2018年09月21日

◆木津川だより 7世紀の木津川流域

白井 繁夫


7世紀になると朝鮮半島の3国(百済.新羅.高句麗)は再び戦乱の時代となりました。
隋が(612年)110万余の兵力で高句麗遠征を始め614年まで続きました。

その後、隋から唐(618)になり、太宗.高宗の時代、再び高句麗出兵(644年から3度)が実行されました。唐と同盟を結んだ新羅は、百済も攻めて、660年に百済を滅ぼし、更に、唐.新羅連合軍は668年に懸案の高句麗をも滅亡させたのです。

隋.唐の侵略戦争から逃れて、我国に渡来した人達が「木津川流域」にも住むようになりました。倭国は、百済と伝統的に親密な関係があったので、660年までに救援軍を出兵すべきだったのでしょう。その間の大和朝廷の状況をいま少し振り返って見ようと思います。

6世紀末頃の蘇我氏は皇族との婚姻を通じて勢力を拡大し、蘇我馬子は587年政敵であり対立する非仏派の大豪族物部守屋を倒して絶大な権勢を得ました。

593年には日本史上、初の女帝:推古天皇を擁立し、政治の補佐役に甥の厩戸皇子(聖徳太子)を起用して皇太子にしました。

聖徳太子は蘇我馬子と協調して、仏教を重視し、天皇を中心とする中央集権国家を目指し、
冠位十二階や十七条憲法を制定しました。

『日本書紀』によると、崇峻天皇元年(588)、百済から倭国へ仏舎利や僧6名とともに技術者「寺工(てらたくみ)2名、鑢盤(ろばん:仏塔の相輪の部分)博士1名、瓦博士4名、画工1名」派遣されました。

法興寺(飛鳥寺)は、馬子が開基(596年)した蘇我氏の氏寺です。本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は、6世紀作の重要文化財です。588年に百済からきた技術者「寺工や瓦博士など」によって造営された日本最古の本格的な仏教寺院であったと云われています。

都が飛鳥から平城京への遷都(710)に伴い、法興寺(飛鳥寺)は元興寺(がんごうじ)として718年に奈良市へ移りました。(現在の元興寺極楽坊本堂と禅室の屋根の一部に現在も1400年前の創建当時の「古瓦」が混じっていると云われています。)

推古34年(626)蘇我馬子が没し、蘇我蝦夷(えみし)が本宗家を継いでから17年後、皇極2年(643)11月、蘇我入鹿(いるか)が、斑鳩(いかるが)の上宮王家を襲撃して一族を悉く滅亡させたのです。蘇我本家の専横著しい行為に対して大反発が起りました。(上宮王家:聖徳太子の遺子、有力な皇位継承資格者:山背大兄王の一族)

2年後の皇極4年6月12日、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)等により、入鹿は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)において謀殺されました。(乙巳「イッシ」の変)、翌日(6月13日)父の蘇我蝦夷も自害し、4代続いた蘇我氏本宗家が滅し、6月14日、皇極天皇は軽皇子(孝徳天皇)に譲位しました。

孝徳2年(646)正月に改新の詔を発して、政治改革に乗り出し、宮(首都)を飛鳥から難波宮(大阪市中央区)へ移し、飛鳥の豪族中心政治を天皇中心の中央集権国家に変え、
孝徳天皇は皇太子を中大兄皇子(天智天皇)とする体制を採りました。大化の改新です。
改新の詔の内容:公地公民制、令制国、税(租.庸.調)などの内容説明は省略します。

その後、孝徳天皇と皇太子(中大兄皇子)との政策の相違があり、皇太子が難波長柄豊碕宮から飛鳥へ遷るとき、皇祖母尊(皇極天皇)と皇后、皇弟(大海人皇子)や、臣下の大半を連れて大和に赴きました。(翌年:654年孝徳天皇は病により崩御されました。)

36代孝徳天皇が次代天皇を定めず逝去したため、35代皇極天皇が重祚(ちょうそ:1度退位した君子が再び位に就くこと:再祚)して、37代斉明天皇(655年)となり、皇太子は中大兄皇子(天智天皇)に決まったのです。

斉明天皇時代に百済から救援の要請もありましたが、北方征伐が優先され、658年〜660年に蝦夷と粛慎(しゅくしん:狩猟民族)を討伐したのです。

その後、660年に百済敗北後の百済遺民の百済復興運動の要請に応じて、斉明天皇は百済救援軍の派遣を決定しました。

661年5月、第1派1万余の兵員九州筑紫に集結しますが、斉明天皇急死して仕舞ったのです。

そこで、朴市秦造田来津(いちはたのみやつこたくつ)を司令官に任命し、3派にわけて663年までに約4万2千人、倭船約8百隻派遣して、百済遺民約5千人との連合軍が朝鮮半島の白村江(はくすきえ:はくそんこう:現在の錦江河口付近)で唐.新羅連合軍(唐約13万人、新羅約5万人、唐船約170隻)と663年(天智2年)8月戦いました。白村江の戦いです。

倭国兵約1万人戦死、船約4百隻火災破損の大敗を喫した。倭国水軍は残った船に倭国兵や百済遺民兵の倭国希望者も乗船して、新羅連合軍に追われながらやっとの思いで帰国しました。

その後、668年には首都の平壌城が唐軍により攻略され高句麗は滅亡しました。唐にとっては北の勢力である突厥に続き高句麗にも勝利し、北方の脅威を排除でき、675年に唐が撤収して、新羅により朝鮮半島が統一されました。

天智天皇は「白村江の戦い」に敗れた結果、朝鮮半島の権益を失い、大陸の強大な唐.新羅連合軍の報復と侵攻に防備した国家体制の整備と国内に防衛網を早急に築くことに傾注しました。

北九州の太宰府に水城(みずき)砦、瀬戸内や西日本各地(長門城、屋島城など)に古代山城の防衛砦を築き、九州の沿岸には防人(さきもり)を配備したのです。

667年には都を内陸の近江大津(近江京)へ移し、668年即位して「近江朝廷之令」(近江令:おうみりょう)を発しました。律令制導入の先駆的法令です。

天智天皇10年(671)に新しく大友皇子を太政大臣として、蘇我赤兄.中巨金を左右大臣、蘇我果安.巨勢人.紀大人を御史大夫とする官職が制定されました。しかし、大海人皇子(後の天武天皇)は圧迫感を感じて、11月に吉野に退隠することにしたのです。

木津川流域を挟んで難波(淀川)、飛鳥.大和(木津川)、近江(宇治川)が話題となる
「壬申の乱」は日本の古代史最大の内乱(戦争)で、地方の豪族を味方につけた反乱者(皇弟)が勝利する歴史となります。
次回には、「木津川流域」も絡んだ「壬申の乱」などの歴史を書こうと思っています。        
(郷土愛好家)

2018年09月20日

◆「よろしくマイマザー」を観て

馬場 伯明


友人Mさんの紹介により2018.9.7吉祥寺シアターで劇団晴天の「よろしく
マイマザー」を観劇した。「Web感想まとめ」を読めばほぼ100%が「よ
かった」と。これって何?彼らは宗教団体集会に参加した信者なのか。

そこで、(劇評家ではないけれども)私はまず「ケチ」をつけ、その後少
し誉めたい。超有名劇ではないようなので、劇団とあらすじを紹介する。

「劇団晴天」は大石晟雄(あきお26・主宰者)と鈴木彩乃(25)による演
劇ユニット(HP)。大石は2011年に「カナリアは眠らないから」の脚本と
演出。次々作品を発表する才能溢れる若者である。

鈴木は舞台・映画俳優。振付。ダンサー(コンテンポラリー)。舞台は
「MOTHER〜特攻の母島濱トメ物語〜」「天守物語〜夜叉ヶ池編2018」など
多数。「よろしくマイマザー」では主役(次女)である。

「あらすじ」。さびれた雀荘「もみじ」を舞台に物語が展開される。夫の
急死により1人で店を守ってきた妻の好子が突然倒れる。心配し帰って来
た娘2人。だが、嬉しがる母の認知症が進む。姉妹にも自分の生活があ
る。雀荘の常連客、出入り業者、隣人らが母と2人をあたたかく見守り、
ともに、考え、悩み、泣き、笑い、前を向いていく・・。

では、ケチの第1.認知症の理解と表現(脚本・演出)に私は不満であ
る。(仮に)母(好子:鈴真紀史)を60代とする。母の症状は軽度認知障
害(MCI:Mild Cognitive Impairment)から認知(障害)症(Dementia)
への急激な!進行の途上にあると思われる。

認知症は、1.本人、2.介護者(や近い人)、3.第三者(劇では観客)の三
者、とくに1.と2.の関係が重要である。1.正常から異常への断続的な往復
を繰り返し認知症へ至り「人間」が壊れていく。見当識障害・粗暴(暴
言・暴力)・無為自閉から種々の問題行動がある。物忘れ、お漏らし、介
護拒否、徘徊・せん妄、被害妄想(泥棒・・)、異食、弄便、性的異常言
動など。

2. 介護者(姉妹ら近い人)は好子との過去の楽しい思い出を反芻する。
しかし、眼前の人は壊れている。大きな失望、落胆、嫌悪感、そして拒否
感へ向かう。ひと踏ん張りしどう向き合うのか。3.は、善意であっても基
本的には無責任な傍観者である。

脚本・演出者は、1.と2.の細部を見つめ両者の落差を際立たせ、もっと過
激に表現してほしい。「オマエは泥棒だ、売春婦だ(被害妄想)」「お母
さん、それウンコ!食べているの?(弄便・異食)」・・。そして1.と2.
の落差を埋める方策の提示は・・・難しいが挑戦してほしい。

ある「Web感想まとめ」に対し・・。「他人事ではないなと思いなが
ら・・〈M〉」:と書く〈M〉は他人事目線だ。認知症介護の現場を知らな
いのではないか(と思う)。「あったかいお話でした。ほかほかしながら
観れた〈K〉」:「ほかほか」と同時に現実の暗い影も直視してほしい。

第2.姉(白石花子)に妊娠を告げられ婚約者(田中孝宗)は「父として
育てる」と言った。朴訥なやさしさがあった。しかし、「きみが生む子
だ。僕はきみのDNAを愛する。その子の声を今聴きたい」と小声で言い、
耳と頬を彼女の下腹にそっと押しあてる。そんな演技を私は観たい。

第3.雀荘「もみじ」は常連客だけ、倒産の日は近い。馴れ合い麻雀で、
警察への忖度なのか賭け麻雀もないようだ。「メンタンピンドライチ、満
貫!」「タテチン!ロン!」と威勢の良い声も聞きたいけれども、無理
か。おしぼり屋も八百屋も頑張ってくれているのに。ただ、肝心の若い観
客男女は麻雀の経験などないと思われ・・・白けている。

観劇の翌朝2018.8〜9.10まで長崎へ帰省した。9.8の夜故郷の友らと麻雀
をした。何と!親でチョンボ(罰金12000点)。4本場の「リャンシ」で役
なしリーチ即ツモ。大いに笑われた。でも、収支はトントンだった。

ここで、劇の、主に演技のよかった点・・・。私は人前での歌や喋りは苦
手だ。出演者12人は優れて個性的な表現者であった。姉(白石花子)が重
い役を淡々と演じ、妹(鈴木彩乃)が切れ味のいい語りで呼応した。母
(鈴真紀史)は認知症に落ちていく女の闇をむしろ明るく演じた。

川手淳平(八百屋)の演技には味があり、失業中の介護師(本多由佳)は
麻雀を投げやりにやっていた。オシボリ屋の兄ちゃん(加藤巧巳)は自然
体でよかった。雀荘の学生バイト(荒木広輔)も素直な演技であった。大
舞台やTV俳優として活躍できると思った(活躍してほしい)。

美人のチーママ(佐藤沙紀)はキャバクラと雀荘を往復する常連。キャバ
嬢バイト(らしい)女子大学院生(角田悠)は気だるい役を好演した。可
憐で真面目な妹(鈴木彩乃)の恋人(藤木陽一)はまだ映画監督の卵であ
り中途半端な生き方をしている。2人の宙ぶらりんな揺らぎはどうなるの
だろう。彼女(鈴木)はどう突破するのか。

大石晟雄は若い。彼の祖父母は(ご存命でも)いずれ心身が弱る(認知
症・ロコモ)。そのときは、下の大小を拭きオシメを替え、できれば風呂
にも。その体験により現在の脚本(台詞)や演出の観念的な部分が一変す
るだろう。Webにある「繊細で」「認知症へ向き合い」「描き方が丁寧
で」「痴呆症に真っ直ぐ向き合う」などの誉めの言葉が「本物」になるは
ずである。(私は父母〈94・93歳で死去〉の下の世話をし、風呂で背を流
した)。

50年前「フランス5月革命」の1968年、世情騒然としていた年に大学を卒
業した。世間は過激で直截的な手段で解決を求め、あがき、苦悶し、行動
していた。それらは演劇にも複雑に投影されていた。

時は過ぎ今の子供世代(30〜40代)や孫世代(〜20代)は団塊の世代など
とは異なる。いい子が多い。やさしい、かしこい、計算高い、気配り、出
過ぎず、争わない。それに即応した脚本や演出が求められるのであろう。

大石はこう言うかなあ。「爺さん(馬場)、自分はわかって書いている」
と。1970年代風に過激な演出をすれば同世代の観客にドン引きされる。芝
居は観客商売。だから彼は過激さをオブラートで包んだのかもしれない。

若い意見がWebに載っていた。「上手く人物の心情を描いていたと思いま
す。ただタバコのシーンは今の時代不要かと思います〈G〉」と。笑止!
この劇は禁煙CMではない。雀荘にあの喫煙は必要だ。不要なら、キャバク
ラ、喧嘩・暴力(園田シンジ)も皆不要、何よりも麻雀が不要である。違
法(賭博)の巣窟の雀荘が舞台なのに〈G〉はなぜこれを不要と言わない
のか。

雀荘「もみじ」に来る人たちは心やさしい人たちだ。大石はそのように描
く。他人を騙し生きる人はいない(嘘は映画監督・You Tuberだけ)。
「痴呆症に真っ直ぐ向き合う作品で〈T〉」「素敵な良いお芝居だった
〈A〉」「現実ってツラいこともあるけれど、あたたかさだってあるんだ
よ〈N〉」「どこかで起きていることをそのまま切り取った様で引き込ま
れました。ぶつかり合って支え合える家族も温かい隣人もいいなって〈H〉」

観客はこの劇を高く評価し前向きの明るい感想を述べている。この劇は若
者たちに問題を提起しつつも、あたたかさを振舞い、(一応)大成功を納
めた。母・好子の認知症進行、雀荘の経営不振、そして、その他の人間関
係の葛藤も、劇中では「ほかほか」と解決されていくようにも思われた。
幕が下り観客は満足げに笑顔で家路を急ぐ。

「しかし」と私は思う。観客のうちの介護する人たちは「(劇場へは)行
けばよいよい、帰れば怖い」または「劇観て天国、帰って地獄」ではない
のかと・・・。「♪家に帰ればセキスイハウス」ではなく、厳しい介護地
獄の現実が待っている。

話しが長くなった。ともあれ・・・、「よろしくマイマザー」の終演に際
し、劇団晴天とそれから特に大石晟雄と鈴木彩乃の若い二人に、「おつか
れさま、さらに前へ!」とエールを送る。未来は君たちのものである。
(2014.9.18千葉市在住)

(追記)

1. 劇団晴天の今後公演。「君に捧ぐ、天つ風の詩」2018.10.24〜28。@日
暮里d-倉庫。「劇団晴天の『曇天短編集』」2018.12.15〜26スタジオ空
洞。夢を追う鈴木彩乃など若者の芝居にどうぞお運びを・・・。
(25wayp@gmail.com https://g-sayten.jimdo.com
2.写真・文章の引用は劇団晴天hp、感想まとめ、カンゲキLab。
3.開演19:30までに時間があった。吉祥寺シアター入口のT字路の焼鳥と
和食の店「玉屋」でレバー・ビール。
4.昨年四谷2丁目のスナック樹(たかぎ)のママから「隣室で雀荘オー
プン」と連絡があった。そこで提案です。「よろしくマイマザー」関係者
の方々、マージャン高樹で卓を囲みませんか(03-6380-0057)。麻雀しな
い人には隣のスナック高樹にカラオケもあります。(了)

◆カーン(パキスタン首相)が

宮崎 正弘


平成30年(2018年)9月18日(火曜日)通巻第5834号   

 カーン(パキスタン首相)がサウジアラビアを電撃訪問
  IMF管理を回避するために、金融危機を克服しなければならない

イムラン・カーン首相は9月17日、イスラマバードを発ってリヤドを 訪
問する。国王の招待により、2日間の実質的な訪問で主たる議題は今後
の経済援助。とくに金融援助の詰めを行う。

すでに中国とのCPEC(中国パキスタン経済回廊)プロジェクトは
6620億ドルという途方もない借金のため、パキスタンは西南部のグアダ
ル港を43年間、中国の租借地として認めたうえ、追加で20億ドルの緊 急
融資を受けた。

他方、バジワ陸軍大将が北京を訪問している。経済援助が表向きのテー
マだが、両国は半世紀以上の軍事同盟国であり、国家安全保障問題、アフ
ガニスタン問題、インド戦略などを話し合ったと見られる。

このタイミングでカーン首相は就任後初の外国訪問を中国ではなく、サ
ウジアラビアとしたことの意味は重要だろう。サウジと中国のバランスを
はかり、外交の梃子とする企図はありありとしている。

第一にパキスタンの核兵器開発は、おおむねサウジアラビアの資金援助
があってなされた。サウジは万一の危機に遭遇したときはパキスタンの核
を活用する(背後からイランを攻撃できる)

第二に首都のイスラマバードに聳える世界一巨大なモスクも、サウジア
ラビアが全額寄付して建てられた(1966年、サウジ国王ファイサル国 王
が寄付した)。

それまで首都はカラチだったが、イスラマバードを人工都市として、新し
い首都を都市計画に基づいて碁盤の目のような整然とした都を建設したの
だ。筆者も行ってみたことがあるが、パキスタンのあらゆる場所の喧噪、
猥雑な風景とは別世界、静かで清潔な都市である。
隣のラウルピンジには国連の事務所がある。

『ザ・タイムズ・オブ・インディア』(2018年9月18日)の報道で は、パ
キスタンは「IMF管理体制になることを回避するために、金融危 機を
克服しなければならない」として資金援助を要請するが、すでに45 億ド
ルの緊急融資が内定しているという。

◆名所旧跡だより犬山城・愛知県犬山市

石田 岳彦


「現存12天守」なる言葉をご存知でしょうか。
 
昭和以降、鉄筋コンクリートで再現された天守閣のレプリカ(?)は全国各地に数あれど(天守閣が建てられた歴史的事実がない城跡にまで建てるのはさすがにいかがなものかと思います。)、江戸時代以前の本物の天守閣が残っている城は全国に12しかありません。

これを総称して「現存12天守」と呼ぶことがあります。

12の城は、弘前城(青森県・弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、丸岡城(福井県丸岡町)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、備中松山城(岡山県高梁市)、松江城(島根県松江市)、丸亀城(愛媛県丸亀市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)です。

このうち、松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4城の天守閣が国宝に指定され、残り8城では重要文化財に指定されています。

今回はその国宝4天守の1つ、犬山城のお話です。

愛知県犬山市の木曽川の河畔の丘の上に聳え立つ犬山城は、その立地から、「白帝城」(オリジナル白帝城は長江流域の丘上にある城で、三国志の主人公である劉備玄徳が諸葛孔明に後事を託して亡くなった城として有名です)とも呼ばれているそうです。

荻生徂徠(江戸時代、徳川綱吉の時代の学者。赤穂浪士の処分について切腹にすべきとの意見を述べ、採用されたことで有名ですね。)の命名ということなので、年季が入っています。

なお、横を流れている木曽川がライン川と似ているとのことで、木曽川の川下りは「日本ライン下り」という名称で興業されています。つまり、日本のライン川の河畔に、日本の白帝城が建っているということですね。少しは統一を図るべきだと思いますが。

犬山の地は尾張と美濃の国境にあるという戦略上の要衝であり、古くから城が築かれていたようですが、支配者もまた頻繁に変わり、最終的には、江戸時代に入って、御三家の筆頭である尾張徳川家の付家老成瀬家が城主になり、明治に至りました。

付家老というのは、御三家等に対し、将軍の直々の命により付けられた家老で、幕府からのお目付け役的な側面もあり、藩内での立場はかなり複雑だったようです。

明治以降も長く成瀬家が個人で所有していて、「個人所有のお城」ということでも有名でしたが、近年になり、さすがに維持が困難になったようで(相続税が恐ろしいことになりそうです)、現在、城は財団法人の所有となっています。

天守閣が建てられた時期については幾つか説があるようですが、増築によって今の形になったのは1620年ころということでした。
 
名古屋鉄道・犬山遊園駅を出て、正面に犬山城を見ながら、木曽川沿いの道を行きます。後述する有楽苑の横を通り、城の建つ丘に登ります。丘の下方は神社の境内になっていて、参道の階段を登って上へと進むと間も無く天守閣です。

犬山城にとって惜しむべきは、廃藩置県の際、多くの建物が破棄されてしまい、また、堀も大部分が埋められていることです。

城跡の歩き方といえば、堀に沿って歩き、橋を渡って城内に入って、幾つもの門をくぐり、所々で折れ曲がる道を登るという過程を経て、徐々に気分が盛り上がってきたところに本丸の天守に到着というのが理想ですが、犬山城の場合、近年になって天守付近の門や櫓の復元が行われているようですが、駅から天守閣に到達するまでの間には、城らしさを味あわせてくれるお堀、石垣、土塁といった構造物は残っていません。

お堀や石垣どころか、主要な建造物の大半が健在の姫路城は勿論、天守閣の他に幾つかの櫓と2重の堀が残っている彦根城に比べると寂しさは否めません。

それはさておき、入り口で靴を脱いで天守閣に登ります。犬山城に限らず、初めて「本物」の天守閣に登った方(なお、現存12天守は修復工事中の場合を除き、基本的に常時公開しています。)は、少なからず、愕然とするかと思いますが、天守閣の中は基本的に空っぽで、飾り気の欠片もありません。

犬山城の場合、一応、内部の壁も漆喰で塗られていて、畳敷きの部屋も一部ありますが(現存12天守の中には全層が板壁・板床というところもありました。)、豪華な装飾画などというものは皆無です。

織田信長の安土城や豊臣秀吉の大阪城の天守閣は、城主の住居として使われていて、狩野永徳に襖絵を描かせる等、内装にもかなり凝っていたようですが、安土桃山時代末期から江戸時代初期に立てられた城の天守(現存12天守はこの時期の建造です。)は、城主の権威を示すシンボルではあるものの、実際の用途という面では、主に倉庫として使われていたといわれています(城主は城内の御殿に住んでいました。

二条城の二の丸御殿を思い浮かべていただくと分かり易いかと。確かに4、5階建ての天守閣を毎日上り下りしながら暮らすのは大変でしょうからね。)。

さすがに「空っぽの倉庫」状態では物足りないので、天守の中に、鎧兜、刀、城の柱組みの模型等の資料を飾ったケースを並べたり、城の歴史や日本各地の城に関するパネルを設置したりといった努力もなされていますが、外観の華やかさに比して、味気ない内部です。

壁際に設けられている石落し等が、天守が(実際の運用は兎も角として)単なる倉庫ではなく、あくまで軍事施設であることを示しています。


最上階からの眺めは、月並みですが絶景です。平野の中の小高い丘の上、すぐ隣が木曽川というロケーションの勝利ですね。今のように高層建造物の少なかった昔において、高楼から遠方の眺めを楽しむというのは権力者の特権だったのでしょう。


さて、犬山城の麓には有楽園という庭園があります。名鉄犬山ホテルの施設の1つという扱いのようですが、一般にも公開されています(有料)。この庭園は、織田信長の弟である織田有楽が建てた茶室如庵(国宝)を中心に設計された日本庭園です。  

織田有楽は、本能寺の変で二条城に篭城した際には信忠(信長の長男で跡継ぎ)に切腹を勧めつつ、自分はちゃっかり脱出したり、大阪の陣の際も、淀殿の叔父(淀殿の母は、信長の妹のお市の方です)として豊臣方に世話になっていながら、直前になって城を脱出し、徳川方に転がり込んだりと(淀殿の妹のお江の方が2代将軍秀忠の正室でしたので、こういう芸当も可能でした。)、波乱に富んではいるものの、美しいとは言い難い人生を歩んだ人物ですが、茶人としては高名です。

国宝に指定されている茶室は、千利休の建てた待庵(京都府大山崎町の妙喜庵という寺院の中にあります)、大徳寺龍光院の密庵(京都市)の他はこの如庵だけなので極めて貴重な茶室といえます。

この茶室は、当初、京都にあったのを三井財閥に買い取られて、神奈川県大磯に移され(写真で見ましたが、大型トラックに茶室が丸ごと載せられて移動する姿は異様で、思わず、笑えてきました。)、更に名鉄に買われて、現在地に移築されました。

年に数回程度、特別公開で茶室の中にも入れますので、興味のある方は有楽苑のホームページを小まめにチェックしてください。


犬山には、他にもかの明治村があり(汽車、市電、乗り合い馬車が走っていて乗ることができたり、明治時代のレシピの洋食屋や牛鍋屋で食事ができたりと、単に古い建造物を集めた資料館ではなく、明治時代を体験できるテーマパークという性格になってきました。)、お猿専門の動物園である日本モンキーセンターがあります(ニッチな商売です)。

1泊2日くらいでゆっくりと見てみたい町です(ゆっくり見て回るなら、明治村で丸1日、犬山城と有楽苑で半日というところでしょうか)。終
                             (弁護士)

2018年09月19日

◆安倍3選につけいる隙がないー自民総裁選

杉浦 正章

200票超えないと石破は沈没

 荒ぶるトランプをどうなだめるかが最初の課題

政局が自民党総裁選を軸に動き始めた。総裁・安倍晋三が20日に三選され
る方向は間違いないが、水銀柱の下降と反比例するかのようにボルテージ
が上がりはじめた。

対立候補石破茂派の農水相斎藤健が「安倍陣営から石場さんを応援するな
ら辞表を書いてやれと言われた」と「圧力」を暴露。安倍は石破とのテレ
ビ党論で「あるはずはない。そういう人がいるのであれば名前を言っても
らいたい」全面否定したが、石破は「被害者に名乗り出よというのは財務
相のセクハラ疑惑に似ている」とかみついた。

自民党幹部らが「まあまあ」とおさめたが、近頃にない“茶番”が見られ
て、茶の間は喜んだ。

それでは総裁選の展開を予想すると、石破にとっては200票を上回るかど
うかが今後の展望が開けるかの分岐点となる。総裁選は議員票405票と地
方票405票の合計810票の奪い合いとなる。

安倍の圧勝は決まっているが、得票によって政治的効果に大きな違いが生
ずる。安倍は議員票では80%350票を突破する勢いであり、石破は自派と
竹下派を加えて50票前後がよいところだろう。

地方票で安倍は、70%突破を目指すことになる。少なくとも国会議員票と
地方票の合計は70%に達したい考えだ。安倍が70%をとれなければ石破に
200票獲得を許すことになる。

安倍が55%を割った場合は石破が250票を上回り今後に存在感を示すと
言って良い。従って焦点はまず石破の200票超えが実現するかどうかだ。
しかし、石破人気が沸くにはほど遠く、超えなければ石破は政治的に大打
撃を受ける。

地方票の動向も最大の見所だ。6年前の総裁選で石破は55%を獲得してい
る。安倍選対事務総長の甘利明が「55%を超えたい」という理由はここに
ある。

しかしこのパーセントは安倍がまだ首相になっていない時点であり、首
相・総裁としての存在感を示している現在ではラインを低く設定しすぎだ
ろう。議員票で80%取っておきながら、地方票で55%そこそこでは、永田
町と一般党員との乖離(かいり)が目立つことになる。

投票結果がどうあれ総裁選後の内閣改造はあるのかが焦点となる。 安倍
は16」日のNHK番組で「来年は皇位の継承もあり、G20(主要20カ国・
地域首脳会議)と、その先に東京五輪・パラリンピックがある。しっかり
した人材を登用したい」と述べ、3選を果たした場合、内閣改造・党役員
人事を行う方針を表明した。人事をほのめかされては入閣候補らの動きは
当然安倍に向かう。巧妙なる“一本釣り”だ。

首相の信任にとって最も重要なポイントは景気の動向だが、安倍の就任以
来戦後まれにみる好景気が継続しており、石破はつけいる隙がない。昨年
末には、安倍が首相に就任した2012年12月に始まった景気回復局面が高度
成長期の「いざなぎ景気」を超えて戦後2番目の長さとなったことが確定
した。

今の景気回復が2019年1月まで続けば、02年2月から73カ月間続いた戦後
最長の景気回復を抜く。戦後最長の景気を維持しようとする首相を降ろそ
うとすれば、降ろす方が“悪人”となる。石破の人相はどうみても良いとは
言えず損している。

一方安倍の地球儀俯瞰外交は、歴代首相の中でももっとも活発であり、こ
れもつけいる隙がない。同外交は安全保障と経済の両面から戦略的見地に
立って推進している。

その「積極的平和主義」路線は「一国平和主義」から脱して、世界平和を
俯瞰して、必要ならば自衛隊の活用を含め貢献する形だ。しかし難題は日
米関係だ。トランプは、中国からの輸入品すべてに制裁関税を課す可能性
に再び言及した。

3弾の関税発動を24日にも最終判断するが、早くも「第4弾」をちらつ
かせている。トランプの対中関税攻撃はとどまるところを見せない。中国
も対抗措置を取っており、貿易戦争がさらに激しくなる危険をはらむ。

日本も対岸の火災視できない。中国で製品を作って対米輸出している日本
企業も多いし、トランプは例外を認めない姿勢だ。この“荒ぶる”トランプ
をどうなだめるかは、安倍とトランプの個人的な関係が重要となるだろ
う。日米両国は首脳会談を9月25日に米国で行う方向で調整に入った。米
ニューヨークでの国連総会に首相が出席するのに合わせて開くが、これま
でにない難問を抱え、世界が注視する会談となりそうだ。

◆中国とパキスタン

宮崎 正弘


平成30年(2018年)9月17日(月曜、祝日)通巻第5833号   

 中国とパキスタンの「友誼」関係は変化。緊張状況にある
  王毅外相のパキスタン訪問直後、パキスタン陸軍大将が北京を訪問

このところ、パキスタンへの出入りが激しい。ポンペオ米国務長官は、中
国主導のシルクロード、すなわちCPEC(中国パキスタン経済回廊)に
対して中国が620億ドルもの巨費を注ぎ込んだ結果、西端のグアダル港は
43年間、中国が租借することになった経過を踏まえ、「IMFの救済は難
しい」と述べた。直前にトランプ大統領はパキスタンへの援助を中断した。

ポンペオのイスラマバード訪問の翌日、中国外相の王毅がイスラマバード
を訪問し、イスマン・カーン首相に真意を問いただし、シルクロードプロ
ジェクト継続の意思を確認したという。

カーン政権の誕生の後ろ盾はパキスタン軍である。

その軍の事実上のトップはバジワ陸軍大将である。そのバジワ将軍が9月
16日、北京を訪問したのだ。

カーン新政権を背後で操る立場にある陸軍大将の発言には重みがあり、会
談内容は公にされていないが、マハティール同様に、借金の返済が覚束な
いことは、パキスタン経済の将来に暗雲を呼ぶ。収支バランスの悪化はパ
キスタン通貨の暴落を招く。つまりパキスタンの安全保障に直結する問題
だとする認識を表明したという。

過度の中国傾斜はシャリフ前政権であり、パキスタン国民が中国を快く
思っているわけではない。

そのうえ、パキスタン財界は、商都カラチが中心であり、およそ20の
ファミリーが銀行経営や物流を握っていてパキスタン経済を牛耳るとされる。

カラチ財界は、ハク政権(ソ連の謀略で暗殺された)、ムシャラフ政権
(陸軍のグーでターでシャリフ政権を打倒し、米国と協調関係を結んだ)
という軍事政権を通じて、米国とビジネス関係を深めることで成長した。

このカラチ財界も、カーン政権の後ろ盾になると想定されており、中国は
こうした動きを神経質に捉え直したため、両国は緊張した状況に陥った。


 ▲CPECなんぞより、水資源確保のダム建設を急げ、とカラチ財界

カラチはパキスタン最大の都市であり、アラブ諸国の進出が夥しい。国際
金融都市でもある。

しかしカラチ市政最大の悩みは、じつは水不足である。

1947年の水供給に比較すると、カラチの水源は6分の1に激減しており、
シルクロードなんぞよりダム、浄水場建設が急がれるべきだというのがカ
ラチの意見である。

このため9月16日にカーン首相は日帰りでカラチを訪問し、市長などから
意見を聞いた。「ダムが必要なことは分かっている」としたうえでカーン
首相は「中国は8万4000ケ所のダムをもち、うち5000は大規模なダムであ
る。インドでも5000のダムがある。わがパキススタンにダムが不足してい
ることは明らかだが、予算をダム建設に割けるだけの余裕がない」とした
(パキスタンの英字紙『ドーン』、9月17日)。

    
  
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1790回】              
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(15)
  徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

         △

「如何に名殘惜しきも、12月6日午前11時」、徳富は青島を離れ黄海を真
東に向い、翌7日には「約3個月振りに、馬關に上陸」、「8日夜、最大
急行車にて發す」。9日朝には神戸を経て、夜8時半東京駅着。その足で
「予が青山草堂に還」り、前後86日間に及んだ旅行が終わる。

以上で『支那漫遊記』前半の「禹域鴻爪?」が終わり、後半の「予が旅
行中の感想を、歸朝後追記したる」ところの「遊支偶?」となる。

『支那漫遊記』の巻頭に配した「陳言一則」によれば、徳富の論説は彼が
主宰する『國民新聞』に掲載され、その都度、「支那新聞の之を譯載した
るもの一、二にして足らず」。そこで支那新聞の側から相当の批判があっ
たようだ。

かくて徳富は「希くは吾人が唯だ事實と信ずる所を、直書したるものとし
て容恕せよ、如何に其言は露骨痛切なるも、吾人の支那及び支那人士に對
する、深甚多大の同情其物が、其の根本思想たることを識認せよ」と断わ
りを入れ、また日本人読者に向っても「我が邦人も亦た、吾人が支那僻に
向て、若干の尋酌を與ふる所あれ」と“予防線”を張り、最後を「蓋し支那
問題を解釋するの管鍵は、單に乾燥なる智識のみならず、又た眞摯なる同
情に俟たざる可らざれば也」と結んだ。

「遊支偶?」は以上の視点に基づき「(一)前遊と今遊」から「(八六)
多大の希望」まで、徳富の関心が赴くままに小項目を立て論じている。そ
こで、小項目に沿って読み進めることにする。]

 ■「(一)前遊と今遊」
 前回は日露戦争直後でもあり、交通の便も含め旅は困難を極めた。だが
今回は日支双方からの便宜供与もあり、先ずは快適な旅であった。

 ■「(二)妄言と妄聽」
 先ず徳富は「支那に關する吾が智識の、年と與に、如何にも一膜を隔
てゝ何となく齒痒さを覚えたるが爲めに、支那其物に接觸せんと欲した」
からと、旅行目的を明らかにした。実際に足を運んだ結果、「眼前に支那
其物を見、電報や、郵信や、新聞や、其他に於きて聞き得たる支那と非常
の差別あるを感得したり」。俗にいう“聞くと見るとでは大違い”というこ
と。だが徳富は「敢て感得と云ふ」が、「推定と云はず、又た觀察と云は
ず」とする。

 ■「(三)社會の變遷」
12年前の前回の旅行は清国時代であり、「滿目辮髪にして、云はゞ辮髪是
れ支那人の特色」だった。だが今回は停車場でも旅館でも、官庁でも市場
でも、「あらゆる群衆の中に於て、殆んど辮髪を見出」すことは出来な
い。女性の社会進出も顕著であり、ここからも「如何に清國が、中華民國
に變化したるか」が判然とするだろう。

 ■「(四)壮年の天下」
12年前は「政府の要路は勿論、苟も世の中に幅の利けたる人物と云へば、
概ね白髪の老人にあらざれば、?袴の公子なりしに、今日は殆んど、新人
物の世の中となり居るの觀あり」。いわば「老人の時代去りて、壮年の時
代來れりと斷言するも、恐らくは速了の見にあらざる可し」。「何れの方
面に向ても、支那は先づ青年の天下と云ふ能はずんば、壮年の天下と云ふ
を妨げず。予は此の一點に於て、支那が著しく進歩しつゝあるを嘉稱せざ
らんとするも能はず」。

■「(五)道路の改善」
 「支那人が道普請に骨を折りつゝあるは、北京のみならず、隨處の通邑
大都に於て、之を目?せずんばあらず」。徳富は、世代交代同様にインフ
ラ整備も進んでいると見た。


◆人権は軽視されるのか改善に向かうのか

櫻井よしこ



「人権は軽視されるのか改善に向かうのか 目が離せない中国共産党内
の権力闘争」



「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が、ノーベル平和賞受賞者で中国政
府に弾圧され、昨年7月に事実上獄死した劉暁波氏について『私たちは中
国が世界で一番幸せな国だと思っていた』(ビジネス社)で書いている。

文化大革命の最中、都会の「知識青年」たちは農民に学べと指示され農村
に下放された。毛沢東に心酔し紅衛兵として暴れまわった血気盛んな若者
たちを、毛は当初は利用し、後に体よく農村に追い払ったのだ。下放され
た約2000万人の中に劉氏、今や国家主席の習近平、首相の李克強、外相の
王毅の各氏らもいた。

毛の死で文革が終わり、知識青年は都市に戻り、大学への入学をようやく
許された。しかし戻るには下放された村の革命委員会主任である村長の許
可が要る。それには賄賂が必要だった。

劉氏も親戚中からおカネを掻き集めて200元もする高級時計を村長に贈っ
たというので、あの劉氏も賄賂を使ったのかと、私は意外の感に打たれ
た。ところが、許可をもらい、全ての荷物を馬車に積み込み、出発する段
になって、劉氏は村長の家に取って返し、斧を手に村長に迫った。

「あなたには3つの選択肢がある。1つ目はこの斧で私を殺す。2つ目は私
がこの斧であなたを殺す。3つ目は時計を返せ」(『世界で一番幸せ』)

感動した。この烈しさ、芯の強さ。劉氏のかもし出すおだやかな人物像と
はまた別の姿がある。長く産経新聞北京特派員として幾度も劉氏と語り
合ってきた矢板氏は語る。

「彼は非常に温厚な人間です。吉林省なまりが強くて喋りは巧くない。少
し発音が不自由なために言葉が出てこない。しかし、秘めた闘志を感じさ
せる落ち着いた人でした」

天安門事件後、厳しく弾圧され始めた一群の民主化リーダーの中で劉氏が
突出して人々の支持を得ている理由は、単に彼がノーベル平和賞を受けた
からではない。彼は決して中国から逃げ出さず、現場で闘ったからだ。

劉氏にも海外に逃避する機会は幾度もあった。中国当局はむしろ、劉氏を
海外に追い払いたいと考えた時期もあった。だが、劉氏は拒否し続けた。
矢板氏はあるときなぜ逃げないのか、尋ねたそうだ。

「子供たちが殺されたのに、ヒゲの生えたやつが生き残っているのは理不
尽だ」と、劉氏は答えたという。

天安門事件で拘束される前、彼は北京師範大学の人気者の教授だった。彼
の講義を聞くために他大学からも学生が集まった。学生たちに向かって彼
は中国の民主化を説き、感化された学生らは天安門でのデモに参加し、多
くが殺害された。そのことに責任を感じていたのだ。

長い獄中生活で癌を患う中、劉氏はそれまで拒絶していた海外行きを当局
に訴えるようになる。それはずっと自宅で軟禁されている妻の劉霞さんを
自由にするためだった。

暁波氏の死から約1年、今年の7月、劉霞さんは突如、出国を許されドイツ
に渡った。両親は亡くなっているが、弟の劉暉氏は北京にとどめられ逮捕
された。劉霞さんの出国で、人質にされたのはほぼ間違いない。

矢板氏は言う。

「いま、中国は米国との貿易戦争の真っ只中です。以前から人権問題に強
い関心を示していたドイツに譲歩し、関係を深めることで、対米関係を有
利に進めたいという思惑でしょう。加えて習主席の力が少し弱まり、李首
相の立場が少し強まっています。つまり、中国共産党の内部の権力争いが
劉霞さんへの出国許可の背景にあるのです」

習氏が勢力を盛り返せば、人権は軽視される。李氏が力を手にすれば、中
国の人権状況も少しは改善される。この意味からも中国共産党内の権力闘
争から目が離せない。
『週刊ダイヤモンド』 2018年9月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1246 

◆足の血管にもステント

石岡 荘十


数十メートル歩くと左足がだるくなって歩行困難になる。で、数分立ち止まって休むとまた歩けるようにはなるが、またすぐだるくなる。

このような症状を専門的には「間欠性跛行」という。「跛行」はビッコを引くという意味だ。こうなった経緯については、本メルマガ「齢は足にくる」

http://www.melma.com/backnumber_108241_4132433/

で述べたとおりだが、先日、閉塞した足の大動脈にステントを入れる治療を受け、ビッコは解消し、元通り颯爽と歩けるようになった。

はじめ、「これはてっきり腰をやられた」思い込んで、近所の接骨院に駆け込んだら、「典型的な脊柱管狭窄症の症状だ」と断言する。つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、電気治療、針を数回やってもらったが、はかばかしくない。

業を煮やして、行きつけの大学病院の整形外科で腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、腰椎のひとつがずれているが、神経には触っていないことが確認できた。脊柱の管にはどこも狭くなっているところはない。ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、血液や栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかないのではないか。血管の動脈硬化ではないかというのが循環器内科の医師のお見立てだった。

となると、検査法はPWV(脈波伝達速度)。両腕、両足に幅広のベルト(カフ)を巻いて四肢同時に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)手足の動脈などの比較的太い動脈の高度狭窄の有無がわかる。

結果は、左足だけが標準値に遠く及ばない。病名は閉塞性動脈硬化症。左足へ行く動脈のどこかが詰まっている疑いが強まった。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると狭心症、詰まると心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

造影剤を使ったCTで診ると、左足付け根から動脈を15センチほど遡ったところで90パーセント狭窄していることが確認できた。左足へは最大、通常の7割ほどしか血が流れていない。これではビッコになるわけだ。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを挿し込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、etc。

心臓カテーテル室でカテーテル台に横になると、若くて美形の看護婦さんが何の躊躇もなくパラリとT字帯をはずし、左足の付け根周辺の陰毛を電気かみそりで刈る(剃毛という)。慣れたものだ。

局所麻酔の後、この治療では実績も多い腕利きの医師が、モニター画面を見ながらカテーテルを挿入。先端には、中心部に細くすぼめたバルーンを仕込んだステントがある。

ステントはステンレスで出来た金網のチューブである。これを狭窄部分まで持っていってバルーンを膨らますと、すぼめてあったステントの内径も同時に拡がって、狭窄した血管を見事に押し広げた。

ステントは内径8ミリ、長さ40ミリ。心筋梗塞の治療に使うステントは内径2ミリほどだから、それに較べると大型だ。治療時間は1時間ほど、治療費86万円、自己負担9万円ほどだった。

心筋梗塞でステントを使う治療法はよく知られているが、足の大動脈狭窄にステントを使うケースはまだそれほど多くない。

下肢(足)へ行く動脈が詰まると、下肢が腐ってしまい、痛いだけでなく、命にかかわるケースもある。そうなると「命には代えられない」とやむを得ず下肢を切断しなければならなくなる。日本では毎年1万人以上が足を切断されているという報告もある。高齢化で症例は増えている。

足にもステントを入れるという治療法は、循環器内科ならどこでもやっているわけではない。リスクもある。医師の選択には慎重でありたい。

元京都大学心臓血管外科部長・米田正始(こめだまさし)医師を中心とする研究グループは新しい血管を作って下肢切断を救う「血管再生法」という試みを行なっていて、再生医学のひとつとして注目されている。

「なんとなく足の先が冷たい」

これが、アラームだ。接骨院では治らない。専門の医師を選んで、治療を受ける必要がある。(再掲)


2018年09月18日

◆超強風の台風22号

宮崎 正弘


平成30年(2018)9月16日(日曜日)通巻第5832号   

 超強風の台風22号、フィリピンから広東を直撃へ
  ふたつの原子力発電所、最悪の事態にそなえ、緊急態勢へ

 フィリピンに猛烈な被害をもたらした台風22号(マングハット)が、16
日午後から深夜に駆けて香港に上陸し、広東省を通過することが明らかに
なった。予測される進路は香港の南方から広東省の中南部を通過する。暴
風圏はすでに台湾南部から、海南島にも及んでいる。
 緊急の問題が浮上した。

台風の進路には2つの原発があるのだ。

「台山」原子力発電所は、香港の西135キロ。1660メガワット。緊急会議
と防災チームが結成された。かれらの強迫観念は「フクシマ」だ。

もう1つが香港の西230キロの「陽江」原子力発電所である。

1080メガワット。6号機まであって、過去にも多くの管理不注意から事故
が報告されている。日本の基準なら1面トップ記事になるほどの事故だっ
たが、中国では殆ど報じられなかった。

中国は現在40基の原発が稼働しており、石炭火力発電を代替してきた。環
境保護の最大の課題は石炭火力発電からの脱皮で、遼寧省から山西省にか
けての炭鉱の多くが閉鎖され、夥しい炭鉱夫が失業という犠牲を伴った。

将来は100基を必要とする中国は、なりふり構わず原発建設に熱中してき
たのだが、伝統的な「手抜き工事」でも悪名が高く、しかも、この台風
22号は、原発の場所を直撃する進路予測がでている。

    
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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 知性の劣化が、バカ文化人、エセ学者、偽善コメンティターを産んだ
  それにしても日本はどうしてアホやバカがテレビに跋扈するのか?

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北岡俊明『日本アホバカ勘違い列伝』(ワック)
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その昔、左翼全盛で全共闘とか、ノンセクト・ラジカルとか、ベ平連と
か、アジビラ一枚で左まきに染まった付和雷同組の社会騒擾があった。そ
の頃、全貌社から『全国大学左翼教授一覧』という本が出た。

日本共産党とそのシンパの文化人やら教授やらを網羅し、いかなる発言を
したのかを記録したもので、当時は斬新だった。編集者から聞いたところ
では「読んで抗議してきた人」「私は頼まれて『赤旗』に書いただけ」と
いう釈明の人など反応は様々だったそうな。

昭和50年代に山手書房から『日本を悪くした百人』という、異なったスタ
イルの本がでて、テレビタレントだの流行作家、有名教授等を俎上に載せ
た。小田実とか吉永小百合とか、羽仁五郎、大島渚らも入っていたような
記憶がある。やはり売れた。

その後、左翼文化人は世代交代して、右か左かの区別がつかなくなった。
単に政府を批判するだけの人、あらゆる政策に異論をとなえて悦にいる経
済学者。民族差別だとか、少数意見をあたかも国民の総意のように言い張
る御仁。しかもややこしいことに、現象に乗っているだけで理論的裏付け
を決定的にかく人が、テレビでしゃぁしゃぁとコメントを吐く時代に変
わった。

イデオロギーは消滅して、感情論が支配する環境となれば、出鱈目なこと
を主張しても誰も咎めない。

なんという知性の劣化だろう!

バカ文化人、エセ学者、偽善コメンティターを大量に産んだ背景には日本
全体の知力の低下があげられる。だから日本に大量のアホやバカがテレビ
に跋扈することになった。

10年ほど前に、そのことを思い出して或る編集者に『日本をダメにした百
人』などという企劃を提案したことがあるが、軽く蹴られた。

その替わりに書いたのが評者(宮崎)の『中国を動かす百人』(双葉社)
で現代中国の政治、経済、スポーツ、文化を牽引する百人を網羅しての人
名事典となった。

本書は、謂わばそうした流れに棹さして、とりわけ一般の読者向けに、お
かしな発言、怪しい言論を振りまくタレント、芸能人、教授や弁護士をず
らりと俎上に乗せて切りまくる痛快本である。

おのれの専門分野を中途半端にした漫才師、芸能人が我が物顔、偽文化人
らが厚顔無恥に朝日新聞の社説のようなことをのたまい、スポーツ選手が
えらそうに振る舞い、たいした作品もないのに作家をなのるバカまでを北
岡氏は快刀乱麻を断つがごとくに切りまくった。

とりわけ偽ブンカジンのリストに、左翼を衣の下に隠す池上彰と寺島実郎
が出てくる。

池上はリベラルな解説屋にすぎず、寺島は「なにも知らないし、知ってい
ることは全部間違っている」人だ。
ただ評者はテレビを見ないので、ほかに並んでいる人たちの名前を殆ど知
らないのが残念である。  

◆角さんは糖尿病だった

渡部 亮次郎


肩書きを言うより「角さん」で通っていた田中角栄氏。脳梗塞により75歳
で逝去した。若いころからの汗っかきは「バセドウ病」のためと周囲に説
明していたが、実は糖尿病持ちだったことは隠していた。だから脳梗塞を
まねいたのだ。

彼が自民党幹事長だったころ私も彼を担当したが、糖尿病で医者通いをし
た事実はなかった。ところが、彼が首相を辞めた後会ったところ「あん時
は血糖値が400にもなった」としゃべりだした。

「文春で立花隆に書かれたことには堪えなかったが児玉に書かれた佐藤昭
(あき)とのとを連日真紀子(娘)にわーわーいわれて参っちゃった。血
糖値も400まで上がるしな」と糖尿病を発症していたことをうっかり告白
してしまった。

おなじく糖尿病から「合併症」としての心筋梗塞で死亡した政治家に大平
正芳がいる。同じく首相を務めて死んだが年下の角栄を「兄貴」と呼んで
政治的にすがっていた。大平は甘党だったが、糖尿病と真剣にむきあって
はいなかった。

ちゃんとインスリン注射をしていれば総理在任中70の若さで死ぬことはな
かったはずだ。もっとも当時は今と違ってインスリン注射を患者自身がす
ることは厚生省(当時)の「省令」で禁止されていたから多忙な政治家が
連日医者通いをすることは無理だった。

この大平の無二の親友だった伊東正義も糖尿病だった。外務大臣当時は政
務秘書官も糖尿病だった。伊東はしかし医者通いをちゃんとしていたから
80まで生きた。インスリン注射を怠ると寿命を10年は縮めるといわれている。

糖尿病にともなう網膜症のため国会の代表演説の原稿を大きすぎる字で書
いてきて有名になった田中六助は心筋梗塞で死んだが、まだ62歳と若すぎ
た。医者通いをしていなかったのではないか。まず眼底出血して網膜をや
られ、最後に若くして死んだことがそういう推測を招く。

日本で糖尿病患者のインスリン自己注射を許可したのは昭和56年厚生大臣
園田直がはじめてである。それまでは日本医師会の反対を歴代厚生大臣が
おしきれなかったためである。

このときの園田氏はすでに1回目の厚生大臣の後、官房長官、外務大臣2期
の末という実力者に成長していたためか日本医師会も抵抗はしなかった。
禁止の「省令」は廃止された。

結果、「テルモ」など医療器具メーカーの競争が活発になり、たとえば注
射器が小型化してボールペン型になった。針も極細になり、
いまでは0・18mmと世界一の細さになった。また血糖値の事故測定器の
小型のものが発明されて便利になっている。

これらはすべて園田さんの決断の賜物だが、その園田さん自身は若いころ
からの患者であり、患者の苦しみを知るが故に自己注射許可の決断をした
のだった。わたしは秘書官として側にいたからよく見ている。

患者によっては医者に一日3回も注射のため医者に通わなければならない
人もいた。1日に医者に3回!!仕事ができない。自覚症状としては何もな
い病気とあれば医者通いをやめて早死にをずる不幸をまねく例もおおかった。

そうなのだ。大決断をした園田さん自身はその恩恵に浴することなく70の
若さで死んだ。そう武道の達人も注射の痛さを嫌いインスリンから逃げて
いたのだ。腎臓が機能しなくなり「腎不全」で死んだ。(2013・7・13)