2019年04月15日

◆「バノン砲」が炸裂

宮崎正弘


平成31年(2019)4月11日(木曜日)通巻第6040号 

「バノン砲」が炸裂。「まだ中国を助けるアメリか企業」を名指しで非難
マッキンゼー、ゴールドマンサックス、ブーズ・アレン・ハミルトンほか。

 米国の禿鷹ファンドが中国の不良債権を買い集めてファンド化してい
る。強欲資本主義の典型だが、嘗て日本でも暴れまくり、大儲けした。
フェイスブック、アップルなどはまだ中国に未練がある。巨大な市場が魅
力的に見えるからだ。

 だがFAGAと言われるIT、AI、ビッグデータ産業の覇者らも、国
内の反中国ムードには対処できず、とりわけファーウェイ排除の強い動き
に伴って、中国への進出を縮小もしくは部門撤退にはいった。
 なにしろ最大の投資家でリベラル論客の代表でもあるジョージ・ソロス
が「西側にとって習近平は最悪の敵だ」と発言しているのだから。

 米国に渦巻くのは中国への露骨な敵対姿勢であり、メディア、学者から
政治家、それも共和党より民主党の面々が、激しく中国の不正を攻撃して
いる。
議会の中心は人権批判では民主党だが、外交、安全保障、次世代テクノロ
ジー保護を優先するのが共和党のテッド・クルーズとマリオ・ルビオ上院
議員である。ふたりとも大統領予備選ではトランプと戦った。

これらにニュート・キングリッチ(元下院議長。共和党の大物議員だった)
らを加えて、対中タカ派がずらりと揃うコーカスが「いまそこにある危
機」委員会である。
4月9日に講師に招かれたのは、かのスティーブバノン(前大統領戦略補
佐官)であった。

「バノン砲」が炸裂した。
「マッキンゼーもゴールドマンサックスも、ブーズ・アレン・ハミルトン
も、(中国に進出して不正申告に気付きながらも告発しない」会計監査事
務所や法律顧問たちは、国民と奴隷化している中国共産党に協力すること
でアメリカの国益を売っているのだ」。
中国に協力的な企業はあたかも売国奴だというようなニュアンスである。

名指しされた企業は慌てふためき、弱々しい反論をしたところもあるが、
多くは沈黙した。
ただし例外はコンサルティング会社大手の「ブーズ・アレン・ハミルト
ン」で、「われわれは中国とはビジネス関係がない」と否定する一幕も
あった。たしかに同社はマッキンゼーやボストングループを並ぶが、経営
戦略と技術のコンサルティングが主であり、世界各地に2万人弱の社員を
抱えるものの中国には支店がない。

「いま中国の次世代技術開発に歯止めを掛けなれば、米国はやがて中国の
風下に位置することになる。多くの自由な国民国家の大事な価値観が、国
民を奴隷としている中国共産党のルールにしたがい、現行の国際秩序が破
壊される」

バノン砲の要の言葉は次のフレーズである。
「ソ連を軍拡競争で打ち負かしたように、いま米国が中国に対して行うべ
きことを断行しなければならない。さもかなくば百年後に、米国がそんな
ことを言っていたなぁという時代を迎えるだろう」。
      
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 アメリカの中国「一帯一路」の評価についての報告書
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
中国の「一帯一路」に関して「新アメリカ安全保障センター」(CNAS)の報
告書が出た。
「中国の一帯一路の評価に関する報告書」
Grading China’s Belt and Road、Center for a New American Security
(CNAS)
https://s3.amazonaws.com/files.cnas.org/CNAS+Report_China+Belt+and+Road_final.pdf

概要 Executive Summary
https://marketing.cnas.org/t/d-l-pgidty-jjjyurjiid-y/
報告書に関する米国務省の記事
https://share.america.gov/study-warns-against-chinese-belt-and-road-investment/
  

◆「君が代」完成記念日

渡部 亮次郎


国歌「君が代」は1999(平成11)年に国旗及び国歌に関する法律で公認さ
れる以前の明治時代から国歌として扱われてきた。

この曲は、平安時代に詠まれた和歌を基にした歌詞に、明治時代になって
イギリス歩兵隊の軍楽長ジョン・ウィリアム・フェントンが薩摩琵琶歌
「蓬莱山」から採って作曲を試みたが海軍に不評。

海軍から「天皇を祝うに相応しい楽曲を」と委嘱された宮内省が雅楽課の
林廣守の旋律を採用(曲はイギリスの古い賛美歌から採られた)。

これにドイツ人音楽教師エッケルトが和声をつけて編曲。1880(明治13)
年10月25日に海軍軍楽稽古場で試演された。だから10月25日が「君が代」
完成記念日とされている。

明治2(1869)年に当時薩摩藩兵の将校だった大山巌(後の日本陸軍元帥)
により、国歌あるいは儀礼音楽を設けるべきと言うフェトンの進言をいれ
て、大山の愛唱歌の歌詞の中から採用された。

当時日本の近代化のほとんどは当時世界一の大帝国だったイギリスを模範
に行っていたため、歌詞もイギリスの国歌を手本に選んだとも言われている。

九州王朝の春の祭礼の歌説というものがあり、説得力はある。九州王朝説
を唱えるのは古田武彦氏で、次のように断定している。

<「君が代」の元歌は、「わが君は千代に八千代にさざれ石の、いわおと
なりてこけのむすまで・・・」と詠われる福岡県の志賀島の志賀海神社の
春の祭礼の歌である。

「君が代」の真の誕生地は、糸島・博多湾岸であり、ここで『わがきみ』
と呼ばれているのは、天皇家ではなく、筑紫の君(九州王朝の君主)である。

この事実を知っていたからこそ、紀貫之は敢えてこれを 隠し、「題知ら
ず」「読人知らず」の形での掲載した>

文部省(現在の文部科学省)が編集した『小学唱歌集初編』(明治
21(1881)年発行)に掲載されている歌詞は、現在のものよりも長く、幻
と言われる2番が存在する。

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで うごきな
く常盤かきはにかぎりもあらじ」

「君が代は千尋の底のさざれ石の鵜のゐる磯とあらはるゝまで かぎりな
き御世の栄をほぎたてまつる」

後半の「さざれ石の巌となりて」は、砂や石が固まって岩が生じるという
考え方と、それを裏付けるかのような細石の存在が知られるようになった
『古今和歌集』編纂当時の知識を反映している。

明治36(1903)年にドイツで行われた「世界国歌コンクール」で、『君が
代』は1等を受賞した。

後は専ら国歌として知られるようになった『君が代』だが、それまでの賀
歌としての位置付けや、天皇が「國ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬」していた
(明治憲法による)という時代背景から、戦前にはごく自然な国家平安の
歌として親しまれていた。

敗戦で事情は全く変わった。日本国衰退を目指すアメリカ占領軍は。それ
まで聖職者とされてきた教職員に労働者に成り下がって権力に抵抗させる
べく日教組を結成させた。

占領した沖縄では国旗の掲揚と君が代の斉唱を禁止したことでも明確なよ
うに、マッカーサーの本心は日の丸掲揚と君が代斉唱に反対であった。日
本国民が一致団結、再度、アメリカに挑戦することを恐れたのである。

それを組合の統一闘争精神に掲げたのが日教組なのである。いつの間にか
天皇を尊敬する事とか君が代を歌うことが戦争に繋がると論理を摩り替え
て、正論を吐く校長を自殺に追い込んだといわれても反論できないような
状況を招いたのである。

君が代支持の世論を背景に平成8年(1996年)頃から、教育現場で、当時
の文部省の指導により、日章旗(日の丸)の掲揚と同時に『君が代』の斉
唱の通達が強化される。

日本教職員組合(日教組)などの反対派は憲法が保障する思想・良心の自
由に反するとして、旗の掲揚並びに「君が代」斉唱は行わないと主張し
た。先生の癖に論理のすり替えの得意な人が日教組に所属する?

平成11年(1999年)には広島県立世羅高等学校で卒業式当日に校長が自殺
し、君が代斉唱や日章旗掲揚の文部省通達とそれに反対する教職員との板
挟みになっていたことが原因ではないかと言われた。

これを一つのきっかけとして日教組の意図とは反対に『国旗及び国歌に関
する法律』が成立した。法律は国旗国歌の強制にはならないと政府はした
ものの、反対派は法を根拠とした強制が教育現場でされていると主張、斉
唱・掲揚を推進する保守派との対立は続いている。

平成16年(2004年)秋の園遊会に招待された東京都教育委員・米長邦雄
(将棋士)が、(天皇)に声をかけられて「日本の学校において国旗を揚
げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と発言し「やはり、
強制になるということでないことが望ましいですね」と言われている。

なお、天皇が公式の場で君が代を歌ったことは1度もないと言われてい
る。成人前の家庭教師ヴァイニング夫人による何がしかを勘繰る向きがな
いわけではない。08・10.25

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」

春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275

◆三叉神経痛に有効な治療法!

〜ガンマナイフか?手術か?〜

中村一仁
( 脳神経外科医師)

「三叉神経痛」に対する治療方法は、内服、神経ブロック、ガンマナイフ、MVD(microvascular decompression: 微小血管減圧術)と、多岐にわたる。
 
患者は痛い治療は好まないので、近年の治療手段としては低侵襲性と有効性からガンマナイフ治療を選択することも多くなってきた。

本論のガンマナイフ治療とは、コバルト線を用いた放射線治療で非常に高い精度で目的とする病変に照射することが可能な装置である。

さて本題。「三叉神経痛」というと聞きなれないかも知れないが、簡単に言うと、顔面が痛くなる病気である。一般には「顔面神経痛」という単語が誤用されていることがある。顔が痛くなるので「顔面神経痛」という表現はわかりやすい。

ところが、顔面の感覚は三叉神経と呼ばれる第5脳神経に支配されていることもあり、正しくは「三叉神経痛」というわけである。因みに顔面神経は、第7脳神経で顔面の筋肉を動かす運動神経の働きを担っている。

三叉神経痛の原因の多くは、頭蓋骨の中の三叉神経に脳血管が接触・圧迫し刺激となることで痛みが発生するとされている。
 
<対象・方法>
さて、1999年11月から2003年10月の4年間に、当センターで治療を行った三叉神経痛31例のうち、経過を追跡した29例についての検討を行った。ガンマナイフ施行1年後の有効率は69%(20/29例)であり、31%(9/29例)が無効であった。

そこで、このガンマナイフ治療により、治癒しなかった「三叉神経痛9例」の特徴について検討した。

<結果>
ガンマナイフ治療が無効であった「三叉神経痛9例」のうち4例で、MVD(微小血管減圧術)による手術治療が施行された。4例全例で三叉神経痛は消失軽快した。

ガンマナイフ治療無効例の術中所見は、クモ膜の肥厚や周囲組織の癒着などは認めず、通常通りMVDが施行可能であった。

ガンマナイフ治療が無効であった9例について、平均年齢65.7歳(46-79歳)、男性5例、女性4例。平均罹病期間8.7年(1.5-20年)、患側は右側5例、左側4例だった。

全例MRI画像にて圧迫血管を確認した。上小脳動脈(superior cerebellar artery:SCA)による圧迫病変は通常の割合より少なく、静脈や椎骨動脈による圧迫が4例と多かった。

ガンマナイフ治療が有効であった症例との比較では性別、年齢、罹病期間、病変の左右、圧迫部位に統計学的な有意差は認めなかったが、圧迫血管についてはガンマナイフ治療無効例で有意に上小脳動脈によるものが少なかった(χ2検定,P<0.05)。

<考察>
一般に三叉神経痛は脳血管が三叉神経に接触・圧迫することで生じるとされている。その圧迫血管として最も頻度が高いとされているのであるが、今回の検討ではSCAによる圧迫が少なく、ガンマナイフ治療無効例に特徴的な所見であると考えられた。

わが国で三叉神経痛に対する治療としては、抗てんかん薬であるカルバマゼピンの内服、ガンマナイフ、MVDといった選択枝を選ぶことが多い。MVDによる三叉神経痛治療は脳神経外科医Janettaの手術手技の確立により、安全に行なわれるようになった。

しかし、高齢化および低侵襲手術への期待から、近年ではガンマナイフ治療の有効性が多く報告されるようになってきている。

当センターでの経験では、三叉神経痛に対するガンマナイフ治療の1年後の有効率は69%であり、過去の報告と大差はなかった。ガンマナイフ治療後の再発例に対して検討した報告は散見されるものの、その再発・無効の機序は明らかではなく、ガンマナイフ治療後の再発例についての検討が必要である。

三叉神経痛の発症機序は、血管による圧迫と三叉神経根の部分的な脱髄により起こると考えられており、MVDにて減圧することでその症状は軽快する。

一方、ガンマナイフによる治療では、放射線照射に伴い三叉神経全体の機能低下が起こり疼痛制御されると推察されている。

このようにMVDとガンマナイフではその治療機序が異なるため、それぞれの利点を生かすべく、再発・無効例の検討を行い、治療適応を確立していく必要がある。

過去の報告ではガンマナイフ治療後の三叉神経痛に対してMVDを施行した6症例についてクモ膜肥厚や明らかな三叉神経の変化を認めず、ガンマナイフ治療後のMVDは安全に問題なく施行できるとしており、当センターでMVDを施行した2症例も同様の所見であった。

一方で、ガンマナイフ治療施行による血管傷害の例も報告されているが、再発との関連はないように思われる。

ガンマナイフ治療施行後の再発についての検討では、年齢、性別、罹病期間、以前の治療、三叉神経感覚障害の有無、照射線量、照射部位は再発と相関しなかったとの報告がある。

今回の検討では再発に関与する因子として、解剖学的な特徴に着目した。ガンマナイフ治療無効例では上小脳動脈による圧迫病変は通常の分布より有意に少なく、一般に頻度が低いとされている椎骨動脈やMVD後に再発し易いとされる静脈による圧迫が多かった。

このことはガンマナイフ治療無効例における何らかの解剖学的な特徴を示唆する。ガンマナイフ治療では画像上、三叉神経の同定の困難な症例や神経軸の歪みの大きい症例において正確にターゲットに照射することが困難な場合もあり、より広範囲に放射線照射を行うことも考慮されている。

前述の条件が揃うものにガンマナイフ治療の無効例は多いのかもしれないが、推論の域を出ない.この仮説が成り立つならば、MVDは直接的に血管を神経より減圧し、周囲のクモ膜を切開することで神経軸の歪みを修正することができるため、このような症例に対して有効な治療であるといえよう。

しかし、圧迫部位と再発に関連性なしとする報告や、MVD後再発再手術例の約50%で責任血管などの所見なしという報告、MVD無効後のガンマナイフ治療有効例が存在することも事実であり、解剖学的因子のみが治療方法の優劣を決定する要素とはならないのかもしれない。

また、初回のガンマナイフ治療で治癒しなかった三叉神経痛に対して、再度ガンマナイフによる治療を行なうことで症状が改善するとの報告もあるが、長期的な結果はなく、今後の検討課題のひとつである。

今回の研究ではガンマナイフ治療無効例にSCA(上小脳動脈)による圧迫が少なかったという解剖学的な点に着目したが、現時点では臨床的に三叉神経痛に対する治療としてのガンマナイフ治療とMVDは相補的な関係であるべきであり、今後さらに有効例、無効例を詳細に検討することで、各治療の術前評価においてその有効性が証明されることを期待したい。

<まとめ>
ガンマナイフ治療無効例に対して施行したMVDにて、4例中4例で三叉神経痛は消失軽快した。

ガンマナイフ治療無効例9例では静脈や椎骨動脈による圧迫を多く認め、ガンマナイフ治療有効例と比較して有意にSCAによる圧迫が少なかった。今後、ガンマナイフ治療無効例の特徴およびMVDの有用性について検討する必要があると考えられた。(完  再掲)

2019年04月14日

◆「夜と朝の間に」

渡部 亮次郎


このタイトルの歌を唄ったのは女装で有名になったピーターである。作詞
のなかにし礼は男なのか女なのか判然としないピーターを
夜と朝の境目の判然としない時間に譬えて作詞した。

「夜と朝の間に」

唄 ピーター
作詞 なかにし礼
作曲 村井邦彦

<夜と朝の間に ひとりの私 天使の歌を聴いている死人のように

夜と朝の間に ひとりの私 指を折っては繰り返す 数はつきない

遠くこだまをひいている 鎖につながれた むく犬よ
お前も静かに眠れ お前も静かに眠れ

夜と朝の間に ひとりの私 散るのを忘れた一枚の花びらみたい

夜と朝の間に ひとりの私 星が流れて消えても 祈りはしない

夜の寒さに耐えかねて 夜明けを待ちわびる小鳥たち
お前も静かに眠れ お前も静かに眠れ>

ピーター 本名:池畑 慎之介 いけはた しんのすけ
1952年8月8日(62歳) 大阪府堺市西区 生まれ。
血液型 A型 俳優、タレント、歌手

慎之介は、上方舞吉村流四世家元で、人間国宝にもなった吉村雄輝 の長
男として生まれた。3歳で初舞台を踏み、お家芸の跡継ぎとして父から厳
しく仕込まれた。5歳の時に両親が離婚。母・池畑清子と暮らすことを選
択、鹿児島市で少年時代を過ごした。慎之介が母方の池畑姓を名乗るのは
これ以降である。

池畑の性的指向は長らく公表されていなかったが、のちになってバイセク
シュアルであることを明言し、男女共に恋愛経験があることを公にした。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

そう言えば私はラヂオとテレビの記者として育ったので、「きょう」とか
「きのう」「おととい」「今月」「先月」「今年」「去年」というテンスの原
稿を書き続けた。だが、これは新聞や雑誌では通用しない言葉であった。

たとえば、きょうに「きょう」とラジオやテレビで放送するのは当然だ
が、新聞で「今日」と書いても、配達されるのは「あす」だから、きょう
は昨日になってしまっている。だから日付を書くしかない。

TVの記者の古手になったら、盛んに雑誌から原稿を依頼されるようになっ
て、このことを厳しく実感した。原稿は例えば、2月に「今月」と書いても
発売される頃は「先月」になってしまっているから原稿はもともと「今
月」ではなく「2月」と書かなくてはならない。

このことはインターネットの世界でも同様である。今日はすぐ明日になっ
てしまい、4,5日経ったらいつの今日かわからなくなってしまうではな
いか。

投稿してくる人はTVを見ながら「今夜の番組で」と打ち込んでくるが、明
後日になってメルマガやブログに掲載しようとしても、「今夜」とはいつ
の今夜か分からなくて困る。今夜とか昨夜ではなくて初めから日付で語っ
ていただかないと、主宰者泣かせの原稿になっている。

これきりのことを書くのに、ピーターのことから書きはじめた。

「夜と朝の間に」と言えばピーターだから、こうなった。私はNHKで政治
記者を約20年やったが、正式なNHK教育を受けていない。

非正式職員に採用されて、秋田県大舘市駐在の記者(単身)になり、放送用
(耳から聞かせる)文章を独りで考えて送った。1年後、試験に合格して正
式記者に採用されたが、もはや教えるところは無いのか研修所(東京・
砧)へは入れられず仙台の現場に突っ込まれた。ネタや文章がNHK的でな
いのは、その所為だろう。2010・2・27


◆私たちは「日本」を守り続けられるか

櫻井よしこ


「私たちは「日本」を守り続けられるか 今こそ福澤諭吉の姿勢に学びたい」
春爛漫の日、新元号「令和」が発表された。出典は1200年前の『万葉集』
だ。長い歴史で初めて漢籍から離れ大和の文化から元号が生まれたことを
多くの人々が好感した。

この悦びは、古(いにしえ)の時代、私たちが中国から文字を学び、その
制度のよき点のみを取り入れて国造りをしたこと、その先に日本独自の価
値観に基づく大和の道を歩んだことを改めて認識させてくれる。

歴史の営みを振り返るとき、私たちの胸にはかつての中国への感謝と共
に、中華の文明に埋没せず、大和の道を選んだ先人たちへの敬愛の情が生
まれてくるだろう。

大和の道を最も端的に表現しているのが『万葉集』である。天皇、皇族か
ら、農民、兵士まで、階層や男女の別なく歌を詠み、それらをきちんと記
録して、再び言う、1200年以上、保持し続け、今日に至る。こんな国は他
にない。この新しい道を歩み続けて行く先に、大きな可能性が開けるので
はないか。歴史の大潮流における画期の一歩が踏み出された予感がする。

世界中が政治力学の根本的変化の中にあるいま、先人たちが大和の道を築
くことで立派な国造りを成功させたように、私たちはなれるだろうか。
「日本」を守り続けていけるだろうか。そんな想いで福澤諭吉の著作を読
み直している。約1世紀半も前、先人たちはどのように開国と政治体制の
大転換、列強諸国の脅威などの大波に立ち向かい、克服し得たのだろうか。

当時の世論形成の重要な道標を示し続けた福澤は、世界の事象を極めて具
体的かつ細かい観察眼でとらえている。事実を厳格に認識し、冷静に論
じ、事実抜きの論評はしていない。

たとえば明治12(1879)年8月に発表された『民情一新』である。明治12
年にはまだ帝国議会も開設されていない。帝国議会の誕生は明治
23(1890)年である。

福澤は書いている。

西洋との接触によって日本に「文明開化」がもたらされたと世論に流布さ
れているが、事実を把握しておかなければ大いに誤ちをおかすだろうとし
て、「西洋の理論決して深きに非ず、東洋の理論決して浅きに非ず」だ
と、明確に断じている。

そのうえで、ではなぜ、西洋の文物が「文明開化」を促すとしてもてはや
されるのかと問うている。それは西洋では文学も理論も実用に結びついて
いるからだと福澤は説く。つきつめていくと国全体に交通の便が開かれ、
人々は物理的精神的に解かれているからだと言うのだ。

「人心が一度び実用に赴くときは、その社会に行われる文学なり理論なり
は、皆、実用の範囲を脱す可らず(実用に耐えなければならない)」

福澤は冷静に洋の東西を比較し、日本が手掛けるべきことを具体的に挙げ
たのだ。具体論が基本にあるために、否定するのは難しい。『兵論』、即
ち国防論についても同様だ。

明治15(1882)年の『兵論』は立国に兵備の欠かせないことから書き出
し、列強諸国の人々、歳入、陸軍人、陸軍費、軍艦、海軍費を比較した。
当然の比較だが、福澤は単なる数字上の比較で終わっていない。

軍人1人が守る国民の数はフランスが70人、ロシア110、イタリア130、オ
ランダ57、イギリス230、ゲルマン(ドイツ)100、日本480だなどの比較
に加えて軍人の給料、それで賄いうる食事の質までも細かに論じた。日本
の兵の給与、1日6銭では「鮮魚肉類」は口にできず、肉食の多い列強諸国
や支那と較べて、日本の軍人は体力面で劣るなどと、説得力のある説明が
続く。

事実に基づいた視点は研ぎ澄まされている。このような姿勢をとりわけい
ま、学びたいと思う。

『週刊ダイヤモンド』 2019年4月13日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1275

◆世界第2位の経済大国が・・・

宮崎正弘


平成31年(2019)4月10日(水曜日)通巻第6039号 <特大号>

 世界第2位の経済大国が、「発展途上国」からの離脱を拒否
  WTOルール違反もなんのその、中国は「最大の発展途上国」と開き
直った

中国が2001年にWTO加盟が認められたとき、「15年間は『発展途上国』
としての特典」を与えられた。

つまり各種の免税特権や貿易上の最大の輸出強化策に繋がる「最恵国待
遇」、そのうえ国内産業保護的政策などが認められた。中国は人件費の安
さを売りに世界の生産工場として外貨を稼ぎまくった。

西側は経済的成長を遂げ、豊かになれば必然的に中国は「民主化」すると
期待して、中国の経済発展に協力してきた。

この西側の目論見はみごとに外れ、中国は民主化どころか、人権弁護士を
片っ端から監獄にぶち込み、民主活動家を引っ捕らえ、劉暁波のノーベル
平和賞に悪態をついて彼を「病院」なる場所に閉じこめ、ガンの悪化を放
置し、死なせた。

香港の自治は踏みにじられ、人々は自由な言論を封じ込められ、ネットは
監視され、少数民族は血の弾圧を受け、密告が奨励され、まともな発言を
する政治家は冤罪をでっち上げて失脚させられ、有望な学者の言論活動を
封殺し、政府発言を繰り返していた著名教授らを失職に追い込んだ。
西側の期待は無惨にも打ち砕かれた。

『発展途上国』という状況はとうに克服したにもかかわらず国有企業への
補助金、輸出補助政策を継続し、太陽光パネル、風力発電などを発展さ
せ、いまでは米国と並ぶ5G開発、AI、宇宙航空産業に挑み、外貨準備
世界一というスティタスを獲得し、稼いだカネの大半を軍事費に投入して
きた。

15年という期限」が切れたので、過去3年にわたり西側は中国に対し、
「発展途上国」のスティタスを返上せよと迫ったが、世界第2位の経済大
国は、「いまも世界一の発展途上国であり、WTOルールに従う」などと
開き直った。

ブッシュ、クリントン、ブッシュ・ジュニア、オバマと続いた「中国幻
想」から醒めて、トランプは対中国政策を百八十度変更した。

対中外交の転換におそらく日本は追随するだろうが、EUはすんなりと素
直に米国に従わない。

まだ暫し西側の絆の緩さを標的に中国のロビィ活動は続行しそうである。
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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 象徴天皇のあり方を模索され、敢えて超法規的行動をとられた今上陛下
  「象徴天皇」はGHQの押しつけとは言えない

  ♪
小堀桂一郎『象徴天皇考』(明成社)
@@@@@@@@@@@@@@@

ことしが皇紀2679年であることを知らない人々が新元号の号外を奪い合っ
た。結婚式を耶蘇教の教会であげ、初参りは神社へ行き、葬儀は仏教で行
う人々だから、べつに不思議な現象とは言えない。

神武天皇の肇国以来の歴代天皇の諡名を諳んずる日本人はいまや皆無に近
いのに、正月の一般参賀は20万人近い国民が列に並んで数時間も待って天
皇一家にご挨拶をした。

新元号が「令和」と決まると、突如、太宰府に観光客が押し寄せた。太宰
府天満宮は遣唐使廃止を建言した菅原道真を祀る神社である。

太宰府長官だった大友旅人が梅花の宴を開いて詠んだ「初春令月、気淑風
和」から万葉の学者によって「令和」が選ばれた由であり、従来の観光客
は天満宮しか参観しなかったのに、太宰府跡地も訪れるという新現象が見
られ、地元はPRに力を入れるというニュースに接した。

つい先だっての海外旅行に評者(宮崎)が携行したのは林房雄『神武天皇
実在論』と『天皇の起源』、そして産経取材チームの『神武天皇は実在し
た』だった。

前者2冊は半世紀を経ての再読、いや3度読みかえし、ようやく内容を咀
嚼できた。後者も二回読んだのだが、神武東征という神話の残る地名や伝
説を元に、観光ガイドブックにはまったく掲載のない、伝承されたゆかり
の場所を探検隊のようにゆくので、地図を横に置かなければならない。

さて小堀先生の本書を論じる前に、読書事情を書いたのも、日本国憲法が
謳う「象徴天皇」と前掲の書とに密接な繋がりがあるからだ。

昭和天皇までの論壇における天皇論の近代的論理には納得できない点が
い。

神武天皇以前の自然崇拝、原始的浸透の成り立ち、神武天皇の大和朝廷確
立と以後の天皇統治の性格、さらには武力を用いた雄略天皇、天皇親政を
復活した後醍醐天皇との対比、くわえて令和改元の象徴天皇との差違は説
明の必要もないほどに明確である。

しかし、カムヤマトイワレビコノミコトが、なぜ後世に神武天皇と諡され
たのか。ワカタケルはなにゆえに雄略天皇と諡されたのか。

武断政治の象徴から奈良、平安を経て源平では征夷大将軍が天下のまつり
ごとを動かしてきた。武士にとって帝は権威であり、祭祀王であった。つ
まりその時代から天皇は国民統合の「象徴」であり、戦乱から江戸時代の
安泰期ともなると天皇は庶民からは忘れられた存在となり、井伊直弼の日
米修好条約の「無勅許」によって目覚めた維新の志士らが、突如天皇親政
を思い出したのだ。

西郷も大久保も天皇を玉(ぎゃく)の隠語で呼び、政治利用が維新回天の
ダイナミズムを産みだした。

明治天皇は軍服姿、昭和天皇も大東亜戦争の時代には軍服に白馬、まさに
ヤマトタケルやスサノオか、いや神武東征、そして雄略天皇である。

睦仁天皇のような悠久の平和のイメージが時代によっては激変する。今上
陛下はまさに平和ニッポンを象徴される。

新渡戸稲造、岡倉天心が、本書で彗星の如く蘇り、彼らの天皇論を思い出
させる。

つまり新渡戸稲造の『武士道』は明治32年(1899)に英語で書かれ、世界
中に翻訳された。邦訳がでたのは英訳から10年後だった。

このなかに「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国
家の保護者でもなく、地上において肉身を有ち給う天の代表者であり、天
の力と仁愛とを御一身に兼備したまう」として事実上の天皇象徴論を述べ
ている。

岡倉天心の『日本の覚醒』も明治37年に英語で刊行され、江戸時代の天皇
認識に触れて、「帝は彼ら<徳川幕府>にとってはシンボリズムであっ
た」と叙した。

すでに明治時代から、日本を代表した論客らが、天皇象徴論を唱えていた
のである。

本書のもう一つの重大箇所は天皇陛下の靖国神社御親拝に関しての考察で
ある。

小堀氏はこう主張される。

御譲位について陛下自らの御表明は「陛下の個人としてのお考えを法制の
上で実現するために、憲法の規定とは離れた次元で、つまり超法規的措置
の執行を求めて先ず直接に国民の理解を得ようとされた行動」だった。

小堀氏はこう続けられる。

「憲法尊重は所謂建前であって。現に憲法30条3項に謂ふ国の宗教教育、
宗教活動の禁止の条項は宗教学校への国費の補助といふ形で空文化してい
る」(中略)「米軍占領中の神道指令の横暴と同様な酷薄な政教分離原則の
要求」は、国法が政治権力の下位に立つという「行政の方便」でしかない。

すなわち現行憲法は敗戦国ニッポンが、勝った「米国への臣従の誓い」の
たぐいであり、ときに超法規で臨むべきときがある。

したがって小堀氏は、下記のようにまとめられる。

「大東亜戦争での戦没者一般への慰霊も<象徴としての>お務めに一環で
あるとするならば、それは戦没者達の『魄』の眠る戦跡地に向けてである
よりも、彼らの『魂』が帰り来て祀りを受けている靖国神社は詣でてこそ
十全に果たされるはずだ、という霊の論理とうふものがある。天皇の靖国
神社御親拝は、国家が英霊に対して果たすべき、それこそ是亦言葉の本来
の意味での象徴的な慰霊鎮魂の義理である」

感銘深い余韻を味わいながら本書を閉じた。
          
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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1877回】              
 ――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(3)
竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

       ▽

上海で知られた料理屋の小有天で席に着くと、「矢繼早に料理が運ばれて
來た」。食事中というのに、店の外から物売りが次々に闖入して来る。
「不要!と言はれて素直に出ては行くが、でないと、ぢツと籠を提げた
まゝ何時までだつて吾々の食事を頭越しに凝視めてゐる。これもまた支那
だ」。

振り返ってみれば半世紀ほど昔の香港で留学生活を送っていた当時、いつ
も昼飯は場末の労働者向けの食堂で超低価格で済ませたが、ごった返す店
内で客の間を縫うように物売りが歩いていたっけ。彼らは店側の許可を
取ったわけでもなさそうだし、だからといって店側が彼らを外に追い出そ
うとするわけでもない。

客は食事しながら買い物ができる。良い買い物ができれば、明日もまた
客は食事にやってくる。店内に群れ集う食事客を相手にすればいいのだか
ら、売り手は買い手を探して歩きまわる無駄をしなくていい――店側も食事
客も物売りも、誰も損はしない。互利互恵であり、今風の表現に従うなら
双◎(ウイン・ウイン)の関係というヤツである。

不要といえば素直に立ち去るが、売り手はひっきりなしにやって来て食事
中のこちらの鼻先に商品を突きつけるのだから、あまり気分のいいもので
はない。だが先ずは腹を満たすことに専心すればこそ、やがて彼らの騒が
しい掛け声も一種の香辛料に思えてくるから不思議だ。

「時と所」を超え、料理屋と客と物売りの関係は綿々と続いていたのである。

「どうせ支那は無政府状態同樣の國だから――こんな國が吾々の直ぐ隣國だ
とは想像もつかないが」、「先づこんな事に平氣になれるのが支那通の第
一期だらう。つまり邊りには無關心で私慾の滿足を第一義と心得るこ
と!」との竹内に従うなら、香港での留学生活の中で、どうやら「支那通
の第一期」を通過していたということか。

竹内の上海に戻る。

やはり「人生は錢!錢!錢!だ。公私混淆で千金一攫することもまた一法
なる哉だ。それに精力を傾倒することだ。(中略)如何にして錢を獲るか
を考へることだ。斯く支那は?へる」。

ここで竹内は支那人の振る舞いについて改めて考える。

「支那人は好事的なことは萬古不易の傾動だが、慾慾複雜なことが好き
だ。淫書だけかと思つてゐると料理もその筆法だ」。「兎も角支那人は仕
事に念を入れる民族だ。それも義務ではいけない。道樂でなくてはいけな
い。藝術家だ。だが常に血腥い。同じ極刑なら一と思ひに殺してやれば
いゝものを、態々穹窿形の橋上に連れ出して、環衆の前で、如何にその首
が一刀のもとに落斬されるかを樂しむ。どんぶり水中に落ちたのを見て樂
しむ。胸板に墨で的標を描いて銃殺する。體を木枠の箱に容れて、首枷の
嵌つた顔だけ出させて置いて、街頭にさらす。

食に餓えて死ぬ。この道樂がまた料理に働いて吾々の舌を滿足させる」。
だから「萬里長城から翡翠細工に至るまで、この民族は、手をかけること
を厭わない」。

「支那を見、支那を感じ、支那を知らうとして來てゐる」竹内の目に映っ
た支那は、「つまり單なる傳統の國である。批判に先立つものは常にこの
傳統の形式的尊重である。道義觀にしても風俗的習慣にしてもこの點は執
拗である。主義の犠牲である」。

「この國は恐ろしく拝金の國である。贋造錢の大量的な國である。即ち
『私有』と言ふ點に最大の奸智を働かす國である」。

「支那では、錢を有てる者は一條の龍で、錢無き者は一條の蟲だと言ふ。
無數の蟲ケラがその俥に龍を乘せて駛つてゐる譯である」。

かくて「支那に於ける新時代人が等しく悲憤列擧するものは、通貨の統
一、南北用語の統一、次に公私混淆の惡弊打破である」。だが「公私混淆
の惡弊打破」は不可能に近い。《QED》

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★読者の声 ★READERS‘ OPINIONS ★どくしゃのこえ
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(読者の声) 前回の投稿で、高橋洋一なる人物の「大阪都論」が、軽薄
で現行地方自治制度を十分に理解した上でのものではないことを指摘し
た。高橋氏は、また、次のように述べている。

https://gendai.ismedia.jp/articles/-/63365?page=4

(引用開始)「「大阪都構想」批判派の一部から、「東京でも東京市復活
という動きもある」という指摘が出ている。もちろん言論の自由があるの
で、言うこと自体は自由であるが、少なくとも筆者には、そのような話は
聞こえてこない。そのような荒唐無稽な話が唐突に出てくるなんて、いか
に「大阪都構想」批判派の議論が、地に足が着いたものでないか、という
ことの証拠である」(引用終)

高橋氏には、東京市復活論が聞こえてこないようだが、私の耳には相当数
の意見が聞こえてくるし、これを「荒唐無稽」と切り捨て、反対論を「地
に足が着いたものでない」と断じるだけでも、高橋氏の論の浅薄さが分かる。

そもそも、歴史的に見ると、「(明治時代の当初)東京は大阪、京都と並
んで府に指定された。3つの府では、自治権は普通の県より厳しく制限さ
れていて、初めて市長が選出されたのもほかの市より10年近くも遅れ、よ
うやく明治31年になってからだった。大阪や京都は現在も府のままで、
知事のほかに市長もいるが、東京は昭和18年『都』となり、現在、日本中
で市長のいない唯一の都市である。

明治31年10月1日、3つの大都市の市制特例は廃止され、東京もまた市長
を持てることになった。そこで今でも東京では、10月1日を都民の日とし
てこれを記念している。」(サイデンステッカー『東京下町山の手』)の
である。

戦前の知事は官選であったから、現在とはかなり意味が異なるが、「市」
を解体して「市長のいない都市」にすること自体には、何の意義もないど
ころか、歴史的には逆行でしかないだろう。どうしても「市長のいない都
市」にし、行政を府に一元化、効率化したいのならば、現在の東京都のよ
うに、都の区域の相当部分の行政を、広域的自治体である都が統合的一体
的に管理するべきであろう。

高橋氏は、「広域発展政策を行うためにも、『大阪都構想』は合理的だ」
と言うが、広域発展政策というのならば、堺市を含む周辺諸都市の相当部
分をも、大阪市と併せて特別区に再編成して、その全体を「府」が一体
的、広域的に管理しなければならないだろう。大阪市の身を「解体」する
だけではほとんど合理性を認められない。

「大阪なら現状は松井知事と吉村市長の2人で一人前だが、東京なら小池
都知事1人で十分だ。それをわざわざ、東京を『船頭多くして船山に上
る』にするはずがないし、その必要もないのだ。」(高橋氏)という点な
ど、普通地方公共団体が広域自治体と基礎自治体から成る、という現行地
方自治制を全く無視する暴論でしかない。

高橋氏自身が「上下水道や公共交通などの広域的なインフラは広域自治体
(都道府県)が担当」するのが適切な役割分担だと述べるが、府全体の行
政組織を再編成することなく、単に大阪市のみを4特別区に解体するだけ
では、上下水道事業など、広域的に実施することが望ましい事業を、特別
区の一部事務組合が管理するというような逆行的事態となる。

高橋氏は、「もし異論があるのであれば、公の場で、正々堂々と議論すべ
きであるが、筆者が知るかぎり、『大阪都構想』反対派には表で議論する
動きはほとんどなかったようだ。」と言うが、私が感じる限り、郵政民営
化論の際も、民営化消極論は封殺され、いわゆる国民B層向けの、内容的
にも疑問が多い政府広報がマスコミに満ち溢れたのではなかったか。
(椿本祐弘)

◆時代と共に変わる職業イメージ

渡邊 好造

約50年余前の学生にとって、超エリートの花形職業は銀行であった。

同時期に筆者が就職したのは広告代理店業。ある洋酒メーカーの社員を対象にした意識調査の結果を卒業論文にしたこともあって、広告代理店業としては時代に先駆けて創部された調査部に配属となる。

一日中調査票や調査報告書の作成に取組み、徹夜作業も度々で、大阪のメイン道路・御堂筋からの市電の音で目覚めさせられた。

仕事内容には大満足だったが、当時の広告代理店業のイメージは良いとはいえず、明治生れの父親は、「大学まで出て"広告屋"か」と不満気だった。

銀行か商社を期待していたのだろう。入社した会社のビル1階エレベーター押ボタン横には『押売り"広告屋"お断り』のプレートが貼付されていたのでも分かるように、広告代理店業は押売りと同等のイメージを引きずっていたのである。

ところが、社員の方は"広告屋"とはチラシ広告などを扱う小さな会社のことで、自分達の会社のことではないと考えていたらしく、貼られたプレートを気にしている様子はなかった。

その後、テレビ広告費の急増にともなって目覚しい発展をみせ、5年も経たないうちに"アドバタイジング・エ-ジェンシ-"と言換えられ花形職業に変貌した。

筆者は広告代理店業で調査、営業、企画を17年余り経験し、昭和53年(1978年)消費者金融業に転職した。

この業界も高利や不当取立などで非難のマトになっていて、当時のイメージは最低だった。しかし、人材不足の新興職業ということもあって、これまでの経験を活かせる仕事はいくらでもあったし、実入りも悪くなかった。

それに、広告代理店業と同様に業界のリーダーや経営者の考え方次第で好イメージに転換するはず、とアドバイスしてくれた年齢一まわり先輩の後押しも大きい。

その折にイメージ好変の典型例として話してくれたのが、現代の花形エリ-ト職業"弁護士"の明治時代からの経緯である。

『弁護士は、明治維新の西洋式裁判制度導入当初"代言人"といわれ、”三百代言”という蔑みの異名まで生み出している。刑事・民事事件のもめごとを3百文で引受け飯の種にする卑しい輩、それが"代言人"というわけである。

保守的な京都では「家貸すな」「娘を嫁にやるな」といわれたくらいで、口が達者だから何のかのとイチャモンをつけられて苦労させられる、として嫌われた。

こうした風潮をなげいた良心的な"代言人"の中から免許制にすべしとの意見もでて、明治9年(1976年)"代言人"規則の制定により公式に認知され、昭和に入って法律も成立した。

 しかし、高額の免許料や低収入の依頼人ばかりで儲からない。あげくは無免許の"代言人"が横行し取締りも十分ではなかった。今のように国家権力から完全に独立できたのは、新弁護士法ができた昭和24年(1949年)だという。』

"代言人"については、昭和56年(1981年)週刊新潮に連載された和久俊三の小説「代言人 落合源太郎」に詳しいが、筆者はその3年前の転職時に概要を聞かされた。

その後、消費者金融業界は数社が株式上場し、業績もイメージも飛躍的に向上した。"代言人"の例をみるまでもなく、どんな職業も好イメージ確立までには先人達の普段の弛まぬ努力があってこそであり、そう簡単に達成されないことは言うまでもない。

現在、紆余曲折があって銀行は超エリート業とは言えないし、広告代理店業は広告メデイア事情の変革で楽ではない、消費者金融業は法律の改定で廃業に追込まれかねないほどの苦戦を強いられている。

いずれもこれまで積上げた折角の好イメージも下降気味である。当り前のことだが”時代とともに職業イメージは変る”。職業選びは将来を見据えて慎重であるべしだが、20年も30年も先のことは予測しにくい。まあ今思えば筆者の場合「丁か半か、えいや〜!」だった。(完 再掲)

2019年04月13日

◆2019(令和元)年カープの道程 

                           馬場 伯明


私は60年を超える古参のカープファンである。リーグ3連覇のカープが今
年はスタートでつまずき最下位と低迷している。どうしたのか。11試合が
終わった2019.4.11現在のチームの成績を記す。

巨人(2018は3位)・中日(同5位)・阪神(最下位)相手に1勝2敗と3
カード連続負け越してしまった。4.9、10にはヤクルトに0:10、3:15の大
敗。数字を見る。3勝8敗で順位6(最下位)、勝率0.273、チーム打率
0.226(5位)、本塁打11本(3位)、盗塁3(5位)、得点35(5位)、失点
63(6位)防御率4.04(5位)。信じられない惨憺たる結果である。

でも、私たちカープファンは落ち込んではいない。カープファンがカープ
ファンである所以というか、その真骨頂はむしろ逆境でこそ発揮される。

カープの成績がよくても悪くても応援の姿勢は変わらない。「最後まで
(ヤジではなく)声援だった。期待に応えるべく明日全力でプレーする」
(4.10試合後の緒方孝市監督談)。今首位の在京球団のファンらは、負け
たらシュン。黙る。あら消失?雲隠れG?。

「開幕4カード連続負け越しから優勝したチームはない」というが何のそ
のだ。2019年のリーグ優勝と日本一を信じている。まだ9試合が終わった
ばかりであるが、誤算や課題もある。私論を述べる。

大誤算は守備の破綻。失策17は12球団最多。1塁松山、2塁(名手!)菊
池、3塁安部が3失策、遊撃田中も2失策。チーム、とくに投手の士気に響
き打撃の不振にも繋がった。得意の盗塁も3個でリーグ5位と低迷。

長野久義の調子が攻守に上がってこない。第2戦の満塁では背走するもレ
フトフライを捕れず逆転された。あと3m・・。でも、守備位置の指示はベ
ンチ(監督・コーチ)だから長野の責任ではない。長野、這い上がれ。

2019年から投手コーチの佐々岡真司であるが投手起用に迷いがあるような
気がする。見定めて冷静な判断をしてほしい。また、たとえ負け試合でも
「大敗は絶対に阻止!」という気迫ある投手起用をするべきである。

2019.4.7(日)の阪神戦。0:9で完封負けした緒方監督は、よほど悔し
かったのか記者会見をしなかった。しかし(気持ちはわかるが)あれはよ
くない。逃げるな!「(終わった)負け」はしょうがない。「(終わって
いない)明日」へ決意表明することが重要なのである。

ここはファンも嘲笑の針の筵(むしろ)にぐっと耐えたい。(少し唐突で
はあるが)好きな高村光太郎の詩「道程」の最後の一節を、監督・コー
チ・選手らとともに、姿勢を正し低い声で静かに読みたい。

道程  高村光太郎

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

この「道程」の初出は大正3(1914)年2月9日。102行の長詩が(最終的に
は)9行詩となった。長詩の出だしは、こうである。

どこかに通じている大道を
僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
(中略)道の最端にいつでも僕は立っている
何という曲がりくねり
迷い まよった道だろう (以下略)

そう、カープの道もしばらく迷い道だ。ここで、平成31年から令和元
(2019)年へ向かう(闘う)カープの2019年のキャッチフレーズを紹介し
たい。「水金地火木土天海冥」とは水星・金星・地球・火星・木星・土
星・天王星・海王星・冥王星。太陽に近い順の太陽系9惑星。小学校6年で
覚えた。カープ球団は「2019水金地火木土天(ドッテン)カープ」を発表
した。

私はもう一つキャッチフレーズをつけ加えたい。大きい順に並べた太陽系
9惑星が「木土海天地金火水冥」。つまり「木土海天地金(チッキン)
カープ・スメエ〜(水冥〜)」だ。その意味は何か・・。

負けが込むと「捕らぬタヌキの皮算用」に陥り希望的観測に流れがちであ
る。Don’t count your chickens before they are hatched.(諺:孵らな
いうちからヒヨコを数えるな。カウント・キッチン・スメエ〜(しな
い)。自然の法則に従うように、基本に忠実にじっくり戦っていこう。

その努力の結果として、皮算用ではなく、5月、鯉の季節へ向かう滝登り
の根拠ある反攻を期待したい。広島県のファンは、連れ立って、勝利の美
酒「誠鏡・幻」を干し、名曲「広島天国」を流川(ながれかわ)の酒場で
歌うだろう(私も行って歌いたい)。

広島天国  (歌)南一誠 (作詞・作曲)あきたかし

流れて行くから流川
やけのやんぱち薬研堀
のれん掻き分けてもぐら横丁
ちびりちびりのなめくじ横丁
ここは広島の夜の盛り場 
ルルル今夜も勝ち 明日も勝ち
カープをさかなに飲み明かそうよ
酒は広島の泣き笑い
みんなで飲めば広島天国 (以下略)

「たかが、プロ野球、たかが、カープだろ・・・」と他人(ひと)は上か
ら目線で説教を垂れる。しかし、好きなもの、譲れない確かなものを持っ
ているカープファンの人生は、案外いいものである。

今日の結論(推論)。現在カープは3勝8敗でリーグ最下位に沈んでいる
が、ドッテン、ドッテン一つずつ勝ち進み、チッキンカウントの安易な皮
算用に陥らず、着実に盛り返していくのだ。勝利への奇策はない。しか
し、勝利の歌は決まっている。みんなで歌う「それ行けカープ」だ。

ここまで私論にお付き合いくださった、あなたに感謝!2019.4.11千葉市
在住)



◆世界第2位の経済大国が

宮崎 正弘


平成31年(2019)4月10日(水曜日)通巻第6039号 

世界第2位の経済大国が、「発展途上国」からの離脱を拒否
WTOルール違反もなんのその中国は「最大の発展途上国」と開き直った

中国が2001 年にWTO加盟が認められたとき、「15年間は『発展途上
国』としての特典」を与えられた。

つまり各種の免税特権や貿易上の最大の輸出強化策に繋がる「最恵国待
遇」、そのうえ国内産業保護的政策などが認められた。中国は人件費の安
さを売りに世界の生産工場として外貨を稼ぎまくった。

西側は経済的成長を遂げ、豊かになれば必然的に中国は「民主化」すると
期待して、中国の経済発展に協力してきた。

この西側の目論見はみごとに外れ、中国は民主化どころか、人権弁護士を
片っ端から監獄にぶち込み、民主活動家を引っ捕らえ、劉暁波のノーベル
平和賞に悪態をついて彼を「病院」なる場所に閉じこめ、ガンの悪化を放
置し、死なせた。

香港の自治は踏みにじられ、人々は自由な言論を封じ込められ、ネットは
監視され、少数民族は血の弾圧を受け、密告が奨励され、まともな発言を
する政治家は冤罪をでっち上げて失脚させられ、有望な学者の言論活動を
封殺し、政府発言を繰り返していた著名教授らを失職に追い込んだ。
西側の期待は無惨にも打ち砕かれた。

『発展途上国』という状況はとうに克服したにもかかわらず国有企業への
補助金、輸出補助政策を継続し、太陽光パネル、風力発電などを発展さ
せ、いまでは米国と並ぶ5G開発、AI、宇宙航空産業に挑み、外貨準備
世界一というスティタスを獲得し、稼いだカネの大半を軍事費に投入して
きた。

15年という起源が切れたので、過去3年にわたり西側は中国に対し、「発
展途上国」のスティタスを返上せよと迫ったが、世界第2位の経済大国
は、「いまも世界一の発展途上国であり、WTOルールに従う」などと開
き直った。

ブッシュ、クリントン、ブッシュ・ジュニア、オバマと続いた「中国幻
想」から醒めて、トランプは対中国政策を180度変更した。
対中外交の転換におそらく日本は追随するだろうが、EUはすんなりと素
直に米国に従わない。
まだ暫し西側の絆の緩さを標的に中国のロビィ活動は続行しそうである。
       
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 象徴天皇のあり方を模索され、敢えて超法規的行動をとられた今上陛下
  「象徴天皇」はGHQの押しつけとは言えない

  ♪
小堀桂一郎『象徴天皇考』(明成社)
@@@@@@@@@@@@@@@

ことしが皇紀2679年であることを知らない人々が新元号の号外を奪い合っ
た。結婚式を耶蘇教の教会であげ、初参りは神社へ行き、葬儀は仏教で行
う人々だから、べつに不思議な現象とは言えない。

神武天皇の肇国以来の歴代天皇の諡名を諳んずる日本人はいまや皆無に近
いのに、正月の一般参賀は20万人近い国民が列に並んで数時間も待って天
皇一家にご挨拶をした。

新元号が「令和」と決まると、突如、太宰府に観光客が押し寄せた。太宰
府天満宮は遣唐使廃止を建言した菅原道真を祀る神社である。

太宰府長官だった大友旅人が梅花の宴を開いて詠んだ「初春令月、気淑風
和」から万葉の学者によって「令和」が選ばれた由であり、従来の観光客
は天満宮しか参観しなかったのに、太宰府跡地も訪れるという新現象が見
られ、地元はPRに力を入れるというニュースに接した。

つい先だっての海外旅行に評者(宮崎)が携行したのは林房雄『神武天皇
実在論』と『天皇の起源』、そして産経取材チームの『神武天皇は実在し
た』だった。

前者2
冊は半世紀を経ての再読、いや三度読みかえし、ようやく内容を咀嚼でき
た。後者も二回読んだのだが、神武東征という神話の残る地名や伝説を元
に、観光ガイドブックにはまったく掲載のない、伝承されたゆかりの場所
を探検隊のようにゆくので、地図を横に置かなければならない。

さて小堀先生の本書を論じる前に、読書事情を書いたのも、日本国憲法が
謳う「象徴天皇」と前掲の書とに密接な繋がりがあるからだ。
昭和天皇までの論壇における天皇論の近代的論理には納得できない点が多い。

神武天皇以前の自然崇拝、原始的浸透の成り立ち、神武天皇の大和朝廷確
立と以後の天皇統治の性格、さらには武力を用いた雄略天皇、天皇親政を
復活した後醍醐天皇との対比、くわえて令和改元の象徴天皇との差違は説
明の必要もないほどに明確である。

しかし、カムヤマトイワレビコノミコトが、なぜ後世に神武天皇と諡され
たのか。ワカタケルはなにゆえに雄略天皇と諡されたのか。

武断政治の象徴から奈良、平安を経て源平では征夷大将軍が天下のまつり
ごとを動かしてきた。武士にとって帝は権威であり、祭祀王であった。つ
まりその時代から天皇は国民統合の「象徴」であり、戦乱から江戸時代の
安泰期ともなると天皇は庶民からは忘れられた存在となり、井伊直弼の日
米修好条約の「無勅許」によって目覚めた維新の志士らが、突如天皇親政
を思い出したのだ。

そして西郷も大久保も天皇を玉(ぎゃく)の隠語で呼び、政治利用が維新
回天のダイナミズムを産みだした。

明治天皇は軍服姿、昭和天皇も大東亜戦争の時代には軍服に白馬、まさに
ヤマトタケルやスサノオか、いや神武東征、雄略天皇である。

睦仁天皇のような悠久の平和のイメージが時代によっては激変する。今上
陛下はまさに平和ニッポンを象徴される。

新渡戸稲造、岡倉天心が、本書で彗星の如く蘇り、彼らの天皇論を思い出
させる。

つまり新渡戸稲造の『武士道』は明治32年(1899)に英語で書かれ、
世界中に翻訳された。邦訳がでたのは英訳から10年後だった。

このなかに「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国
家の保護者でもなく、地上において肉身を有ち給う天の代表者であり、天
の力と仁愛とを御一身に兼備したまう」として事実上の天皇象徴論を述べ
ている。

岡倉天心の『日本の覚醒』も明治37年に英語で刊行され、江戸時代の天皇
認識に触れて、「帝は彼ら<徳川幕府>にとってはシンボリズムであっ
た」と叙した。

すでに明治時代から、日本を代表した論客らが、天皇象徴論を唱えていた
のである。

本書のもう一つの重大箇所は天皇陛下の靖国神社御親拝に関しての考察で
ある。

小堀氏はこう主張される。

御譲位について陛下自らの御表明は「陛下の個人としてのお考えを法制の
上で実現するために、憲法の規定とは離れた次元で、つまり超法規的措置
の執行を求めて先ず直接に国民の理解を得ようとされた行動」だった。

小堀氏はこう続けられる。

「憲法尊重は所謂建前であって。現に憲法20条3項に謂ふ国の宗教教育、
宗教活動の禁止の条項は宗教学校への国費の補助といふ形で空文化してい
る」(中略)「米軍占領中の神道指令の横暴と同様な酷薄な政教分離原則の
要求」は、国法が政治権力の下位に立つという「行政の方便」でしかない。

すなわち現行憲法は敗戦国ニッポンが、勝った「米国への臣従の誓い」の
たぐいであり、ときに超法規で臨むべきときがある。

したがって小堀氏は、下記のようにまとめられる。

「大東亜戦争での戦没者一般への慰霊も<象徴としての>お務めに一環で
あるとするならば、それは戦没者達の『魄』の眠る戦跡地に向けてである
よりも、彼らの『魂』が帰り来て祀りを受けている靖国神社は詣でてこそ
十全に果たされるはずだ、という霊の論理とうふものがある。天皇の靖国
神社御親拝は、国家が英霊に対して果たすべき、それこそ是亦言葉の本来
の意味での象徴的な慰霊鎮魂の義理である」

感銘深い余韻を味わいながら本書を閉じた。
        
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1877回】              
 ――「『私有』と言ふ點に絶大の奸智を働かす國である」――竹内(3)
竹内逸『支那印象記』(中央美術社 昭和2年)

       ▽
上海で知られた料理屋の小有天で席に着くと、「矢繼早に料理が運ばれて
來た」。食事中というのに、店の外から物売りが次々に闖入して来る。
「不要!と言はれて素直に出ては行くが、でないと、ぢツと籠を提げた
まゝ何時までだつて吾々の食事を頭越しに凝視めてゐる。これもまた支那
だ」。

振り返ってみれば半世紀ほど昔の香港で留学生活を送っていた当時、いつ
も昼飯は場末の労働者向けの食堂で超低価格で済ませたが、ごった返す店
内で客の間を縫うように物売りが歩いていたっけ。彼らは店側の許可を
取ったわけでもなさそうだし、だからといって店側が彼らを外に追い出そ
うとするわけでもない。

客は食事しながら買い物ができる。良い買い物ができれば、明日もまた客
は食事にやってくる。店内に群れ集う食事客を相手にすればいいのだか
ら、売り手は買い手を探して歩きまわる無駄をしなくていい――店側も食事
客も物売りも、誰も損はしない。互利互恵であり、今風の表現に従うなら
双◎(ウイン・ウイン)の関係というヤツである。

不要といえば素直に立ち去るが、売り手はひっきりなしにやって来て食事
中のこちらの鼻先に商品を突きつけるのだから、あまり気分のいいもので
はない。だが先ずは腹を満たすことに専心すればこそ、やがて彼らの騒が
しい掛け声も一種の香辛料に思えてくるから不思議だ。

「時と所」を超え、料理屋と客と物売りの関係は綿々と続いていたのである。

どうせ支那は無政府状態同樣の國だから――こんな國が吾々の直ぐ隣國だと
は想像もつかないが」、「先づこんな事に平氣になれるのが支那通の第一
期だらう。つまり邊りには無關心で私慾の滿足を第一義と心得ること!」
との竹内に従うなら、香港での留学生活の中で、どうやら「支那通の第一
期」を通過していたということか。

竹内の上海に戻る。

やはり「人生は錢!錢!錢!だ。公私混淆で千金一攫することもまた一法
なる哉だ。それに精力を傾倒することだ。(中略)如何にして錢を獲るか
を考へることだ。斯く支那は?へる」。

ここで竹内は支那人の振る舞いについて改めて考える。

「支那人は好事的なことは萬古不易の傾動だが、慾慾複雜なことが好き
だ。淫書だけかと思つてゐると料理もその筆法だ」。「兎も角支那人は仕
事に念を入れる民族だ。それも義務ではいけない。道樂でなくてはいけな
い。藝術家だ。だが常に血腥い。同じ極刑なら一と思ひに殺してやれば
いゝものを、態々穹窿形の橋上に連れ出して、環衆の前で、如何にその首
が一刀のもとに落斬されるかを樂しむ。どんぶり水中に落ちたのを見て樂
しむ。胸板に墨で的標を描いて銃殺する。體を木枠の箱に容れて、首枷の
嵌つた顔だけ出させて置いて、街頭にさらす。

食に餓えて死ぬ。この道樂がまた料理に働いて吾々の舌を滿足させる」。
だから「萬里長城から翡翠細工に至るまで、この民族は、手をかけること
を厭わない」。

支那を見、支那を感じ、支那を知らうとして來てゐる」竹内の目に映った
支那は、「つまり單なる傳統の國である。批判に先立つものは常にこの傳
統の形式的尊重である。道義觀にしても風俗的習慣にしてもこの點は執拗
である。主義の犠牲である」。

「この國は恐ろしく拝金の國である。贋造錢の大量的な國である。即ち
『私有』と言ふ點に最大の奸智を働かす國である」。

「支那では、錢を有てる者は一條の龍で、錢無き者は一條の蟲だと言ふ。
無數の蟲ケラがその俥に龍を乘せて駛つてゐる譯である」。

かくて「支那に於ける新時代人が等しく悲憤列擧するものは、通貨の統
一、南北用語の統一、次に公私混淆の惡弊打破である」。だが「公私混淆
の惡弊打破」は不可能に近い。《QED》