2017年07月23日

◆“南京虐殺事件”は

東郷 勇策




“南京虐殺事件”は支那とアメリカの合作捏造プロパガンダ

今月20日の早川昭三氏のご論考『「南京大虐殺」は無かった』に触発さ
れ、少し書かせていただきたい。私も映画『南京の真実』第一部を拝見し
ていて、早川氏の描写に当時の記憶が蘇ってきたし又、これを機会に「史
実を世界に発信する会」の委員の端くれとして事実の拡散に資したいと考
えるからである。

先ず、南京(大)虐殺事件件なるものは捏造プロパガンダ過ぎなかったこ
とが明らかになり、今や論争そのものはほぼ鎮火したと考えていたが、早
とちりであったのか。

自虐史観に立つ反日左翼を中心に肯定論が喧しかったが、私などは極めて
単純に「我らが父祖がそんな残虐非道な戦争犯罪を起こす筈がない。愛国
心があればこんな与太話を信じられるわけがない」と受け止めていた。愛
国心と言ったが、これは“連綿と続く我が日本国の歴史の中で培われ育ま
れた文化・伝統を知る日本民族の一員であれば”というニュアンスでご理
解願いたい。

この問題は、揚げ足取りの反論等を含む夥しい議論で賑わったが、東中野
修道・亜細亜大学教授(当時)が著作『南京事件――国民党極秘文書から読
み解く』(草思社、2006年)にて台湾の国民党史館で発見した【国民党宣
伝部国際宣伝処工作概要1938〜1941】の内容を発表したことで、真実が明
らかになった。

支那国民党が外国人ジャーナリストを篭絡し密接な関係を築いていたこと
が記載されていて、外人記者の記述や証言の信憑性が大きく損なわれた
他、次のことが決定的だった。

支那共産党は、日本軍の南京入城約1ヶ月前から約11ヶ月間に外国人記者
団を相手に300回の記者会見を開催していたが、記録では、その中で唯の
一度も日本軍による組織的虐殺に言及していなかったのである。捕虜の不
法殺害も言及されていない。

白髪3千丈の支那人の社会であるから、仮に少しでも疑惑の行為があれば
嘘を交えてでも大いに非難した筈であるが、それがなされなかったという
ことは、組織的な犯罪行為は殆ど起きなかった、ほぼ皆無であった、とい
うことであろう。

それはそうであろう。ゴロツキ紛いの兵隊が多い他国の軍隊と比べ、我が
皇軍は厳しい軍律で知られる存在であったことに加え、他国の首都を巡る
攻防戦という観点から、より厳正な管理・指導が行われていたのである。
当然の帰結である。

南京虐殺事件を巡っては前述の通り議論百出であるが、事件の否定派は如
何なるイチャモンをつけられても無視し、この支那国民党の記録の存在と
いう事実を突きつければ事足りるのではなかろうか。この結果、私がこの
論争は鎮火済みと思い込んだのも当然であろう。

次に、なぜ支那国民党とアメリカとの合作による捏造プロパガンダと言え
るのか。

米軍は、大東亜戦争の末期に制空権を握るや日本本土の空襲に踏み切り、
人口密集地である都市の空襲を活発化して無辜の市民を虐殺した他、遂に
は悪魔の原子爆弾の投下にも手を染め、多数の日本国民の生命を奪った。
彼らは国際法規違反の戦闘行為であることを承知しており、それに対する
非難の排除或いは減衰化を狙った。GHQによる報道管制である30項目のプ
レス・コードに加え、色々と工作を行ったが、その証拠が残っており、そ
の一つを紹介する。

第2次大戦中、主として欧州戦線を戦った米国のマーシャル元帥が1945年
9月1日に著したレポート、“Biennial Report of the United States Army
to the Secretary of war 1 July 1939 - 30 June 1945”の和訳本が二冊
(次のA.及びB.)、異なる訳者によって別々に発行された。A.「勝利の
記録」(1946年8月発行) B.「欧・亜作戦」(1946年11月発行)その
A.とB.には次の違いがある。

 1.GHQに関する言及
A:訳者の序文に 「GHQ民間情報教育局の絶大なる援助があった」 と
記載。

 B:GHQについての言及なし。

 2.「最後の勝利」の章における「日本が広島。長崎の原爆を蒙った」
と述べた後の文章
  
A:「日本は奉天、上海、真珠湾、バターンにおける悪逆に対し充分なる
償いを・・・」
 
B:「日本は南京、奉天、上海、真珠湾及びバターンにおける反逆に、充
分なる代償を・・・」

問題は、2.の記述の違いにあり、B.には原文にない「南京」が唐突に
付け加えられているのである。その背景を忖度すると、米国は1946年7月
頃、東京裁判の法廷に突如持ち出した「南京虐殺」をこの和訳本に反映さ
せようとしたものの、A.には間に合わず、B.への追記となったもので
あろう。そこでGHQとの関係の痕跡を消し去るべくB.ではGHQへの
言及は割愛したものであろう。

時系列からは上海の後に来るべき南京が、何の脈略もなく地名の最初に記
載されており、唐突性が強く感じられ、捏造を確信させるものである。

上記の内容は、2011年5月に目を通した『絵の具と戦争』(溝口郁夫著
(株)国書刊行会) の中で、著者の溝口氏が捏造の痕跡として指摘され
ていることである。当にその通りとメモを残したものが6年ぶりに陽の目
を見た。




◆置き去りにされた本質の議論

櫻井よしこ



「置き去りにされた本質の議論 摩訶不思議な「加計学園」問題 」

学校法人「加計学園」問題は摩訶不思議な問題である。とりわけ不思議な
のが前文部科学事務次官の前川喜平氏だ。氏が現役の文科次官だった時、
新宿歌舞伎町のいかがわしい店に頻繁に出入りしていたことはすでに報じ
られている。その店を取材した新聞社や雑誌社の記者に尋ねると一様に、
「買春が目的と思われても仕方のない店」だと語る。

たとえばこのような店に現職の校長や教師などが一度でも足を運び、料金
を払って女の子を店の外に連れ出していたなどとわかったら、恐らく
PTAも教育委員会も黙ってはいないだろう。校長・教師側は散々非難さ
れ、場合によっては辞職を迫られかねない。

だが、そのような行為を数十回も繰り返していた前川氏は、「貧困女子の
実態調査だ」と弁明した。メディアはこの弁明を受け入れ、氏は「親切な
小父さん」になった。民進党等は、前川氏に「証言」させ、安倍政権批判
としてきた。

そこで、加計学園問題に深くかかわってきた前愛媛県知事の加戸守行氏に
聞いてみた。氏は平成11(1999)年から3期12年間、愛媛県知事を務め、
獣医学部の新設に力を尽くした。

氏が語った。

「知事に就任してすぐに、私は、10年以上停滞していた今治市再開発事業
に手をつけました。市の構想のひとつが学園都市を作ることでした。けれ
ど私たちが欲しかったのは獣医学部だった。四国四県が獣医不足に悩んで
いるのは、今も変わりありません。獣医師の定年を延長したり、応募があ
れば、本来試験をして採用に至るものがフリーパスで採用される状況です」

「約50年間も獣医学部は新設されていません。しかも獣医学部の入学定員
は神奈川県以東が8割、岐阜県以西が二2。不公平が罷り通っているので
す。私の時には鳥インフルエンザが、平成22年には宮崎県で口蹄疫が発生
しました。その度に農家も役所もどれほど獣医不足が恨めしいと思ったこ
とか」

獣医師会が力を持って学部新設に反対したことを振りかえり、加戸氏は
「岩盤規制を打ち破るのに10年以上かかった」と語る。

「ところが、平成21年に民主党政権になって少し前進した。衆議院の玉木
雄一郎氏らが頑張った。自民党政権になったらまた停滞しかかったのを、
国家戦略特区諮問会議がこの問題に取り組み、竹中平蔵氏ら有識者の尽力
でようやく事態が動いたのです」

安倍晋三首相の個人的事情については、こう語る。

「首相のお友達云々は関係ありませんよ。それより酷いのは文部科学省で
す。どれだけ獣医師が不足しているか、そのデータを諮問会議が求めて
も、出さない。四国4県の関係者は、早期の獣医学部新設を望んで、4知事
連名で要望しましたが、そうした地元の声を無視したのが文科省です」

加戸氏は問題の本質が取り違えられていると強調する。深刻な獣医師不足
解消のための獣医学部新設であり、急ぐべきだという大事な点を、メディ
アは報じないと批判する。この問題を安倍首相批判の材料としてのみ見て
いるのが報道ではないかと言うのだ。

「私の所に取材にきて、正確に報道したのは産経と読売でした。朝日と毎
日は無視するか、または不正確な報道でした。テレビ報道は文字に残って
いないのでひとつひとつ正確に批判できないのが残念ですが、前川発言を
報じたTBSには唖然としました」

前川氏はTBSの番組で、加戸氏が安倍首相から頼まれて加計学園問題で
安倍首相に有利な発言をしている、見返りに加戸氏は教育再生実行会議の
メンバーにしてもらっているとの主旨を語ったという。

「前川氏は少しおかしくなったと私は思いましたね」と加戸氏。前川氏も
メディアも、常軌を逸していないか。
『週刊ダイヤモンド』 2017年7月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1190

◆インスリンに思う

渡部 亮次郎



日本の政界に糖尿病が登場するのは確かに1945年の敗戦後である。「オラ
が大将」の子息で山口県知事もした田中龍夫元文部大臣は公務の合間を
縫って日に何度も注射のため医者に通っていた。

田中角栄、大平正芳、伊東正義、園田直、田中六助皆糖尿病が元で死ん
だ。脳梗塞、心筋梗塞、腎不全、網膜症、癌を併発するのが 糖尿病患者
の末路だからである。

1921年7月30日にインスリンが発見され、人類に測り知れない恩恵をもた
らした。欧米ではすぐに患者自身が自己注射が始まった。だが日本では
「危険」を理由に医者の反対で厚生省が許可しなかった。患者の中には日
に3度も医者通いを余儀なくされる人がいた。

仮に自己注射が許可されていれば、医療器具業者は競って注射器の簡略化
や注射針の改良に取り組んだ筈である。だが厚生省(当時)の役人たちは
日本医師会に立ち向かおうとはしなかった。

わたしが秘書官となって厚生大臣として乗り込んだ園田直は1981年、敢然
として自己注射を許可した。その結果、注射器はペン型となり、針も世界
一細い0・2ミリになって殆ど無痛になった。

だがとき既に遅し。園田本人は自分の決断の恩恵に浴することなく腎不全
に陥り、僅か70歳で死んだ。1984年4月2日の朝だった。

糖尿病は多尿が特徴なので、長い間、腎臓が原因と考えられていた。糖尿
病最古の文献はB.C1500年のエジプトのパピルスに見られる記述だ。日本
で記録のある最も古い患者は藤原道長である。

「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と詠
んだ、平安時代中期の公卿である。康保3年(966年)―万寿4年12月4日
(1028年1月3日))62歳薨去した。

当時としては意外な長生きである。糖尿病を放置した場合、実際より10年
は短命になるとされているから、当時としては大変な長命というべきだろ
う。それにしても満月のような権勢も病には勝てなかった。

昔から糖尿病の尿は甘く糖分を含んでいる事は良く知られていたが膵臓が
どのような働きをしているか、どれほど重要な臓器か不明の時代が長く続
いた。

突如、1869年にLanngerhans島が発見された。それから20年たった1889
年、ドイツ人のMeringとMinkowskiは史上初めて、犬の膵臓を摘出したあ
と、高血糖と尿糖が出現することを発見し、やっと膵臓と糖尿病が切って
も切れない関係にあることを証明した。

その後ジョンズホプキンズ大学のOpie博士が、このランゲルハンス島は
内分泌器官であり、糖尿病が関係することを明らかにした。
膵臓のランゲルハンス島から出ているのがインスリン。それが少ないと
か、全く出ないのが糖尿病と判りだしたのだ。

そこからインスリン発見の物語は更に後である。

人類に測り知れない恩恵をもたらしたインスリンの発見物語の主人公は
Banting &Bestの2人のカナダ人である。苦しい実験を重ねてインスリン
を発見したのだがこの2人は当時全くの無名だった。

Frederick Bantingは1891年、カナダの農家に生まれ、1916年トロント大
学医学部を卒業し医者になった。

ある日彼は「膵臓結石で膵管が完全に閉ざされた症例」ー膵臓の腺細胞は
萎縮しているのにランゲルハンス島だけは健全であったーという論文を読
んだ。

それなら結石の代わりに手術で膵管を縛ってしまえばよいと彼は考えた。

膵管を縛るという考えは天才的な閃きだった。彼は自分のアイディアを実
行すべく、トロント大学の生理学者 Macleod教授を訪ねた。
このとき、助手として学生のC.H.Bestを推薦された。

早速実験が始められた。膵管結縛の手術は難しく、内分泌を抽出するのは
さらに難しい。

彼らは1921年7月30日に初めて抽出エキスを犬に静脈注射してみた。効果
は覿面だった。そこで彼らはこの物質をインスリンと命名した。

しかしこのBantingとBestの苦心の作も、まだまだ不純物が多く、実用に
は耐えなかった。その後安全に血糖を下げることが可能になったのは生化
学者 Collips博士が、粗雑な抽出物を人間の使用に耐えるように精製した
結果だった。

1923年のノーベル生理、医学賞はBantingと教授Macleodに決定した。

2005年の国際糖尿病連合の発表によると、アメリカ人のなんと20%が糖尿
病の疑いありで、60歳以上の老人に限れば20%強が糖尿病に罹患している。

アメリカに住む白人種に限っても糖尿病患者は確実に8%を越え増加の一
途を辿っている。

21世紀が進行し始めるとヨーロッパとアメリカという、今までは罹患率が
極めて少ないと言われていたコーカソイド人種全体に糖尿病が一気に蔓延
しはじめた。

これはアメリカの高脂肪、高蔗糖、高エネルギー食がグローバル化し、
ヨーロッパもその例外でない事を示している。

19世紀末までコーカソイドである白人種たちは国によって糖尿病発症率が
低かった。しかしこれから20年以内にはヨーロッパもアメリカも糖尿病激
増で悲鳴をあげるだろうといわれている。

1000年はおろか数百年前にDNA の中に眠っていた遺伝子が社会環境の激変
で目覚めたのである。さらに遺伝子とは関係なく運動不足も大いに影響し
ている。

2004年、アメリカでゲノム研究者が2型糖尿病(中年に発症)の遺伝子を
発見したことが報じられた。これは飢餓遺伝子とは関係ないと考えられて
いる。

日本人の場合、江戸も中期以降になると、庶民の間でも1日3食の食習慣
が成立したが、明治維新までウシも豚も常食として食べる習慣が全くな
かった。つまり高血糖の原因となる高カロリー、高タンパク、高脂肪食と
は無縁な栄養学的にはかなり貧困な食生活が300年以上続いたのである。

一方、1850年ごろからヨ−ローパ人は大量生産方式の牧畜蚕業勃興と発展
により肉食が一般市民階級に広く普及した。日本人が反射的に頭に思い描
くヨーロッパ風の肉中心の食事スタイルの成立だ。

それでも当時ですら日本人に比べるとヨーロッパ人の体格は立派であった
のだから、その後の食生活の100年が生み出した肉体的格差は想像以上の
結果を生んだのだ。

日本では第2次大戦後、それも戦後20年たって、やっと高エネルギーと高
脂肪食をとりいれた結果、糖尿病が急上昇で増加した。わずか30年から40
年の食生活の変化だ。

日本人の中に眠っていた飢餓遺伝子が飽和脂肪の刺激を受けて目覚めた結
果である。世界中の人類に共通の現象で別段、驚くべきことではない。経
済の高度成長と糖尿病患者の趨勢は同一だ。

だから中国では物凄い勢いで糖尿病患者が増えている。精々鶏を食べてい
たものが、1切れでその何倍ものカロリーのある牛肉を食えば、報いは当
然、肥満と糖尿病など生活習慣病である。毛沢東語録にはない。

出典:さいたま市大島内科クリニック「インスリン発見物語」
http://members.jcom.home.ne.jp/3220398001/discovary/index.html  
 文中敬称略 2007・10・03名所旧跡だより 太宰府天満宮(福岡県)
石田 岳彦



お正月といえば初詣です。私の生まれた福岡市とその周辺には筥崎宮、香
椎宮、宗像大社、住吉神社等、全国的に見て(知名度は兎も角)格式の高
い神社が揃っていますが、初詣客の数では、例年、太宰府天満宮が最多と
なっています

言うまでもなく、太宰府天満宮は学問の神様、受験の神様として全国的に
有名で、私も高校受験、大学受験とお世話になりました(重ねて私事で大
変恐縮ですが、実は私の結婚式もこの神社です。)。

平安時代前期の学者、政治家である菅原道真公は、藤原時平との政争に破
れて大宰府(ちなみにお役所として「だざいふ」という場合には「太宰
府」ではなく「大宰府」と書くそうです。あと、本来「大宰府」とは複数
の国を管轄する役所を指す普通名詞で、大宝律令以前には吉備国等にも大
宰府があったとか。)に左遷(実質的には流罪)され、その地でさびしく
世を去りました。

道真の学問上の弟子であり、道真のお供として都から大宰府に来て道真の
世話をしていた味酒安行(うまさけ・やすゆき)は、道真の遺骸を牛車に
乗せて、近くの安楽寺に運びましたが、寺の門前で牛が動かなくなったた
め、その地に道真を葬り、廟を建てたのが太宰府天満宮の起こりといわれ
ています(明治以前は「安楽寺天満宮」と呼ばれていたそうです。)。

その後、時平が急死し、道真の怨霊の仕業とされる天変地異が立て続けに
生じたこともあり、時平の口車に乗って道真を左遷した醍醐天皇は恐怖に
かられ、道真の霊に詫びを入れるべく、大臣を大宰府に派遣して本格的に
社殿を造営しました(その甲斐もなく、結局、崇り殺されました。)。
 
ところで、天神様の総本社といえば、太宰府天満宮と並んで大阪の北野天
満宮も有名ですが、こちらは平安京のとある巫女さんが神懸りになって、
北野の地に道真を祀る神社を建てるよう託宣したのを契機として建立され
ています。

従って、太宰府天満宮と北野天満宮はどちらかが元で、どちらかが末とい
うものではなく、祭神は同一ですが、それぞれ別個に成立した神社です。

もっとも、建てられたのは太宰府天満宮の方が早いです。

太宰府天満宮に参拝するのであれば、福岡市の中心である天神から西鉄大
牟田線に乗り、二日市駅で太宰府線に乗り換えるのが便利でしょう。終点
の太宰府駅の改札をくぐると、多くの参拝客で賑わう太宰府天満宮の門前
町です。

参道沿いには、各種の土産店が並んでいますが、名物の「梅が枝餅(うめ
がえもち)」を店頭で焼いている店が目立ちます。

梅が枝餅は、餡子を薄い餅の生地で包み、梅の花の刻印の入った焼き型で
焼いた焼餅で、焼き立てのものは、表面がパリッとしていて、中はヤワヤ
ワでモチモチしていて美味です。個人的には、福岡に帰省した際に博多
ラーメンと並んで食べたい懐かしい味ですね。

梅が枝餅の名の由来については、左遷された道真の境遇に同情した老婆
が、餅を差し入れて慰めるようになり、道真の死後、その墓前に梅の枝に
刺した餅を供えたという美しくも悲しい伝説が残されています。

鳥居をくぐり、先に進むと心字池という大きな池があり、美しいアーチを
描く太鼓橋がかかっていますが、聞くところによると、カップルで太宰府
天満宮に参拝に来た際、女性が先にこの橋を渡ると、間も無くそのカップ
ルは破局を迎えるというローカルな都市伝説があるとか。

左右に回廊をめぐらした楼門をくぐると本殿(重要文化財)が見えてきます。

この本殿は、豊臣政権の下で筑前、筑後等を治めていた小早川隆景(毛利
元就の三男。毛利家内で親豊臣政策を主導したこともあって秀吉から優遇
されました。)により建てられました。なお、居城は現在の福岡市東区に
あった名島城です。ちなみに天下分け目の関ヶ原の戦で、勝敗を決する裏
切りを行った小早川秀秋(隆景の養子)は、当時、名島城主でした。

唐破風付きの桧皮葺屋根の両流造(通常の流造は前側の屋根を延ばして庇
にしたものですが、両流造では後側にも庇が付きます)で、各種の彫刻で
飾られ、安土桃山時代らしく華やかな雰囲気です。


太宰府に流される道真が都を離れる際、自邸の庭の梅の木に「東風(こ
ち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ(一説には
「春を忘るな」)」と詠んだのは有名ですが、この梅の木が都から道真を
慕って飛んできたというのが、これまた有名な飛び梅伝説です。味酒安行
といい、梅が枝餅の老婆といい、道真の人徳を偲ばせる伝説ですね。

お参りの後、参道を引き返し、心字池の手前で左側に逸れると、細長い巨
大な建物が境内から丘の上へと伸びているのが見えてきます。九州国立博
物館に続くエスカレーターとトンネル(動く歩道)です。

九州国立博物館は太宰府天満宮のすぐ近くというより、境内の中にあります。

九州に国立博物館(当初の計画では「鎮西博物館」と仮称されていたよう
ですが)を作る計画は岡倉天心が提唱したものですが、19世紀末の太宰
府天満宮の宮司さんが計画を具体化するべく募金活動を開始し、その後、
境内の一部を天満宮が建設予定地として寄付した結果が、九州国立博物館
の現在の立地というわけです。

もっとも、建設資金の募金の開始が1893年、博物館の開館が2005年で
すから、文字通り100年がかりの大事業ですね。

博物館には、宮地嶽古墳(福岡県福津市)から発掘された馬具類、平原遺
跡(福岡県前原市)から発見された国内最大の銅鏡等、九州にゆかりの国
宝等が展示されています。終 (再掲)

◆「なんでも民間」に疑問

眞邊 峰松(行政評論家)



私の年来のマスコミに対する不信感・大衆迎合体質への嫌悪感が一層増大してきた。 果たして、国家百年の将来を考えるべき時期に、本筋の議論と離れ、質的には枝葉末節の問題に国民を巻き込んで彼らの主張が、“社会の木鐸”、“オピニオンリーダー”の役割というのは、どこに存在するのだろうか。


私も、必ずしもマスコミ人の全てが、課題を単にワイドショー的に取り上げてばかりいるとまでは言わないが、もう少し冷静・客観的に問題を整理し報道するべきだと考える。


ところで、「行為する者にとって、行為せざる者は最も苛酷な批判者である」とは、ある書物の言葉。 同書でこんな話が続く。


「ナポレオンの脱出記を扱った当時の新聞記事である。幽閉されていたナポレオンがエルバ島を脱出した。兵を集めて、パリへ進撃する。


パリの新聞がこれを報道する。その記事の中で、ナポレオンに対する形容詞が、時々刻々に変化していく。 最初は“皇位簒奪者”。 次いで“反乱軍”〜“叛将”〜“ナポレオン”、 やがて“祖国の英雄”。 そして、ナポレオンがパリに入城した時には、一斉に“皇帝万歳”の記事で埋められた。オポチュ二ズムとセンセーショナリズムのマスコミの実態が浮き彫りにされている」。 まさに、その通りだという感がする。


少々議論が飛躍するが、私は基本的に今の“何でも民間”の風潮に反対だ。私自身の体験から言っても、国の役人の省益あって国益なし、自分たちの徹底的な権益擁護には、実は本当に癖々した。 まさに国を誤る輩だ、何とかならんのか、という気分にもなった。


しかし、国家公務員というに相応しい立派な人士をも身近に知る私としては、少々誤弊のある言い方かも知れないが、敢えて言えば、こと“志”という点においては、真に心ある役人に比し得る民間人は、そう多くなかろうとも思う。
 
これも個人資質・能力というよりは、やはり、退職までの30年を超える永年の職務経験、職責の持つ私自身に染み込んだ体質的なもの、職業の匂いのようなものかも知れない。
  
私には、特にかっての余裕ある民間経営の時代ならともかく、現下の利潤一点張り、効率一点張りの時代に、現役の企業人で、常日頃から“公益とはなんぞや”の視点から物事を考察したことがある人物が、そう数多いとはとても思えない。

とりわけ、最近の風潮となっている企業利益の増加のみに邁進し、その過程で中高年の自殺者の激増など、社会不安を増幅してきたリストラを闇雲に推進してきた企業経営者を見るにつけ、その観を否めない。 

このような中で、果たして、現在のマスコミの論調のように“何でも民間人登用”“何でも民間感覚”ということが果たして正しいのだろうか。                           (了)

2017年07月22日

◆指導者の格言

Andy Chang



指導者(リーダー)の業績は歴史が決めることだが、リーダーが歴史
に名を残すのは業績だけでなくリーダーの格言、政治哲学と信念で
ある。

台湾の新総統・蔡英文は就任式で言った:

「偉大な国家はリーダーではなく国民全体が共同した努力で作る。
一国の総統は支持者だけでなく、国全体を団結させるべきである。
(A great nation is not made by a leader but the united effort of
the entire citizens.)」

ケネディ大統領は就任式で言った:

「国が何をしてくれるかを問うな。君が国に何ができるかと問え。
「Ask not what your country can do for you ? ask what you can do
foryour country)」

ケネディと蔡英文の格言はまるでコインの表と裏である。蔡英文が
将来においてどれほどの業績を残すかは別として、彼女はこの格言
だけで歴史に名前を残すだろう。

●自大狂トランプ

これをトランプの発言と比べるとリーダーの資格が歴然とする。

トランプのは自分が偉大な指導者であると妄想している:「オレがアメリ
カを再び偉大にする。(I will make America great again. Believe
me)」

「オレが国境に素晴らしい塀を作る、そしてメキシコに払わせる。
(I will make a beautiful wall, and make Mexico pay. Believe me.)」

いつも彼自身が偉大なリーダーであると宣伝し、いつもオレを信じろと付
け加える。

トランプには多くの支持者が居る。支持者はトランプを信じるのではな
く、「トランプがとんでもないことをやらかすかもしれない」と言う期待
から支持するのである。なぜかと言うと投票には大きな欠点があるからだ。

カナダの社会学者ムンロー(1875-1957)の格言は以下の通り:
「人民は不満(怒り)に投票する。普通の人は何かに投票するのでは
なく何かに反対だから投票するのである。(People vote their
resentment, not their appreciation. The average man does not v
ote for anything, but against something.----William Bennet Munro)」

●民主主義の優点と欠点

民主主義とは自由と平等である。選挙(票の平等)で国の形を決め
ることが出来るのは民主主義の優点だ。だが民主主義には欠点もあ
る。人民は平等の権利を持つが平等の知識と道徳を持つのではない。
ムンローが喝破したように選挙とは人民が不満に投票する傾向が強
く、満足な現状に投票するのではない。

不満な現状の改善に期待する、改善を期待できるのは優点だが、誰
かの提案が最良の解決とは限らない。不満だから投票して更に不満
を募らせることもある。オバマは選挙で改革(Change)と呼びかけ
て当選した。だがオバマ政権はもっと大きな不満と怒りを招いた。

独裁的な政権を倒して民主政権と作ることが出来た台湾は民主主義
の良い例である。蒋介石が逃亡してきた中華民国政権は中国人が台
湾人を奴隷扱いしてきた政権だった。今年一月の投票で台湾人が国
民党政権を倒すことが出来たのは良かった。

アメリカには国民の不満が溜まっている。オバマの憲法違反の大統
領命令と黒人優先に対する不満、オバマケアに対する不満、国境の
安全を維持できない不満、黒人の暴動を制御できない警察に対する
不満、オバマを制御できない国会に対する不満……。

トランプは国民の不満を増幅させたから聴衆の同感を得た。だがト
ランプの解決策は人身攻撃と無茶な放言で政策ではない。つまりト
ランプはリーダーではなく民衆の不満の代表なのだ。

それでも「トランプが何とかするなら、やらせてみよう」と思う者
がいる。トランプが当選すれば外交内政ともに行き詰まり国が破綻
する。それに気が付かない支持者は愚民である。つまり民主主義は
ともすれば愚民政治、暴民政治になってしまう。

●アメリカの破滅

今年の選挙はアメリカの未曾有の危機をはらんででいる。ヒラリー
は国務長官でありながら個人の秘密を優先して国家機密の漏洩と言
う厳重な違法行為を犯した。リーダーにふさわしくない罪を犯した
のである。トランプは暴言で愚民の支持を得たが全体国民の支持を
得ることは出来ない。良識のある国民はトランプ反対だが愚民はト
ランプを支持する。

アメリカは今も2大政党政治だが、2大政党を代表するこの2人と
も大統領になる資格はない。ヒラリーを支持する者は犯罪者を支持
する愚民である。トランプを支持する者は暴言を支持する暴民であ
る。それなのにヒラリーとトランプの外に大統領選挙に立候補する
者がいない。現状はまさにアメリカの危機、民主主義の危機である。

オバマは2大政党を2極化させた。トランプは愚民政治で暴政を推
進した。ヒラリーは国家首脳の違法行為を曖昧にした。この3人が
アメリカをダメにした。

立派なリーダーと良識のある国民が偉大な国を作る。これがアンディの格
言である。

◆アメリカを見縊る北朝鮮 気になる中国

加瀬 英明



気になるロシアの動向

5月21日に、金正恩委員長の北朝鮮がアメリカを嘲笑うように、2発の中
距離弾道ミサイルを続けて試射した。

ピョンヤンでは数万人以上の市民が、目抜き通りを埋めて動員されて、ミ
サイル試射の成功を手に手に小旗を振って、万歳を叫んで祝った。

5月9日に、韓国で大統領選挙が行われて、北朝鮮に対する融和政策を公
約として掲げた文在寅候補が、当選した直後の5月14日にグアム島、アラ
スカまで射程に収める長距離ミサイル1発を撃ちあげてから、僅か2週間
以内に3発試射したことになる。

5月14日は、中国にとって今年の最大の国際行事だった「一帯一路会議」
が、北京で開幕した日だったから、習近平国家主席の顔に、泥を塗ったこ
とになった。

トランプ政権は1月に発足してから、もし北朝鮮が6回目の核実験を強行
するか、アメリカ本土まで届く大陸間弾道弾(ICBM)の試射を行う場
合には、北朝鮮に軍事攻撃を加えるといって、威嚇してきた。

朝鮮戦争が1953年に終わってから、北朝鮮は金日成主席、金正日第一書記
のもとで、米軍を攻撃するか、韓国に対してテロ事件をしばしば行ってき
たが、一度として米韓から軍事攻撃を加えられることがなかった。

大きな事件をあげれば、1968年に米情報収集艦プエブロ号を公海上で攻撃
して、拿捕した。この時に、プエブロ号の乗組員1名が被弾して死んだ。
その3年後に、公海上を飛行する米電子偵察機を撃墜した。

そのつど、第2次朝鮮戦争が起るのではないか心配されたが、アメリカが
自制した。

プエブロ号事件直前に、北朝鮮の特殊部隊が越境し、ソウルの大統領官邸
の青瓦台襲撃未遂事件が発生し、83年にラングーン事件、87年に大韓航
空機爆破事件が起こった。韓国も北朝鮮に攻撃を加えることがなかった。

そこで、金正恩委員長はアメリカを見縊(みくび)っているのではないか。

クリントン政権が、北朝鮮が94年に黒鉛型原子炉からプルトニュウムを
抽出すると、北朝鮮が核開発を凍結するかわりに、軽水炉を提供すること
で合意して、食糧援助を行った。その4年後に、北朝鮮がはじめて弾道ミ
サイルを実験したが、ミサイル試射を停止するのと引き替えに、再び食糧
援助を実施した。

2006年に、北朝鮮ははじめて核実験を行った。ブッシュ(息子)政権はイ
ラク戦争に忙殺されていたこともあって、北朝鮮が6ヶ国協議に戻ること
と交換して、金融制裁を解除するとともに、食糧援助を提供した。

北朝鮮が5月21日に弾道ミサイルを連射すると、中国、ロシアも加わっ
て、国連安保理事会が北朝鮮を非難する決議を行った。

だが、中国はアメリカの顔色を窺っているものの、北朝鮮に対して厳しい
経済制裁を加えるのを躊躇しているし、ロシアは北朝鮮に新たに石油を供
給するなど援けている。

中国にとって、アメリカが北朝鮮の核・ミサイル開発を放棄させるため
に、中国を頼りにしていることから、北朝鮮がアメリカを挑発するほど、
中国の値打ちがあがることになる。もっとも、その塩加減が難しい。

ロシアはアメリカが北朝鮮を威嚇することに反対して、対話によって平和
的に解決することを主張している。ロシアはイラン、シリアなどの反米諸
国を支援しているが、北朝鮮はそのなかの駒の一国として役に立つのだ。

◆世界の指導者になれない残酷な中国

櫻井よしこ



これまで多くの首脳会議の集合写真を見てきたが、アメリカの大統領が端
に立っている場面は思い出せない。その意味でドイツ・ハンブルクで7月7
日から開かれた主要20か国・地域首脳会議(G20サミット)の集合写真は
印象的である。

前列ほぼ中央にアンゲラ・メルケル独首相が立ち、その左に中国の習近平
主席、さらに左にロシアのウラジーミル・プーチン大統領が立った。ドナ
ルド・トランプ米大統領は前列の端から2人目、中央から離れて立った。
自由主義陣営の旗手が片隅に立つ姿は現在の世界の実情を投影しているよ
うに私には思えた。

G20で改めて明らかになったのが、大国主義で傍若無人の中国の強気と、
中国に目立った抗議をしない各国の対応である。トランプ大統領はドイツ
入りする直前、ポーランドを訪れ、「ポーランド国民の自由、独立、権利
と国家の運命」について語り、固い絆で支援すると演説した。

G20を、自由主義陣営とそうでない中国・ロシア陣営との価値観のぶつか
り合いの場ととらえての演説だったのか。だがその言は果たしてどの程度
まで行動に反映されているのか。ノーベル平和賞受賞者で、服役中に肝臓
ガンにかかり、今や重体に陥った劉暁波氏の案件を、このG20でアメリカ
も欧州も取り上げてはいない。

中国が劉氏の病状を発表した6月26日、氏はすでに末期だった。たとえ助
からなくても、外国で治療を受けたいと氏は願ったが、中国政府が出国を
許さない。7月8日までに米独の専門家が劉氏を診察し、氏の容態の「急速
な悪化」が報じられた。化学療法も停止されたという。

欧米諸国、とりわけアメリカは人権問題に強い関心を持ち、中国にも厳し
く対処してきた歴史がある。それが世界の尊敬と信頼を集める理由でも
あった。

しかし、トランプ政権からは、人権問題に真剣に取り組む姿勢は見えな
い。欧州を牽引するドイツもまた、人権問題よりも中国との経済協力に、
強い関心を示している。ドイツが主催した今回のG20でも人権問題は殆ど
表面化せず、習主席はさぞ満足したことだろう。

知識人を拷問・殺害

中国歴代の政権が、最も恐れている民主化運動のリーダーが劉氏である。
「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が語る。

「劉氏は自由のために戦い続けてきました。いまや、民主化勢力にとって
神のような精神的リーダーです。もう1人、習氏が恐れる政敵が薄熙来氏
です。彼は民衆のために戦った政治家として、いまも根強い支持がありま
す。両氏が中国の左派と右派、両陣営の精神的求心力になっているので
す。その2人が揃って肝臓ガンになった。尋常ならざる事情が裏にあると
思います」

ちなみに薄氏は酒、煙草は一切のまない。趣味はマラソンという健康人で
ある。酒も煙草も大いに好み、趣味はマッサージという習主席とは対照的
だ。にも拘らず、薄氏が肝臓ガンにかかったことに、中国の残忍さを知悉
する矢板氏は疑問を抱く。

劉氏に関して中国当局は病状を知っていながら必要な治療を施さなかった
のであろう。治療しても到底、助からないことを見越しての公表だったの
であろう。

死亡後に釈放するより、末期の氏を手厚く治療する様子を発信すれば、習
体制の悪魔のような人権弾圧や拷問の印象が薄れると踏んだ可能性もあ
る。中国での人権弾圧の事例を矢板氏が説明した。

「2015年7月10日、『暗黒の金曜日』に人権派弁護士約200人が拘束されま
した。その中に李和平氏がいます。非常に優秀な勇気ある男で、彼は当局
が強要して認めさせようとした罪を一切認めなかった。

服役中に拷問され、血圧を急上昇させるような食事や薬剤を投与されて、
殆ど目が見えなくなった。逮捕から約2年間収監され、今年5月に釈放され
たときは、健康で頭脳明晰だったかつての姿ではなく、髪は真っ白、呆け
て別人になり果てていたのです」

中国で行われる拷問のひとつに、袋をかぶせて呼吸困難にする手法がある。

「頭部をビニール袋でスッポリ覆って暫く放置すると酸素が欠乏して脳に
影響が出ます。死ぬ直前で袋を開けて息をさせる。また、袋をかぶせる。
これを繰り返すと、完全に廃人になります」と矢板氏。

カンボジアのポル・ポト政権が、毛沢東に倣って同じ方法で知識人を拷
問・殺害していたことが知られている。習政権はいまもそのようなことを
行っているわけだ。だが、習主席がこの件についてG20で注文をつけられ
たり論難されたりすることはなかった。自由を謳い上げたトランプ大統領
はどうしたのか。

無実の日本人を拘束

欧米諸国が中国に物を言わないのであれば、日本が自由や人権などの普遍
的価値観を掲げて発言すべきだ。今からでもよい、劉氏の治療を日本が引
き受けると表明すべきである。

日本は中国と距離的に近い。欧州に移送するより日本に移送する方が、劉
氏にとってずっと負担が少ない。理由はもうひとつある。日本人12人が現
在中国に「スパイ」として拘束されているではないか。12人中6人は、千
葉県船橋市の地質調査会社「日本地下探査」の技術者4人と、彼らが中国
で雇った日本人2人である。

社長の佐々木吾郎氏が、4人は「まじめで一生懸命な社員ばかり」だと
語っている。全員、中国語は全くわからない。そんな人たちが郊外で温泉
を掘ろうと地質調査をしていて、どんなスパイ活動ができるのか。完全な
冤罪であろう。即ち、これは中国が日本に仕掛けた外交戦だと、断定して
よいだろう。

無実の日本人をいきなり拘束してスパイ扱いし、対日交渉の材料にする中
国のやり口を、私たちは2010年に拘束されたフジタの社員4人の事件から
学んだ。あのときは中国漁船が尖閣諸島海域で海上保安庁の巡視船に体当
たりして、日中関係が非常に厳しくなっていた。中国はレアアースの対日
輸出を一時止めて世界貿易機関(WTO)のルールも踏みにじった。だ
が、結局日本は譲歩した。

今回、中国が勝ち取りたいのは日本の経済協力であろうし、南シナ海問題
に警戒感を強め、台湾の蔡英文政権について発言、接近する動きを見せる
安倍首相への牽制があるだろう。来年は習主席が訪日する。その前に安倍
首相が訪中する。中国にとって好ましい形で対日外交を乗り切り、大国と
しての地位を確立するために日本を従わせようとしているのではないか。

日本がAIIB(アジアインフラ投資銀行)に前向きな姿勢をとること
も、米国に頼り切れない現状では、戦術上、必要であろう。しかし局面は
いま、日本が人道の国として、普遍的価値観重視の姿勢を、国際社会に鮮
明に打ち出すときだ。そのために6人のみならず、12人の釈放を要求し、
劉氏受け入れも表明するのがよい。
『週刊新潮』 2017年7月20日号 日本ルネッサンス 第762回
    
         
     

◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎



1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京
湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい
た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。
屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に
よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、
このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり
とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ
て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と
いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を
した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大
造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で
初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組
員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極
めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦
「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始
まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高
木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事
は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た
だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、
野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間
に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか
り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。
以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜
を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ
とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気
はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ
け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ
れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い
「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有
効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に
ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん
ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、
飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが
足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。
その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ
ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ
た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート
した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明
治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って
いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ
ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ
けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー
ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米
ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し
た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し
た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ
うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と
した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン
B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい
うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣
の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本
人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ
たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の
学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に
玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで
あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄
米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食
べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ
ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森
一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です
が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な
がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ
て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験
ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた
め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒
でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾
病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問
題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい
た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確
たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と
の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確
立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない
か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら
い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では
ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、
「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革
案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚
気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸
軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定
する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても
「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で
しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近
代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール
が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気
に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に
対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で
発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統
計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概
に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で
その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対
する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で
は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい
た。>2006.05.07(再掲)

◆俳談

(杉浦 正章 (政治評論家) 7月22日) 
  


【さりげない時事句】

◆冷房を贅沢として老いるかな      読売俳壇1席
 早くも冷房の季節が巡ってきた。最近は毎日冷房だ。年をとると暑さ寒さが体にこたえるので、冷暖房はきちんと入れている。これは去年節約論議が激しいので、作ってみたものだが、時期的に新聞の選者の感性と一致した。選者はさりげない時事句ととらえてくれたのだろう。

◆丈夫なり妻と昭和の扇風機       毎日年間俳壇賞
 これもさりげなく節電に触れている。時事句はニュース性を持たせてはならない。持たせた途端に軽くなる。

◆基礎疾患に注目しよう

石岡 荘十


「基礎疾患」は医学用語で「病気の大元の原因となる疾患」と定義される。

例えば、よく言われるのが心筋梗塞や脳梗塞の基礎疾患として挙げられる「死の四重奏」。

内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)、高血圧、高脂血症、糖尿病の4つが揃っていることを言い、死亡率は、そうでない人に比べて30倍以上も高くなるという調査結果がある。これにさらに喫煙習慣を加えた五つ揃い文で「死の五重奏」という。

リンゴ型肥満というのは中高年男性の典型的な体型で、写真などで見る金正日氏がその典型的な体型である。女性の場合は、体脂肪が引力に逆らえず臀部に下がってくるので「(西洋)ナシ型肥満」ということになる。


内臓脂肪型肥満の人は動脈硬化になりすく、心臓病や脳卒中へと進んでいくリスクが高まるからだ。

メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部氏が治療の経緯を述べておられる。一応、犯人は脳血栓の予防薬プレタールの副作用ということになったようだ。渡部氏は数十年前に禁煙を実行しておられるし、お見掛けしたところ、内臓脂肪もそれほど大量に溜め込んでいる様子はない。しかし糖尿がある。

高血圧、高脂血については伺ったことはないが、もし該当するような疾患の症状があるとすれば、末永く健筆を振るわれるためにも基礎疾患を撃退するよう心がけて頂きたい。

一口に「撃退」といっても、そのほとんどが、長年のいわゆる生活習慣病の結果なのでそう簡単にはいかない。例えば禁煙。簡単に決別できる人もいるが、懲りるような事態、例えば片肺切除に追い込まれてやっと、止めることが出来たという友人もいる。

心臓手術は不整脈の基礎疾患だ。

筆者は、13年前、心臓の大動脈弁が機能しなくなり人工の機械弁に置換する手術を受けた。10歳の頃から大動脈弁がうまく閉じない障害がありながら、手術までの50余年間放置しておいた結果、心臓の筋肉が正常な人の2倍近い厚さ(1.7ミリ)に肥厚し、弾力性を失いかかっていた。

手術後、不整脈の一つである心房細動に悩まされたのは、心臓手術によって傷つけられ弾力性を失った心筋が基礎疾患となって、時々、心臓の細胞があちこちで異常な動きを見せるためだと診断された。そこで、術後8年目(‘07年)、心房細動の根治治療に踏み切った。

カテーテル(ビニールの細い管)を腿の付け根から差し入れて、心臓まで押し進め、異常行動を起こす細胞を捜索・特定し、高周波で焼き切る。

カテーテル・アブレーション(電気焼妁)といわれる最先端の不整脈治療法だ。その上、術後、何種類かの薬の服用を強いられ、辛うじて心房細動の再発を阻止している。

心臓手術を経験すると、心房細動を起こしやすくなる。橋本龍太郎元首相は、心臓の弁(僧帽弁)がうまく閉じなくなり、私と同じように人工の機械弁に取り替える手術を受けた。

その3年後(‘06)、同じように心房細動を起こし、心臓で出来た血栓(血の塊)が飛んで腸に栄養を送る動脈を詰まらせ、どんな鎮痛剤も効かない激痛を訴えながら死亡した、といわれる。

死因は「腸管虚血を原因とする敗血症ショックによる多臓器不全」だが、この場合の基礎疾患は心臓手術→心房細動である。しかし、いまさら手術経験をなかったことには出来ない。

そこで、薬で心房細動を抑え込むことになるのだが、「すべての薬は毒」である。大学の薬学部で教鞭をとっている友人は、学生にまずこのことを教えるという。

だから種類と量の処方にはくれぐれも慎重でなくてはならないのだが、日本では2万種類の薬が使われている。この中からピタリ鍵穴に合う一本の鍵のような薬を処方するのは、至難の技である。

マスターキーはない。そう考えると、副作用が出ないほうがおかしいともいうことが出来る。私もプレタールを服用しているが、渡部氏のような副作用は今のところない。鍵穴の型が異なるということだろう。

アメリカには「5種類以上の薬を処方する医者にはかかるな」というのが常識だそうだが、日本では65歳以上の高齢者は平均して6種類の薬を服用しているといわれる。

が、薬はあくまでその場しのぎの対症療法に過ぎない。その中で一番多いのは複数種の降圧剤だ。ほとんどの降圧剤には性的機能を不能にする副作用があることはあまり知られていない。「そのお歳でもういいでしょう」と、医者はなめて処方しているのかもしれない。なめるな! 

基礎疾患である生活習慣病の克服こそが根治治療法であり、それができれば “毒”をのまなくてよくなる理屈である。“夜明けのテント”も夢ではなくなるかもしれない。