2018年08月31日

◆ばあちゃんが死んだ

馬場 伯明


(最近、年上の人や同世代の人たちの死が目に付くようになった。私も年
をとっているのだ。73歳。72歳で死んだ祖母のことを思い出し、以前書い
た文章を少し修正の上、再掲させていただきます)。

2007/11/23の日本TVの金曜ロードショーで「佐賀のがばいばあちゃん(島
田洋七原作)」があった。佐賀県の田園風景やその頃の登場人物などを見
て、私が生まれたふるさとの長崎県島原半島南串山町の古い母屋や小屋を
思いだした。

今から56年前、昭和27(1952)年の秋の夜、私のばあちゃん(祖母、馬場
カメヲ)が死んだ。72歳。私は8歳。死因は複雑な腸閉塞だったらしい。
大腸が詰まって働かなくなり、寝たきりとなり内容物が逆流し嘔吐と腹痛
を繰り返していた。

祖母は便秘の傾向があり母が浣腸をしてやっていた。夏頃から症状が重く
なりほとんど便が出なくなった。腹が大きく脹れあがり苦しそうだった。
我慢強い祖母は痛みを堪えていた。声にならない声を出していた。

父の小学校の同級生でかかりつけ医師の平野伊都夫先生はそれまで何度も
何度も石鹸水や下剤の薬などを管(くだ)でお尻から入れていた。何とか
して中のものを出そうとしたが、出なかった。

ある日の夜、平野先生が往診に来られた。祖母は寝室の納戸ではなく広い
座 敷に寝かせてあった。祖父、父母と、私たち子供たち(孫)4人、そし
て、同村に住む叔母たち(祖母の娘)が見守っていた。祖母の低いうめき
声が一瞬止まった。

祖母は突然焦げ茶色のどろどろしたものを吐いた。母が慌ててタオルで拭
き取った。平野先生が静かに注射をした。祖母は少し楽になったかのよう
な穏やかな顔になった。でも、目は瞑ったままだった。


父が言った。「のりあき、ばあちゃんの耳元でおめけ!(喚け・叫べ)」
「行かっさんごて(あの世へ行かれないように)『ばあちゃん』って、太
か声でおめけ!」と。私と姉が大きな声でおめく。「ばあちゃん!ばあ
ちゃん!ばあちゃん!」「行かんで!行かんで!行かんで!帰って来
(こ)んね!」。

幼稚園児の頃、私は祖母の寝間の蒲団にもぐりこみいっしょに寝ていた。
祖母は小学校には行かなかったらしいが、寝物語に「掛け算の九九」を私
に教え込んだ。私は小学校1年生のとき先生の前で99=81までをすべて暗
誦し驚かせたそうである(後年、母から聞いた)。

祖母が母に内緒で私に飴玉をくれたこともある。「ばあちゃん!ばあちゃ
ん!ばあちゃん!」。私は耳元で喚(おめ)いた。叔母たちが「おっかん
(おっ母ん)!おっかん!」と呼びかけ、父母も祖母を呼び続けた。

祖父が「カメヲ〜、カメヲ〜」と祖母の耳元で呼んだ。しかし、祖母の目
は閉じたまま動かない。しばらくして、平野先生が頷きながら父に何かを
つぶやいた。父は「お世話になりました」と頭を下げた。

ばあちゃんが死んでしまった。母や叔母たちは大きな声を出して泣いた。
でも、祖父と父は涙を堪えていた。私と姉妹たちは母の傍で、目の前の死
の意味がよくわからないまま、おいおい泣いた。

祖母は同村の隣の地区の農家から祖父に嫁いだ。田畑を耕し作物を収穫
し、蚕を育て機(はた)を織り着物を縫い、三度の飯を作り、父(次男)
をはじめ8人の子供を産み育てた。戦争や病気で5人が自分より先に逝って
しまった。その悲しみに耐えて生きた。それも運命である。苦労と悲しみ
の一生であったかもしれない。

時は過ぎ2000(平成12)年。父は祖母の50回忌法要を行った。一族が自宅
に集まり供養し祖母の生前の思い出を語り合った。「おっかんな(は)機
(はた)織りが上手やったもん」と叔母の一人が言った。「頭ん(が)た
いて(大変)よかった」ともう一人の叔母が言った。

「小学校へ上がる前の私に祖母が『掛け算の九九』を教え込み、99=81ま
で暗唱した私に1年生のS先生がびっくり」という話を母が披露した。56歳
の私はその事実にまったく覚えがなく、少し恥ずかしかった。

今の時代、人の死の瞬間(とき)に立ち会うことはほとんどない。あの
頃、死に際に人は自宅の畳の上でもがき苦しんだが、大勢の家族や親戚の
者たちに見守られながら逝った。生きた欠片(かけら)まですべてを捨て
去り、安らかな顔になり、家族らに思い出を残した。

人の死に立ち会うことは辛く悲しいことである。だが、その死に立ち会う
ことで、人間のはかなさや人生のあわれを感じ、同時に、人の命の大切さ
と人間の尊厳を心と体で実感した。

ばあちゃん(祖母)の死に立ち会ったことは、その後の私に深い影響を及
ぼした。祖母が死んだ5年後の春、昭和32(1957)年に祖父が86歳で死去
した。

54年後の昨年、平成18(2006)年3月、祖母が暮らし死んだ同じ古家で、3
年の自宅介護の末、父は94歳で亡くなった。
(千葉市在住 2007.11.24  2018.8.31再掲)


◆一箇大隊をアフガニスタンへ派遣

宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月29日(水曜日)通巻第5808号 

 中国人民解放軍、一箇大隊をアフガニスタンへ派遣
  ジブチに継ぐ海外軍事基地を「訓練基地」を称して建設。

地図を拡げていただくとアフガニスタンの特徴的な地形、その細長い回廊
が、中国の新彊ウィグル自治区へと繋がっていることが分かる。この回廊
は通称「アフガン回廊」(ワクハン回廊。350キロ)と呼ばれる。

このワクハン回廊の中国に近いバダクシャン地区に、中国人民解放軍は訓
練キャンプを設営し、一箇大隊を派遣する。ジブチに継いで2番目の海外
基地となる。中国は「訓練キャンプだ」と言い逃れている。中国軍の1箇
大隊は500名。

目的は何か? アフガニスタンの無法地帯から、この回廊を経てウィグル
の若いイスラム戦士らが、新彊ウィグル自治区へ潜入している。

中国はかれらを「テロリスト、分裂主義者、過激なイスラム教徒の取り締
まり」だという。中国が具体的にテロリストと分類しているなかには、
「東トルキスタン独立運動」が含まれている。

「東トルキスタン」が正式の国名であり、中国が戦後のどさくさに乗じて
侵略し、新彊ウィグル自治区などと勝手に命名した。「あたらしい辺疆」
という意味である。チベットを「解放した」と詐称するのと同じ詭弁である。

さてことしのSCO(上海協力会議)にアフガニスタンは正式メンバーと
なって、習近平の「シルクロード」構想に加わった。これが伏線だったのだ。

アフガニスタン政府は、領内「アフガン回廊」に中国軍の訓練基地を認め
た。中国の狙いは表向きテロリスト対策だが、もうひとつはアフガン領内
にある豊饒な鉱物資源鉱区だろう。
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 ヒトラーはルーズベルトの挑発をことごとく黙殺した。
  米国は「東洋にヒトラーの代役」(つまり戦勝国史観の悪役)を捜し
あてた

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チャールズ・カラン・タンシル 渡辺惣樹訳『裏口からの参戦』(草思社)
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副題は「ルーズベルト外交の正体 1933−1941」である。分厚い翻訳本、
しかも上下二巻。渡辺惣樹氏の名訳。斯界に衝撃を与え続ける翻訳者は、
どうやって、このたぐいの名著原典を探し出すのか、不思議である。

本書は1952年に「戦勝国史観」に対するアンチテーゼとして刊行され、米
国の歴史学界において、一部の歴史学者からは高い評価を得たが、ルーズ
ベルト大統領一派は、攻撃、侮辱を重ねて、本書を排斥した。チャールズ
はジョージタウン大学などで教鞭を執ったが、晩年は左翼からの罵倒に
よって恵まれない環境のなかに生涯を終えた。

真実を言う学者は、どの世界でも冷遇されるものである。

しかし66年ぶりに日本で甦ったのだ。

反日家だったルーズベルトは、国民世論が絶対的に参戦反対というムード
の中で、じつは軍の高層部も日本との戦争には反対だった。それならば、
謀略を仕掛けて日本に真珠湾攻撃をしでかすように仕向け、まさに「裏
口」から第二次世界大戦へ雪崩れ込んだ。その具体的なルーズベルト政権
の騙しの方法がどうであったかを歴史を溯って詳述する。

まずドイツだった。しかしルーズベルト外交の裏の意図をヒトラーは戦略
的に先回りして、読んでいた。

ヒトラーはアメリカの挑発に乗らなかった。黙殺したのだ。

反日戦争屋のスティムソンが、1940年に陸軍長官となった。矛先は明瞭に
日本に向けられた。

スティムソンは、日記にこう書いた。

「問題はいかにして日本に最初の一発を撃たせるかである。もちろん、そ
れが我々にあまりにも危険であってはならないが。。。」

その翌日にハルは日本に最後通牒を突きつけたのだ。

ヒトラーが拒否した役回りを日本の政治家にふることをルーズベルトは決
めた。

「ルーズベルトはシグナル役を東洋に見つけた。そして真珠湾攻撃が起き
た。彼が待ちに待った死の曲を演奏するシグナルとなる事件を日本がおこ
してくれた」。

直前までの和平交渉からハルノートへいたるまでの表向きの歴史は、すで
に多くが語られた。日本が戦争回避に必死だったことは誰もが知っている。

問題は「語られなかった」水面下の動きだった。

米軍は「天気予報」の暗号で「東の風、雨」というダミー暗号から、日米
開戦が不可避となってことを事前に知っていた。これらの詳細は本書にあ
たっていただくことにして、真珠湾攻撃当日、次のホワイトホウスのなか
の動きの描写はきわめて印象的である。

「真珠湾攻撃の報が届く前のホワイトハウスの執務室は穏やかだった。外
から入る電話を遮断していた。大統領は、切手のコレクションを静かに整
理し、ポプキンズは大統領の愛犬ファラと戯れていた。そして運命の午後
一時が過ぎた。しばらくして日本軍による真珠湾攻撃をしらせる報が届い
た。そうしてアメリカはあの大戦に引きずり込まれた。そして大戦が終
わった今も、共産主義国と戦い続けている有様である」

翻訳者の渡辺氏はフーバー大統領の『裏切られた自由』、フィッシュの
『ルーズベルトの開戦責任』の翻訳もこなしたが、この本をもって日本人
インテリに『是非読んで欲しい三部作』としている。
        
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1781回】                 
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(6)
  徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

         △

徳富は満鉄経営の問題点を挙げながら、「滿鐵に必要なるは、創業の氣分
也。然り創業の氣分なり」と説く。やはり初心忘るるべからず、である。
さて、昭和20年8月15日の敗戦のその日まで、満鉄経営首脳陣は「初心」
を貫いたといえるだろうか。

10月10日、大連を発ち営口に向う。

これまでの観察から、「眞の滿洲の富は、寧ろ關東州以北にある可し。更
らに進んで云はゞ、奉天以北にある可し。或は長春以北にありと云ふが、
尤も恰當の言ならむ」とする。「長春以北」といえば、その先に北満が控
え、要衝のハルピンを東西に貫いて東清鉄道が奔り、東に向えばウラジオ
ストック、西に向えば満州里からチタを経てモスクワ、ペトログラードに
繋がる。ならば日本の進む道は革命ロシア(ソ連)を相手に北満を押さ
え、東清鉄道に対し圧力を与え、あわよくば北満産業の大動脈であり生命
線である東清鉄道を影響下に置くことあるはずだ。

かつて満洲最大の交易港であった営口も、いまや「其の血液の大部分を、
大連に吸ひ取られ」てしまい、「衰殘の形骸に過ぎざるが如し」。

満州の2大河川といえば、北流してハルピン郊外を過る松花江と南流して
営口で渤海湾に注ぐ遼河である。前者の流域一帯には「露國の勢力注入せ
られ」、後者流域は「英國の勢力區域」である。徳富は遼河を西に越えて
遼西地方に入った後、海岸沿いに南下して中国本部と満洲を限る山海関を
経て秦皇島に至った。

日本は遼河の東側である遼東地方についてはともかくも、英国の影響下に
ある遼西地方に至っては関心を払わない。「遼河は實に支那に於ける、自
然的大動脈也。此の大動脈を、如何にせんとする乎。而して此の大動脈の
流域たる遼西を、如何にせんとする乎」と疑問を呈する。満州経営のリス
クと将来性を考えるなら大連一辺倒は危険であり、遼西地方に対する考え
ておくべきだ、というのだろう。

京奉線で天津を経由して北京入りしたのは10月13日午後9時近くだった。
 北京では紫禁城、文華殿、孔子廟、国子観、天壇などの旧跡を訪ねてい
るが、それらの建物の落?ぶりを眼にし、数年前に洪憲を名乗り念願の帝
位に就きながら内外からの強い批判を受けて帝政を取り止め憤死した袁世
凱の人物評を下している。

「袁世凱は誤魔化を以て始終せり。死者に鞭つは、吾人の屑とせざる所
なるも、彼が本性は、端なく此處にも暴露せらる。彼は根本的の施設家よ
りも、一時の間に合せ的の仕事師」に過ぎない。「彼の帝政も亦た、槿花
一朝の夢たりし也。而して今後袁翁に代りて、支那を統一するもの、知ら
ず何人ぞ」。

北京では段祺瑞総理、馮国璋総統、段芝貴北京衛戍司令官、梁啓超財政部
総長、曹汝霖交通部総長、湯化龍内務部総長、汪大燮外交部総長など当時
の中華民国政府首脳と面談している。

はたして彼らの中に「今後袁翁に代りて、支那を統一する」ことのできる
人物を見い出すことが出来たのか。以上の要人には釋宗演も顔合わせを
し、その際の人物評を『燕雲楚水 楞伽道人手記』に見ることができる。
同一人物に対する徳富と釋宗演の評価の違いを知るのも一興か。

先ず段祺瑞については、「小男にして、顔色??、顴骨秀で、眼の玉きよ
ろりとして、極めて落ち着きたる風あり。支那人には、恐らく珍しき寡默
にして、且つお世辭の少なき男なる可し」。

一見したところ、「聰明の人」なのかどうか判然とはしない。だが「多少
意志あり、且つ自信ある人」のようでもある。「些か一本調子にして、鼻
先強きに似たり」。以上は「唯だ余が印象」に過ぎない。

徳富にとって段は期待できる人物ではなさそうだ。

◆中国の軍事膨張で正念場の日本

櫻井よしこ


8月16日、米国防総省は、中国の軍事・安全保障の動向に関する年次報告
書を公表した。非常に堅実で説得力のある内容だ。日本がいよいよ正念場
に立たされていることを切実に感じさせられるものでもあった。

ここで重要なのは国防総省や国家安全保障会議(NSC)の考え方と、ト
ランプ大統領自身の考え方がどこで重なり、どこで離れていくのかを知っ
ておくことである。米軍の最高司令官は、無論、大統領だ。議会の承認も
必要だが、大統領は殆んどの重要事項を独自に決めてしまえるほどの強い
権限を有している。大統領に制度上与えられている一連の強い権限は、ト
ランプ氏の型破りな人柄によって、一層増幅されていると考えるべきだ。

トランプ氏は閣僚や補佐官に依存しない。大事なことでも相談さえしな
い。独自に決断してしまいがちだ。今回のように国防総省が中国の軍事的
脅威を分析し、米国の取るべき道として非常にまともな方針や戦略を打ち
出したからといって、大統領がそれに従うわけではないということだ。米
国に依存せざるを得ない同盟国として安心などできないのだ。

今年の年次報告書は、中国が眼前の課題に対処しながら、大戦略を着実に
進めていることを真っ先に記述している。大事な点である。中国は21世紀
最初の20年間を「戦略的好機」の期間ととらえ、世界制覇を実現するため
に多層的な攻略をしかけているが、その長期戦略から目を逸らすなと警告
しているのである。

中国は米国にも世界にも「騙し騙し」の手法でやってくる。弱小国に圧力
をかけるにしても、米国との衝突には至らないようにその直前で攻略を止
めて様子を見る。中国が世界規模で行っていることを見れば侵略や覇権の
意図は明らかなのだが、そこを突かれる直前に、「一帯一路」に代表され
る経済に重点を置いたかのような政策を打ち出すことで、対中警戒心を緩
めさせる。その背後で再び侵略を進める。

中国海兵隊は3万人に拡大

この繰り返しが中国の基本行動型であることを、年次報告書は明記してい
る。圧力、脅迫、甘言、経済支援の罠などを駆使して自らの望むものを奪
うその戦略を、習近平政権は「中国の夢」、「偉大なる中華民族の復興」
などという美しい言葉で宣伝してきた。「ウィンウィンの関係」「人類運
命共同体」などと謳いながら、習氏は中国人民解放軍(PLA)を世界最
強の軍隊にするために組織改革を含む中国軍立て直し計画を断行してきた。

中国の軍事力の驚異的ビルドアップの実態をきっちり押さえたうえで、年
次報告書はPLAの侵略的行動について具体的に警告する。

たとえば、上陸作戦を担う中国海軍陸戦隊(海兵隊)は現在2個旅団で約1
万人だが、これを2020年までに7個旅団、約3万人以上にまで拡大させると
いうのだ。中国陸戦隊は一体どこに上陸しようというのか。台湾か尖閣
か。彼らは両方とも中国の核心的利益だと表明済みだ。

年次報告書には台湾と尖閣を巡る危機も詳述された。たとえば尖閣諸島周
辺の日本領海に、中国船は4隻が一団となって、平均すると10日に1回の頻
度で侵入、などと詳しい。

中国は海からだけでなく空からもやってくる。中国軍機による接近は急増
しており、航空自衛隊の緊急発進も増え続けている。昨年度の実績で全体
の約55%が中国軍機に対するものだ。PLAの爆撃機はいまや沖縄本島と
宮古島の間をわが物顔に往復する。空自の緊急発進はこれまで2機態勢で
行われていたが、現在は4機態勢、まさに尖閣周辺は緊迫の海だ。

そうした中、あとわずか2年、東京五輪までに中国海兵隊は3倍になる。彼
らの狙いが台湾にあるのは確かであろうが、尖閣諸島占拠の優先度も同様
に高いと見ておかなければならないだろう。

習氏は国家主席に就任する直前の13年1月に、PLA全軍に「戦争の準備
をせよ」と指示を下した。同年3月にはロシアを、6月には米国を訪れ、尖
閣問題について中国の主張を展開し、両国の支持を求めた。習氏の試みは
失敗したが、尖閣奪取の執念はカリフォルニアでのオバマ大統領との首脳
会談で浮き彫りにされた。なんと習氏は1時間半にわたって尖閣問題にお
ける中国の立場を説明したのだ(矢板明夫『習近平の悲劇』産経新聞出版)。

ギラギラした目で尖閣も台湾も狙う習政権の戦略に対して日本版海兵隊、
水陸機動団は今年3月に2100人態勢で発足したばかりだ。五輪後の21年頃
には3000人に拡充予定だが、中国陸戦隊の3万人には到底見合わないだろう。

トランプ氏の考え方

にも拘わらず、日本に危機感が溢れているわけでもない。日米同盟が抑止
力となり、中国を思いとどまらせることができるとの考えが根強いせい
か。現在の日米安保体制の緊密かつ良好な関係ゆえに、一朝有事には米軍
も日本を大いに扶(たす)けてくれるに違いないと考える人々が多いせいだ
ろうか。しかし真に重要なのはトランプ氏の考え方なのである。

ロシアのプーチン大統領は敵ではなく競争相手だと言い、北大西洋条約機
構(NATO)諸国を悪し様に非難するトランプ氏は、そもそも同盟関係
をどう考えているのか。7月のNATO首脳会議にはどのような考え方で
臨もうとしていたのか。これらの疑問についてトランプ氏の考えを正確に
読みとっておかなければ大変なことになる。

8月11、12日付の「ニューヨーク・タイムズ」(NYT)紙が「米政府事
務方がトランプからNATOを守り通した」と報じていた。トランプ氏は
6月の先進7か国首脳会議(G7)で、カナダのトルドー首相を痛罵し、共
同声明に署名しないと宣言した。前代未聞のことだった。NATO首脳会
議が同様の失敗に終わることだけは避けようと、ボルトン国家安全保障問
題担当大統領補佐官がNATO各国と緊急に話し合った。万が一にでも、
トランプ氏がNATO脱退を言い出さないように、「肉がしっかり詰まっ
た」NATO軍強化策を大急ぎで取りまとめたのだ。

柱は「4つの30構想」とした。「30機械化大隊、30飛行群、戦闘艦30隻が
30日以内に反撃開始可能」な軍事力を20年までに完成させるため、全加盟
国が具体的目標を設定し、直ちに取りかかると合意した。

合意を、トランプ氏がブリュッセルに到着する前に成し遂げて、米国脱退
の道を塞いでしまったのだ。今回は29か国が力を合わせてここまで漕ぎつ
けた。しかし、世界全体がどの方向に行くのか定かでない地平に立ってい
ることに変わりはない。この間、中国の世界制覇の野望は不変である。わ
が国はこれまでに見たこともない速度と規模で国防能力を高めなければな
らないのである。

『週刊新潮』 2018年8月30日号 日本ルネッサンス 第816回

◆インスリン注射不要の夢

渡部 亮次郎


2006年8月、京大の山中伸也教授が、人の皮膚から採った細胞に4つの遺伝
子を入れて培養したら、万能細胞ができた。iPS細胞=人工多能性幹細胞
と言うそうだ。

万能細胞から、神経細胞、心臓細胞、臓器細胞、血液細胞、軟骨などが作
られ糖尿病や心臓病に使えるとされている。

自分の皮膚から採った細胞だから、自分の体に入れても拒否反応がない。
ノーベル賞だという声が上がって本当に受賞した。細胞や臓器の再生へ、
万能細胞の研究競争が激化するだろう。

山中教授は、何年かしたら、人工細胞ができると言う。激しい競争がある
からだ。

しかし、4つの遺伝子は、癌細胞から採っているので、人に応用すると思
わぬ事故になる可能性があると言う。

山中氏は、神戸大→大阪市立大→カリフォルニア大と研究を続けて、世界初
の万能細胞を作った。

人工細胞は、糖尿病、心筋梗塞(しんきんこうそく)、脊髄損傷(せきず
いそんしょう)などの治療に使える。
http://www2.ocn.ne.jp/~norikazu/Epageh3.htm

このうち糖尿病治療への展望について専門家に聞いて見ると、うまくすれ
ばインスリン注射が要らなくなる可能性があるという明るい見通しがある
らしい。

糖尿病は、食べたものを血肉にするホルモン「インスリン」が膵臓から十
分に出てこないため、溢れた栄養(ブドウ糖)が血管を内部から攻撃した
末に小便に混じって出る病気である。小便が甘くなるから糖尿病。

糖尿病それ自体ではなかなか死なないが、内部から血管を糖分で攻撃され
ると、脳梗塞、心筋梗塞、盲目、足の切断、癌多発といった
「合併症」を招いて、寿命より10年は早く死ぬ。

栃木県にある自治医科大学内分泌代謝科の石橋俊教授によると、駄目に
なった膵臓や膵頭を何らかの方法で丈夫なものを移植すれば問題は一挙に
解決し、インスリン注射も要らなくなる。

しかし日本ではドナーが不足し、膵頭を調整する試薬の供給がストップし
たりして、こうした治療を受ける患者は2桁どまりだ。

そこで注目されたのが、インスリン「製造工場」ともいえる膵ベーター細
胞の再生治療だったがヒトの受精卵の仕様に付随する倫理的制約や拒否反
応が壁になって進んでいなかった。

そこへ登場したのが山中教授の万能細胞。ヒトES細胞から膵ベーター細胞
を作る研究は壁に突き当たったが、山中教授のiPS細胞なら、自分の皮膚
から出来た物だから拒否反応も倫理的な問題も起きない。

問題は今回できた4つの遺伝子が、がん細胞からとっているので、人に応
用すると思わぬ事故になる可能性があることだ。石橋教授は「この問題が
解消されれば、実用化は意外に早いかも知れない」と言っている。

資料:(社)日本糖尿病協会関東甲信越地方連絡協議会機関紙「糖友
ニュース」91号(2008・7・1)  執筆 08・06・28

◆私の古寺旧跡巡礼 出雲大社

石田 岳彦


神宮といえば伊勢神宮、大社といえば出雲大社といわれるように、出雲大社はわが国でも指折りの格式の高い神社です。

古事記や日本書紀の神代巻によれば、大国主命が、地上の支配権を天照大神の孫のニニギノミコト(つまり今の天皇家のご先祖)に譲るのと引き換えに建ててもらった宮殿が出雲大社の起源とされています。

出雲大社は通常「いずもたいしゃ」と呼ばれ、私も勿論、そう呼んでいたのですが、「いずものおおやしろ」というのが正式な読みだそうです。驚きました。

もっとも、この名称自体、明治時代以降のもので、それ以前には杵築大社(きづきのおおやしろ)と呼ばれていたそうです。更に驚きました。ともあれ、その出雲大社で、平成20年より国宝の本殿の修復が行われています。

御存知の方も多いと思いますが(各地からツアーが組まれていたようなので実際に行かれた方も少なくないかも知れません)、修理に先立つ大遷宮(神が仮の社に移ること)を記念して、平成20年に本殿の60年ぶりの公開が行われました。今回はその際の話をさせていただきます。

お盆を控えた平成20年8月のある週末、私は1泊2日で出雲に出掛けることにしました。朝一番の新幹線と在来線の特急を乗り継いで、JR出雲市駅(ちなみに平成の大合併により、出雲大社のあった大社町は出雲市の一部となりました。)からはタクシーを飛ばしたものの、出雲大社に着いたのは午前11時過ぎでした。

整理券をもらうと午後3時半。4時間半待ちです。事前情報として待ち時間がかなり長くなるのを知っていたので、驚きはありません。寧ろ、今日中に拝観できるのが決まって一安心です。

4月から5月にかけても本殿の公開が行われましたが、その際は境内に長蛇の列ができ、最大で4時間待ちになったとか。その反省もあってか、8月の公開の際には整理券が配られるようになったようです。まあ、8月の炎天下に長蛇の列ともなれば、熱射病で死屍累々となることは分かり切ったことですが。

幸い、日御碕神社、日御碕灯台や旧国鉄大社駅等、周囲に見るべきものは多く、正直4時間半でも短いくらいです(歴史ファンであればという条件付きですけど)。ともあれ、極めて有意義に時間を潰した私は午後3時前に出雲大社に戻ってきました。

本殿の拝観は、案内人に引率されて20人程度のグループ単位で行われます。
ようやく時間になったので、四脚門を潜って玉垣の中に入り、更に楼門をくぐって、靴を脱いだうえ、本殿正面の階段を登りました。本殿への階段は急で、高低差があります。

出雲大社の本殿はこの地方に独特の大社造りと呼ばれる高床式の建物で、正面に屋根付きの階段が設けられています。ただし、本殿の周囲に二重の玉垣が巡らされていることもあり、特に下部の構造は外部から分かりにくいです。

時間に余裕がある方には、出雲大社の前後にでも、松江市内の神魂(かもす)神社(本殿は現存最古の大社造りで国宝に指定)にも寄って、大社造りの建物の全容を見ておくのをお勧めします。現在の本殿は江戸時代に建てられたもので、高さは下から棟までで8丈(24.2m)だそうです。

写真では分かりにくいのですが、実際に本殿の縁側にまで登って周囲を見下ろすと、だいたいビルの3階くらいの感覚で、かなり高く感じます。もっとも、言い伝えによると、中世以前の本殿はこの2倍の16丈、神話の時代においては更に倍の32丈の高さがあったということなので、この程度で驚いてはいけないのかも知れません。

なお、16丈の本殿については、従来、技術的に困難であるとして、単なる伝説であり、史実ではないとする説が強かったようですが、近年、昔の本殿の巨大な柱(丸太3本を束ねたもの)が境内から発掘されたこと等もあり、最近では、歴史的事実として認める説も有力のようです。

もっとも、昔の技術で16丈の高さにするには無理があったためか、文献上、しばしば本殿の転倒事故が起きているのが確認できるとのこと。

神代の32丈(約96m)の本殿については、さすがにこれを信じている人は少ないようですが、土を盛って人工の丘を作り、そのうえに建物を建てることにより、麓からの高さで32丈を確保したとの説もあるそうです。ここまでくるとほとんど頓知話ですね。

本殿のうえは大渋滞で、一旦、縁側を右側に回り、後方を巡って、最後に正面に回り込み、本殿内部を除きこんで、降りるというコースになっていました。正面に回るまで15分ほど縁側で待たされることになりましたが、本殿上にとどまれる時間がその分長くなるわけですから、悪くない話です。

普段は玉垣の外からしか覗けない、本殿の周囲の建物の桧皮葺の屋根も、今は、私の眼下にあります。私がこの光景を見るのもこれが生涯で最後、若しくは、50年以上先の次回の修理のときだろうと思うと、有難味もひとしおです(数年後に修理が完了した際に、もう一度特別公開をやるという落ちになるかもしれませんが)。

写真撮影禁止なのが泣けてきます。ようやく正面に回り、縁側から内部を覗き込みました。さすがに中には入れてもらえません。神様の家ですから。

本殿の中央には文字通りの大黒柱(仏教の守護神であった大黒天と大国主命はもともと別の神様ですが、「大国」が「ダイコク」と読めるということで、次第に混同されるようになりました。袋をかついだ七福神の大黒様は大国主命のイメージから来ています。

また、事前情報として知っていましたが、大国主命の御神像を収める御神座は何故か正面ではなく、右側(拝観者から見て左側)を向いていて、参拝者の方を向いていません。

理由については争いがあり、中には、「出雲大社は大国主命の宮殿ではなく、その霊を封じ込める牢獄である」というおどろおどろしい説まであるようです。
更に天井には極彩色の「八雲」が描かれているのが見えます。もっとも、「八雲」であるにもかかわらず、何故か描かれている雲は7つだけです。

疑問に思って、説明の方に話を聞くと、昔から7つしかないけど「八雲」と呼ばれているとのことでした。残り1つは心眼で見るのでしょうか。そういえば、八岐大蛇(やまたのおろち)も、頭が8つだから七股なのに八岐と呼ばれていますね。

「八雲」は兎も角として、本殿の内部は、外観と同様全体的には簡素で装飾性が少ないという印象でした。

本殿の参拝が終わった後、改めて境内をノンビリと歩きます。特に印象に残ったのは、本殿の東西にあった十九社という細長い建物で、毎年11月に全国から出雲に神様が集まってくる際の宿舎になる社ということのようです。

 また、出雲大社のすぐ近くには県立の歴史博物館もあります。上で述べた発掘された昔の本殿の柱に加え、加茂岩倉遺跡(一箇所の遺跡から最多の銅鐸が発見されたことで有名)から出土した銅鐸、荒神谷遺跡(358本という常識外れの大量の銅剣が発掘されたことで有名。

勿論、国内最多。から発掘された銅剣もまとめて見る事ができます。巨大なガラスケースの中に300本以上の銅剣が並ぶ様にはあっけにとられます。

 機会があれば、一度、出雲の地に行かれてみてください。    
(終)
     弁護士  

2018年08月30日

◆日本国憲法を「絶対善」とする不可思議

櫻井よしこ


「日本国憲法を「絶対善」とする不可思議 改憲で自由なくなるなら根拠
示すべきだ」

夏休みは、NHKのプロパガンダの季節か。そのように感じさせる戦争に
まつわる番組を、NHKは何本も放映していた。

日本は大東亜戦争で敗北したのである。辛い体験であるのは当然だが、
NHKの報じ方はあえて言えば「軍と政府が悪い」「国民が犠牲にされ
た」という相も変わらぬ短絡な構図だった。

そんな中、加地伸行氏の『マスコミ偽善者列伝 建て前を言いつのる
人々』(飛鳥新社)が痛快である。木っ端微塵にされた筆頭が澤地久枝氏
だ。加地氏は澤地氏を「日本国憲法の条文はこれこそ〈絶対善の本物〉と
反応してそう思い込み、その条文通りに生きるのが正しいとする観念論を
撒き散らしている」と断じた。

この的確な批判に、澤地氏はどのように反応するであろうか。

槍玉に挙げられたのはいわゆる新右翼と言われた一水会の鈴木邦男元顧問
も同様だ。寡聞にして知らなかったのだが、鈴木氏は平成26年3月1日の
「毎日新聞」、同7月18日の「朝日新聞」で「中国や韓国に意図的にけん
かを売って反感を導き出し、求心力を高めようと利用している感じがす
る」と、安倍政権批判を展開していたようだ。

加地氏は問う。「驚いた。逆ではないか。『中国や韓国に』ではなくて、
『中国や韓国が』ではないのか」と。

さて、鈴木氏はどう答えるか。

憲法について鈴木氏は、見直すべきと言いながら、「今の政府で改正すれ
ばもっともっと不自由になり、国民を縛る憲法になる」とも発言していた
そうだ。加地氏はこれを「左翼顔負けの護憲」と斬って捨て、もう一つ、
鈴木氏の次の言葉を紹介している。

「自由のない自主憲法になるよりは自由のある押し付け憲法の方がいい」

「右翼ももう終わりである」と加地氏は書いたが、事はもっと深刻であろ
う。改憲すれば「自由がなくなる」、改憲しなければ「自由がある」と鈴
木氏は対比したが、根拠は何か。根拠を示さずにこの種の乱暴な主張を展
開するのでは、右翼以前に言論人としての存在が終わってしまうであろうに。

深い素養に基づき、加地氏の論は縦横無尽、大胆に展開される。批判の矢
に射抜かれるのは、社会保障を損得勘定で語る「有識者」の愚かさであ
り、一大ブームを巻き起こしたピケティ氏の格差批判でもある。

山崎正和氏の平成25年11月号の「潮」における発言は以下のようだったと
加地氏が示している。

「日本人にとって、選択できる道は一つしかない。たとえ個人的には身に
覚えがなくとも、全国民を挙げてかつての被害国に謝罪をつづけることで
ある」

山崎氏がどんな意見を述べようと言論の自由であるとしたうえで、加地氏
は、(1)「道は一つしかない」、(2)「全国民」、(3)「つづけるこ
とである」と主張するのは、「己れの立場という一つのありかたしか許さ
ない」ことで、俗に言うファシズムだと断じている。

人類の歴史における戦争を含む不幸を、私たちはそれまでのことはすべて
水に流すという国際社会の約束事としての講和条約などで乗り越えてき
た。その典型が日米関係だ。

加地氏は『論語』の「八佾(はちいつ)」から引いている。「成事(せい
じ)(できたこと)は説かず。遂事(すいじ)(すんだこと)は諫めず。
既往(過去)は咎めず」。

こうした人類の知惠を学ばず「個人的には身に覚えがなくとも」謝罪をつ
づけよとは、中・韓の回し者のような発言だとは、言い得ているではないか。

加地氏は著書の最後で、日本人のみならず東北アジアの人々にとって、一
神教を理解するのがなぜ難しいのかを語っている。一神教と多神教につい
ての氏の考えを、二度、三度と読んで、人の死を祖先とのつながりの中で
受容し、慰められ、生き続けるということの意味が深く私の実感と重なっ
た。読後感は「感謝」の一言だった。

『週刊ダイヤモンド』 2018年8月25日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1244

◆外国人の不動産投資は認めない

宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月28日(火曜日)通巻第5807号 

 外国人の不動産投資は認めない。投資家への特権ヴィザは与えない
  マレーシア首相「『フォーレスト・シティ』は外国の植民地ではない」

連続する「マハティール・ショック」。(中国にとってのショックだが)
 
そもそも5月のマレーシア選挙で、親中派首相だったナジブが「まさかの
落選」をし、93歳のマハティールが首相復帰など、中国の事前の想定には
なかった。それが第1のショックだった。

政権発足直後、マハティールは「新幹線プロジェクト」の中止、「ボルネ
オのガス・パイプライン工事」の中止を発表した。総額230億ドルを超え
る、シルクロードの一環である。これが第2のショックだった。

第3のショックは親中派だった政治家ナジブ前首相の逮捕と起訴である。
こんご、ナジブ政権と中国との不法なビジネス、その癒着と賄賂問題など
が裁判で争われる。

第4のショックはマハティールの訪中が、交渉術においてマハティールの
実質勝利であったことだ。中国はこの老獪老練な政治家に一歩先を読まれ
た。工事の中断理由は「中止ではなく、財政問題が解決すれば、工事再開
もあり得る」という妥協的なイメージで習近平の顔を立てながら、交渉を
うまく運び、事実上の中止を宣言した。

第5のショックは中国の投資家への警告を意味する。

8月27日、マハティールは「フォーレスト・シティへの外国人投資を禁止
する。不動産投資移民にはヴィザを発給しない。フォーレストシティは外
国の植民地ではない」と発言した。

フォーレストシティは、シンガポールとの西端国境近くに70万人口の高級
団地、人口都市を造ろうというもので、総工費1000億ドル。民間企業のカ
ウンティガーデンが造成、建設、販売を担い、すでに最初の一区画は一万
戸を販売、その90%は中国人だった。

マハティールのいう投資家ヴィザとは、「十年間マルチ」という特権的な
待遇を保証するもので、外国人が第2ハウスとしてマレーシアで物件を購
入すれば、機械的に与えられた。昨年だけで、1439人の中国人が、この
ヴィザを獲得、2番手は韓国人だった。

カウンティガーデン(碧佳園)はすでにマレーシアでいくつかの巨大プロ
ジェクトを成し遂げており、従業員7万人、売上高200億ドルをこえる、
中国を代表する民間デベロッパーだ。

フォーレストシティのマンション販売ではすでに1万戸を売り、そのうち
の90%が中国人だったことは述べたが、販売額は36億ドルで、同社の売り
上げの2%未満。したがってマハティール発言でも株価には殆ど影響はな
かった。

だが「碧佳園」は、中国国内の不動産バブル崩壊が秒読みになった踏んで
おり、国内から海外へと舵取りを替えつつあり、またスキャンダルに満
ち、経営者が逮捕された安邦保険が同社の9・9%株主だった。

それにしてもマハティールの「フォーレストシティは中国の植民地ではな
い」とするのは選挙公約であり、トランプ流のナショナリズムへの回帰、
すなわち「マレーシア・ファースト」である。とはいえマレーシアはマ
レー人が主流だが、華僑人口が35%、インド系が10%。複雑な民族構成が
そのまま政治に絡み、マハティール政権は磐石とは言えないのである。

外国人のマレーシアにおける不動産投資禁止は、今後、法改正などが必要
とされるため具体的には如何なる方法となるのかは未定だ。

しかし、この外国人の不動産購入禁止措置は、北海道などを中国資本が買
い占めている日本にとって、格好のモデルケースとなるのではないか。

       
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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{知道中国 1780回】                    
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(5)
  徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

              △

徳富は、国際政治の上からも、極東における列強角逐状況においても、は
たまた国内状況のうえからも、極めて微妙な時期に、微妙な場所を歩いた
ことになる。

ハルピンを発った徳富は長春に取って返す。長春駅頭の風景を、「停車
場の提灯山の如く、叫聲雷の如し」。そはなんぞ。「支那人の宿引き」
だった。「例によりて支那人の仰山なる、驚く可き也」。

次いで長春から吉長鉄道で東に向い吉林へ。建設に当たっては「資金の半
は、滿鐵より出」ているだけではなく、「近頃其の經營の、滿鐵の手に委
せらる可し」とのことだから、全般に日本の色が出ている。「東清鐵道に
比すれば、車室も比較的清潔也、係員も丁寧也、(中略)車内にて茶を出
し、温湯にて濕したる手拭を出し、何となく支那茶館に赴きたる風情あり」。

僅かに2時間滞在した吉林に就いて、徳富は考える。「若し我が北鮮の
清津より、會寧に達する鐵道成就し、更らに吉會線布設の日に至り、而し
て敦賀清津間の、日本海定期航路出で來らば、日本と吉林の接近は、意想
外の効果を來たさむ」。吉會線の建設は軍事的見地からだけではなく、
「經濟的、拓殖的見地に於て、更らに其の大なる理由あるを、知らざる可
からず」。因みに清津と會寧を結ぶ清會線は徳富が旅行した翌年には完成
している。

吉林から長春に取って帰す。

「長春は即今、南滿の極北盡頭也。即ち日本勢力範圍のそれ也。之を咫
尺相距る、露國の寛城子に比較すれば、一は生氣淋漓たり、他は衰殘荒
廢、目も當てられぬ容態也」。旭日の日本に対するに落?のロシア帝国で
あり、混乱のなかの革命ロシアといったところか。

地政学のうえから考えて、南北滿洲からシベリアに至る広大な地域を「四
通八達の要衝」であり、「地味豐沃」で農産物は豊富である「長春は日、
支、露三國の交差點なるが爲め、貨幣も一層複雜」だ。流通する紙幣・貨
幣の種類が多く、交換レートも複雑極まりない。「されば長春に於ては、
通貨も亦た一種の貨物として、其の取引を必要とする」のだ。そこで徳富
は「愈々滿洲幣制の統一の急務を、認めざるを得ず」ということになる。

12月2日、長春を発ち南下する。大連駅頭で待っていたのは真宗大谷派を
率いる大谷光瑞だった。体調を崩していた徳富は10月7日に動き出し、中
村関東州都督、国沢満鉄理事長、樺山満鉄理事などと面談しているが、国
沢理事長との面談の席で「昨日天津より汽船にて、當地に來着したる」釋
宗演と再会した。

大連を「露人の計企を繼紹したりとするも、之を大成したるは我が大和
民族の手腕也」と見做し、「我が大和民族の手腕」を発揮して「第三埠頭
を築造中」であり、満洲大豆を主な要素とする盛況ぶりを讃える。大連周
辺の景勝地を廻った後に向った旅順に就いて「要するに旅順の今日は、軍
港としても苟も我が勢力の滿洲に存せん限りは、殆んど大なる必要を認め
ざる可し」と。

満洲経営に就いて、「從來十中の九分九厘迄が、殆んど滿鐵」によって賄
われていると見做す徳富は、満鉄に対し「今更稱賛の辭を費す丈が野暮
也。蛇足也、贅辯也」といいながらも、「今ま世間の噂一二を紹介す」る
という形を取って敢えて注文を付ける。

「(第一)餘りに消極主義に偏し、社員の人氣全く沮喪せり。(第二)幹
部に中心人物なく、全く無頭動物也。(第三)上に厚く、下に薄し、故に
有爲の社員は逃げ出し、又た新たに來る有爲の人物なし。(第四)毎に政
變の影響を被る故に、不安の念多し」。

ここにいう「政變」は東京の中央政経における政変を指すことは敢えて言
うまでもないだろう。

「以上は僅に其一端のみ」とはいうものの、問題山積は否定し難かった。
《QED》

◆介護保険のサービスとは

大阪厚生年金病院
 

介護保険で受けられるサービス内容についてお話します。

A;家に帰っても自分で掃除や洗濯をするのがつらいのですが・・・
Q;入浴や排泄のお世話、衣類やシーツの交換、通院の付き添い、掃除、洗濯、買い物、食事の準備など身の回りのお世話をヘルパーがしてくれる訪問介護というのがあります。

A;床ずれがあるんですが、その処置が私にはできません・・・
Q;医師の指示のもとに看護師が訪問し、床ずれの手当てや点滴の管理をする訪問看護があります。

A;家にお風呂がなくて祖父をお風呂に入れてあげることができません・・・
Q;家庭の入浴が難しい場合、移動入浴車が訪問して浴槽を提供し、入浴の介助をする訪問入浴介護や昼間施設に行き、食事や入浴のサービスを受ける通所介護(デイサービス)があります。

これは家族が介護できない場合など利用したり、外に出て人と交流したいとかレクレーションを楽しみたい人が受けるサービスです。

A;家族で数日でかけなければならなくなったのですがどうしたらいいでしょうか?
Q;福祉施設に短期間入所して食事・入浴・機能訓練が受けられる短期入所生活介護(福祉施設におけるショートステイ)があります。介護で疲れた場合も利用してみましょう。

A;家に帰って病院のようなベッドを利用したいのですが、購入できますか?
Q;介護保険でできます。購入もレンタルも可能です。夜間のトイレが心配な方には簡易トイレの購入や車椅子のレンタルもできます。

A;トイレやお風呂に手すりをつけたいのですが・・・
Q;転倒を防いだり、自立しやすい生活環境を整えるため、段差解消や手すりをつけたりする住宅改修の費用が支給されます。ただし、一生涯の利用限度額の決まりがあります。

これらの他にも訪問リハビリテーション・居宅療養管理指導・通所リハビリテーションといったサービスもありますので必要に応じて利用してみてください。

これらのサービスにかかる料金を介護度に応じた利用限度額の中でまかないます。

どんなサービスをどれくらい受けたいか、ケアーマネージャーとよく相談してプランを決めましょう。 

いかがですか?介護保険について少しおわかりいただけたでしょうか?なかなかなじみがないかもしれませんが、これらのサービスを利用して自宅の介護に役立て、少しでもご家族の介護の負担を少なくしていきましょう。(完)

2018年08月29日

◆複雑な欧州情勢に見る日本への教訓

櫻井よしこ

トランプ米大統領は、ブリュッセルで行われたNATO(北大西洋条約機
構)首脳会議に先立つNATO議長との会談で、メルケル独首相を「ロシ
アの捕虜だ」と貶めた。NATO諸国が軍事費を増やして備えを進めてい
るロシアに対して、ドイツは「ノルドストリーム2」と呼ばれる海底ガス
パイプラインの敷設で協力し、ロシアの天然ガスをはじめとするエネル
ギーの欧州向け販売で力を貸し、毎年何十億ドルもの資金をロシアに与え
ることになるとして、氏は怒ったのである。

エネルギーは如何なる国にとっても最重要の戦略物資である。ロシアは、
ウクライナ経由のガスパイプラインで欧州にガスを売ってきた。しかしウ
クライナで反ロシア政権が誕生したり、反ロシア国民運動が高まると、パ
イプラインの元栓を閉めて圧力を加えた。ウクライナはロシアのガスを欧
州諸国に分配するガス通行料収入どころか、ガスの供給を断たれておよそ
全ての経済活動が停止。完全にお手上げだった。

だが、ロシアにとってもガス栓を閉めることは身を切る結果となった。エ
ネルギーの輸出はロシアの輸出全体の約半分を占め、国家予算の40%がそ
れによって賄われているからだ。そこでプーチン氏は、ロシアから直接バ
ルト海の海底にパイプラインを通し、ウクライナを経由せずに欧州へ天然
ガスを移送することを考え、ドイツを中核国としようとした。それが「ノ
ルドストリーム2」だ。

完成すれば、ロシアの欧州向け天然ガス輸出の80%がこのパイプラインで
送られる。ドイツはハブ国として、ロシアのエネルギーを欧州に売り捌
く。前首相のシュレーダー氏はロシア国営企業のロスネフチの会長におさ
まっているが、安全保障で対立する国の国営企業にドイツ前首相が高給で
雇われてよいはずがない。ドイツの行為は利敵行為であり、トランプ氏の
批判は正しいのだ。

ドイツの裏切り

ドイツへのトランプ氏の怒りから過去の日本の体験に思いが移る。日本も
ドイツには酷い目に遭わされている。『日中戦争・戦争を望んだ中国 望
まなかった日本』(北村稔・林思雲、PHP研究所)に詳しいが、日本は
1937年に日独伊防共協定を、40年には日独伊三国同盟を結んだ。日本が当
時戦っていたのは中国国民党政府、蒋介石の軍隊だった。

ドイツは防共協定締結後も三国同盟樹立後も、一貫して日本の敵の国民党
政府に武器を輸出していた。ドイツではほとんど産出されない希少金属の
タングステンが中国には大量にあり、ドイツ軍の軍需産業に欠かせなかっ
たからだ。

それだけではない。日本が蒋介石軍と戦っていたとき、ドイツは蒋介石軍
への武器売却のみならず、ドイツ軍顧問団が幾つかの戦場で指揮をとっ
た。そのような戦場では、普段は蒋介石の軍隊に敗北したことのない日本
軍が大敗を喫している。ドイツの裏切りは41年7月まで続いた。独中関係
が突然終わったのは、ドイツ軍が反省したからではない。蒋介石の側から
国交を断絶した結果だった。

日本人はドイツ人に対して比較的好印象を抱く人が多いが、国と国との関
係に甘い期待など禁物である。

現在に至るまでトランプ氏の外交には筋が通っていないため判断がつきか
ねることも多いが、独露連携に対しては、布石を打っていた。昨年7月、
ポーランドの首都ワルシャワで開催された「3SI」(三つの海構想)の
会議への参加がそれで、トランプ氏はそこで、「天然ガスが必要なら、い
つでも電話してくれ」という表現で潤沢なエネルギーを供給する用意があ
ると強調している。

3SIはバルト海、アドリア海、黒海の三つの海沿いの旧東欧12か国によ
る連合体である。ポーランドとクロアチアが中心になってまとまったこれ
らの国々は、二度と独裁国家ロシアの傘下になど入りたくないと思ってい
る。欧州全域にロシアのガスパイプラインが敷設されれば、ロシアは欧州
に対する圧力を容易にかけられるようになる。欧州全体がエネルギーを通
じてロシアの支配を受けるような事態を、彼らは最も恐れている。

同会議でトランプ氏は、明らかに、ロシアを念頭に置いて、3SI加盟国
がどの国の人質にもならずに済むよう、潤沢で安価なエネルギーの供給を
保証したのだ。米国のエネルギー政策にも、米国で採掘可能になった潤沢
なシェールガスや石油の輸出を進めることが国家戦略として謳われた。ロ
シアの液化天然ガスは割高に価格設定されているが、米国は反対に安価で
潤沢なガスの輸出が可能なのだ。

ポーランドは既に米国のLNG受け入れターミナルを完成させており、
2022年に満期となるロシアのガスプロムとの契約は更新しない方針を決め
た。彼ら旧東欧諸国にとって、米国によるガス供給に道筋をつけたのは一
つの安心材料だ。しかし、それでも国際社会は厳しい。

トランプ氏の本音

NATO首脳会議でトランプ氏は、昨年NATOに加盟したモンテネグロ
について、つい語ってしまった。モンテネグロが攻撃された場合、米国の
青年がそのために血を流すことはないと、言ってしまったのだ。NATO
の基盤は集団安全保障の理念である。どの国であれ、加盟国に対する攻撃
は全体に対する攻撃だと見做し、全加盟国が力を合わせて反撃するのが
NATOだ。しかし、トランプ氏はそれを否定した。発言はすぐに訂正さ
れたが、これは恐らくトランプ氏の本音であろう。

どの国もさまざまな努力を重ねなければ生き残れないのである。日本はど
うかと考えざるを得ない。

トランプ氏はNATO諸国の国防力強化の努力が足りないとして、信じ難
いほどの悪態をついた。ドイツを最も鋭く厳しい言葉で批判した。日本に
対しても同じように厳しいコメントが発せられる可能性がある。

小野寺五典防衛大臣が7月27日、言論テレビで語った。

「例えば対GDP比の数字だけ言うと、ドイツは1.3%。これはNATO
基準の換算ですから、日本にはそのまま当てはめられませんが、日本は
0.87%です。米軍再編費用を除いた金額ではありますが。安倍政権になっ
てわが国は毎年防衛費を増やしています。経済が成長しGDPも伸びてい
るため、GDP比の数字が小さくなってしまうのです」

この他に日本は在日米軍基地のコストを負担している、或いは高い兵器を
米国から買っているなどと、主張することもできるだろう。しかし、そん
な目先の細目ばかりで言い訳の余地を探しても問題は解決されない。要
は、日本の置かれた状況の厳しさ――米国の内向きへの変化と中国の膨張――
の前で、どう日本を守るかということだ。それには専守防衛の精神を捨て
て、普通の民主主義国の、普通の国防政策を皆で共有することしかないだ
ろう。
『週刊新潮』 2018年8月9日号  日本ルネッサンス 第814回

◆外国人の不動産投資は認めない

宮崎 正弘

平成30年(2018年)8月28日(火曜日)通巻第5807号 

 外国人の不動産投資は認めない。投資家への特権ヴィザは与えない
 マレーシア首相「『フォーレスト・シティ』は外国の植民地ではない」

連続する「マハティール・ショック」。(中国にとってのショックだが)

そもそも5月のマレーシア選挙で、親中派首相だったナジブが「まさかの
落選」をし、93歳のマハティールが首相復帰など、中国の事前の想定には
なかった。それが第一のショックだった。

政権発足直後、マハティールは「新幹線プロジェクト」の中止、「ボルネ
オのガス・パイプライン工事」の中止を発表した。総額230億ドルを超え
る、シルクロードの一環である。これが第2のショックだった。

第3のショックは親中派だった政治家ナジブ前首相の逮捕と起訴である。
こんご、ナジブ政権と中国との不法なビジネス、その癒着と賄賂問題など
が裁判で争われる。

第4のショックはマハティールの訪中が、交渉術においてマハティールの
実質勝利であったことだ。中国はこの老獪老練な政治家に一歩先を読まれ
た。工事の中断理由は「中止ではなく、財政問題が解決すれば、工事再開
もあり得る」という妥協的なイメージで習近平の顔を立てながら、交渉を
うまく運び、事実上の中止を宣言した。

第5のショックは中国の投資家への警告を意味する。

8月27日、マハティールは「フォーレスト・シティへの外国人投資を禁止
する。不動産投資移民にはヴィザを発給しない。フォーレストシティは外
国の植民地ではない」と発言した。

フォーレストシティは、シンガポールとの西端国境近くに70万人口の高級
団地、人口都市を造ろうというもので、総工費1000億ドル。民間企業のカ
ウンティガーデンが造成、建設、販売を担い、すでに最初の一区画は一万
戸を販売、その90%は中国人だった。

マハティールのいう投資家ヴィザとは、「10年間マルチ」という特権的な
待遇を保証するもので、外国人が第2ハウスとしてマレーシアで物件を購
入すれば、機械的に与えられた。昨年だけで1439人の中国人が、このヴィ
ザを獲得、2番手は韓国人だった。

カウンティガーデン(碧佳園)はすでにマレーシアでいくつかの巨大プロ
ジェクトを成し遂げており、従業員7万人、売上高200億ドルをこえる、
中国を代表する民間デベロッパーだ。

フォーレストシティのマンション販売ではすでに1万戸を売り、そのうち
の90%が中国人だったことは述べたが、販売額は36億ドルで、同社の売り
上げの2%未満。したがってマハティール発言でも株価には殆ど影響はな
かった。

だが「碧佳園」は、中国国内の不動産バブル崩壊が秒読みになった踏んで
おり、国内から海外へと舵取りを替えつつあり、またスキャンダルに満
ち、経営者が逮捕された安邦保険が同社の9・9%株主だった。

それにしてもマハティールの「フォーレストシティは中国の植民地ではな
い」とするのは選挙公約であり、トランプ流のナショナリズムへの回帰、
すなわち「マレーシア・ファースト」である。とはいえマレーシアはマ
レー人が主流だが、華僑人口が35%、インド系が10%。複雑な民族構
成がそのまま政治に絡み、マハティール政権は磐石とは言えないのである。

外国人のマレーシアにおける不動産投資禁止は、今後、法改正などが必要
とされるため具体的には如何なる方法となるのかは未定だ。

しかし、この外国人の不動産購入禁止措置は、北海道などを中国資本が買
い占めている日本にとって、格好のモデルケースとなるのではないか。

       
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{知道中国 1780回】                    
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(5)
  徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

                △

徳富は、国際政治の上からも、極東における列強角逐状況においても、は
たまた国内状況のうえからも、極めて微妙な時期に、微妙な場所を歩いた
ことになる。

ハルピンを発った徳富は長春に取って返す。長春駅頭の風景を、「停車場
の提灯山の如く、叫聲雷の如し」。そはなんぞ。「支那人の宿引き」だっ
た。「例によりて支那人の仰山なる、驚く可き也」。

次いで長春から吉長鉄道で東に向い吉林へ。建設に当たっては「資金の
半は、滿鐵より出」ているだけではなく、「近頃其の經營の、滿鐵の手に
委せらる可し」とのことだから、全般に日本の色が出ている。「東清鐵道
に比すれば、車室も比較的清潔也、係員も丁寧也、(中略)車内にて茶を
出し、温湯にて濕したる手拭を出し、何となく支那茶館に赴きたる風情あ
り」。

僅かに2時間滞在した吉林に就いて、徳富は考える。「若し我が北鮮の
清津より、會寧に達する鐵道成就し、更らに吉會線布設の日に至り、而し
て敦賀清津間の、日本海定期航路出で來らば、日本と吉林の接近は、意想
外の効果を來たさむ」。吉會線の建設は軍事的見地からだけではなく、
「經濟的、拓殖的見地に於て、更らに其の大なる理由あるを、知らざる可
からず」。因みに清津と會寧を結ぶ清會線は徳富が旅行した翌年には完成
している。

吉林から長春に取って帰るす。

「長春は即今、南滿の極北盡頭也。即ち日本勢力範圍のそれ也。之を
咫尺相距る、露國の寛城子に比較すれば、一は生氣淋漓たり、他は衰殘荒
廢、目も當てられぬ容態也」。旭日の日本に対するに落?のロシア帝国で
あり、混乱のなかの革命ロシアといったところか。

地政学のうえから考えて、南北滿洲からシベリアに至る広大な地域を「四
通八達の要衝」であり、「地味豐沃」で農産物は豊富である「長春は日、
支、露三國の交差點なるが爲め、貨幣も一層複雜」だ。流通する紙幣・貨
幣の種類が多く、交換レートも複雑極まりない。「されば長春に於ては、
通貨も亦た一種の貨物として、其の取引を必要とする」のだ。そこで徳富
は「愈々滿洲幣制の統一の急務を、認めざるを得ず」ということになる。

12月2日、長春を発ち南下する。大連駅頭で待っていたのは真宗大谷派を
率いる大谷光瑞だった。体調を崩していた徳富は10月7日に動き出し、中
村関東州都督、国沢満鉄理事長、樺山満鉄理事などと面談しているが、国
沢理事長との面談の席で「昨日天津より汽船にて、當地に來着したる」釋
宗演と再会した。

大連を「露人の計企を繼紹したりとするも、之を大成したるは我が大和
民族の手腕也」と見做し、「我が大和民族の手腕」を発揮して「第三埠頭
を築造中」であり、満洲大豆を主な要素とする盛況ぶりを讃える。大連周
辺の景勝地を廻った後に向った旅順に就いて「要するに旅順の今日は、軍
港としても苟も我が勢力の滿洲に存せん限りは、殆んど大なる必要を認め
ざる可し」と。

満洲経営に就いて、「從來十中の九分九厘迄が、殆んど滿鐵」によって賄
われていると見做す徳富は、満鉄に対し「今更稱賛の辭を費す丈が野暮
也。蛇足也、贅辯也」といいながらも、「今ま世間の噂一二を紹介す」る
という形を取って敢えて注文を付ける。

「(第一)餘りに消極主義に偏し、社員の人氣全く沮喪せり。(第二)
幹部に中心人物なく、全く無頭動物也。(第三)上に厚く、下に薄し、故
に有爲の社員は逃げ出し、又た新たに來る有爲の人物なし。(第四)毎に
政變の影響を被る故に、不安の念多し」。

ここにいう「政變」は東京の中央政経における政変を指すことは敢えて言
うまでもないだろう。
「以上は僅に其一端のみ」とはいうものの、問題山積は否定し難かった。
《QED》