2018年05月19日

◆健康百話 乳がんの治療

小川 佳成(医師)


乳癌の治療法は、病状や進行度、あなたの全身状態を考慮して決まります。治療には主として、手術、放射線治療、抗癌剤(抗ホルモン剤を含む)治療があります。

病状の進んでいる方には抗癌剤治療が優先されますが、通常は手術を行い、その後再発予防のための抗癌剤治療を行います。

【手術】
手術には主として、1.乳房切除、2.乳房温存手術があります。腫瘍の大きさや広がり具合などにより術式を選びます。当大阪市立総合医療センターでは、半数以上の方が乳房温存療法を受けられています。
 
乳癌の手術では転移の有無に関わらず、癌の根治・予防のためにわきの下のリンパ節を全部取り除くこと(リンパ節郭清といいます)が標準的に行われてきましたが、リンパ節郭清をすると術後に腕がむくみやすい等の症状が残ります。

そこでわきの下のリンパ節転移がないと予測される方を対象に術後の症状を軽減するために、センチネルリンパ節生検という方法を用いた、腋窩(わきの下)リンパ節郭清を省略する術式が行われるようになりつつあります。当センターでは6割の方がこの術式を受けられています。

【放射線治療】
乳房温存手術を行った場合には、残った乳腺での再発を抑えるために乳房に対する放射線治療を術後に行っています。治療期間は5〜6週間でこの治療により乳腺内での再発は2〜3%以下に抑えることができると考えられています。

【抗癌剤治療】
切除した癌の性格を詳しく調べて、術後の抗癌剤治療の必要性とその内容を決めます。これらの治療で再発の3〜4割を抑えることができるとされます。抗癌剤治療は充分な副作用対策をして外来にて行っています。

【乳房再建】
乳房切除後の乳房再建は形成外科にて行っています。当センターでは、術後1〜2年を過ぎ、治療が一段落してからの再建をお勧めしています。

乳癌の治療は5〜10年ごとに大きく進歩しています。当センターでは、“あなたがより良く生活していくために治療があるのだ”という想いのもとに、各分野の専門医が協力し合い乳癌の治療に当たっています。  
                      <大阪市立総合医療センター 外科>

2018年05月18日

◆米朝会談へ神経戦が最高潮

杉浦 正章


米「半年以内の核搬出」要求

北「体制の保障と平和協定」で瀬踏み

6月12日に開催予定のトランプと金正恩の米朝首脳会談に向けて、神経戦
が展開されはじめた。分析すれば米国が、「完全なる非核化」を要求し、
北はこれを拒否した上で体制の保障を求めている構図が浮かび上がる。

米国は北に対して核弾頭や大陸間弾道弾を半年以内に国外に搬出するよう
要求、その代償としてテロ支援国家指定の解除と金正恩体制の存続をちら
つかせているようだ。しかし金正恩が命と守る核兵器を半年以内に搬出す
る可能性はゼロに近く、米提案は駆け引き材料に過ぎまい。溝が埋まるに
はほど遠い。

北朝鮮は16日、米韓空軍の定例合同訓練を理由に、南北閣僚級会談の中
止を一方的に通知し、第1外務次官金桂官が談話を発表した。談話は「大
統領補佐官のボルトンをはじめ、ホワイトハウスと国務省の高位官僚は
『先に核放棄、後に補償』方式を触れ回りながら、リビア核放棄方式だの
『完全かつ検証可能で不可逆的な非核化』だの、『ミサイルの生化学武器
の完全放棄』だのという主張を厚かましく繰り返している」と米国の要求
を批判。

「これは対話を通じて問題を解決しようとするものではなく、本 質にお
いて大国に国を丸ごと任せきりにして、崩壊したリビアやイラクの 運命
を尊厳高い我々に強要しようとする甚だ不純な企てだ」と強調した。 さ
らに金桂官は「一方的に核の放棄だけを強要しようとするならば、首脳
会談に応じるかどうかも再考せざるを得ない」と首脳会談再考も示唆して
いる。

これに対しトランプは「われわれは何の知らせも受けていない。様子を
みてみよう」と述べ、北朝鮮の今後の出方を見極める考えを強調した。さ
らにホワイトハウス報道官のサンダースは、米朝首脳会談について、「重
要な会談だ」と指摘し、準備を進める考えを示す一方で「トランプ大統領
は、困難な交渉には慣れていて、その準備も整っている。

ただ、北朝鮮が 会いたくないのなら、それでもいい。その時は、最大限
の圧力をかけ続け るだけだ」とすごんで見せた。北朝鮮が対話を選ばな
ければ、圧力を強め る考えを示して、けん制したことになる。

しかし、“口撃”の厳しさは半島民族の“特性” であり、隘路を探してい
ることは間違いない。その一つとして、韓国大統領文在寅を通じてトラン
プの説得を要求している可能性が高い。

米韓首脳会談は22日に予定され ており、北朝鮮が米韓合同航空戦闘訓
練『マックスサンダー』を理由に南 北閣僚級会談を一方的に中止したの
は、米韓首脳会談に向けた思惑がある からにほかならない。

その意図は韓国を動かして、米国との首脳会談の際 の北朝鮮の立場をよ
り正確に説明させようとしているのかもしれない。既 に北朝鮮は韓国と
の閣僚級会談を中止することで、F22などの戦略兵器が 朝鮮半島に飛来す
ることを望んでいないという意思を明確に示している。

金正恩は北朝鮮の立場をあらかじめ文在寅を通じてトランプに伝達して
け ん制しているのだろう。

そもそも北朝鮮の狙いは今年早々から明白だ。正月に金正恩は対話攻勢
に転じて、まず米国の同盟国である韓国の取り込みを図ってきた。金正恩
と文在寅の会談で準備段階を終え、いよいよトランプとの会談に向けた総
仕上げ段階に入っているのだろう。

北は体制の保障と平和協定締結を最終 目標としている。また一連の言動
は米朝会談で主張する予定の重要なメッ セージを米側にあらかじめ伝え
て、瀬踏みをしているのだろう。これに対 して米側も半年以内の核搬出
という“高値”をふっかけて、妥協点を模索し ているのが現在の図式だろう。



◆「徘徊」は「いいあるき」?

馬場伯明


世界で最も有名な「徘徊(haunt)」は「共産党宣言(1848)」の冒頭で
あろう。「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している。共産主義という妖怪
が」である。

では、今徘徊とは何か。「どこともなく歩き回ること(広辞苑)」とあ
る。認知症の人(以下、Aさん)が道に迷う状態に徘徊が使われてきた。

2018/3/25の朝日新聞は1・2面で「徘徊」行動を特集し、国・地方・地域
のボランティアによる見守り・支援活動などを紹介した。

記事によれば、散歩に出たAさんは「目的を持って歩いている」というの
だ。「道がわからず怖かったが家に帰らなければと意識していた。徘徊で
はないと思う」と。本人にそう言われば「そうかな・・」とも思う。

Aさんは、自宅を出たときは散歩するという目的を持ち徘徊するつもりな
どなかった。「記憶障害」のために外出した目的を忘れ、「見当識障害」
により自分のいる場所がわからなくなり、「理解・判断力の障害」で、
「道順を尋ねる」という適切な行動がとれなかったのである。

それでも、Aさんは、後で(!)考えたとき、Aさんの状態が他人に徘徊と
言われるのは適切ではないと思っているらしい。それらを受けてか、全国
で徘徊という言葉を使わない事例が増えているという。典型例である東京
都国立市では 徘徊を「いいあるき」と表現している。市報「くにたち」
から転載する(2016.9.5 第1131号)。

《みんなで参加しよう!認知症の人の見守り・SOSネットワーク「いいある
きネットinくにたち」。模擬訓練を実施します。ひとりで外出し道に迷っ
てしまう認知症の方を地域で見守るために「声かけ模擬訓練」を実施しま
す。国立市では、「徘徊」と言わず「いいあるき」➠「迷ってもいい、安
心できる心地よい歩き」と表現しています》。

また、日本認知症本人ワーキンググループ(鳥取市)は「認知症の人の外
出を過剰に危険視して監視や制止をしないで」と訴え、名古屋市の西部い
きいき支援センターは、啓発冊子のタイトルを「認知症『ひとり歩き』さ
ぽーとBOOK」とした(2014)」らしい。

さらに、大牟田市は「安心して徘徊できるまち」から「安心して外出でき
るまち」に変え、状況に応じ「道に迷っている」などと言い換えている。
認知症の本人の声(要望)を尊重したと、ある。

そこで、朝日新聞は宣言する(2018/3/25)。《今後の記事で、認知症の人
の行動を表す際に「徘徊」の言葉を原則として使わず「外出中に道に迷
う」などと表現することにします。今後も認知症の人の思いや人権につい
て、本人の思いを受け止め、様々な側面から読者のみなさんとともに考え
ていきたい》と。また同時に《(徘徊を)使用する立場(の団体や個人)を
批判する趣旨ではない(編集委員・清川卓史)》とも。少し胡散臭い・・。

しかし、ちょっと待ってほしい。それで、ほんとにいいのだろうか?

徘徊では、行動や状態を判定する人(主体)とタイミングに違いがある。
Aさんは「散歩しているうちに道に迷ってしまった」と(あとで)認識を
話し、健常者のBさんは「(彼は今)うろうろと歩き回っている」と(そ
の場で)徘徊していると認識するのである。

Aさんが徘徊状態にあった「そのとき」を(正常に戻った)後で「徘徊で
はないと思う」と言うのは、同情はしたいが、間違いであろう。また、表
で徘徊を「いいあるき」と言い換えても、裏の「悪い歩き」という事実が
透けて見える。いくら言い・書き換えても事実は一つだ。「いいあるき」
は偽善的な表現であると言えよう。

単なる言い換えは事実からの逃避・言葉の遊び・繕いである。王様が裸で
あれば(正確に)裸であると言った子供の方が正しい。事実を隠蔽する目
先の「猫だまし」では解決から遠い。

国立市が徘徊を「いいあるき」と表現するのも、事実と違うので不適切で
ある。おそらく、国立市職員の心の中は「いいあるき:?」ではないかと
私は邪推(!)する。なお「『いい歩き』をめざす会」は問題がない。

朝日新聞の徘徊記事は、本質的な問題提起ではなく、言葉の使い方の問題
である。いわば、朝日得意(!)の「言葉の遊び」だ。「適切な言い換え
表現がない」と書く。ここで、「迷走」は世間でよく使われている。徘徊
は「迷走し、迷い歩くこと」である。徘徊を「迷歩(めいほ←私的造
語)」に換えれば案外うまく行くかもしれない。

ところで、そもそも徘徊の原因症状である「認知症」という言葉も変であ
る。表意文字である漢字の使い方が間違っている。

認知とは、物事を「正しく認識し知る」ことである。だが、認知できない
状態の症状が認知症と定義されている。本来、認知失調症や認知障害症な
ど認知できないという意味の語が必要である。

認知症方式なら、統合失調症は統合症、栄養失調症は栄養症となる。一
方、筋萎縮性側索硬化症(ALS)は病名や症状を表す語で正しく構成され
ている。腸管出血性大腸菌感染症も同様である。

兵庫県のNPO法人播磨オレンジパートナーは「歩く目的あり。徘徊と言わ
ないで!」と「認知症を『ニンチ』と言わないで!」の缶バッジを2つ
作った。ほら見ろ!認知・失調症状を認知症と名付けたために認知(ニン
チ)が真反対の嫌われる語になってしまった。本末転倒である。

本題の徘徊に戻る。徘徊を他の言葉に言い換える人は心が優しく善意の人
が多い気がする。その善意を尊敬する。しかし、善意であるがゆえに徘徊
する人を逆に無意識のうちに傷つけることもある。なぜか。現実は言葉だ
けでは動かないからだ。

徘徊論議が長くなり、何か徘徊状態になってきた。まとめを書く。
1.徘徊を、いいあるき、ひとり歩き、外出などと、偽善的な言葉でごま
かすべきではない。認知症も認知失調症などの正しい表現にすべきだ。

2.「王様は裸だ」という子供に学び偏見に正しく向き合うべきだ。単な
る言い換えでは解決しない。事実と中身が大事。善意や同情を無意識に押
し付ける人もおり、徘徊する人が傷つけられてしまうこともある。 

3.認知症への薬物治療も進展している。徘徊は認知症に伴う行動・心理
症状を表すBPSD (behavioral and psychological symptoms of
dementia)の一つだ。一刻も早い徘徊の治療方法の確立を祈る(*1)。

高齢に向かう健常者の最大の悩みは「認知症になる恐怖」であるという。
膝の痛みや耳が遠くなる症状などより「人間としての自分が失われる」認
知症(認知失調症)の方がより怖い。私もまさにそうだ(*2)。

折しも、中国とロシアの党はC・マルクス生誕200年記念行事で高揚してい
る。朝日新聞は「万国の『徘徊』老人よ、団結せよ!」ではなく「万国の
『いいあるきの』老人よ、団結せよ!」と偽善的な煽動を行なうのだろう
か。(2018.5.15 千葉市在住)

(追記)
(*1)中島京子は小説「長いお別れ(2015)」で、認知症・徘徊の父を我
がことのように、我が腕に抱くように綴った。GPS携帯・携行騒動の悲喜
劇も。「長いお別れ(Long Good Bye)」とは認知症のことである。

(*2)足腰は超元気だが頭は不安な私。明日はわが身かも。「認知症鉄道
事故裁判(高井隆一2018)」を読んだ。認知症の父の線路立入妨害(死亡
事故)の損害賠償裁判でJR東海に最高裁で逆転勝利する8年間の貴重な実
録。しかし、明日!全国各地で100人が線路に入ったら・・・。国の「介
護の社会化」という掛け声が空しく響く。(了)

◆古寺旧跡巡礼・壺阪寺(奈良県高取町)

石田岳彦


昔々、沢市とお里という夫婦が大和の国におりました。

夫の沢市は眼病を患っており、妻のお里は眼病にご利益のある壺阪寺(つぼさかでら)に毎晩お参りにいっていましたが、沢市はお里が他の男のもとに通っていると邪推し、お里を問い詰めたのです。

お里から事情を聞いた沢市は、自らの狭量を恥じ、お里の勧めで、一緒に壺阪寺に篭り、ご本尊の千手観音に祈ることにしました。
 
お篭りの最中、沢市は自分の眼病のために苦労するお里を不憫に思い、自分が死ねば、お里が他の男と再婚できるだろうと考え、谷に身を投げてしまいます。これに気付いたお里は沢市の後を追って、やはり、谷に身を投げました。
 
しかし、互いを想い合う夫婦の愛を嘉(よみ)したもうた千手観音は2人の命を助け、そればかりか、沢市の眼病も直してくださいました。
めでたし。めでたし。

上記の感動的な霊異譚(ご都合主義が過ぎると考える人は心が穢れています。多分。また、沢市が身を投げる前にさっさと眼病を直してやれよという無粋な突っ込みを入れたくなった方は仏罰に気をつけましょう。

物事には話を盛り上げるためのタイミングというものがあり、仏様もそのあたりの空気は当然に読んでいるのです。)で有名な壺阪山南法華寺。通称、壺阪寺は奈良県中部の高市郡高取町にあるお寺です。

壺阪寺は、かの西国33番観音霊場の6番札所で、上でも述べたように、特に眼病についてのご利益で知られています。

創建は、寺伝によると大宝3年(703年)に弁基上人という方が拓いたということになっているそうですが、歴史学的には眉唾みたいです。もっとも、古代寺院の縁起は古事記や日本書紀にでも明記されていない限り、一般的に眉唾にならざるを得ないわけですが。

とはいえ、境内から藤原京(平城京の前の都ですね)時代の古い瓦が発掘されているので(本堂内にレプリカが展示されています。本物は奈良国立博物館です。)、遅くともそのころには寺が存在していたことになります。

近鉄吉野線の壺阪山駅から1時間に1、2本のバスに揺られて10分ちょっと。山の中腹にある終点バス停で降りるとそこは壺阪寺です。

壺阪寺の境内から逸れる形で山頂の方へ更に道が続いており、「高取城(たかとりじょう)はこちら」との立て札が立っていて、バスの同乗者の中には、リュックサックを担いでそちらに歩いていく人の姿も見受けられます。

この高取城は、日本三大山城(他の2つは岐阜県の岩村城と岡山県の備中松山城ということです。)の1つに挙げられているという大規模な山城で、私もそのうち行ってみたいと思っていますが、今回はスルーです。

壺阪寺の境内は、バス停のある駐車場から境内の奥に向かって段状になっており、参拝客は奥にある本堂、三重塔に向かって登っていく形になります。

仁王門の前は桜の並木になっていますが、私が行った際は、ちょうど散りかけのものが多く、あと1週間早く来ていればと惜しまれました。

仁王門をくぐって、まず、眼に入ってくるのは右手に建っている、いや、座られている石製の釈迦四尊(?)像。お釈迦様は本体10m、台座5mとかなり大型です。その手前に控える文殊菩薩と普賢菩薩はそれぞれ本体3m、台座2m。そして、十一面観音像が本体3.3m、台座1.5m。

お寺のホームページによると、文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」を、普賢菩薩は「行」、観音菩薩は「慈悲」を表しているとのことです。

文殊菩薩は釈迦如来の「智慧」、普賢菩薩は「慈悲」、そして観音菩薩は阿弥陀様の脇侍というのが一般的な知識で、私もそうだとばかり思っていたのですが、壺阪寺では独自の解釈をとっているのでしょうか。

この壺阪寺はボランティア活動に力を入れているお寺としても有名で、例えば、境内の一角で養護盲老人ホームを運営するのみならず、インド(お釈迦様の母国ということでしょうか)でハンセン病患者の救済事業を行っています。

この釈迦三尊像はそのお礼としてインドから贈られたものの1つだそうで、右手奥の遠方に見えている観音菩薩立像(全長20m)や後述のレリーフもインドから寄贈されたものだそうです。

心が洗われる話ではありますが、これらの石造物群は、壺阪寺の境内を我々が思い描くところの古寺の風景とかなり異質なものともしています。一参拝者の勝手な言い草ですけど。

階段を更に登ると右手に三重塔(重要文化財)、左手に礼堂(重要文化財)と本堂。三重塔の初層(一層目)特別開扉の案内板が立っています。

室町時代に現在の三重塔が再建されて以来、初めての公開ということで、平城遷都1300年祭の関連行事の1つです。

実のところ、今回、私が壺阪寺に十年ぶりに来る気になった理由もこの特別開扉なのですが、実際に一層目の中に入ってみると、中の壁には壁画も無く、柱の前に小ぶりな大日如来像と弘法大師像が1体ずつ置かれているだけという素っ気無さで「これだけ!?」と呆気にとられました。

決して皮肉ではないのですが、確かに、こういう機会(1300年祭)に誘われでもしないと、わざわざ特別公開しようという気にまではならなかったであろうなあ、と納得できてしまいます。ちなみに私が行ったのは春の公開の際ですが、秋も10月1日から12月18日まで公開しているようです。

三重塔の裏側には、これもインドから贈られたお釈迦様の一生を描いた巨大な石製のレリーフが並んでいます。

レリーフの前のところどころに各場面の詳細な解説も設けられているので、お釈迦様の一生を前世(仏教の教えでは、お釈迦様はシャカ族の王子として生まれる前に、何回も転生を繰り返しつつ、善行を積んでいたという設定になっています)から誕生、出家、苦行、悟り、布教、涅槃(死去)まで大画面(?)で追うことが可能です。

ただ、無彩色とはいえ、巨大な石造物ですので、三重塔の背景にこれが来るのは、やはり、かなり違和感がありますが。

お次は礼堂。礼堂は、ご本尊を祀る本堂の手前に設けられた大きめの建物で、壺阪寺の本堂が手狭なため、ご本尊の面前で多数の僧侶の参加する儀式を行うために建てられたようで、奥が本堂と繋がっていました。

礼堂の中には、インドでの慈善活動のための募金箱とインド製のアクセサリー(募金したら、好きなのをもって帰れます。)が置かれていて、募金した参拝者が持ち帰れるようになっています。

本堂は八角円堂という形式で、円堂というと法隆寺の夢殿や興福寺の南北の円堂が有名ですが、壺阪寺の八角円堂は裳階(もこし。飾りの屋根)が付いていて、屋根が二重になっているのが特色です。

去年から今年にかけ、西国33箇所の観音霊場のご本尊特別公開が行われていて、ちょうど壺阪寺でもご本尊の特別拝観が行われていました。ご本尊は千手観音の坐像で、比較的小ぶりです。室町時代に彫られたということで、色彩(全体的に赤く感じます)が比較的鮮やかに残っています。

礼堂を出て、更に奥に進むと沢市とお里が身を投げたという崖です。冒頭の2人の像もここに建てられています。柵から乗り出して下を見ましたが、草木が深くて、いまいち高低差は分かり辛いですね。

巨大な石造仏群については好みが分かれるところかも知れません。天気のよい日にハイキングがてら高取城とセットで回るのが楽しそうです。実行するには体力が問われますが。


2018年05月17日

◆米朝会談へ神経戦が最高潮

杉浦 正章


米「半年以内の核搬出」要求

北「体制の保障と平和協定」で瀬踏み

6月12日に開催予定のトランプと金正恩の米朝首脳会談に向けて、神経戦
が展開されはじめた。分析すれば米国が、「完全なる非核化」を要求し、
北はこれを拒否した上で体制の保障を求めている構図が浮かび上がる。

米国は北に対して核弾頭や大陸間弾道弾を半年以内に国外に搬出するよう
要求、その代償としてテロ支援国家指定の解除と金正恩体制の存続をちら
つかせているようだ。

しかし金正恩が命と守る核兵器を半年以内に搬出する可能性はゼロに近
く、米提案は駆け引き材料に過ぎまい。溝が埋まるにはほど遠い。

北朝鮮は16日、米韓空軍の定例合同訓練を理由に、南北閣僚級会談の中止
を一方的に通知し、第1外務次官金桂官が談話を発表した。談話は「大統
領補佐官のボルトンをはじめ、ホワイトハウスと国務省の高位官僚は『先
に核放棄、後に補償』方式を触れ回りながら、リビア核放棄方式だの『完
全かつ検証可能で不可逆的な非核化』だの、『ミサイルの生化学武器の完
全放棄』だのという主張を厚かましく繰り返している」と米国の要求を批判。

「これは対話を通じて問題を解決しようとするものではなく、本質におい
て大国に国を丸ごと任せきりにして、崩壊したリビアやイラクの運命を尊
厳高い我々に強要しようとする甚だ不純な企てだ」と強調した。

さらに金桂官は「一方的に核の放棄だけを強要しようとするならば、首脳
会談に応じるかどうかも再考せざるを得ない」と首脳会談再考も示唆して
いる。

 これに対しトランプは「われわれは何の知らせも受けていない。様子を
みてみよう」と述べ、北朝鮮の今後の出方を見極める考えを強調した。さ
らにホワイトハウス報道官のサンダースは、米朝首脳会談について、「重
要な会談だ」と指摘し、準備を進める考えを示す一方で「トランプ大統領
は、困難な交渉には慣れていて、その準備も整っている。

ただ、北朝鮮が会いたくないのなら、それでもいい。その時は、最大限の
圧力をかけ続けるだけだ」とすごんで見せた。北朝鮮が対話を選ばなけれ
ば、圧力を強める考えを示して、けん制したことになる。

しかし、“口撃”の厳しさは半島民族の“特性” であり、隘路を探してい
ることは間違いない。その一つとして、韓国大統領文在寅を通じてトラン
プの説得を要求している可能性が高い。

米韓首脳会談は22日に予定されており、北朝鮮が米韓合同航空戦闘訓練
『マックスサンダー』を理由に南北閣僚級会談を一方的に中止したのは、
米韓首脳会談に向けた思惑があるからにほかならない。

その意図は韓国を動かして、米国との首脳会談の際の北朝鮮の立場をより
正確に説明させようとしているのかもしれない。既に北朝鮮は韓国との閣
僚級会談を中止することで、F22などの戦略兵器が朝鮮半島に飛来するこ
とを望んでいないという意思を明確に示している。金正恩は北朝鮮の立場
をあらかじめ文在寅を通じてトランプに伝達してけん制しているのだろう。

そもそも北朝鮮の狙いは今年早々から明白だ。正月に金正恩は対話攻勢に
転じて、まず米国の同盟国である韓国の取り込みを図ってきた。金正恩と
文在寅の会談で準備段階を終え、いよいよトランプとの会談に向けた総仕
上げ段階に入っているのだろう。

北は体制の保障と平和協定締結を最終目標としている。また一連の言動は
米朝会談で主張する予定の重要なメッセージを米側にあらかじめ伝えて、
瀬踏みをしているのだろう。これに対して米側も半年以内の核搬出という
“高値”をふっかけて、妥協点を模索しているのが現在の図式だろう。

◆平和憲法重視の宏池会の外交方針では

櫻井よしこ



「平和憲法重視の宏池会の外交方針では国際政治の大きな変化に対応で
きない」

米朝関係を背後から操るのは中国である。米中関係の中で翻弄されるのは
韓国である。米中韓朝の四カ国が狙うのは日本国の財布である。他方、日
本は北朝鮮の核やミサイル問題も、そして拉致問題も解決しなくてはなら
ない。日本がどの国よりもしっかりと足場を固めるべき理由である。

国際政治の力学が大きく変化するとき、何よりも重要なのは世界全体を見
渡す地政学の視点だ。150年前の明治維新でわが国は大半のアジア諸国と
異なり、辛うじて列強諸国の植民地にされずに済んだ。当時の人々が、わ
が国に足らざるものは経済力と軍事力だと認識し、富国強兵の国家目標を
よく理解し、あらゆる意味で国力強化に力を尽くしたからだ。

しかし、もうひとつ大事な要因があったことを、シンクタンク「国家基本
問題研究所」副理事長の田久保忠衛氏は強調する。

「ペリーが来航した1853年にクリミア戦争が始まり、ロシアと英仏がオス
マン帝国を巻き込んで世界規模の戦いを繰り返しました。8年後、米国で
南北戦争が勃発、日本を窺うペリーらの脳裡には祖国の危機がよぎったは
ずです。明治維新の大業はこのような外圧の弱まりにも扶けられてなされ
たと思います」

政府と国民の意識の高まりと、外圧の弱まりの中で、150年前、日本国は
辛うじて国難を切り抜けた。

現在はどうか。中国の野心的な動きに明らかなように外的脅威が弱まる気
配は全く無い。国民、そして多くの政党にも、危機意識が高まっていると
は思えず、これこそ最大の危機だ。外的内的要因の双方から、現在の危機
はかつてのそれより尚、深刻である。

そう考えていたら宏池会が決意表明した。「宏池会が見据える未来 より
よきバランスをめざして」と題された提言を見て心底驚いた。安倍政権の
下で5年間も外相を務めた岸田文雄氏が長を務めるその派閥の提言がこれ
なのか。岸田氏が外相として展開した日本国の外交と、宏池会が見据える
未来は全く違うではないか。このギャップは何なのか。

宏池会の政策には三つの重要な柱が書かれている。(1)トップダウンか
らボトムアップへ、(2)対症療法から持続可能性へ、(3)自律した個
人、個性、多様性を尊重する社会へ、である。

また「K-WISH」として、Kind、Warm、Inclusive、Sustainable、humaneの
5つの英単語が掲げられた。日本国の総理を目指そうと言う政治家がな
ぜ、自分の思いを英単語の羅列で表現するのか、理解できない。

加えて、「Humaneな外交」の項には「平和憲法・日米同盟・自衛隊の3本
柱で平和を創る」と明記されている。だが、平和憲法の欠陥ゆえに、日本
は国際社会で苦労している。

宏池会の一員である小野寺五典防衛相は、私の尊敬する政治家の1人であ
る。防衛相として米国のみならず各国の軍事や安全保障に関連する実態を
知悉する氏にとって、日報問題に関する日本の国会論議のおかしさは、身
に沁みるものがあるはずだ。それはひとえに「平和憲法」と呼ばれる現行
憲法の虚構と欺瞞に満ちた立てつけゆえであろう。

また平和憲法では日本を守れず、日米同盟も維持できにくいことを、米国
政府首脳、とりわけ軍事専門家との対話で誰よりもよく理解しているの
が、防衛相の小野寺氏であろうに。
 
宏池会の3大課題の筆頭に「トップダウンからボトムアップへ」がある。
安倍氏の力強い「政治主導」の逆を行こうというのであろうか。安倍政権
打倒の政局に入ったのか。だとしても、宏池会の平和憲法路線ではこれか
らの国際社会の荒波は決して乗り越えられないだろうと思うがどうか。

『週刊ダイヤモンド』 2018年5月12日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 Number 1230

◆「痴呆」から「認知症」へ

向市 眞知


有吉佐和子さんの小説「恍惚の人」でボケ老人が話題になって、何年が経つでしょうか。「ボケ」も「痴呆」もやはり不適切な呼び方だと思います。やはり「認知症」「認知障害」が、用語としては適切と思います。
 
<脳生理学によれば、脳の神経細胞は140億個というとんでもないたくさんの数だそうです。しかし、実際に働いているのは40億個だけ。脳は20歳頃に発達を終え、脳のピーク時の重量は1400gだそうです。20歳のピークを過ぎると、1日に10万個ずつ脳の神経細胞がダメになっていき、脳細胞の数は日に日に減少。
 
1日に10万個、1年365日で3650万個が失われていき、10年で3億6500万個が失われ、30年で約10億個が失われる計算になります。すなわち20歳で40億個働いていた脳の神経細胞が50歳で30億個になり、80歳で20億個になる。つまりピーク時の重量より100gも重量が減るのです。>

この話を知った時、物忘れがひどくなって当たり前と納得してしまいました。一生懸命考えても考える脳の量が減っているのだから、思い出せないし覚えられなくて当然と思ってしまいました。人の名前が出てこない、ふと用事を思いついて立ってみたものの「さて何をするつもりだったのか?」わからなくなってしまう。まさしく老化の入口なのでしょう。

しかし、「認知症」となるともっともっと記憶の障害が強くなるわけです。よく言われるように自分が朝ごはんを食べたことさえも忘れてしまう。とすれば、一瞬のうちに自分のしたことを忘れてしまうという、とてもつらい体験のなかで暮していることになります。
 
1週間前の記憶、昨日の記憶、今朝の記憶も忘れてしまう。自分のしたことを忘れて記憶していないということは、記憶喪失に近い感覚で、体験の積み重ねができないことになります。

すなわち毎日毎日新しい体験ばかりが自分に降りかかってくるという、緊張とストレスの連続の中で生きてゆかねばならないことになります。そんな認識の中で生きている高齢者の辛さをまずわかってあげてほしいと思います。

「認知症」の人が、それぞれの脳に残された能力の範囲で一生懸命に世界を認識しようとしている。私達からみればその世界が非現実的でまちがっている世界であっても、高齢者からすれば他に考えようのない現実なのです。それを頭から否定されたらどうしてよいかわからなくなって、混乱におちいってしまうことになります。
 
「認知症」の人への対応の奥義は「(相手を)説得するより(自分が)納得する」ことです。しかし、だんだんと世の中の決まりごとを超えた行動をとりはじめるのが、「認知症」や「精神科疾患」の特長です。客観的に見ればありえない話が患者さんを支配します。

もの取られ妄想とか、しっと妄想といわれる行動です。たとえば妻が「ここに置いてあった財布を知らないか?」と夫にたずねたとします。夫が「知らないよ。見なかったよ。」と答えます。

夫の答えに対して通常妻は「おかしいなあ、どこへ置いたのかなあ。」と自分の態度を修正するのです。しかし、「認知症」となると自分の態度が修正できません。夫の「知らない。見なかった」という答えに対して「おかしい?!私の財布をとったな?!かくしたな?!」と思い始めるのです。
 
今のところ「認知症」に対する効果的な治療は見つかっていません。まず周りの者が「認知症」を理解し、対処のしかたを身につけることが現実的な道です。そして、その対処の仕方を授けてくれるのが、医療や介護の専門家です。

「老人性認知症疾患センター」という相談機関があります。精神科のある総合病院などに設置されており、大阪全域の場合、9ヶ所の病院にあります。ここでは、「認知症」についての診断と、医療・福祉サービスの情報提供を行っています。まずしっかりと診断を受けないことには対処方法も立てられません。

介護保険をはじめ福祉サービスをうける場合も、入院や施設入所をする場合も、すべて医師の診断書がなければ利用できないことをご存知でしょうか。診療をうける必要を感じない「認知症」の本人を診察につれて行くことが最大の難関となります。もし高齢者に認知症状を疑われたら、本人の身体に関する訴えに注意しておきましょう。

「もの忘れがひどくなった」とか「夜ぐっすり眠れない」という症状は、案外本人も自覚しているものです。それを理由に「受診」をすすめてみましょう。最近は「精神科」という看板ではなく、「もの忘れ外来」という看板をあげている病院もふえてきています。

「おしっこの出が悪い」でも何でも構いません。ご本人の訴えをもとに医師に診てもらうチャンスを作り出してください。精神科でなくても内科系の開業医でも「認知症」の理解はあります。受診にこぎつければ、医師は検査や服薬をすすめてくれます。

「おかしい」と気付いた家族が、本人の診察の前か後かに医師へ本人の在宅の様子を伝えておけば医師は上手に診察をしてくれます。家族の方々も皆それぞれに生活があるのですから、その生活までもが脅かされる問題行動が続く場合には、施設の利用も考えていかざるを得な
いと思います。         (了)
             大阪厚生年金病院 ソーシャルワーカー

2018年05月16日

◆中国、ついに切り札「王岐山」を

宮崎 正弘


平成30年(2018年)5月14日(月曜日)通巻第5701号 

 中国、ついに切り札「王岐山」を米国へ派遣
  劉?副首相では頼りにならない(?)。米中貿易戦争

劉副首相はワシントンで軽くあしらわれ、協議の成果は何一つなかった。
米中貿易戦争回避という特別任務は、彼の方には重すぎた。

それもそうだろう、米国の対中貿易協議の交渉団の布陣は、これほど対中
タカ派をよく揃えたと感心するほどにライトハイザーUSTR代表、ナバ
ロ通商政策局長、その後に控えるのがムニューチン財務長官とロス商務長
官だ。

彼らはトランプの姿勢に共鳴している男たちなのである。


米国の中国に対しての強烈な要求は202尾年までに対米輸出を2000億ドル
減らせというもので、具体的な工程を求めている。

でなければ1300品目に対して制裁関税を掛けると、脅しなのか、本気
なのか、この基本線を譲る構えはない。

北京での米中経済協議は物別れに終わり、5月第2週に中国はふたたび
劉?副首相をワシントンに派遣したが、たんなる経済学者相手に交渉して
も政治力がなければ交渉の決断は無理とばかり、冷遇されている。

そこで中国共産党は、とっておきての切り札、王岐山国家副主席をワシン
トンに派遣して、中国交渉団のトップに据えるかまえ。これまでアメリカ
からの受けも良く、対米交渉の責任者だった王洋は、すでに飾りのポスト
でしかない政協会議主席に回されており、蚊帳の外である。しかし王岐山
が渡米して、はたして何処までの進展があるか?

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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 「朝鮮侵略」などと言われたが、ようやく明かされた秀吉の朝鮮出兵の真実
  キリスト教の野望を潰えさせたばかりか、スペインは日本の脅威に備えた

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平川靜『戦国日本と大航海時代』(中公新書)
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折しも日本政府はユネスコに対して「潜伏切支丹」を世界遺産に登録する
ように本格的な働きかけをなし、登録が確実視されている。

熊本県、とくに天草の島西南部と、長崎県の長崎市外海、平戸などに散在
するキリスト教会、長崎市内の大浦天主堂など12の教会は切支丹伴天連が
禁止された時代を生き延び、マリア像を貝殻などに偽装して「隠れ信者」
を集めたという。

評者(宮崎)はこれらの教会をほとんど見ているが、天草の隠れ教会は岸
壁に位置していたり、外海の各地でも美観をほこる場所にひっそりと建っ
ている。この因縁からか遠藤周作文学記念館は、外海の崖っぷちに建つの
である。

しかし、なぜ禁教に至ったかを日本政府は先に国際社会に説明しなければ
ならないだろう。「世界遺産」をこのまま登録されては、日本がまるで時
代錯誤的な宗教弾圧国家と誤解されないからだ。

日本は当初、キリシタンバテレンに寛大だった。

本書はかかるべくして書かれた、正当な歴史書である。あの大航海時代
に、世界を荒らし回ったスペインとポルトガル。しかし日本は世界最強の
スペインの侵略を跳ね返したばかりではなかった。スペインは植民地化し
軍事拠点としていたフィリピンで厳重に武装を固め、日本からの攻撃に震
えながら備えたのだ。

こうした真実は長きにわたって歪められて解釈されるか、無視され続けた。

近年、キリスト教の宣教師たちが侵略の先兵だったことは広く知られるよ
うになった。貿易の利を吹聴しつつ、ホンネはキリスト教の武装集団を日
本国内に組織化し、いずれ国家を転覆して日本をまるごとキリスト教の植
民地にする。日本に運ばれる珍品は、ときに彼らが倭寇も顔負けの海賊行
為を働き、ほかの貿易船から盗んできた。ようするに南蛮船とは海賊船と
同義語でもあった。

異教徒の宣教師が日本に上陸して布教を始めたのは九州が最初だった。大
友氏、島津氏、そして長州では大内氏がめずらしくもあった異教に寛容
だった。なにしろデウスと日本の神様が似ているという故意に歪曲された
解釈がまかり通ったからだ。マリアは観音様に模された。

いくつかの領内では仏教寺院が破壊され、仏僧らは強く抗議していた。に
もかかわらず信長はキリスト教の布教に異様なほど寛容だった。

信長は比叡、石山ならびに伊勢の一向一揆に手を焼いており、この当面の
敵に対応するためにキリスト教を利用しようとした。

 信長が派手に演出して正親町天皇も列席した「馬揃え」(軍事パレード)
は、お祭りだったという浅薄な解釈があるが、この馬揃えには宣教師の
ウォリヤーノ(イエズス会インド管区巡察師)も招かれていた。驚くべ
し、天皇と異教宣教師が同席したのである。それ以前に正親町天皇は、伴
天連追放の綸旨をだしていたにも拘わらず。

平川氏は、これを「このパフォーマンスは諸大名向けというに留まらず、
まさに天皇とイエズス会の上に信長が君臨するというメッセージ」だと解
釈する。

「ザビエルが来日してから、わずか40年にして、日本のキリシタン人口は
約20万人あるいは30万人に達したといわれている。この勢いに気をよく
したイエズス会は、切支丹大名を支援して日本をキリスト教国に改造する
ことを構想していた」。

 そのうえ日本人を拉致し、アジアからインドへ奴隷に売り飛ばして巨富
を稼ぎ出した。戦国大名の何人かをキリスト教で洗脳し、当該藩内では寺
院を打ち壊した。まさにキリスト教の野望、とどまるところがなかった。
 あまつさえキリスト教になった大名を煽動して、シナ侵略の手先につか
えば、日本の武士の戦闘力は高いから、きっと役に立つと述べている宣教
師らの本国への報告文書が、次々と発見されている。

秀吉は早くからその脅威を認識していたが、全面禁止に到らなかったの
は、かれらが運んでくる文明の利器、世界情勢に関する鮮度の高い情報が
必要だったからである。

しかし「朝鮮出兵によって日本は、朝鮮および明国の軍隊と干?(かん
か)を交え、それと前後して、世界最強といわれたスペイン勢力にも服属
を要求するなど、強硬外交を展開した。朝鮮出兵という、日本による巨大
な軍事行動は、スペイン勢力に重大な恐怖心を与えた」

フィリピンに駐在したスペイン提督はマニラに戒厳令を敷いたほどで軍事
大国としての日本の存在は以後、世界史に登場することになる。

フロイスやヴァリヤーノよりも強烈な野心を研いで日本侵略の野望を捨て
なかったのはコエリョだった。コエリョは日本準管区長であり、日本にお
ける信者獲得実績を誇大に報告して成績を上げることにも夢中だった。
 「コエリョは大量の火縄銃の買い付けを命じるとともに、有馬晴信や小
西行長などの切支丹大名に反秀吉連合の結成を呼びかけた」うえ、「フィ
リピンの総督や司教に対して援軍派遣を要請した」

むろん、コエリョの要請をマニラのトップは拒否した。戦っても日本の軍
事力に勝てるという自信がなかったからだ。

家康の時代になっても、キリスト教宣教師らは野望を捨てていなかった。
 家康に巧妙に近付き、御追従と嘘を繰り出しつつ、何としても布教権を
獲得しようと多彩な工作を展開した。

日本をキリスト教国に仕立て直し、スペイン国王の支配下におく企みは進
行した。ただし、「日本の強大な軍事力を前にして、武力による征服は不
可能と悟った」がゆえに、「布教による日本征服」という遠大な方針に切
り替えたのだ。

メキシコやインディオを残虐な方法で殺戮し、植民地支配を拡げてきたス
ペインは、フィリピンまで征服し、次のシナ大陸進行の橋頭堡を確保する
ために日本を征服するという基本構想をすてた。

臨時フィリピン総督なったビベロが、日本各地をまわって、「要塞堅固な
城郭に驚嘆し」(中略)「日本の軍事力の強大さ、強硬な日本外交を肌身
に染みて感じていた」からに他ならない。

つまり「日本を征服するどころか、逆にマニラが日本によって征服される
のではないかとすら恐れていた」。

 家康は新興勢力だったイギリスとオランダを重宝し、彼らが「布教を条
件としない」のであれば、貿易を認める。それが平戸と出島だった。

こうして明らかとなってきたことは、秀吉の正確な国際情勢の認識と対応
の迅速さであり、戦後、日本の歴史学が閑却した朝鮮出兵の真実が明らか
になったことである。

また秀吉のあとを継いでキリストの布教に潜む野心を把握していた?川は
布教の許可には慎重な態度を崩さず、一方で折から台頭してきた英国とオ
ランダの情報を分析してバランスを取り、とくにオランダを貿易で徹底利
用した。

当時の日本の指導者には歴史を冷静に客観的に判断できる、確かな目が
あったことである。

ともかく信長がキリスト教の宣教師を保護し、布教を認めた背景を理解す
るには、当時の政治学的な状況を勘案しなければならない。信長の行く手
を阻んだのは比叡であり、雑賀であり、しかも寺社勢力は武装していた。
信長自身は法華経を信じていた。比叡の軍事力を殲滅するには新興宗教の
力が必要だったうえ、かれらがもたらした火縄銃という、新兵器の魅力も
大きかった。

秀吉が前期にキリスト教に寛大だったのは、信長の後継として、外国から
もたらされる文明の利器と、マニラを経由して入ってくる国際情勢の
ニュースだった。しかし宣教師らを通じて得た情報とはキリスト教の布教
の裏で、日本の美女をおびただしく拉致し、売春婦として西欧に運んだこ
とであり、また同時に一神教の凶悪な侵略性だった。

切支丹伴天連の大名だった高山右近は、領内の寺社仏閣を破壊する凶暴性
を示し、やがてキリスト教徒が日本を侵略する牙を研いでいることを秀吉
は知って追放に踏み切った。

家康はもともと浄土宗の信者である。

三河時代から一向一揆の反乱に手を焼いて、大樹寺に助けられて以来、浄
土真宗をいかに政治に取り入れるかに腐心し、同時に家康はスペイン、ポ
ルトガルとは異なった一派が勢力を拡げている事情を英国人ウィリアム・
アダムスとオランダ人のヤン・ヨーステンから知った。

それゆえキリスト教の布教を認めず、しかし貿易のために英国には平戸を
解放し、オランダ人も通商だけに専念するとする理由で長崎出島の活用を
許した。

布教は御法度だったが、天草では反徳川の不満分子が反乱を起こしたた
め、これをようやくにして鎮圧し、以後は「鎖国」として、キリストを封
じ込めたのである。

明治政府は、文明開化を鮮明にしてキリスト教の布教も許さざるを得なく
なったが、同時に防波堤が必要であり、国内のナショナリズムを高めるた
めに日本古来の神道の復活を奨励し、薩摩や水戸では過激な廃仏毀釈がお
きた。かようにして宗教とは政治とが一体となれば、イランのような狂信
的イスラム国家を産むように、政治と宗教は切り離すことが近代の政治の
テーマとなった。

いずれにせよ、本書は今日までのキリスト教を誤解してきた迷妄を打ち破
る快心作ではないかと思う。
             

◆米国が求める形の非核化目指す北朝鮮問題

櫻井よしこ



「米国が求める形の非核化目指す北朝鮮問題 「リビア方式」による
解決可能性を示唆か」

4月17日の日米首脳会談で、ドナルド・トランプ米大統領は安倍晋三首相
に、「極めて高いレベルで北朝鮮と直接対話している」と語り、その後記
者団が「金正恩氏と直接話しているのか」と問うと、「イエス」と答え
た。マイク・ポンペオ中央情報局(CIA)長官が3月30日から4月1日の
復活祭の連休を利用して訪朝したのだという。

いま米国の対北朝鮮外交はトランプ氏の意向を汲むポンペオ氏に加えて、
国家安全保障問題担当大統領補佐官のジョン・ボルトン氏が軸となって構
築されている。3氏共に、非核化の話し合いが失敗すれば、軍事オプショ
ンもあり得るとの考え方だ。

ポンペオ氏は正恩氏と話し合いをした後の4月12日、上院外交委員会で行
われた国務長官への指名承認公聴会で、正恩体制の転換は考えていないと
明言すると同時に、非核化に関して、「見返りを与える前に恒久的かつ不
可逆的な成果を得ることを確実にする」と述べた。

米国側の一連の動きは北朝鮮問題が「リビア方式」による解決に向かう可
能性を示唆するのではないか。

これはリビアの最高指導者、カダフィ大佐が選んだ非核化の道である。カ
ダフィ氏は秘密裏に大量破壊兵器の製造を進めていたが、2003年12月にイ
ラクのサダム・フセイン元大統領が地中に潜んでいたところを米軍に拘束
されたのを見て、震え上がった。カダフィ氏はその3日後に大量破壊兵器
を放棄する意思を世界に宣言した。

CIAと英国の秘密情報組織、MI6の要員を含む専門家集団がリビア入
りし、核兵器、核製造に必要な関連物資、核運搬用のミサイル、製造施
設、一連の計画に関する書類など全てを押収、化学物質はリビア国内で米
英作業部隊の監視の下で破壊され、書類は全て国外に持ち出された。

カダフィ氏は全てを受け入れて生き延びた。但し、彼は10年にチュニジア
でいわゆる中東の春と呼ばれる民主化運動が始まり、その広がりの中で11
年に群衆に殺害された。

正恩氏が核を放棄すれば、カダフィ氏やフセイン氏のように命を奪われる
という言説があるが、右の2つのケースが伝えているのは全く別の教訓で
はないか。フセイン氏は核兵器を持っていなかったが持っている振りをし
て査察を拒否し、米軍に殺害された。カダフィ氏は核兵器製造を明らかに
し、査察を受け入れ、8年間生き延びた。氏を殺害したのは前述したよう
に、リビアの国民であり、それはカダフィ一族による専制恐怖政治が招い
た結果だ。

2人の指導者の異なる運命を正恩氏が把握すれば、どちらを選べば氏の命
脈が守られるかわかるはずだ。

トランプ氏は安倍首相との共同記者会見でも「成果が期待できなければ米
朝首脳会談は実現しない。会談が実現しても実りがなければ退席する」と
語っている。正恩氏に圧力をかけ続け、米国の求める形の非核化実現を促
しているのだ。

安倍首相とトランプ氏は19日午前の共同記者会見で拉致問題についても
語った。トランプ氏は拉致被害者について、「日本に帰れることを大事に
考えている。私はこのことをシンゾーに約束した」と語った。救う会会長
の西岡力氏は語る。

「CIAは北朝鮮の情報当局にも接触しており、拉致被害者についても語
り合っていると思われます。その中で拉致被害者生存情報を得ているので
はないでしょうか。その上で拉致被害者の帰国に言及しているのです。勿
論、甘い期待はできませんが、拉致問題解決に向けてよい兆しだと思います」

国際政治は動いている。多くの日本人の命と運命がかかっている。国とし
てどう動くべきか、正念場である。日本の国会はもっとこうした大事な問
題に向き合うべきだ。
『週刊ダイヤモンド』 2018年4月28日・5月5日合併号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1229

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十


今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

毛馬一三氏が先日レポートしたとおりで、初動がこの病気治療の決め手で
ある。他山の石とされたい。