2019年02月07日

◆心筋梗塞は予知できる

石岡 荘十


まず、死因について。

私の父親も死因は「心不全」とされていたが、長い間、この死亡診断書に何の疑問も感じなかった。しかし、よく考えてみれば「心不全」というのは単に「心臓が動かなくなった」という意味であるから、病気の「結果」そのものであり、死のトリガー、「原因」ではない。

<最初は背中が痛いと言われたと報じられていた。亡くなった後では容易に心筋梗塞だったとは解らないのではないか。誰でも経験して学習し教訓に出来る病ではないので、発症した場合の対処は困難だろう>、これこそが「死因」となった心筋梗塞を疑わせる症状だ。

私も大動脈弁がうまく開閉しなくなり、10数年前人工の弁に置き換える手術を受けているが、そこに至る症状として<背中が痛い>を何年にもわたって、何度も経験している。

心臓の血流が途絶えると、背中が重苦しくなる。痛いと感じる人もいる。この苦しさは、血流が滞った程度(狭心症)の場合は、15分程度で回復する。不整脈のひとつ心房細動の時もそうだ。

私が何度も経験したが、それ以上自覚症状が長く、30分とか続くのは血管(冠動脈)が完全に詰まっている(心筋梗塞)だと考えた方がいい。ほっておけば死に至る。

胸が痛くなるという症状だと、「心臓がおかしいのではないか」と分かりやすいが、心筋梗塞になると左の奥歯がうずいたり痛くなったり、肩が凝ったりすることもある。歯医者や整形外科に駆け込む人もいるが、これは心筋梗塞の症状のひとつなのである。

歯医者で鎮痛剤をもらって「一丁上がり」となるが、じつは心筋梗塞の症状だ。こういうのを「放散痛」という。

不幸にして、こんな知識がなく死んでしまった後、患者を解剖すると死因が心筋梗塞であったことは明らかになる。

<発症した場合の対処は困難だろう>といっておられるが、心臓疾患の9割は、対処の仕方を誤らなければ、決して「死に至る病」ではないのである。

本誌常連の前田正晶さんが書いておられる記事が見事にそのポイントを突いている。
その要点をまとめると、

<失神するほどの、激痛と胸部に圧迫感があった。自分で119番に電話して症状を説明していた>

<放っておけば治るとかとは思ったが、何故かこれは「一過性の痛みではない」と判断した>

<救急患者を受付けてくれる大病院が多いこと、救急車が搬送してくれた先が国立国際医療センターだったこと、最も偉い先生が日曜日の当直だった>

<心筋梗塞に対応する準備が整っていたのだった。処置も素早かった>

<その判断が正しかったと後で解るのだが、私の場合は幸運の連続だった>

つまり、前田さまのケースは<幸運が重なった>結果であり、誰でもがこううまくいくわけではない。

年間の死者5千人を切る交通事故死にあの大騒ぎで安全運動を展開している。なのに、心臓疾患で年間15万人以上が死ぬ。なぜか。前田さんのような幸運の女神の恩寵に浴する人はそんなに多くない、それだけ啓蒙が行きわたっていないということだ。

<時間との争いであるなどとは知る由もないだろう。知識は皆無だった>とおっしゃるが、そんな人に幸運が訪れることは滅多にない。

この歳になったら、天下国家の危機を憂うる高邁な論議をする前に、わが身の危機管理に少しのエネルギーを注ぐべきだというのが私からのアドバイスだ。心臓病は<誰でも経験して学習し教訓に出来る病>なのである。

2019年02月06日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第19章

“シーチン”修一 2.0


人手不足と言うが、活きのいいのがゴロゴロしているんじゃないか。若く
て血気盛んで、暇を持て余して渋谷あたりで暴れたり、あるいはアイドル
を追っかけたり、引きこもって二六時中PCやスマホで遊んでいる人たち。
無職とか高校生、大学生とか。

今どきの大学生は部活、サークル、飲み会、バイト、趣味、恋愛、チャッ
トなどなど、学問以外は熱心である。4年間でまともに読んだのはハリポ
タやタレント本だけ、なんていう学生もいる。試験勉強をしても、多分こ
れはゲームみたいなもので、試験を終えたらオツムは空っぽ、高等教育、
最高学府で学びました、と言うような、まあ聡明そうなのはごく少数だろう。

こういうのは日本だけなのかと思っていたら、米国でも事情は似たような
ものらしい。米国の大学教授を経てブリタニカの幹部を務めていたM.J.ア
ドラーとC.V.ドーレンの共著「本を読む本」は学生の程度の低さを嘆いて
いる。要約する。(カッコ内は修一)

<アメリカの高校や大学では従来、特別に読書指導の課程をもうけていな
かったが、最近(1970年あたり)事情がかなり変わってきた。20世紀の始
め(明治後期〜昭和初期あたり)、高校(旧制中学あたりか)入学者が急
増した一時期があったが、この時、教育関係者は、生徒の読書力の低下ぶ
りにびっくりさせられた。

実際、時には四分の三以上もの生徒に、何らかの矯正策を講じる必要に迫
られたこともある。

最近(1970年前後)、それと似た現象が大学でも起こっている。1971年に
ニューヨーク市立大学に入学した4万人の学生の半数以上が、程度の差こ
そあれ、読書力の矯正訓練を必要とした。

だが、大学における矯正訓練が初級読書より高度なものだったかと言え
ば、決してそうではない。それは、小学校終了程度の読書レベルまで学生
を引き上げ、基礎的な読書指導の欠陥を補うものに過ぎない。

(大卒の)学士号は本来、一般書を読み、一人で研究できる読書能力を証
明するものであるはずだ。しかし研究に必要な能力を習得するに、大学卒
業後、さらに3、4年、大学院で勉強しなければならないのが実情である>

読書はTVと違ってそれなりの脳ミソが必要で、大卒でも小6程度でしかな
いとは驚きだが・・・まあ日本もそんなものだろう。1900年前後に斎藤緑
雨は「教育の普及は浮薄の普及也」と喝破していたが、戦後はGHQの占領
政策で今の6・3・3・4年制の教育大改革が押し付けられた。

「日本人をアホなヘタレにして最低100年間は戦争できない国にする」の
が大目的で、「それなら高校、大学などを米国並みの“歌って踊って恋を
して”の遊園地にすべし」というわけだ。

緑雨の警句を紹介した福田恒存も嘆き、大宅壮一は雨後の筍のように増え
る大学を「駅弁大学」と称し、駅弁を売っているそこそこの街には大学が
新設された様子を嗤ったが、多少とも道理を分かる人は「このままでは亡
国だ」と心配するのだ。

三省堂PR誌「ぶっくれっと」2001年月号の編集後記から。

<日本は今黒船以来の危機に直面して居るのであり、これからの英語教育
はつまるところ大衆教育でなく、エリートを作る教育にギア・チェンジす
べきだ、と鈴木先生は仰言る(「英語教育と日本語の将来について」鈴木
孝夫)。

かつて東大の柴田元幸助教授に聞いた話ですが、90年代には彼が学生だっ
た70年代の学生数の1.5倍になったとのこと。学力の上の方へは広がり様
がないので、下の方を取ることになる。それだけ東大生の学力は薄まって
しまった。

考えてみれば、日本全体が同じ様な事態にあるので、高校全入から大学進
学率が5割に達するなど、教育の大衆化はずいぶん進みました。そのため
か、落ちこぼれやいじめが社会問題になったりして、教育内容をどんどん
易しくしてしまった。学力低下は当然の帰結ですね。

落ちこぼれを作るまいと、跳箱を飛べない生徒が何とか飛べるまで、すで
に飛んだ生徒は待たせておく、高等教育も同様にここ数十年やってきた。
まさに「教育の普及は浮薄の普及也」(斎藤緑雨)ですか>

昨年の産経にこんな記事があった。

<1日の読書時間が「ゼロ」の大学生は5割超に上る。最高学府の名に値す
るのだろうか。知識と教養を高めるべき学生時代に多くの本を読まず、い
つ読むのか。国語力低下に拍車をかける、危機的状況だと認識すべきだろう。

学生の生活実態を調べた全国大学生協連の調査(第53回学生生活実態調
査、2017年10〜11月)で、1日の読書時間は平均23.6分だった。「0分」と
回答した学生は53%と初めて半数を超えた。これは、電子書籍も「読書」
に含めての数字である>

教育の現状は悲劇を通り越して、もはや喜劇だ。で、こんな風に学制改革
をしてはどうか。

小学校6年、中高4年を義務教育(無償)とし、大学以上は1%の選抜とす
る(これも無償)。

中高(合わせて)4年では、中学の2年は基礎だが、ここで自分のおおよそ
の進路を決める(文系、理系とか)、高校ではさらに進路を絞っていく
(国語の先生になりたい、芸術家になりたい、政治家、経営者を目指した
い、企業再建のカリスマになってゴージャスに暮らしたい、ICTの開発を
したい、医者になりたい、軍人になって祖国を守りたいとか)。そして基
本的な職業訓練をする(建設土木系志願なら設計図の読み方、重機運転の
基礎、機械系なら旋盤や溶接の基本など)。

必要な場合は優秀な1%を大学へ進学させるのだ。

米国の場合、大卒ではあっても「大卒でなくても務まる仕事」に就いてい
るのは5割前後だそうだ。米国では大学で学んでも「新卒さん、いらっ
しゃい!」とはならない。企業は「戦力」「スキル」を求めているから、
卒業後2、3年は自己研鑽する、起業したりする。

日本の多くの企業はハナから能力を求めない。「心身ともに健康で、上司
の指示に従い、研鑽し、努力できる新卒」が好まれる。社内教育するから
4年間ラグビー漬けの体育会系やら、お受験階級の子弟でも問題なし。む
しろ素直だから歓迎されるようだ。文系だろうが体育会系だろうが、オツ
ムのレベルは大して変わりはないのだろう。

この学制改革により、意味なく大学へ進学していた若者の50〜99%、毎年
35万人〜70万人がフルタイムの労働市場に参入することになりはしまいか。

安易に異民族、外国人労働者を受け入れて日本をダメにしていく危険より
も、「モラトリアム大学生」活用の試験、実験に着手すべきではないか。
学生もキャンパスよりオフィスや工場、現場の方が楽しく、チャレンジン
グで、素敵なお兄さんや綺麗なお姉さんが仕事のみならず恋の手ほどき、
お酒の飲み方もタダで教えてしてくれるから何からナニまで給料を貰いな
がら勉強できる。

どこの世界でもイヤミな上司、同僚、顧客はいるけれど、「修一クン、大
人のキッスを教えてあげるわ」なんていう優しいオネーサンもいて、ま、
人生の大きな糧にはなるのである。大いに脱線したが、キチ〇イもいいこ
と言うだろ?、同志諸君、「キチ〇イだって笑ってほしい」、ま、笑って
許して。

さてさて本題に入ろう。前回に続いて「正論」2005年2月号「大島信三編
集長インタビュー 元朝鮮総連活動家の懺悔録『未来のために私の過去を
話します』元朝鮮青年同盟中央本部副委員長兼組織部長:全京千」から要
約する。

<全 祖防隊(北を応援する在日による祖国防衛隊)は朝鮮戦争直後にで
きた最も危険な実行部隊で、もうテロ集団と言ってもいいでしょう。交番
に火炎瓶を投げつけたり、立川基地へ行って(日米が)武器や弾薬を朝鮮
半島へ運ぶのを阻止しようと、妨害行動をとったりしていました。

私が所属していたのは625部隊といって、とりわけ過激でした。朝鮮戦争
が起きた6月25日にちなんだ名前ですね。上の方から「死ね」と言われれ
ば、恐らく死にましたよ、当時の隊員は。もちろん祖防隊は非合法活動で
す。機関紙1枚の扱いにも気を使っていました。火炎瓶の製造法なども教
わりましたね。

――最盛期の動員力をどのくらいでしたか。

全 秘密祖初期ですから中央の中枢にいないと正確な数は分かりません。
恐らく数千人規模であったと思います。私は625部隊の副隊長でした、勇
敢なる青年ということで持ち上げられていたんですね。それでだんだんと
組織内部で力をつけていきました。

――就職しないで。
全 ええ、専従みたいなものです。昼間はほとんど何もしない。夜、集会
があるとゴソゴソ集まるんです。

あの頃、新宿駅で貨物列車を爆発しようとしたこともありました。朝の6
時半、新宿駅南口近くの事務所に集合して7時には決行しようと用意万端
整えていました。ほとんど死ぬ覚悟でした。

ところが武器弾薬を持ってくるはずだった隊長が来ないんですよ。「ああ
裏切られた」と思いましや。隊長はあとで殺されましたね。

――血なまがぐさい時代でしたね。

全 けれども罪悪感はまったくありませんでした。われわれは祖国のた
め、わが民族のために戦っているのだ、という高揚した気分に浸っていま
した。交番とか基地ばかりでなく、民団系の要人や企業に対する嫌がらせ
をしていました。今考えれば、あれは間違いなくテロでした。

――背後で煽っていたのは日本共産党でしょう。

全 当時、我々は日共に入っていました。だから若い頃の不破哲三さんを
よく知っていますよ。青年会館の落成式には宮本顕治さんも来て一緒に樽
酒を割りました。

――祖防隊は朝鮮総連が(朝鮮戦争休戦後の1955年に)できた頃は活動を止
めていたのですか。

全 自主的に止めようということでした。路線転換して総連になったこと
に不満の活動家もいました。(しかし武闘精神はその後も)特に青年同盟
に受け継がれていました。祖防隊の残党がその後も全国の要所、要所に散
らばっていたんですね。(つづく)>

戦後の日共は党員の半数ほどが在日コリアで、中共にならって武闘路線
(ゲリラ戦)を進めていたが、孤立したために1955年に議会主義に転じ
た。これに歩調を合わせて在日も武闘路線から「表向きは」手を引いて
いったのだ。

【措置入院」精神病棟の日々(110)】

左膝骨折から4か月ぶりに自転車に乗ったが、膝がまだ不安定でちょっと
怖いし痛い。リハビリのサド的先生にその旨伝えたら「まだ無理よ」。歳
をとるとケガの治りも蝸牛の歩みだなあ。発狂亭“リハビリ地獄”雀庵の病
棟日記から。

【2016/12/21】水曜、素晴らしい快晴。

【産経】「トルコで露大使射殺 22歳機動隊員 シリア介入報復か」。ま
るで「大津事件」、エルドアンは困惑しているだろう。

「独、トラック突入 12人死亡 無差別標的か 首相『テロ攻撃』」。難
民モドキのイスラム過激派によるXマスプレゼントだ。ドイツ人は少しは
目が覚めるか。メルケル4選は遠のき、AfDは躍進するはずだ。スイスでは
イスラム教施設が銃撃され、3人負傷、犯人は死んだという。難民モドキ
は危険である。

正論 木村汎「関心は領土より露との『共栄』か」、安倍氏は超弩級の領
土問題は先送りし、とりあえずは四島でともに経済開発をしよう、それが
露中にくさびを打つ、中共への牽制になるから、という考えだろう。プー
チン・ロシアにとっては「与しやすい奴」だが、日本の経済界から見れば
「その手は桑名の焼き蛤」で、ロシアンルーレットのようなリスクを引き
受けはしまい。

曽野綾子氏「露大統領訪日 プーチン氏は料理を食べたか」は痛烈だっ
た。何しろロシア大使が駐在先の現職警官に射殺されるという対立があ
り、かつロシアは昔から暗殺が盛んだった。ロシア革命当時は内ゲバも激
しかったが、誤爆しても「敵への警鐘になった」と平然としていた。

(中核派が革マル派幹部と間違えてその弟を誤爆した際、中核派曰く「弟
だったのが悪い!」だと。滅茶苦茶だ)

スターリンが、計画経済政策などを批判する政敵トロツキーを亡命先のメ
キシコでピッケルで頭を破壊して殺したのは有名だが、スターリンを尊敬
するプーチンは武闘派シロビキの政敵暗殺を黙認している。

ニューズウィークの報道によると、毒殺を恐れるプーチンは外国では国家
元首が用意した食事でも決して口にしないとか。己の価値観で見れば外国
訪問は恰好の暗殺の機会だから、最大限の警戒をするわけだ。国民は安い
メチルアルコールで年間1万5000人が自殺している。

松浦肇「不安募らせる米移民社会」、キリスト教会が不法移民の「お助け
寺」になりそうで、トランプがこれに制裁を科すらしい。「トランプ氏と
ニューヨーカーとの溝はますます深まっている」と締めくくっているが、
ニューヨーク州はもともとアンチ共和党だろうから戦々恐々としているの
だろう。

中島朋子・東海大准教授は「トランプ氏は『政治経験のない初のビジネス
界出身の大統領』」と言う。アイゼンハワーは大統領職の8年間を除いて
軍人だったが、軍人も企業家もトップクラスになればおのずと政治に関与
する(政治家のタニマチになったり)。政治経験がないのはダメで、ある
のは優秀なのか。出自はあまり関係ないのではないか。(つづく)2019/1/24

◆カショギ殺害が最悪の印象となった

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月5日(火曜日)通巻第5981号  

カショギ殺害が最悪の印象となったサウジアラビアから
   110万人もの外国人労働者が帰国の「大エクソダス」

サウジアラビアの最近の印象を問えば、「金持ち」イメージから「住み心
地の悪い」国に激変している。

1970年代の石油ブームが経済繁栄をもたらし、外国から労働者が大挙して
リヤド、ジェッダを目指した。家政婦はフィリピンから、きつい労働現場
にはインド、パキスタン、そして周辺のアラブ諸国からもドッとやってきた。

この傾向はアブダビ、ドバイ、カタールも同じだった。富は永続し、原油
価格は1バーレル=100ドルで安定するはずだった。

砂漠の蜃気楼のように、高層ビルが林立し、ハイウェイが整備され、モノ
レールも敷かれ、疾駆する車はフェラーリ、アストンマーチン、BMW、
ベンツ、トヨタだった。支配階級の大金持ちたちは国内で酒もおんな遊び
も出来ないため、自家用飛行機でエジプトやスイスに飛んで大酒をのみ、
美女を侍らせた。

世界の有名リゾートの高級マンションはアラブの富豪が買い占め、ヨット
ハーバーには彼らの最高級ヨットが係留されていた。

原油価格の下落が直接的な原因となって、高度成長を謳歌してきたサウジ
アラビアにも大不況が訪れ、2017年初頭から、18年第3四半期までに110
万人の外国人労働者が帰国した。大エクソダスだ。

とくに虐待されたフィリピンの女性の帰国に際してはマニラ空港にドウテ
ルテ大統領自身が出向いて暖かく出迎えた。サウジに限らずドバイやク
エートからの帰国女性が目立ったという。

現在、サウジ国民の過半が30代以下の若者であり、しかも失業率が12・
9%に跳ね上がった。したがってサウジ国民が騒ぎだすのも無理はなく
「外国人が我々の職場を奪った」という論理になる。

となると外国人労働者は建設現場からは冷酷にレイオフされ、熟練エンジ
ニアにも賃下げという措置がとられ、居残る労働者とて「友人達は皆帰っ
た。おれもそろそろ、第一、サウジアラビアは住むところではない」と吐
き捨てる。

エクソダスに拍車がかかったのはサウジ王室を批判したジャーナリストの
カショギをトルコの領事館において殺害したことであり、イメージ改善の
ため、カショギ殺害事件の直後からサウジの女性にも運転免許を与え、就
労のチャンスも拡大させていたが、いったん固まった悪印象が好転するこ
とはなかった。
  
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1853回】       
――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(11)
河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)

             ▽

詩人の直感というのだろうか。「氣を靜め思ひを沈ましめる餘裕などあり
やうはない」「刺戟性の頂點に停滯してゐる」音楽から、民族の「刹那に
生きようとする所以」を導き出してしまうのだから。

そういわれて1949年の中華人民共和国以後に見られる主な出来事をザっ
と振り返ってみると、国内的には建国直後の朝鮮戦争(50年〜53年)から
始まり、「三反五反運動」(腐敗・不正・官僚主義撲滅運動。51年〜53
年)、「百花斉放 百家争鳴」(自由化運動。1956年)、「反右派闘争」
(共産党批判者抹殺。57年)、「大躍進」(58年)、「三自一包政策」
(一定の私有財産容認。62年)、「社会主義教育運動」(修正主義に反対
し、修正主義化を防ぐ。63年〜66年)、「文化大革命」(66年〜76年)、
「対外開放政策」(78年〜)とジェットコースターのように目まぐるしく
変化した。

主要な敵国はアメリカ帝国主義からソ連社会帝国主義へ。1969年にはソ
連との国境で大規模な国境軍事衝突まで引き起こし、72年には「偉大なる
領袖・毛沢東」が昨日までの最大の敵であったアメリカ帝国主義の「頭
目」であるニクソン大統領を北京に迎え、劇的に握手する。

国内の敵は文革初期の劉少奇から林彪、さらには周恩来を経て四人組
へ。78年以降になると昨日までは政治の中枢を占めていた毛沢東原理主義
者は「極左」と批判・断罪され、社会のゴキブリ扱いを受けお役御免と政
治の中枢から放り出される始末だ。

なにより78年以降は国を挙げての金儲けに血道をあげ、いまや世界の覇権
を目指す勢いである。

建国以降の70年、改革・開放以降の40年を振り返ってみると、疾風怒濤の
ままに過ぎたこの国と国民に静謐の時はあったのだろうかと疑いたくなる
が、よくよく考えれば彼等には静謐の2文字は相応しくない。

毛沢東思想絶対の政治の時代(1949~78年)であれ、金権万能の時代(78
年〜現在)であれ、彼らは「刹那の慾求を充たす心理」に導かれながら
「刺戟性の頂點に停滯してゐる」ことを運命づけられているのだろう。

おそらく今後も彼らは「刺戟性の頂點に停滯し」続けながら「不完全な飛
行機の搭乘者のやうな心理」が解消されることなく、「氣を靜め思ひを沈
ましめる餘裕などありやうはない」人生――そう、只管落ち着くことのない
人生を送るに違いない。

「中華民族の偉大な復興」やら「中国の夢」が聞いて呆れ果てるのであ
る。「偉大な復興」ならぬ「偉大な不幸」に付き合わされた日には、「神
州高潔の民」を目指す身としては正直、堪ったものではない。

だが、その「刺戟性の頂點」に嵌まってしまった日本人もいたのだ。

河東に遅れること3年の大正10(1921)年、芥川龍之介は大阪毎日新聞社
の特派員として上海や北京を訪ね、その折の思いを『支那游記』(改造社
 大正14年)として発表した。そこに上海での芝居見物風景が記されてい
る。案内役は支那劇通として知られた某新聞社特派員の村田烏江だった。
やや長くなるが、引用しておく。

「支那の芝居の特色は、まず鳴物の騒々しさが想像以上な所にある。殊に
武劇――立ち廻りの多い芝居になると、何しろ何人かの大の男が、真剣勝負
でもしているかのように舞台の一角を睨んだなり、必死に銅鑼を叩き立て
るのだから、到底天声人語所じゃない。実際私も慣れない内は、両手に耳
を押さえない限り、とても坐ってはいられなかった。が、わが村田烏江君
などになると、この鳴物が穏かな時は物足りない気持ちするそうである。
のみならず芝居の外にいても、この鳴物の音さえ聞けば、何の芝居をやっ
ているか、大抵見当がつくそうである。『あの騒々しい所がよかもん
な。』――私は君がそう云う度に、一体君は正気かどうか、それさえ怪しい
ような心もちがした」。
そうです。判りマス。
 
     

◆対露外交は希望的観測を持つことなく

櫻井よしこ


「対露外交は希望的観測を持つことなく厳しい要素を過小評価しないのが
大事だ」

「心配が現実になった」と感じた日露首脳会談だった。1月22日、日本時
間の夜8時45分から小1時間遅れで始まった日露首脳会談は、約3時間続いた。

その後、安倍晋三首相とウラジーミル・プーチン大統領の共同記者会見が
行われたが、中継画像で両首脳が会見場に入った姿と表情から不首尾は瞬
時に見てとれた。

会見ではまずプーチン氏が、「たったいま、会談が終わりました。非常に
ビジネスライクな建設的なものでした」と素っ気なく語り始めた。氏の話
は二点に大別される。日露経済協力の具体的プロジェクトの進展具合と、
平和条約締結についてである。

明らかに前者には力が入っており、全体の約4分の3を占めた。貿易はこれ
から数年間で1.5倍の300億ドル(約3兆3000億円)にするなどの具体的目
標も語った。

他方、平和条約締結についての話は全体の4分の1でしかない。その内容
も、「私たちは平和条約の締結を目指します。調整担当として外務省高官
と外務大臣を任命しました」などというものだ。

日本側は平和条約と領土の問題は、外務省ルートでは実際の話は進まない
ため、別ルートでの交渉に期待をかけてきた。そのうえで最終的に安倍・
プーチン両首脳の決断によってのみ、解決できると考えている。プーチン
氏の発言はそうした日本の腹づもりに応えるものではないだろう。

安倍首相が日露間の往来者数がふえて、昨年は過去最高だったと発言し
た。昨年ロシアから日本への訪問者数は年間10万人に達し、逆もほぼ同水
準だったという。いま関係がギクシャクしている韓国からでさえ、毎日2
万人以上が訪日している。日露間の交流の貧弱さは、日本人の対ロシア観
を反映しているのである。

首脳会談を最も前向きに報じたのは「産経新聞」だった。ロシア相手の非
常に難しい交渉だが、それでも推進しなければならないのは「中露の蜜
月」を避けるためだとの内容だった。

中露の連携は日本にとってのみならず、米国にとっても、たしかに厄介
だ。しかし、注意すべき点は、ロシアは本当のところ、中国をどのように
考えているかである。

力をつけた中国は中央アジア諸国を手始めにユーラシア大陸の北に西にと
勢力を広げつつある。北極圏にも明確な位置を占めるべく戦略的に動いて
いる。中国の勢力拡大の動きの中で、ロシアは日本が期待する程、中国を
退けようとはしていないのではないか。

たとえば北極圏開発だ。中国は自らを「極地強国」であり、北極の利害関
係国だと位置づけている。一帯一路に北極海を組み込み、「氷のシルク
ロード」などと呼んでいる。この中国の方針にロシアは基本的に協調的で
ある。2017年にロシアで開催した「国際北極フォーラム」でも、ロシアは
北極海航路とシベリア鉄道を結ぶプロジェクトへの中国の投資を呼びかけた。

中国の北極圏進出の狙いは資源エネルギーに加えて、米国に対する核抑止
力の構築にある。防衛研究所の主任研究官、山口信治氏は、中国が戦略原
子力潜水艦を北極海に進出させることができれば探知は殆ど困難で、米国
に対して確実な反撃能力を獲得すると指摘する。米国のみならず、ロシア
も警戒すること必至だが、中国はロシアに警戒感を抱かせないように巧く
立ち回っているというのだ。

クリミア半島強奪以降、国際社会の経済制裁に苦しむロシアにとって中国
の占める位置は日本で考えるより遙かに大きく重要である。

日本のロシア外交は、希望的観測を一旦横に置き、厳しい要素を過小評価
しないことが大事だ。一方的に経済協力だけさせられて終わってはならな
いであろう。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1265

◆健康百話 「感染症の簡単な予防法」

大阪厚生年金病院 薬剤部


Q.近頃、感染に関係するニュースをよく耳にしますが、簡単な予防法を教えてください。

A.まず、 「消毒」ということについて考えましょう。
「消毒」とは、人の体に害を与える細菌などの微生物の数を十分に減らすか、それらがまったく生きていけない状態をつくることを言います。

消毒には、熱を加えてやっつけてしまう方法や、消毒薬などの薬を使ってやっつけてしまう方法があります。

どちらにしても、細菌などの微生物の数を十分に減らす事を一番の目的としています。
細菌などが原因で病気になってしまう(感染する)のは、体の中に入り込んだ細菌などの数が増えすぎて、ある量を超えてしまった時です。

つまり、細菌の数を減らしてさえしまえば感染を防ぐことができるということです。
風邪の予防に手洗いやうがいが効果的と言われるのは、流水によってウィルスや細菌を洗い流し、体の中に入ってくるそれらの量を減らしているからなのです。

同じように、すり傷などの軽いけがをしてしまったら、消毒薬による消毒も必要なのですが、まず流水を使ってこまめに傷を洗ってあげることが大切です。

この流水で傷を洗ってあげるということは、傷の中にいる細菌を水で流し出して菌の数を減らすことで、もっとも身近で簡単な感染を防ぐ方法なのです。(再掲)   

2019年02月05日

◆ミャンマー、中国主導の巨大プロジェクトを返上

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月2日(土曜日)通巻第5977号     

ミャンマー、中国主導の巨大プロジェクトを返上
 嗚呼、やっぱり。チャウッピュー近代化、工業団地プロジェクトは白紙へ

スーチー率いるミャンマーの対外債務は100億ドルを超えた。このうちの
40%が中国である。ちなみにミャンマーの外貨準備は63・5億ドルしかな
く、明らかに債務超過である。1988年から2011年までの累積債務が膨れあ
がっていたが、平均の利子が4・5%だったという(アジアタイムズ、1
月31日)。

ミャンマー与党は、中国がオファーしてきたチャウッピュー港近代化プロ
ジェクトならびに付近の工業団地プロジェクト(大学から病院まで建設
し、一大近代都市建設を謳った)を、「財政面から根底的に見直す」と検
討を始めたことがわかった。

これはマレーシアが、建設を開始していた東西新幹線プロジェクト(200
億ドル)が財政的にカバーできず、マレーシア政府の責任を越えるとし
て、マハティール政権は違約金を払ってもキャンセルしたことを受けて、
ミャンマーも「借金の罠」に落ちることを懸念しての措置である。

ティンセイン政権時代に、ミッソン・ダム建設を中止した。このプロジェ
クトは総工費36億ドルだったが、発電される電力の90%が中国側へ送電さ
れるという無茶な契約内容だったため、地元のカチン州などで猛烈な反対
が起きた。

チャウッピュー港近代化プロジェクトの現場に取材に行った。ヤンゴンか
らおんぼろ飛行機で50分、上空からみると建設予定地はただの畑、雑木林
が拡がっていただけで、港は泥沼、一部帰ってきたロヒンギャの小舟で釣
りをしていた程度だった。写真入りで『エルネオス』今月号にレポートを
書いているが、大きな看板と、がらんどうの事務所ビルが建っているだけ
だった。

ちなみに日本の援助実績(E/Nベース。技術協力はJICA実績ベース)
(1)有償資金協力 7,512.49億円(2015年までの累計。うち2015年度 
1,257.38億円)

(2)無償資金協力 2,571.38億円(2015年までの累計。うち2015年度 
176.05億円)

(3)技術協力 602.32億円(2015年までの累計。うち2015年度 87.63億円)

       

◆対露外交は希望的観測を持つことなく

櫻井よしこ


「対露外交は希望的観測を持つことなく厳しい要素を過小評価しないのが
大事だ」

「心配が現実になった」と感じた日露首脳会談だった。1月22日、日本時
間の夜8時45分から小1時間遅れで始まった日露首脳会談は、約3時間続いた。

その後、安倍晋三首相とウラジーミル・プーチン大統領の共同記者会見が
行われたが、中継画像で両首脳が会見場に入った姿と表情から不首尾は瞬
時に見てとれた。

会見ではまずプーチン氏が、「たったいま、会談が終わりました。非常に
ビジネスライクな建設的なものでした」と素っ気なく語り始めた。氏の話
は二点に大別される。日露経済協力の具体的プロジェクトの進展具合と、
平和条約締結についてである。

明らかに前者には力が入っており、全体の約4分の3を占めた。貿易はこれ
から数年間で1.5倍の300億ドル(約3兆3000億円)にするなどの具体的目
標も語った。

他方、平和条約締結についての話は全体の4分の1でしかない。その内容
も、「私たちは平和条約の締結を目指します。調整担当として外務省高官
と外務大臣を任命しました」などというものだ。

日本側は平和条約と領土の問題は、外務省ルートでは実際の話は進まない
ため、別ルートでの交渉に期待をかけてきた。そのうえで最終的に安倍・
プーチン両首脳の決断によってのみ、解決できると考えている。プーチン
氏の発言はそうした日本の腹づもりに応えるものではないだろう。

安倍首相が日露間の往来者数がふえて、昨年は過去最高だったと発言し
た。昨年ロシアから日本への訪問者数は年間10万人に達し、逆もほぼ同水
準だったという。いま関係がギクシャクしている韓国からでさえ、毎日2
万人以上が訪日している。日露間の交流の貧弱さは、日本人の対ロシア観
を反映しているのである。

首脳会談を最も前向きに報じたのは「産経新聞」だった。ロシア相手の非
常に難しい交渉だが、それでも推進しなければならないのは「中露の蜜
月」を避けるためだとの内容だった。

中露の連携は日本にとってのみならず、米国にとっても、たしかに厄介
だ。しかし、注意すべき点は、ロシアは本当のところ、中国をどのように
考えているかである。

力をつけた中国は中央アジア諸国を手始めにユーラシア大陸の北に西にと
勢力を広げつつある。北極圏にも明確な位置を占めるべく戦略的に動いて
いる。中国の勢力拡大の動きの中で、ロシアは日本が期待する程、中国を
退けようとはしていないのではないか。

たとえば北極圏開発だ。中国は自らを「極地強国」であり、北極の利害関
係国だと位置づけている。一帯一路に北極海を組み込み、「氷のシルク
ロード」などと呼んでいる。この中国の方針にロシアは基本的に協調的で
ある。2017年にロシアで開催した「国際北極フォーラム」でも、ロシアは
北極海航路とシベリア鉄道を結ぶプロジェクトへの中国の投資を呼びかけた。

中国の北極圏進出の狙いは資源エネルギーに加えて、米国に対する核抑止
力の構築にある。防衛研究所の主任研究官、山口信治氏は、中国が戦略原
子力潜水艦を北極海に進出させることができれば探知は殆ど困難で、米国
に対して確実な反撃能力を獲得すると指摘する。米国のみならず、ロシア
も警戒すること必至だが、中国はロシアに警戒感を抱かせないように巧く
立ち回っているというのだ。

クリミア半島強奪以降、国際社会の経済制裁に苦しむロシアにとって中国
の占める位置は日本で考えるより遙かに大きく重要である。

日本のロシア外交は、希望的観測を一旦横に置き、厳しい要素を過小評価
しないことが大事だ。一方的に経済協力だけさせられて終わってはならな
いであろう。

『週刊ダイヤモンド』 2019年2月2日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1265 

◆パイナップルも無かった

渡部 亮次郎


朝と昼の食事のあとは果物を必ず食べる。だから秋は楽しい。果物の種類
が豊富だからだ。冬が近付くとみかんに混じってときどき供されるのがパ
イナップルだ。

南国の果物だから生まれ育った秋田では子ども時代はお目にかからなかっ
た。敗戦後、缶詰を初めてたべて美味しかった。しかし生を食べたのは大
人になって上京後である。

アメリカから返還される前に特派員として渡った沖縄では畑に植わってい
るのを沢山見たが、なぜか食べなかった。今、東京のデパートで売られて
いるのは100%フィリピン産である。

「ウィキペディア」によれば、パイナップルの原産地はブラジル、パラナ
川とパラグアイ川の流域地方。この地でトゥピ語族のグアラニー語を用い
る先住民により、果物として栽培化されたものである。

15世紀末、ヨーロッパ人が新大陸へ到達した時は、既に新世界の各地に伝
播、栽培されていた。 クリストファー・コロンブスの第2次探検隊が1493
年11月4日、西インド諸島のグアドループ島で発見してからは急速に他の
大陸に伝わった。

1513年には早くもスペインにもたらされ、次いで当時発見されたインド航
路に乗り、たちまちアフリカ、アジアの熱帯地方へ伝わった。

当時海外の布教に力を注いでいたイエズス会の修道士たちは、この新しい
果物を、時のインド皇帝アクバルへの貢物として贈ったと伝えられる。

次いでフィリピンへは1558年、ジャワでは1599年に伝わり広く普及して
行った。そして1605年にはマカオに伝わり、福建を経て、1650年ごろ台湾
に導入された。

日本には1830年東京の小笠原諸島・父島に初めて植えられたが、1845年に
オランダ船が長崎へもたらした記録もある。

パイナップル(レユニオン)は植付け後15〜18か月で収穫が始まる。自然
下の主収穫期は、たとえば沖縄では7〜9月と11〜翌年2月である。

1年を通した生産面の労働力の分配や缶詰工場の平準化を図り、植物ホル
モンであるエチレンやアセチレン(カーバイドに水を加えて発生させ
る)、エスレル(2-クロロエチルホスホン酸)、を植物成長調整剤として
利用し、計画的に花芽形成を促して収穫調節を施している。

栽培適地は年平均気温摂氏20度以上で年降水量1300mm内外の熱帯の平地か
ら海抜800mくらいまでの排水の良い肥沃な砂質土壌である。

世界生産量の約5割がアジア州で、残りの5割はアフリカ州、北アメリカ
州、南アメリカ州の間でほぼ均等に分かれている。

2002年時点のFAOの統計によると世界生産量は1485万トン。1985年時点に
比べて60%以上拡大している。主要生産国はタイ (13.3%)、フィリピン
(11.0%)、ブラジル (9.9%)、中国 (8.6%)、インド (7.4%)、コスタリカ、
ナイジェリア、ケニア、メキシコ、インドネシアである。

1985年の世界総生産は923万トンで、主産地はタイ、フィリピン、ブラジ
ル、インド、アメリカ、ベトナムなどである。日本では沖縄県が主産地で
2002年時点では1万トンである。

1985年から2002年までのシェアの推移をたどると、米国のシェアが6%から
2%までじりじり下がっていることが特徴である。既に米国は上位10カ国に
含まれていない。2012・11・06

◆童話に教えられること

真鍋 峰松


まず、この話をお読み頂きたい。
 
「オオカミが羊の群れを襲う機会をうかがっていたが、犬が見張っていて手を出すことができないので、目的を達するために策略を用いることにした。オオカミは羊に使者を遣って犬を引き離すように求めた。
 

自分と羊とのあいだの反目の原因は犬であり、犬を引き渡しさえすれば、羊とのあいだに平和が永遠に続くだろうとオオカミは言った。何が起こるのかを予見できない羊は犬を引き渡した。


いまや絶対的優位に立ったオオカミは、もはや守る者のいなくなった群れをほしいままに食い荒らした。」(「新訳イソップの寓話集」塚崎幹夫訳 中公文庫)。


以前、読んだ童話の中の話である。日本の昔話や童話の中では、子ども向けに最後の下りがメデタシ、メデタシ、そして二人で幸せに暮らしました風、或いは勧善懲悪の教訓話が多い。
 

だが、西洋の有名なイソップやグリム兄弟の童話集にはハッピー・エンドばかりではなく、相当にアンハッピー・エンド、残酷な結末で終わる話が多いという。
 

これは、欧米系人と日本人との民族性の違い、とりわけ日本人の現世肯定の現実主義と、子供には夢と希望をという一種の理想主義とが合体したところから生じたのであろうか。


童話の専門家でもない私が、このことを詳しく述べるのは本題ではない。


私がこの話から直ちに連想したのは、昨今の米軍基地の移転問題。いつしか日本近海でキナ臭い話が充満する昨今、基地をどこか国外に移転しろと言うのは、果たして如何なる外国の、或いは宇宙人の策略なのかどうか、私には専門外の話。


だが、この童話、如何にも当て擦り的な寓話のように思えてならない。明らかに分かるのは、昨今の米軍基地問題を巡る議論では、どこか基本的な問題が抜け落ちているのではないのか、ということ。
 

つまり、この寓話での犬の果たす役割〜国の安全保障体制の問題である。 


国の果たすべき役割の最たるものの代表例は防衛・外交、司法。 戦後の防衛・外交の中心的役割を担ってきたのが日米安全保障条約。それ位は誰でも簡単に解ること。


片務的契約だの、何だのという議論はさて置き、明白なのは、現在の日本自身の防衛力だけでは、近代戦闘では非常に心もとない。
 

米国の軍事力を背景にしなければ、とてもじゃないが周辺の反日的な国に太刀打ちできるものではない、ということ。


この件に限らず、今後一体、この国はどこを向いて動いて行くのだろうか。確たる方向性があり、操舵手はいるのだろうか。
        

最後に、もう一つ。


「兎が獣の会議に出かけてゆき、これからどうしても万獣平等の世にならなければならぬと、むきになって論じ立てた。獅子の大王はこれを聞いてニコニコ笑いながら、兎どん、お前の言うのは尤もだの。だがそれには、まず儂どもと同じに、立派な爪と歯を揃えてからやって来るがいい、と言った。」 ( 同 前出 )

2019年02月04日

◆スリランカ、またまた中国に10億ドルの

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月3日(日曜日)通巻第5978号  (節分)   

 スリランカ、またまた中国に10億ドルの融資を要請
  コロンボからキャンディへの高速道路建設を再開させる

 スリランカの対外債務は531億ドル(2018年9月末時点)。2019年に償
還期限のくる負債は49億ドル。さらに2020年までにあと150億ドル。
ま、パキスタンと同様にIMF管理は時間の問題だと騒がれている。

99年の租借を飲まされ、ハンバントタ港を中国に明け渡す無惨な結果を招
いたのはラジャパクサ前大統領の、強気の読みと中国との親密なコネク
ションからだったが、結局は返済できず「借金の罠」に落ちた。番狂わせ
で彼は落選し、無名のシリナセがスリランカ大統領となった。

コロンポからスリランカの名勝地キャンディに至るハイウエイは途中悪
路、崖や河沿いを縫うように、車で四時間近くかかる。鉄道もあるが、一
日二本程度、しかも外国人観光客でほぼ満員だ。この区間に、ハイウエイ
を通すのはスリランカの政治家なら誰もが魅力と思うだろうし、票に繋が
るプロジェクトと考えられた。ところが、資金不足に陥り、現場労働者の
日当がはらえず、あちこちで工事が中断した状況になっていた。
 
そかし、そのプロジェクトの再開はなしより、喫緊の課題は償還期限のき
た負債処理で、債務不履行に陥りそうな条項はパキスタンと同じ。ここで
救世主として登場するのがインドという役割も同じである。

インドはモルディブへ14億ドルの信用供与に踏み切った後、こんどはス
リランカへも同額の信用供与を、通貨スワップを通して行い、工事が中断
している高速道路工事に廻す手筈を整えた。
なにしろインドは中国の浸透を快しとはしていないので、無理してでもス
リランカを救済し続けるのだ。
        ☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆書評 しょひょう
 BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW
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 「最後の皇帝」=溥儀の虚実、異常な性格破綻を抉り出した労作
   なぜ、このような最低レベルの皇帝に歴史は振り回されたのか

   ♪
加藤康男『ラストエンペラーの私生活』(幻冬舎新書)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
 
本書は平成26年に刊行された『禁城の虜』を大幅に加筆、修正した新書版
である。発売と同時にベストセラー入りしている。

最後の皇帝となった溥儀の性格異常的な愛欲、それも偏執的な性欲、そし
て迎えた悲惨な結末。映画『ラストエンペラー』はかなりの綺麗事をフィ
ルムにしたが、真実とはかけ離れている。

家庭教師だった英国人が書いた『紫禁城の黄昏』も、大事な部分を、岩波
の翻訳書は割愛していた。

溥儀は異様な性欲のなぜ持つように至ったのか。

溥儀は2歳と6ヶ月で皇帝の座について、幼年期から女官に性行為を教え
込まれ、10代で宦官との同性愛、そして宮廷内で宦官達を虐待する悪質な
性癖を身につけた。

しかも16歳で本妻と妾を同時に娶り、後に正妻の産んだ子を「不義密通の
疑いがある」として「捨てよ」と命じ、正妻を幽閉した。

あれほど日本に依存し、紫禁城を追われてからは天津の日本租界に逃げ延
び、28歳で満州国皇帝となった。ところが、終戦後はソ連に抑留された。
 このあたりの顛末が明瞭に語られたことは少なかった。加藤氏は克明に
追跡調査をおこない、通化事件の舞台ともなった場所から、溥儀は日本軍
の用意した飛行機で奉天へ逃げ、そこから日本へ逃亡する予定だった。と
ころが、偶然進駐してきたソ連軍に発見され拘束されてしまったのだ。

ソ連を転々としていたのも束の間、東京裁判では、のこのことソ連側証人
として市ヶ谷の軍事裁判法廷に出てきた。でたらめな証言をスターリンの
命じるままに行い、さらにそのあとは中国に送還されて撫順刑務所で洗脳
された。

評者(宮崎)は嘗て通化の現場や、遼寧省の炭鉱町に残る撫順刑務所跡で
は溥儀の拘束されていた部屋を見学したことがある。

したがってこのあたりの記述と撫順刑務所の情景とが重なった。

やがて釈放されると、溥儀はこんどは毛沢東の飼い犬の如くに、中国共産
党の宣伝材料に酷使された。

「数奇の運命」といえば、なにやら悲劇の主人公のようだが、自立性を完
全に欠如させた異常人格というより性格破綻者。そのうえ比類なき権力
欲、物欲、我欲、性欲、名誉欲、自己保身の権化。結局、日本はこの程度
の人物に振り回されるしかなかったのか。

本書は溥儀の虚実を語り、異常な性格破綻者を抉り出した労作であり、読
後感といえば、  なぜ、このような最低レベルの皇帝に歴史は振り回さ
れたのかという歴史のアイロニー、というより歴史の悲しみであった。
      
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1852回】         
――「支那はそれ自身芝居國である」――河東(10)
河東碧梧桐『支那に遊びて』(大阪屋號書店 大正8年)

          ▽

河東は長江を望む甘露寺の眺望に満足すると共に、「音もしなければ、動
くとも見えない、海のうねりも池の漣も立たない、このノッペラボーな
(長江の)水が、人間の力も機械の働きも、容易くはなし得ない、沈黙の
活動をしてゐることが、そこに測るべからざる力強さの包蔵されているこ
と」に驚嘆し、納得する。

甘露寺では、「この附近の豪家の某氏が、この長江での水死人の爲めに、
近く大きな施餓鬼をする其の準備に忙殺されてゐ」た。「長江の水死人を
考へることが、私に堪らなく詩的な情趣を誘」ったという。かくして「そ
こに慈悲を及ぼす隠れたる善人のあることが、ソシアルデモクラシー化し
てゐる支那の現状を裏切る重大なものに思ひ做さるゝのであつた。よし、
さういふ施主は、恐らく佛?的な迷信から出發してゐるとしても」である。

どうやら河東は「ソシアルデモクラシー化してゐる支那の現状」を余り好
ましいものとは見做していないようだ。

南京の脂粉の街を散策する。

聞こえてくるのは「遊冶郎の遊冶氣分を唆る」歌声だった。「そこに伴奏
する月琴胡弓の低音といふ者を持たない最高音階の樂器が鼓膜を通して肉
の活躍を煽つて來る」から、「氣を靜め思ひを沈ましめる餘裕などありや
うはない」。

そこで支那の音楽に思いを馳せた。

「音樂が其時の情緒を動かす力を持つてゐるといふことが眞實であるなら
ば、支那の樂器と聲樂とは、たゞ肉を煽動し肉に喝かしめる程度の材料に
過ぎなくなる、たゞ肉の伴奏を勤める役目である」ところの「支那の音樂
の今日に到つた徑路は、餘處事でなく、支那の無自覺から自覺運動に至る
道程を暗示する者ではないだろうか」と。

「支那の音樂が刺戟性の頂點に停滯してゐる、それでなければ音樂として
の價値を持たないといふことに、この私達の味つた寂しさが原因づけてゐ
るのではないだらうか。

帝王になれば國家の安泰、大官になれば位置の安泰、庶民になれば財産の
安泰、それらを通じて生命の安泰の絶對に保證されない國柄、そこに四千
年の長い?史を持つた思想、それが因となり果となつて訓致された國民
性、それに反抗することも、それから逃避することも不可抗力で壓しつけ
られてゐる人生の桎梏、それを手短かくつゞめて見れば、不完全な飛行機
の搭乘者のやうな心理、そこから湧くドン底の寂寞味が、自然に音樂をも
肉的に誘致せしめるのではないだろうか」。

とどのつまりは「刹那に生きようとする所以」ということだろう。

 この河東の考えを敷衍するなら、あのけたたましい音楽は「刹那に生き
る」ことを運命づけられた中国人の人生にくっついて離れない「ドン底の
寂寞味」がもたらすもの。いわば人生の寂寥感を噛み締め自らの内側に閉
じ込め昇華させるのではなく、ひたすら外に向かって発散させるためのも
の。であればこそ「最高音階の樂器が鼓膜を通して肉の活躍を煽つて來
る」ことになるわけだ。

「刹那に生きんとする心持は、帝王の尊貴を以てしても、どうすることも
出來ない自然の運命であつた」がゆえに、「?代の帝王が、其の先人の墓
陵を華麗にするといふことも」、「それによつて我が滿足を買はんとす
る」からだ。その背景には「其の一時の榮譽を誇示せんとする自我の發揮
が基調になつてゐることを閑却することは出來ない」。

「百千の人を使役し、巨萬の金を散ずる豪快味」は、それが先人の壮大華
麗な墓陵建設に投ぜられたにせよ、「美酒佳肴に費やされる」にせよ、
「刺戟性の頂點に停滯してゐる」音楽と同じように、共に「刹那の慾求を
充たす心理」がもたらすことになるようだ。