2019年05月03日

◆ベネズエラ危機報道の影に隠れたが

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月2日(木曜日)通巻第6063号 

ベネズエラ危機報道の影に隠れたが、ラテン・アメリカ諸国で「洗車作戦」
その結果、大手オデブリヒト倒産、かわりにやって来たのが中国企業だった

「はい、こちらブラジル商事汚職課です」と、どぎついニックネームのゼ
ネコン大手は「オデブリヒトS・A」。

ラテン・アメリカ諸国の大きな公共事業に必ず応札し、政治家に巨額の賄
賂を贈って入札に成功してきた。ブラジルを代表する巨大デベロッパーと
して知られた。

2014年頃から本格化した「洗車作戦」とは、汚職政治家の訴追、追放。ケ
イコ・フジモリにも収賄容疑がかかったほど、どの国もカネまみれ、ブラ
ジルでアルゼンチンで、ペルーでメキシコで、大物政治家から大統領まで
訴追されて失脚した。なかには自殺に追い込まれた大統領もでた。
 
ブラジルの歴代大統領3人が起訴され、ペルーではガルシア前大統領が自
殺し、エクアドルでは前副大統領が懲役六年、過去に政治家や企業の入札
責任者に贈った賄賂の総額は35億ドル(邦貨換算4000億円弱)にものぼる
という(米国ジェイムズタウン財団「チャイナ・ブリーフ」、2019年4月
24日)。

こんな会社まともな工事が出来るのだろうか?

オデブリヒトS・Aの株式は下げ止まり、ついに2017年に会社更生法を申
請、なにしろ売り上げが10分の1となって、倒産は時間の問題となった。

汚職なんて、ラテン・アメリカではつきもの、なんでまた「洗車作戦」な
どというくだらない政治キャンペンを開始したのか、これでは経済発展が
停滞すると旧裨益組は不満を述べる。

このオデブリヒトの失態、公共事業の空白という絶好の隙を狙って食い
いってきたのが、またしても「あの国」である。

「ひどい企業汚職が去ったと思えば、もっとひどいのがやってきた」と陰
口の聞こえるほどに、オデブリヒトの失敗の穴埋めを、中国国有企業が引
き受けはじめたのだ。

また既存の企業を中国はつぎつぎと買収し、発電所まで建設している。よ
ほど楽天的で享楽的、かつ刹那的な民族性が合うのか、ラテン・アメリカ
の政治家には儒教を看板とするだけの国の、モラルのない人々との付き合
いは肌に合うようである。


 ▲賄賂漬けの南米諸国に「賄賂の本場」から応札するんだってサ

ところが異変がまた起きた。中国の投資集団の資金が息切れし、プロジェ
クト中断や、入札後のキャンセルなどという失態が次から次へ明るみに出
始めた。

コロンビアのマグダデナ川浚渫プロジェクトもオデブリヒトが撤退したあ
と中国の「チャイナ・ハイドロ」がやってきた。同社は以前に入札に失敗
したプロジェクトの復活を狙っているのだが、最終決定をコロンビア政府
はだしていない。

ペルーでは水力発電所をオデブリヒト撤退のため、中国の国有企業の「三
峡水力発電建設」が、13億ドルでプロジェクトを購入するとした。とこ
ろが、オデブリヒト社に貸与してきたカネの焦げつきの回収をJPモルガ
ンとSMBC(三井住友銀行)が要求し、ペルー政府と交渉に入った。

王岐山(国家副主席)と関係の深いHNA集団(海航グループ)は、リオ
デジャネイロ空港をオデブリヒトから買う約束を提示してきた。これも中
国の外貨逼迫ならびに怪しげな経理内容からブラジル航空当局の反対に
あって沙汰止みとなった。

2018年11月、賄賂スキャンダルで中断されていた火力発電を、ドミニカ政
府は国際入札にかけると公告した。応札したのは中国の葛州堤集団だけ
だった。もともと同社は2014年の入札でオデブリヒトの半値を提示してい
た。このためオデブリヒト社は政府高官に9200万ドルをばらまいていた。

ことほど左様に、ラテン・アメリカでも、ベネズエラの不良債権の圧迫
で、中国は熱意を失うか、もしくはファイナンスの面で危機に直面してお
り、威勢の良かった最初の勢いは大きな後退をみせている。 
      
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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平成天皇と皇后両陛下の和歌はセットとなっていた
その妙音に籠められた熱情、国民への篤き思い

  ♪
竹本忠雄『平成の大御代 両陛下 永遠の二重唱』(倫理研究所)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

平成天皇の御製は、天地を貫く一条の瀧、皇后の御歌で水が流れる。二重
唱なのだ。両陛下の和歌はセットとなっている。その妙音に籠められた熱
情、国民への篤き思い。

竹本氏は皇后陛下の選歌集『SEOTO せせらぎの歌』をパリでフラン
ス語訳を刊行された。日本語版は扶桑社『祈りの御歌』(新装版は海竜
社)である。
 
 両陛下の二重唱を二例。

 (沖縄ご訪問のおりに)
 御製
   激しかりし 戦場(いくさば)の跡 眺むれば 平らけき海 その
果てに見ゆ
 御歌 
   波なぎし この平らぎの 礎と 君らしづもる 若夏(うずりん)の島

 硫黄島玉砕に際して栗林忠道中将は以下を辞世とした

   国のため 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

 (硫黄島慰霊の旅にて)
 御製
   精根を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき
 お歌
   銀ネムの 木木茂りいる この島に 五十年(いそとせ)眠る み
魂かなしき

 竹本氏は言う。
 「日本の天皇にあっては、御霊鎮めという神道の秘儀をつうじて、やは
り死は乗り越えられていきます。この秘儀を両陛下の二重唱は達成し、不
思議な力を発揮していくのです。それは、単に空間的のみならず、遠く離
れた時間をも貫いて、むすんでいく力であります」
 そしてこうも言われる。
 「天皇の御製は天と地を結ぶ一条の瀧です。それを承けて美智子さまの
歌によって瀧の水は流れはじめるということであります」
 評者のこころの中にも清流が流れた。

 (編集部から) 本書は近くアマゾンでも販売予定です。当面は下記に直
接注文されるのが一番確実です。定価500円。連休明けから配送されます!
https://www.rinri-jpn.or.jp/ec/html/products/detail/450
        ◎○◎○◎○○

◆「ぎりぎりセーフ」の小沢氏

渡部 亮次郎


<小沢氏、辞任の時機「ぎりぎりセーフ」 今後にも意欲

民主党の小沢一郎・前幹事長は12日、和歌山市で連合和歌山との懇談に出
席し、鳩山由紀夫前首相との「ダブル辞任」について、「もう少し早けれ
ばという思いもあったが、ぎりぎりセーフのタイミングだった」と述べ、
参院選を視野に辞任時期を以前から探っていたことを明かした。>Asahi
 Com 2010年6月12日15時9分

<出席者によると、小沢氏は「鳩山首相と政権の両輪としてやってきた
が、こういうことになって迷惑をかけた」と陳謝。「幹事長時代のように
地方を回ることはできないが、ぼちぼちやっていく」と語り、今後の政治
活動に意欲を示したという。

この日は幹事長辞任後、初めての地方行脚。会合後は、世界遺産に登録さ
れた紀伊山地の霊場と「熊野古道」の散策に向かった。小沢氏は今後も連
合の地方組織との懇談をこなしながら、小沢氏主導で擁立した参院選複数
区の2人目の新顔候補らの陣営を回って支援する考えだ>。

この発言を信じれば、自らの幹事長辞任を早くから決意していたことにな
るが、真実は総理が交代しても、自身は幹事長留任の途を捜していた。

それが証拠に、菅直人氏からの代表選立候補の挨拶要請をあくまで拒否し
たことである。小沢氏は6月1日夜おこなわれた鳩山・菅による極秘会談の
席で、辞任の決意を打ち明けられた菅氏が「それじゃ小沢を斬りましょ
う」と提案したことを知って激怒。

その後鳩山総理から電話で「私の意向で辞任する形でいいですね」と言わ
れて了承したものの、菅氏の挨拶は最後まで受け入れなかった。「裏切っ
た菅に斬られた」と思っているのである。

元々小沢氏は菅氏を己のカードと思っていた。ところがその菅が裏切った
ことを知ったので、挨拶を拒否しただけでなく、対立候補を立てようと田
中真紀子氏にまで働きかけた。

こともあろうに、小泉内閣で外相どころか政治家の資格そのものの
皆無であることを天下に晒した真紀子氏にまで断られるほど、彼の周辺に
は人材と言える政治家が育ってないのだ。独裁者の末路を連想する。

一方の菅総理である。所信表明演説で「私を信じて下さい」とやって却っ
て中身が何も無いことを表すと言う阿呆なことをやったが、口蹄疫の宮崎
には土曜を返上して駆けつけ、農家の現場を視察するなど、鳩山を反面教
師にしたオポチュニストぶりは徹底している。

これは、水泳に譬えれば一種の立ち泳ぎというべく、参院選もこれで凌ぐ
心算だろう。何とかV字を描く内閣支持率を維持したまま
選挙を凌ぐには立ち泳ぎ意外に方策はない。

その結果、参院選は「50」議席と菅氏が設定する勝敗ラインを何とか超えら
れるのではないか。

だとすれば<辞任の時機「ぎりぎりセーフ」 今後にも意欲>と雖も小沢
氏の近未来は決して明るくは無い。つまり「本番は9月だ」と捲土重来を期
しているにしても、概ね菅氏の代表再選となれば、
党内に坐る椅子は皆無だ。

またまた離党すると言っても150人のグループの中から従いて行く者は何
人いるやら。寂しい秋の夕暮れになるのでは無いか。
2010・6・12

◆ラテン・アメリカ諸国で「洗車作戦」

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月2日(木曜日)通巻第6063号 

ベネズエラ危機報道の影に隠れたが、ラテン・アメリカ諸国で「洗車作戦」
その結果、大手オデブリヒト倒産、かわりにやって来たのが中国企業だった

「はい、こちらブラジル商事汚職課です」と、どぎついニックネームのゼ
ネコン大手は「オデブリヒトS・A」。

ラテン・アメリカ諸国の大きな公共事業に必ず応札し、政治家に巨額の賄
賂を贈って入札に成功してきた。ブラジルを代表する巨大デベロッパーと
して知られた。

2014年頃から本格化した「洗車作戦」とは、汚職政治家の訴追、追放。ケ
イコ・フジモリにも収賄容疑がかかったほど、どの国もカネまみれ、ブラ
ジルでアルゼンチンで、ペルーでメキシコで、大物政治家から大統領まで

訴追されて失脚した。なかには自殺に追い込まれた大統領もでた。

ブラジルの歴代大統領3人が起訴され、ペルーではガルシア前大統領が自
殺し、エクアドルでは前副大統領が懲役6年、過去に政治家や企業の入札
責任者に贈った賄賂の総額は35億ドル(邦貨換算4000億円弱)にものぼる
という(米国ジェイムズタウン財団「チャイナ・ブリーフ」、2019年4月
24日)。

こんな会社まともな工事が出来るのだろうか?

 オデブリヒトS・Aの株式は下げ止まり、ついに2017年に会社更生法を
申請、なにしろ売り上げが十分の一となって、倒産は時間の問題となった。

汚職なんて、ラテン・アメリカではつきもの、なんでまた「洗車作戦」な
どというくだらない政治キャンペンを開始したのか、これでは経済発展が
停滞すると旧裨益組は不満を述べる。

このオデブリヒトの失態、公共事業の空白という絶好の隙を狙って食い
いってきたのが、またしても「あの国」である。

「ひどい企業汚職が去ったと思えば、もっとひどいのがやってきた」と陰
口の聞こえるほどに、オデブリヒトの失敗の穴埋めを、中国国有企業が引
き受けはじめたのだ。

また既存の企業を中国はつぎつぎと買収し、発電所まで建設している。よ
ほど楽天的で享楽的、かつ刹那的な民族性が合うのか、ラテン・アメリカ
の政治家には儒教を看板とするだけの国の、モラルのない人々との付き合
いは肌に合うようである。

▲賄賂漬けの南米諸国に「賄賂の本場」から応札するんだってサ

ところが異変がまた起きた。中国の投資集団の資金が息切れし、プロジェ
クト中断や、入札後のキャンセルなどという失態が次から次へ明るみに出
始めた。

コロンビアのマグダデナ川浚渫プロジェクトもオデブリヒトが撤退したあ
と中国の「チャイナ・ハイドロ」がやってきた。同社は以前に入札に失敗
したプロジェクトの復活を狙っているのだが、最終決定をコロンビア政府
はだしていない。

ペルーでは水力発電所をオデブリヒト撤退のため、中国の国有企業の「三
峡水力発電建設」が、13億ドルでプロジェクトを購入するとした。ところ
が、オデブリヒト社に貸与してきたカネの焦げつきの回収をJPモルガン
とSMBC(三井住友銀行)が要求し、ペルー政府と交渉に入った。

王岐山(国家副主席)と関係の深いHNA集団(海航グループ)は、リオ
デジャネイロ空港をオデブリヒトから買う約束を提示してきた。これも中
国の外貨逼迫ならびに怪しげな経理内容からブラジル航空当局の反対に
あって沙汰止みとなった。

2018年11月、賄賂スキャンダルで中断されていた火力発電を、ドミニカ政
府は国際入札にかけると公告した。応札したのは中国の葛州堤集団だけ
だった。もともと同社は2014年の入札でオデブリヒトの半値を提示してい
た。このためオデブリヒト社は政府高官に9200万ドルをばらまいていた。

ことほど左様に、ラテン・アメリカでも、ベネズエラの不良債権の圧迫
で、中国は熱意を失うか、もしくはファイナンスの面で危機に直面してお
り、威勢の良かった最初の勢いは大きな後退をみせている。 
       
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平成天皇と皇后両陛下の和歌はセットとなっていた
その妙音に籠められた熱情、国民への篤き思い

  ♪
竹本忠雄『平成の大御代 両陛下 永遠の二重唱』(倫理研究所)
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平成天皇の御製は、天地を貫く一条の瀧、皇后の御歌で水が流れる。二重
唱なのだ。両陛下の和歌はセットとなっている。その妙音に籠められた熱
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竹本氏は皇后陛下の選歌集『SEOTO せせらぎの歌』をパリでフラン
ス語訳を刊行された。日本語版は扶桑社『祈りの御歌』(新装版は海竜
社)である。
 
両陛下の二重唱を二例。

(沖縄ご訪問のおりに)
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激しかりし 戦場(いくさば)の跡 眺むれば 平らけき海 その果てに見ゆ
 
御歌 
  
波なぎし この平らぎの 礎と 君らしづもる 若夏(うずりん)の島

硫黄島玉砕に際して栗林忠道中将は以下を辞世とした

国のため 重きつとめを 果たし得で 矢弾尽き果て 散るぞ悲しき

 (硫黄島慰霊の旅にて)
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精根を 込め戦ひし 人未だ 地下に眠りて 島は悲しき
 お歌
  
銀ネムの 木木茂りいる この島に 五十年(いそとせ)眠る み魂かなしき

 竹本氏は言う。

「日本の天皇にあっては、御霊鎮めという神道の秘儀をつうじて、やはり
死は乗り越えられていきます。この秘儀を両陛下の二重唱は達成し、不思
議な力を発揮していくのです。それは、単に空間的のみならず、遠く離れ
た時間をも貫いて、むすんでいく力であります」
 そしてこうも言われる。

「天皇の御製は天と地を結ぶ一条の瀧です。それを承けて美智子さまの歌
によって瀧の水は流れはじめるということであります」
 評者のこころの中にも清流が流れた。

(編集部から) 本書は近くアマゾンでも販売予定です。当面は下記に直接
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◆1秒でも早く政界引退を

渡部 亮次郎


<鳩山首相「私腹を肥やしたわけではない」と辞任否定 元秘書起訴で会
見(12月24日18時10分配信 産経新聞)

鳩山由紀夫首相は24日、自らの資金管理団体「友愛政権懇話会」の偽装献
金問題で、東京地検特捜部が元公設秘書を在宅起訴するなど一連の処分を
行ったことを受け、東京・平河町のホテルで記者会見を行った。

首相は国民に謝罪しながらも首相辞任は否定、その上で実母からの12億6
千万円の資金提供を贈与と認め、平成14年に遡って修正申告し、贈与税約
6億円を納める考えを表明した。

偽装献金事件について「国民が疑問に思うのは当然だが、(秘書が献金処
理を)滞りなく処理していると任せていた」と説明。贈与についても「承
知してなかった」と繰り返した。

一方、首相は、過去に「秘書の行為の責任は議員の責任だ」などと発言し
てきたことについて「私は私腹を肥やしたり、不正な利得を得た思いは一
切ない」と釈明。>

<「努力だけは認めて」=政権3カ月で鳩山首相>(12月16日11時19分配
信 時事通信)。努力したのではなく、すべての難問を先送りしただけで
はないか。嬶を連れての派手な外遊を続けただけではないか。

<「すべてがまだ完ぺきとは言えないと思う。一生懸命努力していること
だけは認めていただきたい」。鳩山由紀夫首相は16日午前、政権発足3カ
月を迎えたことについて、記者団を前にこう訴えた。

米軍普天間飛行場移設問題や2010年度予算編成作業などの懸案に関し「閣
僚の中でいろいろと声が上がって、(首相の)指導力がどうだという話が
ある」と認め、「それは分かっているが、いずれ国民もこの答えが最適
だったと分かるときが来ると思う」。

重要課題の政策決定で足踏みが目立つことへの理解を求めた。> 

私が国内政治の現場を去って既に30年。したがって、現場の情景は全く知
らないが、鳩山由紀夫の馬鹿さ加減だけは、インターネットを通じてよく
分かる。

政治家になったのに、常識が無い。哲学が無い。困ったことがないから他
人の痛みが分からない。したがって戦略も戦術もない。努力を認めろと
いっても、見える努力は一つも無い。

母上から一と月に1500万円もの小遣いを貰っておいて、知らなかったとい
う。そんなことが世間に通用すると思っているから、宇宙人だといわれ
る。だが宇宙人は確認されていない。

それなのに宇宙人と、敢えて言われるのは、無形人といわれているのと同
じだ。まず悩みがない。有っても悩まないから、悩みが無いのと同じなのだ。

だから本人は努力したといっても、解決した案件は一つも無い。ああじゃ
ない、こうじゃないと、口から出任せを喋っているだけで、
どうすれば解決するか、考える事もできない。

多分、母親が元気なら、官邸に据えて、厄介を頼むところだろう。すべて
そうしてきたからだ。だが、いまや87歳ともなれば、面倒を見てもらうわ
けには行かないから、すべてが頓挫してしまったのである。

一方、月額1500万円の小遣いは何に使ったのか。あるいはブレインになる
人の買収、接待費に使ったのか。その割には碌なブレインがいない。使え
ない商社マンしかいない。左翼に凝り固まって有害だ。

アメリカとの同盟関係を可笑しくし、中国に叩頭外交を展開する事になっ
たのは、彼の誤れる哲学と偽情報に頼ったからである。「努力した」ので
はなく「壊し」に専念した100日だったのだ。

早く総辞職し、議員も辞めたほうがいい。それも1分でも1秒でも早い方
が日本のためだ。2009・12・24


◆文在寅、親北反米路線で確信犯

櫻井よしこ


南北両朝鮮が米国に追い詰められている。とりわけ韓国の文在寅大統領へ
の米国の圧力は巧妙である。

4月11日、文氏は“建国”を祝う予定だったが、米韓首脳会談のため、大事
なその記念式典を諦めて訪米した。にも拘わらず、ホワイトハウスでのト
ランプ大統領との会談は、前代未聞の哀れな結果に終わった。

文氏は10日にソウルを出発し、同日夕方にワシントンに到着したが、米国
側との予定は一切組まれていなかった。翌11日午前中に、ポンペオ国務長
官、ボルトン大統領補佐官、ペンス副大統領とそれぞれ面会したが、三氏
共に文氏の北朝鮮寄りの姿勢に批判を加えたと見られる。北朝鮮に非核化
の意思は読みとれず、制裁緩和はあり得ない、米国はむしろ制裁強化を考
えていることなどが強調されたと考えてよいだろう。

その後、トランプ、文両首脳は夫人を伴って首脳会談を行った。夫人同伴
の首脳会談など通常はあり得ない。トランプ氏は文氏と二人で語り合う必
要を認めていなかったのだ。現に会談冒頭、メディアからゴルフのマス
ターズトーナメントの勝者は誰になると思うかと問われ、トランプ氏は文
氏を横においたまま延々と語った。結局27分間もトランプ氏の話が続き、
文氏との会談時間は驚きの2分間、しかも通訳つきだ。その後に他の閣僚
たちも参加しての昼食となった。4月12日、ネット配信の『言論テレビ』
で元駐日韓国大使館公使の洪熒(ホンヒョン)氏が語った。

「2月末にベトナムの首都ハノイで米朝会談が決裂した後、文氏は康京和
(カンギョンファ)外相や鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防部長官を米国に送
り、三度目の米朝首脳会談の開催や対北朝鮮制裁の解除を要請させまし
た。対北経済援助で米国には負担をかけない、韓国が負担するので開城
(ケソン)工業団地も金剛山(クムガンサン)観光も再開させてほしい、など
とも言わせました。米国側は全て拒否し、そのような話題であれば、米韓
首脳会談はなしだと、通告したのです」

一人飯

朝鮮問題の専門家でシンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力
氏も『言論テレビ』で語った。

「朝鮮語で『一人飯』をホンバプといいます。韓国の若者の間で一人でご
飯を食べるのが増えていて、ホンバプという言葉が流行っているのです。
文氏は米国到着の10日夜がホンバプ、11日朝もホンバプ、11日昼にようや
く米国側との食事にあり付いた。本当に相手にされなかったのです」

米国の厳しい態度は文政権の裏切りに対する冷遇だと洪氏が断じる。文氏
の裏切りとは、米朝首脳会談を実現させるために、文氏が金正恩氏は北朝
鮮の非核化を決意していると米国に伝えたことだ。正恩氏が表明したのは
北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化である。これは韓国を守るた
めに米国の核を使うという発想自体もなくしてしまうこと、即ち米韓同盟
の破棄を目指す言葉であり、北朝鮮が所有する全ての核や関連施設の一掃
とは、全く異なる。

当初、北朝鮮の非核化に希望を抱いたトランプ政権は、やがて正恩氏に非
核化の意思がないこと、文氏の嘘を確信したと思われる。国連制裁に違反
してでも北朝鮮支援に動こうとする文氏を牽制するために、米国政府は文
政権の頭越しに韓国の経済界に働きかけ始めた。

昨年9月には、ニューヨークにある韓国の七つの銀行の支店に米財務省が
直接電話をして、米国が北朝鮮に制裁をかけていることを承知しているか
と警告した。西岡氏が語った。

「韓国系の銀行は現在、送金業務を止めているといわれます。もし送金に
北朝鮮と関係する資金が入っていれば、米国の副次的制裁(secondary
sanction)を受け、一切のドル決済が停止されるやもしれない。そうなっ
たら銀行は潰れます」

昨年4月27日の板門店での南北首脳会談にも、9月18日の平壌での南北首脳
会談にも、文氏は多くの韓国企業代表と開城工業団地の組合長らを同行さ
せた。文氏は金正恩氏と共に白頭山に登ったが、そのとき正恩氏に開城工
業団地組合長を紹介し、組合長に直訴させた。「委員長様、何とか開城工
業団地を再開させて下さい」と。

正恩氏は今年新年の辞で「南朝鮮の人民の要望に応えて、無条件で開城工
業団地を再開する」と演説し、それを受けて文氏は開城工業団地再開で米
国を説得すると公言した。だが、北朝鮮を利するだけの工業団地再開に
は、前述のように米国が完全拒絶の姿勢を貫いた。

支持率は下がる一方

その間、ソウルの米大使館の専門官は文氏に同行した財閥や企業に直接電
話攻勢をかけた。米政府が北朝鮮に制裁をかけているのは承知か、と警告
したのである。洪氏が強調した。

「米国は朝鮮半島での70年間に多くの教訓を得ています。そしていま、文
在寅と韓国企業を切り離しているのです。文は米国の警告を聞かない。な
らば企業や韓国国民に直接働きかけようというわけです。核を諦めない北
朝鮮に送金を続けるのか、米国との貿易や自由社会との絆を選ぶのか、と
米国は迫っています」

韓国国民も文氏の危うさを実感しているに違いない。支持率は下がる一方
だ。経済は停滞し失業率は高まり続けている。にもかかわらず、文氏は最
低賃金をこの2年間で約30%も引き上げた。残業を規制し労働時間を大幅
に短くした。人件費は高騰し、倒産は急増、失業率がさらにはね上がる悪
循環である。笑い話のような現実を西岡氏が紹介した。

「統計上失業者が増えると困るので、文氏は60歳以上の失業者に週1回大
学に行って電気を消す、又はゴミ拾いをするなどの仕事を作り、役所が賃
金を払うことにしました。税金で失業率の統計に化粧を施しているのです」

支持率低下や米国の警告にもめげず、親北路線を変えない強い反米の意思
が文氏の人事から読みとれる。一例が統一部長官に指名された金錬鉄(キ
ムヨンチョル)氏である。この人物は米国が韓国に要請した
THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に反対し、開城工業団地の早
期再開を主張する反米主義者である。

同人事は韓国議会の反対にも拘わらず、文氏は考えを変えなかった。文氏
は米国に公然と対立姿勢を見せたに等しく、米国を欺く手法で開城工業団
地再開をはじめ北朝鮮支援に走り出しかねない。

暴走の気配を見せる文氏に、米国が対決姿勢を強め、韓国国内では対抗勢
力が力をつけつつある。2月27日、自由韓国党の代表に黄教安(ファンギョ
アン)氏が選ばれた。朴槿恵政権で法務部長官や首相を務めた公安検事出
身の62歳は、文政権の安保政策と経済政策を「亡国政策」と批判する。

野党勢力はまだ弱いが、それでも文氏の足下は決して盤石ではない。韓国
はいつ何が起きてもおかしくない緊張の中にある。

『週刊新潮』 2019年4月25日号 日本ルネッサンス 第849回

◆歳は足にくる(前)

    石岡荘十


学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。

こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)、それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。それから、少なくとも一キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。脊柱管はどこも狭くなっているところはない。

しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の一割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。

これを立証するのが、「血圧波検査」だ。両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。

いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。(続く)

2019年05月02日

◆イスラム国家指導者たちの朝貢図

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月1日(水曜日)弐 通巻第6062号 

 薄ら寒くなったイスラム国家指導者たちの朝貢図
  ウィグル弾圧を同胞の危機とは見ずに、習近平にお追従

北京で開催された「一帯一路國際フォーラム」にプーチン、シシ、スー
チー、ナゼルバエフらが顔を揃えた。画像を見ていると習近平にはりつく
ように人工的笑顔をつくっているのはシシ(エジプト大統領)、ナゼルバ
エフ(前カザフスタン大統領)らである。

しかし2年前に出席したトルコのエルドアン大統領は欠席した。トルコは
ウィグル、カザフ、ウズベク、トルクメニスタンと同様に突厥あたりを源
流とするチュルク族の国家、おなじくイスラム教を信奉する国民がいる。
トルコ族の英雄的歌手がウィグルの強制収容所で死亡したというニュース
(真偽のほどは依然不明)に激怒し、エルドアンは中国共産党を「人類の
恥」と非難した。

イムラン・カーン(パキスタン首相)は、反中国を鮮明に選挙に競り勝った。

しかしパキスタンが抱える対中債務のあまりの膨大さに、ウィグル弾圧を
聞かれても「わたしはよく知らない」ととぼけた。

出席した元首クラスは、このほかにサウジ皇太子、ジブチ大統領、ルカ
シェンコ(ベラルーシ大統領)、そしてキルギス、ウズベキスタン、トル
クメニスタンの元首クラスで、いずれも共通項がある。

専制政治あるいは独裁政治のボス達であること。中国のシルクロード資金
を経済再生のカンフル剤としてアテにしていること。そして中国のウィグ
ル族弾圧を「テロリスト対策」として称賛していることである。
北京の国際フォーラムをみていて、薄ら寒くなるイスラム国家指導者たち
の朝貢図だった。

◆「08憲章」石平氏の見方

渡部 亮次郎


中国の民主化を求める「08憲章」は世界人権宣言採択60周年にあわせ、
2008年12月10日、インターネット上で発表された(AP)

中国の学者や弁護士ら303人が公表したものだが、89年の天安門事件で母
国と「精神的に決別し」、2007年日本に帰化した石平(せきへい)氏は12
日の産経紙上で論評した。

「共産党政権おそらく彼らは、08憲章の発表を中国の発展を阻害しようと
する外国勢力の陰謀だと決めつけ08憲章」の連邦共和構想を「祖国を分裂
させるたくらみだと断罪した上で、いわば愛国主義の大義名分において民
主化運動を潰しにかかってくるのであろう」と分析した。

石平氏はさらに「それでも事態の収拾がつかなくなる場合、国民的なナ
ショナリズム情念をもう1度焚付け、対外的な危機を人為的に作り出すこ
とによって、内部統制を強化して生き延びていくというのは、政権にとっ
ての魅力的な選択肢の一つとなってくるはずである」とし以下のように述
べている。

「08憲章」の原文に接したとき、昔の天安門民主化運動にかかわったこと
のある私は、久しぶりに血が湧くような思いをした。民主化の夢は再び、
かの国の大地で蘇ってくるのか。

「08憲章」の示した民主化の理念と構想は、私たちの時代の単純な「理想
論」と比べれば、実によく成熟して高次元なものとなった。

それは、中国の現状に対する冷徹な分析と、民主化の障害となる諸問題に
対する深い洞察の上、政治・経済・教育・司法・宗教などの多方面におけ
る変革の構想と問題解決の道筋を提示し、中国民主化のための総合的なガ
イドラインを打ち出したものである。

その中で、たとえば「軍の国家化」の主張はまさに現体制の核心部分を突
いた鋭い切り口であり、「連邦共和制」の構想はまた、「中国のような巨
大国で民主化が実現可能なのか」という長年の難題の解消に方向性を示し
た歴史的な突破である。

発起人の多くが天安門民主化運動の中心人物の生き残りであることからす
れば、今の成熟は過去の運動の挫折に対する反省の結果であると思うが、
完成度の高い「08憲章」の発表自体は、民主化運動の一歩前進を示した画
期的な出来事である。

何よりも注目すべきなのは、天安門事件から19年目の2008年に、この「08
憲章」が発表されたタイミングの重大な意味である。

天安門事件以来の19年間、中国の民主化運動が低潮期に入ったことは事実
だが、その最大の原因はやはり、1990年代から始まった市場経済への本格
的な移行と、その結果としての高度経済成長にある。

つまり、時代のパラダイム(思考の枠組み)が「政治」から「経済」へと
変えられていく中、この国のエリートと民衆が富と豊かさを求めて市場経
済の波に呑(の)み込まれていくと、民主化の理想と欲求が徐々に忘れ去
られる。そして高度成長のもたらす経済の繁栄はまた、共産党の一党独裁
に新たな正当化の根拠を与えて政権安定の基盤を作った。

その結果、党と政府の思惑通りに、十数年にわたる「繁栄と安定」の時代
が「めでたく」出現したわけである。

しかしその半面、政治的一党独裁と経済的市場化との矛盾が棚上げにされ
たままの経済成長は、やがて腐敗の蔓延(まんえん)や貧富の差の拡大や
農村の疲弊などの問題を生み出し、経済が繁栄しながらも年間に数万件の
暴動が起きるようないびつな社会を作り出すに至った。

かくて運命の2008年から、肝腎の経済繁栄も陰りを見せ始め、特に08年後
半に入ってからは、「急落」、「減速」、「減産」、「リストラ」、「倒
産」などの不吉な単語が毎日の新聞記事に登場してくる中、十数年間の高
度経済成長はその終焉(しゅうえん)を告げようとしている。

これまで経済の繁栄によって覆い隠されていた社会的諸矛盾が一気に噴出
してきて、経済の後退がもたらす失業の拡大が社会的不安をさらに増大さ
せる事態の発生が必至だ。つまり今度は、「繁栄と安定」の時代に取って
代わって、衰退と混乱の時代が再びやってくるのである。

そうすると、中国はどこへ向かうべきか、という忘れ去られていた根本問
題が再び浮上してきて、変化と改革を求める声は再び時代のパラダイムと
なってくる。

したがって、このような歴史的な節目に堂々と登場してきた「08憲章」
は、まさに中国の直面する難局を打開し、国づくりの新しい道を切り開こ
うとする民主化運動の「再出発宣言」となるのである。

インターネットが発達し、市場経済の広がりが党の直接支配の及ばない自
由空間を作り出したこの時代、彼ら民主派知識人や人権活動家を中軸に、
いびつな経済繁栄から取り残された農民工や都市部労働者、経済衰退の中
で生活破綻(はたん)をきたしていく中産階層、卒業しても職にありつけ
ない大学生、そして「中華帝国」の支配に反発するウイグル人やチベット
人などが、自由・人権・民主の普遍的価値を掲げた「08憲章」の旗印の
元に結集してくるのであれば、それが間違いなく、中国の行方を決定する
大きな流れを作り出していくのであろう。

日本がどう対応すべきかこそはわれわれにとっての大問題であるが、とに
かく、08年12月から、巨大隣国・中国の変革と激動の時代がいよいよ
その幕を開けようとしていることを、まず認識しておくべきであろう。



■天安門事件 1989年6月、中国政府が軍隊を出動させ、民主化を求める
学生らを弾圧した事件。4月15日に急死した中国共産党の改革派指導者、
胡耀邦氏の追悼を契機に、学生らが北京の天安門広場でデモを繰り返し、
党の腐敗を批判する大規模な民主化要求運動を展開。トウ()小平氏ら指
導部は運動を「動乱」と断じ、6月3日夜から4日未明にかけて、軍を動
員して広場を制圧し、少なくとも数百人の死者が出た。


 ■せき・へい 1984年北京大哲学科卒。88年に来日。89年の天安門事件
で母国と「精神的に決別」。95年神戸大大学院で博士課程修了。2007年日
本に帰化し08年拓殖大客員教授。「私は『毛主席の小戦士』だった」
(飛鳥新社)など著書多数。四川省出身。46歳。産経ニュース2008.12.23
18:18

◆文在寅、親北反米路線で確信犯

櫻井よしこ


南北両朝鮮が米国に追い詰められている。とりわけ韓国の文在寅大統領へ
の米国の圧力は巧妙である。

4月11日、文氏は“建国”を祝う予定だったが、米韓首脳会談のため、大事
なその記念式典を諦めて訪米した。にも拘わらず、ホワイトハウスでのト
ランプ大統領との会談は、前代未聞の哀れな結果に終わった。

文氏は10日にソウルを出発し、同日夕方にワシントンに到着したが、米国
側との予定は一切組まれていなかった。翌11日午前中に、ポンペオ国務長
官、ボルトン大統領補佐官、ペンス副大統領とそれぞれ面会したが、三氏
共に文氏の北朝鮮寄りの姿勢に批判を加えたと見られる。北朝鮮に非核化
の意思は読みとれず、制裁緩和はあり得ない、米国はむしろ制裁強化を考
えていることなどが強調されたと考えてよいだろう。

その後、トランプ、文両首脳は夫人を伴って首脳会談を行った。夫人同伴
の首脳会談など通常はあり得ない。トランプ氏は文氏と二人で語り合う必
要を認めていなかったのだ。現に会談冒頭、メディアからゴルフのマス
ターズトーナメントの勝者は誰になると思うかと問われ、トランプ氏は文
氏を横においたまま延々と語った。結局27分間もトランプ氏の話が続き、
文氏との会談時間は驚きの2分間、しかも通訳つきだ。その後に他の閣僚
たちも参加しての昼食となった。4月12日、ネット配信の『言論テレビ』
で元駐日韓国大使館公使の洪熒(ホンヒョン)氏が語った。

「2月末にベトナムの首都ハノイで米朝会談が決裂した後、文氏は康京和
(カンギョンファ)外相や鄭景斗(チョンギョンドゥ)国防部長官を米国に送
り、三度目の米朝首脳会談の開催や対北朝鮮制裁の解除を要請させまし
た。対北経済援助で米国には負担をかけない、韓国が負担するので開城
(ケソン)工業団地も金剛山(クムガンサン)観光も再開させてほしい、など
とも言わせました。米国側は全て拒否し、そのような話題であれば、米韓
首脳会談はなしだと、通告したのです」

一人飯

朝鮮問題の専門家でシンクタンク「国家基本問題研究所」研究員の西岡力
氏も『言論テレビ』で語った。

「朝鮮語で『一人飯』をホンバプといいます。韓国の若者の間で一人でご
飯を食べるのが増えていて、ホンバプという言葉が流行っているのです。
文氏は米国到着の10日夜がホンバプ、11日朝もホンバプ、11日昼にようや
く米国側との食事にあり付いた。本当に相手にされなかったのです」

米国の厳しい態度は文政権の裏切りに対する冷遇だと洪氏が断じる。文氏
の裏切りとは、米朝首脳会談を実現させるために、文氏が金正恩氏は北朝
鮮の非核化を決意していると米国に伝えたことだ。正恩氏が表明したのは
北朝鮮の非核化ではなく、朝鮮半島の非核化である。これは韓国を守るた
めに米国の核を使うという発想自体もなくしてしまうこと、即ち米韓同盟
の破棄を目指す言葉であり、北朝鮮が所有する全ての核や関連施設の一掃
とは、全く異なる。

当初、北朝鮮の非核化に希望を抱いたトランプ政権は、やがて正恩氏に非
核化の意思がないこと、文氏の嘘を確信したと思われる。国連制裁に違反
してでも北朝鮮支援に動こうとする文氏を牽制するために、米国政府は文
政権の頭越しに韓国の経済界に働きかけ始めた。

昨年9月には、ニューヨークにある韓国の七つの銀行の支店に米財務省が
直接電話をして、米国が北朝鮮に制裁をかけていることを承知しているか
と警告した。西岡氏が語った。

「韓国系の銀行は現在、送金業務を止めているといわれます。もし送金に
北朝鮮と関係する資金が入っていれば、米国の副次的制裁(secondary
sanction)を受け、一切のドル決済が停止されるやもしれない。そうなっ
たら銀行は潰れます」

昨年4月27日の板門店での南北首脳会談にも、9月18日の平壌での南北首脳
会談にも、文氏は多くの韓国企業代表と開城工業団地の組合長らを同行さ
せた。文氏は金正恩氏と共に白頭山に登ったが、そのとき正恩氏に開城工
業団地組合長を紹介し、組合長に直訴させた。「委員長様、何とか開城工
業団地を再開させて下さい」と。

正恩氏は今年新年の辞で「南朝鮮の人民の要望に応えて、無条件で開城工
業団地を再開する」と演説し、それを受けて文氏は開城工業団地再開で米
国を説得すると公言した。だが、北朝鮮を利するだけの工業団地再開に
は、前述のように米国が完全拒絶の姿勢を貫いた。

支持率は下がる一方

その間、ソウルの米大使館の専門官は文氏に同行した財閥や企業に直接電
話攻勢をかけた。米政府が北朝鮮に制裁をかけているのは承知か、と警告
したのである。洪氏が強調した。

「米国は朝鮮半島での70年間に多くの教訓を得ています。そしていま、文
在寅と韓国企業を切り離しているのです。文は米国の警告を聞かない。な
らば企業や韓国国民に直接働きかけようというわけです。核を諦めない北
朝鮮に送金を続けるのか、米国との貿易や自由社会との絆を選ぶのか、と
米国は迫っています」

韓国国民も文氏の危うさを実感しているに違いない。支持率は下がる一方
だ。経済は停滞し失業率は高まり続けている。にもかかわらず、文氏は最
低賃金をこの2年間で約30%も引き上げた。残業を規制し労働時間を大幅
に短くした。人件費は高騰し、倒産は急増、失業率がさらにはね上がる悪
循環である。笑い話のような現実を西岡氏が紹介した。

「統計上失業者が増えると困るので、文氏は60歳以上の失業者に週1回大
学に行って電気を消す、又はゴミ拾いをするなどの仕事を作り、役所が賃
金を払うことにしました。税金で失業率の統計に化粧を施しているのです」

支持率低下や米国の警告にもめげず、親北路線を変えない強い反米の意思
が文氏の人事から読みとれる。一例が統一部長官に指名された金錬鉄(キ
ムヨンチョル)氏である。この人物は米国が韓国に要請した
THAAD(終末高高度防衛ミサイル)配備に反対し、開城工業団地の早
期再開を主張する反米主義者である。

同人事は韓国議会の反対にも拘わらず、文氏は考えを変えなかった。文氏
は米国に公然と対立姿勢を見せたに等しく、米国を欺く手法で開城工業団
地再開をはじめ北朝鮮支援に走り出しかねない。

暴走の気配を見せる文氏に、米国が対決姿勢を強め、韓国国内では対抗勢
力が力をつけつつある。2月27日、自由韓国党の代表に黄教安(ファンギョ
アン)氏が選ばれた。朴槿恵政権で法務部長官や首相を務めた公安検事出
身の62歳は、文政権の安保政策と経済政策を「亡国政策」と批判する。

野党勢力はまだ弱いが、それでも文氏の足下は決して盤石ではない。韓国
はいつ何が起きてもおかしくない緊張の中にある。

『週刊新潮』 2019年4月25日号日本ルネッサンス 第849回

◆奈良木津川だより 壬申の乱(4)

白井繁夫


「壬申の乱の戦」は672年7月に入ると、近江朝廷の大友皇子軍と、不破の大海人軍の両軍が正面からの全面戦争に突入、近江路において雌雄を決する死闘が始まりました。

近江朝の近江路方面軍は、不破(関ヶ原)への進軍途上、近江の豪族、羽田氏や秦氏を味方の軍に取り込みましたが、関ヶ原と彦根市の中間地域を支配している息長氏(オキナガ)の旗幟が不明のため、息長氏の支配地の手前の犬上川畔まで進み陣を構えました。

7月2日に大友皇子の近江路方面軍の山部王将軍は、心ならずも総司令官的立場に担ぎ挙げられましが、大海人皇子に帰参を願っていることが発覚して、将蘇我臣果安.将巨勢臣比等に殺害されました。

この事件は近江朝軍にとって、大きな動揺と内部混乱の起因となりました。

近江朝軍の指揮官の人材不足?による軍の乱れ、(蘇我果安将軍は大津へ帰り、自責の念に駆られてか?自殺する。近江の豪族羽田矢国と子の大人(フシ)一族が息長氏の支配地を通り大海人軍に帰参)の結果、中立的立場だった息長氏を始めとする近江の豪族は、大海人側に加担するようになるのです。

(息長氏が中立を保ち旗幟を鮮明にしなかったので、大海人皇子は彼の本拠地近くの不破に野上行宮を置いていたのです。)

7月5日大津を出発した田辺小隅(オスミ)の少数精鋭の別動隊が、倉歴道から鈴鹿道を抜けて裏面から不破の挟撃を目指し、大海人軍の田中足麻呂が守る倉歴(くらふ:柘植町)を夜襲し守備隊を破りました。

翌日の深夜、莿萩野(たらの:旧上野市)の多品治将軍が守る陣に夜襲をかけますが、今度は田辺小隅軍が敗れて敗走しました。(この勇猛な作戦は非常に良い策でしたが、少数兵では大海人軍に勝てず敗れ去ったのです。)

大海人軍には琵琶湖の東岸の羽田氏、息長氏、北岸の坂田氏などの豪族が加わり、大海人皇子は羽田矢国を、北近江.越方面別動軍の将軍に起用して、北陸方面の要衝(愛発:あらち:高島市.旧マキノ町)の守りに就かせました。(かつて、大友軍の精鋭が夜襲をかけた「玉倉部邑:たまくらべむら」を防げたのも、息長氏の地盤近くで起きたから大海人軍の出雲狛が援助を受けて?防戦できた。とも云われています。)

大海人軍の村国男依が率いる近江路進攻軍(本隊)は7日に出撃し、大友軍の主力部隊と
息長の横河(米原市醒井付近)で主力軍同士が激突し、朝廷軍が敗れ去り、将軍境部連薬は捕えられ斬殺されました。

大海人軍は追撃して、9日に鳥籠山(とこやま:彦根市大堀町)の将軍秦友足率いる大友軍も破ります。(鳥籠山は息長氏と羽田氏の本拠地の中間、両戦闘で大海人軍は琵琶湖の東岸「東山道」を完全に制圧できました。)

大海人軍は更に南下して進軍し、13日には近江最大の川「安河畔」(守山市:野洲川畔)
に達して、2度目の主力戦を大友軍の将軍社戸臣大口(コソベノオミオオグチ)と戦い、撃破して彼を捕虜にしました。

17日には栗太(くるもと:栗東市)の大友軍の陣営も破り、瀬田川の東岸にある官衙まで、あと少しの処まで迫りました。

ここからは近江朝廷本営の主力軍との真剣勝負になるため、進軍を停止して、大海人軍は斥候を出し、大友皇子の正規軍の陣容.伏兵の有無などの状況と朝廷軍の情報収集を開始し主力戦に備へました。

その上で、672年7月22日は、村国男依将軍が率いる大海人軍の各諸将が、大友軍の総力を挙げた起死回生の決戦に挑むのです。

◆大海人軍の斥候の報告:
『大友軍は瀬田橋の西側に整然と布陣しているが伏兵は見受けられない。しかし、驚くことがある。それは大友皇子御本人が御出座されており、左大臣蘇我臣赤兄(ソガオミアカエ)、右大臣中臣連金(ナカトミノムラジカネ)の左右大臣も布陣する、朝廷の最高位の人々が前線に出るなど』と、想定外の出来事でした。

(後世でも家康との最後の決戦となる大坂夏の陣で、外堀も内堀も埋められ、まる裸となった大阪城での戦いを鼓舞するため、真田幸村ら諸将が豊臣秀頼の御出陣を依頼したが叶わなかったことは、ご承知ですね。)

朝廷軍は大津宮防衛のため、瀬田橋を大海人軍には絶対に渡らせない強い決意でした。

むしろ大海人軍の各諸将は前回記述した如く、近江朝の高官とも面識がなく、まして大友皇子の御出座も意に介せず、特大の獲物を狙う獣狼の様な地方の豪族達でした。

大海人軍の各部隊の兵は競って橋を突破しようとしますが、橋を目がけて雨霰の如く矢が降り注ぐ集中攻撃を受け、前進を阻まれました。それをも突破して半ばまで進むと、次は仕掛けが有り、兵は川に落ち流され溺れ死させられました。

(大友軍の将「智尊:チソン:渡来人の知恵者」が橋の中程に長板を置き、綱を引くと板が外れる仕掛けをしていたのです。)

この時大海人軍の兵士に動揺が起きました。前進する士気が薄れそうになったとき、大津皇子の舎人:大分君稚臣(オオキダノキミワカミ)は矢が射込まれても耐えられるように挂甲を重ね着して、踊り出、雄叫びをあげながら抜刀して橋上を疾駆すると、無数の矢が突き刺さりました。が、彼は怯まず橋を駆け抜けました。

西側に整列して矢を射ていた大友軍の兵は、眼前に獣の様な形相の稚臣を見て恐怖に駆られ逃げる余裕もなく斬られて逝きました。男依はこの機を捉へ、全軍に総攻撃を命じ、橋の西側へ攻め込みました。

智尊は必死で奮戦しますが、捕らえられ、男依に知略と武勇は称えながらも、定めにより斬殺されました。(大友皇子の本陣が静かに退くのが、遠望された、と云われています。)

同日、琵琶湖北岸の大海人軍の別動隊(羽田矢国.大人父子と出雲狛)は、西岸道を守る三尾城(みおき:滋賀県高島町)を攻撃して、落城させました。また、大和飛鳥から上ツ道、中ツ道、下ツ道の三道を北上した紀臣の大海人軍は、淀川の山前(京都府大山崎町)に到着して布陣を完了しました。

翌日(23日)瀬田の戦で大勝利した村国男依の大海人軍は、橋を渡り粟津岡(大津市膳所)に全軍集結しました。

一方、敗走した大友軍は左右大臣等の姿はなく、大友皇子はわずかの供を従えるだけとなり、全ての退路は大海人軍に断たれてしまったのです。

大友皇子は最後まで付き添った舎人(物部連麻呂)を大海人軍に遣わしました。村国男依将軍は大友皇子の名誉ある死のため、全軍に攻撃を一時中止させました。

物部麻呂が大海人軍の前に再び現れ、皇子の最後の様子を涙ながら報告し、皇子の首を差し出しましたが、流石に誰も正視する者がいなかったと云われています。

壬申の乱後、大海人皇子の裁きです。重罪は8名で、特に大友皇子の帷幕(いばく)として作戦を立案し、実権を握っていた中臣金は極刑、大友皇子擁立の盟約を結んだ者も処罰して政権から排除しました。その他の人々は寛刑で済ませました。

大海人皇子は、天武2年(673)正月、飛鳥淨御原宮で即位し、天武天皇となり、大臣を置かず皇族や皇親を中心とする皇親政治を採り、律令体制の国家を目指しました。

天武天皇は現体制の有能な官僚を温存して活用し、新国家建設を計り、新しい藤原京の建設を立案するのです。

大規模な造営計画の藤原京の京域は約25平方キロ(平城京:約24平方キロ)あり唐風の都城:礎石建築で瓦を葺いた建物、史上初の条坊制を布いた本格的な都城:を目指すのです。(造営プランは天武13年3月に決定されました。)

この皇位継承をめぐる大戦は、天武天皇妃の鸕野皇女(後の持統天皇)にとっては、我が子草壁皇子へつなぐ天武系統体制を確立する戦いであり、大友皇子擁立の盟約者を完全に排除出来ればそれでよかったのです。

大和.飛鳥の玄関港:泉津(木津の港)へは藤原京造営用の大量の檜材が、近江の田上山(たなかみやま:大津市大神山の峰々)から瀬田川→宇治川→「木津川」へと筏に組んで運ばれ、石材や瓦などの重量物も瀬戸内→淀川→「木津川」と水運を利用して運ばれました。

「木津から大和.飛鳥へ上ツ道、中ツ道、下ツ道の3道を利用するルート」があり、泉津は藤原京から平城京へと繁栄が続いて行くのです。(完)

参考資料:壬申の乱    中央公論社      遠山美都男著
     戦争の日本史2  壬申の乱  吉川弘文館  倉本一宏著
     木津町史    本文篇      木津町