2017年11月30日

◆セクハラを断絶すること

Andy Chang

感謝祭の休暇が終わって今日は国会議員が出勤したが国家のセクハラ騒
動は続いている。クリスマス気分でうかうかしている時ではなく、議会は
あと2週間のうちに来年の2018年度予算を通す必要があり、続いて下院で
通した税制改革法案も年内に通す必要がある。

ところが上院と下院ではともにセクハラ議員の辞職を求める声が高いの
で、法案審議にもいろいろ影響を及ぼし混乱を極めている。

セクハラは政治家だけでなく、社会全体の問題である。ハリウッド、国
会、政府機関、各種の会社や企業、軍隊(特に軍艦)、学校、医療機関や
病院、慈善事業、教会団体、スポーツ団体など、公立、私立の社会全体に
共通したルールを作らねばならない。

セクハラを断絶しなければ真の民主国家と言えないし、社会の混乱は収ま
らない。セクハラは法律問題ではなく道徳問題だからセクハラ防止の法律
を作るか、道徳ルールで決めなければならない。難しい問題である。

セクハラは女性、被害者にとって大きな恥を受ける行為だが、権勢のある
上司や雇い主にセクハラされても報復で職を失うとか、恥ずかしくて告発
できないなどの困難もある。また被害者の訴えを取り上げるオフイスを
作って被害者の告発を審議し、被害者の名誉回復と加害者を処罰する法律
または道徳律を作らなければならない。加害者を厳重に処罰し、同じこと
が2度と起きない方法と社会の風紀を作らなければセクハラはなくならない。

●国会のセクハラ

先週の記事を配信した後すぐに下院のコーニエ民主党議員(John Conyers
88歳)のオフイス秘書に対するセクハラが問題化した。コーニエ議員は示
談で済ますため2万7千ドルを支払ったと言うが、これに国会のオフイス支
出費を使った疑問が起きた。国民の税金でセクハラ問題を示談にしたので
ある。

この女性の告発のあと数人の女性も名乗りでたが、最初の一人は国民の税
金を使ったので、国会の倫理委員会が審議すると言われている。

アル・フランケン上院議員のセクハラ問題は当人が謝罪したので証拠は十
分だが、他にも5人ほどがセクハラされたと名乗っている。フランケン議
員は29日朝の記者会見で自己弁解と謝罪をしたが同時に辞職はしないと述
べた。マッコーネル上院議長はこれも倫理委員会で審議すると述べた。

共和党側ではアラバマ州ではロイ・モーア候補の選挙が12月12日にある。
モーア氏はセクハラを断固否定して立候補を取り下げないと言う。多くの
共和党議員はモーア氏を支持しないと発表したが、トランプ大統領はモー
ア氏がセクハラを認めていないかぎり彼を支持すると発表した。

モーア氏が落選すれば上院では共和党51、民主党49の僅差となる。しかし
民主党のフランケン議員が辞職すれば51対48となる。そのような政治的駆
け引きもあるので民主党側はフランケン議員の辞職に乗り気でない。つま
り共和党側は政治よりも道徳を重視し、民主党側は道徳より政治を優先す
るのだ。

25年前にクリントン大統領が罷免されたとき民主党多数の上院はセクハラ
を些細な問題としてクリントン罷免を拒否した。今ではクリントンを罷免
しなかったことが問題視され、フランケンの辞職拒否と重なって民主党の
重荷となっている。これが長引けば来年の中間選挙に影響するのは間違い
ない。

更に大きな問題は、前の記事で述べた国会では過去10年の間に1600万ド
ルの国会費用で460件のセクハラを示談で済ませたことが問題視されてい
ることだ。プライベートな問題を国民の税金で解決したのである。

民間ではこの460件の全てを審査して、誰がどのようなセクハラでお金を
幾ら支払ったかを調査し、加害者本人の月給または退職金から払い戻すべ
きだと提案している。多忙を極める国会でこんな法案がいつ提出されるか
と考えれば、早期の解決は期待できない。

●セクハラを断絶する方法

これまではセクハラが問題化したら金で示談にして解決してきた。だが、
この方法では常に被害者が金を受けとっても結局は辞職せざるを得ないこ
とになっていた。これでは加害者が改心することもないし、被害者に不利
で不公平である。不公平な解決ではセクハラを断絶することは出来ない。

クリントン大統領はヘラヘラ笑いながら謝罪して職位を保留できたけど、
今の社会は決して承知しないし、金と謝罪だけの姑息な方法ではセクハラ
はなくならない。

被害者にとってセクハラとは異常な方法で個人の名誉を傷つけられた事件
である。こんなことが2度と起きないようにするには、第一に恥をかかせ
た加害者に恥をかかせること、第2に破廉恥な行いをした加害者の辞職を
要求すること、第3に加害者が多額の損害賠償を支払うことである。

国会議員だろうと、会社の社長、芸能人でもスポーツ選手でも、加害者の
名前を公開すると同時に辞職を要求すればよい。この3条件が明文化すれ
ばセクハラはなくなる。

どうすればこのような処罰3条件を明文化できるのだろうか。前に書いた
ようにセクハラは法律で縛ることが出来ない。これは道徳問題だから解決
は道徳を明文化しなければならない。法律で規制するならハッキリした条
件と処罰を明文化することが可能だが、道徳では文書にして規制すのが難
しいし、道徳を守らない悪い奴が出て来る可能性もある。

セクハラは主に女性が被害者だが女性に限らず子供も男性も被害者かもし
れず、アメリカに限った問題ではなく各国、各社会、人類全体の道徳問題
だから読者諸氏の賢明な提案に期待したい。

◆北朝鮮、ICBMを日本海に飛ばしたが

宮崎 正弘

<平成29年(2017)11月29日(水曜日)弐 通巻第5528号>   

 北朝鮮、ICBMを日本海に飛ばしたが
  新型か「火星型」は不明。ロフテッド軌道。4000キロを「遙かに超えた」

 2017年11月29日午前3時18分。北はまたまた新型のICBMを打ち上
げ、400キロをこえる上空から日本海のEEZ領海に落下した。

打ち上げから1時間余、小野寺防衛相は5時に防衛庁で記者会見し、六時
前に安倍首相が官邸で記者会見している。

この対応の迅速さをみれば、前夜から打ち上げ予測が確実であったことが
分かる。

前夜、ルクセンブルグ大公との夕食会を終え、首相はそのまま公邸に宿泊
していることからも、万全の対応態勢にあった。

他方、中国は北朝鮮国境を守備する北部戦区で大規模な軍事演習がなさ
れ、零下17度の極寒状況のある内蒙古省でも、冬の軍事作戦を想定した
訓練が行われ、また丹東から北朝鮮の新義州にかかる橋梁を「工事」のた
め一時閉鎖する措置をとるとした。

日本時間午前6時ごろ、トランプ大統領が記者会見し、「制裁を最大につ
よめていく方針に変わらない。この状況にわれわれは対応している」と語
気強く語った。

 これで日米中の即応体制は観測できるが、対応は記者会見だけであり、
日本の防衛態勢の能力向上など、肝腎の話は何も出ていない。これで「万
全の態勢ができている」というのは耳の聞き違いかと思った。
           
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1664回】        
――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田2)
  前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

        ▽
 上海を代表する庭園で知られる愚園と張園を歩いて、「泉石樹林園中に
布置いたされ候も全く一顧の價値無之」。そこで「早々退却致し申候」。
最後の加賀藩主の息子で子爵である前田からすれば、愚園だろうが張園だ
ろうが、「一顧の價値無之」だったに違いない。

 次いで「支那の家屋殊に高位豪家」における「盗難火災等に對する防
備の周到なる」ことから、「蓋し其防衞を官憲に依頼するも到底頼みにな
らぬ處より自衞の道を講ずるべく餘儀なくされ」ているからだ。

「民人が 國家の公力の保護に由らず其身體財産を自家の私力に依りて防
衞せねばな らぬとは國民にとりては氣の毒」である。その一方で、「四
百餘州の山河 と四億の民を主宰する國家としては誠に不甲斐なきこ
と」。「人民が國家 に對する感念の薄弱になりゆきて滿朝が滅ぶるも政
體が替らうが吾不關焉 といふ態度」は、「大いに味ふべきこと」であろう。

 どうやら「支那の良民にして生命財産を保安せんとして上海の地に移
り住む者」が多い。それというのも「上海は支那の領土とは申し乍ら外國
の威力」によって守られているからだ。「國民にして其國家の權力の及ば
ざる外國國旗の支配下に立つべく相率ゐて走るに至るとは驚入りたる國
民」というべきだが、「斯く人民をして餘儀なくするに至らしめる國家も
國家と驚くのみに御座候」である。

 防備のために高い塀を廻らせる「支那の家屋園囿は幽靜を極め陰氣
臭」く、「天日爲に昏く憂鬱の氣の漂ふ」ようだ。だが一方で、安全至極
であり「無爲に化して居り候には至極恰好」である。こういった住宅事情
から、前田は「支那の國民性の防禦に專らにして侵攻に拙」であり、「男
性的にあらずして女性的」である背景を想像してみせた。

 次に前田は「理窟めき候へども上海に付き聊か申添度事有之候」と記
し、対外関係・通商関係などから上海の地政学上の優位性をしてきしつ
つ、確かに通商の上で「我國は第二位の優位を占むるとは云へ英國に比す
れば其差霄壤も啻ならず」。加えて「新進氣鋭の獨逸の元氣侮るべから」
ず。

だから「我が同胞の奮勵努力」を大い期待するが、我が国が「中清殊 に
長江方面に注目着手」したのは最近のこと。「數十年來蟠踞」している
イギリスなどを考えれば「短き歳月の割合より考ふれば目覺ましき發展を
なした」と考えられ、今後の一層の努力をきたいする。

だが、「只侮るべからざるは獨米の二國殊に獨逸人の質素勤勉熱心の所謂
獨逸魂に御座候」。だから彼らに対するには「緊褌一番すべきことに御座
候べく存じ申候」と。ともかくも「質素勤勉熱心の所謂獨逸魂」に気を付
けろ、である。

 中国市場を挟んで日本とドイツの関係は、どうやら現在まで続いてい
るということだろう。やはり「質素勤勉熱心の所謂獨逸魂」を侮ってはい
けないということだ。

ここで転じて前田は上海の政治的・法的な立場に考えを及ぼす。

 いったい上海は「支那主權の下に在り乍其實恰も外國臣民の自治の地
の如く一大共和國の觀」がある。それは「食客が家の持ち主となり巾をき
かすが如」きだ。
「支那の國土にあり乍」も「支那官憲の勢力」が及ばないという「奇怪な
現象」を呈しているから、「支那の良民は生命財産の保安」のため、「匪
徒は捕逃の厄を遁れ」るため、この地に逃げ込む。

「上海の國際法上に於 ける地位も頗る不明」で、日清戦争の際には「對
戦國たる支那に供給する 兵器」が製造され、日露戦争においては「我邦
に不利?なる事件」が見ら れたにもかかわらず、我が国は「上海を封鎖
砲?すること」ができなかった。

 こうみてくると、どうやら「上海なるものは支那なる邦國」の将来を
示しているようだ。言い換えるなら「支那は上海の大なるものとなるべき
運命を荷ひつゝ居るものにあらざるなきかと想像する」。この考えを、前
田は「萬更一概に捨てられぬ」とする。
《QED》
 

◆のど自慢に出場したのだ

渡部 亮次郎

1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始
され、それを記念してNHKが制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関
だった。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。1946(昭和21)年のこの日、NHK
ラジオで東京)「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHK
が制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関で
した。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。

私も高校生のころ、秋田市での大会に出場、合格した。受験戦争ムードに
反発したもの。歌ったのは「チャペルの鐘」

   作詩:和田隆夫
   作曲:八州秀章

1)なつかしの アカシアの小径は
 白いチャペルに つづく径
 若き愁い 胸に秘めて
 アベ・マリア 夕陽に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

2)嫁ぎゆく あのひとと眺めた
 白いチャペルの 丘の雲
 あわき想い 風に流れ
 アベ・マリア しずかに歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

3)忘られぬ 思い出の小径よ
 白いチャペルに つづく径
 若きなやみ 星に告げて
 アベ・マリア 涙に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

この歌を聞くと、なぜか札幌の時計台を思い出す。理由は分からない。で
もあれは時計台であってチャペルではない・・・。では「チャペル」とは
何ぞや? Wikipediaによると、

「チャペル (Chapel) は、本来クリスチャンが礼拝する場所であるが、日
本では私邸、ホテル、学校、兵舎、客船、空港、病院などに設けられる、
教会の所有ではない礼拝堂を指している。」

とある。どうも教会の礼拝堂はチャペルとは言わないらしい。結婚式場が
チャペルだ。

でもこの歌詞は、何とも淡い恋でいいな〜。(オジサンには縁が無い
が・・・)
白いチャペルか・・・

フト、2年前の今頃、オーストリアに行って教会を見た事を思い出した。
ヨーロッパはどこに行っても教会だ。2年前は2週間掛けてオーストリアを
一周したが、オーストリアでも、どこに行っても尖塔の教会があった。中
でも有名で「これどこかで見た事がある・・」と思った教会が二つあっ
た。ハイリゲンブルートの教会とハルシュタットの教会である。この歌と
はあまり関係ないが、“絵になる”教会の写真を見ながら、岡本敦郎の歌を
聞くもの一興か?
大学を出てNHKできしゃになった。
政治部所属に成ってある夜、新宿のスナックでうたっていたら、見知らぬ
男に声をかけられてびっくりした。「うちへ入りませんか」という。名刺
には「ダニー飯田とパラダイスキング」とあった。「政治記者から歌手へ
転身」というのがおもしろいというのだ。

記者の仕事が面白くてたまらない時期だったこともあって断った。
あれから50年。まったく歌う機会が無いままにすごしたから今では歌は聴
くものと心得ている。2013・10・29

◆朝鮮半島、冬から春にかけ激動の様相

                             杉浦 正章


飢饉に近い食糧難発生の可能性も
 既に国内で動揺の兆候


 ワシントンを射程に入れたと称する北朝鮮のICBMの実験は、断末魔の悪あがきかもしれない。その合い言葉は「厳しい北の冬」だ。首相・安倍晋三が29日の参院予選委で度々使ったこの言葉を分析すれば、国連制裁決議が効果を現すのは冬以降ということになる。どんな効果かと言えば「飢饉に近い食糧難」ではないかと思う。朝鮮半島は歴史上何度も飢饉に見舞われており、最近では1996年から99年までの間に餓死者300万人を出した「苦難の行軍」の例がある。


このところ頻繁に日本の海岸に流れ着く木造漁船が、何を意味するかと言えば、金正恩政権が漁船の能力を超えた漁業を強制的に行わせているからにほかならない。食糧難で漁民を追い出すように冬の日本海に向かわせているのだ。沿岸の漁業権を中国に売り渡した結果、日本の排他的経済水域で豊かな漁場の大和堆(やまとたい)まで遠征せざるを得なくなったことを意味する。外相河野太郎も、「これから冬に向けて制裁の効果が現れると認識している」と述べた。食糧難発生となれば過去に中国、ロシアが行った食料援助が考えられるが、少なくとも中国は金正恩政権のままで援助するかどうか疑問だ。特使に金正恩が会わず、こけにされた習近平が激怒しているとの情報もある。金正恩の破れかぶれの暴発もありうる。朝鮮半島情勢は冬から春にかけて激動の状態に突入する可能性がある。


 参院予算委員会はこの緊迫する情勢の中で野党の愚かな質問者が愚にもつかぬモリカケ論争を延々と仕掛ける場面があったが、民進党の搦q輝彦や自民党の山本一太など心ある質問者は焦点を北朝鮮に絞った。安倍は手の内を北に知られては元も子もないためギリギリの範囲で答えたが、分析しなければ分からない抽象的表現が多かった。その内容は「これから北朝鮮は厳しい冬を迎える。習近平主席とは厳しい冬を迎える中、北朝鮮における制裁の効果を注意深く見極めて行くことで一致した。トランプ大統領も同じだ。厳しい冬を迎えるという中において制裁の中身を十分に考えたらどういう意味を持つかと言うことで理解いただきたい」というものだ。1回の答弁で「厳しい冬」を3回も使うのは異例だが、首相の言わんとするところは推理を働かせるしかない。


 安倍はこれに加えて中国と北の貿易について「9月10月の輸入額は38%減。輸出額は8%減。石油製品も国際社会が3割絞る。日本なら3割絞られたら立ちゆかなくなる」とも言明した。一連の答弁からは、金正恩がこの冬を乗り切れるかどうかに焦点が合っていることが分かる。石油や食料がストップすれば、ただでさえ栄養不良の状態でかすかすの生活を送っている国民は飢えと寒さという二重苦に直面する。逃亡兵の腸から大量の回虫が発見された事実は、日本の戦争直後の状態を思わせる。人糞を肥料にしている結果、回虫が人から人へとめぐっているのだ。朝日によると、国内数カ所の市場で商人が集団で「核兵器だけが問題解決の答えなのか」「第二の苦難の行軍だ」などと抗議し、逮捕されたという未確認情報もある。国内の動揺が始まった感じが濃厚である。


 こうした状況を見て韓国の統一相趙明均(チョ・ミョンギュン)は10月30日、国際社会による経済制裁により、北朝鮮の経済事情は1990年代に数百万人ともいわれる餓死者が発生した「苦難の行軍」当時よりも悪化する可能性に言及した。講演で「北が1990年代半ば、金日成主席が死亡してから食糧難で非常に苦労したが、場合によってはその時より経済事情が悪化するかもしれないとみている」と述べたのだ。亡命した元駐英北朝鮮公使太永浩(テ・ヨンホ)はかつて「民衆蜂起による金正恩政権の崩壊もあり得る。監視態勢が発達しているため軍のクーデターは起こりにくいが民衆が蜂起すれば監視委員も蜂起に加わる」と予言している。


 その際、破れかぶれになった狂気の独裁者金正恩の暴発はどのようなケースが考えられるかだが、米国へのICBMに核弾頭を載せることは再突入の技術が確立していないため無理だが、日本の米軍基地には200発あるノドンが届く。核や、VXガス、細菌兵器を搭載したノドンを東京が食らえばそれで日本は崩壊する。この特殊事情についてトランプに説明しているのかを問われて安倍は「トランプ大統領とは相当踏み込んだやり取りをしている。北が様々な選択肢を使った場合のそれぞれの国への影響について当然話をしている」と言明した。これを有り体に言えば「日本がミサイル攻撃を受けるような事態は絶対避けてくださいよ」という、ダメ押しをしていると推測できる。


 山本は核保有を容認して対話に入ったり、米韓合同演習中止と事実上核保有を認める核開発の凍結などという「ダブルフリーズ論」が米国にあることについて質した。安倍は「ロシアと中国がダブルフリーズの考えを示しているが、その考え方は採らない。日本はノドンの射程距離に入れられているから核ミサイルを完全に検証可能な形で廃棄するよう求めていく」と約した。


今後注意しなければならないのは、北の工作員が日本でテロなどで蜂起する事態や、北からの難民が大挙押し寄せる事態だが、安倍は今こそテロ等準備罪の適用をちゅうちょなく断行するべきだし、安保法制に基づく米軍との密接な連携を推進すべきだ。安倍が法案を強行して成立させたのは先見の明があった。野党は今更ながらに致命的に重要な法案に真っ向から反対したことを恥じ、国民に陳謝すべきだ。政府は不即の事態に備えて迎撃能力のさらなる強化を図ると共に、専守防衛の姿勢を極東自体の急変に合わせて転換し、敵基地攻撃能力の保持を早急に実現すべきだ

      <今朝のニュースより抜粋>  (政治評論家)

◆大阪にある「自然の滝」

毛馬 一三

大阪のまち中に、自然の「滝」があることを知ってる?と訊いても、多分大方の人は首を傾げるに違いない。ビルの屹立する大都会大阪のまち中で、そんな湧き水が集まり、「滝」となって流れ落ちる光景など想像出来ないからだろう。

紛れも無く私もその一人だった。が、つい先日知人が話の序でに教えてくれた上、そこに案内までしてくれたことがきっかけで、「大阪市内で唯一の滝」の在りかを知ることが出来た。

その「滝」は、大阪市市内の夕陽が丘近郊にあった。「玉出の滝」といった。聖徳太子が建立した四天王寺前の大阪市営地下鉄「夕陽ヶ丘駅」を出て谷町筋から西に向かうと、「天王寺七坂」や「安居神社」、「一心寺」など、寺社や名所が点在する上町台地の歴史のまち、伶人町の中にある。

その天王寺七坂のひとつ、清水坂を登り、細い道を行くと清水寺に着く。本堂の前を抜けて墓地に挟まれた石段にさしかかると、水音がかすかに耳朶を打った。足早にそちらに向かうと、目指す「玉出の滝」に着いた。

「玉出の滝」は、「那智の滝(和歌山)や不動の滝山(岩手)」のように山の頂上から滝壺めがけて怒涛のように流れ落ちる巨大な滝とはスケールが違う。

境内南側の崖から突き出した三つの石造樋から、水道水と同じ程度の量の水がまとまって流れ落ちる、こじまりとした滝だ。

しかし5メートル下の石畳を打つ三筋の水の音は、大きな響きを伴い、その響きは人の心の奥底の隅々にまで行き渡る、いかにも「行場の滝」という感じだ。

知人によると、この「滝」には、落水で修行する常連の人がいるが、新年には滝に打たれて、延命長寿などを祈願する人が訪れるという。

実は、この「玉出の滝」を見た瞬間、京都の清水寺にある「音羽の滝」と瓜二つだと感じた。私の亡くなった母親のいとこの嫁ぎ先が京都清水寺の皿坂にある清水焼の窯元だったので、そこに遊びに行った時見たのが、この「音羽の滝」だった。

案の定、この清水寺は京都の清水寺を、寛永17(1641)年に模して建立した寺で、かつては京の清水にあるような懸造りの舞台も存在していたらしい。

さて、大阪唯一のこの「玉出の滝」は、近くにある四天王寺の金堂の下の清竜池から湧き出る霊水が、ここまで流れてきて滝となっているという言い伝えもあるところから、大阪の歴史の香りと地形の面白さを感じさせてくれる。

余談ながら、この「玉出の滝」の側に、冒頭に記した「安居天神」がある。真田幸村の憤死の跡として知られている神社である。

大阪夏の陣で決戦を挑んだ西軍の真田幸村は、天王寺口(茶臼山付近)に布陣した。徳川方の主力が天王寺方面に進出してくることを予測してのことである。

真田幸村の狙いは、家康の首を取り豊臣家を再興させる戦略だった。真田隊は一丸となって突撃を開始、東軍の先鋒越前軍一万三千を撃破。ついに家康の本陣営に突入。この真田陣の猛攻で、家康の旗本は大混乱に陥り、ついに家康の馬印までが倒されたという。

馬印が倒されたのは、武田信玄に惨敗した三方ヶ原の戦い以来、2度目だった。家康も本気で腹を切ろうとしらしいが、側近に制止され思い止まる。家康が幾多の合戦で切腹の決断を迫られたのは、後にも先にも生涯でこれが2度目である。

だが、真田隊も猛反撃に遭って劣勢となり、今度は家康が、総攻撃を命じた。幸村の要請にも拘らず大阪城からの加勢は現れず、戦場で傷ついた幸村は、ここ「安居天神」の中の樹木に腰を下ろして手当てをしているところを、越前軍の兵に槍で刺され、落命した。

こんな大都会のまちのまん中で、行場ともいうべき市内で唯一の「玉出の滝」が、真田幸村の戦場の近くであったことなどと結びつけて思い馳せていくと、この小さい滝の周辺は見て回るだけでも楽しい歴史が蘇ってくる。(了)

2017年11月29日

◆イスラエルよ、おまえもか

                     宮崎 正弘

<平成29年(2017)11月28日(火曜日)弐 通巻第5526号>    

 「イスラエルよ、おまえもか」。中国から160億ドルの熱狂的投資
   卓越したAI開発、新規テクノロジー開発企業に中国ファンドがドンと

 イスラエルの技術の象徴はITのソフト、AI開発。ハッカー対策。い
ずれミサイルの目など武器に転用される。イスラエルのハッカー対策技術
には、日本もおおいに注目し、その技術を導入している。

テルアビブ大学のキャンパスに奇妙なオブジェが建立されている。巨大な
馬をイメージするのだが、材料はすべて使い古したPC、iフォン、コン
ピュータ部品で成り立っている。次々と迅速に雷速に次のコンピュータ技
術が開発されるから、新しいと思っていた技術がすぐに古くなることを象
徴しているようでもあり、かたちは「トロイの木馬」を想像させる。

やってきた。この迅速極まりないテクノロジー開発企業に中国マネーが乱
舞し始めたのである。

最初は2011年のことだった。香港財閥第1位の李嘉誠がやってきた。技術
開発企業の株式を買った。爾来、毎年16%平均で中国からの投資は増えた
が、2016年には、160億ドルの巨額に達していたことがブルームバー
グの調査で判明した。

習近平の「一帯一路」に便乗しているが、意図はまったく違う。中国はイ
スラエルのインフラ整備に投資はしておらず、露骨な企業買収というかた
ちはとらず、資本参加、技術提携が主体で、実質のテクノロジー開発企業
を運用し、新技術を自らのものにしようというのが究極の狙いとされる。
(もっとも新興企業の大半は上場していないから、企業買収は不可能であ
る)。

2016年1年間で、中国が世界のハイテク企業に投下したカネは合計で378
億ドルに達した(サウスチャイナモーニングポスト、11月27日)。  
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 あの信時潔『海道東征』が2月2日に、大坂で再公演されます。
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信時潔『海道東征』カンタータが2月2日に、大坂で公演です
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大好評だった交声曲 会場を揺らす迫力! 東京大成功に続き、再び大阪に
 『海道東征』コンサート
 信時潔 作曲、北原白秋 作詞

 「海ゆかば」の作曲家としても知られる信時潔、畢生の大作カンタータ
 指揮  山下一史
 管弦楽 大阪フィルハーモニー交響楽団
 合唱  大阪フィルハーモニー合唱団
     大阪すみよし少年少女合唱団
 とき  2月2日(金曜)18:30(17;30開場)
 ところ ザシンフォニーホール(大阪市北区大淀南2−3−3)
     http://www.symphonyhall.jp/access/
 S席=7000円 A席=6000円
 主催  産経新聞社
 チケット    06−6453−2333
 チケットぴあ  0570−02−9999
     ☆

◆米国と対等の地位を印象づけた中国

櫻井よしこ


「米国と対等の地位を印象づけた中国 日本にとって最悪の国際環境が
到来」


 後世、ドナルド・トランプ米大統領の初のアジア歴訪は、米中の力関係逆
転の明確な始まりと位置づけられるだろう。そこに含まれている歓迎すべ
からざるメッセージは中国共産党の一党独裁が、米国の民主主義に勝利し
たということであろう。中華民族の偉大なる復興、中国の夢、一帯一路な
ど虚構を含んだ大戦略を掲げる国が、眼前の利害に拘り続けるディール
メーカーの国に勝ったということでもある。

日米両国等、民主主義でありたいと願う国々が余程自覚し力を合わせて体
制を整えていかない限り、今後の5年、10年、15年という時間枠の中で国
際社会は、21世紀型中華大帝国に組み込まれてしまいかねない。

孫子の兵法の基本は敵を知り、巧みに欺くことだ。中国側はトランプ氏と
その家族の欲するところをよく分析し、対応した。自分が尊敬されている
ところを形にして見せて貰うことに、過去のいかなる米大統領よりも拘る
性格があると、米紙「ウォールストリート・ジャーナル」が11月10日付で
書いたのがトランプ氏だ。中国側はこの特徴を巧みに利用した。それが紫
禁城の貸し切りと100年以上未使用だった劇場での京劇上演に典型的に表
れた。

トランプ氏は、中国訪問後にベトナムのダナンでアジア太平洋経済協力会
議(APEC)の首脳会議に出席し、その後ハノイに向かったのだが、ダ
ナンからハノイに向かう大統領専用機で行った随行記者団との懇談で、以
下のように語っていた。

「紫禁城のあの劇場は、今回、100年ぶりに使用されたんだ。知ってる
か? 100年間で初めて、彼らは劇場を使ったんだ。なんとすばらしい
(amazing)。我々は相互に凄い友情を築いた」

トランプ氏がどれ程喜んでいるかが伝わってくる。ちなみに氏の話し方の
特徴は、同じ内容を2回、3回と繰り返すことで、辟易する。たとえば、
「習(近平)とは非常にいい関係だ。彼らが準備した接遇は、今までにな
い最大規模のもてなしだ。今まで一度もなかったんだ。彼は『国賓待遇プ
ラス』と言った。彼は言った。『国賓待遇プラスプラス』だと。本当に凄
いことだ」という具合だ。

もう一点、中国が活用した対トランプ原則が「カネの効用」だった。28兆
円に上る大規模契約(スーパービッグディール)で、元々理念のないトラ
ンプ氏は民主、自由、人権、法治などの普遍的価値観に拘る米国の「理念
外交」を捨て去って、彼特有の商談を優先する「ディール外交」に大き
く、わかり易く転じたのである。

ではこれで中国側が得たものは何か。実に大きいと思う。まず、北朝鮮問
題では、中国が最も懸念していた米軍による攻撃が、少なくとも暫くの
間、延期されたと見てよいだろう。日本政府には今年末から来年にかけて
何が起きてもおかしくないとの見通しがあった。しかし、米中が握った
今、軍事紛争に発展する可能性は、金正恩氏が新たな核実験や今まで一度
も行っていない米国東部に到達する大陸間弾道ミサイルの実験に踏み切ら
ない限り、少なくとも、先延ばしされたと見てよいだろう。

孫娘のアラベラさんが中国語で歌う姿をトランプ氏はアイパッドで習近平
夫妻に披露したが、曲目は、「希望の田野の上で」だった。習夫人の彭麗
媛氏が1982年に歌ってスターダムに駆け上がるきっかけとなったものだ。
「満点だ」と習氏は破顔一笑した。米国がまるで教師にほめられた学生の
ように見えた場面だった。

北朝鮮対処という個別案件で「最悪の軍事衝突」を回避したうえに、世界
注視の中で中国は米国と対等の地位を印象づけ、中国の時代の到来を誇示
して見せた。米国圧倒的優位から米中対等関係への変化は、日本にとって
最悪の国際環境であることを肝に銘じたい。

『週刊ダイヤモンド』 2017年11月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1208

◆淀川河底に沈んだままの蕪村の生家

 毛馬 一三                     

江戸時代の俳人与謝蕪村の生家は、淀川の河底に埋没しているのは間違いないのですが、一体河底の何処に埋没させられて仕舞ったのでしょうか。詳しい場所は未だ不明です。

確かに、大阪毛馬の淀川堤防に「蕪村生誕地」と書いた「記念碑」が建立されてはいます。しかし「蕪村生誕し幼少を過ごした生家」は、この場所ではないことははっきりしています。

実は「蕪村の生家」が、冒頭に記したように、淀川堤防から眼下に見える「淀川の川底」に在るのは事実です。なぜ淀川の川底に埋没されたのでしょうか。これは追々。

徳川時代の淀川は、よく手入れが行われていましたが、明治維新後は中々施されていなかったのです。ところが、明治18年に淀川上流の枚方で大水害が起き、下流の大阪で大被害を受けたことをきっかけに、明治政府がやっと淀川の本格的改修に乗り出しました。

その際明治政府は、単なる災害防止ためだけではなく、大阪湾から大型蒸気船を京都伏見まで通わるせる航行で「経済効果」などの多目的工事に専念することを決めました。

そのために淀川の河川周辺の陸地を大幅に埋め立て、それまでの小さな淀川を 大きな河川にする大改修を立案したのです。

これに伴い、旧淀川沿いにあった「蕪村生家」地域は埋め立ての対象となり、すべて「河川改修工事」によって川底に埋められて仕舞いました。

さて、明治政府は関西の大型河川・淀川を大改修するため、オランダから招いた河川設計者・デ・レーケとフランス留学から帰国していた設計士沖野忠雄とを引き合わせ、「淀川大改修」の設計を依頼しました。

明治政府の依頼を受けた2人は、「大改修工事」の設計を創り上げ、明治29年から工事を開始しました。

とにかくこの大型改修設計は、大阪湾に京都の宇治川や桂川、奈良からの木津川を中津川に合流させ、一気に淀川として大阪湾に繫ぐ、巨大な設計でした。

そうすれば貨物蒸気船を大阪湾と京都を結んで航行させることが出来、逆に京都・枚方などで大水害が起きた場合でも大量の水量をさらりと、大阪湾に流すことが出来るのです。二本立ての「効果狙いの設計」でした。

勿論、上流の災害で流出してくる「土砂」が、大阪に被害を与えないため「毛馬閘門」設計も創りました。

これが淀川から大阪市内に分岐させる「毛馬閘門」の設計主旨だったのです。この「毛馬閘門」からは、淀川本流から分岐して大阪市内へ流れる河川を設計しました。その河川の名を「大川」と名付けたのです。

この「大川への分岐設計」で、上流の水害に伴う土砂流失の回避は実現し、大阪の上流からの防災は、今日まで護られているのです。

このように2人による設計書は、世界の河川工事技術水準に準じたもので、明治政府が施工した「河川大改修工事」としては全国的に見ても画期的なものでした。

同工事は、明治29年から明治43年まで行われ、設計通り完成しました。

ここから本題。この「河川大改修工事」によって、与謝蕪村が生まれ、幼少を過ごした大阪市都島区毛馬町(摂津国東成郡毛馬村)は、跡形もなく淀川に埋没させられ、深い川底に沈んで仕舞いました。

明治政府の強制でしたから、当時の住民は仕方なくそれに従ったようですが、川幅も660b(従来の30数倍)となり、浅かった河の深さも5bの巨大河川に変容したのです。

この住居埋没の強制工事で、前述の如く、蕪村の生家(庄屋?)は勿論、お寺、菜の花畑、毛馬胡瓜畑跡などの、当時の地域の様子は皆目全くわかりません。今は淀川の毛馬閘門近郊にある蕪村記念碑から、淀川の眼下に見える川底が「蕪村が幼少を過ごした生家地域」だと想起出来るだけで、寂しい限りです。

淀川近郊の蕪村家(庄屋)の後継者の方といわれる毛馬町の家を訪ね、「家歴」を伺いました。しかし、「地図」も無いし、お寺も埋没して「過去帳」もないために、蕪村生誕地が淀川の河底にありことは間違いないですが、今でもどのあたりの河底にあるのか分かないのです。」という答えが返って来ただけでした。

「蕪村生誕300年記念」を過ごし、大阪毛馬町の「蕪村公園」と通り過ぎて、「毛馬閘門」と「蕪村記念碑」ある淀川堤防の上から眼下に流れる「淀川」を見ながら、その河底に蕪村生誕地があることを想いつつ、蕪村が幼少期をここで過ごしたのかと、ゆったりと瞑想して欲しいですね。

ところで本題。淀川近郊の蕪村家(庄屋)は、大阪毛馬町に在る「淀川神社」の氏子でした。このため年間の祭事や祈願の折は、この「淀川神社」に父母と一緒に蕪村「幼名―寅」は、参詣に通ったことが、江戸時代の慣習から推察出来ます。

また蕪村が、毛馬村を出奔し江戸へ下る決意を固めた時、氏子の立場から毛馬町の「淀川神社」に心底参詣し、将来の生き方を祈願したことは、当然のことと考えられます。

そこで、今の毛馬町「淀川神社」の境内に、蕪村生誕300年の前年の12月21日、協賛者のお力を頂いて高さ1m60pの銅製の「蕪村銅像」を建立しました。

望郷の念の強い「蕪村」は、この「生誕地参詣神社に銅像が建立したくれた」ことに喜んでくれて、これから自ら進んでここに帰郷して呉れるでしょう。また「淀川神社」も、「蕪村参詣神社」として、後世に伝承されるでしょう。

蕪村生誕300年を終え、これからは芭蕉・一茶に肩を並べるような「蕪村生誕祭」を進めて行く私たちの決意です。どうか与謝蕪村に厚意を寄せられる方は、この「蕪村生誕祭」の運営を進める私たちにお力を貸してください。お願い致します。

取材先:国交省近畿地方整備局淀川河川事務所

2017年11月28日

◆シリア内戦は終盤

宮崎 正弘

<平成29年(2017)11月27日(月曜日)通巻第5523号 >   

血の犠牲は45万余、難民が1200万人、再建に2000億ドル
  シリア内戦は終盤、アサド政権は中国の復興援助を熱烈に期待

「ISとの武装戦争に勝った」とロウハニ(イラン大統領)がテレビにで
て発言したあと、ロシアへ飛んでプーチンと会談した。「シリアの戦後」
はロシアとともに主導権を取る姿勢を鮮明にしたことになる。

トルコは反アサド路線なのに、このイラン、露西亜との3者首脳会談にエ
ルドアン大統領が強面顔で出席した。トルコ国内にかかえるクルド武装勢
力がどうでてくるか、頭痛の種だからである。

シリアの中国大使ムスタファは『サウスチャイナ・モーニングポスト』
(2017年11月26日)の取材に応じ、「中国の復興事業への協力、中国企業
の参入を歓迎したい。米国、トルコなどの参入より、シリアはロシアと中
国、インドとイランからの支援に期待する」とした。

見返りはシリア石油の輸出。前払い条件でのローンを組み、その資金は人
民元建てでも構わないというのが、シリア政権が中国に示している条件で
ある。中国にとって返済が危ない話だが、人民元による決済は魅力だろう。

しかし復興に必要とされる資金はおよそ2000億ドルであり、難民1200万人
の帰還事業とて、まるで手がついていない。

ましてIS残党はシリア北西部イドリブ地方で依然として武装闘争をつづ
けており、アサド政権の打倒路線をすててはおらず、完全な停戦が実現す
るにはまだ数年を要するだろうと予測されている。 
         
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●訃報●
アウン・ミン・ユン氏(「ベトナム革新党」日本支部長)
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誰からも愛され親しまれる有徳の人だった。アウン・ミン・ユンさんは寡
黙で静かで、しかし身体中で祖国ベトナムへの愛国を表現する稀有の運動
家だった。
 1975年にベトナムから日本へ留学。直後にベトナムは共産主義者に
統一され、やがて多くのボートピーポルが海を渡り、20万人ほどが日本
へもやってきた。その後、多くは米国、カナダ、豪へと移住したが、日本
には1万2000人が定着した。

 ユンさんは、ボートピーポルの救援に立ち上がって、獅子奮迅の活躍を
なし、次第に祖国を全体主義から自由な態勢に革新しなければならないと
して「ベトナム革新党」日本支部の設立に情熱を燃やした。
 ベトナムは中国との戦争を展開する果敢な国であり、親日国家でもあ
り、よもやまさか、この国がいまだに一党独裁の全体主義国家だと考えて
いる人は少ない。
 しかしメディアを独占し、反政府言論を封じ込め、政敵を追放し、ネッ
トを監視しているため国民の言論、結社、表現の自由はない。中国との戦
いも「北の国と戦争した」と教科書で教えているだけで、ベトナム戦争中
の韓国兵の虐殺、レイプなども表だっての抗議を控えている国である。
 
 ユンさんは勇気をもって立ち上がり、ボートピーポルでやってきて、そ
の後日本に定着した在日ベトナム人の組織化に没頭、ベトナムが自由にな
る日まで独身をつらぬくとして、家庭を持たず、清貧な暮らしを続けなが
ら次第に仲間を増やしていった。日本人の理解者も増えた。

 筆者が最初に氏とあったのはペマ・ギャルポ氏が中心の「アジア自由民
主連帯協議会」の席であり、チベット、ウィグル、南モンゴルに連帯し
て、ベトナム、カンボジアなどに人々が活動の輪を拡げていった。天安門
事件25周年東京集会では、石平、陳破空氏ら中国人代表のあと、ベトナ
ムを代表して所信をのべた。

 以後、筆者が代表を務める「南シナ海問題を考える会」では、昨年ベト
ナムから国会議員経験者や著名学者を招いてシンポジウムを開催したとき
縁の下の力持ちとして在日ベトナム人に参加を呼びかけた。実に寡黙な活
動家でもあった。

今年は「尖閣、沖縄、そして台湾」というシンポジウムでもベトナムを
代表して参加したばかり、ベトナムはとくにパラセル(西沙諸島)の一部
を中国に侵略されている。

ユンさんは11月19日に急逝され、26「日に桐ヶ谷祭場で告別式が厳粛 に
行われた。つい先日まで、あれほど元気に飛び回っていた印象だった
が、心臓が弱かったという。告別式会場には日本中からベトナム人が集合
し、さらには米国に住む実兄と「ベトナム革新党」の党首等も急遽、米国
から馳せ参じた。

「壮士、道半ばにして」の印象を抱きながら、筆者は告別式の会場へ向
かった。

式は仏式で、追悼の辞は多くが声を詰まらせ、涙を一杯にしながら、氏の
急逝を悼み、実績をたたえ、そして若者は「意思を継続する」と誓いを述
べた。

実にベトナムの告別式とは家庭的であり、また職業的僧侶を呼ばず、経を
暗記する人々が導師の衣服を着て、途中で五体投地を繰り返しながら、長
い長い音楽のような経を読むのだった。南無阿弥陀仏のところは、日本語
に似ていた。

ベトナム国家の正式の国旗(いまの赤にハンマーではない)と、ベトナム
革新党の党旗を8人のベトナム人男女によって高くかかげられて入場し、
柩を蔽った。

それぞれが心のこもった挨拶で、日本からは筆者のほかに、ボートピーポ
ル支援時代からの友人、小島孝之氏が出席して、涙ながらの弔辞をのべ
た。会場の桐ヶ谷齋場は二百名近い友人らで埋まった。

これほど暖かい、家庭的な、親密でまっすぐな心情を身体ごと表現すると
いう友人葬は近年の日本ではお目にかかれないので、こころに深く残る式
典となった。

「さようなら、ユンさん、志半ばにして逝った友よ」。

◆パイナップルも無かった

渡部 亮次郎


朝と昼の食事のあとは果物を必ず食べる。だから秋は楽しい。果物の種類
が豊富だからだ。冬が近付くとみかんに混じってときどき供されるのがパ
イナップルだ。

南国の果物だから生まれ育った秋田では子ども時代はお目にかからなかっ
た。敗戦後、缶詰を初めてたべて美味しかった。しかし
生を食べたのは大人になって上京後である。

アメリカから返還される前に特派員として渡った沖縄では畑に植わってい
るのを沢山見たが、なぜか食べなかった。今、東京のデパートで売られて
いるのは100%フィリピン産である。

「ウィキペディア」によれば、パイナップルの原産地はブラジル、パラナ
川とパラグアイ川の流域地方。この地でトゥピ語族のグアラニー語を用い
る先住民により、果物として栽培化されたものである。

15世紀末、ヨーロッパ人が新大陸へ到達した時は、既に新世界の各地に伝
播、栽培されていた。 クリストファー・コロンブスの第2次探検隊が1493
年11月4日、西インド諸島のグアドループ島で発見してからは急速に他の
大陸に伝わった。

1513年には早くもスペインにもたらされ、次いで当時発見されたインド航
路に乗り、たちまちアフリカ、アジアの熱帯地方へ伝わった。

当時海外の布教に力を注いでいたイエズス会の修道士たちは、この新しい
果物を、時のインド皇帝アクバルへの貢物として贈ったと伝えられる。

次いでフィリピンへは1558年、ジャワでは1599年に伝わり広く普及して
行った。そして1605年にはマカオに伝わり、福建を経て、1650年ごろ台湾
に導入された。

日本には1830年東京の小笠原諸島・父島に初めて植えられたが、1845年に
オランダ船が長崎へもたらした記録もある。

パイナップル(レユニオン)は植付け後15〜18か月で収穫が始まる。自然
下の主収穫期は、たとえば沖縄では7〜9月と11〜翌年2月である。

1年を通した生産面の労働力の分配や缶詰工場の平準化を図り、植物ホル
モンであるエチレンやアセチレン(カーバイドに水を加えて発生させ
る)、エスレル(2-クロロエチルホスホン酸)、を植物成長調整剤として
利用し、計画的に花芽形成を促して収穫調節を施している。

栽培適地は年平均気温摂氏20度以上で年降水量1300mm内外の熱帯の平地か
ら海抜800mくらいまでの排水の良い肥沃な砂質土壌である。

世界生産量の約5割がアジア州で、残りの5割はアフリカ州、北アメリカ
州、南アメリカ州の間でほぼ均等に分かれている。

2002年時点のFAOの統計によると世界生産量は1485万トン。1985年時点に
比べて60%以上拡大している。主要生産国はタイ (13.3%)、フィリピン
(11.0%)、ブラジル (9.9%)、中国 (8.6%)、インド (7.4%)、コスタリカ、
ナイジェリア、ケニア、メキシコ、インドネシアである。

1985年の世界総生産は923万トンで、主産地はタイ、フィリピン、ブラジ
ル、インド、アメリカ、ベトナムなどである。日本では沖縄県が主産地で
2002年時点では1万トンである。

1985年から2002年までのシェアの推移をたどると、米国のシェアが6%から
2%までじりじり下がっていることが特徴である。既に米国は上位10カ国に
含まれていない。2012・11・06