2019年02月28日

◆アフガニスタン和平交渉、大詰めか

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月26日(火曜日)弐 通巻第6004号    

 アフガニスタン和平交渉、大詰めか
米国とタリバンがカタールで直接対話

世界史にはよくある話。

アルカィーダはCIAが育てた。首魁のオサマ・ビン・ラディンンは米国
を裏切り、NY同時テロをやってのけ、怒り心頭の米国は、特殊部隊を送
り込んでパキスタンに潜伏中だったオサマを殺害した。

NYテロから10」年の歳月が過ぎ去っていた。襲撃は海軍特殊部隊のシー
ルズの仕業と思われていたが、のちにシールズから独立した海軍特殊戦闘
開発グループ(DEVGRU)の訓練の結果を分かった。
 
米軍の報復はドイツなど多国籍軍を形成し、兵站の空輸ではロシアすら上
空通過を認めた。

パキスタンに4つの空軍基地を借り受け、パキスタンの核開発にも目を瞑
り、北のキルギスのマナスにも海兵隊の兵站基地を置き、大軍を投入した
米国のアフガニスタン戦争が始まった。

17」年の歳月が流れ、米国の傀儡といわれるカブール政権は、汚職が凄ま
じく、しかもタリバンとの戦闘には弱い。米軍は引き揚げたい。だが、い
ま撤収すればタリバンの天下になる。

しかしトランプ政権は異なった。明確にアフガニスタンからの撤退を公約
し、ペンタゴンと対立しながらも、孤立主義の色彩を日一日を濃くしてい
る。シリアから撤退すると言えば、クルド族は「裏切り」と非難したよう
に、カブール政権は「タリバンと交渉するなど、米国は我々を裏切るの
か」ということになる。

だが、米国はいつもそうやって間違いばかりしてきた国である。

米国はタリバンと直接交渉を水面下で進行させてきた。2月25日にカター
ルの首都ドーハで、米特別代表のカリザドと、タリバンを代表してム
ラー・バラダルが会談し、交渉は大詰めを迎えた観がある。

米国の撤退条件は「ふたたびアフガンをテロの出撃基地にしない」。タリ
バンは、そうした条件は戦術的選択として受け入れやすく、和平成立し、
米軍の撤退後は、ベトナムがそうであったように『内戦』が始まるだろ
う。そしてアフガニスタンは「タリバニスタン」になるだろう。

一方、米国とタリバンの動きを警戒するカブールは、カルザイ元大統領
が、ロシアとのチャンネルを拓き、モスクワを仲介させる別の交渉ルート
を模索しているという(パキスタンの有力紙『ザ・ドーン』、2月26日)。 
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1864回】            
 ――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(4)
東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)

                ▽

若者の率直な思いは続く。
 
「政治家や實業家は恕す可しと雖も、考のあると云はれる學者までが浮れ
て日支親善なぞと眞面目くさつてるのは言語同斷だ」。

「上海も愈々お別れである。上海よ、東を慕ふて來た西人共が夢幻の衣を
脱いて金儲けを始めたやうな上海、コスモポリタンな、よい事にまれ、わ
るい事にまれ何ものをも備へざるなき上海、自分ばお前が好きだ」。

だが、その上海も排日に揺れている。そこで「上海ではそこは排日で危險
だとの注意で行く事が出來なかつた」のである。
「西人共が夢幻の衣を脱いて金儲けを始めたやうな上海」の租界に8カ
国の領事が滞在し、日本人は2万7千人ほどが住んでいた。英米人主体の欧
米人は、ほぼ同数。租界は参事会員による自治制度で運営されているが、
参事会員を選ぶためには一定以上の資産を持たなければならない。「斯う
なると日本人は數こそ多いが資格者は僅少九名の會員中英六名、日は僅に
一名を保有するのみ」。そこで租界における日本人の権利・安全などは甚
だ心許ない。

「さら排日暴動だ? と云つても支那の軍隊や警察力は實際あてにならな
い。自衞の外はない。かうして義勇兵などの御厄介になるのは日本が一番
多い癖に志願者は一人もいないさうな。仕方がないから各會商社で順次交
代に出てゆくのだと云ふ。こんな風だから排日も叫ばれるんだと思つた」。

若者の言う「こんな風」を、その後の日本人は克服しえたのだろうか。い
や、それは過去のことではなく、おそらく現在にも通じるように思うのだが。

上海の街を走る電車には頭等(1等)と3等しかなく、「2等がないのが
一寸變だ、要するに一般支那人はあまりに不潔であるところから、支那人
の乘る車と他人の乘るところを區別したんだらう」。

「實際あまりいひ度くないが、支那人は不潔で衞生思想がないからそんな
侮辱的な設備をされても仕方がない」。「蓋し多數の支那乘客は無學だか
らこんなことでもさねばわからんのだらう」。

上海には「立派な公園がいくつあつても、しかも支那國土の中の上海にあ
つて『支那人入るべからず』といふ立札を見ねばならんのは又どうした事
だらう」。「支那人入るべからずの立札は明に差別」だが、「實際支那に
遊んだものは當然だと感ずるだらう、もしこれを許せば、道?も公共心も
衞生思想も低級な支那人の晝寝や賭博の場所に變じてしまうのは明らかな
事だ」。

ここで若者は一歩進めて、「けれども僕は今不文化の彼等を諸子に紹介せ
んとする意志は毫もない。歐米人が、日本人と支那人とどれだけの徑庭に
あり、どれだけの懸絶ありと見てゐるかを、日本人として諸子とともに三
省したいのである」と、自省気味に考える。

若者らが上海に遊んだのは大正8(1919)年の夏。この年の1月にパリで
第一次世界大戦の講和会議が開催され、6月28日にヴェルサイユ講和条約
が調印されている。講和会議において日本代表が世界で初めて人種差別撤
廃を主張したが、あえなく否決された。

ちなみに講和会議の内容に不満を抱く中国の若者たちは、この年の5月4
日、北京で大規模な反日運動(五・四運動)を起こした。
百年前である。今年が五・四運動百周年・・・。

かくて若者は「日本の提出にかかる人種差別撤廢案が通らなんだとて、
(講和会議出席の)委員を責めたり、認めてくれぬとて他を恨んだりする
前に、靜かに胸に問ふべき事が澤山ありはせぬか」と。
確かに「靜かに胸に問ふべき事が澤山あ」る。昔も今も。《QED》

◆「尖閣」から身を隠す米国 

               渡部 亮次郎


アメリカは如何なる態度をとってきたか。調べる為に「ウィキペディア」
にあたってみた。

その結果言える事は安保条約も有り、何よりも中国への刺激を避けること
を最優先に考えており、私から言えば「アメリカは先覚問題から常に身を
かくそうとしている」との印象である。

1972年5月に、アメリカニクソン政権でキッシンジャー大統領補佐官の指
導の下、ホワイトハウス国家安全保障会議において「尖閣諸島に関しては
(日中などの)大衆の注目が集まらないようにすることが最も賢明」とす
る機密文書をまとめた。

同年2月に訪中に踏み切ったニクソン政権にとって歴史的和解を進める中
国と、同盟国日本のどちらにつくのかと踏み絵を迫られないようにするた
めの知恵だった。

この機密文書には、日本政府から尖閣諸島が日米安保条約が適用されるか
どうか問われた際の返答として「安保条約の適用対象」と断定的に答える
のではなく「適用対象と解釈され得る」と第三者的に説明するように政府
高官に指示している。

2009年3月、アメリカのオバマ政権は、「尖閣諸島は沖縄返還以来、日本
政府の施政下にある。日米安保条約は日本の施政下にある領域に適用され
る」とする見解を日本政府に伝えた。

同時に、アメリカ政府は尖閣諸島の領有権(主権)については当事者間の
平和的な解決を期待するとして、領土権の主張の争いには関与しないとい
う立場を強調している。すなわち、アメリカ政府は、尖閣諸島に対する日
本の「施政権」を認めているが「主権」については不明にしている。

1996年9月15日、ニューヨーク・タイムズ紙はモンデール駐日大使の「米
国は諸島の領有問題のいずれの側にもつかない。米軍は条約によって介入
を強制されるものではない」という発言を伝え、10月20日には大使発言に
ついて「尖閣諸島の中国による奪取が、安保条約を発動させ米軍の介入を
強制するものではないこと」を明らかにした、と報じた。

この発言は日本で動揺を起こし、米国はそれに対して、尖閣は日米安保5
条の適用範囲内であると表明した。米国政府は1996年以降、尖閣諸島は
「領土権係争地」と認定(「領土権の主張において争いがある」という日
中間の関係での事実認定であって、米国としての主権に関する認定ではな
い)した。

その一方では、日本の施政下にある尖閣諸島が武力攻撃を受けた場合は、
日米安保条約5条の適用の対象にはなる、と言明している。この見解は、
クリントン政権時の1996年米政府高官が示した見解と変わらないとされる。

ブッシュ政権時の2004年3月には、エアリー国務省副報道官がこれに加え
「従って安保条約は尖閣諸島に適用される」と発言し、それが今でも米政
府関係者から繰り返されている。

ただし「安保条約5条の適用」は米国政府においても「憲法に従って」の
条件付であって米軍出動は無制限ではない(条約により米国に共同対処を
する義務が発生するが「戦争」の認定をした場合の米軍出動は議会の承認
が必要である)ことから、「尖閣諸島でもし武力衝突が起きたなら初動対
応として米軍が戦線に必ず共同対処する」とは記述されていない(これは
尖閣諸島のみならず日本の領土全般に対する可能性が含まれる)。

むろん「出動しない」とも記述されていない。第5条については条約締改
時の情勢に鑑み本質的に「軍事大国日本」を再現することで地域の安定を
そこなわないための米国のプレゼンスに重点がおかれているものと一般に
は解釈されている。

なお、米国の対日防衛義務を果たす約束が揺るぎないものであることは、
累次の機会に確認されていると日本の外務省は主張している。

2011年11月14日、フィールド在日米軍司令官は日本記者クラブで会見し、
尖閣諸島について日米安全保障条約の適用対象とする従来の立場を確認し
つつも、「最善の方法は平和解決であり、必ず収束の道を見つけられる。
軍事力行使よりもよほど良い解決策だ」と述べ、日中関係改善に期待を示
した。

尖閣諸島の主権に限らず、領土主権の認定は、主権認定に関する条約が締
結されていた場合には、国際法上、行政権限ではなく国会の権限が優先す
るというのが通説である。

つまり、サンフランシスコ平和条約に米国政府が調印して米国議会が批准
(国会で承認)している以上、オバマ政権の行政府としての政治的判断や
政治的発言がどのようなものであっても、それは条約の更改や廃止や破棄
として国会の承認(批准)を経たものでないから、条約更改や廃止、破棄
としての法的効果は生じていない。

国際法上、米国の国家責任としての尖閣諸島の主権に関する認定は、議会
によって条約の更改や廃止、破棄などの決議がされない限り、あくまでも
サンフランシスコ平和条約2条に帰結する。

なお、米国政府(行政府)が尖閣諸島の主権が日本にあることを明言しな
いことは、尖閣諸島の主権が日本にないことを主張したものとはいえない。

つまりブッシュ政権もオバマ政権も、米国政府として「領土権の主張の争
いには関与しない。」と言っているのであって「尖閣諸島の主権は日本に
はない」と主張したことはない。

もっとも、もしそのような明言を米国議会の承認なしにすれば、米国議会
が批准した条約、条文を行政府が国会承認の手続を経ず恣意的に変更する
わけで、それは明白な越権行為であり米国憲法違反になる。

2010年9月に起こった尖閣諸島中国漁船衝突事件の際は、ヒラリー・クリ
ントン国務長官は、日本の前原誠司外務大臣との日米外相会談で、「尖閣
諸島は日米安全保障条約第5条の適用対象範囲内である」との認識を示
し、同日行われた会見でロバート・ゲーツ国防長官は「日米同盟における
責任を果たす」「同盟国としての責任を十分果たすとし、マイケル・マレ
ン統合参謀本部議長は「同盟国である日本を強力に支援する」と表明して
いる。2013・12・27

◆チベット人に切実な法王後継者問題

櫻井よしこ


「チベット人に切実な法王後継者問題 中国共産党から仏教を守り通せるか」

米議会は昨年10月、超党派で「中国に関する議会・行政府委員会の年次報
告書」を発表、中国共産党政府の少数民族弾圧は、「人道に対する罪」だ
と明記した。時効のない、最も厳しく追及されるべき犯罪という意味だ。

同報告書は新疆ウイグル自治区を焦点としたが、チベットも同じである。
中国政府のチベット弾圧は、ウイグル弾圧同様、激化するばかりだ。その
中でチベット人にとって今年84歳になる法王、ダライ・ラマ14世の後継者
問題はとりわけ切実である。

チベット仏教には最高位の指導者としてダライ・ラマと、それに次ぐ地位
のパンチェン・ラマが存在する。いずれも前任者の死を受けて幼児が後継
者として選ばれる。チベット仏教の指導的僧侶たちが幼児を守り、立派な
指導者として育て上げるが、それには20年近い歳月が必要だ。

中国共産党は、高齢のダライ・ラマ14世の後継者は自分たちが選ぶと宣言
済みだ。宗教を信じない共産主義者に他民族の宗教指導者を選ぶ資格など
ないのだが、彼らはお構いなしである。

中国には「前科」がある。1995年、ダライ・ラマ14世は、死亡したパン
チェン・ラマの生まれ変わりとして6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ氏
を選んだが、中国共産党はニマ氏を家族ごと誘拐し、別の少年、ギャン
ツェン・ノルブ氏をパンチェン・ラマ11世に指名した。ニマ氏は未だに行
方不明、中国共産党はノルブ氏を育て、彼こそが真実のパンチェン・ラマ
11世だと主張する。

このような事例があるために、チベット人はいま、次のダライ・ラマをど
のように選ぶべきか悩んでいるのである。センゲ首相が率直に語った。

「私は(亡命政権が位置するインド北部の)ダラムサラにいる時にはいつ
も法王の教えを受けています。法王は、私に、次のダライ・ラマ選出方法
を責任を持って決めよと命じました。法王の御意思を聞きながら、既に、
次のダライ・ラマ選出に関しての意見聴取を進めています」

チベット仏教各宗派の長老達との第1回会議もチベット内外に住む高位の
僧、数百人の意見聴取も終えたという。今年6月と10月にも世界各地から
チベット仏教指導者がダラムサラに集まり、来年取りまとめに入るという。

「全員、とても真剣です。私はいま任期2期目で、あと2年半、主席大臣
(首相)を務めます。この間に結論を出したいと思います」とセンゲ氏。

現在3つの案が有力だ。

(1)チベット仏教の伝統を踏まえダライ・ラマ14世の死後、生まれ変わ
りの幼い男児を探す、(2)長老達が選ぶ、(3)法王自身が亡くなる前
に自らの生まれ変わりを指名する。

センゲ氏の説明では、法王は保守的で仏教の伝統を大事にするため、伝統
に従えば(1)の方法しかない。しかし法王は柔軟であり、3つの選択肢
の全てが頭の中にあるともいう。

(1)の場合、前述のように幼児の成長までに20年近い歳月が必要で、そ
の間、チベットは中国の介入に脅かされる。中国共産党はチベット仏教を
本気で潰しにかかると危惧されている。結果、センゲ氏は(3)に期待する。

「法王が、自分の生まれ変わりとして10代の少年を選べば、長い時間をか
けずに次の法王になれます。少年がまず第一に善きチベット仏教徒で、賢
く、徳の高いことは無論必須条件です。しかし選ばれれば、彼はダライ・
ラマ14世の命のある限り、指導を受け、その徳と叡智を吸収し、立派に成
人するでしょう。このようにして15世が育っていけば中国は一切介入でき
ません。私自身はこの(3)の選択肢が最善ではないかと思います」

チベットの人々の柔軟な思考で中国の介入を退け、チベット仏教を守り通
せるよう、私は願っている。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1268

◆時代と共に変わる職業イメージ

渡邊 好造


約60年前の学生にとって、超エリートの花形職業は銀行であった。

同時期に筆者が就職したのは広告代理店業。ある洋酒メーカーの社員を対象にした意識調査の結果を卒業論文にしたこともあって、広告代理店業としては時代に先駆けて創部された調査部に配属となる。

一日中調査票や調査報告書の作成に取組み、徹夜作業も度々で、大阪のメイン道路・御堂筋からの市電の音で目覚めさせられた。

仕事内容には大満足だったが、当時の広告代理店業のイメージは良いとはいえず、明治生れの父親は、「大学まで出て"広告屋"か」と不満気だった。

銀行か商社を期待していたのだろう。入社した会社のビル1階エレベーター押ボタン横には『押売り"広告屋"お断り』のプレートが貼付されていたのでも分かるように、広告代理店業は押売りと同等のイメージを引きずっていたのである。

ところが、社員の方は"広告屋"とはチラシ広告などを扱う小さな会社のことで、自分達の会社のことではないと考えていたらしく、貼られたプレートを気にしている様子はなかった。

その後、テレビ広告費の急増にともなって目覚しい発展をみせ、5年も経たないうちに"アドバタイジング・エ-ジェンシ-"と言換えられ花形職業に変貌した。

筆者は広告代理店業で調査、営業、企画を17年余り経験し、昭和53年(1978年)消費者金融業に転職した。

この業界も高利や不当取立などで非難のマトになっていて、当時のイメージは最低だった。しかし、人材不足の新興職業ということもあって、これまでの経験を活かせる仕事はいくらでもあったし、実入りも悪くなかった。

それに、広告代理店業と同様に業界のリーダーや経営者の考え方次第で好イメージに転換するはず、とアドバイスしてくれた年齢一まわり先輩の後押しも大きい。

その折にイメージ好変の典型例として話してくれたのが、現代の花形エリ-ト職業"弁護士"の明治時代からの経緯である。

『弁護士は、明治維新の西洋式裁判制度導入当初"代言人"といわれ、”三百代言”という蔑みの異名まで生み出している。刑事・民事事件のもめごとを3百文で引受け飯の種にする卑しい輩、それが"代言人"というわけである。

保守的な京都では「家貸すな」「娘を嫁にやるな」といわれたくらいで、口が達者だから何のかのとイチャモンをつけられて苦労させられる、として嫌われた。

こうした風潮をなげいた良心的な"代言人"の中から免許制にすべしとの意見もでて、明治9年(1976年)"代言人"規則の制定により公式に認知され、昭和に入って法律も成立した。

 しかし、高額の免許料や低収入の依頼人ばかりで儲からない。あげくは無免許の"代言人"が横行し取締りも十分ではなかった。今のように国家権力から完全に独立できたのは、新弁護士法ができた昭和24年(1949年)だという。』

"代言人"については、昭和56年(1981年)週刊新潮に連載された和久俊三の小説「代言人 落合源太郎」に詳しいが、筆者はその3年前の転職時に概要を聞かされた。

その後、消費者金融業界は数社が株式上場し、業績もイメージも飛躍的に向上した。"代言人"の例をみるまでもなく、どんな職業も好イメージ確立までには先人達の普段の弛まぬ努力があってこそであり、そう簡単に達成されないことは言うまでもない。

現在、紆余曲折があって銀行は超エリート業とは言えないし、広告代理店業は広告メデイア事情の変革で楽ではない、消費者金融業は法律の改定で廃業に追込まれかねないほどの苦戦を強いられている。

いずれもこれまで積上げた折角の好イメージも下降気味である。当り前のことだが”時代とともに職業イメージは変る”。職業選びは将来を見据えて慎重であるべしだが、20年も30年も先のことは予測しにくい。まあ今思えば筆者の場合「丁か半か、えいや〜!」だった。(完)

2019年02月27日

◆ヴェネズエラ情勢が緊迫度を増した

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月26日(火曜日)通巻第6003号   ^   

米朝会議より、ヴェネズエラ情勢が緊迫度を増した
  ロシアが「第2のシリア」化を狙ってか、虎視眈々

5人の死者、負傷数百名。2月24日にコロンビアとブラジルの国境で繰り広
げられた死闘は、米の援助物資を搬入させまいとするヴェネズエラ政権
が、軍を動員して阻止したためだ。

依然として軍はマドゥロ大統領の支持に回っていることを同時に示すこと
となった。

なぜならマドゥロ大統領は軍に特権を与え、国民の貧窮化にお構いなく軍
事予算を増やし、腐敗、汚職に目を瞑っているからだ。

米国は医薬品、食糧などおよそ600トンを送り込み、人道支援としたが、
受け取りを拒否したのだ。理由は「なにが人道支援だ」。ブラジルとコロ
ンビアの両方で物資搬入阻止の軍事行動が続いた。

ロシアが水面下で動いている。ロシアはヴェネズエラ重視であり、たとえ
ばマドゥロ大統領の身辺警護はロシアが派遣した傭兵、特別のボディガー
ドが担当しているという(ニュースウィーク日本語版、2月19日号)。も
し、欧米が転べば、主導権を取れると踏んでいるのである。

第一に革命イデオロギーに共鳴している。

社会主義に幻想的なロマンを抱いているプーチン大統領は、そうはいって
も残酷な独裁主義の金正恩を個人的には嫌っているが、地政学上、中国を
牽制する意味もあって北朝鮮を支援している。だから秋には金の訪ロを受
け入れる。プーチンの狙いは選挙絡みで「強いロシア」を常に演出する必
要がある。

 ▼ヴェネズエラの石油埋蔵はサウジを超えるとされているが。。。

第二にロシアはヴェネズエラの原油鉱区、石油利権のために170 億ドルを
投資している事実。そのうえ大手ロスネフツ(プーチン系の国際企業)
は、65 億ドルの信用供与をしている。また武器輸出の顧客であり、ミル
はインド37武装へ入りやスホイ30ジェット戦闘機、昨年師走(2018年
12月10日)には、ツボレフ160戦略爆撃機も供与している。

 ちなみにヴェネズエラ石油の最大の輸入国は米国だったが、経済制裁を
課して、原油輸入を中断した。埋蔵はサウジを超える量とされる。

 第三に地政学的に南米への入り口、カリブ海の要衝に位置するヴェネズ
エラをロシアの影響圏に留めておくという政治的欲求が基底になる。

 第四に中国経済が沈没している現状を鑑み、ロシアはその隙をついて政
治的影響力の拡大をはかる。
この文脈ではアサド体制を組み込んで中東へ睨みをきかせる立場を確保し
たように、「第二のシリア化」に照準が当てられていると判断できる。

 北京五輪開会式当日にプーチンは素知らぬ顔で開会式に臨み、同時にグ
ルジア侵攻を命じていた。同様に2月28日の米朝会談をめがけて、何か
をしでかそうとしている。ヴェネズエラ情勢、要警戒である。
     
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(読者の声2)當田晋也様の日本古代史のご意見がありました。以下感想
です。

 1.「古代の帰化」古代において大陸から人が来るというのは、現代と
は違い自由ではなかったと思います。日本は既に海外で紛争を経験してお
り大量の外国人を入国させる危険性を知っているからです。帰化させたの
は技術の職人などもっぱら直接役に立つ人間だけでした。大陸から20万
人もの大量の外国人が入国したという記録は日本書紀には無いと思います。

 2.「百済の話」古代の日本は朝鮮半島南西部を400年近く支配しまし
た。それが百済です。支那王朝への交通路だったのでしょう。この地域に
は多数の日本固有の前方後円墳があるので支配層に日本人がいたと類推さ
れます。

だから百済滅亡時には王族が日本に帰国したのです。この人達はもともと
日本人だから日本語の読み書きは自由だったと思われます。大仏建立事業
では百済王敬福が「陸奥国小田郡」より産出した黄金900両(約13!))を
献上したと記録されていますが、これは砂金採取だけでなく金抽出の技術
職人を連れてきていたのかも知れません。「天皇(すめらぎ)の御代栄え
むと 東なる 陸奥山に 黄金花咲く」大伴家持 

3.「神話と言語」文化人類学では民族は言語と神話により区別します
が、日本には朝鮮の神話や朝鮮語は見つかりません。関係が無いのです。

4.「通訳の話」日本と朝鮮は別の言語ですから片言会話の他公的には通
訳がいたとみるべきでしょう。重要な話は片言の外国語では出来ませんから

ただ身分が低いので歴史記録に載っていないのでしょう。なお百済は別と
して新羅に仕えた日本人の話はききません。新羅も警戒するはずです。ま
た言葉が出来たから帰国して日本の外交をしていたということはないで
しょう。外交は国防を含む独立国家の最高機密ですから。そのような記録
は聞いたことがありません。(落合通夫)


◆「食育」の魁石塚左玄

渡部亮次郎


食育(しょくいく)とは、食に関する知識を習得し、自らの食を自分で選
択する判断力を身に付けるための取組みのことである。

2005年に成立した食育基本法では、「生きるための基本的な知識であり、
知識の教育、道徳教育、体育教育の基礎となるべきもの」と位置づけられ
ている。

単なる料理教育のみならず、食に対する心構えや栄養学、伝統的な食文化
についての総合的な教育も含んでいる。石塚左玄(いしづかさげん)の思
想が生かされている。

一般的ではなかったが、「食育」という言葉は明治時代から使われた。陸
軍の薬剤監(最高責任者)だった石塚左玄は1896(明治29) 年出版の『化学
的食養長寿論』の中で「体育智育才育は即ち食育なり」とはじめて食育と
いう言葉を使った。

現代の食育はこれらの著作をルーツにしながらも、法的根拠を持つ基本理
念が新たに定められている。

2002(平成14)年11月21日、自民党の政務調査会に食育調査会(会長:山
東昭子)が設置された。その目的はBSE問題や産地偽装など食の安全を揺る
がす事件によって生じた消費者の不安や不信感を、食育を通じて取り除く
ことだった。

翌2003(平成15)年に総理大臣(当時)の小泉純一郎が施政方針演説に取り
上げて食育という言葉が一般化した。

小泉総理は1988(昭和63)年に厚生省としては食が一番大事なのではない
かと述べていた。1993年には厚生省監修で『食育時代の食を考える』とい
う著書が出版されている。

著者服部幸應は自分の書いた『食育のすすめ』(1998年)を厚生大臣の頃
の小泉純一郎が読んだからと説明している。

2005年(平成17年)6月10日、食育基本法が成立した。食育によって国民
が生涯にわたって健全な心身を培い、豊かな人間性を育むことを目的とし
ている。

石塚左玄(1851年3月6日―明治42年=1909年10月17日)は日本の軍医・医
師・薬剤師。玄米・食養の元祖。

福井県出身。福井藩城下、近郷石塚村で漢方医の家に生まれる。大石内蔵
助の末娘の血筋を引く家系であった。幼少から皮膚病(アトピー)と重症
の腎炎にかかり晩年まで闘病生活を送る。

12歳で医者としての評価があったという。

陸軍で薬剤監となった後、食事の指導によって病気を治した。栄養学がま
だ学問として確立されていない時代に食物と心身の関係を理論にし、医食
同源としての食養を提唱した事は驚異に値する。

「体育智育才育は即ち食育なり」と食育を提唱した。「食育食養」を国民
に普及することに努めた。

栄養学の創設者である佐伯矩が現・国立健康・栄養研究所をつくるための
寄付を募っていたとき、左玄の功績を耳にした明治天皇が「そういう研究
所があってもいいのでは」と述べ、その言葉で寄付が集まったという。

左玄。1868(明治元)、18歳のとき、福井藩医学校で勤務する。オランダ
語をはじめとした欧州の言語で解剖学などを学んだ。

1872(明治5)年東京大学南校科学局で御雇になる。
1873(明治6)年、その半年後、医師と薬剤師の資格を取得し、文部省医
薬局の助手を努める。

1874(明治7)年陸軍で軍医試補となる。そこで竹製のピンセットや、担
架、乾パン、乾燥野菜などの重要な発明をしている。
1881(明治14)年陸軍の薬剤監に任ぜられる。

退官後の1894(明治27)年薬学会誌に、「人類は穀食動物なり」、「飲食
物化学塩類論」、「飲食物の加里塩は酸素吸収の媒介者なり」を発表する。

1898(明治31)年頃には、東京市ヶ谷の自宅にある「石塚食療所」に全国
から患者が殺到するようになっていた。

1907(明治40)年「食養会」を創立した。信奉者には華族や陸軍高官、政
治家や財閥なども多くいた。

1909年(明治42年)10月17日、幼少期からの闘病の末、没する。享年58。

食本主義 「食は本なり、体は末なり、心はまたその末なり」と、心身の
病気の原因は食にあるとした。人の心を清浄にするには血液を清浄に、血
液を清浄にするには食物を清浄にすることである。

人類穀食動物論 食養理論の大著である『化学的食養長寿論』は「人類は
穀食(粒食)動物なり」とはじまる。臼歯を噛み合わせると、粒が入るよ
うな自然の形状でへこんでいるため、粒食動物とも言った。

または穀食主義。人間の歯は、穀物を噛む臼歯16本、菜類を噛みきる門歯
8本、肉を噛む犬歯4本なので、人類は穀食動物である。穀食動物であると
いう天性をつくす。

身土不二 「郷に入れば郷に従え」、その土地の環境にあった食事をと
る。居住地の自然環境に適合している主産物を主食に、副産物を副食にす
ることで心身もまた環境に調和する。

陰陽調和 当時の西洋栄養学では軽視されていたミネラルのナトリウム
(塩分)とカリウムに注目した。陽性のナトリウム、陰性のカリウムのバラ
ンスが崩れすぎれば病気になるとした。

ナトリウムの多いものは塩のほかには肉・卵・魚と動物性食品、カリウム
の多いものは野菜・果物と植物性食品となる。しかし、塩漬けした漬け物
や海藻は、塩気が多いためにナトリウムが多いものに近い。

精白した米というカリウムの少ない主食と、ナトリウムの多い副食によっ
て陰陽のバランスが崩れ、病気になる。

一物全体 一つの食品を丸ごと食べることで陰陽のバランスが保たれる。
「白い米は粕である」と玄米を主食として奨めた。

智と才は食養に関係する。智と才は表裏の関係だが、「智は本にして才は
末なり」と智を軽視しないようにして、カリウムが多くナトリウムが少な
い食事によって智と才の中庸を得て、穀食動物の資質を発揮するとした。

軟化と発展力のあるカリウム、硬化・収縮力のあるナトリウムのバランス
に注目する。またカリウムは静性に属し、ナトリウム動性に属する。

幼い頃はカリウムの多い食事をとることで、智と体を養成する。思慮や忍
耐力や根気を養う。

また道徳心や思慮を必要とする場合もカリウムの多い食事にする。 社会
人に近づくにつれ、ナトリウムの多い食事にしていくことで、才と力を養
成する。ただし、ナトリウムが多すぎれば、命ばかりか身も智恵も短く
なってしまう。バランスが崩れすぎれば病気にもなるので中庸を保つよう
に食養する。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2008・08・31

◆チベット人に切実な法王後継者問題

櫻井よしこ


「チベット人に切実な法王後継者問題 中国共産党から仏教を守り通せるか」

米議会は昨年10月、超党派で「中国に関する議会・行政府委員会の年次報
告書」を発表、中国共産党政府の少数民族弾圧は、「人道に対する罪」だ
と明記した。時効のない、最も厳しく追及されるべき犯罪という意味だ。

同報告書は新疆ウイグル自治区を焦点としたが、チベットも同じである。
中国政府のチベット弾圧は、ウイグル弾圧同様、激化するばかりだ。その
中でチベット人にとって今年84歳になる法王、ダライ・ラマ14世の後継者
問題はとりわけ切実である。

チベット仏教には最高位の指導者としてダライ・ラマと、それに次ぐ地位
のパンチェン・ラマが存在する。いずれも前任者の死を受けて幼児が後継
者として選ばれる。チベット仏教の指導的僧侶たちが幼児を守り、立派な
指導者として育て上げるが、それには20年近い歳月が必要だ。

中国共産党は、高齢のダライ・ラマ14世の後継者は自分たちが選ぶと宣言
済みだ。宗教を信じない共産主義者に他民族の宗教指導者を選ぶ資格など
ないのだが、彼らはお構いなしである。

中国には「前科」がある。1995年、ダライ・ラマ14世は、死亡したパン
チェン・ラマの生まれ変わりとして六歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ氏
を選んだが、中国共産党はニマ氏を家族ごと誘拐し、別の少年、ギャン
ツェン・ノルブ氏をパンチェン・ラマ11世に指名した。ニマ氏は未だに行
方不明、中国共産党はノルブ氏を育て、彼こそが真実のパンチェン・ラマ
11世だと主張する。

このような事例があるために、チベット人はいま、次のダライ・ラマをど
のように選ぶべきか悩んでいるのである。センゲ首相が率直に語った。

「私は(亡命政権が位置するインド北部の)ダラムサラにいる時にはいつ
も法王の教えを受けています。法王は、私に、次のダライ・ラマ選出方法
を責任を持って決めよと命じました。法王の御意思を聞きながら、既に、
次のダライ・ラマ選出に関しての意見聴取を進めています」

チベット仏教各宗派の長老達との第1回会議もチベット内外に住む高位の
僧、数百人の意見聴取も終えたという。今年6月と10月にも世界各地から
チベット仏教指導者がダラムサラに集まり、来年取りまとめに入るという。

「全員、とても真剣です。私はいま任期2期目で、あと2年半、主席大臣
(首相)を務めます。この間に結論を出したいと思います」とセンゲ氏。

現在3つの案が有力だ。

(1)チベット仏教の伝統を踏まえダライ・ラマ14世の死後、生まれ変わ
りの幼い男児を探す、(2)長老達が選ぶ、(3)法王自身が亡くなる前
に自らの生まれ変わりを指名する。

センゲ氏の説明では、法王は保守的で仏教の伝統を大事にするため、伝統
に従えば(1)の方法しかない。しかし法王は柔軟であり、3つの選択肢
の全てが頭の中にあるともいう。

(1)の場合、前述のように幼児の成長までに20年近い歳月が必要で、そ
の間、チベットは中国の介入に脅かされる。中国共産党はチベット仏教を
本気で潰しにかかると危惧されている。結果、センゲ氏は(3)に期待する。

「法王が、自分の生まれ変わりとして10代の少年を選べば、長い時間をか
けずに次の法王になれます。少年がまず第一に善きチベット仏教徒で、賢
く、徳の高いことは無論必須条件です。しかし選ばれれば、彼はダライ・
ラマ14世の命のある限り、指導を受け、その徳と叡智を吸収し、立派に成
人するでしょう。このようにして15世が育っていけば中国は一切介入でき
ません。私自身はこの(3)の選択肢が最善ではないかと思います」

チベットの人々の柔軟な思考で中国の介入を退け、チベット仏教を守り通
せるよう、私は願っている。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1268 

◆蕪村公園横の「毛馬の閘門」

石田 岳彦 弁護士


阪急千里線の柴島駅(本筋から思い切り離れますが「柴島」を初見で「くにじま」と読める人がどれだけいるでしょうか。)から天神橋筋六丁目駅へ向かい、淀川にかかる鉄橋を渡る際、左側奥、淀川大堰の向こう側に大きな「水門」が見えますが、その水門には「毛馬こうもん」と白抜きで大きく書かれています。

「こうもん」を漢字で書くと「閘門」です(ちなみに「毛馬」は地名で「けま」と呼びます)。

最近は警察署にも建物の壁に「けいさつ」と平仮名で大きく書いているところがありますが、「閘門」と書いても読めない人が多いので、「こうもん」と平仮名で書いているのでしょうか。

もっとも、警察署と違い、読みだけ知ったところで何をやっている施設かは分からないと思いますが。

それはさておき、阪急千里線を通勤経路にしている私にとって、毛馬の閘門は見慣れた存在でしたが、近くにまで行く機会はありませんでした。

平成20年春、毛馬の閘門が国の重要文化財に指定されることになったというニュースを聞いた私は、これをよい機会と毛馬の閘門に行ってみました。我ながらミーハーです。

毛馬の閘門に行くには、天神橋筋六丁目駅(阪急千里線、地下鉄堺筋線・谷町線)から北上し、淀川にかかる長柄橋の南詰めから河川敷に出て、更に5分ほど東へ歩きます。

河川敷は公園になっていて、堤防上には歩道も整備されていて、歩いていて楽しい道ですが、天神橋筋六丁目駅からは20分以上の歩きになり、大阪市内ということを考えると交通の便の悪い場所といえるでしょう(私がなかなか行く気になれなかった理由もこれです。)。
 
現地に設けられていた説明板によると、閘門というのは、水位の異なる川、運河等の間で船を行き来させるため、両側に水門を設けた水路で、毛馬の閘門の場合、大川(低)と淀川(高)との間の高低差を調整して船を通すために建造されたものです。

淀川から大川に入る場合、まず、水路内の水位を淀川に合わせたうえ、淀川側の水門のみを開けて船を水路に入れたうえで閉じ、水路内の水を抜いて、水面の高さを大川と同水位に下げた後、大川側の水門を開けて船を通過させるという仕組みになっています。

逆に大川から淀川に行く場合には、大川側から水路に船を入れたうえ、水を補充して水路面を淀川と同水位にまで上げてから、淀川側の水門を開放することになります。

なお、そもそも隣り合っている2つの川の水面に何故、極端な高低差があるかといえば、本来の淀川の流れは大川の方で、現在の淀川のうち毛馬よりも河口側の部分(新淀川)は明治時代に治水上の必要で人工的に作られたためだそうです。

ちなみに現在の毛馬の閘門は3代目で、私が毎朝見かけている「毛馬こうもん」もこの3代目にあたります。今回、重要文化財に指定されたのは、初代と2代目(今は船溜になっているそうです)で、このうち初代の閘門は、3代目のすぐ近くに見学用として整備されていました。

初代閘門の水門は2つの扉が観音開きになる方式で(なお、現役の3代目の閘門は門扉が上下して開閉するシャッター方式だそうです。)、現在は半開きの状態で固定されています。最近になって塗りなおされているようで、水色の大きな扉が鮮やかです。

北側の淀川側の水門は、近くにある堤防から一段低いところにあり、階段で下まで降りることもできますが、降りたところに柵が設けられていて、その先の水門をくぐることはできません。

もっとも、南側にある大川側の水門(淀川側に比べてかなり小型です)は開放されていて、そちら側から(旧)水路(当然のことながら現在では水路に水は流されていません。)の中に入ることができ、更に進んで淀川側の水門をくぐることもできます。北側の柵はいったい何のためでしょうか。

水路の中央に見学用の通路が設けられていて、その両側は何故か芝生になっていました。先ほどの柵といい、「こうもん」のペイントといい、この芝生といい、大阪市はよく分からないことに、金と手間を使います。

水路といっても船が通り抜けることができるだけのスペースですから、幅もそれなりにあり、スペース自体はちょっとした広場並みです。両側の側壁はレンガ造りになっていて、ところどころに鎖が取り付けられています。係船環と呼ばれる船を繋ぐためのものだそうです。水路に水を注入または排出するときに船が動かないようにするためでしょうか。

近くには初代閘門の付属施設として建設された洗堰(水が堰の上を越えて流れるタイプの堰)も残っています。淀川(新淀川)から大川に流れ込む水の量を調節するためのものだそうです。なかなかシックなデザインですね。

大阪市やその近郊にお住まいの方であれば、天気のよい休日にでも、広々とした淀川の河川敷や与謝蕪村公園の横を歩きつつ、ちょっと「毛馬の閘門」に寄ってみられるのも悪くないでしょう。(終)


2019年02月26日

◆チベット人に切実な法王後継者問題

櫻井よしこ


「チベット人に切実な法王後継者問題 中国共産党から仏教を守り通せるか」

米議会は昨年10月、超党派で「中国に関する議会・行政府委員会の年次報
告書」を発表、中国共産党政府の少数民族弾圧は、「人道に対する罪」だ
と明記した。時効のない、最も厳しく追及されるべき犯罪という意味だ。

同報告書は新疆ウイグル自治区を焦点としたが、チベットも同じである。
中国政府のチベット弾圧は、ウイグル弾圧同様、激化するばかりだ。その
中でチベット人にとって今年84歳になる法王、ダライ・ラマ14世の後継者
問題はとりわけ切実である。

チベット仏教には最高位の指導者としてダライ・ラマと、それに次ぐ地位
のパンチェン・ラマが存在する。いずれも前任者の死を受けて幼児が後継
者として選ばれる。チベット仏教の指導的僧侶たちが幼児を守り、立派な
指導者として育て上げるが、それには20年近い歳月が必要だ。

中国共産党は、高齢のダライ・ラマ14世の後継者は自分たちが選ぶと宣言
済みだ。宗教を信じない共産主義者に他民族の宗教指導者を選ぶ資格など
ないのだが、彼らはお構いなしである。

中国には「前科」がある。1995年、ダライ・ラマ14世は、死亡したパン
チェン・ラマの生まれ変わりとして六歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ氏
を選んだが、中国共産党はニマ氏を家族ごと誘拐し、別の少年、ギャン
ツェン・ノルブ氏をパンチェン・ラマ11世に指名した。ニマ氏は未だに行
方不明、中国共産党はノルブ氏を育て、彼こそが真実のパンチェン・ラマ
11世だと主張する。

このような事例があるために、チベット人はいま、次のダライ・ラマをど
のように選ぶべきか悩んでいるのである。センゲ首相が率直に語った。

「私は(亡命政権が位置するインド北部の)ダラムサラにいる時にはいつ
も法王の教えを受けています。法王は、私に、次のダライ・ラマ選出方法
を責任を持って決めよと命じました。法王の御意思を聞きながら、既に、
次のダライ・ラマ選出に関しての意見聴取を進めています」

チベット仏教各宗派の長老達との第1回会議もチベット内外に住む高位の
僧、数百人の意見聴取も終えたという。今年6月と10月にも世界各地から
チベット仏教指導者がダラムサラに集まり、来年取りまとめに入るという。

「全員、とても真剣です。私はいま任期2期目で、あと2年半、主席大臣
(首相)を務めます。この間に結論を出したいと思います」とセンゲ氏。

現在3つの案が有力だ。

(1)チベット仏教の伝統を踏まえダライ・ラマ14世の死後、生まれ変わ
りの幼い男児を探す、(2)長老達が選ぶ、(3)法王自身が亡くなる前
に自らの生まれ変わりを指名する。

センゲ氏の説明では、法王は保守的で仏教の伝統を大事にするため、伝統
に従えば(1)の方法しかない。しかし法王は柔軟であり、3つの選択肢
の全てが頭の中にあるともいう。

(1)の場合、前述のように幼児の成長までに20年近い歳月が必要で、そ
の間、チベットは中国の介入に脅かされる。中国共産党はチベット仏教を
本気で潰しにかかると危惧されている。結果、センゲ氏は(3)に期待する。

「法王が、自分の生まれ変わりとして10代の少年を選べば、長い時間をか
けずに次の法王になれます。少年がまず第一に善きチベット仏教徒で、賢
く、徳の高いことは無論必須条件です。しかし選ばれれば、彼はダライ・
ラマ14世の命のある限り、指導を受け、その徳と叡智を吸収し、立派に成
人するでしょう。このようにして15世が育っていけば中国は一切介入でき
ません。私自身はこの(3)の選択肢が最善ではないかと思います」

チベットの人々の柔軟な思考で中国の介入を退け、チベット仏教を守り通
せるよう、私は願っている。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月23日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1268

◆勇み足、早とちり、フライング

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月25日(月曜日)通巻第6002号    

勇み足、早とちり、フライング。バルセロナで携帯電話世界フェア
  サムソン、ファーウェイが次世代5Gスマホ、秋から発売へ

2月24日、スペイン。25日から開催されるバルセロナ世界スマホ展示会に
先だって、ファーウェイは次世代5Gスマホの見本を公開した。折りたた
み式で、拡げるとタブレットとなり、高速の作業が可能となる。有機EL
使用の新型スマホーは今秋に発売され、予価は29万円とした。

すでにサムソンも同型を発表し、価格は22万円。アップル、ノキア、エ
リクソンは出遅れ、日本はまだ影も形もない。

5G開発競争で、アップルの優位が崩れたのだろうか?

フィンランドのノキア幹部が同展示会で語っているように「西側の基準は
安全であり(拙速ではない)、慎重に5G製品を開発する」。

つまり市場にいつ投入するか不明とした。強引で拙速による市場先取り作
戦に欧米メーカーは業を煮やす。

しかしファーウェイのスマホは、すでに世界に2億台、勢いを止めること
ができない。

対照的にアップルは昨年第4四半期に「中国のおける販売は10%減った」
とした。さらに2019年1月は前月比で20%の落ち込み、これは米国トラン
プ大統領のファーウェイ排撃に対抗して中国国内で不買運動が起きている
からだ。

トランプのファーウェイ締め出しに、まだ疑義を呈しているのが英国とド
イツで、政府系の調達は自粛するが、ほかの分野では規制しないというの
が英独の姿勢。おなじファイブアイズ(Five Eyes)でも、勇猛
に排撃を決めた豪、NZと温度差がある。

イタリアはどうか。「同盟」と「5つ星運動」の連立政権で副首相兼内相
のマティオ・サルビーニは「ファーウェイを排撃するべきだ」としている
が、連立内部には左翼分子や親中派議員が混ざっており、閣内の意見もま
だ統一をみていない。

またベルルスコーニ元首相らは、柔軟な姿勢を見せている。

こうした西側の政治事情を横目にして、劣勢挽回を図るファーウェイは、
たとえフライングになろうとも先に5Gスマホ市場に唾をつけたことにな
る。新製品29万円(!)。いずれ過渡期のシロモノとなるのだが、手を出
しますか?