2018年06月17日

◆米国の真の相手は

櫻井よしこ



「米国の真の相手は、北を支える中国だ」

世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もまた中
国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1日、基
調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。

そこで、中国が影響力を及ぼし得る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうと
いう意図が見える。中国はアジア安全保障会議に取って代る、中国主導の
安全保障会議を創り出したいのである。

彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ投資銀行
(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅きつけられ
て多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策に魅きつ
けられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾旅行法を、上院は
党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学上、台湾擁護は南
シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海として維持するに
は台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。

『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回

◆「あたる」前に必ず「かする」

石岡荘十


旧聞に属すが、ベテラン俳優若林豪さんが2008年3月5日、倒れた。若林さんは小林幸子特別公演「天勝物語」で小林扮する天勝の師匠松旭斎天一役で、名古屋市の御園座に出演していた。

しかし、若林さんの体調は思わしくなく、「セリフもよく入っていなかった」という。この日も昼の部に出演したが、本番を終了直後に病院に向かった。医師の診察を受けて手術が行われた。
 
病名「慢性硬膜下血腫」というのは、脳の血管が切れて脳を覆っている硬膜とその下の脳との隙間に血(血腫)が貯まる病気で、血腫が脳を圧迫する病気だ。

病名は違うが同じ脳疾患で、脳の血管がつまったり、破れたりして、その先の細胞に栄養が届かなくなる「脳卒中」で倒れることを、昔から業界では「あたる」といい、一過性の前ぶれを「かする」という。

つまり「あたる」前に必ず「かする」前兆がある。

したがってこの段階で、“適切な”治療を受けていれば、頭蓋骨を開くというような恐ろしい経験をしなくとも済むかもしれないのだ。

新聞やテレビの報道を総合すると、座長の小林幸子さんは、「2日ほど前、若林さんが小林の楽屋に顔を出し、セリフが引っかかっちゃってゴメンネと謝りに来た。その時は、『長いセリフで大変でしょう』ってお話しはしました。
それが、まさかこの前兆だったと思うと言葉もありません」と話したという。テレビの芸能ニュースでは「右肩がなんとなく下がっているような気がした」と語っている。

このやり取りから判断すると、当時68歳の本人も54歳の座長もいい年、つまり心臓疾患や脳疾患の“適齢期”だというのに、これが重大な病気の前ぶれだと判断する知識をまったく持ち合わせていなかったようだ。

したがって、舞台を降りてでも病院に行くという発想には行き着かなかった。

「舞台に穴を開けられないと頑張ったのでは」と有名な仲間の芸能人が若林さんの芸人根性を褒めたつもりで感想を洩らしていたが、バカ丸出しだ。

もし「あるいは---」と感じながら、無理を通そうとしていたのなら、この年代にとって残った人生で何が一番大切なことか、プライオリティー、つまり優先順位について発想の転換が出来ていなかったということだろう。

変な言い方だが、ポックリいければまだいい方で、160万人以上が半身マヒや言語障害という後遺症で苦しんでいる。

本人だけではない。家族が、大きな負担を強いられることを考えると、「自分に限って---」などという根拠のない楽観は捨て去った方がいい。

救いは、心臓も脳も「あたる」前に「かする」、つまり前兆があるということだ。

その脳疾患の前兆は、
・ 片方の手足がしびれる
・ 持っているものをポロリと落とす、
・ 思っていることが言葉に出てこない、
・ ろれつがまわらなくなる
などなどだ。

心臓の血管(冠動脈)が狭くなる狭心症、完全に塞がる心筋梗塞も高齢者に多い疾患だが、よくよく思い出すとほとんどの人にその前兆がある。

血圧が高い、胸が痛くなったり、なんとなく重苦しい感じがしたりするが15分かそこらで治まるので、「ああよかった」とやり過ごす。

人によっては左の奥歯が痛くなったりうずいたりすることもあるが、このように心臓から遠いところに違和感を覚える人もいる。

これを専門的には「放散痛」というが、大概の人はこれが心筋梗塞の前兆であることに気づかない。

こんなときには、バカにせず、24時間緊急対応をしてくれる専門の医師と検査体制の整った病院へ行って診察を受けることが大切だ。
 
私は、10数年前からかすった段階で診察を受け、診察券を確保して、これを外出のときも肌身はなさず携帯して歩いている。

そのくらいの心掛けがなければ、attackでよしんば一命をとりとめても、半身不随では快適な老後は過ごせない。

よくよく振りかえると、ほとんどの高齢にかすって経験があるはずだ。「ああ---」と思った以上に多くの高齢者が、膝を叩くに違いない。

2018年06月16日

◆のど自慢に出場したのだ

渡部 亮次郎


1946(昭和21)年のこの日、NHKラジオで「のど自慢素人音楽会」が開始
され、それを記念してNHKが制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関
だった。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。1946(昭和21)年のこの日、NHK
ラジオで東京)「のど自慢素人音楽会」が開始され、それを記念してNHK
が制定した。

第1回の応募者は900人で予選通過者は30人、実に競争率30倍の超難関で
した。

今でも12倍を超える人気長寿番組とか。

私も高校生のころ、秋田市での大会に出場、合格した。受験戦争ムードに
反発したもの。歌ったのは「チャペルの鐘」

   作詞:和田隆夫
   作曲:八州秀章

1)なつかしの アカシアの小径は
 白いチャペルに つづく径
 若き愁い 胸に秘めて
 アベ・マリア 夕陽に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

2)嫁ぎゆく あのひとと眺めた
 白いチャペルの 丘の雲
 あわき想い 風に流れ
 アベ・マリア しずかに歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

3)忘られぬ 思い出の小径よ
 白いチャペルに つづく径
 若きなやみ 星に告げて
 アベ・マリア 涙に歌えば
 白いチャペルの ああ
 白いチャペルの 鐘が鳴る

この歌を聞くと、なぜか札幌の時計台を思い出す。理由は分からない。で
もあれは時計台であってチャペルではない・・・。では「チャペル」とは
何ぞや? Wikipediaによると、「チャペル (Chapel) は、本来クリス
チャンが礼拝する場所であるが、日本では私邸、ホテル、学校、兵舎、客
船、空港、病院などに設けられる、教会の所有ではない礼拝堂を指してい
る。」
とある。どうも教会の礼拝堂はチャペルとは言わないらしい。結婚式場が
チャペルだ。

でもこの歌詞は、何とも淡い恋でいいな〜。(オジイサンには縁が無い
が・・・)

白いチャペルか・・・

フト、2年前の今頃、オーストリアに行って教会を見た事を思い出した。
ヨーロッパはどこに行っても教会だ。2年前は2週間掛けてオーストリアを
一周したが、オーストリアでも、どこに行っても尖塔の教会があった。中
でも有名で「これどこかで見た事がある・・」と思った教会が二つあっ
た。ハイリゲンブルートの教会とハルシュタットの教会である。この歌と
はあまり関係ないが、“絵になる”教会の写真を見ながら、岡本敦郎の歌を
聞くもの一興か?

大学を出てNHKで記者になった。

政治部所属に成ってある夜、新宿のスナックでうたっていたら、見知らぬ
男に声をかけられてびっくりした。「うちへ入りませんか」という。名刺
には「ダニー飯田とパラダイスキング」とあった。「政治記者から歌手へ
転身」というのがおもしろいというのだ。

記者の仕事が面白くてたまらない時期だったこともあって断った。

あれから50年。まったく歌う機会が無いままにすごしたから今では歌は聴
くものと心得ている。所蔵CD1000枚。2013・10・29

◆米国の真の相手は、北を支える中国だ

櫻井よしこ


世界の安全保障問題専門家が集うアジア安全保障会議では、今年もま
た中国への物言いが際立った。シンガポールでの3日間の会議で、6月1
日、基調講演に立ったのはインドのナレンドラ・モディ首相である。

モディ氏はインド・太平洋の在り様が世界の運命を定める重要な要素だと
し、「大洋が開かれているとき海の安全が保たれ、国々は結ばれ、法治が
ゆきわたり、地域は安定し、国家は大小を問わず主権国として栄える」
と、謳った。

どこから聞いても、南シナ海のほぼすべてが自国領だと主張し、第1及び
第2列島線で米国の進入を防ぎ、インド・西太平洋に君臨しようとする中
華大帝国思想への批判である。インドは「東に向かえ」政策(Act East
Policy)の下で、日、米、豪を筆頭にASEAN諸国やロシアを含めた大
同団結で、平和で繁栄するインド・太平洋圏を構築すると語った。

翌日は、ジェームズ・マティス米国防長官が演説した。小野寺五典防衛相
のマティス氏の人物評は、「極めて物静か、人の話に耳を傾ける、控えめ
に話す」である。そのとおりに、マティス氏は冷静な口調ながら、冒頭か
ら鮮やかに切り込んだ。

「私にとって2回目の参加です。専門家が集い、自由で開かれた海として
のインド・太平洋の重要性を共通の認識とする最高の機会です」

「昨年は主として耳を傾けました。今日、私はトランプ政権のインド・太
平洋戦略を共有してもらうために来ました」

無駄な修飾語のひとつもなく、事柄の核心だけを淡々と述べる。それは自
ずと中国への批判となった。

「米国は台湾との協調関係を誠実に守ります。台湾関係法に基づいて台湾
の自主防衛に必要で十分な防衛品を供給し、助力、協力します。如何なる
一方的な現状変更にも反対し、(台湾海峡の)両岸の人々の意思が尊重さ
れなければならないと主張します」

習主席が語った言葉

台湾に対する中国の一方的手出しは看過しないと言明した、この突出した
台湾擁護には、実は背景がある。トランプ大統領は昨年12月、6920億ドル
(約79兆円)の軍事予算を定めた国防権限法案に署名し、台湾への手厚い
対策を実現しようとした。高雄を含む複数の港に米海軍を定期的に寄港さ
せ、台湾海軍も米国の港に定期的に寄港することを許可し、台湾の自主潜
水艦建造、機雷製造など水中戦力の開発を技術的、経済的に支えようとした。

ところが中国が猛烈な巻き返しに出た。米議会への中国のロビー活動は凄
まじく、法案は事実上骨抜きにされた。だがトランプ氏も国防総省も引っ
込みはしない。トランプ氏はすでに台湾の潜水艦の自主建造に必要な部品
の輸出の商談を許可し、シンガポールではマティス長官が前述の台湾擁護
の演説をしたのである。

マティス氏は「南シナ海における中国の政策は我々の『開かれた海』戦略
に真っ向から対立する。中国の戦略目標を疑わざるを得ない」と語り、
「南シナ海の軍事化で対艦ミサイル、対地・対空ミサイルが配備され、電
波妨害装置が導入され、ウッディー島には爆撃機が離着陸した。恫喝と強
制だ。ホワイトハウスのローズガーデンで2015年に(南シナ海人工島は軍
事使用しないと)習(近平)主席が語った言葉と矛盾する。こうした理由
ゆえに我々は先週、環太平洋合同軍事演習(リムパック)への中国の招待
を取りやめた」と、説明したのである。

軍人出身らしい無駄のない極めて短い表現で、事実のみを淡々と披露した
マティス氏に、例の如く中国側は激しく反論した。

今回の会議に中国代表として参加していた人民解放軍軍事科学院副院長の
何雷(ホーレイ)中将は「米軍の航行の自由作戦こそ、南シナ海の軍事化
だ」と反論した。他方、中国外交部は、マティス発言以前に華春瑩(ファ
チュンイン)報道官が米国の南シナ海に関する発言に対して「盗人猛々し
い狡猾さ」だと口汚い非難を展開済みだ。

決して自分の非を認めず必ず他国のせいにするのが中国だが、彼らは昨年
から、大物をアジア安全保障会議に派遣しなくなったと、「国家基本問題
研究所」研究員、太田文雄氏が指摘する。現に今年の代表の階級は中将だ。

「ここ数年、シンガポールに行く度に彼らは国際社会から総スカンを食
らってきました。国際社会の中枢勢力と折り合うのを諦めて、独自の道を
模索し始めたのではないでしょうか。それが香山フォーラムです」

トランプ大統領は大丈夫か

香山フォーラムは06年の創設である。米国、日本、インド、NATO諸国
など、自由と法治を尊ぶ国々の価値観に基づく安全保障論は、どこまで
いっても中国のそれとは折り合わない。そこで、中国が影響力を及ぼし得
る国々を集めて軍事の世界を仕切ろうという意図が見える。中国はアジア
安全保障会議に取って代る、中国主導の安全保障会議を創り出したいので
ある。彼らは64か国が集まったと喧伝する。アジアインフラ投資銀行
(AIIB)や一帯一路(OBOR)構想には中国マネーに魅きつけられ
て多くの国が参加した。しかし中国の軍事力やその安全保障政策に魅きつ
けられる国々は、現時点では多くなく、影響力も小さい。

ただ、中国の意図を過小評価してはならないと思う。彼らはハーグの国際
司法裁判所の中国版の創設も目指している。金融、経済、軍事、司法など
の全ての分野において中国式のルールを打ち立て、それによって世界を支
配しようと考えているのは明らかだ。

まさに価値観の闘いに、中国は本気で挑んでいるのである。そのことに私
たちは気づかなければならない。米国は、少なくとも国防総省や通商代表
部などの行政組織、それに立法府である議会、とりわけ上院は十分に気づ
いているはずだ。

だからこそ、米国と台湾の要人の往来を自由にする台湾 旅行法を、上院
は党派を超えて全会一致で支持したのではないか。地政学 上、台湾擁護
は南シナ海の安定に直結する。インド・太平洋を開かれた海 として維持
するには台湾を死守しなければならないという認識であろう。

米中の価値観は全く異なる。対立の根は深い。その中で北朝鮮問題に関し
てトランプ大統領の姿勢は大丈夫か。トランプ氏は、中国が北朝鮮を支え
始めてから金正恩朝鮮労働党委員長が変化したと批判した。

中国の支援があるからこそ、北朝鮮は朝鮮半島の非核化とは言っても、
「完全で検証可能かつ不可逆的な核廃棄」(CVID)とは決して言わない。

北朝鮮の路線に乗る限り、トランプ氏の交渉はそれ以前の政権と同じく失
敗に終わるだろう。トランプ氏はその元凶の中国にこそ厳しく対峙しなけ
ればならないのである。
『週刊新潮』 2018年6月14日号 日本ルネッサンス 第806回



◆私の「古寺旧跡巡礼」 当麻寺A

石田 岳彦


当麻寺は、境内の南側に2つの三重塔があり、その北側に金堂、更にその北側に講堂があるという、薬師寺と同じ伽藍の配置ですが、スペースが足りなかったのか、敷地の南側は丘になっていて、2つの塔は斜面を削り取って造成された高台に建てられています。

しかも、金堂と講堂の西側に本堂が東向きに建っていて(講堂と金堂は南向き)、大門(正門)が南ではなく、東側にあり(金堂ではなく、本堂に合わせているようです。)、更に金堂と東西の塔の間に2つのお坊が割り込み、西塔と東塔の間にもやはりお坊が建てられるなど、平地に整然と建物が並んでいる薬師寺に比べて、かなりのカオス状態です。

そこに見えている2つの三重塔に境内案内図で通路を確認しながらでないと辿り着けないというのですから、何時か、何処かで、何かを間違えてしまったに違いありません。

 金堂とはその寺のご本尊となる仏像がまつられているお堂で、本堂とはその寺の中心的なお堂をいいます。講堂は仏法についての講話を聴くための場所となるお堂です。

 古代からの寺院の場合、法隆寺、東大寺、興福寺、薬師寺、唐招提寺等のように、金堂はあっても、本堂とはされていない(つまり、その寺院に「本堂」と呼ばれる建物がない)ことが多いようです。仏舎利をまつった塔が伽藍の中心という考えが強かったためでしょうか。

 他方、比較的新しい時代のお寺では、金堂=本堂で、単に「本堂」と呼ぶことが多く、いずれにしても、金堂とは別に本堂があるという当麻寺のようなお寺は珍しいです(ざっと調べた範囲では、有名な寺院だと、他に室生寺くらいです)。

 もともと当麻寺は、聖徳太子の異母弟の麻呂古王(日本書紀によると当麻氏の祖とされています)が開いた寺を、当麻国見(たいまのくにみ)が現在の地に移したとされる(あくまでも寺伝で、実際のところはよく分かっていないようです)、金堂を中心とするお寺でした。

 しかし、後世に中将姫伝説が有名になってしまい、もとから存在した金堂とは別に、中将姫お手製の曼荼羅をまつったお堂(曼荼羅堂)が「本堂」に昇格してしまったため、「金堂」と「本堂」が並存するという珍しい状態になったようです。

本堂にある受付にいって、本堂、金堂、講堂の拝観共通券を買います。国宝の本堂は瓦葺で、寄棟造(屋根の形状で、棟から4方向に傾斜する屋根面を持つもの)、平入り(床が長方形の建物で、広い辺の側に入り口があることをいいます)と、仏教寺院の本堂としては、オーソドックスな形をしています。

上記のように中将姫の織った曼荼羅をまつるお堂で、奈良時代末から平安時代初期に建てられたものが、平安時代末期に改造されて現在の姿になったということです。

 本堂の中央に立派な須弥檀(しゅみだん)があり、その上にやたらとでかい厨子が載っています。奈良時代末から平安時代の初期に作られたものといわれているそうです。

 厨子の中に飾られている曼荼羅(約4m×4mというでかさです。厨子がでかくなるのも当然です)は、まさしく中将姫により織られた伝説の曼荼羅・・・ではなく、残念ながら、室町時代に作られた複本ですが、それでもかなりの古さを感じさせます。というか、相当に傷んでいます。

ちなみにオリジナルは更に傷みが激しいらしく、原則として非公開になっていて、私もいまだに実物にお目にかかったことがありません。オリジナルの写真を見ましたが、思わず「傷み」を「悼み」と誤植したくなるくらい、相当に傷んでいます。

 阿弥陀様が中央に座っていて、その周囲を多くの菩薩が囲み、後方に描かれた横長の建物は平等院鳳凰堂のモデルになったということですが、退色に加え、曼荼羅の上に金網が張られているので、細かな部分までは分かりません。

ちなみに厨子の蓋(現在残っているのは鎌倉時代に作られた後補のものですが)は取り外されていて、時々、奈良国立博物館に展示されています。黒漆の地に金蒔絵というシンプルながら豪華な一品です。

 厨子の右側には中将姫の念持仏と言われる十一面観音像がまつられており、弘仁時代(平安前期。810年−823年)の作といわれています。

「奈良時代に亡くなったお姫様が、何故、平安時代に作られた観音様を拝めたのだろう?」という素朴な疑問は忘れて、素直な心でお参りしましょう。歴史考証というものは、少なからずロマンと対立するものです。     <弁護士>                    

2018年06月15日

◆トランプの「軍事演習中止」発言の浅薄さ

杉浦 正章


「カネ節約」と商売人根性丸出し 安倍は日朝首脳会談も視野に

群盲象をなでるというか、百家争鳴というか。トランプと金正恩の会談を
めぐって議論が百出している。その理由はトランプが「詰め」を怠った結
果だ。

アバウトで危うい「合意」が、混乱や困惑を世界中にまき散らしているこ
とをトランプ自身も分かっているのだろうか。首相・安倍晋三も金正恩と
の首脳会談を実現し、極東の安全保障を確立させるための直接対話を実現
させるべきだが、それには拉致問題の成果もある程度見通せるようになる
必要がある。

日米は非核化で北朝鮮から大きな譲歩を引き出せない限り、軍事的な圧力
を弱めるべきでないことは言うまでもない。

トランプの高揚感は、自己顕示欲もともなってすさまじい。会談後「金委
員長と私はたった今、共同声明に署名した。

彼はその中で『朝鮮半島の完全な非核化への揺るぎない決意』を再確認し
た」と、記者会見で“成果”を強調した。「われわれはまた、合意実現のた
めできるだけ早期にしっかりした交渉を行うことで一致した。

彼(正恩氏)がそれを望んでいるのだ。今回は過去とは違う。一度もス
タートすることなく、それゆえやり遂げることもなかった政権とは違う」
と述べた。どうもトランプは過去の政権との比較を臆面もなく持ち出す傾
向が強いが、オバマをはじめ歴代大統領なら、現状に合わせた対応は当然
している。トランプこそ唯我独尊の露呈を戒めるべきだ。

トランプと金正恩が決めた合意文書自体は「朝鮮半島の平和と繁栄に貢献
する」ことを約束し、「トランプ大統領は(北朝鮮に)安全の保証を提供
することを約束した」となっている。極めて大まかな合意である。

金正恩の述べた「朝鮮半島の完全な非核化への揺るぎない決意」は立派だ
が、その非核化の時期や方法、具体的な対象についての細部は文書に存在
しない。

トランプは記者会見でこれを「時間がなかった」せいにした。だが、極め
て重要な意味を持つのはその細部なのだ。というのも過去に米政権が細部
を詰めなかった結果、北朝鮮は何度も約束をほごにしてきた。

北の「やらずぶったくり」路線は、毎回成功してきたのだ。合意文書に
は、正恩がトランプの主張する内容を確実に実行することを示す部分はほ
とんどない。

会談での譲歩に加えて、トランプは米韓軍事演習を「ウォーゲーム」と軽
視するかのような発言をして、交渉が順調に進んでいる間は中止する意向
を表明した。北が「極めて挑発的」と非難を繰り返してきた演習は、裏を
返せば効果があるのであり、独断で中止してしまえるようなことではある
まい。「会談後最初の重大かつ一方的な譲歩」(ウオールストリート
ジャーナル)を行ったのだ。

非核化の道筋すらおぼろげなのに、クリヤーカットに軍事演習中止の「見
返り」を与えてしまうとは恐れ入った。欧米メディアは非核化の具体的な
手法や期限が決められなかったことについて懸念する見方が多い。

トランプは「ウオーゲームの中止で、カネを大幅に節約できる。ウオー
ゲームは挑発的だ」と述べている。ここでカネの節約を言うとは商売人根
性丸出しで、安全保障の重要性を理解していない。

まるでベニスの商人のごとく、方向性を間違っている。米韓軍事演習は北
朝鮮に対する圧力のシンボルであり、これが実施され、米軍の装備が白日
の下に照らされるからこそ、北が南進を思いとどまってきている現実を分
かっていない。

日本に関係の深い拉致問題については国務長官ポンペオが「大統領は複数
回にわたって取り上げた。拉致家族の帰国のための北朝鮮の義務を明確に
伝えた」と言明した。トランプに対して金正恩は「分かった」と述べたと
言われる。

しかし金正恩が具体的な反応をした形跡はない。トランプは安倍との電話
協議で「金委員長は日朝会談にオープンだ」という趣旨の説明をしたという。

政府は北朝鮮の動向を慎重に見極めながら交渉の機会を模索する方針で
あり、政府部内には早ければ7月か8月の首脳会談もありうるとの見方が
ある。夏がない場合、9月にロシア・ウラジオストクで開かれる「東方経
済フォーラム」に金正恩が出席すれば、安倍との会談を実現させる構想も
あるようだ。

実現すれば2004年の小泉純一郎訪朝以来となるが、安倍は金正恩との会談
について「ただ話しをすれば良いのではなく、問題解決につながる形で実
現しなければならない」と、慎重な姿勢であり、情勢を見極める構えだ。

拉致問題は被害者家族にとっては極めて重要だが、まずは極東安保という
大事を最優先させ、その結果として拉致問題の解決につなげることが重要
だろう。安倍が発言したように日本は拉致問題に関しては「主体的」に対
応するしかない。



◆一旦妥協は成立したかに見えた

宮崎 正弘


平成30年(2018年)6月13日(水曜日)弐 通巻第5725号 

 一旦、妥協は成立したかに見えたZTE(中興通訊)ディールだが
  議会がトランプ妥協案に反対。「ZTEの経営危機をなぜ米国が救う
のか?」

一旦は妥協が成立したかに見えた。ZTE案件である。

ZTE(中興通訊)は、たとえばウィルスを仕掛けた通信設備を米国市場
でも販売していたが、過去数年にわたってイランにも、制裁対象となって
いる通信設備を売却していた。

このためトランプ政権は米国政府は7年間の出入り禁止を言い渡したが、
中国に必死の叫び(「このままではZTEが倒産してしまう」により、
14億ドルの罰金を課し、米国市場で再開を許可する方針だった。

華為技術(ファウェイ)とZTEは、連邦政府ならびに職員の購買が禁止
されており、民間企業や、非政府系のアメリカ人が購入する。華為の携帯
電話、スマホは安いことが魅力で、米国市場でもそこそこは売れている。

トランプと金正恩の米朝首脳会談の成り行きをまって、連邦議会が動き出
した。

超党派の議員等が強い反対にまわり、「ZTEをなぜ米国が救済する必要
があるのか」と、突き上げを始めたのだ。

提唱者はボブ・コッカー(共和)マリコ・ルビオ(共和党、フロリダ)上
院議員、そしてシューマー上院議員(民主、NY)らが一斉にZTE疑惑
を取り上げ、超党派の反対が渦巻いている。

ZTEは世界市場で、華為、エリクソン、ノキアにつぐ世界第四位の通信
機器メーカー、全体の市場規模は192億8000万ドルと見積もられている。
             
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シンガポールでの米朝首脳会談  英文テキスト
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6月12日、初めての米朝首脳会談がシンガポールで開催されました。首脳
のみの会談の後、トランプ大統領、ポンペオ国務長官、ボルトン大統領補
佐官などの米国代表団と、キム・ジョンウン委員長、キム・ヨンチョル副
委員長などの北朝鮮代表団が拡大会合を行いました。また会合後、両首脳
は共同声明に署名しました。
共同声明
https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/joint-statement-president-donald-j-trump-united-states-america-chairman-kim-jong-un-democratic-peoples-republic-korea-singapore-summit/

シンガポールで開催された首脳会談における米国のドナルド・J・トラン
プ大統領と朝鮮民主主義人民共和国の金正恩委員長の共同声明(仮訳)
https://jp.usembassy.gov/ja/joint-statement-president-trump-chairman-kim-singapore-summit-ja/

トランプ大統領の記者会見  Press Conference by President Trump
https://www.whitehouse.gov/briefings-statements/press-conference-president-trump/

ドナルド・トランプ大統領の記者会見での冒頭発言(仮訳)
https://jp.usembassy.gov/ja/press-conference-by-president-trump-singapore-summit-ja/
     

◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎


1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京
湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい
た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。
屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に
よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、
このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり
とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ
て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と
いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を
した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大
造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で
初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組
員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極
めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦
「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始
まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高
木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事
は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た
だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、
野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間
に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか
り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。
以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜
を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ
とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気
はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ
け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ
れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い
「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有
効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に
ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん
ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、
飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが
足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。
その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ
ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ
た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート
した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明
治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って
いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ
ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ
けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー
ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米
ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し
た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し
た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ
うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と
した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン
B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい
うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)

私が思うには、日本人が宗教上などの理由から、4つ足動物を食べる習慣
の無かったことも原因にある。特に豚肉はビタミンB1が豊富だが、日本
人は明治天皇が牛肉を食べて見せるまでは絶対に4つ足を食さなかった

2002年3月、2Ch上で、脚気をめぐって、時ならぬ森鴎外論争がおこっ
たことがある。

<日露戦争は1905年。 ビタミンBが初めて発見されたのは1910年。欧米の
学会で細菌説が否定されたのはもっと後。 高木兼寛が、日露戦争以前に
玄米を食することにより脚気が防げると 発見したのはすばらしいことで
あるが、具体的理論に乏しかったのである。>

<でも、明治前期から「具体的事例」は山ほど出てたよ。 明治天皇も玄
米の効用には気付いていた。「別に毒でもないんだし、効用があるなら食
べさせておこうか。 理由は後で追及しよう」という姿勢をとらずプライ
ドのために自分達の頭の中での学説を優先させたし高木らを誹謗した。森
一派は有罪。>

<海軍がらみの病気と言えば、ビタミンC欠乏で起こる壊血病が有名です
が、ビタミン Cの発見はビタ ミンB1より後です。 これは、原因は不明な
がらも、野菜や果実ないしこれらの絞り汁で予防・治療が可能だとわかっ
て いたのと、壊血病を起こす動物が限られている事などの理由で、実験
ができなかったことが影響しているそうです。(治療法が確立していたた
め、「学術的興味」のための人体実験などはできなかった。)

「具体的理論」などにこだわって治療法の確立を遅らせるのは、本末転倒
でしょう。 海軍の軍医として、食餌の不良が壊血病のように致命的な疾
病の原因になりうるという認識を持って いた高木氏が、「栄養上の問
題」という仮説を立てたのは、ごく自然な事に思えます。

このときに「不足している」と仮定したもの(タンパク質だったか?)
は、結果的には誤りだった訳 ですが、何の仮説もなく闇雲に行動してい
た訳ではない。

そもそも「細菌説否定」もなにも、細菌が原因であるという事自体が、確
たる根拠を持たない一仮説 に過ぎないわけです。 当時、日本人医師達と
の対談で、コッホが「細菌が原因かどうかという検討の前に、診断法を確
立し て、『どういう状態なら脚気なのか』を確定するのが先ではない
か」というようなアドバイスをした と聞きます。

これも、確たる根拠のないまま、「とにかく細菌が原因」という思込
みで突っ走るの を危惧したためでしょう。>

渡部註:日本でしか罹患しない脚気だったが、江戸時代から「江戸わずら
い」と言われたように、脚気は東京の風土病と疑われた時期もあった。

<脚気に麦飯や玄米が有効だという知見そのものは、高木氏の 独創では
ないです。 高木氏の功績は、多数の患者を出した航海の記録などから、
「栄養不良ではないか」という仮説を立てるとともに、具体的な給食改革
案を提示し実証したところだと思います。

それはともかく、森林太郎という人が非難されているのは、彼が自力で脚
気の 治療法を確立できなかったからではない。>

<日露戦争時といえば、海軍から脚気が消えてから久しくたっており、陸
軍でも 地方では独自に麦飯給食などをしていたそうです。

経験的にとはいえ予防法が一応認められていた時期に、敢えてそれを否定
する がごとき方針を押し通し、多数の病者を出したというのは、とても
「ミス」な どというレベルではない、「未必の故意」による犯罪行為で
しょう。 >

<1905年当時は、ビタミンのような希少栄養素という概念が無かった。近
代的な医学というのは、まだ始まったばっかりで コッホとパスツール
が、細菌の発見→純粋培養による特定という 手法を編み出し、初めて病気
に対して、近代的なアプローチが、とられるようになったばかりだ。

だから、当時の医学では病気というのは病原菌が元で発生するもの以外に
対する ものに対しては全く無力。 当時は、癌でさえ、寄生虫か病原菌で
発生するものだとまじめに考えられていた時代であった。

いまでも、何の根拠も無い民間療法で完治してしまう人がいるように 統
計的に明らかな改善があったからといって そのやり方が正しいとは一概
に言えないのが医学。

統計結果を基に効果を推測するには、プラシーボ効果をかんがみた上で
その影響を除去して考えなければならない。 然るにプラシーボ効果に対
する実証的な研究がなされたのは1954年以降のこと。 それまで、医学で
は統計的なアプローチというのはあまり当てにならないものとされてい

◆私の「古寺旧跡巡礼」 当麻寺@

石田 岳彦


<私は大阪で弁護士をしています。大学生時代からの趣味で、社寺、名勝、旧跡から、明治以降のいわゆる近大遺産まで、九州から東北まで(そのうち北海道にも行きたいです)、「歴史的なもの」を見て回っています。今回「私の古寺旧跡巡礼」と題して綴ってみました>。
 
さて本題―。奈良県葛城市(旧当麻町)にある「当麻寺」というのは、不思議なお寺です。

国宝の仏像、曼荼羅、厨子、本堂、2基の三重塔、梵鐘、重要文化財多数を持っているという文化財の宝庫で、「古寺巡礼」、「日本の寺院100選」といった書籍、雑誌の特集があれば、必ず名前のあがるという古寺巡りや古文化財のファンの間では常識というか、知らない人はもぐり扱いされるという有名なお寺ですが、世間一般の知名度は高くないようです。

 おそらく、奈良、飛鳥、斑鳩という奈良県内のメジャーな観光地から離れたところにあるので、観光客が少ないことが原因でしょう。観光ガイドの扱いも微々たるものです。

もし、奈良市内にあれば、東大寺や興福寺は無理でも、薬師寺や唐招提寺なみにはメジャーになれたであろうという、ある意味とても不運なお寺といえます。

もっとも、奈良市内にあったならば、上記の文化財の少なからずが、戦火に巻き込まれて灰になった可能性もありますが。

ところで、当麻寺の最大の売り物(?)は、中将姫伝説です。

中将姫は、奈良時代の貴族のお姫様で、継母に度々、命を狙われるという苦難を乗り越え、阿弥陀如来の導きによって極楽浄土の光景を描いた曼荼羅を織り上げ、極楽浄土へ旅立ったとされる伝説上の人物です。

これが、「本当は怖いグリム童話」なら、シンデレラのように、継母の目を鳩がほじくったり、或いは、白雪姫のように、継母に焼けた鉄の靴を履かせたりといった感じのハッピーエンドになるところですが、そういう物騒な展開はありません。仏教説話ですから。

 継母がその後、地獄に落ちて、閻魔様に舌を抜かれるという因果応報的な後日談はあるかも知れません。仏教説話ですから。


近鉄南大阪線の当麻寺駅を出て、まっすぐ西を目指します。駅から出発してまも無く、右側路傍に当麻蹴速(たいまのけはや)の墓、とされる五輪塔があります。

 この蹴速は、垂仁天皇の時代の人で、天下最強を宣言して挑戦者を募っていたところ、垂仁天皇の命で、出雲からやってきた野見宿禰(のみのすくね)と相撲をとることになり、宿禰に蹴り殺された(当時の相撲は今よりもかなりバイオレンスなルールだったようですね。)という、色々な意味で「痛い」人です。

もっとも、垂仁天皇(日本書紀等の記述によると紀元前1世紀から1世紀にかけて在位。卑弥呼よりも前です。)自体、実在が危ぶまれている状況ですので、この話も歴史というより、伝説の部類です。

この蹴速と宿禰の対戦が、わが国の相撲の始まりとされているそうです。すぐ近くに相撲館という、相撲資料館まで建てられています。中将姫と当麻蹴速とおぼしき男女のかわいらしいキャラクターのイラストがポスターに載っていました。今、はやりのユルキャラというやつでしょうか。余計なお世話だと思いますが、かなり幸の薄そうなカップルです。


駅から歩いて15分ほどで大門に着きます。境内の東端に建っている楼門で、古寺にふさわしい風格です。大門を入ってすぐ、正面には鐘楼があります。国宝の梵鐘を「吊ってある」お堂です。

「吊ってある」というのは、一見、梵鐘が吊られているように見えますが、実は下に台が設けられていて、梵鐘はその上に置かれているからです。以前にお寺の方から聞いた話では、十数年前まで当麻寺には鐘楼は存在せず、梵鐘もいずれかのお堂に置かれていたそうです。

その後、鐘楼が再興され、それに合わせて梵鐘を鐘楼に吊るすことになったものの、いざ、吊るそうという段になって、龍頭(梵鐘を吊るすための上部にある輪状の突起)にひびがあるのが発見され、吊るすことができなくなってしまいました。

にもかかわらず、「せっかく再建したのだから鐘楼に梵鐘を飾りたい」ということで、こうなったようです。観光ガイドにも載っていない、思いっきりどうでもよいトリビアといえます。(つづく)

<福岡県福岡市出身、福岡県立修猷館高等学校、京都大学法学部卒業 大阪弁護士会・弁護士>

2018年06月14日

◆米朝首脳会談を過大な期待で予測した

宮崎 正弘


平成30年(2018年)6月13日(水曜日)通巻第5724号 
   ♪
 米朝首脳会談を過大な期待で予測したメディアは何を間違えたのか
  会談は始まりにすぎず、金正恩は中国の意向(何も約束するな)を実
践した

日本の期待は夢幻に終わったのか。

発表された米朝首脳会談の共同声明を「素晴らしい」とトランプは自画自
賛したが、多くの人々から見れば、具体的内容を欠いているため、「失
望」だろう。

第一に「非核化への努力」は謳われたが、「完全な、検証可能な、不可逆
的な」という文言は共同声明のどこにもないではないか。

期限も方法も明記されていない。要するに具体的には何も成果はなかった
のだから。安倍首相が「高く評価する」などと、トランプの成果を渋々評
価したのも、納得するには無理がある。

米国政府筋は「これから高官による詰めが行われて、具体的な日程などが
でてくる。ともかく歴史的文脈に於いて、この会談は意議がある」と総括
して、今後の交渉に大きく期待する方向にある。

とはいえ、「完全な、検証可能な、不可逆的な非核化」は結局、並ばず、
「非核化」の現地を金正恩から得ただけだった。

中国の後ろ盾を得た金正恩は強気になっていた。アメリカとの世紀の
ショーを演出するために、人質を解放し、使い物にならなくなった核実験
場を廃棄処分としたが、これをトランプは記者会見で「成果」と総括し
た。ディールの名人も、ここまでか、との感想を抱いた読者が大いに違い
ない。

「総合的に前進した」という米朝首脳会談は、アメリカにとっては中間選
挙向け、北にとってはやっぱり時間稼ぎと中国との関連。唯一の歯止め
が、米国は「制裁を続ける」という姿勢だけだろう。
大きく期待した人は失望の谷は深い。期待しなかった人にとっては、なん
とか、一歩前進したというのが率直な感想ではないか。

「歴史的に米朝が『初の会談』という意議いがいにないもない」(NYタ
イムズ)

「希望を抱かせたが、保証がない」(ワシントンポスト)

「希望に向けての前進」(ウォールストリートジャーナル)


 ▲「人権」「拉致」の文言は声明には盛り込まれていない

米国メディアは消極的だが、否定はしていない。しかしトランプは記者会
見で「人権に言及した」「日本の拉致問題についてはちゃんと伝えた」と
言い訳に終始し、いつものような強気が見られなかったように、そのう
え、米軍撤退を示唆したように、これでは過去の歴代大統領の、その場の
人気取り対応と大きな違いはない。

 結局、この米朝首脳会談で一番の勝者は、中国である。

おそらく中国は、前進があったとして『制裁』緩和の方向へ舵を取るだろ
う。『中国抜きには何も進まない』と国際社会に印象づけることに成功
し、金正恩の背後でシナリオを描き、トランプに米軍撤退の発言を誘発さ
せた。 

同じ日に上野動物園のパンダが誕生一周年とかで、長い長い行列ができ
た。パンダはチベットの動物であり、中国が外交の道具としているものだ。
これを行列してみるという、あきれ果てた日本人がいるように、精神的劣
化がますます進んでいる。
       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1744回】                  
――「我は大清國の民なりと」――遲塚(3)
  遲塚麗水『山東遍路』(春陽堂 大正4年)

               ▽

やがて青島を辞し済南に向う。その道すがら目にした「狂婦」について綴る。

彼女は「宛轉して麥田の上に在り、垢面蓬髪、身に襤褸を着け、喃々をし
て獨り語りて或は泣き或は笑ふ、往來の人、顧みるものなし、哀むべし狂
婦は終に溝壑の中に死せん」。かくて遲塚は「支那の國民性は絶對の個人
主義なり、這の憐むべき生靈を綏撫して、平靜の治下に置くもの、正に我
が帝國の使命なるを思ふ也」と。

たしかに「這の憐むべき生靈を綏撫して、平靜の治下に置く」ことを
「我が帝國の使命なるを思ふ」ことは自由である。

いや、それなりに立派なことであり、同時に当時の我が国における一般的
風潮だったかも知れない。だが、第一次大戦前後の創成期の中華民国を囲
繞する現実――彼我の人口比、風土や民族性の違い、20世紀初頭の中国に対
する欧米列強の思惑と複雑に絡む利害関係――からして、それが至難、いや
我が国将来の足枷になることに、どうして当時の人々は思い至らなかった
のだろうか。

「正に我が帝國の使命なるを思ふ也」とイキガルのもいい加減にすべき
だ。常識的に考えてできもしない大言壮語は国を誤ることを、やはり肝に
銘じておくべきではなかったか。

途中、曲阜駅から孔子廟を目指す。どうやら道に迷ったらしく、「余等
を載せた馬車は、早や青を抽く三寸の麥の上を漫々として行く」なり。

つまり稔りを待つ麦畑の上を走ったわけだ。それというのも「支那には正
しき道路なし」。だから「皆麥田の上を度り行くなり」。そこで「往來の
頻りに繁きところ自から蹊を成す」。自分の麦畑を道路代わりに踏み荒ら
されたら堪らないので、持ち主は「其處に深き溝を穿ち」て「路を拒ぎ止
め」るのである。そこで車馬は別の麦畑の上を「漫々として行く」ことに
なる。かくて「葛天無懷の民の世は、遠く五千年の昔に在らずして今に在
る也」と。5000年の昔も今も変わりないじゃないか、というのだろう。
魯迅は人の歩いた後が道になる口にしたが、はて、このことか。

だが、「葛天無懷の民」と侮ってはいけない。急げと御者に命ずると、
彼は後ろ手に差し出して「『大人、酒錢』と曰ふなりき」。ダメだと断る
と、「鞭を棄てゝ煙草を薫らし、唯馬の歩むに任すなり」。サボタージュだ。

かくて「葛天無懷の民と思ひしに、狡猾甚だ憎むべき也」と。ナメンジャ
ねえよ、といったところだろう。

「葛天無懷の民」とナメて掛かると、トンだしっぺ返しを食らうのは必
定。「這の憐むべき生靈を綏撫して、平靜の治下に置く」なんぞと、口が
裂けても言ってはならなかった。

曲阜の街に入れば、「『日本人來』『日本人來』、街を擧りて來り觀け
ん」。老若男女が次々に集まって来て遲塚を囲む。乞食は「余の行く手を
遮りて兩掌を高く捧げつゝ錢を乞ふ」。そのうちに曰く因縁のありそうな
土産物の売り子が集まる。

おそらく彼らからすれば、カモがネギを背負って、といったところだろ
う。これが「葛天無懷の民」の現実なのだ。

聖地・泰山に登る。

宿坊の主人は「我を異邦の人と侮り」、バカ高い宿料を吹っ掛けただけで
なく、茹卵子も倍の料金を要求して来た。「詐辯し、茶錢、炭錢、貪り
て?くことを知らず」。そこで「余は怒りて其の不當を叱詰すれば、主人
飽くまで頑囂に、大聲揚げて喚き立つ」。「町の有象無象ども何時しか庭
に入り來り」、やんやヤンヤの掛け声を挙げて「主人聲援す」。憤懣やる
かたない遲塚は口にした煙草の吸殻を主人の顔に投げつける。

すると「主人怒號して余が携へたる行李を奪ひ、金を出さずば還さじ」と
息巻く。こと此処に至っては「多勢に無勢、敵すべからず、金をへて僅に
此の重圍を脱したり」。情けない。

「葛天無懷の民」に翻弄されながらの旅を終え、「秀麗なる富士の山を
仰」ぎ、「泰山は支那の五岳の宗といふといへども、天下復た此の富士に
優れる山のあらめやは」と。
「葛天無懷の民」を前にして「我が帝國の使命」は空しいばかり・・・噫嗟!