2019年05月13日

◆「中国はグアダル開発をやめろ」

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月13日(月曜日)通巻第6074号 

「中国はグアダル開発をやめろ」。BLAがヴィデオで警告
  BLAは豪華ホテル襲撃、カラチ中国領事館自爆テロの武装集団

中国主導のCPEC(中国パキスタン経済回廊)は随所で工事が頓挫して
いる。

プロジェクトの総額は620億ドル。中国はイランとの国境に近いグアダル
港を近代化し、将来は潜水艦も空母も寄港できる軍港の使用を狙っている。

付近には工業団地、大学、新興住宅地、病院などを建設し、一大都市にす
ると豪語してきた。

グアダルを起点に新彊ウィグル自治区のカシェガルまで(1)鉄道(2)
ハイウェイ(3)光ファイバー網。(4)原油パイプライン(5)ガスパ
イプラインを敷設し、その建設のための鉄鋼からクレーン、ブルドーザ、
建設機械、材料から労働者まで中国から連れてきた。現場のバロチスタン
には、なんの裨益もなかった。

パキスタンのバロチスタン州は、もともと独立国家である。国王は英国の
亡命したままである。英国が植民地時代に勝手に線を引いてパキスタン領
としたため、紛争が絶えないのだが、近年は中国を「侵略者」とみて、こ
れまでにも中国人誘拐、殺人、現場襲撃、カラチにある中国領事館へも自
爆テロを仕掛けた。

こんどは中国人が宿泊する豪華ホテルの襲撃となった。グアダルには
「パールコンチネンタル」という5つ星ホテルが開業しているが、宿泊客
の大半が中国人。2回に亘る襲撃で、4人が死亡した。

グアダル港の中国人労働者の居住区は高い塀で囲われ、しかも工事現場を
含めて、警備をパキスタン軍が担うという矛盾がある。直近でもこのパキ
スタン警備兵が襲撃され、26人が殺害される事件も起きた。

「グアダル港開発プロジェクトはバロチスタン国民にとって、弊害こそあ
れ、一銭の利益にもならない。バロチスタン国民は経済的に裨益するどこ
ろか、困窮し、大事な資源が中国とパキスタン政府にむしり取られている
ではないか」というのがBLA(バロチスタン解放軍)の主張であり、
「中国よ、プロジェクトをやめろ」とヴィデオ・メッセージで警告した。


▲パキスタンはデフォルトを免れるのか?

一方、パキスタン政府はCPECによる負債の膨張に頭を悩まし、中国に
緊急援助を乞うた。

ところが面会した李克強首相は、「パキスタンとの友好関係は変わらな
い。両国関係は全天候型だ」などとわけの分からないことを発言したのみ。

いよいよ、デフォルト直前になったため、イムラン・カーン首相は急遽、
サウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦)に飛んで救済を求めた。
サウジアラビアならびにUAE諸国は、緊急に200億ドル前後を送金し、
当座の危機は救われた。

先月末からイスラマバードを訪問していたIMF調査団はパキスタン財務
省幹部等との会合を重ね、救済策の協議をしていた。

パキスタンがもし、IMF管理下になると、プロジェクトは全面的な見直
しを迫られ、政府予算にも介入される。

また債権国には80%の債権放棄が迫られることになる。

     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1893回】                   
――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(5)
  渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 
大正10年)

               ▽

「不快なる夜の東清列車」でのことだった。「支那人は東清鐵道督辨處の
官紳なりとて悠揚長者の風あり」。

これに対し「露人に至つては風采揚らず、眞に亡國の放浪漢に似たり」。
レーニン革命で国を追われたロシア人の悲哀が目の前に浮かんでくるようだ。

やがて「南滿洲北部の最大農産市塲」である長春に。

「日本國民の滿蒙に對する發展の遲鈍にして、萬里の沃野を等閑に附する
を慨し」、「日本官民の對支經營の不熱心、不適當、小規模、無手腕」を
激しく憤る同地在住某氏に触発されたのか、渡邊は満蒙こそが「西伯利の
極東3州と共に、日本の人口及食糧問題を解決するの地」であり、それは
急務であり、「50年の後、人口1億1千萬人を數ふるの時」に備えよと説く。

 以下、渡邊の主張を追ってみたい。

「滿蒙は今支那に屬し、西伯利は名において尚露國に屬すと雖も、滿蒙元
來支那の地にあらず、西伯利亦露國の地にあらざるなり、唯侵略と殖民と
によれる威力活用の結果のみ」。だが「今や露支兩國」は国家の態をなさ
ず、「徒に内亂殺傷を以て相踵ぐのみ」といった惨状である。であればこ
そ「今や露支兩國」が両地に対し「共に主人顔するの資格」はないから、
「無主の地と稱する必ずしも不可ならざるなり」。

かくして「勤勉努力、農耕の從ひ、奮勵刻苦、鑛漁を營み、富源を開き、
文明を進め、秩序を維持し、利福を増すの能力を備ふるの優越民族ありて
是等地方の經營に任ぜんか、斷じて之を拒むの理由あるべからざるな
り」。その「優越民族」である日本人は、「人口において世界の23分の1
の多きを占め」ているにもかかわらず、「領土において200分の1の少な
きに苦し」む。加えるに「多々?々加する人口の増殖に會して餓死せんと
する」有様である。だから「日本民族が、是等地方の經營に從事するは、
當然の運命、即ち天命と稱すべきなり。日本民族の力、實に之に堪ふ」。

渡邊は続ける。
 
元来が地球上の土地は無主なのだから、「力あるもの能く之を保つに過
ぎ」ない。「?史的變遷と坤球元來定主なきの理を悟ら」ない支那人。

「山賊的侵略によつて西伯利を収め」たロシア人。さらに「英米人が、海
賊的國民として進化し來り、其領土の多くが略奪の遺物たるを顧みず、人
道を云々して人種的差別觀を脱する能はず、自由平等を云々して鎖攘の非
法に出で、到る處に日本人を排斥し、詭辯と猾智と強力とを以て日本民族
を饑餓の死地に陷れんとするは、暴虐無道の極といふべく、千萬言の修辭
と理想論とを以てするも、斷じて其非を飾るに足らざるなり」。

 つまり「日本民族の生きんが爲に、滿蒙及西伯利において、平和的農商
鑛の經營に任ぜんとする、亦當然の事のみ。片言隻語の異議あらしむべか
らざるなり」。かくして渡邊は「我が當局の對外折衝の拙劣軟弱」を強烈
に糾弾する。

渡邊から100年後の21世紀冒頭の現在に立って、これを過去の誤った暴論
と批判し否定するのは簡単である。

だが考えてみれば――いや、左程は深く考えなくても――国際秩序は終始一貫
して「千萬言の修辭と理想論」ではない。「詭辯と猾智と強力」に依って
維持されてきたし、これからもそうであるはずだ」。いわば「詭辯と猾智
と強力」の3者が一体となった時、それを「千萬言の修辭と理想論」で粉
飾しながら自らの生存空間を拡大するのが国際政治の本質だろう。世界唯
一の超大国を誇っていた時代のアメリカがそうであり、そのアメリカを追
い付き追い越そうと猪突猛進する中国がそうだ。

現に習近平政権は「詭辯と猾智と強力」を綯い交ぜにしながら、「一帯一
路」を画策している。

それにしても「我が當局の對外折衝の拙劣軟弱」は、いつまで続くという
のだ。《QED》 

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

 櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お二方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十


今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

2019年05月12日

◆米司法省、中国人ハッカー数名を起訴

宮崎 正弘

令和元年(2019)5月11日(土曜日)通巻第6073号 

 米司法省、中国人ハッカー数名を起訴
  「史上最悪、7800万人のプライバシー情報を盗んだ」

5月9日、司法省のブライアン・ベンゾコフスキー次官は記者会見で、
「中国人デニス・ワンが生命保険アンセム社から顧客情報2800万人を盗ん
でいた容疑が固まり、起訴した。盗まれた情報はアメリカ人顧客の氏名、
住所、電話番号、生年月日、雇用記録、メルアド、電話番号など、プライ
バシー情報であり、史上最悪のケースだ」と述べた。

生命保険アンセム社はFBIと協力して内偵を進めてきたが、ほかにも
GEアビエーション社で同様な事件があって容疑者の中国人は逮捕されて
いる。

今回のハッカーによる個人情報盗難は、ほかに四名の中国人がスパイ容疑
で拘束された模様で、彼らは2018年2月から19年1月までに、それぞれが
標的としてきた企業に協力者を得るなり、契約者を装って代理店コン
ピュータなどにウィルスを送り込んで、データを不正にあつめてきた。

FBIは強力な防御態勢を敷く一方で、怪しげな中国人たちの行動をマー
クしてきたという。

米国はすでに連邦政府職員のプライバシー情報、軍隊の個人情報などが盗
まれたとしており、以前から申請のあった「チャイナ・モバイル」(中国
移動)の米国のおける進出を拒否したばかり。これはFCC(連邦通信委
員会)がメンバー全員で拒否したもので、「チャイナ・モバイルは完全に
中国政府の会社である。米国の通信ネットワークに進出してくれば、米国
内の通信の自由が脅威に晒されるではないか」と反対理由を述べた。

チャイナ・モバイルはファーウェイ、ZTEなどに引き続き、米国市場へ
本格的進出を企図してきたが、トランプ政権の国家安全保障政策の壁に激
突した格好となった。

同日、ポンペオ国務長官は英国の「ファーウェイの一部製品は除外しな
い」という国家安全保障会議の討議に水を差し、「ファーウェイ排除は西
側への脅威に対処するためではないか」と英国の微温的態度を批判した。

5月10日、トランプ政権は中国からの輸入品2000億ドル分の輸入品に対し
て10%の制裁関税を25%に引き上げた。世界の株式市場、債券市場がぐら
ぐらと揺れた。

米中間の貿易戦争は譲歩の影も観られず、近く中国は報復措置を発表する
だろうと観測される。


▲3年も経ってからAIIB(アジアインフラ投資銀行)、ようやく起債した

このタイミングで新聞の国際欄の片隅に小さな記事がでたのをご存じだろ
うか?

AIIBが最初の起債に踏み切った(5月9日、ロンドン)のである。あ
の鳴り物入りの大宣伝、西側はドミノのように参加を表明し、いずれ
ADB(アジア開発銀行)の影が薄まり、やがてIMF・世銀の存在を脅
かすとまで言われた。

日本でも「バスに乗り遅れるな」と素っ頓狂なことを主張している「論
客」が随分といた。

しかし、その後のAIIBの経過は無惨だった。

資本金1000億ドルを集めると豪語し、実際に参加は84ヶ国にのぼったもの
の、日米は明確に参加を見送った。舞台裏で中国は日米の参加を懇請して
きた。

シティの衰退を怖れ、ロンドンを人民元取引の場にも提供した英国がまっ
さきに名乗りをあげたが、そのムードに押され、独仏伊西も加わり、カナ
ダも揺れたほどだった。

ところが払い込まれた資本金はわずか80億ドル。実際は参加表明の国々が
資本金参加をしておらず、スタート時点で決めた融資は2件ていど、のこ
りは世銀との共同融資が10件、ADBとの「共同融資」が4件、合計で42
億ドルだった。

ちなみに同時期のADB実績366億ドルだから、AIIBはADBの9分
の1,それでも世界の一流銀行だと実績の貧弱さをよこに置いて、風呂敷
を吹聴してきた。

客観的に観ても怪しいが、発足から3年して、ようやくAIIBは起債に
踏み切った。5年もので、利率2・25%。
 すでにドル市場で中国企業の社債には「チャイナ・プレミアム」が上乗
せされている。
   

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜★
読者の声 ★READERS‘ OPINIONS ★どくしゃのこえ 

   ♪
(読者の声)後期高齢者が引き起こす交通事故が頻発し、都内では3日
間だけで、12人が免許証を返納したそうです。

70歳を超えると運動神経が鈍り、75歳をこえてしまうと感覚がにぶり、自
動車ははしる凶器となりかねません。70歳をすぎたら、実地試験をやり直
し、80歳で、免許交付の上限とするべきと思います。(GH生、水戸)


(宮崎正弘のコメント)小生の父親は84歳まで運転しておりました。横に
乗っていると、ちょっと怖かった。小生自身は21歳のときに、スピード違
反。それまでにも何回も夜の眼が見えにくいことがあって転倒事故、接触
事故数回。思い切って免許返上。爾来、じつに半世紀以上、運転はしてい
ませんが(苦笑)。

ところで免許返上は都内だけの現象で、それも殆どはペーパー・ドライ
バーでしょう。地方ではクルマがないと生活が出来ませんから、同一には
論じられないと思います。まして外国人の問題があります。現在、17の
都道府県では、試験を中国語でうけることが出来ます。日本語が出来なく
とも、日本の自動車免許が取得できるという制度は矛盾していませんか。

◆「国策捜査」ってなんだ

渡部亮次郎


<小沢氏、続投表明 民主党緊急役員会

民主党は4日午前、小沢一郎代表の公設第一秘書が政治資金規正法違反容
疑で逮捕されたことを受け、緊急役員会を開き、小沢代表が経緯を説明し
た。出席者によると、小沢氏は「この時期になってこんなことになって申
し訳ない。しかし、政治資金規正法にのっとって適切に処理している」と
述べ、代表職を辞任しない意向を示した。

この後、小沢氏は緊急役員会終了後、記者会見し、事実関係や役員会の結
論について説明。小沢氏は、秘書の逮捕容疑となった西松建設OBが代表
を務めていた政治団体からの献金に関し「適切に処理している」と違法性
を一貫して否定。同氏や鳩山由紀夫幹事長らによる3日の幹部会では、党
として献金の正当性を訴えていくことを確認した。

事件が野党第一党党首の秘書逮捕という異例の展開となったことに対し、
民主党内では「国策捜査」と政府・与党に反発する声が上がっている。執
行部には、小沢氏の進退問題に発展する事態は避けたいとする空気が強
い>。 3月4日9時53分配信 産経新聞
「国策捜査」と言う言葉は「鈴木宗男事件」の際、東京地検に逮捕された
外務省元主任分析官・佐藤優の著書『国家の罠』で主張されたもの。

ここから、政府の政治的意図によって行われたものだと関係当事者等が主
張する刑事事件の捜査のこと。

佐藤優 『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』 新潮社(原著
2005-03-26)。ISBN 9784104752010。この書の文庫版P365-367によれば、
佐藤氏の取調べに当った西村検事は、逮捕後3日目の時点で「本件は国策
捜査だ」と明言、「我々と闘っても無駄だ」と言う事を理解させようとした。

西村検事の弁。「これは国策捜査なんだから、あなたが捕まった理由は簡
単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は『時代のけ
じめ』をつけるために必要なんです。時代を転換するために、なにか象徴
的な事件を作り出してそれを断罪するのです」

「見事僕はそれに当ってしまったわけだ」

「そういうこと。運が悪かったとしかいえない」

「しかし、僕が悪運を引き寄せた面もある。今まで、普通に行なわれてき
た,否、それよりも評価されてきた価値が、ある時点から逆転するわけか」

「そういうこと。評価の基準が変わるんだ。何かハードルが下ってくるんだ」

「僕からすると、事後法で裁かれている感じがする」

「しかし、法律は元々ある。その適用基準が変わって来るんだ。特に政治
家に対する国策捜査は、近年驚くほど下ってきているんだ。

一昔前ならば、鈴木さんが貰った数百万円程度なんか誰も問題にしなかっ
た。しかし、特捜の僕たちも驚くほどのスピードで、ハードルが下ってい
くんだ。今や政治家に対しての適用基準の方が一般国民に対してよりも厳
しくなっている。時代の変化としか言えない」

「一般国民の目線で判断するならば、それは結局、ワイドショウと週刊誌
の論調で事件が出来ていくことになるよ」

「そういうことなのだと思う。それが今の日本の現実なんだよ」

以上のような方針が東京地検の時代認識ならば小沢氏の判断は甘かったと
言うべきだろう。

東京地方検察庁特別捜査部は特定のマスコミにリークしながら、大きく注
目を集める人物を小さい犯罪でも逮捕することにより世論、ひいては国家
全体を「彼等自身が考える、あるべき姿に直す」という目的で捜査してい
るとされる。

最近では特捜部の捜査手法が社会秩序の安定を目的に、一罰百戒を狙った
逮捕に重きを置くものになっているという指摘もごく一部でなされる。

私が参考人として東京地検特捜部で事情聴取を受けた昨年の防衛
省不正事件も目論見は国策捜査に見えたが、結局は見込み違い。単なる個
人の脱税事件で終わった。

今回の小沢事件は完全な国策捜査だが、検察は確実な証拠を握って居るは
ずで、小沢氏の見込みは甘い。

関係当事者により国策捜査だと主張される例としては他に以下のようなも
のがある。

造船疑獄の指揮権発動

三井環逮捕事件

ライブドア事件における堀江貴文逮捕

日歯連闇献金事件における村岡兼造起訴

構造計算書偽造問題

いわゆるムネオハウス事件における鈴木宗男逮捕
佐藤優起訴

石橋産業手形詐欺事件における田中森一起訴

植草一秀逮捕(りそな銀行国有化の裏側を研究していた)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
09・03・04




    

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お二方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278 

◆大阪を行脚していた与謝蕪村

                     毛馬一三

江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。
むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下っている。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

おそらく、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだものの、若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎにも成れず、周囲からも過酷ないじめに遭わされたことなどから、意を決して毛馬村を飛び出したに違いない。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事し俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、ミステリーだらけだ。この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。


<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に大阪にやって来ていたことが、最近分かってきた。船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村とは全く正反対西側の淀屋橋や源八橋からで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪ねて回っている。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回っている。大阪市内の各地を回ったことになる   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり大阪は活躍の場だった訳だ。これもあまり知られていない。

こんな折、驚く情報と嬉しい要請が飛び込んできた。

大阪市北区梅田に茶屋町がある。ところがここに「菜の花や月は東に日は西に」の蕪村句を刻んだ高さ1m、幅50cmの碑があるのを初めて目撃した。この地では地域の有志が「菜の花」を植え、「菜の花の散歩道」というまち起こしイベントを催している。

この句を、この茶屋町で蕪村が出句したかどうかはわからないが、北区茶屋町のこの周辺に蕪村が立ち寄っていたことは事実なので、これに因んでイベントを企画したという。

大阪を行脚して回り俳人としての名を高めた与謝蕪村の俳句を、出来れば外国にも広めて行くことを、各大学と共同して進めたいとも考えている。(了) 2011.03.01

2019年05月11日

◆「令和」の御代にこそ憲法改正を期する

                         加瀬 英明


早春に80代の親しい婦人の夫君が、長い闘病生活の後に亡くなった。医師
だったが、歌人でもあった。

私は悲嘆に暮れる夫人に、万葉集の一首の「行く方なき空の煙となりぬと
も 思ふあたりを立ちは離れじ」を手渡して、慰めた。私は万葉集に親し
んできた。皇子が恋した娘に先き立たれて、口ずさんだ歌である。

4月1日に、新しい元号が発表された。万葉集が出典だった。私は日本の
歴史ではじめて、元号を中国の漢籍ではなく、国書から採ったことを、何
よりも喜んだ。

明治は文明開化とともに、日本化の時代だった。天皇は江戸時代が終わる
まで、即位礼に真紅の大袖に龍の縫い取りがある中国服を、召されたもの
だった。

平成が20年ぶりの御譲位によって、終わる。私は平成を占領下で強いられ
た憲法を、改められなかったことによって記憶しよう。

私は今上陛下が3年前の8月8日に、テレビを通じてお言葉を読まれたの
を、謹聴した。

ご高齢によってお疲れになられたから、譲位したいと訴えられた。

私は月刊『WiLL』誌に、「これは天皇によるクーデターだった。明治
天皇によって定められ、現憲法下で継承されている皇室典範は、天皇の譲
位を認めていない。お言葉のなかで、皇室典範が定めている摂政制度を斥
けられたが、天皇が法を改めるよう要求されることは、あってはならな
い」と、寄稿した。

NHK社会部の記者がインタビューにきたが、私は「天皇のお言葉は憲法
違反だったのに、どうして護憲を日頃説くNHKが、憲法違反のお言葉を
放送したのか」とたずねたが、答がなかった。

私は現行憲法を国際法に違反した、正統性の無い「偽憲法」と呼んできた。

現憲法には、多くの重大な瑕疵(かし)がある。なかでも、天皇を「象徴」
として、国民より下に置いているのは、日本が歴史を通じて守ってきた伝
統を歪めている。

国会は一昨年6月に日本共産党を含む全会一致で、「天皇退位などに関す
る皇室典範特例法」を可決した。国会が天皇が現憲法の上にあることを、
認めたのだった。譲位を「退位」と呼んだのは、天皇の御意志によって譲
位されると、憲法に違反したからだった。

今上天皇は英邁であられる。8月8日のお言葉によって、「象徴天皇制」
を一撃で破壊されたのだった。

陛下は聡明であられるから、その後、お言葉のなかで護憲派の反発を招い
て、国論が割れないように、「象徴天皇としてのありかた」に、頻繁にお
触れになられている。

占領憲法に罅(ひび)が入ったのだった。令和の御代に憲法が改正すること
を、強く期待したい。

今日、天皇は身近なご相談相手を欠いておられる。天皇は日本の要(かな
め)であられるのに、皇居で孤立されている。

旧憲法下では、内大臣が宮内官として側近にあって、日常意見を求められ
たし、総理大臣以下閣僚や、軍幹部が頻繁に参内して拝謁した。

ところが、宮内庁長官と侍従長は、全員が皇室の伝統についてほとんど無
知である。

11月に皇居において、天皇を天皇たらしめる大嘗祭が、執り行われる。

古来から大嘗祭のために建てられ、すぐに撤去される大嘗宮の仮宮は、青
い茅(かや)で葺(ふ)かれてきた。ところが、皇族のお1人が経費を節減す
るために板張りすべきだと、意見を述べられた。伝統についてご勉強が足
りないと、お諫め申し上げねばならない。

積水ハウスか、タマホームの建て売り住宅風では、伝統の尊厳を損ねてし
まう。

会計検査院によれば、3兆円が来年の東京オリンピックに投じられる。皇
室あっての日本だが、オリンピックを催さなくても、日本は日本だ。


◆IMFに続きADBも対中国向け融資に

                         宮崎 正弘


令和元年(2019)5月10日(金曜日)弐 通巻第6072号 

IMFに続きADBも対中国向け融資に「チャイナ・プレミアム」を適用へ
誰も知らない負債総額。ひょっとして9900兆円か?

IMFもADB(アジア開発銀行)も世界銀行も、いや、中国共産党のトッ
プも、いったい中国の負債総額がいくらなのか、誰も知らないのである。
なぜならデータがすべて不透明なうえ、水増しが常識であり、嘘の上に嘘
を重ねていけば誰も本当のことが分からないのは当然である。
 
或る北京人民大学教授が「中国のGDPは1・67%だ」としたが、それで
も多すぎる。実際のGDP成長率はマイナスだろうとする観測がほうぼう
の専門家からあがり、また中国内部でも朱容基元首相の息子のグループ
は、負債総額は9900兆円だとする衝撃に数字をあげた。

筆者自身、これまで中国の債務を3700兆円と踏んで、最新の拙著(『余命
半年の中国・韓国経済』、ビジネス社)等でも開陳してきたが、奇しくも
BISが昨年8月に報告した数字も3070兆円だった。

欧米の金融界では、すでに中国企業の社債起債には2%以上の金利上乗せ
をはかり、IFMもすでに中国向け融資の金利を上げると公表している
(つまり「チャイナ・プレミアム」は既に厳然と発生している)。

「借金の罠」論がようやく世界金融界の常識となり、AIIBはサラ金の
ようなもの」と比喩した麻生財務大臣の発言が、いかに正鵠を得たもので
あったか、西側は共通認識として共有できるようになった。

追いうちをかけるかのように、2019年5月4日、フィジーで開催された
ADB年次総会において麻生財務相は「中国に借り手の『卒業』を促し
た」とした。
 
2018年だけでもADBは中国向けに26億ドルを貸し付けている。金満国家
をほこる国になぜADBは貸すのか? 今後、たとえ中国からの借金要請
があっても、ADBは金利をあげる準備をするとした。

言外にはあれほど鳴り物入りで設立した中国の「AIIB(アジア・イン
フラ投資銀行)が、カネを貸せば良いではないか」と皮肉っているのだが。

欧州のバンカー、アナリストらは公表された数字からも、当該国家の
GDPと輸出統計、外貨準備を精密に比較しつつ、下記の8ケ国がデフォ
ルトをやらかしそうだと警鐘をならしている。

すなわちモンゴル、モンテネグロ、パキスタン、ラオス、キルギス、モル
ディブ、ジブチ、タジキスタンである。いずれも中国が最大の債権国である。

この他にIMFに救援を求めたか、あるいは近い将来にIMF救援を求め
ざるを得ない国にはベネズエラ、ニカラグア、コンゴ共和国、とうに破産
して国はジンバブエがリスト入りするだろう。

そうなると最も困惑するのはカネの貸し手である。つまり中国である。
IMFは債権国に80%前後の債権放棄を迫るからだ。米国のロジウム・グ
ループの報告書に拠れば、中国の一帯一路融資物件のうち、すでに38
件、500億ドル強の債務のリスケがあったという。このうち14件は債権
放棄だというが、秘密の2国間交渉だったために詳細は公表されないまま
である。
 
中国発の金融危機、間もなく爆発する。

     
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

邪馬台国は有ったのか、無かったのか?
  最新科学で古代史を解明すると意外な事実が続出した

  ♪
長浜浩明『日本の誕生 皇室と日本人のルーツ』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

左翼学者、左まき歴史家は、GHQのお先棒を担いで『日本書紀』は偽
書、インチキだと嘯き、また「神武東征」なんぞは架空の作りばなしであ
り、本当はなかったのだと声高に言い張ってきた。

しかし科学的アプローチをすれば、神武天皇の実在、その東征は証明され
る。日本書紀に書かれた内容の真実性も殆ど証明されてきた。

長浜氏は在野の歴史研究者ゆえに、氏の所論は斯界からは無視されてい
る。学界にも派閥が蔓延り、視野狭窄と非寛容は、どの世界でもニューカ
マーを排斥するから、意外でもないが、正論は伝え続けなければならない。

ただし神話から逆算すると神武天皇の即位は紀元前660年となるが、長浜
氏は科学的アプローチによって、計算をやりなおし、神武天皇即位は紀元
前70年だったとされる。

この斬新な科学的方法、どこまで歴史家の賛同を得られるかは別の問題で
ある。

古事記、日本書紀では神武東征の歳月も異なれば、それぞれの天皇の在位
期間も異なる記述となっている。なぜなら当時の暦は現代のそれとはまっ
たく違い、現在の半年の時間が1年だった。長浜氏は、この方式を独自の
方程式で測定し直したのだ。

そこで氏の経歴を拝見すると、東工大建築科卒、工学博士。あ、納得がゆ
く。科学的工学的建築学的方法で、歴史の真実に迫ると、旧来の古代史専
門家らが見落としてきた諸矛盾が一気に解明されるわけだ。
 
こうした原則に立脚する氏から見れば、直木考次郎や家永三郎批判は当然
にしても、井沢元彦、渡部昇一、田中英道らの所論も怪しい箇所ありとな
り、とくに岡田英弘歴史学への批判となる。

それはさておき、本書で長浜氏は邪馬台国について次の所見を述べる。
 倭人という古代日本人は、北九州(倭国)と朝鮮半島南部一帯を意味し
た。魏志でも、倭国以外の国の存在は記述されており、「加えて『旧唐
書・日本』には、大和朝廷が北部九州の倭国連合を併呑したことを彷彿さ
せる記述が遺されている」

当該書には「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以て、ゆ
えに日本を以て名と為す」云々。

それゆえに長浜氏は続ける。

 今までシナは倭国と外交関係を結んできたが、その地は大和朝廷が併呑
し、以後、シナと外交関係を結ぶのは大和朝廷・日本である、と宣言し
た」(中略)「日本書紀に邪馬台国の記載がないということは、四世紀初頭
の大和朝廷にとって、衰退した『女王国』の併呑など、もはや取るに足ら
ない地方の一事件に過ぎなかった」からである(150−151p)。

氏の論理展開から言えば、邪馬台国の所在など重要課題ではないことにな
るが、ともかくも邪馬台国は何処にあったかという素人筋の興味への一見
解として、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町女山の西の高台、
女山神護石周辺)に卑弥呼の宮があったのではないか」とする。172p)
周辺はまだ採掘作業の進まない遺跡が数多くあるが、これまで「中広銅
矛」や首飾り、甕棺墓、石棺墓が出土、また権現塚は高さ五メートルの円
墓なども存在している。
       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1892回】               
――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(4)
渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正
10年)

               ▽

奉天を離れた渡邊の次の目的地はハルピンだった。

奉天から長春までの旅は「廣き滿鐵1等寝臺車に悠々安眠」したが、寛城
子からハルピンまでのソ連経営になる東清鉄道の旅は最悪だった。出発時
間は大幅遅延。加えるに「概して中以下の支那人群を以て滿たされ」た駅
構内は大混乱。乗り込んだ車両は「汚穢を極め、總ての被衣の白きが灰色
となり、幾多の汚斑を存せる、支那人、露西亞人の、飲食品もて且汚し、
且啖唾を加ふるに至つて、其喧雜と其異臭と共に堪ふべからざるを覺え
き」。この惨状に追い討ちを掛けたのは「暑熱」というから、ご同情申し
上げるしかない。

当時はロシア革命直後でもあり、「革命軍によって囚われたチェコ軍団救
出」を掲げた連合国(日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリアな
ど)によるシベリア出兵(1918年~22年)は始まったばかり。極東におけ
る共産党の政権基盤は脆弱であり、当然のようにハルピン市政も一種の無
政府状態であればこそ、鉄道の管理が行き届くわけはなかったはずだ。

因みに、この年3月にニコラエフスクにおいて領事以下の日本人多数が虐
殺され、4月に沿海州守備のために派遣された日本は、6月にニコラエフス
ク港を占領している。

まさに混乱の渦中にあった北満から沿海州にかけての旅行だったことになる。

この当時、東清鉄道は中国側が回収し自己の管理下に置いたことから、
「支那人及支那兵の得意」な様子が見られる。

かくして沿線各駅では「支那兵の銃劍を列ねて隊をなし、戒嚴令下に之を
護るの風あり」。かく得意然と構える「彼等果して幾何の覺醒かある。萬
丈の塵裡に羊豚の如く生活し、依然たる堯舜の民を以て國家の興亡を意に
介せず」。であればこそ「東清鐵道の彼等によつて改良せらるゝ能わ」ざ
ることはもちろんであり、彼らに東清鉄道の正常な管理など望むべくもない。

やっと辿り着いたハルピンは、じつは「北滿における最重要都市、露國の
東亞經略の策源地として露國帝政の一大記念物」ではあるが、渡邊は「惡
印象のみ」の一言で片づける。だが、と日本の影響力の北進を提案する。

「先づ哈爾濱までにても可なり、實際の經営を我に委託し、其の軌幅を改
めて南滿線と同一にし、長春、寛城子を一貫して以て、同一列車を運轉せ
しむべきなり」。そのうえで「日支妥協して提携せば、以て世界の異論を
排斥し、以て人類の幸福を進め得ばきなり。況や亡餘の露國をや」。

「日支妥協して提携せば」、ソ連(「亡餘の露國」)はもとより「米英佛
の之を阻礙するする」ことはない。であればこそ、満鉄を長春から延伸し
東清鉄道の南の終点である寛城子に繋げ、旅順・大連からハルピンまでを
結んでしまえと提言しつつ、渡邊は「抑も亦日本之を策するの人なきか」
と慨嘆する。

ハルピンで訪ねた北満電気会社の横山専務から「日露支合辨計畫の哈爾濱
電鐵が、支那側の態度によりて不成立」と聞き、渡邊は「北滿における利
權競爭熱の如何に激甚なるか」を知るのであった。

であればこそ満州を「北行するに從つて邦人の西伯利撤兵を非とするも
のゝの多」く、「邦人の平和的北進亦容易にあらずといふべし」である。

ここで唐突ではあるが渡邊の旅行の10年ほど後の1931年に起きた満州事
変、翌年に建国された満洲国について調査したリットン調査団の報告書の
一部を引いておきたい。

「本紛争に包含せられる諸問題は、往往称されるごとき簡単なものにはあ
らざること明白なるべし。問題は極度に複雑なり。いっさいの事実および
その史的背景に関する徹底せる知識ある者のみ、事態に関する確定的意見
を表示し得るものありというべきなり」。

ロシア革命後の混乱期、北満利権をめぐって入り乱れる日・中・米・英・
仏に加えソ連と帝政ロシア残存勢力・・・「往往称されるごとき簡単なも
の」ではなかった。《QED》
             
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜      
━━━━━━━━━━━━━━━━━━



IMFに続きADBも対中国向け融資に
宮崎 正弘

令和元年(2019)5月10日(金曜日)弐 通巻第6072号 

 IMFに続きADBも対中国向け融資に「チャイナ・プレミアム」を適用へ
 誰も知らない負債総額。ひょっとして9900兆円か?

 IMFもADB(アジア開発銀行)も世界銀行も、いや、中国共産党の
トップも、いったい中国の負債総額がいくらなのか、誰も知らないのである。

なぜならデータがすべて不透明なうえ、水増しが常識であり、嘘の上に嘘
を重ねていけば誰も本当のことが分からないのは当然である。
 
或る北京人民大学教授が「中国のGDPは1・67%だ」としたが、それで
も多すぎる。実際のGDP成長率はマイナスだろうとする観測がほうぼう
の専門家からあがり、また中国内部でも朱容基元首相の息子のグループ
は、負債総額は9900兆円だとする衝撃に数字をあげた。

筆者自身、これまで中国の債務を3700兆円と踏んで、最新の拙著(『余命
半年の中国・韓国経済』、ビジネス社)等でも開陳してきたが、奇しくも
BISが昨年8月に報告した数字も3070兆円だった。

 欧米の金融界では、すでに中国企業の社債起債には2%以上の金利上乗
せをはかり、IFMもすでに中国向け融資の金利を上げると公表している
(つまり「チャイナ・プレミアム」は既に厳然と発生している)。

「借金の罠」論がようやく世界金融界の常識となり、AIIBはサラ金の
ようなもの」と比喩した麻生財務大臣の発言が、いかに正鵠を得たもので
あったか、西側は共通認識として共有できるようになった。

追いうちをかけるかのように、2019年5月4日、フィジーで開催された
ADB年次総会において麻生財務相は「中国に借り手の『卒業』を促し
た」とした。
 
2018年だけでもADBは中国向けに26億ドルを貸し付けている。金満国家
をほこる国になぜADBは貸すのか? 今後、たとえ中国からの借金要請
があっても、ADBは金利をあげる準備をするとした。

言外にはあれほど鳴り物入りで設立した中国の「AIIB(アジア・イン
フラ投資銀行)が、カネを貸せば良いではないか」と皮肉っているのだが。

欧州のバンカー、アナリストらは公表された数字からも、当該国家の
GDPと輸出統計、外貨準備を精密に比較しつつ、下記の八ケ国がデフォ
ルトをやらかしそうだと警鐘をならしている。

すなわちモンゴル、モンテネグロ、パキスタン、ラオス、キルギス、モル
ディブ、ジブチ、タジキスタンである。いずれも中国が最大の債権国である。

この他にIMFに救援を求めたか、あるいは近い将来にIMF救援を求め
ざるを得ない国にはベネズエラ、ニカラグア、コンゴ共和国、とうに破産
して国はジンバブエがリスト入りするだろう。

そうなると最も困惑するのはカネの貸し手である。つまり中国である。
IMFは債権国に80%前後の債権放棄を迫るからだ。米国のロジウム・グ
ループの報告書に拠れば、中国の一帯一路融資物件のうち、すでに38件、
500億ドル強の債務のリスケがあったという。このうち14件は債権放棄だ
というが、秘密の2国間交渉だったために詳細は公表されないままである。
 
中国発の金融危機、間もなく爆発する。
  
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 邪馬台国は有ったのか、無かったのか?
  最新科学で古代史を解明すると意外な事実が続出した

  ♪
長浜浩明『日本の誕生 皇室と日本人のルーツ』(ワック)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

 左翼学者、左まき歴史家は、GHQのお先棒を担いで『日本書紀』は偽
書、インチキだと嘯き、また「神武東征」なんぞは架空の作りばなしであ
り、本当はなかったのだと声高に言い張ってきた。

しかし科学的アプローチをすれば、神武天皇の実在、その東征は証明され
る。日本書紀に書かれた内容の真実性も殆ど証明されてきた。

長浜氏は在野の歴史研究者ゆえに、氏の所論は斯界からは無視されてい
る。学界にも派閥が蔓延り、視野狭窄と非寛容は、どの世界でもニューカ
マーを排斥するから、意外でもないが、正論は伝え続けなければならない。

ただし神話から逆算すると神武天皇の即位は紀元前660年となるが、長浜
氏は科学的アプローチによって、計算をやりなおし、神武天皇即位は紀元
前70年だったとされる。

この斬新な科学的方法、どこまで歴史家の賛同を得られるかは別の問題で
ある。

古事記、日本書紀では神武東征の歳月も異なれば、それぞれの天皇の在位
期間も異なる記述となっている。なぜなら当時の暦は現代のそれとはまっ
たく違い、現在の半年の時間が1年だった。長浜氏は、この方式を独自の
方程式で測定し直したのだ。

そこで氏の経歴を拝見すると、東工大建築科卒、工学博士。あ、納得がゆ
く。科学的工学的建築学的方法で、歴史の真実に迫ると、旧来の古代史専
門家らが見落としてきた諸矛盾が一気に解明されるわけだ。
 
こうした原則に立脚する氏から見れば、直木考次郎や家永三郎批判は当然
にしても、井沢元彦、渡部昇一、田中英道らの所論も怪しい箇所ありとな
り、とくに岡田英弘歴史学への批判となる。

それはさておき、本書で長浜氏は邪馬台国について次の所見を述べる。
 倭人という古代日本人は、北九州(倭国)と朝鮮半島南部一帯を意味し
た。魏志でも、倭国以外の国の存在は記述されており、「加えて『旧唐
書・日本』には、大和朝廷が北部九州の倭国連合を併呑したことを彷彿さ
せる記述が遺されている」

当該書には「日本国は倭国の別種なり。其の国、日の辺に在るを以て、ゆ
えに日本を以て名と為す」云々。
 
それゆえに長浜氏は続ける。

「今までシナは倭国と外交関係を結んできたが、その地は大和朝廷が併呑
し、以後、シナと外交関係を結ぶのは大和朝廷・日本である、と宣言し
た」(中略)「日本書紀に邪馬台国の記載がないということは、四世紀初頭
の大和朝廷にとって、衰退した『女王国』の併呑など、もはや取るに足ら
ない地方の一事件に過ぎなかった」からである(150−151p)。

氏の論理展開から言えば、邪馬台国の所在など重要課題ではないことにな
るが、ともかくも邪馬台国は何処にあったかという素人筋の興味への一見
解として、福岡県山門郡瀬高町(現在のみやま市瀬高町女山の西の高台、
女山神護石周辺)に卑弥呼の宮があったのではないか」とする。(172p)
周辺はまだ採掘作業の進まない遺跡が数多くあるが、これまで「中広銅
矛」や首飾り、甕棺墓、石棺墓が出土、また権現塚は高さ5メートルの円
墓なども存在している。
       
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  ♪
樋泉克夫のコラム
@@@@@@@@

【知道中国 1892回】               
――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(4)
渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正
10年)

         ▽

奉天を離れた渡邊の次に目的地はハルピンだった。

奉天から長春までの旅は「廣き滿鐵一等寝臺車に悠々安眠」したが、寛城
子からハルピンまでのソ連経営になる東清鉄道の旅は最悪だった。出発時
間は大幅遅延。加えるに「概して中以下の支那人群を以て滿たされ」た駅
構内は大混乱。乗り込んだ車両は「汚穢を極め、總ての被衣の白きが灰色
となり、幾多の汚斑を存せる、支那人、露西亞人の、飲食品もて且汚し、
且啖唾を加ふるに至つて、其喧雜と其異臭と共に堪ふべからざるを覺え
き」。この惨状に追い討ちを掛けたのは「暑熱」というから、ご同情申し
上げるしかない。

当時はロシア革命直後でもあり、「革命軍によって囚われたチェコ軍団救
出」を掲げた連合国(日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリアな
ど)によるシベリア出兵(1918年~22年)は始まったばかり。極東におけ
る共産党の政権基盤は脆弱であり、当然のようにハルピン市政も一種の無
政府状態であればこそ、鉄道の管理が行き届くわけはなかったはずだ。
因みに、この年3月にニコラエフスクにおいて領事以下の日本人多数が虐
殺され、4月に沿海州守備のために派遣された日本は、6月にニコラエフス
ク港を占領している。

まさに混乱の渦中にあった北満から沿海州にかけての旅行だったことになる。

この当時、東清鉄道は中国側が回収し自己の管理下に置いたことから、
「支那人及支那兵の得意」な様子が見られる。

かくして沿線各駅では「支那兵の銃劍を列ねて隊をなし、戒嚴令下に之を
護るの風あり」。かく得意然と構える「彼等果して幾何の覺醒かある。萬
丈の塵裡に羊豚の如く生活し、依然たる堯舜の民を以て國家の興亡を意に
介せず」。であればこそ「東清鐵道の彼等によつて改良せらるゝ能わ」ざ
ることはもちろんであり、彼らに東清鉄道の正常な管理など望むべくもない。

やっと辿り着いたハルピンは、じつは「北滿における最重要都市、露國の
東亞經略の策源地として露國帝政の一大記念物」ではあるが、渡邊は「惡
印象のみ」の一言で片づける。だが、と日本の影響力の北進を提案する。

「先づ哈爾濱までにても可なり、實際の經営を我に委託し、其の軌幅を改
めて南滿線と同一にし、長春、寛城子を一貫して以て、同一列車を運轉せ
しむべきなり」。そのうえで「日支妥協して提携せば、以て世界の異論を
排斥し、以て人類の幸福を進め得ばきなり。況や亡餘の露國をや」。
「日支妥協して提携せば」、ソ連(「亡餘の露國」)はもとより「米英佛
の之を阻礙するする」ことはない。であればこそ、満鉄を長春から延伸し
東清鉄道の南の終点である寛城子に繋げ、旅順・大連からハルピンまでを
結んでしまえと提言しつつ、渡邊は「抑も亦日本之を策するの人なきか」
と慨嘆する。

ハルピンで訪ねた北満電気会社の横山専務から「日露支合辨計畫の哈爾濱
電鐵が、支那側の態度によりて不成立」と聞き、渡邊は「北滿における利
權競爭熱の如何に激甚なるか」を知るのであった。

であればこそ満州を「北行するに從つて邦人の西伯利撤兵を非とするも
のゝの多」く、「邦人の平和的北進亦容易にあらずといふべし」である。

ここで唐突ではあるが渡邊の旅行の10年ほど後の1931年に起きた満州事
変、翌年に建国された満洲国について調査したリットン調査団の報告書の
一部を引いておきたい。

「本紛争に包含せられる諸問題は、往往称されるごとき簡単なものにはあ
らざること明白なるべし。問題は極度に複雑なり。いっさいの事実および
その史的背景に関する徹底せる知識ある者のみ、事態に関する確定的意見
を表示し得るものありというべきなり」。

ロシア革命後の混乱期、北満利権をめぐって入り乱れる日・中・米・英・
仏に加えソ連と帝政ロシア残存勢力・・・「往往称されるごとき簡単なも
の」ではなかった。《QED》
             

◆新天皇が置かれていた教育環境の酷さ

櫻井よしこ


「新天皇が置かれていた教育環境の酷さに日本の将来への不安を抱く」

「平成」から「令和」へ、5月1日に御代替わりとなった。新しい天皇陛下
と皇后陛下はどのような天皇・皇后になられるのか、お2方が目指してお
られる天皇・皇后像とはどんなものなのだろうか。

そこで気になるのが歴代の天皇が幼い頃から受けてこられた帝王学であ
る。端的にいえば、人の上に立ち国民の心の安定と統合の求心力となるこ
とが期待される方々の学びとはどんなものなのか。昭和天皇と上皇陛下の
受けられた帝王学の間には、敗戦、占領という時代の一大事による変化が
自ずと生じているだろう。さらに上皇陛下と新天皇の受けられた教育の間
には、戦後の日本国全体の変化が影響を及ぼした結果としての相違がある
のではないか。

そのように思いを巡らしていたとき、モラロジー研究所教授、所功氏の
「大正の東宮御学問所」を読んで深い印象を得た。この記述は『昭和天皇
の教科書 国史』(白鳥庫吉(くらきち)、勉誠出版)に書かれた解説の
一部である。

東宮御学問所は後の昭和天皇である皇太子裕仁親王のために設けられ、大
正3(1914)年春から同10年春までの7年間、開所されていた。裕仁親王は
5人のご学友と、休日以外はそこで寝食を共にされ、よく学びよく遊ばれ
た。所氏はこれを「日本一小さな中高一貫の特設学校」と表現している。

昭和46(1971)年春、御学問所が果たした役割について宮内記者会で問わ
れた昭和天皇は、以下のように答えられた。

「先生たちから帝王学というものの基礎を教えてもらった…(どの先生
も)平等にすべて今も尊敬しています」

帝王学の内容や先生方の名簿を見て感服した。倫理、歴史、地理、法制、
国語、漢文、博物、理化学、数学、フランス語、習字、美術、武課体操、
馬術の科目が立てられ、それぞれに一流の学者や教育者が選ばれている。

東宮御学問所で教務全般の主任を務め、教師としては「歴史」を7年間一
人で担当したのが前出の白鳥博士である。白鳥氏は、学習院院長の乃木希
典陸軍大将が明治天皇崩御に際して殉死を遂げたとき、「院長たるべき人
格と徳望とを有するものは、博士を措いて他に無い」と一致して推され
た。だが、彼はこれを固辞して東宮御学問所での教務に集中した。

白鳥氏は東宮にお教えする歴史を国史、東洋史、西洋史に分け、教科書は
西洋史のみ箕作元八(みつくり・げんぱち)博士の著作を使用したが、国
史と東洋史の教科書は自ら執筆したという。それが『昭和天皇の教科書 
国史』、見事な作品である。

昭和天皇への帝王学と較べて、上皇陛下の教育として占領時のバイニング
夫人が脳裡に浮かぶ。クエーカー教徒の米国人女性が家庭教師となった
が、多くの日本の碩学も心をこめてお教え申し上げ、補ったはずだ。

上皇陛下のお守り役として知られる小泉信三博士は、当時の皇太子明仁親
王と共に多くの本を読んだと書いている。福澤諭吉の『帝室論』、幸田露
伴の『運命』などに加えてハロルド・ニコルソンが上梓した英国国王
ジョージ5世の伝記も一緒に読み通したという。読み終えたのは、美智子
さまとの御成婚の1週間前だったそうだ。

小泉氏は、後に同書を選んだ理由を「立憲君主国の君主の伝記として、当
時は一番新しい、委しいものであった」からと書いている(「立憲君主
制」『小泉信三全集』16、文藝春秋)。

新天皇の教育環境が、昭和天皇のそれとも上皇陛下のそれとも大きく様変
わりしたのは明らかだ。新天皇を学習院高等科で2年間担任した教師、小
坂部元秀氏の著書、『浩宮の感情教育』(飛鳥新社)には皇室への拒否感
が色濃い。帝王学以前に、担任教師が生徒に注ぐべき愛情や情熱を、私は
感じとれなかった。このような酷い教育環境に置かれた新天皇が気の毒
だ。国民が皇室を支えることの大切さを認識したい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年5月11日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1278