2017年12月17日

◆財務省「忖度説」の破綻くっきり

                     阿比留 瑠比

財務省「忖度説」の破綻くっきり 固執する朝日新聞が書くほど浮き上が
る別の構図


首相夫人昭恵氏への忖度で安く払い下げたというより、籠池氏の「恫喝」
に、一刻も早く問題物件を売り払いたい財務省が屈したというのが本当の
ところではないか。そこがより明確になってきた。まして安倍首相の関与
など、影も形も見えない。

■カケ→モリに重心

朝日はここのところ、森友学園ではなく加計学園の新獣医学部設置問題に
執心していた。それが急に森友問題追及へと重心を移したのはなぜか。

 朝日は文部科学省の文書にある「総理のご意向」という文言は、飽くこ
となく繰り返してきた。一方で、同文書にある「〜という形にすれば、総
理が議長なので、総理からの指示に見えるのではないか」という論調に合
わない部分は決して報じようとしないことが、広く知られてきたこととの
関係が注目される。

 読売新聞は11月28日付社説で、自民党の菅原一秀氏が11月27日
の衆院予算委でこの部分を取り上げたことについてこう主張した。

 「『これは、首相からの指示がないということではないか』との菅原氏
の指摘はうなずける」 財務省の「忖度説」をはじめ、朝日による一連の
モリカケ疑惑報道の破綻がはっきりしてきたように思える。(論説委員兼
政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】



◆郭文貴の一連の爆弾発言の意味と背景

宮崎 正弘

<平成29年(2017)12月15日(金曜日) 通巻第5548号 >  

 郭文貴の一連の爆弾発言の意味と背景
  バノンはなにゆえに、この超大物亡命申請者と特別に親しいのか?

12月13日)午後2時より、日本郭文貴後援会主催の記者会見(報告者:相林)
が開催され、約20名のジャーナリストや関心を持つ人々が参加されました。

相林氏は、天安門事件当時からの民主活動家で、既に30年をこの日本に在
住、今は日本国籍を取得しています。同氏はまず、当初は、郭文貴氏の証
言に対して、中国共産党の悪政と腐敗はすでに理解していたことから、特
に深い関心を持っていたわけではないけれど、やがて彼の証言の内容を知
るにつけ、これは共産党独裁政権に深い打撃を与え得るものだという確信
を持ったと述べました。
 
相氏は、郭文貴の証言は、自らが中国の有力者であり富豪として、政権中
枢部、工作機関、また軍関係などにも接して得ているものであり、中国政
府は明確な反論を何一つせずに、ただ、郭文貴を中国に強制送還せよとだ
け要求している、しかし、アメリカ政府も紆余曲折あったけれど、郭氏を
強制送還しないということは決まったようであり、今後はさらなる証言が
期待できると述べました。

その証言内容は、当日配布された資料に掲載されていますが、相氏は、今
回これまで政治に関心を持たなかった多くの華僑が、この郭氏の証言に
よって動き始めたこと、さらに、中国国内においても、ネットの力により
この証言内容が伝わっていることを実例を挙げて指摘しました。

相氏は、自分のツイッターなどでも、これまでの民主運動家関連ではあり
えなかった形の広がりを見せている、それを通じて、中国人が全く知らさ
れていない情報を(特に、反日教育の根拠のなさ、日本がどれだけ中国を
支援してきたかなど)を伝えていると述べました。

同時に、今回の王岐山の政治的敗北は、まさにこの郭文貴の告発によって
彼の腐敗が暴かれたことであること、また、郭文貴は現在のところ一切習
近平を批判していないが、それは戦略的なものであり、彼の今目指すもの
は、中国共産党独裁の妥当であると明言しました。

それは今後3年間の間に成し遂げねばならず、自分も、郭氏も、またの中
国民主運動家や今回立ち上った人々も、その覚悟を決めていると述べました。

同時に、中国政府の弾圧は、国内のみならず、日本在住の華僑にすら及ん
でおり、大使館の命令で戻された華僑のリーダーの中には、中国国内で幽
閉され、嘘の自白書に署名するまで釈放されない人、また自殺に追い込ま
れた人もいる。同時に、今中国政府は、このような在外華僑を、みな自国
のスパイとして再編成しようともしており、日本国の主権と安全保障のた
めにも、中国の華僑弾圧は決して他人ごとではないと考えてほしいと指摘
しました。


 ▼ブルー、ゴールド、イエロー計画とは?

また、中国の現在の海外メディア懐柔策として「ブルー、ゴールド、イエ
ロー計画」を相氏は指摘しました。

ブルー:情報アクセス、プロフェッショナルな名声。報道メディアが協力
的だと判断された場合は、中国共産党は、そのメディアに対し取材やアク
セスを認め、共産党支配の安定を損なわないレベルの内部情報は提供して
メディアを取り込んでいく。逆に中国共産党独裁に徹底して批判的と判断
したメディアに対しては取材を規制するか、ビザさえも供与されない。

ゴールド:企業への財政的恩恵。国は脱税については目をつぶるが、国が
(その企業の)利用価値を認めなくなった際には突然、刑事告発の証拠と
されることもある。

イエロー:セックス スキャンダル、ハニートラップ などにより、西側メ
ディアの人間の弱点を握り、中国共産党に逆らえないような状況に追い込
んでいく。

相林氏は、郭氏の暴露によれば、法輪功、またウイグル人を対象にした臓
器売買の残酷な実態も明らかになりつつあり、かって法輪功の証言を充分
信用しなかったことを反省しつつ、中国での日本人の臓器移植についての
事例も今後明らかにしていく予定であると述べました。

質疑応答の部分では、マレーシア航空の飛行機が行方不明になった事件、
また日本の銀行や企業に対する様々な不正資金が中国から贈られているこ
とや、そして意図的な株価操作の可能性などにも触れられ、郭文貴氏の告
発は膨大なものなのでまだ十分整理しきれていない、今後は日本に関連す
る情報をより整理して発信していきたいと述べました。

最後に相林氏は、中国共産党がこのまま強大な力を持ち続ければ、アジア
や世界の平和が訪れることは絶対にない、自分たちは日本の皆さんと共に
この危険な平和の敵と戦ってほしいが、仮にそれが難しくても、私たち中
国人だけでも共産党を倒す覚悟でやる、その場合、できれば、中国の今の
独裁政権への経済支援だけはやめてほしいと強調しました
当日の配布資料から重要と思われる部分を引用しておきます。
   (文責 三浦)

(情報入手経路)2015年1月、郭文貴さんは、明鏡メディアグループ
(Mirror Media Group)とVOAを通じて、中国共産党の不正を暴露しまし
た。その内容の多くは現役中国共産党幹部の不正です。中央政治局常務委
員で中央規律検査委員会監察部書記を務め中国共産党事実上のNo.2とみら
れた王岐山氏および彼の家族の莫大な腐敗行為や、中央政法委員会書記の
孟建柱氏およびその部下の孫立軍氏の腐敗と不正な法執行を暴露しました。

郭文貴さんは暴露材料をどのように取得したのでしょうか?次の3つの経
路から取得しました。
 
aの経路。郭文貴さんの会社は、軍および国家安全部と提携していまし
た。また、別の軍や国家安全部と提携している別の企業とも取引がありま
した。軍、国家安全部、取引先と関係を深めていくうちに郭文貴さんは不
正と腐敗を知ってしまいました。

bの経路。国家安全部の中には、郭文貴さんのため、また自分自身の安全
確保のために不正や腐敗の情報を郭文貴さんに漏らしてくれることがあり
ました。

cの経路。郭文貴さんがアメリカで暴露を開始した後、中国国内から不正
と腐敗の情報を郭文貴さんに提供してくれる暴露支援者が現れました。
ネットユーザーや一般市民だけでなく、中国共産党の体制内部の人間や一
部の政府高官も郭文貴さんに情報を提供しています。


 ▼海外華僑への巧妙な弾圧

(華僑弾圧)2016年の後半から、中国の多くの地方で、華僑のリーダ、
実業家、エリート等の行方不明事件が相次いでいます。

彼らは、中国の国保(国家安全局)に違法に逮捕され、要求された自白を
するまでに、窓のない牢屋に入れられ、お風呂、シェーブ、ネールカット
もできない状態になっていました。その期間に、親族は彼らの行方が分か
らず、彼らも外のことが分りません。自殺したい人もいました。

今、中国とビジネス関係をもっている多くの方は、敢えて中国へ行って正
常なビジネスができず、一部の方が日本に戻っても、中国当局からの圧
力、中国大使館領事館の監視で異常に恐怖感を感じています。もっと大変
なのは、一部の会社が経営できず、家族がお互い会えず、正常な生活がで
きないことです。一部の方は、毎週国保に電話することと強制され、毎日
のしたことを報告するように要求されます。

(臓器売買)2017年10月、4日に予定されていた米シンクタンク、ハドソン
研究所主催のイベント、「郭文貴と話す会」は直前になって中止となっ
た。郭氏はその後のYouTube動画でイベントの中止について「江沢民の息
子江綿恒の臓器移植の内幕を暴露したことが原因だ」と話し、江沢民派の
勢力が米政府に浸透していると警告した。

郭文貴氏は9月公開の動画で、江沢民息子の江綿恒氏がかつて3回もの腎臓
移植を受け、そのために5人が殺され、手術に関わった医師が相次ぎ自殺
したと暴露した。

中国共産党高官が長生きする秘訣は継続的な臓器移植だー。米国逃亡中の
中国人富豪・郭文貴から衝撃的な発言が飛び出した。郭は、中国共産党高
官はガンなどの病気を患った場合、生き続けるために臓器移植を受けてい
る。臓器は刑務所の囚人から「需要に応じて摘出されている」と話した。

中国最大の資源は14億人もの国民。彼らは、共産党高官たちのための、枯
渇することのない「人体バンク」となっている。


 ▼バノン登場

(3年以内の中国独裁体制打倒とバノン氏との連携)

先日、郭文貴氏がニューヨークでAFPの独占取材に応じ、世界最大の人口
を持つ中国の「体制転換」と民主主義の導入を目指していると語った。
郭氏は、「私は法の支配を手にしたい。民主主義や自由を手にしたい。体
制転換……それが最終目標だ」と語った。

郭氏は年内に立ち上げ予定の新たなメディア・プラットフォームを使って
中国の共産主義体制の欠陥を明らかにすることで、3年以内の目標達成を

指している。
 郭氏は意外な「味方」がいることを明らかにした、トランプ米大統領の
側近だったスティーブ・バノン前首席戦略官・上級顧問だ。郭氏はバノン
氏とこれまでに10回会い、計画中のメディア・プラットフォーム媒體平台
について話し合ってきたという。郭氏は、「ご存じだろうが私は金持ち
だ。この(プラットフォームの)ために大金を準備してきた」と語った。

◆ 「慰安所の帳場人の日記」は何を物語るか」

                   櫻井 よしこ


東亜大学人間科学部教授の崔吉城氏の近著に、『朝鮮出身の帳場人が見た
慰安婦の真実 文化人類学者が読み解く「慰安所日記」』(ハート出版)
がある。

この「慰安所日記」とは、戦中、ビルマ(現ミャンマー)やシンガポール
の慰安所で帳場人として働いていた朝鮮人男性の日記だ(以下『帳場人の
日記』)。慰安所の実態を誰よりもよく知る立場にあった人物の記録であ
り、慰安婦の実態を知るこの上ない手掛かりとなる。それだけに、意気込
んで手に取ってみた。

しかし、読んでもどかしい思いが残る。もっとはっきり知りたいと思うと
ころに仲々行きつかない。

崔氏は3年前、同じ出版社から『韓国の米軍慰安婦はなぜ生まれたのか』
も上梓している。合わせて読めば、氏が『帳場人の日記』に深い関心を寄
せ続けてきたこと、日記をできるだけ客観的に読み解こうとしていること
も、明らかである。

氏は、「国家や戦争などを通じて性を考察すること」をテーマとしてきた
という。背景には、10歳の頃に勃発した朝鮮戦争の体験があった。序章か
ら引用する。 

「国連軍は平和軍であり、共産化、赤化から民主主義を守ってくれる天使
のような軍だと思われていた。だからみんなが手を振って迎えたのに、村
の女性に性暴行するとは、思いもよらないことであった」

氏の生まれ故郷の村では儒教的な倫理観が強かった。しかし、「戦争とい
う不可抗力と、性暴力の恐怖によって、住民たちは売春婦、つまり『米軍
慰安婦』を認めざるを得なかった」、「国連軍に翻弄された小さな私の故
郷の村は、売春村となった」、それによって「一般の女性たちが性暴行を
免れることができた。いま問題となっている慰安婦問題にも、そうした側
面があったのか」と、氏は問うている。重要な問いだ。

慰安婦問題は日本だけではなく、国連軍や各国の軍を含めた問題である。
さらに加害、被害の両面において、韓国自身も関係するという認識が、崔
氏の分析を公正なものにする力となっている。

韓国では「慰安婦は被害者から愛国者へと変換され、民族的英雄のように
銅像が建てられ、拝まれているが、実はその現象は、新しいものではな
い」と氏は指摘し、 妓生(きーせん)の論介(のんげ)の例を引用する。

当時の事実

朝鮮の人々が日本人を「倭」と呼んでいた時代、妓生の論介は国を守るた
め、敵である日本の武将を抱いて川に身を投じたそうだ。韓国の人々は慶
尚南道晋州に彼女を奉る『義妓祠』を建てて、彼女を英雄から神に祭り上
げた。妓生や売春は儒教的道徳観によって否定されるが、政治的要素で状
況は大きく変わり得るということだ。

『帳場人の日記』は4年前の2013年8月、ソウル大学名誉教授の安秉直(ア
ンビョンジク)氏が解説する形をとって韓国で出版された。同書は韓国に
おいて、慰安所は「揺るぎない日本軍の経営」の下にあり、従って慰安婦
も厳しく監視されていたという主張の論拠となる資料だとされた。反対に
日本では、慰安所が公娼制度の下で営まれていたことを示す証拠と見做さ
れた。

前述のように崔氏は、どちらの側にも与(くみ)しないよう、慎重に本にま
とめた。内容が物足りないのは、日記の日本語訳が部分的な引用にとどま
り全体として示されていないからであろう。全てを日本語訳で出版できな
いわけを私は知る由もないが、慰安婦問題を正しく知る上で残念なことだ
と思う。

それでも崔氏の著作は、当時、慰安所がどのように位置づけられていたの
か、どんな人々が関わっていたのかを、教えてくれる。過去の事象に現代
の価値観や見方を当てはめるのではなく、帳場人だった朴氏の視線を通じ
て当時の事実を見せてくれる。朴氏は1942年7月に釜山からビルマのラン
グーンに向かう船上にいた。第4次慰安団の一員だったのだ。同じ船に、
高額の貯金を残したことが日本でも知られている慰安婦の文玉珠氏も乗っ
ていた。

ラングーン到着後、朴氏は暫くして慰安所で働き始める。11月にはアキャ
ブという所に移動しているが、この地にあるシットウェーという港は、近
年中国が巨額の資金を投じて整備し、中国海軍が拠点としている。年が変
わった43年、氏は再びラングーンに戻り、その後幾つもの市や町を移動し
た。慰安所は1カ所に定着して営業することはあまりないのだと実感する。

各地を移動し、43年の9月末にはシンガポールに移り、朴氏は翌年の44年
12月に故郷に戻った。

その間に朴氏は自分や同僚のために、また慰安婦の女性のためにも驚く程
の送金をしている。たとえばビルマに戻って日も浅い43年1月16日、朴氏
は慰安所経営者の山本龍宅氏から3万2000円を故郷の家族に送金するよう
指示されたと書いている。実はこの山本氏は、朴氏の妻の兄弟である。朴
氏の働いた慰安所は同胞が経営していたのだ。朴氏の日記には慰安所経営
者として多くの日本名が登場するが、人間関係を辿っていくと、その多く
が朝鮮人だと崔氏は指摘する。

「本人に戻るブーメラン」

朴氏が、妻の兄弟から送金を頼まれた3万2000円は現在の貨幣価値ではど
のくらいなのか。崔氏は当時の公務員の給与を75円、それがいま約20万円
として計算した。3万2000円は現在8530万円になる。

「実に、1億円近い大金が、行き来していたわけである」と崔氏は驚いて
いるが、朴氏が朝鮮の家族や自分の口座に送金した中に、1万円台、2万円
台、3万円台の額が目につく。1億円近い額を2年の間に数回送金できた
程、慰安所経営は利益が上がったということだ。

他の多くの慰安所でも同じような状況があったはずだ。女性たちも高額の
収入を手にし、経営者は慰安所を営み、時にはそれ自体を売買していた。

わずかだが、慰安所での生活も紹介されている。朴氏は公休日には映画を
よく見たようだ。「たいていは同業者と一緒」だが、「時には慰安婦たち
や仲居などと一緒」だった。「鉄道部隊で映画があり、慰安婦たちが見て
きた」という記述もある。

朴氏の日記を精読した崔氏が結論づけている。そこには慰安婦の強制連行
に繋がるような言葉すらない、と。氏は、「性的被害をもって問題とする
ことは、どの国、どの民族でも可能だ」、従って「韓国が、セックスや貞
操への倫理から相手を非難することは、韓国自身のことを語ることに繋
が」る「いつか必ず本人に戻るブーメラン」だと強調する。韓国はそのよ
うな対日非難をただちに中止すべきだというのが氏の結論だ。私は同感だ
が、トランプ大統領との晩餐会に元慰安婦を招く政権の耳には、この直言
は届かないのである。

『週刊新潮』 2017年12月14日号 日本ルネッサンス 第782回

    

◆京都山科だより 「門跡寺院」

渡邊 好造


日本全国の寺院数は約18万3千、「日本寺院総監」に掲載されているのは7万6千というが、皇族や摂家などのいわゆる高格式者の出家の対象となる『門跡(もんぜき)寺院』は、京都を中心に全部で30余りしかない。

第59代宇多天皇が、寛平10年(平安時代・898年)法皇となり、京都(右京区)の”仁和寺(にんなじ=真言宗)”にこもり、「御室(おむろ)門跡」と称したのが”門跡寺院”の始まりである。

鎌倉時代に入って、皇族や摂家が特定の寺院に出家することが定着し、室町時代には寺格としての門跡が確立され、これらの政務を担当する門跡奉行も設けられた。

その後、 江戸幕府は出家者の位階により @宮(みや)門跡、A摂家(せっけ)門跡、B清華(せいが)門跡、C公方(くぼう)門跡、D准(じゅん)門跡の5つの門跡寺院を制度化した。

最上位の「宮門跡」は、親王(皇族)、法親王(親王の宣下をえた僧)の出家者を対象としたもので、13寺院あるうち”輪王寺(りんのうじ=天台宗=茨城県日光市)”、”園満院(えんまんいん=天台宗=滋賀県大津市)”以外は全て宮家の中心であった京都市内にある。

ついでながら、”園満院”については、平成21年(2009年)5月に重要文化財の建物9棟、庭園・土地1万4千平米が寺院の借金返済のために競売となり、約10億円余りで滋賀県甲賀市の宗教法人に落札され、同年8月所有権移転が成立するという所管の文化庁もビックリの異例の事態となった。

ただし、建物以外の文化財は第2次大戦後に京都、奈良、九州などの国立博物館所蔵となっていたため無事である。

「摂家門跡」は、近衛、九条、二条、一条、鷹司の五摂家とその子弟が、「清華門跡」は、久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院(かさんのいん)、大炊御門(おおいのみかど)、今出川、醍醐、広幡(ひろはた)などの公家、「公方門跡」は武家、「准門跡」は"脇門跡"ともいわれ、特別に認められたその他の高格式者がそれぞれ対象となる。

さて注目したいのは、京都市内11の「宮門跡寺院」のうち3つがここ「山科」にあることで、”勧修寺(かじゅうじ)=真言宗”、”毘沙門堂(びしゃもんどう)=天台宗”、そして”青蓮院・大日堂(だいにちどう)=天台宗=東山区の青蓮院の飛び地庭園”がそれである。

その他の門跡寺院も含めると、”安祥寺(あんしょうじ)=真言宗”、”随心院(ずいしんいん)=真言宗”が加わり、この5寺院については「山科だより」で詳しく紹介してきたが、改めて概略にふれておく。

”勧修寺”は、「山科門跡」ともいい、水戸光圀寄進の勧修寺型燈篭、境内の"氷池園"という名の平安時代・池泉園で知られる。”毘沙門堂”は、狩野益信筆の書院の襖絵116面が有名。”青蓮院・大日堂”は、将軍塚といわれる展望台からの京都中心部と山科の眺望が素晴らしい。

”安祥寺”は、広大な領地を誇り上寺と下寺をもつ寺院であるが、現在院内への入場は残念ながらできない。”随心院”は、平安時代36歌仙の一人"小野小町"一族所縁の邸宅跡に創建された寺院で、境内は国史跡である。

「山科」は、『門跡寺院』の存在でみても、歴史と伝統を引き継ぐ由緒ある京都の一角なのである。 (完)

2017年12月16日

◆共和党の危機

Andy Chang

アラバマ州の上院議員補欠選挙は共和党のロイ・モーア候補が大接戦のあ
と遂に落選した。開票が81%の時点で2万5千票もリードしていたのに、開
票が85%になった時は同点、91%の時点で8千票を失い、最後に民主党のダ
グ・ジョーンスが当選した。セクハラ問題で共和党シンパは投票せず、黒
人と女性がジョーンズに投票したので最終計票で2万票も負けた。

モーア氏が落選して国会の共和党議員は安堵したと言う。セクハラ問題で
民主党側のフランケン議員もコーニエ議員も辞職したのに、セクハラで問
題のあるモーア氏が当選したら共和党側は歓迎するわけにいかないし、当
選した議員に辞職を迫るわけにもいかない。落選してくれて有難うと胸を
なでおろしたしたと言う。

共和党は1人減って51人の僅か一票多数となり、これが来年の中間選挙と
三年後の総選挙にも影響する結果となった。

モーア氏が落選したので民主党側は次の目標をトランプのセクハラ問題、
女性問題に集中している。トランプが辞職するはずはないからトランプに
対する攻撃は続く。

共和党にとってトランプは重荷である。今ではセクハラは国上げての問題
だし、トランプはセクハラ攻撃の最大目標だから民主党が追及の手を緩め
る筈はない。

●トランプの功罪

トランプが大統領になって以来、アメリカの経済は好転し、失業率は下が
り株価は上昇を続けている。内政外交の両面で次々と新政策を発表し、賛
成も反対もある。

業績は悪くはないけれどトランプは強引で独断的なので敵が多く、民主党
は反トランプ、メディアの報道は90%がトランプに批判的だからアメリカ
は今後も分裂した状態が続く。

共和党にとってトランプは良い大統領ではない。党内でも反トランプの議
員がいるし、トランプが党に有利な発言をしたこともない。国民の大半は
反トランプだから選挙の際にトランプの支持が有利か不利かもハッキリし
ない。トランプ絶対反対だから共和党に投票しない人も多い。

●共和党の税制改革法案

選挙が終わって上院では来年から共和党51票となる。しかもマッケイン議
員は脳腫瘍で間もなく入院する可能性があるからまた一票減る。だから共
和党は年内に税制改革法案を通す必要がある。税制改革法案は既に下院案
と上院案の違いを修正して来週中に投票する予定である。

民主党のシューマー議員は、税制改革法案の投票はアラバマ州で当選し
たジョーンズ氏の来年1月の就任まで待つべきだと提案した。そうなった
ら共和党51票のうち党内の反対者も出るかもしれないから、来週早々法案
を通して国会はクリスマスと年末休暇に入る予定である。

●トランプは共和党の足枷だ

モーア氏落選で民主党側はトランプのセクハラに焦点を定めている。今や
セクハラ糾弾は政治家にとって致命的効果をもつが、トランプはセクハラ
問題の最大且つ最終の目標だしトランプが攻撃されて辞職するはずは殆ど
ないからセクハラ糾弾は何年も続き、今後の選挙に大きく影響するのは間
違いない。つまりトランプは共和党の足枷である。

共和党側には自党の法案にも反対票を入れる議員もいるかもしれず、トラ
ンプに批判的な議員も数人いる。この状態で来年の中間選挙に臨めばトラ
ンプのセクハラ糾弾が候補者の足枷となる可能性は大きい。トランプは辞
任しないから三年後の総選挙ではトランプ再選と国会議員選挙まで民主党
のセクハラ攻撃は続く。共和党の危機である。

●民主党側も問題がある

トランプと共和党にとっての救いは民主党側も問題がたくさん溜まってい
ることだ。前にも書いたヒラリーのウラニューム・ワン疑惑(AC通
No.665)と民主党のトランプ文書(AC通信No.666)の調査は始まったばか
りだが、数日に起きた新しい事件ではトランプのロシア癒着調査にも疑問
が起きた。

マラー特別検察官の部下で、FBIのPeter Strzok 調査員とLisa Page FBI
弁護士の間の交信メールが3000通も司法部の調査によって公開されたの
で、FBIが大統領選挙の半年前からヒラリーが絶対当選するため、ロシア
文書やトランプのロシア癒着をでっち上げした「確実な証拠」が発表された。

これでマラー検察官の調査員が当初からトランプに不利な情報をでっち上
げた可能性が出てきた。つまりマラー検察官のロシア癒着調査の信憑性が
問題化したのだ。

ここに挙げた3つの事件は、オバマの大統領時代に国務省、司法省とFBI
がヒラリー当選の為に不公平どころかトランプ降ろしの陰謀を主催してい
たと言う、アメリカ250年の歴史に1度もなかった重大事件である。これ
らの調査が進めば共和党の党内不和やトランプの足枷など問題でなくな
る。コーメイ元FBI長官が調査を開始する前からヒラリー不起訴を決定し
ていたことも国会が調査中である。

●共和党の危機

共和党にとってトランプは有害でなくとも無益である。トランプとマッ
コーネル上院議員、トランプとマッケイン議員の不和は衆知のことだが、
2人の外にもトランプを批判して次期選挙に出馬しないと発表した議員も
いて来年の選挙で新しい候補者を探す問題が起きている。

マッコーネル議員の統率力も問題だ。中間選挙で共和党が過半数を失え
ば民主党多数の上院でトランプ政権の法案が通らなくなる。三年後の総選
挙にも大きく影響する。

トランプは絶対に自分の過ちを認めない自大狂で、少しでも批判されれば
必ず敵味方を問わず反撃する。メディアは今後も反トランプの方針を変え
ない。アメリカの混乱は今後も続くから共和党議員が団結しなければこの
数年のうちに議会での優勢を失うだろう。民主党、オバマ、ヒラリーの調
査が共和党にとって唯一の救いかもしれない。

◆ネパールの左翼政権

宮崎 正弘

<平成29年(2017)12月15日(金曜日)弐 通巻第5549号 > 

ネパールの左翼政権、いちどキャンセルした中国主導の水力ダムを復活か
  インドが激怒するなか、カトマンズ新政権は均衡外交の綱渡りを再開
 
 ネパールの総選挙の結果、左翼連合が165議席の113を占め、3分の1以
上を確保したため、かなり強硬な政策に打って出る可能性がでてきた。そ
の目玉は「ブディ・ガンダキ」ダムの復活である。

同ダムは中国の「中国葛州堤集団」が25億ドルで請け負い、着工した時点
で、ときのネパール政権はキャンセルした。

中国葛州堤集団は湖北省武漢に本拠を置くゼネコンで、カザフスタンのパ
イプラインや、パキスタンでの高速道路建設など、国家プロジェクトを得
意としており、従業員およそ四万人。ゼネコンでは世界33位。
 
ネパールの左翼連合政権は、マオイスト(極左)と「ネパール・マルクス・
レーニン連盟」が連立を組むかたちとなり、中国寄りに外交路線を転換す
ると主張してきた。

 政権幹部は「われわれは中国のOBOR(一帯一路)に協力することで
経済発展をなしとげたい。インドと喧嘩別れする必要もなく、インドと中
国はわれわれの隣人であり、今後も両国関係は維持されるだろう。とくに
中国に傾き、インドを軽視するという路線を選択することなない」と語っ
ている。

ネパールはグルカ兵を国連に千名、のこりをブルネイ王室警護などに派遣
していることを誇りとしており、「国際平和を維持しているのは(グルカ
兵を派遣している)ネパールである」という大看板がカトマンズ空港に掲
げられ、外国人観光客の目を引いている。

 そのうえ近年、中国人が「近い、安い、短い」を合い言葉にネパールへ
の観光客のトップに躍り出て、カトマンズの日本料亭など、中国人で満杯
となっている。
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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学徒出陣体験を持つ方々のインタビューをもとに
戦終、社会の混乱の中に放り出された若者達がどうやって生活し、家庭を
営んだか

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『学徒出陣とその戦後史』(啓文社書房)
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                         評 玉川博己

今年は戦後71年の年であり、また昭和18年の学徒出陣から73年目に当る。
日本人にとってもはや戦争ははるか彼方の遠い昔の出来事となっている。
戦後まれの筆者はもちろん戦争体験は何もないが、19年前に他界した私の
父が正にこの学徒出陣組であった関係で、生前の父からよく戦争の話を聞
かされたものである。

その意味で私にとって父(そして母の)戦争体験はある意味で幼少の頃か
ら身近な存在であった。戦争で父母や祖父母が如何に苦労したのか、戦後
の苦難の状況の中で父母達が懸命に生活を支え、子供を育ててきたことが
我が家のルーツでもあったと子供の頃から感じていたように思う。
これはまた私達の世代には共通した体験であるかも知れない。

本書は学徒出陣体験を持つ七名の方々のインタビューをもとに構成されて
いる。いわゆる戦記もの、戦争体験ものはこれまで実に多くの書物が出版
されてきているが、本書は単にそうした学徒出陣体験者の戦争経験にとど
まらず、それぞれが戦前はどのような学生生活を過ごしてきたのか、また
戦争が終わって復員後、戦後の社会の混乱の中に放り出された若者達がど
うやって生活し、家庭を営んできたのか、いわば戦後復興において各自が
どのように社会の中で奮闘してきたのかを貴重な証言によってまとめている。

言い換えれば本書から戦後復興史の一面が垣間見ることができるのではな
いだろうか。

 本書に登場する七名の証言者はいずれも筆者が取り組んでいる戦没学徒
慰霊追悼活動の中で知り合った方々である。

筆者は8年前の平成21年に母校・慶應義塾大学の戦没学徒を慰霊する慶應
義塾戦没者追悼会を代表幹事として立ち上げて以来、多くの大学の学徒出
陣体験世代のOBとも交流を持ってきた。

また学徒出陣70年に当る平成25年から神宮外苑の国立競技場にある「出陣
学徒壮行の地」記念碑前での戦没学徒追悼会を毎年10月21日に主催してい
る。(尚この記念碑は2020年東京オリンピック開催決定に伴い、国立競技
場が建替えられることになった関係で、平成26年から隣接する秩父宮ラグ
ビー場構内に仮移転されている)七人の証言者は年齢的に私の父と同世代
であり、皆90を越えている。これらの貴重な体験談から、私の父と父の世
代が戦中、戦後どのような青春を送ってきたかを窺い知ることができて誠
に有り難いとも思っている。


 ▼名編集者として三島由紀夫担当となった人もいる

この証言者の中には、早大出身で戦後講談社の名編集長として活躍された
原田裕氏も登場するが、とくに三島由紀夫との思い出も語られているのが
大変興味深い。

学徒出陣の原点は史上初の総力戦として戦われた第一次世界大戦にさか
のぼる。それ以前の戦争は正規軍が戦場で雌雄を決する戦争であり、しか
も短期決戦であったのに対して

第1次世界大戦は参戦国の総力をあげて戦う長期消耗戦となった。各国と
も徴兵による兵士の大量動員から、下級士官の補充要員としての学生の動
員も行った。米国ではROTC,英国ではOTCという学生を対象にした
予備役将校制度が十九世紀から存在していたが、第1次世界大戦を契機に
その拡充が図られ、米国を例にあげると昭和16年12月の日米開戦とともに
全米の大学でROTCの大量募集、大量動員が始まったという。

だから翌年八月の米軍によるガダルカナル反攻の頃には既に学生出身の戦
闘機パイロットや小隊長クラスの指揮官が戦場に登場している。日本の学
徒出陣は更に翌昭和18年末だから、米国は日本より、学生の戦争動員にお
いて、2年も先んじていたことになる。

欧州大戦の本格的な総力戦を経験しなかった帝国陸軍は、それでもルーデ
ンドルフが唱えた国家総力戦理論に影響を受けて、大正末から学校におけ
る軍事教練を始めるなど、高度国防国家論が力説されるようになっていった。

しかしその軍事教練も歩兵戦闘の初歩的なものであり、真の軍事教育から
は程遠いものであった。昭和十年代になると海軍における短現士官、予備
学生・予備生徒、陸軍における特別操縦見習士官などの諸制度が実施に移
されていった。その他大陸における支那事変の拡大に伴い軍医や獣医の動
員も行われていった。

しかし尚日本においては、大学、高等学校、専門学校に在籍している学生
には徴兵猶予の特典が与えられていた。昭和16年12月に大東亜戦争が始
まっても、これは変わらずであった。当局が本格的な学生の軍隊への動員
を決意したのは、戦局の苛烈の度が増してきた昭和18年夏頃といわれる。

昭和18年10月1日、政府は在学徴集延期臨時特例(昭和18年年勅令第755
号)を公布した。これは、理工系と教員養成系を除く文科系の高等教育諸
学校の在学生の徴兵延期措置を撤廃するものであった。これがいわゆる学
徒出陣である。徴兵検査の後陸軍は昭和18年12月1日に入営、海軍は同12
月10日の入団となった。

このように、私の父も含めた多くの学生が学窓から戦地に赴いた学徒出陣
であるが、では一体何名の学徒が出陣したのか、数万とも、10万とも、あ
るいは13万とも諸説があるものの正確な数は分かっていない。

またその内、何名が戦没したのかも不明である。

あれほど当時の国民に熱狂と鮮烈な印象を与えた学徒出陣であるが、その
実体は分からぬままに戦後を迎えたのである。本来なら国家総力戦下、時
の政府が命じ、大学が学生を戦争に送り出した学徒出陣であり、その結果
多くの学徒が戦没したのであるから、これをしっかりと総括すべき責任が
あるはずの政府や大学であるが、彼らは戦後全くこれを無視し、放置して
きた。むしろ問題はここにあるのではないだろうか。

私の父の母校である東京大学では、約1500名が戦没したといわれている
が(これは早稲田、慶應義塾に次ぐ数であるが)本郷にも駒場にもキャン
パス内には慰霊碑一つなく(学外に有志によって建てられた慰霊碑は除い
て)、また大学による慰霊祭も行われていない。

ハーバード大学をはじめ欧米の歴史ある大学には必ず様々な戦争で戦没し
たその大学出身者の名を刻んだ追悼施設が存在するのとは大違いである。
古今東西、あるいは宗教の違いを問わず、戦争において国のために散華し
た戦没者を英霊として敬意を捧げ、その慰霊追悼を行うのは極めて自然な
人間の感情に基く行為である。その戦争の歴史的評価とは全く別の問題で
ある。

戦後間もない頃、東大では卒業生有志によって本郷キャンパス内に戦没学
徒の慰霊碑として「わだつみの像」を建立する計画が持ち上がったが、当
時の南原繁総長は大学の学門や研究と直接関係のないものを学内に建てる
ことは辞退する、として断ったという。

以来、現在にいたるまで東大キャンパスには戦没学徒を慰霊する施設は何
もない状態が続いている。南原総長が慰霊碑の建立を断った理由として考
えられるのは、一つは当時の占領軍(GHQ)に対する遠慮があっただろ
うし、東大をはじめ全国の学園で大きな勢力を誇っていた共産党など左翼
勢力を刺激したくない、という気持ちもあったのであろう。

一方、当時ベストセラーとなったのが戦没学徒の遺稿を集めた『きけわだ
つみのこえ』であった。

多くの戦没学徒の遺稿は読むものの胸を打ったが、しかしやがてこの遺稿
集が、編集者のイデオロギーに沿う形で、あろうことか戦時中の官憲によ
る、あるいは戦後のGHQによる検閲よろしく、戦没者の遺稿を恣意的に
改竄して出来上がったものであることが判明し、その政治的思想的偏向が
批判されるようになった。

より公平な立場からということで、その後『雲ながるる果てに』や『あゝ
同期の桜』など多くの戦没学徒遺稿集が出版されるようになっていった。

先に戦後の東大について述べたが、最高学府たる東大に代表されるよう
に、戦後の日本における諸大学では、大学として学徒出陣を記録し、戦没
学生を慰霊、顕彰するどころか戦没者の調査すらまともに行われてこな
かった。およそ戦後日本の大学では戦争について語り、戦没者を慰霊する
ことを忌避敬遠するような空気が存在していたといえる。

私の知る限り、東京都内で大学キャンパスに戦没学徒の慰霊、追悼の碑や
施設が存在し、毎年慰霊祭や追悼会を実施しているのは、早稲田、慶應義
塾、一橋、國學院、東洋、拓殖,亜細亜の7大学しかないし、東京以外で
キャンパスに慰霊碑があるのは小樽商大、香川大など数えるほどしかない。

これらの大学は卒業生のまとまりが強く、愛校心が強いという共通点がある。

一方、各大学を横断する戦没学徒慰霊の動きとして、平成5年に、昭和18
年10月にあの学徒出陣壮行会が行われた国立競技場(元神宮外苑競技場)
の敷地内に、全国諸大学の学徒出陣世代卒業生有志の寄金によって「出陣
学徒壮行の地」記念碑が建立された。

建立された場所はあの壮行会における分列行進のスタート地点であったマ
ラソン・ゲート傍であった。以来、毎年10月21日にはこの碑の前で、元出
陣学徒たちが集まって献花行事を行ってきた。しかし平成25年に2020年東
京オリンピックの開催が決定したことにより、国立競技場が建替えられる
ことになったことに伴い、この記念碑も移転されることになった。

これに先立って、関係者によって国立競技場を管理する文部科学省当局に
記念碑の永久保存を要請してきたが、同年末には閣議決定をもって記念碑
の永久保存が決定された。また国立競技場の建替え工事の着工に伴って、
平成二十六年には記念碑が秩父宮ラグビー場構内に仮移転されることに
なった。

秩父宮ラグビー場への仮移転後も、毎年10月21日に記念碑前で戦没学徒追
悼式典を開催している。また実行委員会も戦後生まれの世代に引き継が
れ、私もその代表をつとめている。

このように戦後すでに71年、学徒出陣から73年がたつが、学徒出陣を記念
し、戦没学徒を慰霊追悼する運動は、学徒出陣世代からその子の世代に引
き継がれ、更にその孫の世代も参加しつつあるのは、ある意味自然の流れ
であろう。

学徒出陣から73年、戦後71年という歳月が経過し、もはやあの戦争もそ
して学徒出陣という歴史的出来事もはるか遠い過去の出来事のように感じ
られる。

しかし現在は過去の延長線上に位置し、戦後のそして現在の日本は戦前、
戦中の日本と全く無縁に存在しているのではない。

私の父も含めてあの戦争に青春を捧げ、血みどろになって戦った世代の若
者たちが、戦後の廃墟の中から立ち上がり、引き続き終戦後の苦難の中を
必死に生き抜いて日本再建を目指して戦った歴史でもあったのだ。私たち
は自分たちの父母を見てそのように実感してきた。本書で語られた学徒出
陣体験者の証言は貴重な昭和史であり、青春の記録であり、そして世界を
も驚愕させた日本復興史を物語る証言でもある。

また本書に登場した元出陣学徒たちの心には、あの戦争に散った多くの仲
間たちの、学問を愛し、家族を愛し、そして祖国を愛する心がそのまま生
き続けてきたことを深く感じ取ることができる。

私たちはその心を我が心として受け止め、次の世代に引き継いでゆくこと
を我らが使命と考えたい。
           
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 日本の大戦略とは何か? どうやれば中国との戦いに勝てるのか
  闘わずしてチャイナを倒す方法がもしあるとすれば、それは何か

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北野幸伯『中国に勝つ日本の大戦略』(育鵬社)
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 日中戦争はもう始まっている、と著者はいきなり平和にひたるお花畑に
冷水を浴びせる。孫子は『闘わずして勝つ』ことを上策とし、本当に武力
で衝突して消耗してしまうことを『下策』とした。

 その下策を中国にやらせることが、日本の戦略とすべきだが、現実は国
際情勢の複雑な要員をひとつひとつパズルのように解いて、効果的な駒の
配置をなし、本当の戦いに備えるべきである。

だが、そういう戦略を立案する政治家も官僚も日本には存在しないようで
ある。

これをやっているのは、むしろ中国であると著者は言う。

 「中国は2005年、ロシアと事実上の『反米一極主義同盟』を結んだ。つ
まり、中国は、事実上の米中同盟を維持しながら、一方でロシアと事実上
の『反米中露同盟』をつくり、なおも『アメリカからまったく警戒されな
い』という奇跡的外交に成功している」

その中国優位の状況をひっくりかえす政治的なクーデターがトランプの登
場であった、トかような筋書きで、本書は、日本人になじみの薄い戦略的
思考を駆使して世界情勢を読み解いている。
         
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1672回】          
――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田10)
  前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

                 ▽

やはり清朝末期から中華民国建国直後になって孔子は「信念と尊敬とを受
けら」なくなり、「支那仁義道?の大道」の「命脉を保」つことができな
くなったということか。

たしかに前田の「落胆」は判らないわけではない。だが、それは前田
の、いや日本人の「買い被り」というものだ。

「大聖孔子」は一貫して「四億萬民衆の師表」と崇め奉られてきたように
いわれているが、それは社会の極く上層に限られたこと。目に一丁字もな
い圧倒的多数の老百姓(じんみん)には全く関係がなかった。彼らにとっ
て「支那仁義道?の大道」などは戯言に過ぎなかったはずだ。1年中休み
なく田畑を相手にする農民からすれば、『論語』であれ『孟子』であれ腹
の足しにすらならない。

やはり『論語』や『孟子』が老百姓(じんみん)の日々の生活に役に立
たなかったと同じように、中国古典は日本人が中国・中国人を知ろうとす
るうえで障害でしかなく、誤解を誘うに過ぎなかったのではなかろうか。


いったい歴史上、日本人が理想として描くような「支那仁義道?の大道」
などが行われたことがあったのか。大いに疑問だ。

かりに「支那仁義道?の大道」という大層な考えは最初からなかった。そ
れは誤解・曲解に基づいて日本人が勝手に描き出した蜃気楼であったと考
えるなら、「命脉を保」つことも当然のようにありえない。

いいかえるなら、四書五経やその他の古典が尤もらしく記すゴ大層なヘリ
クツをテコにして中国・中国人を解き明かそうとしたこと自体が壮大なる
夢物語、いや徒労だったように思えて仕方がない。

辛亥革命勃発から清朝崩壊を経て中華民国建国に至る状況を、前田は「内
治外交紛々として定まらざる今日の時期が一番危險に御座候」とした。

それというのも、これまで国内諸勢力は「滿朝を仆し專制政治より共和政
治の民たらんとする目的」を共有していたが、結果として誕生した中華民
国は「共和の形骸片ばかり出來其國の礎未だ築き上げられ」ず。統一を欠
いた国内は「共和國と稱するも士民共和せず各省互に獨立の如き様相を
呈」し、「中央集權の威力甚だ振はず國政紛糾紊亂」するばかり。「老雄
袁大總統の怪腕も殆ど施す策」はなかった。

こういった状況が続けば国土分裂に至ることも考えられるが、「如何な
る形式にて分裂すべきか殆ど豫測し難」い。

分裂するにしても「支那自身にて分裂致す」のか。あるいは「列國の手に
より分裂せらるゝに至る」のか。これまた「豫想致し難く候」。

であればこそ隣国であり利害関係が極めて錯綜している我が国は、逸早
く「適應の準備と覺悟とを今に於てなし置かざれば」、「其時に至りて百
年の悔を遺」すことになる。かくて「革命混亂時より今日の支那こそ危險
物騒千萬の時期と存候」と“警鐘”を鳴らした。

こう考えた前田が、かりに21世紀初頭の現在に生きていたとするなら、
おそらく毛沢東の時代より「今日の支那こそ危險物騒千萬の時期と存候」
と説いたに違いない。
それというのも毛沢東は建国と同時に対外閉鎖をしたからである。
50年代末期の反右派闘争、50年代末から60年代初頭にかけての大躍進政
策、66年から10年続いた文化大革命など一連の政策は国内に大混乱をもた
らし未曾有の犠牲者をだしはしたが、飽くまでも国内政治でしかなかった。
反右派闘争の犠牲者が理不尽な仕打ちを受けようが、大躍進で多くの国民
が飢餓地獄に苦しもうが、文革が凄惨な殺し合いを全国規模でもたらそう
が、所詮は「竹のカーテン」で仕切られた内側で繰り広げられたコップの
中の嵐に過ぎないものだった。 

 たしかに『コップ』が巨大すぎる嫌いはあるものの、それでも「山よ
りデカいイノシシはいない」の譬えの通り、中国というコップは地球より
も遥かに小さかった。
であればこそ、「竹のカーテン」が地球全体を包むことなどできはしな
かったということだ。
         

◆缶詰はナポレオン命令

 渡部 亮次郎

1795年フランス革命の最中に,ナポレオンはヨーロッパ戦線を東奔西走し
ていた。当時のヨーロッパは新鮮な食物が不足し,一般市民に栄養不良に
よる病気が流行していた。

その時代の食品の保存法は昔ながらの乾燥,塩蔵および薫製によってなさ
れていたが,長い航海をする船員は塩蔵肉や乾パンで我慢しなければなら
なかったため,海軍部内には壊血病が蔓延していた。

ナポレオンは軍隊の士気を高め戦闘力を維持するためには,栄養豊富で新
鮮美味な食糧を大量に供給する必要性を痛感し,従来の方法によらない食
品貯蔵法を懸賞金つきで募集することを政府に命じた。

懸賞にこたえ、1804年にフランスのニコラ・アペールにより長期保存可能
な瓶詰めが発明され賞金1万2000フランを与えられた。

たが、ガラス瓶は重くて破損しやすいという欠点があった事から、1810年
にイギリスのピーター・デュランド(Peter Durand)が、金属製容器に食品
を入れる缶詰を発明した。これにより、食品を長期間保存・携行すること
が容易になった。

ただし、初期のものは殺菌の方法に問題があり、たびたび中身が発酵して
缶が破裂するという事故を起こした。これはのちに改良された。

また、1833年にはフランスのアンシルベールによって、缶のふたの回りを
はんだ付けし、熱で溶かして缶を開ける方式が考案された。その後、1860
年代にブリキが発明されてからは、缶切りが登場するようになった。

当初、缶切りは発明されず、開封は金鎚と鑿を用いる非常に手間のかかる
ものだった。戦場では缶を銃で撃って開けることもあったが、撃たれた衝
撃で中身が飛び散ってしまい使い物にならなくなることも多々あったという。

このため内容物が固形物に限られ、液状のドリンク類は入れられなかっ
た。缶切りが発明されると液体なども入れられるようになり、内容物のバ
リエーションが広がった。さらに缶切りが無くても開けられる様にプル
トップ(イージーオープン缶)が発明された。

缶詰は、初期には主に軍用食として活用された。特に、アメリカ合衆国の
南北戦争で多く利用された。のちに一般向けにも製造されるようになり、
現在では、災害対策用の備蓄用食品(非常食)としても利用されている。

現在作られている缶詰は日本で約800種類,世界では約1200種類といわれ
ている。原料の種類別では魚介類,果実類,野菜類,畜肉類に大別される。

加工調理方法の別では魚介類は水煮・塩水漬・油漬・味付け・みそ煮・蒲焼き・
薫製油漬・トマト漬・香辛料漬・その他の調味料漬が,果実類はシロップ漬・
水煮(固形詰)・ジャム・ゼリーなどがある。

果実類として大きな地位を占めるのは果汁である。野菜類としては料理の
原材料となる水煮が主体であるが,味付け,漬物などもある。畜肉類は水
煮,味付け,ハム,ベーコン,ソーセージや各種の調理食品がある。

特殊に入るものとしては,各種の調理食品,米飯類,ソース,めん類のか
け汁,しるこ,甘酒などの飲物などがある。食品缶詰の規定には当てはま
らないが,コーヒー,紅茶,緑茶の真空パックや不活性ガス(おもに窒素
ガス)を充てんし,香りや味を保持させるための缶詰もある。

ペット用のペットフード缶詰の生産も多い。そのほか食品ではないが培養
土に種子を入れ,開缶後水をやれば花の咲く缶詰,おもちゃの缶詰,下着
類の缶詰も作られている。

1812年にイギリスのドンキンにより缶詰製造は企業化されたが,その後イ
ギリス,アメリカなどで企業化が進んだ。1890年には自動製缶機械に一大
進歩をみたことにより,1901年に容器のみを作るアメリカン・キャン社が
設立され,缶詰製造業界に一紀元を画した。

製造量は南北戦争後の1870年で約4000万函といわれているが,第1次・第2
次世界大戦の軍用食としての需要の増大により,缶詰産業も各種の技術革
新とともに発展をとげた。

国別の生産量では,1970年ころまではアメリカが全世界の70〜75%を占め
ていたが,80年には世界の総生産量(約20億函)の40%を占めるだけとなった。

またイギリスが主要生産国から脱落し,発展途上国の進出が目だってきて
いる。この主な理由としては,作業員の人件費の高騰,原料確保の困難
(漁業の200カイリ問題など)などがあげられる。なお,アメリカに次ぐ生
産国はドイツ,フランス,イタリア,日本などの先進諸国である。

資料:世界大百科事典及び『ウィキペディア』 2008・10・05

◆年の瀬に思うこと(その二)

                               眞鍋 峰松


今年も、残す所あと幾日か。長いようで短い1年という歳月。全てこれ一日一日を重ねる歳月である。例年のことでもあるが、この時期になると、この1年間何をして過して来たのだろう、必ずしも空しく過してきたとは思わないのだが、と回想する。

しかし、取り返しのつかぬ歳月というものが、近年ほど重く心にかかるものはない。残りの時間が、はっきりしてきたからであろう。

この歳になると、人生を登山に例えると、確実に下山の時期である。
 
山を登る時には、先へ先へと急ぎ、路を踏みしめ一歩一歩と足元のみを見詰めきたものを、山を下りる時には、視野が広がり眼下の景色を楽しめる。
 

こう考えれば、下山は決して寂しく惨めなことではないし、穏やかで豊穣で、それまでの知識・情報では及びもつかないような智恵にふれる、そう言う時期でもあるはずだ。                          

徳川家康が子孫のため残した言葉の中に、「人の一生は重き荷物を背負いて 遠き道を行くがごとし」とある。そこには、人の一生は苦であるという仏教の「苦諦」の匂いが窺われる。
  

だが、私のような凡人にとっては、家康のように貧しい時代ならそれは已む得ないことだったのかも知れないが、重い荷を背負って汗水たらしながらひたすら生涯を歩み続けねばならないとしたら、そんな風に人生をだらだらと歩むのは何ともやりきれない、と思ってしまう。


山を下りるその時は疲れているが、その疲れは人生の正しい疲れであってひたすら上を目指して競争している間は気がつかなかったことが感じられる、と思う昨今である。
      

今年1年。 国においては3月11日の東日本大震災と福島原発事故の後処理に追われ、これに伴う政治混乱に明け暮れ、ここ大阪では維新旋風が荒れ狂った。
            

ちょうど1年前。この欄で、「今年はどんな年?」と題し、奈良薬師寺管主山田法胤老師の言葉を紹介した。


老師曰く『 今年は「辛卯(かのとう)」の年に当たり、「辛(かのと)」は字の意味からすると、「からい、つらい、きびしい、酷い、むごい、苦しい」などの意味。
 

「卯」は動物では兎、音読みは「ボウ」で「芒」に通じ、「広い」または「しげる」などの意味で、象形でいうと門の戸が左右に開いた形。方位は正東。時刻では午前6時。
 

この二つの字を組み合わせると、各家の門扉が左右に開いて、午前6時に朝一番の太陽の光が差し込むという風となる。』とのこと。
 

ここまで読んで、慌て者の私は、そうか門内に朝一番の太陽の光!こりゃ、今年は良い年になりそうだ、と喜んだのも束の間。
 

続いて、「辛」の字が開いた門に入り込むとなると、辛くて厳しい、ひどいことが朝一番に入る意味になる。そうなると今年は、苦しい年が否応なしにどの家にも入りこんでくるということになる、とのご宣告であった。


斯く書いた私自身は、干支で当該年の動静・人の運勢が全て決る何てあり得ないと思いながらも、今さらながら驚愕の1年であった。
 

さて、来年は? 今年は我が国にとって歴史的大災厄の年であり、記憶に留めるべき年である。だが、来年こそは、どうか諸々の苦難・懸案が一掃される年でありたいものだと念ずる次第。
 

折しもの忘年会シーズン。行く年よりも、来る年を祈って、せめて今年の忘年会だけは、来年に期待を込め希望に満ちた“望年会”といきたいものである。

2017年12月15日

◆ようやく次期駐韓大使を指名

宮崎 正弘

<平成29年(2017)12月13日(水曜日)通巻第5546号 >  

 トランプ政権、ようやく次期駐韓大使を指名
  朝鮮半島の専門家、ジョージタウン大学教授ヴィクター・チャ

 12月12日、トランプ大統領は、懸案だった米国の次期駐韓大使にヴィク
ター・チャ(ジョージタウン大学教授、CSIS)を指名した。米国の駐
韓大使は、トランプが訪韓した11月7日時点でも決まっておらず、代理大
使が職務を代行していた。

前任者のマーク・リペート大使は、韓国人暴漢にナイフで襲われ重症を
負って以来、ソウルの米国大使館は厳戒態勢にある。

しかし2018年2月9日からの平昌五輪開会式までには、米国の新大使が出席
できるよう、韓国外務省はただちにアグレマンを出す用意があるという。

ヴィクター・チャ次期大使は朝鮮半島前半の知識が豊富で、2004年から07
年まではブッシュ政権下安全保障会議で、北朝鮮問題の責任者を務めた。
その政治的対場はタカ派ではない。

差し迫った北朝鮮の核ミサイル危機に、いかに対応するかチャ教授の外交
官としての技量が試されることになる。

米韓関係はTHAAD配備以来、前向きな展開はひとつもなく、まして親
北派の文在寅大統領の親中外交はTHAAD配備撤去を狙っているうえ、
反日路線を捨ててはおらず、慰安婦像を世界中に建立する動きも加速させ
ている。

米国は韓国との防衛協力に加え、FTA見直し交渉、さらには在韓米軍
(28500名)の配置換えなど、重大な問題を多く抱えている。

      
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◆樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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【知道中国 1671回】              
――「支那は上海の大なるものとなるべき運命を荷ひつヽ・・・」――(前田9)
前田利定『支那遊記』(非賣品 大正元年)

  ▽
 袁世凱を目の前にして前田は、たしかに「一國首相の印綬を帶ぶるの
儀」ではある。だが「大總統は一國の元首」であればこそ、その「地位に
立たん者」は「機略術數に富む」だけではなく、「天下萬衆を率ゐる一
に?ある」ことが必要だ。その点、袁世凱は「?に於て欠くる所なき
か」、「策多きに過ぐる嫌なきか」と疑問を抱く。

袁世凱は権謀術策に富み権力を弄ぶことは知ってはいるものの、中華民国
の大総統として「天下萬衆を率ゐる」ほどの徳はないというのが、前田の
結論といえるだろう。

袁世凱のその後だが、1913年10月に正式に大総統に就任し、11月には革
命派が結成した国民党を解散させ、14年には国会を停止し、翌年には帝政
復活に動き、16年1月には洪憲皇帝を名乗って即位した。だが、さすがに
内外からの激しい反対に遭い、袁世凱打倒の第三革命まで起り、3月には
帝政を引っ込め、6月には失意のうちに病死している。

このように大総統就任から失意の死までを追ってみると、「袁大總統の天
下に臨むに須らく?を以てせられんことを彼國の爲に切に祈る處に御座
候」という前田の“忠言”が生かされることはなかったということか。それ
にしても、袁世凱に「天下萬衆を率ゐる」ための徳がないことを見抜いた
前田の眼力は褒められてしかるべきだろう。

ちなみに『支那遊記』の出版から2年を経た大正3(1914)年に出版され
た『支那論』で内藤湖南は、袁世凱を「支那の国民を都統政治に引き継ぐ
大人物であるかも知れぬ」と、高く評価している。

袁世凱に対する前田と内藤――片や加賀藩主末裔の子爵、片や大正・昭和前
期の日本を代表する支那学者――袁世凱に対する両者の見立てを比較した
時、その後の推移からしてどちらが現実を見据えていたのか。その答えは
自ずと明らかだろう。『支那論』は北一輝の『支那革命外史』(大正10
年)と共に大正期を象徴する支那論であり、やはり避けては通るわけには
いかない。後日、詳細に論じたいと思う。

閑話休題。次は北京の名所見学の一齣である。

巨大な喇嘛廟へ。「敷石はそれからそれへと續き候へ共草離々として此處
の大荒れに荒れ居り候」。空寂とした境内に前田らの靴音が響くと、「乞
食坊主夫々己が受持ちの御堂の前に手ぐすね引いて待ち受け居り錢をつか
ませねば開けようとも」しない。

押し問答の末に小銭を渡し扉を開けさせて中に入るのだが、その先に“難
関”が待ち構えている。数多の御堂の「此處に彼處に幾重ともなく錠前
かゝり居り其都度乞食坊主に」小銭を要求される。

 やっとのことで一番奥の御堂に辿り着き、安置されている仏像の数々
に手を合わせていると、「よき客得つと許りに乞食坊主」が香炉台の下や
ら暗がりから達磨大師や佛像を引っ張りだしてきて、「賣り付けんと致し
申候」。かくて前田は、「み佛に仕え奉る僧侶共が如何に末世とは乍申他
國の觀光客に佛像を押賣せんとするに至ては沙汰の限り度すべからざる僧
形の獸物と存候」と驚き呆れた。

 次いで訪れた「大聖孔子の廟」でも、「乞食坊主に錢を貪られつゝ門
を入る」。覆い難い惨状に、「四億萬民衆の師表と仰がれ候聖人も三千年
の今日其國民から果して幾許の信念と尊敬とを受けられ居候や」と疑問の
声を挙げる。かくて前田は「支那仁義道?の大道は今猶幾許の命脉を保ち
つゝ居り候や」と続け、「一度聖廟に詣づれば思ひ半ばに過ぎ申すべく
候」と嘆き呆れ果てる。

 たしかに前田のいわんとすることも判らないではない。だが、はたし
て孔子は「四億萬民衆の師表と仰がれ」ていたのか。「三千年」の間、
「聖人」は「其國民から」「信念と尊敬を受けられ」、「支那仁義道?の
大道」は「命脉を保」ってきたとは、とても思えない。《QED》

◆米国と対等の地位を印象づけた中国

櫻井よしこ

「米国と対等の地位を印象づけた中国 日本にとって最悪の国際環境が到来」

後世、ドナルド・トランプ米大統領の初のアジア歴訪は、米中の力関係逆
転の明確な始まりと位置づけられるだろう。そこに含まれている歓迎すべ
からざるメッセージは中国共産党の一党独裁が、米国の民主主義に勝利し
たということであろう。中華民族の偉大なる復興、中国の夢、一帯一路な
ど虚構を含んだ大戦略を掲げる国が、眼前の利害に拘り続けるディール
メーカーの国に勝ったということでもある。

日米両国等、民主主義でありたいと願う国々が余程自覚し力を合わせて体
制を整えていかない限り、今後の5年、10年、15年という時間枠の中で国
際社会は、21世紀型中華大帝国に組み込まれてしまいかねない。

孫子の兵法の基本は敵を知り、巧みに欺くことだ。中国側はトランプ氏と
その家族の欲するところをよく分析し、対応した。自分が尊敬されている
ところを形にして見せて貰うことに、過去のいかなる米大統領よりも拘る
性格があると、米紙「ウォールストリート・ジャーナル」が11月10日付で
書いたのがトランプ氏だ。中国側はこの特徴を巧みに利用した。それが紫
禁城の貸し切りと100年以上未使用だった劇場での京劇上演に典型的に表
れた。

トランプ氏は、中国訪問後にベトナムのダナンでアジア太平洋経済協力会
議(APEC)の首脳会議に出席し、その後ハノイに向かったのだが、ダ
ナンからハノイに向かう大統領専用機で行った随行記者団との懇談で、以
下のように語っていた。

「紫禁城のあの劇場は、今回、100年ぶりに使用されたんだ。知ってる
か? 100年間で初めて、彼らは劇場を使ったんだ。なんとすばらしい
(amazing)。我々は相互に凄い友情を築いた」

トランプ氏がどれ程喜んでいるかが伝わってくる。ちなみに氏の話し方の
特徴は、同じ内容を2回、3回と繰り返すことで、辟易する。たとえば、
「習(近平)とは非常にいい関係だ。彼らが準備した接遇は、今までにな
い最大規模のもてなしだ。今まで1度もなかったんだ。彼は『国賓待遇プ
ラス』と言った。彼は言った。『国賓待遇プラスプラス』だと。本当に凄
いことだ」という具合だ。

もう一点、中国が活用した対トランプ原則が「カネの効用」だった。28兆
円に上る大規模契約(スーパービッグディール)で、元々理念のないトラ
ンプ氏は民主、自由、人権、法治などの普遍的価値観に拘る米国の「理念
外交」を捨て去って、彼特有の商談を優先する「ディール外交」に大き
く、わかり易く転じたのである。

ではこれで中国側が得たものは何か。実に大きいと思う。まず、北朝鮮問
題では、中国が最も懸念していた米軍による攻撃が、少なくとも暫くの
間、延期されたと見てよいだろう。日本政府には今年末から来年にかけて
何が起きてもおかしくないとの見通しがあった。

しかし、米中が握った今、軍事紛争に発展する可能性は、金正恩氏が新た
な核実験や今まで一度も行っていない米国東部に到達する大陸間弾道ミサ
イルの実験に踏み切らない限り、少なくとも、先延ばしされたと見てよい
だろう。

孫娘のアラベラさんが中国語で歌う姿をトランプ氏はアイパッドで習近平
夫妻に披露したが、曲目は、「希望の田野の上で」だった。習夫人の彭麗
媛氏が1982年に歌ってスターダムに駆け上がるきっかけとなったものだ。
「満点だ」と習氏は破顔一笑した。米国がまるで教師にほめられた学生の
ように見えた場面だった。

北朝鮮対処という個別案件で「最悪の軍事衝突」を回避したうえに、世界
注視の中で中国は米国と対等の地位を印象づけ、中国の時代の到来を誇示
して見せた。米国圧倒的優位から米中対等関係への変化は、日本にとって
最悪の国際環境であることを肝に銘じたい。

『週刊ダイヤモンド』 2017年11月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1208