2018年08月17日

◆時代と共に変わる職業イメージ

渡邊好造


約50年前の学生にとって、超エリートの花形職業は銀行であった。

同時期に筆者が就職したのは広告代理店業。ある洋酒メーカーの社員を対象にした意識調査の結果を卒業論文にしたこともあって、広告代理店業としては時代に先駆けて創部された調査部に配属となる。

一日中調査票や調査報告書の作成に取組み、徹夜作業も度々で、大阪のメイン道路・御堂筋からの市電の音で目覚めさせられた。

仕事内容には大満足だったが、当時の広告代理店業のイメージは良いとはいえず、明治生れの父親は、「大学まで出て"広告屋"か」と不満気だった。

銀行か商社を期待していたのだろう。入社した会社のビル1階エレベーター押ボタン横には『押売り"広告屋"お断り』のプレートが貼付されていたのでも分かるように、広告代理店業は押売りと同等のイメージを引きずっていたのである。

ところが、社員の方は"広告屋"とはチラシ広告などを扱う小さな会社のことで、自分達の会社のことではないと考えていたらしく、貼られたプレートを気にしている様子はなかった。

その後、テレビ広告費の急増にともなって目覚しい発展をみせ、5年も経たないうちに"アドバタイジング・エ-ジェンシ-"と言換えられ花形職業に変貌した。

筆者は広告代理店業で調査、営業、企画を17年余り経験し、昭和53年(1978年)消費者金融業に転職した。

この業界も高利や不当取立などで非難のマトになっていて、当時のイメージは最低だった。しかし、人材不足の新興職業ということもあって、これまでの経験を活かせる仕事はいくらでもあったし、実入りも悪くなかった。

それに、広告代理店業と同様に業界のリーダーや経営者の考え方次第で好イメージに転換するはず、とアドバイスしてくれた年齢一まわり先輩の後押しも大きい。

その折にイメージ好変の典型例として話してくれたのが、現代の花形エリ-ト職業"弁護士"の明治時代からの経緯である。

『弁護士は、明治維新の西洋式裁判制度導入当初"代言人"といわれ、”三百代言”という蔑みの異名まで生み出している。刑事・民事事件のもめごとを3百文で引受け飯の種にする卑しい輩、それが"代言人"というわけである。

保守的な京都では「家貸すな」「娘を嫁にやるな」といわれたくらいで、口が達者だから何のかのとイチャモンをつけられて苦労させられる、として嫌われた。

こうした風潮をなげいた良心的な"代言人"の中から免許制にすべしとの意見もでて、明治9年(1976年)"代言人"規則の制定により公式に認知され、昭和に入って法律も成立した。

 しかし、高額の免許料や低収入の依頼人ばかりで儲からない。あげくは無免許の"代言人"が横行し取締りも十分ではなかった。今のように国家権力から完全に独立できたのは、新弁護士法ができた昭和24年(1949年)だという。』

"代言人"については、昭和56年(1981年)週刊新潮に連載された和久俊三の小説「代言人 落合源太郎」に詳しいが、筆者はその3年前の転職時に概要を聞かされた。

その後、消費者金融業界は数社が株式上場し、業績もイメージも飛躍的に向上した。"代言人"の例をみるまでもなく、どんな職業も好イメージ確立までには先人達の普段の弛まぬ努力があってこそであり、そう簡単に達成されないことは言うまでもない。

現在、紆余曲折があって銀行は超エリート業とは言えないし、広告代理店業は広告メデイア事情の変革で楽ではない、消費者金融業は法律の改定で廃業に追込まれかねないほどの苦戦を強いられている。

いずれもこれまで積上げた折角の好イメージも下降気味である。当り前のことだが”時代とともに職業イメージは変る”。職業選びは将来を見据えて慎重であるべしだが、20年も30年も先のことは予測しにくい。まあ今思えば筆者の場合「丁か半か、えいや〜!」だった。(完)

2018年08月16日

◆劉暁波未亡人、亡命から1ヶ月  

          宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月14日(火曜日)通巻第5790号   

「自由の身」とは、これほど素晴らしい実感なのか、と劉霞
   劉暁波未亡人、亡命から1ヶ月、はじめて心境を吐露した

ノーベル平和賞受賞の劉暁波未亡人で芸術家の劉霞(57)がベルリンに亡
命して1ヶ月が経過した。重度の精神的圧迫から逃れてきたため、身体も
自由に動かせず、入院して治療を受けてきた。全体主義体制のなかで逼塞
すると精神が萎縮し、身体は蝕まれる。

彼女の自宅軟禁状態は8年つづき、外出も出来ないという不自由は環境に
閉じこめられたため強度のストレスが体内に、そして精神に堆積していた。

ようやく2018年7月10日にヘルシンキ経由で、ベルリン入りし、友人達の
出迎えを受けた。その後、リハビリのためドイツの病院に入院していた。

ベルリンで、彼女の健康状態は劇的に回復し、投薬量も激減しており、い
までは一日3キロの散歩も楽しめるほどになった。心身ともに正常に戻り
つつあると、サウスチャイナモーニングポストのインタビューに実弟が応
じた(8月12日)。

関係者に拠れば、劉霞が事実上の亡命先にベルリンを選んだのは、過去に
滞在経験がある米国より雰囲気が馴染めるというのが最大の理由だという。

しかも同時代経験として、東西冷戦の終結と「ベルリンの壁」の崩壊があ
り、東西ドイツの統一、通貨統合と進んだ現代史を目撃してきたため定住
するのならドイツときめてきたという。

もう1つの衝撃の証言がでた。

彼女が出国許可となった交換条件が弟の劉輝(音訳)の「人質」だったこと
である。弟も冤罪で入獄経験があるが、中国国内しか旅行を許されないと
いう条件で、事実上の中国共産党の人質となり、その交換で劉霞の出国が
実現した。

水面下ではドイツ政府、とくにメルケル首相が前向きだったため、北京駐
在大使のミカエル・クラウスと中国政府との間で交渉が続けられた。


 ▲国連人権委員会は人権弾圧で中国を批判

8月10日、スイスのジュネーブでは国連人権委員会が開催され、専門委員
のゲイ・マクドナルドは「ウィグルでは百万人から2百万人のウィグル人
が『再教育』として電気もない地方の収容所に押し込められている。重大
な人権侵害である」と中国代表に詰め寄った。

中国大使は開き直り、「中国の政策の恩恵で、経済的に格段に発展し、
ウィグルは豊かになった。取りしまりを実施しているのは、テロリストと
分裂主義者だけだ」と反論した。
 
一切の宗教活動が禁止され、外国から帰った留学生はすべて行方不明で、
何人かは死体で発見されたという。宗教ドグマに染まった疑いのある住民
を再教育するキャンプは、全土に百箇所も設置されており、キャンプのほ
かにも多くのムスリムが再教育を強制され、無慈悲な弾圧が継続されてい
る。その数は二百万人にも及ぶ」とマグドナルド報告。

かくて中国は国際社会の批判を浴びているのだが、蛙の面になんとかの中
国はテロリスト、分裂主義者、破壊活動家を取り締まっているだけだと嘯
いてきた。

◆お邪魔虫共産党

渡部 亮次郎


中国では幹部でも汚職がばれれば死刑になる。それでも幹部の汚職が引き
もきらない。いくら共産主義に共鳴しても、私欲とは人間の本能に等しい
ものだからである。

こうした目で中国を見ていれば、共産党が政権を掌握している限り
人権尊重や政治の民主化なぞは絶対実現しないと思うのが普通だが、経済
の改革開放が進むのに比例して民主化が進むはずだと考える人々がいる。
特にアメリカの人たちに多い。

中国が何故、共産革命に成功したか。それは国家権力を手中にしようとし
た毛沢東の策謀が成功したからである。国家の形態は何でも良かったが、
とりあえず貧民が国民の大多数だったので、「金持ちの財産を分捕り、皆
で平等に分配しよう」と言う呼びかけに合致したのが共産主義だった。

共産主義政府の樹立が毛沢東の望みではなかった。真意は権力の奪取だっ
た。日中戦争の終結で、日本軍の放棄して行った近代兵器を手中にして蒋
介石と国内戦争を続けた結果、蒋介石は台湾に逃亡した。毛沢東は昭和
24(1949)年10月1日、中華人民共和国建国を宣言した。

人民も共和も中国語には無い。日本語だ。畏友加瀬英明氏の説明だと、中
国語には人民とか共和と言う概念が無いのだそうだ。北朝鮮はそれに民主
主義が加わって嘘が深化している。

権力は掌握したが、人民への約束を果たす手段が無い。とりあえず人民公
社と大躍進政策が当時のソ連をモデルに実施されたが、農民は生産意欲の
低下とサボタージュで抵抗。

結果として食糧不足に陥って各地で飢饉が発生。餓死者は1500万人から
4000万人と推定されている(「岩波現代中国事典」P696)。

毛沢東の死(1976年)後2年、失脚から3度目の復活を遂げていたトウ小平が
経済の開放改革を断行。開放とは日本など外国資本の流入を認め、改革と
は資本主義制度への転換を意味した。

4つの近代化を掲げたのだ。工業、農業、国防、科学技術の近代化であ
る。今のところ実現に近付いているのは軍事の近代化である。

トウ小平は政治の近代化だけは断乎として拒否した。肥大化した経済が政
治(共産政府)を圧倒する危険を回避したのである。だから第2天安門事件
には反革命の匂いを嗅ぎ、断乎、弾圧した。

しかし発展する資本主義にとって共産党政府による様々な統制は邪魔以外
の何物でも無い。工場用地の確保一つとってみても、土地すべての国有は
障害でしかないが、自由にならない以上、共産党幹部を「買収」する以外
に方法が無い。

したがって多発する共産党幹部による汚職事件はいわば構造的なことで
あって、客観的にみれば「事件」ではなく「日常茶飯事」に過ぎない。

しかも冒頭に述べたように「私欲」は本能のようなものだ。所有を否定す
るのが共産主義の思想でも「本能」には勝てっこない。つまり共産主義体
制化で経済だけを改革開放すれば汚職簸自動的に起きるし、共産党幹部に
すれば、現状を変更するメリットは全く無いわけだ。

汚職は時たましか発覚しない。摘発で死刑になるのは不運な奴で政府の知
るところではないのだ。かくて中華人民共和国政府は汚職にデンと腰を下
ろした政権。民主化を抑え、人権無視の批判など絶対耳に留めない。耳が
左右に付いているのは右から聞いたら左から逃す為にあるのだ。2010・12・5

◆虐待死無くすために全件情報共有を

櫻井 よしこ


東京都目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したの
は3月2日だった。結愛ちゃんは1月23日に、父親の船戸雄大容疑者(33
歳)と母親の優里容疑者(25歳)に連れられ、香川県善通寺市から目黒区
に転居した。

それからひと月と1週間、結愛ちゃんは、「もうおねがい ゆるして ゆ
るしてください おねがいします」と書き残して死亡した。

安倍晋三首相は7月20日の関係閣僚会議で「幼い命が奪われる痛ましい出
来事を繰り返してはならない。やれることはすべてやるという強い決意で
取り組んでほしい」と指示し、政府は児童虐待防止に向けて緊急対策を打
ち出した。その柱が来年度から4年かけて児童福祉司の数を約2000人増や
し、全国で5000人強まで、児童相談所(児相)の体制を強化することだ。

これはこれで歓迎すべきことだが、肝心のことができていない。実は私は
7月6日の「言論テレビ」で、政府の決断を前にして特別番組「私たちは結
愛ちゃんの命を救える国になる」を放送した。集った論客は作家の門田隆
将氏、「NPO法人シンクキッズ─子ども虐待・性犯罪をなくす会」代表
理事の後藤啓二氏らである。議論のキーワードは「全件情報共有」だった。

児童虐待情報は、基本的に各地の児童相談所や警察に寄せられる。児童相
談所と警察が、虐待が疑われるすべての事案について、互いの情報を共有
するのが全件情報共有だ。

幼い子供の命を守るのは社会と国全体の責任だという考え方に基づいて、
このような制度は他の先進国では当然、整えられている。だが、日本では
警察と児相(厚生労働省の指針にそって運営)がタテ割り構造から脱け出
せず情報共有ができていない。一般論だが、警察から児相への情報提供が
比較的行われている一方で、その逆は殆んどなされていない。

主治医の警告

門田氏が厳しく指摘した。

「児相と警察はその成り立ちからして組織の特質、DNAが違います。児
相の人はこの番組を見て怒るかもしれないけれど、児相にとって(結愛
ちゃん事件は)普通のことです。警察は命を守る組織です。結愛ちゃんの
命を守ろうとする遺伝子を持っているのが警察です。児相は親子関係、或
いは家庭の在り方を修復するという遺伝子を持つ組織です。だから自分た
ちの手元の情報を警察に通告して、子供の命を守ろうという発想が元々な
いのです」

こんなことを言われれば、門田氏も断ったように児相の人たちは立腹する
だろう。しかし、言論テレビの番組から1週間後、新しい情報がもたらさ
れた。結愛ちゃんがまだ香川県にいたとき、虐待された結愛ちゃんを診察
した主治医が傷の状態に強い危機感を抱き、転居先の児相に電話をかけて
いたのだ。

結愛ちゃんは香川県の児相に2度保護された。診察をした主治医は「虐待
以外では考えにくい命に関わる傷を確認」し、香川県の児相にも、転居後
には品川児相にも連絡したのである。「日本経済新聞」の7月16日付朝刊
によると、品川児相がこの医師から連絡を受けたのは、後述する2月20日
の入学説明会の直後だった。

ここは時系列で見ることが大事である。先述のように結愛ちゃんは1月23
日に目黒区に転居した。29日に香川県の児相は品川児相に口頭で結愛ちゃ
んの状況を説明した。2月9日には、品川児相が結愛ちゃんの様子を見に家
庭訪問したが、母親が結愛ちゃんは不在だと言い張り、児相はそのまま引
き下がった。

そして20日、結愛ちゃんは小学校の入学説明会に欠席し、母親だけが出席
した。私はこの件について4月に品川児相所長に就任したという林直樹氏
に尋ねた。氏はこう答えた。「結愛ちゃんが欠席したことは、私どもも関
係機関から情報を入手して知っていました」。

香川県の主治医が心配して、品川児相に結愛ちゃんの状況を説明したのは
その直後だったわけだ。事情を最もよく知り得るこの主治医の警告に、児
童を守るという視点で危機感は抱かなかったのかと問うと、林氏は「回答
できない」と答えた。だが、2月9日の家庭訪問の目的はまず新しく引っ越
してきた両親と支援関係を打ち立てるためで、必ずしも結愛ちゃんの状況
をチェックすることが最優先ではなかったとも語った。門田氏の「遺伝
子」論そのものだ。

4月に所長に就任した氏に、それ以前の件について尋ねるのは酷かもしれ
ない。ただ事実関係を見れば品川児相は主治医の電話を「あくまでも『情
報提供』として受け止めたため、具体的な対応につながらなかった」(前
出「日経新聞」)。そして10日後に結愛ちゃんは死亡したのである。

政府が児相の人員を新たに2000人増やす計画について尋ねると、林氏は人
員増加によって「子供の置かれている家庭状況を評価し、何をなすべきか
判断する力などを身につけ各々の専門性を高めていくことができる」と評
価した。

「完全な敗北」

実はこの点は、言論テレビで大いに議論された論点のひとつだった。門田
氏が強い調子で語ったものだ。

「児相は自分たちの専門性を高める、そのために要員増には大賛成と言う
でしょう。組織の権限も拡大します。しかし、それでは対応できないとこ
ろまで日本社会はきています。警察と手を携えなければ子供の命は守れな
いでしょう」

児相の物理的能力を見ても子供の命を彼らに任せておくのは不安である。
児童福祉司は全国で現在3000人強。品川児相の場合、児童相談員は、林氏
によると25人だ。同児相がカバーするのは品川区(39万人)、目黒区(28
万人)、大田区(73万人)で約140万人。25人でどうやって見守れるの
か。後藤氏が指摘した。

「隠れているケースも含めれば毎日一人の子供が虐待死させられていま
す。この苛酷な現実の前で児相の専門性もなにもないでしょう。完全な敗
北です。警察は全国に30万人、交番のお巡りさんは10万人です。彼らに、
子供さんは元気ですかと声をかけてもらうだけで事情はかわります」

だが、庶民の情報を警察に渡すのは人権侵害だと論難する声もある。そこ
はすべての情報を渡すわけではない。すでに高知県や愛知県では全件情報
共有がうまくいっている。埼玉県も8月1日から全件共有に踏み切る。上田
清司知事が語った。

「児相と警察が情報を全件共有し、きちんと情報を守っていけるソフトを
作りました。菅官房長官は、地方自治体でやれるところからやってほしい
と言っています。政府も本来、早く省庁の壁を破りたいのです」

人権の極致は命を守ることだ。安倍首相はやれることはすべてやれと指示
済みだ。一日も早く、厚労省の厚い壁を破り、全件情報共有への道を開い
てほしい。
『週刊新潮』 2018年8月2日 日本ルネッサンス 第813回

◆効果ある食べ物あれば「薬」不要?

大阪厚生年金病院 薬剤部

Q テレビで言っていた、病気に効果のある食べ物を食べていれば、病気の薬を飲まなくても大丈夫?

A う〜ん、それは、だめですね。

病気でお薬が必要といわれ、医師から薬を処方されている人は、食べ物だけでの完治は難しいですね。食べ物とお薬は同じ効果を示さないからです。
 
たとえば、胃潰瘍の場合を例にあげてみましょう。胃潰瘍の原因の1つとしてピロリ菌があります。胃の中にピロリ菌がいるといわれて除菌のお薬を飲んでいる方が、ピロリ菌に効果があるといわれるヨーグルトを食べてさえいれば薬は飲まなくてもいいのか?というと、答えはNOです。

予防的にヨーグルトを食べるのは、いいことだと思いますが、すでに医師からお薬での除菌が必要と言われている場合、ヨーグルトを食べるだけで胃潰瘍を治すのは難しいと思います。「ヨーグルトではお薬と同じだけの効果は期待できない」し、「食品はあくまでも食品」ですからね。きちんと、治療のためのお薬を飲むようにしましょう。


最近は健康ブームで、さまざまな食品の栄養についての特集があります。病気をお持ちの患者さんが興味を持つ気持ちはよくわかりますが、すべてを鵜呑みにしてお薬の治療をやめてしまうのでは、と心配になります。

「食品は副作用がない」「食品で病気が治るなら薬を飲まなくてもよい」と思いがちですが、自分の判断だけで、お薬を飲むのをやめてしまうのはよくありません。
 
また、テレビの情報は、一般的な話か、もしくは、ある特定の人だけの話と両極端なことが多いです。お薬は、個々の患者の病態に合わせて、医師は処方設計し、薬剤師は調剤していますが、テレビの場合はそうではありません。
 
テレビや雑誌で気になる記事があれば、「この前こんな話聞いたけど、自分にはどうかな」って、かかりつけの医師や薬剤師に気軽に聞いてみてください。(再掲)

2018年08月15日

◆樹上の家(Tree House)

馬場 伯明


2018.8.10(土)日経新聞(NIKKEIプラス1)に「冒険心くすぐるツリーハ
ウス・何でもランキング」が載っていた。樹上に木造の小屋を作り樹上で
遊び自然の生活を楽しむ。全国各地の10枚の写真があった。

「虫取り、木登り、ターザン、秘密基地・・・。子供の頃の遊び心や冒険
心を掻き立てるのがツリーハウスだ。家族や仲間と楽しめる「樹上の遊び
場」をランキングした」。第1位は北軽井沢スィートグラス 森とおとぎ
の国(群馬県長野原町)。

60年前の子供の頃に作った「樹上の家」の思い出が髣髴として蘇った。小
学校5-6年生から中学校1年の真夏である。家の庭に続くミカンの木々や近
くの丘の林の中の樹上に友人らと「樹上の家」を作った。

「樹上の家(Tree House)」を私たちは「ヤグラ」:「おどんが『ヤグ
ラ』(ぼくらの家)」と呼んでいた。(*1)ヤグラ(櫓・矢倉):(木材
を組んで)高く立てた台状のもの。盆踊りの―。(Google)。

当時の田舎の自家の様子を記述する。長崎県(島原半島)南串山町の家の
敷地は、庭などを含め全体で約500坪。母屋は2階建て延べ床面積75坪
(248u)、「田の字構造」の典型的な農家の間取りであった。2階建ての
小屋に藁・薪収納(2階)や牛小屋(1階)。平屋の鶏(トリ)小屋、醤
油・味噌小屋、小小屋(コゴヤ:小さい雑貨小屋)があった。

小屋と母屋の間には約30坪(100u)の土の外庭(ホカニワ)があった。
外庭は、農作物の乾燥、脱穀、整理、収納作業など農作業用の広場である。

また同時に、子供らが遊ぶ広場でもある。縄跳び、相撲、バドミントン、
毬つき、ゴム飛び、花いちもんめ、鬼ごっこなど、何でもできる。しか
し、「クッゴマ」(釘が付いているケンカゴマ〈喧嘩独楽〉)や「釘倒
し」は地面に多数の穴をあけることになるので禁止されていた。

母屋の裏側には「小庭(コニワ)」があった。小庭といっても相当広い。
2つの池にはフナ(鮒)やカラス貝がいた。築山には姿のいい松、枝垂れ
梅、ツツジ(躑躅)、シュロチク(棕櫚竹)、イワマツ(岩松)、マン
リョウ(万両)、紅白の梅、レンギョウ(連翹)の生垣などが植栽されて
おり、田舎の庭ながらも、整然と剪定された美しい庭であった。

また、アンズ(杏)、イクリ、スモモ(李)、ユスラウメ(山桜桃梅)、
ミカン、ナシなど食べられる季節の果物が植えられていた。小庭の奥には
ビワ(枇杷)の古木(根本直径が25〜34cm)が7本あった。ビワの実が熟
する頃、私たちは樹上でビワをもりもり食べ、そこから小便を下へ飛ばした。

ビワ畑の手前にはミカンの木々があった。夏ミカンの古木(根本直径が
25〜40cm)4本、小(こ)ミカン2本、キンカン(金柑)1本、ユズ(柚
子)1本。ナシ(梨)の大木(幹直径40cm高さ10m)1本、渋柿・甘柿各1本
(共に直径40cmの大木)。

「樹上の家(Tree House)」:ヤグラは、近接する3本の夏ミカンの木の
樹上に作った。その建築方法を記述する。

1. 地上3mの箇所に3本のミカンの幹を利用し、ヤグラを作れそうな樹上の
場所(空間)を探す。
2. 冬にサツマイモからコッパ(切端・切り干し甘藷)を製造していた。
その干し場(タカズ:高簾)を組む「ナリ木」が牛小屋に保管してある。
それを10本借りる。
3. ミカンの幹(太い枝)と幹にナリ木を渡し、縦2m×横2mの漢字の「目」
の字に組む。1〜2本柱も立てる。交差する箇所(仕口)は「タカズ」組み
に使う太いシュロナワ(棕櫚縄・太さ1cm)で固く結ぶ。釘は使わない。
「目」の字の中に2本のネダ(根太)も縄で固定する。
4. 古い畳を2枚敷く。
5. 高さ40cmの手摺を四方に設ける。転落防止のため柵を板と縄で作る。
6. 屋根は作らない。ミカンの葉が茂り風の通りがいいので暑くはない。
しかし、蚊がいるので古い蚊帳(かや)を母に借り吊る。昼間はまだいい
けれども、寝泊りのときは必須である。
7. 梯子はつけず幹を伝い上り下りする。
8. これで完成だ。

私たちは樹上の家:ヤグラで何をするのか?もっぱら・・・遊ぶ。トラン
プ、将棋、双六。本やマンガ。夏休みの宿題。両親ら大人と離れての自由
なしゃべり。女の子の品定めの話なども。思えば、「ヤグラを作り上げる
作業過程(プロセス)と完成」そのものを楽しむことに大きな目的や意味
があったような気がする。

「BA・と煙は高く上る」と言われる。BA・と言われても、私たちは高いと
ころが好きだった。高いところに上がれば、低いところにいる他の者を見
下すことができるので、何か、自分が急に偉くなったような気がした。

ヤグラを「ターザンの家」と名付けた。少年雑誌「冒険王」に載っていた
家には茅葺きの屋根があった。しかし、蚊帳はなかった(*2)。カズラ
(葛)があれば、ミカンの木の枝から枝へ飛び移ることができたが・・残念。

(*2)何と60年後の今でも、マラリアへの感染防止のために蚊帳は日本か
らのアフリカへの重要な援助物資になっているらしい。また、カズラは近
くの山に自生しており、ぶら下がりターザンごっこで遊んでいた。

近所には街灯一本もなく夜は真っ暗になる。樹上には電灯もラジオもない
(もちろんTVも!)。懐中電灯1本を枕元に置き、私たち悪童3人はこの狭
いところに身を寄せ、早めに眠りについた。

一方、近所のT君の家の近くの丘にはカシ(樫)やシイ(椎)の木、ツル
シバ(譲り葉)などの大木の林がある。4人で4m×4mの大規模なヤグラを作
りハシゴも掛けた。8人が泊れる広さだ。大きな蚊帳を張った。でも、母
が「夜の外出はダメ」というので私はそこに泊ったことはない。

樹上の家:ヤグラは木登りの延長にある行為である。座っていても横た
わっていても、さわさわとした夏の風は心地よい揺れをもたらす。私たち
は何も考えることなく、ただ自然のゆりかごに抱かれていた。

しかし、中学2年生になり家の農作業やスポーツの部活動(卓球・陸上な
ど)で多忙となり、関心も少し薄れヤグラつくりはやめた。

60年後の今も帰省したら、T君の家の丘のこんもりした(まだある)林を
横目で見ながら通る。丘の下に新築された家にはT君の子や孫が住んでい
るらしい。今、南串山町の児童や生徒の誰も、いや、学校の先生たちです
ら、樹上の家:ヤグラ(!)があったことすら、知らない。

ヤグラを通り抜けた夏の夜風の記憶が巡りくる。冷房機もなかった。しか
し、涼しく心地よかった。8月半ば、千葉の夏はまだ暑い。ばば・ともあ
き(2018.8.11千 葉市在住)

 

◆虐待死なくすために全件情報共有を

櫻井よしこ


東京都目黒区で5歳の船戸結愛ちゃんが両親から虐待を受けて死亡したの
は3月2日だった。結愛ちゃんは1月23日に、父親の船戸雄大容疑者(33
歳)と母親の優里容疑者(25歳)に連れられ、香川県善通寺市から目黒区
に転居した。

それからひと月と1週間、結愛ちゃんは、「もうおねがい ゆるして ゆ
るしてください おねがいします」と書き残して死亡した。

安倍晋三首相は7月20日の関係閣僚会議で「幼い命が奪われる痛ましい出
来事を繰り返してはならない。やれることはすべてやるという強い決意で
取り組んでほしい」と指示し、政府は児童虐待防止に向けて緊急対策を打
ち出した。その柱が来年度から4年かけて児童福祉司の数を約2000人増や
し、全国で5000人強まで、児童相談所(児相)の体制を強化することだ。

これはこれで歓迎すべきことだが、肝腎」のことができていない。実は私
は7月6日の「言論テレビ」で、政府の決断を前にして特別番組「私たちは
結愛ちゃんの命を救える国になる」を放送した。集った論客は作家の門田
隆将氏、「NPO法人シンクキッズ─子ども虐待・性犯罪をなくす会」代
表理事の後藤啓二氏らである。議論のキーワードは「全件情報共有」だった。

児童虐待情報は、基本的に各地の児童相談所や警察に寄せられる。児童相
談所と警察が、虐待が疑われるすべての事案について、互いの情報を共有
するのが全件情報共有だ。

幼い子供の命を守るのは社会と国全体の責任だという考え方に基づいて、
このような制度は他の先進国では当然、整えられている。だが、日本では
警察と児相(厚生労働省の指針にそって運営)がタテ割り構造から脱け出
せず情報共有ができていない。一般論だが、警察から児相への情報提供が
比較的行われている一方で、その逆は殆んどなされていない。

主治医の警告

門田氏が厳しく指摘した。

「児相と警察はその成り立ちからして組織の特質、DNAが違います。児
相の人はこの番組を見て怒るかもしれないけれど、児相にとって(結愛
ちゃん事件は)普通のことです。警察は命を守る組織です。結愛ちゃんの
命を守ろうとする遺伝子を持っているのが警察です。児相は親子関係、或
いは家庭の在り方を修復するという遺伝子を持つ組織です。だから自分た
ちの手元の情報を警察に通告して、子供の命を守ろうという発想が元々な
いのです」

こんなことを言われれば、門田氏も断ったように児相の人たちは立腹する
だろう。しかし、言論テレビの番組から1週間後、新しい情報がもたらさ
れた。結愛ちゃんがまだ香川県にいたとき、虐待された結愛ちゃんを診察
した主治医が傷の状態に強い危機感を抱き、転居先の児相に電話をかけて
いたのだ。

結愛ちゃんは香川県の児相に2度保護された。診察をした主治医は「虐待
以外では考えにくい命に関わる傷を確認」し、香川県の児相にも、転居後
には品川児相にも連絡したのである。「日本経済新聞」の7月16日付朝刊
によると、品川児相がこの医師から連絡を受けたのは、後述する2月20日
の入学説明会の直後だった。

ここは時系列で見ることが大事である。先述のように結愛ちゃんは1月23
日に目黒区に転居した。29日に香川県の児相は品川児相に口頭で結愛ちゃ
んの状況を説明した。2月9日には、品川児相が結愛ちゃんの様子を見に家
庭訪問したが、母親が結愛ちゃんは不在だと言い張り、児相はそのまま引
き下がった。

そして20日、結愛ちゃんは小学校の入学説明会に欠席し、母親だけが出席
した。私はこの件について4月に品川児相所長に就任したという林直樹氏
に尋ねた。氏はこう答えた。「結愛ちゃんが欠席したことは、私どもも関
係機関から情報を入手して知っていました」。

香川県の主治医が心配して、品川児相に結愛ちゃんの状況を説明したのは
その直後だったわけだ。事情を最もよく知り得るこの主治医の警告に、児
童を守るという視点で危機感は抱かなかったのかと問うと、林氏は「回答
できない」と答えた。だが、2月9日の家庭訪問の目的はまず新しく引っ越
してきた両親と支援関係を打ち立てるためで、必ずしも結愛ちゃんの状況
をチェックすることが最優先ではなかったとも語った。門田氏の「遺伝
子」論そのものだ。

4月に所長に就任した氏に、それ以前の件について尋ねるのは酷かもしれ
ない。ただ事実関係を見れば品川児相は主治医の電話を「あくまでも『情
報提供』として受け止めたため、具体的な対応につながらなかった」(前
出「日経新聞」)。そして10日後に結愛ちゃんは死亡したのである。

政府が児相の人員を新たに2000人増やす計画について尋ねると、林氏は人
員増加によって「子供の置かれている家庭状況を評価し、何をなすべきか
判断する力などを身につけ各々の専門性を高めていくことができる」と評
価した。

「完全な敗北」

実はこの点は、言論テレビで大いに議論された論点のひとつだった。門田
氏が強い調子で語ったものだ。

「児相は自分たちの専門性を高める、そのために要員増には大賛成と言う
でしょう。組織の権限も拡大します。しかし、それでは対応できないとこ
ろまで日本社会はきています。警察と手を携えなければ子供の命は守れな
いでしょう」

児相の物理的能力を見ても子供の命を彼らに任せておくのは不安である。
児童福祉司は全国で現在3000人強。品川児相の場合、児童相談員は、林氏
によると25人だ。同児相がカバーするのは品川区(39万人)、目黒区(28
万人)、大田区(73万人)で約140万人。25人でどうやって見守れるの
か。後藤氏が指摘した。

「隠れているケースも含めれば毎日一人の子供が虐待死させられていま
す。この苛酷な現実の前で児相の専門性もなにもないでしょう。完全な敗
北です。警察は全国に30万人、交番のお巡りさんは10万人です。彼らに、
子供さんは元気ですかと声をかけてもらうだけで事情はかわります」

だが、庶民の情報を警察に渡すのは人権侵害だと論難する声もある。そこ
はすべての情報を渡すわけではない。すでに高知県や愛知県では全件情報
共有がうまくいっている。埼玉県も8月1日から全件共有に踏み切る。上田
清司知事が語った。

「児相と警察が情報を全件共有し、きちんと情報を守っていけるソフトを
作りました。菅官房長官は、地方自治体でやれるところからやってほしい
と言っています。政府も本来、早く省庁の壁を破りたいのです」

人権の極致は命を守ることだ。安倍首相はやれることはすべてやれと指示
済みだ。一日も早く、厚労省の厚い壁を破り、全件情報共有への道を開い
てほしい。
『週刊新潮』 2018年8月2日号 日本ルネッサンス 第813回

◆私の古寺旧跡巡礼」「伝香寺」(奈良市)

石田 岳彦


特別公開リストが奈良県から発表されて以来、どこの寺に何時行くかの予定を立てていますが、今回はそのうち、奈良市内にある伝香寺のお話です。

近鉄奈良駅から南西に8分ほど歩いたところに伝香寺というお寺があります。このお寺は本堂と地蔵菩薩立像が重要文化財に指定されていますが、奈良市内では特に目立つ存在でもなく、また、境内で幼稚園を経営しているという防犯上の理由もあってか、普段は、立ち入り禁止です。


戦国時代末から安土桃山時代にかけて、織田信長、豊臣秀吉に仕えて活躍した筒井順慶という武将がいます。この伝香寺は、順慶が若くして病死した後、その母が息子の菩提を弔うために建立したお寺です。

筒井順慶といえば、一般には本能寺の変の後、山崎の合戦の際の「洞ヶ峠の日和見」の話で有名になっています。

これは、山崎の合戦を前に豊臣秀吉と明智光秀からそれぞれ味方につくよう誘われた順慶が、どちらに味方をするか決心がつかず、山崎の地からほど近い洞ヶ峠(京都府八幡市と大阪府枚方市との境界にある峠)で日和見を決め込んでいたというものです。

しかし、近年の研究では、実際に洞ヶ峠に向かい、順慶に出兵を促したのは光秀であり、順慶は一部の兵を光秀側に送ろうとしたものの、途中で止め、自身は大和から動いていないという説が有力になっています・・・と拝観券と一緒に受け付けでもらったパンフレットには載っていました。

拝観券売り場の横に積まれていた「洞ヶ峠の真実」という本にも多分、同じような内容が載っているのでしょう。

もっとも、光秀と親しかった順慶としては、光秀を見殺しにすることにかなり忸怩たるものがあったようで、結局、秀吉と密かに通じつつも、合戦には参加せず(秀吉としても順慶が光秀側に参戦しないことでよしとしたようです。)、中途半端な態度をとったのは事実です。

とはいえ、光秀の姻族(光秀の娘、いわゆるガラシャ夫人は細川忠興の正妻でした。)でありながら、信長の喪に服して出家するとの理由で、あっさりと局外中立の姿勢をとった細川藤孝、忠興の親子が世間から特に非難を浴びているわけでもないのに、順慶が洞ヶ峠の件で揶揄されるのは確かに不公平な話で、筒井一族が文句をいいたくなるのはよく分かります。

受付のある境内北東角の門をくぐると(というか、くぐる前から)本堂は目の前です。境内が狭いですね。
南側の入り口に回りこむ途中、参道の右側に見事な椿の木があります。この椿は「武士の椿(もののふのつばき)」と呼ばれ、大和三名椿に数えられているそうです(他の2つは白毫寺五色椿、東大寺開山堂糊こぼし椿とのこと。機会があったら見てみたいです。)。
一般に椿は花が散らず、そのままボトリと落ちるため、斬首を連想させ、武士からは不吉として忌まれていますが、この椿は花びらが桜のように潔く散るため、武士たちからも好まれていたとのこと。突然変異でしょうか。

参道の左側には筒井順慶の像を祀っている最近になって建てられたお堂があります。筒井一族が浄財を出し合って建てたとのことです。

正面に回り、本堂へ。

本堂奥に釈迦如来が鎮座していますが、その前に立っている地蔵菩薩立像の存在感の前に霞んでしまっています。

この重要文化財の地蔵菩薩立像は裸形であり、その上に布製の僧衣をまとっているのが特色で、くすんだ木肌の仏像と色鮮やかな布製の僧衣とのギャップがインパクト大ですね。

鎌倉時代の作で、もともとは別の寺院にあったのが、廃仏毀釈の際に伝香寺に持ち込まれたそうです。


奈良に出掛けましょう!

2018年08月14日

◆首相、「改憲」軸に政局運営へ

杉浦 正章


求心力維持し、来年発議の構え

総裁3選後をにらんで、自民党総裁・安倍晋三が12日、憲法改正戦略を一
層鮮明にした。改憲案の「次の国会提出」を明言したのだ。安倍の5年半
を超えた政権では経済は長期にわたり景気を維持し、外交安保でも積極路
線で日本の存在感を高めており、大きな失政もない。

自民党内は3選で政権を継続させることに依存も少ない。9月の総裁選
は、石破茂が立候補しても安倍の圧勝となる方向は事実上確定しており、
求心力は「改憲」軸に維持されよう。

新聞や民放はただ一人の対立候補石破が安倍総裁との一騎打ちになるとは
やし立てるが、「一騎打ち」とは 敵味方ともに1騎ずつで勝負を争うこと
である。結果としてそうなったにしても彼我の力量の差は歴然としてお
り、アリが巨像に向かう事を一騎打ちとは言うまい。

なぜアリ対巨像かといえば、まず自民党内の議員勢力に雲泥の差がある。
安倍支持は自派の細田派(94人)を筆頭に、麻生派59人、岸田派48人、二
階派44人、石原派12人と圧倒している。

石破支持は同派の20人と参院竹下派の21人程度に過ぎない。前回安倍が大
敗した地方票も、安倍自身の地方行脚で基礎を固めており、支持も広がっ
ている。陳情一つとっても石破では話が通じないからだ。今回の総裁選
は、まるでプロスポーツの“消化試合”の様相だ。

長期政権はその求心力をいかに維持するかが最大の問題となる。7年半続
いた佐藤栄作政権は「沖縄返還なくして選後は終わらない」をキャッチフ
レーズに求心力を維持した。

安倍の叔父の佐藤栄作は72年5月の沖縄返還実現を見て、同年7月に退陣
している。安倍はここに来て自民党結党以来の悲願である憲法改正を推し
進める姿勢を鮮明にしている。

日の講演で「憲法改正は全ての自民党員の悲願であり、その責任を果たし
て行かなければならない。いつまでも議論だけを続けるわけにはいかな
い」と改憲発議への姿勢を明確に打ち出した。改正の焦点は「陸海空軍そ
の他の戦力はこれを保持しない。国の交戦権はこれを認めない」という9
条2項だ。まぎれおなく羹(あつもの)に懲りた米占領軍の影響下にある
条項だが、独立国の常識としてまさに噴飯物の内容を構成しているといえる。
 自民党は今年の春に戦力不保持を定めた9条2項を維持した上で、「9
条の2」を新設して自衛隊を明記する案を固めた。これは安倍のかねてか
らの主張に沿ったものだ。安倍は2項を維持した上で、自衛隊の合憲を明
確にするとしている。

自衛隊を憲法に明記して古色蒼然たる違憲論争に終 止符を打とうとする
ものだ。国内の違憲論争に決着を付ける意味は大き く、世界の標準に合
致することになる。

これに対して石破は「2項を削除 して自衛隊の保持を明記し、『通常の
軍隊』と位置づける」としており、 首相と「維持と削除」で決定的な差
がある。石破の削除案には党内右派の 一定の支持はあるが、首相案の方
の支持が大勢の流れとなっている。加え て大規模災害時などに政府によ
る国民の生命・財産の保護義務を明確にす る緊急事態条項も創設される
方向だ。

自民党が総裁選での最大の焦点に改憲問題をテーマとするケースは珍し
い。これは自民、日本維新の会など改憲勢力が衆参両院で必要な3分の2
を占めていることが、現実味を帯びさせているのだろう。

安倍戦略は、9 月の総裁選を機に改憲への基盤を固め、秋以降の国会を
改憲にとって千載 一遇のチャンスと位置づけ、自民党の改憲案を提示
し、通常国会での発議 に持ち込む構えであろう。2020年の新憲法施行へ
とつなげたい 考えのようだ。

この結果、最大の政治課題は、既定路線の3選そのものにはなく、3選
後に何をやるかに焦点が移行しつつあり、改憲は佐藤が沖縄返還で最後ま
で求心力を維持したこととオーバーラップする。ただ、連立を組む公明党
は来年の参院選を控えて慎重論が強く、安倍の憲法改正発言に警戒を強め
ている。今後折に触れ、クギを刺したり、横やりを入れる動きを見せそう
だ。野党も立憲民主党や国民民主党を中心に警戒論が高まろうとしている。

◆中国の知識人が一帯一路を厳しく批判

宮崎 正弘


平成30年(2018年)8月13日(月曜日)通巻第5789号

 中国の知識人(孫文広、許章潤ら)がBRI(一帯一路)を厳しく批判
  習近平政権、あわてて口封じに動いたが、世界の人々は真実を知った

8月1日、VOA(ボイス・オブ・アメリカ)のインタビューを受けてい
た孫文広・元山東大学教授の自宅に突如、7〜8名の警官が踏み込み、生
放送中であるにも拘わらず、教授を拉致・拘束した。

孫教授は以前にも毛沢東を批判して刑務所で十年を暮らし、釈放後も、劉
暁波の提唱した「08憲章」に真っ先に署名した勇気ある知識人の一人とし
て知られた。

放送の最後の言葉は「聞いてくれ、みなさん。私の言ったことに間違いは
あるか?」だった。VOAはこの孫文広の言葉を世界に放送した。

孫教授は、放送に先立つ7月20日に「公開書簡」を発表し、「習政権は、
166」ヶ国に対して、4000億元(6兆8000億円)もの巨額を投下し、60万
人もの中国人労働者を派遣しているのは何事か!」と非難していた。

7月下旬、清華大学の許章潤・教授はさらに鋭角的批判を展開した。

第一に習近平が進めるBRI(一帯一路)の無駄遣い、不適切な背伸び、
国内に貧困な人々が山のようにいて日夜、どん底の生活苦と闘っていると
きに、いったい何のために金持ちのアラブ諸国に支援をなし、遠きアフリ
カにカネをばらまくのか、と批判の矢を放ったのだが、多くの中国の知識
人が許章潤の支援にまわった。
 
第二に許教授は「憲法を勝手に改悪して、終身皇帝のような絶対権力を築
いた習近平は、言論の自由を踏みにじる行為だ」として、終身皇帝の不法
を訴えた。

こうした批判は別にして、すでにBRIへの取り組みは2015年以降か ら
ペースが落ち込み、銀行の貸し出しは激減している。中国の外貨払底が
事由である。

BRI投資は、明らかに減速傾向にあり、同時に欧米の批判が強くなって
いるのが現実である。

にも拘わらず、「誰かのメンツ」を重んじ、あるいは「世界に冠たる中華
民族の栄光」を誇示するために、「大撒幣」(バラマキ)を続けている。
或いは、BRIプロジェクトの継続によって、ペイバックなどにより裨益
する集団があるのか、との批判も頻出してきた。

「大撒幣」はダーザピーと呼ばれ、ネット、ツィッターなどで盛んに使わ
れた。

西側の研究者のあいだでは、BRIプロジェクトの14%がすでに失敗した
か、頓挫しているが、残りの86%は順調に推移しているなどと楽観論が依
然として強い。

薔薇色の派手な宣伝しか中国国内でなされていないため、この閉鎖空間か
ら情報を得ていると、うっかり86%が成功していると誤解しがちになる。

中国国内では、これらBRIプロジェクトが中国の銀行からの貸し付けに
よって行われていることは報じられていない。

国有銀行の融資は2017年から突如激減を始め、2018年の貸し出しは実質的
にゼロに近くなっている。

代替して貸し出しを行っているのは商業銀行だが、これも激減カーブを描
いている。つまり、現状は、派手なアナウンスはあっても、かけ声だけ
で、実際の銀行貸し付けは停止しているのだ(米国「ジェイムズタウン財
団」発行の『チャイナ・ブリーフ』、2018年8月10日号)


 ▲ケニヤ鉄道でも汚職、中国人の関与は示されなかったが。。

アルジャジーラ英語版(8月13日付)が大きく報じた。

中国のBRIの一環プロジェクトとして東アフリカを縦貫する夢の鉄道
(ケニヤーーウガンダーータンザニアーールワンダーーブルンジーー南
スーダンーーエチオピア)を結ぶ鉄道建設のうちケニアの主要2都市(モ
ンバサーーナイロビ)間は2017年5月に開通した。

1年半後になって、ケニア国家検察庁は、用地買収に汚職があったとし
て、モハンマド・アブダラ・マクシリ(国土庁長官に該当)と、アタナ
ス・アリウキ・マイラ(鉄道管理局長に該当)の2人の幹部を含む14名
を逮捕した。

用地買収の汚職で4億ドルが使途不明金となっていた。

ケニア鉄道は総工費32「億ドルで、このうち90%を中国輸出入銀行が融資
した。しかし逮捕者のなかに中国人が含まれていないのは外交的配慮か?


 ▲ロシアにも急激に拡がる中国のBRIへの懐疑。「借金の罠」

「借金の罠」論は、欧米や日本だけに限らない。アジア諸国でもスリラン
カ、パキスタンの被害やカンボジア、ラオスの中国植民地化という実態を
目撃すれば、ほかの国々が「怪しいプロジェクトだ」と睨むのは当然の流
れである。

まして米国はポンペオ国務長官が「インド太平洋ファンド」などを提唱し
始めているため、再び米国に対する期待感も高まって、中国との均衡を図
ろうとする。

中央アジアには旧ソ連圏に属した5つのイスラム国家がある。

このうちカザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンはガスパイプ
ラインが繋がってことなどにより、中国への傾斜は甚だしく。プーチンを
苛立たせてきた。旧ソ連の中庭が勝手に荒されているからだ。

プーチンはカザフスタンをとくに重視し、ナゼルバエフ大統領を何回もク
レムリンに招待しているのは、中国と少なくとも等距離をとらせるためで
あり、ウズベキスタンは昨夏にカリモフ大統領が急死した折は、特別機を
仕立てプーチンは、弔問のためサマルカンドへ飛んだほどだった。それほ
ど神経質なのだ。

トルクメニスタンに関しては、はやばやと永世中立国を認めている関係
上、ロシアは静観を維持しているし、トルクメニスタンは事実上の鎖国を
しているため、中国の重度の介入は避けられている。


 ▲タジキスタンも中国の「借金の罠」に落ちた

 残るはキルギスとタジキスタンである。

嘗てタジキスタンは旧ソ連軍のアフガニスタン侵攻の最前線基地だった。
いまも、旧ソ連時代からのロシア軍駐屯地がある。

タジキスタンの悩みは電力と交通のインフラであり、850万人の国民が寒
い冬を電気なしで過ごすことに何時までも堪えきれない。そこで中国が石
炭火力発電プロジェクトを持ちかけたのだ。

世界最貧国でもあるタジキスタンの1人当たりのDPは、840ドル強。中国
の10分の1である。

この国に中国はぽんと10億ドルを貸し付け、発電所を何カ所か建設し
た。担保は、ドシャンベ北方に発見された、ふたつの金鉱山開発権だ。だ
から「借金の罠に落ちた」と専門家筋は読んだ。

タジキスタンの債権者は、3億1800万ドルを貸し付けている世界銀行と、
2億1700万ドルを貸し付けているアジア開発銀行だ。この2つの債務も返
済不能のタジキスタンが、中国輸出入銀行から10億ドルを借りた。おも
に中国新彊ウィグル自治区とタジキスタンの首都ドシャンベを結ぶハイ
ウェイ建設費用である。
 
ロシアは「ユーラシア経済ユニオン」(EEU)を主導しているが、ここ
から1億6000万ドルをタジキスタンの社会インフラ整備などに融資 し、
また同時に過去の債権3億ドルを帳消しにするという寛大な措置を とっ
た(と言ってもロシア軍駐留費用なのだが)。

この程度では巻き返しは図れなかった。


 ▲キルギスよ、お前もか!

キルギスは天山山脈の南、東南部には世界でもミステリアスなイシククル
湖が拡がる。ビシュケクはきれいな町である。筆者が滞在したのはすでに
十年前のことだが、アフガニスタン戦争でマナス飛行場を米国が借りて海
兵隊2000を駐屯させていた。その取材を兼ねてウズベキスタンからバスで
入った。

舗装されておらず、部分的にはぬかるみという悪路だった。

キルギスの債務は38億ドルに達する。

このうちの17億ドルが中国からの借入金である。キルギスの場合は交通ア
クセスの劣悪さ、通信インフラの未整備が発展のネックになっており、若
者はロシアへ出稼ぎにでるのである。キルギスのGDPの25%がロシア
へ出稼ぎにでた若者からの仕送りで成立している。

首都ビシュケクから第2の都市オシェにも、航空便は一日に僅か二便か三
便。通信網が劣悪であり、将来のデジタル通信のハブ基地を狙うと言う
が、とても無理であろう。

ここに目を付けたのは華為技術(ファウェイ)と中国テレコムである。通
信網施設の建設、携帯電話の販売などで進出し、ビシュケクとオシェをス
マートシティにするお手伝いなどと嘯いた。

とろこがロシアはビシュケク近郊のケントに500人規模のロシア軍を駐屯
させている。頭越しにビシュケク政府が北京と結んだことは不愉快千万で
あり、プーチン政権の警戒心を深めた。

 かくしてBRIは実質的に頓挫状況に陥ったと言える。

   
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  

 トルーマン政権内部でも占領政策をめぐっての確執があった

  最後にウィークジャパン派が敗退して日本の共産化が回避された秘話

  ♪
江崎道朗『日本占領と「敗戦革命」の危機』(PHP新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

あわや、日本にも全体主義国家に転落する危機が現実にあった。敗戦と戦
後の秘話である。

日本が北朝鮮や中国の全体主義体制のように「地獄」に陥落し、愛に満ち
た日本社会を破壊し、大切な人間性を踏みにじり、独裁権力のために個人
を犠牲にする。

そうした自由のない社会を画策する動きがあった。

国際的な謀略組織コミンテルンが潜り込ませた工作員達が、FDR政権を
引き継いだトルーマン政権に陣取り、しかもGHQに浸透していたのだ。
その経過は百も承知してきたが、本書の特徴は新しい観点で現代史を見直
したこと、もう一つは「ヴェノナ文書」など新資料がふんだんに駆使さ
れ、より迫真性に富むことである。

そもそも共産主義は、まともな軍事力で敵を薙ぎ倒すなどという正攻法を
用いない。もっとも卑劣な手段を講じて国家を簒奪するのだ。

 それは「(1)自国政府の敗北を助成する(2)帝国主義戦争を自己崩
壊の内乱戦たらしめること(3)民主的な方法による正義の平和は到底不
可能なるがゆえに、戦争を通じてプロレタリア革命を遂行すること」だと
江崎氏は解説する。

つまりコミンテルンの戦略とは、第一に日米英を戦わせる。第二にとく
に、米国を用いて、日本を敗北させ、第三に日本を混乱させながら共産革
命政権を樹立し、『戦争は手段、目的は革命』と実行するのだ。

日本を全体主義国家に転落させ、共産主義の独裁権力をもって人間を支配
し、日本人をロボット化させて、革命の奴隷とすることにコミンテルンの
目的があった。

だからルーズベルト政権にはおよそ300名のコミンテルンの工作員が紛れ
込み、対日強硬外交にアメリカを誤導し、真珠湾攻撃を誘発し、戦争後は
日本に共産革命政権を樹立することにあった。

しかし米国政権にはコミンテルンの謀略を見抜き、反対した勢力があっ
た。FDR政権内部、そして敗戦後日本を占領したGHQの内部でウィー
クジャパン派とストロングジャパン派の死闘が繰り広げられていた。

このGHQの内部抗争に関しては林房雄が『緑の日本列島』や『池田勇
人』で、最初に指摘したが、日本の論壇はとくに注目もしなかった経緯が
ある。

コミンテルンが最初に手をつけたのは日米和平交渉の妨害だった。暗号通
信を読み取り、徹底的に妨害したのだ。

これも多くの証言や資料が戦後でてきたため、おおよその全貌が明らかと
なったが、「ヴェノナ文書」の公開により、より確定的な、強い証拠が
揃ったのである。

驚くべきは大東亜戦争の開戦から僅か3ヶ月して、アメリカでは日本の戦
後処理を検討する特別チームが組織化されていたことである。

もっと驚くべき事実を江崎氏はさりげなく挿入する。

「OSSは、全米の俊秀を集めた頭脳集団であったのだが、多数の共産主
義者が深く浸透していた。共産主義者の浸透に警戒していたにもかかわら
ず入り込まれた、というわけではない。共産主義者を積極的に迎え入れた
のだ」(92p)

OSSとはCIAの前身である。なんとCIAは誕生時に、反共ではな
く、容共だったとは!
 
敗戦の土壇場のポツダム宣言受諾交渉は、複雑な駆け引きが秘密裏に展開
されていた。この経緯も殆ど知られていない。

無条件降伏、天皇制解体というのが当初のアメリカの占領計画だったのだ。

ウィークジャパン派(ヒスやハル、ホワイトら)とストロングジャパン派
(グルー国務次官等)の死闘は、この天皇制解体が是か否かをめぐるもの
で、圧倒的に共産主義側が強く、トルーマン大統領も、この基本線で固ま
りかけていた。

ヒス、ホワイトらウィークジャパン派の陰謀を粉々に砕いたのは、結果的
に日本軍の鬼神も涙するほどの死闘だった。

ペリリュウ島でアンガゥル島で、硫黄島で、沖縄で。日本のあまりにも強
靱な反撃と死をも恐れぬ民間防衛とによって、アメリカ兵の犠牲は鰻登り
となった。アメリカは怯んだ。日本の軍人の強さに怯懦が生まれ、ストロ
ングジャパン派の勢いが増す。

他方、北海道も盗もうとするソ連軍を食い止めたのは占守島の死闘だっ
た。ソ連軍に多大な犠牲を与え、これによって日本は南北に分断された朝
鮮半島のような国家分裂という悲劇、全体主義国家への転落を食い止める
ことが出来たのだ。

同時にトルーマンが目撃していたのは、味方の筈だったソ連軍が東欧に電
光石火と軍を進め、1944年2月から12月にかけてバルト3国、ポーラン
ド、チェコスロバキア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアが、そして
バルカン半島でもユーゴスラビアとアルバニアが次々と共産化されてし
まったという『あり得ない現実』だった。

ソ連に対するアメリカの認識は激変した。

もう一つ重要な要素は、昭和天皇のインテリジェンスだったことを江崎道
朗氏は適格に指摘する。

すなわち陸軍参謀本部からあがってくる情報いがいのルートを昭和天皇は
お持ちだった。その決定的な情報がアフガニスタンとダブリンの在外公館
からとどき、参謀本部を通さずに天皇陛下にもたらされた。

トルーマンは、無条件降伏から有条件に転換し、天皇制を守護する方針に
切り替えていたことを昭和天皇は事前に掴んでおられたのである。

そのうえで「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」、「進んでマイクに立
つ」と仰せになり、またマッカーサーとの会見では、この身はどうなろう
とも日本民族の滅亡を避けるという断固たる決意を示されるに到った。
共産革命を目前と計測した日本の共産主義者らが企んだゼネストはマッ
カーサー命令で回避された。日本の共産革命は不成功に終わり、全体主義
国家への転落は、こうして回避できたのである。