2018年11月15日

◆危うい歯舞、色丹の「2島先行返還論」

杉浦 正章


プーチンは国後、択捉の現状固定狙う

日露首脳会談の焦点は言うまでもなく、北方領土問題であったが、首相・
安倍晋三の成果を急ぐ姿勢が目立ち、プーチンに「技あり」を取られかね
ない側面が生じた。なぜかと言えば日本が「四島返還」より「歯舞、色丹
の2島先行」に傾斜したと受け取れるからだ。

安倍は56年の日ソ共同宣言の「日ソ両国は引き続き平和条約締結交渉を行
い、条約締結後にソ連は日本へ歯舞群島と色丹島を引き渡す」に回帰し
て、とりあえずは二島返還で平和条約交渉を先行させる構えを垣間見せて
いる。しかし、したたかなプーチンが先行返還と言っても他の2島を返還
する可能性はゼロに近いと見るべきだろう。

問題は、56年共同宣言に盛られた北方領土は「歯舞群島と色丹島」だけで
あり、国後、択捉への言及がないことだ。ロシアの「二島での食い逃げ」
は当然予想できることである。にもかかわらず2党返還で平和条約を締結
することになれば、ロシア側は日本の譲歩と国内的に喧伝する意図があり
ありだからだ。なぜならプーチンはかねてから「国後、択捉は議論の対象
にならない」と主張してきており、それが実現したと受けとれるからだ。

あきれたことにプーチンは、歯舞群島と色丹島についても「日本に引き
渡された後の2島に日露どちらの主権が及ぶかは共同宣言に書かれていな
い。今後の交渉次第だ」と、引き渡した後もロシアの主権が及ぶという姿
勢を貫こうとしている。したたかにも交渉のハードルを上げてロシアの主
権を主張する意図がありありだ。クリミア併合で国内の評価が急上昇した
“甘い汁”を北方領土でもう一度という魂胆が垣間見える。

プーチンは国際的にウクライナの領土と見なされていたクリミア自治共和
国、セヴァストポリ特別市をロシア連邦の領土に加えることに成功した。
1991年にソビエト連邦が崩壊し、ロシア連邦が成立した後、ロシアにとっ
て本格的な領土拡大となった。北方領土で譲歩すればクリミアで得た国民
の評価を、一挙に灰燼に帰することになるのが構図だ。

さらに重要なのはロシアには北方領土を日本に渡せば、米軍が常駐しない
までも、一朝有事の際は島々が米軍の不沈空母となりかねないと言う危惧
がある。地政学的には極東における日米の安全保障上の立場を強化するこ
とになる。当然予想される事態だ。

 最近の対露交渉で懸念されるのは、プーチンの「食い逃げ」である。
プーチンの狙いは、日本の経済協力であり、その発言から見る限り領土問
題での譲歩は、そぶりすら見せていない。日本側には通算22回も会談する
のだから「めどくらい立つだろう」との期待が強いが、表だって目立つの
はプーチンのしたたかさだ。安倍の会談の目的は領土問題だが、プーチン
には会談すること自体を重視しているかに見える。

加えて、プーチンは10月に公的な会合で「日露間に領土問題は存在してい
ない」と言明、交渉姿勢を分析すれば「ゼロ回答」ばかりが透けて見え
る。今後安倍は、月末のブエノスアイレスでの主要20か国首脳会議でも首
脳会談を行うし、来年には早い時期に訪露する方針である。

ロシア経済は原油価格の低迷によって2015年、16年と2年連続で景気後退
に陥ったものの、価格の持ち直しで2017年の同国の実質国内総生産が前年
比で1.5%増え3年ぶりのプラス成長を達成。2018年も2年連続のプラス成長
が見込まれている。

したたかなプーチンは堅調なロシア経済を背景に強気の外交姿勢を維持す
るものとみられ、突き崩すのは容易ではあるまい。安倍としては、来年夏
には参院選があり、急進展があれば別だが、対露外交はよほどの進展がな
い限り選挙のプラス材料にはなりにくいのが実情だ。

◆こんどはマダガスカルが。。

宮崎 正弘


平成30年(2018年)11月14日(水曜日)弐 通巻第5889号   

こんどはマダガスカルが「あの国」に狙われた
 カヌー漁業へいきなり近代漁船330隻を投入、大統領のスキャンダルに発展

マダガスカル? 地球の何処にある?

アフリカ東海岸モザンビークの東沖合400キロに浮かぶ島。しかし「島」
とは言っても面積は日本の1・6倍、人口は2200万人強。大半の国民は一
日2ドルで暮らす最貧国。もとはフランス植民地だった。

突然、この国にスポットが当たったのは、テレビの旅行番組だった。

マダガスカルにしかいない「横っ飛びの猿」(ベローシファカ)、キツネ
ザルなど珍しい動物とキノコのお化けのような木々がジャングルに群生す
るという不思議。自然に興味の向き是非とも行ってみたいと思うかも知れ
ない。かくいう筆者、1985年に一度、行っている(といっても正確に言う
と、ヨハネスブルグの帰路、2時間ほどトランジットしただけですが)。

世界政治から、突然、マダガスカルが注目を浴びたのは「コバルト」だっ
た。世界のコバルト消費量の48%が中国、20%が日本。スマホの急発展に
よって、リチゥムイオン電池の需要が急伸し、その基幹のレアメタルがコ
バルトである。

日本の企業も、コバルト輸入には神経質となっており、げんにコバルト価
格は過去3年で4倍に膨れあがっている。世界一のコバルト生産はコンゴ
民主共和国(昔のザイール)。鉱山経営のアメリカ企業から、中国はぽん
と26億ドルのキャッシュを支払って筆頭株主となっている。

このコバルトがマダガスカルで生産されているのだ。日本企業もはやばや
と住友商事がコバルト鉱山開発に手を染めている。コバルトは銅、ニッケ
ル鉱に付随して産出されるので、精錬に高度の技術が必要とされる。

それまでは旧宗主国フランスも経済支援には投げやりで、なにしろ主要部
族だけで16。多くの部族語はボルネオあたりから漂着したマレー語が源流
とも言われる。統一言語がないため、フランス語と英語が公用語である。
ちなみ通貨単位は「アリアリ」。何もないのに在るとは、これ如何に?

政情不安、機能しない政府、憲法に基づかない政権交代など、要するに法
治主義とは何かが分かっていない人々が、この国を統治している。
地理学的には紀元前にアフリカ大陸から千切れ、インド亜大陸から、もぎ
取らてれ孤島となってしまい、世界との交流は少なかったため、独自の
動・植物が育った。沿岸部ではカヌーを改良したような小舟の原始的な漁
業が営まれている。


 ▼マダガスカルの基幹産業が壊れる

降って湧いてきた壮大無比のプロジェクトは、やっぱり「あの国」からで
ある。

近代的漁船330隻がマダガスカルに投入されるという。総額27億ドル
(マダガスカル史初の巨額)という漁業協定はマダガスカル政府ではな
く、民間企業と北京政府系の中国企業コンソシアムとの間に署名され、し
かもその企業は、当時のヘリー・ジャオナリマンビアニ大統領の息子が取
締役を務める会社である。

だれが考えても面妖な話、しかもこの協定にマダガスカル政府漁業省が一
切関知していない。民間企業は「マダガスカル経済発展推進社」とかの、
公的なニュアンスを匂わせる会社だが、実態は不明である。
 
署名式は9月5日、北京で行われた。しかも署名式の部屋の片隅にヘ
リー・ジャオナリマンビアニ大統領が映っている証拠写真がメディアに
よって報じられ、大統領は「私は知らない。なんの署名式だったのか、関
与していない」と誰もが嘘と分かる弁明。

同大統領はその2日後に辞任した。このため90日以内に大統領選挙が行わ
れるが、下馬評でトップを走るのが、やはり、このヘリー・ジャオナリマ
ンビアニ大統領なのである。

 中国が近代的漁船を大量に派遣して漁業を営めば、マダガスカルの漁業
資源はあらかたが取り尽くされる。なにしろ漁獲量の殆どは中国への輸出
に廻される契約となっているらしい(契約内容は公開されていない)。

地元漁民は小型ボート(エンジンもない)、沿海でしか操業できず、中国
の「漁業侵略」が始まったらひとたまりもなく失業するだろう。それでな
くとも北部に住み着いた華僑を通して、地元民はその阿漕な遣り方を知っ
ており、中国人が嫌いである。


 ▼中国の乱獲、独占は悪名高いゾ

『アジアタイムズ』(2018年11月12日)に拠れば、中国側の契約相手は七
つの民間の漁業、船舶、港湾開発など特定できない中国企業で、最初の三
年間に7億ドルを投じ、まず港湾と整備し、漁場を調査・観測し、保冷倉
庫や輸出設備を造成、地元漁民も一万人が雇用されるという薔薇色の青写
真が提示されている。

その後、14メートルの近代的な漁船には保冷設備を内蔵し、トロール方式
で漁獲効率をあげるというが、日本でも小笠原諸島近海で、赤珊瑚を根こ
そぎ盗んでいった実績を誇る中国の漁船団は、近年、アフリカの海も荒ら
し回っており、EU委員会の報告に寄れば、2017年度だけでも250万トン
の魚介類を水揚げした。

マダガスカルのEEZ(経済的排他海域は、宏大であり、合法的にも中国
の船団が入ってくれば、海の生態系も変わる。

マダガスカルにおいて欧米の自然環境保護団体が多数活躍しており、彼ら
が自然破壊に繋がると懸念を表明している。地元漁民の反対デモなどはま
だ確認されていないが、数日中に大統領選挙の投票時を迎える。
大統領選挙、どういう結果になるか?
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1819回】        
 ――「支那の國ほど近付いてあらの見ゆる國は無し」――關(3)
關和知『西隣游記』(非売品 日清印刷 大正7年)

               ▽
じつは清朝八大親王の1人である肅親王善耆は、「男装の麗人」「東洋の
マタハリ」と呼ばれた川島芳子こと金璧輝の父親である。母親は肅親王善
耆の第四側妃。芳子には2人の妹がいたが、下の妹の愛新覚羅顕?は『清
朝の王女に生まれて』(中公文庫 1990年)に金璧輝が川島芳子になった
理由を、「父が日本人を利用して清の復辟を祈願していたため、当時父に
取り入っていた川島浪速という日本人に、連れられて行きました」と記す。

川島「お雇い外人」として末期の清朝で警察官の養成に当たったが、その
際、肅親王善耆やその娘婿に当たる蒙古王公のカラチン王と親交を結んだ。

清朝崩壊後、北京を離れ旅順鎮遠町十番地に移り住んでいる。おそらく關
和知らは、この鎮遠町十番地に肅親王善耆を訪れたのだろう。

1912年、川島は肅親王善耆を擁して第1次満蒙独立運動を計画するが、日
本政府の命令で計画は頓挫する。その後、1916年(大正5)年に第2次大
隈内閣の進める「反袁政策」の下で第2次満蒙独立運動を画策するが、日
本政府の方針転換と袁世凱の死で失敗に終わった。

1922(大正11)年の肅親王善耆の死を『清朝の王女に生まれて』は、「父
は北京をでる時、(清朝崩壊と亡命の悲哀を綴った)詩を作って、それっ
きり北京の土は踏みませんでした。復辟(退位した皇帝を再び復位させる
事)運動にも失敗して、わずか享年57歳で、亡命の地旅順に在って最後の
息を引き取ったのです」と記す。

關ら6人は1917(大正6)年10月から12月にかけて旅行しているところか
らみて、一行が面会し当時の肅親王善耆は、第2次満蒙独立運動失敗の失
意に落ち込んでいた頃と思われる。

「日本人を利用して清の復辟を祈願し」ていた肅親王善耆である。はたし
て清朝復辟のために日本人と見たら誰彼となく「人を動かす」ような言辞
を弄していたのだろうか。

肅親王善耆の次は反日運動を考えたい。

「支那人の日本人に對する惡感は依然として存在」するばかりか、最近
では盛んになってきて、「往々にして我が威令を輕じ、時に反抗的態度に
出づ」。たとえば「埠頭に於ける苦力のストライキ」であり、「荷馬車曳
のストライキ」であり、「日本婦人に對する支那車夫の侮辱」などだ。

その責任を考えると、やはり「日本に於ける我政府の對支方針が、單に支
那の歓心を買ふを以て能事とする、所謂親善主義なるもの」にある。それ
というのも、日本側の微温的な対応が相手側に「帝國の威信を輕ずるの弊
を誘致」してしまったからである。その一例として鄭家屯事件を挙げ、事
件を曖昧な形で収束させてしまったことが「帝國政府自ら輕ずるの甚だし
き一例」とする。

鄭家屯事件とは、1916(大正5)年8月に日本人売薬店員と中国兵のささい
な口喧嘩が発端となって遼寧省鄭家屯で起こった両国軍衝突事件。

日本軍が同地を占領した後、当時の大隈重信内閣は中国側の司令官の懲戒
に加え、南満洲・東部内蒙古の必要地点への警察官の駐在を要求した。じ
つは1900年の北京で起こった義和団事件(北清事変)を機に結ばれた北京
条約によって、日本は欧米諸国と同じように自国民保護のために軍を駐留
させる権利を得ていたのである。

当時の両国関係を簡単に振り返っておくと、1915(大正4)年1月、日本が
提出した対華21カ条要求をめぐる交渉がはじまったものの、日本はイギリ
スの抗議を受け、要求の一部を取り下げた。

この対応が、日本がイギリスの圧力に屈したことであり、延いては中国側
の日本に対する軽侮・蔑視的態度を誘発するとの考えが当時の陸軍から生
まれる。

その筆頭が、袁世凱に密着していた陸軍支那通の代表的存在の坂西利八郎
らしい。
  

◆これからの日中関係を決める首脳会談

櫻井よしこ


「これからの日中関係を決める首脳会談 騙され続けた長年の歴史から
脱せるか」

10月23日、私が理事長を務めるシンクタンク「国家基本問題研究所」は
「中国の人権侵害に、日本の沈黙は許されない」とする意見広告を、複数
の全国紙に掲載した。

中国政府は100万人を超えるイスラム教徒のウイグルの人々を収容所に押
し込め、絶え間ない洗脳を行っており、多くのウイグル人が弾圧され、拷
問を受け、死亡し、廃人にされ、或いは深刻な後遺症に苦しんでいる。

米議会はマルコ・ルビオ上院議員らが中心になって、民主、共和両党が結
束し、中国政府に問題をつきつけた。米議会は中国の凄まじい人権弾圧を
「人道に対する罪」と定義し、国際社会に告発した。

2022年の冬期五輪の 開催地に予定されている北京を他の都市に変更する
よう、国際オリンピッ ク委員会に要請し、中国で国家分裂罪で無期懲役
の判決を受けて獄中にあ るイリハム・トフティ氏を来年のノーベル平和
賞に推薦するという。

ルビオ氏らは同盟国にも、中国非難の同じ隊列に加わるよう求めている。
米中間で進行中の貿易戦争の背後には両国の価値観の相違がある。ウイグ
ル人に対する不条理な弾圧はそのひとつである。日米安保条約によって同
盟国として結ばれている日本にとって、価値観の闘いで、米国と共同歩調
をとらない理由はない。その意味で日本の政府も国会議員も、いま、ウイ
グル問題で声を上げるべきである。

トルコのサウジアラビア総領事館でジャーナリストのジャマル・カショギ
氏が殺害された。サウジ政府によるカショギ氏殺害の、人権無視の酷
いや り方はもはやどの世界にも受け入れられない。

一人のジャーナリストの殺 害事件が、サウジ皇太子のムハンマド・ビ
ン・サルマン氏の地位を危うく している。米国とサウジの関係に亀裂が
生じ、サウジの影響力が低下し、 イスラエルとの連携も弱まり、イラン
が得をし、結果として中東情勢が揺 らぐ深刻な展開になりかねない。

人権問題が世界情勢を大きく左右する要素になる中で、中国はサウジより
も遙かに残酷な拷問死の山を築いてきた人権弾圧国家である。日本の政治
家が中国に抗議の声を上げない方がおかしいのである。

たとえウイグル問題がなくとも、日本政府には中国の人権弾圧について発
言しなければならない事情がある。8人もの日本人が中国にスパイとして
囚われている。彼らがスパイであるなどとは信じ難い。中国側は容疑を裏
付ける詳しい情報を全く示していない。これまでにも中国が日本人をスパ
イ容疑で拘束した事例はあるが、いずれも濡れ衣と言ってよい事例だった。

26日(本稿執筆は23日)の、実に7年ぶりの日中首脳会談で安倍晋三首相
が何を語り、何を語らないかで、これからの日中関係が決まる。首相は日
中首脳会談を望みながらも中国が首脳会談実現の条件としてつきつけた要
求に屈しなかった。中国側が欲し、日本側も欲した首脳会談でも、同じよ
うに妥協しないことが日本の国益を守る道だ。

日本側が中国側に求めるべきことは、まず第一に日本国民の人権と命を守
るという意味で、前述の8人の日本人救出である。次に尖閣諸島海域に定
期的に侵入する中国の公船について1ミリも譲らずに抗議することだろ
う。そうしなければ尖閣海域における中国の行動を黙認し、中国が領土を
奪うことを認めることになる。第三に中国の知的財産の窃盗への抗議だ。
米中貿易戦争で米国の側につく意思を示し、同時に日本が被っている損害
について、これ以上許さないとの決意を示すためである。

最低限こうした点をおさえることができれば、首相の対中外交は成功だ。
それができて初めて中国に騙され続けるという長年の日中関係から脱する
ことも可能になる。

『週刊ダイヤモンド』 2018年11月3日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1254

◆万葉集に軍事メッセージ

毛馬 一三
 

「万葉仮名」で書かれた「難訓歌」や「未詳歌」、つまり日本語では判読出来ない歌のほとんどを、何と韓国語で詠んでみると、「未詳歌」ではなく、総て読み明かせると聞いた事を思い出した。

しかもその「万葉集の未詳歌」には、当時の日本と百済との間で「軍事、政治に関する驚くべきメッセージ」が秘められているということだ。

この話をしてくれたのは、以前のことだが、韓国の著名女流作家、李寧煕(いよんひ)氏。韓国大手新聞社「韓国日報」の政治部長・論説委員長から国会議員を経て、韓国女流文学会会長を歴任された。ただ、今もご健在か確認出来ていない。

筆者は、以前「韓国日報」からの紹介で、李氏が来日された折、2日間、奈良県桜井の「万葉の道」やその周辺の「古代天皇古墳群」散策の案内役を務めた。

その時李氏が、こもごもと語ってくれたのが、この「万葉集」に秘められた日本と百済との「軍事、政治に関する驚くべき秘話」だった。

李氏が、日本の「万葉集」と関わりを持ったのは、国会議員だった当時、日本の高校の歴史教科書に韓国関係記述が歪曲されているという問題が提起されているということから、日韓両国国会議員による特別委員会を設け、事実調査を始めたのがきっかけだったという。

つまり、歴史書が歪曲されているかどうかに探るには、古代史にまで遡って検証する必要があり、そのためには両国歴史書に目を通すことだった。

その時、日本の「万葉集」に魅せられて仕舞ったというのだった。その瞬間から「万葉仮名」の研究に励み出されたそうだ。

「万葉仮名」で書かれた「難訓歌」や「未詳歌」、つまり日本語では判読出来ない歌のほとんどを、何と韓国語で詠んでみると、「未詳歌」ではなく、総て読み明かせること分かったというのだ。これは大発見に違いなかった。

帰国した李氏から、筆者に李氏著書「もう一つの万葉集・文藝春秋刊」が送られてきた。読んでいくうち「日本語訳では見えない様々な謎」が書き込まれていた。その中に、特に注目すべき下記の記述があった。

<万葉集20巻、4516首の内に、日本語では判読できない、正式に「未詳歌」は「3首」があり、このうちの1首に恐るべきメッセージが織り込められている。

斉明天皇(655年即位)の心の中を、額田王(ぬかだのおおきみ)が代わって歌にしたのが、それである。

◆原文: 金野乃 美草苅葺 屋杼礼里之 兎道乃宮子能 借五百礒所念 <巻1の7・未詳歌>

・日本語で詠むと、(秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 刈廬(かりいほ)し思ほゆ)

「日本語解釈」では、下記のようになっている。
(秋の野の 萱(かや)を刈って屋根を葺き 旅宿りした 宇治のみやこの 仮の庵が思われる)。

この解釈だと、額田王が何を言いたいのか、さっぱり意味が伝わってこない。だからこの歌が、解釈不能または解意不明であることから、公式に「未詳歌」とされたのだろう。

そこでこの詳らかでないこの歌の原文を、韓国語で読んでみた・・・。すると、
(徐伐『そぼる』は 鉄磨ぐ 締め苦しむること勿れ 上の都は 刀来るぞよ 陣地固めよ)。

・韓国語訳―(新羅は刀を磨いで戦いに備えている。締め苦しめないといいのに・・・。吾がお上の、百済の都は、敵が襲ってくるから、陣地をお固めなされ)>。

李氏の韓国語詠みによる解釈によると、これは明らかに斉明天皇が「百済」に送った「軍事警告メッセージ」だということが、はっきりと分かる。

となれば斉明天皇が百済に、これほどまでの「国家機密情報」を送らなければならなかった理由があったのか、その疑問にブチ当たる。

<皇極天皇(斉明天皇と同じ・斉明天皇は二度即位)から斉明天皇の時代は、朝鮮半島では、新羅、百済、高句麗の3ヵ国の間が緊張状態にあった。

この歌(皇極時代の時の648年に入手していた機密情報)は、斉明天皇に即位してから、額田王に作らせた歌だ。百済が、新羅・唐連合軍に滅亡させられた661年より13年も前のメッセージだから、このメッセージ自体には「歴史的真実性」がある。

実は斉明天皇は、百済の滅亡と遺民の抗戦を知ると、百済を援けるため、難波(大阪)で武器と船舶を作らせ、自らその船に乗り込んで瀬戸内海を西に渡り、百済とは目と鼻の先の筑紫(福岡)の朝倉宮で新羅・唐との戦争に備えた。

だが斉明天皇は、遠征軍が百済に出陣する直前、その意志に貫けず、出陣先の筑紫(福岡)で亡くなった。

斉明天皇の異常なまでの「百済贔屓」について日韓学者間では、斉明天皇は実は、百済第三十代武王の娘の「宝」で、百済最後の王、義慈王の妹だった説がある>。

恐らく斉明天皇自身もさることながら、親族関係も「百済」と強力な血脈が在あったのではないだろうか。額田王の「万葉集」(未詳歌)歌に秘められた「軍事警告メッセージ」も、その視点で詠めば「未詳歌」ではなくなってくるような気がする。

ところが、「万葉集」を古代の珠玉の日本文学と仰ぐ人たちにとっては、この韓国語読みは認め難く、あくまで額田王作の「未詳歌」としてしか、今でも取り扱わない。

とは云え、このあと白村江の戦いの敗戦(663年)まで、百済国の救援にこだわり続けてきた日本の歴史を見れば、日本と百済との関係は極めて緊密であったことは明らかだ。

だとすれば、万葉集愛好家も「万葉集の未詳歌」に、韓国語で詠み明かされる新たな視点を投げかければ、「万葉集」珠玉を更に広げることになるのではないだろうか。詠みを広げてみては如何。

今、「韓ドラ」放映が人気を集めている。「万葉集の未詳歌」」に対する視点と解釈を変えて観れば、当時の歴史の激烈さが浮上して興味が増してくるのは間違いない(了)    (修正加筆再掲)

2018年11月14日

◆クラ運河の構想は消えていなかった

宮崎正弘


平成30(2018年)11月13日(火曜日)通巻第5887号  

 この話は本当か? クラ運河の構想は消えていなかった
  タイ軍事政権、調査レポート作成チームを再組織

タイの軍事政権は、クラ運河構想に前向きの姿勢を見せた。
 タイの新国王がクラ運河建設に前向きとされ、国内の経済界が相手にし
なかったプロジェクト構想が緒に就こうとしている。
むろん、中国の積極的なタイ政・財界根回しが背後にある。

クラ運河はタイの地政学的要衝としての有利さがあり、海洋航路の短
縮、効率的運搬の拠点として有望とされる。もし完成すれば、マラッカ海
峡という迂回路をバイパス出来る。つまり、タイの国益より、中国の国益
につながる。

マラッカ海峡の代替ルート、一番裨益するのは中国である。

現在、マラッカ海上を通過する船舶は中国が第一位。まもなくキャパを
越えるのは明らか。しかし20万トン以上のタンカーはマラッカを通過で
きないから、ロンボク海峡へと迂回する。タンカーの通過量は、スエズの
3倍、パナマ運河の15倍。

シルクロード世界フォーラムに、北京は意図的にタイを招待しなかっ
た。理由は露骨に圧力を明示して、クラ運河構造、プロジェクトの青写真
を早くまとめろとした、政治的要請だった。

軍事政権は自国の経済効果が疑わしく、さして利益もなく、国土が東西
に分断され、しかも競争相手のシンガポールから恨まれる。
だから重い腰を上げようとはしなかったのだ。

タイの政治の裏側で何かが動いている。
      
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BOOKREVIEW 書評BOOKREVIE 
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  「人斬り半次郎」のイメージは池波正太郎の創作
  桐野利秋の実像は剣士、軍略家、ピストル名人、そして農業改革者

               ♪
桐野作人『薩摩の密偵 桐野利秋――人斬り半次郎の真実』(NHK出版新書)
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面白く読んだ。この作者のものは初めてだが、筆力のある作家のよう
で、なによりも評者(宮崎)と同様に「『西南戦争』の立役者は、西?で
はなく桐野の戦争」と見ていることが印象的だ (宮崎『西郷隆盛 日本
人はなぜこの英雄が好きなのか』(海竜社参照)。

タイトルにある「密偵」という語彙は誤解を招きやすい。

密偵というよりも、情報戦で必要とされたのは敵の動きを探ることも重
要だが、身内に潜入したスパイの探索(防諜)も重要な役目であり、桐野は
長州の藩士等と近づき、酒を酌み交わし、動きを探る一方で、天狗党の蹶
起では、かれらのあとを追って指導者と会っている。大胆な行動力があった。

桐野利秋は、小説や大河ドラマで「下級武士」として扱われているが、
桐野の出自は歴とした「城下士」に属した事実を本書は指摘している。
西?、大久保ら薩摩の英雄達は大半が『御小姓与集団』に属し、「島津齋
彬の遺志を継ごうとして結成された精忠組のメンバーもほとんどが、この
家格の者である」(17p)。

しかし桐野は何故か「人斬り半次郎」として知られた。

滅法剣に強いが闇雲にテロに走ったのではなく、たとえば赤松小三郎の暗
殺は防諜の責任者として一種「公務」だった。

赤松小三郎は上田藩士だったが、会津藩と親しく、私塾も主宰し、学者と
して京では尊敬を集めていた。しかし内偵の結果、赤松が幕府の密命を帯
びたスパイであることが判明し、桐野は五条東洞院下ルで待ち伏せし斬
殺、「斬?の制札を四条東洞院と三条大橋に掲げた」(79p)。
その斬?の制札に曰く。「西洋を旨とし、皇国の御趣意を失い」云々。

知られざる逸話として、不忍池に残る岩崎邸、じつは桐野の東京における
住まいだった(東京妻がいた)。艶福家でもあり、そして桐野は書道家でも
あった。

なによりも桐野は「軍人」であり、のちに陸軍少将にまで上り詰めた。そ
れは単純に剣術使いという理由からではなく、「戦機を見るに敏であり、
決断すれば神速のごとく、常に最前線で戦い、麾下を叱咤し奮発を促して
勝利を収める将才を評してのことである」(88p)

桐野はまた人情に厚く、佐賀の乱で逃亡してきた武士等を薩摩にふたり
匿ったり、新政府の外国の圧力に押されてのキリスト教解禁でも「隠れ切
支丹」に優しかった。そうだ、かれは熊本鎮台の司令官でもあった(半年
だが)。谷干城の前任である。

もう一つ、本書で教えられた事実がある。

戊辰戦争後、薩摩に帰省した西?をたずね、聞き書きの『南洲翁遺訓』
を編んだのは庄内藩士だった。同様に聞き書き桐野をまとめた『桐陰仙
譚』は明治七年に薩摩で農業開拓団を率いた桐野を訪ねた石川県士族が
綴った。

「桐野の宇都谷開墾地を訪れた人々のうち、もっとも関心と因縁を感じる
のは石川県士族の陸義猶と長連豪である。(中略) この2人に注目する」
と作者が力説する。評者も石川県生まれなので、この2人の名は知っている。

明治11年、紀尾井坂で馬車を待ち伏せし、大久保利通を暗殺したのは 石
川県士族の6人組だった。陸義猶が斬?状を起草し、長連豪が暗殺の首
領だった。


桐野は西郷下野と行動をともにしたが、べったりではなく、西郷とも士
学校とも距離を置いた。桐野は農村の開拓に志をつないだ。

だが、「男にはやらねばならないことがある」として西南戦争が勃発する
や、西?側近として殆どの軍事作戦を立案指導した。最後は城山に華々し
く散った。

生前、桐野が語った言葉が、言論陣の陸?南が主宰した新聞『日本』に
「桐野利秋談」として発表された(明治26年4月に5回連載)。
 その中で、桐野は憂国の情を吐露した。

「わが日本は東洋海中に孤立し、二千五百有余年の国風に慣れ親しん
で、まだ五大州の情勢を熟知していない。また国力が衰え、軍備は空虚、
人心は惰弱で自主独立の気象がない。いやしくもこのような因循のまま推
移すれば、それほど時が経たないうちに自滅して、他国に隷属することは
明らかである」(桐野作人著作より重引用)。
 いまの日本、まさに同じ環境にあるのでは?
              
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1818回】             
――「支那の國ほど近付いてあらの見ゆる國は無し」――關(2)
關和知『西隣游記』(非売品 日清印刷 大正7年)

「辭令の妙」に任せて、肅親王は一行を心地よく擽る。

昔から東洋には大義名分という東洋道徳がある。「日本は大義名分の
國」であり「世界の大勢より達觀すれば、日支の提携は特に必要にして且
つ急務」である。であればこそ「時機一度到らば日本は必ずやその東洋
道?の根本義に基つき大義名分の下に支那を指導して以て二國の?史的親
交を鞏うし、列國競爭に對せざる可からず」。

この発言を「堂々たる復辟 派の大宣言」、つまり清朝再興派の「大宣
言」と受け取った關は、「所謂 東洋道?なるものは即ち君臣の大義にし
て、支那帝政の復興は大義の上よ り日本の援助を期待するの意思」を痛
感し、ひたすら感激している。

大隈が「自愛」と「日支提携の爲め」の尽力を求めると、肅親王は「余
學淺く?薄く以て大事に任ずるに足らず、幸に卿等の?を待つこと切な
り」と。やはり肅親王らは飽くまでも清朝復辟を目指す構えのようだ。

 彼らの中には「清朝を復して支那皇帝とし、日本の天皇を亞細亞皇帝と
し、支那皇帝は命を亞細亞皇帝に聽ことゝ爲さば、以て亞細亞大帝國を建
造し、覇を世界に稱ふるを得べし」と、日本側に説く者もいたほどだった。

 復辟問題に就いて關はこの辺りで筆を止めている。だが、ここで心に留
めておきたいのは復辟を目指す宗社党のなかに清朝皇帝は「支那皇帝」と
なって我が天皇を「亞細亞皇帝」として戴き、「亞細亞大帝國を建造し、
覇を世界に稱ふるを得べし」――満州国皇帝となった溥儀と天皇の間柄を彷
彿させる関係――という考えの持ち主がいた点である。

満洲国建国に際し、飽くまでも清朝皇帝という地位に拘泥する溥儀の希望
を受け入れず、日本側は強引に執政に据え、後に満洲皇帝とし、天皇の下
に置いたといわれているが、「亞細亞皇帝」云々の話を知ると、どうもそ
うでもないらしい。

溥儀の弟である溥傑は自らの人生を回想した『溥傑自伝 「満州国」皇
弟を生きて』(河出書房新社 1995年)に辛亥革命後、紫禁城内で皇帝一
族の生活継続を許されていた当時の思いを、「私には清室を振興するに外
援が絶対必要であるという考えが強くなった。(紫禁城内)の中にいなが
らも、将来どの国の援助に頼って帝制を回復するか、ということが」私の
頭から一時も離れなかった」と綴っている。やはり清朝復活は一族の強い
願いだった。

そこで溥儀・溥傑兄弟の父親に当たる醇親王載?が「満州国皇帝に就くこ
とに反対した」にもかかわらず、溥儀は日本側の誘いに応じ、満洲国執政
から皇帝即位への道を選ぶ。満洲国皇帝即位後の振る舞いは、どうやら
「清朝を復して支那皇帝とし、日本の天皇を亞細亞皇帝とし、支那皇帝は
命を亞細亞皇帝に聽ことゝ爲」すとの考えに近かった。

昭和20年8月9日のソ連軍の侵攻から10日ほどした18日午前1時に行われた
満洲国緊急参議府会議で満洲国解体と皇帝退位が決定する。
退位式を、溥傑は次のように綴る。

「退位式は簡素で厳粛に執り行われた。皇帝溥儀は退位宣言を読み終えた
後、参会者一人一人と静かに握手をしてひっそりと退場した。彼はもう平
民になったのだ。溥儀は芝居がうまい。退位発表の時、自分から跪いて、
/『自分の無能のため、日本の天皇に迷惑をおかけした。天皇に許しを請
う』/といい、退場する時も側に立っている日本兵と抱擁して別れを告げ
たので、日本兵はみな感激の涙を流した。

私は溥儀に反感を覚えた。ここまできて、どういう気持ちでこの醜態を演
じたのか、と」。

「天皇を亞細亞皇帝」にとの提言から溥儀の「自分の無能のため、日本
の天皇に迷惑をおかけした。天皇に許しを請う」との懺悔まで、その場限
りの「辭令の妙」ということだろう。

だから日本側は彼らの「辭令の妙」に弄ばれてはならない。厳重注意!

      

◆改憲案の提示が国民主権の一丁目一番地

櫻井よしこ


「改憲案の提示が国民主権の一丁目一番地 国会は国民に投票の機会を与
えるべきだ」

臨時国会は10月24日に始まったばかりだが、その様子を見ていて、国会議
員も現実を見ていない、余りに無責任だと、腹立たしい思いになる。とり
わけ焦眉の急である憲法改正について、なぜ、こうも無責任でいられるのか。

国際情勢の厳しさは、日本よ、急ぎ自力をつけよと警告している。国民、
国家、国土は自国が守るという原点を思い出せと告げている。国民の命や
安全に責任をもつべきは政府であるにも拘わらず、日本国政府には国民、
国家を守る有効な手段を取ることができにくい。国の交戦権さえ認めない
恐らく世界でたったひとつの、変な憲法ゆえである。

憲法改正を急ぐべしと問題提起を続けているのは、安倍晋三首相ばかりの
ように見える。首相は、「自民党の憲法改正案をこの臨時国会に提出でき
るように取りまとめを加速すべきだ」と幾度となく旗を振ってきたが、周
りの動きはなぜかにぶい。

首相は繰り返し語っている。憲法改正は国会が決めるのではない。最終的
に国民が決める、と。そのとおりだ。日本国憲法の三大原則は「平和主
義」「人権尊重」「国民主権」である。国士舘大学特任教授の百地章氏
は、「現行憲法で唯一、具体的に国民主権を発揮できる場は憲法改正のた
めの国民投票だけです」と指摘する。

主権を行使する機会は、国会が憲法改正を提示(発議)して国民投票に踏
み切るとき、初めて、国民に与えられる。国会が国民に改憲案を提示しな
ければ何も始まらない。改憲案を国民に示すことが、主権が国民にあるこ
とを証す1丁目1番地なのである。

だが、公明党はこう語っている。

「国民の関心は高まっているが、具体的にどう改正するか議論は熟して
いない。衆参両院の憲法審査会で議論を活性化し、与野党で幅広い合意を
作る。その過程で国民的コンセンサスを作らなければならない」(井上義
久副代表)

憲法調査会が2000年に設置され、07年に憲法改正の原案作成を任務とする
憲法審査会ができた。憲法改正作業は約20年も続いているのだ。公明党は
議論は熟していないというが、この20年間、一体政治家として何をしてき
たのか。少なくとも自民、公明の間では議論は核心に触れるところまで熟
しているではないか。

そもそも公明党は国民をバカにしているのではないか。安倍首相が提唱し
た9条1項と2項を維持したまま、自衛隊を憲法に書き込む案は公明党の案
だった。

公明党が「加憲」を言い出したのは04年だ。10年後、彼らは「自衛隊の存
在を明記」する加憲案を公約とした。安倍首相が17年5月に提唱した、自
衛隊を憲法に書き込むという案は、再度強調するが、公明党の案そのもの
である。

公明党案を自民党が取り入れたのである。なぜ公明党はそこから議論を進
めないのか。なぜまだ時期尚早だなどというのか。

公明党は驕っていないか。憲法改正が必要か否かは政治家が決める。国民
には問わないし、決定もさせない。政治家の判断力が国民の判断力より優
れており、国民に判断を任せることはしない、とでも考えているのではな
いか。このような国民不信の極みともいえる尊大さを、公明党の姿勢に見
て取るのは間違いだろうか。

安倍首相が繰り返し指摘しているように、憲法改正は通常の法律改正とは
異なる。法律は国民の代表である政治家が国会で議論して決める。憲法は
国会が発議し、国民が投票で決定する。私たちは戦後一度も、国の基(も
とい)である憲法について意思表示する権利を行使し得ていない。国会が
その機会を奪い続けてきたからだ。しかし、いま、国会は国民を信じて発
議し、国民に決定させるべきだ。

『週刊ダイヤモンド』 2018年11月10日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1255

◆外国人観光客の急増

川原 俊明(弁護士)


 最近、電車を利用していると、必ず外国人観光客を見かけます。

 私は、政府が目標としている「2020年東京オリンピックまでに外国人観光客2000万人」が実現されつつあるのを肌で感じています。

 大阪では、舞洲にカジノを中心としたリゾート総合施設の計画があり、これが実現すれば、まちがいなく政府の目標が達成されるでしょう。

 さて、ここで最近話題になっているのが、外国人観光客のお土産として注目を浴びている日本の商品です。いくつか挙げてみましょう。

 まず、炊飯器です。特に、米を主食とするアジアの人々にとって、日本の炊飯器は、とても性能がよく大人気だそうです。関西空港でも、炊飯器が入った箱を積み上げて運んでいる中国の方たちをよく見かけます。

 次に、爪切りです。海外では、ニッパー式の爪切りが主流みたいで、日本の爪切りのように、コンパクトに折りたためて、しかも切った爪を収納できるのは、非常に珍しいようです。それに、非常に良く切れるとの評判です。

 最後に、最近特に注目を浴びているのが、消せるボールペン、フリクションペンです。
 皆様ご存じでしょうが、特殊なインクを使用することで、ペンに付いているチップで軽くこすると、あら不思議、消えてしまうのです。一定の摩擦熱をインクにあたえることで消えるみたいです。日本には、とてもカラフルな色が揃っており、1箱単位で買って行かれる方も珍しくないそうです。

 これらの商品が外国人に喜ばれているのを聞いて、日本人の私としては、非常に誇りに思うと同時に、お土産として母国に持って帰っていただくことは、アピールするのが苦手な日本人にとって、これ以上の宣伝はないとも思います。

2018年11月13日

◆パプア・ニューギニアでAPEC

宮崎 正弘


平成30年(2018年)11月10日(土曜日)通巻第5885号  

 パプア・ニューギニアでAPEC、豪の対中「巻き返し」が本格化
  11月17日、安倍首相、ペンス、習近平、プーチンも勢揃い

パプア・ニューギニアはどちらかと言えば、豪の縄張りに入る。

東西が、まっすぐ縦の国境線で分断され、西のインドネシアと別れた国家
だが、かつて大航海時代の定石通りポルトガル、オランダ、英国とやって
きた。戦時中は日本軍が上陸したが、全島の占領にいたらず、悲惨は敗北
を喫した。

戦後は豪の信託統治から1975年に独立、大英連邦のメンバーだけれど、豪
が主として保護してきた。パプア・ニューギニアは日本より25%も面積
が多いが、人口はわずか800万強。一人あたりのGDPは2200ドル足ら
ず、最貧国の一つ。

このパプア・ニューギニアがAPECの開催地となる。(大丈夫かぁ)
11月17日からのAPECには習近平、李克強、プーチン、安倍首相、
そして豪はモリソン首相と29ヶ国から元首が揃い、同国始まって以来の
お祭り騒ぎにもなっているという。
 
首都のポート・モレスビーには豪軍が派遣され、厳戒態勢を敷いている。
くわえて豪空軍が空中を警戒、なにしろ同国の軍隊は2100名しかおら
ず、空軍はヘリコプターしかない。治安維持のためには豪の全面協力が必
要である。
パプア・ニューギニアはASEANのオブザーバーでもある。

豪政府はこのところトランプを見習って中国への警戒、企業買収の阻止に
懸命であり、CK集団のAPA買収を阻止したし、家庭用ガス・パイプラ
インの会社がなぜ香港華僑の経営になるのか、と安全保障が理由である。

海底ケーブル工事へのファーウェイの入札も拒絶した。南西太平洋は豪の
守備範囲と自認しているからには、中国の無神経な進出には神経質となる。

さて豪の本格的反撃ぶりである。

中国のAIIBに対抗するかのように、「豪は『南西太平洋インフラ銀
行』を設立し、資本金22億ドルを投下する」とモリソン首相は11月7日に
発表し、このインフラ建設プロジェクトには米国、日本、ニュージーラン
ド、そしてフランスと英国の提携があるとした。

米国は既にBRIに対抗して「インド太平洋ファンド」を増資して、本格
的インフラ建設の協力をするとしている。

なにしろ南西太平洋の範囲にはパプア・ニューギニア、ソロモン諸島、バ
ヌアツ、クック諸島、フィジー、マーシャル群島などが含まれ、フランス
はその先の仏蘭西領ポリネシア、とくにニューカレドニア、タヒチなどが
事実上の植民地、これらの島々に強い関心を寄せるのは国益上、当然だろう。

モリソン豪政権の構想は、南西太平洋に戦略的安定、主権保護、経済安定
のためのインフラ、運輸の充実とエネルギー産業の育成、通信網の拡充を
はかるべきであり、中国のいうBRI(一帯一路)の1兆ドルに対抗し
て、米国が発表したプログラムに予算を上乗せする。

これらの地域への1016年の支援実績は豪が8億ドル、ニュージーランドが
1・9億ドル、世銀1・4億ドルなどに対して中国も1・4億ドルを注ぎ
込んで、南西太平洋地域への投資を膨張させている。

     
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【知道中国 1817回】                  
 ――「支那の國ほど近付いてあらの見ゆる國は無し」――關(1)
關和知『西隣游記』(非売品 日清印刷 大正7年)

                   ▽

關和知(明治3=1870年〜大正14=1925年)は九十九里に面した千葉県長
生郡に生まれる。豪農だった父親の事業失敗によって苦学を余儀なくされ
たが、東京専門学校(現在の早稲田大学)へ。立憲改進党機関紙記者の後
に米国留学(イェ―ル大学、プリンストン大学)。帰国後、『萬朝報』記
者を経て『東京毎日新聞』編集長に。明治42(1909)年の衆議院補欠選挙
当選以来、連続7回当選。

「支那は今日に於て單なる支那に非ず、支那の民族、支那の社會、支那の
國家は、其の盛衰興亡の係はる所、直に我が帝國の運命に關す」。殊に第
1次世界大戦後の国際情勢の激変を考えれば、「支那問題は同時に帝國の
死活問題」であるから、「支那を研究し、支那を視察する」ことは急務
だ。かくして「余等同人昨秋相携へて」40日ほどの視察旅行を行った。
『西隣游記』は、その際の記録である――と巻頭に綴る。

「同人」の6名は大隈重信の養嗣子で早稲田大学名誉総長を務めた大隈信
常を筆頭に、以下は衆議院・貴族院議員をつとめた横山章、報知新聞社長
を経て東京市長を務めた頼母木桂吉、衆議院議員(1915年〜45年12月)で
日本タイプライター社長を務めた桜井兵五郎、陶芸家の原文次郎、それに
關和知である。
もちろん、ここに示した肩書は必ずしも旅行当時のものではない。

一行は、朝鮮を経て奉天、大連、青島、旅順、長春、撫順、天津、北京、
武漢三鎮、蕪湖、南京、杭州などを巡り、上海から帰国している。足を運
んだ各地において早稲田大学で学んだ留学生の成功者から歓待を受け、こ
れに在留邦人の早稲田大学卒業生が加わり、さながら“稲門同窓会巡り”の
感なきにしもあらずである。

たとえば北京では、「私立中國大學を參觀す、早稲田出身者の多數により
て經營さるゝもの、其組織、學制殆ど早稲田の專門部に則る、(中略)現
校長は姚君と稱す稲門の出なり」。かくして文中、屡々「早稲田の勢力
仲々に盛んなり」の一文にお目にかかることになるが、やはりゴ愛敬と
いっておこう。

『西隣游記』は「西隣游記」、「隣游餘録」、「不可解の支那人」、「支
那土産談」、「支那と列國の共同保障」で構成されている。これといって
特徴のない視察報告記といった趣の「西隣游記」は敢えて割愛し、「隣游
餘録」から読み進むことにする。

先ず清朝の重鎮で旅順に逼塞する「清室の連枝、肅親王に謁」す。肅親王
は大隈を見届けるや開口一番に、「父侯爵(大隈重信)は余が平常老先生
として敬事する所、今卿に接す恰も兄弟相見ゆるの感あり」と。

じつは肅親王と大隈重信の関係は「未見の舊識」だった。にもかかわら
ず、「恰も兄弟相見ゆるの感あり」である。すかさず關は「辭令の妙人を
動かす」と綴る。とかく日本人は彼らの「辭令の妙」に簡単に乗せられて
しまう。要厳重注意!

「支那の時局」に関して肅親王は、「中國今上下を擧げて道義退廢人倫地
に墜つ、斯の如くんば遂に亡國の運を免れず」。というのも「南方は徒に
西洋思想の直譯的に流れ、空論自ら悦ぶもの到底國家を經緯するに足る無
し」。一方の「北方は全然大義名分を辯ぜざる野心家の集合にして利己以
外の何ものをも有せざる賊子なり」。

南北が対立抗争しているものの、「南方の武力は到底北方に敵す可から
ず」。だから北方が武力で「壓迫せば南方は遂に屈服すべし」。

だが、そうなったらそうなったで、「北方派は必ず内に軋轢を生じて互い
に紛爭を事とする」。だから「中國の統一は容易に望む」ことはできない。

だが「大旱の後には時雨の到るが如く」に「國内の擾亂其極に及べば大義
名分を明らかにし、國民治を望むの念自ら興起すべく、統一の事業は是に
よりて成」るはず――だが、「辭令の妙人を動かす」ような肅親王の見解で
ある。はたして信を置いてもいいものか。

◆友好の中でも、中国に塩を送り過ぎるな

櫻井よしこ


米中新冷戦が進行する中で、対米関係で窮地に陥った中国との日中首脳会
談が10月26日に行われた。これまでの首脳会談では、およそいつも日本が
攻めこまれていた。今回は初めて日本が中国に注文をつけ得る立場で臨ん
だ。安倍晋三首相は日本優位へと逆転したこの状況を巧く活用したと、評
価してよいだろう。

日中間には日本国の主権に関わる案件として尖閣諸島や東シナ海のガス田
問題等がある。日本の名誉に関わるものとして慰安婦問題をはじめとする
歴史問題がある。安全保障及び経済問題として、米国共々膨大な被害を
蒙っている最先端技術や情報などの知的財産の窃盗問題がある。事実この
問題ゆえに、米国は中国に貿易戦争を仕掛けた。同盟国との協調という点
からも、日本が中国に厳しく言わなければならない立場だ。

産経新聞外信部次長の矢板明夫氏は、これらに加えて人権問題こそが最重
要案件だと指摘する。

「米国議会は共和・民主の超党派で、イスラム教徒のウイグル人100万人
以上が強制収容され、拷問や虐待で多くが死に追いやられている現状を指
摘し、中国政府の行為は人道に対する罪だと主張しています。安倍首相
も、ウイグル人に対する人権弾圧について習近平国家主席に抗議すべきで
す。その前に8人の日本人に対する人権弾圧に抗議すべきです」

中国政府は日本人8人をスパイ容疑で逮捕しているが、どう見ても彼らが
スパイであるとは思えない。百歩譲って、たとえスパイであったとして
も、彼らは日本のために働いたのであるから、安倍首相は彼らの早期釈放
を中国側に求めるべきだと、矢板氏は強調する。

中国政府はこれまで何人もの日本人をスパイ容疑で逮捕してきたが、逮捕
された人々が本当にスパイであると納得できる十分な情報を日本側に提示
したことはない。「日本人スパイ」の摘発は政治的要素が大きいと指摘さ
れているだけに、安倍首相は同件をまっ先に持ち出さなくてはならないと
の指摘は正しい。

日中外交の重要な転換点

今回安倍首相は李克強首相との会談でウイグル人弾圧に関して、「中国国
内の人権状況について日本を含む国際社会が注視している」と注文をつけ
た。中国政府の血走った人権弾圧を明確に問題提起したことは、これまで
の対中外交にはなかった。日中外交の重要な転換点となるだろう。

邦人8人の安全についても、習氏との会談で前向きの対応を求め、「中国
国内の法令に基づき適切に対処する」との言葉を引き出した。恐らく、早
期の解放が期待されるのではないか。

尖閣諸島問題については、中国公船が尖閣の排他的経済水域(EEZ)に
侵入し続けていることについて状況改善を要求した。

中国が海警局を設置して、尖閣諸島周辺海域への侵入を激化させたのは
2013年だ。今回の首脳会談は海警局の公船がわが国の海に侵入し始めて以
降、初めての公式訪問だ。この機会に何も言わなければ、中国の領海侵犯
を黙認することになる。首相が状況改善の要求をつきつけるのは当然なの
だが、非常に大事なことだった。

首脳会談の発言は、その後の外交の基本となる。首相が指摘した件は今
後、日中間の議題となり続ける。とりわけ、習氏の来年の訪日は今後の日
中関係における重要事項だ。さまざまな条件が話し合われるとき、尖閣の
海の状況改善という日本の要求は、必ず取り上げられ続ける。中国側の無
謀、無法な侵入をその度に批判し続けることが大事だ。

知的財産権についても、安倍首相は習、李両氏に問題提起した。興味深
かったのは、知的財産権について更なる改善を図ることが重要だと安倍首
相が中国側に求めたその席で、安倍、李両首相が高齢化社会への対応につ
いて大いに話が合ったという点だ。つまり、知的財産権の侵害という根本
的かつ最重要の厳しい問題を提起しても、日中首脳の対話が盛り上がっ
た、波長が合ったということは評価してよいのではないか。

中国の少子高齢化は、日本よりもはるかに厳しい。わが国は高齢国家の最
先端を走っているが、国民皆保険も、年金制度や福祉制度も一応整えてい
る。中国はこれらの準備が殆んど整わないまま、世界最大規模の少子高齢
化を最速で迎える。富裕層以外の中国人をざっと10億人とすると、彼らの
老後は真に厳しく惨めなものとなると予測され、大国中国の土台を蝕む要
因となる。

中国経済の舵取り役である李氏が大いに参考にしたいのが日本の事例であ
るに違いない。そして、多くの人は忘れているかもしれないが、安倍首相
はもともと厚生族だ。社会保障や年金制度について恐らく誰よりも詳し
い。その安倍首相の話に、習氏よりずっと合理的な思考の持ち主だと言わ
れる李氏は、熱心に耳を傾けたに違いない。両首脳の話が弾んだのは、今
後の日中関係に一筋の明るい光を投げかけている。

米国はどう受けとめるか

他方、懸念すべきは一帯一路への日本の協力である。一帯一路は「第三国
民間経済協力」と名前を変えて登場し、日本の企業各社がコミットしたか
に見える。

日中双方の企業が共同で第三国にインフラ投資をするという覚書が52件も
交わされ、その合計金額は180億ドル(約2兆160億円)と報じられた。さ
らに、安倍首相は3兆円をこえる大規模通貨スワップ協定を結んでしまった。

3.1兆ドル(約348兆円)の外貨を保有するといいながらも、対外負債を引
くと中国の外貨準備は実質マイナスだ(『産経新聞』10月26日、田村秀男
氏)。

スワップ協定が実際に発動されるような事態とは、中国経済が潰滅状態に
陥るということで、スワップ協定は政治的な意味合いが強いものの、習氏
は日本の姿勢を心強く思うだろう。片や中国と冷戦を戦い、中国の力を殺
ぎたいと願う米国はどう受けとめるか。日本にとって米国は最重要の国だ
けに、米国への事前事後の説明とその理解が欠かせない。

新冷戦の中での日本の生き残りの必須条件は、同盟国であり価値観を同じ
くする米国との関係を緊密に保つことだ。他方、中国は共産党が潰れない
限り恐らく本質的には変わらない。日本の路線とも決して交わることはな
い。だからこそ、中国とは必要な関係は維持しつつも、彼らに塩を送り過
ぎないことだ。

日本も米国も、旧ソ連でさえ、中国が演じ続けた「か弱い存在の振り」を
信じて中国を援助してきた。だが彼らは十分に自力をつければ、助けてく
れた国に対しても牙を剥く。安倍首相と日本への厳しい非難から笑顔へと
急転換した中国の思惑は明らかだ。彼らの笑顔はうすい表面の皮一枚のも
のと心得て、日本は戦略を読み違えてはならない。中国への過度の肩入れ
は国益を損なう。

『週刊新潮』 2018年11月8日号 日本ルネッサンス 第826回

◆韓国「青瓦台」襲撃未遂事件

               毛馬 一三


全国版メルマガ「頂門の一新」主宰の渡部亮次郎氏が、以前掲載された「歴史の現場に立ちながら」を拝読し 北朝鮮ゲリラによる韓国大統領府「青瓦台」襲撃未遂事件のことを改めて思い出した。

私がNHK大阪府庁記者クラブのキャップをしていた折、同事件に深い関心を覚えたため、単独で渡韓し、既知の韓国有力新聞社社長の紹介で韓国政府公安機関の要人と面会し、事件「詳細」を“取材”した。

勿論休暇をとっての私人的行動だった。その取材内容は立場上「公」には出来なかったが、思い出した序でに「ドキュメント小説風」に纏めた当時の「取材メモ」を探し出した。ご参考までに下記に添えておきたい。

韓国青瓦台奇襲は、1968年1月21日夜10時を期して決行する命令が、金日成首領から金正泰を通じて出された。青瓦台奇襲部隊は組長の金鐘雄大尉(事件後4日目に射殺)ら31名で、唯一生き残った金新朝も一員だった。

全員が機関短銃1丁(実弾300発)、TT拳銃1丁、対戦車手投げ弾1発、防御用手投げ弾8発と短刀で武装した。

奇襲部隊は、1組が青瓦台の2階を奇襲して朴正煕大統領と閣僚を暗殺、2組は1階を襲撃して勤務員全員を殺し、3組は警備員、4組は秘書室全員射殺というのが任務だった。

16日の午後、黄街道延山基地を出発。途中軍事休戦ライン南方の非武装地帯を緊張しながら訓練通り過ぎ、ソウルに真っ直ぐのびる丘陵を辿った。歩哨所や検問に遭遇しなかったため。金組長は「南」の士気が乱れている所為だと勘違いした。このため、31人全員が隊列を組んで堂々と行軍するという行動に出た。

だが行軍しているうち、「戸迷い」にぶち当たった。所持した地図に従いソウルにいくら接近しても、「北」で教育されたような荒廃している筈のソウル市街は21日の夜になっても現れてこない。

南下すればするほど煌々とした市街地が現れてくるばかりだ。「これはソウルではない」。「じゃ、一体ここは何処なんだ」。「北」の教育が間違っているとは一瞬たりとも気付かないミスを更に重ねた。

その上に韓国軍の服装、装備に身を固めている限り怪しまれることはないと思い上がった金組長が、敵地で初めて出会った韓国人2人に「訓練中に道に迷ったのだが、ソウルに行く道を教えてくれないか」と、呆れた質問をしている。

奇襲隊に遭遇した2韓国人は、ソウルへの道筋を教えたものの、不審に思った。眼下に広がるソウルを韓国軍が見つけられない筈はない。発音も韓国訛ではない。まして前年6月から「北」の武装スパイが上陸して韓国軍から射殺された事件を2人は知っていた。2人は急ぎ山を降り、警察に通報した。

奇襲隊は21日夜9時、ソウル北方紫霞門の坂道を通過しようとして、警察の検問にひっかかった。尋問を受けた奇襲隊は慌てて機関短銃を乱射し、市バスと民家に見境なく手投げ弾を投げた。

奇襲隊は、青瓦台の800m手前まで迫りながら、韓国軍と警察の掃討作戦によりちりじりに撃退された。2週間に及ぶ掃討作戦により、金新朝1名が逮捕され、他は全滅させられた。この銃撃戦で韓国側は、崔警察署長を含め68名が死亡している。

序でながら私の「メモ帳」には、青瓦台襲撃に失敗した「北」が、10ヶ月後の11月2日、襲撃組長金鐘雄大尉ら31名の同期生120人のいわゆるゲリラ別斑が、韓国慶尚北道蔚珍郡と荏原道三に海上から「南」に進入している。

このゲリラ隊は、山岳地帯の小部落を武力で占領、赤化せよという工作命令を受けていた。部落民を集めて赤化を強要する「部落拉致事件」。事実従わない者は短剣で刺し、石で殴り殺すという虐殺を行っている。

「共産党は嫌い」と叫んだ李承福という10歳の少年の口を引き裂いて殺した。断崖絶壁をロープでよじ登り、部落を占領して住民を」拉致し、赤化地帯にするという想像を絶するこの「北」のゲリラ事件は、何故かわが国では余り知られていない。

渡部氏は、<私も同様だが、青瓦台襲撃未遂事件、文世光事件がつながっておることを系統的に追跡取材する必要性を感じなかった。これらの事件が「北」による日本人大量拉致事件とつながっていると考える記者は知らなかった>と言っている。

<文世光事件をして、北による日本人拉致事件を予想出来る態勢が大阪府警にあったかどうか。その取材を指揮できる記者かデスクがいたか>とも指摘されている。

「メモ帳」を繰り返し見返しながら、私自身もそこまでは考えもつかなかった。

<今回の拉致事件担当相による売名パフォーマンスをマスコミが非難しないのは自らの足許が暗いからである>という指摘は、まさにその通りだと思う。(了)2010.07.25