2018年08月23日

◆人工関節手術で歩ける喜び

小池 達也



整形外科の分野ですばらしい発展を遂げていると考えられているのは、人工関節分野です。現在では、肩・肘・股・膝・足関節に人工関節手術が施されますし、手や足の指関節にも応用が始まっています。

特に、股関節と膝関節に関しては膨大な数の手術が毎年日本中で行われています。
成績も安定しており、それほど高度な手術でもなくなりつつあります。

しかし、本当に人工関節は進歩したのでしょうか。

1962年にチャンレイという先生が人工股関節手術を初めて実施されました。 今から振り返ってみても、良く考え抜かれたデザイン・材質・手術方法でした。やっぱりパイオニアと呼ばれる人たちには何か光るものがあります。

このチャンレイ型人工股関節は長期成績も良く、スタンダードとなりましたが、もちろん完璧ではないので、チャンレイ自身を含め様々な改良が加えられました。

ところが、それらの改良、良かれと思ったデザインや材質の変更は逆に長期成績を悪化させました。

そうすると、また改良が加えられ、猫の目のようにくるくるとデザインや果てはコンセプトまで変わっていきました。最近ようやく、コンセプトも成熟し成績も安定してきました。

しかし、改良が加えられ続けていた時代に人工股関節手術を受けてしまった人は恩恵を受けることが出来なかったわけです。

最先端のものが最良とは限らない好例ではないでしょうか。これは人工関節の性格上、結果がすぐに出ないことが一番の理由です。そして、この危険性は今後も出てくる可能性はあります。

では、人工関節手術などすべきではないのでしょうか。

そうではありません。歩くことさえ大変な方が、人工関節手術を受けて痛みなく歩けるようになった時の喜びは、本人でない我々でさえ感じることの出来る大きなものです。

「人生が変わった」・「旅行に行けるようになった」・「歩くのって楽しい」など、多くの喜びの声を聴かせていただける、医者にとっては実にやりがいのある手術です。これを永続する喜びに変えるために、いくつかの合併症を克服してゆくのが、我々の今後の使命でしょう。

人工関節の合併症で厄介なのは感染とゆるみです。ゆるみの方は、多くの研究により克服されつつありますが、異物を体の中へ入れる手術であることから、感染の危険性はなかなか解決されそうにはありません。

また、スポーツも可能になるような丈夫な人工関節もまだ存在しません。真の人工関節出現はもう少し先になりそうです。
 
ところで、最近ではナビゲーションといって、コンピュータが人工関節を入れる方向を指示するシステムやロボットが人工関節を入れる方法も実用化されています。

あなたは、ロボットと人とどちらに手術して欲しいですか?
         (大阪市立大学大学院医学研究科リウマチ外科学 医師)

2018年08月22日

◆非核化 成果なければ米国「海上封鎖」断行か

加瀬英明


日本を守るA 非核化 成果なければ米国「海上封鎖」断行か

米中間で、“関税合戦”による死闘が始まった。

その脇で、いま、中東が爆発しそうだ。米中間のデスマッチの幕があがる
わきで、北朝鮮危機がどこかへ行ってしまったように、みえる。米朝はこ
こ当分のあいだは、交渉を続けてゆくのだろうか。

8月初めに、シンガポールで東南アジア諸国連合(ASEAN)サミット
が催された。

北朝鮮の李容浩(リヨンホ)外相が、「米国が同時並行する措置をとらな
ければ、わが国だけが非核化を進めることはありえない」と演説したのに
もかかわらず、ポンペイオ国務長官は北朝鮮の非核化について、「北の決
意は固く楽観している」と述べて、李外相と固い握手を交わした。

日本では、6月にシンガポールにおいて「歴史的な」米朝首脳会談が行わ
れてから、しばらくは緊張が解けたものと判断して、北朝鮮からのミサイ
ル攻撃に備えて、東京(防衛省構内)、島根、広島、愛媛、高知各県、北
海道に展開していた、PAC3ミサイル迎撃ミサイルを撤収した。

北朝鮮は、米国から南北平和協定、制裁の緩和など段階的な見返りを求め
て、トランプ政権をじゃらしている。北はワシントンを甘くみているのだ。

だが、トランプ政権は北朝鮮をあやしながら、北朝鮮に鉈(なた)を振る
う瞬間を、待っている。

もし、11月初頭の米国中間選挙の前までに、北が非核化へ向けて、米選
挙民が納得できる成果を差し出さなければ、海軍艦艇を用いて、北朝鮮に
対する海上封鎖を実施することになろう。米国民は何よりも力を好むか
ら、喝采しよう。

 私は本紙の『日本を守る』連載(4月27日号)のなかで、米国が北朝
鮮に対して海上封鎖を断行する可能性が高いと予想している。

 海上封鎖という“トランプ砲”が発せられると、日本の政府と国会が激震
によって襲われよう。米海軍が日本のすぐわきにある北朝鮮に対して、海
上封鎖を実施しているというのに、自衛隊が燃料食糧の供給などの後方支
援に役割を限定するわけには、ゆくまい。

 中東は日本のエネルギーの80%以上を、供給している。
日本を揺るがしかねない危機が中東で進行しているのに、日本の世論は目
をそらしている。

◆マハティール訪中

宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月21日(火曜日)弐 通巻第5800号   

 マハティール訪中。マレーシア経済、最悪の問題は対外債務だった
   トルコ制裁によるリラ暴落がドミノでアルゼンチン、ブラジルへ

マレーシアのマハティール首相は5日間の日程で8月17日から中国を訪
問。まず浙江省に足を運び、アリババ本社と吉利(GEELY)自動車を
訪問した。

20日には李克強首相と習近平出席に別個に面談した。

李克強との会談では、「中国とマレーシアの友好関係は変わらない。自由
と公平な貿易の持続と発展を希望している。ただし新幹線工事の中止につ
いてはマレーシアの財政事情を考慮して欲しい。中国が悪いとは言ってい
ない。悪いのはナジブ前政権の無謀な計画と汚職である」と言った。

共同記者会見ではマレーシア新幹線の話は出なかった。

マハティール首相の老練さ、中国を正面から批判せず、国内の劣悪な財政
環境と前政権に責任を転嫁して、まずは中国との交易の拡大はお互いの利
益のために発展させると言ったのだ。

習近平との会談は同日(8月20日)に行われ、楊潔チ国務委員らが同席し
た。席上、マハティールは「インフラ建設での協同強化」と「戦略的対話
の重視」を述べ、通貨スワップに合意した。

8月18日の杭州アリババ本社訪問では馬雲CEOが直接応対し、説明役も
務めるなどの厚遇ぶりだった。同社はクアラランプール國際空港近くに拠
点を解説したばかりだが、マレーシアの交通渋滞の解消などでAI設備の
交渉を続けている。また仮想通貨のノウハウなどにもマハティールは興味
を示した。
 
同じく吉利自動車を訪問した理由は、マハティールの強い個人的な関心か
らだ。

嘗て国民車プロトンを三菱自動車などと提携で立ち上げたのは彼自身だっ
た。その後、マレーシアの国民車プロトンは円滑な販売実績が上がらず、
昨年に中国の吉利に買収された。思うところが深いのはそのためで、再
度、マハティールはマレーシア国民車の離陸を夢見ているのである。 

そこで問題視されるのが、マレーシアの債務問題である。

まずは下記の一覧表をご覧頂きたい。世界の数ある新興国家のなかで、
ワースト15を掲げる。

深刻極まりない新興諸国の財務状況
@@@@@@@@@@@@@@@@

順位  国名      対外債務(単位=億ドル)   対GDP比較
〜〜  〜〜〜〜〜   〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜   
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜
1   モンゴル        239億ドル      215・3%
2   キルギス         80         110・9
3   ラオス         142          83・5%
4   タジキスタン       49          67・1
5   マレーシア      2004          63・7
6   トルコ        4667          54・9
7   南アフリカ      1832          52・5
8   アルゼンチン     2537          39・8
9   メキシコ       4540          39・5
10  ロシア        5199          34・0%
11  タイ         1527          33・5
12  ブラジル       6809          33・1
13  パキスタン       727          23・9
14  フィリピン       732          23・4
15  インド        5297          20・3

モンゴルが対外債務を中国に依存した大きな理由は、旧ソ連衛星圏として
の桎梏から逃れるため直接投資を歓迎したからだった。モンゴルが外貨稼
ぎで売るものは石炭しかなく、それもアクセスが悪いため中国にしか販売
ルートがない。石炭鉱区を担保に結局は中国からカネを借りた結果である。

キルギスはロシアへの出稼ぎでGDPの25%を占める。つまり旧ソ連とい
う宗主国を敵には回せないが、中国がシルクロード関連で投資をしてくれ
るのでつい乗ってしまった結果である。

ラオスも同様、新幹線の総工費が60億ドル。絶望的な投資受け入れも、一
党独裁だから出来たが、末端の国民の不満は加速化している。


 ▲だれが、これだけの対外債務を膨張させたのだ?

意外なのはマレーシアがワースト5になっていることだ。

マレーシアの財政健全化、汚職追放を前面に掲げて選挙に奇跡の勝利をと
げたマハティールが日本訪問につづいて、シルクロード問題で揉める中国
を訪問した理由は、このあたりにあると言えるだろう。

中国が主導し、東海岸のおよそ20%の工事が完了した段階での中止だに、
中国は怒りをひめているものの、このマレーシア新幹線総工費は200億ド
ルと予測されており、3300万国民、対外債務が2000ん億ドルを超えている
国の規模には、やはりふさわしいとは言えないプロジェクトだったのである。

       

◆中国マネーが席巻する征服と略奪の網

櫻井よしこ


「中国マネーが席巻する征服と略奪の網 日本は負の流れ変える歴史的使
命がある」


中国で異変が起きている。7月26日、北京の米大使館付近で爆発事件が発
生、中国当局は内蒙古自治区出身の26歳の男を拘束した。情報筋は、少数
民族に対する苛酷な監視の網をくぐってモンゴル系の青年が爆弾を所持し
て北京中心部の米大使館に近づくなど、あり得ないと強調する。

「産経新聞」の藤本欣也記者が7月17日に北京発で報じたのは、(1)7月
第2週、屋内外の習近平中国国家主席の写真やポスターの即刻撤去を命じ
る警察文書がインターネットで拡散した、(2)中国政府系のシンクタン
ク「社会科学院」で習氏の思想及び実績を研究するプロジェクトが中止さ
れた、(3)党機関紙「人民日報」一面から習氏の名前が消え始めたとい
う内容だった。

いずれも権力闘争の明確な兆候と見てよい変化である。

中国の報道では常に鋭い視点を見せる産経の矢板明夫記者も7月18日の紙
面で以下の点を報じた。(1)7月初め、江沢民、胡錦濤、朱鎔基、温家
宝らを含む党長老が連名で党中央に経済・外交政策の見直しを求める書簡
を出した、(2)長老たちは、党内にはいま個人崇拝や左派的急進主義な
どの問題がある、早急に改めよと要請した、(3)習氏の政治路線と距離
を置く李克強首相の存在感がにわかに高まった。

(2)の「個人崇拝」や「左派的急進主義」などの表現は、独裁者、毛沢
東の時代に逆戻りするかのような習氏を念頭に置いた警告であろう。長老
群の習氏に対する強い不満が読みとれる。

8月1日の産経で、中国河北省の北戴河から西見由章記者が報じた。北戴河
は毎夏、中国共産党の指導部や長老が一堂に会し、2週間ほどかけて人事
や重要政策を議論する場として知られる。会議に備えて、渤海に面した北
戴河一帯は数キロにわたって交通が遮断され厳重な警備体制が敷かれる
が、街中で見掛ける看板には、ごく一部を除いて習氏の名前がないという
のだ。

最も顕著なのが、「新時代の中国の特色ある社会主義思想の偉大な勝利を
勝ち取ろう」という大スローガンを書いた看板である。これは昨年10月の
第19回共産党大会で華々しく打ち上げた習氏の思想である。当然、「習近
平による」という枕言葉がつかなければならない。にも拘わらず、沿道沿
いの看板には習氏の名前はないのである。

また、街のどこにも習氏の肖像画や写真が1点もないそうだ。習氏の個人
独裁体制が批判されているのは明らかといえる。

北戴河で長老たちはどんな人事を要求するのか。学生時代の級友たちを重
要閣僚や側近につける習氏の「縁故政治」にストップをかけるのか、憲法
改正まで断行して、習氏は自らの終身主席制度への路線を敷いたが、それ
を阻止するのか。そこまでの力が長老たちにあるのかは不明だが、中国が
尋常ならざる混乱に陥る可能性もある。

習氏の強権政治が牽制されるにしても、警戒すべきは国際社会に対する中
国支配の網が、彼らの言う一帯一路構想の下で着々と進んでいることだ。
一帯一路構想で620億ドル(約6兆8200億円)という最大規模の融資を受け
たパキスタンは、そのプロジェクトのおよそ全てで債務の罠にはまりつつ
ある。

過大借り入れで返済不能に陥るのはもはや避けられないだろう。7月の選
挙で誕生した新政府が、いつ世界銀行などに緊急援助を求めるかが注目さ
れる中で、中国の債務の罠に捕捉された国々はスリランカのように、港や
ダム、重要インフラ、広大な国土を99年間などの長期間、中国に奪われて
しまいかねない。

中国がどうなろうと、中国マネーによる征服と略奪の網は広がっている。
この負の流れを米欧諸国と共に変えていくのが日本の歴史的使命である。
奮起し、世界の秩序構築に貢献する責任を政治には自覚してほしい。
『週刊ダイヤモンド』2018年8月11・18日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1243

◆奈良木津川だより 高麗寺跡 B

白井繁夫


飛鳥時代に創建されたと云われている古代寺院の「高麗寺跡こまでら跡」について、@では寺名が「高麗寺:こまでら」となった由来や時代の背景について、高麗寺跡Aでは発掘調査の出土品の中で、出土遺物の数量などが多くて年代を文様などから比較的に区分しやすい瓦(軒丸瓦.軒平瓦)から高麗寺について記述しました。

今回Bでは、昭和13年の第T期発掘調査の結果、国の史跡と認定された高麗寺跡の伽藍配置や瓦以外の出土品を精査して、V期調査まで(平成22年の第10次発掘調査まで)の間に確認された概要を下述します。

★高麗寺の創建は7世紀初頭、伽藍整備は7世紀後半、伽藍配置は法起寺式
  
 主要堂塔が東に仏舎利を祀る塔、西に本尊仏を祀る金堂を並置して、それを囲む回廊
が北の講堂、南で中門に接続している様式(南北回廊200尺:59.4m、東西201尺:
59.7mのほぼ正方形)
 高麗寺の伽藍配置は川原寺式から変化して法起寺式へと移行の初例と思われます。

★南門.中門.金堂が南面して一直線に並び、講堂の基壇が荘厳で特異な伽藍配置

川原寺式伽藍配置から法起寺式への変化の途上か?(添付の「各寺院の伽藍配置」参照)
高麗寺は西金堂の正面が南面し中門.南門と直線状に並びます。川原寺は北講堂.中金堂.中門.南大門は一直線状ですが西金堂は正面が東塔に対面しています。

(仏舎利を納めた塔より仏像を祀る金堂を重視する考え方か?
飛鳥時代から天平時代へと伽藍配置が変化する過程の先駆けではと思われます。)

高麗寺の講堂の基壇は三層構造の豪華さで、丁度川原寺の中金堂と同じ位置にあります。
高麗寺の初期設計時には講堂の場所に中金堂を予定していたのか?と思われるほど
基壇は荘厳な造りでした。
  
飛鳥時代、高麗寺が創建された時期には七堂伽藍を完備した寺院は飛鳥寺が国内では
唯一の寺院でした。その他の寺は一.二堂程度の草堂段階?(捨宅寺院?)であったと考えられています。

★高麗寺の南門の屋根には鴟尾があり、最古の築地塀が原形の状態で検出されました。

  南門跡は桁行20尺(5.94m)x 梁間12尺(3.56m)、屋根は切妻造りで鴟尾を
置いた八脚門、南門に接続する築地塀が南辺築地跡から原形を留めた、極めて良好な
状態で検出されました。

7世紀に築地塀が構築された例はいまだ検出されていません。8世紀の奈良時代になって  寺院の外画施設とする築地塀が一般的に用いられるようになったのです。

高麗寺の築地塀は7世紀後半のものであり、検出遺物は国内最古の出土物の例です。
白鳳時代の築地塀が残っていた事だけでも極めて珍しいのに、ラッキーにも壊れ方が建物の内側で原形を留めていたことです。

 (飛鳥寺南辺、川原寺南辺、東辺にも築地塀の存在説がありますが、現在も出土例は有りません。)

★高麗寺の終焉時期の推測

  文献上では廃絶が不明の寺院ですが、出土遺物の中から、平安時代の土器である灰釉陶器が見つかりました。この陶器から平安時代の末期頃(12世紀末から13世紀初)まで存続していたのではないかと云われています。

天武天皇は壬申の乱で功績のあった狛氏一族の氏寺の創建を認め、白鳳時代から奈良時代にかけて全盛期を迎えた高麗寺の状況ですが、聖武天皇が高麗寺の東方約3kmの瓶原(みかのはら)に恭仁宮を造営して、恭仁京(木津川市)へ遷都した頃(天平12年)、木津川の船上から見える高麗寺は南門の屋根には鴟尾が在り、当時は珍しい築地塀越に東塔が聳え西の輝く金堂など、当時の人々はこの大寺院を畏敬の念で仰ぎ見たことと思われます。

参考資料: 山城町史  本文篇  山城町
   南山城の寺院.都城 第106回 埋蔵文化財セミナー資料 京都府教育委員会
   木津川市埋蔵文化財調査報告書 第3.第4.第8集   木津川市教育委員会

2018年08月21日

◆マーシャルプランは

宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月20日(月曜日)弐 通巻第5798号  

 マーシャルプランは公共財の提供による欧州の経済復興だった
  中国のシルクロードは過剰在庫処分と失業者の輸出、高利の金貸しが実態

戦後の欧州復興計画は、荒廃したヨーロッパの社会インフラ、経済の立て
直しを図ろうとして、米国務長官だったマーシャルが立案し、当時の金額
で100億ドルの支援と援助をなした。後半には軍事援助が主体となって
NATOへの足がかりとなるのだが、とりわけドイツの復興に力点が置か
れた。

マーシャルはこれによりノーベル平和賞を贈られている。
 
つまりマーシャルプランとは「公共財」の提供によって援助対象国を経済
的に豊かにすることが目的だった。

中国のシルクロード(BRI)プロジェクトは公共財の提供ではなく、過
剰な在庫処分と大量の失業者の輸出であり、巨額のプロジェクト資金も無
償援助ではなく、高利で貸し付け、担保を取るという阿漕な高利貸し。す
なわち相手国から収奪するのであり、これを「キンドルバーガーの罠」と
呼ぶ。

したがって被援助国の経済的な被害がむしろ肥大化するにつれ、中国の評
判は滅法悪くなった。

まさに「世界に孤立する中国、共産党の奥の院で四面楚歌の習近平」とい
う新しい状況を生んだ。

プロジェクトに携わる世界の各地で、たとえばマレーシアの新幹線中断、
ニカラグア運河の頓挫など、プロジェクトの頓挫が目立つようになったの
である。

中国のBRI(一帯一路)の世界各地における挫折ぶりを、この稿ではラ
オスとスリランカの現状をみよう。
 
 
 ▲ラオスの新幹線、20%の工事が出来たが全土多難

アジアの内陸国家、最貧国のラオスの現状はどうなっているのか。

ラオスを縦断する新幹線は標語が「造福老中人民鉄路」(「老」は中国語
でラオスの意味)と銘打たれ、北部ホーデンから(起点は雲南省昆
明)414キロ、途中バンビエン(中世の首都)、世界的に有名な保養地ル
アンパルパンを通過し、首都のビエンチャンへといたる。

2018年8月現在、20%の工事が完了し、全線開通は2021年2月2日(ラオ
ス民主共和国成立46周年の記念日)を予定している。

工事を請け負っているのは中国鉄道建設の子会社「中鉄」で、その第二局
と第五局が、現地を筆者が取材したとき、工事現場には大看板があり、労
働者の宿舎にも、二局、五局の看板がでんとあった。

中鉄の第二局とは四川省成都が拠点。また第五局は、貴州省貴陽が拠点で
ある。因みに第1局は西安、第三は太源、第四は合肥、第六は北京、第七
は河南省鄭州にある。

中国が主導するラオス新幹線の北部の拠点はビエンバンに置かれる。

ビエンバン新駅は車庫や操車場も設けるため140ヘクタールの広さの用地
が確保された。

ということは村人の移転が強要されたが、保証金は微々たる額でしかな
かった。介在した地方政府幹部が懐にいれた分のほうが多かったといわれる。

新幹線プロジェクトに伴い、ラオス全土で立ち退きとなる総面積は3832ヘ
クタール(1haは1万平方メートル)。強制退去される居住者は
4000家族、およそ2万人である。

その一方で、ラオス北部にすでに建設された高層ビル、マンションなど、
ラオス政府が秘かに中国と契約し8000人の中国人の居住区となっている。
あたりの不動産広告の大看板はすべて中国語、販売価格も人民元表示である。

狭い道路に長距離トラックはひしめき合い、すでにカジノホテルから、
デューティー・フリーショップ(免税店)のけばけばしいビルも出来ていた。

開通の暁には旅客用新幹線は時速160キロ。2時間40分で昆明――ビエン
チャンを結ぶ。貨物列車は時速120キロである。

このために造成するトンネルが53本、橋梁は167箇所(現在46の橋梁が工
事中)。総工費は60億ドルである。

問題はラオスのような小国にとって、この60億ドルの捻出と回収をどうす
るのか、いかなる計算で元が取れるのか。

正確に言うと工事着手から現在までの建設費用は24億ドルで、中国とラオ
スが共同事業体を組み、中国が70%を出資し、30%がラオスの負担となっ
た。つまりラオスの出資は7億2000万ドルである。

しかし最貧国のラオスとしては、国家予算から毎年5000万ドルを出費し、
五年計画としており、残りの4億2000万ドルを中国輸出入銀行からの融資
で補った。

条件は金利が2・3%、35年で返済する約束となっている。工事全体は残
り36億ドルで、どのような資金調達をなすのかは不明である。

ところがラオス側は、この鉄道が中国の推進するシルクロードの一環であ
り、メンツをかけたプロジェクトであることを認識し、中国が追加融資を
おこなうと楽観的なのである。また中国人が沿線の土地を買っているた
め、その所得も当て込んでいる。

ちなみにラオスのGDPは僅か180億ドル、1人あたりのGDPは2705ド
ル、経済成長率は過去10年間平均で5−8%だ。

新幹線への投資が、GDP比でみると、ほかの福祉予算などを食いつぶし
ていることになりIMFは遅ればせながら警告を発している。


 ▲現地ラオス人の不満は爆発寸前

ほかに問題が起きた。ラオス新幹線の目論見では現地に夥しい雇用が生ま
れ、またホテル、レストラン、ガイド、旅行代理店業務などが潤うとされた。

ところが現実には中国から囚人らが労働者として派遣され、およそ3万の
建設労働者をやしなう宿舎は中国が建設し、食事はコックを含めて食材も
中国から運び込み、ラオス人が経営する沿線各地のレストランは閑古鳥、
ホテルもガラガラ、現地人の雇用とはならなかった。

これら少資本のホテル、レストランの経営悪化を聞いて、安値で買いたた
いているのが、雲南省からきた華僑と韓国の商人たちだという(アジアタ
イムズ、8月18日)。

そればかりではなかった。風紀の乱れである。建設現場には売春宿がつき
もの「LOVE BAR」とかのピンクのネオンの小屋があちこちに粗製
乱造されたが、中国人の安い賃金では女性も買えないこととなった。

また将来の不安として、長距離バスのドル箱であるビエンチャン ー ル
アンパルパン路線は新幹線に食われることにならないか。航空路も同様で
ある。しかし現地を視察した専門家によれば、バンビエン新駅は市内から
13キロ離れており、ルアンバルパンの新駅も旧市内から8キロも離れて
いる。新幹線需要は、従来線を脅かすことにはならないだろうと見る。


 ▲ハンバントラを取られたスリランカ、コロンボ沖人工島建設は進捗中

スリランカはどうだろう。

南方のハンバントタ港を借金のカタにとられ中国の軍港と化ける。近くの
ラジャパスカ空港はついに国際線すべてが乗り入り中止。閑古鳥。
 なのに、懲りずにスリランカ政府はコロンボ沖合の人工島プロジェクト
を中国に委託している。これも借金のカタである。

スリランカ政府はセリナセ新政権となって、いったんはコロンボ沖合人工
島プロジェクトを中止するとした。ところが資材、セメント、ブルドー
ザ、クレーンはすでに陸揚げされており、契約破棄となると天文学的な違
約金を取られることが分かり、渋々工事継続を承諾した経緯がある。しか
し中国側も追加融資を飲まざるを得なかったため、資金枯渇という問題が
表面化した。

当初の計画では、人工島をオフショア市場とし、国際金融のハブ化させる
ばかりか、なんと60階建ての高層ビルを3棟、港も整備し、国際貿易の
中継基地とする等、薔薇色の未来図だった。

主契約社は中国最大の港湾建設企業として世界的に有名なCHEC(「中
国港湾=英語名はチャイナ・ハーバー・エンジニアリング」)だ。同社は
パキスタンのグアダール港、マカオの国際空港、カラチの湾内肥料ターミ
ナル、ペナン島の第二橋梁などの建設実績を誇り、シルクロード関連では
軒並み入札に顔を出し、最近はアフリカ諸国、とくにエジプトにも進出を
果たしている。

新都市は「ニューコロンボ・シティ」と命名される。

ここには中国と敵対するインド企業の誘致も図るように方針転換がなされ
た。隠れた理由はインドからも投資資金を呼び込もうとするもので、いよ
いよ資金が底をついた現れである。

269ヘクタールの人工島の89%が海を埋め立てて造成され、ジョイントの
主体は中国港湾エンジニア公司を基軸に、スリランカ政府、当該地方政府
などが参加した。

目下のところ、インド、シンガポール、タイ、マレーシアそして日本にも
資本参加を呼びかけている。

あたかも3年後に完成予定のマンションを、はやくに販売して頭金をかき
集め、ローン契約で銀行から資金を融資して貰い、完成を急ぐデベロッ
パーの如く、販売チームはアジア諸国を訪問し、まだ完成もしていない未
来図をもとに売り込みに必死だ。

工事の現状といえば、埋め立て工事の20%がようやく終わった程度で、
この先の懸念は資金が続くか、どうか。人口島の埋立と整備だけで総工費
14億ドルである。60階建ての高層ビルは別予算である。
 

◆いもち病(稲熱病)の怖さ

渡部 亮次郎


「蓑(みの)着て笠(かさ)着て鍬(くわ)持って お百姓さんご苦労さ
ん」という童謡がNHK第1放送から流れていた時代がある。明治でも大正で
もない、昭和も敗戦直後、1947、8年ごろだった。食糧難の時代、国民みん
なして百姓にゴマをすったのである。

蓑や笠を着る百姓は今やどこにも存在しない。すべて機械化して田圃から
は女性が姿を消した。田植えも稲刈りも機械がやるし、除草は農薬が解決
してくれた。結果、農村からは猫背、蟹股、腰曲がりが居なくなって久しい。

しかし、その代わり、田圃から女性と共に居なくなったのが泥鰌(どじょ
う)とトンボである。稲作の大敵「いもち病」を防除すべく禁じ手「水銀
系農薬」を使ったからである。「いもち」はそれほど恐ろしい。今でも恐
ろしい。

「いもち」とはイネに対する最も普通の病気で,穂,葉,茎などに発生し
て大害を与える。とくに山間,北部地域では,いもち病との闘いが稲作の
大きな課題であった。この事情を反映して,日本植物病理学の分野では最
も多く,また深く研究されてきた病害である。

穂に発生すると発病部位から先の方は実らないので、「穂首いもち」は被
害が深刻である。「葉いもち」、穂いもちとも同じ菌によって起こるが、
発生の様相としては、比較的葉いもちが多くて穂いもちの少ない南日本型
と、逆に葉いもちよりも穂いもちの多い北日本型がある。

若いイネに激発すると株全体が萎縮して枯れてしまう。この病状を「ずり
込みいもち」という。防除に失敗すれば収穫ゼロ。

防除薬剤としては,戦前はボルドー液万能であったが,戦後一時期有機水
銀剤が脚光を浴び目覚ましい効果を挙げた。これが禁じ手と気付いて止め
たものの遅かりし。泥鰌は死滅した。

現在では抗生物質剤(ブラストサイジンS、カスガマイシンなど)や有機リ
ン粒剤などが使われている。

いもちは一般に,日照不足,多雨,低温のときに病気が多く,またイネの
体内に遊離の窒素成分が多く,ケイ酸が少ないときに発生が多い。

いもち病の発生程度は年次によっても異なり,ほぼ10年周期で大発生が記
録されている。昭和年代に入ってからは,1934(昭和9)年の稲作冷害が
有名で,東北地方では娘の身売など深刻な社会問題が発生した。

陸軍のクーデター「2・26事件(1936年)」の背景であるが、この不作には純
冷害のほかにいもち病による被害が大きかった。

戦後では,53(昭和28)年,63(38)年,74(49)年に大発生をみている。

的確な防除を行うには発生を予察することが肝要である。以前から気象条
件,イネの体質,胞子の飛散などを知って穂いもち病の発生を予測してい
たが,近年コンピューター導入で,大量のデータからの予察も試みられて
いる。

日本ではじめてこの病気が記録されたのは,1679年(延宝7)の《永禄以来当
院記録年鑑》(広積院祐栄書)とされるが,その後の《耕稼春秋》(1707ごろ)
の記載が人口に膾炙(かいしや)している。

イネ品種によってかなり抵抗性に違いがみられる。外国イネには強度の抵
抗性のものがあるが,日本在来の品種は概してかかりやすい。

従って日本にいける稲の品種改良は、収穫量、食味の追及とともにいもち
など稲の病害虫に対する抵抗力の研究に重点が置かれてきた。

最近は外国イネの強い抵抗性因子を導入した品種も育成されている。しか
しせっかく抵抗性品種ができても突然ひどく罹病してしまうことがある。
これはレース新生のためであることが多い。

レースrace とは形態が同じでありながら病原性の異なる菌で,日本には
今16以上のイネいもち病菌レースが知られている。

ここ数年 Pyricularia属菌の菌学的な研究が進み,イネいもち病菌とシコ
クビエいもち病菌の交配によって有性胞子が形成され,またイネいもち病
菌がタケに寄生性のあることが知られるなどして,菌の所属について検討
される時機にある。資料 世界大百科事典(C)株式会社日立システムアン
ドサービス 2008・07・07

◆敵味方逆転の摩訶不思議な米露首脳会談

櫻井よしこ


敵味方逆転の摩訶不思議な米露首脳会談 トランプ氏の非難はいつか必ず
日本にも

7月16日、フィンランド・ヘルシンキでの米露首脳会談はおよそ万人の予
想を超えた。米CNNのクーパー・アンダーソン記者は「自分が報じてき
たこれまでの如何なる首脳会談に較べても、米国と米国民にとって恥ずか
しい内容だった」と伝えた。CNNはトランプ政権に必要以上に厳しい
が、今回は、「米国人ならそう感ずるだろう」と、共鳴できた。

首脳会談の前、米国の複数のメディアは、トランプ米大統領が単独でプー
チン露大統領と会談することへの懸念を報じていた。どのような言質をと
られるやもしれない、単独会談は回避する、もしくはできるだけ短くすべ
きだという指摘だった。他方、ホワイトハウスはトランプ氏に、プーチン
氏には強く厳しい姿勢で対処するように、その方が「トランプ氏自身の見
映えがよくなる」と説得していたと、米「ウォールストリート・ジャーナ
ル」紙が伝えている。

ジョン・ボルトン米大統領補佐官らは、トランプ氏に米露関係の分析や各
議題での攻め方などを詳細に説明したはずだ。KGB(旧ソ連国家保安委
員会)出身のプーチン氏に関する客観的分析や米露関係の戦略的解釈より
も、「トランプ氏自身が格好よく見える」という、トランプ氏のエゴに訴
える論法で説得しようとした事実は、身近な側近でさえもトランプ氏の知
的水準をその程度に見ていたということなのだろうか。

結局、首脳同士のサシの会談は2時間も続き、公式の議事録もない。加え
て全体会合が2時間、計4時間の会談を受けてトランプ・プーチン両首脳が
会見した。

トランプ氏がへりくだり、プーチン氏が自信の微笑をうかべた同会見は、
味方が敵になり、敵が味方になる摩訶不思議な歴史の大逆転をまざまざと
見せた。トランプ氏を掌中におさめたとでも言うかのような余裕を感じさ
せたプーチン氏が、トランプ氏の為に記者団の質問に答えた場面さえあっ
た。クリミア半島問題である。

トランプ氏はロシアのクリミア半島の強奪についてさしたる反対論は唱え
ていない。それどころか、クリミア在住ロシア人の多さ故に、同地はロシ
ア領だとの見方を示したことさえある。

プーチン氏はしかし、トランプ氏をかばうようにこう語った。

「トランプ大統領は、クリミア併合は違法だという主張を維持している。
ロシアの考えは別だが」と。

ロシアによる米大統領選挙介入疑惑で米AP通信が、トランプ氏に米国の
情報機関とプーチン氏の、「どちらを信ずるのか」と質した。トランプ氏
はまともに答えなかったが、プーチン氏はこう語った。

「私は情報機関の一員だった。(偽の)資料がどのように作成されるかも
知っている。おまけにわがロシアは民主主義国だ」

米情報機関が偽の資料を作成したとも、「米国同様の民主主義国」である
ロシアが、他国の米大統領選挙に介入することなどあり得ないという主張
ともとれる。噴飯物である。だがトランプ氏はプーチン氏の隣で頷いていた。

トランプ氏は70年近く同盟関係にあるNATO(北大西洋条約機構)諸国
を酷い言葉で非難した一方で、いまや理念も体制も異なるプーチン氏のロ
シアと、核や中東問題などを共に解決できるという構えだ。

長年ロシアを共通の敵として団結してきたNATOの大国、ドイツは軍事
支出がGDPの1.25%にとどまるとしてメルケル首相がトランプ氏に面罵
された。日本はドイツ同様敗戦国として、戦後を経済中心で生きてきた。
日本はドイツよりも尚、米国頼りだ。ドイツよりも国防費のGDP比率は
小さく、憲法改正もできていない。トランプ氏の非難はいつか必ず、ドイ
ツ同様日本に向かってくるだろう。
『週刊ダイヤモンド』 2018年7月28日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1241

◆奈良木津川だより 高麗寺跡 A

白井繁夫


「史跡 高麗寺(こまでら)跡」は木津川の右岸の棚田の中(山城町上狛)で、建物がないためか、観光客も少なく、飛鳥時代に創建された国内最古の仏教寺院「飛鳥寺」と同笵の瓦が出土した国の史跡の古代寺院跡と思われずに千年の時が経って来たのです。

この高麗寺跡の第T期発掘調査(昭和13年)から第V期(平成22年度の第10次発掘調査)までの調査で出土した遺物や伽藍跡から皆様と高麗寺の建立の様子や歴史を観て行こうと思います。

高麗寺は渡来氏族の狛氏の氏寺として7世紀初(610年頃)には存在していただろうが、出土遺物などから、12世紀末から13世紀初期ごろに消滅したと推察されています。

高麗寺跡の出土遺物には金銅製の破風(はふ)拝み金具、円盤等の建造物の装飾金具、南
門の屋根の鴟尾や最古の築地塀などがあり、更に各時代を現す文様の瓦や三層基壇の講堂など高麗寺の伽藍は驚嘆するような荘厳さで、文明の先端を行く寺院と推察されます。

最初に年代を調べるために、高麗寺の出土遺物で数量が多くて比較的に年代を決めやすい文様瓦(軒丸瓦.軒平瓦)を中心に4期に分けた瓦から始めます。

T期の瓦 飛鳥時代の瓦(軒丸瓦:十葉素弁蓮華文じゅうようそべんれんげもん)
   
  日本最古の寺院「飛鳥寺」の創建時の瓦と同じ型で作られている。京都府下では当然
  最古の瓦ですが、高麗寺から4点しか出土していません。(飛鳥時代に瓦葺の建物が確実に存在していたのか?堂宇は萱葺だったのか?)

U期の瓦 白鳳時代の瓦(軒丸瓦:八葉複弁ふくべん蓮華文、軒平瓦:重弧じゅうこ文)
     川原寺式の瓦と同笵でもあり出土量が圧倒的に多種大量です。

  川原寺式の瓦:古代瓦では最も文様が華麗で日本各地に普及した。地域文化の指標にもなった瓦ですが、高麗寺の瓦は原初的な川原寺創建時と同じ型の瓦から始まり、さらに発展した瓦など多種類が出土しています。(高麗寺は660年頃本格的に造営された伽藍建築の寺院となったのです。)

(川原寺は天智天皇が母(斉明天皇)の冥福を祈るため建立した寺で、飛鳥4大寺の一つ、
 壬申の乱で勝利した天武天皇が崇敬していた寺院であり、天武天皇に味方した各地の豪
族に恩賜として瓦の使用許可が与えられました。山城国では南山城に集中しており、地方では尾張、美濃、伊勢などが特に多い。)

南山城:木津川市の古代寺院では高麗寺と蟹満寺が有名です。
(前代の古墳時代:各豪族は氏族の権威の象徴として大古墳を築きましたが、飛鳥時代以降は氏族の権威となるモニュメントが大寺院の建立に変化しました。)

壬申の乱では渡来氏族の狛氏一族が大海人皇子に味方して大変貢献したため、高麗寺が
最初に川原寺の創建時の瓦(同笵瓦)の使用許可を得たのです。その後、川原寺式瓦は
高麗寺を核として南山城の3郡にも広がりました。

「蟹満寺:国宝の白鳳仏が有名」から川原寺式瓦の破片が出土したことから、白鳳時代
末期(7世紀末から8世紀初)に創建されたと云われているのです。
蟹満寺は前代に平尾城山古墳.稲荷山古墳を築いた豪族の後裔氏族が建立したのでは?と云われています。

V期の瓦 奈良時代の瓦(軒丸瓦:蓮華文、軒平瓦:均整唐草文)平城宮式瓦や「中臣」
   と文字がある平瓦、恭仁宮式軒瓦など恭仁京造営時に製造した瓦も出土しました
が多種少量のため、高麗寺の修理用として八世紀に使用した瓦と思われます。

W期の瓦 平安時代前期の瓦(軒丸瓦:蓮華文、軒平瓦:唐草文)修理用に高麗寺独特の瓦が少量作られた。(この時代以降の瓦は出土していないので、高麗寺の大伽藍は平安時代以降修理など出来ずに荒廃にまかされたか? 法蓮寺の棟札では金堂などが室町時代まで存在していたようですが?)

高麗寺を軒瓦から観た場合、飛鳥時代(610年頃)萱葺の堂?が創建され、白鳳時代、
川原寺式に準じた七堂伽藍の本格的寺院の造営(7世紀後半)が施工され、法起寺式伽
藍建築へ繋がって行きました。

奈良時代(8世紀)に聖武天皇が恭仁京(木津川市)へ遷都(740年)して都城の造営
時には高麗寺も独特の瓦を作り、他寺院にも供給しました。

しかし、平安時代初期の修理用の瓦の出土が最後でそれ以降の瓦の出土は有りません。
瓦から調べた高麗寺の創建時期の推測や隆盛時代は分りますが、歴史(終焉)は何世紀
か判断は困難です。

瓦以外の出土遺物や伽藍跡の発掘調査、昭和13年の第T期からV期(平成22年の10
次調査)まで、から高麗寺の概要を視ようと思います。(つづく)

参考資料:山城町史 本文篇 山城町、
南山城の寺院.都城 京理セミナー資料No.0106−327
史跡 高麗寺跡 第10次発掘調査概報 木津川市教育委員会
at 05:00 | Comment(0) | 白井繁夫

2018年08月20日

◆木津川だより 高麗寺跡 @  

                白井繁夫


古代の仏教寺院「高麗寺(こまでら)」の創建は不明ですが、「高麗寺跡」の発掘調査から飛鳥時代に創建された日本最古の寺院「飛鳥寺(法興寺)」と同笵の軒丸瓦(十葉素弁蓮華文:じゅうようそべんれんげもん)が発掘されました。

飛鳥寺と同笵の瓦の出土は、この寺院跡「高麗寺跡」は蘇我氏創建の飛鳥寺(日本最古の本格的仏教寺院)と同時期頃の創建か?と歴史的な注目を集めました。

「高麗寺跡」は木津川市山城町上狛高麗、JR奈良線上狛駅より東へ約600m、木津川の右岸の棚田の中に位置しています。

「高麗寺跡」は昭和13年(1938)から本格的な発掘調査(第T期調査)が行われ、回廊に囲まれた主要な堂塔(塔跡、金堂跡、講堂跡)など含む伽藍の一部が75年前の昭和15年(1940)8月30日、国の史跡に認定されました。

(高麗寺は飛鳥時代に創建され白鳳時代に最盛期をむかえ平安時代の末期(12世紀)頃まで存続していた国内最古の寺院の一つ(京都府内では最古の寺院)と推察されています。)

「史跡高麗寺跡」の発掘調査はその後、第V期調査(平成22年度の第10次調査)まで実施され、平成22年史跡地の追加指定を受け、現在は20100m2の指定地です。調査内容については後述しますが、まず寺名(高麗寺)の「由来」からスタートします。

朝鮮半島と日本列島の九州は距離的にみると近畿と九州の数分の一であり、古代、5世紀の初めごろまではあまり強い国家意識を持たずに朝鮮半島南部の百済.新羅.加羅から渡来人が来ました。渡来氏族では漢氏(あやし)や秦氏(はたし)の氏族が優勢でした。

5世紀半ば過ぎからは北部の高句麗が強大化し南部の百済.新羅が戦場化し、戦火を逃れて日本列島に渡る人々が増加しました。

5世紀の後半は日本の古代国家形成にとって重要な時期であり、大王権力を拡大し、畿内政権を支える官司制の構成員として渡来人を採用し、彼等の文筆を持って官吏に執りたて、国家組織の整備や先進的技術の導入に役立てようとしました。

山城国への渡来人:秦氏は北部に多くの史跡を持ち、氏寺は京都の広隆寺(秦河勝が聖徳太子から下賜された仏像:弥勒菩薩半跏思惟像が有名です。)その他、商売の神様、稲荷神社(稲荷大社)、酒の神様、松尾神社(松尾大社)や嵐山の桂川周辺(大堰川)など。

山城国の南部では高句麗系の渡来氏族高麗(狛)氏が相楽.綴喜の南部2郡に集中しています。高麗寺は地名にもなっている高麗(狛)氏の氏寺です。しかし、南部以外でも有名な八坂神社の「祇園さん」(京都市東山区)は高句麗系渡来人の八坂氏の氏神です。

朝鮮半島からの渡来ルートは一般的には九州へ渡り、瀬戸内海を経て難波に来るルートを採りますが、高句麗から北西の季節風を利用して日本列島に渡るルートもありました。
古代の交通は主として水路を利用した結果、大和は木津川と深く関わりました。

木津川市は大阪市内から直径30kmの圏内です。

古代の水路の場合は、難波から淀川を遡上して八幡市(宇治川、木津川、桂川が合流)を経由する約60kmの道程です。別途、日本海の敦賀から近江の琵琶湖北岸に達し、水路で大津から宇治川経由木津に到着し、大和へ向うルートもありました。

『古事記』の仁徳天皇条、皇后石之日売命が天皇の浮気に嫉妬して難波高津宮から木津川の舟旅で出身地(大和の葛城)への途次の詩に「山代河:木津川」が詠まれています。

6世紀継体天皇が樟葉宮から弟国宮(おとくに)へ遷宮(518年)の頃、朝鮮諸国と畿内政権とは関係が緊張状態でした。
欽明天皇31年(570)条、高句麗の使節のため、南山城に高楲館(こまひのむろつみ)や相楽館(さがらかのむろつみ)を設けた。(木津川沿いに渡来人が多く居住していた。)

6世紀末、廃仏派の物部守屋が敗れ、用明天皇2年(587)、蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)の建立発願。飛鳥寺は日本最古の本格的仏教寺院であり、創建は6世紀末〜7世紀初、蘇我氏の氏寺、本尊は重文の飛鳥大仏(釈迦如来)です。

「高麗寺跡」の発掘調査から、南側土檀で仏舎利を祀る塔跡は東側、本尊仏を祀る金堂跡は西側、伽藍は南面しており、北側の土檀が講堂跡の伽藍配置です。

出土した瓦は年代の古い順から第1期は飛鳥寺と同笵の瓦、第2期は天武天皇が崇敬した寺、川原寺式瓦「種類.数量が最多」白鳳時代、第3期は平城宮式瓦、8世紀の修理、「多種.少量」、第4期は高麗寺独特の修理用瓦「少量」、平安時代前期と4時代の瓦でした。

出土品から高麗寺は新興勢力狛氏の氏寺として飛鳥時代(7世紀前半)に創建され、白鳳時代(7世紀後半)に本格的な造営が成されたが、都が平安京に遷都後は平安時代前期の修理が最後で12世紀末から13世紀初期まで高麗寺は存続していたと思われます。


<国の史跡「高麗寺跡」に付いては、新しい想いを込めて、新規に続編を掲載致します。
筆者の「木津川だより」にご関心を頂き、有り難う御座います。これからは以前の本編を、折を見て再掲させて頂きます。>

参考資料:山城町史 本文篇 山城町、
史跡 高麗寺跡 第V期(第8−10次発掘調査)発掘調査報告 木津川市教育委員会