2018年04月19日

◆私の「古寺旧跡巡礼」出雲大社

石田 岳彦



神宮といえば伊勢神宮、大社といえば出雲大社といわれるように、出雲大社はわが国でも指折りの格式の高い神社です。

古事記や日本書紀の神代巻によれば、大国主命が、地上の支配権を天照大神の孫のニニギノミコト(つまり今の天皇家のご先祖)に譲るのと引き換えに建ててもらった宮殿が出雲大社の起源とされています。

出雲大社は通常「いずもたいしゃ」と呼ばれ、私も勿論、そう呼んでいたのですが、「いずものおおやしろ」というのが正式な読みだそうです。驚きました。

もっとも、この名称自体、明治時代以降のもので、それ以前には杵築大社(きづきのおおやしろ)と呼ばれていたそうです。更に驚きました。ともあれ、その出雲大社で、平成20年より国宝の本殿の修復が行われています。

御存知の方も多いと思いますが(各地からツアーが組まれていたようなので実際に行かれた方も少なくないかも知れません)、修理に先立つ大遷宮(神が仮の社に移ること)を記念して、平成20年に本殿の60年ぶりの公開が行われました。今回はその際の話をさせていただきます。

お盆を控えた平成20年8月のある週末、私は1泊2日で出雲に出掛けることにしました。朝一番の新幹線と在来線の特急を乗り継いで、JR出雲市駅(ちなみに平成の大合併により、出雲大社のあった大社町は出雲市の一部となりました。)からはタクシーを飛ばしたものの、出雲大社に着いたのは午前11時過ぎでした。

整理券をもらうと午後3時半。4時間半待ちです。事前情報として待ち時間がかなり長くなるのを知っていたので、驚きはありません。寧ろ、今日中に拝観できるのが決まって一安心です。

4月から5月にかけても本殿の公開が行われましたが、その際は境内に長蛇の列ができ、最大で4時間待ちになったとか。その反省もあってか、8月の公開の際には整理券が配られるようになったようです。まあ、8月の炎天下に長蛇の列ともなれば、熱射病で死屍累々となることは分かり切ったことですが。

幸い、日御碕神社、日御碕灯台や旧国鉄大社駅等、周囲に見るべきものは多く、正直4時間半でも短いくらいです(歴史ファンであればという条件付きですけど)。ともあれ、極めて有意義に時間を潰した私は午後3時前に出雲大社に戻ってきました。

本殿の拝観は、案内人に引率されて20人程度のグループ単位で行われます。
ようやく時間になったので、四脚門を潜って玉垣の中に入り、更に楼門をくぐって、靴を脱いだうえ、本殿正面の階段を登りました。本殿への階段は急で、高低差があります。

出雲大社の本殿はこの地方に独特の大社造りと呼ばれる高床式の建物で、正面に屋根付きの階段が設けられています。ただし、本殿の周囲に二重の玉垣が巡らされていることもあり、特に下部の構造は外部から分かりにくいです。

時間に余裕がある方には、出雲大社の前後にでも、松江市内の神魂(かもす)神社(本殿は現存最古の大社造りで国宝に指定)にも寄って、大社造りの建物の全容を見ておくのをお勧めします。現在の本殿は江戸時代に建てられたもので、高さは下から棟までで8丈(24.2m)だそうです。

写真では分かりにくいのですが、実際に本殿の縁側にまで登って周囲を見下ろすと、だいたいビルの3階くらいの感覚で、かなり高く感じます。もっとも、言い伝えによると、中世以前の本殿はこの2倍の16丈、神話の時代においては更に倍の32丈の高さがあったということなので、この程度で驚いてはいけないのかも知れません。

なお、16丈の本殿については、従来、技術的に困難であるとして、単なる伝説であり、史実ではないとする説が強かったようですが、近年、昔の本殿の巨大な柱(丸太3本を束ねたもの)が境内から発掘されたこと等もあり、最近では、歴史的事実として認める説も有力のようです。

もっとも、昔の技術で16丈の高さにするには無理があったためか、文献上、しばしば本殿の転倒事故が起きているのが確認できるとのこと。

神代の32丈(約96m)の本殿については、さすがにこれを信じている人は少ないようですが、土を盛って人工の丘を作り、そのうえに建物を建てることにより、麓からの高さで32丈を確保したとの説もあるそうです。ここまでくるとほとんど頓知話ですね。

本殿のうえは大渋滞で、一旦、縁側を右側に回り、後方を巡って、最後に正面に回り込み、本殿内部を除きこんで、降りるというコースになっていました。正面に回るまで15分ほど縁側で待たされることになりましたが、本殿上にとどまれる時間がその分長くなるわけですから、悪くない話です。

普段は玉垣の外からしか覗けない、本殿の周囲の建物の桧皮葺の屋根も、今は、私の眼下にあります。私がこの光景を見るのもこれが生涯で最後、若しくは、50年以上先の次回の修理のときだろうと思うと、有難味もひとしおです(数年後に修理が完了した際に、もう一度特別公開をやるという落ちになるかもしれませんが)。

写真撮影禁止なのが泣けてきます。ようやく正面に回り、縁側から内部を覗き込みました。さすがに中には入れてもらえません。神様の家ですから。

本殿の中央には文字通りの大黒柱(仏教の守護神であった大黒天と大国主命はもともと別の神様ですが、「大国」が「ダイコク」と読めるということで、次第に混同されるようになりました。袋をかついだ七福神の大黒様は大国主命のイメージから来ています。

また、事前情報として知っていましたが、大国主命の御神像を収める御神座は何故か正面ではなく、右側(拝観者から見て左側)を向いていて、参拝者の方を向いていません。

理由については争いがあり、中には、「出雲大社は大国主命の宮殿ではなく、その霊を封じ込める牢獄である」というおどろおどろしい説まであるようです。
更に天井には極彩色の「八雲」が描かれているのが見えます。もっとも、「八雲」であるにもかかわらず、何故か描かれている雲は7つだけです。

疑問に思って、説明の方に話を聞くと、昔から7つしかないけど「八雲」と呼ばれているとのことでした。残り1つは心眼で見るのでしょうか。そういえば、八岐大蛇(やまたのおろち)も、頭が8つだから七股なのに八岐と呼ばれていますね。

「八雲」は兎も角として、本殿の内部は、外観と同様全体的には簡素で装飾性が少ないという印象でした。

本殿の参拝が終わった後、改めて境内をノンビリと歩きます。特に印象に残ったのは、本殿の東西にあった十九社という細長い建物で、毎年11月に全国から出雲に神様が集まってくる際の宿舎になる社ということのようです。

 また、出雲大社のすぐ近くには県立の歴史博物館もあります。上で述べた発掘された昔の本殿の柱に加え、加茂岩倉遺跡(一箇所の遺跡から最多の銅鐸が発見されたことで有名)から出土した銅鐸、荒神谷遺跡(358本という常識外れの大量の銅剣が発掘されたことで有名。

勿論、国内最多。)から発掘された銅剣もまとめて見る事ができます。巨大なガラスケースの中に300本以上の銅剣が並ぶ様にはあっけにとられます。

 機会があれば、一度、出雲の地に行かれてみてください。    
(終)
     弁護士  

2018年04月18日

◆1万人の死んだ大気汚染

渡部 亮次郎

霧のロンドンは日本の歌謡曲にもなっているほど有名だが、実際の霧はそんなのんびりしたものではない。秋だった。ロンドン郊外で貸切バスが霧に包まれて動きが取れなくなった。

興味から、外に出て驚いた。まるで牛乳瓶に飛び込んだみたい。上も下も右も左も見えない。急に殴られても相手を確認する事は不可能だ。歌謡曲でロンドン霧を称えた作詞家はロンドンへ行ったことが無かったに違いない。

このように濃い霧だから、ヨーロッパには悪魔がやってくるのも霧に乗って、凶悪犯も霧に紛れてやってくると考えられている。そんな話をフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で捜していたら「ロンドンスモッグ事件(Great Smog of 1952、London Smog Disasters)」が出てきて驚いた。

1952年にロンドンで発生し1万人以上が死亡した、史上最悪級の大気汚染による公害事件だという。現代の公害運動や環境運動に大きな影響を与えた。日本で言えば昭和27年。高校生のころだったから知らずに育った。

ロンドンは冬に濃い霧が発生する事で知られている(実はこの霧も大気汚染の一つ)が、19世紀以降の産業革命と石炭燃料の利用により、石炭を燃やした後の煙や煤が霧に混じって地表に滞留する。

それがスモッグと呼ばれる現象を起こして呼吸器疾患など多くの健康被害を出していた。1950年代までの100年間にも10回ほどの大きなスモッグがあったが、その中でもっとも健康被害が大きくなったのが1952年である。

1952年12月5日から10日の間、高気圧がイギリス上空を覆い、その結果冷たい霧がロンドンを覆った。

あまりの寒さにロンドン市民は通常より多くの石炭を暖房に使った。同じ頃、ロンドンの地上交通を路面電車からディーゼルバスに転換する事業が完了したばかりだった。

こうして暖房器具や火力発電所、ディーゼル車などから発生した亜硫酸ガス(二酸化硫黄)などの大気汚染物質は冷たい大気の層に閉じ込められ、滞留し濃縮されてpH2ともいわれる強酸性の高濃度の硫酸の霧を形成した。

この濃いスモッグは、前方が見えず運転ができないほどのものだった。特にロンドン東部の工業地帯・港湾地帯では自分の足元も見えないほどの濃さだった。

建物内にまでスモッグが侵入し、コンサート会場や映画館では「舞台やスクリーンが見えない」との理由で上演や上映が中止された。同様に多くの家にもスモッグは侵入していた。

人々は目が痛み、のどや鼻を傷め咳が止まらなくなった。大スモッグの次の週までに、病院では気管支炎、気管支肺炎、心臓病などの重い患者が次々に運び込まれ、普段の冬より4,000人も多くの人が死んだことが明らかになった。

その多くは老人や子供、慢性の患者であった。その後の数週間でさらに8,000人が死亡し、合計死者数は12,000人を超える大惨事となった。

この衝撃的な結末は大気汚染を真剣に考え直す契機になり、スモッグがすぐそこにある深刻な問題であることを全世界に知らしめた。

イギリスでは多くのすす(煤)を出す燃料の使用を規制し、工場などが煤を含んだ排煙を出すことを禁じる新しい基準が打ち出され、1956年と1968年の「大気浄化法(Clean Air Act)」と、1954年のロンドン市法(Cityof London (Various Powers) Act 1954)の制定につながった。

◆名所旧跡だより 平原遺跡(福岡県糸島市)

石田 岳彦


私の故郷である福岡市の周辺では、「桧原(ひばる)」、「屋形原(やかたばる)」、「前原(まえばる)」と、「原」を「はら」ではなく、「ばる」と呼ぶ地名が散在しており、上記の「平原」も「ひらはら」ではなく、「ひらばる」と読みます。

本日は福岡県糸島(いとしま)市にある平原遺跡について述べさせていただきます。

魏志倭人伝には邪馬台国を初め、多くの国名が記載されていますが、伊都(いと)国もその中の1つです。

現在の福岡市西区から糸島市にかけては、もともとは糸島郡であった地域ですが(平成の大合併で、前原市と志摩町、二丈町がまとまって糸島市が誕生し、糸島郡は最終的に消滅しました。)、この糸島郡自体、明治時代に怡土(いと)郡と志摩(しま)郡が合併して成立しました。

この怡土が伊都と通じること、佐賀県の旧松浦郡(現在の伊万里から唐津あたりにかけての地域)にあったとされる末廬国(まつら)国の南東に伊都国があったとの魏志倭人伝の記載から、伊都国は旧糸島郡にあったとされているそうです。

平原遺跡はこの伊都国の女王の墓とされています。 平原遺跡は糸島市の平原地区(遺跡の大半は発見された場所の地名で呼ばれます)にあり、周辺はのどかな農村地帯です。

そもそもこの遺跡が発見されたのも、昭和40年に地元の農家が蜜柑の木を植えようとして、銅鏡の欠片を発見したことがきっかけでした。



報告を受けた福岡県は、郷土史家の原田大六(大正6年の生まれということで、こう名付けられたそうです。)に発掘の指揮を依頼しました。

この原田大六は、糸島中学校(今の福岡県立糸島高校)を出たものの、大学では学ばず(歴史しか勉強しようとしなかったので、進学が無理だったとか)、太平洋戦争から復員した後、公職追放にあったのを契機に(軍隊において憲兵隊に入っていたのが祟ったといわれています)、中山平次郎博士に弟子入りし、博士から9年以上にわたり、1日6時間以上のマンツーマン指導を受け、考古学者になったという歴史小説の主人公にもなれそうなユニークな経歴と個性の持ち主です。

ちなみに中山博士は、現在でいうところの九州大学医学部の教授でありながら、寧ろ考古学者としての業績が有名という(九州考古学会の設立者だそうです)、これまた変わった経歴の持ち主で、この師匠にして、この弟子ありというところでしょうか。

この原田大六が、途中からは自費で発掘を継続し、遺跡からは墳墓の副葬品と見られる多くの出土品が発掘されました。

発掘品の中でも特に目立つのは39面又は40面(何分、破片で見つかったので、枚数について争いがあるようです。)発見された銅鏡で、うち4枚は直径46.5cmと、日本で発見された銅鏡として最大のものです。

他方で、剣等の武器はほとんど見つかっておらず、被葬者が女性であったことをうかがわせます。 副葬品の内容と豪華さから見て、時代は弥生時代。被葬者は王クラスの女性、つまり女王。遺跡(墳墓)のあった場所は伊都国があったとされるエリアということで、現在では、上記のように伊都国の女王の墓と推定されています。

弥生時代の女王といえば、邪馬台国の卑弥呼が有名ですが(実際には「日巫女」という太陽神を祀る神官女王の役職名だったのではないかとの説もあるそうですが)、それ以外にも女王がいたのですね。

ちなみに原田大六は玉依姫(たまよりひめ。神武天皇の母親とされる神話上の女神です。)の墓と主張していました。

平原遺跡の女王の墓は四角形(現在では少なからず形が崩れていますが)で、写真を見ればお分かりのように、その周囲には溝が掘られています。学問的には方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれるタイプの墓だそうで、上記の発掘品も近年になって「福岡県平原方形周溝墓出土品」という名称で一括して国宝に指定されています。

現在の平原遺跡は、墳墓の周りが低い柵で囲まれ、その周囲は横長のレリーフが建っているのを除けば何もない広場になっており、少し離れたところに古民家(遺跡とは全く関係ありませんが、保存のため移築されたようです)が1軒ぽつんという、よく言えば開放的、率直にいえばスペースが広々と余った歴史公園となっています。個人的にはこういう長閑な雰囲気は好きですが。

平原遺跡から車で10分ほど走ると農村風景の中に4階建の立派な建物がそびえているのが見えてきます。伊都国歴史博物館です。もともとは伊都歴史資料館といったようですが、平成16年に新館が建てられて博物館に昇格したとのこと。

「福岡県平原方形周溝墓出土品」の一部は九州国立博物館の平常展示室で公開中ですが、大半の発掘品はこちらの新館に保管・展示されています。館内撮影禁止のために写真はありませんが、鈍く緑色に輝く大型の銅鏡がケースの中にずらっと並ぶ姿はさすがに壮観です。
 
展示ケースの前に、立てられた状態の銅鏡が1枚、機械仕掛けでゆっくりと回転しながら展示されていましたが、見学者が私と妻の他におらず(施設と所蔵品の豪華さを考えれば、もったいない限りです。)、静けさの中で、微妙なモーター音をあげながら回転する銅鏡の姿は率直にいって不気味でした。

この博物館の前身たる伊都歴史資料館の初代館長には、上でも述べた原田大六が予定されていたそうですが、大六が開館を待たずに死去したため、名誉館長の称号が追贈され、資料館の前に銅像が立てられました(銅像は現在も立っていますが、新館の入り口からだと目立たない場所になっています)。

自分の主導で遺跡を発掘し、国宝級の副葬品を発見して、それを納めた郷里の資料館の前に銅像を建ててもらう。郷土史家としては頂点を極めたという感じですね。大学の考古学の教授でもここまでの成功を得られる人は滅多にいないでしょう。
 
福岡市やその近郊にお住まいの方は休日にでもドライブがてらにでも、平原古墳と伊都国歴史博物館を訪れてみてください。晴れた日には本当に気持ちの良い場所ですので。(終)  <弁護士>

2018年04月17日

◆時々当たる飯島発の“解散風”

                 杉浦 正章


いまだ“老熟”せぬ「狭量小泉節」
 
政局がざわついてきた
 
昨年9月の総選挙から半年しかたたないのに、永田町を解散説が吹き初めている。首相・安倍晋三がモリだのカケだののあらぬ疑惑に、伝家の宝刀解散で斬り返すというのだ。 かつて佐藤栄作は「内閣改造をするほど総理の権力は下がり、解散をするほど上がる」と述べ、黒い霧解散を断行して求心力を回復、局面転換を図った。

当時筆者も「解散だ」とフラッシュを打ったことを思い出す。今度もフラッシュが飛ぶかどうかだが、野党が根も葉もないことをほじくり出して、安倍を退陣に追い込もうとしているが、これが続く限り早期解散はあり得る。安倍は退陣でなく解散を選択する。分裂野党が選挙戦を戦えるか見物となる。

 政権のうち誰かが解散風を吹かせ始める政局かと思っていたが、案の定16日内閣官房参与の飯島勲が解散発言の口火を切った。テレビ朝日の朝の番組で「私だったら、もう、今、解散しますね。100%」「今の状況を見ると最悪でも過半数は十分取れる」「過半数以上議席が取得できれば、安倍内閣の持続が当たり前。何ら問題ない」などとぶちまくっていた。

安倍が、国会で森友学園や加計問題での、公文書の書き換え疑惑について、「全く私は指示していないと申し上げてきた。あとは国民の皆様が判断いただくことだと思う」との発言をしたことを根拠に飯島は、「『国民が判断する』ということは、解散しかないじゃないですか。そうでしょう?」と述べた。これに先立ち飯島は週刊文春(3月29日号)で「黒い霧解散」を引き合いに、早期の解散・総選挙を提言し、「過半数維持は間違いないぜ」と書いている。

 この飯島解散風は、外れが多いが時々当たるから要注意だ。発言が安倍の了解の元に行われたか、安倍の胸中を察してのものであるかは五里霧中だが、飯島が流行の「忖度」をしていることは確かだろう。今と似た根拠レスの政権追及ムードに端を発した黒い霧解散の例を語れる現役政治記者はもう筆者しかいない。黒い霧問題は第一次佐藤内閣が発足した1965年からくすぶり始めた。その内容は現在の野党による追及に似て、黒い霧の名前通り得体の知れぬ“ヌエ”的な性格を持っていた。

具体例としては虎ノ門国有地払い下げ問題をめぐる恐喝・詐欺(さぎ)事件で逮捕された田中彰治事件、防衛長官上林山栄吉の大名行列並みのお国入り事件、松野頼三の官費による私的な外国旅行などなどだ。佐藤とは関係がない、愚にも付かない問題をひっくるめて黒い霧と称して野党が追及、マスコミが書き立てた。

 今回もモリだのカケだのが「贈収賄事件」や「首相の犯罪」に直結する流れにはなく、実態がないから、言うならば「白い霧」にすぎない。白い霧の向こうからは美女が出てくるのが通例で、“怪物”が現れることはあり得ない。朝日やTBSなどを中心とする“マスコミ追及班”は、何かを引き出そうと躍起だが、これはマスコミのあるべき本道にもとる。なぜなら根拠なしに“あやしい”だけが先行して、ファクトが付いてこないからだ。むやみやたらに政権のつるし上げを図ろうとしているだけだ。

 佐藤はこうしたムードを断ち切るために66年12月27日に解散を決断、67年1月の総選挙を断行した。微減したが自民党は善戦した。日本国民はばかではない。大勢は真実がどこにあるかを訴えれば納得する国民である。任期満了まで1年を切る中での解散であった。

それでは早期解散があるかどうかだが、過去にも例は二つある。一つは吉田茂のバカヤロー解散だ。1952年8月28日に抜き打ち解散を断行した吉田は、国会の予算委で社会党右派の西村栄一との質疑応答中、「バカヤロー」とつぶやいたことをとがめられ、1953年3月14日に解散を断行した。

 もう一つは大平正芳による解散だ。大平は1979年9月7日に一般消費税世に問う解散を断行したが、翌80年5月9日にハプニング解散を断行した。きっかけは反主流の反乱であった。三木派や福田派、中川グループなどの議員69人は内閣府不信任本会議を欠席した結果、可決されてしまったのだ。

選挙中であった6月12日に大平が急死するという緊急事態が起こり、同情票が作用して自民党は地滑り的な勝利となった。バカヤロー解散もハプニング解散も半年か1年たたずの時点での解散であったが、首相が決戦を選択した選挙であった。

 こうした中で元首相小泉純一郎が爆弾発言をした。14日、水戸市内で講演後記者団に対して森友・加計学園を巡る一連の問題への政府の対応を批判。「言い逃れ、言い訳ばかり」と突き放した。加えて小泉は、秋の自民党総裁選について「3選は難しい。信頼がなくなってきた」と安倍3選の可能性を否定したのだ。

久しぶりの小泉節の登場だが、筆者と近い年齢にしては相変わらず老熟していない。3選がないと断定する以上、誰か別の候補者がいるのか。石破茂を自民党主流派が担ぐだろうか。前外相岸田文雄が政調会長になってめざましい活躍をしたか。二人ともまだ5年は雑巾がけをした方がいい。そもそも小泉は自分の弟子の安倍を擁護するのならともかく、足を引っ張るとは何事か。まさに「狭量小泉」の面目躍如かと言いたい。

2018年04月16日

◆トランプ一触即発の状態でけん制

                  杉浦 正章


シリア攻撃の準備完了 米露対立危機的状況 

この国はの国会は一体どうなっているのか。シリアが一触即発で、場合に
よっては米露の大規模軍事衝突に発展しかねないというのに、野党はカケ
だのモリだの朝日新聞と民放受けする問題ににうつつをぬかし、世界情勢
などどこ吹く風だ。

何という世界観の欠如だろうか。戦争はいったん勃発すれば、連鎖を巻き
起こし、北朝鮮情勢の緊迫化につながりうる事態も想定される。米国はト
ランプの強硬路線に傾斜して、シリア攻撃の準備をほぼ完了させた。あと
は命令を待つばかりの状況に至っている。シリアをめぐる米露の対立は抜
き差しならぬ事態となりつつある。

トランプはまず「口撃」から物事を始めるから、分かりやすい。シリアの
アサド政権を「自らの国民の殺害を楽しむかのように毒ガスをまく獣(け
だもの)」と決めつけ、一方でこれを支援するロシアに対して「ロシアは
シリアに向けられたいかなるミサイルも打ち落とすと宣言している。プー
チンは準備に入るがいい。米国のミサイルが来るぞ、新しくスマートなミ
サイルだ」とどう喝した。

トランプの行動はまず同盟国固めから始まった。イギリスの首相テリー
ザ・メイとフランス大統領エマニュエル・マクロンと電話会談して、アサ
ドに断固とした対応で臨むことを確認した。

マクロンはテレビで「アサド政権が化学兵器を使った証拠を握っている」
と延べ、制裁を示唆。メイは英軍をシリア攻撃に参加させる方針を固めた
模様だ。米欧有志連合による攻撃態勢を整えたのだ。

しかし、ドイツは別だ。首相メルケルは12日の記者会見で、対シリア軍事
行動について「ドイツは参加しない」と明言した。

対シリア攻撃のシナリオは、東地中海に展開した米艦船や爆撃機によって
多数の巡航ミサイルを発射して、軍事施設を破壊する。

昨年4月には59発がシリアの空軍基地の目標を破壊している。今回はこれ
を上回る規模となる可能性が大きいようだ。これにロシアがどう対応する
かだが、トランプの予告発言はシリアの基地にいるロシア軍兵士に避難を
呼びかける性格もある。

最悪の場合はロシアが反撃して、衝突が拡大し米露直接戦争に発展するこ
とだ。ロシアはシリアの基地にミサイル迎撃システム「S400」を配備して
いるものとみられ、反撃を受ければ米軍は無傷ではあり得ない。

米露が直説砲火を交える事態になれば、史上初めてであり、事態は1962年
のキューバ危機に勝るとも劣らない危機的状況である。

 この米国によるシリア攻撃は北朝鮮をも強く意識した地球規模の戦略で
あることは言うまでもない。シリア攻撃を目の当たりにした場合金正恩
が、どう反応するかをトランプは片目でにらんでいる。

おそらく「震え上がる」だろうとみている。トランプの狙いはシリア攻撃
によって、北朝鮮に力を見せつけ、核兵器放棄に向かわせたいのだろう。

一方でロシアは北朝鮮にも同型ミサイル迎撃システムを配備しており、北
はシリア軍の反撃能力を固唾をのんで見守るに違いない。米軍に対する迎
撃の「予行演習」の意味合いを持つからだ。

金正恩はシリアの紛争が拡大して、米軍が極東で作戦を展開することが困
難になることを期待しているに違いない。戦術上2正面作戦は最も愚かな
作戦と言われているが、米国が中東に専念すれば北に核・ミサイル開発の
余裕を与えることになる。シリアへの対応は米国の北との交渉に影響を及
ぼさざるを得ないのだ。

こうした中で注視すべきはトランプ政権の中でブレーキ役が登場し始め
たことだ。これまではかつてイラク戦争を推進した大統領補佐官ジョン・
ボルトンのように「平和がほしければ戦争の準備をすべきだ」といった
“力の信奉者”が目立った。

これに対して、国防長官ジェームズ・マティスは「私の責任は必要ならば
軍事オプションを用意することだ。しかし米国は外交主導で努力する。外
交的手段によって外交的結果を得る」と慎重論だ。前国務長官ティラーソ
ンも「外交的解決はあきらめない」と述べている。

しかしこうした慎重論もトランプ一流の“口撃”にかき消されがちだ。ト
ランプは11日「ロシア高官はシリアにミサイルが飛来しても迎撃すると
発言したが、そのミサイルが飛来するのだからロシアは準備せよ」と“最
後通牒”的な発言を繰り返している。

これ以上言葉がないほど脅しまくっているのだ。ロシア外務省報道官のザ
ハロワは「ミサイルはテロリストに向けられるべきで、国際テロリズムと
戦っている合法的政権に向けられるべきではない」と批判しているが、ト
ランプ節にかき消されがちだ。
    

◆中国のビッグデータは

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月12日(木曜日)通巻第5670号 

 中国のビッグデータは反政府分子やスパイの摘発ばかりではない
  国内の金融取引の全てを掌握し、管理する邪悪ビッグブラザーの元締めだ

中国は従来の金融監督官庁を統合して「銀行保険監査管理委員会小組」を
立ち上げた。トップは劉?(副首相)である。中央銀行の従来の役目を取
り上げるのか、並立的な組織となるかは不明だが、その目的は単純明快で
ある。

2015年の上海株式暴落を、中国政府は管理の不徹底によってシャドー・バ
ンキングならびに金融ユニット末端の新興組織(これも影の銀行の範疇に
はいる)が、高金利を謳って投資家から金をかき集め、それを信用取引で
4倍、10倍に梃子を効かせて株式市場に注入したからであるとした。

なぜなら株価が下落すれば投資家は証券会社から保証金の追い証を取られ
るが、おおくの投資家は借金して、ハイリターンを信じて投資したのであ
り、そのメカニズムさえ理解できずに、ひたすら株はあがるものという信
仰がもたらした熱狂的投機だった。

実態はと言えば、太子党や証券にすくう代理人等の空売り、それも巨額の
空売りがなされ市場の狼狽が次の下落を招いたからである。

上海株式市場から蒸発したカネは5兆ドル(当時のレートで500兆円)と
当局は算定している。株式は時価総額の合計から下落額を引けばそうなる
が、実際には、それだけの現金が消えたわけではない。5兆ドルというの
は時価総額のことである。

「けっきょく監督力が不足したのだ」というのが、中国政府の驚くべき安
易な総括で、再暴落を防ぐには、徹底した管理が必要という共産党独裁者
の狭窄な思考範囲が達した予防策である。

つまり最新のデータベースを使って、銀行間、銀行・証券間、銀行の地方
政府への融資ばかりか、証券と保険の迂回融資、影の銀行の実態を掌握す
るために個人の銀行口座の取引記録まで閲覧し、これらのデータから対策
を割り出すという、あくまでも共産党の人民管理方法の発送の延長線から
生まれてきた対策なのである。

「e租宝」とう新興のネット企業は、p2p(ネットでのカネの貸し借
り、当局には届け出だけで良かった)の大手である。[e租宝]に群がっ
た投資家がおよそ90万人もいて、ファンドライジングであつめたカネは
77億ドル。

魅力的な高利を謳って、多くのプロジェクトを提示し、薔薇色の将来の収
入を画面に分かりやすく描いて夢を売り、民衆のカネを集めたのだ。
ところが調査した結果、95%のプロジェクトは胡散臭い、実態のないも
のだった(サウスチャイナモーニングポスト、4月11日)。

かくして中国のビッグデータは反政府分子やスパイの摘発に向けられるば
かりではなかった。国内の金融取引の全てを掌握し、管理する巨大なビッ
グブラザーの元締めとなるのだ。 

◆わが国で今も未確立の公文書管理ルール

櫻井よしこ


「わが国で今も未確立の公文書管理ルール 無責任という意味では旧民主
党も同罪だ」

過日財務省が発表した「決裁文書の書き換えの状況」からは、森友学園へ
の土地売却で、財務省が森友側と価格交渉をしていたことが見てとれた。
佐川宣寿理財局長(当時)が国会で価格交渉を否定したために、その発言
と齟齬を来さないための書き換えであることが明白だった。

4月4日、小野寺五典防衛相が、陸上自衛隊が「不存在」としてきたイラク
派遣時の日報が昨年3月に発見されていたことを報告し、謝罪した。

日報問題では、昨年2月16日に、防衛省が「不存在」と発表し、4日後の20
日、稲田朋美防衛相(当時)は衆議院予算委員会で「確認作業をしたが見
つけることができなかった」と答弁した。稲田氏はそのとき、防衛省に対
して日報記録がどこかに残っていないか、探すように指示もしている。当
時を振りかえって、氏が語った。

「私は誰よりも情報の透明性を大事にしました。徹底調査を命じ、見つ
かったら全て公開する、隠し事などしない方針を明らかにしていたのです」

小野寺氏の説明によると、稲田氏が新たに調査を指示した後の昨年3月27
日に、自衛隊の「教育訓練研究本部」にあった「外付けハードディスク」
から、イラク派遣時の日報が発見された。だが、同事実は稲田氏にも政務
三役にも報告されなかった。その背景を防衛省側は以下のように説明した。

稲田氏の指示が出た後、南スーダン国連平和維持活動日報問題についての
特別防衛監察が3月17日に始まり、改めて行った調査の中で、今回発表し
た資料が見つかった。但し、特別防衛監察は南スーダンの日報に関して
だったため、イラクの日報を報告する必要は認識していなかった、という
ものだ。

こうして、1年以上が過ぎた。右の防衛省の説明が真実か否かも含めて、
小野寺氏は調査委員会を設置した。文民統制、政治主導、政治への信頼確
立のために、厳正な調査が欠かせない。

前述の財務省文書改竄は、明らかに佐川局長の発言と齟齬を来さないため
だった。佐川氏の「価格交渉はしていない」との発言が誤りだったと認め
さえすれば、全てを公開しても何ら問題がない内容だ。

にも拘わらず、財務省が隠そうとしたのは財務省を守る為だったのだろ
う。今回、自衛隊に隠蔽の意図があったか否かは、以降の調査を待たなけ
ればならないが、なぜこのように公文書を巡る問題が生ずるのか。

自民党「公文書管理に関する改革検討委員会」の新藤義孝委員長は、国家
の活動を記録する公文書に嘘が許されないのは当然だが、公文書の管理、
保存のルールがわが国には未だ確立されていないとして、新しい時代に合
わせて公文書の電子決裁化を提唱する。

「私が総務大臣のとき、総務省の文書は全て電子決裁化しました。こうす
れば、記録は全て残りますし、公開にも便利です。役所での決裁の過程に
は往々にして行きつ戻りつの議論や方針変更もあります。

電子決裁は消去しても全て残りますので、方針変更も残るでしょう。けれ
ど理由を明記して、新たな結論を決裁すればよいだけのことです。大事な
ことは、議論の途中で誰が反対したとか、ちょっとした言葉の問題などを
あげつらって非生産的な議論に陥らないことです。些末な議論で特定の人
の責任を問うようなことになれば、自由な議論は引っ込んで、皆、イエス
マンになります」

たとえば防衛省の文書問題で、「戦闘」という言葉が日報にあったからと
言って、これを法律上の戦闘、国と国との軍事紛争に結びつけて論難する
ようでは行政府における大胆な議論はできないということだろう。

旧民主党政権下では、3.11の被害の中で、緊急災害対策本部など関連15の
会議の内10の会議で議事録さえも作成されていなかった。文書管理につい
て無責任という意味では旧民主党も同罪なのである。
『週刊ダイヤモンド』 2018年4月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1227 

◆心筋梗塞は予知できる

石岡 荘十


まず、死因について。

私の父親も死因は「心不全」とされていたが、長い間、この死亡診断書に何の疑問も感じなかった。しかし、よく考えてみれば「心不全」というのは単に「心臓が動かなくなった」という意味であるから、病気の「結果」そのものであり、死のトリガー、「原因」ではない。

<最初は背中が痛いと言われたと報じられていた。亡くなった後では容易に心筋梗塞だったとは解らないのではないか。誰でも経験して学習し教訓に出来る病ではないので、発症した場合の対処は困難だろう>、これこそが「死因」となった心筋梗塞を疑わせる症状だ。

私も大動脈弁がうまく開閉しなくなり、10数年前人工の弁に置き換える手術を受けているが、そこに至る症状として<背中が痛い>を何年にもわたって、何度も経験している。

心臓の血流が途絶えると、背中が重苦しくなる。痛いと感じる人もいる。この苦しさは、血流が滞った程度(狭心症)の場合は、15分程度で回復する。不整脈のひとつ心房細動の時もそうだ。

私が何度も経験したが、それ以上自覚症状が長く、30分とか続くのは血管(冠動脈)が完全に詰まっている(心筋梗塞)だと考えた方がいい。ほっておけば死に至る。

胸が痛くなるという症状だと、「心臓がおかしいのではないか」と分かりやすいが、心筋梗塞になると左の奥歯がうずいたり痛くなったり、肩が凝ったりすることもある。歯医者や整形外科に駆け込む人もいるが、これは心筋梗塞の症状のひとつなのである。

歯医者で鎮痛剤をもらって「一丁上がり」となるが、じつは心筋梗塞の症状だ。こういうのを「放散痛」という。

不幸にして、こんな知識がなく死んでしまった後、患者を解剖すると死因が心筋梗塞であったことは明らかになる。

<発症した場合の対処は困難だろう>といっておられるが、心臓疾患の9割は、対処の仕方を誤らなければ、決して「死に至る病」ではないのである。

本誌常連の前田正晶さんが書いておられる記事が見事にそのポイントを突いている。
その要点をまとめると、

<失神するほどの、激痛と胸部に圧迫感があった。自分で119番に電話して症状を説明していた>

<放っておけば治るとかとは思ったが、何故かこれは「一過性の痛みではない」と判断した>

<救急患者を受付けてくれる大病院が多いこと、救急車が搬送してくれた先が国立国際医療センターだったこと、最も偉い先生が日曜日の当直だった>

<心筋梗塞に対応する準備が整っていたのだった。処置も素早かった>

<その判断が正しかったと後で解るのだが、私の場合は幸運の連続だった>

つまり、前田さまのケースは<幸運が重なった>結果であり、誰でもがこううまくいくわけではない。

年間の死者5千人を切る交通事故死にあの大騒ぎで安全運動を展開している。なのに、心臓疾患で年間15万人以上が死ぬ。なぜか。前田さんのような幸運の女神の恩寵に浴する人はそんなに多くない、それだけ啓蒙が行きわたっていないということだ。

<時間との争いであるなどとは知る由もないだろう。知識は皆無だった>とおっしゃるが、そんな人に幸運が訪れることは滅多にない。

この歳になったら、天下国家の危機を憂うる高邁な論議をする前に、わが身の危機管理に少しのエネルギーを注ぐべきだというのが私からのアドバイスだ。心臓病は<誰でも経験して学習し教訓に出来る病>なのである。

http://www.melma.com/backnumber_108241_4024688/

2018年04月15日

◆フィリピン、中国と秘密交渉

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月13日(金曜日)弐 通巻第5672号 

 フィリピン、中国と秘密交渉。スカボロー礁に石油ガス共同開発基地
   領海の帰属問題には触れず、プラグマティックに障害を乗り越えよう

 『サウスチャイナ・モーニングポスト』紙(4月12日)が、香港滞在中
のフィリピン外相、ピーター・カイタノに独占インタビューを試みたとこ
ろ、腰をぬかすような水面下の秘密交渉が浮かび上がってきた。

ドゥテルテ大統領に随行して中国海南島ボーアオ会議に出席した一行は、
帰路、香港に立ち寄って、「香港フィリピーノ共同体会議」に出席した。
香港にはフィリピンから出稼ぎに来ているアマさんを中心に30万人と言
われるフィリピーノ共同体がある。

インタビューで同外相は「最終的な詰めの段階に入っているので、詳細は
明らかに出来ないが」と断った上で、「フィリピン政府は北京政府と水面
下の交渉を続けており、スカボロー礁の領有権を主張しつつも、お互いが
プラクティカルに国益に繋げる方法を模索してきた。それは原油とガスの
海底油田開発の基地をスカボロー礁に構築し、『中国と共存』する方法
だ。これは時計の振り子が右から左へ大きく移動するスィングとなる」と
した。

フィリピンはドゥテルテ大統領が政権を担うようになってから前アキノ政
権のような『ハーグ國際仲裁裁判所』の判決を硬直的に主張するのではな
く、判決のことは凍結し、つまり「無駄な試みを継続して大事なものを失
うより、『ゲーム・チェンジ』を図るべきだ」とするのである。あまりに
打算的であるが、ドゥテルテ大統領ならやりかねない。

もしこの「フィリピン・モデル」が成立した場合、南シナ海で領有権を争
うマレーシア、ブルネイ、インドネシアなどへの強いインパクトとなる。

おりしも習近平はボーアオフォーラムを終えるや、ヤヌスの首がくるりと
ひっくり返るように、軍事色一色に変貌し、海南島の南端・三亜の海軍基
地に赴き、史上最大の観艦式に臨んだ。

中国海軍は大規模な軍事演習を南シナ海で展開したうえで、4月18日に
は福建省泉州沖の台湾海峡に挑発的に侵入し、実弾演習を見せつける予定。

一方で、米国海軍空母攻撃群は、南シナ海を「自由航行作戦」の一環とし
てデモンストレーションを続けている。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1716回】         
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(5)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽

 孔子廟に詣でる。やはり荒れ果てたまま。

「たとひ世は革り時は遷りても、支那四百餘州はをろか、大八洲の隅々ま
でも其の?に生きて居る幾多の後學があるのに、何故こんなに頽廢に終ら
せるのであらうか」と素朴な疑問を持った。

そして「初めて我幾年の間幾百回となく讀むだ夫子その靈位の前に立つた
私は未だ凡ての神社、凡ての佛閣の前に額づいた時に經驗しなかつたやう
嚴な敬虔の情にうたれて、2千年前の先聖の靈と交感する樣な氣がした」
と感慨に耽る。

だが、この種の思い入れが大間違いの礎なのだ。

「支那4百餘州」には「其の?に生きて居る幾多の後學がある」わけはな
いのである。「支那4百餘州」の住人の大多数が『論語』を「幾年の間幾
百回となく讀む」ことなどありえない。

なぜなら彼らは文字を知らないのだから。じつは1949年の中華人民共和国
建国当時の識字率は20%程度だった。

ということは20世紀半ばですら、5人に4人は文盲だった。

だから「世は革り時は遷りても」、「支那四百餘州」の大多数は孔子など
有難くもなんとも感じなかった。であればこそ、孔子廟が「こんなに頽廢
に終」っていたとしても当たり前のことだろう。これに対し関帝廟は「た
とひ世は革り時は遷りても」「頽廢に終」ることはない。なぜなら関羽は
商売繁盛のカミサマだからである。

一行は南京から長江を下って上海で乗船し、「暴風の波路」を北上して
大連に向う。

師範学校生徒であればこそ、大連では大連第三尋常校、大連公学堂など日
本人経営の教育施設を見学した後、白玉山、旅順要塞戦記念館、松樹山砲
台、二龍山砲台、東鷄冠山、爾霊山、旅順港など日露戦跡をめぐる。

当時の若者らしく多く激越の字句を綴っている。その凡てを紹介するわけ
にはいかないので、代表的な一文を示しておきたい。

「あゝ星霜移つて此處に十年。粉砕されて骨は石となり、流れた血潮は草
となつたが、此石此草果して何をか語るであらう。滿天玲瓏の月下の露は
千古の愁思を此石に宿すこともあらう。名のしらぬ異國の蟲は萬古の後ま
で喞々の悲號を此草中に捧げるかも知らぬ。實に爾靈山は永久の戰場であ
る。雲暗く風死して沈黙全山を蔽ひつくすときに、亡靈千秋の遺恨は凝つ
て沈黙の内に阿修羅の叫喚は放たれ、寂寥の裡には鬼笑の啾々たるを響か
すであらう」――

こういう文章は声を挙げて読むのがよさそうだとは思う。

「滿天玲瓏の月下の露」「千古の愁思」「雲暗く風死して」「亡靈千秋の
遺恨」「阿修羅の叫喚」など凡そ大仰な漢詩口調から、なにやら旧制高校
寮歌の雰囲気が漂ってくるから不思議ではある。これが当時の若者エリー
ト共通の『述志』というヤツだろう。だが、こんな大仰な言葉が頭の中を
グルグルと巡っているから、思考も日本式漢詩文体になってしまうことを
考えてもらいたいものだ。

言葉こそ思考の根本である。現実離れした『白髪三千丈』式の大仰な表
現に振り振り回されることの無意味さ、いや間違いに気づくべきではないか。

  閑話休題。

さらに旧戦場を歩く。遼陽でのことだ。日本兵の「貴い血を以て購つた
地」であるにもかかわらず、「今は利に敏い支那人の鋤にかへされ半ば豆
が蒔いてある」。

そこで尋ねると、「此地は當然日本の有です。然し支那人はこの調子の狡
い手段で黙ッて蠶食せられるので殘念ではないかね」と慨歎の言葉が返っ
て来た。

遼陽では県立師範学校と中学校を見学。「博物標品や、理科機械などが
輸入日本品である事」を「殊に愉快に感じた」。
数年前までは日本人教師を雇っていたとのことだ。
《QED》
          

◆わが国で今も未確立の公文書管理ルール

櫻井よしこ


「わが国で今も未確立の公文書管理ルール 無責任という意味では旧民主
党も同罪だ」

過日財務省が発表した「決裁文書の書き換えの状況」からは、森友学園へ
の土地売却で、財務省が森友側と価格交渉をしていたことが見てとれた。
佐川宣寿理財局長(当時)が国会で価格交渉を否定したために、その発言
と齟齬を来さないための書き換えであることが明白だった。

4月4日、小野寺五典防衛相が、陸上自衛隊が「不存在」としてきたイラク
派遣時の日報が昨年3月に発見されていたことを報告し、謝罪した。

日報問題では、昨年2月16日に、防衛省が「不存在」と発表し、4日後の20
日、稲田朋美防衛相(当時)は衆議院予算委員会で「確認作業をしたが見
つけることができなかった」と答弁した。稲田氏はそのとき、防衛省に対
して日報記録がどこかに残っていないか、探すように指示もしている。当
時を振りかえって、氏が語った。

「私は誰よりも情報の透明性を大事にしました。徹底調査を命じ、見つ
かったら全て公開する、隠し事などしない方針を明らかにしていたのです」

小野寺氏の説明によると、稲田氏が新たに調査を指示した後の昨年3月27
日に、自衛隊の「教育訓練研究本部」にあった「外付けハードディスク」
から、イラク派遣時の日報が発見された。だが、同事実は稲田氏にも政務
三役にも報告されなかった。その背景を防衛省側は以下のように説明した。

稲田氏の指示が出た後、南スーダン国連平和維持活動日報問題についての
特別防衛監察が3月17日に始まり、改めて行った調査の中で、今回発表し
た資料が見つかった。但し、特別防衛監察は南スーダンの日報に関して
だったため、イラクの日報を報告する必要は認識していなかった、という
ものだ。

こうして、1年以上が過ぎた。右の防衛省の説明が真実か否かも含めて、
小野寺氏は調査委員会を設置した。文民統制、政治主導、政治への信頼確
立のために、厳正な調査が欠かせない。

前述の財務省文書改竄は、明らかに佐川局長の発言と齟齬を来さないため
だった。佐川氏の「価格交渉はしていない」との発言が誤りだったと認め
さえすれば、全てを公開しても何ら問題がない内容だ。にも拘わらず、財
務省が隠そうとしたのは財務省を守る為だったのだろう。今回、自衛隊に
隠蔽の意図があったか否かは、以降の調査を待たなければならないが、な
ぜこのように公文書を巡る問題が生ずるのか。

自民党「公文書管理に関する改革検討委員会」の新藤義孝委員長は、国家
の活動を記録する公文書に嘘が許されないのは当然だが、公文書の管理、
保存のルールがわが国には未だ確立されていないとして、新しい時代に合
わせて公文書の電子決裁化を提唱する。

「私が総務大臣のとき、総務省の文書は全て電子決裁化しました。こうす
れば、記録は全て残りますし、公開にも便利です。役所での決裁の過程に
は往々にして行きつ戻りつの議論や方針変更もあります。

電子決裁は消去しても全て残りますので、方針変更も残るでしょう。けれ
ど理由を明記して、新たな結論を決裁すればよいだけのことです。大事な
ことは、議論の途中で誰が反対したとか、ちょっとした言葉の問題などを
あげつらって非生産的な議論に陥らないことです。些末な議論で特定の人
の責任を問うようなことになれば、自由な議論は引っ込んで、皆、イエス
マンになります」

たとえば防衛省の文書問題で、「戦闘」という言葉が日報にあったからと
言って、これを法律上の戦闘、国と国との軍事紛争に結びつけて論難する
ようでは行政府における大胆な議論はできないということだろう。

旧民主党政権下では、3.11の被害の中で、緊急災害対策本部など関連15の
会議の内10の会議で議事録さえも作成されていなかった。文書管理につい
て無責任という意味では旧民主党も同罪なのである。
『週刊ダイヤモンド』 2018年4月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1227