2019年02月13日

◆中性脂肪が気になる人の食事療法

庄司 哲雄( 医師)


<中性脂肪とは>

血液中の中性脂肪(トリグリセリドともいう)には二つの由来があり、食事で摂取した脂肪が小腸から吸収され血液中に現われたものと、肝臓で炭水化物から脂肪に作り変えられて血液中に放出されたものがあります。

いずれも、体の組織でエネルギーとして利用されるのですが、血液中の濃度が極端に(1000mg/dL以上)増えすぎますと、急性膵炎を引き起こすことがありますし、それほどでない場合でも(150mg/dL以上)動脈硬化の原因のひとつになります。

<中性脂肪を下げる食事の第一歩>

食事療法の基本は、摂取エネルギーの適正化です。脂肪の摂りすぎのみならず、炭水化物の過剰も中性脂肪を増やしてしまいますので、全てのトータルを適正にする必要があります。
身体活動度にもよりますが、標準体重1Kgあたり25〜30kcal/日程度が適切です。肥満気味の方は少なめにし、減量を目指します。アルコール多飲や運動不足は中性脂肪の大敵です。

<炭水化物と脂肪のどちらをひかえるか>
各人の食習慣により異なる場合がありえますが、炭水化物1グラムで4kcal、脂肪1グラムで9kcalですから、脂肪摂取を控えることが大変効果的です。

<ジアシルグリセロールとは>

少し難しくなりますが、中性脂肪とはグリセロールという物質に脂肪酸が3つ結合した構造(TAG)をしており、いわゆる「油」です。これに対して、脂肪酸が2つだけ結合した油もあり、これをジアシルグリセロール(DAG)といいます。同じような油であっても、小腸で吸収されてからの代謝が異なるため、中性脂肪の値や体脂肪への影響の程度に差があります。

通常の油TAGは、小腸で膵リパーゼという酸素のはたらきで、脂肪酸が2つはずれ、脂肪酸ひとつだけが結合したモノアシルグリセロール(MAG)に分解されます。それぞれは吸収された後、小腸でまた中性脂肪に再合成され、血液中に放出されます。

一方、DAGは中性脂肪へ再合成されにくいため、食後の中性脂肪の上昇が小さく、また体脂肪の蓄積も少ないといわれています。最近、DAGを利用した機能性食品が開発されています。しかし、DAGの取りすぎもカロリー 過剰につながりますので、通常の油TAGとの置き換え程度にすべきでしょう。

<脂質低下作用のある機能性食品>

動物に含まれるステロールという脂質の代表はコレステロールですが、
植物には植物ステロールという脂質が含まれます。これは小腸でのコレステロール吸収を抑制する働きがあります。

<専門医に相談すべき病気>

中性脂肪の増加する病態には、糖尿病やある種のホルモン異常、稀には先天的な代謝障害もありますので、一度は専門の先生にご相談いただくのも大切だと思います。
<大阪市立大学大学院代謝内分泌病態内科学  >

2019年02月12日

◆「の」に賭けた初入閣

渡部 亮次郎


建国記念「の」日が初めて施行された昭和42(1967)年2月11日。その時園
田直(すなお、故人)は衆院議員当選既に9回なのに未入閣で衆院副議長
のまま。しかも4日後に副議長に再選と言う椿事。

だが佐藤栄作首相は、園田の異能ぶりに感服していた。忘れずにこの年の
11月25日に行った第2次内閣の第1次改造で厚生大臣に抜擢した。園田は53
歳の初入閣だった。

「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて紀元節という祝日で
あった。

紀元節は、『日本書紀』が伝える神武天皇が即位した日に基づき、紀元の
始まりを祝う祝日として、1872年(明治5年)に制定された。

この紀元節は、1948年(昭和23年)(連合国による占領下)に制定された
「祝日に関する法律」附則2項で、「休日ニ關スル件」(昭和2年勅令第25
号)が廃止されたことに伴い、廃止された。

しかし独立を果たす1951(昭和26)年頃になると紀元節復活の動きが見ら
れ、1957年(昭和32年)2月13日には、自由民主党の衆院議員らによる議員
立法として、「建国記念日」制定に関する法案が提出された。

とはいえ、当時野党第1党の日本社会党が、この「建国記念日」の制定を
「戦前回帰、保守反動の最たるもの」と非難・反対したため成立しなかっ
た。

1957年8月2日、神社本庁、生長の家、郷友会、不二歌道会、修養団、新日
本協議会などの右翼団体は紀元節奉祝会(会長:木村篤太郎)を結成して
推進を画策した。

しかし、その後9回、法案提出と廃案を繰り返しただけだった。これに目
を付けたのが1965(昭和40)年12月20日、第45代衆院副議長に選出された
熊本県天草選出の園田直だった。

社会党国対委員長石橋政嗣(まさし=長崎選出}と密かに手を組み、建国記
念「の」日にして「2月11日」を国会ではなく政令で定めるなら反対しない
と言う妥協案を創り上げた。

名称に「の」を挿入して「建国記念の日」とすることで、“建国されたと
いう事象そのものを記念する日”であるとも解釈できるように修正したの
である。1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法
改正案は成立した。

同改正法では、「建国記念の日 政令で定める日 建国をしのび、国を愛
する心を養う」と定め、同附則3項は「内閣総理大臣は、改正後の第2条に
規定する建国記念の日となる日を定める政令の制定の立案をしようとする
ときは、建国記念日審議会に諮問し、その答申を尊重してしなければなら
ない」と定めた。

建国記念日審議会は、「粋人」菅原通済を会長に学識経験者等からなり、
総理府に設置された。約半年の審議を経て、委員9人中7人の賛成により、
「建国記念の日」の日付を「2月11日」とする答申が同年12月9日に提出さ
れた。

同日、「建国記念の日は、2月11日とする。」とした「建国記念の日とな
る日を定める政令」(昭和41年政令第376号)を公布、即日施行した。当
に「の」が自民、社会両党の妥協を成立させた。

また佐藤内閣にとっては実兄の岸信介内閣以来、歴代内閣の成しえなかっ
た事実上の紀元節復活を成し遂げたのであった。この「の」という奇策へ
の「回答」が園田の初入閣だったのである。

私はこうした経緯を当時NHK政治記者としてつぶさに取材。園田の頭の良
さにつくづく惚れた。彼が特攻隊生き残りである事も知って尊敬した。そ
うした事が後に私を外務大臣園田直の秘書官にした理由である。

(文中敬称略)2008・2・10

◆夥しい労働者に賃金が支払われず

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月8日(金曜日)弐 通巻第5987号  

 夥しい労働者に賃金が支払われず、座り込み抗議行動が多発
  ビル労働者「家族の医療費も払えず、ビルから飛び降りてやる」

どうやら予測通りである。

春節(旧正月)に中国の鉄道、飛行機、長距離バス、そしてハイウェイは
未曾有の人混みで大混乱に陥ったが、例年より早い休暇入り。そして
「ゆっくり休養を取れ、連絡するまで上京しなくてもよい」と言われ、給
与不払い、当座の旅費だけ支給された。

春節があけて、かれらが職場にもどると、工場は閉鎖されているだろう。
中国ではよくある手口だ(日本に観光にきている中国人はよほど恵まれた
階層である)。昨年の企業倒産は500万社とも言う。

ビルの建設現場。3ヶ月給与不払いというケースが多く、労働者は作業を
やめている。工期はベタ遅れ、クレーンは停まり、作業場では残った労働
者のシット・インが続く。

トラックの運転手はウーバーにも職を脅かされ、本社前をトラックがぐる
ぐる廻っての抗議活動。配送の下請けは賃金を受け取るまで「配達はしな
い」と抗議の声を挙げている。

製造工場ではラインが停まり、座り込み抗議。おおよそ給与不払いが原因
であり、経営者は雲隠れ、ビルの屋上から飛び降りてやると抗議する労働
者も現れた。悲痛な叫びは、「もう食事代もない」。「故郷の妻子の医療
費がはらえない」。

こうした風景が中国全土、あちらこちらで見られる。旧正月のお祝いどこ
ろではない。解雇された従業員は鴻海精密工業の10万人が象徴するよう
に、潜在失業者を含めると、おそらく数千万人単位ではないか。
        
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1855回】           
――「社稷既に亡んで、帝陵空しく存す」――大町(1)
大町桂月『遊支雜筆』(大阪屋號書店 大正8年)

    ▽
高知生まれの大町桂月(明治2=1869年〜大正14=1925年)は、明治13年
に上京し杉浦重剛の称好塾に学んだ後、東京帝大国文科へ。
「明治會叢誌」「帝國文學」などに拠って評論・美文・新体詩などを発表
し、大学派・赤門派の重鎮として活動。明治33年に博文館に招かれ『太
陽』『文藝倶樂部』『中學世界』などに文芸時評・評論・評伝・紀行文な
どを発表する。文章を修行することで人間の錬磨を主張し、明治・大正期
の知識青年に大きな影響を与えた。

「序」で「朝鮮は今や皇國也。南滿洲の地は、近く日清戰爭に、日露戰爭
に、我が同胞の鮮血を流したる處にして、現に我が同胞の活躍せる處也」
と記す。「今や皇國」となった朝鮮、「我が同胞の鮮血を流したる處にし
て、現に我が同胞の活躍せる」ところの南満洲を、大町は「四箇月の日
子」を掛けて歩いた。

南満洲の旅は「初は大連を根據地として、後は奉天を根據地として、南は
旅順、北は哈爾濱、東は吉林、西は鄭家屯の間を跋渉すること幾んど二箇
月」。それは「大正七年將に暮れむとす」る頃であった。

満洲に火山はないが温泉はある。「温泉宿は日本人が創めたる也。滿洲人
の在る處に風呂なし。日本人の在る處には、必ず風呂あり。風呂より温泉
の方が遥かに氣持よし」。そこで「(満鉄)本線の熊岳城、湯崗子、安奉
線の五龍背」の「3温泉は滿洲にある日本人に取りての極樂浄土」という
ことになる。

3温泉の1つである五龍背に宿を取る。「ペチカは室を煖め、靂泉は身を
煖む。冬枯の滿洲に陽春の心地して、余はこゝに四宿しぬ。而して新年を
迎へぬ」。

明くる大正8年は西暦で1919年・・・ということは、今からちょうど100年
前に当たる。

その後の日本の針路に大きな影響を与えることになる国際的な出来事とし
ては、パリの講和会議(1月)、朝鮮における三・一独立運動(3月)、反
伝統を掲げる一方で近代中国における最初の本格的反日運動となった五・
四運動(5月)、ヴェルサイユ講和条約締結(6月)、シベリア撤兵開始
(9月)――日本も国際政治の主要プレーヤーとして歩みだす。

「大連より北四百三十五哩八分、長春に至りて、滿鐵の線路盡く。而して
東清鐵道始まる。長春は南滿洲の裏門にして、兼ねて北滿洲の表門也」。
その長春の八千代館で昼食。やがて日本人芸者が「一人あらはれ、二人あ
らはれ、三人あらはれ、遂に四人となる。最も年老いたる藝者、聲美にし
て追分を歌ふに、滿洲の野に在る心地せざりき」。まあ、それはそれは天
下泰平でゴザリマスなァ。

 長春の街を馬車で散策する。「支那人の乞兒のとぼとぼ歩くを見て」、
案内役の某氏は「あれはまだ死なず」と。続けて、「乞兒は長春の名物
也。北滿洲にある支那の乞兒、鐵道にて追還されて、長春に來り、長春に
ても追はるれど、動かず。長春は乞兒の溜場所となりて、凍死する者の
年々數百人の多きに達する也」と。

「長春より哈爾濱まで、二百二十五哩」をロシアの東清鉄道に揺られる。
 途中の某駅を過ぎた頃、南への追放を免れたと思われる「支那人の乞
兒來る。兩足なし。兩手に木枕の如き木片を持ちて、兩手と兩膝にて歩
く。年は四十ばかりに見ゆるが、頭をさぐるでもなく、語を發せず、にこ
にこと樂觀的の顔付きを爲す。食ひ殘したるもの一切を與ふれば、受けて
默つて立ち去れり」。汽車が某駅に着くと、「その乞兒の汽車を下りてブ
ラットホームを這ひゆくを見たりき」。

 どうやら大町の満洲は、日本式の温泉と「年は四十ばかりに見ゆる」
ところの「にこにこと樂觀的の顔付きを爲」した乞食との出会いから始
まったということなのか。



◆脆くも崩れ去りかねない日露外交

櫻井よしこ


 脆くも崩れ去りかねない日露外交 河井発言は軽率のそしりを免れない」

この一言で元々脆い日露交渉が積木崩しのようになっていくかもしれな
い。そう感じたのが自民党総裁外交特別補佐、河井克行氏の発言だ。

氏は1月8日、米ワシントンの政策研究機関で「中国に対抗するため」日露
平和条約が必要で、同条約締結に米国の理解を求める旨、語ったという。

安倍晋三首相は、米国の対中包囲とでもいうべき厳しい外交の前で、日中
関係の改善を目指している。従って安倍氏の外交戦略目標が河井氏の言う
中国封じ込めにあるかどうかはわからない。仮にそうだとしても、戦略と
は黙って遂行するのが常道だろう。世界の政治の中心地で、安倍氏の特別
補佐が講演すれば、発言は首相の考えを示すものとして瞬時に世界を駆け
巡る。ロシアと中国の怒りは如何程か。河井発言は軽率のそしりを免れない。

まず、ロシア外務省のザハロワ情報局長がロシア国営テレビの番組で、
「対露交渉で日本はなぜ米国の支持を求めるのか、理解できない」と反
発。14日には日露外相会談後の単独記者会見で、ラブロフ外相がこう語った。

「今日何が起きたか、語っておく必要があると思い(記者会見を開い
た)」、平和条約締結に関して両国の立場は「正反対」だ、「南クリール
諸島の主権は第二次世界大戦の結果としてロシアにあることを日本が全面
的に認めることが前提だ」。

ラブロフ氏は従来の厳しい主張を繰り返しただけでなく、「(北方領土を
含む)クリール諸島の主権問題は議論の対象ではない。これはロシアの領
土だ」とまで言い出した。領土交渉には応じないという意味だ。氏はこの
点を河野太郎外相に言い渡したという。

「北方領土」の表現も受け入れないとの発言が、このあとに続いた。

1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉するという安倍・プーチン合意が生
きているのなら、平和条約と北方領土問題は切り離せない。にも拘わら
ず、島の主権問題は話し合いの議題から除くというのでは交渉は行き詰ま
りではないか。日本側はロシアに好き放題言われてしまっている。

ラブロフ氏はその後、現在進行中の経済協力は「全くロシアの心に響かな
い(very unimpressive)」、日本はもっと投資できる
はずだとし、さらに深刻なことを要求した。

「国連でのロシア提案に関する日本の投票行動は日露両首脳が達成を望む
信頼関係を、全く反映していない」

北朝鮮への制裁をはじめ、ロシアや中国と日本が立場を同じくするのは難
しい。日本の外交基軸は価値観を同じくする米国との協調にある。それを
念頭に国連で日本はもっとロシア寄りになれとラブロフ氏は要求している
のだ。

河井氏は日本の戦略としての中露分断を語ったが、ロシアはそのような日
本への怒りの表現として日米分断を声高く主張していると見てよいだろう。

ラブロフ氏は間違いも堂々と語る。

「1956年の日ソ共同宣言が署名されたとき、日米安全保障条約は存在しな
かった。条約が60年に署名されると、日本は日ソ共同宣言から距離を置き
始めた」

「(日米同盟が中露に)安保上のリスクを投げかけている」とも非難した。

滅茶苦茶だ。米軍の占領が終わりに近づいた1951年、日本はサンフランシ
スコ講和条約に調印し、52年に発効した。独立したが非武装国の日本に、
米軍駐留の継続を定めた安保条約が、そのとき同時に成立した。60年は安
保改定の年にすぎない。

ロシアの間違いや不条理な主張を百も承知で安倍首相はウラジーミル・
プーチン大統領と会談を重ねてきたはずだ。その内容については知るべく
もないが、安倍首相が何らかの前向きな反応をプーチン氏から得ていると
仮定しても、河井発言で交渉はさらに難しくなると懸念するものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1266

◆健康百話  風邪と肺炎にご注意!!

柴谷涼子(感染管理認定看護師 )


風邪やインフルエンザが流行し始めました。特にこの時期、朝晩の気温の変化が激しいことに加えて、空気が非常に乾燥するため、風邪の原因になるウイルスの活動も活発になり、風邪をひきやすくなります。

●事前の予防
 外出から帰った後の「うがいと手洗い」が基本です。また、お天気の良い日には、日光浴や散歩など適度な運動をするよう心がけ、入浴により身体を清潔にしておくことも大切です。

●高齢者にとり肺炎は危険な病気
 肺炎はお薬の進歩によって、かなり治療ができるようになりましたが、高齢者にとってはまだまだ怖い病気です。とくに糖尿病や心臓、呼吸器系に慢性的な病気を抱えている方、腎不全や肝機能障害のある方も罹患しやすく、病状も重くなる可能性があります。厚生労働省が報告している人口動態統計でも肺炎による死亡率はここ数年上昇してきています。

肺炎は細菌やウイルスなどいろいろな原因で起こりますが、肺炎を起こす原因となる細菌に「肺炎球菌」があります。

●肺炎球菌による肺炎を予防
 「肺炎球菌」は、健康な人でも鼻腔などに常在する菌です。しかし加齢などにより免疫力が低下すると、病気を引き起こしやすくなります。日本では、ペニシリンという抗生物質が効きにくい肺炎球菌の割合が増加しています。抗生物質の効きにくい肺炎球菌による肺炎に罹患すると、治療に難渋する場合があります。

 そこで、「肺炎球菌」によって起こる肺炎を予防するワクチンが、肺炎球菌ワクチンです。ただし、肺炎球菌ワクチンを接種してもこれ以外の原因で起こる肺炎は残念ながら予防することはできません。
 
ワクチンを接種して得られる免疫は約5年以上持続するといわれています。

次のような方に「肺炎球菌ワクチン接種」をおすすめします。
・65歳以上の高齢者 
・心臓や呼吸器系に慢性疾患のある方 
・糖尿病の方 
・腎不全や肝機能障害のある方

肺炎球菌ワクチンの接種については、最寄りの病院やかかりつけの医師にご相談下さい。
肺炎球菌ワクチンのみでなく、インフルエンザワクチンをまだ接種がしていない方は、是非接種してください。
(再掲)

             大阪厚生年金病院 看護部看護ケア推進室

2019年02月11日

◆韓国に分かる形で怒り示そう

阿比留 瑠比


2016年6月、ソウルで元韓国外務省東北アジア局長、趙世暎(チョ・セヨ
ン)氏に慰安婦問題や元徴用工をめぐる訴訟問題についてインタビューし
た。趙氏は1965年の日韓請求権協定に関し、こう明言していた。

「2005年に韓国政府は、反人道的問題である慰安婦問題、サハリン残留韓
国人問題、韓国人原爆被害者問題の3つは請求権協定の対象に入っていな
いという解釈を発表した。裏を返すと、徴用工問題は入っているというこ
とだ」

請求権協定をめぐる日韓交渉では、韓国側が「個人への支払いは韓国政府
の手でする」と主張した。そして実際、韓国は1975年に元徴用工への補償
を実施し、2008年から追加補償も行っている。

慰安婦問題などに関しては日本政府の見解と相いれないが、徴用工問題は
すでに決着済みだと韓国も自覚していたのである。

それが簡単に韓国最高裁に覆されたのだから、たまったものではない。31
日の自民党の外交部会などの合同会議では、出席議員の言葉もとがっていた。

「韓国は国家としての体をなしていないんじゃないか」(中曽根弘文元外相)

「もう怒りを通り越してあきれるというか、韓国のセンスのなさを言うし
かない」(新藤義孝元総務相)

ソウルの在韓日本大使館前に設置されたウィーン条約違反の慰安婦像を放
置していることも含め、韓国が国際条約もルールも守れない非法治国家で
あると自己宣伝するのは勝手である。

だが、韓国は中国に対してはこんな暴挙は仕掛けはしない。何をやっても
反撃してこないと、日本を甘く見ているのだろう。

 「非常に残念だ」

岩屋毅防衛相は10月20日、韓国の鄭景斗(チョン・ギョンドゥ)国防相と
会談した際に、韓国での国際観艦式で、海上自衛隊の自衛艦旗(旭日旗)
の掲揚自粛を求められ、参加を見送った問題で日本人らしく抑えた物言い
だが、これでは意味がない。麗澤大の西岡力客員教授は、月刊『正論』3
月号でこう訴えている。

「日本人は100のことを言いたい場合は50のことを言う。相手が50のこと
を話したら『本当は100、言いたいのだな』と忖度(そんたく)するわけ
です。でも、韓国人は逆なのです。韓国人は、100のことを伝えたいとき
に200を言います。相手が200を言ったらそれを100と受け止める」

難儀な話だが、韓国に対してはそれ相応の対応を取るしかない。徳島文理
大の八幡和郎教授は10月30日、自身のフェイスブックに「日本は何もしな
いと思われるから韓国は無茶をする」と書き、次の5つの報復措置を提案
していた。

(1)日本人が(朝鮮)半島に残した個人財産への補償を要求(2)対北
朝鮮経済協力の拒否(統一時も含む)(3)3代目以降に特別永住者の地
位を認めない事(4)歴史教科書における(近隣国への配慮を定めた)近
隣国条項を韓国に限って撤回(5)韓国大衆文化の流入制限−。

八幡氏は筆者に「これらは日本が単独でできる」と指摘し、こう付け加えた。

「日本はここまでやれると見せないと、韓国とは話し合いにならない。紳
士的に対応していたら、韓国政府も(感情に流されがちな)国民を説得で
きない」

 韓国側にも理解できる形で、日本の怒りを示すべきだろう。(論説委員
兼政治部編集委員)
産経ニュース【阿比留瑠比の極言御免】

◆中国発「大不況」に備えは

宮崎 正弘


平成31年(2019年)1月25日(金曜日)弐 通巻第5968号    

中国発「大不況」に備えは出来ていますか?

  発端はアップルのスマホ売り上げ急減、株の大下落からだった

凄まじい勢いで日本の景気が悪化している。米国も悪化の兆しがでた。
 元凶は中国だが、この中国の経済構造にビルトインされたシステムの下
で成長してきたアジア諸国が軒並み不況ムードに蔽われた。日本経済も例
外ではない。

「アップル・ショック」というのは2019年1月4日、ティム・クック
CEOが「中国でのスマホの売り上げが10%落ち込んだ」と発表したこと
を受けて、同社株価は9・22%の大下落、半年で35%強も下げた。

このためアップルばかりかスマホ関連企業が悲鳴を挙げた。とくに香港株
式は10%の下落となり、日本でも部品、ICなどを供給している多くの
メーカーの株価が5−8%も下がった。目立った下げが日本電産、京セ
ラ、村田製作所などだったことは投資家ならずとも周知の事実だろう。
鵬海精密工業は河南省鄭州の工場で5万人をレイオフし、代替工場をイン
ドに移転して稼働すると発表したため、同社従業員が騒ぎ出した。
 
景気後退というより、状況はもっと悪い。

中国の就職戦線。ハイテク技能を持つ理工系ですら、応募倍率が32倍と
いう難関になり、これまで会社を移るたびに給与を増やしてきた「トラ
バーユ・ジャンプ組」も「向こう10年はいまの会社にしがみつく」と言
う。リクルート代理店、人材スカウト会社も閑古鳥である。

或るコンピュータ企業は2018年8月まで毎月、技能者を8人平均で雇用
し、輝かしい未来を約束されたかに見えたが、12月に突然半分の社員が解
雇された。

華字紙が大きく報じた事例はベンチャーの「マインドレィ社」(本社深せ
ん、従業員7千人、NY上場の優良企業)の新卒内定者取り消しという
ショックだった

マインドレィ社は急成長を続けてきたため、2017年には430人の新規採用
があった。18年には中国全土50の大学から成績優秀の理工系学生485人を
採用した。ところが昨師走になって、このうちの254人を内定契約破棄、
補償金として約束した給与の3分の1を支払うとした。
若者たちの未来は真っ暗、この先、どうなるのか?

夥しい不況の実例が『サウスチャイナ・モーイングポスト』(1月24日)
で報じられている。

ベンチャーキャピタルは2018年の年初と比較して第3・四半期には25%の
激減ぶり、たとえばバイクレンタルのベンチャー・ビジネスは50都市で
派手な営業を展開したが、倒産が目立ち、1400万人のユーザーが補償金を
返せと訴えている。

とりわけ厳しい環境に転落したのはアリババ、バイドゥ(百度)と並ぶ御
三家のテンセントに代表されるゲームソフトのベンチャーだった。

カジノ・ゲーム開発ベンチャーなど30%の落ち込みとなった。いよいよ中
国経済の破綻は秒読み、備えはできていますか?
      


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BOOKREVIEW 書評BOOKREVIE 
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 監視システムは顔認証で6万人のスタジアムから指名手配犯を見つけ出した

SNSの監視によって潜在的な反党人物を割り出して家族に圧力をかける

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坂東忠信『移民戦争』(青林堂)
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元警視庁通訳捜査官の坂東さんの新作である。明日にも発生しそうな大量
難民だが、我が国政府は『移民を増やす』と頓珍漢極まりない危険は方針
で暴走を始めた。

欧州でいまおきていることを対岸の火事として高みの見物、明日は我が身
という警戒心は稀薄であり、移民法があっという間に国会で成立したこと
に保守の政治家はほとんど抵抗を示さなかった。

安倍政権をどちらかといえば支持してきた多くの保守層が、見限った瞬間
でもある。したがって今後おこることはナショナリト政党ではないか。ド
イツでフランスで「極右」と左翼ジャーナリズムから批判される愛国者政
党は着実に、いや飛躍的に勢力を伸ばし、イタリアで、オーストリアで政
権の座についた。

全ては移民への反感ばかりか、実際に移民に職を奪われたか、賃金が下
がってしまい、自分の問題として移民問題を真剣に考えれば、ナショナリ
ストが主張していることが正しいという流れになったのである。

坂東さんは、対策提案のユニークさにかけても定評があるが、中国の断末
魔がいずれ百万の難民を発生させると氏は大胆に予測し、しかも多くが
『偽装難民』となるだろうと予言する。

このいやな未来への対策についての坂東氏のアイディアは本書によってい
ただくとして、本書の余滴部分で、大事なポイントが幾つかある。

中国の顔認証技術は、交通警察官のサングラスにも装填されていることか
ら、世界一だろうが、14億人のスキャンリサーチが可能の段階まで発展し
ており、「その確度は99・8%。江西省の南昌市警察の発表では、このシ
ステムにより六万人が参加する音楽フェスティバルで指名手配犯を割り出
し逮捕した」(中略)「貴陽市では顔認証システムによりBBC(英国放送)

◆安倍総理大臣「閣下」と

渡部 亮次郎


昔、映画に「拝啓天皇陛下様」というのがあった。極貧の家庭に育った青
年。徴兵された日本陸軍の衣食住が立派なので除隊になりたくない、と天
皇陛下に「おねがい」の手紙を書くという筋であった。

天皇陛下に対して陳情するのが可笑しいから笑える映画になったのだろう
が、陛下に様を付けるのも可笑しかった。無学を笑う話でもある。実際は
起こりえない話だろう。

ところがちゃんとした教育をうけた大人でも敬称のことを習う機会は無い
のが昨今のようだ。メイルで「安倍総理大臣殿」という公開質問状が来
た。総理大臣の殿とは失礼だとは思わぬご仁らしい。

そこで「大使ですら閣下なのに総理大臣に殿では失礼では無いですか」と
言ってあげたらだいぶ経ってから礼のメイルがあった。ご自分なりに調べ
て納得がいったらしい。

様とか殿以上の人に手紙を書くことの無いまま過ぎると、総理大臣に付け
る敬称など知らぬまま、或いは恥をかいていることを知らぬまま死ぬこと
になる。そういう私は、人生の畑違い、外務省で大臣秘書官をさせられて
あらためて知った。

大臣以上は「閣下」であり、大統領も閣下である。外交官では大使は閣
下、総領事は「殿」を用いる。フリー百科事典『ウィキペディア
(Wikipedia)』で「敬称」について書き込みがあったから引用、紹介する。

閣下(かっか)

身分や地位の高い人を敬って、その名の下に付けていう敬称。 貴族、大
統領や首相、大使などの高位の官職、軍の高官などに用いられ、またはそ
れ自体が独立した呼称として用いられる(例:大統領閣下)。

もともと勅任官(天皇からの被任命者)以上の者に用いた。現在では主に外
交儀礼として大臣や(他国の)将軍などの官名・職名につけられる。ま
た、英国など貴族制度のある国の場合は爵位の下に敬称としてつける。

閣下の敬称をつける際に、相手が博士の学位を有している場合は、官名、
名前の下に博士閣下と呼称することもある。「〜大統領●●博士閣下」


殿(どの)

主に書き言葉で用いられる。「様」などを使う場合のような特別な敬意を
示す必要は無いが、便宜上なんらかの敬称が必要な際に使われる。事務的
な連絡に用いられる敬語である。

公式な場合や組織内の文書のやり取りでは上下の区別なく用いられる。
私的な文書のやり取りでは目上の人には使われない。

役職に続けて用いることがある(例、部長殿)。ただし「○○部長殿」のよ
うに「名前+役職+殿」のように用いるのは役職名も敬称として用いること
から二重敬語とみなされ、使用には注意が必要である。

現在、「殿」は見下している印象を与えかねないため、事務的連絡でも
「様」を用いる動きが見られる。

様(さま)

相手を尊敬する意味で使用される。口頭でも文書でも使われ、どの場面で
も用いることに違和感が少ない敬称である。 ただし中国では「先生」で
ある。

文書では、基本的に「様」と「さま」は区別なく使われる。
「お客様」の意味合いとされる為、病院の患者の名札は「様」代わりに
「殿」を用いることが多い(ただし呼ぶ時は「さん」付け)。


各位(かくい)

複数の人に対する敬称。 相手が複数である場合に、相手の後ろに付けて
用いる(例、広報担当者各位、報道関係者各位)。 対象者を省略し単に
「各位」として使う場合も多い。

「各位殿」という表現は、二重敬語にあたるため間違いである。

氏(し)

肩書きを別にして紹介する時に使用し、一般に会話ではあまり使われず、
文書または報告や報道といった感情を伴わない場面で使う。また、古風に
は「うじ」とも読む(用法は同一)が、同様に一般には殆ど使われない。

御中(おんちゅう)

文書の宛先などで、相手が企業や官公庁、学校などの団体などの場合に用いる

貴下(きか)

同輩以下の者(主に男性)へ対する敬称。通常は文語体の書面上(手紙など)
で用いる

医師への手紙では「先生」の後に「御侍史(おんじし)」や「御机下(お
んきか)」をつけ「○○先生御侍史(御机下)」とすることが多い。

関取(せきとり)

大相撲で十両以上に位置する力士の敬称。「○○(四股名)関」としても使
用される。これに対し、幕下以下は「取的」とされ、さん付けで呼ばれる。


陛下(へいか)

天皇、皇帝、国王の敬称。君主、皇后に対して呼びかける語。またはそれ
自体が独立した呼称として用いられる(例:皇帝陛下)。

尊敬の対象を直接呼び掛けることを忌むことで敬意を示す敬称であり、
「玉座、高御座(たかみくら)の陛(階段)の下においでのお取り次ぎの
方にまで申し上げます」程度の意味。

日本では天皇、三宮(皇后、中宮など)、皇后、皇太后、太皇太后の敬
称。使用の規定は皇室典範にある。日本以外の王室の相当する地位にある
者への敬称としても用いられ、この場合は英語のYour/His/Her Majestyと
ほぼ互換。

殿下(でんか)

皇太子以下皇族の敬称。 王族、皇族の男性に用いられる。



◆平原遺跡巡り 福岡県糸島市

石田 岳彦


私の故郷である福岡市の周辺では、「桧原(ひばる)」、「屋形原(やかたばる)」、「前原(まえばる)」と、「原」を「はら」ではなく、「ばる」と呼ぶ地名が散在しており、上記の「平原」も「ひらはら」ではなく、「ひらばる」と読みます。

本日は福岡県糸島(いとしま)市にある平原遺跡について述べさせていただきます。

魏志倭人伝には邪馬台国を初め、多くの国名が記載されていますが、伊都(いと)国もその中の1つです。

現在の福岡市西区から糸島市にかけては、もともとは糸島郡であった地域ですが(平成の大合併で、前原市と志摩町、二丈町がまとまって糸島市が誕生し、糸島郡は最終的に消滅しました。)、この糸島郡自体、明治時代に怡土(いと)郡と志摩(しま)郡が合併して成立しました。

この怡土が伊都と通じること、佐賀県の旧松浦郡(現在の伊万里から唐津あたりにかけての地域)にあったとされる末廬国(まつら)国の南東に伊都国があったとの魏志倭人伝の記載から、伊都国は旧糸島郡にあったとされているそうです。

平原遺跡はこの伊都国の女王の墓とされています。 平原遺跡は糸島市の平原地区(遺跡の大半は発見された場所の地名で呼ばれます)にあり、周辺はのどかな農村地帯です。

そもそもこの遺跡が発見されたのも、昭和40年に地元の農家が蜜柑の木を植えようとして、銅鏡の欠片を発見したことがきっかけでした。

報告を受けた福岡県は、郷土史家の原田大六(大正6年の生まれということで、こう名付けられたそうです。)に発掘の指揮を依頼しました。

この原田大六は、糸島中学校(今の福岡県立糸島高校)を出たものの、大学では学ばず(歴史しか勉強しようとしなかったので、進学が無理だったとか)、太平洋戦争から復員した後、公職追放にあったのを契機に(軍隊において憲兵隊に入っていたのが祟ったといわれています)、中山平次郎博士に弟子入りし、博士から9年以上にわたり、1日6時間以上のマンツーマン指導を受け、考古学者になったという歴史小説の主人公にもなれそうなユニークな経歴と個性の持ち主です。


ちなみに中山博士は、九州大学医学部の教授でありながら、寧ろ考古学者としての業績が有名という(九州考古学会の設立者だそうです)、これまた変わった経歴の持ち主で、この師匠にして、この弟子ありというところでしょうか。

この原田大六が、途中からは自費で発掘を継続し、遺跡からは墳墓の副葬品と見られる多くの出土品が発掘されました。

発掘品の中でも特に目立つのは39面又は40面(何分、破片で見つかったので、枚数について争いがあるようです。)発見された銅鏡で、うち4枚は直径46.5cmと、日本で発見された銅鏡として最大のものです。

他方で、剣等の武器はほとんど見つかっておらず、被葬者が女性であったことをうかがわせます。 副葬品の内容と豪華さから見て、時代は弥生時代。被葬者は王クラスの女性、つまり女王。遺跡(墳墓)のあった場所は伊都国があったとされるエリアということで、現在では、上記のように伊都国の女王の墓と推定されています。

弥生時代の女王といえば、邪馬台国の卑弥呼が有名ですが(実際には「日巫女」という太陽神を祀る神官女王の役職名だったのではないかとの説もあるそうですが)、それ以外にも女王がいたのですね。

ちなみに原田大六は玉依姫(たまよりひめ。神武天皇の母親とされる神話上の女神です。)の墓と主張していました。

平原遺跡の女王の墓は四角形(現在では少なからず形が崩れていますが)で、写真を見ればお分かりのように、その周囲には溝が掘られています。学問的には方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれるタイプの墓だそうで、上記の発掘品も近年になって「福岡県平原方形周溝墓出土品」という名称で一括して国宝に指定されています。

現在の平原遺跡は、墳墓の周りが低い柵で囲まれ、その周囲は横長のレリーフが建っているのを除けば何もない広場になっており、少し離れたところに古民家(遺跡とは全く関係ありませんが、保存のため移築されたようです)が1軒ぽつんという、よく言えば開放的、率直にいえばスペースが広々と余った歴史公園となっています。
個人的にはこういう長閑な雰囲気は好きですが。

平原遺跡から車で10分ほど走ると農村風景の中に4階建の立派な建物がそびえているのが見えてきます。伊都国歴史博物館です。もともとは伊都歴史資料館といったようですが、平成16年に新館が建てられて博物館に昇格したとのこと。

「福岡県平原方形周溝墓出土品」の一部は九州国立博物館の平常展示室で公開されましたが、大半の発掘品はこちらの新館に保管・展示されています。館内撮影禁止のために写真はありませんが、鈍く緑色に輝く大型の銅鏡がケースの中にずらっと並ぶ姿はさすがに壮観です。
 
展示ケースの前に、立てられた状態の銅鏡が1枚、機械仕掛けでゆっくりと回転しながら展示されていましたが、見学者が私と妻の他におらず(施設と所蔵品の豪華さを考えれば、もったいない限りです。)、静けさの中で、微妙なモーター音をあげながら回転する銅鏡の姿は率直にいって不気味でした。

この博物館の前身たる伊都歴史資料館の初代館長には、上でも述べた原田大六が予定されていたそうですが、大六が開館を待たずに死去したため、名誉館長の称号が追贈され、資料館の前に銅像が立てられました(銅像は現在も立っていますが、新館の入り口からだと目立たない場所になっています)。

自分の主導で遺跡を発掘し、国宝級の副葬品を発見して、それを納めた郷里の資料館の前に銅像を建ててもらう。郷土史家としては頂点を極めたという感じですね。大学の考古学の教授でもここまでの成功を得られる人は滅多にいないでしょう。
 
福岡市やその近郊にお住まいの方は休日にでもドライブがてらにでも、平原古墳と伊都国歴史博物館を訪れてみてください。晴れた日には本当に気持ちの良い場所ですので。  <弁護士  再掲>

2019年02月10日

◆脆くも崩れ去りかねない日露外交

櫻井よしこ


「脆くも崩れ去りかねない日露外交 河井発言は軽率のそしりを免れ
ない」

この一言で元々脆い日露交渉が積木崩しのようになっていくかもしれな
い。そう感じたのが自民党総裁外交特別補佐、河井克行氏の発言だ。

氏は1月8日、米ワシントンの政策研究機関で「中国に対抗するため」日露
平和条約が必要で、同条約締結に米国の理解を求める旨、語ったという。

安倍晋三首相は、米国の対中包囲とでもいうべき厳しい外交の前で、日中
関係の改善を目指している。従って安倍氏の外交戦略目標が河井氏の言う
中国封じ込めにあるかどうかはわからない。

仮にそうだとしても、戦略とは黙って遂行するのが常道だろう。世界の政
治の中心地で、安倍氏の特別補佐が講演すれば、発言は首相の考えを示す
ものとして瞬時に世界を駆け巡る。ロシアと中国の怒りは如何程か。河井
発言は軽率のそしりを免れない。

まず、ロシア外務省のザハロワ情報局長がロシア国営テレビの番組で、
「対露交渉で日本はなぜ米国の支持を求めるのか、理解できない」と反
発。14日には日露外相会談後の単独記者会見で、ラブロフ外相がこう語った。

「今日何が起きたか、語っておく必要があると思い(記者会見を開い
た)」、平和条約締結に関して両国の立場は「正反対」だ、「南クリール
諸島の主権は第二次世界大戦の結果としてロシアにあることを日本が全面
的に認めることが前提だ」。

ラブロフ氏は従来の厳しい主張を繰り返しただけでなく、「(北方領土を
含む)クリール諸島の主権問題は議論の対象ではない。これはロシアの領
土だ」とまで言い出した。領土交渉には応じないという意味だ。氏はこの
点を河野太郎外相に言い渡したという。

「北方領土」の表現も受け入れないとの発言が、このあとに続いた。

1956年の日ソ共同宣言に基づいて交渉するという安倍・プーチン合意が生
きているのなら、平和条約と北方領土問題は切り離せない。にも拘わら
ず、島の主権問題は話し合いの議題から除くというのでは交渉は行き詰ま
りではないか。日本側はロシアに好き放題言われてしまっている。

ラブロフ氏はその後、現在進行中の経済協力は「全くロシアの心に響かな
い(very unimpressive)」、日本はもっと投資できる
はずだとし、さらに深刻なことを要求した。

「国連でのロシア提案に関する日本の投票行動は日露両首脳が達成を望む
信頼関係を、全く反映していない」

北朝鮮への制裁をはじめ、ロシアや中国と日本が立場を同じくするのは難
しい。日本の外交基軸は価値観を同じくする米国との協調にある。それを
念頭に国連で日本はもっとロシア寄りになれとラブロフ氏は要求している
のだ。

河井氏は日本の戦略としての中露分断を語ったが、ロシアはそのような日
本への怒りの表現として日米分断を声高く主張していると見てよいだろう。

ラブロフ氏は間違いも堂々と語る。

「1956年の日ソ共同宣言が署名されたとき、日米安全保障条約は存在しな
かった。条約が60年に署名されると、日本は日ソ共同宣言から距離を置き
始めた」

「(日米同盟が中露に)安保上のリスクを投げかけている」とも非難した。

滅茶苦茶だ。米軍の占領が終わりに近づいた1951年、日本はサンフランシ
スコ講和条約に調印し、52年に発効した。独立したが非武装国の日本に、
米軍駐留の継続を定めた安保条約が、そのとき同時に成立した。60年は安
保改定の年にすぎない。

ロシアの間違いや不条理な主張を百も承知で安倍首相はウラジーミル・
プーチン大統領と会談を重ねてきたはずだ。その内容については知るべく
もないが、安倍首相が何らかの前向きな反応をプーチン氏から得ていると
仮定しても、河井発言で交渉はさらに難しくなると懸念するものだ。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月9日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1266