2018年04月11日

◆18社がフランクフルトへ

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月9日(月曜日)弐 通巻第5666号 

ゴールドマンサックス、JPモルガンなど18社がフランクフルトへ
  BREXIT以後、合計60社が英国ザ・シティから脱出の構え

 英国の「脱EU」(BREXIT)以後、ザ・シティという國際金融セ
ンターの機能不全を恐れ、すでに18社がドイツのフランクフルトへの移
転を決めている(英紙インデペンダント、4月8日、電子版)。
 この脱英国のなかにはゴールドマンサックス、JPモルガンが含まれる。

また英国筋はほかにも40社が、欧州のどこかへ本社移転を決めてお り、
パリ、バルセロナ、ウィーンなどの都市が候補となっているという。

おりしも同紙は「世界で安全な飛行機会社はどこか」とランク付けを独
自に発表したが、トップは「エミレーツ」(UAE),2位が「カタール
航空」。以下3位から10位までは、シンガポール航空、キャセイパシ
フィック、ANA、エティハド(アブダビ)、トルコ、エバエア(台
湾)、カンタス(豪)、そして10位がルフトハンザ。

英国や中国の航空会社が漏れ、またJALもランク入りしていない。ド
イツのルフトハンザは辛うじて10位だ。

経済優等生として欧州に君臨し、トルコを批判するドイツだが、そのド
イツを代表する企業は落ち目が目立つ。ドイツ銀行は経営がふらつき、
BMWを別とすれば、ベンツもフォルクスワーゲンも不振。とくに後者は
中国市場依存型となっており、中国経済の浮沈と運命を共にするかのようだ。

政治も、メルケルが総選挙から数ヶ月も連立政権を組めず、また欧州各
地でドイツ批判がおこり、とりわけ移民問題では、ドイツの政策に同調す
る国はなくなった。

こうした大局観にたつと、国際金融機関がいまさら何故ドイツを目指す
のか、理解に苦しむところだろう。

      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 日本のアウトローはいかような処死観をもっていたのか
       多様多彩な人間像を追求しながら存在の根源を問う

   ♪
山平重樹著『アウトロー臨終図鑑』(幻冬舎アウトロー文庫)
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本書に登場するのは筆者の言葉を借りれば「世代差や有名無名の違いこ
そあれ、いずれも世間から見たら型破り、異端といっていい男たちである。

維新者、革命家、プロッスポーツマン、芸能人、カーレーサー、映画人、
作家、政治家、冒険家、カメラマン、シージャッカー、任侠人・・・・・
と、あまりカタギが見当たらないのは、激烈でドラマチックな生と死を経
た男たちとなれば、無理からぬところか」(本書「はじめに」より)
と、実に幅広い分野から約70名もの人物が登場する。

この中から私の関心をひく人物をあげると維新者・民族派運動家では三上
卓、影山正治、森田必勝、阿部勉、三浦重周、野村秋介、江藤小三郎な
ど、作家・文学者では村上一郎、檀一雄、高橋和巳、川内康範など、そし
て唐牛健太郎であろうか。(以下敬称略)

三上卓は5・15事件の首謀者であるとともにいまだに民族派の聖歌 と
いうべき「青年日本の歌」(「昭和維新の歌」)の作者として永遠に語
られる存在である。

大東塾の影山正治塾長は戦前から維新運動家をして知られ、また保田與重
郎、林房雄など日本浪曼派の巨人たちとの交流を持った文学者、歌人で
あった。三島由紀夫を「昭和の神風連」と称揚し、「憂国忌」の発起人に
もなった。影山正治塾長は昭和54年5月青梅の大東農場で元号法案の成
立を熱祷して壮烈な自決を遂げた。私は学生時代に大東塾の行事に招かれ
た際、影山塾長自ら日本酒を振舞われたことがある。その優しい目と温容
が記憶に残っている。

森田必勝、三浦重周は我々の運動の先輩であり、同志であった存在であり
これ以上は付記しない。

作家・評論家の村上一郎は晩年の三島由紀夫と濃密な交流を持ち、昭 和
50年3月東京・武蔵野市の自宅で愛蔵の日本刀で三島のあとを追うが
如く自裁した。先般2月の公開講座で講演をされた西村繁樹元一等陸佐
が、青年自衛官のとき三島由紀夫から村上一郎の『北一輝論』を直接贈ら
れたことを述べておられた。

私も村上一郎とは面識を得ることはなかったが、その晩年の著作はむさぼ
るように読んだものである。村上一郎の葬儀で弔辞を読んだのが戦後『試
行』の同人であり、生涯の友人であった吉本隆明であったという。

檀一雄は私の好きな作家の一人であった。戦前の『花筐』から晩年の
『火宅の人』までその作品の根底には如何にも日本浪曼派の出身らしいロ
マンチシズムが流れている。最後の作品であり、愛人との行状を描いた
『火宅の人』は不倫小説と揶揄されることもあったが、私はこの作品は、
本当は見事な青春小説ではないか、と思う。

高橋和巳は大学紛争当時、全共闘の学生から圧倒的な支持を受けてい た
というが、当時民族派学生運動をしていた私も高橋和巳の『非の器』や
『邪宗門』は愛読書であった。また高橋和巳は三島由紀夫の自決の報道に
は大きな衝撃を受けた、といわれる。

川内康範は民族派学生運動に理解を持ち、日本学生同盟(日学同)の 同
盟歌「我らは誓う」もつくった。私は今でも「風が吹くなら吹くがいい
 たとえ嵐になろうとも 〜」というこの歌の歌詞が好きである。

唐牛健太郎といえば60年安保のときの全学連委員長であり、その後右 翼
の大物・田中清玄との関係で世の注目を浴びた。毀誉褒貶の多い人生で
晩年は酒とさすらいの旅を愛し、昭和59年に46歳の若さで他界している。

唐牛健太郎については60年安保ブントの同志であり、今年1月に自裁死
を遂げた西部邁氏の『六〇年安保〜センチメンタル・ジャーニー』に詳し
く描かれており、まさにあの時代の青春群像が浮かび上がる
                                
(評 玉川博己)
          
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1714回】        
 ――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(3)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽
 一行は日露戦争激戦地の1つである遼陽を訪ねる。

 郊外の畑の中に「露人が戰爭前早くから買ひ取つて壕などを掘つてゐ
た」広大な場所が数カ所あった。「戰爭の結果當然日本の手に移る筈であ
つたのが」、日本側は知らないままに放っておいた。

そこで「いくら助力 してやつても有難がる人間ではない」である「支那
人が畑として仕舞つて ゐた」。だが、ささいなことから村人が喧嘩を起
こし、一方が、ここは日 本側の土地だと申し出た。

かくて1カ所だけは日本側に帰属することと なったというのだ。この一
件から、日本側の手抜かりはもちろんだが、 「いくら助力してやつても
有難がる人間ではない」などと言いながらも、 そういった人々の“セコ
さ”に乗じられてしまう日本人のお人好しさを示す と同時に、日本側に
黙ってればよかったものを、なまじ告げ口をしたこと から土地を失う羽
目になってしまった“間抜けさ”も示しているようだ。ど うやら「いくら
助力してやつても有難がる人間ではない」人々はシタタカ にセコイと同
時に、限りなくヌケテいるようにも思える。

じつは「遼陽には露人が3人商人だと云つて居住してゐるそうであ る」
が、人数は同じだが常に人が変わっている。ということは、どうも純 然
たる商人ではなさそうだ。そのうちの1人が租借地の境界線を石で印し て
いる日本人を笑って、「日本が弱い國であればとにかく、強國である限
り木で境界標を建てゝ、その木が朽れば一歩を進めて新しいのを建てる樣
にしなくては」といっている。この“助言”を「スラブ人の侵略思想を以て
日本人の人心を忖度したものと云ふべもである」としている。

おそらく「スラブ人の侵略思想」が世界の常識であり、租借地を自分 か
ら固定化し強国として当然に採るべき領有地拡大方法を自ら封じてしま
う日本は世界の非常識ということなる。かくて世界の常識からするなら、
日本の振る舞いの“謙虚さ”に何か下心があるのではないのかと、あらぬ疑
いをかけられてしまうことになるわけだ。

日本人が厚かましいことこの上 ない「スラブ人の侵略思想」を身に着け
たとしても付け焼刃で終わってし まうのが関の山。ならば「スラブ人の
侵略思想」を徹底して学び、それを 超える智慧を持つ必要があるが、や
はり言うは易く行うは難い。だが、世 界は「スラブ人の侵略思想」に充
ち満ちていることを固く心に留めておく ことは絶対に必要だ。

遼陽の後、奉天を経て朝鮮半島に入り、やがて釜山で乗船し帰国の途 に
就く。

以上の「旅行日誌(其の壹)」に「旅行日誌(其の貳)」が続く。同じ
行程を歩いているから同じような感想が記されていると思いきや、やはり
生徒によって目の付け所も受け止め方も違うから面白い。

先ずは上海の名門で知られる復旦大学の前身である復旦公学を訪れた 時
のことだ。

 青々と茂る庭樹と「純支那式の鴟尾高く天に聳えて居る瓦屋根」とを
「背景として高く四邊を睥睨して居」る「此の校の設立者で前代の日本――
世界の列強の間に新米として顔出した日本――の?史の上に忘れ難い深い印
象を刻むだ李鴻章の像」を前にするや、案内者が「上半身は純金ですよ」と。

そこで目を像の上半身に転ずると、「其の偉大な顔の邊から點々と薄 黒
くなつて居る」ではないか。どうやら純金はウソで「鍍金らしい」。か
くして「凡ての支那の眞相が此の偉人の像の半身に刻みつけられて居る樣
であった」と。「此の偉人の像の半身」から「凡ての支那の眞相」を見抜
くとは、じつに素晴らしい感覚といっておこう。

道端の乞食の住まい前で道を聞く。彼らは「實は乞食ではなくて田舎か
らの破産者」の家族であり、「こんな處に引き越して假小屋生活をして居
るのである」。
         

◆読み取りづらい朝鮮半島情勢の行方

櫻井よしこ


「読み取りづらい朝鮮半島情勢の行方 正恩氏は圧力で動くと忘れるべき
でない」

金正恩朝鮮労働党委員長の電撃訪中は、拉致問題の報道にどの社よりも熱
心に力を入れてきた「産経新聞」のスクープだった。

大きく動いた朝鮮半島情勢の展開は読み取りにくい面もあるが、こんな時
こそ基本構造をおさえておきたい。

第一は日米が連携して維持した圧力路線が、狙いどおりの結果を生み出し
た点だ。各テレビ局の報道番組では、従来の日本政府主導の「圧力」路線
を否定し、対話路線を取るべきだとの解説やコメントが少なからずあった。

「朝日新聞」も29日の社説で、各国は対北朝鮮制裁の足並みを乱してはな
らないと指摘する一方で、「日本政府の出遅れ感は否めない。圧力一辺倒
に固執した結果ではあるが」と書いた。

だが、正恩氏の訪中と対話路線は日本が主張し、国際社会を動かして決定
し実行した国連の制裁措置、即ち圧力路線の結果である。対話は、圧力が
生み出した成果なのだ。北朝鮮の非核化と拉致問題解決まで、圧力を基盤
にした現路線の堅持が重要である。

第二は北朝鮮が言う「非核化」の意味をはっきりさせることだ。中朝両国
の「朝鮮半島の非核化」は、私たちが考えるそれとは根本的に異なる。

日本や米国の考える朝鮮半島の非核化は北朝鮮の核兵器、貯蔵する核物
質、それらの製造施設のすべてを解体することだ。一方北朝鮮の主張は、
自分たちの核は米国の核に対する自衛だというものだ。

現在、韓国には米軍の核兵器は配備されていないが、米韓同盟の下、米国
が北朝鮮を核攻撃する可能性もある。従って北朝鮮の核解体前に、在韓米
軍基地をなくせと言う。さらに米韓同盟も解消すべきだと主張する。要は
韓国からの米軍追い出しを狙っているのである。これは中国にとって願っ
てもないことであろう。

こちら側としては、「朝鮮半島の非核化」において、北朝鮮の核に焦点を
絞ることだ。焦点を絞りきれなければ、北朝鮮に時間稼ぎをさせることに
なりかねない。

第三に、日本が置き去りにされ、孤立しかかっているとの見方は、日本に
とって何の益もないことを認識すべきだ。拉致問題解決も北朝鮮の非核化
もこちら側の一致団結が大きな力となる。とりわけ拉致問題解決には日本
国民の団結が大事である。拉致問題解決に最も熱心に取り組んできたのが
安倍晋三首相だ。首相は北朝鮮の核と拉致の両問題の解決を目指して、対
北圧力政策をトランプ米大統領に説いてきた。

トランプ氏はその助言を大いに取り入れた。だからこそ、文在寅韓国大統
領の特使がホワイトハウスを訪れ、そこで記者会見し、トランプ大統領が
米朝首脳会談に応ずると発表したまさにその時間帯に、安倍首相に電話を
かけて逐一報告している。

安倍首相も日本も、置き去りにされていない。わが国は有力な当事国とし
て北朝鮮問題で重要な役割を果たし続ける立場にある。そのことを国民が
確信して政府を支えることが、日本国の外交力強化の基盤であり、拉致問
題解決に至る道だと自覚したい。

「産経」は「『千年の宿敵』に屈服した正恩氏」の見出しを立てて、正恩
氏の中国での姿勢を報じた。中国中央テレビは中朝首脳会談で、正恩氏が
熱心に習近平国家主席の発言をメモにとる姿を報じた。

正恩氏は自分が話しているときに「メモをとらない」「拍手がゆるい」
「メガネを拭いていた」などの理由で部下を処刑してきた。その同じ人物
が必死で習氏の言葉をメモにとったのである。中国への完全な屈服だ。正
恩氏が恐れるのは現体制が崩壊させられ、自分の命が奪われることだ。

そうしたことを、いざとなると実行しかねない米国の力を恐れた。米国か
ら守ってもらうために中国の力に頼った。大事なのは正恩氏を動かすのは
圧力だという事実を忘れないことである。

『週刊ダイヤモンド』 2018年4月7日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1226 

◆何故「コミュニケーションを取る」

ここまで蔓延ったのか

前田正晶


9日に行われたハリルホジッチ監督の解任の顛末を語った田嶋会長の記者
か件では「監督と選手間のコミュニケーションが取れなくなった」が理由
の一つとして挙げていた。残念ながら「カタカナ語排斥論者」の私には具
体的な意味を取りきれなかった。今や何もマスメディアだけに限らず、我
が国ではこのカタカナ語交じりの表現が完全に日本語の中に確固たる地位
を占めてしまっている。遺憾であり残念である。

そこで先ずWeblioでは「コミュニケーションを取る」が如何に訳されてい
るかを調べてみた。それは下記のようになっていて、私にも良く理解できた。
<コミュニケーションを取る ・


ミュニケーションを図る ・
意思疎通を図る ・
意志の疎通を図る ・
意思の疎通図る ・

違いに理解しようと努める>

単純な疑問を言えば「何故このような漢字を使った日本語ではなく、カタ
カナ語交じりの表現を使わねばならないのか」なのである。なぜ「取る」
で受けるのかも不可解だ。何度も何度も1990年以繰り返して非難してきた
ことだが、「英単語交じりの表現を使う方が近代的であり、格好が良いと
いう愚にもつかない錯覚を起こしているのか」なのである。

ここでは何時もの方法でOxfordには何と出ているかを確認しておこう。そ
れは the activity or process of expressing ideas and feelings or
of giving people
information となっていた。2番目には methods of sending information
especially telephone, radio, computers, etc. or roads and rails と
なっていた。これを考えると「取る」が適切かなと思ってしまう。

ここでサッカーに戻ろう。私は関東大学一部のテイームのような強豪校で
の経験がないので断定は出来ないが、運動部の組織にあって学生というか
選手たちが畏れ多くも監督さんと意思の疎通を図るような行動に出るとは
とても想像が出来ないのだ。監督さんが全権を持ってテイーム強化の方針
を立てられ、その方針をコーチたちが実現できるように指導していくもの
だとばかり思い込んでいた。即ち、選手たちと対話して意思の疎通を図る
のではないと認識してきた。

だが、田嶋会長の説明を聞けば、日本代表のサッカーのテイームともなれ
ば監督対選手の関係は相互に意見を交換する「双方向性」が重んじられて
いるかの如くに聞こえたのだ。それとも「ハリルホジッチ氏のアイデアや
感覚か思いが、選手たちに解るように伝わっていなかった」と言われた
かったのとも考えてしまった。いや、民主主義(これほど誤解され誤用さ
れている言葉は他に例を見ないが)の時代にあっては「選手たちが監督に
物申す機会が与えられているという意味か」とまで考えた。

そんな屁理屈を弄さなければ、田嶋会長と協会役員は「ハリルホジッチ氏
の意図が選手たちに広く且つ解りやすく伝わっていなかったので、あのよ
うな纏まりに欠けた、中心選手と絶対的な得点を取れるエースが不在な
イームになってしまった」と言いたかったのだろうか。会長はもっと前か
ら問題の所在を把握しているかのような表現をされたが、それは折角招聘
した監督の顔を潰さないようにと配慮されたからだろうか。コミュニケー
ションさえ取れれば状態は改善可能とでも判断されたのだろうか。

私には如何にも我が国らしい奥床しい、他者の心情までに十分に配慮され
た結果でフランスまで赴かれて解任を告げた措置だと思えた。即ち、我が
国には欧米人、就中アメリカ人のような「二者択一」というか二進法的思
考体系は存在しないというか、そこまでの文化は根付いていないのだと痛
感させられた解任劇だった。

  ◎何故「コミュニケーションを取る」がここまで蔓延ったのか:前田正晶

9日に行われたハリルホジッチ監督の解任の顛末を語った田嶋会長の記者
か件では「監督と選手間のコミュニケーションが取れなくなった」が理由
の一つとして挙げられていた。残念ながら「カタカナ語排斥論者」の私に
は具体的な意味を取りきれなかった。

今や何もマスメディアだけに限らず、我が国ではこのカタカナ語交じりの
表現が完全に日本語の中に確固たる地位を占めてしまっている。遺憾であ
り残念である。

そこで先ずWeblioでは「コミュニケーションを取る」が如何に訳されてい
るかを調べてみた。それは下記のようになっていて、私にも良く理解できた。

<コミュニケーションを取る ・


ミュニケーションを図る ・
意思疎通を図る ・
意志の疎通を図る ・
意思の疎通図る ・

違い
に理解しようと努める>

単純な疑問を言えば「何故このような漢字を使った日本語ではなく、カタ
カナ語交じりの表現を使わねばならないのか」なのである。なぜ「取る」
で受けるのかも不可解だ。何度も何度も1990年以繰り返して非難してきた
ことだが、「英単語交じりの表現を使う方が近代的であり、格好が良いと
いう愚にもつかない錯覚を起こしているのか」なのである。

ここでは何時もの方法でOxfordには何と出ているかを確認しておこう。そ
れは the activity or process of expressing ideas and feelings or
of giving people information となっていた。2番目には methods of
sending information especially telephone, radio, computers, etc.
or roads and rails となっていた。これを考えると「取る」が適切かな
と思ってしまう。

ここでサッカーに戻ろう。私は関東大学一部のテイームのような強豪校で
の経験がないので断定は出来ないが、運動部の組織にあって学生というか
選手たちが畏れ多くも監督さんと意思の疎通を図るような行動に出るとは
とても想像が出来ないのだ。監督さんが全権を持ってテイーム強化の方針
を立てられ、その方針をコーチたちが実現できるように指導していくもの
だとばかり思い込んでいた。即ち、選手たちと対話して意思の疎通を図る
のではないと認識してきた。

だが、田嶋会長の説明を聞けば、日本代表のサッカーのテイームともなれ
ば監督対選手の関係は相互に意見を交換する「双方向性」が重んじられて
いるかの如くに聞こえたのだ。それとも「ハリルホジッチ氏のアイデアや
感覚か思いが、選手たちに解るように伝わっていなかった」と言われた
かったのとも考えてしまった。

いや、民主主義(これほど誤解され誤用さ れている言葉は他に例を見な
いが)の時代にあっては「選手たちが監督に 物申す機会が与えられてい
るという意味か」とまで考えた。

そんな屁理屈を弄さなければ、田嶋会長と協会役員は「ハリルホジッチ氏
の意図が選手たちに広く且つ解りやすく伝わっていなかったので、あのよ
うな纏まりに欠けた、中心選手と絶対的な得点を取れるエースが不在なテ
イームになってしまった」と言いたかったのだろうか。

会長はもっと前か ら問題の所在を把握しているかのような表現をされた
が、それは折角招聘 した監督の顔を潰さないようにと配慮されたからだ
ろうか。コミュニケー ションさえ取れれば状態は改善可能とでも判断さ
れたのだろうか。

には如何にも我が国らしい奥床しい、他者の心情までに十分に配慮された
結果でフランスまで赴かれて解任を告げた措置だと思えた。即ち、我が国
には欧米人、就中アメリカ人のような「二者択一」というか二進法的思考
体系は存在しないというか、そこまでの文化は根付いていないのだと痛感
させられた解任劇だった。


◆ワーファリンにご注意を

石岡 荘十


ワーファリンで危うく死ぬところだった。

その顛末を話す前にワーファリンについてどんな薬なのか、基礎的な“常識”を説明しておく。

ワーファリンは血液をさらさらにする代表的な薬だ。心筋梗塞や心臓の弁を人工の機械弁に置き換えた弁置換手術経験者は血液が固まって血栓を作りやすくなるため、これを防ぐべく処方される。

心臓病患者だけではなく慢性的な脳梗塞患者に対しても、血栓が脳に飛んで細い血管を詰まらせないように予防薬としても使われている。

もともとは、ネズミ取りの薬剤(殺鼠剤、商品名は、強力ラットライス、強力デスモア、ネズミランチdeコロリ)として使われていた。

ネズミにこの薬が入った餌を与えると、目の網膜内の内出血で視力が低下するため明るいところに出てくる。最終的には腹腔内の内出血で死亡するというわけだ。人間に対する治療薬として日本で使われ始めたのは30年以上前の1976年のことだった。

よく言われるように、薬はすべて毒物であり使い方、とくにその量を間違えると、死に至る。薬として有効かどうかは、微妙な量(専門的には治療域という)の調整が欠かせない。

ワーファリンは殺鼠剤に使われるくらいだから、とりわけ服用する量の調整が重要だとされている。

私は‘99年心臓にある4つの弁のうち血液の出口である大動脈弁を機械弁に置き換える手術を受けて以来、毎日朝食後、この薬を飲み続けて
いる。

私の場合、3ヶ月前までは毎日2錠(1mg×2)だったが、最近は加齢の影響もあってか、先月、血液検査の結果、効き目が落ちているとのことで、週3日は、プラス0.5mgの処方を受け、処方箋を病院の周辺に門前市をなす薬局の一つに出した。

エーザイが販売しているワーファリンは、0.5mg、1mg、5mgの3種類の錠剤だから、処方箋に従えば私の適量は

・月、水、金 1mg2錠と0.5mg1錠で合計2.5mg
・残る火、木、土、日は1mg2錠で2mg ということになる

ところが、である。

薬局で手渡された薬をその場で確認すると、0.5mgの錠剤は見当たらず、代わりに袋に入っていたのは5mgの錠剤だったのである。つまり、処方箋で指示された量の10倍の量のワーファリンを薬剤師が出したのだ。

ここでこのことに気づかず、服用したらどんなことになるか。殺鼠剤入りの餌を与えられたネズミになるところだったのだ。おお怖!   

「人は間違う動物」、医療の世界ではTo err is human.とよく言われるが、これは酷すぎる。まかり間違えば業務上過失致死に問われかねない過ちではないか。

いろいろな薬の中で、とりわけワーファリンに対する感受性は個体差が大きい。薬の量は大概、患者の体重によって決まるが、ワーファリンは同じ体重でも、年齢や食生活、疾患の種類などによって適量を厳密に調整する必要のある薬だとされ、同じ人でも、適量(治療域)は変わる。

このため、永年この薬を飲んでいる患者は、少なくとも月に1度は血液検査をして適量を決めなくてはならない。プロトロンビン時間測定(=PT-INR)という検査である。

昔は、トロンボテストという検査が一般的だったが、近年はPT-INRが推奨されている。その標準値は、1.6〜3.0(値が高いほど血が固まりにくい)が理想的である。(「1.8〜3.4 の間であれば、ワーファリンの投与量は変更しないほうがよい」という報告もある)。

先月の私のINRは1.9。適正だった。そこへ、5mgを飲んだりすれば、血液は真水のようにさらさら流れ、体内の臓器、とりわけ脳出血のおそれもあった。

ほとんどの薬は、薬品メーカーが製造、医師が処方し、薬剤師が調剤し、患者は何の疑問も抱かず指示通り服用する。つまり水源から河口まで関係者はすべて性善説に立っている。

ワーファリンの販売元エーザイに確認すると、担当者は、「こんな間違いは初めてのケースだ」という。しかし、どんな仕事もそうだが慣れてくると、そこに’to err’が起こる。メーカーは貴重な教訓とし、包装紙の色を変えるなどの防止策がないか検討するというが、同時に、ユーザーである患者もやばい薬については特に確認をする努力を心がけたいものである。



2018年04月10日

◆モディ首相、ネパールのオリ首相会談で警告

宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月9日(月曜日)通巻第5665号

 モディ首相、ネパールのオリ首相会談で警告
  「国境をむやみに開放すると中国が浸透してしまうゾ」

4月6日、冷え切ったインドーネパール関係を緩和しようと、ネパールの
左翼連合(マオイスト左右両派の呉越同舟政権)のシャルマ・オリ首相が
インドを訪問し、7日、モディ首相と会談した。

席上、両首脳はいくつかの喫緊の問題で突っ込んだ話し合いをもった。

第一は中国の影響力増大へのインドの懸念である。金融ばかりか、通信の
分野にも中国はシェアを拡大しようとしており、とりわけインターネッ
ト、携帯電話でネパールの市場拡大を狙っており、インドの寡占状態が脅
かされてきた。

第二は過去のカトマンズ政権が拒否してきた「ブドバ・カンダキ水力発電
所」プロジェクトである。

中国はこれを「一帯一路」の一環プロジェクトとして位置づけ、武漢本社
の「フーバー集団」がオファーを出している。フーバー集団は通称であ
り、ダム建設の大手国有企業だ。

インドは中国のゼネコンを排除するよう申し入れ、同時にインドとネパー
ルの国境に近い「アルン?ダム」(900メガワット)の建設に、インドは
10億ドルを拠出する用意があるなどとしたらしい。

いずれにしても、インドはネパールの反インド的な行動の数々に不快感を
露わにしており、とくにこの2年間、両国関係は冷え切ってきた。

この背景にあるのはカトマンズの政権がマオイスト連合となって急速に中
国に近付き、中国とのビジネス関係を強めることで、インドとのバランス
をとるというナショナリスティックな綱渡りを演じてきたからだ。インド
にとってネパールは長年面倒を見てきた保護領という感覚だった。

現に中国の対ネパール外交は長期的展望に立脚している。

すでに「青蔵鉄道」を青海省の西寧からチベットのラサへと開通させ、そ
の延長工事をシガツェ(チベット第二の都市、パンチェンラマの本拠地)
まで完成、さらに、この鉄道をヒマラヤ山脈にトンネルを造成しカトマン
ズへ繋げようとしており、カトマンズは乗り気なのである。

インドの不快感はときに国境を制限し、ネパールへの物資供給を中断す
ることなど経済制裁を課してきた。

このためネパールの歴代政権も不満を蓄積してきたことも事実、またイン
ドがオファーしている「アルン?ダム」に乗り気でないのは、ここで発電
された電力は大半がインドへ送電されるからだと言われている。

      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW
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ライト兄弟が初めて飛行に成功したとき、現代の戦略爆撃機を予測しただ
ろうか

外国から中古戦艦を買った日本が、最新鋭戦艦を誇った清の海軍に勝った

  ♪
竜口英幸『海と空の軍略100年史』(集広舎)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

20世紀に戦争の形態が激変したのは海軍、空軍の飛躍的発展にある。

21世紀はAI搭載の無人兵器が、またも戦争形態を激変させようとし てい
る。この100年の激動の歴史をコンパクトにまとめたのが本書である。

 よもやライト兄弟が初めての飛行に成功したとき、現代の戦略爆撃機を
予測しただろうか? 長距離を飛翔するミサイルの登場を予測していただ
ろうか。

 海軍は空母、原潜、いずれAI搭載の無人潜水艦が登場するだろう。
こうした技術史を基軸に戦争の歴史を巨視的にえがく力作が本書である。

 米国は陰謀好きでほとんど共産主義者だったルーズベルトが仕掛けた対
日戦争。トルーマンがルーズベルトの急死によって大統領となったとき、
米国が原爆を保有していることさえ知らなかった。トルーマンは無能の人
で、国際情勢を見通せるような眼力を持ち合わせていなかった。

 だから致命的な失敗を何回も犯してしまった。トルーマンの夥しい誤り
のなかには嫉妬のあまりにマッカーサーを解任したことも加えるべきかも
しれないが、蒋介石と毛沢東を敵か味方も判別出来なかった。

その残忍さにおいて、両者に区別はないが、くわえて国民党と共産党は一
卵性双生児だが、どちらが反共なのか、どちらが米国や西側に有利となる
かの判定を間違えてしまった。

1949年8月に国務長官となったアチソンが『中国白書』をだすが、 「蒋
介石は無能で、軍は戦闘意欲を欠き、民心は国民党から離れている」 と
一方的に蒋介石を見限った。

翌1950年1月5日に、トルーマン大統領は「中国が台湾に侵攻して も、
アメリカ政府は関与しない」と表明し、アチソンは翌週の1月12日 に演
説して「アメリカの極東防衛ラインを『アリューシャン列島から日本 列
島、琉球諸島、さらにフィリピン諸島』として、韓国は日本に比べてア
メリカの責任の度合いは低いとしてこのラインの外側に位置づけた。また
台湾も、このラインから外した」(191p)
決定的な政策の錯誤である。

共和党は、このアチソン演説に驚き「金日成に(朝鮮戦争開始の)青信
号を出した」と猛烈に批判した。

 その後もアメリカは数限りなき過ちを繰り返し、JFKはベトナムと戦
争を始め、カーターは台湾と断交し、レーガンは日本にスーパー301条
を適用し、ブッシュ・ジュニアはイラク戦争を始めた。
 なかでもクリントン大統領の政策ミスは大きい。

「天安門事件直後、クリントンは中国を『北京の虐殺者』と呼び『最恵
国待遇は中国を甘やかすだけだ』と公言していた」。

にもかかわらず政権末期に、WTOに中国が加盟する道を開き、「世界で
最も人口の多い国との貿易関係を正常化する」「アメリカ企業は初めて、
アメリカの労働者が造った製品を中国に売ることが出来る」「工場進出や
技術移転をしなくても、アメリカの労働者の仕事を減らすことなしに、製
品を輸出できる」等とクリントンは薔薇色の発言を繰り返し、道を間違えた。

中国は対米・対日貿易で稼いだカネを軍事力拡大にあて、いまや南シナ
海を支配し、アメリカならびに米国と同盟する自由世界の多くの国々に軍
事的脅威をあたえ、海軍力を飛躍的に拡充、増大させてアメリカにせまる
勢いをみせた。

この百年の間に技術革新が飛躍し、海と空の地政学をひっくり返し、ま
さかの貧困に喘ぎ、人民が餓死していた国が、アメリカと並ぶ軍事力を保
有することになるとは!

             
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW 
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まっすぐに心情を綴った遺書替わりの日記風自伝だが
  当時の軍隊の生活、慰安婦への労りが、歴史の真実が滲み出ている

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田中秀雄『スマラン慰安所事件の真実』(芙蓉書房出版)
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こういう地道な、苦労ばかりの仕事をされるのは、やっぱり田中さんを
おいていないだろうなぁと思いながらページをめくる。

この本は「慰安婦問題」で争われている「強制性」の再考を促すために
は、格好の歴史資料である。「パタビア軍事裁判」で、ただひとり死刑判
決をうけた岡田慶治が、その獄中で綴った手記の復刻、正確には昭和17年
以後の分量を活字化したもので、最後に岡田が家族にあてた遺書も収録
されている。

日本軍人としての矜持と、健気な日本男児の生き様が行間から飛び出し
てくる。

そもそも「スマラン慰安所事件」とは何か?

日本が占領したオランド領東インド(いまのインドネシア)でオランド
人女性35人をジャワ島のスマランの慰安所に「強制連行」したうえ、売
春を「強要した」という言いがかりに対して、BC級戦犯11人が有罪と
され、責任者の岡田慶治が銃殺された。つまり岡田はスケープゴーツにさ
れたのだ。

オランド女性を「強制連行」した事実はなく、契約により、ちゃんと金
銭の授受もあって当時の常識で言えば「合法」ビジネスでしかない。「強
要性」はない。

岡田は剛毅の軍人で、大酒飲み、女大好き、しかし部下の面倒見が良
く、そのうえ女性に優しかった。岡田は広島県福山出身であり陸軍士官学
校、少尉に任官し、連隊大隊長としてビルマ作戦に従軍した。

ジャワ幹部候補生教育隊の教官もつとめた。パレンバン、ボルネオ混成旅
団大隊長だった。

本書は岡田がまっすぐに心情を綴った遺書替わりの日記風自伝だが、獄
中で書いただけに迫り来るような感動をともない、また当時の軍隊の生
活、慰安婦への労り、なによりも歴史の真実が滲み出ている。

昭和21年3月に復員するも、22年3月に巣鴨に収監され、ジャワに 移送
後、バタビア軍事裁判で昭和23年に刑場の露と消えた。享年38だった。

バタビアとはいまのジャカルタ、スマランとは、ジャンジャカルタの北
西部に位置する。

ボルネオは北西部が英領、南東部をオランドが領有していた。当時、岡田
が作戦で赴いた「アピー」とは、いまのコタキナバルである。

往時の地図をみると現在の地名との懸隔にも驚かされた。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1713回】      
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(2)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

              ▽

若者たちは郊外電車に乗り「獨乙醫工學堂」に向う。「支那人を限り入
學を許すものでその設備等は我同文書院の比ではなく、彼等が極東殊に支
那の經營には如何に高價な犠牲をも厭わぬこと」に改めて衝撃を受ける。
そして教師を目指す高等師範學校生徒らしく、教室よりむしろ「小閑を利
用して海外一歩の地に來つて榮枯盛衰の跡や白人の活動振りを見せたい」
と、実地教育の必要性を訴える。つまり百聞は一見に如かず、ということ
だろう。

また「支那はその昔榮えた東洋の墓場で、某の社も寺も澆季の世とな れ
ば香たく人も空しく、懐疑と死の憐れなる子の信仰は蘆の上に作られた
る四十がらの墓である、槿花一朝の榮を持ちたるが故に再び榮ゆと思ふ勿
れ」と、「白人の跋扈」する上海から「國民の覺醒」を学ぶのであった。

それにしても「支那はその昔榮えた東洋の墓場」とは、じつに正鵠を得た
表現だと思う。

 やがて南京見物を終え、広島高師の生徒たちは上海から北上し大連に
向う。40時間に及んだ船中でのことだ。

 大分出身の「金時計金指輪した好箇の紳士」が「一體日本人の仕事は
やり方を誤つている」と口を開いた。

辛亥革命以来の日本外交の「事なかれ主義」を批判し、「支那人はいくら
助力してやつても有難がる人間ではないんですから」、たとえばフランス
のように「機會を捕へてしつかり利權を擴大しなけりや駄目ですよ」。

「長江沿岸なんかまるで英國のものゝ樣で」あればこそ、日本の「事なか
れ主義の〇〇領事なんか到底御話になりませんなあ」。だが「この種の活
動はまだまだ止みますまい」。「袁政府の基礎漸く成らんとするとき地方
の暴民を使役して亂をする某國」もあるほど。

だから「どれだけ遠慮した ら彼等の御氣に召すのか、亞細亞のモンロー
主義でも唱へなくては駄目で すね」と熱弁を振るい、また「非現実的な
日本の宗?が邦人の活躍を阻止 する最大原因であると罵倒」する姿は、
「切齒悲憤意氣當るべからざるも のがあつた」そうな。

欧米列強が辛亥革命から中華民国建国後の混乱を好機として「國權擴
張」に奔っているにもかかわらず、その列に加わらず独自外交を進める我
が政府を「事なかれ主義」と糾弾し、この際は「遠慮」することなく、我
が国も「國權擴張」に舵を切るべきだという主張のようだ。

おそらく当時、隣国の混乱に同情し一衣帯水やら同文同種やらといった類
のバーチャルなイメージで捉えて「亞細亞のモンロー主義」を唱える人々
がある一方で、「金時計金指輪した好箇の紳士」のように隣国の混乱に乗
じて「至るところの天地で演ぜられつゝある國權擴張」に努めよという勢
力もあったということだろう。

その後の歴史を辿ると我が国の対中政策は「亞細亞のモンロー主義」と
「國權擴張」の2つの考えの間を揺れ動いたまま推移したように思える。
これを言い換えるなら、大局観に立った確固とした政策を打ち出せないま
まに終始したといえる。

やがて一行を乗せた船は、「わが新植民地の一角に位して歐亞交通の 中
心點をなす大連」に到着する。とはいうものの実情は「邦人の經營が歐
米人のそれに比して非常の見劣りがする」のであった。

一行は「滿鐵の好意」で日露戦争の戦跡を訪ねるが、その日は「鴻業萬古
に隱れなき明治大帝の御三年祭」であり、日本人住宅は当然のことながら
「支那町の家々にも殘りなく旭日旗が掲揚せられて」ていた。そこで中国
人が我が国に「忠誠を現し、早くも同胞化しつゝある事」に感激の思いを
綴る。

だが、こういうのをお人好し、という。

「支那町の家々にも殘りなく旭日旗が掲揚せられて」いる程度で、「忠誠
を現し、早くも同胞化しつゝある」などと早合点してはいけないのだ。な
にせ「支那人はいくら助力してやつても有難がる人間ではない」のだか
ら。《QED》
         


◆お邪魔虫共産党

  渡部亮次郎


中国では幹部でも汚職がばれれば死刑になる。それでも幹部の汚職が引き
もきらない。いくら共産主義に共鳴しても、私欲とは人間の本能に等しい
ものだからである。

こうした目で中国を見ていれば、共産党が政権を掌握している限り人権尊
重や政治の民主化なぞは絶対実現しないと思うのが普通だが、経済の改革
開放が進むのに比例して民主化が進むはずだと考える人々がいる。特にア
メリカの人たちに多い。

中国が何故、共産革命に成功したか。それは国家権力を手中にしようとし
た毛沢東の策謀が成功したからである。国家の形態は何でも良かったが、
とりあえず貧民が国民の大多数だったので、「金持ちの財産を分捕り、皆
で平等に分配しよう」と言う呼びかけに合致したのが共産主義だった。

共産主義政府の樹立が毛沢東の望みではなかった。真意は権力の奪取だっ
た。日中戦争の終結で、日本軍の放棄して行った近代兵器を手中にして蒋
介石と国内戦争を続けた結果、蒋介石は台湾に逃亡した。毛沢東は昭和
24(1949)年10月1日、中華人民共和国建国を宣言した。

人民も共和も中国語には無い。日本語だ。畏友加瀬英明氏の説明だと、中
国語には人民とか共和と言う概念が無いのだそうだ。北朝鮮はそれに民主
主義が加わって嘘が深化している。

権力は掌握したが、人民への約束を果たす手段が無い。とりあえず人民公
社と大躍進政策が当時のソ連をモデルに実施されたが、農民は生産意欲の
低下とサボタージュで抵抗。

結果として食糧不足に陥って各地で飢饉が発生。餓死者は1500万人から
4000万人と推定されている(「岩波現代中国事典」P696)。

毛沢東の死(1976年)後2年、失脚から3度目の復活を遂げていたトウ小平が
経済の開放改革を断行。開放とは日本など外国資本の流入を認め、改革と
は資本主義制度への転換を意味した。

4つの近代化を掲げたのだ。工業、農業、国防、科学技術の近代化であ
る。今のところ実現に近付いているのは軍事の近代化である。

トウ小平は政治の近代化だけは断乎として拒否した。肥大化した経済が政
治(共産政府)を圧倒する危険を回避したのである。だから第2天安門事件
には反革命の匂いを嗅ぎ、断乎、弾圧した。

しかし発展する資本主義にとって共産党政府による様々な統制は邪魔以外
の何物でも無い。工場用地の確保一つとってみても、土地すべての国有は
障害でしかないが、自由にならない以上、共産党幹部を「買収」する以外
に方法が無い。

したがって多発する共産党幹部による汚職事件はいわば構造的なことで
あって、客観的にみれば「事件」ではなく「日常茶飯事」に過ぎない。

しかも冒頭に述べたように「私欲」は本能のようなものだ。所有を否定す
るのが共産主義の思想でも「本能」には勝てっこない。つまり共産主義体
制化で経済だけを改革開放すれば汚職簸自動的に起きるし、共産党幹部に
すれば、現状を変更するメリットは全く無いわけだ。

汚職は時たましか発覚しない。摘発で死刑になるのは不運な奴で政府の知
るところではないのだ。かくて中華人民共和国政府は汚職にデンと腰を下
ろした政権。民主化を抑え、人権無視の批判など絶対耳に留めない。耳が
左右に付いているのは右から聞いたら左から逃す為にあるのだ。2010・12・5



◆蕪村・望郷のミステリー 

                    毛馬一三 


毛馬桜ノ宮公園の北端、毛馬閘門近くの大川沿いに「蕪村公園」がある。

与謝蕪村は、松尾芭蕉、小林一茶と並んで江戸時代俳諧を代表する俳人で、その名は有名だが、いざ蕪村生誕地がどこかということになると、残念ながら知る人は少ない。

蕪村の生誕地は、紛れも無く大阪市都島区の毛馬橋東詰(摂津東成郡毛馬村)の辺りである。それを顕彰する「蕪村生誕地碑」が、淀川毛馬閘門側の堤防に立っている。かの有名な蕪村の代表作「春風や堤長うして家遠し」の句が、この記念碑だ。

もう一つの顕彰物は、「毛馬閘門」から流れる大川を南へ500mほど下がった所に小さな「春風橋」がある。橋の欄干には蕪村直筆で「春風」橋と刻まれているが、これも見過されている。

なぜ、蕪村生誕地が、それほど知られていないのか。

それには蕪村自身の幼少時代の生き方に関わりがあると言っていいだろう。

蕪村は、享保元年(1716)に毛馬村の裕福な村長と奉公人として京都丹後からやって来た母との間に生まれた。いわば家督の引き継ぎが出来ない私生児だったのだ。

更に不幸にも、蕪村が13歳の時、母が亡くなり、相次いで父村長も逝去した。家系を引き継ぐ身分でない蕪村は、それをきっかけに家人から総いじめを喰らったという。その結果、その辛苦に耐えられず、20歳の頃(18歳の説も)毛馬村を出奔して、江戸に上ることを決意。家出して京都に向かった。

どうして江戸を目指したのか、その訳も未だ不明だ。

ところが京都で人生を一変させる超有名俳人と出会った。早野巴人である。これが蕪村の運命を定めることになる。二人は暫く一緒に暮らしていたが、蕪村が俳句に志を抱くようになり、巴人を師匠と崇め、二人で江戸に旅立った。

江戸では早野巴人の弟子となり、本格的に俳諧を学ぶようになった。ところが間もなくして頼りにしていた師も没してしまった。26歳の時である。蕪村は師の死を悼みつつ、これからの生き方を思考した結果、師から教わった芭蕉の俳句追求の道を歩もうと決意する。そこで芭蕉を慕って奧羽地方を放浪して回ることになる。

宝暦元年(1751)になって、一人で京に戻った。俳諧に勤しむ一方、南宋画を学び、南宋画家として池大雅と並ぶ名声を得るようになる。蕪村の俳句は生活の足しには中々ならなかったが、絵は人気を集め、大いに稼げた。

蕪村は京で68歳で生涯を閉じたが、終生故郷の毛馬村には一度も帰っていない。

この毛馬村の情景を詠った「春風馬堤曲」という作品がある。これは生まれ故郷を懐かしく想う「望郷」を念に、脳裡の中で故郷を想像しながら、帰省する奉公人の少女に気持ちを託す形で「望郷物語」を書き、俳句を添えて思いを募らせている。

母が亡くなった毛馬村への望郷の念がありながら、京都から大阪弟子の処へ幾度も吟行に往復しながらも、その途中、渡し船から降りて歩けば、母と暮らした毛馬村に簡単に行けた筈なのに、何故か一歩も足を踏みいれてない。全くの「ミステリー」だ。

京都からは俳句の弟子がいる大阪に幾度となく来ている。なのに、実家毛馬村に立ち寄らなかったのは、恐らく母の死後、終始苛められて追い出された家人たちへの「怨念」と「失意」の執念が、終生心から消えなかったことが主因だと思われる。(文献・学説はない:これもミステリーの一つ)。

このように大阪とはすっかり縁遠くなった蕪村だったから、いまだに大阪には蕪村に関する伝承の文献も無く、生誕地が明治23年に淀川改装によって完全に埋め立てられて仕舞い。生誕地の痕跡はすっかり消えた。今淀川堤防にある「蕪村生誕地碑」は、蕪村が居住していた真の生誕地ではない。

これが長い間、蕪村生誕地を顕彰する機運や「お祭り」がなかった最大の理由だ。


10年位前から、私と大阪市議会筋と協力して都島区毛馬町に「顕彰公園」を作ろうと、当時の大阪市長に働きかけた。地元にも呼びかけたこの顕彰運動は、次第に活発になりだした。

そこで、大阪市「ゆとりとみどり振興局」が18年度から2年計画で、前述の「記念碑」と「春風橋」の間にある、市有地1.1hrの土地に、約3億5千万円をかけて「蕪村公園」を整備する計画がまとめた。

同「蕪村公園」には、蕪村の俳句や絵画を展示し、句会もやれる「東屋」を建てるほか、公園内には大きな広場、その周辺には蕪村の俳句碑や絵画に因んだ樹木の植栽をする計画。そして大阪が輩出した蕪村に親しみ、また俳句愛好家が集まる文化集客地にしたいと大阪市は方針を決めて、創設した。(結果的には、管理上の問題から「東屋」は見送られた。)

蕪村公園は、全国的に知られた大阪桜の名所「毛馬桜の宮公園」の北端に位置し、国の重要文化財「毛馬閘門」の側にあり、市の中心地中之島へと通じる「大川沿いの桜回廊」の出発点となった。まさに文化情緒の端緒となる集客観光名所が出来上がった。

大阪市やわれわれが、蕪村公園の名をあげて蕪村を顕彰し、俳句文化振興に貢献していけば、俳句に惹かれている国内外の人たちの集客にも結びつき、華やかな大阪を取り戻せるだろう。顕彰される蕪村本人もご満足ではないだろうか。(了)

2018年04月09日

◆ロシアはオバマ政策の失敗を奇貨として

                  宮崎 正弘


平成30年(2018年)4月5日(木曜日)参 通巻第5662号 

 ロシアはオバマ政策の失敗を奇貨として、インドネシアに深く食い入った
  米国依存だったインドネシア空軍、いまやロシア戦闘機を大量配備

アジア諸国は、南シナ海へ中国海軍が進出している現実を目の前にして、
さかんにバランス外交を展開している。

典型はフィリピンで、ドゥテルテ大統領はスカボロー礁を盗まれ、漁民が
悲鳴を挙げ、ハーグの國際仲裁裁判所に訴えて全面的に勝訴したにもかか
わらず、その判決を横に置いて俄に中国に近づき、経済的に裨益しようと
する道を選んだ。米国が不快感を示すのも当然だろう。

 スタンス替えの代表例がインドネシアである。

歯車がずれたのは東チモール問題からだった。欧米と豪を加えての合唱
は、東チモールをインドネシアから引きちぎり、独立させることだった。
そのため独立運動の指導者らに唐突に「ノーベル平和賞」を授与し、国際
世論を盛り上げ、インドネシアを孤立させた。

東チモールはポルトガル、オランダが交互に占領して植民地化し、大東亜
戦争中は日本が一時占領した。第2次大戦後、ポルトガルとオランダが植
民地回復の動きを見せたが、インドネシア軍が作戦を敢行し、占領した。

スカルノ時代のインドネシアは容共路線でもあり、反共革命以前、つまり
1950年代、インドネシア軍はソ連の影響下にあって、戦闘機、戦車の多く
はソ連製だった。日本はガスと石油のためにスカルノを厚遇し、第三夫人
となったのは日本人女性だった。

1965年9月30日の「反共クーデター」とも言える政変のあと、スハルト政
権は32年間つづいた。

このスハルト時代、インドネシア空軍は米国一辺倒だった。戦闘機は全て
米国製でパイロットは米国で訓練を受け、アメリカ式の軍事訓練になれて
いた。練度も高く、士気は旺盛だった。

1991年、東チモールで暴動が発生し、当時インドネシア領だったので、軍
が出動して武力鎮圧した。西側メディアはこれを「虐殺」とし、インドネ
シア政府を激しく非難した。このため米国との関係が急激に冷却し、以
後、15年にわたって米国の兵器供与が途絶えた。

この状況をチャンスと捉えたのが、中国であり、ロシアである。

 2005年、メガワティ政権になって米国はようやく軟化し、F16機の供
与を再開したが、そのときまでにロシア製ミグ戦闘機が配備されていた。
米露の戦闘機が共存したのだ。

戦闘機はシステムの整合性が重要であり、兵站、整備、部品調達とストッ
クなど時間との闘い。これが米国システムとロシア・システムの共存とな
ると、空軍の作戦に齟齬が生まれやすい。


 ▲ロシア戦闘機がインドネシア空軍の主力となるのか


しかるに、米国はインドネシアとの関係を円滑化できないうちに中国が南
シナ海を支配し、ベトナムにテコ入れして立て直しを図った。この間に、
するするとロシアがジャカルタとの関係を強化していた。

2018年にロシアはスホイ35を11機、従来のスホイ27,スホイ30の列に加え
て供与することが決まり、合計11億ドルの支払いはインドネシア産パーム
オイル、ゴムなど、つまりバーター貿易での決済となる。決済手段として
はロシアに不利なことは明らかだが、プーチンの狙いは稼ぎではなく、影
響力拡大に置かれている。

スホイはエンジンの耐久年度がF16の半分しかないけれども、インドネシ
アのような広い空域をカバ−するには航続距離の長さ(スホイは1500キ
ロ。米国戦と機の3倍)で優位に立つとされる。

インドネシア海軍、海兵隊はこのほかにロシア製の機関砲、対鑑ミサイル
ならびに地対空ミサイル、潜水艦攻撃用の魚雷などを購入した。

こうした急速なロシア兵器体系化を恐れる米国は、懸念を強めたが、すで
にロシア艦隊がインドネシアの港にも寄港している。バリ島へのロシア人
ツアーは年間7万人に達している。

 インドネシア陸軍は米国製AH64E攻撃ヘリを保有するが、ロシアは
ミルハインド17の飛行小隊ならびにミルハインド35攻撃ヘリを供与す
る。長距離爆撃に加え、インドネシアの北側の島にロシア宇宙船打ち上げ
基地建設の打診も展開中だという(アジアタイムズ、3月31日)。
      
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 日本人はなぜ、一神教を信じなかったのか
  キリスト教の暗部を一条の光りが照らしだした

  ♪
奥山篤信「キリスト教というカルト」(春吉書房)
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副題が「信者になれない、これだけの理由」とあって、なぜこの宗教を信
じられないかをひらたく語る。

信長がキリスト教の宣教師を保護し、布教を認めた背景を理解するには、
当時の政治学的な状況を勘案しなければならない。信長の行く手を阻んだ
のは比叡であり、雑賀であり、しかも寺社勢力は武装していた。

信長自身は法華経を信じていた。比叡の軍事力を殲滅するには新興宗教の
力が必要だったうえ、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も
大きかった。

秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国から
もたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情勢の
ニュースだった。しかし宣教師らを通じて得た情報とはキリスト教の布教
の裏で、日本の美女を拉致し、売春婦として西欧に運んでいることであ
り、また同時に一神教の凶悪な侵略性だった。

切支丹伴天連の大名だった高山右近は、領内の寺社仏閣を破壊する凶暴性
を示し、やがてキリスト教徒が日本を侵略する牙を研いでいることをしっ
て追放に踏み切った。

家康はもともとが浄土宗の信者。一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に
助けられて以来、浄土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心し、同時に
家康はスペイン、ポルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を
ウィリアム・アダムスから知る。キリスト教の布教を認めず、しかし貿易
のために英国には平戸を解放し、オランダ人も通商だけに専念するとする
理由で長崎出島の活用を許した。

布教は御法度だったが、天草では反徳川の不満分子が反乱を起こしたた
め、これをようやくにして鎮圧し、以後は「鎖国」として、キリストを封
じ込めたのである。

明治政府は、文明開化を鮮明にしてキリスト教の布教も許さざるを得なく
なったが、同時に防波堤が必要であり、国内のナショナリズムを高めるた
めに日本古来の神道の復活を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がお
きた。

かようにして宗教とは政治とが一体となれば、イランのような狂信的イス
ラム国家を産むように、政治と宗教は切り離すことが近代の政治のテーマ
となった。

本書は、キリスト教を研究するために還暦をすぎてから上智大学神学部に
学び、それでも飽きたらずにパリのカソリック学院に留学し、キリスト教
の原理を見極めようとした著者が、探求のはてに得た結論とは、この宗教
のもつ偽善と欺瞞、その残酷さという暗黒面だった。
            
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1712回】           
――「支那人の終局の目的は金をためることである」――廣島高師(1)
  『大陸修學旅行記』(廣島高等師範學校 大正3年)

                ▽

内藤の『支那論』の刊行と同じ大正3(1914年)の7月19日に広島駅から
広島高等師範学校英語部生徒は大陸修学旅行に出発する。他学部生徒何人
かを加えた一行は、「上海・南京・滿洲・朝鮮の天地を突破すること3千
哩、八月八日、日獨の事漸く急を告げんとするに當りて無事歸校す」。

この『大陸修學旅行記』に「収むる所九篇、引率?官の書簡を除き、他は
悉く生徒の筆に成れるもの」である。

彼ら若者が中華民国建国当初の中国社会の姿をどのように捉えていたの
か。それを内藤などの見解と比較してみると、専門家と当時の国民の一般
的な考え方の違いが浮かび上がってくるようにも思える。

また既に読んだ『滿韓修學旅行記念録』(廣島高等師範學校 非賣品 明
治40年/【知道中国 1599回〜1608回】)と重ね合わせることで、同じ広
島高師生徒の目に映った中国社会の変化を知ることもできそうだ。なお、
後者の出発は8年前に当たる明治39(1906)年。日にちは偶然にも同じ7月
19日であった。

蛇足とは思うが、この8年の間に、我が国は明治から大正へ。一方の中国
では清朝が崩壊し中華民国が建国され、さらに袁世凱打倒の第二革命も瓦
解している。第1次世界大戦は生徒らが広島駅を発って10日ほどが過ぎ、
上海から大連に向う洋上に在った7月28日に勃発している。

この戦争に連合国の一員として参戦した日本は、敵であるドイツが中国に
おいて権益拠点とした山東省(東洋艦隊基地)の攻略を果たす。やがて大
隈内閣による袁世凱政権への21カ条要求に繋がり、日中関係はいよいよ複
雑さを増すことになる。

さて肝腎の生徒による旅行日誌に移るが、先ずは「其の壹」から始めたい。

広島を発った船が下関、門司を経て上海に着いたのが22日午後。上海を前
にした洋上での第一声が、「?濁を流す揚子江の白波は早くから見えそめ
ました、この美しき光景にこの豐かなる?の香に美しき國に、暴虐の手を
以て萬物を傷はんとする支那人は住んでゐるのである」である。「暴虐の
手を以て萬物を傷はんとする支那人」とは、はたして教師を目指した当時
の若者の一般的な認識だったのだろうか。激越な表現は、さらに続く。

「東亞の唯一の強大國である日本の後援を却けて無智傲慢にもこれを悦ば
ぬ、所詮彼が亡ぶべき國であると思はれた賤が伏屋も、宮殿も共に穢はし
いこの國の人は揚子江の濁水にいたまされて人とも思われぬその身姿、浴
せず梳らず、亡國の民はかくこそあるのである、崇高嘆美の自然の中に生
れたる憐れなる奴隷よ、かゝるいぶせき人のためにその麗し光を惜しみ給
はなかつた神こそ慈愛の限りではないか」というのだから、さすがに言い
過ぎではなかろうかとも思うが、これが当時の「東亞の唯一の強大國であ
る日本」の、しかも教師を目指す若者の見方だと、ひとまずは納得してお
きたい。

翌朝、ホテルの窓から街を眺め、「無數の支那人が徃來してゐる、4分
の3は裸體で、股引樣のものを腰につけてゐるばかりである」。

「果てしなく愚鈍にして汚はしい支那人は矢張日本人の比ではないのであ
る、この獨立自主の人にあらぬ、逸居の輩の國、家危くして兵なく、羊飼
は己の腕を以て羊を守らねばならぬ、遠かれ早かれ屬國の苦楚をなめなけ
ればならぬかと思われた」。

そして、「この怠惰なる國民の間を、英獨佛米の四國の人々の經營は着々
歩を状めて、上海の市街は全くこれ等四國の人の勢力範囲圍にあるのだ」
と、上海の第一印象を綴る。

船中で一緒だった「支那人の一留學生」が口にした日本では万事に物価高
だが「『女だけは安價い』と云った恥ずかしい言葉」を思いだし、それが
「上海でも遺憾なく實現せられてゐるそうで笑を賣り、またこれを買う女
を客とは日本人が一番多い」ことを知り、「支那人を放肆呼ばはりも出來
ないと思つた」とは、若者の掛け値なしの第一印象だろう。      
   
         

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第15章

“シーチン”修一 2.0


【措置入院」精神病棟の日々(106)】3/22は雪、その後に雨が止んだの
で彼岸の墓参り。2週間ほど前に、新住職Nさんからわが街のことを教えて
欲しいと頼まれていたので、医学博士で郷土史家の沼尻幸吉先生の著作
「わが町周辺の伝説と史話を尋ねて」を貸しておいたのだが、Nさんから
とても喜ばれ、奥様も紹介してくれた。

Nさんは40歳前後、前住職と同様に企業勤めの経験があるのだろう、頭の
回転が速く言語障害の小生の話をすぐに理解してくれるので助かった。
ツーと言えばカーと返ってくるのでストレスにならないから大いに快適だ。
参拝の帰りにスーパーと銀行へも寄った。キャッシュで何億円もあったと
ころで物欲がないから、明美ちゃん基金とか日本財団あたりへ寄付するの
が妥当だろう。相続で子孫がもめるのは嫌なものである。

そういう人に私はなりたい・・・なーんて思うようになったらいいなと思
うが、なまじ資産があるとずいぶんと悩ましいのではないか。街の金持ち
連中(年間の慶弔費500万円以上だと一人前なのだとか)を見ていると、
人が寄って来たら「金をせびられるのではないか」と不信感いっぱいで、
人間不信とか、その反作用として傲慢、尊大、横柄とかになりやすく、い
い人は余りいない感じがする。

これは、小生のただのヤッカミなのかどうか・・・小生はただの奇天烈
で、治療費はタダ同然の寄生虫、その上に精神科(印籠だね、これが見え
ぬか!)に通院(多分「自閉スペクトラム症」)しているから、罪を犯し
ても「心神耗弱/喪失で罪一等を減ずる」、さらに天国のような医療刑務
所行きだろうから、これは一種の特権階級だ。

(フランスで人肉を食べちゃった佐川君は無罪放免、座間の9人解体事件
も食べていれば死刑はまず免れるだろう。悪事にやさしいニッポン、チャ
チャチャ、アホ丸出しやで)

「罪一等を減ずる」、恥知らずでもさすがにこれは後ろめたい気分ではあ
る。だからいつも家族や国のために役立ちたいなあとは思っているが、も
う時間がないし・・・戒名は「只野吉甲斐」あたりか。

万年塀修理で36キロの板を持ち上げたら椎間板をかなり痛めたようで、大
人しく養生していればいいものを、多分「残り時間は少ないから、やり残
さんようにさっさと終活せいよ」という思い込みとか、あるいは電波が走
るのか、いささか狂気のごとく、多動児のごとく、片っ端から作業を進め
ていくようになってしまった。

まずは冬中、室内に取り込んだ50ほどの鉢植えを屋上に出して、素晴らし
い庭にした。鉢植え置き場は5メートル四方だから、大きな箱庭みたいな
感じ。室内にあるのは強い日射しを嫌う観葉植物だけで、部屋も模様替え
してすっかり、すっきり綺麗になった。

そうこうしているうちに桜が満開となり、子・孫と一緒に県立「東高根森
林公園」へ。家から徒歩で20分ほどなのだが、急勾配の坂があるので車で
連れて行ってもらった。10年ぶりかも知れず、よく手入れされており、以
前は鬱蒼とし、いささかジメジメしていた谷地は、まるで絵のような美し
さだった。

20〜30メートルのナラ、ケヤキ、クヌギ、ハンノキ、コブシ、ミズキ、サ
クラなどなど、新緑や花が陽光の中で春の訪れを喜んでいるようだった。

頂上の広くて平らな古代広場は弥生〜古墳時代にかけての竪穴住居跡で、
孫たちは子犬のようにはしゃぎ回り、♪「この木なんの木」のモンキー
ポッド(通称レインツリー。ワイキキのクイーンカピオラニ公園にもあ
る)のような、樹齢150〜200年の巨大なシラカシの木登りも楽しんでいた。

さらに歩を進めると市立「緑ヶ丘霊園」で、ここには樹齢100年ほどの桜
が300本ほどもあり、頂上からは横浜市も望める。昔は元旦に日の出をみ
んなで拝んだ場所だ。

森林公園もずーっと行きたいところだったので、娘たちには「もう思い残
すことはない」と言っておいた。4時間ほどの散策だったが、どうにか歩
けたのは良かった。

森林公園でGETした枯れ枝を持ち帰って屋上フェンスに取り付け、そこに
鉢植えを飾ったので、なんとなく英国風ガーデンになってきた感じがする。

屋上展望台の形は、元々が「1964東京五輪」の聖火台をイメージしていた
のだが、新しい材料があったので追加工事をしているうちに、円柱形に
なった。ここにプリズムみたいな分光反射板を取り付けたら「ゲージツ作
品」になり、街の人々が楽しんでくれるのじゃないかと思うのだが・・・

4歳女児の希望で小さな展望台も追加したが、彼女は冒険心が非常に旺盛
で、用水路に置かれた巨大な石をジャンプして渡るという、大人もしない
空恐ろしいことにチャレンジして、とりあえずは1トンの石にしがみつい
ていた。ヒヤヒヤもので、膝を怪我しても泣かなかったのは大したもので
ある。小生の突撃癖を引いているのではないか。将来はスキージャンプ、
スノボの選手にでもなりそうだ。翼をつけて空を滑空するウイングスーツ
に凝るかも知れない。
https://www.youtube.com/watch?v=SxjBTS5bf7Q

あれこれ作業療法に夢中になっていたものだから腰は悪くなる一方で、つ
いにベッドに寝るのも起きるのも激痛で難しくなってきた。腕力でどうに
か起きて床に立つまでに最低5分はかかり、晩年の母が這いつくばってト
イレへ必死で行っていたのもよく理解できた。

尿意から5分も我慢はできやしないから、先日は床にポタポタと粗相をし
てしまった。さすがにこれには「ちとまずいわな」と脳ミソをオンにして
「傾向と対策」を考え、ベッドをリクライニングにしたら、1分で立ち上
がれるようになった。

日々、「なるほど、老化とはこういうものか」と新たな発見があるが、発
見して納得したから、それで何かが前進するかというと、全然何も進まな
い。ただ笑うだけ。「この際は笑うしかねーよなー」てな感じ。「老兵は
死なず、ただ呼吸するだけ」なんて、どうも小生の性には合わんが、の
う、じゃあ、どう老いるのがいいかというと、何だか「それを考え続ける
のがあんたの道とか美学じゃないんかいな」と天の声が聞こえてくる感じ
がする。

さてさて、北朝鮮の金王朝(軍部+神輿の金北豚)は大スポンサーの上海
閥=江沢民派の復活に一縷の望みをかけていたが、「もう上海閥は潰滅
か、待っても期待できそうもない、この際だから習近平の軍門に下るしか
ない」と天の声が聞こえたのだろう、尻尾を巻き始めた。北の核は中共に
とっても邪魔だから、「北の非核化」で欧米、韓国、日本を納得させ、制
裁を緩める、ということになりそうではある。

ただ、非核化が完全に担保されるかどうかは怪しい、というか間違いなく
反故にされるだろう。

そうさせないためには、国連/日米韓豪印による信託統治で、10〜20年か
けて北を「普通の国」、すなわち資本主義市場経済の自由・民主・人権・
法治の国にしなければならない。その見本、(米国を核とする)連合国に
とっての成功例は日本なのだから、北の人民も軍部もエリート層も「Look
East、普通の国にしよう」と納得するのではないか。

北は噛みつき犬から、ミニ日本のような大人しい、軟弱な、新興国になる
かもしれない。

「日本はなくなり、その代わりに、無機質な、からっぽな、ニュートラル
な、中間色の、裕福な、抜け目のない、或る経済大国が極東の一角に残る
であろう・・・20世紀は、勇敢な戦士だった日本人が卑屈な商人とな
り、卑屈なユダヤ人が勇敢な戦士になった世紀である」(三島由紀夫の最
後の言葉)

ミニ日本なら中共も西風の防風林として有効だと納得するだろう。韓国も
南北統一によるリスクを避けることができる。どうしても統一したいのな
ら20年後、30年後にすればいい。

日本にとってはまず拉致問題の解決が「北が取るべき始めの一歩」であ
る。前号に続き、ジャーナリスト・加藤昭氏「総連の責任を問う 金正日
の『日本人拉致指令書』全文公開!」から要約する。

<(北は拉致事件は「デッチアゲだ」などと否定してきたが)2002年9月
17日の日朝首脳会談を契機にその態度はガラリと変わる。金正日が初めて
日本人拉致と工作船の存在を認めたからだ。

(拉致は日本語教育とナリスマシのためだと金正日は言うが、金日成親子
は、米国のベトナム戦争敗退、韓国の朴正煕暗殺により)70年代半ばから
80年代前半にかけて「南を赤化統一するチャンス到来」と小躍りして本格
的な日本人拉致工作に着手した。拉致は重大な国家事業であった。元工作
員の証言によると朝鮮総連は相当数の拉致事件に関与した>(以上)

西郷翁曰く「外交に際しては『戦』の一字を忘れるな。この覚悟がなけれ
ば外交はただの商法会議所になってしまう」。毛沢東は「外交は血を流さ
ない戦争、戦争は血を流す外交だ」と言っていた。

そういう覚悟のある外交官や政治家は、残念ながら非常に少ない。日本の
外務省官僚は外交とは「高級ワインを飲んで楽しくおしゃべりするのがマ
ナー、国益なんて野暮なことは言いっこなし、対立とか戦争なんてとんで
もない」というのが戦後の伝統的な初期設定になっている。

小生は、それはわが国特有のものかと思っていたら、米国でも「国防総省
から見ると、国務省は軟弱なヘタレ」なのだそうだ。軍事部門はリアルを
常に見る、一方で国務省/外務省は相手の善意を見る、寄り添うから、毅
然とした交渉がなかなかできない、多くの先進国では宥和的、いわゆるリ
ベラル≒アカモドキ的である。戦争がなければすべてよし、という感じだ。
夏彦翁は「外交で話がつかなければ、昔は戦争で解決した。今は戦争がな
いから対立が長引く」と嘆息していた。

マキャベリは鴎外の紹介で日本でも名前は知られていたが、その内容とか
思想は「謀略的で珍奇、一種の奇妙奇天烈な奇書、悪書、まともなインテ
リが読むべき本ではない」と忌避されていたのだろう、一般的に普及し始
めたのは、クラウゼビッツの「戦争論」とか、地政学と同様にここ20、30
年ほど前からのような気がする。

マキャベリは14世紀に彼が身をもって知った政治、軍事の「リアル」を研
究し、君主=リーダーはいかにあるべきか、どう国家を動かすかなどにつ
いて、正・悪を越えて論じている。

そのリアリズムは徹底しており、「兵士の楽しみ、褒美として掠奪もさせ
ていい」とか「時に悪事をせざるを得なくなったときは電撃的にやるべき
だ。あまりにも速いと人々の理解は追いつかないで、成功を称賛する声に
雷同するようになる」「評判の良い君主より悪い君主の方が大事をなすこ
とが多い」などなど。

リベラル≒アカモドキのようなインテリからすれば、直視できないような
生々しいリアルが書かれており、インテリからすれば自分自身が「脳内お
花畑のバカ」と存在、思想、価値観を全面否定されているようなものだか
ら、マキャベリを徹底的に無視するしかなかったのだろう。

北による拉致を多くの学者、政治家、マスコミは無視した。そこには共産
主義への親和性と、反日思想、国交正常化を優先すべきだという被害者へ
の冷淡=ご都合主義というリベラルの腐った悪習がうかがわれる。

小生はキチ〇イではあるけれど腐臭はしていないと自負している。発狂亭
“アイアンクロースープレックスホールド”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/19】月曜、快晴。*(承前)自信喪失のリベラル≒アカモドキ
の逃避先は「自己批判=自虐=マゾ」なのだろう。「悪いのは日本だ、そ
れを正せない自分たち日本人は原罪を負っている、百万遍謝罪してもしき
れないほどの悪事をなしたのだから、血は血で償われるべきだ、もっと
もっと打って、殴って、蹴ってください」とばかりに地にひれ伏すのだ。

周囲の民族でタチが悪いのは半島人と支那人で、ほとんどがゴロツキ的な
サド。「よっしゃー! 恨み晴らさでおくものか」とマゾを叩きまくって
日々のうっぷん晴らし、ここに自虐妄想マゾと被害妄想サドの醜いコラボ
が成立し、束の間の心の安定を得るのだろう。いずれもリベラル発狂派、
病膏肓、「アンタがすっきりするんなら、うちは耐えて見せますぅ」。キ
モい、キモすぎるで。

しかし「バックミラーを見てばかりのながら運転」ではポケGOあるいはス
マホのように必ず事故る。彼らは邪教信者で、目が青く澄んじゃってい
る、信心に濁りはまったくない。関わるとろくなことにならないから、
A2/Ad(接近阻止/領域拒否)で対応するのが最善策だ。(つづく)2018/4/4


 ◎「日本版海兵隊」の水陸機動団が始動 広大な南西諸島を防衛 輸送
などに課題…

「日本版海兵隊」となる陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」が
始動した。7日に相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で隊旗授与式を開き、訓
練を公開した。手本とする米海兵隊も参加した。中国の軍事的脅威が増す
中、南西諸島の防衛力強化の要と期待される。ただ、即応体制の整備や輸
送力不足など課題は少なくない。

訓練は離島が占領されたとの想定で実施した。飛来したヘリコプター2機
から陸自隊員と米海兵隊員が次々と地上に降下。水陸両用車「AAV7」
が砲撃しながら隊員らとともに前進し敵陣地を制圧、奪還に成功した−。

イラク日報問題の影響で式典出席を見送った小野寺五典防衛相は「水陸機
動団の創設により初めて本格的な水陸両用作戦能力を有することになる。
団結して困難に立ち向かうことを期待する」と訓示を寄せた。

3月27日に新設された水陸機動団は2100人態勢で、2個の機動連隊、戦闘
上陸大隊、後方支援大隊などで構成している。将来的には3千人規模に拡
充し、1個連隊を沖縄に配備する構想もある。

水陸機動団が守る南西諸島は広大で、鹿児島県の大隅諸島から沖縄県の与
那国島まで。全長約1200キロで日本の本州と同じ程度とされる。しか
し、自衛隊は主要戦力を南西諸島に配備しておらず「防衛の空白地帯」と
されてきた。その間隙(かんげき)を突くように中国は南西諸島周辺の海
空域で活動を活発化させている。

水陸機動団は島嶼(とうしょ)侵攻を許した場合、奪還作戦の先陣を切る
役割を担うが、解決すべき課題も横たわる。

陸自は水陸機動団を運ぶ主要輸送機としてオスプレイ17機を米国から購
入し、佐賀空港(佐賀市)への配備計画を進めている。佐賀空港と相浦駐
屯地は60キロと近距離で、迅速な有事対応が可能だからだ。だが、今年
2月に陸自ヘリが佐賀県内の民家に墜落し、計画は暗礁に乗り上げている。

このため、防衛省は今秋に納入される最初の5機を、米軍のオスプレイ整
備拠点がある木更津駐屯地(千葉県木更津市)に暫定配備する方向だ。た
だ、木更津と相浦駐屯地は約1千キロも離れている。佐賀に比べて少なく
とも2時間以上のロスが生じ、部隊展開への影響は避けられない。

米海兵隊は上陸作戦の際、水陸両用車や装甲車を強襲揚陸艦で海上輸送す
るが、自衛隊には一隻もない。代わりに、海自の「おおすみ」型輸送艦3
隻を改修して対応するが、輸送力不足は否定できない。

AAV7も水陸機動団の発足時に36両を配備する予定だったが、米国の生
産体制の都合で12両にとどまった。そもそもAAV7は米軍が1970
年代に配備した“年代物”で、水上速度が時速13キロと遅い。陸自内では
「敵から狙い撃ちにされる」との批判が根強く、防衛省は国産化を視野に
入れた水陸両用車の技術研究を進めている。

ソフト面の課題も残る。護衛艦からの艦砲射撃や戦闘機による航空攻撃と
いった援護が島嶼奪還には欠かせない。陸海空3自衛隊の高度な連携を必
要とするが、互いの“アレルギー”を完全に克服するには時間もかかる。水
陸機動団長の青木伸一陸将補も「まだ能力は完全なものではない」と課題
を認める。

日本では攻撃的要素を含む海兵隊機能の保有について「平和憲法の枠を超
える」とタブー視されてきた。ただ、現実的な脅威を前に防衛政策を停滞
させる余裕はない。水陸機動団の誕生は、日本の領土を守り抜くという強
い意志の表れでもある。(石鍋圭)

【写真】
・ 陸自の南西諸島配備計画
・ 離島奪還のイメージ
・ 離島奪還を想定した訓練を行う陸上自衛隊の「水陸機動団」。後方は水
陸両用車「AAV7」=7日、長崎県佐世保市の相浦駐屯地(ロイター)
https://www.sankei.com/politics/photos/180408/plt1804080003-p1.html
【産經ニュース】 2018.4.8 06:00 〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎「日本版海兵隊」の水陸機動団が始動 広大な南西諸島を防衛 輸送
などに課題…

「日本版海兵隊」となる陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」が
始動した。7日に相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で隊旗授与式を開き、訓
練を公開した。手本とする米海兵隊も参加した。中国の軍事的脅威が増す
中、南西諸島の防衛力強化の要と期待される。ただ、即応体制の整備や輸
送力不足など課題は少なくない。

訓練は離島が占領されたとの想定で実施した。飛来したヘリコプター2機
から陸自隊員と米海兵隊員が次々と地上に降下。水陸両用車「AAV7」
が砲撃しながら隊員らとともに前進し敵陣地を制圧、奪還に成功した−。

イラク日報問題の影響で式典出席を見送った小野寺五典防衛相は「水陸機
動団の創設により初めて本格的な水陸両用作戦能力を有することになる。
団結して困難に立ち向かうことを期待する」と訓示を寄せた。

3月27日に新設された水陸機動団は2100人態勢で、2個の機動連隊、戦闘
上陸大隊、後方支援大隊などで構成している。将来的には3千人規模に拡
充し、1個連隊を沖縄に配備する構想もある。

水陸機動団が守る南西諸島は広大で、鹿児島県の大隅諸島から沖縄県の与
那国島まで。全長約1200キロで日本の本州と同じ程度とされる。しかし、
自衛隊は主要戦力を南西諸島に配備しておらず「防衛の空白地帯」とされ
てきた。その間隙(かんげき)を突くように中国は南西諸島周辺の海空域
で活動を活発化させている。

水陸機動団は島嶼(とうしょ)侵攻を許した場合、奪還作戦の先陣を切る
役割を担うが、解決すべき課題も横たわる。

陸自は水陸機動団を運ぶ主要輸送機としてオスプレイ17機を米国から購入
し、佐賀空港(佐賀市)への配備計画を進めている。佐賀空港と相浦駐屯
地は60キロと近距離で、迅速な有事対応が可能だからだ。だが、今年2月
に陸自ヘリが佐賀県内の民家に墜落し、計画は暗礁に乗り上げている。

このため、防衛省は今秋に納入される最初の5機を、米軍のオスプレイ整
備拠点がある木更津駐屯地(千葉県木更津市)に暫定配備する方向だ。た
だ、木更津と相浦駐屯地は約1千キロも離れている。佐賀に比べて少なく
とも2時間以上のロスが生じ、部隊展開への影響は避けられない。

 米海兵隊は上陸作戦の際、水陸両用車や装甲車を強襲揚陸艦で海上輸送
するが、自衛隊には一隻もない。代わりに、海自の「おおすみ」型輸送艦
3隻を改修して対応するが、輸送力不足は否定できない。

AAV7も水陸機動団の発足時に36両を配備する予定だったが、米国の
生産体制の都合で12両にとどまった。そもそもAAV7は米軍が
1970年代に配備した“年代物”で、水上速度が時速13キロと遅い。陸
自内では「敵から狙い撃ちにされる」との批判が根強く、防衛省は国産化
を視野に入れた水陸両用車の技術研究を進めている。

ソフト面の課題も残る。護衛艦からの艦砲射撃や戦闘機による航空攻撃と
いった援護が島嶼奪還には欠かせない。陸海空3自衛隊の高度な連携を必
要とするが、互いの“アレルギー”を完全に克服するには時間もかかる。水
陸機動団長の青木伸一陸将補も「まだ能力は完全なものではない」と課題
を認める。

日本では攻撃的要素を含む海兵隊機能の保有について「平和憲法の枠を超
える」とタブー視されてきた。ただ、現実的な脅威を前に防衛政策を停滞
させる余裕はない。水陸機動団の誕生は、日本の領土を守り抜くという強
い意志の表れでもある。(石鍋圭)

【写真】
・ 陸自の南西諸島配備計画
・ 離島奪還のイメージ
・ 離島奪還を想定した訓練を行う陸上自衛隊の「水陸機動団」。後方は水
陸両用車「AAV7」=7日、長崎県佐世保市の相浦駐屯地(ロイター)
https://www.sankei.com/politics/photos/180408/plt1804080003-p1.html
【産經ニュース】 2018.4.8 06:00 〔情報収録 − 坂元 誠〕


 ◎「日本版海兵隊」の水陸機動団が始動 広大な南西諸島を防衛 輸送
などに課題…

「日本版海兵隊」となる陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」が
始動した。7日に相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で隊旗授与式を開き、訓
練を公開した。手本とする米海兵隊も参加した。中国の軍事的脅威が増す
中、南西諸島の防衛力強化の要と期待される。ただ、即応体制の整備や輸
送力不足など課題は少なくない。

訓練は離島が占領されたとの想定で実施した。飛来したヘリコプター2機
から陸自隊員と米海兵隊員が次々と地上に降下。水陸両用車「AAV7」
が砲撃しながら隊員らとともに前進し敵陣地を制圧、奪還に成功した−。

イラク日報問題の影響で式典出席を見送った小野寺五典防衛相は「水陸機
動団の創設により初めて本格的な水陸両用作戦能力を有することになる。
団結して困難に立ち向かうことを期待する」と訓示を寄せた。

3月27日に新設された水陸機動団は2100人態勢で、2個の機動連隊、戦闘
上陸大隊、後方支援大隊などで構成している。将来的には3千人規模に拡
充し、1個連隊を沖縄に配備する構想もある。

水陸機動団が守る南西諸島は広大で、鹿児島県の大隅諸島から沖縄県の与
那国島まで。全長約1200キロで日本の本州と同じ程度とされる。しかし、
自衛隊は主要戦力を南西諸島に配備しておらず「防衛の空白地帯」とされ
てきた。その間隙(かんげき)を突くように中国は南西諸島周辺の海空域
で活動を活発化させている。

水陸機動団は島嶼(とうしょ)侵攻を許した場合、奪還作戦の先陣を切る
役割を担うが、解決すべき課題も横たわる。

陸自は水陸機動団を運ぶ主要輸送機としてオスプレイ17機を米国から購入
し、佐賀空港(佐賀市)への配備計画を進めている。佐賀空港と相浦駐屯
地は60キロと近距離で、迅速な有事対応が可能だからだ。だが、今年2月
に陸自ヘリが佐賀県内の民家に墜落し、計画は暗礁に乗り上げている。

このため、防衛省は今秋に納入される最初の5機を、米軍のオスプレイ整
備拠点がある木更津駐屯地(千葉県木更津市)に暫定配備する方向だ。た
だ、木更津と相浦駐屯地は約1千キロも離れている。佐賀に比べて少なく
とも2時間以上のロスが生じ、部隊展開への影響は避けられない。

米海兵隊は上陸作戦の際、水陸両用車や装甲車を強襲揚陸艦で海上輸送す
るが、自衛隊には一隻もない。代わりに、海自の「おおすみ」型輸送艦3
隻を改修して対応するが、輸送力不足は否定できない。

AAV7も水陸機動団の発足時に36両を配備する予定だったが、米国の
生産体制の都合で12両にとどまった。そもそもAAV7は米軍が
1970年代に配備した“年代物”で、水上速度が時速13キロと遅い。陸
自内では「敵から狙い撃ちにされる」との批判が根強く、防衛省は国産化
を視野に入れた水陸両用車の技術研究を進めている。

ソフト面の課題も残る。護衛艦からの艦砲射撃や戦闘機による航空攻撃と
いった援護が島嶼奪還には欠かせない。陸海空3自衛隊の高度な連携を必
要とするが、互いの“アレルギー”を完全に克服するには時間もかかる。水
陸機動団長の青木伸一陸将補も「まだ能力は完全なものではない」と課題
を認める。

日本では攻撃的要素を含む海兵隊機能の保有について「平和憲法の枠を超
える」とタブー視されてきた。ただ、現実的な脅威を前に防衛政策を停滞
させる余裕はない。水陸機動団の誕生は、日本の領土を守り抜くという強
い意志の表れでもある。(石鍋圭)

【写真】
・ 陸自の南西諸島配備計画
・ 離島奪還のイメージ
・ 離島奪還を想定した訓練を行う陸上自衛隊の「水陸機動団」。後方は水
陸両用車「AAV7」=7日、長崎県佐世保市の相浦駐屯地(ロイター)
https://www.sankei.com/politics/photos/180408/plt1804080003-p1.html
【産經ニュース】 2018.4.8 06:00 〔情報収録 − 坂元 誠〕

  ◎「日本版海兵隊」の水陸機動団が始動 広大な南西諸島を防衛 輸
送などに課題…

「日本版海兵隊」となる陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」が
始動した。7日に相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で隊旗授与式を開き、訓
練を公開した。手本とする米海兵隊も参加した。中国の軍事的脅威が増す
中、南西諸島の防衛力強化の要と期待される。ただ、即応体制の整備や輸
送力不足など課題は少なくない。

訓練は離島が占領されたとの想定で実施した。飛来したヘリコプター2機
から陸自隊員と米海兵隊員が次々と地上に降下。水陸両用車「AAV7」
が砲撃しながら隊員らとともに前進し敵陣地を制圧、奪還に成功した−。

イラク日報問題の影響で式典出席を見送った小野寺五典防衛相は「水陸機
動団の創設により初めて本格的な水陸両用作戦能力を有することになる。
団結して困難に立ち向かうことを期待する」と訓示を寄せた。

3月27日に新設された水陸機動団は2100人態勢で、2個の機動連隊、戦闘
上陸大隊、後方支援大隊などで構成している。将来的には3千人規模に拡
充し、1個連隊を沖縄に配備する構想もある。

水陸機動団が守る南西諸島は広大で、鹿児島県の大隅諸島から沖縄県の与
那国島まで。全長約1200キロで日本の本州と同じ程度とされる。しかし、
自衛隊は主要戦力を南西諸島に配備しておらず「防衛の空白地帯」とされ
てきた。その間隙(かんげき)を突くように中国は南西諸島周辺の海空域
で活動を活発化させている。

水陸機動団は島嶼(とうしょ)侵攻を許した場合、奪還作戦の先陣を切る
役割を担うが、解決すべき課題も横たわる。

陸自は水陸機動団を運ぶ主要輸送機としてオスプレイ17機を米国から購入
し、佐賀空港(佐賀市)への配備計画を進めている。佐賀空港と相浦駐屯
地は60キロと近距離で、迅速な有事対応が可能だからだ。だが、今年2月
に陸自ヘリが佐賀県内の民家に墜落し、計画は暗礁に乗り上げている。

このため、防衛省は今秋に納入される最初の5機を、米軍のオスプレイ整
備拠点がある木更津駐屯地(千葉県木更津市)に暫定配備する方向だ。た
だ、木更津と相浦駐屯地は約1千キロも離れている。佐賀に比べて少なく
とも2時間以上のロスが生じ、部隊展開への影響は避けられない。

米海兵隊は上陸作戦の際、水陸両用車や装甲車を強襲揚陸艦で海上輸送す
るが、自衛隊には一隻もない。代わりに、海自の「おおすみ」型輸送艦3
隻を改修して対応するが、輸送力不足は否定できない。

AAV7も水陸機動団の発足時に36両を配備する予定だったが、米国の
生産体制の都合で12両にとどまった。そもそもAAV7は米軍が
1970年代に配備した“年代物”で、水上速度が時速13キロと遅い。陸
自内では「敵から狙い撃ちにされる」との批判が根強く、防衛省は国産化
を視野に入れた水陸両用車の技術研究を進めている。

ソフト面の課題も残る。護衛艦からの艦砲射撃や戦闘機による航空攻撃と
いった援護が島嶼奪還には欠かせない。陸海空3自衛隊の高度な連携を必
要とするが、互いの“アレルギー”を完全に克服するには時間もかかる。水
陸機動団長の青木伸一陸将補も「まだ能力は完全なものではない」と課題
を認める。

日本では攻撃的要素を含む海兵隊機能の保有について「平和憲法の枠を超
える」とタブー視されてきた。ただ、現実的な脅威を前に防衛政策を停滞
させる余裕はない。水陸機動団の誕生は、日本の領土を守り抜くという強
い意志の表れでもある。(石鍋圭)

【写真】
・ 陸自の南西諸島配備計画
・ 離島奪還のイメージ
・ 離島奪還を想定した訓練を行う陸上自衛隊の「水陸機動団」。後方は水
陸両用車「AAV7」=7日、長崎県佐世保市の相浦駐屯地(ロイター)
https://www.sankei.com/politics/photos/180408/plt1804080003-p1.html
【産經ニュース】 2018.4.8 06:00 〔情報収録 − 坂元 誠〕


D「日本版海兵隊」の水陸機動団が始動 広大な南西諸島を防衛 輸送な
どに課題…

 「日本版海兵隊」となる陸上自衛隊の離島奪還専門部隊「水陸機動団」
が始動した。7日に相浦駐屯地(長崎県佐世保市)で隊旗授与式を開き、
訓練を公開した。手本とする米海兵隊も参加した。中国の軍事的脅威が増
す中、南西諸島の防衛力強化の要と期待される。ただ、即応体制の整備や
輸送力不足など課題は少なくない。

 訓練は離島が占領されたとの想定で実施した。飛来したヘリコプター2
機から陸自隊員と米海兵隊員が次々と地上に降下。水陸両用車
「AAV7」が砲撃しながら隊員らとともに前進し敵陣地を制圧、奪還に
成功した−。

 イラク日報問題の影響で式典出席を見送った小野寺五典防衛相は「水陸
機動団の創設により初めて本格的な水陸両用作戦能力を有することにな
る。団結して困難に立ち向かうことを期待する」と訓示を寄せた。

 3月27日に新設された水陸機動団は2100人態勢で、2個の機動連
隊、戦闘上陸大隊、後方支援大隊などで構成している。将来的には3千人
規模に拡充し、1個連隊を沖縄に配備する構想もある。

 水陸機動団が守る南西諸島は広大で、鹿児島県の大隅諸島から沖縄県の
与那国島まで。全長約1200キロで日本の本州と同じ程度とされる。し
かし、自衛隊は主要戦力を南西諸島に配備しておらず「防衛の空白地帯」
とされてきた。その間隙(かんげき)を突くように中国は南西諸島周辺の
海空域で活動を活発化させている。

 水陸機動団は島嶼(とうしょ)侵攻を許した場合、奪還作戦の先陣を切
る役割を担うが、解決すべき課題も横たわる。

 陸自は水陸機動団を運ぶ主要輸送機としてオスプレイ17機を米国から
購入し、佐賀空港(佐賀市)への配備計画を進めている。佐賀空港と相浦
駐屯地は60キロと近距離で、迅速な有事対応が可能だからだ。だが、今
年2月に陸自ヘリが佐賀県内の民家に墜落し、計画は暗礁に乗り上げている。

 このため、防衛省は今秋に納入される最初の5機を、米軍のオスプレイ
整備拠点がある木更津駐屯地(千葉県木更津市)に暫定配備する方向だ。
ただ、木更津と相浦駐屯地は約1千キロも離れている。佐賀に比べて少な
くとも2時間以上のロスが生じ、部隊展開への影響は避けられない。

 米海兵隊は上陸作戦の際、水陸両用車や装甲車を強襲揚陸艦で海上輸送
するが、自衛隊には一隻もない。代わりに、海自の「おおすみ」型輸送艦
3隻を改修して対応するが、輸送力不足は否定できない。

 AAV7も水陸機動団の発足時に36両を配備する予定だったが、米国
の生産体制の都合で12両にとどまった。そもそもAAV7は米軍が
1970年代に配備した“年代物”で、水上速度が時速13キロと遅い。陸
自内では「敵から狙い撃ちにされる」との批判が根強く、防衛省は国産化
を視野に入れた水陸両用車の技術研究を進めている。

 ソフト面の課題も残る。護衛艦からの艦砲射撃や戦闘機による航空攻撃
といった援護が島嶼奪還には欠かせない。陸海空3自衛隊の高度な連携を
必要とするが、互いの“アレルギー”を完全に克服するには時間もかかる。
水陸機動団長の青木伸一陸将補も「まだ能力は完全なものではない」と課
題を認める。

 日本では攻撃的要素を含む海兵隊機能の保有について「平和憲法の枠を
超える」とタブー視されてきた。ただ、現実的な脅威を前に防衛政策を停
滞させる余裕はない。水陸機動団の誕生は、日本の領土を守り抜くという
強い意志の表れでもある。(石鍋圭)

【写真】
・ 陸自の南西諸島配備計画
・ 離島奪還のイメージ
・ 離島奪還を想定した訓練を行う陸上自衛隊の「水陸機動団」。後方は水
陸両用車「AAV7」=7日、長崎県佐世保市の相浦駐屯地(ロイター)
https://www.sankei.com/politics/photos/180408/plt1804080003-p1.html
【産經ニュース】 2018.4.8 06:00 〔情報収録 − 坂元 誠〕


◆「古寺旧跡巡礼」当麻寺 B

石田 岳彦



さて講堂へと移動します。講堂も瓦葺で、寄棟、平入りですが、本堂に比べると一回りほど小さく感じます。講堂の中には、ずらっと2列で阿弥陀如来×2、千手観音、地蔵菩薩、不動明王、多聞天・・・・。
  
このラインナップを見て、だから何だと思った人はお寺巡りの初心者です。このラインナップを見て、その組み合わせの必然性の無さに疑問を感じた人は中級者です。このラインナップを見て、なるほどと思った人は上級者です。多分。

お寺の方の説明にもありましたが、明治初期の廃仏毀釈で多数のお寺が廃寺になった際、つぶれた寺院の仏像が生き残った寺のお堂にまとめて押し込まれるというケースがしばしばあり(近畿地方の古寺を回っていると、誇張抜きに、しばしば出くわします)、この講堂のやたらと脈絡のない顔触れも、要するにその名残というか、傷痕ということになります。

講堂の南隣には金堂があります。こちらは入母屋屋根(文章での説明はややこしいので、ググってください)です。正面入り口は南側ですが、何故か拝観者には北側の裏口が開放されていて、そこから入って、正面に回り込む形になっています。

金堂の中には、国宝の弥勒仏像と重要文化財の四天王像がまつられていますが、本尊の弥勒仏坐像は頭でっかちで、造形的にはあまり美的感覚を刺激されません。

しかし、この仏様こそが当麻寺の本来のご本尊で、7世紀後半の白鳳時代の作だそうです。ここで「弥勒仏」とは、弥勒菩薩が遠い未来において悟りをひらき、如来になった後の姿を指します。

実は、「弥勒仏」の像は、他に興福寺の北円堂や東大寺などにあるくらいで、作例が少なく、結構、レアものだったりします。

他方、周囲を囲む四天王立像は、説明書によると、現存するものの中では法隆寺金堂のものに次ぐ古い四天王像だそうですが、4人全員が見事なまでのアゴヒゲを生やしていて、やたらと男臭い像になっています。

 私はこれまで様々な四天王像を見てきましたが、ここまで「濃い」アゴヒゲを生やした四天王像というか仏像はこれ以外に見たことがありません。

一見の価値ありです。ただし、やたらとインパクトがあるので、一度見てしまったら、忘れたくても忘れさせてくれないかも知れません。

上でも述べたように2基の三重塔はそれぞれ1段高い斜面上にあります。塔の一層目には仏像が祀られているそうですが、基本的に開扉はなされていません。

もっとも、来年(2010年)は平城京遷都1300年祭関係のイベントとして、特別に東西の塔の開扉が行われるという話です。今から楽しみです。

 本を見ると、古代に建てられた東塔と西塔が揃って現存するのは当麻寺が唯一とありますが、両塔は同時に建てられたものではなく、東塔が奈良時代末、西塔が平安時代初めだそうで、屋根の組み物や、窓の有無など、デザイン的にもかなり違ったものになっています。

他に中之房、奥の院といった塔頭も公開されています。真面目に見て回ると半日がかりです。

当麻寺から少し歩いたところには中将姫の墓とされる石造の十三重塔があります。ちなみにこの塔は鎌倉時代の作らしいですが(中将姫は上記のように奈良時代の方です)、無粋なことはいいっこなしです。(終)
<弁護士>