2019年02月18日

◆木津川だより 高麗寺跡 @ 

             白井 繁夫


古代の仏教寺院「高麗寺(こまでら)」の創建は不明ですが、「高麗寺跡」の発掘調査から飛鳥時代に創建された日本最古の寺院「飛鳥寺(法興寺)」と同笵の軒丸瓦(十葉素弁蓮華文:じゅうようそべんれんげもん)が発掘されました。

飛鳥寺と同笵の瓦の出土は、この寺院跡「高麗寺跡」は蘇我氏創建の飛鳥寺(日本最古の本格的仏教寺院)と同時期頃の創建か?と歴史的な注目を集めました。

「高麗寺跡」は木津川市山城町上狛高麗、JR奈良線上狛駅より東へ約600m、木津川の右岸の棚田の中に位置しています。

「高麗寺跡」は昭和13年(1938)から本格的な発掘調査(第T期調査)が行われ、回廊に囲まれた主要な堂塔(塔跡、金堂跡、講堂跡)など含む伽藍の一部が75年前の昭和15年(1940)8月30日、国の史跡に認定されました。

(高麗寺は飛鳥時代に創建され白鳳時代に最盛期をむかえ平安時代の末期(12世紀)頃まで存続していた国内最古の寺院の一つ(京都府内では最古の寺院)と推察されています。)

「史跡高麗寺跡」の発掘調査はその後、第V期調査(平成22年度の第10次調査)まで実施され、平成22年史跡地の追加指定を受け、現在は20100m2の指定地です。調査内容については後述しますが、まず寺名(高麗寺)の「由来」からスタートします。

朝鮮半島と日本列島の九州は距離的にみると近畿と九州の数分の一であり、古代、5世紀の初めごろまではあまり強い国家意識を持たずに朝鮮半島南部の百済.新羅.加羅から渡来人が来ました。渡来氏族では漢氏(あやし)や秦氏(はたし)の氏族が優勢でした。

5世紀半ば過ぎからは北部の高句麗が強大化し南部の百済.新羅が戦場化し、戦火を逃れて日本列島に渡る人々が増加しました。

5世紀の後半は日本の古代国家形成にとって重要な時期であり、大王権力を拡大し、畿内政権を支える官司制の構成員として渡来人を採用し、彼等の文筆を持って官吏に執りたて、国家組織の整備や先進的技術の導入に役立てようとしました。

山城国への渡来人:秦氏は北部に多くの史跡を持ち、氏寺は京都の広隆寺(秦河勝が聖徳太子から下賜された仏像:弥勒菩薩半跏思惟像が有名です。)その他、商売の神様、稲荷神社(稲荷大社)、酒の神様、松尾神社(松尾大社)や嵐山の桂川周辺(大堰川)など。

山城国の南部では高句麗系の渡来氏族高麗(狛)氏が相楽.綴喜の南部2郡に集中しています。高麗寺は地名にもなっている高麗(狛)氏の氏寺です。しかし、南部以外でも有名な八坂神社の「祇園さん」(京都市東山区)は高句麗系渡来人の八坂氏の氏神です。

朝鮮半島からの渡来ルートは一般的には九州へ渡り、瀬戸内海を経て難波に来るルートを採りますが、高句麗から北西の季節風を利用して日本列島に渡るルートもありました。
古代の交通は主として水路を利用した結果、大和は木津川と深く関わりました。

木津川市は大阪市内から直径30kmの圏内です。

古代の水路の場合は、難波から淀川を遡上して八幡市(宇治川、木津川、桂川が合流)を経由する約60kmの道程です。別途、日本海の敦賀から近江の琵琶湖北岸に達し、水路で大津から宇治川経由木津に到着し、大和へ向うルートもありました。

『古事記』の仁徳天皇条、皇后石之日売命が天皇の浮気に嫉妬して難波高津宮から木津川の舟旅で出身地(大和の葛城)への途次の詩に「山代河:木津川」が詠まれています。

6世紀継体天皇が樟葉宮から弟国宮(おとくに)へ遷宮(518年)の頃、朝鮮諸国と畿内政権とは関係が緊張状態でした。
欽明天皇31年(570)条、高句麗の使節のため、南山城に高楲館(こまひのむろつみ)や相楽館(さがらかのむろつみ)を設けた。(木津川沿いに渡来人が多く居住していた。)

6世紀末、廃仏派の物部守屋が敗れ、用明天皇2年(587)、蘇我馬子が飛鳥寺(法興寺)の建立発願。飛鳥寺は日本最古の本格的仏教寺院であり、創建は6世紀末〜7世紀初、蘇我氏の氏寺、本尊は重文の飛鳥大仏(釈迦如来)です。

「高麗寺跡」の発掘調査から、南側土檀で仏舎利を祀る塔跡は東側、本尊仏を祀る金堂跡は西側、伽藍は南面しており、北側の土檀が講堂跡の伽藍配置です。

出土した瓦は年代の古い順から第1期は飛鳥寺と同笵の瓦、第2期は天武天皇が崇敬した寺、川原寺式瓦「種類.数量が最多」白鳳時代、第3期は平城宮式瓦、8世紀の修理、「多種.少量」、第4期は高麗寺独特の修理用瓦「少量」、平安時代前期と4時代の瓦でした。

出土品から高麗寺は新興勢力狛氏の氏寺として飛鳥時代(7世紀前半)に創建され、白鳳時代(7世紀後半)に本格的な造営が成されたが、都が平安京に遷都後は平安時代前期の修理が最後で12世紀末から13世紀初期まで高麗寺は存続していたと思われます。


<国の史跡「高麗寺跡」に付いては、新しい想いを込めて、新規に続編を掲載致します。
筆者の「木津川だより」にご関心を頂き、有り難う御座います。これからは以前の本編を、折を見て再掲させて頂きます。>

参考資料:山城町史 本文篇 山城町、
史跡 高麗寺跡 第V期(第8−10次発掘調査)発掘調査報告 木津川市教育委員会


2019年02月17日

◆米国の対北朝鮮政策

櫻井よしこ


「柔軟路線へ移行する米国の対北朝鮮政策 日本にとっても朝鮮半島外交
は正念場だ」


トランプ米政権の北朝鮮担当特別代表、ステファン・ビーガン氏が、その
職に就いて5カ月、初めて公式の場で講演した。

1月31日、スタンフォード大学での講演で明確になったのは、トランプ政
権の対北朝鮮政策の進め方が変わるということだ。一口にいえば、北朝鮮
が核廃棄を明確な形で成し遂げない限り見返りは与えないという、日本が
繰り返し主張してきた原則論から、より柔軟な路線への移行をトランプ政
権は考えているとみられる。

ビーガン氏は開口一番、「トランプ大統領は戦争(朝鮮戦争)を終了させ
る準備を整えている。終わったのだ。我々の北朝鮮侵略はない。我々は北
朝鮮の政権転覆を目指してはいない」「私、そしてもっと大事なのは合衆
国大統領が、過去70年間の朝鮮半島における戦いと憎しみを終わらせる時
だと確信していることだ」と、述べた。

北朝鮮の金正恩・朝鮮労働党委員長への妥協で在韓米軍の撤退もあり得る
かとの懸念に関して、「そのような交渉はまったく行われていない。過去
にもない」と強調したが、こうも述べた。

「金正恩は、米国が相応の対策をとる場合、すべてのプルトニウム及びウ
ラニウム濃縮設備を解体し破棄することにコミットした」「我々の側は
(それに対応する)多くの具体策を議論する準備を整えている」

ビーガン氏は北朝鮮の非核化に非常に楽観的だが、これより前の1月20
日、政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)が北朝鮮の東倉里ミ
サイル施設の解体作業が進んでいないことや、未公表の複数の核・ミサイ
ル関連施設が存在することを示す画像を公開した。29日には国家情報長官
のダン・コーツ氏が、「北朝鮮が核兵器を完全に放棄する可能性は低い」
と上院情報特別委員会で証言した。

ビーガン氏はこうした情報について、「情報の正確性ではなく、公開の仕
方が不満だ」とし、「もし、私なら同じ情報をこのように公開するでしょ
う──米国への深刻な脅威がここに存在している。我々の外交路線を変える
ことで北朝鮮を変えることができるかを見極めるために、北朝鮮と外交関
係をより深めることが重要だ、と」。

米国はなぜこんな希望的観測に基づく柔軟路線に転換したのか、その背景
はビーガン氏の講演から読みとれる。

「トランプ大統領と金委員長の方式はトップダウンです。成功すれば二国
間関係は根本的に生まれ変わる」

過去5カ月間、北朝鮮との交渉の時期と場所を決定するのにも大いに苦労
したビーガン氏は、北朝鮮は真意を測り難い国だと言う。だが、トランプ
氏は北朝鮮非核化をいつも「希望に燃えた星のような目」で語るそうだ。
トップダウンで北朝鮮の非核化を達成できる、トランプ氏はそう確信して
いるということであろう。そのような型破りの二人の首脳を信頼すれば、
年来の常識的外交路線から離れて、両首脳の「手腕」に期待することにな
るだろう。

米国の北朝鮮外交は日本のそれに直接的かつ大きく影響する。横田めぐみ
さんら多くの日本人が今もとらわれている。北朝鮮への姿勢を緩めて大丈
夫か、とトランプ氏の前のめりの姿勢に懸念を抱くのは当然である。

別の理由からトランプ氏の北朝鮮政策に気を揉んでいるのが中国国家主席
の習近平氏だ。安易に論ずることはできない中朝関係だが、中国が北朝鮮
の動向掌握に努め、北朝鮮と米国が、中国の頭越しに関係を深めていくの
を恐れているのは確かだ。何としてでも北朝鮮をコントロールし、朝鮮半
島を影響下に置いておきたいのである。

しかし今、トランプ氏の進める外交はまさに中国の頭越しになりかねな
い。韓国が北朝鮮につき従い、米朝が結び、中国が反発するという展開も
含めて、日本にとっても、朝鮮半島外交は正念場。緩和策の危険を米国に
説く時だ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月16日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1267

◆スペイン、中国人の銀行口座を凍結

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月16日(土曜日) 通巻第5992号   

 スペイン、中国人の銀行口座を凍結。「資金洗浄の疑い」
  突然、数千の在西中国人がビルバオ銀行(BBVA)本社に押しかけた

2月14日はバレンタイン・ディだ。

マドリッドに住む中国人はBBVA銀行へ行ってATMからお金を引き出
せないことに驚く。「金が出ないゾ、機械の故障だ」と窓口へ行くと「あ
なたの口座は資金洗浄の疑いがあるので凍結されました」。
「?」。

寝耳に水の言葉、「ならば、どうすれば引き出せるか?」「資金の出所、
あなたの個人的財政的バックグランドを証明する書類が必要です」などと
言われて怒り心頭。

ほぼ全ての在西中国人の銀行口座が凍結されていた。

「これは人種差別だ」と騒ぎだし、翌日(2月15」日)マドリッドのビル
バオ銀行本社前に、え? 数百・数千の中国人がプラカードばかりか五星
紅旗をもってあらわれたのだ。ビルバオ銀行はスペイン第2の大手銀行で
NY市場にも上場しており、東京にも支店がある。

スペイン国内全域に支店網があり、中国人およそ4−5000人が口座を開設
している。

警備のスペイン当局が驚く。

「いつの間に、中国の国旗をこれほどたくさん用意できたのだ?」。

「マドリッドにはICBC(中国工商銀行)の支点もあるのに、なぜ中国
人はスペインの銀行を好むのか?」
 
降って湧いたような蝗の大群。それにしても大がかりな中国人組織がマド
リッドにあって、一晩で組織的な行動を取れることにスペイン当局は驚い
ているという。
   
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1859回】                       
――「社稷既に亡んで、帝陵空しく存す」――大町(5)
大町桂月『遊支雜筆』(大阪屋號書店 大正8年)

                △

満洲の名勝古跡を歩いて異なことに気づく。「日本人の多く行く處は、日
本人を優待するかと思ひしに、事實は反對にて、日本人の多く行く處は、
日本人を虐待し、日本人の稀に行く處は、日本人を優待する也。多くの日
本人の中には、名所を荒らすものもありと見えたり」。

乃木大将の「金州城外立斜陽」で知られる金州の西門外で「清國軍人戰亡
碑」を弔う。「日清の役、我軍にて支那の戰死者をこゝに葬りて、この石
碑を建てける也」。裏面に「大日本大山大將茨木少將建明治28年5月穀
旦」と刻まれていたはずが、「『大日本』、『大山』、『茨木』の文字
は、石にて打潰されて、幾んど辨ずべからざるようになれ居れり」。戦勝
の後、この石碑を建てると共に、「支那の戰死者の爲めに法會を営みけ
る」にもかかわらず、である。

「石にて打潰」すとは腐れ切ったひねくれ根性なのか。はて復仇への執念
なのか。

大町は時に朝鮮服、時に支那服を着た。満鉄の列車に朝鮮服やら支那服
で乗り込むと、ボーイが乗車を妨害する。「豫期せしことゝて、驚きもせ
ず、又腹も立たず。唯眞の朝鮮人や支那人が氣毒千萬と思ふ也。(自分の
経験からしても)我同胞は朝鮮人を輕蔑し、支那人をも輕蔑す。輕蔑する
のみならず、虐待す。慨かはしきこと也」。

帰路に耳にした朝鮮婦人の囁きを、通訳は「君を支那人と見て、胡人と
云へり。朝鮮人は支那人を目にして、表面上は大國人と云ふも、蔭にては
胡人といふなり」と伝える。これを面従腹背というのだろう。

1950年から3年ほど続いた朝鮮半島で共にアメリカ帝国主義を敵に戦っ た
2つの独裁国家は、いまになっても「中朝両国の血の友誼」の金看板を 下
ろそうとはしない。だが民衆は正直である。

かつて大連で、極秘訪中していた金正日将軍サマのゴ巡行に出くわした
ことがある。街は厳戒態勢で、夕暮れのラッシュ時にもかかわらず幹線道
路は1時間以上前から完全ブロック。秘密裡のはずが歩道は黒山の人だか
り。暫くすると、前方からパトカーに先導された60台を超える車列が猛ス
ピードで通過する。車列半ばを走った10台ほどの大型黒塗りベンツの1台
に将軍サマが鎮座ましましていたようだ。

車列が視界から消えると、歩道の人だかりは崩れる。隣り合わせた20歳前
後の娘が「厄介な国の厄介なヤツ」と吐き捨てた。

中国人嫌いを正直に吐露する朝鮮人もいた。筋金入りの革命家であるキ
ム・サン(金山)こと張志楽(1905年〜38年)である。毛沢東が党内固め
から反転攻勢に転じた頃に延安入りし、抗日軍政大学で物理・数学・日本
語・朝鮮語などを教えていた。

彼は自らの人生を語った『アリランの歌』(ニム・ウェールズ、キム・
サン 岩波文庫1995年)で「中国では澄んだ川や運河を見たことがないの
です。私たち朝鮮人は朝鮮の川で自殺するなら満足だというのですが、中
国の川はきたなくて、そんな気になりません」と呟き、「自分たちがもう
かるというのでなければ面倒を避けたがる中国人の性格を承知していた」
と語り、「中国は無法律だ」と断じている。

逮捕に来た官憲に対し無抵抗の中国人同志を前に「なぜあほうみたいに
つっ立ってる? 卑怯者め! なぜ逃げないんだ?」「朝鮮人ならこんな
時絶対にあきらめない」と怒声を挙げたと、苦々しく語っている。

彼を援助し続けた兄は、「われわれ朝鮮人はすべて理想主義者であり、
理想主義は歴史を創り出す。中国人はあまりにも拝金主義者であるためキ
リスト教民族とはなれず、やがてその物質主義のため亡びるであろう」と
諭し、彼を中国に送り出した。

大町に戻るが、彼は朝鮮婦人の態度を論うこともなく「匹婦なほ恕すべ
し」と。一転して「内地の紳士にして、蔭にて朝鮮人をヨボといふ者はあ
らずや」と問うのだ。《QED》


◆健康百話  風邪と肺炎にご注意!!

柴谷涼子(感染管理認定看護師)


風邪やインフルエンザが流行し始めました。特にこの時期、朝晩の気温の変化が激しいことに加えて、空気が非常に乾燥するため、風邪の原因になるウイルスの活動も活発になり、風邪をひきやすくなります。

●事前の予防
 外出から帰った後の「うがいと手洗い」が基本です。また、お天気の良い日には、日光浴や散歩など適度な運動をするよう心がけ、入浴により身体を清潔にしておくことも大切です。

●高齢者にとり肺炎は危険な病気
 肺炎はお薬の進歩によって、かなり治療ができるようになりましたが、高齢者にとってはまだまだ怖い病気です。とくに糖尿病や心臓、呼吸器系に慢性的な病気を抱えている方、腎不全や肝機能障害のある方も罹患しやすく、病状も重くなる可能性があります。厚生労働省が報告している人口動態統計でも肺炎による死亡率はここ数年上昇してきています。

肺炎は細菌やウイルスなどいろいろな原因で起こりますが、肺炎を起こす原因となる細菌に「肺炎球菌」があります。

●肺炎球菌による肺炎を予防
 「肺炎球菌」は、健康な人でも鼻腔などに常在する菌です。しかし加齢などにより免疫力が低下すると、病気を引き起こしやすくなります。日本では、ペニシリンという抗生物質が効きにくい肺炎球菌の割合が増加しています。抗生物質の効きにくい肺炎球菌による肺炎に罹患すると、治療に難渋する場合があります。

 そこで、「肺炎球菌」によって起こる肺炎を予防するワクチンが、肺炎球菌ワクチンです。ただし、肺炎球菌ワクチンを接種してもこれ以外の原因で起こる肺炎は残念ながら予防することはできません。
 
ワクチンを接種して得られる免疫は約5年以上持続するといわれています。

次のような方に「肺炎球菌ワクチン接種」をおすすめします。
・65歳以上の高齢者 
・心臓や呼吸器系に慢性疾患のある方 
・糖尿病の方 
・腎不全や肝機能障害のある方

肺炎球菌ワクチンの接種については、最寄りの病院やかかりつけの医師にご相談下さい。
肺炎球菌ワクチンのみでなく、インフルエンザワクチンをまだ接種がしていない方は、是非接種してください。(再掲)

             大阪厚生年金病院 看護部看護ケア推進室

2019年02月16日

◆空虚なる「反日」の遠吠えー文喜相発言

杉浦 正章


日韓友好を大きく毀損、冷却期間が必要

隣国の病気が再発した。空虚なる「反日遠吠え病」である。それもことも
あろうに韓国国会議長・文喜相(ムン・ヒサン)が、天皇を「戦争犯罪主
犯の息子」と形容して謝罪するように要求したのだ。この度しがたい発言
に、国会で首相・安倍晋三が強い怒りを表明したのも当然である。

この発言は、戦後初代大統領・李承晩が歴史を歪曲して、国民の「恨み」
を日本に向けさせることにしたのと同様に、「病的反日」としかいいよう
がない。加えて戦後日韓両国が営々として築き上げてきた友好関係を土台
から覆すものであり、その政治的・経済的・文化的損失は計り知れないもの
がある。

米ブルームバーグのインタビューでの文喜相は、慰安婦問題に関連して日
本側の謝罪について「一言あればいい。日本を代表する首相、あるいは私
としては近く退位する天皇が望ましいと考えている。」と述べたものだ。
それも「戦争犯罪の主犯の息子が1度おばあさんの手を握って、『本当に
申し訳なかった』と一言言えばすっかり解消する」と謝罪を要求したのだ。

文喜相はこの天皇陛下を「戦争犯罪の主犯の息子」と発言をした問題につ
いて「重要な地位にある指導者の心からの謝罪を強調する流れで出た表
現」と説明した。まさに練りに練った“確信犯”的な発言である。

訪問先の米ワシントンで11日、韓国メディアに語ったもので、文は「戦犯
主犯の息子」という表現を「戦時の日本国王(天皇陛下)の息子という意
味だ」と述べた。その上で、「日本の責任ある指導者が元慰安婦に納得で
きる誠意ある謝罪を行うことが優先されねばならない」として、「日本側
は数十回謝罪したと言うが、そんなことはない」と強調したという。

一連の発言は、韓国国会議長という三権の長によるものであり、公人中の
公人の発言である。この無礼極まりない発言は、歴史的な無知と偏見にあ
ふれている。そもそも文が指摘するように昭和天皇は「戦争犯罪の主犯」
なのか。日本の戦犯が裁かれたのは極東国際軍事裁判だが、言うまでもな
く昭和天皇が被告席に座った事実などない。文の発言内容は、甚だしく
「無知」によるものであり、知性が全く感じられない。要するに度しがた
いのである。

そもそも日韓両国は、2015年の日韓合意で慰安婦問題は、「最終的かつ不
可逆的」な解決で合意している。安倍はその際、お詫びと反省の気持ちを
表明している。

加えて同年12月28日にソウルの外交部で行われた外相岸田文雄と韓国の外
交部長官尹炳世による外相会談後の共同記者発表で「日韓間の慰安婦問題
が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と明確に表明してい
るのだ。

おまけに、日韓請求権協定は,日本から韓国に対して,無償3億ドル,有
償2億ドルの資金協力を約束、既に支払った。協定第2条では、請求権に
関する問題は「完全かつ最終的に解決」されており,いかなる主張もする
ことはできないと定めており,これが日韓関係の基礎である。

こうした表現は文喜相のような発言が繰り返されることを防ぐ意味合いが
あった。しかし、案の定文喜相は臆面もなく無視し、知性が感じられない
発言を繰り返した。文は「合意文書が数十あったところで、どうするのか。

被害者の最後の許しがあるまで謝罪しろと言うことだ」「天皇陛下が謝れ
ということだ」と感情的かつ支離滅裂な妄言を繰り返している。安倍が
12日の衆議院予算委員会で「本当に驚いた。甚だしく不適切、極めて遺
憾」と述べ、外務省を通じて厳重に抗議し、謝罪と撤回を要求した。これ
に対しても文は「なぜこのように大きな問題なるのか。さらに官房長官が
出てきたと思ったら、安倍首相まで出てきた。到底理解することができな
い」と反発を繰り返している。
  こうした中で日韓議員連盟の会長を務める自民党の額賀福志郎が、
13日午前、ソウルで韓国首相の李洛淵(イナギョン)と会談、文喜相の
発言に懸念を表明すると共に、悪化している日韓関係の改善に向けて意見
交換した。

しかし、具体的な改善策は見いだせなかった。逆に李洛淵は日本側の言動
を批判「日本の政治家や外交官が嫌韓の流れに迎合しようとして、信頼か
ら外れた言動を繰り返している」と反発している。双方は、両国の世論が
沈静化するのを待つ必要があり、6月に大阪で開かれる主要20カ国・地域
首脳会議(G20)までの関係改善は難しいとの認識で一致したという。

今後、両国の政治家は大衆受けの発言を慎み、冷却期間をおく必要がある
のだろう。韓国内の世論も中央日報が「日本閣僚の攻撃的な謝罪要求は天
皇を神聖視する日本世論を意識したためとみられるが、韓国国内の世論は
『謝罪すべき側が謝罪を要求した』と反発し、両国関係はさらに冷え込む
見込みだ。」と論評した。

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第21章

                      “シーチン”修一 2.0


【措置入院」精神病棟の日々(112)】小生の保護室というか軟禁牢、独
居房あるいは隠居所、はたまたリトリートのようなペントハウスの外観を
一新した。展望台から街を見回して「度肝を抜くには絶対この色しかない
だろう」と、屋根はレッド、壁はキャロットオレンジ、窓枠は若草色で、
オマケに50鉢の花に囲まれている。

自己主張が激しいというか、ど派手で、実にキチ〇イにマッチしている。
この庵の名称をどうしようか・・・まるで「赤毛のアン」の家みたいな感
じだから、その手の名前にしたらいいかもと、まずはカナダのプリンス・
エドワード島を舞台にした「アン・ブックス」のデビュー作「赤毛のア
ン」を読み始めた。

一気に読んで、ほとんど恍惚状態になった。これがほんまの「恍惚の人」
かいな、まむしドリンクどころやないで、「すごい! 回春剤や」、度肝
を抜く作品やな、わてはお花いっぱいのタイムトンネルを通って11歳のア
ン、「アン爺」どころか「夢見る少女」になってしもうたんや。俗塵にま
みれた脳ミソのアカがきれいさっぱり・・・ああ、うちはもうとろけそうや。

物心つく前に両親を失った孤児のアン(11歳あたり)と(後に養父とな
る)マシュウ(50歳あたり)との出会いから(中村佐喜子訳、要点のみ転
載)。

<(マシュウは駅で孤児院から男の子を引き渡されることになっていたの
だが・・・)

駅へ行ってみた。プラットフォームには女の子が一人いるだけだった。マ
シュウは駅長の所へ行って5時半の汽車がすぐ来るかどうか尋ねた。

「半時間前に出ましたがね。しかし、あんたの所へ乗客が一人降りました
よ。女の子がね。あっちの砂利の上にいますよ。婦人待合室に行くとい
い、と云ったところがね、にこりともしないで、この外の方がいいと云っ
たんですよ。『こっちの方が広々として空想の余地がある』とかってね。
どうも変わった子のようですな」>

マシュウは「男の子を受け取るはずだった」と言い、駅長は孤児院の人か
ら「この女の子をマシュウに引き渡すように託されただけ」と云い、らち
が明かない。

マシュウはライオンの穴へ飛び込むよりも辛いこと――つまり少女に近づき
――なぜ少年でなかったのかと問い質せねばならない羽目になった。(マ
シュウは少女だろうが美女、熟女だろうが、多分「自分の正義」を振りか
ざす女という動物が苦手というか、ほとんど嫌悪しているという、とても
常識的な男だった。もちろん独身。いい人なのだ)

少女は、彼がそばを通り抜けた時から見守っていたのだけれど、今は彼へ
まっすぐ眼を注いでいた。鋭い観察者だったならば、はにかみやのマシュ
ウが滑稽なばかり脅えている、この少女のうちに、決して並ではない魂が
潜んでいると結論をつけたであろう。

マシュウはしかし、先に言葉をかけることをせずに済んだ。彼が近づくの
が分かると、彼女の方ですぐに立ち上がったからである。そうして、やせ
た色黒い片手で古風なぼろの旅行用バッグを握り、片手を彼の方へ差し伸
べてきた。

「おじさんはグリーン・ゲイブルズ(屋号は「緑の切妻屋根」。日本でも
田舎では屋号で呼んでいた。わが家は精米所も経営していたから「精
米」、隣は「井戸屋」だった)のマシュウ・カスバァトさんね?」と彼女
は特別澄んだ、甘い声で云った。

(しゃべって、しゃべって、しゃべり続ける、まるでサエズリまくるアン
は、古舘一郎のプロレス実況放送みたいにビョーキか。もうどうにも止ま
らない。歌うようにしゃべり、しゃべるように詠って琴線を刺激するか
ら、やがて聞く方も気持ちが良くなるみたい。マシュウはアンに出会った
最初から心が和らいでくるのだ)

「よかったわ。もうおじさんが来てくれないのかと心配になっちゃったか
ら、どんな事情が起こったんだろうって、いろいろ考えてたとこだったの
よ。もし来てくれなかったら、今夜はね、この道を降りたあの角に大きな
桜の木があるでしょ、あれに登って、一晩あの上で過ごそうと決心したのよ。

ちっともこわくないわ。それに、月光を浴びながら、真っ白い桜の花の中
で眠るなんて、素敵じゃない? 大理石の広間にいる気がすると思わない
こと? そしてあたし、もし今夜来てくれなくてもね、明日の朝にはきっ
とおじさんが迎えに来てくれるって信じたのよ」

マシュウは、やせた小さい手を臆病そうに握っていたが、その時に、どう
すべきか心が決まった。この眼を輝かせている子供に、彼は間違いの話
(少女ではなく少年を引き取るのが希望だった)ができなかった。ともか
く家へ連れ帰り、それはマリラ(マシュウの妹、45歳くらい。農場は共に
独身の兄妹で経営されていたが、2人にはほとんど会話らしい会話はな
い)から云わせることにしよう。

たとえどんな間違いがあったにしろ、この子を駅に置き去りにして帰るわ
けにはいかない。それならいろんな質問や説明は帰宅して落ち着くまでお
預けにすることだ。

「遅くなってすまなかったね」と彼はおどおど云った。「さあ、おいで。
馬をあの庭につないであるからね。そのバッグ、持ってあげよう」

「あら、あたし持てるわ」と子供は快活に云った。「これは重くないの。
私の全財産が入っているけど・・・」(歩きながらアンはしゃべりまくる
のだ)

マシュウを相手のおしゃべりがやっと止まった。息が切れたのと、小型馬
車の所へ来たからだった。それなり彼女は黙ってしまい、やがて二人は村
を離れ、急な丘を降り始めた。その路は、やわ土を深く切り崩したところ
にあるので、花盛りのサクランボの木や、ほっそりした白い樺の木がある
土手は数フィートの頭上になっていた。

子供は手を伸ばして、馬車の横を払う野性のスモモの枝を折った。

「ずいぶんきれいじゃない? 土手からああして垂れてる真っ白の、レー
スみたいな木を見てね、おじさんは何を考える?」

「さぁてね、わからんね」とマシュウが答えた。

「まあ、花嫁さんじゃないの、もちろんよ――真っ白い衣装に、霞のように
素敵なヴェールを冠った花嫁さんよ・・・」

(アンはしゃべりまくる、自分の結婚式のこと、孤児院でのあれこれ、こ
こに来る汽車や船の中のこと、引率の先生から「お願いだからもう質問は
しないで頂戴って。もう千くらい聞いたじゃないってさ」と言われたこ
と。でもアンは納得できない)

「そうかも知れないのよ。だけど、いろんなこと、質問しないでどうして
分かるの? ねえ、どうして道路が赤くなるの?」

「さぁてね、わからんね」とマシュウが云った。

「そう、これもいつか覚えることの一つだわ。いろいろ覚えることがたく
さんあるって考えているのは、素晴らしいと思わない? あたし、生きて
いるのがうれしくなっちゃうの――こんなに面白い世の中ですもの、なんで
もみんな分かっちゃったら、きっと面白味が半分になるわね。想像の余地
がなくなるんですものね!

だけどあたし、しゃべり過ぎる? みんながそう云うのよ。おじさんも、
あたしが黙った方がいい? そう言ってくれたら、あたし止めるわ。止め
ようと決心すれば、そりゃあ止められるわ。辛いと思うけど」

マシュウは、我ながら驚くほど楽しくなっているのだった。おしゃべりな
人たちが勝手にしゃべっているのは好きだったが、女どもは苦手、少女と
なるとさらに苦手で、もし彼に話しかけると噛みつかれると思ってでもい
るように避ける。その様子が気にくわない。

ところがこのソバカスだらけのやんちゃっ児は全然違った。彼ののろい頭
の回転では、彼女の活発な心の動きについて行ききれないと自分でも分か
るのだったが、「この子のおしゃべりはだいぶ気に入った」と思った。そ
れで例のようにはにかみながら云った。

「ああ、好きなだけ話したらいいよ。わしはいいからな」

「まあうれしい。おじさんと私は気が合うってこと、わかるわ。話したい
時に話せるのは、ありがたいものよ。子供は可愛らしい様子を見せて、
しゃべらぬこと、なんて云われないでさ。あたしが何か云おうとすると、
百万遍もそう云われてきたのよ。それにみんなは、あたしの言葉が大袈裟
だった笑うのよ。でも、大きな考えを表すには、大きな言葉を使う他ない
でしょ?」

「そうだね。それはもっともだね」とマシュウが言った。(アンの活舌
は、孤児院の自然環境が貧弱だったことから、これから行く新居の話に移る)

「グリーン・ゲイブルズのそばには小川があるの?」
「そうだね、ああそう。家のすぐ上にあるよ」

「すてき! 小川のそばに住むのが、あたしの夢の一つだったの、そうな
ると思ってたわけでもないけれど。夢ってそうたびたびほんとになるもの
じゃないわね? ほんとになったらよくないかしら? でも今のあたし
は、ほとんど完全に近い幸福よ。でもあたしにはどうしても完全な幸福は
ないのよ・・・」

(アンは赤毛のコンプレクス、悲しみをあれこれ語り、マシュウに「おじ
さん、分かる?」と聞く)

「そうだね。残念だが、分からんね」。マシュウは少し頭がふらふらして
きた。(アンはさえずり続け、やがて突然叫び声をあげた)

「カアスバァトさん!カアスバァトさん!!カアスバァトさん!!!」

この時、この子が馬車から転がり落ちたのでも、マシュウが何か驚くよう
なことをしたのでもなかった。ただ、馬車が道路のカーヴを回って「並木
道」に差し掛かったのだった。

地元で「並木道」と呼ばれているのは、巨大なリンゴの木が枝を差し交し
て完全なアーチをなしている400メートルほどの道で、香り高い真っ白い
花の天蓋になっていた。大枝の下には紫色の夕暮れが立ち込め、その彼方
には七色の夕焼けの輝きを覗き見ることができた。

どうやらその美しさがこの子を無口にしてしまったようだった。背を後ろ
へもたせ掛け、やせた両手を胸元で組み合わせて、彼女は熱狂した顔を、
頭上一面の見事な白さへ振り向けている。

そこを通り抜けて下り坂に差し掛かっても、身じろぎもしなければ口を開
こうともしなかった。なおも恍惚とした顔を、遥か陽の沈んでいく西空へ
向けたままで、眼は、過ぎてきた後ろの道の華々しい幻影を見ているの
だった。

犬や子供の声で騒がしい村を通る時でも、彼女は無言だった。さらに5キ
ロほど進んでも依然だんまりである。彼女には、しゃべる精力に劣らぬ黙
る力があることを示した。

「あんたはだいぶくたびれて、お腹もすいたようだね」と、今度はとうと
うマシュウの方から切り出した。この落ち込んだ長い沈黙の原因が、彼に
はそれ以外に考えられなかったから。「だがもう遠くはないよ。もうほん
のちょっとだよ」

彼女は妄想から覚めて深いため息をし、魂が星の世界でもさまよってきた
ような、夢見る瞳をマシュウへ向けた。

「おじさん、さっき通ってきたあの真っ白いとこね、あれはどこ?」と声
をひそませて云った。
「ふーむ、あの『並木道』のことを云ってるんだね」とマシュウはひと時
じっと考えた挙句に云った。「あれはきれいなとこだね」

「きれい? まあ、『きれい』なんて言葉どころじゃないわ。美しい、で
もだめね。どっちも追いつかないわ。ああ、あれは、信じきれないもの
よ。想像の方が負けるようなものを見たの、あたし生まれて初めてだわ。
まさに、あたしのここが満足したわ」と、胸に手を当てながら、「ここが
何とも云えなく、変に痛くなってくるんだけど、それが気持ちのいい痛み
なの。おじさんはそんな痛み、感じたことない?」

「さあてね。感じたかどうか、覚えていないね」

「あたしはしょっちゅうよ――すごく美しいものを見ると、いつでもだわ。
だけど、あの素敵なところを並木道なんて云っちゃだめだわ。ただそうい
うだけじゃ意味がないもの。ええと――何て呼ぼうかしら。『歓喜の白い
道』――空想的な、いい名じゃない?」・・・>(以上)

こんな調子で読者もマシュウのように心を動かされ、共鳴し、がっちりと
心をつかまれる。まるで絶叫マシンや流星に乗った気分。この道はまるで
滑走路。大空へ飛んでいきそうだ。

知性と感性のコラボ、理性と野性のシナジー効果、哲学と美学のベスト
ミックス・・・次元が違うほどの筆力で、まったく恐れ入ったぜ、小生は
まるで初心者だ。

この超弩級の作者のモンゴメリって誰よ、と、モリー・ギレン著「運命の
紡ぎ車 L.M.モンゴメリの生涯」を読んでみた。同書やモンゴメリの作品
によると、モンゴメリはこんな人だったようだ――

・ペンネームはL.M.モンゴメリ、女性。普段はモード・モンゴメリと称し
ていた。「読者の女の子からラブレターが来た」と笑っているから、ペン
ネームだけでは性別は分からない。文章を読んでも女性作家によくみられ
る狂気、粘着質、「私は正しい」といった過剰な自己愛、傲りはなく、カ
ラっとしている。爽快感というか、「女感覚による非理性的ないやらしい
フリル」がないのがいい。

・1874年、日本が明治維新の余燼がくすぶっている頃に、カナダのプリン
ス・エドワード島の小村クリフトンに生まれた。1歳9か月で母(23前後)
を病で失い、同島キャベンディッシュの母方の祖父母、アレクザンダー・
マクニール、妻ルーシーと「グリーン・ゲイブルズ」の家で暮らすことに
なった。父親のヒュー・モンゴメリは(山っ気があり)仕事で各地を転々
としていたから親子の情は薄かったようだ。

両親が相次いで流行病で亡くなり天涯孤独の身になったアンのようではな
かったが、「母のない子」は淋しい思いをしたろう。父親はやがて再婚し
たが、義母はモードより10歳上くらいで、しばらく一緒に暮らしたもの
の、「おしん」のような子守り女扱いに嫌気がさしたのだろう、モードは
グリーン・ゲイブルズへ戻った。

・処女作というか出世作と言うのか、モードは「赤毛のアン」原稿を複数
の出版社に送ったが、採用されないままモードのトランクに数年放置され
ていた。彼女自身、トランクに仕舞ったことも忘れていたようだ。偶然発
見し、タイプで清書してP社に送ったところ採用され、陽の目を見ること
になる。

複数の出版社が出版を見送ったのは、「赤毛のアン」は当時カナダの精神
界を牛耳っていたキリスト教(プロテスタント)を軽視(嘲笑とは言わな
いが、教条的な人に反発)するような場面が結構描かれていたためだろ
う。キリスト教を絶対視して、教えのとおりに生き、それからの逸脱を許
さないという、どっかの婦人部的なキャラクターへの疑問(韜晦している
ものの、読みようによっては痛烈なキリスト教批判)が出版社をビビらせ
たに違いない。(長くなり過ぎたので次回へつづく)

さてさて本題へ。前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編集長イ
ンタビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を話しま
す』元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要約する。

<(承前)全 山陰本線の須佐駅で降りた時は、もう薄暗くなっていまし
た。迎えに来ていた人が海岸ぶちまで送ってくれました。浅田飴を貰いま
した、くしゃみや咳をするといけないからと。夜光時計を持てとも言われ
ていました。

そこらか、この方向へ行けって言うんですよ。で、何時何分ごろ、向こう
で岩を石で3回トン・トン・トンと叩く。で「田中さんですか」と言うか
ら「そうです」と言ってトン・トン・トンってこちらも石で3回叩きなさ
いと。

――北の工作員が上陸してくるのは夜で、大体岩場の所だそうですね。案内
人はどうしました?

全 私に合図の仕方を教えて帰りました。実はこの人もかつて祖国防衛隊
にいたんですよ。名前は分かりませんが、顔は覚えていました。

――祖防隊の流れをくむ過激派の一部が日本人拉致事件に何らかの形でかか
わっている可能性がありそうですね。

全 私もそう思います。北の工作員に協力していた可能性は十分あります。

――工作員から合図がありましたか。

全 ありました。相手は暗闇でまったく分かりません。合図を2回繰り返
したら、ゴソゴソと真っ黒な潜水服を着た2人の男が上がってきました。
そこで初めて握手を交わしました。で、ゴムボートに乗りました。「先
生、ご苦労様でした」って言うんです。

――うーん、全さんは希望に燃えてまだ見ぬ祖国へ船出するのだから気持ち
は高揚していたでしょうが、その時の拉致被害者のことを思うと切ないで
すよ。攫われた時点で大変なショックを受けているのに、化け物のような
男どもに無理やり麻袋に入れられて、一体、暗い海上でどんな気持ちに駆
られていたのでしょう。

全 ほんとにそう思います。罪深いことをしました。拉致事件がはっきり
した時、私も自分のことを思い出し、きっとああいう風にして連れていか
れたに違いないと想像しました>(つづく)

在日朝鮮人、その総本山=総連を破壊、追放すべきではないのか。舐めら
れたらいかんぜよ。

【措置入院」精神病棟の日々(112)】小生の投稿は長くて申し訳ない。
余命がカウントダウンに入ったので、あれも書きたい、これも書きたいと
焦っているのだと思うが・・・昨日菩提寺へ行って打ち合わせ、生前葬を
3/10に決行することになった。

春琴様曰く「戦死は古稀までお預けよ」、佐吉としては「御意」とは言っ
ておいたが・・・1、2年後に昇天か、それとも早々とお迎えが来たりして
「ちょっ、ちょっと待ってよ、プレイバック!」とかで醜態を見せたり。
ま、楽しみではあるな。

発狂亭“AnneG. of Red Gable”雀庵の病棟日記から。G=爺とかGranpaと
か・・・アンジーなんて素敵と思わない?

【2016/12/22】(承前)【産経】宮嶋茂樹曰く「日本の国益守るには嫌わ
れる覚悟も必要や、安倍首相も日本の政治家であることを忘れるな」、ま
ことに正論だ。安倍信長は北京とモスクワの両方を敵にはしたくないか
ら、とりあえず北京=主敵(朝倉、浅井、武田)、モスクワ=己の損得で
動く油断できない松永弾正と見ているのだろう。

広川祐弘「正論・漱石が仰ぐ『立憲君主制』の天皇」。<漱石は天皇陛下
のご意向を優先することの是非を自問自答して、ノートにこう記した。

「昔は御上の御威光なら何でも出来た世の中なり」「今は御上の御威光で
も出来ぬことは出来ぬ世の中なり」「次には御上の御威光だから出来ぬと
いう時代が来るべし」

漱石の時代も今も日本は立憲君主制である>

2000年も不易の心棒、スタビライザーがあるということは日本の国柄だ。
奇跡的なことだと思う。

宮家邦彦「3つのトランプ外交チーム」、曰く「(それにより)迷走して
いるとの見方が有力だ。トランプのクローンが親台・反中になるとアジア
を不安定化させる。要注意だ」。

リベラル宮家は“ダークサイド”トランプショックで茫然自失、思考停止状
態だ。世界中でリベラル妄想が消えつつある。大いに結構だ。(つづ
く)2019/2/14


◆中国地方政府が合計620億ドルの地方債を起債へ

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月15日(金曜日)通巻第5990号 <前日発行>

中国地方政府が合計620億ドルの地方債を起債へ
   借金の繰り延べ、表向きは「都市化開発予算」トカ

2月13日、中国地方政府(新彊ウィグル自治区、河南省、福建省、青島
市、アモイ市などを含む)が合計620億ドル(6兆8200億円)の地方債を
起債すると発表した。

事実上の負債返済を繰り延べることが狙いだが、表向きの理由は「都市化
開発予算」などとなっている。地方自治体の財政破綻は以前から明らか
だったが、これほどの規模の起債による延命策、むしろ悪性のスパイラル
への陥没であり、破綻の先延ばしに過ぎない。
 
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読者の声 ☆どくしゃのこえ ★READERS‘ OPINIONS
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  ♪
(読者の声1)いつも気にしていたのですが、貴誌が無料であること。い
つ有料にされるのかとときおり読者から投稿があるようですね。

宮崎さんの周辺でも渡邊哲也氏も三橋貴明氏も、浜田和幸氏もメルマガは
有料です。AI時代を迎えて既存の新聞がまったく売れずという状況では、
貴誌のような情報に溢れるメルマガの時代になったと思います。
   (GH生、茨城)


(宮崎正弘のコメント)そう言えばジャーナリストの福島香織さんが有料
メルマガ「中国趣聞」を始めました。福島さんと小生は四冊の共著があり
ます。
https://www.foomii.com/00146
福島さんはチャイナウォッチャーの中でも抜群の行動力で迅速に事件現場
に駆けつけ、流暢な中国語で突撃インタビュー。かずかずのスクープ記事
をものにしていますが、情報の解析力にすぐれていて、いつも会うと刺戟
を受けます。
 
参考までに福島さんのメルマガは週刊、月極864円の由です。
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   黄文雄(文明史家)のコラム
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  ♪
「日本に国王を奪われた」と嘘の主張で天皇侮辱を正当化する韓国
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  黄文雄(文明史家)

◆日本人の「虎の尾」を踏んだ韓国国会議長

韓国の文喜相国会議長が、ブルームバーグのインタビューに対して、今上
天皇を「戦争犯罪の主犯の息子ではないか」とし、「天皇が一度おばあさ
んの手を握って『本当に申し訳なかった』と一言いえば(問題が)すっき
り解消される」と話したことに対して、日本の河野太郎外相が「発言に気
をつけてほしい」と批判しました。

さらに2月12日の国会答弁では、安倍首相がこの韓国国会議長発言に対し
て、謝罪と撤回を要求したと述べました。それほど日本人の虎の尾を踏む
ような内容だったということです。

文議長は「戦争犯罪の主犯の息子」とは言っていないと反論しています
が、いずれにせよ天皇に対して謝罪を求めるという非礼な態度には変わり
がありません。もちろん文氏は、天皇ではなく、「日王」という表現を
使っていました。

この文喜相国会議長は、文在寅政権が誕生したときに特使として日本を訪
問し、慰安婦合意について「世論が反対している」と伝えた人物です。日
韓議連でもありますが、たびたび反日的な言動をしています。

天皇は日本人にとって「日本統合の象徴」であり、天皇を侮辱されること
に対して強い拒否感があります。2012年には、李明博大統領が竹島に上陸
したうえで、「日王が韓国を訪れたければ、日本が犯した悪行と蛮行に対
して土下座して謝罪しなければならない」などと発言し、日本の世論が強
く反発したことがありました。

韓国が日本の皇室をたびたび侮辱するのには、理由があります。韓国は、
日本が朝鮮半島から7つのものを奪ったという「7奪」の一つとして、
「韓国の王族を日本が奪った」と主張しているからです。日韓併合(合
邦)によって李氏朝鮮の王家を滅ぼしたというのです。

しかしそれは全くの歴史の捏造です。日本は日韓合邦時、朝鮮王朝の王家
に皇族に準じる地位を与え、さらに皇族である梨本宮家の方子女王を、李
氏朝鮮国王かつ大韓帝国初代皇帝・高宗の世子である李垠(イウン)へ嫁
がせました。

日本が韓国を植民地にしたというなら、皇族を植民地の王に嫁がせるなど
ということは、ありえないことです。イギリスはビルマ王朝の男子を処
刑、女子は兵士に与えて王朝を滅亡させましたし、千年以上も宗主国で
あった中華王朝にしても、皇帝の親族を朝鮮王朝に嫁がせたということは
ありませんでした。

親族になるということは、同等の地位になることを意味しますから、属国
や植民地の王族に嫁がせるなどということは、宗主国にとってありえない
ことなのです。

ところが日本はこうした国々と異なり、朝鮮半島に気を使って王族を残
し、しかも皇族に準じる地位とし、親戚関係まで築いたのです。

李垠の父・高宗は、日本に抵抗する意味で1897年に国号を李氏朝鮮から大
韓帝国に改め、さらに自ら皇帝となりました。1907年にはオランダのハー
グで開催されている万国平和会議に密使を送り、国際社会に対して日本批
判とともに自国の外交権回復を訴えるという暴挙に出ています。

しかし、東アジアのトラブルメーカーであり、財政的にも実質的に破綻し
ていた大韓帝国の外交自主権を停止し、日本が保護国化するというのは、
国際社会が望んでいたことであり、高宗の訴えは完全に無視されたのです。

このように、高宗は日本に対して敵対的な行動を取っていたものの、日本
は朝鮮王室を断絶させることなく、李垠が皇太子となることを認め、さら
に日本の皇室と親戚関係になって庇護したわけです。

しかし日本敗戦後、韓国大統領となった李承晩は、日本に留学していた李
垠の帰国を認めませんでした。王室が復活し、政治の実権を握ることを恐
れたからです。

李垠は朴正熙の時代の1960年代になってようやく韓国へ帰国できました
が、王室が復活することはありませんでした。要するに、韓国国民が王室
復活を望まなかったわけです。

ですから、韓国から国王を奪ったのは日本ではなく、李承晩であり、韓国
国民なのです。ところがそのことは全く無視して責任を日本になすりつ
け、「国王を奪われた恨み」として、天皇を「天皇」と呼ばず、わざわざ
「日王」と呼んで軽んじているわけです。

もちろん、2000年以上も事大主義(大国に仕える)を続けてきた小中華の
韓国にとって、「皇帝」とは中華帝国に君臨する存在であって、日本の
「天皇」を認めていないという潜在意識もあるのだと思います。

◆救国戦士も「親日名簿事典」に入れて売国奴とする韓国

李垠のお付き武官に安秉範(アン・ビョンボム)大佐という軍人がいまし
たが、彼は戦後、韓国で首都防衛を任されました。ところが朝鮮戦争が勃
発、北朝鮮軍の猛攻撃によってソウルは陥落、安秉範はその責任を取って
割腹自殺を果たします。

朝鮮戦争では李承晩大統領が真っ先にソウルから逃げ出し、しかも敵が
いつけないように橋を爆破、そのために逃げ遅れた多くのソウル市民が犠
牲となりました。軍のトップが早々に敵前逃亡した一方で、旧帝国軍人
だった安秉範は最後まで自分の任務を遂行したわけですが、現在の韓国で
は旧日本軍で大佐まで昇格したことから、「親日名簿事典」にその名が刻
まれ、売国奴扱いされています。

また、旧日本軍時代に多くの軍功を立て、戦後は北朝鮮の侵攻を予知して
いた武人に、金錫源将軍がいます。その勇名は北朝鮮軍にも聞こえていた
ため、彼と対戦することを北朝鮮軍は非常に恐れていたといいます。

日本刀を振りかざして前線で指揮する姿は軍神そのもので、朝鮮戦争では
彼の名を慕って、かつての戦友である朝鮮人軍人が多く集まったといいま
す。まさに「救国の士」ですが、そんな金錫源も現在では、「親日名簿事
典」に入れられています。

かつて日本の皇軍で働いた過去のある人物は、たとえ戦後に救国戦士だっ
たとしても、売国奴扱いされるのが韓国です。その一方で、日本と敵対し
た人物は、徹底的に義人扱いします。

最近では、閔妃(明成皇后)が「悲劇の王妃」として、ドラマなどで美化
されているようです。1895年10月、日本の三浦梧楼を首謀者とする一団が
王宮になだれ込み、反日派だった閔妃を殺害したと言われていますが、そ
の実態はよくわかっていません。

一説では、閔妃と嫁舅の争いを続けていた興宣大院君が暗殺の黒幕だった
と言われていますが、いずれにせよ、閔妃は王宮内で政争に明け暮れ、浪
費によって李氏朝鮮の財政を破綻状態にまで追い込んだ張本人として、つ
い最近までは韓国でも「悪女」の代名詞のような存在でしたが、「日本に
殺された」ということから、悲劇的なストーリーがでっち上げられ、「国
母」のような扱いを受けるようになりました。

このように、現在の韓国の歴史はすべて「反日」が基本となっているので
す。強盗殺人を犯した過去があり、多くの同士をテロで葬った金九など
は、三・一運動失敗後、上海で大韓民国臨時政府主席に就任して日本に宣
戦布告を行ったものの、国際的にまったく認められませんでした。にもか
かわらず、現在では「抗日活動家だった」という理由から、義人として顕
彰されています。盧武鉉などは、リンカーンと並び称しているほどです。

◆「泣く子は餅を一つ多くもらえる」

文国会議長が「天皇が謝罪すれば、慰安婦問題はすぐ解決する」というの
は、まったくの嘘です。もしもそのようなことがあれば、さらなる日本批
判の道具にすることは目に見えています。

もともと慰安婦問題からして、韓国側から「強制性があったことを言って
くれれば、問題は一区切りできる、未来志向の関係が築ける」と言われ、
慰安婦証言の裏付けも取らないまま、「河野談話」を発表してしまったこ
とが、「慰安婦問題」を現在まで続く大問題にまで発展させてしまったの
です。そのことは、2014年4月2日に国会で行われた、石原信雄元官房副長
官の証言でも明らかです。

韓国側の「こうしてくれれば問題は解決する」という提言は、決して信じ
てはいけないのです。「泣く子は餅を一つ多くもらえる」ということわざ
がある国です。一つの要求に応じれば、それを既成事実としてさらなる要
求をしてくるのが韓国という国であることを、日本人は忘れてはいけません。

かつて李明博大統領は「日本はかつてほど強くない」という発言をしまし
たが、事大(強国に仕える)の国からすると、弱い国に対しては徹底的に
嫌がらせをするのが普通のことなのです。
                (こうぶんゆう氏は作家、歴史家)

◆米国は貫徹できるか

櫻井よしこ


「米国は貫徹できるか、厳しい対中政策」

2日間にわたる米中閣僚級貿易協議が終わった1月31日、トランプ米大統領
は中国代表団を率いる劉鶴副首相と会談した。トランプ氏は、「極めて大
きな進展があった」とし、中国が米国の大豆500万トンの輸入を約束した
ことについて「アメリカの農家がとても喜ぶだろう」と上機嫌で語った。

中国による大量のオピオイド系鎮静剤、フェンタニルの密輸出阻止につい
ても、トランプ氏は習近平主席が対策を講じると約束したと、語ってい
る。この約束は、実は昨年12月の米中首脳会談で決めたことだ。酒も煙草
も嗜まないといわれるトランプ氏は、習慣性が強く最悪の場合過剰使用で
死に至るこの種の薬剤がとても嫌いなのである。

現時点では、トランプ氏の喜びは中国の苦しみだ。今回、米通商代表部の
ライトハイザー代表がぎりぎりまで詰めた主要事項は、米国の貿易赤字削
減、中国による技術移転の強要阻止、同じく中国による知的財産の窃盗の
阻止などである。こうした点についての合意を如何に確実に実施するか、
そのための監視システムの構築も焦点だった。

トランプ氏が喜んだ大豆は、全体の問題のごく一部にすぎない。現に、米
国内では大豆や天然ガス、その他の対中輸出拡大は大きな問題ではなく、
「中国製造2025」に代表される中国の産業、技術政策を阻止することこそ
大事なのだという意見が強い。

1月31日の「ウォール・ストリート・ジャーナル」紙に、元来アメリカが
最も得手とするサービス分野こそ中国におけるシェアを高めるべきだが、
そこには厚い障壁があると解説する記事が目についた。金融、保険、エン
ジニアリング、コンサルティング、ソフトウエアの開発などで中国市場を
もっと開かせよというのだ。しかし、フェイスブック、グーグル、ユー
チューブなどの苦い体験を思い出せば、これらのサービス分野こそ、中国
が最も開放したくないと考えていることは明らかだ。こうした分野でアメ
リカの要求を受け入れてしまえば、人々の意識も生活も大きく変わりかね
ない。中国共産党一党支配の崩壊が猛スピードで進む結果になるだろう。

構造的な景気減速

中国人民大学米国研究センター主任の時殷弘(じいんこう)教授が、米側
の要求である究極の構造改革やその実行を担保する監視メカニズムは、中
国の主権への侵犯や国内秩序への干渉となる可能性が高い、とのコメント
を「産経新聞」に寄せていたが、それこそが米国の狙いであり、中国の恐
れる点であろう。

米国の対中政策は凄まじく厳しい。貿易に関する米中閣僚級協議開催直前
に、米司法省はファーウェイの孟晩舟副会長兼最高財務責任者をニュー
ヨークの連邦大陪審が起訴したと発表し、孟氏の身柄引き渡しをカナダ当
局に正式に要請した。

カナダ政府は米国との協定に従って要請に応じざるを得ないであろう。孟
氏が米国に引き渡された場合、彼女は最高で60年の刑を受ける可能性があ
ると、福井県立大学教授の島田洋一氏は語る。

「米国当局は長期刑をチラつかせながら、孟氏にファーウェイと中国共産
党が行ってきた全ての不法行為を自白させようとするでしょう。協力しな
ければ、彼女は100歳をすぎてもまだアメリカの刑務所に入れられている
ことになりかねません。協力すれば、彼女と彼女の息子のために、一生米
国で安全に暮らせる環境も、そのための資金も用意するでしょう。アメリ
カはなんとしても中国に5G(第5世代移動通信システム)の分野で主導権
を取られたくないのです」

孟氏のケースは、米中間で進行する貿易交渉と同じく、否、それ以上に深
刻な問題だと、島田氏は強調する。いま、米国は貿易、軍事、人権、外交
などで中国締め上げに力を注いでいる。米中の戦いで中国に勝ち目はある
のか。

中国経済の2018年の成長率は6.6%と発表された。28年ぶりの低い伸びだ
と発表されたが、実はもっと低く1.67%だったという資料もあると、人民
大学国際通貨研究所副所長の向松祚(こうしょうそ)氏が指摘している。
向氏は別の試算方法ではGDPはマイナス成長になるとの見解さえ示して
いる。

向氏の言を俟たずとも中国の統計の信頼性の低さは余りにも有名で、中国
経済が公式発表の数字よりもはるかに深刻な低成長に落ちていることは十
分に考えられる。

中国のGDPの約25%を生み出す不動産業界の不況も甚しい。去年1年間
で、大手不動産会社は住宅価格を30%といわれる幅で引き下げたという。
今年もかなりの値下げが懸念されており、銀行は大量の不良債権を抱え込
んでいる。地方政府は過剰債務に陥っており、中小企業にはお金が回らな
い。構造的な景気減速に入ってしまっているが、打つ手がないのが中国経
済だ。

四面楚歌の中国

国内経済の減速に加えて、対外事業としての一帯一路への信頼を、中国は
すでに失ってしまった。債務の罠のカラクリは見破られ、中国と協力した
いという国はなくなりつつある。国際戦略の専門家、田久保忠衛氏が「言
論テレビ」で語った。

「中曽根康弘氏の名言ですが、外交で大切なことは筋を通すとか通さない
ということではなく、国際世論を敵にしないことだというのです。いまの
中国は世界のほぼすべての国を敵に回しています」

中国が他国の領土を奪う手法は債務の罠だけではない。南シナ海での振る
舞いが示しているのは、中国は軍事力の行使もためらわないということ
だ。世界はこのことをすでに十分理解した。だからこそ、米国の「航行の
自由」作戦に、英国とフランスは、昨年夏から合流し始めた。

まさに四面楚歌の中国である。このままいけば、米国は中国の横暴を止め
るだろう。だが、物事はそれ程うまくいかないかもしれない。最大の不安
要因がトランプ氏である。

1月31日、トランプ氏の中東政策に共和党上院議員、53名中43名という圧
倒的多数が反対した。シリアからひと月以内に撤退すると、トランプ氏が
唐突に言い出し、反対したマティス国防長官の更迭を発表したのが昨年末
だった。状況不利と見たのであろう。トランプ氏は、メラニア夫人を伴っ
て突然イラクを訪れ、米軍関係者を慰問した。撤退時期などで多少、軌道
修正をはかったとしても、シリア及びアフガニスタンからの撤退という基
本方針は変えないと見られている。

イラクからの早すぎる撤退で失敗したのがオバマ大統領だった。トランプ
大統領も同じ轍を踏みかけている。それは中東の混乱を増大させ、トラン
プ氏の政治基盤を崩しかねない。そのとき、笑うのは中国であり、世界は
本当の危機に陥る。

『週刊新潮』 2019年2月14日号 日本ルネッサンス 第839回

◆紫式部と蕪村の「和紙」

毛馬 一三


書き出しは、大阪俳人与謝蕪村のことからだ。蕪村(幼名:寅)は、生誕地大阪毛馬村で幼少の頃、母親から手ほどきをうけて高価な「和紙」を使って「絵」を描いて、幼少時期を楽しんでいたことを、知った。

寅は、庄屋の子供だったから、高価な「和紙」を父から自在に貰って、絵描きに思いのままに使ったらしい。

その幼少の頃の絵心と嗜みが、苦難を乗り越えて江戸に下り、巴人と遭遇してから本格的な俳人となったのも、この幼少の頃「和紙」に挑んだ「絵心」とが結び付いたらしい。

さて、本題―。

高貴な「和紙」の事を知った時、ジャンルは違うが、紫式部が思い切り使って「和紙」を使って「世界最古の長編小説・源氏物語」を書いたことを思い出した。

そのキッカケは、福井県越前市の「和紙の里」を訪ねてからである。

越前市新在家町にある「越前和紙の里・紙の文化会館」と隣接する「卯立の工芸館」、「パピルス館」を回り、越前和紙の歴史を物語る種々の文献や和紙漉き道具の展示、越前和紙歴史を現す模型や実物パネルなどを見て廻った。

中でも「パピルス館」での紙漉きを行い、汗を掻きかき約20分掛けて自作の和紙を仕上げたのは、今でもその時の感動が飛び出してくる。

流し漉きといって、漉舟(水槽)に、水・紙料(原料)・ネリ(トロロアオイ)を入れてよくかき回したあと、漉簀ですくい上げ、両手で上下左右に巧みに動かしていくと、B5くらいの「和紙」が出来上がる。まさにマジックの世界だ。

ところでこの越前和紙だが、今から約1500年前、越前の岡太川の上流に美しい姫が現れ、村人に紙の漉き方を伝授したという謂れがある。

山間で田畑に乏しかった集落の村人にとり、紙漉きを伝授されたことで、村の営みは豊かになり、以後村人はこの姫を「川上御前」と崇め、岡太神社(大瀧神社)の祭神として祀っている。

<その後大化の改新で、徴税のため全国の戸籍簿が作られることとなり、戸籍や税を記入するために必要となったのが「和紙」である。そのために、越前では大量の紙が漉かれ出したという。

加えて仏教の伝来で写経用として和紙の需要は急増し、紙漉きは越前の地に根ざした産業として大きな発展を遂げてきている>。

さて長編小説「源氏物語」の作者紫式部は、執筆に取り掛かる6年前の24歳の時(996年)、「和紙」の里・越前武生に居住することになり、山ほどの「和紙」に囲まれて、存分に文筆活動に励んだ。

当時、都では「和紙」への大量の需要があったらしく、宮廷人も物書きも喉から手が出る程の「和紙」だったが、手には入らなかった。

ではどうして都にいた紫式部が、遥か離れた「和紙」の里越前の武生に移住してきたのか。それはご当地の国司となった父の藤原為時の“転勤”に関わりがある。文才だけでなく、商才に長けた為時の実像が浮かび上がる。

<為時は、中級の貴族で、国司の中で実際に任地へ赴く“転勤族”だったそうで、996年一旦淡路の国(下国)の国司に任命されるが、当時の権力者・藤原道長に賄賂の手を使って、転勤先を越前の国(上国)の国守に変更してもらっている。はっきり言えば為時は、淡路の国(下国)には赴任したくなかったのだ。何故なのか。

当時、中国や高麗からの貿易船が日本にやってくる場合、海が荒れた時や海流の関係で、同船団が「越前や若狭」の国を母港とすることが多く、このため海外の貴重な特産品が国司のもとに届けられ、実入りは最高のものだったという>。

藤原為時一族は、中級の貴族ながら文才をもって宮中に名をはせ、娘紫式部自身も為時の薫陶よろしく、幼少の頃から当時の女性より優れた才能で漢文を読みこなす程の才女だったといわれる。

これも商才に長けたばかりでなく、父親の愛情として、物書きの娘に書き損じに幾らでも対処できる「和紙」提供の環境を与えたものといわれる。

<この為時の思いは、式部が後に書き始める「源氏物語」の中に、武生での生き様が生かされている。恐らく有り余る「和紙」を使い、後の長編小説「源氏物語」の大筋の筋書きをここで書き綴っていたのではないだろうか。平安時代の歌集で、紫式部の和歌128 首を集めた「紫式部集」の中に、武生の地で詠んだ「雪の歌」が4 首ある。

越前武生の地での経験が、紫式部に将来の行き方に影響を与えたことはまちがいない。と同時に式部は、国司の父親のお陰で結婚資金をたっぷり貯め込むことも成し遂げて、約2年の滞在の後、京都に戻り、27歳になった998年に藤原宣孝と結婚している>。

越前武生の生活は、紫式部にとり「和紙」との出会いを果たして、後の世界最古の長編小説への道を拓くことに繋げた事は、紛れもない事実であろう。

<紫式部の書いた「源氏物語」の原本は現存していない。作者の手元にあった草稿本が、藤原道長の手によって勝手に持ち出され外部に流出するなど、「源氏物語」の本文は当初から非常に複雑な伝幡経路を辿っていたという。

確実に平安時代に作成されたと判断できる写本は、現在のところ一つも見つかっておらず、この時期の写本を元に作成されたと見られる写本も、非常に数が限られているという>。
 
この歴史の事実と筆者の推論を抱きながら、「紫式部公園」に回り、千年前の姿をした高い式部像に対面してきた。

北京五輪の開会式の時、中国の古代4大発明の一つとして「紙」を絵画の絵巻をCGで描き、国威を高らかに示した。

この紙が7〜800年後に日本に渡り、「和紙」となった。その後、「世界最古の長編小説を書いた女性が日本にいた」ということについては、中国は勿論諸外国は知らない。

参考:ウィキペディア、: 青表紙証本「夕顔」 宮内庁書陵部蔵 
(加筆 再掲) 

2019年02月15日

◆中国当局、トルコに「ツーリズム」激減通達

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月14日(木曜日)通巻第5989号  

中国当局、カナダ、スエーデンに続き、トルコに「ツーリズム」激減通達
  2018年は中国からの観光客が80%増えていたが

中国がカナダへの渡航注意勧告を意図的に発令し「中国人が狙われてい
る。身の回りの品物に万全の注意を」などと嫌がらせとしか考えられない
通達を出して、ツーリスト激減策を取り、裏では旅行代理店に団体ツアー
のキャンセルを指示していた。

中国からの観光客は激減、理由は言うまでもないが、孟晩舟(ファーウェ
イ副社長)の拘束への露骨な圧力である。

とくに米国への身柄引き渡しを極度に怖れる中国は、在中国カナダ人を13
人も拘束したうえ、ひとりのカナダ籍の男に麻薬密売に関わったとして死
刑判決を出した。日和見主義のトルードー政権も、中国への態度を硬化さ
せ、米国政府からの身柄引き渡しの正式要請に前向きに対応する。

スエーデンもこの例に漏れず、中国人観光客が路上で理由もなく警察から
暴力を受けたと訴えた。対中国国内向けの宣伝であり、指令された「演
出」でないかと噂された。

スエーデンへの観光客は著しく減少した。

直接の切っ掛けは銅鑼湾書店のオーナーがタイの保養先から拉致された事
件だった。このオーナーがたまたまスエーデン籍であったため、執拗な釈
放要求がなされた。「中国には表現の自由がない」と抗議の声が北欧諸国
にもおきた。

中国は同様な手口でトルコに狡猾な脅しをかけ始めた。

中国からトルコへの観光客は2018年に80%増えていたが、それもこれも、
トルコ政府が「一帯一路」に協力する、ウィグル族弾圧には無言、かわり
に36億ドルの融資を中国工商銀行から得ていたこともある。

しかしシリア難民問題以後、EUとの関係がギクシャクしたばかりか、米
国との対立激化によって経済が悪化し、とくにトルコ通貨リラが50%の
大暴落となった。こうした経済危機を乗り切ろうと、エルドアン政権は中
国にも投資を依存したのだ。

イスタンブールのファテー地区はウィグル族の居住区となっており、付近
には「楼蘭」などのレストラン、羊肉料理、強い香辛料、イスラムの建
物。もちろん地区住民には中国のスパイが混入しており、テロとの関連を
警戒している。

ウィグルの若者およそ5千人から1万人がISに流れたが、その拠点が、
このファテー地区とされた。


 ▼トルコ国内にウィグル居住区がある

2018年10月31日、この地区に移住以来10年も住んできたケルム・マハット
は、子供を病院に連れて行き帰宅したところ20名の警官に囲まれ、爾来、
3ヶ月も拘束された。

電話が防諜されており、ISの関係先の人物と会話した所為で、テロリス
ト容疑とされたのだった。ということはそれほどトルコ政府が中国に協力
的だったのである。しかしウィグル族はチュルク系民族であり、トルコ人
の同胞である。

昨夏、国連がウィグル族弾圧、強制収容所の問題を明るみだし、およそ百
万のウィグル族が不当に拘束され、収容所内で洗脳教育を受けていると報
告書が提出された。

同じ頃、トルコ議会に証言に呼ばれたミルザムと名乗る29歳の女性は
「3ヶ月、理由もなく収容所に拘束され、ひどい拷問を受けました。あま
りの苦痛に『私を殺して』と叫んだほど。げんに収容所内で9人のウィグ
ル女性が死亡しています。釈放され自宅に戻ると3人のこどものうち、
4ヶ月の乳飲み子が死んでいました」。

トルコ国内にはこの証言を聞いて民衆が街頭に飛び出し「中国には宗教の
自由がない」「ウィグルの文化を尊重しているというのは嘘だ」とプラ
カードが掲げられた。

状況は変わった。

エルドアン大統領は「中国のウィグル族弾圧は人類の恥」と発言した。ト
ルコの指導者の多くは「これほどの不道徳があろうか」と訴えた。
2009年にウィグル族虐殺事件当時、首相だったエルドアンは「これは
ジェノサイドだ」と非難した。その後、中国からの投資を前にして、エル
ドアンは中国を批判しなかった。

トルコの態度変更は周辺の中東諸国から歓迎された。

中東諸国にも中国の札束外交の魔手で、しばらくウィグル族弾圧に無言
だった。しかし最近は中国共産党への抗議デモが各地で組織されるように
なり、『人類の恥』『ナチスより酷い』とういプラカードが並んだ。

中国は悪印象を払拭しようとして「収容所内では再就労教育、訓練プログ
ラムと実践が行われており、中国はウィグルの文化を保護している」など
と反論した。しかし誰も信用しなかった。

中東諸国は一帯一路の裏に隠された中国の覇権を警戒し始め、「アジア諸
国の失敗」に学び、「借金の罠」に陥落しないようにとの共通の認識を抱
くようになった。

        
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1858回】             
 ――「社稷既に亡んで、帝陵空しく存す」――大町(4)
大町桂月『遊支雜筆』(大阪屋號書店 大正8年)

             △

吉林で孔子廟を訪れた。孔子像を祀る「大成殿は鳩の住居となりて、その
糞、幅十八間、奥行八間ばかりの殿堂の床一面に充滿す。(中略)詣づる
人なく、祭祀全く絶えたる有樣也」。やはり満州でも孔子の教えなど屁の
役にも立たない、ということだろう。

「滿洲の野は廣けれども、支那人開き盡して、山上に及べる也」と大町を
驚かせた漢化の波は、蒙古にまで及んだ。

「南滿洲の野は到る處、開墾せられて、畑となれり。山までも開かれた
り。勤勉なる支那人は、更に鍬を執つて蒙古に進めり。遊牧の地、次
第々々に畑となれり。蒙古人は次第々々に退けり。(中略)踏みとどまれ
る蒙古人は支那化して、衣服も家屋も全く支那風なり」。言葉と言えば
「支那語を用ゐるものもあるが、蒙古語を用ゐるものもあり。滿洲語は既
に亡びたるが、蒙古語はいまだ亡びざる也」。

蒙古には蒙古語がわずかに残るが、すでに満洲には満州語なし。イデオロ
ギーではない、漢族が生まれながらに持つ漢化の力というものだろうか。
漢化、恐るべし。要々注意。
 
たびたび大町を離れるが、ご容赦願いたい。

満洲に満州語がなくなった背景に、北京に都を定め八旗――万里の長城以南
の中国本部に住む圧倒的人口の漢族を軍事制圧するための駐屯軍――と共に
大量の満州族が満州を離れる一方、人口が希薄になった満洲に喰いっぱぐ
れた漢族の大量不法流入が始まった点も挙げておく。八旗を先頭に満州族
自らが漢族の人の海に呑み込まれ、民族文化を失った。

八旗が万里の長城東端を固める関所の山海関を破り南下し北京を押さえて
から80年ほどが過ぎた雍正2(1724)年、雍正帝は「八旗官員等を諭」し
綱紀粛正を厳命した。そこには「清朝創業の始めを思い起こし、歌舞音曲
に現を抜かし、博打やら芝居に興じ遊び呆けることなく、武芸の操練に励
め」とあるが、「清語」の学習も怠るべきではないとの一項も加えられて
いる。清語が満州語を指すことはいうまでもなかろう。

時代が下った嘉慶11(1806)年、嘉慶帝は風紀を乱す八旗高官の処分に関
して、「昨日、召見したが、軍人の本分である乗馬や射撃の稽古を怠り、
滿洲語に至っては全く通じない」と嘆き、新疆ウルムチへの流刑処分の再
考を促している。それというのもウルムチでも漢化が進み、まるで中国本
部の都市のような賑わいを見せ、京劇公演も盛んである。そんな場所に流
刑したところで監視の目は届かず芝居小屋に入り浸るのが関の山であり、
流刑の意味をなさない、ということだ。早くから漢族は新疆にも押し寄せ
ていたのである。

ここでまたまた大町に。

龍泉寺を訪れると境内で奇妙な碑文を目にする。日清戦争に一軍を率い
て参戦した除慶障なる人物が自らの『軍功』を誇って建てたものらしい。

「支那人はよくよく名を好む人種と見えたり。日本人ならば軍に勝ちて功
ありとも、自ら碑を立つるものなし。除慶障の如きは我が本國の軍敗れて
不利の局を結びたるにも拘はらず、たゞ己れだけが進軍せず、從つて敗れ
ざりしことを誇る。その心理作用は到底日本人の解する能はざる所也」。

除慶障は戦場に馳せ参じて勝利したわけではない。ぐずぐずして進発しな
かった。

その間に清国は敗れ、彼らからすれば不利な条件を呑んで和議(馬関条
約)を結ばざるを得なかった。にもかかわらず除慶障は戦場では「敗れざ
りしことを誇」る。やはり「その心理作用は到底日本人の解する能はざる
所」というものだ。

戦わないのだから勝利も敗北もない。「敗れざりしこと」は当たり前だ。
だが、それすらも誇ろうというのだから、やはり彼らに対した時には「そ
の心理作用」を十二分に弁えておくべきを忘れてはいけない。
《QED》
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読者の声 ☆どくしゃのこえ ★READERS‘ OPINIONS
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  ♪
(読者の声1)先週、作家の堺屋太一さんが亡くなりましたが、宮崎さん
とはどのような関係でしたか、またいかなる評価をされておられました
か?(JJセブン)

(宮崎正弘のコメント)留守中の新聞を読んで知りました。たしか昨師走
に『正論45周年』のパーティでお目にかかったのが最後になりました。
そのとき、小生はふたつのことを話合った記憶があります。

第一は信長の安土城の再建とセルビア万博への出品に関して氏がプロ
ジューサーでもありましたから、安土の屏風絵がなぜシナ風だったのか、
それは誰の発案だったのか、という質問で、氏は「信長の発想ではなかっ
たでしょうね」というものでした。

第二はプライベートなことなど雑談のなかに氏が雑誌『財界』に連載して
いるエッセイに触れると、意外な読者に嬉しそうな顔をされたこと。
 氏への評価と言うことであれば、現在の日本の空気にうまく乗ったとい
うことで氏の歴史小説はゴーストが書いたと言われていますが、近未来予
測の連作小説は発想がじつにユニークであり、分析方法も豊かで、参考に
なったものです。
  ♪
(読者の声2)御新刊の『青空の下で読むニーシェ』(勉誠出版)をよう
やく読了したので、一言二言、雑感を。

大学時代ニーチェはもっとも苦手な哲学者で、当時はポストモダンが全
盛、ジャック・デリダとか、ジル・ドゥルーズの著作でもニーチェが取り
上げられていて、ニーチェに挑んだのですが、今ひとつぴんと来ない。
ニーチェの言説は高飛車の物言いが反発を生みやすく、ようやく理解の糸
口になったのが、西尾先生の翻訳されたアンチキリストでした。

御指摘のように三島由紀夫がニーチェを克服したという御論ですが、あの
時代の圧倒的な文明的文化的な圧力に反抗した点で共通しています。ニー
チェは当時のドイツであるいは欧州全体で、キリスト教的な文明に反応で
きない状況があった、その中で呻吟した結果の思考がニーチェであったと
すれば、文明の基軸に批判を浴びせる営為は非情に胆力のいる生き様だっ
た。その文脈でふたりに共通性があると思いました。(RA生、山梨)

  ♪
(読者の声3)貴誌1月7日付けの「読者の声」欄で「PB生氏」が既に
書評されましたが、『奇妙な同盟? 〜ルーズベルト、スターリン、
チャーチルはいかにして第2次大戦に勝ち、冷戦を始めたか』の読後感です。

本書はとくに分割された2巻本で、1941〜1945の4年間に持たれた3巨頭
(ルーズベルト、チャーチル、スターリン)によるサミットを舞台とし、彼
等が演じた実像と史実を綴り、そこで繰り広げられた虚々実々の駆け引き
を微に入り、細を穿って語る一種のドキュメンタリーとして非常に面白い。

第一巻をスキップし(2)を手にした理由は日本にとって最も関係の深
い、「ヤルタ会談」と「ポツダムム会談」が含まれるからであり、当初は
この2つの会談箇所だけでも拾い読みの積もりが結局は最初から最後まで
全部読み通してしまった。
 本巻では日本に関する言及はほんの僅かであるが、その点では不満が残
る。また戦後、戦勝国として国連において中共にとって代えられるまで安
保理の常任理事国だった中華民国の蒋介石についても記述も少ない。

ここからは本書を離れ、東と西の戦争の実態を論じてみる。

東側の戦争は緒戦で真珠湾奇襲に成功した日本が東南アジアでは英仏の軍
事力を消滅させ戦勝したが、重慶まで逃げた蒋介石の中華民国を米が所謂
援蒋ルートにより援助したため決着がつかず、中華民国は日本の敗戦まで
持ちこたえた。

終戦後はチャイナ(中華民国と中共の両者を指す)の内戦により、日本軍か
ら奪った武器を手に、毛沢東の中共が蒋介石の国民党を台湾に追い落とし
た。その後毛沢東の中共はスターリンのソ連と対立し、ソ連との冷戦さな
かのニクソンの米は、敵の敵は味方とばかりに中共への支援を開始する。

米の属国、日本も米の尻馬に乗って対中ODAを3.65兆円も提供した。現
在の中共の軍事力、経済力が米に次ぐ規模まで拡大できた遠因は日米の莫
大な援助にあり、結局、米は「自分の蒔いた種は、自分で刈り取る」事態
に立ち至ったのである。米と中共との間の「第2次冷戦」がそれである。
 
西側の戦争はナチスドイツに対して、英とソ連が物理的に軍事力を総動員
して闘うものであり、米はソ連に対するレンドリースによる莫大な軍事支
援を行い、兵器の消耗を補給していた。例えばソ連に対しては航空機1万
4700機と、日本の零戦の全生産量に匹敵した。それ以外に戦車7千
両、トラック37万台、食料448万トンと支援した。

ソ連はこの米からの支援により、ナストドイツに戦勝し、戦後には東欧諸
国を勢力下に置き、チャーチルの言う「鉄のカーテン」で区切ってNATOと
対峙する、所謂「冷戦」に至る。米からの莫大な軍事援助により実力以上
に力を付けたスターリンのソ連は東欧への領土拡大を図ったのである。

第2次大戦は連合国と枢軸国との「熱戦」としては終了しても、ソ連との
「冷戦」の開始によりその後も継続し、結局1991.12のソ連の崩壊まで続
いたと見るべきである。

ソ連崩壊後27年にして開始された米と中共との間の「第2次冷戦」は、
がっぷり四つに組んだ米中覇権争いであり、結局は中共の崩壊まで続くこ
とであろう。

第2次大戦とは枢軸国と連合国との戦争という枠に留まらず、自由主義諸
国と共産主義国家との戦争であり、最終的には中共が敗戦し、地球上から
共産主義国家が消滅した時、ようやく第2次大戦も終了したと言えるので
あろう。

さて、本書に戻って若干補足しよう。

ポツダムム会談は米からは死んだルーズベルトに代わりトルーマンが出席
し、1945/7/24の会談後、スターリンに囁いた『私たちは今までにない破
壊力を発揮する新兵器を持っています』と。

対してスターリンは格別の興味を示さなかった。これは実はスターリンは
スパイの情報から、米のニューメキシコにおける原爆実験成功の事実を
知っており、この場では素知らぬ振りをしようと決めていたからだという。
原爆はその2週間後の8/6に広島に投下された。

本書には読む面白さを倍加させるようなトリビア(雑学)が盛り込まれている。

「モロトフは英国諜報部に篭絡されてイギリスのスパイとなったが、ス
ター リンの死により救われた」

「共和党の議員ウェンデル・ウィルキーは蒋介石夫人の宋美齢と愛人関係
にあった」
「原爆は最初から日本に使用する目的で開発された」
「チャーチルが旅先のチュニスで肺炎を発症したとき、研究中のペニシリ
ンの実験台になった」(ちゅん)。


(宮崎正弘のコメント)御高文を拝読しながらヤルタとポツダムの会談跡
を見学した時のことを思い出しました。

 ヤルタ会談は黒海を見下ろすリバーディア宮殿で開催され、それを見下
ろすかのような別の宮殿にスターリンは陣取って上から見張っていまし
た。チャーチルはそこから一時間ほどかかる別の宮殿が宿舎としてあてが
われ、付近はワインの名産地。まさに保養地ですね。全体を俯瞰する場所
にスターリンは陣取って、会議をコントロールしたのかという印象です。
小生が宿泊したホテルには、目の前の黒海の海水を引き込んだプールが
あって、泳ぐと塩辛い水でした。

ポツダムは現在観光地となっていて入場料を取られますが、小生が最初に
行ったのは30年ほど前のことで、当時は東ドイツでした。

広い敷地には小川が流れ、宏大な庭園で乗馬もポロも、ゴルフも出来る。
会議場は小さなお城のような建物(ツェツェリンホフ宮殿)で、「嗚呼、
こんなのんびりした場所で、戦後体制の分割案を決めたのか」と、日本人
からみれば悲壮な感慨でした。昨年、再訪してみて、その夥しい観光客、
それも中国人が多いのには驚かされました。