2019年05月31日

◆マラー検察官の声明 

  Andy Chang
 

29日朝8時、トランプ大統領のロシア疑惑調査を指揮したマラー検察官は
議会に赴いて15分の声明を発表した。マラー検察官は4月に報告書を提出
したあと沈黙を守っていたが、議」会の司法委員会が彼を召喚すると主張
していたので自ら国会に赴いて、(1)私の調査結果はすべて448ページ
の報告書に書いたから国会召喚に応じるつもりはない、(2)これは彼自
身の決定で誰にも相談していない、(3)私はまもなく司法部の職を辞す
ると発表したのである。つまりマラー検察官は婉曲に国会喚問を拒否した
のである。

このあとマラー検察官は448ページの報告書の第一部(トランプ大統
領のロシア疑惑の調査)については一切言及せず、第2部(トランプ
大統領の調査妨害の調査)について以下の数点を述べた。

トランプ大統領の調査妨害についてマラー氏が大統領を告発しなかっ
たのは、大統領を告発することは検察官が取るべき選択肢にはないと
述べた。在職中の大統領を告発することは法律によって禁止されてい
る。告発の理由を封印して大統領の引退を待つことも法律で禁止され
ていると述べた。

しかしながらマラー検察官は「在職中の大統領は法的処罰の外の方法
で罰することが出来る」と述べた。つまり法律で処罰できなくても罷
免(Impeach)することが出来ることをほのめかしたのである。

マラー検察官はトランプがロシア疑惑の調査を妨害したかについて、
トランプ大統領を潔白と結論することができなかった、「犯罪証拠はな
いが潔白とも言えない」と述べたのである。この結論はかなり曖昧で
嫌味たっぷりである。トランプ氏は嫌がらせをしたけれど妨害と結論
するには至らない、国会がトランプを再調査するならやって下さいと
言うのである。

マラー氏が司法部に調査報告を提出したあとバー司法長官はマラー検
察官はトランプの犯罪(調査を妨害した)を証明できなかったと結論
した。これについて民主党議員はバー司法長官が勝手にトランプの犯
罪を否定したと譴責した。トランプ大統領はマラー検察官が犯罪を証
明できなかった、無実が証明されたと何度も述べた。

民主党側はマラー検察官がトランプの潔白を証明できなかったから国
会が調査すると躍起になっている。すでに37人の民主党議員がトラン
プ大統領の罷免案を提出する計画を練っている。民主党はこの問題を
来年の総選挙まで持ち越してトランプ再選を潰すつもりである。

但し国会の調査継続が選挙に有利とは限らない。マラー検察官の報告
書の第二部には「トランプ大統領の調査妨害疑惑」に該当する可能性
のある十二のエピソードが書いていある。しかし犯罪事実があったと
わかっても罷免できるとは限らない。例えばエピソードの一つにある、
トランプ大統領がコミーFBI長官を罷免したことは大統領の職務権限
でやったことだから罪に該当しない。しかもバー司法長官が「政府の
高官がロシア疑惑をデッチ上げた根源の調査」でコミー長官の犯罪事
実を調査しているので、どんどん「闇の帝国」に不利になるだけだ。

マラー氏はゴタゴタに巻き込まれるのは御免だと声明しただけである。
国会の司法委員会が新たにトランプの犯罪調査をしてもマラー氏を使
って調査に有利に導くことはできない。

at 08:54 | Comment(0) | Andy Chang

◆35年目の日中友好

渡部 亮次郎

9月29日は1972年のこの日、田中角栄総理と周恩来総理が北京の人民大会
堂で日中共同声明に調印した記念の日。35年目の日中友好を謳歌する人、
貶す人、様々であろう。

斯く言う私はNHKからの同行記者。80人の中から選ばれた10人の中の1人と
して総理機に同乗を許された「近距離記者」だった。

宿舎は市の中心部の民族飯店(ホテル)460号室。ハンガーの位置がやたら
に高く、シャワーが随分ぬるかった。聞けばソ連人たちの設計だから背丈
が違うわけだ。

つまり1949年の建国直後の中国は、ソ連の勝手な振る舞いに文句一つ言え
ない弱い立場だった。やがて毛沢東はフルシチョフと喧嘩。自力更生を唱
えたが、農業も工業も先進国に遥かに立ち遅れてしまった。

これではならじと、周恩来らの助言もあって、隣国日本の力を借りる路線
をとり始めたが、日本はアメリカの鼻息をうかがうだけで中国は焦るばか
り。佐藤首相は周恩来から毎日のように「反動内閣」と貶され続けた。

ところがアメリカ国家安全保障担当大統領補佐官のキッシンジャー氏が
1971(昭和46)年7月9日、秘密裏に中国を訪問して周恩来総理と会談「72
年5月までにニクソン大統領が中国を訪問する」。

既に帰国してから4日経っていた15日に電撃的に発表。反中国姿勢をとっ
てきた佐藤政権は当に2階に上げて梯子を外されてバカをみた。

加えてニクソンは田中内閣になった直後の8月15日には金とドルの交換一
時的停止、10%の輸入課徴金実施などのドル防衛措置(ドル・ショック}を
与えて日本を揺さぶった。

政局は「バスに乗り遅れるな」とばかり日中国交正常化を急げというムー
ドに成り、ムードに乗る田中角栄前通商産業大臣が台湾派の前外務大臣福
田赳夫氏を圧倒的に破った。

三木武夫、大平正芳、中曽根康弘の各氏が田中支持。対する福田氏は自派
のほかは残りの弱小派閥の支持しか得られなかった。なんと言っても佐藤
氏からの「禅譲」待ちをした福田氏の戦略負けだった。

田中氏は外相に据えた大平氏と官房長官二階堂進氏を伴って9月25日には
全日空特別機で羽田を出発、一路、北京空港を目指したのだった。別の特
別機の記者団を合わせてカメラマン含め総計80人。

正午過ぎに到着。眩しいほどの晴天下、初めて中国国歌を聞いた。

しかし釣魚台の迎賓館に案内された田中総理らに接触する事は中国側の意
向で厳禁。時折、会見場にやってくる二階堂長官に聞いても「何も申し上
げられません」。それ以外の科白はなかった。

到着初日、人民大会堂での周恩来総理主催田中総理歓迎宴における
田中総理の日中戦争に関する謝罪の文言が軽すぎたとして問題になったと
か、青菜に塩の如き大平外相や外務省幹部を笑って、田中総理が「だから
大学出は駄目なんだ」と言った類の話はすべて帰国後に明らかになった
話。周恩来氏が田中さんに「天皇陛下によろしく」と言った話も。

かくて交渉は決着。毛沢東との会談はいつかと固唾を呑んで待ったがナ
シ。朝になって未明に会談(表敬訪問)があったこと、随員の随行は認め
られなかった事が明らかにされる始末。

発表された共同声明は内政不干渉が謳われたのに、あれから35年の日中関
係は中国による日本への徹底的な内政干渉の歴史であった、と言って過言
ではない。

また我々は食糧の面でも中国に絶対的に支配されている。産経新聞の北京
特派員福島香織さんが9月27の「北京春秋」で「安全な日本食は中国
製?」と嘆くほど日本食は中国に支配されている。

<北京の高級百貨店の新光天地に日本食品・農産品店舗が先ごろオープン
した。農林水産省の委託を受けて双日が手がけたもので来年の3月までの
期間限定。日中国交正常化35周年キャンペーンの一環。

食の安全に揺れる中国・北京で富裕層を対象に「安全で美味しい日本食」
を浸透させようと言うのが狙いだ。

冷凍ケースに並ぶ「サケ切り身冷凍パック」を手にとって裏を見ると原材
料は煙台。有名日本ブランドのサラダオイルは上海の製造。日本ブランド
の味噌は米国産大豆を中国の工場で加工とある。日本食と言いながらほと
んどが中国製?

店舗関係者に「原材料・製造100%日本と言う食品が殆どない」と文句を言
うと「原材料、調味料、製造のいずれかに日本がかかわっていれば日本食
品です」ときた。

店舗に並ぶ約180食品のうち、100%日本産はミネラルウオーターと米とレト
ルト食品ぐらいしか見当たらなかった。それに日本の輸入レトルト食品の
具だって中国産は含まれているのではと気になりだしたが「日本の食品自
給率は40%ですから」と関係者は涼しい顔だった。

何だ、農水省推奨の安全で美味しい日本食は中国が作っているのか。それ
が現実なのだろうが、どうもすっきりしない。・・・>

要するに日本の援助で近代化を急ぐ中国は既に日本の胃袋を制圧したと言
う事である。その代わり日本から進出している工場が全部引き揚げれば中
国は窒息するが、それは残念ながら杞憂に過ぎない。2007・09・28


◆文大統領の専制革命路線で滅びる韓国

櫻井よしこ


自伝、とりわけ政治家のそれは割引いて読まなければならない。それにし
ても韓国大統領文在寅氏の『運命』(岩波書店)ほど独特の左翼臭を放つ
ものはないだろう。

日本語版の出版は昨年10月だが、韓国では2011年の発売で、刊行2週間で
書籍部門の売り上げ1位になったと書いている。

氏が北朝鮮からの難民だった少年時代のこと、貧困を乗り越えて人権弁護
士となったこと、「善き人」であろうとした「普通の人」が、人間の尊厳
や人権を尊重して仕事をしている盧武鉉氏と知り合い、深く感銘を受け、
やがて政治に関わり始めたという人生物語が情趣的な文章で描かれている。

北朝鮮一辺倒だった盧武鉉元大統領への感情移入と、彼らの振りかざす社
会主義の旗には欺瞞の色彩が漂う。事実、自伝に綴られている人権、自
由、正義や正統性などの価値観を、文氏自身がいま、酷い形で踏みにじっ
ている。

文氏は5月に就任2周年を迎えた。任期5年、1期であるから、残り3年だ。2
年間の文政治は、一言でいえば社会主義革命政治である。文氏も自分は
「ロウソク革命」で政権を奪ったと語っており、氏の政策の方向性は独裁
型社会主義政権の樹立だと断じてよいだろう。

ちなみにロウソク革命は、政権に不満を持つ市民がロウソクを掲げて街頭
に繰り出し、圧力で政治を動かしていくものだ。朴槿恵前大統領はロウソ
クデモで糾弾され続けて失脚した。韓国ではこの左派リベラル勢力主導の
ロウソクデモと、保守勢力が韓国国旗の太極旗を掲げて行う太極旗デモが
毎週、行われている。

文氏は言葉は柔らかくとも行動は陰湿で強硬だ。そんな文氏の体質は、少
しずつ、韓国国民に見抜かれてきた。政権発足当時には84.1%もあった氏
の支持率は、5月9日の世論調査(リアルメーター)では47.3%に落ちてい
た。不支持率は48.6%。政党支持率は文氏の与党「共に民主党」が
36.4%、第一野党の「自由韓国党」が34.8%と拮抗している。

親日派パージ

このままでは来年4月の総選挙で敗北するかもしれない。おまけに韓国経
済は苦戦中である。4月時点で失業者は124万人、若年層の失業率は11.5%
だった。朝鮮問題の専門家・西岡力氏は、1日3時間のアルバイトで暮らす
若者やパートタイムで働く予備校生なども入れると、若年層の失業率は
25%にふくらむと指摘する(「言論テレビ」5月17日)。

そこで文氏は巧妙な罠を仕掛けた。西岡氏の説明だ。

「選挙制度の改正案と高級公職者不正捜査処設置法という二つの立法案件
を国会の迅速処理案件に指定してしまったのです。これは通称ファストト
ラックと呼ばれて、330日がすぎると本会議で議決にかけられるという制
度です」

今着手すれば二つの法律は来年4月の総選挙に使えるのである。

シミュレーションでは、改正選挙法の導入で文氏のライバル・自由韓国党
が最も大きな打撃を受けるという結果が出た。韓国の国会は一院制で300
議席、小選挙区が253、比例が47だ。小選挙区では第一党と第二党の戦い
になり、第三、第四の小政党には勝ち目がない。そこで文氏は比例の議席
数を75、またはそれ以上に増やす案を考えている。

75で計算すると、自由韓国党が約20議席減になる。与党の「共に民主党」
も議席を減らす可能性があるが、韓国の政党は自由韓国党を除けばすべて
左翼政党だ。特に少数野党の「正義党」は極左政党であるため、全体とし
ては左派リベラル勢力が絶対に勝つ仕組みである。

「与党代表の李海瓚(イヘチャン)氏は、これで与党は20年間政権を握れ
ると豪語しています」

西岡氏が言うと、「言論テレビ」で同席していた「統一日報」論説主幹の
洪熒(ホンヒョン)氏が応じた。

「50年でしょう」

文政権のもうひとつの狙い、「高級公職者不正捜査処設置法」からはどん
な結果が予測されるだろうか。洪氏は同法の性格をズバリ「ゲシュタポ
法」だと断じた。

文政権は「積弊の除去」を掲げて、親日派を排除してきたが、このとこ
ろ、文政権への批判が各界各層から噴き出し始めた。3月1日、退役軍人会
は後輩の現役軍人に、「対北武装解除を進める文政権への不服従」を呼び
かけ、鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防相の退任を要求した。

通常の軍隊では考えられない不服従の呼びかけは、韓国内の対立が如何に
深刻かを示している。

また、元大使経験者ら42人が韓国の外交政策への反対を表明し、後輩の外
交官に「早く日米両国との安保協力体制を復元せよ」と呼びかけた。

親日派パージの中心勢力になっているかのように見える検察、裁判官、警
察官などの中にも文政権に批判的な勢力が存在する。こうした反文勢力の
動きを鋭い嗅覚でキャッチし、このままではやられると考えて、先手を
打ったのが今回の二つの法案であろう。

「血を流して我々は戦う」

「反旗を翻したら、今度はお前たちを逮捕するぞというわけです」

と西岡氏。

高級公職者を対象にしたこのような取り調べ機関が実現したら、韓国の空
気は途端に陰鬱なものになるだろう。自伝で文氏は自らの使命を盧武鉉氏
の遺志を継ぐこととしている。盧武鉉氏は07年の南北首脳会談で、金正日
氏に韓国を事実上明け渡すような誓いを立てていた人物だ。韓国で進行中
の革命と言ってよい一連の変化は、大韓民国の崩壊に直結しかねない。大
統領が自ら指揮する、祖国への反乱である。

こうした異常事態の中で、自由韓国党代表の黄教安(ファンギョアン)氏
の動きに注目したい。氏は朴前政権で法相、首相を務めた公安検事出身の
エリートだ。元々政治家ではなかったが、今年2月、文政権と戦うために
立ち上がった。氏はいま、街頭に出て国民に「一緒に血を流して戦おう」
と呼びかけている。

黄氏が発表した決起文が凄まじい。

「文政権はすでに行政府を掌握した。司法府もほぼ占領された。彼は選挙
法の改正で国会さえも掌握しようとしている。文在寅の左派独裁を、いま
終わらせよう。自由韓国党は命がけの戦いの先頭に立つ。血を流して我々
は戦う。国民の皆さんも犠牲を覚悟して立ち上がってほしい。そうしなけ
れば、私たちの息子、娘たちは左派独裁の下で暮らすことになる!」

韓国は内戦中なのだ。それはとりも直さず日本に危機が迫っているという
ことだ。令和の時代、日本を取り巻く国際環境は、平成の時代のそれ以上
に、厳しいものになるだろう。そう自覚して憲法改正を含めて日本の在り
方を考えていきたい。

『週刊新潮』 2019年5月30日号 日本ルネッサンス 第853回

◆芭蕉随行の『曾良』は忍者?

                           毛馬 一三


芭蕉は、大阪で死ぬなどとは夢想だにせず、早く床払いをして好きな旅を続けたいとの気持であったと、様々な文献が記している。

だが、思いもよらず病(食中毒といわれる)は悪化、意に反して終焉を迎えるのだが、見守る弟子たちの顔を眺めながら「死」が迫るのを悟り、幸せな生涯だったと瞑目しながら、逍遥と死の旅についたようだ。

頂門の一針の渡部亮次郎氏から頂いた寄稿は、下記の通りであった。
<深川・芭蕉記念館 は拙宅の近くです。徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。江戸の発展とともに新たな市街地、農地が必要となり、土地の開発が始まった。大阪からきていた深川八郎右衛門が新田を開発、慶長元年(1573年)深川村と称したのが始まり。

江戸の下町と言えばなんと言っても深川。出発地は都営新宿線森下駅。駅を出て新大橋通りを浜町方面に5分ほど歩いていくと隅田川にかかる橋が見えてくる。これがこの通りの名前になっている新大橋。橋の手前の十字路を左に曲がりしばらく歩いていくと最初の目的地「芭蕉記念館」がある。

芭蕉は延宝8年(1680年)江戸日本橋から深川の草庵に移り住んだ。元禄2年(1689年)3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」で始まる奥の細道。岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅。

「芭蕉記念館」には 当時、芭蕉が着ていた袈裟を初め芭蕉庵を模したほこら、句碑 などがある。記念館の裏木戸を出るとそこはもう隅田川のほとり。川沿いの道を左に少し歩いていくと史跡庭園があり、芭蕉像や芭蕉庵のレリーフがある。 先日来日した李トウキ前台湾総統もご覧になって行った>。
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この寄稿を読ませて貰った時、芭蕉に纏わる新たな衝撃が脳裏を駆け巡った。それは、<徳川家康が江戸に入った頃の深川は、ほとんど海だった。(そんな未開発の深川だったが、その深川から)元禄2年3月、曾良を伴い奥の細道の旅に出発した。(略)岐阜大垣までの2400キロの壮大な旅>というくだりである。

江戸から東北、北陸地方を150日間で踏破した2400キロ(600里)の道程を踏破したと言うが、とんでもない距離だ。単純に計算すると1日16キロ歩いたことになるが。だが当時の旅はそんな生易しいものではない。

江戸時代の元禄期といっても、 江戸から東北、北陸地方には、のんびり歩き通せる平坦な道が整っていた筈はない。ほとんどが山道・峠道であり、山を越えるしか方法はなかった。

筆者も数年前福井の江戸時代以前からの「鯖街道」を歩いたことある。山道の勾配は天地の差ほどの高低を繰り返し上り下りし、僻々した記憶がある。山道もない場所は絶壁を横切るしかない。ましてや橋はほとんどなかった。大雨で河が氾濫、足止めを食うことも日常茶飯事だったろう。

「奥の細道」によると、2人は何と1日に48キロ(12里)を 歩いた日があったという。幾ら昔の人が健脚だったとはいえ、老齢の域の芭蕉(46)と同行者曾良(41)が、そんな長距離を1日で踏破できたと考える方が無理な話だ。

つまり芭蕉は、こうした異常な歩き方の速さや、伊賀の上野の生まれであることから「忍者」ではなかったかと論じられてきた。それはまた別の機会に譲るとして、ここで気になるのは、むしろ芭蕉の弟子であり、旅の同伴者である「曾良」の方だ。

「曾良」のことは、純朴な芭蕉のお供だという印象が強くて、「忍者説」はあまり知られていない。

ところが調べてみると、こんな具合だ。<曾良は、幕府とのつながりが緊密で、当時日光工事普請を巡ってあった伊達藩と日光奉行の対立を探るための調査を、幕府から曾良に命じられたとされている。その目的と行動を秘匿するため、芭蕉の歌枕の旅が巧みに利用したというのが専門家の間では定説となっている。

その曾良は、さらに社寺や港の荷役の動きを調べる任務も担っていたらしく、北前舟が立ち寄る日本海沿岸の港として酒田、瀬波、新潟、直江津、出雲崎、金沢、敦賀を丹念に探索して回っている痕跡がある。

その任務行動が、なんと芭蕉の旅の日程と、無理なく調和した形になっている事実には驚かされる。きっと幕府からの支度金が潤沢だったため、俳句仲間の豪農や商人のお世話や句会の興行収入だけでは食えなかった芭蕉の懐具合が、この「曾良」の任務を受け入れことにやむを得ず、同調したのではないかと専門家は指摘する>。

こう見てくると、「曾良」という旅の同伴者は、芭蕉に接近して弟子に登用してもらい、巧に芭蕉を手なずけて幕府隠密の任務を隠密裡に遂行していた“忍者”だったという説は真実味を帯びてくる。果たして芭蕉の死後、「曾良」は、幕府巡見使九州班員に正式に収まっている。



芭蕉の終焉の時、曾良の姿はそこに無かった。公務を理由に葬儀に参列していない。やはり芭蕉に心酔して傍に連れ添った弟子ではなかったのではないか。               (了)   参考・ウィキべディア

2019年05月30日

◆トランプ 次の中国企業の標的はMEGVII

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月30日(木曜日)通巻第6092号 <前日発行>

 トランプ、次の中国企業の標的はMEGVII(メグビー)
  顔面認識メーカーの機器が新彊ウィグルの監視体制で「大活躍」

トランプ政権の用意する中国企業のブラックリスト。
 これまでにもファーウェイ(華為技術)、ZTE(中興通訊)、ハイク
ビジョン(海康威視数字技術)、ハイテラ(海能達)、ダーファ(大華技
術)などがブラックリスト入りしてきた。

後者3社はいずれも監視カメラならびに通信監視技術の新興企業だ。

このほかにインテルは半導体供給を注視し、また半導体製造装置の対中輸
出も不可能になった。クアルコム幹部は中国で開催される展示会への出席
を見合わせ、またAMD(アドバンスド・ミクロン・デバイス)は、中国
の合弁工場へに新規技術の提供をやめると発表した。

トランプはファーウェイだけを敵視しているのではなく、中国のブラック
企業と資本提携、技術提携している日米欧の企業並びに部品、コンポーネ
ント供給をしている西側企業をも制裁の対象としかねない勢いにある。

現に台湾のハイテク企業の多くが、中国への部品供給を続けられなくなっ
ている。このなかにはBASF台湾現地法人なども含まれている。

次に標的として動いているのは中国にAI企業のスターと言われる
MEGVII(メグビー)社である。

同社は2011年に北京の中関村(ハイテクパーク)で設立された。清華大学
の仲間三人でスタートしたベンチャーだった。顧客にはアリババ、レノ
ボ、小美(シャオメイ)などがあったが、2016年から顔認証技術に優れて
いたため中国政府が最大の顧客となった。

新彊ウィグル自治区における人民弾圧、監視システムに転用され、指名手
配5000名の逮捕に役立ったのだ。これを問題視したのがNYに拠点をおく
「人権ウォッチ」で、メグビー批判の先陣を切った。

現地取材から帰国した福島香織さんによれば、監視カメラは50メートルお
きに設置されており、警察ステーションが町辻に新設置され、この警官ら
が「家庭訪問」し、いきなり家宅捜査のように、宗教関係の書籍の有無な
どを調べるという。

AIは諸刃の剣である。明るい展望を見ると、これからの健康管理、医
療、財務、自動運転、ロボットなどに応用されるが、中国政府の狙いは第
一に人権弾圧と人民支配のための監視装置への適用にある。

第二にAI技術の軍事転用を活発化させ、中国軍のロボット兵士開発、攻
撃用ドローンなどに既に転用されている。

しかも、この巨大ユニコン(未上場の優良企業)MEGUVIIは、近く
上場を予定し、株式市場から7億5000萬ドルの資金調達に乗り出すという。


 ▲中国の究極の報復手段はレアアース供給中断

中国政府はトランプ政策の変更により関税戦争、中国企業の米国市場から
の排斥を受けて、報復関税をかけたが、次ぎにレアアースの供給停止を取
引材料に駆使する手筈だと、中国語の多くのメディアが報じている。中国
の国家発展改革委員会は、レアアース停止計画の存在を示唆している。

日本ではレアアースはハイブリッドカーとスマホが主たる使用用途ゆえ
に、民生用としてのレアアース概念しかない。

もし中国が対米レアアース輸出を停止すると米国はスマホレベルの話では
なく、米軍が開発、建造中のミサイル発射駆逐艦、原潜、F35戦闘機な
どの製造に支障が出る。

戦略物資としての備蓄はすくなく、米国内でのレアアース生産は需要の
5%に過ぎないため、米国の軍事関係者が懸念を表明しているという。。

しかし日本がレアアース供給を差し止められた時に、代替地としてカザフ
スタンなどから調達した。日本ではハイブリッドカー、半導体などでレア
アースが不足すると生産に支障が出たことは事実だが代替供給国には事欠
かないのだ。

ともかく前回のレアアース中断では、むしろ中国のほうで値崩れを起こし
た。レアアース生産地は内蒙古商パオトウ、江西省などで、品目によって
は中国が世界全生産の99%を占める。平均値として世界需要の3割が中国
のレアアースに依存している。

ところが、日本は南鳥島沖合海底に膨大なレアアース鉱脈が確認されてお
り、世界有数の埋蔵と言われている。だから日米は、中国の警告に慌てな
いのである。

◆「やませ」は凶作の使者

渡部 亮次郎


江戸時代には天候不順や噴煙による日照不足などで「飢饉」が屡々起きた
ようだ。天明の飢饉の言い伝えは、生まれ故郷・秋田で子供のころ聞かさ
れた。

私の生まれた昭和11(1936)年の2月26日に起きた「2・26事件」の遠因も
「やませ」による東北地方の米の凶作にあるといわれている。

凶作の生活苦に追い詰められた実家の両親が、兵隊の姉妹を東京の苦界に
身売りしている惨状に、政界、財界への反発を募らせたのだと言う説。

流石に敗戦後は品種改良で冷害に強い品種を創り上げたり、秋田県知事
(当時)の提唱による「三早栽培」の普及などで凶作は遠くなったように
見える。

種まきを早くし、田植えを早く済ます。稲刈りも早くして台風の被害を少
なくする、というのが三早栽培。確かにその通りなのだが、それを裏づけ
たのが「ビニール」の普及だった。

「温床」に代わる「ビニール・ハウス」で苗が雪消えの前の播種を可能に
し、田植えの早期着手を可能にしたわけだ。しかし「やませ」が来たらひ
とたまりもない。しかも東北では8月中旬、つまり、出穂(しゅっすい)
時に来て「日照不足」に生ると稲は命をとられる。
稔らないのだ。

海から上陸する「やませ」(山背)は、春から秋に、オホーツク海気団よ
り吹く冷たく湿った北東風または東風(こち)だ。特に梅雨明け後に吹く
冷気を言うことが多い。

やませは、北海道・東北地方・関東地方の太平洋側に吹き付け、海上と沿
岸付近、海に面した平野に濃霧を発生させる。やませが長く吹くと冷害の
原因となる。なお、オホーツク海気団と太平洋高気圧がせめぎあって発生
する梅雨が遷延しても冷害となる。

夏季にオホーツク海気団から吹く北東風は冷涼・湿潤な風であり、海上を
進む間に雲や霧を発生させ、太平洋側の陸上に到達すると日照時間の減少
や気温の低下の影響を及ぼす。

若い頃、青森県の太平洋岸八戸海岸でこれを実際に見た。早朝、海で発生
した霧は、海岸から這うように上陸し、山肌を舐めるように登って行っ
た。地上の花や野菜はぐっしょり濡れた。私は身震いした。

秋田県の旧八郎潟沿岸の農家に生まれた私は、夏の暑さよりも寒さの心配
を親から聞かされて育ったが、目にしたのははじめてだった。
ただし、やませは奥羽山脈などを越えるとフェーン現象が発生するため、
日本海側では日照時間の増大と気温上昇となる。

「やませ」は、農作物や漁獲に悪影響を与えるこの風の太平洋側の呼称で
ある。また、やませが続いた場合、大阪と東京の気温差が10度以上になる
こともある。

やませが吹き付ける範囲を「影響範囲」とすると、北海道の影響範囲では
元々稲作をおこなわず、牛馬の牧畜や畑作がなされており、やませが長く
吹き付けても農業への影響は少ない。

青森県の太平洋側(南部地方など)から三陸海岸の影響範囲も畑作や牧畜
が中心で、北海道と同様にやませの影響は折込済みである。また、関東地
方の太平洋岸の影響範囲も畑作・牧畜中心であり、且つ、やませが到達す
る回数自体が少ないので、「冷害」とはなり辛い。

影響範囲で最もやませの影響を受けるのは、稲作地である岩手県の北上盆
地・宮城県の仙台平野・福島県の浜通り北部である(福島県中通りも影響
を受ける場合がある)。

熱帯原産である稲の日本での栽培方法は、春季は熱帯ほど暖かくないため
ビニールハウスなどで育苗し、気温が上がると露地栽培が可能となるため
晩春に田植えをし、熱帯並みとなる夏季の高温を利用して収量を確保する。

このため、やませが長く吹き付けて日照時間減少と気温低下が起きると、
収量が激減して「冷害」となる。

江戸時代は米が産業の中心であったこと、江戸時代を通じて寒冷な気候で
あったこと、また、現在ほど品種改良が進んでいなかったことなどのた
め、上述の稲作地に相当する盛岡藩と仙台藩を中心に、やませの長期化が
東北地方全域に凶作を引き起こした。

凶作は東北地方での飢饉を発生させたのみならず、三都(江戸・大坂・
京)での米価の上昇を引き起こし、打ちこわしが発生するなど経済が混乱
した。

戦後は冷害に強い品種がつくられ、飢饉に至ることはなくなった。

しかし、一億総中流以降、大消費地のブランド米志向が顕在化し、冷害に
弱くとも味のいい品種が集中栽培される傾向が進んだため、再び冷害に弱
くなって「1993年米騒動」が発生した。その反省から、冷害対策は「多品
種栽培」が趨勢となった。

近年は、米の市場価格下落のため、ブランド米志向に再び戻りつつあり、
「1993年米騒動」の再来が危惧されている。梅雨明けも報じられな米どこ
ろに「やませ」が吹いている。マスコミは「山瀬」を知らない。農水省が
発表するまで報じないだろう。2009・08・18
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』



◆文大統領の専制革命路線で滅びる韓国

櫻井よしこ


自伝、とりわけ政治家のそれは割引いて読まなければならない。それにし
ても韓国大統領文在寅氏の『運命』(岩波書店)ほど独特の左翼臭を放つ
ものはないだろう。

日本語版の出版は昨年10月だが、韓国では2011年の発売で、刊行2週間で
書籍部門の売り上げ1位になったと書いている。

氏が北朝鮮からの難民だった少年時代のこと、貧困を乗り越えて人権弁護
士となったこと、「善き人」であろうとした「普通の人」が、人間の尊厳
や人権を尊重して仕事をしている盧武鉉氏と知り合い、深く感銘を受け、
やがて政治に関わり始めたという人生物語が情趣的な文章で描かれている。

北朝鮮一辺倒だった盧武鉉元大統領への感情移入と、彼らの振りかざす社
会主義の旗には欺瞞の色彩が漂う。事実、自伝に綴られている人権、自
由、正義や正統性などの価値観を、文氏自身がいま、酷い形で踏みにじっ
ている。

文氏は5月に就任2周年を迎えた。任期5年、1期であるから、残り3年だ。2
年間の文政治は、一言でいえば社会主義革命政治である。文氏も自分は
「ロウソク革命」で政権を奪ったと語っており、氏の政策の方向性は独裁
型社会主義政権の樹立だと断じてよいだろう。

ちなみにロウソク革命は、政権に不満を持つ市民がロウソクを掲げて街頭
に繰り出し、圧力で政治を動かしていくものだ。朴槿恵前大統領はロウソ
クデモで糾弾され続けて失脚した。韓国ではこの左派リベラル勢力主導の
ロウソクデモと、保守勢力が韓国国旗の太極旗を掲げて行う太極旗デモが
毎週、行われている。

文氏は言葉は柔らかくとも行動は陰湿で強硬だ。そんな文氏の体質は、少
しずつ、韓国国民に見抜かれてきた。政権発足当時には84.1%もあった氏
の支持率は、5月9日の世論調査(リアルメーター)では47.3%に落ちてい
た。不支持率は48.6%。政党支持率は文氏の与党「共に民主党」が
36.4%、第一野党の「自由韓国党」が34.8%と拮抗している。

親日派パージ

このままでは来年4月の総選挙で敗北するかもしれない。おまけに韓国経
済は苦戦中である。4月時点で失業者は124万人、若年層の失業率は11.5%
だった。朝鮮問題の専門家・西岡力氏は、1日3時間のアルバイトで暮らす
若者やパートタイムで働く予備校生なども入れると、若年層の失業率は
25%にふくらむと指摘する(「言論テレビ」5月17日)。

そこで文氏は巧妙な罠を仕掛けた。西岡氏の説明だ。

「選挙制度の改正案と高級公職者不正捜査処設置法という二つの立法案件
を国会の迅速処理案件に指定してしまったのです。これは通称ファストト
ラックと呼ばれて、330日がすぎると本会議で議決にかけられるという制
度です」

今着手すれば二つの法律は来年4月の総選挙に使えるのである。

シミュレーションでは、改正選挙法の導入で文氏のライバル・自由韓国党
が最も大きな打撃を受けるという結果が出た。韓国の国会は一院制で300
議席、小選挙区が253、比例が47だ。小選挙区では第一党と第二党の戦い
になり、第三、第四の小政党には勝ち目がない。そこで文氏は比例の議席
数を75、またはそれ以上に増やす案を考えている。

75で計算すると、自由韓国党が約20議席減になる。与党の「共に民主党」
も議席を減らす可能性があるが、韓国の政党は自由韓国党を除けばすべて
左翼政党だ。特に少数野党の「正義党」は極左政党であるため、全体とし
ては左派リベラル勢力が絶対に勝つ仕組みである。

「与党代表の李海瓚(イヘチャン)氏は、これで与党は20年間政権を握れ
ると豪語しています」

西岡氏が言うと、「言論テレビ」で同席していた「統一日報」論説主幹の
洪熒(ホンヒョン)氏が応じた。

「50年でしょう」

文政権のもうひとつの狙い、「高級公職者不正捜査処設置法」からはどん
な結果が予測されるだろうか。洪氏は同法の性格をズバリ「ゲシュタポ
法」だと断じた。

文政権は「積弊の除去」を掲げて、親日派を排除してきたが、このとこ
ろ、文政権への批判が各界各層から噴き出し始めた。3月1日、退役軍人会
は後輩の現役軍人に、「対北武装解除を進める文政権への不服従」を呼び
かけ、鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防相の退任を要求した。

通常の軍隊では考えられない不服従の呼びかけは、韓国内の対立が如何に
深刻かを示している。

また、元大使経験者ら42人が韓国の外交政策への反対を表明し、後輩の外
交官に「早く日米両国との安保協力体制を復元せよ」と呼びかけた。

親日派パージの中心勢力になっているかのように見える検察、裁判官、警
察官などの中にも文政権に批判的な勢力が存在する。こうした反文勢力の
動きを鋭い嗅覚でキャッチし、このままではやられると考えて、先手を
打ったのが今回の二つの法案であろう。

「血を流して我々は戦う」

「反旗を翻したら、今度はお前たちを逮捕するぞというわけです」

と西岡氏。

高級公職者を対象にしたこのような取り調べ機関が実現したら、韓国の空
気は途端に陰鬱なものになるだろう。自伝で文氏は自らの使命を盧武鉉氏
の遺志を継ぐこととしている。盧武鉉氏は07年の南北首脳会談で、金正日
氏に韓国を事実上明け渡すような誓いを立てていた人物だ。韓国で進行中
の革命と言ってよい一連の変化は、大韓民国の崩壊に直結しかねない。大
統領が自ら指揮する、祖国への反乱である。

こうした異常事態の中で、自由韓国党代表の黄教安(ファンギョアン)氏
の動きに注目したい。氏は朴前政権で法相、首相を務めた公安検事出身の
エリートだ。元々政治家ではなかったが、今年2月、文政権と戦うために
立ち上がった。氏はいま、街頭に出て国民に「一緒に血を流して戦おう」
と呼びかけている。

黄氏が発表した決起文が凄まじい。

「文政権はすでに行政府を掌握した。司法府もほぼ占領された。彼は選挙
法の改正で国会さえも掌握しようとしている。文在寅の左派独裁を、いま
終わらせよう。自由韓国党は命がけの戦いの先頭に立つ。血を流して我々
は戦う。国民の皆さんも犠牲を覚悟して立ち上がってほしい。そうしなけ
れば、私たちの息子、娘たちは左派独裁の下で暮らすことになる!」

韓国は内戦中なのだ。それはとりも直さず日本に危機が迫っているという
ことだ。令和の時代、日本を取り巻く国際環境は、平成の時代のそれ以上
に、厳しいものになるだろう。そう自覚して憲法改正を含めて日本の在り
方を考えていきたい。

『週刊新潮』 2019年5月30日 日本ルネッサンス 第853回

◆心筋梗塞は予知できる

石岡 荘十


まず、死因について。

私の父親も死因は「心不全」とされていたが、長い間、この死亡診断書に何の疑問も感じなかった。しかし、よく考えてみれば「心不全」というのは単に「心臓が動かなくなった」という意味であるから、病気の「結果」そのものであり、死のトリガー、「原因」ではない。

<最初は背中が痛いと言われたと報じられていた。亡くなった後では容易に心筋梗塞だったとは解らないのではないか。誰でも経験して学習し教訓に出来る病ではないので、発症した場合の対処は困難だろう>、これこそが「死因」となった心筋梗塞を疑わせる症状だ。

私も大動脈弁がうまく開閉しなくなり、10数年前人工の弁に置き換える手術を受けているが、そこに至る症状として<背中が痛い>を何年にもわたって、何度も経験している。

心臓の血流が途絶えると、背中が重苦しくなる。痛いと感じる人もいる。この苦しさは、血流が滞った程度(狭心症)の場合は、15分程度で回復する。不整脈のひとつ心房細動の時もそうだ。

私が何度も経験したが、それ以上自覚症状が長く、30分とか続くのは血管(冠動脈)が完全に詰まっている(心筋梗塞)だと考えた方がいい。ほっておけば死に至る。

胸が痛くなるという症状だと、「心臓がおかしいのではないか」と分かりやすいが、心筋梗塞になると左の奥歯がうずいたり痛くなったり、肩が凝ったりすることもある。歯医者や整形外科に駆け込む人もいるが、これは心筋梗塞の症状のひとつなのである。

歯医者で鎮痛剤をもらって「一丁上がり」となるが、じつは心筋梗塞の症状だ。こういうのを「放散痛」という。

不幸にして、こんな知識がなく死んでしまった後、患者を解剖すると死因が心筋梗塞であったことは明らかになる。

<発症した場合の対処は困難だろう>といっておられるが、心臓疾患の9割は、対処の仕方を誤らなければ、決して「死に至る病」ではないのである。

本誌常連の前田正晶さんが書いておられる記事が見事にそのポイントを突いている。
その要点をまとめると、

<失神するほどの、激痛と胸部に圧迫感があった。自分で119番に電話して症状を説明していた>

<放っておけば治るとかとは思ったが、何故かこれは「一過性の痛みではない」と判断した>

<救急患者を受付けてくれる大病院が多いこと、救急車が搬送してくれた先が国立国際医療センターだったこと、最も偉い先生が日曜日の当直だった>

<心筋梗塞に対応する準備が整っていたのだった。処置も素早かった>

<その判断が正しかったと後で解るのだが、私の場合は幸運の連続だった>

つまり、前田さまのケースは<幸運が重なった>結果であり、誰でもがこううまくいくわけではない。

年間の死者5千人を切る交通事故死にあの大騒ぎで安全運動を展開している。なのに、心臓疾患で年間15万人以上が死ぬ。なぜか。前田さんのような幸運の女神の恩寵に浴する人はそんなに多くない、それだけ啓蒙が行きわたっていないということだ。

<時間との争いであるなどとは知る由もないだろう。知識は皆無だった>とおっしゃるが、そんな人に幸運が訪れることは滅多にない。

この歳になったら、天下国家の危機を憂うる高邁な論議をする前に、わが身の危機管理に少しのエネルギーを注ぐべきだというのが私からのアドバイスだ。心臓病は<誰でも経験して学習し教訓に出来る病>なのである。

http://www.melma.com/backnumber_108241_4024688/


2019年05月29日

◆米国 中国企業を外し始めた

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月27日(月曜日)通巻第6089号 

米国、こんどは中国企業をNY株式市場の上場リストから外し始めた
   中国SMIC社、ニューヨーク株式市場から退場へ

NY株式市場にADR市場があり、SONYなどが預託証券というかたち
で株式を上場している。中国企業も、世界のウォール街で上場を果たすこ
とが夢だった。オバマ政権下における「アリババ」の上場時は、史上空前
の人気だった。

なにしろ賭け事に熱中する性格が強い中国人は、いったん仕込んだゲーム
のルールを、たちまち自家薬籠中のものとし、熾烈な株式ゲーム戦争でも
勝ち組に残る。

ファーウェイ排斥に急カーブを切ったトランプ政権は、次々と手を打って
きた。

第一に安全保障に脅威となる技術をもつ米国企業への、外国資本の買収を
許可しない。この案件はクアルコム買収を仕掛けていたブロードコムの野
心を退けた。ブロードコムは米国企業を装ったシンガポール国籍企業だ
が、背後に蠢めいていたのは中国だったからである。

第二に技術スパイの摘発で、ハイテク企業のラボなどから不正にデータを
盗み、中国に渡していた中国人(多くが軍人だった)、それに協力したア
メリカ人らをつぎつぎと逮捕し、起訴してきた。この流れのなかにファー
ウェイの副社長、孟晩舟の拘束がある。

第三に「国防権限法」を法の淵源として政治的活用を強化した。インテル
の半導体をZTEに供給することを禁じたことを皮切りに、半導体製造装
置、化学材料、化学液など半導体基板の製造に欠かせない製品、物資の輸
出禁止、つまり対中国ココムの発動である。

第四にトランプ政権は、ファーウェイ排斥を同盟国にも呼びかけた。
日本も「ファイブ・アイズ」(5EYES)のメンバーではないが、英、
豪、カナダ、NZにつづきフォーウェイ地上局などの政府調達を事実上取
りやめた。
 
第五に留学生へのヴィザ制限である。すでに2018年に4000人の高官や学
者、奨学金による研修生などが帰国した。米国の大学へ留学する中国人の
ヴィザも5年間有効だったものが1年ごとの更新となり、中国人の米国留
学は突然さめた。替わりに狙われているのがNZ、豪、そして英国の大学
である。

第六にNY株式企業から中国企業を締め出す動きが出た。

つまり資金調達も米国内ではさせないという決意が、ここまで飛び火した
ということであり、すでに債券市場での中国企業の社債に関しては、2%
以上のチャイナプレミアムが上乗せされている。

焦点のSMIC(半導体製造國際集団)は6月13日をもってNY株式市場
から撤退を表明し、同社は香港でも上場しているため、株価は5%の急落
をみせた。

日本にやってきたトランプは笑顔で大相撲を観戦し、米国大統領杯を優勝
力士に渡すなど日米友好のパフォーマンスに熱心だった。

驚いたのは日本のメディアの対応ぶり。あれだけぼろくそにトランプを攻
撃非難してきた同じメディアなのかと訝るほどに、大スター並みの扱いを
繰り返し、トランプの行く先々には日本人の見物客、スマホによるカメラ
の列があった。安倍首相は「米国のポチ」に見えた。
         
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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 『諸君!』がモデルとしたのは老舗月刊誌『自由』だった
   保守論壇の変遷を一編集者の眼からみる、詳細なマスコミ現代史

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仙頭寿顕『「諸君!」のための弁明』(草思社)
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元『諸君!』編集長の克明な回想録。というより論壇の人事録とも言える
膨大なメモ、この業界の闊達でリベラルな特質が背景にあり、頑固者や詭
弁や偽善者を嫌い、また時代の変遷と高度成長とともに、保守論壇の目ま
ぐるしい人の出入り、その変遷ぶりもパノラマのような絵巻となってい
て、読み応え十分である。

著者の仙頭氏が編集長時代、『諸君!』は過去最高の部数を誇った。
本書を通読しながら、個人的に様々な想い出が蘇った。あれは昭和43年
だったと記憶する。

評者(宮崎)がまだ『日本学生新聞』の編集をしていた頃、当時「財界の
政治部長」と言われた藤井丙午氏(当時は富士製鉄副社長だったと記憶す
る。その後、参議院議員に転出したが)に会いに行ったことがある。

そのとき余談で「近く保守系の学者、文化人、作家らを総結集した『日本
文化会議』が発足する。福田恒存、田中美知太郎、竹山道雄、三島由紀
夫、林房雄、小林秀雄らが参加する手筈で、そこから機関誌的な雑誌も生
まれる」と藤井が言ったのを、評者は一種衝撃をもって聞いたのだ。
なぜなら、それまで日本の論壇は左翼の跳梁跋扈激しく、保守のメディア
と言えば、『自由』しかなかったからだ。

『自由』の執筆陣には上記のほかにも猪木政道、西尾幹二、林健太郎、平
林たい子、村松剛、加瀬英明、中村菊男、武藤光郎の各氏ら匆匆たるメン
バーが執筆しており、保守とリベラルの呉越同舟とはいえ、その論文の引
用頻度は『中央公論』と並んでいた。

反共だがリベラル。『自由』は、もっとも権威ある媒体とされた。

『自由』の掲載論文を読んで、評者はたとえば神谷不二、高坂正堯、矢野
暢といったデビューしたばかりの論客に会いに行ったし、会田雄次、武藤
光郎、竹山道雄氏らには長々とインタビューをしに行ったこともあった。

翌年、所謂「藤井構想」から大きく逸脱して、日本文化会議は結成された
けれども、すぐに三島由紀夫、林房雄らが脱会し、紆余曲折の末に、文春
がオピニオン誌を創刊するというかたちに落ち着いた。

『諸君』が華々しく創刊された。初代編集長は田中健五氏だった。田中氏
はのちに田中角栄研究などで文春の名編集長と言われ、社長、会長になった。

当時の文春社長だった池島新平氏が「こんど創刊する『諸君』は『自由』
のライバル誌になれ」と言われたと田中健五氏の証言が出てくる。

以後、記憶しているだけでも安藤満、堤堯、竹内修司、齋藤禎、笹本弘
一、立林昭彦、白川浩司ら各氏にバトンがタッチされて行くのだが、昭和
四十五年十一月に三島事件が起きるや、当時の田中編集長から評者は電話
をいただき、「森田必勝との四年間」を徹夜して書き上げたことを昨日の
ように思い出す。

さらに同時期に『正論』『ボイス』『新潮45』、『サンサーラ』などが
戦列に加わって、保守系雑誌が花盛りとなった。

反面、左翼のたまり場だった『世界』の売れ行きは激減した。『現代の
眼』とかの左翼雑誌も『朝日ジャーナル』も消えた。しかし、なんといっ
ても『諸君!』の創刊で煽りを食らうかたちとなったのが、老舗『自由』
だった。

その後、評者は4半世紀にわたって『自由』の巻頭エッセイを連載するこ
とになった。編集担当だった猪阪豊一氏が急逝し、往時マスコミ関係者を
あつめた自由社主催の忘年会も開かれなくなり、『諸君』の休刊とおなじ
2009年に、『自由』も幕を閉じた。

『自由』の灯を半世紀近く守った、石原萌記・主幹は、当時の雑誌の保守
主義のイメージとは大いに異なって、リベラルの思想を信念としていて、
天皇の戦争責任を言う人でもあったが、カラオケに出没して歌うのは鶴田
浩二ばかりだった(そういえば田中健五と石原萌記両氏の仲はたいそう良
かった)。

この石原人脈には右左のイデオロギーとは関係なく、労組幹部、社会党代
議士から女優、歌手、そして花田凱紀氏や元木昌彦氏(『週刊現代』編集
長)らが呉越同舟していた。

松下政経塾出身の仙頭氏は、アルバイトとして文春で働いていて、入社試
験を受けたのだ。仙頭寿顕氏が文春入社にあたっての「身元保証人」が、
木屋隆安氏だったと本書で知って、またまたびっくりである。

木屋さんは時事通信社会部長を歴任したシベリア抑留組だが、なぜか評者
とも馬が合い、命令調で「あそこにかけ、ここから本を出せ」などと謂わ
れもしたが、飲むときは常に午後3時から新宿だった。

なぜなら日が高いうちに帰路につくからで、その理由は某国のテロに狙わ
れていたからだ。実際に木屋さんは、駅から突き落とされて九死に一生を
得たことがあり、晩年も駅から自宅までは公安刑事が同道した。

トここまで書いてきたら紙幅がつきた。

ともかく、本書に登場する人たちはおよそ250人くらいだろうが、そのう
ち150人ほどを評者も知っており、この業界は広いようで狭いことを改め
て実感したのだった。
         
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(読者の声)報道によると、大阪市を廃止し特別区に再編する「大阪都
構想」をめぐり、大阪維新の会と公明党大阪府本部が正式に合意し、来年
秋にも2度目の住民投票が行われることになったようです。

本欄で、何度か「大阪都構想」なる代物のナンセンスさを述べてきました
が、私には、こんな愚論・妄論がまかりとおること自体が不思議でなりま
せん。

大阪市に在住する私の知人からは、「自民のだらしなさ、公明の節操のな
さ、維新の狡猾さが相まって、橋下の私怨に端を発し、浅薄で筋が通ら
ず、今や政争の手垢にまみれた『大阪都構想』なる代物が、現実のものと
なる悪夢には我慢がなりません。」というメールを受けましたが、私も
まったく同感です。

維新なる笑止な団体名を称する不可解な集団によって、大阪市が解体・破
壊されていくことに、私は我慢がならない思いです。(椿本祐弘)



◆08年の帰化許可者は86%

渡部 亮次郎


居住外国人に地方参政権を付与すべきか否かを巡って、これらの人たちに
日本人への帰化を簡略にすべきでは無いかとの論が起きている。

日本の法務省は、帰化許可数を年間7,000人に抑えていた一時期があった
から、帰化は極めて困難との誤解が生じた。いわゆる「純血主義」の意識
が残っていたからだ。しかし、現在では申請者の90%近くが許可されている。

国籍法(昭和25年法律147号)では、帰化を許可する権限は法務大臣にあ
り、普通帰化、特別帰化(簡易帰化)、大帰化の3種類(この区分名はい
ずれも通称)が認められている。

帰化を望む者は各地の法務局(一部の支局、全ての出張所を除く)又は地
方法務局(前同)へ帰化の申請手続を行う。許否の結果が出るまでの期間
は個々人で異なるがおおむね1年半程度を要するとされる。

帰化申請の内容が認められた場合は、法務大臣による許可行為として官報
に日本国内の現住所・帰化前の氏名・生年月日(元号表記)が告示(掲
載)され、告示の日からその効力を生じることとなる。

告示における氏名表記に外国文字(アルファベット・ハングル等)は用い
られず、すべて日本語(漢字・平仮名・片仮名)に置き換えて表記される。

過去においては、当該告示には帰化前の氏名に加え帰化後の日本名(帰化
前に日本的通称名を複数使用していた者についてはそれら全て)が括弧付
きで原則併記されていたが、1995(平成7)年3月以降は帰化前の氏名だけ
が記載されるようになっている。

1998(平成10)年以降の年ごとの帰化許可申請者数は、約1万3000人から1
万7000人の間で推移している。帰化許可申請者のうち、不許可者数は約
100人から270人の間で推移しており、ほぼ99%の割合で帰化が許可されて
いる。

帰化許可者のうち、およそ6割は韓国・朝鮮籍からの帰化で占められてお
り、およそ3割が中国籍からの帰化で占められている。

2008年(平成20年、暦年)の許可帰化申請者数は15,440人で、帰化許可者
数は86%にあたる13,218人(うち、韓国・朝鮮籍は7,412人、中国籍は
4,322人、その他は1,484人)、不許可者数は269人である

【大紀元日本(06年8月5日】によれば、1952年から2005年末までの間に日
本に帰化した中国人は9万6762人で、そのうち2005年に日本に帰化したの
は4427人であることが、法務省民事局で発表した資料により明らかになった

。日本に帰化した中国出身者の大部分は日本に住まいをもち職も安定し、
まじめに暮らしている。現在、多くの中国人の若者が日本国籍を取得した
後、再び中国に帰って事業を興している。

その理由は日本国籍を持つ中国出身者は中国では特別待遇を得ることがで
き、しかも給料待遇も優れているからであると言われている。1989年以来
日本に帰化しようとする中国人は増加化し続けているという。

参考: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
2009・12・07