2019年02月22日

◆日韓は「無礼」がこだまする

                         杉浦 正章


度しがたい韓国政府・議会の反日狂想曲

どこまで感情的な国家なのだろうか。歴史的には中国から度々蹂躙され、
日本に併合され、感情的対応だけが対外交渉の武器として醸成されてし
まったのだろうか。それにしてもここに来て何でまた反日なのか。

韓国政府・議会による反日二重奏である。冷静であるべきマスコミまで
が、反日機運の盛り上げに余念がない。かくなる上は日本を失う韓国と、
韓国を失う日本とどちらが痛痒を感ずるか我慢比べをしてみてはどうか。

反日急先鋒の国会議長文喜相はかつて大統領文在寅の特使として来日して
おり首相安倍晋三とも会談している。知日派なのだ。

極東情勢は27日と28日にベトナムで開かれる米朝首脳会談を軸に、ダイナ
ミックな展開も予想されるところである。そのような国際情勢などどこ吹
く風と、文喜相は人相風体にふさわしい吠え方をした。インタビューで、
「天皇陛下が元慰安婦に直接謝罪すれば慰安婦問題は解決できる」と発
言、日本政府が反発したのに対して「謝罪する側が謝罪せず、私に謝罪し
ろとは何事か。盗っ人たけだけしい」と開き直ったのだ。

「盗人たけだけしい」とは、究極の国家批判であり、昔なら政争勃発だ。
そもそも今上天皇が、慰安婦問題に何らかの関わりをしたなどと言うこと
はあり得ない。

日本は1965年の日韓基本条約において無償で3億ドル、有償で2億ドル、民
間借款で3億ドルを支払っている。合計して8億ドルである。8億ドルとい
う額は当時の韓国の国家予算の2.3倍であり、いかに高額であったかが分
かる。戦後の韓国経済が立ち直ったのはいうまでもなく賠償金のおかげで
ある。

要するに謝りすぎるほど謝ってきたのだ。しかし、冷静かつ客観的に外交
を報ずるべき韓国のマスコミも朝鮮日報が「経済報復をちらつかせ、連日
韓国を脅かす日本」と報ずるなど被害妄想的な扇動記事を掲載し続ける。

これに対して自民党内には対韓強硬論も台頭している。自民党外交部会で
は@韓国に対する防衛関連物品の輸出の規制A大量殺傷兵器への転用の可能
性がある物品や材料の輸出に関し、韓国を「ブラックリスト」に含めるB
韓国の半導体産業に欠かせないフッ化水素などの輸出を引き続き制限す
るーなどが検討されているようだ。

一方、外相河野太郎は同日、文喜相議長について「極めて無礼だ。単に国
会議長であるだけでなく、韓日議員連盟の会長を務めた人物がこのような
話をしたのは深刻だ」と指摘した。当然の発言である。

これに対して超党派でつくる韓日議員連盟会長の姜昌一は「河野外相は逆
に非常に無礼な発言をした」と指摘した。姜は、天皇の謝罪を求めた文の
発言は「極めて常識的だ」と述べた。また、「韓日関係は良好であるべき
だ」とし、「日本の政治家は長い目で見て自重してほしい」とも述べた。
 

このように木霊がこだまを呼んで、事態はエスカレートしている。問題は
大統領文在寅だ。本来なら文喜相発言を諫める立場なのに、後ろを向いて
含み笑いをしているがごとく、なにもしない。

もはや反日とも言っておかしくない文政権が続く限り日韓関係の修復はお
ぼつかないと見るべきであろう。韓国が安易な反日路線を取る背景には経
済的な要因も少なからず作用している。対日貿易の比重が低下しているのだ。

対日輸出は2007年に7.1%で3位であったものが2¥202年には4.7%
で5位にまで低下している。韓国の貿易で“日本パッシング”が生じている
のだ。

 日本はこの際安易な関係回復などを模索する必要はない。北東アジアの
片隅で、国際外交の何たるかに疎い韓国が国際常識の通ずる国に“成長”す
るまで“優しく”見守るのが一番だろう。それよりも米朝首脳会談が大きく
進展すれば、日朝関係に好機が生ずるかもしれない。日本は対韓、対朝で
バランスを取った外交を展開するチャンスとなりうる。北の金正恩の方が
御しやすいかもしれない。

◆面妖で奇怪な5角関係

宮崎 正弘


平成31年(2019)2月29日(火曜日)通巻第5996号   

 面妖で奇怪な5角関係(ペンタ・リレーションズ)
 米国とタリバンの和平交渉はCPECの死活に関わり、そこにサウジが介入

ややこしい関係を解きほぐしてみると。
まず米国とタリバンの和平交渉が続いている。両者はかなり前向きであ
る。米国は地獄のアフガニスタンからさっさと撤退したい。タリバンは政
権の掌握が射程に入り、しかも中国と抜き差しならない関係にある。

危険極まりないアフガニスタンで銅鉱山を開発しているのは中国である。

タリバンが支配するアフガニスタンのカンダハル地方は長年にわたっての
無法地帯、一時は米国が総攻撃を仕掛ける作戦を練っていたが、途中で放
棄した。

いまも無法地帯にかわりなくアフガニスタン政府の統治が及んでいない。
この地方が、BLAの出撃基地となっている。BLAとは「バロチスタン
解放軍」。つまりパキスタンからバロチスタンを独立させるべく、武装闘
争を継続する過激武装組織で、六つあるといわれるバロチスタン武装グ
ループのなかでも最大派閥だ。

州都のクエッタで中国人2人を誘拐・殺害し、グアダル港の中国企業の工
事現場を襲撃し、中国人労働者を乗せた車を爆破、ついに2018年11月23日
には、カラチの中国領事館に自爆テロを仕掛け、警官3名、自爆側4名、
合計7人が死亡した。

もともとバロチスタンの独立運動諸派が武闘に至ったのは当時のムシャラ
フ大統領とBLA指導者の話し合いが、金鉱脈利権、銅鉱山開発などの問
題で折り合いが付かず、直後に(2006年8月)指導者ナワブ・アクバル・
ブジテがバロチスタンの山岳地帯で暗殺された。

パキスタン軍特殊部隊の仕業とされるが、パキスタンは関与を否定し、
「あれはインドの陰謀」と決めつけた。

バロチスタン州は、もともと独立国であり、いまもロンドンに亡命中の国
王がいる。パキスタンに帰属するとは考えておらず、パキスタン政府が中
国と結んだ、合計620億ドルものCPEC(中国パキスタン経済回廊プロ
ジェクト=一帯一路の目玉)は、バロチスタン州の資源を収奪する悪魔の
仕業と認識している。

工事現場は危険に満ちており、しかも原油、ガスのパイプラインに鉄道、
ハイウェイ、そして光ファイバーの敷設工事がグアダールから延々と新彊
ウィグル自治区のカシュガルへの繋げるのだ。

パキスタン軍が1万5千、くわえて中国が雇用するプライベートアー
ミー、さらに特殊部隊が警備に当たっている。クエッタでは中国人の個人
的外出は許可されず、警備兵つきの集団移動が日常の風景。


 ▼パキスタン軍も陰謀にかけては中国も舌を巻くほど

他方、パキスタンも無策ではない。18年12月、BLA指導者のアスラム・
バローチを潜伏先のカンダハル市で暗殺した。これは11月23日のカラチ中
国領事館自爆テロの報復作戦とされる。

この状況を改善するにはアフガニスタンのカンダハル地方の出撃基地化を
壊滅させる作戦の如何にかかっている、そのために米軍は、タリバンとの
交渉の後にいる中国に介入を期待しているという図式になる。

なにしろパキスタン軍情報部も陰謀にかけては中国も舌を巻くほど巧妙・
狡猾である。

しかし、パキスタン経済は極貧のまま、中国からの借金を返せない。

イムラン・カーン(パキスタン首相)は訪中し、救済を要請した。李克強
首相は「両国関係は全天候型であり、あらゆる協力を惜しまない」と発言
したものの、約束した緊急支援の20億ドルはまだ送金されていない。

2月17日、サウジアラビアのサルマン皇太子がイスラマバードを電撃訪問
した。

すでにカーン首相はサウジを2回訪問し、50億ドルの緊急支援を得たが、
こんかいの正式訪問でサルマン皇太子は、7つの契約書に署名し、合計
200億ドルのプロジェクト支援を表明した。皇太子は18日インドを訪問し
てモディ首相と会談。20日に北京を訪問する予定という。

かくしてインド、パキスタンの宿命の対立に、パキスタン支援の中国とサ
ウジの主導権争い、そこにアフガニスタンと和平交渉を進展させようと意
気込む米国という、面妖極まりない南アジアの相関図が見えてきた。
 

◆「しょっつる」は苦手?

渡部 亮次郎
      

「しょっつる」は秋田の冬を代表する名物鍋。標準語でいえば「塩汁」。
秋田弁では「汁」が「つゆ」になり「つる」に訛る。ただし私の生まれた
旧八郎潟沿岸では材料の海魚が獲れないから「しょっつる」は造らない。

だから、おかしな事に秋田生まれの私が「しょっつる」を初めて食べたの
は40歳を過ぎてから、秋田市川反(かわばた)の料亭だった。もう塩辛も食
べられるようになっていたから結構、「美味い」と思った。

「しょっつる」の「汁」だけは瓶詰めで東京・日本橋「三越」でも売って
いて、向島(下町)生まれの家人が好物のようで、冬になると「東京しょっ
つる鍋」を食べる。秋田では名物ハタハタを使うが、無い時は適当な魚を
入れる。

「しょっつる」は秋田の冬の名物、伝統的にはハタハタで作る魚醤。現在
作られている「しょっつる」はハタハタに限らず色々な魚で作られてい
る。ハタハタ料理にも付き物。

一般的にはハタハタもしくはタラと豆腐、長ネギと一緒に鍋で煮る
「しょっつる鍋」が有名。「きりたんぽ鍋」など、他の料理の味付けにも
用いられ、ラーメンのスープに(特に隠し味として)使われる場合もある。

創作和食の店ではドレッシングや付けダレなどに混ぜる(いずれも隠し味
として)などの工夫も見られる。

しょっつる=魚醤は魚を塩とともに漬け込み、自己消化、好気性細菌の働
きで発酵させて出た液体成分が魚醤。黄褐色〜赤褐色、暗褐色の液体である。

熟成により、特有の香りまたは臭気を持つが、魚の動物性タンパク質が分
解されてできたアミノ酸と魚肉に含まれる核酸を豊富に含むため、濃厚な
うま味を有しており、料理に塩味を加えるとともに、うま味を加える働き
が強い。また、ミネラル、ビタミンも含んでいる。

日本では、近代的な食生活において、塩分濃度が高く風味が独特な魚醤
は、醤油やうま味調味料の普及により一般家庭での使用は減っているが、
いくつかの地方には魚醤を用いる文化が残っており、郷土料理などに利用
されている。

主なものでは、秋田で「しょっつる」(塩汁)のほか、能登で「いしる」
(魚汁)、香川で「いかなご醤油」が製造され、地元を中心に使用されて
いる。この他1990年代後半ころから伝統的製法とは異なる製法が開発さ
れ、商品が製造販売されている。

そのひとつに「ほっけ醤油」がある。北海道・寿都(すっつ)町 北海道
日本海、寿都名産のほっけを塩漬けにし、じっくり自然発酵させた天然発
酵・本醸造の調味料(魚醤)。

ほっけ醤油「寿都のだし風」は地元商工会・寿都水産加工業組合所属メー
カーで組織する寿都魚醤醸造委員会が立ち上げ、製造販売している。ほっ
け醤油を使った各種一夜干しなども販売。また、伊豆諸島でくさやを製造
する際に用いられるくさや液も魚醤の一種であると考えられる。

アジア、特に東南アジアの沿岸部を中心に、日本、中国なども含め、いく
つかの文化圏で用いられており、特にタイをはじめとする東南アジアで
は、塩を除けば、ほぼ唯一の塩味の調味料で、非常に多くの料理に用いら
れる。また、これらの文化圏の中には、なれずしを作る伝統を残している
地域もある。

東南アジアでは、タイのナンプラー、ベトナムのヌックマム(ニョクマム
とも) が世界的に有名である。他にも、フィリピンのパティス(patis)、
カンボジアのトゥック・トレイ、ラオスのナンパー(nam paa)、ミャン
マーのンガンピャーイェー(ngan-pya-ye)、インドネシアのケチャップ・
イカン (kecap ikan) などがある。中国の広東省やマカオの魚露(ユーロ
ウ)も地元で広く使われている。

これらの言葉はおおむね「魚の水」という意味である。福建省福州で?露
(キエロウ、1文字目は魚編に奇)といい、厦門のケチャップ(鮭汁)の
「鮭」と同じく塩辛を意味する語と、「露」を組み合わせている。


歴史的には、古代ローマにおいてもガルム(ラテン語: garum)と呼ばれ
る魚醤が使われていた。現在でもアンチョビーペーストやサーディンペー
ストがある地帯は、かつてはアンチョビやサーディンの魚醤油が使われて
いた痕跡である。

ケチャップは、トマトから作られるトマトケチャップが有名になっている
が、ケチャップの語源は、福建省や台湾の「鮭汁」 (kechiap) という魚
醤をさす言葉であるとする説が有力である。

もともとの製法は地域によりかなり異なっており、生の魚を塩漬けにした
り、干物にして用いるもの、特定の魚種だけを使う場合や網にかかった魚
をみな使う場合、オキアミなどを原料とする場合がある。

基本的に、用いる魚の種類によって、大きな魚の場合には内臓、頭、ヒレ
などを、アンチョビなど利用価値の低い小型の魚の場合には、丸ごとを用
いる場合が多い。

原則として、魚を大量の塩とともに漬け込み、そのまま数ヶ月以上発酵さ
せる。熟成が進むと、魚の形が崩れ、全体が液化してくる。その液化が進
んだものを、漉して用いる。

熟成の度合いは地域によって異なり、熟成度が少なく、魚の香りの強いも
のから、熟成が進みチーズのような発酵した匂いが中心のものもある。魚
と塩だけで熟成させるものの他に、これに野菜や香草類を加えて味を調え
るものもある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2008・11・11


◆こんなに違う皇室と清朝帝室の姿

櫻井よしこ


加藤康男氏の『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書、以下『私生
活』)は、私たちがいま「中国」と呼ぶあの大きな国を統治してきた権力
者、彼らの価値観や倫理の、余りにも日本と異なる実態を描いていて興味
が尽きない。

日本の皇室、さらには社会の実権を握りながらも皇室を権威として敬う政
界や経済界の日本人と、漢民族か否かを問わず、清朝、国民党、中華人民
共和国を統治した・皇帝・と彼らを取り巻く大陸の人々の価値観は水と油
である。

映画にもなった清朝最後の皇帝溥儀(ふぎ)について知るのにとりわけ重要
な書籍は、溥儀の家庭教師を務めたスコットランド人、R・F・ジョンス
トンの『紫禁城の黄昏』だろう。

日本語訳は当初岩波文庫から出版されたが、これは渡部昇一氏によって
「岩波文庫の名誉を害する」「非良心的な刊本」と断じられた。翻訳の間
違いに加えて、「政治的意図」と思われる編集で、ジョンストンの意図が
正しく伝えられていないからだ。日本の溥儀及び満州国との関わりについ
て事実に迫りたい人は、中山理氏が訳し渡部氏が監修した祥伝社の上下2
冊『完訳 紫禁城の黄昏』を読むのが良いと思う。

それでも溥儀についての真実の全容が中々見えない中で、加藤氏が幾つも
の驚くべき事実を『私生活』で描いた。一言で言えば、溥儀は節操を欠く
人物だった。彼の一生を翻弄した苛酷な運命を勘案すれば、致し方ないこ
とであったかもしれないが、彼は運命の節目節目で幾度か驚くべき変身を
遂げている。

満州国皇帝として即位した溥儀は1935(昭和10)年に、また40(昭和15)
年に日本を訪れた。昭和天皇と会い、母宮節子(さだこ)皇太后のあたたか
いもてなしも受けた。

日本の皇室の在り様は紫禁城における謀略渦巻く世界とは別天地だったに
違いない。初の来日で溥儀は皇室に強い憧れを抱き、「日本の天皇家と一
体となることを自ら希望し、天皇家の祖神である天照大神を満州国帝室の
祖神とすることを望んだ」(『私生活』)。

溥儀の変節

無論、日満一体化で皇室と融合すれば、関東軍の溥儀への姿勢はより恭し
くなるとの期待もあっただろう。それにしても祖国の神を差し置いて日本
の皇祖神を戴きたいとの発想は理解し難い。満州国は憲法も国会もない生
まれたばかりの国家だったが、目指すところは五族協和の下の王道楽土
だ。そこに日本の天照大神を祀るのは無理がある。

そもそも溥儀の夢は大清国の皇帝に戻ること、復辟(ふくへき)だった。日
本近現代史研究家の波多野勝氏は『昭和天皇とラストエンペラー』(草思
社)で、溥儀は日満一体化を主張することで、自らの夢、復辟を諦めたこ
とになったと強調している。

加藤氏は溥儀の変節を克明に辿った。ソ連に抑留されたときにはソ連賛歌
を口にしソ連女性との結婚を望んだ。毛沢東の中国に身柄を移されたとき
には、またもや豹変した。状況次第で立場を変える溥儀の人生が、多くの
裏切りに満ちていたのは致し方ないかもしれない。彼は肉親をも信じるこ
とができなかった。

溥儀初来日の35年当時、その2年前に日本では皇太子(今上陛下)が誕生
し、国全体が明るい雰囲気に包まれていた。満州国に戻った溥儀は、自分
に子供がいないことを気にし始めた。実弟の溥傑(ふけつ)が嵯峨侯爵家の
長女、浩(ひろ)と結婚すると、「溥傑に男子が生まれたら、自分は殺され
る」と弟宮一家を恐れるようになった。後嗣なき自分は、跡目相続を狙っ
ているに違いない弟宮夫婦に命を狙われていると、本気で恐れた。

なぜ彼には後嗣がなかったのか。溥儀が暮した紫禁城には大勢の宦官や女
官が仕えており、溥儀は宦官相手の放埒な性や、多数の女官相手の爛熟し
た性にふけった。これまで明らかにされなかったこうした私生活を、具体
的に描いたのが加藤氏だ。

64(昭和39)年、中国共産党に指示されて、溥儀は自伝『わが半生』を書
いている。同書は中国当局の描きたい歴史であり、頭から信じるのは危う
いが、その中に16歳で、同年齢の美しい后を娶り、初夜を迎えた場面の描
写がある。

「赤いとばり、赤いふとん、赤い着物、赤いスカート、赤い花、赤い頬……
一面に溶けた赤いロウソクのようだった。私は非常にぎこちない感じで、
坐っても落ち着かず、立っても落ち着かない。私はやはり(自分の居住す
る宮殿の)養心殿がいいやと思い、そこで戸をあけて帰ってしまった」

溥儀の自伝が伝えるのはそこまでだ。その先を加藤氏が追跡した。「(彼
は)養心殿に行って太監と夜明けまで遊んだ」「養心殿には王鳳池(おう
ほうち)がただちに呼ばれ、朝まで二人が親密な夜を過ごしたこと」は多
くが証言している、と。

天国と地獄の差

王鳳池は美しい女人よりもなお美しいと伝えられる宦官である。溥儀は一
目で王鳳池に心を奪われ、彼に導かれて宦官との魔界の性に入った。これ
では跡継ぎを授かるはずがない。

紫禁城はまた、聞くだに恐ろしい刑罰で満ちていた。西太后や溥儀らは、
気分次第で些細なことにも死ぬ程の罰を与えた。青竹による「尻二百叩
き」など序の口だ。手抜きは同罪とされるため、刑の執行は苛烈を極め
た。最もひどい刑罰は「数枚の綿紙を水に浸し、それで口や目、耳、鼻を
ふさぎ、棒で殴り殺す」[気斃(きへい)]の罰だそうだ。

溥儀は「憂さ晴らし」として、絶対服従しかない宦官らに度々厳罰を与え
た。いきなり鞭を持ち出して打ち据える。2月の極寒の中で冷水を浴びせ
続け凍死寸前まで追い詰める。「地面に転がっている馬糞を食べてみろ」
と命じて実際に食べさせる。宦官の口中に放尿するなど、虐待と異常行動
を繰り返した。

「抵抗出来ないものを虐待して愉しむという溥儀の悪癖」は日本国の文化
からすればおぞましい限りだ。

私は『私生活』を読んで、加藤氏のもう一つの作品、『慟哭の通州』(飛
鳥新社)を思い出さずにはいられなかった。支那人による日本人虐殺の地
獄の実態はここでは触れない。ただ言えるのは、溥儀がどれ程「日満一体
化」で皇祖神天照大神を祀りたいと望もうとも、溥儀ら大陸の支配者ら
と、「国民に寄り添い民と共にある」日本の皇室との間には、天国と地獄
の差があることだ。

「記紀」にあるように、わが国を創り給うた神々の末裔とされてきた皇室
は、民を大切にしてきた。わが国のその時々の権力者は実権を握るもの
の、常に皇室、天皇を権威として戴いてきた。近代国家を目指した日本
は、皇室中心の日本国を立憲君主国、天皇は「君臨すれども統治せず」と
位置づけた。日本のこの国柄をこそ大事にしたいと『私生活』を読んで感
じたものだ。

『週刊新潮』 2019年2月21日号 日本ルネッサンス 第840回

◆納豆と相性の悪いくすりの話

大阪厚生年金病院 薬剤部


 〜ワルファリンカリウムという血栓予防薬を服用中の方へ〜

地震や津波、洪水など突然襲ってくる甚大な自然災害は、水道やガス、電気などのライフラインを寸断し人々の生活を麻痺させてしまいますが、人の健康もある日突然血管が詰まると健康維持に必要な栄養や酸素などのライフラインが寸断されその先の機能が止まってしまいます。
 
突然意識を失いその場に倒れてしまった経験のある方で、医師から「脳梗塞」と診断された方もおられるかと思います。 脳の血管を血液の塊(かたまり)が塞いでしまってその先に血液が流れなくなってしまったのです。
 
これを予防し血液をサラサラにするくすりのひとつに「ワルファリンカリウム」という薬があります。 服用されている方も多いかと思います。

もともと人間の身体は怪我や手術などで出血したとき、血液を固めて出血を止める仕組みがありますが、その仕組みの一つに「ビタミンK」が関与する部分があります。
 
ワルファリンカリウムはこの「ビタミンK」が関与する部分を阻害することによって血液が固まるのを予防します。
 

さて、ここで納豆の登場です。 納豆の納豆菌は腸の中で「ビタミンK」を作り出します。「ビタミンK」は血液を固まらせる時に必要なビタミンですから多く生産されると、ワルファリンカリウムの効果を弱めてしまいます。
 
そのため、くすりの説明書には「納豆はワルファリンカリウム
の作用を減弱するので避けることが望ましい」と書かれている
のです。
 
納豆は栄養もあって健康に良い食品ですが、飲んでいるくすりによっては食べないほうが良いこともあります。 好きなものを我慢するのは“なっと〜くできない”向きもあるかと思いますが、ワルファリンカリウムを服用中の方にとって納豆は危険因子ですのでご注意ください。
 
納豆のほかにも、ビタミンKの多い「クロレラ食品」や「青汁」などもひかえましょう。

 追記: ワルファリンカリウムのくすりには「ワーファリン錠」や「ワルファリンカリウム錠」他があります。

2019年02月21日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第22章

“シーチン”修一 2.0

>
>【措置入院 精神病棟の日々(113)】小生の縄張り=マーキングエリ
アは、北は多摩川、南は多摩丘陵、東は森林公園/緑ヶ丘霊園(多摩丘陵
内)、西は生田緑地(同)で、南北1キロ、東西2キロほど。真面目に昇降
の多いくねくねしたハイキングコースをたどったら1日がかりになり、次
の日は終日ベッドで過ごすことになりそうだ。(今は1キロほどしか歩け
ないが)

多摩丘陵の東西の真ん中には小田急の経営する向ヶ丘遊園(むこうがお
か)があった。2002年に閉園したので、この跡地には入れなくなったが、
3、4年後にはおしゃれな緑地としてリニューアルオープンされるという。
>
>そうなると東京23区・川崎市・横浜市エリアでは最大の自然緑地になる
そうだ。小田急とJRの最寄り駅から10〜15分ほど歩けばすっかり山の中で
ある。

江戸時代は大川(墨田川)を越えた向島以東(本所、玉ノ井、木場、錦糸
町、亀戸、須崎など)は花と緑の行楽地、享楽地、別荘地だったという。

江戸の南は多摩川を越えた川崎市の多摩丘陵までが日帰り行楽地だった
ようだ。1960年からの高度成長で多摩川は汚染され(この年まで小学校で
は多摩川で水泳を教えていた。小生は小3だった)、かつては桜並木の土
手沿いに並んでいたアユやウナギ料理の料亭、待合も消えていった。

>1927(昭和2)年開園の向ヶ丘遊園は桜の花見で有名で、最盛期には東
京から大勢の人が来た。日本酒がご馳走の時代で、花見の帰りには男ども
はべろべろに酔っぱらい、喧嘩したのか滑ったのか、泥だらけの背広の人
もいた。当時は花見も背広の男が多かった。おしゃれな普段着がなかった
時代だ。女は着物の人が多かった。急な雨でわが家に雨宿りする人もいた
が、「困った時はお互いさま」という、まあ「三丁目の夕日」的な時代
だった。

小田急は遊園跡地に巨大マンション(850戸!)とか戸建て住宅(250
戸!)を計画していたが、自然は一度壊したら二度と復元できない。「緑
地を遺す」という昨秋の小田急の英断を地元民は高く評価し、感極まって
泣く人もいたという。
>
文豪モード・モンゴメリの故郷であり、「赤毛のアン」の舞台である加
州プリンス・エドワード島は同国で最初の国立公園になった。乱開発から
自然を保つためにはそうした指定=規制をするしかない。将来、多摩丘陵
では「ここが狂死したアンジーさん(白髪のアン爺)の愛した森ですよ。
祟りがあると言われていますから、車窓からの観光になります」とかさ
あ。森が消えていたらスズメたちだってとっても寂しいと思うわ。そんな
風に考えたことない?
>
小生の脳ミソはすっかりアンになったのよ、とっても素敵じゃない? 
で、モンゴメリについて。

・(承前)11歳ほどで母方の祖父母に育てられたが、祖母のマリラ・カス
バァトはガチガチの新教徒。ハートが直方体で、少しばかりのアソビ、寛
容がない。聖書にもとる生き方は「ダメ、絶対!」と拒絶する、非難す
る、罵倒する、呪う。村にはその手の教条主義の老婦人がゴロゴロしてい
るのだ。

(モンゴメリが生まれる100年前には米国で「セイラムの魔女狩り」が
あり、200人が告訴され25人が死んでいる)
狂信徒の言にアンは大反発したが、例の面従腹背で、受け入れる振りを
しながら換骨奪胎、ごめんなさいと言いながら、自分の想いは短くも堂々
と言うのだが、その前後に長々と謝罪を心から誠実そうに言うから、感情
と気分しかないような老婦人は「この子は意外と素直ね」と気分を良く
し、「私も言い過ぎました」なんて謝ったりする。アンは(多分モンゴメ
リも)人の心をがっつりとつかむ才がある。

>アンの祖父のマシュウは大の女嫌いだったが数時間でメロメロ、頑固者
の祖母のマリラは2日ぐらいでハートの角が丸くなり始め、マリラはニコ
リともしないものの人眼がないとクスクス、やがてアハハと笑いだすの
だ。2人はすっかりアンのファンになるのだが、モンゴメリ自身もその通
りだったろう。秀吉ではないが「人垂らし」に長けていた。孤児の処世術
ともとれる。

・モード・モンゴメリの生涯の親友、気の置けない友達は2人の男だけ
だった。会う機会はほとんどないから正確にはペンパル/ペンフレンド
で、1902年、モードが28歳の時、加州アルバータ州の青年、ウィーバー
(31)から、1903年にはスコットランドの青年、マクミラン(22)から手
紙をもらった。類は友を呼ぶわけだ。文学青年2人はモードの本心を打ち
明けられる生涯の友になった。

この手紙のやり取りを苦労して発掘して書かれたのがモリー・ギレン著
「運命の紡ぎ車」(1975年)である。
>
・この伝記本のタイトル(原題:The Wheel of Things)は陰気だ。「人
生の有為転変」とか「運命に流されて」とか「暗夜行路」「山あり谷あ
り」のような感じがする。

>小生の場合は「一点突破、全面展開」で、苦しくても乗り越えればいい
人生が待っているぜ、という博奕というか、転んでもただでは起きない、
今度は勝つ、きっと勝つ、待てば海路の日和あり、という楽観主義が強い
(今となっては「強かった」)のだが、モードの人生は、小生から見れば
家康が言うように「重荷を背負って坂を登るが如し」で、死ぬまで坂が続
いていたようだ(彼女自身が坂を選んだのだ)。

・キリスト教が禍のもとだった。オウム真理教の信者の多くは、オウムに
接しなければ決して人を殺し、死刑になるような人生ではなかった。新約
聖書「マタイによる福音書」でイエスはこう語る。

><地上に平和をもたらすために、私が来たと思うな。平和ではなく、剣
を投げ込むために来たのである。私が来たのは、人をその父と、娘をその
母と、嫁をその姑と仲違いさせるためである。そして家の者が、その人の
敵となるであろう。私よりも父または母を愛する者は、私に相応しくな
い。私よりも息子や娘を愛する者は、私に相応しくない。また自分の十字
架をとって私に従ってこない者は私に相応しくない>

ポロっと漏れたキリスト教の本音だろう。一神教や主義はそんなもの
だ。リベラル≒アカモドキのペロシを見よ、ほとんどビョーキだ。

当時のカナダでは忠実なプロテスタント(カルヴァン派の長老派、一種の
原理主義)以外は邪道だった。異論を唱えることや無神論、多神教は悪、
不道徳、野蛮だった。理性と感性、知性と野性の奇跡的なコラボである
モードの悲劇は、よりによってと言うか、図らずもと言うべきか、「運
命」と言うしかないのか、牧師と結婚したことだろう。(つづく)

>本題へ。日本の悲劇の筆頭は「異常な隣国」だろう。国民韓情国、金北
豚独裁国、中共殺戮帝国、シロビキ暗殺帝国。建国からそれなりに長い年
月が経っても、日本から見れば異端、異形、異常、異様のまま。日本はト
ランプ帝王に倣って壁を造ってA2AD/接近阻止・領域拒否を強化すべきで
はないのか。まったく鎖国したい気分よ、そう思わない?

前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長インタビュー 元朝
鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話します』元朝鮮青年同
盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<(承前)全 (山陰本線の須佐駅で降り、工作員の指示通り海岸で潜水
服の北の工作員2人と接触、ゴムボートに乗り)次にモーターボートに乗
り換えました。ここにも男が1人乗っていました。小型なんですが、えら
く速かったです。で、ボートは起重機で(母船に)上げられたんです。そ
して畳2畳の部屋に落ち着きました。小部屋には金日成の肖像画が飾って
ありました。

二日と半日で着いたのは北朝鮮の清津です。

――拉致の前線基地のあるところですね。ずいぶん時間がかかりましたね。

全 漁船を装った母船は夜しか動かないからです。昼間はイカ釣り船のよ
うな格好をして。日本の旗を掲げているんです。
――海保は故意か力不足か、漁船に化けた北の工作船を見逃していたんで
すね。

全母船は夜になると走り出しますが、その速度にはビックリしました。そ
れが一晩中走るんです。で、清津の港に入ったらものすごい雨で、一晩
泊って、次の日は平壌まで汽車で行きました。特等車です。大事に扱われ
たわけです。

平壌に着いたら朝鮮労働党の幹部が迎えに来ていました。で、車に乗せ
られて招待所に向かったのです。窓ガラスにスモークがかかったベンツで
した(修一:銃撃、地雷にも耐えられる特製ベンツかもしれない)。招待
所は平壌駅から40分ほど、門前には歩哨が立っていて、敬礼するのです。

招待所は平屋で、玄関を入ると、右手が食堂で、左手が学習室です。右
手奥が映写室、左手奥が寝室です。左の屋外に射撃練習場がありました
(修一:金正日の趣味は拉致と映画と人殺し)。世話をするのはおばさん
が一人。男の付き添いが2人です。よく映画を見ました。

着いた日は、労働党の相当えらい幹部が招待所で待っていました。南北会
議に参加したこともある人物なんですね。その人が「ご苦労様でした。あ
なたのことはよく知っています。何でも遠慮なく言ってください。ここに
はひと月くらいいることになると思います」と言うんです。

招待所には40日いました。客人は私一人で、三食どれもご馳走でした
し、酒も飲み放題でした。付き添いが結構飲むんですよ。(修一:食うだ
けで精一杯で、酒は贅沢品だったから一種のタカリ。今も同じだろう)

>最初の頃、案内人から「首領様(金日成)に差し上げるものを準備して
きましたか」と言われました。日本を発つとき、仲間が首領に何か贈り物
をしたらいいというのでパイロット万年筆を1本買って持っていったんで
す。その頃私は貧乏していて、それしかできなかった。

で、パイロット万年筆を出したら、生意気にも「ペリカンの万年筆はあり
ませんか」と言う。ペリカンは高級万年筆ですよ。

>で、今度は「アリナミンもいいんですけれど」と言う。なんでアリナミ
ンなのかと思いました。向こうでは有名だったんですね。金日成がアリナ
ミンを求めているわけじゃなく、要するに自分たちが欲しかったんですよ。

――食糧事情が良くないので、栄養のバランスを取るビタミン剤は貴重品
だったのでしょう>(つづく)

大学時代に思ったのだが、100人を支配するためには10%の10人で十分
だ、と言うこと。30人クラスなら3人のアカが結束すれば27人はいやいや
だろうが従う。反対すればアカ3人から制裁を受けるから、せいぜい沈黙
するか無視するくらいしかできない。
>
確かチェ・ゲバラも似たようなことを言っていた。最初は6人で始ま
り、やがて60人を動員して武装蜂起、キューバ革命の狼煙をあげた。60人
が600人、600人が6000人、6000人が6万人になり、革命はなった(そして
発展から取り残され、ソ連の属国になり、カストロらはアカに染まった。
親米のバチスタ政権の方がはるかにマシだったろう)。

>北の人口は2000万人で、都市部住民=エリートは10%の200万人。200万
人が金王朝を支えているわけだ。残りの1800万人がどうなろうと知った
こっちゃない、オマエラ勝手に食え、ミカジメ料(税、役務)はきっちり
出せよ、出せないなら死ねというわけだ。奴隷国家。

そんな異常な国に韓国もなりたいのだろう。小生が北の独裁者、最高権力
者なら、甘言を弄して合邦してから、口減らしで「動揺階級」(信仰に濁
りがある層)は処分するだろう。夢見るパープリンの文在寅、「ハーメル
ンの笛吹き男」は、役目が終わったら金北豚の伯父さんのように高射砲で
銃殺されるだろう。

>どうなるのかしら、知りたいことがあるって、とてもいいことと思わな
い? それを知るまではこの世にいたいなあなんて、抑うつ症のお爺さん
だって思うでしょ?

「そ、そ、そやな・・・アンさん、あんたアタマ良くて、可愛いな・・・
ど、ど、どや、爺さんと苦労してみいへんか」

【措置入院」精神病棟の日々(113)】戒名は「覚道雀庵信士」にした
かったが、ご住職曰く「鶴とか亀とかおめでたいのはいいけれど、それ以
外の動物は使えないのよ。それと名前を一文字でも入れた方がいいよ。雀
庵じゃなくて一庵とかさあ」。

ふーん、「一庵(アン)」ねえ・・・ナンカ座頭市の「いっつぁん」みた
いでパッとせんなあ、私は楽しくて派手なのが好きだわ。ご住職はそうい
う私にウィンクして「♪でもね 古稀、後期になれば あなたも分かる 
そのうちに」。一案としては考えてみるけど・・・

発狂亭“変人はサンザクロース”雀庵の病棟日記から。

【2016/12/23】天皇陛下83歳。【産経】竹内洋「美徳を突き崩すトランプ
現象」によると、日本人は「努力は報われない」が1988年17%→2013年
26%、「政治は期待できない」51%、「期待できる」16%。インドネシ
ア、インドと比べると政党、政治への信頼はとても低い。

><日本人の庶民の美徳(堅気、整頓、清潔、正直、勤勉、真面目、約束
を守る、几帳面、律儀、実直)の継承者であり、かつ日本社会を下支えす
る「悟り世代≒マイルド堅気」層の心に(変化を期待する)「トランプ現
象」は火をつけることになるかもしれないのである>

まあ、竹内先生の気持ちは分からないでもないが、これまでの政治に対す
る鬱積した不満、庶民の強烈な怒りがトランプを担いだわけだ。不満、怒
りの調査、分析もしないで、トランプ=経験・判断力が劣る≒マイナスだ
から、日本も「変化に気をつけるべし」と言うのは短絡的過ぎる。

日本の庶民の多くは日々の「キレイなべべ着て、旨いものを食って、面白
おかしく過ごす」ことにまあ満足しているのではないか。給料はあまり上
がらないが、物価も安いし、政治に別に(とりわけ)望むことはない
し・・・「まあいいんでない」というのが現実ではないか。

先生はかなり除染されたものの、まだお尻にアカとかピンクの尻尾の跡が
残っているか。もう少し頑張ってください。

「新潟県糸魚川で大火」。昨日の午前10:30頃、中華料理店から出火した
そうだ。小規模の中華料理店は掃除が行き届かずに油でベトベトというイ
メージだが、昼からの開店に備えてスープやチャーシューでも作っていた
のかもしれない。被災者はとんだ年末年始になってしまった。

♪花のお江戸の八百八町・・・最盛期には千町を超えていたとか。下町は
民家、長屋が密集し、「火事と喧嘩は江戸の華」、火消しはイロハ48組が
出動したが、放水で消化できないときは「とにかく延焼を防ぐのが最優
先」で、速攻で火除け地を作るために建物を容赦なく潰していった(破壊
消火)。
>
>素早く解体できるように柱は三寸角以下、簡素な造りにしろ、延焼防止
で庇はダメ、セットバックしろとかいろいろ規制があったそうだ。で、金
持ちは大川を渡った緑豊かなところに別荘を造ったわけ。
>
長屋が焼けたり潰れたりしても店子と大家さん(ほとんどが管理人)の被
害は小さかったろうが、オーナーは安普請とは言え建て直さなくてはなら
なかったから結構な出費だったろう。もっとも金持ちだから身上を潰すこ
とはなかったろうが。

>江戸城(後の皇居)のお堀は延焼防止でもあったろうし、日比谷公園は
火除け地ではなかったか。後藤新平が差配した名古屋の広い道路も火除け
地を意識したのだろう。
>
> 戦前まで東京では家は自分で建てたり買うものではなく、借家が当た
り前だった。勤め人が老後対策として退職金で建て、庶民は皆借りた。一
葉女史や子規を含めて多くの人が何回も引越ししていたのにはそういう背
景がある。(つづく)2019/2/18

◆面妖で奇怪な五角関係

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月19日(火曜日)通巻第5996号   

 面妖で奇怪な5角関係(ペンタ・リレーションズ)
  米国とタリバンの和平交渉はCPECの死活に関わり、そこにサウジ
が介入

ややこしい関係を解きほぐしてみると。

まず米国とタリバンの和平交渉が続いている。両者はかなり前向きであ
る。米国は地獄のアフガニスタンからさっさと撤退したい。タリバンは政
権の掌握が射程に入り、しかも中国と抜き差しならない関係にある。

危険極まりないアフガニスタンで銅鉱山を開発しているのは中国である。

タリバンが支配するアフガニスタンのカンダハル地方は長年にわたっての
無法地帯、一時は米国が総攻撃を仕掛ける作戦を練っていたが、途中で放
棄した。

いまも無法地帯にかわりなくアフガニスタン政府の統治が及んでいない。
この地方が、BLAの出撃基地となっている。BLAとは「バロチスタン
解放軍」。つまりパキスタンからバロチスタンを独立させるべく、武装闘
争を継続する過激武装組織で、六つあるといわれるバロチスタン武装グ
ループのなかでも最大派閥だ。

州都のクエッタで中国人二人を誘拐・殺害し、グアダル港の中国企業の工
事現場を襲撃し、中国人労働者を乗せた車を爆破、ついに2018年11月23日
には、カラチの中国領事館に自爆テロを仕掛け、警官3名、自爆側4名、
合計7名が死亡した。

もともとバロチスタンの独立運動諸派が武闘に至ったのは当時のムシャラ
フ大統領とBLA指導者の話し合いが、金鉱脈利権、銅鉱山開発などの問
題で折り合いが付かず、直後に(2006年8月)指導者ナワブ・アクバル・
ブジテがバロチスタンの山岳地帯で暗殺された。

パキスタン軍特殊部隊の仕業とされるが、パキスタンは関与を否定し、
「あれはインドの陰謀」と決めつけた。

バロチスタン州は、もともと独立国であり、いまもロンドンに亡命中の国
王がいる。パキスタンに帰属するとは考えておらず、パキスタン政府が中
国と結んだ、合計620億ドルものCPEC(中国パキスタン経済回廊プロ
ジェクト=一帯一路の目玉)は、バロチスタン州の資源を収奪する悪魔の
仕業と認識している。

工事現場は危険に満ちており、しかも原油、ガスのパイプラインに鉄道、
ハイウェイ、そして光ファイバーの敷設工事がグアダールから延々と新彊
ウィグル自治区のカシュガルへの繋げるのだ。

パキスタン軍が1万5千、くわえて中国が雇用するプライベートアー
ミー、さらに特殊部隊が警備に当たっている。クエッタでは中国人の個人
的外出は許可されず、警備兵つきの集団移動が日常の風景。


 ▼パキスタン軍も陰謀にかけては中国も舌を巻くほど

他方、パキスタンも無策ではない。18年12月、BLA指導者のアスラム・
バローチを潜伏先のカンダハル市で暗殺した。これは11月23日のカラチ中
国領事館自爆テロの報復作戦とされる。

この状況を改善するにはアフガニスタンのカンダハル地方の出撃基地化を
壊滅させる作戦の如何にかかっている、そのために米軍は、タリバンとの
交渉の後にいる中国に介入を期待しているという図式になる。

なにしろパキスタン軍情報部も陰謀にかけては中国も舌を巻くほど巧妙・
狡猾である。

しかし、パキスタン経済は極貧のまま、中国からの借金を返せない。

イムラン・カーン(パキスタン首相)は訪中し、救済を要請した。李克強
首相は「両国関係は全天候型であり、あらゆる協力を惜しまない」と発言
したものの、約束した緊急支援の20億ドルはまだ送金されていない。

2月17日、サウジアラビアのサルマン皇太子がイスラマバードを電撃訪問
した。

すでにカーン首相は2回サウジを訪問し、50億ドルの緊急支援を得たが、
こんかいの正式訪問でサルマン皇太子は、7つの契約書に署名し、合計
200億ドルのプロジェクト支援を表明した。皇太子は18日インドを訪問
してモディ首相と会談。20日に北京を訪問する予定という。

かくしてインド、パキスタンの宿命の対立に、パキスタン支援の中国とサ
ウジの主導権争い、そこにアフガニスタンと和平交渉を進展させようと意
気込む米国という、面妖極まりない南アジアの相関図が見えてきた。
  

◆柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策

櫻井よしこ


「柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交
は正念場だ」

トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267

◆納豆と相性の悪いくすりの話

大阪厚生年金病院 薬剤部


 〜ワルファリンカリウムという血栓予防薬を服用中の方へ〜

地震や津波、洪水など突然襲ってくる甚大な自然災害は、水道やガス、電気などのライフラインを寸断し人々の生活を麻痺させてしまいますが、人の健康もある日突然血管が詰まると健康維持に必要な栄養や酸素などのライフラインが寸断されその先の機能が止まってしまいます。
 
突然意識を失いその場に倒れてしまった経験のある方で、医師から「脳梗塞」と診断された方もおられるかと思います。 脳の血管を血液の塊(かたまり)が塞いでしまってその先に血液が流れなくなってしまったのです。
 
これを予防し血液をサラサラにするくすりのひとつに「ワルファリンカリウム」という薬があります。 服用されている方も多いかと思います。

もともと人間の身体は怪我や手術などで出血したとき、血液を固めて出血を止める仕組みがありますが、その仕組みの一つに「ビタミンK」が関与する部分があります。
 
ワルファリンカリウムはこの「ビタミンK」が関与する部分を阻害することによって血液が固まるのを予防します。
 

さて、ここで納豆の登場です。 納豆の納豆菌は腸の中で「ビタミンK」を作り出します。「ビタミンK」は血液を固まらせる時に必要なビタミンですから多く生産されると、ワルファリンカリウムの効果を弱めてしまいます。
 
そのため、くすりの説明書には「納豆はワルファリンカリウム
の作用を減弱するので避けることが望ましい」と書かれている
のです。
 
納豆は栄養もあって健康に良い食品ですが、飲んでいるくすりによっては食べないほうが良いこともあります。 好きなものを我慢するのは“なっと〜くできない”向きもあるかと思いますが、ワルファリンカリウムを服用中の方にとって納豆は危険因子ですのでご注意ください。
 
納豆のほかにも、ビタミンKの多い「クロレラ食品」や「青汁」などもひかえましょう。

 追記: ワルファリンカリウムのくすりには「ワーファリン錠」や「ワルファリンカリウム錠」他があります。

2019年02月20日

◆「中曽根君を除名する!」

渡部 亮次郎


河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。
死ぬ2日前(6日)の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソ
ファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い
た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ
の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては
殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで
建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら
「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。
奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、
川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行き
たいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ
へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する
とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と
目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に
党内世論を操作したのは誰あろう川島と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた
が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を
拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派4天
王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と
滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな
かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし
記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の
七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか
らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き
られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、
今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年
67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人
(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法
蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、NHKテレビで河野
一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の
言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫
だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだ
という。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年
後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を
歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由
民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選
出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので
神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自
由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員
外務大臣河野太郎は孫である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元
よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・
との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し
た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例
であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬
で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍
団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川
崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起
こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際
に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日
は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ
ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの
か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ
た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい
た、終生。
2008・07・05