2018年04月17日

◆時々当たる飯島発の“解散風”

                 杉浦 正章


いまだ“老熟”せぬ「狭量小泉節」
 
政局がざわついてきた
 
昨年9月の総選挙から半年しかたたないのに、永田町を解散説が吹き初めている。首相・安倍晋三がモリだのカケだののあらぬ疑惑に、伝家の宝刀解散で斬り返すというのだ。 かつて佐藤栄作は「内閣改造をするほど総理の権力は下がり、解散をするほど上がる」と述べ、黒い霧解散を断行して求心力を回復、局面転換を図った。

当時筆者も「解散だ」とフラッシュを打ったことを思い出す。今度もフラッシュが飛ぶかどうかだが、野党が根も葉もないことをほじくり出して、安倍を退陣に追い込もうとしているが、これが続く限り早期解散はあり得る。安倍は退陣でなく解散を選択する。分裂野党が選挙戦を戦えるか見物となる。

 政権のうち誰かが解散風を吹かせ始める政局かと思っていたが、案の定16日内閣官房参与の飯島勲が解散発言の口火を切った。テレビ朝日の朝の番組で「私だったら、もう、今、解散しますね。100%」「今の状況を見ると最悪でも過半数は十分取れる」「過半数以上議席が取得できれば、安倍内閣の持続が当たり前。何ら問題ない」などとぶちまくっていた。

安倍が、国会で森友学園や加計問題での、公文書の書き換え疑惑について、「全く私は指示していないと申し上げてきた。あとは国民の皆様が判断いただくことだと思う」との発言をしたことを根拠に飯島は、「『国民が判断する』ということは、解散しかないじゃないですか。そうでしょう?」と述べた。これに先立ち飯島は週刊文春(3月29日号)で「黒い霧解散」を引き合いに、早期の解散・総選挙を提言し、「過半数維持は間違いないぜ」と書いている。

 この飯島解散風は、外れが多いが時々当たるから要注意だ。発言が安倍の了解の元に行われたか、安倍の胸中を察してのものであるかは五里霧中だが、飯島が流行の「忖度」をしていることは確かだろう。今と似た根拠レスの政権追及ムードに端を発した黒い霧解散の例を語れる現役政治記者はもう筆者しかいない。黒い霧問題は第一次佐藤内閣が発足した1965年からくすぶり始めた。その内容は現在の野党による追及に似て、黒い霧の名前通り得体の知れぬ“ヌエ”的な性格を持っていた。

具体例としては虎ノ門国有地払い下げ問題をめぐる恐喝・詐欺(さぎ)事件で逮捕された田中彰治事件、防衛長官上林山栄吉の大名行列並みのお国入り事件、松野頼三の官費による私的な外国旅行などなどだ。佐藤とは関係がない、愚にも付かない問題をひっくるめて黒い霧と称して野党が追及、マスコミが書き立てた。

 今回もモリだのカケだのが「贈収賄事件」や「首相の犯罪」に直結する流れにはなく、実態がないから、言うならば「白い霧」にすぎない。白い霧の向こうからは美女が出てくるのが通例で、“怪物”が現れることはあり得ない。朝日やTBSなどを中心とする“マスコミ追及班”は、何かを引き出そうと躍起だが、これはマスコミのあるべき本道にもとる。なぜなら根拠なしに“あやしい”だけが先行して、ファクトが付いてこないからだ。むやみやたらに政権のつるし上げを図ろうとしているだけだ。

 佐藤はこうしたムードを断ち切るために66年12月27日に解散を決断、67年1月の総選挙を断行した。微減したが自民党は善戦した。日本国民はばかではない。大勢は真実がどこにあるかを訴えれば納得する国民である。任期満了まで1年を切る中での解散であった。

それでは早期解散があるかどうかだが、過去にも例は二つある。一つは吉田茂のバカヤロー解散だ。1952年8月28日に抜き打ち解散を断行した吉田は、国会の予算委で社会党右派の西村栄一との質疑応答中、「バカヤロー」とつぶやいたことをとがめられ、1953年3月14日に解散を断行した。

 もう一つは大平正芳による解散だ。大平は1979年9月7日に一般消費税世に問う解散を断行したが、翌80年5月9日にハプニング解散を断行した。きっかけは反主流の反乱であった。三木派や福田派、中川グループなどの議員69人は内閣府不信任本会議を欠席した結果、可決されてしまったのだ。

選挙中であった6月12日に大平が急死するという緊急事態が起こり、同情票が作用して自民党は地滑り的な勝利となった。バカヤロー解散もハプニング解散も半年か1年たたずの時点での解散であったが、首相が決戦を選択した選挙であった。

 こうした中で元首相小泉純一郎が爆弾発言をした。14日、水戸市内で講演後記者団に対して森友・加計学園を巡る一連の問題への政府の対応を批判。「言い逃れ、言い訳ばかり」と突き放した。加えて小泉は、秋の自民党総裁選について「3選は難しい。信頼がなくなってきた」と安倍3選の可能性を否定したのだ。

久しぶりの小泉節の登場だが、筆者と近い年齢にしては相変わらず老熟していない。3選がないと断定する以上、誰か別の候補者がいるのか。石破茂を自民党主流派が担ぐだろうか。前外相岸田文雄が政調会長になってめざましい活躍をしたか。二人ともまだ5年は雑巾がけをした方がいい。そもそも小泉は自分の弟子の安倍を擁護するのならともかく、足を引っ張るとは何事か。まさに「狭量小泉」の面目躍如かと言いたい。

2018年04月16日

◆トランプ一触即発の状態でけん制

                  杉浦 正章


シリア攻撃の準備完了 米露対立危機的状況 

この国はの国会は一体どうなっているのか。シリアが一触即発で、場合に
よっては米露の大規模軍事衝突に発展しかねないというのに、野党はカケ
だのモリだの朝日新聞と民放受けする問題ににうつつをぬかし、世界情勢
などどこ吹く風だ。

何という世界観の欠如だろうか。戦争はいったん勃発すれば、連鎖を巻き
起こし、北朝鮮情勢の緊迫化につながりうる事態も想定される。米国はト
ランプの強硬路線に傾斜して、シリア攻撃の準備をほぼ完了させた。あと
は命令を待つばかりの状況に至っている。シリアをめぐる米露の対立は抜
き差しならぬ事態となりつつある。

トランプはまず「口撃」から物事を始めるから、分かりやすい。シリアの
アサド政権を「自らの国民の殺害を楽しむかのように毒ガスをまく獣(け
だもの)」と決めつけ、一方でこれを支援するロシアに対して「ロシアは
シリアに向けられたいかなるミサイルも打ち落とすと宣言している。プー
チンは準備に入るがいい。米国のミサイルが来るぞ、新しくスマートなミ
サイルだ」とどう喝した。

トランプの行動はまず同盟国固めから始まった。イギリスの首相テリー
ザ・メイとフランス大統領エマニュエル・マクロンと電話会談して、アサ
ドに断固とした対応で臨むことを確認した。

マクロンはテレビで「アサド政権が化学兵器を使った証拠を握っている」
と延べ、制裁を示唆。メイは英軍をシリア攻撃に参加させる方針を固めた
模様だ。米欧有志連合による攻撃態勢を整えたのだ。

しかし、ドイツは別だ。首相メルケルは12日の記者会見で、対シリア軍事
行動について「ドイツは参加しない」と明言した。

対シリア攻撃のシナリオは、東地中海に展開した米艦船や爆撃機によって
多数の巡航ミサイルを発射して、軍事施設を破壊する。

昨年4月には59発がシリアの空軍基地の目標を破壊している。今回はこれ
を上回る規模となる可能性が大きいようだ。これにロシアがどう対応する
かだが、トランプの予告発言はシリアの基地にいるロシア軍兵士に避難を
呼びかける性格もある。

最悪の場合はロシアが反撃して、衝突が拡大し米露直接戦争に発展するこ
とだ。ロシアはシリアの基地にミサイル迎撃システム「S400」を配備して
いるものとみられ、反撃を受ければ米軍は無傷ではあり得ない。

米露が直説砲火を交える事態になれば、史上初めてであり、事態は1962年
のキューバ危機に勝るとも劣らない危機的状況である。

 この米国によるシリア攻撃は北朝鮮をも強く意識した地球規模の戦略で
あることは言うまでもない。シリア攻撃を目の当たりにした場合金正恩
が、どう反応するかをトランプは片目でにらんでいる。

おそらく「震え上がる」だろうとみている。トランプの狙いはシリア攻撃
によって、北朝鮮に力を見せつけ、核兵器放棄に向かわせたいのだろう。

一方でロシアは北朝鮮にも同型ミサイル迎撃システムを配備しており、北
はシリア軍の反撃能力を固唾をのんで見守るに違いない。米軍に対する迎
撃の「予行演習」の意味合いを持つからだ。

金正恩はシリアの紛争が拡大して、米軍が極東で作戦を展開することが困
難になることを期待しているに違いない。戦術上2正面作戦は最も愚かな
作戦と言われているが、米国が中東に専念すれば北に核・ミサイル開発の
余裕を与えることになる。シリアへの対応は米国の北との交渉に影響を及
ぼさざるを得ないのだ。

こうした中で注視すべきはトランプ政権の中でブレーキ役が登場し始め
たことだ。これまではかつてイラク戦争を推進した大統領補佐官ジョン・
ボルトンのように「平和がほしければ戦争の準備をすべきだ」といった
“力の信奉者”が目立った。

これに対して、国防長官ジェームズ・マティスは「私の責任は必要ならば
軍事オプションを用意することだ。しかし米国は外交主導で努力する。外
交的手段によって外交的結果を得る」と慎重論だ。前国務長官ティラーソ
ンも「外交的解決はあきらめない」と述べている。

しかしこうした慎重論もトランプ一流の“口撃”にかき消されがちだ。ト
ランプは11日「ロシア高官はシリアにミサイルが飛来しても迎撃すると
発言したが、そのミサイルが飛来するのだからロシアは準備せよ」と“最
後通牒”的な発言を繰り返している。

これ以上言葉がないほど脅しまくっているのだ。ロシア外務省報道官のザ
ハロワは「ミサイルはテロリストに向けられるべきで、国際テロリズムと
戦っている合法的政権に向けられるべきではない」と批判しているが、ト
ランプ節にかき消されがちだ。
    

◆中国のビッグデータは

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月12日(木曜日)通巻第5670号 

 中国のビッグデータは反政府分子やスパイの摘発ばかりではない
  国内の金融取引の全てを掌握し、管理する邪悪ビッグブラザーの元締めだ

中国は従来の金融監督官庁を統合して「銀行保険監査管理委員会小組」を
立ち上げた。トップは劉?(副首相)である。中央銀行の従来の役目を取
り上げるのか、並立的な組織となるかは不明だが、その目的は単純明快で
ある。

2015年の上海株式暴落を、中国政府は管理の不徹底によってシャドー・バ
ンキングならびに金融ユニット末端の新興組織(これも影の銀行の範疇に
はいる)が、高金利を謳って投資家から金をかき集め、それを信用取引で
4倍、10倍に梃子を効かせて株式市場に注入したからであるとした。

なぜなら株価が下落すれば投資家は証券会社から保証金の追い証を取られ
るが、おおくの投資家は借金して、ハイリターンを信じて投資したのであ
り、そのメカニズムさえ理解できずに、ひたすら株はあがるものという信
仰がもたらした熱狂的投機だった。

実態はと言えば、太子党や証券にすくう代理人等の空売り、それも巨額の
空売りがなされ市場の狼狽が次の下落を招いたからである。

上海株式市場から蒸発したカネは5兆ドル(当時のレートで500兆円)と
当局は算定している。株式は時価総額の合計から下落額を引けばそうなる
が、実際には、それだけの現金が消えたわけではない。5兆ドルというの
は時価総額のことである。

「けっきょく監督力が不足したのだ」というのが、中国政府の驚くべき安
易な総括で、再暴落を防ぐには、徹底した管理が必要という共産党独裁者
の狭窄な思考範囲が達した予防策である。

つまり最新のデータベースを使って、銀行間、銀行・証券間、銀行の地方
政府への融資ばかりか、証券と保険の迂回融資、影の銀行の実態を掌握す
るために個人の銀行口座の取引記録まで閲覧し、これらのデータから対策
を割り出すという、あくまでも共産党の人民管理方法の発送の延長線から
生まれてきた対策なのである。

「e租宝」とう新興のネット企業は、p2p(ネットでのカネの貸し借
り、当局には届け出だけで良かった)の大手である。[e租宝]に群がっ
た投資家がおよそ90万人もいて、ファンドライジングであつめたカネは
77億ドル。

魅力的な高利を謳って、多くのプロジェクトを提示し、薔薇色の将来の収
入を画面に分かりやすく描いて夢を売り、民衆のカネを集めたのだ。
ところが調査した結果、95%のプロジェクトは胡散臭い、実態のないも
のだった(サウスチャイナモーニングポスト、4月11日)。

かくして中国のビッグデータは反政府分子やスパイの摘発に向けられるば
かりではなかった。国内の金融取引の全てを掌握し、管理する巨大なビッ
グブラザーの元締めとなるのだ。 

◆わが国で今も未確立の公文書管理ルール

櫻井よしこ


「わが国で今も未確立の公文書管理ルール 無責任という意味では旧民主
党も同罪だ」

過日財務省が発表した「決裁文書の書き換えの状況」からは、森友学園へ
の土地売却で、財務省が森友側と価格交渉をしていたことが見てとれた。
佐川宣寿理財局長(当時)が国会で価格交渉を否定したために、その発言
と齟齬を来さないための書き換えであることが明白だった。

4月4日、小野寺五典防衛相が、陸上自衛隊が「不存在」としてきたイラク
派遣時の日報が昨年3月に発見されていたことを報告し、謝罪した。

日報問題では、昨年2月16日に、防衛省が「不存在」と発表し、4日後の20
日、稲田朋美防衛相(当時)は衆議院予算委員会で「確認作業をしたが見
つけることができなかった」と答弁した。稲田氏はそのとき、防衛省に対
して日報記録がどこかに残っていないか、探すように指示もしている。当
時を振りかえって、氏が語った。

「私は誰よりも情報の透明性を大事にしました。徹底調査を命じ、見つ
かったら全て公開する、隠し事などしない方針を明らかにしていたのです」

小野寺氏の説明によると、稲田氏が新たに調査を指示した後の昨年3月27
日に、自衛隊の「教育訓練研究本部」にあった「外付けハードディスク」
から、イラク派遣時の日報が発見された。だが、同事実は稲田氏にも政務
三役にも報告されなかった。その背景を防衛省側は以下のように説明した。

稲田氏の指示が出た後、南スーダン国連平和維持活動日報問題についての
特別防衛監察が3月17日に始まり、改めて行った調査の中で、今回発表し
た資料が見つかった。但し、特別防衛監察は南スーダンの日報に関して
だったため、イラクの日報を報告する必要は認識していなかった、という
ものだ。

こうして、1年以上が過ぎた。右の防衛省の説明が真実か否かも含めて、
小野寺氏は調査委員会を設置した。文民統制、政治主導、政治への信頼確
立のために、厳正な調査が欠かせない。

前述の財務省文書改竄は、明らかに佐川局長の発言と齟齬を来さないため
だった。佐川氏の「価格交渉はしていない」との発言が誤りだったと認め
さえすれば、全てを公開しても何ら問題がない内容だ。

にも拘わらず、財務省が隠そうとしたのは財務省を守る為だったのだろ
う。今回、自衛隊に隠蔽の意図があったか否かは、以降の調査を待たなけ
ればならないが、なぜこのように公文書を巡る問題が生ずるのか。

自民党「公文書管理に関する改革検討委員会」の新藤義孝委員長は、国家
の活動を記録する公文書に嘘が許されないのは当然だが、公文書の管理、
保存のルールがわが国には未だ確立されていないとして、新しい時代に合
わせて公文書の電子決裁化を提唱する。

「私が総務大臣のとき、総務省の文書は全て電子決裁化しました。こうす
れば、記録は全て残りますし、公開にも便利です。役所での決裁の過程に
は往々にして行きつ戻りつの議論や方針変更もあります。

電子決裁は消去しても全て残りますので、方針変更も残るでしょう。けれ
ど理由を明記して、新たな結論を決裁すればよいだけのことです。大事な
ことは、議論の途中で誰が反対したとか、ちょっとした言葉の問題などを
あげつらって非生産的な議論に陥らないことです。些末な議論で特定の人
の責任を問うようなことになれば、自由な議論は引っ込んで、皆、イエス
マンになります」

たとえば防衛省の文書問題で、「戦闘」という言葉が日報にあったからと
言って、これを法律上の戦闘、国と国との軍事紛争に結びつけて論難する
ようでは行政府における大胆な議論はできないということだろう。

旧民主党政権下では、3.11の被害の中で、緊急災害対策本部など関連15の
会議の内10の会議で議事録さえも作成されていなかった。文書管理につい
て無責任という意味では旧民主党も同罪なのである。
『週刊ダイヤモンド』 2018年4月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1227 

◆心筋梗塞は予知できる

石岡 荘十


まず、死因について。

私の父親も死因は「心不全」とされていたが、長い間、この死亡診断書に何の疑問も感じなかった。しかし、よく考えてみれば「心不全」というのは単に「心臓が動かなくなった」という意味であるから、病気の「結果」そのものであり、死のトリガー、「原因」ではない。

<最初は背中が痛いと言われたと報じられていた。亡くなった後では容易に心筋梗塞だったとは解らないのではないか。誰でも経験して学習し教訓に出来る病ではないので、発症した場合の対処は困難だろう>、これこそが「死因」となった心筋梗塞を疑わせる症状だ。

私も大動脈弁がうまく開閉しなくなり、10数年前人工の弁に置き換える手術を受けているが、そこに至る症状として<背中が痛い>を何年にもわたって、何度も経験している。

心臓の血流が途絶えると、背中が重苦しくなる。痛いと感じる人もいる。この苦しさは、血流が滞った程度(狭心症)の場合は、15分程度で回復する。不整脈のひとつ心房細動の時もそうだ。

私が何度も経験したが、それ以上自覚症状が長く、30分とか続くのは血管(冠動脈)が完全に詰まっている(心筋梗塞)だと考えた方がいい。ほっておけば死に至る。

胸が痛くなるという症状だと、「心臓がおかしいのではないか」と分かりやすいが、心筋梗塞になると左の奥歯がうずいたり痛くなったり、肩が凝ったりすることもある。歯医者や整形外科に駆け込む人もいるが、これは心筋梗塞の症状のひとつなのである。

歯医者で鎮痛剤をもらって「一丁上がり」となるが、じつは心筋梗塞の症状だ。こういうのを「放散痛」という。

不幸にして、こんな知識がなく死んでしまった後、患者を解剖すると死因が心筋梗塞であったことは明らかになる。

<発症した場合の対処は困難だろう>といっておられるが、心臓疾患の9割は、対処の仕方を誤らなければ、決して「死に至る病」ではないのである。

本誌常連の前田正晶さんが書いておられる記事が見事にそのポイントを突いている。
その要点をまとめると、

<失神するほどの、激痛と胸部に圧迫感があった。自分で119番に電話して症状を説明していた>

<放っておけば治るとかとは思ったが、何故かこれは「一過性の痛みではない」と判断した>

<救急患者を受付けてくれる大病院が多いこと、救急車が搬送してくれた先が国立国際医療センターだったこと、最も偉い先生が日曜日の当直だった>

<心筋梗塞に対応する準備が整っていたのだった。処置も素早かった>

<その判断が正しかったと後で解るのだが、私の場合は幸運の連続だった>

つまり、前田さまのケースは<幸運が重なった>結果であり、誰でもがこううまくいくわけではない。

年間の死者5千人を切る交通事故死にあの大騒ぎで安全運動を展開している。なのに、心臓疾患で年間15万人以上が死ぬ。なぜか。前田さんのような幸運の女神の恩寵に浴する人はそんなに多くない、それだけ啓蒙が行きわたっていないということだ。

<時間との争いであるなどとは知る由もないだろう。知識は皆無だった>とおっしゃるが、そんな人に幸運が訪れることは滅多にない。

この歳になったら、天下国家の危機を憂うる高邁な論議をする前に、わが身の危機管理に少しのエネルギーを注ぐべきだというのが私からのアドバイスだ。心臓病は<誰でも経験して学習し教訓に出来る病>なのである。

http://www.melma.com/backnumber_108241_4024688/

2018年04月15日

◆フィリピン、中国と秘密交渉

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月13日(金曜日)弐 通巻第5672号 

 フィリピン、中国と秘密交渉。スカボロー礁に石油ガス共同開発基地
   領海の帰属問題には触れず、プラグマティックに障害を乗り越えよう

 『サウスチャイナ・モーニングポスト』紙(4月12日)が、香港滞在中
のフィリピン外相、ピーター・カイタノに独占インタビューを試みたとこ
ろ、腰をぬかすような水面下の秘密交渉が浮かび上がってきた。

ドゥテルテ大統領に随行して中国海南島ボーアオ会議に出席した一行は、
帰路、香港に立ち寄って、「香港フィリピーノ共同体会議」に出席した。
香港にはフィリピンから出稼ぎに来ているアマさんを中心に30万人と言
われるフィリピーノ共同体がある。

インタビューで同外相は「最終的な詰めの段階に入っているので、詳細は
明らかに出来ないが」と断った上で、「フィリピン政府は北京政府と水面
下の交渉を続けており、スカボロー礁の領有権を主張しつつも、お互いが
プラクティカルに国益に繋げる方法を模索してきた。それは原油とガスの
海底油田開発の基地をスカボロー礁に構築し、『中国と共存』する方法
だ。これは時計の振り子が右から左へ大きく移動するスィングとなる」と
した。

フィリピンはドゥテルテ大統領が政権を担うようになってから前アキノ政
権のような『ハーグ國際仲裁裁判所』の判決を硬直的に主張するのではな
く、判決のことは凍結し、つまり「無駄な試みを継続して大事なものを失
うより、『ゲーム・チェンジ』を図るべきだ」とするのである。あまりに
打算的であるが、ドゥテルテ大統領ならやりかねない。

もしこの「フィリピン・モデル」が成立した場合、南シナ海で領有権を争
うマレーシア、ブルネイ、インドネシアなどへの強いインパクトとなる。

おりしも習近平はボーアオフォーラムを終えるや、ヤヌスの首がくるりと
ひっくり返るように、軍事色一色に変貌し、海南島の南端・三亜の海軍基
地に赴き、史上最大の観艦式に臨んだ。

中国海軍は大規模な軍事演習を南シナ海で展開したうえで、4月18日に
は福建省泉州沖の台湾海峡に挑発的に侵入し、実弾演習を見せつける予定。

一方で、米国海軍空母攻撃群は、南シナ海を「自由航行作戦」の一環とし
てデモンストレーションを続けている。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1716回】         
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(5)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽

 孔子廟に詣でる。やはり荒れ果てたまま。

「たとひ世は革り時は遷りても、支那四百餘州はをろか、大八洲の隅々ま
でも其の?に生きて居る幾多の後學があるのに、何故こんなに頽廢に終ら
せるのであらうか」と素朴な疑問を持った。

そして「初めて我幾年の間幾百回となく讀むだ夫子その靈位の前に立つた
私は未だ凡ての神社、凡ての佛閣の前に額づいた時に經驗しなかつたやう
嚴な敬虔の情にうたれて、2千年前の先聖の靈と交感する樣な氣がした」
と感慨に耽る。

だが、この種の思い入れが大間違いの礎なのだ。

「支那4百餘州」には「其の?に生きて居る幾多の後學がある」わけはな
いのである。「支那4百餘州」の住人の大多数が『論語』を「幾年の間幾
百回となく讀む」ことなどありえない。

なぜなら彼らは文字を知らないのだから。じつは1949年の中華人民共和国
建国当時の識字率は20%程度だった。

ということは20世紀半ばですら、5人に4人は文盲だった。

だから「世は革り時は遷りても」、「支那四百餘州」の大多数は孔子など
有難くもなんとも感じなかった。であればこそ、孔子廟が「こんなに頽廢
に終」っていたとしても当たり前のことだろう。これに対し関帝廟は「た
とひ世は革り時は遷りても」「頽廢に終」ることはない。なぜなら関羽は
商売繁盛のカミサマだからである。

一行は南京から長江を下って上海で乗船し、「暴風の波路」を北上して
大連に向う。

師範学校生徒であればこそ、大連では大連第三尋常校、大連公学堂など日
本人経営の教育施設を見学した後、白玉山、旅順要塞戦記念館、松樹山砲
台、二龍山砲台、東鷄冠山、爾霊山、旅順港など日露戦跡をめぐる。

当時の若者らしく多く激越の字句を綴っている。その凡てを紹介するわけ
にはいかないので、代表的な一文を示しておきたい。

「あゝ星霜移つて此處に十年。粉砕されて骨は石となり、流れた血潮は草
となつたが、此石此草果して何をか語るであらう。滿天玲瓏の月下の露は
千古の愁思を此石に宿すこともあらう。名のしらぬ異國の蟲は萬古の後ま
で喞々の悲號を此草中に捧げるかも知らぬ。實に爾靈山は永久の戰場であ
る。雲暗く風死して沈黙全山を蔽ひつくすときに、亡靈千秋の遺恨は凝つ
て沈黙の内に阿修羅の叫喚は放たれ、寂寥の裡には鬼笑の啾々たるを響か
すであらう」――

こういう文章は声を挙げて読むのがよさそうだとは思う。

「滿天玲瓏の月下の露」「千古の愁思」「雲暗く風死して」「亡靈千秋の
遺恨」「阿修羅の叫喚」など凡そ大仰な漢詩口調から、なにやら旧制高校
寮歌の雰囲気が漂ってくるから不思議ではある。これが当時の若者エリー
ト共通の『述志』というヤツだろう。だが、こんな大仰な言葉が頭の中を
グルグルと巡っているから、思考も日本式漢詩文体になってしまうことを
考えてもらいたいものだ。

言葉こそ思考の根本である。現実離れした『白髪三千丈』式の大仰な表
現に振り振り回されることの無意味さ、いや間違いに気づくべきではないか。

  閑話休題。

さらに旧戦場を歩く。遼陽でのことだ。日本兵の「貴い血を以て購つた
地」であるにもかかわらず、「今は利に敏い支那人の鋤にかへされ半ば豆
が蒔いてある」。

そこで尋ねると、「此地は當然日本の有です。然し支那人はこの調子の狡
い手段で黙ッて蠶食せられるので殘念ではないかね」と慨歎の言葉が返っ
て来た。

遼陽では県立師範学校と中学校を見学。「博物標品や、理科機械などが
輸入日本品である事」を「殊に愉快に感じた」。
数年前までは日本人教師を雇っていたとのことだ。
《QED》
          

◆わが国で今も未確立の公文書管理ルール

櫻井よしこ


「わが国で今も未確立の公文書管理ルール 無責任という意味では旧民主
党も同罪だ」

過日財務省が発表した「決裁文書の書き換えの状況」からは、森友学園へ
の土地売却で、財務省が森友側と価格交渉をしていたことが見てとれた。
佐川宣寿理財局長(当時)が国会で価格交渉を否定したために、その発言
と齟齬を来さないための書き換えであることが明白だった。

4月4日、小野寺五典防衛相が、陸上自衛隊が「不存在」としてきたイラク
派遣時の日報が昨年3月に発見されていたことを報告し、謝罪した。

日報問題では、昨年2月16日に、防衛省が「不存在」と発表し、4日後の20
日、稲田朋美防衛相(当時)は衆議院予算委員会で「確認作業をしたが見
つけることができなかった」と答弁した。稲田氏はそのとき、防衛省に対
して日報記録がどこかに残っていないか、探すように指示もしている。当
時を振りかえって、氏が語った。

「私は誰よりも情報の透明性を大事にしました。徹底調査を命じ、見つ
かったら全て公開する、隠し事などしない方針を明らかにしていたのです」

小野寺氏の説明によると、稲田氏が新たに調査を指示した後の昨年3月27
日に、自衛隊の「教育訓練研究本部」にあった「外付けハードディスク」
から、イラク派遣時の日報が発見された。だが、同事実は稲田氏にも政務
三役にも報告されなかった。その背景を防衛省側は以下のように説明した。

稲田氏の指示が出た後、南スーダン国連平和維持活動日報問題についての
特別防衛監察が3月17日に始まり、改めて行った調査の中で、今回発表し
た資料が見つかった。但し、特別防衛監察は南スーダンの日報に関して
だったため、イラクの日報を報告する必要は認識していなかった、という
ものだ。

こうして、1年以上が過ぎた。右の防衛省の説明が真実か否かも含めて、
小野寺氏は調査委員会を設置した。文民統制、政治主導、政治への信頼確
立のために、厳正な調査が欠かせない。

前述の財務省文書改竄は、明らかに佐川局長の発言と齟齬を来さないため
だった。佐川氏の「価格交渉はしていない」との発言が誤りだったと認め
さえすれば、全てを公開しても何ら問題がない内容だ。にも拘わらず、財
務省が隠そうとしたのは財務省を守る為だったのだろう。今回、自衛隊に
隠蔽の意図があったか否かは、以降の調査を待たなければならないが、な
ぜこのように公文書を巡る問題が生ずるのか。

自民党「公文書管理に関する改革検討委員会」の新藤義孝委員長は、国家
の活動を記録する公文書に嘘が許されないのは当然だが、公文書の管理、
保存のルールがわが国には未だ確立されていないとして、新しい時代に合
わせて公文書の電子決裁化を提唱する。

「私が総務大臣のとき、総務省の文書は全て電子決裁化しました。こうす
れば、記録は全て残りますし、公開にも便利です。役所での決裁の過程に
は往々にして行きつ戻りつの議論や方針変更もあります。

電子決裁は消去しても全て残りますので、方針変更も残るでしょう。けれ
ど理由を明記して、新たな結論を決裁すればよいだけのことです。大事な
ことは、議論の途中で誰が反対したとか、ちょっとした言葉の問題などを
あげつらって非生産的な議論に陥らないことです。些末な議論で特定の人
の責任を問うようなことになれば、自由な議論は引っ込んで、皆、イエス
マンになります」

たとえば防衛省の文書問題で、「戦闘」という言葉が日報にあったからと
言って、これを法律上の戦闘、国と国との軍事紛争に結びつけて論難する
ようでは行政府における大胆な議論はできないということだろう。

旧民主党政権下では、3.11の被害の中で、緊急災害対策本部など関連15の
会議の内10の会議で議事録さえも作成されていなかった。文書管理につい
て無責任という意味では旧民主党も同罪なのである。
『週刊ダイヤモンド』 2018年4月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1227 

◆インスリンに思う 

渡部亮次郎


日本の政界に糖尿病が登場するのは確かに1945年の敗戦後である。「オラ
が大将」の子息で山口県知事もした田中龍夫元文部大臣は公務の合間を
縫って日に何度も注射のため医者に通っていた。

田中角栄、大平正芳、伊東正義、園田直、田中六助。皆糖尿病が元で死ん
だ。脳梗塞、心筋梗塞、腎不全、網膜症、癌を併発するのが 糖尿病患者
の末路だからである。

1921年7月30日にインスリンが発見され、人類に測り知れない恩恵をもた
らした。欧米ではすぐに患者自身が自己注射が始まった。だが日本では
「危険」を理由に医者の反対で厚生省(当時)が許可しなかった。患者の
中には日に3度も医者通いを余儀なくされる人がいた。

仮に自己注射が許可されていれば、医療器具業者は競って注射器の簡略化
や注射針の改良に取り組んだ筈である。だが厚生省(当時)の役人たちは
日本医師会に立ち向かおうとはしなかった。

わたしが秘書官となって厚生大臣として乗り込んだ園田直は1981年、敢然
として自己注射を許可した。その結果、注射器はペン型となり、針も世界
一細い0・2ミリになって殆ど無痛になった。

だがとき既に遅し。園田本人は自分の決断の恩恵に浴することなく腎不全
に陥り、僅か70歳で死んだ。1984年4月2日の朝だった。

糖尿病は多尿が特徴なので、長い間、腎臓が原因と考えられていた。糖尿
病最古の文献はB.C1500年のエジプトのパピルスに見られる記述だ。日本
で記録のある最も古い患者は藤原道長である。

「この世をばわが世とぞ思ふ 望月の欠けたることもなしと思へば」と詠
んだ、平安時代中期の公卿である。康保3年(966年)―万寿4年12月4日
(1028年1月3日))62歳薨去した。

当時としては意外な長生きである。糖尿病を放置した場合、実際より10年
は短命になるとされているから、当時としては大変な長命というべきだろ
う。それにしても満月のような権勢も病には勝てなかった。

昔から糖尿病の尿は甘く糖分を含んでいる事は良く知られていたが膵臓が
どのような働きをしているか、どれほど重要な臓器か不明の時代が長く続
いた。

突如、1869年にLanngerhans島が発見された。それから20年たった1889
年、ドイツ人のMeringとMinkowskiは史上初めて、犬の膵臓を摘出したあ
と、高血糖と尿糖が出現することを発見し、やっと膵臓と糖尿病が切って
も切れない関係にあることを証明した。

その後ジョンズホプキンズ大学のOpie博士が、このランゲルハンス島は
内分泌器官であり、糖尿病が関係することを明らかにした。
膵臓のランゲルハンス島から出ているのがインスリン。それが少ないと
か、全く出ないのが糖尿病と判りだしたのだ。

そこからインスリン発見の物語は更に後である。

人類に測り知れない恩恵をもたらしたインスリンの発見物語の主人公は
Banting &Bestの2人のカナダ人である。苦しい実験を重ねてインスリン
を発見したのだがこの2人は当時全くの無名だった。

Frederick Bantingは1891年、カナダの農家に生まれ、1916年トロント大
学医学部を卒業し医者になった。

ある日彼は「膵臓結石で膵管が完全に閉ざされた症例」ー膵臓の腺細胞は
萎縮しているのにランゲルハンス島だけは健全であったーという論文を読
んだ。

それなら結石の代わりに手術で膵管を縛ってしまえばよいと彼は考えた。

膵管を縛るという考えは天才的な閃きだった。彼は自分のアイディアを実
行すべく、トロント大学の生理学者 Macleod教授を訪ねた。
このとき、助手として学生のC.H.Bestを推薦された。

早速実験が始められた。膵管結縛の手術は難しく、内分泌を抽出するのは
さらに難しい。

彼らは1921年7月30日に初めて抽出エキスを犬に静脈注射してみた。効果
は覿面だった。そこで彼らはこの物質をインスリンと命名した。

しかしこのBantingとBestの苦心の作も、まだまだ不純物が多く、実用に
は耐えなかった。その後安全に血糖を下げることが可能になったのは生化
学者 Collips博士が、粗雑な抽出物を人間の使用に耐えるように精製した
結果だった。

1923年のノーベル生理、医学賞はBantingと教授Macleodに決定した。

2005年の国際糖尿病連合の発表によると、アメリカ人のなんと20%が糖尿
病の疑いありで、60歳以上の老人に限れば20%強が糖尿病に罹患している。

アメリカに住む白人種に限っても糖尿病患者は確実に8%を越え増加の一
途を辿っている。

21世紀が進行し始めるとヨーロッパとアメリカという、今までは罹患率が
極めて少ないと言われていたコーカソイド人種全体に糖尿病が一気に蔓延
しはじめた。

これはアメリカの高脂肪、高蔗糖、高エネルギー食がグローバル化し、
ヨーロッパもその例外でない事を示している。

19世紀末までコーカソイドである白人種たちは国によって糖尿病発症率が
低かった。しかしこれから20年以内にはヨーロッパもアメリカも糖尿病激
増で悲鳴をあげるだろうといわれている。

1000年はおろか数百年前にDNA の中に眠っていた遺伝子が社会環境の激変
で目覚めたのである。さらに遺伝子とは関係なく運動不足も大いに影響し
ている。

2004年、アメリカでゲノム研究者が2型糖尿病(中年に発症)の遺伝子を
発見したことが報じられた。これは飢餓遺伝子とは関係ないと考えられて
いる。

日本人の場合、江戸も中期以降になると、庶民の間でも1日3食の食習慣
が成立したが、明治維新までウシも豚も常食として食べる習慣が全くな
かった。つまり高血糖の原因となる高カロリー、高タンパク、高脂肪食と
は無縁な栄養学的にはかなり貧困な食生活が300年以上続いたのである。

一方、1850年ごろからヨ−ローパ人は大量生産方式の牧畜蚕業勃興と発展
により肉食が一般市民階級に広く普及した。日本人が反射的に頭に思い描
くヨーロッパ風の肉中心の食事スタイルの成立だ。

それでも当時ですら日本人に比べるとヨーロッパ人の体格は立派であった
のだから、その後の食生活の100年が生み出した肉体的格差は想像以上の
結果を生んだのだ。

日本では第2次大戦後、それも戦後20年たって、やっと高エネルギーと高
脂肪食をとりいれた結果、糖尿病が急上昇で増加した。わずか30年から40
年の食生活の変化だ。

日本人の中に眠っていた飢餓遺伝子が飽和脂肪の刺激を受けて目覚めた結
果である。世界中の人類に共通の現象で別段、驚くべきことではない。経
済の高度成長と糖尿病患者の趨勢は同一だ。

だから中国では物凄い勢いで糖尿病患者が増えている。精々鶏を食べてい
たものが、1切れでその何倍ものカロリーのある牛肉を食えば、報いは当
然、肥満と糖尿病など生活習慣病である。毛沢東語録にはない。

出典:さいたま市大島内科クリニック「インスリン発見物語」
http://members.jcom.home.ne.jp/3220398001/discovary/index.html 

◆山科だより 「赤穂浪士、龍馬の人気」

渡邊好造


龍馬がなぜこんなに人気があるのか。そこには赤穂浪士の人気と共通するものがあるように思う。大衆芸能で人気を博し、「英雄」となる人物には およそ次の4つの共通の条件が備わっているのではないだろうか。
                                            
1)逆境に陥る。
2)人から侮られる。
3)努力して大成功を収める。
4)悲劇的最後をとげる。

赤穂藩主の浅野内匠頭が江戸城中で吉良上野介に切りかかり、即日切腹させられ、藩は取り潰し。大石内蔵助を初めとする藩士47人が吉良への仇討を果たす物語が”赤穂義士伝”である。

周知のように、製塩で裕福であった藩の家老大石は、主君の不始末で生活はたちまち暗転。仇討をするのかしないのかグズグズと日時が経過し、昼行灯とまで揶揄され侮られたが、その後仇討を無事達成し一躍英雄となった。

しかし全員死罪の悲劇的最後を遂げる。まさにこの4条件にピッタリである。

もし、義挙だから救済するべしとの世評通り47人が赦免になって生きながらえていたら、彼らを称える毎年の赤穂、山科での「義士祭」は行われていないに違いない。

坂本龍馬は、土佐藩の下級武士の出で、脱藩して薩長同盟に尽力、海援隊の隊長として活躍したのち大政奉還に寄与するも、慶応3(1867)年刺客に襲われ明治政府の実現直前で死去。

同じように、この4つの条件に合致する大衆受けのする「英雄」を拾うと、

源義経は平家に預かりの身で苦労を重ねた後、不運な境遇から抜け出し平家壊滅の端緒をつくる大功績をあげた。しかし、兄頼朝の不興をかい奥州平泉で滅ぼされる。

豊臣秀吉は、織田信長の家来としてサルと馬鹿にされながらも人一倍の努力を重ねて這い上がり天下を取るに至るが、わが子秀頼は母淀君とともに徳川家康にしてやられる。

織田信長も英雄の一人にあげることができる。”ウツケモノ”として侮られ、その後天下統一の一歩手前で明智光秀の謀反で挫折し、自害する。ただ織田家を継ぐまでにこれといった逆境に陥ってはいないのでやや条件に欠ける。

新撰組の近藤勇、土方歳三は剣の腕前はすごいものを持っていたがもともとの身分が低く、中心人物になって組織をつくりあげるまでにはかなりの苦労を重ねたらしい。最後はともに若くして打ち首と戦死の運命をたどる。

いずれの人物もNHK大河ドラマに登場した「大英雄」である。

反対に、源頼朝、徳川家康らは天下を取ったものの、頼朝は非情な兄であり、家康は腹に一物のタヌキ親父、桂小五郎(木戸考允)も功績はあるが殺されもせず、3人とも最後は大往生をとげているから英雄の資格に欠ける。その意味では秀吉は病死であり条件にそぐわない面もあるが、次代での悲劇が待っていた。

もちろん、これらの筋立てはいずれも江戸時代の歌舞伎や浄瑠璃作家が客うけするストーリーにしたり、あるいは明治政府を正当化するために創りあげられたものであったりで、史実とは異なる部分が多いことは言うまでもない。

坂本龍馬に至っては、一説によると梅毒に侵され、斬殺されていなくてもそんなに長くは生きられなかったともいわれている。梅毒で死んだ坂本龍馬だと大衆芸能で人気を得るはずがない。もちろん、NHK大河ドラマに登場することも、銅像が建てられることもなかったに違いない。(完)

   

2018年04月14日

◆秦始皇帝の青銅像 倒壊

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月13日(金曜日)通巻第6571号 

 秦始皇帝の青銅像(19メートル)、突風に吹き飛ばされ倒壊
  「独裁者の最後」をみごとに象徴する椿事と中国のネット炎上

2018年4月12日、山東省に屹立していた秦始皇帝の重さ6トン、高さ19
メートの青銅像は二メートルほどの台座に載っていたが基礎工事を怠った
のだろう、像をコンクリートの台に乗せただけで、鉄筋で土台を繋いでお
らず、手抜き工事だったため、突風に吹き飛ばされて倒壊した(この日、
東京でも瞬間強風は23メートル)。
https://timesofindia.indiatimes.com/world/china/strong-wind-topples-chinas-first-emperor/articleshow/63693541.cms

この始皇帝像はブロンズを貼り合わせ、中はがらんどうである。1015年9
月に建立された。

倒壊現場の写真をメディアが大きく伝えたので、これを見て拍手喝采で迎
えたのは中国のネチズン、すぐに拡散した。彼らにとって習近平独裁が、
いつか、突然としてこのような突破的椿事で吹き飛ぶことを希望している
からだろう。

秦始皇帝像は中国全土あちこちに建てられた。本拠地だった陝西省にも多
数あるが、山東省は秦始皇帝の巡礼地としてゆかりが深い。秦の始皇帝は
泰山(孔子の生まれ故郷・曲阜に近い)に登って神仙思想に目覚め徐福を
日本に派遣して不老不死のくすりを求めさせた。日本の姓名に秦氏が存続
しているように由緒が深い。

秦始皇帝は紀元前221から206年、中原を統一し最初の王朝をひらいた。現
在の陝西省西安の西側にある喊陽(西安空港のそば)に豪華絢爛な「阿房
宮」を建築し独裁者として君臨し、人民を支配した。とくに焚書坑儒では
儒学者を生き埋めにして儒学を禁止したことで暴君と言われた。暗殺未遂
は三件と記録されている。

他方、秦の始皇帝は万里の長城や、大運河建設を号令し、交通インフラの
整備を急がせた。阿房宮は、その名前の通りに最愛の側室を意味するが、
異説もある。喊陽の付近に寿陵墓を建設し、囚人など70万人を動員した。

西安の北東部で夥しい兵馬傭が発見されたことから、秦始皇帝の陵墓の位
置も特定され、発掘作業が延々と続けられている。ちなみに堺市の仁?天
皇陵は、この秦の始皇帝の陵墓より遙かに大きい。

焚書抗儒は、毛沢東の「批林批孔」の原点でもあり、また現在の習近平の
言論統制、香港の銅鐸湾書店への弾圧に酷似する。

秦始皇帝の万里の長城は、シルクロード(一帯一路)や雄安新都プロジェ
クトに似ており、独裁皇帝は、習近平が願ったところのポストだ。

秦始皇帝が没し、その子、胡亥が後継皇帝となるが、やがて劉邦と項羽に
攻められ、秦王朝はたちまち衰弱して皇帝二世が殺害され、王宮は擾乱状
態の裡に没した。習近平は、この歴史的事実に学んでいるのだろうか。
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW 
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  司馬遷の『史記』の歴史観が中国史を呪縛した
   袁世凱と孫文の評価はいずれ逆転するかも知れない

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宮脇淳子著、岡田英弘監修『真実の中国史 1840−1049』(PHP文庫)
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嘗て本書はビジネス社から刊行され好評だった。題名に印された年号のよ
うにアヘン戦争から、中国共産党が天下を簒奪したところまでを扱う。近
現代史である。

司馬遷が『史記』を著すのは、秦の始皇帝が没し、その王朝が衰滅し、権
力が別の前漢となった時代である。

中国史書の原点というべき書物が、以後の中国の歴史書の鋳型を造った。
つまり歴史は次の王朝になってから編纂される。ということは史実とはか
け離れた、史観の歪曲あるいは改竄された考え方が主軸に置かれる。

したがって現代中国史を書くのは次の王朝を待つしかないが、現時点で言
えることは中華人民共和国も中華民国も、共産党と国民党が一卵性双生児
であるように、史観が接近する。

両国の政権はともに孫文が『国父』という位置づけを共通させている。
 台湾台北には「国父記念館」があり、中国南京には孫文を祀る「中山
陵」がある。孫文の生まれた家は広東省中山に残り、元帥府は広州市に残
り、上海には記念館もある。しかし、孫文が国父という位置づけは正しい
のか。かれはペテン師ではないのか。
 
1911年に「辛亥革命」なるものが成立し、清王朝が黄昏のなかに消えて
も、孫文の唱えた『三民主義』による政府は成立せず、実態は袁世凱の天
下だった。孫文は共和制にもっていき国会を開設し、議論するようなシス
テムを夢見ていた。

宮脇さんは言う。

「孫文は、袁世凱による一つの政党と、自分たちが率いる政党ということ
で、政党政治を考えていました」

シナにあって実現したためしがない民主国家の建設を標榜したのは西側の
スポンサーに口実が必要だったからだ。

つまり孫文はフィクサー的な調停役、当時の国民党を引っ張っていたのは
宋教仁だった。孫文は邪魔な宋を袁世凱が暗殺するように仕向けた。

「間違いなく袁世凱は独裁者です。彼は自分の思うような政治をしたかっ
たのです。そうでなければ生き残れないからです」。

そこで実権もなにもかもを失った孫文はまたもや日本に亡命する。じつに
無責任男である。それが中華民国の草創期の実態だった。

「袁世凱は日英仏独露との間に2500万ポンドの五国借款を成立させ、この
金で武器を買い、軍隊を整え、議員を買収する。そして1913年の議員の選
挙によって正式の大総統に就任します。(中略)すぐに国民党を解散させ
て、国民党議員の資格を剥奪し、大総統の権限を勝手にどんどん拡大させ
ていきます。これが新約法」(238p)であり、合法を表看板として本物
の独裁となったのである。

日本から援助をむしり取り、技術を導入し、その金で軍事大国となったパ
ターンは袁世凱にあるというわけだ。

ただし袁世凱は、教養人でもあり漢文古典に通じた知識の高い軍人だった。

毛沢東は同様な方法で天下を取った。1949年10月1日の天安門に並んだの
は共産党のほかに民主諸派七つの『連合政府』だった。その後、毛沢東は
じわりじわりと他派を粛清し、権力を固めてゆくのである。

習近平は政敵を排除して、かたちのうえで憲法を改正して、合法的な独裁
者のポストを得た。袁世凱も毛沢東も、その独裁への道のりは、合法とい
う狭き門を一応くぐり抜けるプロセスを必要としたという意味でも共通で
ある。