2018年09月16日

◆山科だより「近辺の資料館・博物館」

渡邊 好造



山科は京都市内でありながら京都中心部へよりも滋賀県大津市へ向かう方が買い物も交通の便も何かと好都合なのである。

JRでの大阪への通勤はもちろん山科からの方が便利だが、周りの環境がよく住宅事情では滋賀県の方が断然割安で(地価は山科の半分以下)、なかでも草津、栗東、守山3市の人気が高い。大阪に勤務する人たちにとって手早く広いスペースの我が家を手に入れるには、滋賀県が恰好の住宅地だろう。

そんな注目の滋賀県の資料館・博物館のうち、山科に隣接する大津市の目を引く、私営舘を3つ紹介する。

1)「南郷水産センター」 ・運営=滋賀県漁連 ・所在地=大津市黒津 ・入場料400円小人200円 ・9時30分〜17時火休(祝営業) ・JR石山駅から京阪バスのりかえ南郷洗堰停留所徒歩5分

琵琶湖の周りには数多くの河川がある。ところが、全て注ぎ込む河川で放出するのは大津市の瀬田川のみである。瀬田川は大阪市の淀川につながる。この水量を調節するのが”南郷洗堰”でそのほとりに「南郷水産センター」がある。

昭和41(1966)年に”さかなと自然と人間とのかかわり”をテーマにして淡水魚専門に開設された。コイやマスに餌を与えたり、アユの塩焼きを食べたりで親子連れで楽しめる。

2)「近江神宮時計舘、宝物館」 ・運営=近江神宮 ・所在地=大津市神宮町 ・入館料300円、中以上150円 ・ ・9〜16時30分 月休(祝ok) ・JR大津京駅徒歩15分。

昭和38(1963)年の開館。2階は宝物館、1階の時計舘には江戸時代の櫓時計、4千年前に中国で使われた火時計、大化の改新のころの漏刻時計(水時計)など約百点が展示されている。

近江神宮は、昭和15(1940)年の皇紀2千6百年に創建され、正月3が日は初詣客で車と人で一杯になる。

3)「大津絵美術館」 ・運営=圓満院門跡 ・所在地=大津市園城寺町 ・入館料=300円、高200円、小中150円 ・9〜17時 無休 ・京阪電車別所駅徒歩5分。

昭和46(1971)年開館。圓満院門跡宸殿横に併設されている。

大津絵は、江戸初期から縁起物として無名画家の神仏画を販売したのが始まりで、鬼や藤娘の絵をメインにして風刺や教訓をこめ、朱色が印象に残る画風である。山科の民家ではこの絵の掲額をよくみかける。
(完・再掲)

 

2018年09月15日

◆守りの日本経済界

宮崎 正弘


平成30年(2018年)9月13日(木曜日)通巻第5827号  

 敵失という好気をぼんやり眺めやるだけ、守りの日本経済界
  米国はITバブル再燃の怖れ、中国は後退が確定。残る手段は何か?

第2次安倍政権発足直後から日本株は8000円台から2万円台へ急回復を見
せた。異次元の金融緩和、いわゆる「黒田バズーカ」が牽引役だった。し
かし、その後、景気回復への決定打がない。基本的に日本全体から進取の
精神が消え、経営が「守る姿勢」に後退してしまったことが大きい。

したがって日本株は泥沼の停滞を続ける。やっぱり「専守防衛」の国か。
 
第1は企業の借金恐怖症と内部留保の拡大である。

底流にある意識はバブル再燃への恐怖心理が経営者に残っているからだ。
他方、積極的な若者の起業は増えているが、ベンチャー・キャピタルが未
熟である。中国と比べてもはるかに劣勢である。

ところが日本企業の内部留保は446兆円強もある。史上最高額。実質上
「無借金経営」の企業が59%に達している。これでは銀行業は成り立たない。

本来なら企業利益は研究開発費と設備投資、人材への投資に回されるべき
だが、そうしないため、賃上げに繋がらない。

有利子負債を怖れないのはソフトバンク率いる孫正義と不動産開発企業く
らいで、多くが過去のバブル崩壊に懲りて、ひたすら内部留保に努めた。
企業業績は「優」。投資は「不可」というわけだ。

第2にそれではと製造設備の増設ではなく、積極的M&Aに乗り出す企業
が目立つが、シェア拡大目標が主目的であり、これは本当に正統な手法な
のか、日本的経営から逸脱ではないかという疑問が湧く。

M&Aは資本主義経済のシステムでは合法とはいえ、およそ日本の伝統や
企業の体質からは遠い、欧米の「ビジネスモデル」ではないか。

たとえばJT(日本たばこ産業)が外国企業買収にあれほど積極的なのは
嫌煙権による売り上げの減少と広告の制限から新興国への輸出をのばすほ
かに生き残る道がないとするからだろう。JTは、アメリカンスピリット
からインドネシアのグダンガラムまで買収している。日本電産はいきなり
ドイツの5社を、ルネサスは7700億円を投じて、アメリカのIT企業を買
収する。

第3はAI開発、次世代半導体開発に出遅れたのは、「2番では駄目なの
ですか」という前進阻止ムードの蔓延、つまり国民精神の停滞に求められる。

冒険心は稀薄となり、ひたすら守りの姿勢をつらぬいて当座を乗り切れば
良いと考えている裡に新興国からも置いてきぼりを食らう形成となった。
 例外的に健闘しているのは電気機器、情報・通信。化学、輸送用機器、
ならびに機械だが、内需ではなく外需によるものであり、企業名でいえ
ば、ファナック、日本電産、村田製作所などである。

僅かに内需でも設備投資拡大の動機となっているのは人手不足解消のため
の自動化、ロボットの導入と、ファストフードチェーンなどの伝票、注文
の電子化などにともなう設備更新、ソフト開発でしかない。

浮かれているのはインバウンドが好調な旅行代理店、輸送関連、ホテルな
どのサービス産業だったが、関空水没、製造業の物流アクセス頓挫、北海
道大地震による停電などで、急に近未来の市場が暗転した。


 ▲国内の産業空洞化は放置されたままだ

第4は円高と人手不足が原因となって海外進出にブレーキがかからず、国
内の空洞化を誰も問題視しなくなった。

スズキは中国から撤退するが、代替マーケットをインドとアフリカ諸国に
求める。トヨタも日産も中国での設備投資をさらに前向きに強行する。い
ずれも日本国内市場より、海外に眼が向いている。

第5は前項に関連して国家安全保障を無視したハイテクの海外への技術移
転である。

これが将来何をもたらすかといえば、日本の競争力を自ら減殺し、いずれ
中国に主導権を奪われることになるが、それでもやむなしという諦念が支
配しているのだろうか。

民間企業ばかりではなく、政府は「もんじゅ」を御破産にした。宇宙航空
開発を見ても、アメリカの顔色をみたまま自主開発のジェット機はまだ軌
道に乗らない。

トヨタはHV技術という虎の子を中国に供与するし、パナソニックなどは
EV電池規格を中国と協同で遂行する姿勢である。

米国が中国を敵視しているときに、日本は日中友好をすすめ、安倍首相は
10月23日に訪中を予定している。


 ▲ならばアメリカ経済は順風満帆なのか

トランプが大統領就任以後、ウォール街の株価は40%以上の上昇をつづ
け、失業率は史上最低である。米国は景気が良い。

こうなると左翼メディアがいかにトランプの揚げ足をとって執拗な攻撃を
続行しようとも、選挙は現職が有利である。好景気なので、米中貿易戦争
の悪影響はほとんど出ていない。

しかしウォール街の株高を牽引しているのはハイテクだけである。

アマゾンの時価総額は1兆ドルと突破している。ことし上半期の株式上昇
分の過半が、じつは僅か六社のハイテク企業によるもので、アマゾン、
アップル、グーグル、フェイスブック、マイクロソフト、ネットフリック
スなどだ。

しかも、これらは中国への進出に次の勝負をかける大市場と見ているた
め、トランプの中国政策とは正面から対峙する。

ハイテクばかりかエネルギー産業でも、たとえばエクソンは中国に大規模
な石化設備を建設し、数千億円の投資を決めている。シェールガス輸出の
後押しが主目的である。もともとエクソンの親中路線をすすめてきたのは
前国務長官のレックス・ティラーソンだった。かれはキッシンジャーの推
挽でトランプ一期目の米国外交をなんとか担ったが、トランプの中国敵視
政策と対立し、解任された。

だが、米国の好況状態はいつまでも続かないだろう。

ネックは高金利とドル高である。金利上昇によって、米国の消費をつよく
支える住宅、それも中古住宅の売れ行き(全体の80%)が連続的な減少をし
めし始め、専門家が失速懸念を表明している。

第2四半期から減少傾向が顕著となったのは、高金利による価格高騰と、
米中貿易戦争に絡んで、中国人の爆買いが、高波が引くように消滅しつつ
あることだ。ましてや中国人がこれまでに購入した不動産の売却をはじめ
ているため、中古住宅価格は、下落しても上昇は望めないだろう。

米国の経済指標の目安となる新規住宅着工件数は、前年比12・6%の減少
〈2018年6月〉。ローンの破産はまだ目立つほどでもないが、失業が増え
てローン返済の停滞が始まると、銀行を直撃するため、一部にはリーマン
ショックの再来を怖れる声もあがりだした。

      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW
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 信長暗殺の背後にキリスト教団がいたという陰謀説は潰える
  イエズス会は軍事組織であり、マルクス主義前衛党に、いやISに似
ている

渡辺京二『バテレンンの世紀』(新潮社) 
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 なにしろ分厚い。読むのに四日を費やしたが、渡辺京二は、これを書く
に十年の歳月をかけた(『選択』に10年余連載)。だから四日で読了して
は申し訳ない気にもなる。

もやもやと濃霧の状況だったが、展望台にたつと雲海が晴れて、全体の
景色がながめられるダイナミックな伴天連時代の通史である。

これまで切支丹伴天連の研究は幾十、いや幾百もの書物が出たが、戦後の
論壇の研究成果が大きく進展したのは、ポルトガル、スペイン、そして英
国で貴重な文献が見つかり、これら第一級の新資料から、総合的な展望を
もとに、あの切支丹伴天連の活躍した全貌がはっきりと見通せるように
なったことだ。

ポルトガルとスペインは世界を二分化し、世界の未開拓な国々を植民地と
して、土地の人々は奴隷として酷使することが神の命じた使命でもあると
いう狂信的ドグマに染まっていた。

イエズス会はスペインのバスク地方からおこった。ザビエルは創始者の一
人だった。

渡辺は大航海時代から世界を眺めやる文脈のなかで日本における伴天連の
活躍をザビエルの訪日前後から克明に活写する。

ザビエルの布教に最初に洗礼をうけたのは北九州の覇者、大友宗麟だっ
た。彼は島津との死闘を繰り広げながらも、日向にあっては神社仏閣を徹
底的に破壊し、仏像、教典も焼却した。このため家臣団からの信頼を失
い、やがて没落してゆく。

信長前史、はやくも宣教師は日本に入り、薩摩、日向、臼杵、山口での
布教が拡大したが、最終的に伴天連教団は京を狙っていた。

京を制圧しつつあった信長が布教を許し、秀吉も切支丹伴天連の活動を
奨励した時期がある。

といっても、信長は火薬と鉄砲、そして既存の宗教勢力へのバランスを計
測し、伴天連を利用した。

秀吉は、伴天連がもたらす物資、交易の魅力が主で、次第にかれらの侵略
意図が明確になると禁教、伴天連追放に踏み切る。

のちに天下人となる家康は新興勢力として台頭してきたオランダと英国に
注目して、むしろ活用した。家康は交易を許したが、布教は禁止した。家
光の代ではオランダを除いて、完全に彼らを駆逐した(筈だった)。

ところが、禁教後も宣教師の日本潜入は絶えず、とくに長崎から天草に
かけて潜伏し、伝染病が蔓延したように信者が増えたのである。一時は37
万人の信者を誇ったという。


 ▲信徒拡大の鍵は大名にあり、同宿を駆使した

なぜ日本の国柄に適合しないキリスト教が増えたか。

応仁の乱からアナーキーな状態に陥っていた日本では神にすがろうとす
る末期的な社会現象が重なり、新興宗教に名状しがたい魅力があったから
である。ひとびとは切支丹を仏教のあたらしい宗派の誕生としてしか認識
しておらず、その教義の一神教の絶対性についての理解に欠けた。
 天草四郎は、小西残党の武士らが担ぎ出してカリスマとしたほどに、霊
力をもつ少年だった。地方の一揆程度とみた幕府は、ささやかな部隊を鎮
圧に宛てたが、どっこい反乱軍は強かった。

 ISの戦術をご記憶だろう。

住民を巻き込み、楯とする。仏教徒の住民が、キリスト教にならなけれ
ば殺すと脅され、原城の籠城戦において城内に閉じこめられた。その数お
よそ1万8000人となる。
 本書はともかく通史、物語の語り部として成功しているが、天皇、朝廷
の動きが皆無であり、総合性にややかけるのが難である。

切支丹伴天連が掲げたのは「天地創造の絶対神」だ。合理的解釈から逸
脱した独善的ドグマで、日本の神仏は「その被造物にすぎない」と宣教師
が主張し、また「日本の神仏が真の神の資格を持たず、悪魔のまどわし」
(441p)と総括した。

このため、最初は現世的な御利益から入信した信者等も、急速に離れて
いった。

殉教のために密入国した宣教師がいたが、当時の厳密な監視態勢の下では
すぐに発見された。

本書を通じてハタと膝を打った箇所が幾つかある。

第一にイエズス会は布教の対象を藩主、武士という上層部におき、また
日本語のハンディを乗り越えるために聡明で語学が達者な日本人信者を多
用した。実際の布教は、この日本人信者(同宿という)だった。KGBが
当該国において『影響力のある代理人』を重宝したように。
 最初の信者は、貧困な人々が目立ち、高層へ行くほどに日本では知識階
級が怪しいドグマをはねつける知見があったのだ。

第二にキリシタン大名が輩出したが、それぞれの武将には信仰への温度
差があり、棄教に応じたのは黒田官兵衛、小西行長ら。棄教を首肯しな
かったのは高山右近ら少数がいた。また宗教論争を通じて、キリスト教の
説く教理が、日本の国柄には適合しないことをほとんどの日本人指導者は
認識できていた。

第三に同様にしてイエズス会宣教師のなかでも、GHQに「ウィーク
ジャパン派」と「ストロングジャパン派」が対立したように、布教の遣り
方や交易手段を巡って鋭角的な内部対立があった。

日本侵略を強硬に主張したのはコエリョであり、この時点で反対したのは
オルガンディーノだった。フロイスはどちらかと言えば中立的だったが、
のちに侵略論に傾いた。

コエリョは「当時マカオにいたヴァリニャーノのもとに使者を派遣し
て、彼が来日する際二百名の軍隊を伴うべく要請すること、さらに彼から
スペイン国王、インド副王、フィリピン総督に軍事援助を要請してもら
う」と協議した。

事実、「コエリョはバテレンン追放令がでるや、有馬晴信ら切支丹領主
に、結束して秀吉に敵対するように働きかけ、資金と武器の供与を約束
し、実際に銃器、弾薬を買い入れた」(225p)。


 ▲家康が怖れたのは伴天連の軍事力ではなく文化的侵略だった
 
信者からも告発がでた。破天荒な日本人信者(トマス荒木)が単身ロー
マまで行って多くを学んだが、帰国途次のマカオで、イエズス会宣教師等
が「日本征服を企てるような托鉢修道士たちが国王に働きかけた」事実を
掴んだ。

まさに「植民列強と結びついてその国家事業の一環として布教をすすめて
きた修道会に対する疑問」が拡がった(321p)
 
ヴァリニャーノとて、天正少年使節を欧州へおくる段取りを組んだが、
『天正遣欧使節記』はヴァリニャーノの作文であり、フェイク文書だった。

伴天連の機密任務である侵略の意図を、はやくから秀吉も掴んでいた。
ただ秀吉の老衰、耄碌がはげしく禁教と布教の狭間を揺れ動き、朝令暮改
の特質があった。

「家康はポルトガル、スペインの侵略性も、宣教師達の役割もよく承知し
ていたが、現実の武力侵略はまったく恐れていなかった。彼が怖れたのは
いわば文化的侵略であって、キリスト教が日本を乗っ取るのではないかと
懸念した」(315p)

第四に禁教後も、宣教師の潜入が続いたことは述べたが、、とくに天草
にもたらされた印刷機によってキリスト啓蒙書が印刷され、おびただしく
出回っていたことである。

所謂「天草四郎の反乱」と呼ばれる切支丹の一揆とて、直線的に?川政権
の転覆を狙った国家への叛逆ではなく、百姓と小西残党の武士団と、反乱
の題目に必要なキリスト教の信者とが徒党を組んだ、農民一揆に近いもの
だった。

武士は戦争になれて、武装しており大砲や鉄砲をそなえていたため、背後
にポルトガルがいるという印象を与えた。だから幕府はオランダが火力攻
撃の支援を求めたときに応諾した。
 
本書で渡辺京二が言いたいのは次の言葉だろう。

「イエズス会が20世紀の共産主義政党と性格、手法において一致して い
ることはおどろくほどである。実現すべき目的の超越的絶対性、組織の
大目的への献身、そのための自己改造、目的のためには強弁も嘘も辞さぬ
点において、イエズス会は共産主義前衛党のまぎれもない先蹤(せんしょ
う)といわねばならぬ」(189p)。

これは日本が欧洲の異教との初めての接触=「ファーストコンタクト」
だった。『セコンドコンタクト』が幕末の異国船だった。

◆報ステは福島の風評被害を煽るのか

櫻井よしこ


8月30、31の2日間、福島第一原発(1F)から出るトリチウムを含んだ水
の処分について、福島県富岡町などで公聴会が開かれた。地元在住で、
NPO法人ハッピーロードネット理事長の西本由美子さんが心穏やかなら
ずといった風情で語った。

「マスコミ報道は今回も表面的で事態の混乱を煽り立てるだけでした。地
域の実情や地元の思いを知っているかのように報じる彼らに、何度も苦い
思いをしてきました。原発事故そのものよりも、マスコミが作り出し、い
まも煽り続けている風評に私たちは苦しみ続けています」

実は私は、8月30日のテレビ朝日「報道ステーション」(以下報ステ)の
トリチウム汚染水を巡る報道振りを見て、その一方的な内容に憤ってい
た。報ステは汚染水の処理問題を理解するのに必要な基本的情報を全く伝
えなかった。視聴者に、事柄の全体像の把握と最も重要な問題点の理解に
つながる情報を伝えずして、報道番組たり得るのか。

事の本質を切り出して見せることもなく、表面的な批判に終始するので
は、井戸端会議的なワイドショーと同じではないか。そんな無責任な報道
が、原発問題を乗り越え、地域を再活性化し生活を立て直そうとしている
地元の人達の努力を潰す。西本さんはそのことを「マスコミによる風評被
害」と喝破したのである。

その日、報ステは汚染水問題の公聴会と、高速増殖炉「もんじゅ」で始
まった核燃料取り出し作業を、ひとつの項目で報じた。以下は公聴会の部
分の要旨である。

まずスタジオで女子アナが、1Fの汚染水が「どんどん増え続けている」
「処理された水が入ったタンクは900基」「これを薄めて海に流す案につ
いて、公聴会が開かれた」というリードを読んで、VTRに入った。

トリチウムは事実上無害

冒頭、漁師の小野春雄氏のコメントが炸裂した。

「福島県の海に放出することだけは、絶対に、反対です」

ナレーションで、1Fに大量保管されているトリチウム水は現在100万dを
超えて増え続けており、保管場所の確保は難しく、薄めて海に流す案が検
討中であると伝え、「海洋投棄が経済的にも一番優れた方法だ」という研
究者の見解を紹介。その直後、小野氏がまたもや激しく感情的に、こう語
るのが紹介された。

「トリチウムを海洋放出して、それが安全で(あろうと)なかろうと、そ
れを放出した時点から、さらに風評被害を上乗せされます。賠償金をもら
いたくて賛成するなんて、絶対、そんなことありえません」

別の出席者と傍聴人の、「風評被害は拡大する。そういった海産物を口に
したくない」「いわきに避難中だが、そういうことをやられると、帰って
くるという認識がまた遠のく」という批判が続いて公聴会の報道はここで
一区切りとなった。

こうしてみると、報ステが全く触れていないのが、➀トリチウムを含む汚
染水を日本を含む全世界がどのように処理しているか、➁トリチウムは有
害か無害か、という点である。

➀について、1Fから排出される汚染水は多核種除去装置で62種類の危険な
放射性物質を取り除いてトリチウムだけにし、十分に希釈して海に放出す
る。これが国際社会の基準で、中国、韓国、ロシア、米国など、どの国も
その基準で海に放出中だ。過去現在を含めて日本も同様だ。例外が福島な
のである。

➁について、トリチウムは元々、自然界に存在する核種でわずかに放射線
を出すが、水と同じ性質であるため生体内で濃縮されず、十分に薄めれば
人体には全く無害だ。雲などの大気中の水分に、空から降ってくる宇宙線
が衝突して、トリチウムが生まれ、その中で私たちは暮らしているが、ト
リチウムが人体に外部被曝を起こすこともない。体内に入っても体外から
降り注いでも、トリチウムは事実上無害だ。

こうしたことを伝えない報ステの意図は一体何か。トリチウム水の真実か
ら視聴者の目を逸らし、世界の基準である海洋放出という解決策をつぶ
し、反原発運動に弾みをつけさせる試みではないかと疑いたくなる。

もうひとつ、報ステが知らん顔をしていたのが、賠償金欲しさに放出に賛
成することは絶対にないと断じた小野氏の言葉である。現在も続く福島の
混乱と、結果として復興を妨げている後ろ向きな言動は、賠償金問題と密
接に絡み合っている。

東京電力は3.11以降今年7月末までに約8兆3000億円という膨大な額の賠償
を実行済みだ。その多くが福島県に集中している。

メディアに対する警戒心

大災害によって生じる損失への補償に関して、国はその実施期間を、商工
業は2年、農業は3年、漁業は4年以内としている。東電は福島県内の避難
指示区域内等に対して、商工業は国の基準の倍の4年に、将来分としてさ
らに2年間、農業も国の基準の倍の6年に加えてさらに3年間支払い、漁業
については現時点で終期を定めることなく賠償を継続中である。

漁業者への補償は終わりがないのだ。漁業者は商工業者、農業者に較べて
手厚く補償されているといえる。だが事情はもう少しこみ入っており、地
元に行くと、漁業補償が二つの型に大別されていることに気づく。

➀現在も完全に休業している漁民に、3.11以前の漁獲高(収入)と見合う
額を全額賠償しているケース、➁すでに漁に出ているが、以前の漁獲高に
較べて売り上げが不足な場合、その差を賠償するケースである。

3.11から7年余が過ぎたいま、多くの漁師が➁のパターンに戻っていて欲し
いと思うのは当然だろう。元気に働くことによって困難を乗り越える力も
出てくるからだ。しかし、現在も➀のパターンにとどまっている人々がい
る。漁業協同組合は、➀群、➁群の双方を守りつつ、東電との交渉の窓口に
なっている。漁に出ないで補償で暮す生活を続けるケースも、こうした状
況の中で許容されてきた。賠償目当てではないとの主張は、漁業者への手
厚い補償が多くの人の目に明らかな事実として映っているだけに、現地で
さえも必ずしも全面的に支持されていない。こうした微妙な背景も含め
て、報ステは現場取材により公平に伝えるべきだろう。

西本さんは、トリチウム水の放出に反対する福島の本心はメディアに対す
る警戒心だと語る。海への放出をメディアが危険だと煽り、福島産魚介類
が買い控えられ、福島の漁業が再起不能になることを避けてほしいという
メッセージだと言うのだ。
「マスコミは正しく報道することで風評被害をなくしていく責任を果た
せ、という問題提起です。政治がそこから逃げているならば、政治に風評
をなくすよう対応しろと要求する。それがマスコミがすべき『権力との対
峙』なのではないですか」

さて、報ステはどう答えるか。

『週刊新潮』 2018年9月13日号 日本ルネッサンス 第817回

◆人工関節手術で歩ける喜び

小池 達也(医者)


整形外科の分野ですばらしい発展を遂げていると考えられているのは、人工関節分野です。現在では、肩・肘・股・膝・足関節に人工関節手術が施されますし、手や足の指関節にも応用が始まっています。

特に、股関節と膝関節に関しては膨大な数の手術が毎年日本中で行われています。
成績も安定しており、それほど高度な手術でもなくなりつつあります。

しかし、本当に人工関節は進歩したのでしょうか。

1962年にチャンレイという先生が人工股関節手術を初めて実施されました。 今から振り返ってみても、良く考え抜かれたデザイン・材質・手術方法でした。やっぱりパイオニアと呼ばれる人たちには何か光るものがあります。

このチャンレイ型人工股関節は長期成績も良く、スタンダードとなりましたが、もちろん完璧ではないので、チャンレイ自身を含め様々な改良が加えられました。

ところが、それらの改良、良かれと思ったデザインや材質の変更は逆に長期成績を悪化させました。

そうすると、また改良が加えられ、猫の目のようにくるくるとデザインや果てはコンセプトまで変わっていきました。最近ようやく、コンセプトも成熟し成績も安定してきました。しかし、改良が加えられ続けていた時代に人工股関節手術を受けてしまった人は恩恵を受けることが出来なかったわけです。

最先端のものが最良とは限らない好例ではないでしょうか。これは人工関節の性格上、結果がすぐに出ないことが一番の理由です。そして、この危険性は今後も出てくる可能性はあります。

では、人工関節手術などすべきではないのでしょうか。

そうではありません。歩くことさえ大変な方が、人工関節手術を受けて痛みなく歩けるようになった時の喜びは、本人でない我々でさえ感じることの出来る大きなものです。
「人生が変わった」・「旅行に行けるようになった」・「歩くのって楽しい」など、多くの喜びの声を聴かせていただける、医者にとっては実にやりがいのある手術です。これを永続する喜びに変えるために、いくつかの合併症を克服してゆくのが、我々の今後の使命でしょう。

人工関節の合併症で厄介なのは感染とゆるみです。ゆるみの方は、多くの研究により克服されつつありますが、異物を体の中へ入れる手術であることから、感染の危険性はなかなか解決されそうにはありません。また、スポーツも可能になるような丈夫な人工関節もまだ存在しません。真の人工関節出現はもう少し先になりそうです。
 
ところで、最近ではナビゲーションといって、コンピュータが人工関節を入れる方向を指示するシステムやロボットが人工関節を入れる方法も実用化されています。
あなたは、ロボットと人とどちらに手術して欲しいですか?(再掲)
         
(大阪市立大学大学院医学研究科リウマチ外科学 )

2018年09月14日

◆ビタミンB1を思う

渡部 亮次郎


1882(明治15)年12月、日本海軍のある軍艦は軍人397名を乗せて、東京
湾からニュージーランドに向け、272日の遠洋航海に出航した。

ところがこの航海中、誰一人として予想もしなかった大事件が降ってわい
た。なんと169名が「脚気」にかかり、うち25名が死んでしまったのだ。

この、洋上の大集団死亡という大事件は、当時の日本列島を震撼させた。
屈強な海の男達の死。なぜだ。この不慮の大事件が、ビタミンB1の欠乏に
よるものだとは、この時点ではまだ誰も気づいた人はいなかった。

ビタミンB1の存在が発見され、栄養学的、学術的な解明がなされたのは、
このあと28年間をまたなければならなかった。

しかし、かねてから軍人達の脚気の原因は、毎日食べる食事の内容にあり
とにらんでいた人に、高木兼寛という人物がいた。彼は当時、海軍にあっ
て「軍医大監」という要職にいた。

高木兼寛(たかぎ かねひろ)

宮崎県高岡町穆佐(むかさ)に生まれ、イギリスに留学し帰国後、難病と
いわれた脚気病の予防法の発見を始めとして日本の医学会に多大な貢献を
した研究の人。

慈恵会医科大学の創設、日本初の看護学校の創設、さらには宮崎神宮の大
造営などの数々の偉業を成しとげた。

<白米食から麦飯に替えて海軍の脚気を追放。1888(明治21)年、日本で
初の医学博士号を受ける。>(1849-1920)(広辞苑)

高木軍医大監は、この事件をつぶさに調査した結果、次の航海で軍艦乗組
員を対象に大規模な "栄養実験" を行うことによって、脚気の正体を見極
めようと決意した。

脚気による集団死亡事件から2年後の1884(明治17)年、こんどは軍艦
「筑波」を使って、事件が起こった軍艦と同一コースをたどった実験が始
まった。

高木大監自らもその軍艦に乗りこみ、兵士達と起居、食事を共にした。高
木まず、乗組員の毎日の食事に大幅な改善を加えた。これまでの艦の食事
は、どちらかというと栄養のバランスというものを考える余地がなく、た
だ食べればよいといった貧しい「和食」だった。

高木は思い切って「洋食」に近いものに切り替えた。牛乳やたんぱく質、
野菜の多いメニューだ。よい結果が明らかに出てきた。287日の航海の間
に、おそれていた脚気患者はわずか14名出たのみで、それも軽症の者ばか
り。死者は1人も出なかったのだ。

高木軍医大監は快哉を叫んだ。「オレの考えは間違っていなかった」と。
以上の実験的事実に基づいて、日本海軍は、そののち「兵食」を改革した。

内容は白い米飯を減らし、かわりにパンと牛乳を加え、たんぱく質と野菜
を必ず食事に取り入れることで、全軍の脚気患者の発生率を激減させるこ
とに成功した。

一躍、高木軍医大監の名が世間に知れ渡った。今日では、脚気という病気
はこのように、明治の中期頃までは、大きな国家的な命題でもあったわ
け。皇后陛下も脚気を患って困っておられたが、高木説に従われて快癒さ
れた。明治天皇は高木を信頼され、何度も陪食された。

この頃、陸軍軍医総監森林太郎(鴎外)はドイツのパスツール説に従い
「脚気細菌説」を唱え続けたばかりか、高木を理論不足と非難し続けた。

脚気にならないためには、たんぱく質や野菜を食事に取り入れることが有
効であることはわかったけれど、それらの食品の含有する栄養素の正体に
ついては、ほとんど解明されていなかった。これは前にも触れた通り。

栄養学の研究は、ヨーロッパでは19世紀の半ば頃から盛んに行われ、たん
ぱく質のほか、糖質、脂質、それに塩類などを加えて動物に食べさせる、
飼育試験が行われていた。

だが、完全な形で栄養を供給するには、動物であれ人間であれ、「何かが
足りない」 というところまでがようやくわかってきたにすぎなかった。
その何かとは、今日の近代栄養学ではあまりにも当たり前すぎる「ビタミ
ン」「ミネラル」のこと。当時はしかし、その存在すらつかめていなかっ
た。

日本でビタミン学者といえば、鈴木梅太郎博士。米ぬかの研究でスタート
した鈴木博士が、苦心の研究を経てビタミンB1を発見したのは1910年、明
治43年のこと。陸軍兵士が脚気で大量に死んだ日露戦争から5年が経って
いた。高木海軍軍医大監の快挙から、実に28年もかかっていた。

鈴木梅太郎博士は最初は「アベリ酸」として発表し、2年後に「オリザニ
ン」と名付けた。このネーミングは、稲の学名オリザ・サティウァからつ
けたものと伝えられている。

しかし世の中は皮肉なもので、鈴木博士の発見より1年遅い1911年、ポー
ランドのC・フンクという化学者が鈴木博士と同様の研究をしていて、米
ぬかのエキスを化学的に分析、「鳥の白米病に対する有効物質を分離し
た」と報告、これをビタミンと名付けてしまった。

ビタミンB1の発見者のさきがけとして鈴木梅太郎の名は不滅だが、発見し
た物質のネーミングは、あとからきたヨーロッパの学者に横取りされたよ
うな形になってしまった。

それにしても、言い方を換えれば、明治15年、洋上で脚気のため命を落と
した25名の兵士の死が、28年を経て、大切な微量栄養素の一つ、ビタミン
B1の発見につながったと言うべきで、その意味では彼らは尊い犠牲者とい
うべきだ。 (以上は栄養研究家 菅原明子さんのエッセーを参照)


◆目が離せない中国共産党内の権力闘争

櫻井 よしこ



「人権は軽視されるのか改善に向かうのか 目が離せない中国共産党内の
権力闘争」


「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が、ノーベル平和賞受賞者で中国政
府に弾圧され、昨年7月に事実上獄死した劉暁波氏について『私たちは中
国が世界で一番幸せな国だと思っていた』(ビジネス社)で書いている。

文化大革命の最中、都会の「知識青年」たちは農民に学べと指示され農村
に下放された。毛沢東に心酔し紅衛兵として暴れまわった血気盛んな若者
たちを、毛は当初は利用し、後に体よく農村に追い払ったのだ。下放され
た約2000万人の中に劉氏、今や国家主席の習近平、首相の李克強、外相の
王毅の各氏らもいた。

毛の死で文革が終わり、知識青年は都市に戻り、大学への入学をようやく
許された。しかし戻るには下放された村の革命委員会主任である村長の許
可が要る。それには賄賂が必要だった。

劉氏も親戚中からおカネを掻き集めて200元もする高級時計を村長に贈っ
たというので、あの劉氏も賄賂を使ったのかと、私は意外の感に打たれ
た。ところが、許可をもらい、全ての荷物を馬車に積み込み、出発する段
になって、劉氏は村長の家に取って返し、斧を手に村長に迫った。

「あなたには3つの選択肢がある。1つ目はこの斧で私を殺す。2つ目は私
がこの斧であなたを殺す。3つ目は時計を返せ」(『世界で一番幸せ』)

感動した。この烈しさ、芯の強さ。劉氏のかもし出すおだやかな人物像と
はまた別の姿がある。長く産経新聞北京特派員として幾度も劉氏と語り
合ってきた矢板氏は語る。

「彼は非常に温厚な人間です。吉林省なまりが強くて喋りは巧くない。少
し発音が不自由なために言葉が出てこない。しかし、秘めた闘志を感じさ
せる落ち着いた人でした」

天安門事件後、厳しく弾圧され始めた一群の民主化リーダーの中で劉氏が
突出して人々の支持を得ている理由は、単に彼がノーベル平和賞を受けた
からではない。彼は決して中国から逃げ出さず、現場で闘ったからだ。

劉氏にも海外に逃避する機会は幾度もあった。中国当局はむしろ、劉氏を
海外に追い払いたいと考えた時期もあった。だが、劉氏は拒否し続けた。
矢板氏はあるときなぜ逃げないのか、尋ねたそうだ。

「子供たちが殺されたのに、ヒゲの生えたやつが生き残っているのは理不
尽だ」と、劉氏は答えたという。

天安門事件で拘束される前、彼は北京師範大学の人気者の教授だった。彼
の講義を聞くために他大学からも学生が集まった。学生たちに向かって彼
は中国の民主化を説き、感化された学生らは天安門でのデモに参加し、多
くが殺害された。そのことに責任を感じていたのだ。

長い獄中生活で癌を患う中、劉氏はそれまで拒絶していた海外行きを当局
に訴えるようになる。それはずっと自宅で軟禁されている妻の劉霞さんを
自由にするためだった。

暁波氏の死から約1年、今年の7月、劉霞さんは突如、出国を許されドイツ
に渡った。両親は亡くなっているが、弟の劉暉氏は北京にとどめられ逮捕
された。劉霞さんの出国で、人質にされたのはほぼ間違いない。

矢板氏は言う。

「いま、中国は米国との貿易戦争の真っ只中です。以前から人権問題に強
い関心を示していたドイツに譲歩し、関係を深めることで、対米関係を有
利に進めたいという思惑でしょう。加えて習主席の力が少し弱まり、李首
相の立場が少し強まっています。つまり、中国共産党の内部の権力争いが
劉霞さんへの出国許可の背景にあるのです」

習氏が勢力を盛り返せば、人権は軽視される。李氏が力を手にすれば、中
国の人権状況も少しは改善される。この意味からも中国共産党内の権力闘
争から目が離せない。

 『週刊ダイヤモンド』 2018年9月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1246
             

◆侵略の時効は?

石岡 荘十



どなたか教えてください。

先日、大学時代の友人数人と会った。その席でひとりがこう訊いて来た。

「歴史上、人の国を侵略し、植民地化し、虐殺し、じつに多くの人を大
規模に連れ去って奴隷とした例は数知れない。日本はいま、70余年前の
戦争をめぐって、近くの国から『謝れ。口ばかり出なく、謝罪の意を行
動で表せ』と攻め立てられている」。

その上「戦争指導者を祀っているところに,総理がお参りするのはけしか
らん。おまえの歴史認識をこっちと同じに改めない限り、会ってやらん
と脅されている」

そこで、2つ訊きたいと友人は言う。

まず、歴史上、他国を侵略し、占領し、植民地化した国々が、謝った話
はあまり聞かないが、あるとすればどこの国がどこにどんな謝り方をし
たのか。先の戦争で謝罪をしたのは、ドイツと日本ぐらいだと思うが
------。ほかにあったっけ? 

次に、歴史認識が国によって異なるのは当たり前だと思う。が、それを
変えなければ、会ってやらんとごねた国は、歴史上あるのか。あるとす
ればどの国がどこの国にそう言ったのか。言われた方は、どう対応した
のか。

日本はかつて蒙古に襲われたり、近海でロシアの海軍相手に戦ったりし
たこともあった。防衛のために多数の死傷者が出ている。幸い、侵略未
遂だったが、彼らは謝ったのか。

加藤清正のことを謝れとは言っていないようだが。

友人はつまり、先の戦争が「侵略」だったとして、それがいつになった
ら時効になるのか、そんなものに時効はないのか、教えてくれと言って
いる。

酒席だったこともあって、むにゃむにゃとごまかして、議論は消化不良
のまま終わってしまった。

どなたか、正解を教えてくれませんか。

2018年09月13日

◆ワシントンのPLO事務所閉鎖へ

宮崎 正弘


平成30年(2018年)9月11日(火曜日)参 通巻第5825号  

 トランプ政権。ワシントンのPLO事務所閉鎖へ
  サウジもエジプトもUAEも、PLO支援をやめている

PLO(パレスチナ解放機構)は、嘗てレーガン政権下では「テロリスト
集団」と認定され、いちどはパレスチナの土地から叩き出された。

風向きが変わりクリントンが調整に乗り出して、「オスロ合意」を経て、
ラビン、ペレスと並んでアラファトがノーベル平和賞に輝いた。
しかし平和は訪れなかった。

反米闘争の主体はPLOからハマス、ヒズボラへと移行し、エジプトでは
「イスラム同胞団」政権が軍事クーデターで壊滅し、イラクとシリアの空
白状況にISが誕生、さんざんかき荒らした挙げ句に、いずこかへ消えた。

いまシリアはアサド独裁を支援するイランとロシアが軍事的主導権を握
り、あろうことか、アサドを敵視してきたトルコが、反米の一貫として、
この三者連合に加わってきた。

サウジ、UAEはカタールの孤立化とイエーメン内戦への介入に忙しく、
もはやPLOは関心の対象ですらないようである。

つまりPLOは政治的影響力を阻喪したのだ。

トランプ政権は、イスラエルの大使館をテルアビブからエルサレムへ移転
した。周辺国から強い抗議がなかった。驚くべき変化だろう。

ついで米国はワシントンに駐在を認めてきたPLO事務所(事実上の大使
館)を閉鎖する決断を下した。

◆小畑実 (歌手)は北朝鮮出身

渡部 亮次郎



NHKが5月1日野ラヂオ深夜便で戦中・戦後の人気歌手だった小畑実を特集
したえいた。そこで以下、ー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
をのぞいてみた。

<小畑 実(おばた みのる、1923年4月30日 - 1979年4月24日)は、朝鮮
平壌出身の歌手である。本名は、康永普i강영철 / カン・ヨンチョル)
1937(昭和12)年、同胞のテノール歌手永田絃次郎(戦後北に帰国後、消
息不明)に憧れて日本に渡り、日本音楽学校に入学。苦学しながら声楽を
学び卒業後、作曲家江口夜詩の門下となる。

このころ、秋田県大館出身の小畑イクに面倒を見てもらったのが小畑姓と
秋田出身を称した理由とされる。なお、イクの息子小畑達夫はいわゆる共
産党リンチ事件で殺されている。

デビューは1941(昭和16)年2月、ポリドールレコードからで『成吉思
汗』であった。ただし、朝鮮半島出身を隠して出身地を秋田県としていた。

のちにビクターに移籍。1942(昭和17)年の『湯島の白梅』が出世作とな
る。翌年に『勘太郎月夜唄』をヒットさせ新進気鋭の歌手として注目を浴
びるが、本格的な活躍は終戦後であった。

テイチク・キング・コロムビア・古巣のビクターと所属会社を転々としな
がらも、甘いクルーナー唱法で『小判鮫の唄』・『薔薇を召しませ』・
『アメリカ通いの白い船』・『長崎のザボン売り』・『ロンドンの街角
で』・『高原の駅よさようなら』などのヒット曲を飛ばした。特に『星影
の小径』はフランスのシャンソンをベースにしたロマンチックな旋律と
「アイ・ラブ・ユー」という英語を歌詞に用いた斬新さに加え、彼の歌唱
の特徴が生かされた傑作である。

NHK紅白歌合戦に3回出場している。

1957(昭和32)年、第8回NHK紅白歌合戦出場を最後に一度引退。一時期実
業界に移り、歌謡界から遠ざかっていたが、1969(昭和44)年頃、折から
の懐メロブームもあって『勘太郎いつ帰る』で復帰。韓国にもしばしば渡
り、本名で活躍する。

1977(昭和52)年には『湯の町しぐれ』をヒットさせ気を吐いた。その
後、ステージ活動や刑務所の慰問、後進の指導にあたるなど精力的に活動
していた矢先、千葉県野田市のゴルフ場でプレイ中に倒れ、急性心不全の
ため55歳で亡くなる。

◆人権は軽視されるのか改善に向かうのか

櫻井よしこ


「人権は軽視されるのか改善に向かうのか 目が離せない中国共産党内の
権力闘争」

「産経新聞」外信部次長の矢板明夫氏が、ノーベル平和賞受賞者で中国政
府に弾圧され、昨年7月に事実上獄死した劉暁波氏について『私たちは中
国が世界で一番幸せな国だと思っていた』(ビジネス社)で書いている。

文化大革命の最中、都会の「知識青年」たちは農民に学べと指示され農村
に下放された。毛沢東に心酔し紅衛兵として暴れまわった血気盛んな若者
たちを、毛は当初は利用し、後に体よく農村に追い払ったのだ。下放され
た約2000万人の中に劉氏、今や国家主席の習近平、首相の李克強、外相の
王毅の各氏らもいた。

毛の死で文革が終わり、知識青年は都市に戻り、大学への入学をようやく
許された。しかし戻るには下放された村の革命委員会主任である村長の許
可が要る。それには賄賂が必要だった。

劉氏も親戚中からおカネを掻き集めて200元もする高級時計を村長に贈っ
たというので、あの劉氏も賄賂を使ったのかと、私は意外の感に打たれ
た。ところが、許可をもらい、全ての荷物を馬車に積み込み、出発する段
になって、劉氏は村長の家に取って返し、斧を手に村長に迫った。

「あなたには3つの選択肢がある。1つ目はこの斧で私を殺す。2つ目は私
がこの斧であなたを殺す。3つ目は時計を返せ」(『世界で一番幸せ』)

感動した。この烈しさ、芯の強さ。劉氏のかもし出すおだやかな人物像と
はまた別の姿がある。長く産経新聞北京特派員として幾度も劉氏と語り
合ってきた矢板氏は語る。

「彼は非常に温厚な人間です。吉林省なまりが強くて喋りは巧くない。少
し発音が不自由なために言葉が出てこない。しかし、秘めた闘志を感じさ
せる落ち着いた人でした」

天安門事件後、厳しく弾圧され始めた一群の民主化リーダーの中で劉氏が
突出して人々の支持を得ている理由は、単に彼がノーベル平和賞を受けた
からではない。彼は決して中国から逃げ出さず、現場で闘ったからだ。

劉氏にも海外に逃避する機会は幾度もあった。中国当局はむしろ、劉氏を
海外に追い払いたいと考えた時期もあった。だが、劉氏は拒否し続けた。
矢板氏はあるときなぜ逃げないのか、尋ねたそうだ。

「子供たちが殺されたのに、ヒゲの生えたやつが生き残っているのは理不
尽だ」と、劉氏は答えたという。

天安門事件で拘束される前、彼は北京師範大学の人気者の教授だった。彼
の講義を聞くために他大学からも学生が集まった。学生たちに向かって彼
は中国の民主化を説き、感化された学生らは天安門でのデモに参加し、多
くが殺害された。そのことに責任を感じていたのだ。

長い獄中生活で癌を患う中、劉氏はそれまで拒絶していた海外行きを当局
に訴えるようになる。それはずっと自宅で軟禁されている妻の劉霞さんを
自由にするためだった。

暁波氏の死から約1年、今年の7月、劉霞さんは突如、出国を許されドイツ
に渡った。両親は亡くなっているが、弟の劉暉氏は北京にとどめられ逮捕
された。劉霞さんの出国で、人質にされたのはほぼ間違いない。

矢板氏は言う。

「いま、中国は米国との貿易戦争の真っ只中です。以前から人権問題に強
い関心を示していたドイツに譲歩し、関係を深めることで、対米関係を有
利に進めたいという思惑でしょう。加えて習主席の力が少し弱まり、李首
相の立場が少し強まっています。つまり、中国共産党の内部の権力争いが
劉霞さんへの出国許可の背景にあるのです」

習氏が勢力を盛り返せば、人権は軽視される。李氏が力を手にすれば、中
国の人権状況も少しは改善される。この意味からも中国共産党内の権力闘
争から目が離せない。

『週刊ダイヤモンド』 2018年9月8日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1246