2019年04月18日

◆“Out of control” とトランプ大統領は言う

前田正晶


以下は昨年の4月15日に掲載したものであるが、先ほど採り上げたばかり
の「アメリカとのTAG交渉が開始された」に関連する記述があると思うの
で、若干の訂正をした上で敢えて再度掲載したした次第だ。

中国は「貿易戦争は好まないが、やらねばならなければやる」と、トラン
プ大統領が口火を切った格好の鉄鋼とアルミへの関税問題に端を発した貿
易戦争への対応策を表明して見せた。その前にトランプ大統領は「対中国
の貿易赤字赤字は耐えがたい域に達しており制御不能(out of control
と聞こえた)だ」と断じた。Twitterではなく音声である。

簡単に私の見解を述べれば「アメリカの貿易赤字はトランプ大統領以前の
歴代の大統領の政権下で発生したもので、トランプ大統領には何らの責任
はない。いや、今更 control 出来る代物ではないと歴史的にも、経験上
も見做している。私は就任後15ヶ月も経たこの時期にトランプ大統領画素
の赤字に至った歴史をご承知ではないとは想像しがたいのだ。全てを把握
されないで “out of control” と言われのだったら大変なことだと思って
いる。

私は何度も述べてきたことで、1972年8月から1994年1月末までアメリカの
紙パルプ林産物産業界の上位5社に入る2社で、彼らの思想・信条・経営理
念・哲学を把握して、それに従ってアメリカの為に対日輸出に励んでき
た。その22年有余の経験の中で「アメリカは根本的に輸出国ではなく、国
内需要に依存した国だ」と「自国の労働事情の為に産業を空洞化せざるを
得なくなり、非耐久消費材を中国等からの輸入に依存せざるを得ない態勢
にした」と認識してきた。

その背景にはアメリカ式資本主義の下に「四半期毎の決算」を制度化し
(と言って良いのか?)短期の利益を追求した為に、新規と合理化に対す
る設備投資が立ち後れた事を挙げて良いと思う。事実、紙パルプ産業界で
は21世紀に入って廃棄した1950年代に導入したマシンをインドの製紙会社
に転売したという事実もあった。事ほど左様に製紙会社では利益が上がら
ずに設備投資に遅滞していた。これなどはほんの一例だが、設備の近代化
と合理化では中国やアジアの新興勢力に追い越されていたのは事実だ。

更に、空洞化の原因には「強くなる一方の労働組合(我が国の社内の組合
ではなく、業界横断の職能別組合である点を見逃してはならない)の賃上
げ攻勢に耐えきれず、安い労務費を求めて、南アメリカや中国や東南アジ
アの諸国に生産拠点を移していった実態」がある。但し、紙パルプや石油
化学工場のような装置産業は国内に止まっていた。オバマ大統領は空洞化
させた業種に「母国に帰れ」と呼びかけたが、応じた企業は希だった。そ
れは戻っても立地条件や労務費等に何らの明るい見通しがなかったからだ。

その空洞化以後の40年ほどの間に紙パルプ産業だけを採り上げてみても、
中国を主体とするアジアの新興勢力と南にはメキシコとブラジル等の勢力
が、後発なるが故に世界最新の最新鋭の生産設備を導入することになり、
いきなり世界最大・最新の設備を擁する一大輸出国となってしまったの
だ。しかも、中国のような膨大な(安価でもあった)若年労働力層を有す
る国では、非耐久消費材の大量生産体制も維持して繊維製品と雑貨を大量
にアメリカに供給し続けた。上記は全て、トランプ政権誕生以前のことだ。

ここで問題になることは最新鋭の世界最大級の生産設備を導入した新興勢
力はその生産能力が内需を遙かに超えた規模で、輸出に活路を求める以外
に生産を継続する手段がなかったのである。中国の製紙産業を例に挙げれ
ば、急速な設備拡張の結果その生産能力はアメリカをも遙かに凌駕して、
年産量は1億トンを超える世界最大の製紙国になってしまった。これは内
需から見れば1,000万トン以上も過剰なのである。

因みに、アメリカは7千万トンほどで2位に転落した。これでは中国は輸出
攻勢に出たのは当然だ。しかも、中国はパルプの生産能力が追い付かず、
故紙の国内発生では需要を賄うほど集荷できずに、パルプとともにアメリ
カからの輸入に依存していた時期があった。それにも拘わらず、オバマ政
権は国内のメーカーの請願を受けて、中国やインドネシア等の新興勢力か
らの印刷用紙の輸入を高率の反ダンピングと相殺関税をかけて閉め出す保
護貿易政策を採った。即ち、保護貿易政策はトランプ政権以前に始まって
いたのだった。

私は事ここに至れば、トランプ大統領が「アメリカファースト」の看板の
下に明瞭に保護貿易政策に打って出たのは不思議でも何でもないと思って
いる。赤字削減などは会社経営の経験があれば、誰でも目指すところだろ
う。だが、私はトランプ大統領がもしも何か見落としておられたことがあ
れば、それは「アメリカの労働力の質の問題」と「折角世界最高の人材を
集めてR&Dに多額の投資をして開発した世界最新鋭のアイディアの商業生
産化の技術が余りにも拙劣である点」だと認識している。

その問題点をアジアの新興勢力はICT化がアメリカを遙かに抜き去った最
新鋭の合理的な設備を活かして解消し、高能率で高品質な製品を経済的な
価格で世界の市場に送り込んできたのだから、アメリカの世界市場での競
合能力が低下していったのもまた仕方がなかったと言えると思う。この現
象もまたトランプ政権以前のことである。私はトランプ大統領の心中察す
るに余りあるとは言わないが、彼の大統領の任期中に逆転まで持って行く
のは至難の業だと見ている。

要点は「トランプ大統領が何処までアメリカの労働組合の在り方と労働力
の欠陥を認識され、改善すべき問題点に取り組まるか」である。その改善
されるべき労働者の層が、トランプ大統領の最大の支持基盤なのである。

ここで一気呵成に結論めいたことを言えば、「だからと言って、いきなり
高率の関税を賦課するといったような貿易戦争になりかねないような荒技
に打って出るのが最善の策なのだろうかという疑問である。アメリカ式の
「これを言うことで失うものはない。後は相手国の譲歩を待つだけだ」と
の作戦なのかどうかなどは、私には解らない。残された問題点は「習近平
主席は何処まで世界の貿易と自国を含めたその歴史を認識して、事に当
たったいるのか」にかかってくると思っている。

私は安倍総理が現在のアメリカと中国の間に勃発しかかっているかに見え
る貿易戦争の直ぐ脇に立たれて、如何にして我が国の利益と権益を守りき
るように17日からのトランプ大統領との会談を進めてこられるかに期待する。



at 09:00 | Comment(0) | 前田正晶

◆紫式部と蕪村の「和紙」

毛馬 一三


書き出しは、大阪俳人与謝蕪村のことからだ。蕪村(幼名:寅)は、生誕地大阪毛馬村で幼少の頃、母親から手ほどきをうけて高価な「和紙」を使って「絵」を描いて、幼少時期を楽しんでいたからだ。

寅は、庄屋の子供だったから、高価な「和紙」を父から自在に貰って、絵描きに思いのままに使ったらしい。

その幼少の頃の絵心と嗜みが、苦難を乗り越えて江戸に下り、巴人と遭遇してから本格的な俳人となったのも、この幼少の頃「和紙」に挑んだ「絵心」とが結び付いたらしい。

さて、本題―。

高貴な「和紙」の事を知った時、ジャンルは違うが、紫式部が思い切り使って「和紙」を使って「世界最古の長編小説・源氏物語」を書いたことを思い出した。

そのキッカケは、福井県越前市の「和紙の里」を訪ねてからである。

越前市新在家町にある「越前和紙の里・紙の文化会館」と隣接する「卯立の工芸館」、「パピルス館」を回り、越前和紙の歴史を物語る種々の文献や和紙漉き道具の展示、越前和紙歴史を現す模型や実物パネルなどを見て廻った。

中でも「パピルス館」での紙漉きを行い、汗を掻きかき約20分掛けて自作の和紙を仕上げたのは、今でもその時の感動が飛び出してくる。

流し漉きといって、漉舟(水槽)に、水・紙料(原料)・ネリ(トロロアオイ)を入れてよくかき回したあと、漉簀ですくい上げ、両手で上下左右に巧みに動かしていくと、B5くらいの「和紙」が出来上がる。まさにマジックの世界だ。

ところでこの越前和紙だが、今から約1500年前、越前の岡太川の上流に美しい姫が現れ、村人に紙の漉き方を伝授したという謂れがある。

山間で田畑に乏しかった集落の村人にとり、紙漉きを伝授されたことで、村の営みは豊かになり、以後村人はこの姫を「川上御前」と崇め、岡太神社(大瀧神社)の祭神として祀っている。

<その後大化の改新で、徴税のため全国の戸籍簿が作られることとなり、戸籍や税を記入するために必要となったのが「和紙」である。そのために、越前では大量の紙が漉かれ出したという。

加えて仏教の伝来で写経用として和紙の需要は急増し、紙漉きは越前の地に根ざした産業として大きな発展を遂げてきている>。

さて長編小説「源氏物語」の作者紫式部は、執筆に取り掛かる6年前の24歳の時(996年)、「和紙」の里・越前武生に居住することになり、山ほどの「和紙」に囲まれて、存分に文筆活動に励んだ。

当時、都では「和紙」への大量の需要があったらしく、宮廷人も物書きも喉から手が出る程の「和紙」だったが、手には入らなかった。

ではどうして都にいた紫式部が、遥か離れた「和紙」の里越前の武生に移住してきたのか。それはご当地の国司となった父の藤原為時の“転勤”に関わりがある。文才だけでなく、商才に長けた為時の実像が浮かび上がる。

<為時は、中級の貴族で、国司の中で実際に任地へ赴く“転勤族”だったそうで、996年一旦淡路の国(下国)の国司に任命されるが、当時の権力者・藤原道長に賄賂の手を使って、転勤先を越前の国(上国)の国守に変更してもらっている。はっきり言えば為時は、淡路の国(下国)には赴任したくなかったのだ。何故なのか。

当時、中国や高麗からの貿易船が日本にやってくる場合、海が荒れた時や海流の関係で、同船団が「越前や若狭」の国を母港とすることが多く、このため海外の貴重な特産品が国司のもとに届けられ、実入りは最高のものだったという>。

藤原為時一族は、中級の貴族ながら文才をもって宮中に名をはせ、娘紫式部自身も為時の薫陶よろしく、幼少の頃から当時の女性より優れた才能で漢文を読みこなす程の才女だったといわれる。

これも商才に長けたばかりでなく、父親の愛情として、物書きの娘に書き損じに幾らでも対処できる「和紙」提供の環境を与えたものといわれる。

<この為時の思いは、式部が後に書き始める「源氏物語」の中に、武生での生き様が生かされている。恐らく有り余る「和紙」を使い、後の長編小説「源氏物語」の大筋の筋書きをここで書き綴っていたのではないだろうか。平安時代の歌集で、紫式部の和歌128 首を集めた「紫式部集」の中に、武生の地で詠んだ「雪の歌」が4 首ある。

越前武生の地での経験が、紫式部に将来の行き方に影響を与えたことはまちがいない。と同時に式部は、国司の父親のお陰で結婚資金をたっぷり貯め込むことも成し遂げて、約2年の滞在の後、京都に戻り、27歳になった998年に藤原宣孝と結婚している>。

越前武生の生活は、紫式部にとり「和紙」との出会いを果たして、後の世界最古の長編小説への道を拓くことに繋げた事は、紛れもない事実であろう。

<紫式部の書いた「源氏物語」の原本は現存していない。作者の手元にあった草稿本が、藤原道長の手によって勝手に持ち出され外部に流出するなど、「源氏物語」の本文は当初から非常に複雑な伝幡経路を辿っていたという。

確実に平安時代に作成されたと判断できる写本は、現在のところ一つも見つかっておらず、この時期の写本を元に作成されたと見られる写本も、非常に数が限られているという>。
 
この歴史の事実と筆者の推論を抱きながら、「紫式部公園」に回り、千年前の姿をした高い式部像に対面してきた。

北京五輪の開会式の時、中国の古代4大発明の一つとして「紙」を絵画の絵巻をCGで描き、国威を高らかに示した。

この紙が7〜800年後に日本に渡り、「和紙」となった。その後、「世界最古の長編小説を書いた女性が日本にいた」ということは、中国は勿論諸外国は知らない。

参考:ウィキペディア、: 青表紙証本「夕顔」 宮内庁書陵部蔵 
(加筆再掲) 

2019年04月17日

◆ものつくり大国=ニッポンは・・・

宮崎 正弘


平成31年(2019)4月16 日(火曜日)弐 通巻第6043 号 

ものつくり大国=ニッポンは何処へ行ってしまったのか
シャープは買収されSONYに面影なく、半導体は韓国、台湾に抜かれた

このところ日本の自動車メーカーのリコール騒ぎが相次いでいる。検査不
適正が問われ、信用が失墜している。ホンダは英国から撤退し、逆に中国
の製造設備を拡充している。トヨタはHV特許の無料開放に踏み切る。

いったいどうなっているのか? 日本人のものつくり精神は死んだのか?
 嘗てSONYのテレビとウォークマンは世界市場を席巻し、ヴィデオも
日本勢の天下だった時代があった。

それが、いまは面影もないほどに衰退した。何が原因だったのか?

日本のスマホは世界市場で失墜した。SONYのスマホは日欧市場に集約
するが、いまではシェアはわずかに1%。京セラは日本でのみ強い。富士
通は東芝と統合し、2018年には国内ファンドに売却した。パナソニックは
インドのみ。三洋とNECも撤退した。国内で幅を利かせているのは外国
製である。

5G時代を迎える通信の基地局はエリクソン、ファーウェイ、ノキア、
ZTE、そしてサムソン。わずかなシェアを日本の基地局が受け持つに過
ぎず、ただし米中貿易戦争によって首位のファーウェイはエリクソンに巻
き返された。

とはいえ依然として世界の基地局市場で、26%のシェア、ZTEも12%の
シャアを誇り、とりわけ発展途上国では廉価のため、マーケットを確保で
きている。

米国のファーウェイ排斥も、日本と英国が名乗りを上げたが、追随したの
は豪、加、NZに過ぎない。EU諸国はまだファーウェイの排斥には至ら
ず、EU首相国+中国(16プラス)にはギリシアも駆けつけて、「17プラ
ス1」と陣容を強化した。

通信機器についで監視カメラはどうかと言えば、嘗て防犯カメラは回転軸
がドイツ製、レンズは圧倒的に日本製だった。しかしその後は防犯設備
も、プライバシー擁護という制約があって、日本とドイツがカメラ精度を
制限している所為か、いまでは中国の天下となった。

監視カメラとドローンは中国が世界一。

とりわけ監視カメラによる顔面識別技術が強化され、中国のハイクビジョ
ン(杭州海康威視数字技術)、ダーファテクノロジー(浙江大華技術)、
また警察軍使用の特殊無線ではハイテラ(海能達通信)が強みを見せてきた。


 ▲日の丸テクノロジーはいったいどうして衰退したのか?

日本の官主導の巻き返し作戦は、ほぼ失敗、もしくは頓挫中である。

半導体は韓国、台湾に市場も技術も奪われ、失地回復をはかったルネサ
ス・エレクトロニクスは、なんと減産と人員削減である。

ルネサスは2
万人従業員のうち、千人を削減する対策を発表したことは、もはや台湾、
韓国にも追いつけないという悲惨な現実に直面したことではないのか。

国内需要ばかりか、中国景気の失墜で半導体市場が冷え込んだとルネサス
側は、メディアの記者会見で説明しているが、一方で米国インターシル社
に続き、この3月にはインタグレーテッド・デバイス・テクノロジーを
67億ドルで買収するなど、内外バランスにちぐはぐな対応ぶりが目立
つ、東芝メモリーは外国勢の傘下に転落した。

鳴り物入りのJDI(日の丸液晶)は、半導体同様に、台湾と中国企業の
出資を受けることになり、株式多数派を失う。JDI(ジャパンディスプ
レィ)は日立、東芝,SONYの液晶事業が2012年に統合した半官半
民の寄り合い所帯だった。

つまり行政指導が失敗を演じていることであり、しかも誰も責任を取ら
ず、嘗ての通産省という、アメリカの脅威だった行政機関は機能不全に
陥ったかのようだ。

日本のものづくり世界一の面影はもう無い。昭和は遠くなりにけり。

      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 フェミニストが軍人達の命を奪い、世界最強の軍隊を弱体化させた
いずれフェミニズムが米国を崩壊させるという暗澹たる近未来を予測

   ♪
マックス・フォン・シュラー『日本に迫る統一朝鮮の悪夢』(ハート出版)
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在日45年の元米国海兵隊員シュラー氏は歴史研究家でもある。
 
評者(宮崎)も、一度だけお目にかかったことがあるが、結婚式の牧師を
やっています、と自己紹介されたときは驚いた。

すでに多くの著作があり、親しんだ読者も多いと思われるが、『アメリカ
人が語る日本の歴史シリーズ』第3弾になる。しかも英語と併記された新
型スタイルの本である。

本書には秀吉が切支丹伴天連の日本侵略の野心を見抜いたが、そのあたり
の経緯も詳しく書かれている。

しかも、この新作は朝鮮戦争勃発シミュレーションを軸に、じつは米兵が
頼りない。自衛隊がしっかりしなければ危機を乗り切れないというのに、
日本はまったく軍事音痴ときている実態を暴露している。
 
――守るべきは憲法九条ではない。この日本という祖国ではないのか。

――それなのに日本人は戦争の足音に気がついていない
と、シュラー氏は真摯に警告を発する。
 
なぜ米兵は駄目なのか。沖縄には歩兵と砲兵の海兵隊しかいないうえ、昨
今の米軍はフェミストとかの珍現象に巻き込まれ、まったく士気が低下し
ているというおそるべき現実についての考察がある。

おりもおり、シカゴ市長にはLGBTを公言する黒人女性が当選したかと
思いきや、こんどはLGBTで、インディアナ州サウスペンド市長のピー
ト・ブデジェッジが、大統領選挙に出馬すると表明した(4月14日)。
 くわえて少数派を過度に尊重し、むしろ全体の調和を壊すのがポリティ
カル・コネクトネスであるという指摘は満腔の賛意である。

軍隊の中に同性愛がはびこると、行動が乱れ、規律の維持が難しくなる。
女性は戦闘現場の最前線にだすべきではないのだ。ところが、オバマ政権
は、率先してアメリカ軍を弱め、ポリティカル・コネクトネスを重視し、
米国の分裂を一層促進した。

ようやくトランプになって秩序の回復が叫ばれているが、もはや取り返し
が付かない悲惨な状況を露呈するに至ったという。

フェミニストが軍人達の命を奪い、世界最強の軍隊を弱体化させ、いずれ
フェミニズムが米国を崩壊させるだろうと暗澹とした近未来、もし、その
況下に朝鮮戦争が起きれば、いったいどうなるのだろう。

このシミュレーションと対策は本書を読んでいただくしかない。

         

◆「わが祖国」を聴きながら

渡部 亮次郎


高く済んだ秋空の下(もと)、ひさしぶり、MDでスメタナの「わが祖国」
を聴きながら、落葉で金色に輝く公園の道を散歩した。いつもは「ラジオ
深夜便」の録音を再生したのにつづいて聴くのはモーツアルトかベートー
ヴェンなのに。

なにか壮大で厳粛な気分に浸ることができるからである。とても演歌や
フォークソングではこうは行かない。祖国、国土、独立、さらに故郷の風
物への愛を強烈に感じる。

連作交響詩『わが祖国』 (わがそこく、Ma Vlast) は、ベドルジハ・スメ
タナの代表的な作品で、1874年から1879年にかけて作曲された6つの交響
詩から成る。スメタナは聾唖者になっていた。

全6作の初演は、1882年11月5日、プラハ国民劇場横のジョフィーン島にあ
る会場で行われた。この曲は、近来、毎年行なわれるプラハの春音楽祭の
オープニング曲として演奏されることが恒例になっている。

1 ヴィシェフラド  2 ヴルタヴァ  3 シャールカ  4 ボヘミアの牧場
と森から  5 ターボル  6 ブラニークの6曲から成るから、通しで聴け
ば1時間20分ぐらいかかる。

音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、ある貴族の家の音楽教師の
座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストからの資金援助を受
け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)となるが、作曲活動を続け、この
出来事の後に書かれた代表的な作品が『わが祖国』である。

1 ヴィシェフラド
『高い城』とも訳される。かつてボヘミア国王の住んでいた、プラハの大
きな城が描かれた作品。1874年に作曲された。吟遊詩人が古代王国の栄枯
盛衰を歌う、という内容である。

この作品の冒頭に現れ、全曲を通じて繰り返し用いられる旋律の最初の部
分には、スメタナの名前の頭文字B.S.(=B♭−E♭)が音として刻まれている。

2 ヴルタヴァ 『モルダウ』の名で知られる。一連の交響詩群の中で最
も知られた作品であり、単独で演奏されたり、録音されることも多い。ヴ
ルタヴァ川(モルダウ川)の、源流近くからプラハへと流れ込むまでの様
子が描かれている。1874年に作曲された。 スメタナの故郷を思う気持ち
が現れている。

3 シャールカ 1875年に作曲された。シャールカとはチェコの伝説に登
場する勇女の名である。恋人に裏切られたことによって男への復讐を決意
した、という。そのシャールカが男の兵士達を策略にはめて皆殺しにす
る、という(男性にとっては首筋が寒くなる)内容である。

4 ボヘミアの牧場と森から 1875年に作曲された。ボヘミアの美しい風
景を音楽としたもの。途中、ドイツ風の歌やボヘミア風の歌といった民族
的な旋律も現れる。

5 ターボル 1879年に作曲された。ターボルとはボヘミア南部の町の名
である。フス派の人々の拠点であった。フス派の戦士の不屈の戦いを描い
ている。彼らの間で歌われたコラール『汝ら神の戦士たち』が用いられて
いるが、これは『ブラニーク』でも引き続き用いられる。

6 ブラニーク 1879年に作曲された。ブラニークとはボヘミア中部の山
地の名である。その山々の深い森の中にて1000年前のチェコ民族の守護聖
人と勇士達が眠っており、チェコ民族が存続の危機に瀕した時に彼らがよ
みがえって救いの手を差し伸べる、という伝説がある。

曲は、邪悪に覆われた祖国をその勇士達が勝利を収めて解放する、という
内容である。

ベドジフ(またはベドルジハ、ベトルジヒ)・スメタナ(Friedrich)
Smetana, 1824年3月2日― 1884年5月12日)

ビール(チェコ・ビール)の醸造技師の息子として、ボヘミア北部のリト
ミシュル(Leitomischl)に生まれた。若い頃にピアノとヴァイオリンを
学び、家族の参加していた趣味的な弦楽四重奏団で演奏していた。

父親の反対にも拘らず、音楽を学ぶためにプラハへ赴いたスメタナは、あ
る貴族の音楽教師の座を獲得し、1848年には、作曲家フランツ・リストか
らの資金援助を受け、彼自身の音楽学校を設立した。

1874年に梅毒に起因して聾唖(ろうあ)になっても作曲をつづけた。のち
1884年に正気を失い、プラハの精神病院へ収容され、この地で生涯を終え
た。ヴィシェフラトの有名人墓地に葬られている。

スメタナは、明確にチェコの個性の現れた音楽を書いた最初の作曲家であ
るといわれる。そのため、チェコ国民楽派 の開祖とされる。

彼の歌劇の多くは、チェコの題材に基いており、中でも『売られた花嫁』
は喜劇として最もよく知られている。彼は、チェコの民俗舞踊のリズムを
多用している。

また、彼の旋律は民謡を彷彿とさせる。同じ様にチェコの題材をその作品
中に用いた作曲家として知られる アントニン・ドヴォルザークに大きな
影響を与えた。

主な作品

歌劇
『ボヘミアのブランデンブルク人』(1862)
『売られた花嫁』(1863)
『ダリボル』(1867)
『リブシェ』(1872)
『二人のやもめ』(1874)
『口づけ』(1876)
『秘密』(1878)
『悪魔の壁』(1882)
『ヴィオラ』(未完)

管弦楽曲
祝典交響曲 作品6(1853)
交響詩『リチャード三世』(Richard III)作品11(1857-58)
交響詩『ヴァレンシュタインの陣営』作品14(1858-59)
交響詩『ハーコン・ヤルル』(Hakon Jarl)作品16 (1861-62)
連作交響詩『わが祖国』(Ma Vlast)(6曲)(1874-79)
祝典序曲 ニ長調 作品4(1848-49)
プラハの謝肉祭

室内楽曲
弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876)
弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83)
ピアノ三重奏曲ト短調作品15(1855)
『わが故郷から』(ヴァイオリンとピアノのための、2曲)(1880)

「わが祖国」の初演から100年に当たる1982年に、記念演奏会が東京で開
催された。(演奏は、ヴァーツラフ・ノイマンの指揮によるチェコ・フィ
ルハーモニー管弦楽団)同公演はライブ録音され、翌年レコードとして発
売された。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』2007・11・14


◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275 

◆基礎疾患に注目しよう 

石岡 荘十


「基礎疾患」は医学用語で「病気の大元の原因となる疾患」と定義される。

例えば、よく言われるのが心筋梗塞や脳梗塞の基礎疾患として挙げられる「死の四重奏」。

内臓脂肪型肥満(リンゴ型肥満)、高血圧、高脂血症、糖尿病の4つが揃っていることを言い、死亡率は、そうでない人に比べて30倍以上も高くなるという調査結果がある。これにさらに喫煙習慣を加えた五つ揃い文で「死の五重奏」という。

リンゴ型肥満というのは中高年男性の典型的な体型で、写真などで見る金正日氏がその典型的な体型である。女性の場合は、体脂肪が引力に逆らえず臀部に下がってくるので「(西洋)ナシ型肥満」ということになる。


内臓脂肪型肥満の人は動脈硬化になりすく、心臓病や脳卒中へと進んでいくリスクが高まるからだ。

メルマガ「頂門の一針」主宰の渡部氏が治療の経緯を述べておられる。一応、犯人は脳血栓の予防薬プレタールの副作用ということになったようだ。渡部氏は数十年前に禁煙を実行しておられるし、お見掛けしたところ、内臓脂肪もそれほど大量に溜め込んでいる様子はない。しかし糖尿がある。

高血圧、高脂血については伺ったことはないが、もし該当するような疾患の症状があるとすれば、末永く健筆を振るわれるためにも基礎疾患を撃退するよう心がけて頂きたい。

一口に「撃退」といっても、そのほとんどが、長年のいわゆる生活習慣病の結果なのでそう簡単にはいかない。例えば禁煙。簡単に決別できる人もいるが、懲りるような事態、例えば片肺切除に追い込まれてやっと、止めることが出来たという友人もいる。

心臓手術は不整脈の基礎疾患だ。

筆者は、13年前、心臓の大動脈弁が機能しなくなり人工の機械弁に置換する手術を受けた。10歳の頃から大動脈弁がうまく閉じない障害がありながら、手術までの50余年間放置しておいた結果、心臓の筋肉が正常な人の2倍近い厚さ(1.7ミリ)に肥厚し、弾力性を失いかかっていた。

手術後、不整脈の一つである心房細動に悩まされたのは、心臓手術によって傷つけられ弾力性を失った心筋が基礎疾患となって、時々、心臓の細胞があちこちで異常な動きを見せるためだと診断された。そこで、術後8年目(‘07年)、心房細動の根治治療に踏み切った。

カテーテル(ビニールの細い管)を腿の付け根から差し入れて、心臓まで押し進め、異常行動を起こす細胞を捜索・特定し、高周波で焼き切る。

カテーテル・アブレーション(電気焼妁)といわれる最先端の不整脈治療法だ。その上、術後、何種類かの薬の服用を強いられ、辛うじて心房細動の再発を阻止している。

心臓手術を経験すると、心房細動を起こしやすくなる。橋本龍太郎元首相は、心臓の弁(僧帽弁)がうまく閉じなくなり、私と同じように人工の機械弁に取り替える手術を受けた。

その3年後(‘06)、同じように心房細動を起こし、心臓で出来た血栓(血の塊)が飛んで腸に栄養を送る動脈を詰まらせ、どんな鎮痛剤も効かない激痛を訴えながら死亡した、といわれる。

死因は「腸管虚血を原因とする敗血症ショックによる多臓器不全」だが、この場合の基礎疾患は心臓手術→心房細動である。しかし、いまさら手術経験をなかったことには出来ない。

そこで、薬で心房細動を抑え込むことになるのだが、「すべての薬は毒」である。大学の薬学部で教鞭をとっている友人は、学生にまずこのことを教えるという。

だから種類と量の処方にはくれぐれも慎重でなくてはならないのだが、日本では2万種類の薬が使われている。この中からピタリ鍵穴に合う一本の鍵のような薬を処方するのは、至難の技である。

マスターキーはない。そう考えると、副作用が出ないほうがおかしいともいうことが出来る。私もプレタールを服用しているが、渡部氏のような副作用は今のところない。鍵穴の型が異なるということだろう。

アメリカには「5種類以上の薬を処方する医者にはかかるな」というのが常識だそうだが、日本では65歳以上の高齢者は平均して6種類の薬を服用しているといわれる。

が、薬はあくまでその場しのぎの対症療法に過ぎない。その中で一番多いのは複数種の降圧剤だ。ほとんどの降圧剤には性的機能を不能にする副作用があることはあまり知られていない。「そのお歳でもういいでしょう」と、医者はなめて処方しているのかもしれない。なめるな! 

基礎疾患である生活習慣病の克服こそが根治治療法であり、それができれば “毒”をのまなくてよくなる理屈である。“夜明けのテント”も夢ではなくなるかもしれない。        



2019年04月16日

◆ロシアゲートからスパイゲートへ移行

          Andy Chang
 
 
ロシアゲートの調査が終わってマラー報告書ではトランプのロシア疑
惑の証拠が見つからなかったと発表されたと思ったら、今度はスパイ
ゲートが始まった。スパイゲートとはバー司法長官が国会で民主党議
員に政府調査機関がトランプ陣営にスパイ行為を行ったかと聞かれ、
確かにスパイ行為があったと答えたことから始まったのだ。

先週水曜日(10日)に民主党優勢の国会がバー司法長官を喚問して、
民主党のJean Shaheen上院議員が「貴官は政府の調査機関(FBI)がト
ランプ陣営にスパイ行為を行った調査を開始したが、スパイ行為はあ
ったのか?」と聞かれ、バー司法長官は「スパイ行為。イエス、確か
にスパイ行為がありました」と答えたのである。

慌てたもう一人の上院議員が「なぜFBIの調査をスパイと呼ぶのか?」
と聞かれ、「調査機関がさまざまな事項について調査をするのは当然だ
が、政治調査(Political investigation)は別問題だ。政治調査はある
べきでない。スパイ行為は重大事件(Big deal)である。司法部が調
査をするのは当然のことである」と答えた。

更にもう一人の民主党議員は「FBIの調査をスパイ行為と呼ぶのは社
会に大きな影響を与える。なぜスパイ行為と呼ぶのか?」と聞かれ、
バー司法長官は、「法的許可の無い調査(Unauthorized Investigation)
だからスパイ行為だ」と答えた。

このあとメディアがさっそくSpygateと言う名称を奉ったのである。
民主党側は、バー司法長官を国会に喚問してマラー報告書の「無削除
全文」の提出を求めるつもりだったのだが、藪をつついて蛇を出した
結果となった。

なぜこんなことが起きたのか?

(1)トランプが嫌いだから。
(2)ヒラリーを当選させたかった。ヒラリーが落選した後も恨みが
残った。
(3)オバマ民主党は共和党に負けたくなかった。しかし、トランプ
が当選した後も民主選挙で当選した大統領をでっち上げの無実の罪で
調査を始めた。
(4)トランプが当選したけれどロシア疑惑をデッチ上げて監獄にブ
チ込んでやるという。この陰謀にオバマ政権の国務院、FBI、DOJ、CIA、
NSAなどの高級官僚が多数関わっていたのである。

Deep Stateの陰謀はかなり大がかりだった。The Epoch Times(新紀元
時報)のYoutube報道によればオバマ政府の各部門で陰謀に加担した
人物が各部門で数人ずつ、全部で40人ぐらいが顔写真入りで報道され
ている。

Deep Stateの犯罪がかくも大がかりでしかも執念深いものだったとは、
博打に負けこんで更に大博打を打ち、遂に破産した状態とソックリで
ある。もともとヒラリー当選のために罪を犯し、落選しても罪を隠すた
め更に罪を重ねていったのだ。

マラー検察官の調査は2,500,000,000ドルと二年の時間、20数人の弁
護士を使って200人以上の証人喚問を行い、2,800件の書類召喚状を発
布してもトランプのロシア癒着の証拠が見つからなかった。つまりト
ランプは無実の罪で二年も苦しめられた被害者である。米国有史以来
の大犯罪であり、これだけの金と時間と労力を費やした大陰謀につい
て、誰が首謀者で仲間は誰でどうやってトランプの罪をデッチ上げた
のか、真相調査を要求するのは当然である。

私は今シンガポールに居て、こちらで数人の人とトランプについて話
し合ったが、みんながみんな今でもトランプが有罪だと言い張って譲
らない。マラー報告書では「ロシア疑惑の証拠」が見つからなかった
が、犯罪証拠がなかったと言う結論は出していないと言う。調査して
も証拠が出なかった、けれどもトランプは有罪だと言うのは可笑しな
話である。でも全世界でトランプの潔白を信じない人はかなり多いこ
とがわかる。トランプの潔白を証明するためにもDeep Stateの犯罪調
査は続けるべきである。

at 09:00 | Comment(0) | Andy Chang

◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275 

<書評とコラム>

宮崎 正弘


平成31年(2019)4月15日(月曜日)通巻第6041号 

桜林美佐監修/自衛隊家族会編『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に
寄り添う支援』(並木書房)
L・ネヴィル著/床井雅美監訳『欧州対テロ部隊─進化する戦術と最新装
備』(並木書房)
樋泉克夫のコラム 
読者の声

書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 

その使命は命を救うこと。生きる希望と勇気を与えること
半世紀にわたる災害救援の活動からみるヒューマニズム。

 ♪
桜林美佐監修/自衛隊家族会編『自衛官が語る災害派遣の記録─被災者に
寄り添う支援』(並木書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

本書は、自衛隊員の家族によって構成される自衛隊家族会の機関紙『おや
ばと』に連載された「回想 自衛隊の災害派遣」をまとめた。過去半世紀
に亘って実施された主な災害派遣と、それに従事した指揮官・幕僚・隊員
たち37人の証言が収められている。

昭和26年のルース台風で当時の警察予備隊が初の災害派遣をして以来、自
衛隊はこれまでに4万件を超える災害派遣を実施してきた。離島での救急
患者の輸送をはじめ、不発弾処理、行方不明者の捜索、医療や防疫まで、
その活動は広範に及んだ。

世界にも報じられた「阪神・淡路大震災」では当時の厚生省から被災者の
入浴支援は「公衆衛生法に反する」と指摘されたり、「地下鉄サリン事
件」では、自ら防毒マスクを外して安全を確認した化学防護隊長の証言な
どが記録された。

被災地でご遺体を搬送したら、警察から「検視前に動かすと公務執行妨害
になる」と言われたり、瓦礫の除去も私有財産を勝手に処分することが許
されるのかという問題もあった。

2016年の「熊本地震」災害派遣では、即応予備自衛官が招集され、整体師
の資格をもつ隊員が避難所で被災者のケアをし、フォークリフト技能者が
救援物資の仕分けの大活躍だった。

自衛隊の災害派遣というと、ヘリコプターなど機動力を活用した迅速な部
隊の展開、組織力を発揮した人命救助、そして行方不明者の捜索などが中
心と言われるが、救援活動の指揮能力の高さが、それを可能にしたのだ。

監修の桜林美佐氏は言う。

「手記を通して感じるのは、自衛官たちが「真心」を尽くしているという
ことです。それだけに、その誠意に応えるとともに、もっと高く評価しな
くてはなりませんし、東日本大震災当時、第1輸送ヘリコプター群第104
飛行隊長だった加藤憲司さんが触れているように、隊員たちが後顧の憂い
なく任務に専念できるように留守家族の支援を手厚くし、強化することは
不可欠だとつくづく思います。本書を通して、多くの読者に自衛隊の活動
への理解促進と、防災の一助にしていただければ幸いです。」

なお編者の桜林美佐さんは防衛問題研究家。TV番組制作などを経て防衛・
安全保障問題を研究・執筆。2013年防衛研究所特別課程修了。防衛省「防
衛生産・技術基盤研究会」、内閣府「災害時多目的船に関する検討会」委
員、防衛省「防衛問題を語る懇談会」メンバー等歴任。安全保障懇話会理
事。国家基本問題研究所客員研究員。著書に『奇跡の船「宗谷」』『海を
ひらく−知られざる掃海部隊』『誰も語らなかった防衛産業』『自衛隊と
防衛産業』(以上、並木書房)、『日本に自衛隊がいてよかった』(産経
新聞出版)、『自衛隊の経済学』(イーストプレス)、『自衛官の心意
気』(PHP研究所)、『自衛隊の実像〜自衛官24万人の覚悟を問う』
(テーミス)他

公益社団法人 自衛隊家族会は「自衛隊員の心の支えになりたい」との親
心から自然発生的に結成された「全国自衛隊父兄会」が1976(昭和51)年
「社団法人」、2012(平成24)年に「公益社団法人」として認可され、
2016年に「公益社団法人自衛隊家族会」と名称変更。現在、約7万5千人の
会員が国民の防衛意識の高揚、自衛隊員の激励、家族支援などの活動を全
国各地で活発に実施中。防衛情報紙『おやばと』を毎月発行、総合募集情
報誌『ディフェンス ワールド』を年1回発行。
         
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ヨーロッパをテロから守る警察・法執行機関最強の対テロ部隊!
 東京五輪を間近に控えて日本も本格的なテロ対策を講じなければならない

   ♪
L・ネヴィル著/床井雅美監訳『欧州対テロ部隊─進化する戦術と最新装
備』(並木書房)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
1972年のミュンヘン・オリンピックにおけるイスラエル人選手の虐殺は、
国際テロリズムの危険性について世界に大きな警鐘を鳴らした。とくにこ
のような事態に準備ができていなかったヨーロッパ各国政府の受けた衝撃
は大きく、それから数週間以内にドイツ、フランスなどの警察組織・法執
行機関、軍の中にテロ対処専門部隊が発足した。

 本書は主として対テロ戦の道を切り開いたイギリスのSAS特殊プロジェ
クトチーム、ドイツのGSG9、フランスのGIGNの誕生の経緯、実際の作戦
をたどりながら、これらの部隊を手本にして発足した30か国以上もの欧州
各国の対テロ部隊の現状を活写する。

ここには2015年1月にパリで起きた『シャルリー・エブド』襲撃事件、さ
らに同年11月に発生したパリ同時多発テロ事件での特殊部隊「BRI-BAC」
の対テロ作戦も紹介されている。

その後もさまざまなテロ組織から継続的な、あるいは新たな脅威に対して
対テロ部隊の戦術と装備品は進化を続けたが東京オリンピック・パラリン
ピックを来年に控え、日本もテロ警備は他人事ではない。

テロリズムと戦争の境界が曖昧になり、絶えずテロの脅威にさらされてい
る現代の世界で、日本もこの当事者だ。

監訳者・床井雅美氏はこう言う。

「本書の監訳にあたって、ドイツの対テロ部隊「GSG9」を訪問したとき
のことを思い出した。 当時、GSG9の隊長を務めていたのは本書でも紹
介されているウーリッヒ・ウェグナー氏で、取材に自ら丁寧に対応してく
れた。

対テロ任務という部隊の性格上、明らかにできないものもあっただろう
が、私の質問に対し、誠実に答えてくれたのが印象的だった。そのときの
談話の中でとくに記憶に残ったものがある。

それはGSG9隊員の選抜要件に関することで、体力・運動能力、戦闘・射
撃技能、適性などについて答えが返ってくると予想しての質問だったが、
意外なことにウェグナー氏がいちばんはじめに挙げたのは、志願者の性
格、とりわけ沈着さと辛抱強さを重要視するとのことだった。

本書にもあるとおり、隊員は国境警備隊や警察で数年の勤務経験がある者
の中から選抜される。したがって、ある一定レベルの体力的、技術的な能
力や適性はすでに備えているはずだ。ウェグナー氏の挙げた性格上の要件
は訓練で獲得されるというより、持って生まれた資質や長い成長過程をと
おして涵養されるものであろう。

さらにウェグナー氏は、選考の際に同レベルの志願者2人のうち、どちら
かを選ぶとき、1人が独身者で、もう1人が既婚者だとしたら、後者を採
用すると付け加えた。家庭を持つ者のほうが、判断や行動において、冷静
でしかも慎重な場合が多いからだとその理由を説明してくれた。

実は、このような性格こそ特殊部隊の任務に最も重要なのである。

対テロ作戦にしろボディガード任務にしろ、実力行使が開始されると数
分、長くても10分以内に敵を制圧・無力化する必要がある、さもなければ
人質や警護対象者に危害が加えられたり、事態が思わぬ方向に悪化してし
まうからだ。実力行使は現場の指揮官や隊員が勝手に判断、実行できるも
のではない。

事態解決のためのあらゆる手段が試みられ、最終的には国家指導者や政府
レベルの高度な政治判断によって実力行使の許可が出される。それまでの
間、現場に展開した部隊は、すぐに行動開始できる態勢で警戒を解くこと
なく、注意深く、そして辛抱強く待ち続けなくてはならない。だから、
ウェグナー氏は前述した隊員の資質を最重視していたのだ。」

著者のリー・ネヴィル氏はアフガニスタンとイラクで活躍した一般部隊と
特殊部隊ならびにこれら部隊が使用した武器や車両に関する数多くの書籍
を執筆しているオーストラリア人の軍事ジャーナリスト。オスプレイ社か
らはすでに6冊の本が出版されており、さらに数冊が刊行の予定。戦闘
ゲームの開発とテレビ・ドキュメンタリーの制作において数社のコンサル
タントを務めている。

また翻訳を担当した床井雅美氏はデュッセルドルフ(ドイツ)と東京に事
務所を持ち、軍用兵器の取材を長年つづける。とくに陸戦兵器の研究では
世界的権威として知られる。主な著書に『世界の小火器』(ゴマ書房)、
ピクトリアルIDシリーズ『最新ピストル図鑑』『ベレッタ・ストーリー』
『最新マシンガン図鑑』(徳間文庫)、『メカブックス・現代ピストル』
『メカブックス・ピストル弾薬事典』『最新軍用銃事典』(並木書房)な
ど多数。
  
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1878回】            
 ――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(4)
竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

                 ▽

建国直後の1951年11月から52年8月にかけて、毛沢東は「三反・五反運
動」と称する運動を全国展開して「公私混淆の惡弊打破」を訴えたが徒労
に終わった。

1978年末の開放政策に踏み切った後の1980年8月、トウ小平は「幹部らは
職権を乱用し、現実からも一般大衆からも目を背け、偉そうに体裁を装う
ことに時間と労力を費やし、無駄話にふけり、ガチガチとした考え方に縛
られ、行政機関に無駄なスタッフを置き、鈍臭くて無能で無責任で約束も
守らず、問題に対処せずに書類を延々とたらい回しし、他人に責任をなす
りつけ、役人風を吹かせ、なにかにつけて他人を非難し、攻撃し、民主主
義を抑圧し、上役と部下を欺き、気まぐれで横暴で、えこひいきで、袖の
下を使えば、他の汚職にも関与している」(『現代中国の父 トウ小平』
エズラ・F・ヴォ―ゲル 益尾知佐子・杉本孝訳 日本経済新聞社 2013
年)と獅子吼したが、とどのつまりは徒労に終わった。

1989年6月、共産党独裁反対を掲げて天安門広場に集まった若者たちは幹
部による「公財私用」に反対の声を揚げたが、解放軍の力に由って圧殺さ
れてしまった。

 習近平は政権掌握から程なく「反四風運動」の旗を掲げ、幹部の綱紀粛
正を打ち出した。「反四風運動」とは、幹部による形式主義・官僚主義・
享楽主義・贅沢主義の四つの作風(四風)――具体的には公金を使っての派
手な宴会、カラオケ・レストランのみならずナイトクラブまで併設したよ
うな贅沢極まりない庁舎の建設、個人的な贅沢なパーティー、はたまた企
業接待による浪費など――に反対し、幹部の身勝手極まりない振る舞いを厳
禁することで、農村と都市、都市における富む者と貧しい者の格差の拡大
が引き起こす仇富感情を抑え、社会的安定を確立させ、政権への求心力を
高めようとした。

 これに加えて外出訪問の簡素化、分不相応な大人数での歓送迎禁止、客
を迎える際には絨毯を敷かない、外出訪問時の随員の制限などを定めた
「反浪費八項目規定」も用意されたとか。いわば、なべて平等を旨とする
社会主義政権の最高指導者としては、「これでは人民に示しがつかないで
はないか」という『大苦言』といったところだが、現在までのところ政権
の一強化は進むものの、「反四風運動」は雲散霧消化。暖簾に腕押し、糠
にクギ。

ういえば今から7年ほど前に雲南省を旅した時、「中国で最もインド洋に
近い都市」をキャッチコピーにしていた芒市の市政府役所の壁に「国家工
作人員十条禁令」がデカデカと張り出されていたことを思い出した。

それには麗々しく

一、本来の職務を遂行せず、職務を疎かにすることは厳禁。
二、ウソで固め、上司を騙し部下を誑かし、業務を執行せず、引き伸ばす
ことは厳禁。

三、物資購入の際に横流し、公共工事入札の際に手心を加えることは厳禁。

四、職務権限をタテに相手業者に金銭、食事を強要することは厳禁。
五、賭博に加わることは厳禁。
六、公共の場での麻雀は厳禁。
七、飲酒でイザコザを起こし、業務に支障をきたすことは厳禁。
八、勤務時間中に本来業務を怠ることは厳禁。
九、公金を高額遊興費に流用することを厳禁。
十、如何なる理由があれ薬物の使用を厳禁」
と10項目が。

ということは、この種の「公私混淆の惡弊打破」を特に厳禁とせざるをえ
ないほどに「公私混淆の惡弊」が横行しているに違いない。

 じつは江澤民もまた最高権力者であった当時、「永做人民公僕(永遠に
人民の公僕たれ)」の6文字を掲げていたはず。つまり、この6文字を持
ち出さねばならないほどに「公私混淆の惡弊」が横行していたというこ
と。いや、そうに決まっている。

  福沢諭吉の「門閥制度は親の仇」に倣って「公私混淆の惡弊」を「民
族の仇」と言いたいが、やはり「公私混淆の惡弊」は『民族的業病』と諦
めるしかない・・・デスね。《QED》
 

◆平原遺跡巡り  福岡県糸島市

石田 岳彦


私の故郷である福岡市の周辺では、「桧原(ひばる)」、「屋形原(やかたばる)」、「前原(まえばる)」と、「原」を「はら」ではなく、「ばる」と呼ぶ地名が散在しており、上記の「平原」も「ひらはら」ではなく、「ひらばる」と読みます。

本日は福岡県糸島(いとしま)市にある平原遺跡について述べさせていただきます。

魏志倭人伝には邪馬台国を初め、多くの国名が記載されていますが、伊都(いと)国もその中の1つです。

現在の福岡市西区から糸島市にかけては、もともとは糸島郡であった地域ですが(平成の大合併で、前原市と志摩町、二丈町がまとまって糸島市が誕生し、糸島郡は最終的に消滅しました。)、この糸島郡自体、明治時代に怡土(いと)郡と志摩(しま)郡が合併して成立しました。

この怡土が伊都と通じること、佐賀県の旧松浦郡(現在の伊万里から唐津あたりにかけての地域)にあったとされる末廬国(まつら)国の南東に伊都国があったとの魏志倭人伝の記載から、伊都国は旧糸島郡にあったとされているそうです。

平原遺跡はこの伊都国の女王の墓とされています。 平原遺跡は糸島市の平原地区(遺跡の大半は発見された場所の地名で呼ばれます)にあり、周辺はのどかな農村地帯です。

そもそもこの遺跡が発見されたのも、昭和40年に地元の農家が蜜柑の木を植えようとして、銅鏡の欠片を発見したことがきっかけでした。

報告を受けた福岡県は、郷土史家の原田大六(大正6年の生まれということで、こう名付けられたそうです。)に発掘の指揮を依頼しました。

この原田大六は、糸島中学校(今の福岡県立糸島高校)を出たものの、大学では学ばず(歴史しか勉強しようとしなかったので、進学が無理だったとか)、太平洋戦争から復員した後、公職追放にあったのを契機に(軍隊において憲兵隊に入っていたのが祟ったといわれています)、中山平次郎博士に弟子入りし、博士から9年以上にわたり、1日6時間以上のマンツーマン指導を受け、考古学者になったという歴史小説の主人公にもなれそうなユニークな経歴と個性の持ち主です。


ちなみに中山博士は、現在でいうところの九州大学医学部の教授でありながら、寧ろ考古学者としての業績が有名という(九州考古学会の設立者だそうです)、これまた変わった経歴の持ち主で、この師匠にして、この弟子ありというところでしょうか。

この原田大六が、途中からは自費で発掘を継続し、遺跡からは墳墓の副葬品と見られる多くの出土品が発掘されました。

発掘品の中でも特に目立つのは39面又は40面(何分、破片で見つかったので、枚数について争いがあるようです。)発見された銅鏡で、うち4枚は直径46.5cmと、日本で発見された銅鏡として最大のものです。

他方で、剣等の武器はほとんど見つかっておらず、被葬者が女性であったことをうかがわせます。 副葬品の内容と豪華さから見て、時代は弥生時代。被葬者は王クラスの女性、つまり女王。遺跡(墳墓)のあった場所は伊都国があったとされるエリアということで、現在では、上記のように伊都国の女王の墓と推定されています。

弥生時代の女王といえば、邪馬台国の卑弥呼が有名ですが(実際には「日巫女」という太陽神を祀る神官女王の役職名だったのではないかとの説もあるそうですが)、それ以外にも女王がいたのですね。

ちなみに原田大六は玉依姫(たまよりひめ。神武天皇の母親とされる神話上の女神です。)の墓と主張していました。

平原遺跡の女王の墓は四角形(現在では少なからず形が崩れていますが)で、写真を見ればお分かりのように、その周囲には溝が掘られています。学問的には方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)と呼ばれるタイプの墓だそうで、上記の発掘品も近年になって「福岡県平原方形周溝墓出土品」という名称で一括して国宝に指定されています。

現在の平原遺跡は、墳墓の周りが低い柵で囲まれ、その周囲は横長のレリーフが建っているのを除けば何もない広場になっており、少し離れたところに古民家(遺跡とは全く関係ありませんが、保存のため移築されたようです)が1軒ぽつんという、よく言えば開放的、率直にいえばスペースが広々と余った歴史公園となっています。
個人的にはこういう長閑な雰囲気は好きですが。

平原遺跡から車で10分ほど走ると農村風景の中に4階建の立派な建物がそびえているのが見えてきます。伊都国歴史博物館です。もともとは伊都歴史資料館といったようですが、平成16年に新館が建てられて博物館に昇格したとのこと。

「福岡県平原方形周溝墓出土品」の一部は九州国立博物館の平常展示室で公開中ですが、大半の発掘品はこちらの新館に保管・展示されています。館内撮影禁止のために写真はありませんが、鈍く緑色に輝く大型の銅鏡がケースの中にずらっと並ぶ姿はさすがに壮観です。
 
展示ケースの前に、立てられた状態の銅鏡が1枚、機械仕掛けでゆっくりと回転しながら展示されていましたが、見学者が私と妻の他におらず(施設と所蔵品の豪華さを考えれば、もったいない限りです。)、静けさの中で、微妙なモーター音をあげながら回転する銅鏡の姿は率直にいって不気味でした。

この博物館の前身たる伊都歴史資料館の初代館長には、上でも述べた原田大六が予定されていたそうですが、大六が開館を待たずに死去したため、名誉館長の称号が追贈され、資料館の前に銅像が立てられました(銅像は現在も立っていますが、新館の入り口からだと目立たない場所になっています)。

自分の主導で遺跡を発掘し、国宝級の副葬品を発見して、それを納めた郷里の資料館の前に銅像を建ててもらう。郷土史家としては頂点を極めたという感じですね。大学の考古学の教授でもここまでの成功を得られる人は滅多にいないでしょう。
 
福岡市やその近郊にお住まいの方は、休日にでもドライブがてらにでも、平原古墳と伊都国歴史博物館を訪れてみてください。晴れた日には本当に気持ちの良い場所ですので。