2018年10月10日

◆孟宏偉・インターポール総裁を拘束

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月9日(火曜日)通巻第5849号  

孟宏偉・インターポール総裁を拘束と中国当局が確認
  「彼は党規に違反し収賄の疑いがある」。その裏は周永康派残党の一掃

9月25日に消息を絶って、中国への入国が確認されていた孟宏偉(イン
ターポール総裁)は中国当局に拘束されていた。
10月7日に辞表を提出し、ただちに受け入れられた。インターポール
は、10月20日ドバイの國際年次総会で新総裁を決める。

 フランスに滞在中の孟夫人は「最後のメールにはナイフの写真が添えら
れ、差し迫った危険を暗示している」とした。また妻子ともに、フランス
警備当局の監視下に置かれた。これは異常事態と言って良いのではないか。

 中国共産党自らが國際スキャンダルを引き起こした。
 事情通は「かりにも国際機関のボスを務めるうえ、公安部副部長(日本
で言えば副大臣。ただし中国の副部長格は五、六人いる)という高位にあ
る人間を拘束するからには、共産党上部の承認がある」。

 明らかに権力闘争がからむ事件という見方が急速に拡がっているが、孟
は周永康派の生き残りである。
嘗て蘭州から四川省にかけての西部方面の軍を動かして、周永康は薄煕来
と組んで、クーデターを試みたと噂された。

習近平がもっとも怖れ、壊滅を狙って仕掛けてきた「虎も蠅も」とかの反
腐敗キャンペーンは依然として不満分子が要所要所をかためていたという
権力状況の逆証明ともなった。

     
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BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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 地獄へ堕ちる寸前の断崖絶壁にある習近平が準備中次の手段とは
  戦争か、外資企業の財産接収か。ファン・ビンビン、馬雲の辞任が暗
示する未来は?

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石平『アメリカの本気を見誤り、中国を「地獄」へ導く習近平の狂気』
(ビジネス社)
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「地獄」とか「狂気」とか、かなり強烈な語彙が象徴する中国の末期現象
を、石平氏は元中国人だけあって、特有の国家観・歴史観・人生観のベク
トルから、自らが体験した教訓を活かしつつ、現在の中国の陥没寸前とい
う実相を分かりやすく解きほぐしていく。

日本のメディアの中国報道は表面のあぶくをなぞらえただけの軽佻浮薄な
分析が多いから、きっと読者は本書の赤裸々な分析に度肝を抜かれるだろう。

習近平は「裸の王様」であり、「暗君」と大胆に規定する著者は、中国は
やがて「無限地獄」の奈落へと陥落すると予測する。

本書の肯綮は次の指摘である。

「掃黒徐悪闘争」を展開する習近平は、そのモデルがライバルだった薄煕
来が重慶で展開した「打黒運動」にあり、マフィア撲滅運動(打黒)から
逸脱し、民間の財閥を犠牲にして、その財産を巻き上げて歳入として経済
政策に活用した。じっさいに無辜の民の財産を片っ端から押収し、一方で
革命歌を集団で唱わせる歌声運動(唱紅)を、市民を組織して展開し、一
種不気味な影響を中央に与えた。

薄の狙いは権力への捲土重来であり、習近平を追い落とし、薄自らが党書
記の座を奪う戦略に基づいていた。

具体的には2008年から「唱紅」(革命歌集会の奨励)、09年から「打黒」
(マフィア退治)、そして重慶への大々的な外資導入だった。

評者(宮崎)は、この頃、成田―成都間に全日空が直行便を就航させたこ
ともあって、何回か重慶に入っている。朝、公園にいくと太極拳、エアロ
ビックス、社交ダンス、空手のほかにバレーボールに興じる市民もいた
(気功は「法輪功」対策のため禁止されていた)。公園の中央には歌声集
団が何組も集まって、革命歌を大声で歌っていた。共産革命を賛美する勇
壮な曲だが、なぜか時代錯誤を感じてならなかった。

習はマフィア退治を標榜しつつも、党内の政敵を汚職スキャンダルとか
で、薄らを追放し、江沢民派と団派のメンバーを中心に党籍を剥奪し、権
力を固めた。腐敗幹部から押収した財産も天文学的である。

いま狙い撃ちされたのはファン・ビンビンに代弁される金持ちの脱税摘発
である。

さらに民間企業の締め付け、そのトバッチリがアリババの馬雲CEO辞任
に繋がっているのである。

アリババの持つビッグデータを共産党は提出するように強要した。馬雲は
「共産党リスク」をすばやく嗅ぎ取った。民間企業も党から財産を狙われ
ているのだ。

石平氏は、習が次に何をやらかすかを冷静に分析し、予測する。

「『黒』と『悪』と認定された国内の民間企業が身ぐるみ剥がされた後、
中国共産党政権は外資企業の手を出す」(60p)。

 ▼米中貿易戦争以後

米中貿易戦争は、トランプが仕掛けたが、もともとトランプは習近平を
「重要な友人」と持ち上げていた。北朝鮮へ政治的介入を期待してのこと
だった。ところが何もしないことでトランプは習近平を見限った。

トランプは直接、金正恩との交渉をはじめたのだ。

独裁皇帝の権力は外見からは磐石に見えるが、実態は墨汁を肖像画にかけ
た大胆不敵なる女性が出現し、退役軍人が抗議集会を連続させ、公務員は
汚職摘発に萎縮して、言われたこと以外は何もしない。だから行政は停滞
し、庶民は生活の質を下げ、即席ラーメンをすすり、若者はデートでお金
を使うことをやめ、スマホに興じる。

なにしろ5700万人もの退役軍人と3400万人の独身男性は、将来も結婚する
可能性が低下し、自暴自棄、やけくそになっている。大学を卒業してもま
ともな職場がなくなった。

2008年のリーマンショックで無茶苦茶な財政出動を繰り返し、人為的に景
気を浮揚させて不動産バブルを築き上げてきたが、その天文学的負債を誤
魔化すために、シャドーバンキング、理財商品、P2P、地方政府の債券
発行を許可し、焦げ付き債務の返済を次から次へジャンプさせ、ありとあ
らゆる手段を用いて、危機を誤魔化し、真相には蓋をして、さらに在庫処
理と失業者解消のゴミ整理が「一帯一路」だった。

負債は利息とともに膨れあがり、債務の重圧が中国経済を窒息させるだろう。

鳴り物入りのAIIBは阿漕な高利貸しの新しい財源とする詐欺の装置と
見られ、マハティール・ショック以後、世界の国々、とくにシルクロード
に関与する国家群が中国に不信感を表明し、姿勢を慎重にする。

評者(宮崎)もかねて主張してきたように、中国経済のピークは2011年頃
である。あとは演出過剰なバブルの強制的な持続だったのだ。

したがって、過去の誤魔化しがばれて、上海株が暴落し、人民元が真っ逆
さまに下落している中で、外貨払底を誤魔化すために、新しい工作を開始
する。その一方で、秘かに中国は保有している米国債券を市場で100億
ドルほど売却した。手元外貨を確保し為替に介入して、人民元暴落を防い
でいるからである。

その趨勢が鮮明となって見えてきた2013年に、評者は中国に見切りをつ
け、以降、中国には足を踏み入れていない。

それまでは1年に最低6回、多いときは10回。合計100回は中国各地をま
わり、ローカルなバスに揺られて奥地も探索し、そのときまでに開通した
新幹線もすべて乗った。

各地に工場閉鎖、ストライキ、ゴーストタウンを目撃してきたが、他方、
ベンチャーに積極的な若者のエネルギー、民間企業の活力、民衆の燃える
ようなエネルギーをみた。

そうした活力が中国から消えた。

低端階級はますまる絶望的となり、社会不安はマグマのように噴出しはじ
め、産業の空洞化が沿岸部で顕著となり、ついには社会擾乱の本格化が始
まろうとしている。

本書はそうした背景を鮮烈に抉っている。

          
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緊急集会があります

『沖縄、台湾、そのはざまの尖閣』

米中貿易戦争、たかまる朝鮮半島の危機、そして経済的に行き詰まった中
国が仕掛ける戦争。日本はどのように対応するのか?
緊急の講演会のお知らせです
http://minamishina.sakura.ne.jp/img/2018senkaku.jpg
            記

とき   10月27日(土曜)午後2時
ところ  文京シビックセンター 3A会議室
登壇   基調講演 宮崎正弘
     沖縄   仲村覚
     台湾   王明理
     尖閣   藤井厳喜
参加費  千円
お問い合わせ(03)5840−6460
     
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1800回】            
――「支那人は不可解の謎題也」・・・徳富(25)
徳富蘇峰『支那漫遊記』(民友社 大正7年)

 ■「(28)今猶ほ古の如し」

徳富は「現時の支那を見よ、春秋戰國と果して何等の差異ある乎」と問い
掛けた後、「要するに支那の(正統とされる歴代王朝の正史である)二十
四史は、同一の筋書を、各個各種の役者が、之を演じたる記録のみ」であ
り、記録内容の枝葉末節に違いはあるが、根本においては同じだ。「20世
紀の今日も、一皮剥ぎ來れば、春秋戰國時代の秦、楚の交鬪を、繰り返し
つゝあるにあらずや」。

やはり「日本人が、支那を研究せざるを遺憾」とするが、じつは「支那人
彼自身が、其の研究を閑却するを、嘆惜」しないわけにはいなかい。「彼
等現時の状態は、牛に騎りて牛を尋ぬる者」のようなものだ。

たしかに国共内戦で蒋介石に勝利した毛沢東による統一から、反右派闘
争、大躍進、文革、対外開放、さらには一帯一路の現在までを背景とする
権力闘争を振り返って見ると、たとえば毛沢東は始皇帝に類するし、反右
派闘争や文革は焚書坑儒に似ているところからして、「今猶ほ古の如し」
ではある。

■「(29)楚材晉用」

近くは太平天国の乱を鎮め清朝を救った曾國藩兄弟、末期の清朝を支えた
李鴻章、辛亥革命を指導した黄興、宋教仁、さらには毛沢東に劉少
奇・・・春秋時代以来、「其の理由の何れにあるにせよ」、古の楚に当た
る長江中下流域一帯は「政治方面に於て、人材を産したるのみならず、思
想及び文藝の上に於て、尤も其の異彩を放」つほどに人材の宝庫である。

■「(30)犬の骨折鷹の功名」

辛亥革命を起こしたのは南方の革命派だが、「北方の武斷派の爲めに」革
命の果実は奪われ中華民国の実権を握られてしまった。これこそ「犬の骨
折鷹の功名」というものだ。このままでは「到底南北統一の見込は立ざる
可し」。「此儘ならば、唯だ睨合、打合、敲合の情態にて、推移するの他
なからむ歟」。

ということは徳富は、統一政府の実現はムリという前提に立ったうえで日
本の大陸政策は立案・策定されるべき、と考えていたということになる。

■「(31)支那人の支那知らず」

「日本人が、支那を知らぬのみならず、今日の所、支那人も亦、支那を知
らぬが如し」。彼らは「支那特有の民風國俗」を「無視して、一概に他を
模倣せんとす」るから間違うのだ。「日本人の支那に對する、一大誤謬
は、日本を以て直に支那を律すること」にあり、彼らの「自ら陥る誤謬
も、亦た支那と日本とを同一視すること」にある。

「惟ふに支那を禍したるは、日本の維新改革史より大なるはなかる可
し」。なぜなら維新改革が「容易に出來したるを見て、支那の改革も亦
た、手に唾して成就す可し」と誤解してしまったからだ。だいたい日本と
は違う。根本的に違う。「(維新)當時の日本は面積に於て、支那の約三
十分一にして、人口に於ては、約十分一に過ぎず」。人口でも面積でも
「日本一國が、支那の一省と相匹する程」であることを、先ず考えておく
必要がある。

「支那に比すれば、取扱ふに手頃ろなる、日本に於てさへも、改革の業
は、今日より思ふ程に容易」ではなかったことを思い起こせば、彼らが
「一朝にして帝政を廃し、一朝にして憲法を布き、一朝にして議會を設
け、而して坐ら其の大成功を見んと欲す」などということは、「餘まりと
云へば、蟲の善き話ならずや」。

つまりは自ら苦しまずして、他国で成功したモデルを持ち込めば成功する
だろうなどという『舐め切った態度』『腐り切った根性』――徳富の指摘
は、今も生きている。

    

◆お邪魔虫共産党

渡部 亮次郎


中国では幹部でも汚職がばれれば死刑になる。それでも幹部の汚職が引き
もきらない。いくら共産主義に共鳴しても、私欲とは人間の本能に等しい
ものだからである。

こうした目で中国を見ていれば、共産党が政権を掌握している限り
人権尊重や政治の民主化なぞは絶対実現しないと思うのが普通だが、経済
の改革開放が進むのに比例して民主化が進むはずだと考える人々がいる。
特にアメリカの人たちに多い。

中国が何故、共産革命に成功したか。それは国家権力を手中にしようとし
た毛沢東の策謀が成功したからである。国家の形態は何でも良かったが、
とりあえず貧民が国民の大多数だったので、「金持ちの財産を分捕り、皆
で平等に分配しよう」と言う呼びかけに合致したのが共産主義だった。

共産主義政府の樹立が毛沢東の望みではなかった。真意は権力の奪取だっ
た。日中戦争の終結で、日本軍の放棄して行った近代兵器を手中にして蒋
介石と国内戦争を続けた結果、蒋介石は台湾に逃亡した。毛沢東は昭和
24(1949)年10月1日、中華人民共和国建国を宣言した。

人民も共和も中国語には無い。日本語だ。畏友加瀬英明氏の説明だと、中
国語には人民とか共和と言う概念が無いのだそうだ。北朝鮮はそれに民主
主義が加わって嘘が深化している。

権力は掌握したが、人民への約束を果たす手段が無い。とりあえず人民公
社と大躍進政策が当時のソ連をモデルに実施されたが、農民は生産意欲の
低下とサボタージュで抵抗。

結果として食糧不足に陥って各地で飢饉が発生。餓死者は1500万人から
4000万人と推定されている(「岩波現代中国事典」P696)。

毛沢東の死(1976年)後2年、失脚から3度目の復活を遂げていたトウ小平が
経済の開放改革を断行。開放とは日本など外国資本の流入を認め、改革と
は資本主義制度への転換を意味した。

4つの近代化を掲げたのだ。工業、農業、国防、科学技術の近代化であ
る。今のところ実現に近付いているのは軍事の近代化である。

トウ小平は政治の近代化だけは断乎として拒否した。肥大化した経済が政
治(共産政府)を圧倒する危険を回避したのである。だから第2天安門事件
には反革命の匂いを嗅ぎ、断乎、弾圧した。

しかし発展する資本主義にとって共産党政府による様々な統制は邪魔以外
の何物でも無い。工場用地の確保一つとってみても、土地すべての国有は
障害でしかないが、自由にならない以上、共産党幹部を「買収」する以外
に方法が無い。

したがって多発する共産党幹部による汚職事件はいわば構造的なことで
あって、客観的にみれば「事件」ではなく「日常茶飯事」に過ぎない。

しかも冒頭に述べたように「私欲」は本能のようなものだ。所有を否定す
るのが共産主義の思想でも「本能」には勝てっこない。つまり共産主義体
制化で経済だけを改革開放すれば汚職簸自動的に起きるし、共産党幹部に
すれば、現状を変更するメリットは全く無いわけだ。

汚職は時たましか発覚しない。摘発で死刑になるのは不運な奴で政府の知
るところではないのだ。かくて中華人民共和国政府は汚職にデンと腰を下
ろした政権。民主化を抑え、人権無視の批判など絶対耳に留めない。耳が
左右に付いているのは右から聞いたら左から逃す為にあるのだ。2010・12・5

◆中国が世界各地で仕掛ける「債務の罠」

櫻井よしこ


「中国が世界各地で仕掛ける「債務の罠」 「第二のスリランカ」阻止
への正念場だ」

広域経済圏構想「一帯一路」を推進して、世界に覇権を打ち立てるという
中国の思惑が、またひとつ崩れ去るのか。日本や米国、インドやオースト
ラリアは中国の横暴な世界戦略に修正を加えることができるのか。

インド洋に浮かぶリゾートの島国、モルディブで9月23日、大統領選挙が
行われ、親中派のアブドラ・ヤミーン氏が敗北した。野党統一候補のイブ
ラヒム・モハメド・ソリ氏が58%の得票で勝利したことで、これまでの親
中路線が修正される可能性が生まれた。それ自体、歓迎すべきことだが、
多くの困難が待ち受けているだろう。

前政権のヤミーン氏は2013年の大統領就任以降、いち早く一帯一路構想に
賛同し、積極的に中国マネーを導入した。無謀なインフラ工事を進め、ヤ
ミーン氏自身も腐敗の極みにあり、現時点で中国に対するモルディブの債
務は20億ドルに上る。IMF(国際通貨基金)の統計では同国GDP(国
内総生産)は四五億ドルで、対中債務はGDPの実に45%を占めている。

モルディブが、「債務の罠」にはまったのは明らかで、モルディブ国民が
今回の選挙で親中派を排除した最大の理由である。実は彼らの危機意識
は、モルディブ同様、一帯一路の要衝にあたり、債務の罠にはまってし
まったスリランカの事例によって高まった。

スリランカでも、親中派政権が巨額の中国マネーを導入し、ハンバントタ
港の大規模整備を進めた。国民は膨れ上がる債務と6.8%の高金利のもた
らす悲劇を直感し、親中派を退けた。

新政権は追加の開発を凍結したが、中国が損害賠償を要求すると窮地に
陥った。どうあがいてもスリランカには賠償金の支払いも債務の返済も無
理だ。足下を見た中国は、それまでの微笑みをかなぐり捨ててハンバント
タ港の99年間のリース権を要求した。

こうしてスリランカ政府は、事実上、半永久的に港を中国に奪われてし
まった。この間の経緯をじっと見ていたのがモルディブ国民だった。

港や戦略的に重要な拠点を奪われているのは、スリランカだけではない。
オーストラリアも同様である。

同国の北に位置するダーウィン港は米海軍が定期的に寄港する軍港であ
る。そこに隣接する広大な土地の99年間のリース権を、オーストラリアは
なんと中国に許してしまったのだ。15年、中国が支払ったのはわずか約
460億円である。オーストラリア政府はこの取引を阻止せず、アメリカの
オバマ政権(当時)は事後になるまでこの件について知らされていなかった。

独占的権利を得た中国は、米海軍が拠点とするこの軍港の大規模拡張計画
を発表済みだ。今年5月、アメリカは太平洋軍を「インド・太平洋軍」と
改称したが、インド洋に睨みをきかせようとするアメリカに中国は堂々と
挑んでいるのである。

ダーウィンからインドネシアの南側を北西に進むとスリランカに行きつ
く。インドの鼻先に位置する同国のハンバントタ港については前述したと
おりだ。

ハンバントタから南西に下がった所に、今回、中国に反旗を翻したモル
ディブがあり、さらに西に進めば紅海の入り口にジブチがある。ジブチに
は、中国が初めて海外に築いた軍事基地がある。

ジブチに対しても中国はすでに債務の罠を仕込んでいる。同国のGDPは
20億ドルとされるが、そこに中国はアフリカ最大規模の自由貿易区を、35
億ドルかけて建設したのだ。

ジブチの辿るであろう運命はすでに明らかだ。世界各地で進行中のこの悪
魔のような債務の罠に絡めとられた国々をどのようにして助けていくのか
が問われている。とりわけ日米豪印はモルディブを第二のスリランカにし
ないために最大限の協力をしなければならない。まさに正念場である。

『週刊ダイヤモンド』 2018年10月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1250

◆いちごの生産者だった夏 

石岡 荘十


「頂門の一針」主宰・渡部亮次郎氏が、本誌に掲載した「いちごの話」を読んで思い出したことがある。小学5年生だった一夏、私はいちごの生産者の端っくれだった。

敗戦翌年5月、私たち一家は中国の天津から引揚げ、父親の生家である秋田県・八森村へ落ち着いた。秋田音頭のしょっぱなに出てくる「八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ〜」のあの寒村だ。

生家は父が若くして東京に出た後、弟(叔父)が家を継いで百姓をやっていたが、赤紙一枚で徴兵され満洲(中国東北部)の最前線へ。終戦と共に、シベリアへ持って行かれ、留守宅は祖母と叔母が幼い子ども2人を抱えてほそぼそと稲作百姓をやっていた。そこへ、われわれ一家4人が転がり込んだのである。

ご多聞に洩れず、農家も食糧難だった。畑で芋やナス、キュウリ、トマトを作り、山に入って山菜を採り、新米の収穫まで食いつなぐこととなった。

間もなく、生まれて初めての田植えにも駆り出される。父と母は、元を質せば百姓の生まれだから昔取った杵柄、手際はいい。慣れないとはいえ、小学5年生の私と中学生の兄、も立派な労働力だった。

夏。小柄だが目端の利く祖母が、そのころはまだ珍しかったいちごの栽培を始めた。ビニールハウスなどまだない。夜明けと共に、学校へ行く前に畑でいちごを摘む。

取立てのいちごを大きな背負い駕籠いっぱいに入れてこれを担ぎ、学校へ行く途中集荷所まで運ぶのが私の役目だ。集荷所までは子どもの足で小1時間。その日の売り上げを受け取り、空になった駕籠を担いで学校へ行く毎日だった。

草鞋を履くのも初めてなら、駕籠を背負って学校へ行くのも生まれて初めての経験であった。荷は肩に食い込み、草鞋の緒で足の指の間からは血が滲んだ。

何より恥ずかしかった。紺サージの制服にぴかぴかの革靴で学校に通っていた天津での生活は、いまやここでは別世界の出来事だった。そのうえ、学校の行き帰りには、「引揚者、引揚者」と蔑まれ、いじめにもあった。

それでも田植えで泥まみれになり、田の草をとり、秋には稲刈りもした。そうこうしているうちに秋。11月には父の仕事先が群馬。・高崎と決まり、半年過ごした秋田を後にしたのだが、この頃には、ずーずー弁もまあまあ操れるようになり、いじめっ子たちとの間にも友情が芽生えていた。

高台の集落を去る日、その日は日曜日だったが、10人ほどのガキが口々に大声で「まだ、こらんしぇ」(また、来いよ)といつまでも手を振ってわが一家を見送ってくれたのだった。

高校を卒業するまで高崎で過ごした。その後東京へ進学、就職。で、ここまで想い返してみると、報道に関わった日々を含めて、ニュース原稿は腐るほど書いたが、秋田を去った後、モノを生産したことは一度もなかったことに気がつく。

70年を越える今日まで、形のあるモノを生産した経験はいちご作りだけだった。あの夏、私はいちごの生産者の端くれだった。幼い肩に食い込むいちご駕籠の重みを懐かしく思い出す。

それにしても、いまどきの季節外れの、ビニールハウス育ちのいちごの味の薄いこと。自分が作って売ったあの本物のいちごの味覚に出会うことは二度とないのかもしれない。    

2018年10月09日

◆伊のトリエステ港を狙う中国

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月4日(木曜日)弐 通巻第5846号  

 ピレウスの次はイタリアのトリエステ港を狙う中国
  イタリア首相府。「一寸の土地も中国には売り渡さない」

旧ユーゴスラビアの北端は、いまスロベニア(首都はリュブリナ)。冷戦
時代は、この国境に高い「壁」が築かれ、西側と遮断されていた。

北西のノヴァゴリッツァの目の前がイタリア、いまは自由に行き来でき
る。筆者も三年ほど前に行ったが、イタリア側とハイウェイが繋がり、イ
タリアのほうから物価の安いスロベニアのスーパーに買い物に来ている
(拙著『日本が全体主義に陥る日――旧ソ連、衛星圏30ヶ国の真実』、ビジ
ネス社を参照)。

そのスロベニアに突き刺さるようにアドリア海の内湾に入り込んだイタリ
アの港がトリエステである。この地は古代ローマ時代から軍事要衝だった。

欧州で11番目の規模(コンテナの扱い量)の港は、アドリア海からヨー
ロッパ大陸を?ぐ。この港から欧州製品が世界各地へ輸出されている。観
光地ヴェニスの対岸である。

中国が大規模な投資、インフラ建設を呼びかけているのが、このトリエス
テ港だ。

ギリシアのピレウスに比べると小規模とはいえ、ターミナルの拡張、倉庫
の拡大と物流アクセスの複線化などのインフラを整備すれば、コンテナ扱
い量を飛躍させることができると中国が提案したという。

たしかに、ギリシアのピレウスは欧州への玄関であり、コンテナの年間取
り扱い糧は、375万TEU(20トンコンテナが一単位)。一方のトリエス
テは73万TEUだ。

しかし、ピレウスの管理運営権は、ギリシアの財政難、IMF救済の大
騒ぎに紛れて、2016年に中国のCOSCOが30億ドルで買収した。 以
後、不正書類や輸入量の誤魔化しばかりか、不法移民がコンテナ輸送さ
れていたことも発覚した。
 
イタリアのメディアが騒ぎ出した。

「中国がピレウス港を買収したように、トリエステ港は中国に奪われる
のではないか」

「スリランカの例にあるように、将来軍事基地となるのでは」

「NATOと対立を煽る結果にならないか」

楽天的なイタリア人から、こういう悲観的見通しが先にでることは珍し
いが、すでにフィレンツェの隣町プラトーが、いつの間にか気がつけば中
国人に乗っ取られてしまったように、現実に中国の経済的進出の脅威を経
験しているからだ。

 ジョルデティ官房長官が会見して曰く。

「われわれはギリシアではない(破産していない)。イタリアの土地は一
寸たりともチーノ(中国)には売り渡さない」。

 さらに付け加えた。「ピレウスからバルカン半島を北上し、ベオグラー
ドからブタペストへ中国は鉄道を建設しているが、基本的なルートの誤断
だ。トリエステからだと、欧州の中枢へ繋げる」
 投資は歓迎、買収なら拒否というのがイタリアの姿勢だ。

◆患者自己注射物語

渡部 亮次郎


日本で糖尿病患者が治療薬「インスリン」を患者自身で注射して良いと決
断した厚生大臣は園田直(そのだ すなお)である。インスリンの発見か
ら既に60年経っていた。逆に言えば患者たちの悲願を歴代厚生大臣が60年
も拒否するという残虐行為をしてきたのである。

園田自身も実は重篤な糖尿病患者であった。しかしインスリンの注射から
逃れていたために大臣在任中、合併症としての腎臓病に罹り、1週間ほど
緊急入院したくらい。大変な痛がり屋。引きかえに命を落とした。

政治家にとって入院は命取り。大臣秘書官として事実を伏せるために余計
な苦労をしたものである。にも拘らず園田はそれから僅か3年後、人工透
析を途中で拒否したため、腎不全により70歳で死亡した。昭和59(1984)年
4月2日のことだった。

その直後、私が糖尿病を発症した。全く予期せざる事態に仰天した。糖尿
病は現時点の医学では絶対治らない病気、いうなれば不治の病というから
業病(ごうびょう)ではないか。絶望的になった。

検査などの結果、私の母方の家系に糖尿病のDNA(かかりやすい遺伝子)が
有り、弟は発症しないできたが、上2人の男兄弟は暴飲暴食による肥満が
契機となって発症したものと分かった。

しかし、あれから30年近く、私は毎朝、ペン型をしたインスリン注射を繰
り返すことによって血糖値を維持し、今のところ合併症状も全く無い。普
通の生活をしていて主治医からも「文句の付けようがありません」と褒め
られている。お陰で園田の年を超えた。

これの大きな理由は注射針が極細(0・18mm)になって殆ど痛みを感じなく
なったからである。あの時、園田が自己注射を決断したお陰で医療器具
メーカーが、患者のためと自社の利益をもちろん考え、針を細くし、簡単
に注射できるよう研鑽を積んでくれたからである。

逆に言えば、厚生省が自己注射を許可しないものだから、医療器具メー
カーは、それまで全く研鑽を積まないできてしまったのである。自己注射
で注射器や針がどんどん売れるとなって初めて研鑽を積む価値があるとい
うものだ。

つまり役人や医者の頭が「安全」だけに固まっている限り医療器具は1歩
たりとも前進しないわけだ。患者たちを60年も苦しめてきた厚生省と日本
医師会の罪こそは万死に値するといっても過言ではない。

そこで常日頃、昭和56年までの糖尿病患者たちの苦しみを追ってきたが、
最近、やっとそれらしい記事をインターネット上で発見した。

「インスリン自己注射への長い道のり」(2001/05/28 月曜日)と題するも
ので、とある。
http://www.geocities.jp/y_not_dm/insurin2.html

東京女子医科大学名誉教授 福岡白十字病院顧問 平田 行正氏へのイン
タビュー記事「インスリン自己注射の保険適用から15周年を迎えて…」よ
り抜粋と要約

<インスリンが発見されたのは、1921年(大正10年)です。欧米では供給
のメドがつくとすぐに患者の自己注射が認められました。しかし、日本で
は60年もの間、自己注射が認められず、また、保険の適用もありませんで
した。

当時の日本では、医療は医師の占有物だとする古い考え方が根強く、医師
会はもちろん、厚生省の役人の中にも、何もインスリン注射をしなくとも
飲み薬があるではないか、と平気で発言する人もありました。

インスリン注射が必要不可欠な糖尿病患者は、インスリンを自費で購入
し、自ら注射するという違法行為でもって、生命をつないでいました。

インスリン発見50周年にあたる昭和46年、糖尿病協会は全国的な署名運動
を行い、3ヶ月足らずで11万4,000名の署名を集めましたが、厚生省から
は、「国としては、正面きってこれを取り上げるのは難しい」という回答
が繰り返されました。(佐藤内閣で厚生大臣は内田常雄に続いて齋藤昇)。

中央官庁の理解が得られず、困り果てた医療側や自治体はあの手この手で
知恵を絞り、自己注射公認まで持ちこたえました。

昭和56年(厚生大臣 園田)、各種の努力によりインスリンの自己注射が
公認され、その5年後には血糖値の自己測定が公認されました。保険適用。

医療は医師だけのものではなく、患者と共に手を携えて行うべきものだと
いうことが公認された、医療史上最初の出来事です。

インスリン自己注射公認までの悪戦苦闘

長野県・浅間病院と県の衛生課や医師会などが協議して、生み出した苦肉
の策。患者の来院時にインスリンを1本処方し、その一部を注射して、残
りを渡して自己注射する。毎月1〜2回患者から直接電話で報告を受ける
ことで、電話再診料として保険請求した。

新聞が長野方式として報じたため、厚生省から中止命令。

バイアル1本を処方して、注射後捨てたものを患者が拾って使用した、と
いう言い逃れ。来院時に400単位を1度に注射したことにして、1〜2週
間は効いている形にした>。


1986年、研究のスタートから10年目、
血糖自己測定が健保適用に  (2003年9月)

血糖自己測定を導入した糖尿病の自己管理がスタートした頃(1976
年〜)、今では誰もがあたりまえと思っているインスリン自己注射は、医
師法に違反するという非合法のもとで行なわれていた。日本医事新報
(1971年)の読者質問欄ではインスリン自己注射の正当性について、当時
の厚生省担当官は「自己注射は全く不可であり、代わりに経口血糖降下剤
の使用があるではないか」と回答している。

これが1970年代の実態だったのである。このような状況に対して、当時の
「日本糖尿病協会」は、インスリン発見50年を迎えて、なおインスリン自
己注射が認められない現状を打破すべく10万人の署名を集めた。そして厚
生大臣をはじめ関係各方面に、インスリン自己注射の公認と健保給付を陳
情したが全く受け入れられなかった。

正当化されたインスリンの自己注射(1981年)
 このような状況だったため、インスリンの自己注射容認と、インスリン
自己注射に関わる諸費用の健保適用までには、なお多くの人の尽力と歳月
を要した。そして結果が出たのは1981年(昭和56年)。この年ようやくイ
ンスリン自己注射の正当性の認知とこれの健保適用が得られた。その内容
は当時行なわれていた慢性疾患指導料200点に、もう200点加算するという
ものであった。これはその後の医療のあり方に大きな影響をもたらし、血
糖自己測定も含め、患者を中心にした医療の実践の必要性と有用性の実証
へと繋げられていった。


<血糖自己測定の健保適用(1986年)(園田死して2年後)

C:\Documents and Settings\Owner\My Documents\血糖自己測定25年.htm

インスリン自己注射の健保適用から5年後、私たちが血糖自己測定研究を
スタートさせてから10年目、大方の予想を上回る速さで血糖自己測定の健
保適用がなされた。これはインスリン自己注射指導料に加算する形で設定
された。

以後、何度かの改定を経て、保険点数には血糖自己測定に必要な簡易血糖
測定機器、試験紙(センサー)、穿刺用器具、穿刺針、消毒用アルコール
綿など必要な機器や備品の全ても含まれるようになっている>。

1人の政治家の柔軟な頭脳による1秒の決断が日本の歴史を変えたといって
もいい決断だった。この事実を厚生省は大げさに発表しなかったが、元秘
書官として責任をもって報告する。(文中敬称略)2007・05・24

◆中国が世界各地で仕掛ける「債務の罠」

櫻井よしこ


「中国が世界各地で仕掛ける「債務の罠」 「第二のスリランカ」阻止へ
の正念場だ」

広域経済圏構想「一帯一路」を推進して、世界に覇権を打ち立てるという
中国の思惑が、またひとつ崩れ去るのか。日本や米国、インドやオースト
ラリアは中国の横暴な世界戦略に修正を加えることができるのか。

インド洋に浮かぶリゾートの島国、モルディブで9月23日、大統領選挙が
行われ、親中派のアブドラ・ヤミーン氏が敗北した。野党統一候補のイブ
ラヒム・モハメド・ソリ氏が58%の得票で勝利したことで、これまでの親
中路線が修正される可能性が生まれた。それ自体、歓迎すべきことだが、
多くの困難が待ち受けているだろう。

前政権のヤミーン氏は2013年の大統領就任以降、いち早く一帯一路構想に
賛同し、積極的に中国マネーを導入した。無謀なインフラ工事を進め、ヤ
ミーン氏自身も腐敗の極みにあり、現時点で中国に対するモルディブの務
は20億ドルに上る。IMF(国際通貨基金)の統計では同国のGDP(国
内総生産)は45億ドルで、対中債務はGDPの実に45%を占めている。

モルディブが、「債務の罠」にはまったのは明らかで、モルディブ国民が
今回の選挙で親中派を排除した最大の理由である。実は彼らの危機意識
は、モルディブ同様、一帯一路の要衝にあたり、債務の罠にはまってし
まったスリランカの事例によって高まった。

スリランカでも、親中派政権が巨額の中国マネーを導入し、ハンバントタ
港の大規模整備を進めた。国民は膨れ上がる債務と6.8%の高金利のもた
らす悲劇を直感し、親中派を退けた。

新政権は追加の開発を凍結したが、中国が損害賠償を要求すると窮地に
陥った。どうあがいてもスリランカには賠償金の支払いも債務の返済も無
理だ。足下を見た中国は、それまでの微笑みをかなぐり捨ててハンバント
タ港の99年間のリース権を要求した。

こうしてスリランカ政府は、事実上、半永久的に港を中国に奪われてし
まった。この間の経緯をじっと見ていたのがモルディブ国民だった。

港や戦略的に重要な拠点を奪われているのは、スリランカだけではない。
オーストラリアも同様である。

同国の北に位置するダーウィン港は米海軍が定期的に寄港する軍港であ
る。そこに隣接する広大な土地の99年間のリース権を、オーストラリアは
なんと中国に許してしまったのだ。15年、中国が支払ったのはわずか約
460億円である。オーストラリア政府はこの取引を阻止せず、アメリカの
オバマ政権(当時)は事後になるまでこの件について知らされていなかった。

独占的権利を得た中国は、米海軍が拠点とするこの軍港の大規模拡張計画
を発表済みだ。今年5月、アメリカは太平洋軍を「インド・太平洋軍」と
改称したが、インド洋に睨みをきかせようとするアメリカに中国は堂々と
挑んでいるのである。

ダーウィンからインドネシアの南側を北西に進むとスリランカに行きつ
く。インドの鼻先に位置する同国のハンバントタ港については前述したと
おりだ。

ハンバントタから南西に下がった所に、今回、中国に反旗を翻したモル
ディブがあり、さらに西に進めば紅海の入り口にジブチがある。ジブチに
は、中国が初めて海外に築いた軍事基地がある。

ジブチに対しても中国はすでに債務の罠を仕込んでいる。同国のGDPは
20億ドルとされるが、そこに中国はアフリカ最大規模の自由貿易区を、35
億ドルかけて建設したのだ。

ジブチの辿るであろう運命はすでに明らかだ。世界各地で進行中のこの悪
魔のような債務の罠に絡めとられた国々をどのようにして助けていくのか
が問われている。とりわけ日米豪印はモルディブを第二のスリランカにし
ないために最大限の協力をしなければならない。まさに正念場である。

『週刊ダイヤモンド』 2018年10月6日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1250

◆与謝蕪村が大阪俳人ってご存知?

毛馬 一三



松尾芭蕉、小林一茶と並ぶ江戸俳諧の巨匠与謝蕪村の生誕地が、大阪毛馬村(現・大阪市都島区毛馬町)だと、江戸時代から「定説」になっていたものと信じていた。

ところがそうではないことが分かり、驚かされた。

というのは、関西大学文学部の藤田真一教授の講演で初めて知ったのだ。

教授講演によると、蕪村生誕地が大阪毛馬であることが「定説」になったのは、実は終戦直後のことで、奈良県で「蕪村直筆の書簡」が見つかったのがキッカケだったとの説明だった。

藤田教授はさらに、次のように語った。

<<蕪村は、自分の故郷のことには何故か余り触れたがらず、唯一、安永6年(1491)に発刊した冊子「夜半楽」(20頁ほど)の冒頭に「春風馬堤曲」を書き、毛馬村の側の淀川の馬堤に触れながら、18首の俳句を添えている。

毛馬村の名前を出したのは、唯一この「春風馬堤曲」だけである。それでも自分の生誕地がこの毛馬村だったとは、弟子や俳人仲間にも殆ど触れていない。

ところが、蕪村が自ら生誕地が大阪毛馬村だと初めて記したのは、蕪村が主宰する「夜半楽」の弟子に、この「春風馬堤曲」の冊子を贈呈した手紙の冒頭添え書に書いていたことが後々に分かったのだ。

冊子を贈呈した大阪在住弟子とは、柳女・賀端(がつい)で、添え書きの中に、自分の生誕地が毛馬村だと、下記のようにはっきりと書いている。

(春風馬堤曲―馬堤は毛馬塘(けまのつつみ)也。即、余が故園(注釈・ふるさと)也。余幼童之(の)時、春色清和の日ニは、必(かならず)ともどちと此(この)堤上ニのぼりて遊び候。水ニハ上下の船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ」)。

この添え書きは、一応江戸時代から「物証」の形を取ってはいたが、毛馬村が生誕地との確実説とはなっては居なかった。

何故なら、江戸時代の発刊諸本は複製本が多く、勝手に削除・加筆されることが多々あった。「夜半楽」弟子に宛てたこの「添え書き」ですら、複製か、それとも蕪村直筆なのか、多々異論が渦巻き、江戸時代以降長い間、確定していなかったのだ。

従って蕪村生誕地は、関西各地を含めた「複数説」が広がっていたという。

ところが前記の如く、終戦直後、奈良県で偶然見つかった同「書き添え書簡」が、「蕪村直筆」だと蕪村学者によって公式に認定された。

これよって、やっと「蕪村生誕地が毛馬村」であると確定したのである。

しかも「春風馬堤曲」冒頭の記述の、淀川風景の描写と切ない郷愁の18首も、毛馬が生誕地であることを補完する形を示すことになり、遂に毛馬村生誕地が不動のものになった訳だ。>>

この経過を考えると、弟子宛の蕪村生誕地を記述した1通の「蕪村直筆添え書き書簡」の学者公認の意味は大きい。

これがなかったら、蕪村が俳諧史に大阪俳人として登場することも無かったことになる。

蕪村が大阪毛馬生誕の俳人と定説になってから、僅か70年ほどしかならない。この影響があって、芭蕉や一茶とは異なり、大阪俳人として蕪村の顕彰が疎かにされてきたことは事実だ。


目下検討中の”記念行事” は、   

@「国際俳句蕪村賞」を諸外国応募者に授与(大阪知事賞・大阪市長賞等)
A シンポジウム(俳句学者・俳人・俳句評論家が参加)
B 屋形船の「句会」(蕪村生誕地近郊の1級河川「淀川・大川」で)
C 蕪村歩こう会:(大阪市立大学文学部と共同事業)
D 蕪村公園内に「蕪村銅像建立」
E 蕪村公園へ植樹(蕪村俳句に詠まれた樹木)
F 蕪村生誕300年記念「俳句大会」(全国・海外から作品募集)
G 蕪村に宛てた絵手紙展(蕪村俳句からの絵手紙を募集・展示会)
H 蕪村カルタつくり(蕪村俳句から作ったカルタを募集・優秀作品を展示会)
I 蕪村紙芝居」と「蕪村顕彰ライブコンサート」同時開催
J 蕪村公園・毛馬閘門・毛馬胡瓜で生誕地都島区を広める「まちづくり」
K 2016年秋「生誕300年祭」を開催。諸外国俳句愛好家を招請

以上の事業を行いたいと考えている。

既に、兜カ學の森と共同して、「蕪村顕彰全国俳句大会」を行うと共に、上記の「蕪村生誕記念祭」も共同で盛大に開催することを合意している。

大坂生誕与謝蕪村生誕記念事業をすすめることによって、後世継承と全国・諸外国に「世界最短の詩・俳句」文化振興を進めていきたいのが、私の願いである。 (了)
         (修正・加筆して再掲)

◆健康百話・肝臓をいたわっていますか

片山和宏 (医師)


肝臓は、右のわき腹からみぞおちのあたりにある、重さが約1kgちょっとの臓器です。

心臓のように「どきどき」したり、お腹が空いた時の胃や腸のように「グーグー」鳴ることもありませんが、ただひたすら黙って体の他の臓器に栄養を送ったり、いらなくなったごみを捨てたりしていますので、家族で言えばまさに最近の若いお母さん達にはとても少なくなった昔の良妻賢母型のお母さんの役割を果たしています。

だからといって、あまり無理ばかりをさせていると、ご主人を見捨てて家出してしまうかもしれません。ですから、ご主人であるあなたが普段からちゃんといたわってあげる必要があるわけです。

 基本的に肝臓は、少しくらい弱っていても自覚症状が出にくい臓器です。しかし、血液検査をすると、実はとても早くから「SOS」のサインを出していることが多いのが特徴です。

 「沈黙の臓器」として有名な、自覚症状の出にくい肝臓も、血液にはちゃんと気持ちを伝えているわけで、血液検査は肝臓の気持ちを察して上げられる重要な検査です。

 これから、どのようにいたわってあげればいいかとか、文句を言いたそうだけど、どのようにすれば早めに察してあげられるかなどについて、今後ご紹介していきたいと思います。(完)

             大阪厚生年金病院 消化器担当

2018年10月08日

◆イタリアのトリエステ港を狙う中国

宮崎 正弘


平成30年(2018年)10月4日(木曜日)弐 通巻第5846号  

 ピレウスの次はイタリアのトリエステ港を狙う中国
  イタリア首相府。「一寸の土地も中国には売り渡さない」

旧ユーゴスラビアの北端は、いまスロベニア(首都はリュブリナ)。冷戦
時代は、この国境に高い「壁」が築かれ、西側と遮断されていた。

北西のノヴァゴリッツァの目の前がイタリア、いまは自由に行き来でき
る。筆者も三年ほど前に行ったが、イタリア側とハイウェイが繋がり、イ
タリアのほうから物価の安いスロベニアのスーパーに買い物に来ている
(拙著『日本が全体主義に陥る日――旧ソ連、衛星圏30ヶ国の真実』、ビジ
ネス社を参照)。

そのスロベニアに突き刺さるようにアドリア海の内湾に入り込んだイタリ
アの港がトリエステである。この地は古代ローマ時代から軍事要衝だった。

欧州で11番目の規模(コンテナの扱い量)の港は、アドリア海からヨー
ロッパ大陸を?ぐ。この港から欧州製品が世界各地へ輸出されている。観
光地ヴェニスの対岸である。

中国が大規模な投資、インフラ建設を呼びかけているのが、このトリエス
テ港だ。

ギリシアのピレウスに比べると小規模とはいえ、ターミナルの拡張、倉庫
の拡大と物流アクセスの複線化などのインフラを整備すれば、コンテナ扱
い量を飛躍させることができると中国が提案したという。

たしかに、ギリシアのピレウスは欧州への玄関であり、コンテナの年間取
り扱い糧は、375万TEU(20トンコンテナが一単位)。一方のトリエス
テは73万TEUだ。

 かし、ピレウスの管理運営権は、ギリシアの財政難、IMF救済の大騒
ぎに紛れて、2016年に中国のCOSCOが30億ドルで買収した。以後、不
正書類や輸入量の誤魔化しばかりか、不法移民がコンテナ輸送されていた
ことも発覚した。
 
イタリアのメディアが騒ぎ出した。

「中国がピレウス港を買収したように、トリエステ港は中国に奪われるの
ではないか」

「スリランカの例にあるように、将来軍事基地となるのでは」

「NATOと対立を煽る結果にならないか」

楽天的なイタリア人から、こういう悲観的見通しが先にでることは珍しい
が、すでにフィレンツェの隣町プラトーが、いつの間にか気がつけば中国
人に乗っ取られてしまったように、現実に中国の経済的進出の脅威を経験
しているからだ。

ジョルデティ官房長官が会見して曰く。

「われわれはギリシアではない(破産していない)。イタリアの土地は一
寸たりともチーノ(中国)には売り渡さない」。

さらに付け加えた。「ピレウスからバルカン半島を北上し、ベオグラード
からブタペストへ中国は鉄道を建設しているが、基本的なルートの誤断
だ。トリエステからだと、欧州の中枢へ繋げる」

 投資は歓迎、買収なら拒否というのがイタリアの姿勢だ。