2018年10月01日

◆八百万の神という神道の宗教観

櫻井よしこ


「八百万の神という神道の宗教観は多様性重視に向かう国際社会の手本に」

友人の伊藤穰一氏が慶應義塾大学から博士号を授与され、お祝いの会が
あった。氏の研究テーマを説明することは私の能力に余るが、お祝いの席
での会話は刺激的で、私の頭の錆を少しずつ剥がしてくれた。

伊藤氏を友人達は皆、親しみをこめて「ジョイ」(Joi)と呼ぶ。彼は
マサチューセッツ工科大学(MIT)メディアラボにおける初めての日本
人所長だ。MITは88人ものノーベル賞受賞者を輩出してきた世界屈指の
大学である。2011年の所長就任以来、伊藤氏は「境界線から、ハミ出れば
ハミ出るほど良い」という考えで、概念を打ち破る多数の研究プロジェク
トを進めてきた。

氏は近著、『教養としてのテクノロジー』(NHK出版新書)でこう指摘
している。インターネットの普及からすでに20年、情報革命の時代は終わ
り、テクノロジーが経済や社会を根底から変えようとしている。だからこ
そ、テクノロジーの発達を哲学として理解することが大事だと。

たとえば人工知能(AI)である。AIの技術はあらゆるサービスのイン
フラとして、実用化の域に達しつつある。グーグルの動画サービス「ユー
チューブ」では、日々10億本の動画が字幕付きで発信され、精度は完全で
ないにしても、英語のニュースがワンクリックで日本語に翻訳される。産
業革命で多くの仕事が機械化されたように翻訳も他分野の仕事もAIが人
間に代わって担うことになる。

その中では、働くことの目的は自ずと変化せざるを得ない。生活費のため
ではなく、意味のあることのために人間は働き始めると、伊藤氏はいう。

では生活費はどのようにして手にするのか。ひとつの方法として米サンフ
ランシスコ市やフィンランドですでに実験が始まっている「ユニバーサ
ル・ベーシック・インカム」(UBI)の仕組みが考えられる。生活保護
を含む現行のセーフティネットに代わる制度として、政府が国民全員に一
定額の生活費を支給する。一本化することで支給にかかる費用を抑制し、
貧困対策にも効果を発揮すると期待されている。

UBIで生活できるのであれば、働かない人間も出てくるだろう。だが、
多くの人は自分の人生の意味を考え、生き方の価値を高めるためにどう働
けばよいのかを考え始めると、予測されている。

ビットコインで広く認知された仮想通貨についての氏の指摘も興味深い。
氏は1995年に現在の仮想通貨に通ずるディジタル・キャッシュの概念を打
ち出している。「新しいサイバーな国には新しい通貨が必要だ」という認
識で進めたディジタル・キャッシュは、しかし、バブル崩壊で一旦潰え
た。いま再び仮想通貨が注目を浴びているが、ルールもガバナンスも未整
備だ。最終的に損をする被害者が出るような仕組みの上に成り立っている
状況が解決されれば、仮想通貨が従来の通貨の意味を根本的に変える時が
くるとの示唆は、私にとって衝撃的だ。

テクノロジーの発達が仕事の意味を変え、言葉の壁を取り払い、通貨の在
り方も変えていく。人類社会のインフラの劇的変化の最先端でハミ出るこ
とを是とする伊藤氏が最後に言及しているのが、人間と自然の関係性を西
洋とは全く異なる考え方でとらえる神道である。一神教のキリスト教とは
異なり、八百万の神がいらっしゃる日本、山川草木すべてに神が宿ると考
える宗教観は、国家、財力、権力などの大きな力による一元管理から離
れ、多様性重視に向かおうとする国際社会にとって、ひとつのお手本にな
ると、氏は説く。

人類の在り方を着実に変えつつあるテクノロジーの最先端を走る伊藤氏の
中に、目指すべき地平として、自然との調和の中で育まれてきた神道の概
念の色濃いことに、日本の行くべき一筋の道を見ることができるのではな
いか。

『週刊ダイヤモンド』 2018年9月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1249 

◆彼岸の風景

石岡 荘十



多分、彼岸はこんなところではないかと思わせる風景を垣間見る機会があった。といっても、自ら望んで体験をしたわけではない。

少年の頃のリウマチ熱が原因で、全身に血液を送り出す心臓(左心室)の出口の、扉ともいえる大動脈弁がうまく開閉しなくなった。

このため、1999年2月、開心手術、つまり胸を切り開いて、ナマの大動脈弁を切り取り、代わりにチタンとカーボンで出来た人工の弁を縫い付ける手術(大動脈弁置換手術)を強いられた。

64歳だったがまだ死にたくなかった。怖かった。幸い、手術は成功し、集中治療室(ICU)から三日ぶりに一般病棟に還ったのはいいが、その翌朝、突然、激しい不整脈に襲われる。

こんなときに一発で不整脈をしゃんとさせる方法は一つしかない。「ドカン!」である。

後でわかったことだが、ドカンというのは業界スラングで心臓に電気ショックを与える治療のことだ。ストレッチャーに乗せられて別室につれ込まれ麻酔注射をブスッ。記憶はここまでで、全身麻酔をかけられた後の、見た風景は------。

地下室のような真っ暗なところに私はいる。見上げると長い階段があって「うんうん」言いながら這い上っていくと、そこに一条の光と川の流れ-----花園。うっとりしていると、女の声。
「石岡さん、石岡さん、わかりますか」
別の女の呼びかけ。
「お父さん!」
「おやじ聞こえるかっ」
 薄目を開けてみると、家族の顔があった。
 
あれは、よく言われる「臨死体験」ではなかったか。死に臨む、つまり彼岸直前の風景ではなかったか。研究者によると、こんな話は腐るほどあって、数多くの体験者からの聞き取りを統計的に分析すると、二つの特徴がある。

その一つは「体外離脱」。英語ではOut of Body Experience。直訳すると「肉体の外の体験」である。

手術台とか布団に寝ている自分を家族や医者が取り囲んで嘆き悲しんでいる風景を、肉体から離れたもう一人の自分が高いところから見ている状態をいう。

ある体験者は祖母が隠し通していたハゲが頭のてっぺんにあることをそのとき初めて見つける。生還した後そのことを祖母に言うと「いつ見たんだ」と不機嫌に問い詰められたという。

こうしてみると、肉体から離れたもう一人の自分こそ本当の自分であり、肉体はただの抜け殻ということになる。

もう一つの特徴は、私が体験した「他界経験」。英語でいうとNear Death Experience。これには次のような共通の特徴がある。

(1)トンネル体験
(2)光の世界

暗いトンネル体験の後、光が近づいてくるか、自分が光に近づいていく。そこは、花、水、鳥------楽園が現出する。

(3)亡くなった身内に会う
(4)バリア体験

バリアは障害物、例えば川があって向こう岸に渡ってしまうと生還の可能性は少なくなる。生還した大概の人が渡る直前、家族に名前を呼ばれて引き返している。

私の場合は、亡くなった身内には会わなかったがそのほかの体験は合致する。

このような体験談は科学的、神経生理学的にはどのように説明されているか。有力な説は、脳の酸素欠乏説だ。

事故であれ不整脈であれ、最後の瞬間には、心臓が働かなくなって脳に十分な酸素が供給されなくなり、脳は低酸素状態になる。

すると、脳は広い範囲で無秩序に興奮し、正常な機能がマヒして幻覚が生じる、と説明する。しかし、なぜ「暗黒と光」がつきものなのか、学説は分かれていて、なるほどと思わせる説にはまだぶつかっていない。

それより興味深いのは、ほとんどの体験者が、いまわの際には至福、恍惚、安らぎを感じていることだ。清らかな水の流れ、花が咲き乱れ鳥が囀る楽園を見たという人もいる。

その意味で私の見た風景は、臨死としては“完璧”なものではないが、不整脈で一時的に脳に酸素が行き渡らなくなった可能性はある。

夏目漱石も体験者の一人である。43歳のとき胃潰瘍で大量の喀血をして、あやうく彼岸へ渡るところだった。そのときの感じを作品(『思ひ出す事など』)のなかで「縹渺とでも形容して可い気分------」と表現している。

この歓喜に満ちた恍惚感を生み出すのはエンドルフィンだという説が有力である。エンドルフィンは脳内麻薬物質といわれ、死に瀕して脳内が低酸素状態になると、脳内で活発に生産されるホルモンの一種であることが確認されている。

その作用はモルヒネと同じ、あるいは十数倍強烈で、これが脳の深いところでドーパミンという覚醒剤に似た物質を分泌させる。

その結果、瀕死の苦痛は次第に恍惚感に変わっていく、と説明されている。脳の酸素欠乏による幻覚に過ぎないという説もある。

「最後は安らかな表情でした」

 長い闘病の末、愛する身内を看取った家族がこういう感想を漏らすことがよくある。その時、瀕死の身内は脳内に分泌した物質のおかげで恍惚の中にいるからだという説もある。

「死ぬのは怖い、間際では苦しい思いをする」という思い込みは、とんでもない誤解かもしれない。

臨死、そして死、来世の光景はどうも『蜘蛛の糸』(芥川龍之介)に描かれた地獄絵巻とはまったく異なる、恍惚の世界である可能性があることを、研究者は報告している。

命の灯がまさに消えようとするとき、皮肉なことに本人はやっとの思いでたどり着いた楽園をうっとりと彼岸に向けて逍遥しているらしいのだ。

ここでだれも名前を呼ぶものがいないと彼岸へと渡っていく。

脳梗塞で死に掛った大学時代の友人は、川岸でなくなった母親に会い、追い返されたと体験を語ってくれた。

「三途の川」というのは作り話だと思っていたが、「案外、創造主はそこまでお見通しで設計・創造しているのかもしれない」と手術後は、半分信じるようになっている。

恐るべし、創造主の叡智。


本文は拙著『心臓手術〜私の生還記〜』執筆の際書いて、都合で所載で出来なかった部分を補・加筆しました。なお執筆に際しては「臨死体験 立花隆 文春文庫 上下」他数冊を参考・引用にしました。


◆今月の法律コラム

川原 俊明


 平成30年7月6日に、民法及び家事事件手続法の一部を改正する
 法律が成立しました(公布は同年7月13日です)。

 民法のうち相続法の分野についての改正ですが、
 改正項目は多岐にわたります。

 その中で、今回は、相続人以外の者の貢献を考慮するための方策が
 定められましたので、一部紹介いたします。

【例題】
 A子は、40年前にB男と結婚しました。B男は長男でしたので、
 B男の母親(父親はすでに他界)と長年同居してきました。
 他に兄弟は妹のC子だけです。
 A子とB男の間にはこどもはいませんでした。

 しかし、30年前にB男に先立たれました。
 B男には、「両親を頼む」と生前頼まれていたため、
 B男の死亡後も、10年間一人でB男の母親の介護を、
 働きながら行っていました。

 C子は母親と折り合いが悪く、母親の介護は一度も
 手伝ってくれませんでした。最近、B男の母親も亡くなりました。

 母親には500万円の預貯金の遺産がありました。
 A子はこの500万円のうち、一部でも相続できるでしょうか?


 現行法では、答えは×です。A子は一切相続できません。
 C子が500万円すべてを相続することになります。

 しかし、今回の改正で、相続人以外の者の貢献を考慮するための
 方策が定められ、A子はC子に金銭請求することができるように
 なりました。

 母親から直接相続するわけではありませんが、 これまで
 報われなかったA子の貢献が報われるようになるということです。
 もし、C子と話し合いがつかなければ、
 裁判所で金額を決めてもらうことができます。

 但し、相続開始及び相続人を知った時から6か月、
 または相続開始から1年という期限があるので、
 早めに請求しないといけません。