキサイティン
グ&チャレンジングでとても面白かった。“ドカベン”は恐竜にチャレンジ
し、大いに楽しんだようだ。小生は自由工房の本棚から初めて本を借りら
れた。

自由工房の窓から病院の駐車場が見えるが、一角に10基ほどのお墓があっ
た。先祖伝来だから村人は病院に土地を売る際に「移転はご先祖様に申し
訳ないから、このままにしてくれ」と条件を付けたに違いない。病院敷地
内のお墓・・・ちょっとシュールだ。

*毎週月曜は11時半から医療側と患者のミーティングがあるが、耳が遠く
て、ほとんど聞き取れないから不参加。佐吉は目を潰したが、小生は耳栓
をしたいくらいだから難聴はありがたい。

何を言われても知らんぷり、聞こえないふりをしたり、すっとぼけた
り・・・何を聞かれても「本当にいい天気だねえ」「あいにくの雨だね
え、明日は晴れるよ」と答えるのはどうか。面白そうだ。

*16:00〜16:10、毎週水曜日の小ミーティング「わかば」への誘い。心
理士のTさんが司会をするが、昇級のためのレポートでも作成するのかも
しれない。14日から始まるが、男は小生のみ。強烈なオシャベリ屋もメン
バーなので多分、ウンザリさせられるだろう。考えただけで吐き気がす
る。(つづく)2017/7/28



◆中国への核攻撃も辞さない

宮崎 正弘



<平成29年(2017)7月28日(金曜日)弐 通算第5372号>  

〜「大統領が命令すれば中国への核攻撃も辞さない」
   米太平洋艦隊司令官、豪国立大学安全保障セミナーで警告〜

7月27日、オーストラリア国立大学で開催された安全保障会議における質
問に答えるかたちで、スコット・スイフト太平洋艦隊司令官(提督)は、
「仮設の質問であることを前提に、もし大統領命令が下されれば、我々は
来週にも中国への核攻撃を行う」と回答した。

このセミナーは米豪合同軍事演習を終えた時点で行われた。

豪の北西部沿海、豪のEEZ海域内で行われた米豪軍事演習には中国のス
パイ船が多数、観測のために付近を航行していた。

米軍は空母ロナルドレーガンを筆頭に36の艦船が参加し、航空機は220
機、合計3万3000人が訓練を行った。大規模な演習である。

スコット・スイフト太平洋艦隊司令官は、席上、「米国の憲法に従い、軍
はシヴィリアン・コントロールの元にあり、大統領が命令すれば、その通
りにするのが軍のつとめである」と軍隊の規律を確認する。

また提督は「豪の経済排他水域に中国軍の艦船がはいっていることは国連
海洋法でみとめられており、ハワイ沖の軍事演習でも中国の観測船が這入
り込んできている。問題は米海軍が同じことを中国のEEZで行おうとす
れば中国が反対することである」と追加の発言をした。

米国では憲法の範囲内の発言であり、問題視されていないが、中国語メ
ディアは大騒ぎをしている。

◆日本こそ劉暁波氏の人権問題について

櫻井よしこ



「日本こそ劉暁波氏の人権問題について中国政府に厳しい意見を言うべき
とき」



7月13日、ノーベル平和賞受賞者で中国の民主化運動の精神的指導者、劉
暁波氏が死去した。中国を愛する故に最後まで中国にとどまって闘った劉
氏の死を、深く悼みたい。

中国当局が劉氏の末期がんを発表したのが6月26日、それからひと月もた
たない死亡だった。中国への厳しい批判が相ついだのは当然だ。劉氏がそ
こでの治療を望んだドイツは、ガブリエル外相が劉氏のがんはもっと早く
発見されるべきだったと批判し、英国もフランスも、劉氏の海外での治療
を許さなかった中国を、明確な言葉で非難した。

日本政府は菅義偉官房長官が14日午前の記者会見で「心から哀悼の意を表
し」「引き続き高い関心を持って、中国の人権状況を注視していく」と
語った。菅氏は「詳細は差し控えるが、さまざまなルートで日本政府の考
え方を中国に伝えていた」とも語ったが、これは日本政府が中国側に、劉
氏の海外移送や治療について、最大限の支援を申し入れたことを指すと思
われる。

萩生田光一官房副長官の説明だ。

「中国からはドイツより、日本の方がずっと近い。移送の際の劉氏への負
担は、日本が引き受ける方がずっと少ない。われわれが支援を申し入れた
のは当然ですが、中国政府は、何もしてもらうことはありませんという
素っ気ない回答でした」

弾圧に苦しむ人々のため、最大限の支援は当然である。日本政府が支援を
申し入れたことは評価したい。しかし、支援申し入れも劉氏の死を悼む言
葉も、なぜこうも控えめなのか。

また日本国全体の反応の何と鈍いことか。国会では野党は7月20日現在も
加計学園問題に拘り続けている。同問題は、前愛媛県知事の加戸守行氏が
7月10日に国会で行った証言で、事実上、終わっている。

しかし、「朝日新聞」「毎日新聞」、NHKなどが、ニュースで加戸氏発
言をほとんど伝えないために問題の本質は理解されていない。メディアは
加計問題の政治利用にかまけて中国の人権問題など二の次ではないか。

日本の国会と米国の議会の相違も際立つ。シンクタンク「国家基本問題研
究所」企画委員で福井県立大学教授の島田洋一氏の指摘だ。

「下院外交委員会のクリス・スミス議員(共和党)は自らが委員長を務め
る小委員会で在米の中国民主活動家らを招いた公聴会を14日に開催しまし
た。共和党のエド・ロイス外交委員長、民主党のナンシー・ペロシ院内総
務も出席して、劉暁波氏の死が超党派の重大関心事であることを印象付け
ました」

「さらに死去前日の12日には、テッド・クルーズ上院議員(共和党)が本
会議場で演説し、『北朝鮮の独裁者金正恩氏ですら、北朝鮮で拘束されて
いた米国人学生、オットー・ワームビア青年を最後に故郷へ帰した。習近
平氏も同程度の人権感覚は示せるはずだ』と演説し、劉暁波夫妻の即時出
国を求めました」

翻って日本では、野田聖子衆院議員を団長に、与党の女性国会議員団9人
が12日、即ち劉氏の危篤が報じられた日に中国の招きで訪中した。深刻な
人権問題として、劉氏の一件を取り上げずに済むタイミングではなかろう
に、野田氏らが取り上げた形跡はない。こんな意識の低さで政治家が務ま
るのか。

米国が国際社会でOdd man(のけ者)視され、求心力を失いつつあ
る一方で、中国が米国に取って代わる動きを見せている。

基本的人権や自由の尊重、民主主義の擁護の価値観と明確な戦略を掲げ
て、世界の秩序を維持してきた米国が後退するいま、日本への期待は価値
観の擁護者としての役割だ。

日本こそ他のどの国よりも劉暁波氏の件について中国政府に厳しい意見を
言うべきときなのである。

『週刊ダイヤモンド』 2017年7月29日号
        新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1192 


◆小畑実 (歌手)は北朝鮮出身

渡部 亮次郎



NHKが5月1日野ラヂオ深夜便で戦中・戦後の人気歌手だった小畑実を特集
したえいた。そこで以下、ー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
をのぞいてみた。
<小畑 実(おばた みのる、1923年4月30日 - 1979年4月24日)は、朝鮮
平壌出身の歌手である。本名は、康永普i강영철 / カン・ヨンチョル)
1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎(戦後北に帰国後、消
息不明)に憧れて日本に渡り、日本音楽学校に入学。苦学しながら声楽を
学び卒業後、作曲家江口夜詩の門下となる。

このころ、秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓と
秋田出身を称した理由とされる。なお、イクの息子小畑達夫はいわゆる共
産党リンチ事件で殺されている。

デビューは1941(昭和16)年2月、ポリドールレコードからで『成吉思
汗』であった。ただし、朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県としていた。

のちにビクターに移籍。1942(昭和17)年の『湯島の白梅』が出世作とな
る。翌年に『勘太郎月夜唄』をヒットさせ新進気鋭の歌手として注目を浴
びるが、本格的な活躍は終戦後であった。

テイチク・キング・コロムビア・古巣のビクターと所属会社を転々としな
がらも、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』・『薔薇を召しませ』・
『アメリカ通いの白い船』・『長崎のザボン売り』・『ロンドンの街角
で』・『高原の駅よさようなら』などのヒット曲を飛ばした。

特に『星影の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチック
な旋律と「アイ・ラブ・ユー」という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、
彼の歌唱の特徴が生かされた傑作である。

NHK紅白歌合戦に3回出場している。

1957(昭和32)年、第8回NHK紅白歌合戦出場を最後に一度引退。一時期実
業界に移り、歌謡界から遠ざかっていたが、1969(昭和44)年頃、折から
の懐メロブームもあって『勘太郎いつ帰る』で復帰。韓国にもしばしば渡
り、本名で活躍する。

1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせ気を吐いた。その
後、ステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にあたるなど精力的に活動
していた矢先、千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全の
ため55歳で亡くなる。



◆戦後最大の危機にある日本

寺本 孝一



先ず、終戦後70年間、日本は平和だったというのは真っ赤なウソです。

ロシアは、武装解除した日本兵76万人(ロシア国立軍事公文書館資料)を
ポツダム宣言に反して拉致し、アメリカの研究者ウイリアム・ニンモ氏に
よれば34万人が死亡した。

また、北方四島を占領し、ミサイル等軍備増強を進めている。朝鮮人は終
戦のドサクサに駅前一等地を占拠し、日本人2千人以上を殺した。韓国は
李承晩ラインを突然引き、日本漁船を328隻拿捕し漁師44人を殺害した。

現在、竹島を軍事侵略(フォークランド紛争を戦った当時のイギリス・
サッチャー首相であれば竹島はとっくに一時間で奪還しています)。北朝
鮮は日本人を877人(警察庁発表)を拉致した。

今、日本各地に核ミサイル攻撃すると宣言した。元公安外事警察官・北芝
健氏の証言によると、以前から秘密部隊一万人が日本に潜伏しています。
隣人等の不穏な動きを察知したら、直ちに警察に通報してください。国家
体制と日本人の命に関わることです。

そしてついに中国が本性を現し、日本に牙をむいています。中国のあらゆ
る国内問題が破滅的状況に陥いっており、14億人(実際は16億人)民衆の
不満を外に逸らすためにも戦争発動する可能性が大です。

東シナ海・日中中間線添いに掘削リグと称する軍事基地を16基建造しまし
た。原油ルートのシナ海を封鎖すると一言宣言するだけで、日本経済を崩
壊させることができます。

核心的利益・尖閣だけでなく、沖縄までも中国領などと言及し、すでに核
ミサイル80基の照準を四国を除く日本各都市に合わせています。中国国
防大学学長は尖閣と沖縄について、「歴史的背景も国際法も関係ない。力
で奪うだけだ」と学内で講演しています。事実上、日本は北朝鮮と中国の
両国から宣戦布告されています。Jアラートとは、まさしく空襲警報なり。

日本の過去70年間は近隣との国際紛争に翻弄されています。憲法九条も非
核三原則も全く意味がなかった。むしろ近隣の横暴を助長してきたことが
明確に証明されました。

日本で20年近く経済活動している中国人は、テレビ番組のなかで平和ボケ
の安全保障について「日本は幼稚なんだよ!」と吐き捨てます。「戦争反
対!」と唱えれば本当に平和が保てるなら、憲法に「地震台風反対」を追
加しましょう。

中国は、モンゴル、チベット、ウイグルを侵略し虐殺し植民地化していま
す。旧ソ連、インド、ベトナムとも大きな戦争をしてきました。現在すで
にブータンは国土の2割が軍事侵略されています。

日本の10倍以上の人口を抱え、戦争大好きな国家が中国なのです。戦力不
保持、交戦権不可の九条とは、政府は国民の生命を守れないということで
あり、国民の生存権を謳う憲法に対し、9条そのものが最悪の憲法違反で
す。「戦争になる筈がない」と言う人の根拠の無い幻想ほど危険なものは
ありません。国も個人も真価を問われるのは危機管理であります。左翼マ
スコミと日教組による自虐史観に洗脳されてはなりません。

インドは、必ず中国軍が侵攻してくるとして、国境に数万人の軍と100輌
の戦車を配備し、ミサイルの照準を世界最大の三峡ダムに合わせていま
す。決壊すれば上海まで3億人が罹災します。現に、中国軍はダムの周囲
を厳重に警戒し、模型飛行機はもちろん凧を揚げることも禁止していま
す。逆に言えば、貯水を中国自ら抜いた時が戦争前夜です。

中国が2010年に制定した国防動員法は、有事には在中日本企業の資産を没
収し、13万人の日本人を人質にします。また、外地の中国人もすべて中
国共産党の指令に従わなくてはなりません。

元自衛隊幹部は「常時百万人以上いる在日中国人による後方かく乱が最も
脅威だ」と告白します。また、元警視庁通訳捜査官・坂東忠信氏は、数千
人の工作員が潜入しており、留学生の全員が中国軍部と関係があり、技能
実習生を派遣する前に3か月間の銃器軍事教練を施していることを公表し
ています。要するに、日本に中国の民兵組織が存在するという現実。

和を以て貴しとなす、武士の情け、惻隠の情、阿吽の呼吸などという日本
の高貴な文化は、ロシア・北朝鮮・韓国・中国の「世界4大ならず者国
家」には一切通用しません。

彼らにとっては紙に書いた日本の憲法などどうでも良いことです。日本に
少しでも手出ししたら、政治的に経済的に軍事的に手痛い反撃を喰らうこ
とこそが戦争抑止です。それが厳然たる世界の常識です。日本に帰化した
石平氏は、「中国共産党は本気だ、直ちに核武装しなさい」と。中国メ
ディアは、「日本は短期間に世界第3位の核ミサイル武装国になれる」と
分析しています。有り難いことに、日本には技術も材料もすでに充分揃っ
ている。

「戦争をさせない1億人委員会」としては全国民一丸となって、習近平と
金正恩に対して、戦争を断念させなければなりません。ロシア革命を策謀
した明石元二郎陸軍中将の再来を熱望します。

また、国民の莫大な血税が投入されている各大学においては、直ちに広く
軍事研究に取り組んでください。(名古屋市在住)


◆飲んだら乗るな・乗るなら飲むなは酒だけでない

〜睡眠薬でもないのに、眠くなったり、意識が薄れるくすり〜

大阪厚生年金病院薬剤部 

「酒は百薬の長」とか「酒をのめばみんな友達」とか言って飲む「お酒」は人生を楽しく豊かな気分にしてくれます。

しかしいざ今宵も、と酒を酌み交わそうとした時、「飲んだら乗るな」「乗るなら飲むな」と標語が頭の中を駆け巡ると、車に乗ってきたときは,飲む訳にはいきませんね。

最近では法律が変わって「酒酔い運転は運転者だけでなく同乗者も」みんな捕まってしまいます。罰金は高いそうです。

法律には書いてありませんが、実は薬にも「飲んだら乗るな」「乗るなら飲むな」というくすりがあるのです。睡眠薬はもちろんですが、ある抗生物質にはまれですが、「飲んだ後、突然意識が消失して車で事故った・・」と言う報告もあって、くすりの説明書には「意識消失・・があらわれることがあるので自動車の運転に従事させないこと・・・」などの記載がしてあります。

また、風邪薬やアレルギーを抑えるくすりは殆どが「飲んだら乗るな」「乗るなら飲むな」の類の薬で、注意が必要です。

薬局で貰うくすりには必ず「くすりの説明書」が付いてきますので、飲んでいる薬は「大丈夫かな?」と一度は確認してみましょう。

説明書の中身は注意事項が多いし、文字も小さくて読みにくいかもしれません。そんなときは『分かりにくいし、字も小さくて読めないぞ。』と、薬剤師に説明を求めてください。

真面目で四角い薬剤師ですが、きっと頼りになります。