2018年07月31日

◆国会は一日も早い憲法改正の実現

櫻井よしこ


「国会は一日も早い憲法改正の実現に向け国民の意思問う機会をつくる
のが責務だ」

7月5日付の「産経新聞」が、与党は憲法改正手続きを定めた国民投票法改
正案の、いまの国会での成立を断念する方針だと報じた。5日の衆議院憲
法審査会で趣旨説明は行うが、実質審議には入らずに、継続審議にすると
いう。

改正案の内容は、一昨年成立した改正公職選挙法をそのまま国民投票法に
反映させるもので、これによって駅や商業施設に共通投票所が設置され、
より多くの人が投票に参加し易くなる。

自公与党は、共産、社民を除く野党と、前述の共同投票所の設置に加えて
テレビCMの規制なども検討することを前提に、5月時点では大筋で合意
していた。それが6月27日、自公と日本維新の会、希望の党などと共に共
同提出した改正案につながった。

だが、いま、枝野幸男氏の立憲民主党、玉木雄一郎氏らの国民民主党など
は憲法審査会の幹事懇談会にさえ、まともに出席しない状況が続いてい
る。こうして時間がなくなり、与党はいまの国会への提出を諦めるに至った。

背景に、憲法審査会は「全会一致」の運営が原則とされているという事情
がある。立民や共産党らは、この原則を盾に、「モリ・カケ」問題などの
説明が不十分だなどとの理由をつけて、審査会の開催そのものを妨げた。

結果としていまの国会では審査会は衆院ではたった1回、参議院では3回開
かれたのみだ。そのうち衆院と、参院における2回の開催は理事の選任手
続きのためで、憲法の内容についての議論は参院での1回だけという。な
んというお粗末さか。

なぜこんなことになるのか。無論、国会議員の「やる気のなさ」が第一の
原因であろう。とりわけ維新と希望を除く野党は支離滅裂である。彼らは
「立憲主義」を唱えながら、憲法改正が必要だという政党が、憲法に定め
たルールをきちんと守って改正案を提出し、国民の判断を問おうとする
と、そのプロセス自体を阻止する。自分たちが改正をしたくないために、
国民の意思を問う機会そのものを潰してしまおうとしている。

格好の道具となっているのが前述の憲法審査会だ。「全会一致」の原則を
自分たちで作り、それを盾に審査会の開催に応じない。審査会さえ開かせ
なければ改正案の国会提出を妨げることができる。発議自体ができないわ
けで、国民に問うまでもなく、改正を阻止できるという計算であろう。

本当に古い話だが、私は美濃部亮吉氏の都政を思い出す。たった一人でも
反対者がいたら、公共工事をはじめ、何もしないという都政だった。圧倒
的多数の人々の意思であっても一人の反対者が阻止できるという極端な路
線だった。いまの野党の一部と体質的に通底するものを、私は感じている。

こんな事態に陥っているのは、「憲法審査会が動かなければ、改正原案の
国会提出さえできない」という誤解があるからではないか。

憲法改正のカギは、ひとりひとりの国会議員が握っているのである。改正
案を上程するのは、政府ではなく、国会議員の役割である。国会法68条の
2は、衆議院で100人以上、参議院で50人以上の賛成で提出できると定めて
いる。いったん改正案が国会に提出されれば、国会法102条の6によって、
憲法審査会には審査を行う責務が生じる。

憲法という国のもといを決めるのは、国民の総意である。国民ひとりひと
りが日本をどのような国にしたいのかを深く考え、決めるのが、まさに民
主主義の真髄であろう。

いま日本はかつてない危機に直面している。日本周辺の状況に対応するに
は、いまのままの日本では力不足だと感じている人は少なくない。1日も
早く、憲法改正を実現するために、国民の意思を問う機会をつくるのが、
国会の責務である。
『週刊ダイヤモンド』 2018年7月14日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1239 

◆「そして誰もいなくなった」

宮崎正弘


平成30年(2018年)7月28日(土曜日)弐 通巻第5771号   

 「そして誰もいなくなった」(ワシントンから中国擁護派が消えた)
   中国専門家の嘆き。「ホワイトハウスから電話のベルがならない
(相談がない)」

ワシントンを覆い尽くす「反中国」の空気は、「ロシア恐怖症」と同質で
あり、しかし「マッカーシー旋風」の時とは異質のものがある、と中国専
門家が解説する。

なかでもガル・ルフツ(地球安全保障分析研究所・共同代表)は「この反
中ヒステリー症状は過剰であり、米中交流の機会も激減し、ビジネスマン
でも中国人と聞けばスパイだと即応する短絡的現象がある。中国に友好的
なシンクタンクはなくなった」という。

これまでパンダハガーとも言われた中国専門家らの嘆きは「誰の所にも、
ホワイトハウスから助言を求めるという電話のベルがならない」。
 「しかしホワイトハウスには中国の専門家がいない」。

トランプ大統領を囲む側近のなかに中国の融和的な人物はいなくなった。
政策立案の中心は、地球儀を見渡しての戦略的レベルではジョン・ボルト
ンだが、彼はもっともタカ派のスタンスを堅持している。

経済優先で中国に対して比較的中立とされたロス商務長官も、北京を訪問
し、高関税適用直前の談判をしたが、米中の歩み寄りはなく会談は決裂した。

トランプ大統領へのアドバイザーには対中強硬論のチャンピオン=ナバロ
教授。そして国家経済委員会のトップはラリー・クドローである。後者は
嘗て自由貿易派のエコノミストだった。空気が替わって、いつの間にか中
国制裁論のトップを走る。

国務省高官は、次官クラスの政治任命がまだなされておらず、ポンペオ国
務長官はトランプの意を体して動く。国務省内のチャイナスクールは殆ど
が消えた。

通常ならこうした高官経験者は「回転ドア」で、シンクタンクに移籍する
が、いまや「孔子学院はスパイ養成機関」などとする主張がまかり通るよ
うに、中国を擁護するシンクタンクも稀となった。

議会は「ロシアが軍事大国」であり、西側の脅威だと言う「ロシア恐怖
症」と同質な「中国脅威論」に蔽われ、中国制裁を声高に叫ぶのは共和党
よりも、民主党の議員に多くなり、この動きを反映して、リベラルなメ
ディアも、トランプの対中強硬論より、強硬な主張をしている。つまり米
国は中国制裁論が当然とするパラノイアに取り憑かれているようである。

こうした情勢を背景に、「中国専門家」の学者レベルでの空気も激変し
た。「中国封じ込め」をいう学者は殆どいないが、ディビッド・シャン
ボー、マイケル・ピルスベリーら、嘗ての「パンダハガー」たちが明確に
スタンスを変えており、この列にやはり中国を高く評価してきた学者らが
加わる。


▲パンダハガーの多くもスタンスを変えた

具体的にはディビッド・ランプトン(ジョンズ・ホプキンス大学中国研究
主任)は「中国制裁論に米国が傾いていることは否めない事実だ」と言う。

ハリー・ハーディング(バージニア大学教授)は「近年の中国の遣り方に多
くの中国擁護派が失望している」とする。

ロバート・サッター(ジョージ・ワシントン大学教授)は「中国と友好的に
と唱える人々は、限界線に立たされている。中国への期待が裏切られたか
らだ」

ロバート・ダリーは外交官経験者で、親中派シンクタンクとして知られる
ウィルソン・センターの「キッシンジャー研究所長」を努めるが、「中国
擁護、友好派の主張がこれほど影響力を失ったことはなかった」と嘆きの
コメントを口にしている(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、
(2018年7月27日)

となると中国友好派、貿易戦争反対を主張している中国専門家は何処にい
るのか。

経済交流やマーケットのグローバル化で、中国との関係で大いに裨益して
きたのはウォール街である。

銀行・証券・保険系のシンクタンク、エコノミストやアナリストの過半近
くが、まだ中国経済の幻想に酔い、制裁は経済成長にマイナスをもたらす
ので、双方に良くないと主張している。

日本のメディアは、このウォール街発の意見を紹介することに忙しく、対
照的にワシントンを蔽う反中ムードには触れたがらない。
したがって日本の経済界は、ワシントンの動きを熟知せず、ウォール街の
意見を傾聴する死角がある。

このためまだ中国との友好、貿易拡大が大切であり、トランプの保護貿易
政策はよくないとする視野狭窄に陥っている。だが経団連の夏の軽井沢セ
ミナーでは、中国への警戒論が突出したという。
日本の財界の意見も激変の兆しあり?

    
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いかに画像操作、印象操作、あるいは無視して保守の拡がりを阻止しているか
  メディアの嘘を徹底的に炙り出し、とりわけ朝日新聞を批判する

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和田政宗『「嘘の新聞」と煽るテレビ』(育鵬社)
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いま参議院で保守陣営がもっとも注目し、期待する議員のひとりが、この
本の著者=和田政宗氏だろう。
話しかたも、NHKアナウンサー出身だけあって分かりやすく、説得力に富
み、この人と衆議院で大活躍の杉田水脈さん(いま左からバッシング受け
てますね)、しばし休憩中の元議員・西村真悟氏も還り咲くと、議会の論
戦は俄然面白くなるだろうと期待する向きが多い。

和田氏は冒頭から面白い指摘をしている。

「グーグルで嘘の新聞と検索すると、もしかして朝日新聞?」とでてくる。

嘘かと思って和田議員も検察してみた。「嘘の新聞と入力しただけで、朝
日新聞がサジェストされ、同様の現象はヤフーでも」。

ついでにとばかりヤフーとグーグルで「フェイクニュースと検索しても、
候補に朝日新聞が出てくる。ついにAIも朝日新聞をこう判断するように
なったのかと思いました」。

そうだ。最新テクノロジーの結晶ともいえるAI(人工知能)が、そう判定し
たのである。朝日新聞が紛れもなき、フェイクニュースの源泉、震源地で
あることを。

朝日新聞の偏向についてはいまさら指摘する必要もなく、数々のでっち上
げ報道で、安倍首相を窮地に落とし込むことに熱中するあまり、ほかの真
実が見えなくなった。朝日記者の脳幹が腐っているかと連想しがちだが、
朝日にはまともな記者も少数ながら存在する。そういう人は取材先で名刺
を出すのが、きっと恥ずかしいだろうと想像する。いや、名刺を見ただけ
で捨てる人もいれば、受け取りを拒否する人もいる。

テレビの画像操作、重要な場面のカットも問題であるとして和田議員は次
の指摘をしている。

安倍首相がインドを訪問した際、なんと沿道八キロに亘って大歓迎の人の
波があった。実際に評者(宮崎)も、当時、インドにいたので、インドの
テレビニュースで知ったのだが、日本ではNHKとフジテレビが、ほんの
ショット程度の画像でしかなく、ほかのテレビ局はニュース番組で無視し
たという。

つまり左翼ジャーナリズムにとって、「あってほしくないこと」すなわち
「日印友好は中国が不愉快になることだから、報道しない」とういう隠れ
た意図があるかのように、画像を操作する。阿漕である。売国奴のような
行為である。

こういう例は枚挙に暇がなく、護憲集会は左翼のおじさんたちが数十しか
出席しなくとも大きく扱い、改憲派の1万人集会は報道しない。するとし
ても、座席の一角に陣取る壮士風や、旭日旗を持った坊主頭などを意図的
に映し出して、いかにも偏向した集会であるかのごとき印象操作をするの
である。
 
なお、本書のサイン会が8月7日に行われる由です。
http://www.yaesu-book.co.jp/events/talk/14347/

◆懐かしい園城寺(通称三井寺)

石田 岳彦



私は現在、大阪で弁護士をやっていますが、司法修習生のときは大津で1年4月にわたり実務修習を受けていました(司法修習が2年間の時代の話です。今は修習期間が1年ですので色々とスケジュールがタイトのようですね。)。

その間、三井寺(通称です)こと長等山園城寺(ながらさん・おんじょうじ)には何回も行く機会があり、弁護士になってからも2年に1回くらいの頻度で訪れています。

三井寺は、壬申の乱で破れ自殺した大友皇子の霊を慰めるためにその息子の大友与多王が建立したという寺院・・・が、すっかり荒れ果てていたのを、平安時代前期に円珍が再興したというお寺です。

素直に円珍が建てた時点をスタートにすればよいような気がしますが。大友与多王なんて、ほとんど誰も知りません。

ちなみに、私が大津地方裁判所で実務修習していた際に聞いた話では、以前、三井寺が民事訴訟の当事者になった際、境内の土地所有権を主張するにあたり、壬申の乱後の大友与多王のくだりから説き起こしたそうです。

民事訴訟法の原則上、極めて正しい態度なのですが、スケールが大き過ぎるせいか、思わず笑えてきます。

智証大師・円珍は、唐に留学し、天台宗の座主(トップ)になった僧侶です。後年、延暦寺内の派閥争いが激化して、円珍の流れを汲む僧侶たちが山を降り、三井寺に移って天台宗寺門派を築くにあたり、その祖として仰がれるようになりました。

この派閥争いは、端的にいうと、日本天台宗の開祖である最澄亡き後の延暦寺の座主を巡る派閥争いで、一般的には円仁(第3代座主。円珍に先立ち唐に留学。慈惠大師。)派と円珍派との争いと言われることが多いようです。

もっとも、派閥抗争自体は最澄の死後早々、円仁や円珍が座主になる以前に既に生じており、しかも、円仁、円珍とも派閥抗争には批判的だったそうですので、「円仁派」、「円珍派」という呼称は両大師にとって極めて心外なものに違いありません。なお、円仁派を山門派、円珍派を寺門派と呼ぶこともあります。

その後、三井寺は比叡山延暦寺から何度も焼き討ちにあっていて、安土桃山時代には何故か(いまだに理由がよく分からないそうです)豊臣秀吉の逆鱗に触れ、いったん廃寺になるという苦難の歴史をたどっています。

これまた、理由がよく分かっていませんが、死の直前の秀吉から再興許可をもらい、現在の建物の大半は、その後の安土桃山時代末期から江戸時代にかけて建てられたものです(一部、伏見城や御所から移築したものもあるとのこと)。

京阪電鉄の石山坂本線(大津市内の石山と坂本を結ぶ線という意味です。どうでもよい話ですが、しばしば、観光客から「いしやまざか・ほんせん」と誤読されます。)に三井寺駅がありますが、三井寺までは駅から10分近く歩きます。途中の道が平らなのが救いです。

同じ石山坂本線の石山寺駅からも石山寺へは10分以上歩きますので、京阪電鉄はネーミングを反省して欲しいところです。「三井寺口」、「石山寺口」あたりが相当でしょう。

JR大津駅からは更に離れているので、足の弱い方はJR大津駅又は京阪の浜大津駅(三井寺駅は小さな駅ですので、タクシー乗り場はありません。)からタクシーを使うことをお勧めします。

三井寺の境内へは幾つか入り口がありますが、私はできるだけ、正門である大門(重要文化財)から入ることにしています(駐車場、土産物屋もこちらにあります)。

別の寺にあった室町時代に建てられた楼門を家康が寄進したものだそうで、大寺にふさわしい立派なものです。

大門をくぐり、拝観料を払って、まっすぐに進んで階段を登ると金堂(国宝)と鐘楼が見えてきます。

大門が東向きなのに対し、金堂は南側を向いているため、大門から歩いてくると、金堂は横向きになっていて、正面の入り口へは左側に回りこむ必要があります。

金堂は南向きに建てるのが普通なので、本来、正門も南向きに立てるべきなのですが、三井寺の場合、南側が丘陵になっているため、東側(琵琶湖側)に正門(大門)を建てることになったのでしょう。

金堂の中は、本尊の祀られている内陣の四方を外陣が取り囲む構造となっており、参拝者は外陣に並ぶ様々な仏像を拝みながら一周することになります。個人的には円空の彫った数体の善女竜王像がお気に入りです。

なお、内陣にいらっしゃるご本尊は弥勒菩薩ですが、秘仏になっていて、見ることができません。こちらは絶対秘仏といわれ、一般人が見る機会はありません。

善光寺(長野市)のご本尊のようなインパクトのある縁起も無く、文化財にも指定されていないので(文化庁のお役人も見せてもらえないですので)、失礼ながら、参拝客にとって存在感が限りなく薄いです。三井寺のご本尊がどの仏様かと聞かれて、参拝経験のある人でもおそらく9割は答えられないでしょう。

金堂を出て、鐘楼へと向かいます。いわゆる「近江八景」の「三井の晩鐘」です。「近江八景」は、その名のとおり近江国(現在の滋賀県)の代表的な風景を8つ集めたもので、中国湖南省の瀟湘八景に因んで江戸初期のころに、とある貴族に選ばれたとか。

他の7つは「石山の秋月」、「瀬田の夕照」、「矢橋の帰帆」、「粟津の晴嵐」、「比良の暮雪」、「唐松の夜雨」、「堅田の落雁」とされています。滋賀県に住んでいたころはしばしば耳にしました。

もっとも、瀟湘八景に合わせて8つ揃えたものですし、現在では都市化による環境の変化もありますので(「比良の暮雪」以外は現在、それなりに市街地です。)、現地に行ってがっかりという場所も少なくありません。

「三井の晩鐘」はまだ往時の姿をよく残している方です。

本堂の正面に向かって左側に回りこむと小さなお堂を見つけることができます。閼伽井屋(あかいや)といって、井戸というより、泉を囲むお堂です。この湧き水が3代の天皇の産湯に使われたのが「三井寺(御井寺)」の名前の由来になったとのこと。静かにしていると、ゴポゴポという水の湧く音も聞こえます。

閼伽井屋の正面には龍の彫刻が取り付けられていて、江戸初期の名工・左甚五郎の作といわれているそうです(この手の話は言った者の勝ちです。)。日光東照宮の眠り猫を作った人ですね。

竜が度々、琵琶湖に遊びに行くので、眼に釘を打って、動けなくしたとのこと。確かに釘が打たれています。

2018年07月30日

◆人民元安は、まだまだ進みそう

宮崎 正弘


平成30年(2018年)7月29日(日曜日)通巻第5772号   

人民元安は、まだまだ進みそう。過去4ヶ月で7%下落
 「25%高関税に人民元安7%で、ちょうど対応できる」(IMF)と言
うが。

中国の人民元安が止まらない。

香港の為替ディーラーの一部には「あと7%程度下落するだろう」との予
測が出始めた。中国人民銀行の動きを監視するシンクタンクには、「易剛
総裁の発言が示唆しているのは、一層の金融緩和のほか、外貨準備から1
兆ドル相当を市場に放出するのではないか」との観測まで登場した。

IMFの元エコノミストであるオリバー・ブランチャードは「7%の下落
で、トランプの高関税25%に中国製品は対応できる輸出競争力となる。お
そらく輸出は30%程度伸びるのではないか」などと不思議な判断をしている。

現職のIMFエコノミストではないが、いやそれゆえにIMF内部に残る
中国への幻覚症状の余韻が、この人の発言から聞こえてくるようだ。
IMFのラガルド専務理事は4月のボーアオ会議でも、中国経済に明るい
展望があるという意味の発言をしている。

IMFは2016年10月に、人民元をSDR通貨として認めた張本人であり、
しかし爾来、人民元は表面的に世界のハードカレンシー入りしたにも拘わ
らず、貿易決済の社エアは増えたのではなく、減ってしまった。

従って香港の「AXAインベストメント社」のカオ・アイデンらは「あと
7%程度下落させないと、米中関税戦争で、中国の輸出価格の競争力は維
持できないだろう」と反対の予測をしている。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1767回】        
 ――「支那人は巨人の巨腕に抱き込まるゝを厭はずして・・・」――中野(23)
   中野正剛『我が觀たる滿鮮』(政?社 大正4年)

              △

中野は『我が觀たる滿鮮』も最終章の「大國大國民大人物  滿蒙廃棄論
を排す》」で、「一年前までは非大陸經營論の旺盛を見た」が、さすがに
第1次世界大戦は「小國家主義の危ふきを時實上證明」した。そこで滿蒙
廃棄論という「謬見」を再興させないために、と「滿蒙廃棄論を排」そう
というのだ。

そもそも小国家主義=小日本主義に拠って植民地全廃を掲げ満州放棄論
を訴えたのは石橋湛山ではあるが、その先駆けとなったのが同じく『東洋
経済新報』の先輩である三浦銕太郎であった。

日露戦争勝利を受け、日本人にとって満州は「20億の国帑と10万の英霊
が眠る聖域」となり、併せて「古来、満洲は満洲民族の故地であり、漢族
の支配する土地ではないという考えが一般化していた。このような風潮に
対し三浦は1913(大正2)年に「満州放棄乎軍備拡張乎」なる論説を『東
洋経済新報』に発表し、

 !)治的に満洲の主人公は漢族であり、日本が領有しても短期間で終わら
ざるをえない。

 !)経済的には満洲の経済発展を促進する確たる理由は見当たらず、それ
ゆえに満州領有は国家にとって過重な経済・財政負担を及ぼす

 !)国防面からみて満州領有は列強による中国分割のキッカケとなり、そ
れは中国大陸に列強勢力を呼び込むことを意味し、我が国防にとって不安
定要因となる。

 !)外交的にみて満洲領有から中国大陸進出に踏み込むことは日英同盟の
精神に抵触する――以上が、三浦の主張の骨子である。

なお同じく満洲放棄論ではあるが、石橋の説く全満洲放棄(延いては朝
鮮・台湾を含んだ植民地全廃)とは対照的に、三浦は我が国防線を旅順・
朝鮮国境の線まで南下させよというものだ。

「國としては大國を建て」、「國民としては大國民を成し」、「人物とし
ては大人物を志す」べきであり、「大國」「大國民」「大人物」として当
然負うべき「苦痛」を「逃避する」わけにはいかない。小国の国民であっ
ても「須らく世界に雄視するの大國家を成さんことを志すべ」きであり、
「斯の如き意氣ある國民は必ず發展すべき」だと、中野は考える。

ところが最近は、「國を建てながら小弱を以て安んぜんとする者あり、
學に志ながら小人を以て滿足せんとする者あり」。そういった者のなかか
ら、「文藝家として奇抜なりとの名譽を得んが爲に、滿蒙放棄論を放言し
たる者あり」と指摘し、続いて「余は經濟言論界のオーソリチーと目せら
るゝ某雜誌の紙上に、代表的とも云ふべき小國家主義の主張を見たり」と
する。

 ここでいう「經濟言論界のオーソリチーと目せらるゝ某雜誌」が『東
洋経済新報』を指し、批判の対象が三浦であることは明かだろう。
中野は先に挙げた三浦の主張を俎上に載せて「是れ實に專問家の愚論」と
切って捨てた後、国家経営は商売のようにそろばん勘定では動かない。
「若し單に利殖の割合のみを算して、其利?多きに就かんとならば、大概
の商工業、皆其活動を止め、其資本金を外國銀行に預ける」がいい。

「彼の經濟論者の説」に従うなら満蒙も朝鮮も台湾のみならず、果は樺太
も北海道も棄て、国民が挙って外国銀行に貯金すべきだ。だが、そんな国
家はどんな末路を辿るのか。莫大な「富を蓄積しながら、旨く行きて世界
の高利貸國となり、誤つては其國を蹂躙せられて、富みたる亡國となり終
わる」しかない。

「世界の大勢を見以て我國を盛大にすべく、如何なる手段を執るべき
か」を慎重に考えるなら、「支那を分割して滿蒙の一部分にのみ滿足せん
とする、侵掠論者の規模の小なるに與せず」。
中野は「友邦を提撕して白禍の東漸を防ぐ」ことこそが急務だと力説する。
          

◆「浜辺の歌」であわや

渡部 亮次郎


歌謡歌手の岩崎宏美が1日未明、深夜便で「浜辺の歌」を歌った。この時間
には「琵琶湖周航の歌」を舟木一夫が、「浜千鳥」を森繁久弥が歌ってい
た。「歌謡歌手の歌う叙情歌」だった。

その中の一曲「浜辺の歌」の取材であわや一命を取り落とすところだった
22歳の秋を思い出した。

私は大学を出てNHK秋田放送局に就職。1968年だった。6月からは大館
駐在の記者として、市役所前の下宿を根城に秋田県北部全体のニュースを
カバーしていた。

そうしたある日、米内沢(よないざわ)で作曲家、故成田為三の記念音楽
祭がある、と聞いた。まだテレビが地方まで普及していない時代。音楽祭
というのはどんなのか知らないがラジオにとってはうってつけの素材だろう。

ところが下宿で調べると録音テープが底をついているではないか。早速秋
田の局へ電話して、客車便で送ってもらう手配をした。夜
9時ごろの奥羽線下り急行で大館駅に到着することになった。

大学を出てまだ1年目とはいえ、既にいっぱしの酔客になっていた。
急行が到着するまで時間がある。一杯飲み屋で日本酒を飲み始めた。
銚子で2−3本は確かに飲んだ(酔った)。

時計を見て、自転車に跨った。坂道を下って駅を目指した。間もなくタク
シーにはねられて道端に吹っ飛んだ。新品の自転車はくちゃくちゃ。そこ
は坂下の十字路。確かに即死しても可笑しくなかったが、起き上がってみ
たら、額に小さな瘤ができているだけで亮次郎はちゃんと生きていた。

多分、酔っていたために無抵抗だったのがよかったのだろう。翌日は汽車
で米内沢をめざし、音楽祭の一部始終を録音して事無きを得たのであっ
た。デスクには秘匿した。老齢になって初めて人に語る真実である。

フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、成田 為三
(なりた ためぞう)は1893(明治26)年12月15日―1945(昭和20)年10月
29日)秋田県出身の作曲家。

秋田県北秋田郡米内沢町(現在の北秋田市米内沢)の役場職員の息子とし
て生まれる。1909(明治42)年、鷹巣准教員準備場を卒業、秋田県師範に
入学。同校を卒業後鹿角郡毛馬内小学校で教鞭を1年間執る。

1914(大正3)年、上野にある東京音楽学校(現在の東京藝術大学)に入
学。在学中、ドイツから帰国したばかりだった在野の山田耕筰に教えを受
けた。1916年(大正5年)頃、『はまべ(浜辺の歌)』を作曲。

1917(大正6)年に同校を卒業。卒業後は九州の佐賀師範学校の義務教生
をつとめたが、作曲活動を続けるため東京市の赤坂小学校の訓導となる。
同時期に『赤い鳥』の主宰者鈴木三重吉と交流するようになり、同誌に多
くの作品を発表する。

1922(大正11)年にドイツに留学。留学中は当時ドイツ作曲界の元老と言
われるロベルト・カーンに師事、和声学、対位法、作曲法を学ぶ。

1926(大正15)年に帰国後、身に付けた対位法の技術をもとにした理論書
などを著すとともに、当時の日本にはなかった初等音楽教育での輪唱の普
及を提唱し、輪唱曲集なども発行した。

1928(昭和3)年に川村女学院講師、東洋音楽学校の講師も兼ねた。
1942(昭和17)年に国立(くにたち)音楽学校の教授となる。1944(昭和
19)年に空襲で自宅が罹災、米内沢の実兄宅に疎開する。生家は阿仁川へ
りにあったが1959(昭和34)年に護岸工事で無くなっている。

実家で1年の疎開生活を送った後、1945(昭和20)年10月28日に再び上京
するが、翌日脳溢血で53歳の生涯を閉じる。葬儀は玉川学園の講堂で行わ
れ、国立音楽学校と玉川学園の生徒によって「浜辺の歌」が捧げられた。

遺骨は故郷の竜淵寺に納骨された。故郷の米内沢には顕彰碑が建てられ、
「浜辺の歌音楽館」で為三の業績を紹介している。

「浜辺の歌」や「かなりや」など歌曲・童謡の作曲家、という印象が強い
が、多くの管弦楽曲やピアノ曲などを作曲している。しかし、ほとんどが
空襲で失われたこともあり、音楽理論に長けた本格的な作曲家であったこ
とはあまり知られていない。

愛弟子だった岡本敏明をはじめ研究者の調査では、作品数はこれまでに
300曲以上が確認されており、日本の音楽界で果たした役割の大きさが再
認識されつつある。2012・5・1

◆敵味方の区別つかないトランプ外交

櫻井よしこ


「敵味方の区別つかないトランプ外交で欧州情勢が激変する可能性に現実味」

6月上旬、カナダでの先進7カ国首脳会議(G7)に出席したトランプ米大
統領は孤立した。「6対1」のサミットと表現されたG7の2日目午後の会合
を欠席して、トランプ氏は北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長に会うため
にシンガポールに向かった。

7月11、12日の両日、ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会
議に臨んだトランプ氏は、ここでも多くの問題を残した。会議の前には、
NATO各国首脳に宛てて「貴国の国防費がなぜこんなに少ないのか、米
国国民に説明できない」「米国とNATOの関係はもはや持続可能ではな
い」など、類例のない表現で相手国を非難する手紙を出していた。

首脳会議では、「米国が世界の貯金箱と思われている状況を止める」決意
を、改めて示した。

NATO諸国は2014年、ロシアがクリミア半島を奪ったことに警戒を強め
軍事力を高めるために、少なくとも各々のGDPの2%を軍事費に充てる
と決定したが、その2%条項が守られていないとして、トランプ氏は
NATO諸国を非難していたのだが、今回の首脳会議で、4%という新し
い数字を突然打ち出した。

NATO首脳の間には、トランプ氏がどこまで本気なのかと疑う声もある
が、4%以前の、もっと深刻な問題があるのではないか。

前述のように、カナダでのG7では価値観を共有するはずの先進諸国を非
難して、価値観の全く異なる正恩氏に会いに行った。ベルギーでの首脳会
議では同盟国を非難して、最終的にロシアのプーチン大統領に会いに行
く。集団安全保障の考え方で成り立つ世界最大規模のこの軍事同盟はそも
そも旧ソ連(ロシア)を共通の敵と位置づけて組織されたものだ。トラン
プ氏は完全に味方と敵の区別がつかなくなっていると思われる。

トランプ氏の「アメリカ・ファースト」は、これでは「アメリカ・アロー
ン」になってしまう。米国は同盟国、あるいは友邦国として信ずるに足る
国かとの疑問が、米国にコミットし頼ってきた国々から出始めたことを、
最も喜んでいるのは中国とロシアであろう。

そうした中、ロシアはハイブリッド戦争を進める。これは「非対照的」で
「非伝統的」な力の行使によって、相手国の民主主義的体制を破壊してい
く戦争のことだ。具体的にはサイバーアタックや偽情報の拡散、政治的プ
ロパガンダの拡散などである。NATO諸国にとってロシアの脅威は、も
はや軍事力だけではないのである。

国際社会が直面する新たな戦いは「文化が戦場」となり、音楽や映画がそ
の有力手段となるといわれている。たとえばNATOの一員であるラトビ
アを見てみよう。

小国ラトビアは歴史的にソ連に支配され、次にドイツ、そして再びソ連の
支配下に置かれた。ラトビアが民族国家として自立したのはソ連崩壊後の
4半世紀ほど前のことで、安定した国民生活が可能になったのは、
NATOの枠内に入って以降にすぎない。

ラトビアの人口の約3割が人種的にはロシア人だ。彼らはロシア語を母国
語とし、ロシア文化を守りつつ暮らしている。プーチン氏はラトビアはロ
シア領だと主張し続ける。ロシア、そして中国も全く同様だが、「自国民
擁護」の旗を掲げて他国を脅かすのが常だ。人口の3割がロシア人という
事実は、クリミアに多くのロシア人が住んでいることが侵略の口実のひと
つになったように、ラトビアを再びロシアの支配下に置く理由として十分
活用されるだろう。

こうした中、トランプ氏は、クリミアはロシア領、理由はそこに多くのロ
シア人が住んでいるからと語っている。トランプ外交で欧州情勢が激変す
る可能性が現実となりつつある。

『週刊ダイヤモンド』 2018年7月21日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1240 

◆木津川だより 高麗寺跡 

白井繁夫


飛鳥時代に創建されたと云われている古代寺院の「高麗寺跡こまでら跡」について、@では寺名が「高麗寺:こまでら」となった由来や時代の背景について、高麗寺跡Aでは発掘調査の出土品の中で、出土遺物の数量などが多くて年代を文様などから比較的に区分しやすい瓦(軒丸瓦.軒平瓦)から高麗寺について記述しました。

今回Bでは、昭和13年の第T期発掘調査の結果、国の史跡と認定された高麗寺跡の伽藍配置や瓦以外の出土品を精査して、V期調査まで(平成22年の第10次発掘調査まで)の間に確認された概要を下述します。

★高麗寺の創建は7世紀初頭、伽藍整備は7世紀後半、伽藍配置は法起寺式
  
 主要堂塔が東に仏舎利を祀る塔、西に本尊仏を祀る金堂を並置して、それを囲む回廊
が北の講堂、南で中門に接続している様式(南北回廊200尺:59.4m、東西201尺:
59.7mのほぼ正方形)
 高麗寺の伽藍配置は川原寺式から変化して法起寺式へと移行の初例と思われます。

★南門.中門.金堂が南面して一直線に並び、講堂の基壇が荘厳で特異な伽藍配置

川原寺式伽藍配置から法起寺式への変化の途上か?(添付の「各寺院の伽藍配置」参照)
高麗寺は西金堂の正面が南面し中門.南門と直線状に並びます。川原寺は北講堂.中金堂.中門.南大門は一直線状ですが西金堂は正面が東塔に対面しています。

(仏舎利を納めた塔より仏像を祀る金堂を重視する考え方か?
飛鳥時代から天平時代へと伽藍配置が変化する過程の先駆けではと思われます。)

高麗寺の講堂の基壇は三層構造の豪華さで、丁度川原寺の中金堂と同じ位置にあります。
高麗寺の初期設計時には講堂の場所に中金堂を予定していたのか?と思われるほど
基壇は荘厳な造りでした。
  
飛鳥時代、高麗寺が創建された時期には七堂伽藍を完備した寺院は飛鳥寺が国内では
唯一の寺院でした。その他の寺は一.二堂程度の草堂段階?(捨宅寺院?)であったと考えられています。

★高麗寺の南門の屋根には鴟尾があり、最古の築地塀が原形の状態で検出されました。

  南門跡は桁行20尺(5.94m)x 梁間12尺(3.56m)、屋根は切妻造りで鴟尾を
置いた八脚門、南門に接続する築地塀が南辺築地跡から原形を留めた、極めて良好な
状態で検出されました。

7世紀に築地塀が構築された例はいまだ検出されていません。8世紀の奈良時代になって  寺院の外画施設とする築地塀が一般的に用いられるようになったのです。

高麗寺の築地塀は7世紀後半のものであり、検出遺物は国内最古の出土物の例です。
白鳳時代の築地塀が残っていた事だけでも極めて珍しいのに、ラッキーにも壊れ方が建物の内側で原形を留めていたことです。

 (飛鳥寺南辺、川原寺南辺、東辺にも築地塀の存在説がありますが、現在も出土例は有りません。)

★高麗寺の終焉時期の推測

  文献上では廃絶が不明の寺院ですが、出土遺物の中から、平安時代の土器である灰釉陶器が見つかりました。この陶器から平安時代の末期頃(12世紀末から13世紀初)まで存続していたのではないかと云われています。

天武天皇は壬申の乱で功績のあった狛氏一族の氏寺の創建を認め、白鳳時代から奈良時代にかけて全盛期を迎えた高麗寺の状況ですが、聖武天皇が高麗寺の東方約3kmの瓶原(みかのはら)に恭仁宮を造営して、恭仁京(木津川市)へ遷都した頃(天平12年)、木津川の船上から見える高麗寺は南門の屋根には鴟尾が在り、当時は珍しい築地塀越に東塔が聳え西の輝く金堂など、当時の人々はこの大寺院を畏敬の念で仰ぎ見たことと思われます。

参考資料: 山城町史  本文篇  山城町
   南山城の寺院.都城 第106回 埋蔵文化財セミナー資料 京都府教育委員会
   木津川市埋蔵文化財調査報告書 第3.第4.第8集   木津川市教育委員会

2018年07月29日

◆朝日英語版記事の自己矛盾

阿比留 瑠比


ギルバート氏は24日発売の僚紙夕刊フジで「朝日新聞の正体が確認できた
という点では意義はあった」と語っているが、筆者も朝日の不誠実さと自
己矛盾について付け加えたい。英語版記事が「(慰安婦の)多くは朝鮮半
島出身だった」といまだに書いている部分である。

朝日は4年1月11日付朝刊1面に「多くは朝鮮人女性」という解説記事を
載せた。そこには、今回の英語版と同様に「約8割が朝鮮人女性だったと
いわれる」と記されていた。

だが、朝日は慰安婦報道をめぐる自社の第三者委員会の指摘を受け、「記
事を訂正、おわびし説明します」として次のように発表している。

「朝鮮人女性の比率も、現在の知見に照らすと不正確でした」

「(今後、データベース上の記事には)『慰安婦の数や朝鮮人女性の比率
もはっきりわかっていません』といったおことわりをつけます」

朝日の英語版記事は、自社が過去に訂正、おわびした内容を、相変わらず
海外に向けて発信していることになる。それでいて外部からの修正申し入
れは、けんもほろろに拒否するのだから救いようがない。

ちなみに、慰安婦問題に詳しい現代史家の秦郁彦氏によると、慰安婦は日
本人が4割で朝鮮人は2割程度だった。どの民族の比率が高いかどうして
も書きたいのならば、「多くは日本人だった」と素直に記したらいいでは
ないか。

「朝日新聞が慰安婦問題を報じる際は(中略)今後もさまざまな立場から
の視点や意見に耳を傾け、多角的な報道をめざしていく所存です」

朝日は今回の回答文でこう主張している。それならばせめて、「多くは朝
鮮半島出身だった」という自分たちも虚偽だと分かっている部分ぐらい
は、まず訂正して当然だろう。それとも「耳を傾け」というのも、やはり
口先だけだろうか。(論説委員兼政治部編集委員)
 
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】2018.7.26


◆フィリピンは分裂

宮崎 正弘



 フィリピンは分裂。ミンダナオ独立の可能性が高まった
  ドゥテルテ大統領、「バンサモロ基本法」(イスラム教徒の国、地
域)に署名

フィリピンの国語はタガロイ語と考えている人が多い。タガロイ語はマニ
ラを中心としてルソン島とその周辺で通じるが、南のミンダナオへ行く
と、殆ど通じない。英語も通じない。

もともとフィリピンは一個の国ではなかった。スペインがやって来たとき
は、ルソン島を支配した。アメリカが事実上の植民地として英語を普及さ
せたが、宗教はカソリックがすでに根付いていてプロテスタント勢力の伸
張はうまく行かなかった。

スペイン時代に、日本とは深い繋がりがあって、日本人町もあり、カソ
リック使節団は支倉常長も行き帰りにフィリピンに寄港したし、切支丹バ
テレンが禁教となるや高山右近はマニラに亡命した。

このフィリピンで南北分裂へ向かう可能性が高まった。

ドゥテルテ大統領が7月25日、「バンサモロ基本法」(イスラム教徒の
国、地域)に署名したのだ。

基本法に従うと、ミンダナオ諸島の自治政府は自治の範囲を大幅に拡げ、
選挙で首相を選出するほか、独自の議会をもち、予算の立案・執行権を持
つため、現行の自治区よりはるかに権限が高まる。

2019年1月までに、対象とされるイスラム地区で、新政府に参加するか否
かの住民投票が実施され、暫定的な自治政府とうプロセスを経て、
2022年に通常選挙が行われる。かくてフィリピンは分裂気味となり、
ミンダナオ独立の可能性が高まった。 
     

◆トランプの独批判は即日本批判だ

櫻井よしこ


この記事はヘルシンキでトランプ・プーチン会談が行われている日に書い
ている。米露首脳会談の結果はわからないが、プーチン大統領にとって開
催しただけで得るものが多く、トランプ大統領にとっては、「シンガポー
ル型首脳会談」になると見てよいだろう。トランプ氏の「大言壮語」の割
には米国が得るものは甚だ少ないという意味だ。

私たちは、米朝協議で米国が明らかに北朝鮮のペースに嵌まっていること
を認めないわけにはいかない。初の米朝首脳会談は、共同声明に北朝鮮の
CVID(完全で検証可能かつ不可逆的な核の解体)という大目標を明記
するものと期待されたが、CVID抜きの漠とした内容にとどまった。

7月上旬の3回目の訪朝で、米国の要求する「非核化」の内容を改めて突き
つけたポンペオ国務長官を、北朝鮮は「強盗」にたとえた。この大胆な非
難は、金正恩氏がトランプ氏はもはや軍事オプションなど取れないと、足
下を見抜いたからであろう。

プーチン氏との首脳会談でも、トランプ氏の準備不足とロシアの脅威に対
する認識の欠落が米国にとって決定的に不利な状況を生む可能性がある。
ベルギーでのNATO(北大西洋条約機構)首脳会議を終えて7月12日、
英国に到着したトランプ氏は米露首脳会談について記者団に語った。

「君たちお気に入りの質問をするさ。(選挙に)介入したかと聞くよ。彼
は否定するかもしれないが。自分が言えることは『やったのか、二度とす
るなよ』ということだ」

NATO首脳会議から英国訪問へ、その後の米露首脳会談に至る旅で、ト
ランプ氏は「一番たやすい(easy)のはプーチンとの会談かもしれな
い」と語っている。トランプ氏は自分の向き合う人物が、ソ連崩壊を「20
世紀最大の地政学的大惨事」と見做し、28年間ソビエト帝国建て直しを夢
見てきた男であることを知らないのか。米国を外敵ナンバーワンと位置づ
け、愛国心で国論を統一したいと願うプーチン氏は2007年2月、ミュンヘ
ンでこう述べている。

「アメリカはあらゆる分野で己の国境を踏み越えている。経済、政治、人
文の分野で他国に対して自己流のやり方を押しつけようとしている」

ロシアの存在感

13年9月には「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した。

「米国は己を他国とは異なるユニークもしくは『例外的な存在』と見做
し、『世界の警察官』としての役割を果たすとの大義名分を掲げ、かつ実
際に他国の内政に干渉している」(木村汎、『プーチン・内政的考察』藤
原書店)

実はプーチン氏の寄稿と同じ時期(13年9月10日)に、オバマ大統領(当
時)は内戦が激化したシリアについて、「軍事介入はしない」「アメリカ
は世界の警察ではない」と演説した。これは米大統領による近代稀な戦略
的大失敗とされ、ロシアによるシリア介入を招いた。国際社会は異なるイ
デオロギーや価値観を持った国々があらゆる野望と力でせめぎ合う場だ、
という現実から目を逸らし、平和を希求する話し合いで解決できると考え
たオバマ氏の浅慮だった。プーチン氏は間髪を入れず、この機を利用して
中東におけるロシアの存在感を飛躍的に高めた。

陰謀を巡らす指導者は陰謀を恐れる。プーチン氏はジョージアやウクライ
ナの「カラー革命」、アフリカ北部や中東諸国の「アラブの春」は米国の
経済的、軍事的支援があって初めて可能だった、ロシア国内での反プーチ
ン運動も米国の陰謀ゆえだと信じていると見られる。

決して人を信じず、妻にも心を打ちあけないが、狙いを定めた人物の取り
込みには巧みなプーチン氏を、プーチン研究の第一人者、木村汎氏は「人
誑し」と呼んだ。そのプーチン氏とトランプ氏の首脳会談で、米国が戦略
的後退に陥り、その結果、ヨーロッパ情勢が歴史的大激変に追い込まれる
可能性がある。そのとき、NATO諸国はどうなるか、日本にとって他人
事ではない。

7月11、12の両日、ベルギーで開かれたNATO首脳会議でトランプ氏が
迫った要求は、表面上の粗野とは別に、国際政治の常識に基づけば十分正
当なものだ。1949年創設のNATOは、旧ソ連の脅威から西側陣営を守る
ために結成された集団安全保障の枠組だ。これまでずっと米国が経費の
70%強を担ってきた。

トランプ氏は米国の負担が多すぎる、NATOの取り決めであるGDP比
2%の国防費という約束を守れと言っているのだ。メルケル独首相は
「我々がもっと努力しなければならないのは明らかだ」と述べ、NATO
諸国も、先にカナダで開かれた先進7か国首脳会議(G7)のような後味の
悪い結末だけは避けようと必死だった。

日本はどうするのか

トランプ氏とG7で激しくやり合ったカナダ首相のトルドー氏は、
NATO首脳会議初日に、イラク軍の軍事訓練強化のために、カナダ部隊
250人を新たに派遣する、今年後半には現地部隊を車輌整備、爆弾処理、
治安活動で指導する、と語った。

「カナダは向こう10年間で軍事予算70%増を目指す。それでもGDP2%
には届かないが……。冷戦真っ只中の時代同様、NATOはいまも非常に重
要な軍事同盟だ」

NATO軍は、今秋、500人の新部隊をイラクに派遣するとし、さらにア
フガニスタンでも、駐留米軍約1万5000人に対し、1万3000人だった部隊を
1万6000人に増やすと発表した。トランプ氏の「足りない、もっと増や
せ」という要求に追い立てられるNATO諸国の姿が見える。

それでもトランプ氏は言い放った。「4%だ!」と。だが、氏の悪態にも
非礼にもNATO諸国は反論できない。国防が当事国の責任であるのはト
ランプ氏の言うとおりだからだ。

NATO諸国で2%条項を守っているのは今年でようやく8か国になる見通
しだ。米国を筆頭に英国、ギリシャ、エストニア、ラトビア、リトアニ
ア、ポーランド、ルーマニアである。

エストニア以下バルト三国は旧ソ連の下で苛酷な歴史を生きた。ポーラン
ドとルーマニアも東欧圏の一員として息が詰まるようなソ連の支配下に
あった。小国の彼らは再びロシアの影響下には入りたくないのだ。

では、日本はどうするのか。ロシア、中国、北朝鮮、左翼政権の韓国。日
本周辺は核を持った恐ろしい国々が多い。だが、わが国の国防費は、トラ
ンプ氏に激しく非難されているドイツよりもずっと低い1%ぎりぎりだ。
遠くない将来、「シンゾー、いい加減にしろよ」と、トランプ氏は言わな
いだろうか。

日本は安全保障も拉致問題の解決も、およそ全面的にアメリカ頼りだ。国
防費はGDPの1%、憲法改正もできず、第二のNATO、第二のドイツ
にならないという保証はない。その時取り乱すより、いまから備えなく
て、日本の道はない。
『週刊新潮』 2018年7月26日号 日本ルネッサンス 第812回