2017年09月28日

◆当分の間・休刊いたします。ご寛恕下さい。

当分の間、休刊します。ご寛恕下さい。

2017年09月26日

◆「躾」「度惻」「隠の情」わからない中国人の民度

宮崎 正弘

<平成29年(2017)9月25日(月曜日)号外>

 本日発売!

  ♪♪
宮崎正弘 v 河添恵子『中国、中国人の品性』(ワック、994円)

 〜「躾」「忖度」「惻隠の情」がわからない中国人の民度、文化の基底の
格差から、衝撃があまりにも夥しい日中文化比較。抱腹絶倒、やがて悲し
きシナの人々の哀れ!〜
https://www.amazon.co.jp/dp/4898317626/

 「あとがき」より抜粋
                               宮崎正弘

 この小冊の対談相手は昨今、保守論壇で活躍めざましい河添恵子氏です。
 彼女と知り合ったのはもう四半世紀ほどの昔、共通の台湾の友人だった
故陳絢暉氏(「友愛」グループ初代会長)を通してでした。

 春先に『週刊現代』(2017年4月22日号)で「中国人は中国人が
いちばん嫌い」という緊急対談を依頼され、これを読んだ多くの読者から
「面白かった。是非、話題を拡大して単行本にしてほしい」との要望が寄
せられ本書上梓の運びとなりました。

 さて第十九回党大会を前にして中国の動きが急です。
 とくに米中関係が対北朝鮮への対応をめぐってトランプ政権の姿勢に大
きな変化が見られ、空気が不穏。緊張感が膨張しています。その間に挟ま
れた日本はいよいよ国家安全保障上の覚悟を決めなければなりません。

 本書でも述べたように米国は中国人の気質をわきまえているようで実は
まったく知らない。ですからその行動予測が出来なかったという点で、日
本外交の不作為と似ています。しかし情勢は激変しているのです。
 CIA分析官が「ロシアより中国が米国の敵ではないのか」と報じてい
ます。

 ところが米議会は寄り道です。7月下旬、米下院は圧倒的多数をもって
ロシア制裁案を可決してしまった。トランプ大統領がフィンランド訪問中
という留守を狙ってマケイン上院議員が議会に復帰し、共和党の空気を変
えたのです。

 しかしCIA分析官はこういいます。
 「中国が問題なのは民主主義国家ではなく、国内が不安定このうえない
ことであり、しかしながら彼らも地域の安定を望んでおり、対米関係を重
視している。したがって南シナ海のおける一連の軍事行動は周辺国家から
の反対、妨害、反中国感情の爆発など、過去数年において新しい経験、局
面に直面しており、その一方で中国は国際社会の反撥にも拘わらず南シナ
海で、かれらの望み通りの変化を遂げられれば世界のほかの地域でも同じ
結果を得られると過信しはじめている」。

 米国は自由航行作戦を展開する程度であり、中国は増長し、南シナ海に
おける中国主導の秩序構築(つまり地域覇権の確立)という軍事野心と戦
略目標はうまくいくと踏んでいるのです。

 中国は米国とその同盟国が北朝鮮の行動に神経をとがらせ、行動が制御
されると計測しており、中国にとって北朝鮮は利用価値の高い戦略的緩衝
地帯です。まさに本書で問題にして厚黒学を地でいっているわけです。
 こうした中国の動きを、トランプは苦々しくおもっていることは事実で
すが、ホワイトハウスが混乱し、メディアは毎日フェイクニュースを流し
てトランプ攻撃に余念がありません。

 さはさりながら、この未曾有の窮地を脱出する起死回生の秘策とは、い
うまでもなく米国が単独で北朝鮮へミサイル攻撃をかけることでしょう。
そのとき、北の保護国である中国どうでるのか。

東アジアにおいて危機は深化しています。本書が近未来予測の材料として
読者の一助となれば幸いです。
 https://www.amazon.co.jp/dp/4898317626/

◆七夕の朝に倒れた河野一郎

渡部 亮次郎



半世紀前の話だが、それだけに 先の短い身だから、私が居間ここで証言しておかないと記録に残話になる。昭和40年、自民党の実力者河野一郎は「中曽根クンを河野派から除名する」と 爆弾発言を私にしたまま、翌朝、中目黒の私邸で倒れ、8日に死んでしまった。 

だから「中曽根氏 河野派から除名」という大特種はならなかったわけだが、もし現実のものとなっていたら、中曽根政権はあった老化、と考えたりする。中曽根さんにこの話をしたことはない。

<「中曽根君を除名する!」

河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。死ぬ2日前の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭いた。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、その隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行きたいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところへは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名するとは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していたが,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてなかったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするからね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起きられなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、NHKテレビで河野一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだという。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員河野太郎は洋平の長男である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成した建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんのか! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当った」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言っていた、終生。2008・07・05>

◆安倍、「国難突破解散」で賭け

杉浦 正章



自公維プラス希望で改憲勢力維持か
 

最大の争点は北朝鮮問題 


佐藤栄作は「解散はするほど総理の力は高まる」 とうそぶいたが、首相・安倍晋三も全く同じだろう。過去4回の国政選挙大勝の経験から選挙こそ政権維持・強化の要と考えているのだ。解散・総選挙の決断をこの時点で行った背景には北朝鮮問題が国民に投げかける安保上の危機感をくみ取るという強い意思が感じられる。まさに「国難突破解散」である。


今後1年余りの衆院議員任期の中で、選ぶとしたら今しかないという政局判断も強く作用した。自らの目指す政治信条実現のためもっとも適切な時期を選んで解散に踏み切るのは憲法が裏付ける首相の特権であり、今回の決断も政権担当者として当然であろう。
 

おりから民進党は離党者続出だ。小池百合子の「希望の党」も“落ち武者”かき集めの「野合の党」か、都知事職そっちのけで国政に食指を伸ばす「野望の党」 の色彩が濃厚で、全国的な小池百合子ブームなどは生じまい。北の狂った指導者の核・ミサイル実験もとどまることを知らないが、当面は軍事衝突といった事態ではない。その間隙を縫っての解散・総選挙の判断はまさに絶好の機会であったことが後々分かるだろう。


朝日新聞は社説で北朝鮮問題があるのに「衆院を不在にする解散より、与野党による国会審議こそ必要」と主張しているが、政治空白などは出来ない。そのための二院制度である。
 

解散は28日の臨時国会冒頭に行われる。冒頭解散の例は過去に佐藤による「黒い霧解散」、中曽根康弘による「死んだふり解散」、橋本龍太郎による「小選挙区解散」 の例がある。黒い霧解散は安定多数を確保して長期政権の道を開いた。死んだふり解散はダブル選挙に結びつけて圧勝。小選挙区解散は28議席を増やして政権安定につながった。


今度の冒頭解散は、最低の場合でも自公で政権維持に必要な過半数の233議席以上獲得することは確実であり、安倍政権は維持される方向だろう。もちろん野党の体たらくからみれば安定多数以上の議席を獲得する可能性が大きいだろう。
 

希望の党を立ち上げる小池の記者会見を聞いたが、失礼ながら「嫌な女」感がますます強まった。記者団が「東京五輪、豊洲移転問題が途切れるのではないか」と質したのに対して、小池は「ぷっつんするものではなく、アウフヘーベンするものだ」とヘーゲルの哲学用語を持ち出して煙に巻いた。しかし、小池の場合は「止揚」ではなく、単に「重要課題の先送り」にすぎない。2足のわらじで都政もオリンピックもおろそかにするものにほかならない。


戦後の新党なるものは新自由クラブに始まって、維新の党や嘉田由紀子の「日本未来の党」にいたるまで、全てが同じ運命をたどって国民からそっぽを向かれている。日本のこころ代表の中山恭子も25日、離党届を提出、希望の党に移籍する。ばかな反自民系民放テレビがもてはやすが、これも一過性だろう。自民党に3回も比例当選で衆院議員にしてもらった福田峰之は、一度も選挙区で勝ったことがない。こんどは内閣府副大臣にしてもらった恩も忘れて希望に移籍。民進を離党した松原仁といいまさに希望の党は寄せ集めだ。


小池は「医師や弁護士が手を上げている」というが、医師や弁護士上がりはろくな政治家はいない。政治的判断力に欠ける衆愚が投票するのはせいぜい1-2回だけであり、我楽多政党の末路は目に見えている。
 

こうした小池の姿勢に対して安倍は対決姿勢を打ち出すかと思いきや「希望というのは、いい響きだと思います」と余裕のアピール。「安全保障の基本的理念は同じだろう」との認識を示すとともに、「小池知事とは、東京オリンピック・パラリンピックを成功させなければならないという共通の目標を持っている。選挙戦はフェアに戦いたい」と述べた。安倍の基本姿勢は、選挙後に小池新党を取り込もうとしている気配が濃厚だ。


連立参加政党の数を増やす可能性がある。今回の総選挙は定数改正で465議席の争奪戦となる。安倍が宿願の改憲を目指すには定数の3分の2の310議席が必要となるが、自公維だけでは足りなくなる可能性があり、その場合は希望の議席が視野に入る。これを狙っているのかも知れない。
 

選挙でアピールする政策のポイントについて安倍は北朝鮮問題に加えて全世代型の社会保障を争点にする構えだ。解散の理由についても19年10月の消費税10%への引き上げにともなう増収の使途変更を挙げている。これまで借金返済に充てる予定だった2兆円を子育て支援や、教育無償化などに充てる構想だ。北朝鮮については「選挙で信任を得て、北朝鮮の脅かしには屈せず、力強い外交を進める」と言明した。この2大争点は野党も反論をしにくいことは確かだ。だいいち前原も消費税の使途で安倍と同様の提案をしている。


安倍は解散名を「国難突破解散」と命名して、危機感を煽る戦術に出た。北朝鮮が10月10日の朝鮮労働党創建70周年に合わせて、核実験か弾道ミサイルの発射を実施すれば、まさに「神風」になる可能生もある。国民の危機感は高まり、これが自民党票に直結するからだ。逆に政府や党幹部の失言などがあれば、一挙に崩れる。「寸前暗黒」とみて用心するにこしたことはない。

<今朝のニュース解説から抜粋>    (政治評論家)


◎俳談

【雨のジルバ】

黒揚羽雨のジルバを踊らうか 産経俳壇入選

 ジルバは第二次世界大戦の終戦とともにアメリカ駐留軍によって日本にもたらされた。軽快でリズミックなこのダンスは戦後の開放的な雰囲気の中で一般大衆に受け入れられ全国に広まった。アランドロンに似た慶応ボーイの筆者は、背が低いからダンスパーティーの壁の花であったが、うまかったので時々踊ってもらえた。黒揚羽は夏の季語だが、イメージとしては濃厚な年増女を連想させる。単にジルバだけでは単調だが「雨のジルバ」とした途端に詩情と物語性が出た。

       <俳談>     (政治評論家)



◆淀川八軒家浜船着場から熊野街道へ

毛馬 一三



大阪「淀川」から毛馬閘門を通り、1級河川「大川」(旧淀川)を少し下って、大阪三大橋の「天神橋」を抜けると、「八軒家浜船着場」に辿り着く。

この「八軒家浜」は、古代から京都と結ぶ水上交通の拠点だった。江戸時代ではこの浜の船着場周辺に、八軒の船宿があったことから「八軒家浜」と呼ばれ始めたらしい。その行事を祝して今「記念碑」が、阪神電鉄天神橋駅前の老舗・昆布屋門前に立っていて目立つ。

この「碑」の先の坂を少し南へ上ると、江戸時代の西洋医学者・緒方洪庵の塾屋敷跡がある。ここに集まる弟子たちも、この「八軒家浜船着場」を常時利用した。坂本竜馬も、西郷隆盛も、ここの船着き場から近郊にある「薩摩屋敷」に通っていたのだ。

この「八軒家浜船着場」は、京都から屋形船でやって来た人々が、この船着場から「熊野詣」に赴く道筋として利用していた。今になって、ここ「八軒家浜船着場」が、世界遺産となった「熊野街道」の起点となっているのだが、意外にもそれが知られていない。

さて、その「熊野街道」に触れておこう。

<この「八軒家浜」を起点に、四天王寺(大阪市天王寺区)、住吉大社(大阪市住吉区)、堺、和歌山などを通り、紀州田辺を経て、中辺路または大辺路によって熊野三山へと向かう道筋。

この熊野街道を経て参台する「熊野詣」は、平安時代中期ごろ、熊野三山が阿弥陀信仰の聖地として信仰を集めるようになったのに伴い、法皇・上皇などの皇族、女院らや貴族の参詣が、相次ぐようになったのが始まりだった。

室町時代以降は、武士や庶民の参詣が盛んになった。その様子は、蟻の行列に例えて、「蟻の熊野詣」と言われるほどの賑わいだったそうだ。江戸時代になると伊勢詣とも重なり、庶民も数多く詣でたため、賑わいは浪速で最高だったといわれる。ただ明治以降は、鉄道や道路の整備により参拝者は少なくなる>。
参考―フリー百科事典『ウィキペディア

このように霊場熊野三山まで橋渡しする歴史的街道の起点の「八軒家浜船着場」は、これを賑わいのある水都大阪再生拠点にしようと、民官協働で、京阪電車天満橋駅の北側の大川沿いに幅約10メートル、長さ約50メートルの3層からなる鋼鉄製の巨大な「船着場」が建設された。

同船着場では、ゆったりとしたスペースがある水上バス(アクアライナー)や大型遊覧船が、ここから発進し水上バスに乗船すると、水都大阪に広がる眺望とクルージングを楽しむことができる。

遊覧船に乗って身を乗り出し、目上に広がる大阪のまちの姿を眺めると、立体的な水都の形が顕れ、両岸のまちなみが覆い被さるような3次元都市を実感させてくれる。実にマジックな風景の出現であり、感動そのものだ。これは体験してみないと絶対に分からない。

大阪大手企業本社の東京一局集中や、大手企業工場の他府県や外国への移籍が目立つなど、大阪の経済基盤の沈下に歯止めが掛からない中で、この「八軒家浜」を観光名所として再起させることが出来れば、集客効果は抜群だろう。

しかも「緒方洪庵の塾屋敷跡」、皇族をはじめ秀吉も通った「八軒家浜」から「熊野詣」への新観光ルートを創りだし、歴史の歩きの楽しみを味合わせる事業が始まれば、大阪への集客に繋がることは間違いない。

「八軒家浜」祭りだけで終わって仕舞う行事だけではあまりにも単純な気がして、実に勿体ない。しかも、「熊野街道」の起点となっている「八軒家浜船着場」の歴史的価値をなえがしにしてきた大阪市文化行政の手抜かりも情けない。

今からでも遅くない。「八軒家浜船着場」から世界遺産となった「熊野詣」を複活させるイベントや実際の「歩き会」を実施すべきだ。

そう思うだけでも「八軒家浜船着場」碑が、老舗「昆布屋)門前にポッンと立っているだけで、寂しく見えて仕方がない。(了)

2017年09月25日

◆「痰の話」で思い出す支那

石岡 荘十(ジャーナリスト)



‘35京都で生まれ、そのすぐ後から敗戦2年後まで中国(当時は支那)に
留め置かれた。幼い頃の記憶はもちろんないが、物心ついて以降、見聞
きしたかの国の“文化”といまの日本のギャップを、本メルマガの反響
欄が思い起こさせた。 

幼い頃の記憶はこうだ。

その1。

夏の日、父の仕事が休みのある日、「支那人と犬入るべからず」という
立て札が入り口にある公園に家族そろって出かけ、公園の中の、支那人
以外のためのプールで家族で泳ぐ。ある日、帰りに天津市内でも最高級
の中華料理店でそろって子豚の丸焼きを食った。

糞をしたくなって、用を足そうと便所へ行くと便器のはるか暗い、深い
底にうごめく動物がいて、驚いて下を見ると、数匹の豚が新鮮な私の排
泄物をむさぼっていた。今思えばここでは完璧な“食の循環”が実現し
ている。

だが、これで私は完全に食欲を失った。これがトラウマになって、決し
て宗教上の理由ではなく、長い間、私はブタが食えなかった。

その2。

小学校の同級生に、当時の天津領事の息子(小山田あきら?)がいて、
放課後、いつも領事館へ遊びにいっていた。ほとんどは広大な領事公邸
の中で遊んでいたが、ある日、門の外に来る物売りの声に誘われて外に
出た。

天秤にかけた台に切り分けた瓜が載っていた。それが喰いたくて「どれ
がうまい?」と私たちに付き添ってきた領事館の守衛に聞いた。守衛は
「ツエーガ(これだよ)」と指差したのは、ハエが一番多く群がってい
る瓜だった。

“動物学的”に言ってそれはそうだろうと納得したのはずっと後のこと
だが、ハエがたかっているのは汚いという考え方は彼らにはないらしい。

いつだったか大分昔、多分、日中国交回復の頃、「中国にいまや1匹の
ハエもいなくなった」という提灯記事をどこかの新聞で読んだ記憶があ
るが、決して信じなかった。私の幼い頃の確かな記憶が記事のウソを見
破った。

その3。

父が勤めていた会社の管理職住宅は鉄筋コンクリートの一戸建ての“豪
邸”で、玄関を入ったところに、日本流で言うと、女中部屋があった。
女は阿媽(アマ)と私たちが呼んでいた纏足の小柄な女だったが、時々、
旦那が小さな女の子を連れて泊まりに来ていた。

女中部屋は6畳ほどの小さな部屋だったが、遊びに行くと、部屋の隅に
花瓶のような形の壷が置いてあって、そこに時々、「ペッ」と痰を吐く、
というか飛ばす。

それがまた結構遠くから正確に痰壷のど真ん中に命中するのを、何の不
思議もなく見ていたのを思い出した。ホールインワンどころではない。
アルバトロス級である。北京オリンピックで「痰飛投」などという種目
が出来たら間違いなく金だろう。

人前での屁は慎むが、食事中、げっぷは割と平気でやる。屁は平気だけ
ど、げっぷは禁忌という国もあると聞く。生活習慣がそんなに違う民が
十数億人もすぐそこにいる。

痰。さてどうするか。

話題はそれますが、昭和18・9年当時、幼馴染の父、小山田天津領事
とその家族の消息を知りたいと思っています。その頃、いつもアイスキ
ャンディーを作ってくれた、髪の長い、美しいお姉さまがいました。確
か、「たえ」さんでした。

◆「やませ」は凶作の使者

渡部 亮次郎



江戸時代には天候不順や噴煙による日照不足などで「飢饉」が屡々起きたようだ。天明の飢饉の言い伝えは、秋田で子供のころ聞かされた。

私の生まれた昭和11(1936)年の2月26日に起きた「2・26事件」の遠因も「やませ」による東北地方の米の凶作にあるといわれている。

凶作の生活苦に追い詰められた実家の両親が、兵隊の姉妹を東京の苦界に身売りしている惨状に、政界、財界への反発を募らせたのだと言う説。

流石に敗戦後は品種改良で冷害に強い品種を創り上げたり、秋田県知事(当時)の提唱による「三早栽培」の普及などで凶作は遠くなったように見える。

種まきを早くし、田植えを早く済ます。稲刈りも早くして台風の被害を少なくする、というのが三早栽培。確かにその通りなのだが、それを裏づけたのが「ビニール」の普及だった。

「温床」に代わる「ビニール・ハウス」で苗が雪消えの前の播種を可能にし、田植えの早期着手を可能にしたわけだ。しかし「やませ」が来たらひとたまりもない。しかも東北では8月中旬、つまり、出穂(しゅっすい)時に来て「日照不足」に生ると稲は命をとられる。
稔らないのだ。

海から上陸する「やませ」(山背)は、春から秋に、オホーツク海気団より吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)だ。特に梅雨明け後に吹く冷気を言うことが多い。

やませは、北海道・東北地方・関東地方の太平洋側に吹き付け、海上と沿岸付近、海に面した平野に濃霧を発生させる。やませが長く吹くと冷害の原因となる。なお、オホーツク海気団と太平洋高気圧がせめぎあって発生する梅雨が遷延しても冷害となる。

夏季にオホーツク海気団から吹く北東風は冷涼・湿潤な風であり、海上を進む間に雲や霧を発生させ、太平洋側の陸上に到達すると日照時間の減少や気温の低下の影響を及ぼす。

若い頃、青森県の太平洋岸八戸海岸でこれを実際に見た。早朝、海で発生した霧は、海岸から這うように上陸し、山肌を舐めるように登って行った。地上の花や野菜はぐっしょり濡れた。私は身震いした。

秋田県の旧八郎潟沿岸の農家に生まれた私は、夏の暑さよりも寒さの心配を親から聞かされて育ったが、目にしたのははじめてだった。
ただし、やませは奥羽山脈などを越えるとフェーン現象が発生するため、日本海側では日照時間の増大と気温上昇となる。

「やませ」は、農作物や漁獲に悪影響を与えるこの風の太平洋側の呼称である。また、やませが続いた場合、大阪と東京の気温差が10度以上になることもある。

やませが吹き付ける範囲を「影響範囲」とすると、北海道の影響範囲では元々稲作をおこなわず、牛馬の牧畜や畑作がなされており、やませが長く吹き付けても農業への影響は少ない。

青森県の太平洋側(南部地方など)から三陸海岸の影響範囲も畑作や牧畜が中心で、北海道と同様にやませの影響は折込済みである。また、関東地方の太平洋岸の影響範囲も畑作・牧畜中心であり、且つ、やませが到達する回数自体が少ないので、「冷害」とはなり辛い。

影響範囲で最もやませの影響を受けるのは、稲作地である岩手県の北上盆地・宮城県の仙台平野・福島県の浜通り北部である(福島県中通りも影響を受ける場合がある)。

熱帯原産である稲の日本での栽培方法は、春季は熱帯ほど暖かくないためビニールハウスなどで育苗し、気温が上がると露地栽培が可能となるため晩春に田植えをし、熱帯並みとなる夏季の高温を利用して収量を確保する。

このため、やませが長く吹き付けて日照時間減少と気温低下が起きると、収量が激減して「冷害」となる。

江戸時代は米が産業の中心であったこと、江戸時代を通じて寒冷な気候であったこと、また、現在ほど品種改良が進んでいなかったことなどのため、上述の稲作地に相当する盛岡藩と仙台藩を中心に、やませの長期化が東北地方全域に凶作を引き起こした。

凶作は東北地方での飢饉を発生させたのみならず、三都(江戸・大坂・京)での米価の上昇を引き起こし、打ちこわしが発生するなど経済が混乱した。

戦後は冷害に強い品種がつくられ、飢饉に至ることはなくなった。

しかし、一億総中流以降、大消費地のブランド米志向が顕在化し、冷害に弱くとも味のいい品種が集中栽培される傾向が進んだため、再び冷害に弱くなって「1993年米騒動」が発生した。その反省から、冷害対策は「多品種栽培」が趨勢となった。

近年は、米の市場価格下落のため、ブランド米志向に再び戻りつつあり、「1993年米騒動」の再来が危惧されている。梅雨明けも報じられな米どころに「やませ」が吹いている。マスコミは「山瀬」を知らない。農水省が発表するまで報じないだろう。2009・08・18
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


◆家事事件手続法 A

川原 敏明



相手方と離婚等について話し合いがまとまらなかった場合、家庭裁判
 所で「家事調停」という手続を行うことができます。

  家事調停とは、家庭裁判所が当事者の間に入って、話し合いを進める
 手続であり、基本的に、家事審判官(裁判官)1人と家事調停員2人
 (男女1人ずつ)が当事者の話し合いの手助けをしてくれます。

  この家事調停の手続についてこれまでは家事審判法や家事審判規則が
 定めていましたが、新たに平成25年1月1日から家事事件手続法(以
 下、「法」)が施行されます。

  法が施行されることで、これまでの手続とはいくつか異なることが出
 てきます。

  例えば、これまでは、夫が東京に、奥さんは大阪に住んでいて、調停
 が東京で行われていた場合、奥さんが毎回東京に出向くのはとても重い
 負担でした。しかし、今回の法の施行により、電話・テレビを使って遠
 隔地にいながら話し合いができるようになり、時間と労力が軽減される
 ことになりました(法54条)。

  また、これまでは、調停を申し立てた内容が、書面としては相手方の
 もとに届いていませんでしたが、今後は、申立書がきちんと相手方のも
 とに届き、どのようなことが争点になっているのかを相手方も事前に把
 握できるようになりました(法67条1項)。

  他にも改善点はいくつかあり、より家事調停を利用しやすくなります
 ので、当事者間で解決できない離婚等のご相談や、遠隔地での調停申立
 をお考えでしたら、ぜひ当事務所までご連絡ください。


530-0047 大阪市北区西天満2丁目10番2号 幸田ビル8階  
弁護士法人 川原総合法律事務所      
弁護士 川 原 俊 明 


           

2017年09月24日

◆バノン、北京で王岐山と秘密会談

宮崎 正弘

<平成29年(2017) 9月23日(土曜日)通巻第5443号  


(速報)
 バノン、北京で王岐山と秘密会談

 フィナンシャルタイムズ、サウスチャイナモーニングポストなどが報じ
ている。
 ステーブ・バノン(前米大統領上級顧問。主席戦略官)は香港で講演の
後、ひそかに北京入りし、中南海の共産党施設で、王岐山と会談した。
 会談は90分間で、中国のメディアは沈黙を守っている。

 観測筋によると、会談の内容は腐敗退治キャンペーンではなく、経済問
題だったという。王岐山は勇退説が有力だが、むしろ経済政策に辣腕をふ
るうために、李克強首相と全人代議長に横滑りさせ、王岐山が本来の
フィールドである経済再建のため、首相になると予測している。
     □◇□み△□◇や□▽◎ざ□◇□き◎□◇    
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 宮崎正弘の最新刊   宮崎正弘の最新刊  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪♪
下記新刊、予約受付中
  ♪
宮崎正弘書き下ろし新刊 (9月25日発売)
『西郷隆盛 ――日本人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社、1620円)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本人が好きな歴史上の英雄といえば、西郷隆盛は三傑に入る。
しかしその最期から、維新者、改新家、陰謀家、詩人、軍人(陸軍大将)と
いった様々な評価があり、毀誉褒貶が続いている。本書では、「現場主
義」を尊重する著者が、西郷隆盛のすべての足跡(奄美、徳之島、沖永良
部から西南戦争の敗走ルート全コース)をたどりながらその本当の姿に挑
む。(本書は三島由紀夫研究会の会員、「憂国忌」の賛助会員の皆様に
は、研究会から献呈されます)
https://www.amazon.co.jp/dp/4759315632/
(予約受付を開始しました ↑)


  ♪♪
宮崎正弘 v 河添恵子『中国、中国人の品性』(ワック、994円)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 「躾」「忖度」「惻隠の情」がわからない中国人の民度、文化の基底の
格差から、衝撃があまりにも多い日中文化比較。抱腹絶倒、やがて悲しき
シナの人々!
https://www.amazon.co.jp/dp/4898317626/
 (↑ 予約受付を開始しております。9月25日発売予定)
            □□□□ △△△△ ◎◎◎◎ 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十



今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

毛馬一三氏が先日レポートしたとおりで、初動がこの病気治療の決め手で
ある。他山の石とされたい。