2018年10月03日

◆トウ小平の刺身以後 

  渡部 亮次郎


中華人民共和国の人は、肝臓ジストマを恐れて,生の魚は食べないが、ト
ウ小平氏は初来日(1978年)して刺身を食べたかどうか、従(つ)いて来
た外相・黄華さんが1切れ呑み込んだのは現認した。そんな中国が最近は
刺身の美味さを知り、マグロの大消費国になった。

元は琵琶湖に次ぐ大湖沼だった秋田県の八郎潟。今はその殆どが干拓され
て水田になっているが、私の少年時代はこの八郎潟が蛋白質の補給源だった。

鯉、鮒、鯰(なまず)、白魚など。またそこに注ぐ堰で獲れる泥鰌や田螺
(たにし)も懐かしい。但し、これら淡水魚には肝臓ジストマがいて危険
だとは都会に出て来るまで知らなかったが、地元では理由もなしにこれら
淡水魚を生では絶対食わさなかった。

そのせいで私は中年を過ぎても刺身が食べられず、アメリカへ行って日本
食好きのアメリカ人たちに「変な日本人」と言われたものだ。

62歳の時、突如食べられるようになったのは、久しぶりで会った福井の漁
師出身の友人・藤田正行が刺身しかない呑み屋に入ったので、止むを得ず
食べたところ、大いに美味しかった。それが大トロというものだった。そ
れまでは、鮨屋に誘われるのは責め苦だった。

ところで、肝臓ジストマ病は「広辞苑」にちゃんと載っている。「肝臓に
ジストマ(肝吸虫)が寄生することによって起こる病。淡水魚を食べるこ
とによって人に感染し,胆管炎・黄疸・下痢・肝腫大などを起こす。肝吸
虫病」と出ている。

そんな記述より、実話を語った方がよい。九州の話である。著名な街医者
が代議士に立候補を決意した直後、左腕の血管から蚯蚓(みみず)のよう
な生き物が突き出てきた。

びっくりしてよく見たら、これが昔、医学部で習った肝臓ジストマの実物
であった。おれは肝臓ジストマ病か、と悟り立候補を突如、断念した。

「おれは、川魚の生など食べたことはないぞ」と原因をつらつら考えても
心当たりは無かったが、遂につきとめた。熊を撃ちに行って、肉を刺身で
食った。

熊は渓流のザリガニを食っていて、そのザリガニに肝臓ジストマがくっつ
いていたとわかった。しかしもはや手遅れ。体内のジストマを退治する薬
はない(現在の医学ではどうなのかは知らない)。夢は消えた。

中国人は福建省など沿岸部のごく一部の人を除いて、魚は長江(揚子江)
をはじめ多くの川や湖の、つまり淡水魚だけに頼っていて、肝臓ジストマ
の恐ろしさを知っているから、生の魚は絶対、食べなかった。

トウ小平と一緒に来た外相・黄華さんが東京・築地の料亭・新喜楽で鮪の
刺身1切れを死ぬ思いで呑み込んだのは、それが日本政府の公式宴席であ
り、そのメイン・デッシュだったからである。外交儀礼上食べないわけに
いかなかったのである。

後に黄華さんも海魚にはジストマはおらず、従ってあの刺身は安全だった
と知ったことだろうが、恐怖の宴席をセットした外務省の幹部はジストマ
に対する中国人の恐怖を知っていたのか、どうか。

中国残留日本人孤児が集団で親探しに初めて来日したのは昭和56年の早春
だった。成田空港に降り立った彼らに厚生省(当時)の人たちは昼食に寿
司を差し出した。懐かしかろうとの誤った感覚である。

中国人が生魚を食べないのは知っているが、この人たちは日本人だから、
と思ったのかどうか。いずれ「母国でこれほど侮辱されるとは心外だ」と
怒り、とんぼ返りしようと言い出した。

中国の人は冷いご飯も食べない。それなのに母国は冷いメシに生の魚を
乗っけて食えという、何たる虐待か、何たる屈辱かと感じたのである。

最近では、中国からやってきた学生やアルバイトの好きな日本食の一番は
寿司である。ジストマの事情を知ってしまえば、これほど美味しい物はな
いそうだ。催促までする。奢るこちらは勘定で肝を冷やすが。

よく「この世で初めて海鼠(なまこ)を食った奴は偉かった」といわれ
る。それぐらい、何でも初めてそれが毒でないことを確かめた人間は偉
い。だとすれば淡水魚を生で食っちゃいけないと人類が確認するまで、犠
牲者はたくさん出たことだろう。感謝、感謝である。

1972年9月、日中国交正常化のため、田中角栄首相が訪中した時、中国側
が人民大会堂で初めて出してきたメニューは海鼠の醤油煮だった。田中さ
んより前に来たニクソン米大統領にも提供しようとしたのだが、アメリカ
側に事前に断られたと通訳の中国人がこっそり教えてくれた。

以上を書いたのが確か2003年である。あれから中国は驚異的な経済発展を
遂げた。それに応じて食べ物も変化し、都市では今まではメニューに無
かった牛肉が盛んに消費されるようになった。それに伴って過食から来る
糖尿病患者が相当な勢いで増えて━いる。

問題の魚の生食についても2007年3月1日発売(3月8日号)の「週刊文春」57
ページによると中国のマグロ販売量は、中国農業省の調査によると、2006
年上半期だけで50%から60%も伸びている。

経済発展著しい中国が異常なスピードで鮪の消費量を増加させている事実
は意外に知られていない。日本料理店ばかりでなく、北京や上海の高級
スーパーにはパック入りの刺身や寿司が並ぶ、という。

共産主義政治でありながら経済は資本主義。物流が資本主義になれば食べ
物は資本主義になる。肝臓ジストマが居ないと分れば中国人がマグロだけ
でなく生魚を食べるようになるのは当然だ。とう小平の現代化には5つ目
があったのか。2007.03.06

◆八百万の神という神道の宗教観

櫻井よしこ


「八百万の神という神道の宗教観は多様性重視に向かう国際社会の手本に」

友人の伊藤穰一氏が慶應義塾大学から博士号を授与され、お祝いの会が
あった。氏の研究テーマを説明することは私の能力に余るが、お祝いの席
での会話は刺激的で、私の頭の錆を少しずつ剥がしてくれた。

伊藤氏を友人達は皆、親しみをこめて「ジョイ」(Joi)と呼ぶ。彼は
マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボにおける初めての日本
人所長だ。MITは88人ものノーベル賞受賞者を輩出してきた世界屈指の
大学である。2011年の所長就任以来、伊藤氏は「境界線から、ハミ出れば
ハミ出るほど良い」という考えで、概念を打ち破る多数の研究プロジェク
トを進めてきた。

氏は近著、『教養としてのテクノロジー』(NHK出版新書)でこう指摘
している。インターネットの普及からすでに20年、情報革命の時代は終わ
り、テクノロジーが経済や社会を根底から変えようとしている。だからこ
そ、テクノロジーの発達を哲学として理解することが大事だと。

たとえば人工知能(AI)である。AIの技術はあらゆるサービスのイン
フラとして、実用化の域に達しつつある。グーグルの動画サービス「ユー
チューブ」では、日々10億本の動画が字幕付きで発信され、精度は完全で
ないにしても、英語のニュースがワンクリックで日本語に翻訳される。産
業革命で多くの仕事が機械化されたように翻訳も他分野の仕事もAIが人
間に代わって担うことになる。

その中では、働くことの目的は自ずと変化せざるを得ない。生活費のため
ではなく、意味のあることのために人間は働き始めると、伊藤氏はいう。

では生活費はどのようにして手にするのか。ひとつの方法として米サンフ
ランシスコ市やフィンランドですでに実験が始まっている「ユニバーサ
ル・ベーシック・インカム」(UBI)の仕組みが考えられる。生活保護
を含む現行のセーフティネットに代わる制度として、政府が国民全員に一
定額の生活費を支給する。一本化することで支給にかかる費用を抑制し、
貧困対策にも効果を発揮すると期待されている。

UBIで生活できるのであれば、働かない人間も出てくるだろう。だが、
多くの人は自分の人生の意味を考え、生き方の価値を高めるためにどう働
けばよいのかを考え始めると、予測されている。

ビットコインで広く認知された仮想通貨についての氏の指摘も興味深い。
氏は1995年に現在の仮想通貨に通ずるディジタル・キャッシュの概念を打
ち出している。「新しいサイバーな国には新しい通貨が必要だ」という認
識で進めたディジタル・キャッシュは、しかし、バブル崩壊で一旦潰え
た。いま再び仮想通貨が注目を浴びているが、ルールもガバナンスも未整
備だ。最終的に損をする被害者が出るような仕組みの上に成り立っている
状況が解決されれば、仮想通貨が従来の通貨の意味を根本的に変える時が
くるとの示唆は、私にとって衝撃的だ。

テクノロジーの発達が仕事の意味を変え、言葉の壁を取り払い、通貨の在
り方も変えていく。人類社会のインフラの劇的変化の最先端でハミ出るこ
とを是とする伊藤氏が最後に言及しているのが、人間と自然の関係性を西
洋とは全く異なる考え方でとらえる神道である。一神教のキリスト教とは
異なり、八百万の神がいらっしゃる日本、山川草木すべてに神が宿ると考
える宗教観は、国家、財力、権力などの大きな力による一元管理から離
れ、多様性重視に向かおうとする国際社会にとって、ひとつのお手本にな
ると、氏は説く。

人類の在り方を着実に変えつつあるテクノロジーの最先端を走る伊藤氏の
中に、目指すべき地平として、自然との調和の中で育まれてきた神道の概
念の色濃いことに、日本の行くべき一筋の道を見ることができるのではな
いか。
『週刊ダイヤモンド』 2018年9月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1249 

◆中性脂肪が気になる人の食事療法

庄司哲雄・医師


<中性脂肪とは>

血液中の中性脂肪(トリグリセリドともいう)には二つの由来があり、食事で摂取した脂肪が小腸から吸収され血液中に現われたものと、肝臓で炭水化物から脂肪に作り変えられて血液中に放出されたものがあります。

いずれも、体の組織でエネルギーとして利用されるのですが、血液中の濃度が極端に(1000mg/dL以上)増えすぎますと、急性膵炎を引き起こすことがありますし、それほどでない場合でも(150mg/dL以上)動脈硬化の原因のひとつになります。

<中性脂肪を下げる食事の第一歩>

食事療法の基本は、摂取エネルギーの適正化です。脂肪の摂りすぎのみならず、炭水化物の過剰も中性脂肪を増やしてしまいますので、全てのトータルを適正にする必要があります。
身体活動度にもよりますが、標準体重1Kgあたり25〜30kcal/日程度が適切です。肥満気味の方は少なめにし、減量を目指します。アルコール多飲や運動不足は中性脂肪の大敵です。

<炭水化物と脂肪のどちらをひかえるか>
各人の食習慣により異なる場合がありえますが、炭水化物1グラムで4kcal、脂肪1グラムで9kcalですから、脂肪摂取を控えることが大変効果的です。

<ジアシルグリセロールとは>

少し難しくなりますが、中性脂肪とはグリセロールという物質に脂肪酸が3つ結合した構造(TAG)をしており、いわゆる「油」です。これに対して、脂肪酸が2つだけ結合した油もあり、これをジアシルグリセロール(DAG)といいます。同じような油であっても、小腸で吸収されてからの代謝が異なるため、中性脂肪の値や体脂肪への影響の程度に差があります。

通常の油TAGは、小腸で膵リパーゼという酸素のはたらきで、脂肪酸が2つはずれ、脂肪酸ひとつだけが結合したモノアシルグリセロール(MAG)に分解されます。それぞれは吸収された後、小腸でまた中性脂肪に再合成され、血液中に放出されます。

一方、DAGは中性脂肪へ再合成されにくいため、食後の中性脂肪の上昇が小さく、また体脂肪の蓄積も少ないといわれています。最近、DAGを利用した機能性食品が開発されています。しかし、DAGの取りすぎもカロリー 過剰につながりますので、通常の油TAGとの置き換え程度にすべきでしょう。

<脂質低下作用のある機能性食品>

動物に含まれるステロールという脂質の代表はコレステロールですが、
植物には植物ステロールという脂質が含まれます。これは小腸でのコレステロール吸収を抑制する働きがあります。

<専門医に相談すべき病気>

中性脂肪の増加する病態には、糖尿病やある種のホルモン異常、稀には先天的な代謝障害もありますので、一度は専門の先生にご相談いただくのも大切だと思います。(再掲)

<大阪市立大学大学院代謝内分泌病態内科学  >

2018年10月02日

◆患者自己注射物語

渡部 亮次郎


日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと決
断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発見か
ら既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣が60年
も拒否するという残虐行為をしてきたのである。

園田自身も実は重篤な糖尿病患者であった。しかしインスリンの注射から
逃れていたために大臣在任中、合併症としての腎臓病に罹り、1週間ほど
緊急入院したくらい。大変な痛がり屋。引きかえに命を落とした。

政治家にとって入院は命取り。大臣秘書官として事実を伏せるために余計
な苦労をしたものである。にも拘らず園田はそれから僅か3年後、人工透
析を途中で拒否したため、腎不全のため70歳で死亡した。昭和59(1984)年
4月2日のことだった。

その直後、私が糖尿病を発症した。全く予期せざる事態に仰天した。糖尿
病は現時点の医学では絶対治らない病気、いうなれば不治の病というから
業病(ごうびょう)ではないか。絶望的になった。

検査などの結果、私の母方の家系に糖尿病のDNA(かかりやすい遺伝子)が
有り、弟は発症しないできたが、上2人の男兄弟は暴飲暴食による肥満が
契機となって発症したものと分かった。

しかし、あれから30年近く、私は毎朝、ペン型をしたインスリン注射を繰
り返すことによって血糖値を維持し、今のところ合併症状も全く無い。普
通の生活をしていて主治医からも「文句の付けようがありません」と褒め
られている。お陰で園田の年を超えた。

これの大きな理由は注射針が極細(0・18mm)になって殆ど痛みを感じなく
なったからである。あの時、園田が自己注射を決断したお陰で医療器具
メーカーが、患者のためと自社の利益をもちろん考え、針を細くし、簡単
に注射できるよう研鑽を積んでくれたからである。

逆に言えば、厚生省が自己注射を許可しないものだから、医療器具メー
カーは、それまで全く研鑽を積まないできてしまったのである。自己注射
で注射器や針がどんどん売れるとなって初めて研鑽を積む価値があるとい
うものだ。

つまり役人や医者の頭が「安全」だけに固まっている限り医療器具は1歩
たりとも前進しないわけだ。患者たちを60年も苦しめてきた厚生省と日本
医師会の罪こそは万死に値するといっても過言ではない。

そこで常日頃、昭和56年までの糖尿病患者たちの苦しみを追ってきたが、
最近、やっとそれらしい記事をインターネット上で発見した。

「インスリン自己注射への長い道のり」(2001/05/28 月曜日)と題するも
ので、とある。
http://www.geocities.jp/y_not_dm/insurin2.html

東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのイン
タビュー記事「インスリン自己注射の保険適用から15周年を迎えて…」よ
り抜粋と要約

<インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供給
のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日本で
は60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありませんで
した。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医師
会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなくとも
飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入
し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運動
を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省から
は、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という回答
が繰り返されました。(佐藤内閣で厚生大臣は内田常雄に続いて齋藤昇)。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手で
知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年(厚生大臣 園田)、各種の努力によりインスリンの自己注射が
公認され、その5年後には血糖値の自己測定が公認されました。保険適用。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだと
いうことが公認された、医療史上最初の出来事です。

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦肉
の策。患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、残
りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受ける
ことで、電話再診料として保険請求した。

新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、と
いう言い逃れ。来院時に400単位を1度に注射したことにして、1〜2週
間は効いている形にした>。


1986年、研究のスタートから10年目、

血糖自己測定が健保適用に  (2003年9月)

血糖自己測定を導入した糖尿病の自己管理がスタートした頃(1976
年〜)、今では誰もがあたりまえと思っているインスリン自己注射は、医
師法に違反するという非合法のもとで行なわれていた。日本医事新報
(1971年)の読者質問欄ではインスリン自己注射の正当性について、当時
の厚生省担当官は「自己注射は全く不可であり、代わりに経口血糖降下剤
の使用があるではないか」と回答している。

これが1970年代の実態だった のである。このような状況に対して、当時
の「日本糖尿病協会」は、イン スリン発見50年を迎えて、なおインスリ
ン自己注射が認められない現状を 打破すべく10万人の署名を集めた。そ
して厚生大臣をはじめ関係各方面 に、インスリン自己注射の公認と健保
給付を陳情したが全く受け入れられ なかった。

正当化されたインスリンの自己注射(1981年)

 このような状況だったため、インスリンの自己注射容認と、インスリン
自己注射に関わる諸費用の健保適用までには、なお多くの人の尽力と歳月
を要した。そして結果が出たのは1981年(昭和56年)。

この年ようやくイ ンスリン自己注射の正当性の認知とこれの健保適用が
得られた。その内容 は当時行なわれていた慢性疾患指導料200点に、もう
200点加算するという ものであった。これはその後の医療のあり方に大き
な影響をもたらし、血 糖自己測定も含め、患者を中心にした医療の実践
の必要性と有用性の実証 へと繋げられていった。

<血糖自己測定の健保適用(1986年)(園田死して2年後)

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\血糖自己測定25年.htm

インスリン自己注射の健保適用から5年後、私たちが血糖自己測定研究を
スタートさせてから10年目、大方の予想を上回る速さで血糖自己測定の健
保適用がなされた。これはインスリン自己注射指導料に加算する形で設定
された。

以後、何度かの改定を経て、保険点数には血糖自己測定に必要な簡易血糖
測定機器、試験紙(センサー)、穿刺用器具、穿刺針、消毒用アルコール
綿など必要な機器や備品の全ても含まれるようになっている>。

1人の政治家の柔軟な頭脳による1秒の決断が日本の歴史を変えたといって
もいい決断だった。この事実を厚生省は大げさに発表しなかったが、元秘
書官として責任をもって報告する。(文中敬称略)2007・05
  
   

◆支離滅裂に映る細川元首相の

櫻井よしこ


「支離滅裂に映る細川元首相のインタビュー 闇雲な政権批判はメ
ディアの真価にあらず」

雑誌「選択」があらぬ方向に迷走中だ。巻頭インタビューは控え目に言っ
て無意味である。明らかな誤報や歪曲報道も目立つ。

選択の誇りは日本の大戦略を示し、論ずることで言論界に重きをなすこと
だったのではないか。闇雲な政権批判が物言うメディアの真価だと考えて
いるとしたら、無責任な野党並みだ。

9月号の細川護煕元首相の巻頭インタビューはどう読んでも支離滅裂だっ
た。氏は安倍晋三首相は「無私の心がない」「指導者として最も重要な歴
史観を明確に語っていない」などとしたうえで、「地球温暖化防止の『パ
リ協定』に本気で取り組んでいるとは言い難い」とも批判した。

氏は自身の言動の意味を、全くわかっていない。小泉純一郎元首相と共に
氏自身が推進する原発ゼロ政策や再生可能エネルギーをベース電源にする
という主張自体が、日本をパリ協定から遠ざけていることに思いが至らない。

細川氏の「原発再稼働反対と自然エネルギーへの転換」宣言は、実は猛暑
に見舞われた今夏、日本各地で事実上、実現されていた。原発再稼働が進
まない中で、私たちは太陽光発電と火力発電でなんとか乗り切ったのだ。

だが、大きな代償も払っている。太陽光発電の出力は午後4時には半減
し、日没時にはゼロになる。急激な出力低下を他電源で瞬時に補わなけれ
ば大停電を引き起こす。原発が使えないいま、火力発電の登場となる。必
然的にCO2が大量に排出される。かくしてわが国はいま、1キロワット時
の電気を生み出すのに540グラムのCO2を発生させている。スウェーデン
は11グラム、フランスは46グラムだ。わが国は先進国の中の劣等生なのだ。

それでも火力電源で太陽光電源を補えたのは奇跡的だった。太陽光の出力
低下を瞬時に補うには、戦闘機の緊急発進のような緊張のオペレーション
が必要で、その神経をすりへらす操作を、たとえば九州電力では優秀な現
場職員が担った。結果、現場はヘトヘトで、九電は遂に太陽光電力の買い
取り制限を発表した。

将来に向けての再生可能エネルギーの研究開発は無論大事である。そのう
えで強調したいのは、いま日本がCO2排出量を大幅に増やしてパリ協定
に逆行している現象は、細川氏らの主張がもたらす結果でもあるのだ。

細川氏はまた、安倍首相が拉致問題解決を「自分の時代の成果」にした
がっていると論難したが、自己反省に欠ける同発言に、「選択」は全く斬
り込めていない。20年以上拉致問題を取材した立場から、細川氏を含めて
歴代首相の中で安倍首相ほど拉致解決に向けて力を尽くし続けている政治
家はいないと断言できる。

細川内閣の中枢を占めていた社会党系の閣僚や衆参議長は拉致問題に背を
向け、解決に向けての協力など一切しなかったではないか。1988年、梶山
答弁で北朝鮮が日本国民を拉致していると国会で明らかにされたにも拘わ
らず、細川氏も関心を示したことなどなかったではないか。

自身の責任は棚に上げて安倍首相を非難する細川氏に、その矛盾を質しさ
えしない「選択」の姿勢は一体、何なのだ。同じ9月号の99ページには横
田滋氏を病院に見舞った首相への批判記事がある。滋氏の容態悪化で、横
田家は首相の見舞いを「断りたかった」が「仕方なく受け入れた」と書い
ている。取材に妻の早紀江さんが語った。

「ご多忙の中、総理は主人の手を握って、政府も頑張っていますから、
待っていて下さいと励まして下さった。主人は笑顔を見せました。総理の
お見舞いを仕方なく受け入れたとか嫌がったなど、絶対にありません。私
も拓也も哲也も本当に総理には感謝していると、雑誌の方にはっきりとお
伝え下さい」

ニュースの判断基準を単なる反権力、反安倍の地平に置いては漂流する。
「選択」の存在価値の全否定ではないか

『週刊ダイヤモンド』 2018年9月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1247

◆「痰の話」で思い出す支那

石岡 荘十


‘35京都で生まれ、そのすぐ後から敗戦2年後まで中国(当時は支那)に
留め置かれた。幼い頃の記憶はもちろんないが、物心ついて以降、見聞
きしたかの国の“文化”といまの日本のギャップを、本メルマガの反響
欄が思い起こさせた。 

幼い頃の記憶はこうだ。

その1。

夏の日、父の仕事が休みのある日、「支那人と犬入るべからず」という
立て札が入り口にある公園に家族そろって出かけ、公園の中の、支那人
以外のためのプールで家族で泳ぐ。ある日、帰りに天津市内でも最高級
の中華料理店でそろって子豚の丸焼きを食った。

糞をしたくなって、用を足そうと便所へ行くと便器のはるか暗い、深い
底にうごめく動物がいて、驚いて下を見ると、数匹の豚が新鮮な私の排
泄物をむさぼっていた。今思えばここでは完璧な“食の循環”が実現し
ている。

だが、これで私は完全に食欲を失った。これがトラウマになって、決し
て宗教上の理由ではなく、長い間、私はブタが食えなかった。

その2。

小学校の同級生に、当時の天津領事の息子(小山田あきら?)がいて、
放課後、いつも領事館へ遊びにいっていた。ほとんどは広大な領事公邸
の中で遊んでいたが、ある日、門の外に来る物売りの声に誘われて外に
出た。

天秤にかけた台に切り分けた瓜が載っていた。それが喰いたくて「どれ
がうまい?」と私たちに付き添ってきた領事館の守衛に聞いた。守衛は
「ツエーガ(これだよ)」と指差したのは、ハエが一番多く群がってい
る瓜だった。

“動物学的”に言ってそれはそうだろうと納得したのはずっと後のこと
だが、ハエがたかっているのは汚いという考え方は彼らにはないらしい。

いつだったか大分昔、多分、日中国交回復の頃、「中国にいまや1匹の
ハエもいなくなった」という提灯記事をどこかの新聞で読んだ記憶があ
るが、決して信じなかった。私の幼い頃の確かな記憶が記事のウソを見
破った。

その3。

父が勤めていた会社の管理職住宅は鉄筋コンクリートの一戸建ての“豪
邸”で、玄関を入ったところに、日本流で言うと、女中部屋があった。
女は阿媽(アマ)と私たちが呼んでいた纏足の小柄な女だったが、時々、
旦那が小さな女の子を連れて泊まりに来ていた。

女中部屋は6畳ほどの小さな部屋だったが、遊びに行くと、部屋の隅に
花瓶のような形の壷が置いてあって、そこに時々、「ペッ」と痰を吐く、
というか飛ばす。

それがまた結構遠くから正確に痰壷のど真ん中に命中するのを、何の不
思議もなく見ていたのを思い出した。ホールインワンどころではない。
アルバトロス級である。北京オリンピックで「痰飛投」などという種目
が出来たら間違いなく金だろう。

人前での屁は慎むが、食事中、げっぷは割と平気でやる。屁は平気だけ
ど、げっぷは禁忌という国もあると聞く。生活習慣がそんなに違う民が
十数億人もすぐそこにいる。

痰。さてどうするか。

話題はそれますが、昭和18・9年当時、幼馴染の父、小山田天津領事
とその家族の消息を知りたいと思っています。その頃、いつもアイスキ
ャンディーを作ってくれた、髪の長い、美しいお姉さまがいました。確
か、「たえ」さんでした。

2018年10月01日

◆パキスタン、中国と再交渉

宮崎 正弘


平成30」年(2018年)10月30日(火曜日)通巻第5872号 

 パキスタン、IMF救済回避のため中国と再交渉
  サウジとは合計60億ドル援助でまとまった模様

奇跡の逆転を演じてパキスタン新首相となったイムラン・カーンは、先の
サウジ訪問に引き続き、11月2日から北京を訪問する。差し迫った問題
は、年内に償還期限がくる90億ドルの先延ばし、借り換えである。IMF
管理を回避したいためである。

もしIMF管理になると、どうなるかと言えば、中国が投下した620億ド
ルのCPEC(中国パキスタン経済回廊)プロジェクトは、中断となり、
債務は70−80%削減(つまり、中国の対パキスタン債権は、仮に620億ド
ルで80%削減となれると124億ドル分の権利しかなくなり、残りは放棄す
ることになる。ま、それを狙うのが欧米の禿鷹ファンドだろうが。。)。

中国としても、何としてもIMF救済プログラム入りは回避したい。

パキスタンは償還延長要請に加えCPECプロジェクトのうち、カラチ
 ー ペシャワール間の鉄道を80億ドルから、縮小して20億ドル規模のも
のにするなどの提案をすると観測されている。

さきにサウジアラビアを訪問したカーン首相は、30億ドルの債務返済の延
長(借り換え)と原油代金30億ドル分の別枠供与を要請し、サウジ側は了
解したようだ。

パキスタンに限らず、中国のシルクロートプロジェクトは、財務面で軒並
み巨額の損失が報告されている。

中国の輸出保険を担う「SINOSURE」の幹部は、「アジスアベバか
らジブチへの貨物鉄道建設でも、すでに10億ドルが失われた」と驚くべき
報告している(『サウスチャイナ・モーミングポスト』、10月29日)。

これに加えて「殆どのプロジェクトは財務的に不適切であり、最悪の事態
を回避するために規模を縮小する必要がある」との見解を出している。
 これはエチオピアの首都アジスアベバから、海岸の貿易中継拠点となる
ジブチまで756キロの電化プロジェクトであり、中国輸出入銀行が33億
ドルを融資した。ところが、すでに10億ドルが消え、工事は進まず、先
行きは真っ暗。

さらに真っ暗なのは、こうしたプロジェクト金融を保険でカバーする
「SINOSURE」社など貿易保険大手である。デフォルトとなると、
損失が明らかであり、過去10年だけでも、200億ドルの損失をカバーした。
      
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【知道中国 1811回】          
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(36)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

■「(69)何故に支那文明の同化力は宏大なる乎」

「支那は何故に、彼が如き世界の一大舊國として」現在まで存続している
のか。「そは支那其自身が、殆んど一世界とも云ふ可き、廣大にして、且
つ密集したる版圖に蟠まり、宛も大なる袋の底に國を建てた」からであ
り、加えて「周邊より來襲、若くは流轉せる人種によりて新血を注入せら
れた」――この「2個の理由」に拠る。

さらに考えるなら、広大な版図であるにも関わらず、自然地理環境を概観
するなら、「其の四邊を除けば」、運輸交通の便が比較的便利な点も挙げ
られる。

「蓋し支那は、宛も無底無口の大淵の如」く、「何物にても、一たび此の
淵中に入れば、終古出でず、又た出づる能はざる也」。であればこそ「時
としては、蛆の湧く虞あるも、底を見る程に涸乾する心配はなき也」。

――さて共産党なる権力集団は「蛆」なのだろうか。「蛆」は退治されよう
とも、「底」には「涸乾する心配はなき」漢族がウジャウジャ・・・

■「(70)支那の恩人は胡也」

「此の無底無口の大淵に、湛へたる水が、全く腐敗し」ない訳は、「小量
ながらも、新しき泉源」が絶えず注入されていたからだ。この「小量なが
らも、新しき泉源」こそ「胡」、つまり北方あるいは西方から異民族の流
入である。であればこそ、「兎も角も支那をして今日まで、其の生命を存
續せしめたるは、胡の餘澤也」ということになる。

「支那は、上古より今日に到る迄、未だ一日も胡患なきの日なき也」。だ
が、そのために「彼等は、刺激せられ、警醒せられ、而して恒に血液を注
入せられ」てきたから、「其の生氣が、全く消盡し去る」ことがなかった。

「如何なる新征服者、出で來るにせよ、支那は何時迄も、支那人の支那」
である。だからこそ外敵は「一たび足を支那に踏み込めば、乍ちに支那化
する也、支那化せざるを得ざる也」。

 それというのも寡は衆に、薄は濃に、野は文に敵すことができないとい
う道理からして明らかだ。「文にして且つ衆、衆にして且濃、是れ支那の
同化力の、天下に敵なき所以也」。

――以下、参考までに林語堂の『中国=文化と思想』(林語堂 講談社学術
文庫 1999年)が1935年に記しておいた“大予言”を紹介しておく。

林は「共産主義政権が支配するような大激変」を予想したうえで、“その
先の中国”を見据え「社会的、没個性、厳格といった外観を持つ共産主義
が古い伝統を打ち砕くというよりは、むしろ個性、寛容、中庸、常識と
いった古い伝統が共産主義を粉砕し、その内実を骨抜きにし共産主義と見
分けのつかぬほどまでに変質させてしまうことであろう」・・・

■「(71)一大同化作用」

「支那の文明に於て」は、新陳代謝は見られずに「陳々堆を成す」のみだ。

「蓋し支那は、大なる化石地獄にして、此中に投ずれば、何物も乍ち化石
となる」。「支那文明は(中略)極めて包括的」であり、「彼等は總ての
物を呑み盡し、何物をも吐き出さ」ない。「必要に應じては、新奇の物に
せよ、異邦の人にせよ、之を採用するに遲疑」しない。ここからも「中華
的尊大の風は、恒に自ら把持する」ものの、「攘夷的精神は、殆んど總て
の支那人に、多く之を認」めることができない。

歴史的に見ても「傳采廣容に拘らず、一切の外來物を、何時の間にか、之
を支那化する一大作用に到りては、實に意想の外にあり」。

――これを簡単明瞭に形容するなら、ナンデモアリで無原則という大原
則・・・

◆柿の実をいかにハクビシンから守るか

櫻井よしこ


「柿の実をいかにハクビシンから守るか 臭いで撃退も小鳥が去って思案
の日々」

庭のまん中あたりまで張り出している柿の木の枝にとまって、その小動物
は、じっと私の方を見た。丸い大きなヌレヌレとした黒い瞳。鼻スジが白
くスーッと通っている。かわいらしい顔だ。図鑑で確かめたらハクビシン
だとわかった。これが彼と私の初めての出会い、柿の実が食べ頃に熟す丁
度去年の秋のことだった。

その秋、何年か前に兄と植えた柿の木が初めて実をつけた。兄は亡くな
り、私は柿の木を見ると朗らかだった兄のことを想い出す。柿は春に沢山
の花をつける。

枝々にくちゅくちゅとした若葉のかたまりのような芽が出るが、それを私
は柿の花だと心得ている。それはすぐに実になるのだ。しかし、雨に打た
れ風に吹かれて、小さな実はポロポロと落ちてしまう。昨年、枝に残って
赤ちゃんの拳ほどの小さな、しっかりした実にまで成長したのは、数えて
みると23個もあった。

私は毎日、書斎の窓から柿の実の成長を眺めて暮らした。もう少し大き
く、そして甘くなったら、ひとつふたつもいで、兄に供え、ひとつふたつ
は母と私がたのしんで、あとは庭にやってくる小鳥たちについばんでもら
おうと心づもりしていた。

ところが或る朝、葉も実も無残に食いちぎられてひどいことになってい
た。踏みつけられたような葉が地面一杯に散らばり、かじられた実があち
こちに放り投げられている。辛うじて枝に残った実には、鋭い爪で引っ掻
いた跡がある。犯人はハクビシンに違いない。そういえば彼には鋭い爪が
あった。私はその年の柿の収穫を諦めざるを得なかった。

そんなことがあった後、夕暮れ時、家の北側を通る電線を器用に渡ってい
く小動物の姿を見た。日が暮れてはっきりとは見えないが、見事な技だ。
1本の電線の上を難なく渡っていくのである。猫にできる芸当ではあるま
い。大きな尾でバランスを取っていたから、ハクビシンに違いない。あの
身軽さで木の枝々の、その先端になっている実を取ったのであろう。私は
そのときから、次のシーズン、つまり1年後に柿の実をどのようにしてハ
クビシンの襲撃から守るかを考え始めた。

ハクビシン騒動はその後も続いた。わが家のお隣りには稲荷神社さんがい
らっしゃる。それが大変なことになってしまった。屋根に小さな穴があけ
られて、ハクビシンがそこから屋根裏に出入りしていたのだ。

神社さんはすぐにこの穴を塞いだが、ちょっと油断すると人家にも入って
くるらしい。かわいらしい顔で思わず魅了されるが、一定の距離を保った
方がよさそうだ。しかし、人間の暮らすところには必ず食糧がある。都会
に棲みついた小動物ときっかり区画を分けて住むこと自体が難しいのかも
しれない。

今年もまた柿が実をつけた。そこで調べるとハクビシンを罠にかけて捕獲
する専門家がいた。費用は10万円、とらえて処分するという。そうではな
く、他によい手はないのだろうか。

さらに調べると、あった。唐辛子やニンニクなどありとあらゆる強烈な臭
いを混ぜ合わせたような液体を塗り込んだ大きな赤い札を木の枝に下げる
のである。費用は3000円。ハクビシンはこの臭いと赤い色が嫌いだそう
だ。その赤い札を三枚、枝々に下げてみた。効果はてきめんだった。

書斎の窓から庭を眺め、シメシメ、ハクビシンはこの臭いで撃退したぞ、
と思いながら原稿を書いていて、気がついた。小鳥の謳う声がきこえな
い。水浴びする愛らしい姿も見えない。1羽も来ていない。庭全体が静ま
りかえっている。こんなことは、わが家ではついぞなかった。原因は強烈
な臭いを発散するあの赤い札に違いない。

私はどうすべきか。兄の想い出である柿の木とその実を守るのか、赤い札
を外して小鳥たちをまたこの庭に招き入れるのか。思案の日々が続いている。

週刊ダイヤモンド 2018年11月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1253

◆ウィグル人への人権弾圧を見過ごすのか?

宮崎 正弘


平成30年(2018)9月29日(土曜日)通巻第5840号   

 ウィグル人への人権弾圧をこのまま見過ごすのか?
  米議会、中国制裁法案を準備中。ルビオ上院議員らが立ち上がる

中国が占領している「東トルキスタン」(新彊ウィグル自治区)における
人権無視の弾圧、再教育キャンプにおける洗脳に業を煮やす米国議会で
は、ちかく本格的な中国制裁法案を上程する動きがでている。
 
報道に拠れば、百万人のウィグル人が隔離され、砂漠の収容所に詰め込ま
れた、あげくにイスラム教徒が忌避する豚肉を与え、コーラン読書は禁
止、一日五回の「アッラー・アクバール」祈祷もさせないで、習近平思想
本を読ませるという洗脳教育を為している。
 
2018年9月26日、上院議員のマリオ・ルビオ議員等がよびかけ、中国制裁
を具体化するようポンペオ国務長官、ムニューチン財務長官に書簡を送っ
たばかりか具体的な制裁案の協議に入っていると発表された(サウスチャ
イナ・モーニングポスト、9月29日)。

同時に下院外交委員会の「アジア太平洋小委員会」は、9月26日に公聴会
を開催しており、テッド・ヨーホー下院議員(フロリダ州選出)は、「こ
れはSFフィクションではない。リアルな出来事、現在進行中のことだ」
と中国を批判した。

米国は偵察衛星によって収容所の位置や、人数を確認している。また在米
ウィグル人団体ばかりか、アメリカ人の研究者等を動員して人権弾圧の報
告書をまとめ、制裁対象の筆頭にウィグル自治区党書記の陳全国の在米資
産凍結などの措置をとることが盛られた。

中国は「露骨な内政干渉であり、中国には再教育センターはない。あるに
は職業訓練所であり、また少数の犯罪者を収容している小さな施設がある
だけだ」と反論したが、誰も信用していない。

とくにイスラム諸国へ留学した若者ら八千人が突如拘束され行方不明に
なっている事実は家族からの連絡で、米国メディアは大きく取り上げている。

なにしろ中国では国防費よりも治安対策費のほうが多額であることは周知
の事実だが、セキュリティ方面の雇用も鰻のぼりで、2012年には一万人規
模だったが、17年には53800人にも膨れあがっている。

2017年に陳全国がチベット自治区党から横滑りで新彊ウィグル自治区の書
記に赴任してから、こうした弾圧が本格化した。

一方、このセキュリティ機器、施設ならびに警官の装備で、顔認識サング
ラス、X線装置ならびに監視カメラの顔認識システムとの連動システムな
どに米国製品が使われている怖れがあり、在上海米国商工会議所は「議会
の制裁対象には在中アメリカ企業も含まれることになるのでは」と戦々
恐々だという。

すでにドイツとスウェーデンはモラトリアム(制裁執行までの猶予)を発
表している。

   
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【知道中国 1796回】                      
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(21)
    徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

 ■「(16)取る乎與ふる乎」

日本の「近時の對支交渉なるものをみると」、官と民、個人と団体の別な
く「何物かを支那より取らんと欲」するばかりで、「何物かを支那に與へ
んと」はしない。これに反し「歐米人、殊に米人の如きは然らず」。

たとえば「病院を設け、學校を設け、特に多額の金を投じて、留學生を誘
ひ、之に特別の便宜を與へつゝあり」。彼らは「支那及び支那人に向て、
大いに與ふる所あり、且つ與へんとするものゝ如き感想を支那人に與へ
つゝある也」。実際に、どれほどのものを与えることになるかどうかは別
にして、「實利主義の支那人には、物質上の寄與は、必らず剴切なる印象
を與へつゝあるに相違なけむ」。

これに対し日本は与えることなく、「唯だ取らんと欲するに汲々」とす
るのみ。これでは「日支親善を高調」したところで却って逆効果だ。かく
して徳富によれば、「今や米人は、多大の捨石を、支那に措きつゝあり。
吾人は此の捨石が、物云ふ時節の到來するを、忘却す可らざる也」。

「實利主義の支那人」を相手にするには、それなりの「捨石」が必要で
あり、日本人のように「唯だ取らんと欲するに汲々」としているようで
は、いずれ強烈なしっぺ返しを喰らうことになる――これが徳富の説くとこ
ろだ。

 ■「(17)プロパガンダ」

将来的には「所謂る第三の思想、及び感情の共響、同鳴の點を日支兩國人
間に見出す」必要があろうが、目下のところ日本人には思いも及ばない。
ところが「歐米人の如きは、夙に其の必要を感じ、支那に向つて、自己の
主張を注入する」に努めている。

その最たる例がドイツだが、「所謂獨逸人の『プロパガンダ』は、其の
開戰以來、異常なる力を以て、支那を席捲しつゝあり」。ドイツ人は新
聞、雑誌、小冊子、文字、さらには絵画を使ってプロパガンダを進めている。

「英米人の如きも、それ相應に、其の方面に力を竭し」ている。「上海に
は、米人の手によりて、日本惡口を專門とする雜誌あり」。「有力なる英
人の機關新聞あり」。それら雑誌や新聞の主張は「直接に支那人に觸れざ
る迄も、先づ支那の新聞雜誌に及び、之を通じて、支那人に及ぶもの、其
の影響决して少小にあらざる也」。

支那における欧米のメディアが直接的に日本批判を目指しているかどう
かは別に、大局的には日本と日本人に対するマイナス・イメージを植え付
けようとしていることは明らかだろう。「歐米人が、此の如く努力しつゝ
あるに拘わらず、我が官民が、此の方面に於て、甚だ冷淡なる」ことに、
徳富は「驚殺せられざるを得ず」。

北京、奉天、上海、済南などにも日本人経営の新聞はあるが、「唯だ日
常の問題に就て、日本人の立場より、支那人に向て、意見を開陳する」だ
けで、欧米メディアのように積極的な宣撫・洗脳工作をしようというので
はない。

プロパガンダに関するなら、日本は官民問わず余りにも無関心に過ぎる。

 ■「(18)恩讎の念」

日本側は「日支親善とさへ云へば、何時にてもその事が出で來るものと思
ふ」。だが「支那人は此の如き、單純の人種」ではない。彼らは「文明に
中毒」し、「自繩自縛」し、「極めて實利的の本能」を持つが、じつは
「理窟に囚はれたる人種」だから、何をするにも「口實」「理由」が必要
となる。彼らが掲げる「大義名分」とは、「此の口實也、理由也」。
日本は、このような「人種に對して理由も語らず、説明も與へず、藪か
ら棒に、唯だ我が言い分を押し透さんとす」。これを、骨折り損の草臥れ
儲けというに違いない。
    

◆五輪担当大臣の貫禄 

   渡部 亮次郎
  

メルマガ「頂門の一針」の常連投稿者に指摘されて、先にといっても1954
年に開かれた東京オリンピック当時、担当大臣故・河野一郎の担当記者
だったことを久々に思い出した。

と言っても1964年7月の人事異動でNHKの盛岡放送局から東京の政治部
へ発令され、河野大臣を苦手だといって誰も担当したがらない。田舎者の
あいつに回そうというので河野担当になった。事情は後から知った。

記者会見に出かけて名刺を差し出したらろくに見もせず、もてあそび、そ
のうち紙飛行機に折って飛ばしてしまったのには、おどろいた。記者を怖
がっていた田舎の県会議員とは大分、違うなと覚悟した。

何か質問あるかい、というからした。「大臣の右目は義眼だと言ううわさ
がありますが、本当でしょうか」と聞いた。相手を見つめるときすが目に
なるからである。すると「君はどこの社の記者だ」と言うからNHKだと
答えて叱られるのを覚悟した。

ところが違った。「君は記者の誰も聞かなかったことを良くぞ質問してく
れた。ほれ、このとおり義眼ではないよ」目を剝いて見せた。なるほど毛
細血管も走っているから義眼ではない。

翌朝、恵比寿の私邸に行き、門の脇で待っていると出てきた河野さんが私
を手招きする。近くまで行ったら「乗んなさい」という。驚いた。政治家
の専用車に同乗することを政治記者連中は「箱乗り」と言い、政治家は余
程気に入った記者で無ければ乗せないことになっている。

河野一郎自身自分を「実力者」と言い、記者たちは勿論、自民党内からも
畏怖されていた。だからこそ過去に前例の無い無任所にして東京五輪の担
当大臣を池田勇人首相から任されたのである。

その恐ろしい実力者が、どこの馬の骨とも知れぬ記者をいきなり箱乗りさ
せるとは当に驚きだった。しかしこの待遇は終始続き、最期は夫婦2人き
りの夕飯の席に呼ばれるまでに成った。

小田原に生まれて早稲田大学では箱根駅伝の選手として活躍、卒業後は朝
日新聞の政治記者。間もなく神奈川から代議士に当選して政界入り。かの
吉田茂とは激しい党内対立を繰り返しながらついに鳩山政権を樹立。日ソ
正常化を達成。


フルシチョフ首相とも対等な交渉を成し遂げ、ついに実力者に成長した。
池田首相もそこを見込んで史上初の東京五輪の担当大臣を任せることが出
来た。

いま政界を見渡してもあれだけの實力者はいない。これは世界の変化に伴
うものであり、日本の平和が長続きするからであり、小選挙区制度が政治
家を小物のしたと思わざるを得ない。 

河野さんはアルコールを一滴も飲めない体質だった。それを知っていてフ
ルシチョフはウオッカを飲むよう強要した。河野さんは「国家のため、死
んだ心算で飲み干した。体が火照り眩暈が止まらない。「あの時は死ぬか
とおもった」と言っていた。

東京オりンピックの翌年夏7月8日、剝離性動脈瘤破裂のため自宅で死去。
まだ67歳だった。2015・8・3