2019年05月11日

◆名所旧跡だより 高松塚古墳壁画

石田岳彦  弁護士


今回は少し古い話をさせていただきます。

高松塚古墳の石室壁画といえば、飛鳥美人の群像や四神(正確には朱雀が失われて、青龍、白虎、玄武の「三神」になってしまっていますが)等、日本史の教科書にも載っている有名なものですが、明日香村内の専用修理施設で修復されました。

平成16年に壁画の劣化が公になって以降、文化庁が早い段階で壁画の劣化を知りながら、長期間にわたり秘匿していた事実が判明し、同庁の隠蔽体質が問題となりました。

その反省の態度をアピールするためか、平成17年に古墳石室の解体修理が決まった直後、修理作業の一般公開が表明され、古文化財ファンを騒然とさせたのです。

というのも、「最も見るのが難しい国宝」ランキングNo1といわれていた高松塚古墳壁画が、修理中とはいえ見ることができる訳ですから、ファンとしては騒ぐなというのが無理です。

見学の申し込み方法は改めて公開されるということで、私も申し込み方法の発表の日を待ちかねていました。

平成20年春のある朝、私が新聞を見ると、一面に大きく高松塚古墳壁画の修理作業見学会の記事がありました。

申し込み方法は、往復はがきに希望の日時(細かな時間指定はできず、午前、午後のみの指定できることになっていました)を2つまで書いて、大阪市の西天満郵便局の受付まで郵送とのこと。

応募者が多数の場合は先着順・・・。早い者勝ち?!抽選ではなく(事前の報道では、応募者多数の場合、抽選になると言われていました。)、早い者勝ち?
つまり、早く出せば出すほど確実に見られる!遅くなればなるほど、確率はどんどん下がる!

何故、我が家に往復はがきが常備されていなかったのか!!!と、冗談抜きに頭を抱えつつ、偶々(そしてまことに好都合なことに)、福岡の実家から遊びに来ていた父に、郵便局が開き次第、可及的速やかに往復はがきを買い、申し込んでもらうよう頼んで(強要して)、後ろ髪を引かれつつ、事務所に向かいました(仕事をさぼって郵便局に行かない程度の分別は残っていました。)。

インターネットで拾った話によると、私の(父の)ように郵便局の開くのを待って、朝一で往復はがきを購入し、速達で出した者もいれば、西天満郵便局に葉書を持参した剛の者までいたようで、古文化財ファンによるある種の「祭り」が日本各地で繰り広げられていたようでした。

幸いにして、私は、希望していた見学会初日の午後に見学ができることになりましたが(正確には、見学会初日を含め、日時を変えて3通出したら、3通とも当選してしまいました。)、インターネットで見かけた話では、新聞報道がなされた当日に申し込みの葉書を出したにもかかわらず、落選した人もいたようです(余程遠方から出したのでしょうか)。

結局、応募が定員を早々と大幅に超過してしまい(私のように「念のため」に複数応募して、全部当選してしまった人間もいるでしょう。「早い者勝ち」制に加え、1通の葉書で1つの日時しか申し込めないようにした文化庁の責任です。)、第1回見学会の募集は、当初の予定よりも5日も早く打ち切られることになったのです。

そういうわけで見学当日。遅刻だけは絶対にするまいということで、早めに大阪の家を出たところ、目的地に1時間半前についてしまいました。さすがに自分がハイになっていることは自覚せざるを得ません。

時間指定がなされているので、早めに来るメリットはゼロですが、現地に来て、独特の雰囲気を味わいながら、待つというのも悪くない気分です。イベントとはそういうものでしょう。

修理施設は、飛鳥歴史公園館の裏側にあります。とはいえ、ほとんどの方が飛鳥歴史公園館自体を知らないと思いますが(飛鳥観光の際、施設の名前を知らないまま、トイレを利用された方はそれなりにいるかも知れません。)。

近鉄飛鳥駅の東側約1km、高松塚古墳の北西数百mにある施設で、飛鳥地方にある石造建造物や古墳等についての地図、パネル等を展示しています。

普段は閑散としていますが(パネルを見る暇があったら、周辺の本物を回った方がいいですからね。)、この日は多くの時間待ち客でにぎわっていました。

現場付近では朝日新聞が特別版を配布中。キトラ古墳壁画の公開の際も、毎年のように会場の飛鳥資料館の館内で特別版を配っていますが、朝日新聞は文化庁と仲がよいのでしょうか。

テレビカメラも来ていました。古文化財ファンに限らず、世間一般の関心も高かったようです。

指定時間になり、まずは十数名のグループで公園館横のプレハブ小屋の中に通され、10分ほどの間、スライドを見ながらの説明会。

内容は高松塚古墳壁画の発見から、劣化の判明、修理方法の検討、解体修理の実行といった経緯を紹介するもので、一言でいうと「情報公開やってます」との文化庁の懸命のアピールでした。

ただし、かびたムカデの死体の写真(石室の中で生態系のサイクルが成立してしまっていることの証拠なのだとか)をアップで映すのは止めていただきたい。
 
いよいよ修復施設に入ります。

入り口の暗幕をくぐると、そこは見学者用通路で、大きなガラス窓の設けられた壁で作業室と区切られていました。作業室の中には高松塚古墳の石室を構成していた石材がずらっと並んで寝かせられています。

事前の説明にもありましたが、石材の大半は通路から離れた場所に置かれており、最も手前に置かれた3片を除けば、どのような絵が描かれているかは分かりません。壁画の公開ではなく、修理作業の公開ということを考えれば仕方がないのでしょう。

それでもギャラリーへのサービスということでしょうか。比較的保存状態がよく、また、描かれている絵が有名なものを3つ選んで手前に並べたようです。

一番左は四聖獣の玄武。(発見時において既に)絵の中心部分が剥落により欠けてしまっているので、遠めには黒い楕円にしか見えません。

真ん中は西壁女子群像。有名な飛鳥美人ですね。見学者もついつい中央に集まります。

一番右は東壁男子群像。石室の中に流れ込んだ泥により汚れている部分が多いですが、帯の赤色は鮮やかでした。 ただ、キャンバスである石材が寝かされている状態なので角度が悪く、ガラス窓から石材までの距離(最も手前のものとでも、やはり1m以上は離れています)の問題もあって、やはり見辛いです。
 修理施設での修理作業の公開に対し、博物館での展覧会のような(見る上での)快適さを求めるのがそもそも無理なのでしょうが・・・。

もっとも、面の凹凸は斜めから見る方がよく分かります。

事前の説明でも聞いていたのですが、キトラ古墳壁画(壁画の描かれている漆喰層が石室の壁から剥がれかけていた)とは異なり、高松塚古墳の壁画では、壁画の描かれた漆喰層が溶け出して、石材に染み付いてしまっているのです(そのため、キトラ古墳のように壁画=漆喰層のはぎとりができず、石室の解体を余儀なくされました)。

新聞、雑誌等の出版物に載っている高松塚壁画の写真は、壁画を正面から撮影しているので、それほど目立たなかったのだと思いますが、こうして斜めから見ると飛鳥美人の絵も石材の壁に沿ってかなり凸凹になっているのが一目瞭然で、痛々しさを感じます。

突然、電子音が鳴り始め、こんな時に誰がと思いつつ、周囲を見ると、係員の方がタイマーを持ち、すまなそうな顔をしているのが見え、10分間の見学時間の経過を知りました。あっという間です。

壁画の劣化をこの目で確認することともなりましたが、それを差し引いても、やはり「あの高松塚古墳壁画」を見ることができたのは印象深い経験でした。

外に出たところで朝日新聞と文化庁がそれぞれアンケートをとっていました。壁画の保存方法についてとの問いがあり、私としては、「空調の効いた施設できちんと保管した方がよい」と回答したのですが、翌日の新聞を見ると、もとの古墳に戻すという回答が最も多かったとのこと。

もっとも、現在の技術では自然下の条件で壁画の劣化を防止するのは困難ですので、古墳に戻される日が来るとしても、かなり先のことになりそうです。夕刊の一面や社会欄に見学会開始の記事が大きく載っており、世間の関心の高さを改めて感じさせられました。

もっとも、熱心なファンのほとんどが初回で見てしまったためか(展示内容は2回目以降も1回目と変わらないようです)、或いは、マスコミの扱いが格段に小さくなったためか(おそらく、こちらの影響が大でしょう。)、第2回以降の見学会の応募は定員割れの状態が続いているそうです。 終 

2019年05月10日

◆もし生きていれば30歳

宮崎 正弘

令和元年(2019)5月10日(金曜日)通巻第6071号 

パンチェン・ラマ猊下、もし生きていれば30歳になられる
  ダライ・ラマ法王が抱くチベット仏教の深刻な存続危機

それは1995年5月17 日の出来事だった。

ダライ・ラマ法王は、急死したパンチェン・ラマの後継としてパンチェ
ン・ラマ11世と指名した少年(当時6歳)がいた。
3日後に、家族もろとも忽然と消えた。

直後、中国共産党は別の少年を引っ張り出してきて、これが「正式のパン
チェン・ラマだ」と言い張った。以後、この「偽パンチェン」が各地に出
没して、チベット仏教徒に教えを垂れているが、だれも本物とは信じてい
ない。

いや、表向きはどこの公共施設や土産店、レストランなどでも、偽パン
チェンの写真が飾られ、どこにもダライ・ラマの写真はない。

学校では北京語が強要されており、わかい世代は「親は喋ってますが、わ
たしたちはチベット語がわかりません」と平然としている。チベットは国
語も奪われたのだ。

しかし、裏路地へ、或いは住宅の中はどうかと言えば、ひそひそ話はチ
ベット語、ダライ・ラマ法王の写真はちゃんと飾られている。

チベット仏教は輪廻転生を信じており、ダライ・ラマ法王の後継者は、パ
ンチェン・ラマが指名し、パンチェン・ラマの後継者をダライ・ラマが指
名する。つまり中国共産党の傀儡=偽パンチェンが、あろうことか、次の
ダライ・ラマを指名すると手筈となる。

先代のパンチェン・ラマ10世は1989年にチベットのシガツェに滞在中、急
死をとげ、その死因は謎に包まれたままだ。

ダライ・ラマ猊下がインドへ亡命したのは1959年だった。

爾来、お互いの連絡は表面的にはなかった。ダライ・ラマは亡命地ダレム
サレムで、チベット亡命政府をつくり、世界に散ったチベット仏教徒に深
甚な影響力を持つばかりか、世界の仏教界全体へも、発言力には強力な磁
性がある。

世界をいまも行脚されており、とくに日本の仏教界はダライ・ラマ亡命政
府と非常に深い絆がある。

米国でも歴代大統領は訪米したダライ・ラマ猊下を、ホワイトハウスで暖
かく迎えている。

日本政府は北京の顔色を見て、まだ首相との会見は実現していない。

「(本物の)パンチェン・ラマはどこにいる?」とBBCが特別番組を放送
し、またチベット亡命政府は六歳の時の少年の写真を手がかりにコン
ピュータで30歳になった本物の少年の想像の画像を配信し、米国政府系
「フリーアジア・ラジオ」も有名な画家に、想像されるパンチェン・ラマ
の似顔絵作成を依頼し、それを公表した。

     
書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評BOOKREVIEW 
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トランプは文在寅との会見をたった2分で打ち切った。相手にしていない
のである。 

「韓国は、米朝いずれからも支持されない独り相撲を取っている」

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李相哲 vs 武藤正敏『「反日・親北」の韓国はや制裁対象!』(ワック)
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まず対談した2人の履歴に注目である。

武藤氏は元韓国大使。韓国政治の裏にまで精通している論客である。

李相哲氏は龍谷大学教授だが、黒竜江省生まれで、新聞記者として来日
後、上智大学で学び直し、朝鮮近代史と南北問題の専門家。日本国籍を取
得している。

トランプに無理矢理時間をとって貰ってワシントンに押しかけた文在
寅・韓国大統領は、わずか二分で会見を打ち切られても、それを外交的失
態とは認識できないようだ。世界の首脳に向かって平気で嘘をつく文在寅
大統領の頭の構造は、いったいどうなっているのか?

徴用工議論は、背後に「総会屋」のごとき反日組織があって、ナチスの
ユダヤ人差別に匹敵する日本人イジメを展開している。このまま放置する
と文在寅政権は東アジアの平和を破壊するだろうと2人は口を揃える。
 
わかりやすく言えば文在寅政権とは「共産党の志位委員長が首相になっ
た」ごときの「革命政権」である。(李相哲氏。79p)

徴用工への賠償問題にしても、今さら細密な調査は不可能であり、「日
本企業に対する個人の請求権は消滅しているけれど、個人の請求権そのも
のは消滅していないというならば、その請求権は、韓国政府に向けられる
べき」(武藤氏。53p)

李教授は、次を続ける。

「仮に国際司法裁判所にこの徴用工問題が提訴されたら、韓国裁判所の
トンデモ判決の矛盾が明るみになる」(中略)「国際司法裁判で敗訴したら
文在寅体制は崩壊する」。
 
そうなってほしいと望む良識派も韓国にはちゃんと存在している。

いずれ揺れ返しがあるだろうが、次期韓国大統領に有力は、元首相の黄
教安で、保守最大野党「自由韓国党」に入党し、代表となった。保守系の
核が出てきたとし、ふたりは黄教安氏の活躍に期待していることが分かる。

いずれにしても結論的なまとめを武藤氏が展開している。

「韓国は、米朝いずれからも支持されない独り相撲を取っているので
す。それは何故か。韓国の政権は現在の状況を客観的に分析せず、自分た
ちの一方的な思いで政策を立てているからです」

嘗て韓国の元大統領で自殺した盧武鉉大統領がワシントンへ行ってブッ
シュ・ジュニアと会い、一方的なはなしを我慢強きブッシュは聞いたが、
その後の共同記者会見でブッシュが切れた。

盧武鉉大統領をさして「この男」と言ってのけた場面を思い出す。
トランプは文在寅との会見をたった2分で打ち切った。相手にしていない
のである。文在寅大統領の耳には、弔鐘がなっているのが聞こえないのだ
ろうか?

◆1秒でも早く政界引退を

渡部 亮次郎


<鳩山首相「私腹を肥やしたわけではない」と辞任否定 元秘書起訴で会
見(12月24日18時10分配信 産経新聞)


鳩山由紀夫首相は24日、自らの資金管理団体「友愛政権懇話会」の偽装献
金問題で、東京地検特捜部が元公設秘書を在宅起訴するなど一連の処分を
行ったことを受け、東京・平河町のホテルで記者会見を行った。

首相は国民に謝罪しながらも首相辞任は否定、その上で実母からの12億6
千万円の資金提供を贈与と認め、平成14年に遡って修正申告し、贈与税約
6億円を納める考えを表明した。

偽装献金事件について「国民が疑問に思うのは当然だが、(秘書が献金処
理を)滞りなく処理していると任せていた」と説明。贈与についても「承
知してなかった」と繰り返した。

一方、首相は、過去に「秘書の行為の責任は議員の責任だ」などと発言し
てきたことについて「私は私腹を肥やしたり、不正な利得を得た思いは一
切ない」と釈明。>

<「努力だけは認めて」=政権3カ月で鳩山首相>(12月16日11時19分配
信 時事通信)。努力したのではなく、すべての難問を先送りしただけで
はないか。嬶を連れての派手な外遊を続けただけではないか。

<「すべてがまだ完ぺきとは言えないと思う。一生懸命努力していること
だけは認めていただきたい」。鳩山由紀夫首相は16日午前、政権発足3カ
月を迎えたことについて、記者団を前にこう訴えた。

米軍普天間飛行場移設問題や2010年度予算編成作業などの懸案に関し「閣
僚の中でいろいろと声が上がって、(首相の)指導力がどうだという話が
ある」と認め、「それは分かっているが、いずれ国民もこの答えが最適
だったと分かるときが来ると思う」。

重要課題の政策決定で足踏みが目立つことへの理解を求めた。> 

私が国内政治の現場を去って既に30年。したがって、現場の情景は全く知
らないが、鳩山由紀夫の馬鹿さ加減だけは、インターネットを通じてよく
分かる。

政治家になったのに、常識が無い。哲学が無い。困ったことがないから他
人の痛みが分からない。したがって戦略も戦術もない。努力を認めろと
いっても、見える努力は一つも無い。

母上から一と月に1500万円もの小遣いを貰っておいて、知らなかったとい
う。そんなことが世間に通用すると思っているから、宇宙人だといわれ
る。だが宇宙人は確認されていない。

それなのに宇宙人と、敢えて言われるのは、無形人といわれているのと同
じだ。まず悩みがない。有っても悩まないから、悩みが無いのと同じなのだ。

だから本人は努力したといっても、解決した案件は一つも無い。ああじゃ
ない、こうじゃないと、口から出任せを喋っているだけで、
どうすれば解決するか、考える事もできない。

多分、母親が元気なら、官邸に据えて、厄介を頼むところだろう。すべて
そうしてきたからだ。だが、いまや87歳ともなれば、面倒を見てもらうわ
けには行かないから、すべてが頓挫してしまったのである。

一方、月額1500万円の小遣いは何に使ったのか。あるいはブレインになる
人の買収、接待費に使ったのか。その割には碌なブレインがいない。使え
ない商社マンしかいない。左翼に凝り固まって有害だ。

アメリカとの同盟関係を可笑しくし、中国に叩頭外交を展開する事になっ
たのは、彼の誤れる哲学と偽情報に頼ったからである。「努力した」ので
はなく「壊し」に専念した100日だったのだ。

早く総辞職し、議員も辞めたほうがいい。それも1分でも1秒でも早い方
が日本のためだ。2009・12・24




◆皇族を冷遇する学習院の悪しき体質

櫻井よしこ


元号は令和と改められ、新天皇が即位された。新天皇・新皇后両陛下はど
のような新しい時代を創られ、どのような天皇・皇后になろうとしてい
らっしゃるのか。

そう考えているとき、2001年3月出版のいささか古い本だが、『浩宮の感
情教育』(以下『感情教育』小坂部元秀、飛鳥新社)を勧められて読んだ。

天皇となられる方や皇族には、単に学習院卒業という学歴が求められてい
るわけではない。特別の心構え、帝王学を身につけているか否かが大事だ
といってよいだろう。果たして浩宮さまは親王時代にそのような教育を受
けられたのか、学習院とはどんな学びの場だったのか、その疑問への手掛
かりとして読んでみた。

著者の小坂部氏は1974年から97年まで学習院高等科に勤務し、76〜77年の
2年間、浩宮親王のクラスの主管(担任)を務めた。

同書の印象的な部分として学習院の父母会名簿に関する件りが序章にあ
る。30歳前後の高等科のOBが小坂部氏とざっと以下のように会話している。

「『今でも父母会名簿の一頁目には、皇室関係の在学者が並んでいるんで
すか。高等科生の中には、あのページを破り棄てていた者もありましたよ』

『ああ、相変らずですよ』と私は応えた。

『“御在学”も相変らずですか』

OBは投げ出すように問いを重ねた。

皇族については、たとえば浩宮だったら

『浩宮徳仁親王殿下 高等科第3学年御在学』と表記されていた。

『そうですよ』、私は力なくうなづ(ママ)いた」

皇族の在学者名が記された一頁目を破り捨てる。「御在学」という丁寧語
の使用に関して、小坂部氏は「そうですよ」と「力なくうなづ」く。皇室
への拒否感、嫌悪感を感じさせる件りである。

ソ連に配慮して

クラブ活動や学級活動に関連して小坂部氏はこう書いている。

「学級活動だって、彼(浩宮親王)の存在によって、目にみえる、あるい
は目にみえない制約を蒙ることになる。それらは浩宮自身にとってもまた
他のクラスメートにとっても、決して好ましいことではない」

将来の天皇が同じ空間に存在することによって自ずと生まれる緊張感は、
確かに制約となる面もあるだろう。だがそれは、生徒や教師にとって緊張
を強いるものではあっても得がたい環境として前向きの評価も出来るはず
だ。しかし、氏はこう続ける。

「それ(制約)は簡単に言えば、浩宮という存在が所与のものとして持つ
特権性によるものだった。しかもその特権性は、人間浩宮にとっては、プ
ラスにもマイナスにも働くもので、敢て言えばよりマイナスに働くものだ
と、私は思いこみはじめていた」

天皇・皇太子・親王を含む方々には特権もあるが、反対に、国民全般が当
然のものとする権利はない。職業選択の自由や政治的発言の自由はないの
である。「所与の特権」という斬り方が適切なのか。それが「人間浩宮に
とって」マイナスだと一方的に解釈できるのか。疑問である。

小坂部氏の評価からは、担任教師としての愛情や生徒に真剣に向き合って
育てようという気迫が感じられない。遊泳実習についても同様だ。学習院
高等科の生徒はグループ毎に1キロから5キロを泳ぎ切るそうだが、小坂部
氏はこう書いている。

「浩宮がこの夏どの程度の泳力だったか覚えていない。それはこの時私は
主管でもなかったためだが、おそらく特に優れても劣ってもいない、中程
度だったのだろう」

中等科の「卒業文集」で浩宮親王に触れた文章が一篇しかなかった件につ
いても小坂部氏は、「浩宮の過不足のなさ」「地味な持ち味」「特権性を
剥がせばその個性をどうとらえていいか判らず、そもそも最初から書くべ
き対象としての迫力を持っていなかったということだろう」と、突き放し
た無関心とでも言うべき評価である。ここにも、担任教師としての愛情
を、私は感じとれない。

今上陛下は敗戦によって、選りに選ってバイニング夫人という米国夫人を
家庭教師につけられた。それでも学習院ではご学友がいらした。浩宮親王
には、特別なご学友は存在しなかったらしいことが本書から読みとれる。
帝王学を教える人材もいない。これでどのようにして国民を統合する存在
に成長できるのか、学習院の存在意義が薄れるのも当然だ。

小坂部氏は『感情教育』の終章近くで「天皇と天皇制」をめぐる論議の
内、氏が最も興味を抱いている文学者の発言や文章を列挙した。その筆頭
が東京帝国大学総長で、ソ連に配慮して全面講和を主張した南原繁であ
る。南原が昭和21年12月に貴族院本会議で行った演説を、「天皇の『人間
宣言』と新憲法の公布をめぐっての」「記念碑的な演説」と持ち上げている。

冷淡と言うべき視線

南原の演説はその同じ年の1月1日に、昭和天皇が出された詔勅に関して
だ。昭和天皇は後に同詔勅で国民に伝えたかったのは、メディアが報じた
「人間宣言」という要素よりも、民主主義や自由などの善き価値観は敗戦
によって外国から教えられたと国民は思い始めているが、そうした精神は
ずっと前から日本国に根づいていて、明治天皇が発布した五箇条の御誓文
がそれであるとの主旨を語っている。南原の主張が記念碑的な立派なもの
だという評価はどう考えてもおかしい。

小坂部氏はまた、中野重治の小説『五勺の酒』は「恥ずべき天皇制の頽廃
から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの
国民の革命的解放があるのだろう」という発想につながると特記している。

詩人の三好達治の『天皇をめぐる人々』からは次の部分を説得力のある記
述として抽出している。

「所詮は天皇陛下なんかはどうでもいいので、天皇制が現在あるが如くに
未来永遠に存続しようと、神さまが人間に転籍なさつたお布令は出たがそ
の実際がどうであらうと将来どのように逆戻りをしようと、しまいと、一
切まづ問題に関心がない、といふのがこの国の文壇人―といふ特殊な人種
一般の心底であらう」

小坂部氏の想いが那辺にあるかが明らかになるが、氏は「あとがき」でも
書いている。「学習院高等科で浩宮のクラス担任となった時」「〈天皇
家〉という存在に、一種の異和感を抱いていた」と。

帝王学どころか、天皇陛下や皇室などどうでもいいという価値観への共鳴
が先に立つ。このように冷淡と言うべき視線の中で、間もなく即位なさる
皇太子殿下は学ばなければならなかった。非常に気の毒なことだと感じざ
るを得ない。国民全体のあたたかい気持ちで支えずして、皇室が存続する
はずはないだろう。

『週刊新潮』 2019年5月2日・9日号 日本ルネッサンス 第845回



◆今の大阪城は「太閤城」ではない

毛馬一三

国の特別史跡に指定されている大阪城が、実は「太閤秀吉築城の大阪城」ではなく、総てが「徳川大阪城」だと知る人は、意外に少ない。

では秀吉が、織田信長から引継ぎ築城した元々の「大阪城」は一体どこに姿を消したのか。それは追々―。

「聳える天守閣は昭和初期に再建され、城の堀は徳川方によって埋められたことは承知していたが、だからと言って秀吉大阪城の城跡が些かも無いとは全く知らなかった」という人が多い。大阪城へ朝散歩する人々から異口同音に同様の返事が返ってくる。


天満橋から大手前、森の宮、新鴨野橋と城郭を一周する道筋を車で回ると、「大阪城の高い石垣と深い堀」が、雨滴の葉が陽光を跳ね返す樹林の間からと、大きく広がり、歴史の威容を誇らしげに見せ付ける。特に大手前周辺の高さ32mもある幾重もの「反りの石垣」には、当時の石垣構築技術の進歩の姿を覗かせる。

大阪夏の陣で豊臣家を滅亡させた徳川家康は、同戦いの2年後(1616)死ぬが、家康遺命を受けた秀忠が、元和6年(1620)から寛永6年(1629)までの10年3期にわたり大阪城を大改築する。

その時徳川の威令を示すために、「太閤大阪城」の二の丸、三の丸を壊し、その上、総ての「堀」を埋め、「石垣」は地下に埋め尽して、「豊臣の痕跡」を意図的にことごとく消し去った。

では「太閤大阪城」は、地下に眠ったままなのか。

「大阪城石垣群シンポジウム実行委員会」の論文をみると、そこに「太閤大阪城」が地下に埋められたままになっていた遺跡の一部を発掘した調査記録が、下記のように書かれている。

<地下に埋蔵された「太閤大阪城」の石垣を最初に見つけたのは、大阪城総合学術調査の一環として大阪城本丸広場で行われたボーリング調査だった。昭和34年(1959)のことである。天守閣跡の南西にあたる地下8m から「石垣」が見つかったの
だ。

4m以上も積まれた石垣で、花崗岩だけでなく、様々な石を積み上げた「野面積み」だった。「野面積み」は、石の大小に規格がなく、積み方にも一定の法則が認められないもの。当時城郭作りの先駆者だった織田信長が手掛けた安土城の「野面積み」工法と同じだったことから、秀吉がその工法を導入して築いた「石垣」と断定された。

それから25年後の昭和61年(1986)になって、再び天守閣跡の南東部の地表1mの深さから地下7mまで、高さ6mの「石垣」が発見されている。

この石垣も「野面積み」だったうえ、その周辺で17世紀初頭の中国製の陶磁器が火災に遭って粉々の状態で見つかったことから、大阪夏の陣で被災した「太閤城」の「石垣」であると断定される2回目の発見となったのである。

両「石垣」の発見場所の位置と構造を頼りに、残された絵図と照合していくと、この「石垣」は本丸の中で最も重要な天守や、秀吉の家族が居住していた奥御殿のある「詰め丸」と呼ばれる曲輪(くるわ)の南東角にあたることが明らかになったのである。

地下に消えた「石垣」は、切り石が少なく、自然石や転用石を沢山積み上げたもので、傾斜が比較的ゆるい、「徳川城」とは異なる「反り」の無い直線だった>。

第3の発見は偶然が幸いした。現在の「大阪城・西外堀」の外側の大阪城北西で、大阪府立女性総合センター建設の際の発掘調査で、地下から長さ25m に亘る「太閤大阪城の石垣」が出現したのだ。同石垣は、いま同センターの北の道沿いに移築復元されている。

「大阪城の石垣」の痕跡も、堀の外側にある学校法人追手門学院大手前センターの校庭で見つかり、保存されている。

何よりもこの発掘の価値が大きかったのは、今の大阪城郭から離れた外側の場所から「石垣」が現れたことだ。それは「徳川城」よりも「太閤城」の方が遥かに規模の大きかったことの証であり、今後の調査で城郭外から新たな「太閤大阪城」が出現する可能性を引き出したことだった。

地下に眠る遺跡の発掘調査は、エジプトやイタリアなど文明発祥地でブームになっているが、現在進められている大阪市の大阪城発掘調査で、「天下の台所」の基礎を築いた「太閤大阪城」の遺跡が、今の城郭外から見付かることを大いに期待したい。


その全景はあくまで「徳川城」の遺跡であって、「太閤大阪城」でないと思うと、寂しさがこころの中を翳める。(修正加筆・再掲)

2019年05月09日

◆混沌たる台湾の総統選挙

     Andy Chang
 

台湾に10日ばかり滞在してアメリカに戻ってきたところで、今は時差
ボケで考えがまとまらないが、来年の台湾の総統選挙の候補者選びは
私の時差ボケと同じように混沌としている。国民党と民進黨の両方と
もに候補者の世論評価と党上層部の意向に大きな違いがある。

国民党側では党が永年育ててきた朱立倫が立候補し、国会議長を長年
務めてきた王金平も出馬を発表したので候補者が2人となった。とこ
ろが党主席の呉敦義が突然、民間の人気が最も高いのは高雄市長の韓
国瑜だから政権を取り戻すためには韓国瑜を徴用すべきだと言い出し
た。

既に立候補した2人はこのような民主制度を無視した党主席の主
張に反対である。しかも徴用される韓国瑜も出馬すると言わない。そ
のようにごたごたが続いているところへホンハイ(鴻海精密工業)の
会長郭台銘が出馬すると発表したので更に話が難しくなった。

ホンハイはアップルの下請け会社で中国大陸に数か所に工場を持ち、
百万人の雇用をしている会社である。会長の郭台銘と中国の関係が深
く、彼が当選すれば中台統一が実現する或いは中国に降参するに違い
ないと懸念する人が多い。また、現市長の韓国瑜は政治経験がないの
に中国の支持で高雄市長に当選したと言われた男で、中国の影響が強
い台湾のメディアは韓国瑜のニュースが毎日新聞の3割を占めている。
中国がメディア操作で韓国瑜を持ち上げているのだ。

候補者が4人となれば誰が国民党の代表となるか全くわからないが、
呉敦義が強引に韓国瑜を徴用すると言い出したのにも中国の暗黙の圧
力があったと思われる。それなのになぜ同じ中国の影響が強い郭台銘
が飛び出したのかと言う疑問に対し、一説では郭台銘の出馬は韓国瑜
に反対するためと言い、一説では韓国瑜と郭台銘は両方とも中国の暗
黙の支持があると言う。つまり「2本立て」で朱立倫と王金平を下ろ
すのが目標で、韓と郭のどちらが選出されてもよいと言う。

このような状態で真相がわかるはずもないが中国の闇の干渉があるこ
とは誰が見てもわかる。台湾人候補者の王金平でさえ中国を訪問して
「先祖のルーツ訪問」をすると発表した。

しかし中国側が王金平を支持するとは思えない。メディアはともかく民間
の評判では実業家の郭台銘を好意的に見る人も少なからず居る。そのかわ
り財界と政党の支持はない。

一般台湾人の政治意識はかなり曖昧で、絶対に国民党に政権を取らせては
ならぬと考える人は半分ぐらいしかおらず、民進黨に失望したから国民党
に投票する人も少なくない。

代わって民進黨の方だが、蔡英文総統が出馬表明したけれど民間では
蔡英文支持は殆どない。去年の地方選挙で惨敗した蔡英文が続投すれ
ば再度惨敗すると言う。

蔡英文に民間は大反対だが民進黨上層部は蔡英文支持を発表した。世論調
査では国民党の候補者4人と比べて蔡英文は誰にも勝てないと発表した。
このような現状を見かねて頼清徳が出馬すると発表したが、民進黨上層部
は蔡英文支持に回ったため世論は更に悪化した。

民間では蔡英文が候補者となれば、絶対に負ける、投票しない、国民党
(誰でもいい)に投票する、などマイナスの評価である。党幹部は頼清徳
出馬に反対で、代わりに蔡頼コンビを推薦したので世論はさらに悪化し
た。海外の台湾人組織はみな頼清徳支持を表明している。

国民党と民進黨が候補者選びで混乱している上に台北市長の柯文哲が無党
派で出馬する可能性もある。柯文哲は何度も親中国的発言をしてきたので
独立派や中国を恐れる台湾人から反対されているが影の支持者も多い。柯
文哲が出れば民進黨の票を攫うので国民党に有利になると言われている。
本人は出ると言っていないが民間では彼が立候補する可能性は高いとみて
いる。

このような混沌とした状態で政見主張は殆どないが、両党ともに中国
の統一が大きな問題となる。中国が武力または経済で台湾を征服する
意図は明らかだから中国との関係が政見主張の主題となるはずだ。

民進黨は中国の台湾併呑(または中台統一)に反対で、国民党の候補
者が中台統一を推進するかも知れないと懸念している。中国は「92共
識」(中国と台湾は一つの国)を固持しているが民進黨は92共識を承
認しない。

中国べったりの韓国瑜や郭台銘が政権を取ればこれを承認するかも知れ
ない。民進黨は台湾と中国は二つの国と主張するが、蔡英文は「台湾は
中華民国」であると言い、頼清徳は台湾独立を主張している。

郭台銘は最近の記者会見で「中華民国と中華人民共和国の2つの国であ
る」、つまり台湾は中国であると主張した。台湾人は「台湾は中国では
ない」と主張しているから郭台銘の発言に反対である。

来年の選挙でもう一つの大きな政見主張となるのは自由経済特区であ
る。自由経済特区とはFTA(Free trade Area)のことで、台湾では既に馬
英九時代からこの問題を討論してきた経緯があり、ECFAまたは両岸経
済合作(Cross Straits Economic Cooperation Framework Agreement)と
して討論されてきた。だが中国がこれに介入してきたふしがある。

韓国瑜が最近、高雄市を自経区とする構想を発表したので政府は直ち
に反対を表明した。自由経済特区とはある地域を自由経済として免税
措置、物流、貿易の自由化を目指す構想で、FTAの免税措置と言えば
台湾経済に有利と思わせるが実際は免税措置が他の地域に不公平とな
り台湾の経済に有利ではない。だが自由経済で台湾人がみんな金持ち
になると言えば賛成する人も多い。

韓国瑜の主張する自経区は中国の経済陰謀の一環である。トランプが
中国に対して25%の関税措置を取り始めたから台湾で自由経済特区
を作り、中国の半製品が台湾で製品となってアメリカに輸出される。
半製品だけでなく中国の人材、機密などの台湾侵略を許すことになる。
中国の目標である台湾の経済侵略を促進するだけでなく、アメリカか
ら「中国の片割れ」と判定されたら大変だ。「台湾独立と中国統一」と
「自由経済特区」が来年の総統選挙の主題となるに違いない。

at 10:53 | Comment(0) | Andy Chang

◆郭台銘が台湾で初めて記者会見

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月7日(火曜日)通巻第6068号 

 訪米から帰国後、郭台銘が台湾で初めて記者会見
  「『中華民国』という正式名称を交渉の前提条件とする」

 5月6日、訪米したトランプ大統領と会見した郭台銘(鴻海精密工業・
会長)は台北市で、記者会見に臨み「北京との交渉は?」ときかれ、「先
方がまず我が国を『中華民国』と正式な名称で呼ぶことから交渉が始ま
る」と煙幕のようなことを言いだした。そのうえで「中華民国は中華人民
共和国の一部ではない」と言った。

大陸に百万人を雇用し、数ケ所に最新家工場を持ち、中国との密接な関連
から「台湾を売り飛ばすのか」と批判が強い問題に関して、郭の言い分は
「主権」に触れず、『92年合意』にも触れず、ひたすら次のように述べた。

「中国大陸においても、年次総会(創立記念日をさすらしい)では従業員
に中華民国の国歌を唱うこと、国旗を掲揚することをやってきたし、日本
でもシャープでそうしてきた」、「われわれは中国で工場を展開し利益を
上げてきたのであり、中国重視はビジネスの拡大だが、政治は異なる。先
方が中華民国という呼称をみとめることから、交渉が始まる」と不思議な
論理を展開した。

また米中対立は「台湾にとっては好機だ」とし、トランプ大統領が突然、
中国からの輸入品に10%の関税上乗せ発表を受けての追加発言をなした。

与党・民進党は、「92年合意なぞ存在しない」とする一貫した立場から、
これを前提とする中国との交渉を拒否してきたが、国民党の幹部も『主
権』に関しては譲っておらず、郭台銘の発言に批判的である。

「ああいうことを主唱して総統選挙に出馬するとなると、むしろ独立派の
支持を増やす皮肉な結果をもたらすのではないか」と国民党の選挙スペ
シャリストが分析している。

郭台銘は、ホワイトハウスでトランプ大統領からウィスコンシン州の新鋭
工場の建設の約束を守るよう強く迫られてた模様で、予定になかったウィ
スコンシン州知事との会見もこなして帰国した。

訪米中、郭台銘は『中華民国の青天白日旗とアメリカ国旗』を並列した特
注の帽子を被っていたが、中国では、この中華民国旗にぼかしを入れた映
像を流した。

郭があえて中華民国と発言した裏には、蒋介石時代から『中華民国』のな
かに、中国を含んでおり、つまり中国人民共和国は「中華民国共匪区」と
いう歴史認識で来たからである。

つまり「中華人民共和国が中華民国の一部」というニュアンスが籠められ
ている。

郭は、その一点に詭弁の基盤をおいたわけだが、マスコミの反応とは異
なって台湾財界の支持はゼロに近く、国民党内でも有力政治家、幹部らは
そっぽを向いている。この不利な状況から脱しようと、郭台銘は懸命だっ
たことが分かる。

世論調査でダントツの1位だが、組織票も国民党の指示もない、浮動票が
頼みのポピュリズムだけで、国民党はむしろ安全パイとして朱立倫擁立に
向かうとする分析もあるようだ。
      
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樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1890回】              
――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(2)
渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正
10年)

              ▽

世界的に認められた「民族自決主義に一致せる日韓併合」によって、朝鮮
半島には「平和と安寧と幸福と文化」とがもたらされた。

つまり「擾亂、強奪、誅求、壓制、窮苦、寒慘、薄瘠、其他あらゆる厭惡
すべき文字を以て自然と人事の總てを形容するも足らざる惡政の下に、人
心地もなく生活したる一千五百万餘萬の鮮人」を救い出し、彼らに「今日
何の點においても殆ど日本と擇ばざる太平と文化と繁榮との下に、世界五
大強國の民族として、樂しき生活を送りつゝあるに徴して明白なりといふ
べ」く、「日鮮同族の親和結合は、現代思潮の民族主義を最も完全に發揮
する所以といふべきなり」である。

 ――このような渡邊の主張を、現代の視点から批判することは容易い。こ
こでは日韓併合問題について深入りすることを避けておくが、やはり当
時、こういった主張が大阪毎日新聞で堂々と論じられていたという事実を
確認しておくに止め、渡邊の旅を急ぎたい。

鴨緑江を渡って朝鮮を離れ、中国人が営む安東県に入った。
 
車中からチラッと目にしただけだが、建物は朝鮮の街と較べ「やゝ高大に
して整然、復殆ど白衣の影を見ず、喧囂、殷賑、人亦活氣を有せるの趣あ
り」。ここから「鮮人の支人に及ばざる、一見して明らかなるを得るが如
し」。

広大な満洲で目にした人々を「其純朴の風や愛すべきものをあるを思」う
が、それがまた「支那の支那たる所以」だ。「徒に無懷氏の民尚多くして
人文の進歩なく、晝耕夜息、帝力何か我にあらんやと嘯くも、比々皆然る
の状なるを察知し得べく、彼等のため支那の爲に悲しむべきなり」と綴る。

次に渡邊は「一滿鐵職員の能く語る」ところを引用し、両民族を比較す
る。それによれば、「支那人は利に偏して氣慨乏しく、朝鮮人は意氣稍日
本人に類するものあり、必ずしも利を以て誘ふべからず、其信念の發する
所、其敵愾の迸る所、慷慨激越、斷じて非禮を受け昂然として威力に抵抗
し、得失と休戚とを問はざるもの少なからず、時に學童亦排日の理由を説
いて肯綮に當るものありといふ」とか。

奉天で渡邊は「平滑無髯の一紳士」で「言語平靜、一點矯激のところ」の
ない「赤塚總領事」と面談し、滿洲問題について意見を交換している。

「日本人の朝鮮に移住して鮮人を驅逐し」たことから、「鮮人の滿洲に入
り込み支那との間に面倒な交渉の頻起するは面白からず」。だから「寧ろ
日本人の朝鮮を飛越して滿洲に移住するを可とする意見」もある。
これまで「日支葛藤の調査し來」たが、「非慨し我にあり」。「又陸軍側
に徒に威武を輝かすに偏するを非とする」――こう総領事が説いた。

総領事の説いたところが当時の外務省公式見解と言うわけではないだろう
が、それにしても我が外交最前線に在った奉天総領事が、「日支葛藤」に
関わる「非」が「慨し我にあ」るばかりか、軍事的影響力に過度に偏る陸
軍の対応を「非」としている点は注目しておきたい。

総領事の話に耳を傾けながら渡邊は、「支那政局に中心點なく、勢力相錯
綜し、一斑を以て全豹を斷じ難」いから、「一切の交渉問題、交渉の徑路
等」は「内房に私議して」こそ「平隱なる決着を得」ることができる。
「人道と正義とを標榜せる外交」という立場に立って、「鮮人移入によつ
て生ずる問題」の外交的解決を目指も外務当局にとっての障害は「陸軍の
武斷的態度」である。

だが「外交當局の微力」「自己權限の小少」という現実を前に、打つ手な
し――との『嘆き節』と受け取った。

たしかに満鉄(政府)、陸軍、外務省の3者の権限が錯綜しているだけに
満州問題解決は困難ではある。だが外交交渉当事者が泣き言を口にしてど
うする! 渡邊は怒る。《QED》
  

◆皇族を冷遇する学習院の悪しき体質

櫻井よしこ


元号は令和と改められ、新天皇が即位された。新天皇・新皇后両陛下はど
のような新しい時代を創られ、どのような天皇・皇后になろうとしてい
らっしゃるのか。

そう考えているとき、2001年3月出版のいささか古い本だが、『浩宮の感
情教育』(以下『感情教育』小坂部元秀、飛鳥新社)を勧められて読んだ。

天皇となられる方や皇族には、単に学習院卒業という学歴が求められてい
るわけではない。特別の心構え、帝王学を身につけているか否かが大事だ
といってよいだろう。果たして浩宮さまは親王時代にそのような教育を受
けられたのか、学習院とはどんな学びの場だったのか、その疑問への手掛
かりとして読んでみた。

著者の小坂部氏は1974年から97年まで学習院高等科に勤務し、76〜77年の
2年間、浩宮親王のクラスの主管(担任)を務めた。

同書の印象的な部分として学習院の父母会名簿に関する件りが序章にあ
る。30歳前後の高等科のOBが小坂部氏とざっと以下のように会話している。

「『今でも父母会名簿の一頁目には、皇室関係の在学者が並んでいるんで
すか。高等科生の中には、あのページを破り棄てていた者もありましたよ』

『ああ、相変らずですよ』と私は応えた。

『“御在学”も相変らずですか』

OBは投げ出すように問いを重ねた。

皇族については、たとえば浩宮だったら

『浩宮徳仁親王殿下 高等科第3学年御在学』と表記されていた。

『そうですよ』、私は力なくうなづ(ママ)いた」

皇族の在学者名が記された一頁目を破り捨てる。「御在学」という丁寧語
の使用に関して、小坂部氏は「そうですよ」と「力なくうなづ」く。皇室
への拒否感、嫌悪感を感じさせる件りである。

ソ連に配慮して

クラブ活動や学級活動に関連して小坂部氏はこう書いている。

「学級活動だって、彼(浩宮親王)の存在によって、目にみえる、あるい
は目にみえない制約を蒙ることになる。それらは浩宮自身にとってもまた
他のクラスメートにとっても、決して好ましいことではない」

将来の天皇が同じ空間に存在することによって自ずと生まれる緊張感は、
確かに制約となる面もあるだろう。だがそれは、生徒や教師にとって緊張
を強いるものではあっても得がたい環境として前向きの評価も出来るはず
だ。しかし、氏はこう続ける。

「それ(制約)は簡単に言えば、浩宮という存在が所与のものとして持つ
特権性によるものだった。しかもその特権性は、人間浩宮にとっては、プ
ラスにもマイナスにも働くもので、敢て言えばよりマイナスに働くものだ
と、私は思いこみはじめていた」

天皇・皇太子・親王を含む方々には特権もあるが、反対に、国民全般が当
然のものとする権利はない。職業選択の自由や政治的発言の自由はないの
である。「所与の特権」という斬り方が適切なのか。それが「人間浩宮に
とって」マイナスだと一方的に解釈できるのか。疑問である。

小坂部氏の評価からは、担任教師としての愛情や生徒に真剣に向き合って
育てようという気迫が感じられない。遊泳実習についても同様だ。学習院
高等科の生徒はグループ毎に1キロから5キロを泳ぎ切るそうだが、小坂部
氏はこう書いている。

「浩宮がこの夏どの程度の泳力だったか覚えていない。それはこの時私は
主管でもなかったためだが、おそらく特に優れても劣ってもいない、中程
度だったのだろう」

中等科の「卒業文集」で浩宮親王に触れた文章が一篇しかなかった件につ
いても小坂部氏は、「浩宮の過不足のなさ」「地味な持ち味」「特権性を
剥がせばその個性をどうとらえていいか判らず、そもそも最初から書くべ
き対象としての迫力を持っていなかったということだろう」と、突き放し
た無関心とでも言うべき評価である。ここにも、担任教師としての愛情
を、私は感じとれない。

今上陛下は敗戦によって、選りに選ってバイニング夫人という米国夫人を
家庭教師につけられた。それでも学習院ではご学友がいらした。浩宮親王
には、特別なご学友は存在しなかったらしいことが本書から読みとれる。
帝王学を教える人材もいない。これでどのようにして国民を統合する存在
に成長できるのか、学習院の存在意義が薄れるのも当然だ。

小坂部氏は『感情教育』の終章近くで「天皇と天皇制」をめぐる論議の
内、氏が最も興味を抱いている文学者の発言や文章を列挙した。その筆頭
が東京帝国大学総長で、ソ連に配慮して全面講和を主張した南原繁であ
る。南原が昭和21年12月に貴族院本会議で行った演説を、「天皇の『人間
宣言』と新憲法の公布をめぐっての」「記念碑的な演説」と持ち上げている。

冷淡と言うべき視線

南原の演説はその同じ年の1月1日に、昭和天皇が出された詔勅に関して
だ。昭和天皇は後に同詔勅で国民に伝えたかったのは、メディアが報じた
「人間宣言」という要素よりも、民主主義や自由などの善き価値観は敗戦
によって外国から教えられたと国民は思い始めているが、そうした精神は
ずっと前から日本国に根づいていて、明治天皇が発布した五箇条の御誓文
がそれであるとの主旨を語っている。南原の主張が記念碑的な立派なもの
だという評価はどう考えてもおかしい。

小坂部氏はまた、中野重治の小説『五勺の酒』は「恥ずべき天皇制の頽廃
から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの
国民の革命的解放があるのだろう」という発想につながると特記している。

詩人の三好達治の『天皇をめぐる人々』からは次の部分を説得力のある記
述として抽出している。

「所詮は天皇陛下なんかはどうでもいいので、天皇制が現在あるが如くに
未来永遠に存続しようと、神さまが人間に転籍なさつたお布令は出たがそ
の実際がどうであらうと将来どのように逆戻りをしようと、しまいと、一
切まづ問題に関心がない、といふのがこの国の文壇人―といふ特殊な人種
一般の心底であらう」

小坂部氏の想いが那辺にあるかが明らかになるが、氏は「あとがき」でも
書いている。「学習院高等科で浩宮のクラス担任となった時」「〈天皇
家〉という存在に、一種の異和感を抱いていた」と。

帝王学どころか、天皇陛下や皇室などどうでもいいという価値観への共鳴
が先に立つ。このように冷淡と言うべき視線の中で、間もなく即位なさる
皇太子殿下は学ばなければならなかった。非常に気の毒なことだと感じざ
るを得ない。国民全体のあたたかい気持ちで支えずして、皇室が存続する
はずはないだろ

『週刊新潮』 2019年5月2日・9日号 日本ルネッサンス 第845回

◆子宮頸がんワクチン適齢期

石岡 荘十


欧米先進国では女の子どもが11歳になると親はまず、子宮頸がんから守るためのワクチン打つ。

11歳は、肉体的に成長の早い欧米ではセックスを始めて体験する“セックス・デビュー”の年齢だと考えられている。「うちの子に限って---」と考えたいところだが、現実は、そうはいかない。11歳は子宮頸がんワクチンを打つ“適齢期”であり、このタイミングでワクチンを打つのが、多くの先進国では常識となっている。

子宮頸がんはすべての女性の80パーセントが一生に一度は感染しているという。子宮の入り口である頸部に発生する上皮性の悪性腫瘍であり、世界では年間約50万人が子宮頸がんを発症し、約27万人が死亡していると推計されている。

2分間に1人が子宮頸がんで命を落としている計算になる。日本では毎年約1万5000人の女性が子宮頸がんを発症し、約3500人が死亡している。

原因は、ほぼ100パーセントが性交渉、つまり皮膚と皮膚の粘膜の接触でヒトパピローマウイルス(HPV)というありふれたウイルスの感染することによることが1983年、明らかになっている。パピローマウイルスを発見した独がん研究センターのハラルド・ツア・ハウゼン名誉教授には、2008年度ノーベル生理学医学賞が授与されている。この研究成果をもとに予防ワクチンが開発され、現在、世界100カ国以上で使われている。

子宮頸がんはいろいろながんの中でも例外的に原因が特定されているだけでなく、ワクチンによる予防法が確立されている。アメリカでは2006年ワクチンの使用を承認、昨年10月には日本でも使用が承認されたものだ。

成人になって、検診を受けずワクチンの接種もしない場合、がんは進行し、子宮をすべて摘出する手術が必要になることもある。

妊娠、出産の可能性を失い、女性だけでなく家族にとっても心身ともに大きな痛手となる。また、子宮のまわりの臓器にがんが広がっている場合には、卵巣やリンパ節などの臓器もいっしょに摘出しなければならなくなり、命にかかわる。


ワクチン普及のためのシンポジウムで、「子宮頸がんは予防ができるがんです。また、定期的に検診を受けることで、がんになる前に発見し、子宮を失わずに治療もできます。そのことを知らなかった私は、こどもを産むどころか妊娠することも出来ない体になってしまいました。死ぬではないかとこわかった。1人でも多く女性がワクチンを打ってください」と切々と訴えた。

子宮頸がんは、初期には全く症状がないことがほとんどで、自分で気づくことはほとんどない。このため、不正出血やおりものの増加、性交のときの出血などに気がついたときには、がんが進行しているということも少なくない。

進行するにつれ性交時の出血などの異常がみられ、さらには悪臭を伴う膿血性の不正性器出血、下腹痛や発熱などが認められるようになるという。

子宮頸がんは遺伝などに関係なく、性交経験がある女性なら誰でもなる可能性のある病気である。近年では20代後半から30代に急増、若い女性の発症率が増加傾向にある。子宮頸がんは、がんによる死亡原因の第3位、女性特有のがんの中では乳がんに次いで第2位を占めており、特に20代から30代の女性では、発症するすべてのがんの中で第1位となっている。

一度ワクチンを接種しておけば、その効果が20年は持つといわれる。だから、11歳という“適齢期“にワクチンを打った上で、定期的に検診を受け、早期に発見・手術を受ければ、術後に妊娠・出産が可能だという。

85パーセントに女性がワクチンを打っていれば、95パーセントの女性が助かるという研究報告もある。

ワクチンは3回に分けて打つ。初回、2回目がその1ヶ月後、さらに6ヶ月後に3回目。問題は費用が高額なことだ。

セックス・デビュー前の“適齢期“の女の子(11〜14歳)全員に公費でワクチンを打っても、費用はわずか200億円ほどと計算されている。今のまま放置しておくと、いずれこれを上回る医療費がかかる計算もあり、充分に元は取れるという。

地方自治体では、「健康・医療・福祉都市構想」を掲げ、在住の小学校6年生〜中学校3年生(12〜15歳)を対象に補助することを決めている所もある。このワクチン接種費用が高額なことを解消するために、地方自治体は急ぎ対応を期すべきだろう。


2019年05月08日

◆ファーウェイ製品の禁止を正式決定

宮崎 正弘


平成31年(2019年)2月18日(月曜日)弐 通巻第5995号   

「キーウィ経済」「キーウィ・ツーリズム」を犠牲にしてもファーウェ
イ排斥

ニュージーランド政府、ファーウェイ製品の禁止を正式決定

ニュージーランド政府も、ファーウェイ製品の前面禁止を正式決定した。

これで「ファイブ・アイズ」(英・米、豪、カナダ、NZ)加盟国はす
べて中国のファーウェイを禁止したことになる。

中国はニュージーランド(以下「NZ」)への憤懣やるかたなく、カナダ
人13名を拘束し、豪の作家を拘束したように、何かの報復手段に出るだ
ろう。すでにニュージーランド学界では、中国旅行には行かない雰囲気が
支配しているという。


1月にはオークランドを飛び立ったNZ航空機が、上海で着陸許可が出ず
に引き返すという事件が起きた。両国関係に殺伐とした空気が流れた。

NZへの観光客は年間380万人、このうちの15%の57万人が中国人 であ
り、どこへ行ってもチャイナチャイナとなっていた。今年は「中国人 観
光イヤー」とも命名され多彩な行事が予定されていた。

中国人観光客は金使いがあらく観光業界のインバウンド収入は160億ド ル
にも登るという統計がある。「キーウィ経済」とからかわれるNZから
中国への輸出は150億ドル。さらに中国人投資家による不動産投資が 15
億ドルの巨額に達している。首都のウエリントンばかりか、古都オー ク
ランドもクライストチャーチも。。。

NZにとって中国は「大事なお客様」であり、ジェンシンタ・アーデン首
相(女性)は春節にわざわざオークランドで開催された祝賀行事には出席
して両国の友好を謳ったばかりである。

ところが英国のフィリップ・ハマンド外相が北京訪問を延期したように、
アーデン首相は昨年末に予定していた中国訪問を延期した。
英もNZも、北京訪問予定を未定とし、「国家安全保障が優先する」と抽
象的なコメントでお茶を濁した。

背後にあるのは諜報機関の連携、情報を共有する「ファイブ・アイズ」
の誓いが機能しているという国際政治の舞台裏を思いおこしておく必要が
ある。NZは大英連邦の主要構成国であり、ガリポリの戦役では英国の要
請に基づき、豪軍とともにトルコへ軍隊を送った。

中国は「ファーウェイ製品にスパイ装置を施してはいない」としらけるよ
うな反論を繰り出したばかりか、NZの主要新聞すべてに全面広告を打っ
て反撃キャンペーンに乗り出した。

そのファーウェイの反論宣伝コピィ曰く
「ファーウェイなくして5Gを実現するなんて、NZなしくてラグビー大
会をするようなもの」
  
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1860回】             
 ――「劣等な民族が自滅して行くのは是非もないこつたよ」東京高商(1)
東京高等商業學校東亞倶樂部『中華三千哩』(大阪屋號書店 大正9年)

         △

東京高等商業学校(一橋大学の前身)で「日頃東亞の研究に志す者が相
集つて互に意見を交換したり先輩の講演を聞いたりしてゐる我東亞倶樂
部々員」の長年の悲願がかなったのが大正8(1919)年の夏。

「一行30名が4旬に渉つて支那を南から北へ旅行した」。「本書は即ち そ
の紀行文であつて支那が我々日本青年の目に如何に映じたかを語」つた
ものだ。

東亜倶楽部による旅行は、時期的は河東碧梧桐(1843回~53回)のほぼ1
年後であり、大町桂月(1854回〜59回)と同じ時期。であればこそ、東亜
倶楽部の若者と河東や大町ら大人との隣国事情に対する考えの違いを知る
ことができるだろう。

大人と若者という世代間の考えの違い。同じく隣国に向き合いながら、若
者の考えに時代環境の違いがどのように反映されているのか。興味深い点
から読み進んでみたいと思う。

これまで若者の紀行文としては『滿韓修學旅行記念録』(1599回〜1608
回)と『大陸修學旅行記』(1712回〜17回)を読んでいるから、この2冊
と『中華三千哩』を読み較べれば、明治末年と大正初年、それに大正8年
――清朝最末期、辛亥革命直後、さらなる混乱期――において、日本の若者が
隣国をどう捉え、どう対処しようとしていたのか。

冒頭に寄せられた東亜倶楽部に関係する東京高等商業学校の教授や先輩
からの「序」を読むことで、当時の大人の隣国に対する考え方と、若者に
寄せる彼らの『熱い期待感』が想像できるように思うので、そこら辺りか
ら当たってみたい。

「之(『中華三千哩』の草稿)を一讀するに、支那の民情を探り、風物
を描き、史蹟を訪ね、大陸的氣分を稱する處、その觀察にその行文に、概
觀的なるにもせよ、支那の實情を髣髴たらしめ、且學生的氣分の?溢し
て」いる。「刻下、列強の耳目再び東亞の天地に集注せられ、支那問題の
朝野に喧しき時に當つて、此書が一般人士殊に青年に稗?する處蓋し鮮少
ではあるまい」(法學博士 佐野善作)

「今回の戰爭で養はれた我實業上の勢力が漸次其根を張つて來たことで
第一が貿易次が海運金融紡績等の順序で發展して居る」。「地方別にする
と何と云ふても滿洲方面が第一で殆ど内地の感があり次で青島上海天津漢
口などの順で列強を壓して來て居る」。「歐米方面からも將來豫想した程
の資本が入つて來る模樣もないので今後我が實業界の充實と共に支那内地
に於ける産業の調査及事業の計畫が?盛んに我が實業家を中心して企てら
れる」。

「次ぎに拝日問題で注意すべき一事は」、「歐米の商品を扱つて居るも
のが故意にやる外は支那で相當名のある實業家や多數商人は一般に日貨排
斥の意志を眞から持つては居ないので唯學生の危害を惧れるのと民衆への
氣兼から形式的にやつて居る仕事である云ふ點である」。

だが内陸部はともかく「上海其他開港地の隆々たる發展」は凄まじく、
「その發展は大部分粗界(租界の誤りだろう)に於ける外國人の力に因る
のであるが支那人の覺醒も決して見遁かすことは出來ない」(引率者の奈
佐忠行教授)

日本は混乱の隣国に「殆ど献身的に過去の半世を消過」し、やっと「天
産物の潤澤と交通の至便とを覺知し得」た時点で、「漸く歐米列強の鷹?
虎視常に中國を離去せざるの理由を闡明し、?ち豁然會得する所あり」。
「由來東亞は東亞の天地」であり、「之を拓殖するは東洋人の天職」だか
ら、「列強の脅威干渉を許さず」。「同文同種の天縁あ」る両国は「具に
和衷共濟通工易事の本能を發揮し憂國愛民的理想に依り斷乎勇往邁進せば
列強の覬覦睥睨も毫も怖るゝに足らざるなり」。

だが、「今や中日兩國は歐米某國の惡辣煽動教唆に基く種々の猜疑に由
て、深大なる誤解を胚胎し或は又其使嗾に依る謡言蜚語の影響を受けて」
いるそうな。QED》

       読 者 の 発 言
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朝鮮日報の記事はニュースでも何でもない:前田正晶

朝鮮日報は韓国の文喜相国会議長にインタビューして、「そのくらいのこ
とを言うに決まっている」と思わせるようなことを言わせて記事にしてい
た。要するに「謝らない」と言いたいようだが、私は世界広しと雖も「謝
罪の文化」が厳然として存在するのは我が国だけだと経験上も言えるの
で、文喜相国会議長が何を言おうと、そんなことが何処も珍しくもなく、
報道する価値もないと思っている。まさか、安倍総理以下は「真摯な謝
罪」を本気で期待しておられるのではないだろうな。

>引用開始
文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長は17日、自身の「天皇(原文は日
王)謝罪要求」発言に対する日本側の反発について、「謝罪するつもりは
ないし、そうすることでもない」と述べた。ただし、「韓米日が一つに
なって協力すべき状況において、このような事で争い続けるのは、お互い
国益の助けにならない」とも言った。(以下略)
<引用終わる

全文を読めば「どの面下げて我が国にお説教する気か」と腹立たしくなる
だろうし、一説にある「韓国は彼らは我が国よりも一格上であると信じて
いる」は将にその通りだと思わざるを得ない。私も1971年に初めて韓国に
出張した際に、現地の日本語世代の貿易商に「日本の文化は中国に始まっ
て、それが我が半島を経て入っていたものだ。間違えても我が国の文化と
日本のそれが同じだなどと言って欲しくない」と厳しい顔で説諭されたも
のだった。70歳台と聞く文議長も同じような思考回路の持ち主なのだろう。

私は対韓国の諸々の問題点はこのような彼らの考え方を把握しておかない
ことには、四六時中憤慨していなければならなくなる。謝る訳が無いとは
思っていても「謝れ」と強硬に主張しておかない限り、彼らは鉄面皮だか
ら「日本側が沈黙しているのか自分たちの勝利」と思い込むだけのこと
だ。ではあっても「論争と対立」を怖れてはならないのだ。頼みますよ、
安倍さん、河野さん。