2018年10月06日

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十


今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

毛馬一三氏が先日レポートしたとおりで、初動がこの病気治療の決め手で
ある。他山の石とされたい。




2018年10月05日

◆ファンビンビンに4000万ドルの罰金

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月4日(木曜日)通巻第5846号  

 ファンビンビン(氾氷氷)に4000万ドルの罰金
  刑事訴追は免れると税務当局が発表

3ヶ月以上にわたって姿を消していた中国一の女優ファンビンビンの脱税
に対し、中国の税務当局は4000万ドル(45億2000万円)の罰金を課すと
した。また刑事訴追には到らないとする捜査結果も発表した。

不正書類や偽造書類、二重申告など中国の芸能界においては常識となって
いる脱税だが、刑務所入りは避けられたとして胸をなで下ろしたファンも
多い。一番いやなケースは、刑期終了後、すっぴんで記者会見に臨まされ
ることで、過去にも大物女優が、この社会的制裁の屈辱を味わった。

しかし被害は中国国内だけではない。

世界的なブランドの広告塔としても彼女は活躍した。

CM、動画などのコマーシャル契約で、この中国の大スターは、「モンブ
ラン」「デビアス」「ギャレン」「ルイビュトン」など世界の一流ブラン
ドのCMに出演していたため、広告主としてはCMの自粛、中断、契約違
反による訴訟もさりながら、大きなイメージの損壊と受け取っている。
 
中国共産党の独裁支配とデジタル全体主義が、いまや巧妙な財務申告の嘘
を見分けるAIを搭載して、すべての国民の税務申告を審査するばかり
か、アリババ、テンセントなどから収集したビッグデータを元に、克明な
監視を行っていたことになる。

ビッグデータの提出を求められているアリババは、共産党管理というリス
クに直面し、嫌気がさしてアリババの馬雲はCEO辞任を発表している
が、あらためてデジタル監視社会の恐怖の一端が露呈した、その象徴的な
事件をして記憶されるべきであろう。

◆拉致解決、安倍対北外交で団結せよ

櫻井よしこ



インターネットで配信する「言論テレビ」を始めて6年になった。毎週金
曜日の夜9時から、原則として1時間の番組を2本ずつ放送している。9月21
日は6周年記念の2時間特別番組で拉致問題を取り上げた。

横田めぐみさんが13歳で拉致されて今年で41年、お母さんの早紀江さんが
語った。

「1977年11月15日、朝、普段どおりしっかり食事して、牛乳も飲んで、本
当に元気に出かけました。いつものお友達が迎えにきて『きたきた! 
行ってきます!』と飛んでいったのが最後です」

11月の新潟は日暮れも早い。暗くなっても帰らないめぐみさん。ありとあ
らゆる場所を探した。懐中電灯をかざしてまっ暗な海辺も歩いた。恐怖で
足がふるえる中を、めぐみちゃんめぐみちゃんと叫び続けた。突然、煙の
ように消えてしまった一人娘。母は、誰もいなくなった昼間、畳を掻きむ
しって泣いた。海に身を投げて死んでしまいたいと思った。

そうして19年が過ぎた1996年、元共産党議員秘書の兵本達吉氏から、北朝
鮮にいると伝えられた。

「生きている! 1、2年で帰ってくる!と、なぜか思いました。でも朝日
放送の石高健次さんが、相手は難しい国だから、少なくとも数年はかかる
と言いました」

数年どころか、それから22年が過ぎた。めぐみさんの拉致からは実に41年
が過ぎ、彼女はもうすぐ54歳になる。御両親も同じだけ年を重ね、父の滋
さんは85歳になった。

「一時期、体調を崩しましたが、主人はいま頑張っています。私も新潟に
いたときのように泣き虫ではいられません。毎日、戦いと祈りの中で今日
までやってきました。国民をさらわれて41年間も取り返せない。日本がこ
んな国ではいけないのです」

拉致というテロ

早紀江さんは、国民を救えない日本国に対して、なぜ、救えないのかと問
う。国民の心をひとつにして、安倍晋三首相の下に力を結集して救出して
ほしいと切望する。朝鮮問題の専門家、西岡力氏が指摘した。

拉致問題を巡っていま膠着状態に陥っているかに見えるが、それはすべて
織り込み済みだ、と。安倍首相もトランプ大統領も、北朝鮮に対してこち
ら側の要求を全然降ろしていないから交渉が動かないだけで、動揺しては
ならないと強調する。

「これまでの日本のやり方では、北朝鮮との話し合いが進まないと、その
こと自体が問題だとして、日本側が要求を降ろしてきたのです。交渉の厳
しさに耐えられず、まず日本が譲歩する。すると北朝鮮が少し反応する。
それが何らかの進展であるかのように考える。しかし、それは全く何の解
決にもつながってこなかった。大事なことは、こちら側の要求は一切、降
ろさないことです」

めぐみさんの弟の拓也さんが語る。

「家族会として度々訪米し、拉致について訴えてきました。アーミテージ
元国務副長官にお会いしたとき、どんな解決を望むのか、北朝鮮に決めさ
せるのではなく、日本のあなた方が決めることだと言われました」

国民の命を守ることが政府の責任だという原則を米国は守り続ける。拉致
問題の解決、被害者をどのような形で取り戻すかは、日本人が決めて、そ
れを拉致というテロを犯した北朝鮮に要求すべきだとの指摘は真っ当だ。
拓也氏は、米政府中枢における拉致問題についての理解が急速に広がり、
深まっていると感じている。

「何度も訪米して活動してきた中で一番辛かったのは、拉致問題を毎回最
初から説明しなければならず、そうしてさえ何分の一もわかってもらえな
い時期が続いたことでした。けれど昨年9月には、殆んどの方が本質的課
題を理解していました。国家安全保障会議のアジア上級部長、ポッティン
ジャー氏は、私が話し始めるより先にこう言ってくれました。めぐみさん
をはじめ北朝鮮が死亡と宣言した8人は生きているんでしょ、横田さん御
夫妻の娘に会いたいという気持ちはトランプ大統領が娘さんや奥さんを愛
しているのと同じです、あなた方の辛い気持ちを必ず大統領に伝える、と
約束してくれたのです」

その後、9月19日、トランプ大統領は国連総会での演説で、めぐみさんの
事件に言及した。

「同盟国とはいえ、他国の一人の民間人のことを発信して下さった。世界
中が改めて認識し、北朝鮮には大きな圧力となりました」と拓也氏。

トランプ政権が後押しする中、安倍首相は最終的には自身が金正恩氏に会
い、拉致問題を解決する決意だ。日本が求める解決策は「拉致被害者全員
の即時一括帰国」しかない。

日朝議連

この目標に向かって日本は団結しなければならない。にも拘らず、アメリ
カ政府高官らが拉致に関していま何をすべきかを本質的に理解しているの
に比べて、日本国内には非常におかしな動きがある。日朝国交正常化推進
議員連盟(日朝議連)がその典型だ。西岡氏の指摘は深刻だ。

「日朝議連が6月に会合を開き、講師に朝鮮総連の機関紙、『朝鮮新報』
平壌支局長の金志永氏と田中均元外務審議官を招きました」

金氏は拉致問題は解決済みだと、田中氏は連絡事務所を設けて合同調査を
すべきだと、発言したそうだ。

「石破茂氏もこの会に出席しています。朝鮮総連の幹部達は足繁く、日本
の政治家の所に通って彼らの考えを吹き込んでいます。石破氏の自民党総
裁選挙の公約にも、彼らの主張が入っています」と西岡氏。

 石破氏は東京と平壌に公的な連絡事務所の設置を公約に掲げた一方で、
こうも語っている。
「拉致問題の全面解決がなければ、何も進展しないというものからは脱
却しなければならない」

拓也氏が切り捨てた。

「このような宥和論はナンセンスであり、妨害工作でしかない」

北朝鮮は国民一人一人に番号を振って管理している恐怖社会だ。その国に
連絡事務所を設けて、北朝鮮と共に拉致問題を調査するなど、拓也氏の言
うとおりナンセンスだ。

拉致解決には、まだ大きな山場を少なくとも二つ踏み越えなければならな
い。まず、米朝間で北朝鮮の核ミサイルの廃棄を実現しなければならな
い。そのためには圧力をかけ続けることも必要だ。二つ目は日朝交渉であ
る。北朝鮮はまだ、日本の世論をだませると思っている。そんなふうに彼
らに思わせているのが、日朝議連をはじめとした動きである。日本人はも
う北朝鮮の嘘にはだまされない。日朝議連のような考え方を断固、排除
し、国民、政治家、政党が心をひとつにして、拉致被害者全員を一括して
取り戻す決意を固めるときだ。

『週刊新潮』 2018年10月4日  日本ルネッサンス 第821回

◆デュポンの始めは爆弾屋

渡部 亮次郎


1990年代はビジネスその他で盛んにアメリカを訪れた。ワシントンと
ニューヨークが多かったが、或る時、ニューヨークからワシントンへ列車
で向かう途中、フィラデルフェアで下車した。アメリカ人の友人一家を訪
ねるためである。

NYから山中の一軒家に越してきた友人の仕事は経済評論家だが、コン
ピューターを駆使すればNYになんか居なくても平気だというので、当時は
仰天したが、今となってみれば至極真っ当な話だった。窓の外を狐がヒョ
コヒョコ駆け下りていった。

翌朝、デュポンの邸だったところを案内すると言う。デュポンってライ
ターの会社かと聞いたらいや爆弾屋だという。まぁ後学の為だ、行ってみ
よう。

ニューヨークとワシントンDCのちょうど中間あたりにあるデラウエア州の
Brandywine Valleyと呼ばれる地域だった。広大な庭園に囲まれた邸宅・
ウィンタートゥア(Winterthur)があった。園内は日本の皇居ぐらいの広さ
だ。案内のバスが定期的に走っている。

ここは、デュポン(Du Pont)社の創業一族が3世代にわたって住んだ邸宅
で、その名称は一族に関係するスイスの地名からとられたという。

現在では、美術館として公開(有料)されており、建物自体ももちろんだ
が、その中に展示されている米国家具や陶磁器・銀器などの装飾美術品で
知られている。

邸宅本体には、何と175もの部屋があり、ガイド付きツアーで見て回る仕
組みになっている。ダイニング・ルームのテーブルの上、食器棚の中、暖
炉の上、展示用のガラスケースなどに、多くの陶磁器が展示されているの
を見ることができる。しかしこっちは興味ないからあまり中は見なかった。

ギフト・ショップもあった。ビジターセンター内にある店は書籍中心だっ
た。柱時計が売っていた。1時間ごとに鳥が啼く仕掛けで、庭園内にすみ
ついている鳥とか。少なくとも12種類はいると言うことだ。

邸宅、ギャラリー、庭園、(さらには図書館も)と回っていると、1日が
かりになってしまう。何かのついでに、というわけにはいかない」。
http://www2.gol.com/users/emakigu/MuseumWinterthur.htm

私が訪問したのはGW中で、あの時は躑躅がいたるところで満開だった。

説明によれば、デュポン家の別荘には競馬場が2つあるとか。そんな金持
ちなのに、当主については不名誉な事件が起きていたらしいが確認できな
いから書かない。いずれカネの下敷きになったと言うところだ。

一体、デュポンとは何者なのか。デュポン(Du Pont、NYSE:DD)は、世界
第2の化学会社である(世界最大はダウケミカル)。

米国法人である E. I. du Pont de Nemours and Company (イー・アイ・
デュポン・ドゥ・ヌムール・アンド・カンパニー)はデラウェア州ウィル
ミントン市にある。創業は1802年。

資本金は7,935,000,000ドル。創業者はフランス出身のエルテール・イレ
ネー・デュポン。メロン財閥、ロックフェラー財閥と並ぶアメリカの3大
財閥と称される。

フランス革命を避けて一家で移住したエルテールは、アントワーヌ・ラ
ヴォアジエに師事した後、黒色火薬工場としてデュポン社を設立。

徹底的な品質管理と安全対策、高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取
り、やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するように
なった。

南北戦争期や西部開拓時代に成長し、アメリカ最大の火薬メーカーとなる。

第1次世界大戦・第2次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マン
ハッタン計画(原爆開発)に参加し、テネシー州のオークリッジ国立研究所
でウラニウムやプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。

また草創期の自動車産業に着目し、1914年にはピエール・S・デュポンは
1908年に創業したゼネラルモーターズ(GM)に出資した。後に彼は社長に
就任し、彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一
の自動車会社へと成長した。

また、GM支援とは別に、1919年から1931年にかけては、自社での自動車製
作も行った。エンジンは主にコンチネンタル社製を使用した。

しかしシャーマン・アンチトラスト法によって1912年には火薬市場の独占
が、1950年代にはGM株の保有が問題視され、火薬事業の分割やGM株放出な
どを強いられている。

1912(大正元)反トラスト判決によって3社に分割。1915(大正 4)デュポ
ン・ド・ヌムール社、設立。

1920年代以降は化学分野に力を注ぎ、1928年には重合体(ポリマー)の研
究のためにウォーレス・カロザースを雇い、彼のもとで合成ゴムやナイロ
ンなどを発明した。

1931(昭和 6)ネオプレン(合成ゴム)、1935(昭和10)ナイロン、1944(昭和
19)テフロン(フッ素樹脂)などを開発。

さらにテフロンRなどの合成繊維、合成樹脂や農薬、塗料なども研究・開
発し取り扱うようになった。2世紀にわたる歴史の中で、M&Aを繰りかえす
典型的なアメリカのコングロマリット企業といえる。

デュポン社は化学製品の開発を通じてアポロ計画の成功にも寄与し、その
研究開発の熱心さや新素材開発への貢献は高く評価されている。

しかし過去には火薬やナイロン製品などを大量に軍へ納入しているほか、
化学兵器や核兵器開発に関与するなど、戦争ビジネスで財を築いた死の商
人としての側面もある。

また環境問題でもデュポン社の製品が問題になったことがある。例えばテ
フロン製造に伴い使用されるペルフルオロオクタン酸(C-8)の健康への
危険性(発がん性など)を隠して作業員などに健康被害を起こしたことで
合衆国の環境保護庁(EPA)に訴訟を起こされた。

また、ゼネラルモーターズとともにフロン類(クロロフルオロカーボン、
CFC)の発明・製造を行い、長年にわたって市場シェアの多くを占めてきた。

オゾン層破壊と温室効果が問題になった1980年代末になってデュポンは
CFCの製造販売からの段階的退出を表明したが、1990年代半ばまで製造を
続けていた。

その後はハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)、ハイドロフルオロ
カーボン(HFC)などの代替フロン開発を進めCFCからの置き換えのリー
ダーシップをとっているが、HCFCやHFCにも高い温室効果があることが問
題視されている。出典: フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』2007.04.18

◆紫式部と蕪村の「和紙」

毛馬 一三


書き出しは、大阪俳人与謝蕪村のことからだ。蕪村(幼名:寅)は、生誕地大阪毛馬村で幼少の頃、母親から手ほどきをうけて高価な「和紙」を使って「絵」を描いて、幼少時期を楽しんでいたことを、最近知った。

寅は、庄屋の子供だったから、高価な「和紙」を父から自在に貰って、絵描きに思いのままに使ったらしい。

その幼少の頃の絵心と嗜みが、苦難を乗り越えて江戸に下り、巴人と遭遇してから本格的な俳人となったのも、この幼少の頃「和紙」に挑んだ「絵心」とが結び付いたらしい。

さて、本題―。

高貴な「和紙」の事を知った時、ジャンルは違うが、紫式部が思い切り使って「和紙」を使って「世界最古の長編小説・源氏物語」を書いたことを思い出した。

そのキッカケは、福井県越前市の「和紙の里」を訪ねてからである。

越前市新在家町にある「越前和紙の里・紙の文化会館」と隣接する「卯立の工芸館」、「パピルス館」を回り、越前和紙の歴史を物語る種々の文献や和紙漉き道具の展示、越前和紙歴史を現す模型や実物パネルなどを見て廻った。

中でも「パピルス館」での紙漉きを行い、汗を掻きかき約20分掛けて自作の和紙を仕上げたのは、今でもその時の感動が飛び出してくる。

流し漉きといって、漉舟(水槽)に、水・紙料(原料)・ネリ(トロロアオイ)を入れてよくかき回したあと、漉簀ですくい上げ、両手で上下左右に巧みに動かしていくと、B5くらいの「和紙」が出来上がる。まさにマジックの世界だ。

ところでこの越前和紙だが、今から約1500年前、越前の岡太川の上流に美しい姫が現れ、村人に紙の漉き方を伝授したという謂れがある。

山間で田畑に乏しかった集落の村人にとり、紙漉きを伝授されたことで、村の営みは豊かになり、以後村人はこの姫を「川上御前」と崇め、岡太神社(大瀧神社)の祭神として祀っている。

<その後大化の改新で、徴税のため全国の戸籍簿が作られることとなり、戸籍や税を記入するために必要となったのが「和紙」である。そのために、越前では大量の紙が漉かれ出したという。

加えて仏教の伝来で写経用として和紙の需要は急増し、紙漉きは越前の地に根ざした産業として大きな発展を遂げてきている>。

さて長編小説「源氏物語」の作者紫式部は、執筆に取り掛かる6年前の24歳の時(996年)、「和紙」の里・越前武生に居住することになり、山ほどの「和紙」に囲まれて、存分に文筆活動に励んだ。

当時、都では「和紙」への大量の需要があったらしく、宮廷人も物書きも喉から手が出る程の「和紙」だったが、手には入らなかった。

ではどうして都にいた紫式部が、遥か離れた「和紙」の里越前の武生に移住してきたのか。それはご当地の国司となった父の藤原為時の“転勤”に関わりがある。文才だけでなく、商才に長けた為時の実像が浮かび上がる。

<為時は、中級の貴族で、国司の中で実際に任地へ赴く“転勤族”だったそうで、996年一旦淡路の国(下国)の国司に任命されるが、当時の権力者・藤原道長に賄賂の手を使って、転勤先を越前の国(上国)の国守に変更してもらっている。はっきり言えば為時は、淡路の国(下国)には赴任したくなかったのだ。何故なのか。

当時、中国や高麗からの貿易船が日本にやってくる場合、海が荒れた時や海流の関係で、同船団が「越前や若狭」の国を母港とすることが多く、このため海外の貴重な特産品が国司のもとに届けられ、実入りは最高のものだったという>。

藤原為時一族は、中級の貴族ながら文才をもって宮中に名をはせ、娘紫式部自身も為時の薫陶よろしく、幼少の頃から当時の女性より優れた才能で漢文を読みこなす程の才女だったといわれる。

これも商才に長けたばかりでなく、父親の愛情として、物書きの娘に書き損じに幾らでも対処できる「和紙」提供の環境を与えたものといわれる。

<この為時の思いは、式部が後に書き始める「源氏物語」の中に、武生での生き様が生かされている。恐らく有り余る「和紙」を使い、後の長編小説「源氏物語」の大筋の筋書きをここで書き綴っていたのではないだろうか。平安時代の歌集で、紫式部の和歌128 首を集めた「紫式部集」の中に、武生の地で詠んだ「雪の歌」が4 首ある。

越前武生の地での経験が、紫式部に将来の行き方に影響を与えたことはまちがいない。と同時に式部は、国司の父親のお陰で結婚資金をたっぷり貯め込むことも成し遂げて、約2年の滞在の後、京都に戻り、27歳になった998年に藤原宣孝と結婚している>。

越前武生の生活は、紫式部にとり「和紙」との出会いを果たして、後の世界最古の長編小説への道を拓くことに繋げた事は、紛れもない事実であろう。

<紫式部の書いた「源氏物語」の原本は現存していない。作者の手元にあった草稿本が、藤原道長の手によって勝手に持ち出され外部に流出するなど、「源氏物語」の本文は当初から非常に複雑な伝幡経路を辿っていたという。

確実に平安時代に作成されたと判断できる写本は、現在のところ一つも見つかっておらず、この時期の写本を元に作成されたと見られる写本も、非常に数が限られているという>。
 
この歴史の事実と筆者の推論を抱きながら、「紫式部公園」に回り、千年前の姿をした高い式部像に対面してきた。

北京五輪の開会式の時、中国の古代4大発明の一つとして「紙」を絵画の絵巻をCGで描き、国威を高らかに示した。

この紙が7〜800年後に日本に渡り、「和紙」となった。その後、「世界最古の長編小説を書いた女性が日本にいた」ということは、中国は勿論諸外国は知らない。

参考:ウィキペディア、: 青表紙証本「夕顔」 宮内庁書陵部蔵 
(加筆再掲) 

2018年10月04日

◆プーチン大統領

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月3日(水曜日)通巻第5844号 

 プーチン大統領、4日、インドを電撃訪問へ
  S400を50億ドルで売却、ワシントンは驚愕

プーチン大統領がインドを訪問する。10月4日、ニューデリー入りする。
 目的はS400防空ミサイルシステムの売却交渉が、まとまっており、総
額50億ドル。署名式が行われる。

これはワシントンにとって驚きとなった。

インドは共同軍事訓練などを通じて、米国との准・軍事同盟扱いをうけて
おり、武器システムの西側への変更も政治日程に入っていた。

インドは、2年前にハイドラバードにおいて、國際武器展示会を開催し、
西側の軍事産業四百社が軒並み参加した。軍需産業の合弁比率も25%か
ら49%に高められ、期待が寄せられていた。

米国はインドのS400購入に激しく反撥しており、「CAATSA(対
敵対者制裁措置法=Counter America 
adversaries through Sanction ACT)
の適用を検討するだろう」(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、10月
3日)。

西側の片思い的な期待をそでにしてインドはロシア製の防空システムに最
終的に落ち着いた。冷戦時代にインドはロシアと特殊な軍事同盟関係に
あって、いまも武器の95%はロシア製であり、モスクワとインド各地を結
ぶ直行便がある。

さてS400(NATOの暗号名はSA1)は通称「イスカンダル・ミサイ
ル」。

射程400キロ、同時多目的(6つの標的を同時攻撃)の地対空ミサイル
で、パトリオットの2倍の性能を誇る。

ロシアでは首都モスクワ防空ばかりか、極東ウラジオストクや飛び地のカ
リニングラードに実戦配備されている。

また輸出先にはすでに中国が導入している。トルコも反米路線以後、エル
ドアンが導入に前向きで、配備は決定したという情報がある。ほかイラ
ン、サウジ、UAEに配備されているとの説がある。
     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆書評 しょひょう 
BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜  

中国の軍事力が米国をしのぎ、中国のGDPが米国の3倍となる日の恐怖
  「一帯一路」とは「多帯多路」だ(マティス米国防長官)

  ♪
湯浅 博『中国が支配する世界』(飛鳥新社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@

副題にあるのは「パクス・シニカへの未来年表」。つまり中国がいずれ
GDPで米国に追いつき、やがて中国の軍事力が米国をしのぎ、ついには
中国のGDPが米国の三倍となって、世界のヘゲモニーをにぎるというフ
ランケンシュタインが支配する暗い世界への道程、それに対して日米欧は
インド、カナダ、豪などともに、いかにしてこのシナという、野望を燃や
す全体主義国家と対峙するのか。本書はその命題に挑み、事態の推移を、
精密に、克明に描写しつつ、読者に判断を迫る。

「米中逆転」の嚆矢となる未来年表を、湯浅氏は東京五輪の2020年に
位置づけ、これまでの中国発展の近現代史を早見表のように要領よくまと
めている。

またミアシャイマー、ピルスベリー等米国の『国際政治学』の論客の言い
分を手際よくまとめているので、教科書のごとき趣きもある。

湯浅氏は中国の基本姿勢をつぎのように言う。

「(ソ連が崩壊し、マルクス主義イデオロギーが消えたため)底辺から湧
き上がる社会不満に直面した(中国の)赤い支配者は、ソ連崩壊で朽ちゆ
くイデオロギーの代わりにナショナリズムに訴えかけた。愛国主義を煽
り、国家の的(日本のこと)をスケープゴーツに緊張を高め、13億8000万
人を一体化させることに成功した。次に描くのは、未来にむけた『中華民
族の夢』へと誘うことであろう。人々を豊かにするだけでは、やがて共産
党の国内統治が難しくなるとの保身からでた智恵である」

だが、中国の目標は達成されるのか、どうか。

中国の軍事力が米国をしのぎ、中国のGDPが米国の3倍となるなどと
は、日米欧にとっては悪夢に他ならず、「一帯一路」とは「多帯多路」だ
とするマティス米国防長官の底意には、中国のヘゲモニー戦略の軍事的一
環として一帯一路を位置づけ、対応をとる構えである。
湯浅氏はこうも言われる。

「中国大陸を共産党が支配する限り、経済的な重商主義と地政学的な修正
主義という野心を撤回するとは思えない。人間の自然の営みに反する共産
党支配の独裁体制を、権力者と特権階層が無理に維持しようとするからで
ある」(25p)。

中国にとって米国は騙しやすく、赤子の手をひねるように扱いやすかっ
た。(そのうえ、金に汚かった)オバマ政権を「全否定」するトランプ政
権が、いよいよ本格的にシナ征伐に立ち上がったため、まもなく日本の外
交政策が全面的な修正を迫られることになるだろう。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1798回】              
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(23)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

■「(21)半醒半睡」

「支那彼自身の立場に理解なし」。だから「亞細亞人てふ、一大自覺」も
ないし、「日支の關係は、自餘諸國との關係以外に、緊密痛切なるもので
あるを、覺悟し」ていない。「要するに支那の對外政策は、從來の因襲に
囚はれたる」ままであり、「遠交近攻の策とか、以夷制夷の術」といった
古くからある他力本願の類であり、「坐ながら其利を占めんとするにする
過ぎない」。そこで、結果として「支那は全く列強の外に孤立し、却て列
強合同の壓力の下に、立たざる可からざるの窮地に陥りたり」。

 たとえば李鴻章は日清戦争に際し「露の力を藉りて、日本を制せんとし
た」が、却ってロシアに弄ばれただけではなく、ドイツ、フランス、イギ
リスにまで足元を見られ、「自から一の得物なくして、總ての損失を」
被ってしまった。「託米排日の政策」を執った袁世凱だったが、対日関係
で窮地に陥った時、アメリカは取るものを取ったうえで彼を救うことはな
かった。

つまり「李袁二氏の對外政策の失敗」に象徴的にみられるように、彼らは
国際政治の上で自らが置かれている立場を理解していないし、ましてや
「亞細亞人てふ、一大自覺」があろうはずもない。

■「(22)日支の經濟關係」

「對日本の關係は、支那側より見て、甚だ重大と云はざるを得」ないが、
ことに日本経済の立場からも双方の関係は重要だ。それというのも「日本
の工業、製造品が、支那の市場を重なる得意」としているからだ。「支那
が日本に向つて、其の市場を鎖した」なら、日本経済は危機的状況に陥
る。つまり「經濟上に於ては、支那は日本の死命を制し居るものと、見て
可也」。

じつは「自給自活は、現代の經濟主義」ではあるが、「日本は不幸にし
て、此の自給自活の原則を自國丈にては、嚴密に實行するを得」ない。こ
れを言い換えるなら、「日本の自給自活中には、支那の供給を算入せざる
を得ず」。だから「日支の經濟的關係が、他國との關係以上に、特種の意
義ある所以也」ということになる。

■「(23)日本の自給自活」

日本は「世界的帝國を有す」る英国とも、「國其物が一世界」である米国
とも違い、「經濟的自給自活に到りては、唯だ支那に依るの他ある可ら
ず」。英米諸国のように「支那との關係は、尋常の賣買損得の關係に止」
まるわけにはいかない。

じつは「日支の關係は、國運消長の關係也。日本の立場より露骨に云
はヾ、國家の死活關係也」。

 かりに「支那が日本との經濟同盟に不同意」なら、日本は窮地に陥る。
「是れ則ち支那の日本に對する強味」というものだ。だが、だからといっ
て日本が「指を啣へて、引き下がる」わけがない。「現代の日本を敵に廻
して、支那が獨り自ら立たん抔とは、以ての外の了見違と云はざるを得」
ない。

■「(24)日本人を利用せよ」

 現在、「支那が貧國なりと云ふは、唯政府の貧なるを意味」するだけ
で、決して「邦土の貧を意味」するわけではない。
「天賦の資源」をみるならば、「北米合衆國に若くはない」。豊沃で広大
な土地の下に無尽蔵に近い天然資源を眠らせている「支那の憂は、富源な
きにあらずして、之を開發せざるにあり」。「これを開發するは、支那を
利し、且つ日本を利す」。「両者の經濟同盟は、寧ろ自然の勢に順應する
もの」だ。
だから彼らは日本を「敵として待遇せず、味方として待遇」すべきであ
り、これこそ「日本人を利用する最善の策だ」。

◆八百万の神という神道の宗教観

櫻井よしこ


「八百万の神という神道の宗教観は多様性重視に向かう国際社会の手本に」

友人の伊藤穰一氏が慶應義塾大学から博士号を授与され、お祝いの会が
あった。氏の研究テーマを説明することは私の能力に余るが、お祝いの席
での会話は刺激的で、私の頭の錆を少しずつ剥がしてくれた。

伊藤氏を友人達は皆、親しみをこめて「ジョイ」(Joi)と呼ぶ。彼は
マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボにおける初めての日本
人所長だ。MITは88人ものノーベル賞受賞者を輩出してきた世界屈指の
大学である。2011年の所長就任以来、伊藤氏は「境界線から、ハミ出れば
ハミ出るほど良い」という考えで、概念を打ち破る多数の研究プロジェク
トを進めてきた。

氏は近著、『教養としてのテクノロジー』(NHK出版新書)でこう指摘
している。インターネットの普及からすでに20年、情報革命の時代は終わ
り、テクノロジーが経済や社会を根底から変えようとしている。だからこ
そ、テクノロジーの発達を哲学として理解することが大事だと。

たとえば人工知能(AI)である。AIの技術はあらゆるサービスのイン
フラとして、実用化の域に達しつつある。グーグルの動画サービス「ユー
チューブ」では、日々10億本の動画が字幕付きで発信され、精度は完全で
ないにしても、英語のニュースがワンクリックで日本語に翻訳される。産
業革命で多くの仕事が機械化されたように翻訳も他分野の仕事もAIが人
間に代わって担うことになる。

その中では、働くことの目的は自ずと変化せざるを得ない。生活費のため
ではなく、意味のあることのために人間は働き始めると、伊藤氏はいう。

では生活費はどのようにして手にするのか。ひとつの方法として米サンフ
ランシスコ市やフィンランドですでに実験が始まっている「ユニバーサ
ル・ベーシック・インカム」(UBI)の仕組みが考えられる。生活保護
を含む現行のセーフティネットに代わる制度として、政府が国民全員に一
定額の生活費を支給する。一本化することで支給にかかる費用を抑制し、
貧困対策にも効果を発揮すると期待されている。

UBIで生活できるのであれば、働かない人間も出てくるだろう。だが、
多くの人は自分の人生の意味を考え、生き方の価値を高めるためにどう働
けばよいのかを考え始めると、予測されている。

ビットコインで広く認知された仮想通貨についての氏の指摘も興味深い。
氏は1995年に現在の仮想通貨に通ずるディジタル・キャッシュの概念を打
ち出している。「新しいサイバーな国には新しい通貨が必要だ」という認
識で進めたディジタル・キャッシュは、しかし、バブル崩壊で一旦潰え
た。いま再び仮想通貨が注目を浴びているが、ルールもガバナンスも未整
備だ。最終的に損をする被害者が出るような仕組みの上に成り立っている
状況が解決されれば、仮想通貨が従来の通貨の意味を根本的に変える時が
くるとの示唆は、私にとって衝撃的だ。

テクノロジーの発達が仕事の意味を変え、言葉の壁を取り払い、通貨の在
り方も変えていく。人類社会のインフラの劇的変化の最先端でハミ出るこ
とを是とする伊藤氏が最後に言及しているのが、人間と自然の関係性を西
洋とは全く異なる考え方でとらえる神道である。一神教のキリスト教とは
異なり、八百万の神がいらっしゃる日本、山川草木すべてに神が宿ると考
える宗教観は、国家、財力、権力などの大きな力による一元管理から離
れ、多様性重視に向かおうとする国際社会にとって、ひとつのお手本にな
ると、氏は説く。

人類の在り方を着実に変えつつあるテクノロジーの最先端を走る伊藤氏の
中に、目指すべき地平として、自然との調和の中で育まれてきた神道の概
念の色濃いことに、日本の行くべき一筋の道を見ることができるのではな
いか。
『週刊ダイヤモンド』 2018年9月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1249

◆奈良木津川だより 7世紀の木津川流域

白井 繁夫


7世紀になると朝鮮半島の3国(百済.新羅.高句麗)は再び戦乱の時代となりました。
隋が(612年)110万余の兵力で高句麗遠征を始め614年まで続きました。

その後、隋から唐(618)になり、太宗.高宗の時代、再び高句麗出兵(644年から3度)が実行されました。唐と同盟を結んだ新羅は、百済も攻めて、660年に百済を滅ぼし、更に、唐.新羅連合軍は668年に懸案の高句麗をも滅亡させたのです。

隋.唐の侵略戦争から逃れて、我国に渡来した人達が「木津川流域」にも住むようになりました。倭国は、百済と伝統的に親密な関係があったので、660年までに救援軍を出兵すべきだったのでしょう。その間の大和朝廷の状況をいま少し振り返って見ようと思います。

6世紀末頃の蘇我氏は皇族との婚姻を通じて勢力を拡大し、蘇我馬子は587年政敵であり対立する非仏派の大豪族物部守屋を倒して絶大な権勢を得ました。

593年には日本史上、初の女帝:推古天皇を擁立し、政治の補佐役に甥の厩戸皇子(聖徳太子)を起用して皇太子にしました。

聖徳太子は蘇我馬子と協調して、仏教を重視し、天皇を中心とする中央集権国家を目指し、
冠位十二階や十七条憲法を制定しました。

『日本書紀』によると、崇峻天皇元年(588)、百済から倭国へ仏舎利や僧6名とともに技術者「寺工(てらたくみ)2名、鑢盤(ろばん:仏塔の相輪の部分)博士1名、瓦博士4名、画工1名」派遣されました。

法興寺(飛鳥寺)は、馬子が開基(596年)した蘇我氏の氏寺です。本尊の釈迦如来坐像(飛鳥大仏)は、6世紀作の重要文化財です。588年に百済からきた技術者「寺工や瓦博士など」によって造営された日本最古の本格的な仏教寺院であったと云われています。

都が飛鳥から平城京への遷都(710)に伴い、法興寺(飛鳥寺)は元興寺(がんごうじ)として718年に奈良市へ移りました。(現在の元興寺極楽坊本堂と禅室の屋根の一部に現在も1400年前の創建当時の「古瓦」が混じっていると云われています。)

推古34年(626)蘇我馬子が没し、蘇我蝦夷(えみし)が本宗家を継いでから17年後、皇極2年(643)11月、蘇我入鹿(いるか)が、斑鳩(いかるが)の上宮王家を襲撃して一族を悉く滅亡させたのです。蘇我本家の専横著しい行為に対して大反発が起りました。(上宮王家:聖徳太子の遺子、有力な皇位継承資格者:山背大兄王の一族)

2年後の皇極4年6月12日、中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)等により、入鹿は飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)において謀殺されました。(乙巳「イッシ」の変)、翌日(6月13日)父の蘇我蝦夷も自害し、4代続いた蘇我氏本宗家が滅し、6月14日、皇極天皇は軽皇子(孝徳天皇)に譲位しました。

孝徳2年(646)正月に改新の詔を発して、政治改革に乗り出し、宮(首都)を飛鳥から難波宮(大阪市中央区)へ移し、飛鳥の豪族中心政治を天皇中心の中央集権国家に変え、
孝徳天皇は皇太子を中大兄皇子(天智天皇)とする体制を採りました。大化の改新です。
改新の詔の内容:公地公民制、令制国、税(租.庸.調)などの内容説明は省略します。

その後、孝徳天皇と皇太子(中大兄皇子)との政策の相違があり、皇太子が難波長柄豊碕宮から飛鳥へ遷るとき、皇祖母尊(皇極天皇)と皇后、皇弟(大海人皇子)や、臣下の大半を連れて大和に赴きました。(翌年:654年孝徳天皇は病により崩御されました。)

36代孝徳天皇が次代天皇を定めず逝去したため、35代皇極天皇が重祚(ちょうそ:1度退位した君子が再び位に就くこと:再祚)して、37代斉明天皇(655年)となり、皇太子は中大兄皇子(天智天皇)に決まったのです。

斉明天皇時代に百済から救援の要請もありましたが、北方征伐が優先され、658年〜660年に蝦夷と粛慎(しゅくしん:狩猟民族)を討伐したのです。

その後、660年に百済敗北後の百済遺民の百済復興運動の要請に応じて、斉明天皇は百済救援軍の派遣を決定しました。

661年5月、第1派1万余の兵員九州筑紫に集結しますが、斉明天皇急死して仕舞ったのです。

そこで、朴市秦造田来津(いちはたのみやつこたくつ)を司令官に任命し、3派にわけて663年までに約4万2千人、倭船約8百隻派遣して、百済遺民約5千人との連合軍が朝鮮半島の白村江(はくすきえ:はくそんこう:現在の錦江河口付近)で唐.新羅連合軍(唐約13万人、新羅約5万人、唐船約170隻)と663年(天智2年)8月戦いました。白村江の戦いです。

倭国兵約1万人戦死、船約4百隻火災破損の大敗を喫した。倭国水軍は残った船に倭国兵や百済遺民兵の倭国希望者も乗船して、新羅連合軍に追われながらやっとの思いで帰国しました。

その後、668年には首都の平壌城が唐軍により攻略され高句麗は滅亡しました。唐にとっては北の勢力である突厥に続き高句麗にも勝利し、北方の脅威を排除でき、675年に唐が撤収して、新羅により朝鮮半島が統一されました。

天智天皇は「白村江の戦い」に敗れた結果、朝鮮半島の権益を失い、大陸の強大な唐.新羅連合軍の報復と侵攻に防備した国家体制の整備と国内に防衛網を早急に築くことに傾注しました。

北九州の太宰府に水城(みずき)砦、瀬戸内や西日本各地(長門城、屋島城など)に古代山城の防衛砦を築き、九州の沿岸には防人(さきもり)を配備したのです。

667年には都を内陸の近江大津(近江京)へ移し、668年即位して「近江朝廷之令」(近江令:おうみりょう)を発しました。律令制導入の先駆的法令です。

天智天皇10年(671)に新しく大友皇子を太政大臣として、蘇我赤兄.中巨金を左右大臣、蘇我果安.巨勢人.紀大人を御史大夫とする官職が制定されました。しかし、大海人皇子(後の天武天皇)は圧迫感を感じて、11月に吉野に退隠することにしたのです。

木津川流域を挟んで難波(淀川)、飛鳥.大和(木津川)、近江(宇治川)が話題となる
「壬申の乱」は日本の古代史最大の内乱(戦争)で、地方の豪族を味方につけた反乱者(皇弟)が勝利する歴史となります。
        
(郷土愛好家)

2018年10月03日

◆改憲へ大きくシフトー第4次改造内閣

杉浦 正章


時期を見て中央突破の可能性も

与野党対決ムード強まる

第4次安倍改造内閣で明らかに改憲シフトは達成され、来年の参院選への
体制作りも完了した。首相・安倍晋三としては自民党の改憲案を直近の臨
時国会に提出して、自民党結党以来の宿願達成に動き出す。

佐藤内閣の安保改正に匹敵する政治課題を安倍政権は抱えることになり、
戦後まれに見る与野党対決ムードは一段と高まりをみせるだろう。しか
し、安倍は明らかに中央突破路線を推し進める方向であり、改憲は曲折を
たどりながらも実現へと動くだろう。

まず最初の突破口が党役員・閣僚人事で開かれた。一番顕著なのは総務会
長に竹下派ながら安倍に近い加藤勝信を据え、党内の改憲シフトを印象づ
けた。

一方内閣には法相に石破派の山下貴司を当選3回生にもかかわらず抜擢し
た。改憲を進めるに当たり答弁能力や知識を買ったが、「一本釣り」の印
象は否めまい。党内野党色を強める石破への牽制球という側面もある。

加えて憲法改正の「旗振り役」となる自民党憲法改正推進本部長に元文部
科学相下村博文を起用した。これら改憲シフトは安倍の本気度を示すもの
であり、ルビコン川を渡ってローマへ進軍するシーザーではないが「サイ
は投げられた」のである。

いち早く3選支持を表明して流れを作った幹事長・二階俊博は留任。安倍
政権へのあからさまな批判を繰り返した筆頭副幹事長小泉進次郎は交代の
可能性が強いようだ。その反面政調会長・岸田文男を続投させたのは、ポ
スト安倍の候補として認定した側面がある。女性登用は片山さつき1人に
とどまったが、原因は女性の人材難だろう。

憲法改正のために必要な手続きは、衆議院で100人以上、あるいは参議院
で50人以上の賛成により、改正原案を発議できる。衆議院で発議された場
合には、本会議で総議員数の三分の二以上の賛成を得ると参議院に送られる。

参院本会議で総議員数の三分の二以上の賛成を獲得できた時点で、国会と
して憲法改正案を発議したことになる。その後に、国民投票による承認が
求められる。

国民投票で過半数の賛成が得られると憲法改正が実現する。

 安倍は「自民党としての憲法改正案を次の国会に提出できるよう、 とり
まとめを加速する。憲法改正には、衆参両院で3分の2を得て発議し、国
民投票で過半数の賛成を得るという極めて高いハードルを乗り越える必要
がある。」 と強調した。

また安倍は改憲への取り組みを「全員野球内閣でやる」と延べるととも
に、「幅広い合意を目指す」として、改憲勢力を糾合して実現を目指す考
えを明らかにした。

自民党が目指す改憲案は@9条を維持した上で自衛隊の根拠規定を加えるA
大規模災害条項を加えるB教育の無償化をうたうC参院選合区の解消ーなど
だ。与野党は9条改定で激しく対立する可能性があるが、その他の条項で
は必ずしも反対ではない内容もあり、対応はまちまちだ。

自民党内も石破茂が慎重論だ。「国民の理解なき9条改正をスケジュール
ありきでやるべきではない」と強調している。9条への「自衛隊明記」案
を前面に改憲を急ぐ首相に対し、石破は「あわててやる必要はない」と対
立を鮮明にしている。

若手の入閣で派を切り崩されたという不満が残った。与党内も現行の改正
案では公明党が難色を示しており、なお調整が必要なようだ。事を性急に
進めず、国民に対する説明を丁寧に行いつつ、進める必要があろう。

 一方野党も内閣改造について、共産党書記局長小池晃が「閉店セール内
閣」と批判、日本維新の会の片山虎之助共同代表も「自民党総裁選の論功
行賞や滞貨一掃の感じが拭えない」とこき下ろした。

これらの批判は、言葉が躍るばかりで説得力に欠ける批判だ。「閉店」ま
でにはまだ3年もあるうえに「滞貨」の人材はまだ山ほど居て、「一掃」
にはほど遠い。

もっとも安倍が性急に事を運べば、国論を二分させ、息も絶え絶えの立憲
民主党や国民民主党が国政選挙で揺り戻す可能性も否定出来ない。加えて
長期政権の与党はとかく弛みや驕りが目立つ側面があるが、引き締めを図
る必要があろう。


◆マハティール・ショック 以後

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月2日(火曜日)通巻第5843号 

 「マハティール・ショック」以後の「反中ドミノ」というTSUNAMI
   パキスタン新政権、20億ドルの削減を模索


「マハティール・ショック」以後、南アジアでは「反中ドミノ」という政
治的な津波に襲われた。親中派で、シルクロード構想にのめり込んだ政権
がいずれも選挙で敗北し、中国の戦略を俄な暗雲が覆い始めた。

マハティールは「われわれは中国の経済植民地ではない」と主唱し、登仙
するや、新幹線プロジェクトの中断とボルネオからのパイプライン工事の
中止、くわえてジョホールバル沖合の「フォレストシティ」に関して、中
国の投資移民にはヴィザを発給しないとした。
中国は青ざめる。


続けての衝撃がパキスタンとモルディブで親中派政権が潰えたことだっ
た。いかに中国がアジアで嫌われはじめたかの証明ともなった。

モルディブでは、親中派ヤミーン大統領が9月23日に選挙で、インドが支
援した野党のソリに敗れた。ところが、大統領就任式は11月17日であり、
それまでにヤミーン政権は何をしでかすか分からず、関係国も注視している。

モルディブにもっとも政治的な影響力を持つのはインドだが、文化的に、
あるいは距離的に近いのはスリランカである。

モルディブはスリランカが中国の「借金の罠」に陥落し、重要な港(南の
ハンバントラ)を99年も租借される羽目に陥ったことを我事のように目撃
してきた。中国への負債15億ドルを、いかにして返済するか。

といってもモルディブのGDPは30億ドル前後しかなく、返済は不能であ
り、問題は岩礁をいくつか貸与すると仮定して、どこに人工島を造成され
るか。それらが軍港に化けるのは時間の問題でもあり、ヤミーンがまだ政
権に居座る間に、そうした契約を北京と結んでしまうのではないか、政局
は流動化している。

すでにモルディブは中国との間にFTAを締結したが、まだ発効には到っ
ていない。

さてパキスタンでも新しい動きが出た。

「中国の借金を減らそう」と訴えて当選したイムラン・カーン首相は、北
京に挨拶におもむかず、急遽、サウジアラビアを訪問した。

財務大臣は「CPEC(中国パキスタン経済回廊)」の総予算600億ドル
から、当面は20億ドルの減額を検討している。さらに20億ドルの削減をし
たい」と発表した(『ザ・タイムズ・オブ・インディア』、10月2日)。

削減の対象はカラチ ー ペシャワール間の鉄道(1892キロ)で、「経
済、流通の大動脈となることは了解している。が、工事は遅々として進ん
でおらず、区間の削減を含めた措置をとりたい。近未来にはさらに20億ド
ルを減額し、合計600億ドルのシルクロード関連プロジェクトを560億ドル
に減額・修正し、財政健全化の第一歩としたい」と述べた。
言葉は遠慮がちだが、固い決心から具体的数字を出していることがわかる。

かくして「中国経済は勢いを失った」と『ウォールストリート・ジャーナ
ル』(10月2日)が大書した。

     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1797回】                
 ――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(22)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

              △

「實利的の本能を有」しながら、その一方で「?榮心滿々として、理窟に
拘泥する支那人」を相手にするには、どうすればいいのか。「此の如き人
種に向て、唐突、無遠慮に、我が註文も強制」したら、「彼等をして懊
惱、憤?、屈辱、不愉快を覺えしむる」ことになる。じつは彼らは「實利
主義者なれども、恩讎の念に於て、淡泊ならず」。「決して忘讎者にあら
ず」。だから「吾人は我が不用人、無頓着の結果、徒らに支那人の反感を
沽ふ影響の、甚だ重大なるを虞れずんばあらず」。

「?榮心滿々」で「理窟に拘泥する」うえに「決して忘讎者にあらず」
というのだから、もはや処置ナシとしかいいようはない。やはりケイ
(敬、軽、警、携、計、・・・)して遠避けるのが得策か。

■「(19)下宿屋の敵討ち」

「排日者の留學生に多きは間違いなき事實」だが、その背景を考えれば
「彼等が日本にて被りたる、虐遇、薄遇、冷遇に對する、當然の反應と見
るの外なし」。日本人が普通に対応しているにもかかわらず、「邪推深き
支那人」は「虐遇、薄遇、冷遇」と思い込んでしまう。留学生が排日に奔
ることに関しては、「何れにしても、我が邦人の冷かなる心膓が、支那留
學生に反應したる、結果と見る可き」だ。

ということは「排日の一半は、日本人自から之を誘起したるものにし
て、自業自得」というべきだ。だから「せめて日本人として、支那人に對
して、今少しく温かなる心膓を、表示したく思ふ」。

相手に対し心を砕き、心を通わせておけば、「利益の衝突する場合に、
幾許の緩和力」を持つだろう。「世の中は、損得打算のみにては、成立せ
ず。打算以外の打算あり、損得以外の損得あり。是皆な感情、思想の支配
する所たり」。やはり「彼等の皮下にも血あり、彼等の眼底にも涙あり。
彼らは決して器械にあらず、人間なることを知らば」、それなりに遇すべ
きだ。

――ならば徳富センセイに伺いたい。恩を仇で返すような留学生の犯罪ま
でも、「彼等が日本にて被りたる、虐遇、薄遇、冷遇に對する、當然の反
應と見るの外なし」と、「今少しく温かなる心膓を、表示」すべきなの
か。利害打算なんぞ全く考えず、全身全霊の善意で留学生に対していた庶
民に対する人非人のような犯罪までも、「日本人自から之を誘起したるも
のにして、自業自得」と我慢するしかないのか。

■「(20)腑甲斐なし」

「日本人も、支那人も」、欧米人からすれば「世界の特殊部落として、取
り扱はれ」、「均しく異?徒」であり「?色人種」であるから、「日支人
は樂を同うせざる迄も、或る程度迄は、憂を同じうしつゝある也」。だが
「支那人が動もすれば、其の手近き日本人を袖にして、遠き歐州人に倚ら
んと」するが、「其の責任は、日支兩國民に等分」すべきではないか。

「支那人本來、事大主義者にして、歐米人を餘りに多く買被り、日本人
を餘りに多く買落としつゝあ」る。彼らは日本人を余り理解していない
が、「支那人をして、日本及び日本人を、十二分に諒解せしまざるは、亦
た日本人の怠慢、無頓着の責」であることを知るべきだ。

だかこそ、日本は彼らに向って力と意を尽くしてプロパガンダを展開すべ
きだ。「日支兩國の關係を、分明に告白し、支那人をして、自らの立脚の
地を覺悟せしめ」なければならない。「日支親善の大目的を把持し」ては
いるものの、「平生其の關係を閑却する」からこそ、欧米に乗ぜられてし
まうのだ。
「其の腑甲斐なきや、言語道斷也」。