2019年06月03日

◆ミャンマーに持ちかける中国

宮崎 正弘


令和元年(2019)6月3日(月曜日)通巻第6096号 

 怪しげな都市開発プロジェクトをミャンマーに持ちかける中国
   ヤンゴンの西郊外に8000ヘクタールの農地を開発するとか

ミャンマーの大富豪の一人にセルゲ・パンという政商がいる。
軍事政権時代に中国へ逃亡していたが、1991年にヤンゴンに戻った。政治
的独裁が緩和されるや、パンは不動産開発と金融でまたたくまに商圏を拡
大し、富豪の地位を不動のものとする。

その彼がぶち挙げたのが、ヤンゴンの西に拡がる穀倉地帯を第二の新都心
とするNCDC(新都心開発会社)である。ヤンゴンの新都心は、200
万人の雇用を産む、というのが謳い文句だ。
 https://www.nydc.com.mm/ 

大風呂敷に見えるNCDC構想、ヤンゴン市当局が許可を出した。表向き
の開発理由は「ヤンゴン市内のチャイナタウンが膨張しすぎて限界に近
い。あたらしいチャイナタウンが必要だ」というものだ。

開発予定地はヤンゴン川の西側、約8000へクタールの農地である。8000ヘ
クタールとは8000万平方メートル(2400万坪)。

ヤンゴンのジャーナリストはすぐさま、このプロジェクトに疑惑を抱き、
調べだした。怪しい開発であり、背後に中国のCCCC(中国交通建設有
限公司。2005年に中国港湾建設集団と合併、上海と香港に上場)が15億ド
ルを用意していることが判明した。

じつは、このCCCC。スリランカのハンバントタ港に14億ドルを投じた
近代化工事の主契約社であり、同港はスリランカ政府が返済不能となっ
て、99年の租借を認めざるを得なくなったときも暗躍した。

ハンバントラ港はすでに中国の軍港化している。

マレーシアのパイプライン工事、フィリピンの高速道路工事にも顔を出
し、めちゃに高い資金で入札を繰り返し、政治家への賄賂が告発されている。

つまり曰く付きの企業であり、ブルームバーグは2018年9月に同社を『ブ
ラックリスト』に入れた。


▲つきまとう黒い噂、ミャンマー政治の裏の闇

ヤンゴン市当局は「過去の失敗もあり、このプロジェクトは『スイス・
チャレンジ方式』で行う」とした。これは国際入札を透明化するために第
三者を介入させて入札を監視し、その開発能力を試すのだ。

しかし、ミャンマーは長かった軍政時代から、巨大プロジェクトには必ず
黒い噂があり、ミャンマー政治の裏の闇に拡がるのは政治家と政商、そし
て中国との癒着である。

ヤンゴンの情報筋は、過去の出来事を振り返る。

嘗て北部の水力ダムが36億ドルという途方もないプロジェクトだったし、
ラカイン州の深海開発港のチャウピューも、最初は75億ドルが提示され、
最近の話し合いで13億ドルのプロジェクトにレベルダウンされた経緯がある。

筆者も実際に現場を取材したが、当該現場にはまだ看板があるだけ、本気
で開発するのか、どうか怪しいと疑問を呈している。

ぽつんと崖っぷちに建っているのは4階建ての事務所だけ、警備員が2
人。いつ開業か、工事はいつから始まるのかと聞いても、英語も中国語も
通じないのである。

用地買収から着手するべきだが、それを分担するミャンマー政府が動いて
いる気配もないのだ。

中国の裏の意図は言うまでもない。

ヤンゴン新都心とは名ばかりの「BRI」(一帯一路)の拠点化であり、
貸し込んだカネを、ミャンマーの返済不能をまって、99年の租借とする腹
だろうと、ヤンゴンの情報筋は分析している。
 
       
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIE 
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 習近平独裁という中国王朝に黄昏がきた。やがて自滅するだろう
  経済システムの決壊が方々で起こり、人民の不安心理は異様に増幅し
ている

渡邊哲也 vs 福島香織『中国大自滅』(徳間書店)
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初顔合わせの2人、何が飛び出すか。愉しみにページを開いた。

冒頭からテンションが異常に高い。ただならぬ中国経済の惨状が、冒頭か
ら伝わってくる。

中国からの輸入品に高関税をかけ、米国のハイテク企業買収を阻止し、中
国人留学生のヴィザを厳格化し、あからさまな中国制裁へ動き出したトラ
ンプ政権の法的淵源としては、昨秋に成立を見た「国防権限法」が有名だ
ろう。

だがこれは米国が用意した阻止政策のワンノブゼムにすぎない。

渡邊氏は、いきなり「FIRRMA(外国投資リスク審査現代化法)」,
「ECRA(輸出管理改革法)」、そして「CFIUS(投資委員会)」
という新法を並べる。

これらで米国が中国とのハイテク競争に臨んでいる実態を縷々説明してい
る。耳慣れないのも、日本のメディアが後者みっつの法律について殆ど報
道しないからだ。

インテルが半導体供給をやめたためスマホの組み立てが出来なくなった
ZTEは倒産寸前に陥った。

ファーウェイとチャイナモバイルの米国市場からの排斥もきまった。ほか
にも監視カメラ三社、ドローンのメーカーなども排斥が決まった。

慌てた中国は、ファーウェイ国有化を視野にいれ、事実上倒産状態に陥っ
た海航集団と安邦保険を土壇場で国有化して対応した。

金融面でも銀行準備率を数回引き下げ、資金供給という緩和政策をつづけ
ているが、市場はほとんど氷結したままとなった。

新しい投資はどこにも見られず、中国企業がむしろ海外へ工場を移転し、
中国からのエクソダスを展開中だ。習近平独裁という中国王朝は黄昏はじ
めた。やがて自滅するだろうと2人は口を揃える。

とりわけ中国ハイテクのアキレス腱は半導体の自製ができないことである。

福島女史が言う。
 
「国産の半導体への切り替えを急いでいますが、2017年で国産化率は13・
4%ほどで、ハイエンド半導体は8割を輸入に頼っている状況です」
 渡邊氏がさらに説明を深めて解説を拡げる。

「国産化のために中国は半導体3社をつくりました。2009年に破綻したド
イツの半導体大手キマンダを継承した紫光集団(ユニ・グループ)配下の
『長江ストレージ』と『JHICC』。米マイクロン・テクノロジー傘下
の台湾科亜科技(イノテラ・メモリーズ)の技術者を大量に引き抜いて作
られた『RuiLi』です」。

だがうまくいっておらず、JHICCの新工場は建物が完成したが、操業
に到らず、引き抜いてきた台湾人エンジニアも引き揚げた(小誌でも、こ
のニュースは既報)。

ハイテク産業でも、企業倒産、工場閉鎖など決壊が方々で起こり、人民の
不安心理は異様に増幅している。

一帯一路も、いまでは「借金の罠」という認識を世界が共有するに到り、
中国の言い分を是としている国々は数えるほどしかなくなった。
 
自滅はいまや秒読みという点で2人の分析はほぼ一致する。
 
福島女史は、これらにくわえ、中国が建設もしくは建設中の原発がいずれ
事故をおこすだろうと不気味な予告をする。
 
日本は貿易戦争では勝ち馬に乗れとする重要な推奨を忘れない。溢れるよ
うな情報量は、新聞に載らないデータが多いため極めて有益である。

◆裁判員制度が始まって10年

櫻井よしこ


「国民が参加する裁判員制度が始まって10年 今後も欠点は修正しつつ成
熟することを願う」

国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まって5月で10年、感慨深いも
のがある。

5月21日の紙面で「読売新聞」が特集したが、その中の全国50の地方裁判
所所長へのアンケート調査では、全員が「裁判員裁判は刑事裁判に良い影
響をもたらした」と回答している。

「日本経済新聞」がやはり同日の紙面で報じた最高裁判所の調査では、裁
判員経験者の96%が裁判への参加を「良い経験だった」と評価している。

10年間で裁判員や補充裁判員を務めた人は9万人を超すが、最高裁刑事局
長の安東章氏は「一人ひとりが真摯に裁判に向き合ってくれた」と感謝し
た。皆真面目に責任を果たしてきたのである。

裁判員制度を導入すべきか否かが論争されていた10年以上前、裁判官とい
う裁判官は導入に反対だった。司法は変わらなければならない、もっと司
法を国民の側に近づけなければならないと考えていた人々の側にも迷いが
あった。法律の知識もないいわば素人に、刑事裁判で被告を裁く資格があ
るのだろうかという懸念である。その思いは私も共有していた。

このような思いは大多数の真面目な日本国民の、人を裁くということに対
する人間としての責任感の裏返しであり、自らの能力の限界を認識した謙
虚さの反映でもあったのではないか。

当時の司法の現実は厳しかった。裁判にはどう見てもおかしなことがあっ
た。『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)や『激突! 裁判員制度』
(WAC)などの著者である門田髀ォ(かどたりゅうしょう)氏は、山口
県光市の「母子殺害事件」の被害者、本村洋氏の思いを広く伝え、司法改
革の重要性を訴えた。

本村氏は1999年4月に、当時18歳だった犯人に、妻と幼い娘を絞殺され
た。愛する家族の命を無残に奪った犯人に、本村氏は極刑を望んだ。しか
し、山口地裁も広島高等裁判所も、犯人には「更生の可能性がないとはい
えない」として、死刑を回避した。

それは典型的な判例主義に他ならない。私は本村氏に複数回お会いし、数
時間話を聞いたが、氏は、「裁判官は相場主義に基づいて判決を下してい
る。それでは審理など必要ない」と厳しく批判した。

また、広島高裁判決後の記者会見では「古い判例に裁判所がいつまでもし
がみついているのはおかしい。時代に合った新しい価値基準を取り入れて
いくのが司法の役割だ」と語っている。この思いはやがて最高裁を動か
し、判例主義を超えた死刑判決が言い渡された(門田髀ォ(かどたりゅう
しょう)著『なぜ君は絶望と闘えたのか』新潮社)。

私にとって弁護士の岡村勲氏との出会いも非常に大切なものだった。氏は
代理人を務めていた山一證券に関する事案で男に逆恨みされ、妻を殺害さ
れた。自身が被害者になって初めて、いかに犯罪被害者が無視されていた
かに気づき、日本で初めて「犯罪被害者の会」を立ち上げ、司法改革の先
頭に立った。

司法は多くの面で改革を必要としていたのである。重要なことは、犯罪は
法律だけで裁いてはならないということだ。それは法を無視せよというこ
とではまったくない。むしろ、真の意味で法の精神を尊重せよということ
だ。法の執行に、人間の良識を反映させよということである。裁判員制度
が生まれ、法律の素人が裁判に参加し、自身の能力の限りを尽くし、良識
に従って誠実に、裁判員としての責任を果たした。その歩みが10年の歳月
を刻んだ。すばらしいことだ。

読売新聞のアンケートには、裁判の在り方が変わり「分かり易くなった」
「判決の説得力が増した」などの指摘がある。

国民参加の司法が法と正義に基づいて成熟していくために、裁判員制度を
支える社会の基盤を広げたい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月1日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1281

◆加齢疾病連発に悩まされた夏

石岡 荘十


今日書こう、明日こそはと思いながら、胸や背中を孫の手で掻くのに忙し
くて今日に至ってしまった。何の話か。すでに畏友毛馬一三氏が本誌で報
告しているように帯状疱疹“事件”の経緯についてである。

夏は、典型的な加齢疾病といわれる病につぎつぎと襲われ、悪戦苦闘した
3ヶ月だった。この間、私を襲ったのは帯状疱疹。発症から3ヶ月、やっと
終息にこぎつけたと思ったら今度は、加齢黄班変性といわれる眼球の疾病
である。これについては今なお加療の真っ只中であり、別稿で報告したい。

帯状疱疹の兆しが現れたのは6月の末のことだった。「夏バテ」というの
は夏だけの症状だと思われがちだが、気候の変化が激しい梅雨時や初夏に
も起こりやすい。

気温の乱高下に老体がついていけず、何もする気がしない。全身がともか
くけだるい。にもかかわらず梅雨明けの7月、以前からの約束もあって、
猛暑の中、秩父盆地のど真ん中にあるゴルフ場に出陣。疲労困憊、這うよ
うにして帰宅した。完全に体力を消耗していた。これが祟った。

思い返すと、その数日前すでに左胸の皮膚に違和感があり肋骨のあたりに
ピリピリ感があった。間もなく胸から左肩甲骨下にかけて赤い斑点がぽつ
ぽつ。ゴルフの後から左側の神経に沿って激痛が走るようになった。

にもかかわらず、まだ帯状疱疹とは気がつかず、市販のかゆみ止め軟膏
(レスタミン)を塗ったり、サロンパスの湿布を患部に張ったりして凌ご
うと試みていた。無知は恐ろしい。

そうこうしているうちに、赤い斑点は水ぶくれとなり、夜はベッドの上で
転々。背中を孫の手で掻きまくったものだから水ぶくれが破れ、かさぶた
へと変わったがかゆみと痛みは治まらなかった。

遂にたまらず、行きつけの病院の皮膚科に駆け込んだのはゴルフから3週
間を過ぎていた。

「帯状疱疹です。ずいぶん我慢強い方ですねぇ。もうかさぶたになり始め
ていますから、ペインクリニックに行きなさい」という。

帯状疱疹は、幼児に経験した水ぼうそうのウイルスが原因だ。ウイルスは
長い間体内の神経節に潜んでいて、加齢(50歳代〜70歳代)やストレス、
過労などが引き金となってウイルスに対する免疫力が低下すると、潜んで
いたウイルスが再び活動を始める。ウイルスは神経を伝わって皮膚に達
し、帯状疱疹として発症するとされている。

東京女子医大の統計によると、発疹する部位は、一番多いのが私のケー
ス。上肢〜胸背部(31.2%)、次いで腹背部(19.6%)、そして怖いのは
頭部〜顔面(17.6%)などとなっており、高校の友人が右顔面に発症。何
年か前のことだが、今でも顔面の筋肉がこわばっている。

最悪、失明をしたケースも報告されている。頚部〜上肢にも発症する。い
ずれの場合も体の左右どちらか一方に現れるのが特徴だ。

発症してすぐ気づき、すぐ適切な治療を受けた場合でも3週間は皮膚の痛
みや痒みが続く。痛みがやや治まってからも神経の痛みは容易に治まらな
い。数年間、痛みが消えなかったと言う症例もある厄介な加齢疾病である。

まして、私のケースは、初期治療のタイミングを逸した。その祟りで、い
まだにときどき、肋間や背中にピリピリと痛みが走る。

さて治療法である。皮膚科では坑ヘルペスウイルス薬を処方する。ウイル
スの増殖を抑える飲み薬で初期の痛みや痒みを抑える効果があるが、私は
そのチャンスを逃し、我慢強く無為に苦しんだ。

ペインクリニックでは、飲み薬と塗り薬を処方される。

【飲み薬】、

・鎮痛剤リリカプセル:今年4月、保健が適用されることとなった帯状疱
疹の最新特効薬だ。

・セレコックス:リリカカプセルが効かない場合に飲む頓服錠剤。炎症に
よる腫れや痛みを和らげる。
・メチコバール:末梢神経のしびれ、麻痺、痛みを改善する。

【塗り薬】、

・強力レスタミンコーチゾンコーワ(軟膏)

ペインクリニックでの治療5週間。月初旬にくすりの処方が終わった。発
症から3ヶ月の闘病であった。この間体力をつけようと金に糸目をつけず
美食に走った結果、太ってしまった。

毛馬一三氏がレポートしたとおりで、初動がこの病気治療の決め手で
ある。他山の石とされたい。



2019年06月02日

◆中国もブラックリストを作成

宮崎 正弘

令和元年(2019)6月1日(土曜日)通巻第6095号 

中国もブラックリストを作成し、米国のEL(エンティティ・リスト)に対抗
  同時に報復関税25%を宣告、関税戦争はエスカレート

5月31日、中国は米国からの輸入品に25%の報復関税を課すと発表、同
時に、「信頼できない企業」という独自のブラックリストを作成するとした。

他方、米国商務省は、およそ80社の中国企業と個人をテンティティ・リス
トとして発表しているが、ファーウェイ、ZTE、チャイナ・モバイルな
どのほか、半導体製造、ICチップなどが自製できないように、中国のビ
ルトイン・システムの破壊を狙ったものとして注目される。

ところが此のレベルではなく、米国はさらに品目と品種を限定するリスト
を作成中で、夏頃を目処に発表する。米国製部品を25%使った製品もしく
は半完成品を中国に輸出した場合、制裁が適用されるというシロモノで、
ローカルコンテンツ法の新バージョンとも言える。事実上、中国の完全な
締め出し、歴史的に見れば大東亜戦争前のABCD包囲ラインと酷似して
いる。

この段階で米国の究極的な狙いが明らかになった。

要するに中国の企図した「2025 MADE IN CHINA」を絶
対に阻むということで、法的準備は国防権限法の強化、輸出管理改革法、
外国投資リスク審査現代化法(CFIUS=の権限を強化する一環)でい
つでも応戦できる態勢は整っている。

日本のメディアはまだのんびりと「貿易戦争」というタームを多用して、
話し合いによって解決可能という展望を語っているが、根本的な間違いで
ある。
関税をかけあうレベルから、つぎは総合戦に移行するのである。
        

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 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1903回】         
 ――「民國の衰亡、蓋し謂あるなり」――渡邊(15)
渡邊巳之次郎『老大國の山河 (余と朝鮮及支那)』(金尾文淵堂 大正
10年)
 
             ▽

「利己的箇人主義の極度を發揮する」ものであり、「安逸、利得の外、何
ものもなく『明日の百より今日五十』を以て偸安的動物的生活に其日を送
りて平然」とし、栄耀栄華を満喫している者も貧乏人も同じように「今日
主義を以て其身の無事に滿足」している。

「財政紊亂、内訌續發、殆ど自ら手を下す能はざる状態にあり」、「今や
民國の状態は、滿清の末路にも劣ること遠い」からこそ、この国を救うた
めには「外人の力に待つのほかなかるべきは、必至の運命」だ。「支那は
終に列國共同管理(分割的委任統治の形勢を馴致すべき)の下に立つ形勢
を現に自ら提示しつゝあると斷ずるの外なし」。

だが「若し眞に支那人にして」、自民族の「愚を悟り、凋萎せる四千年來
の中華文明に新花を加へ、宗主的亞細亞民族たる權威を回復し、東西の長
所を調理して」、世界に対すべしとするなら、「宜しく鞏固なる中央的權
力を作り、同種の日本民族と結託して、眞劍的に徹底的革新を斷行し、敢
て歐米の離間的嫉妬的助言」を退けるべきだ。

確かに「支那人中往々米國に親しむべくして日本に近づくべからざるを信
ずるもの」がいないわけではないが、やはり「『血は水よりも濃し』、同
文、同種、融化の實久しき日支人は、同一亞細亞民族の性情より、又其地
理的利害より、到底爭ふ能はず、又離るべからざるなり」。このように
「日支兩國相信じて相提携し、同心協力、邁進して避けずんば何ものも之
を遮るものなかるべし」。
 
いまや「日本にして支那と強戳する時」であり、「靜に支那を改善し、東
西の文明を調和し、以て『大和保合』の綜合的世界文明を樹立するの使命
を果し得べ」きだ。確かに「温言を以て支那に近より來たる米國の如き警
戒すべき」だが、米国は決して「仁義の國」ではない。「他國の内亂を煽
動して之に乘じ、其國土を割いて自家の保護下し招致し、其内事に干渉し
て利權を占むる國」だ。そういわれれば21世紀の現在も「仁義の國」では
ない。

アラスカ、カリフォルニア、テキサス、ハワイ、フィリピン、プエルトリ
コ、キューバ、パナマ、メキシコを見るまでもなく、かつては「日本も亦
提督ぺルリの爲に沖縄を根據として侵略せられんとした」ではないか。そ
のうえ「自ら首唱したる國際聯盟に入ることを拒み、熾に陸海の兵備を張
るものは米國」ではないか。

こういう状況下で「日支兩國の内、一にして米國の命下に入」れば、「他
の一は自ら保つ能は」ず。この点を「支那たるものは深思」すべきだろう。

やはり「支那人が日本の援助によつて立つは今日を措いて復好機なからん
とす」。「支那の今日、日本によつて革新を全うせんとするは、自ら濟
ふ」だけではなく、「又白人の爲に奴隷の境遇に沈淪せる他の有色民族に
對する一大刺戟、一大奨勵たるべきなり」。

かくして渡邊は「吾々日本人としても亦大いに覺悟すべき所にあらずや。
帝國の使命は?重大にして前途の崎嶇愈多し」の一文を以て、『老大國の
山河 (余と朝鮮及支那)』を閉じた。
 
渡邊の主張を屋上屋を重ねたように引用したのは外でもない、「『血は水
よりも濃し』、同文、同種、融化の實久しき日支人は、同一亞細亞民族の
性情より、又其地理的利害より、到底爭ふ能はず、又離るべからざるな
り」といった類の、『アジア主義』の5文字で括ることができるような考
えが、じつは日本の針路を誤らせることに繋がったのではないのか、と思
うからだ。

はたして当時、日本では「日支兩國相信じて相提携し、同心協力、邁進し
て避けずんば何ものも之を遮るものなかるべし」などとマトモに信奉され
ていたのだろうか。「日支兩國相信じて相提携し」たことで、幸が日本に
もたらされたことなどなかったと思うが。《QED》
  
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★読者の声 ★READERS‘ OPINIONS ★どくしゃのこ 
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   ♪
(読者の声)靖国会事務局長、沼山光洋さんが令和元年5月11日早朝、
靖国神社前の道路上で自決されました。悲しみの極みです。

沼山さんを敬愛する私たち友人一同、このたび「沼山光洋さんを追悼し感
謝する集ひ」を執り行ひます。

沼山さんに「さやうなら」ではなく「ありがたう」をいふ集ひです。沼山
さんが好きだ!といふ方でしたら、どなたでもお越しになつてください。
1人でも多くの方々がお越しになられることを願ひ、謹んでご案内いたし
ます。
             記
【日時】  令和元年6月23日(日)午後1時より
【会場】  靖国会館(靖国神社内)
      なお、会費は不要です。「志」は受け付けます。
≪お願ひ≫6月23日は「沖縄慰霊の日」です。沼山さんは沖縄を強く意識
されてゐました。お越しくださる皆さんは、集ひの前または後に靖国神社
に参拝してください。

全てのご祭神はもちろんですが、この日は特に沖縄防衛のため命を捧げた
方々に心をお寄せください。

沼山さんは民族派、保守派を問わず、多くの運動に獅子奮迅かつ東奔西走
の活躍をされました。しかし自分の名前を表に出すことを遠慮され、裏方
や黒子に徹しました。

沼山さんの姿勢を見習ひ、集ひは委員長とか代表とかの役職を設けず、個
人名を連記することなく、「友人一同」として執り行ひます。私たちの真
情をご理解ください。

お花などは拝受いたしますが、ご尊名などの名札は外させていただきま
す。ご無礼の段あらかじめご容赦ください。

会館には公共の交通機関を使つてお越しください。万が一、お車をお使ひ
になる場合は、靖国神社の外苑にある有料駐車場に駐車してください。
平服でお越しください。

靖国神社へのお問ひ合はせは絶対に差し控へてください。またご遺族は心
痛かつ心労が激しいですので、ご遺族へのお問ひ合はせなどもご遠慮くだ
さい。お問ひ合はせなどは下記までご連絡くだされば、できる限り対応い
たします。

携帯電話 090-2622-4242(三澤)
メール miego315nippon1momotaro@docomo.ne.jp

私たち友人一同、沼山さんにのみ、ま心を尽くして集ひを執り行ひます。
もちろん靖国神社への礼儀、ご遺族への配慮は弁へてゐます。

しかし当日お越しくださいます皆さんにまでは配慮する余裕はありませ
ん。皆さんには不行き届きなことが多々あるかと存じますが、ご海容くだ
さい。
以上、ご案内いたします。(友人一同)

◆100万円は100g

渡部 亮次郎


こんな事をご存知ですか。1000万円は1000gつまり1Kgである。
だから1億円は10Kg。とても持ちきれない。車で運ぶしかない。

金大中拉致事件を田中角栄政権が「政治的に」解決した時、「お礼」とし
て、当時の「日本担当閣僚」が目白の田中邸に買い物袋2つに
現金を詰めて運んだ。

買い物袋に入る重さの限度はどのくらいだろう?5Kg=5000万円が限界
じゃないか。閣僚は袋を両手に下げて「1つは奥様へ」といったら角さん
は「そうか大平君(外務大臣)だね」と答えたという。

この話は閣僚を案内した田中後援会の幹部が月刊誌「文芸春秋」で披露し
て私を驚かせたが、世の中にはあまり評判にならずに終わった。角さんが
「色紙を書こうか」と言った。領収書代わりである。

だが閣僚は不要と答えた。大平外相に渡ったかどうかは知る由も無いが、
角さんが猫糞するような人ではなかったことは確かである。

ところで紙幣を重さで量る話は田舎の県会議員なんかを相手にした時は出
るわけもない。やはり中央の政界である。私に教えたのは政界の、それも
実力者と言われる人物だった。

政界と言うところは人にカネを掴ませる時は確実に現金を掴ませる。小切
手なんかではない。それも新聞紙にくるんだり、買い物袋に入れて渡すの
が普通だ。相手がかしこまらないよう、気を遣うわけだ。

石橋湛山政権の出来るときが現金買収のはじめと言われているが、
昭和30年代前半のあの頃は精々100万単位だった。それを10倍にしたのが
角福戦争といわれた田中角栄対福田赳夫による昭和47年の自民党総裁選挙
だった。

しかし、福田は現金は全く使わず、使ったのは専ら角さんといわれた。
1000万円はサントリーだるまの空き箱に納まるといわれた。

現在の政界ではこうした話は無縁。ただ1人知っているのは小沢一郎であ
る。目方で量る話も知っているはず。角栄、金丸信の教育である。文中敬
称略  2011・1・24


◆「青い山脈」の頃

渡部 亮次郎


恥かしい話を書く。多分生まれて初めて観た劇映画が「青い山脈」であ
り、昭和26(1951)年の早春、新制中学を卒業寸前の15歳、教師引率で、町
の映画館で観た。

もちろん白黒。公開されて既に2年経っていたらしいが、それは今になっ
て調べて分かった事。町と言いながらド田舎だったのである。

昭和の御世。15歳まで映画も観られなかったとは万事、貧しかった。
もっとも戦争中は見ようにも映画が製作されてなかったらしい。

映画「青い山脈」(あおいさんみゃく)は石坂洋次郎原作の日本映画。
1949年・1957年・1963年・1975年・1988年の5回製作されたが最も名高い
のは1949年の今井正監督作品である。私の観たのがこれだ。

主題歌の『青い山脈』は日本映画界に於いて名曲中の名曲ともいえる作品
で、過去の映画を紹介する番組などでは定番ソングともなている。2007年
10月24日のラヂオ深夜便で久しぶりに聴いたので映画の事を思い出したの
である。

西條八十(やそ)作詞、服部良一作曲の名曲。映画を見たことが無い人でも
歌だけは歌える人が多い。また映画ではラブレターで「戀(恋)しい戀し
い」というところを「變(変)しい變しい」と誤記してしまうエピソード
は大いに笑わせた。

長編小説『青い山脈』は1947年に「朝日新聞」に連載。

東北の港町を舞台に、高校生の男女交際をめぐる騒動をさわやかに描いた
青春小説。また、民主主義を啓発させることにも貢献した。

私は新憲法は中学生ながらに全文を読んだが、民主主義の実際については
「青い山脈」に教えられた。

1949年に原節子主演で映画化され、大ヒットとなった。その3ヶ月前に発
表された同名の主題歌も非常に高い人気を得た。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

石坂洋次郎(いしざか ようじろう 1900年1月25日―1986年10月7日)は、
小説家。青森県弘前市代官町生まれ。戸籍の上では7月25日生まれになっ
ているが、実際は1月25日生まれ。

弘前市立朝陽小学校、青森県立弘前中学校(現在の青森県立弘前高等学校
の前身)に学び、慶應義塾大学国文科を卒業。1925年に青森県立弘前高等
女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)に勤務。

翌1926年から秋田県立横手高等女学校(現在の秋田県立横手城南高等学
校)に勤務。1929年から1938年まで秋田県立横手中学校(現在の秋田県立
横手高等学校)に勤務し教職員生活を終える。

『海を見に行く』で注目され、『三田文学』に掲載した『若い人』で三田
文学賞を受賞。しかし、右翼団体の圧力をうけ、教員を辞職。戦時中は陸
軍報道班員として、フィリピンに派遣された。

戦後は『青い山脈』を『朝日新聞』に連載。映画化され大ブームとなり、
「百万人の作家」といわれるほどの流行作家となる。数多くの映画化、ド
ラマ化作品がある。

他に、『麦死なず』『陽のあたる坂道』『石中先生行状記』『光る海』など。

「青い山脈」では作者は青森県立弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中
央高等学校)の教師であった。当時疎開中の女子学生達から聞いた学校生
活をこの小説の題材にしたと思われる(「東奥日報」2005年8月15日新聞
記事による)。

この記事は間違っている。現在の青森県立弘前中央高等学校の教師であっ
たのは1925年(大正14年)であって「当時疎開中の女子学生達」とは何の
ためにどこから疎開してきたのか。東奥日報の我田引水もいい加減にしろ。

閑話休題。1949年版映画のスタッフ。監督:今井正、脚本:今井正、井手
俊郎、音楽:服部良一。作曲を電車の中で、数字で作曲していたら、折か
らの闇物資を売買する闇商人に間違えられた、という作り話のようなエピ
ソ−ドがある。

主なキャスト 島崎先生(女学校の教師):原節子、沼田校医:龍崎一郎
、金谷六助(旧制高校生):池部良、寺沢新子(女学生):杉葉子、 ガン
ちゃん(旧制高校生):伊豆肇、 笹井和子(女学生):若山セツ子、梅太
郎(芸者):木暮実千代だった。

2007年、『映画俳優 池部良』が出版される。2007年2月、東京池袋の新
文芸座のトークショーにて、その本の編集者から「青い山脈の時に31歳で
したが…」と池部が質問され、

実は1916年生まれで当時33歳なのに『青い山脈』の18歳の高校生の役を
渋々受けたことや原節子先輩からガリガリに痩せていたため「豆モヤシ」
という迷惑なあだ名をつけられたり、原節子の尻をデカイと本人の目の前
で口を滑らせたために 張り手を食らいそうになったりといったエピソー
ドを話している。

「ウィキペディア」による誕生日は1918年2月11日(建国記念の日)89歳
 血液型B型となっているが、池袋の新文芸座のトークショーでの「実は
1916年生まれ」だとすると92歳(2008年6月現在)になってしまう。映画俳
優協会の理事長としてご活躍中ということで不問にしよう。

この作品は藤本プロと東宝の共同作品となっている。著作権の保護期間が
終了したと考えられることから現在激安DVDが発売中(但し監督没後38年以
内なので発売差し止めを求められる可能性あり)。出典: フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』

この映画を観た当時は大東亜戦争の敗戦から未だ6年。人口数千人の町に
よく劇場があったものだが、小中学生の映画鑑賞は禁じられていたし、カ
ネも持っていなかったから観たいとも考えなかった。

出来て間もない中学校では野球に夢中。3年になったら主将に指名され
た。投手で4番打者。校舎の中では生徒会長でもあったから忙しかった。
家では教科書を広げる事はなかった。

中学校も間もなく卒業という春、秋田は3月と言っても当時は雪の降る日
があった。ゴム長靴にアメリカ軍払い下げのオーバーを着て寒さに耐えな
がらの映画鑑賞。

生まれて初めて観る映画だったはずだが、あらすじも画面も、未だに思い
出せるところをみると興奮はしていなかったようだ。後年、父親を映画に
誘ったら「暗くて厭だ」との感想。

明るくとも見える映画といえるテレビがド田舎にも普及したのは「青い山
脈」を見てから10年以上経っていた。ましてあの頃、テレビ会社(NHK)に入
社(記者)するとは夢にも思わぬことだった。

恥かしくて退屈な思い出話。御退屈様。2007・10・25執筆


              

◆名所旧跡だより 犬山城

〜愛知県犬山市〜
石田 岳彦(弁護士)

「現存12天守」なる言葉をご存知でしょうか。
 
昭和以降、鉄筋コンクリートで再現された天守閣のレプリカ(?)は全国各地に数あれど(天守閣が建てられた歴史的事実がない城跡にまで建てるのはさすがにいかがなものかと思います。)、江戸時代以前の本物の天守閣が残っている城は全国に12しかありません。

これを総称して「現存12天守」と呼ぶことがあります。

12の城は、弘前城(青森県・弘前市)、松本城(長野県松本市)、犬山城(愛知県犬山市)、丸岡城(福井県丸岡町)、彦根城(滋賀県彦根市)、姫路城(兵庫県姫路市)、備中松山城(岡山県高梁市)、松江城(島根県松江市)、丸亀城(愛媛県丸亀市)、松山城(愛媛県松山市)、宇和島城(愛媛県宇和島市)、高知城(高知県高知市)です。

このうち、松本城、犬山城、彦根城、姫路城の4城の天守閣が国宝に指定され、残り8城では重要文化財に指定されています。

今回はその国宝4天守の1つ、犬山城のお話です。

愛知県犬山市の木曽川の河畔の丘の上に聳え立つ犬山城は、その立地から、「白帝城」(オリジナル白帝城は長江流域の丘上にある城で、三国志の主人公である劉備玄徳が諸葛孔明に後事を託して亡くなった城として有名です)とも呼ばれているそうです。

荻生徂徠(江戸時代、徳川綱吉の時代の学者。赤穂浪士の処分について切腹にすべきとの意見を述べ、採用されたことで有名ですね。)の命名ということなので、年季が入っています。

なお、横を流れている木曽川がライン川と似ているとのことで、木曽川の川下りは「日本ライン下り」という名称で興業されています。つまり、日本のライン川の河畔に、日本の白帝城が建っているということですね。少しは統一を図るべきだと思いますが。

犬山の地は尾張と美濃の国境にあるという戦略上の要衝であり、古くから城が築かれていたようですが、支配者もまた頻繁に変わり、最終的には、江戸時代に入って、御三家の筆頭である尾張徳川家の付家老成瀬家が城主になり、明治に至りました。

付家老というのは、御三家等に対し、将軍の直々の命により付けられた家老で、幕府からのお目付け役的な側面もあり、藩内での立場はかなり複雑だったようです。

明治以降も長く成瀬家が個人で所有していて、「個人所有のお城」ということでも有名でしたが、近年になり、さすがに維持が困難になったようで(相続税が恐ろしいことになりそうです)、現在、城は財団法人の所有となっています。

天守閣が建てられた時期については幾つか説があるようですが、増築によって今の形になったのは1620年ころということでした。
 
名古屋鉄道・犬山遊園駅を出て、正面に犬山城を見ながら、木曽川沿いの道を行きます。後述する有楽苑の横を通り、城の建つ丘に登ります。丘の下方は神社の境内になっていて、参道の階段を登って上へと進むと間も無く天守閣です。


犬山城にとって惜しむべきは、廃藩置県の際、多くの建物が破棄されてしまい、また、堀も大部分が埋められていることです。

城跡の歩き方といえば、堀に沿って歩き、橋を渡って城内に入って、幾つもの門をくぐり、所々で折れ曲がる道を登るという過程を経て、徐々に気分が盛り上がってきたところに本丸の天守に到着というのが理想です。が、犬山城の場合、近年になって天守付近の門や櫓の復元が行われているようですが、駅から天守閣に到達するまでの間には、城らしさを味あわせてくれるお堀、石垣、土塁といった構造物は残っていません。

お堀や石垣どころか、主要な建造物の大半が健在の姫路城は勿論、天守閣の他に幾つかの櫓と2重の堀が残っている彦根城に比べると寂しさは否めません。

それはさておき、入り口で靴を脱いで天守閣に登ります。犬山城に限らず、初めて「本物」の天守閣に登った方(なお、現存12天守は修復工事中の場合を除き、基本的に常時公開しています。)は、少なからず、愕然とするかと思いますが、天守閣の中は基本的に空っぽで、飾り気の欠片もありません。

犬山城の場合、一応、内部の壁も漆喰で塗られていて、畳敷きの部屋も一部ありますが(現存12天守の中には全層が板壁・板床というところもありました。)、豪華な装飾画などというものは皆無です。

織田信長の安土城や豊臣秀吉の大阪城の天守閣は、城主の住居として使われていて、狩野永徳に襖絵を描かせる等、内装にもかなり凝っていたようですが、安土桃山時代末期から江戸時代初期に立てられた城の天守(現存12天守はこの時期の建造です。)は、城主の権威を示すシンボルではあるものの、実際の用途という面では、主に倉庫として使われていたといわれています(城主は城内の御殿に住んでいました。

二条城の二の丸御殿を思い浮かべていただくと分かり易いかと。確かに4、5階建ての天守閣を毎日上り下りしながら暮らすのは大変でしょうからね。)。

さすがに「空っぽの倉庫」状態では物足りないので、天守の中に、鎧兜、刀、城の柱組みの模型等の資料を飾ったケースを並べたり、城の歴史や日本各地の城に関するパネルを設置したりといった努力もなされていますが、外観の華やかさに比して、味気ない内部です。

壁際に設けられている石落し等が、天守が(実際の運用は兎も角として)単なる倉庫ではなく、あくまで軍事施設であることを示しています。


最上階からの眺めは、月並みですが絶景です。平野の中の小高い丘の上、すぐ隣が木曽川というロケーションの勝利ですね。今のように高層建造物の少なかった昔において、高楼から遠方の眺めを楽しむというのは権力者の特権だったのでしょう。


さて、犬山城の麓には有楽園という庭園があります。名鉄犬山ホテルの施設の1つという扱いのようですが、一般にも公開されています(有料)。この庭園は、織田信長の弟である織田有楽が建てた茶室如庵(国宝)を中心に設計された日本庭園です。  

織田有楽は、本能寺の変で二条城に篭城した際には信忠(信長の長男で跡継ぎ)に切腹を勧めつつ、自分はちゃっかり脱出したり、大阪の陣の際も、淀殿の叔父(淀殿の母は、信長の妹のお市の方です)として豊臣方に世話になっていながら、直前になって城を脱出し、徳川方に転がり込んだりと(淀殿の妹のお江の方が2代将軍秀忠の正室でしたので、こういう芸当も可能でした。)、

波乱に富んではいるものの、美しいとは言い難い人生を歩んだ人物ですが、茶人としては高名です。

国宝に指定されている茶室は、千利休の建てた待庵(京都府大山崎町の妙喜庵という寺院の中にあります)、大徳寺龍光院の密庵(京都市)の他はこの如庵だけなので極めて貴重な茶室といえます。

この茶室は、当初、京都にあったのを三井財閥に買い取られて、神奈川県大磯に移され(写真で見ましたが、大型トラックに茶室が丸ごと載せられて移動する姿は異様で、思わず、笑えてきました。)、更に名鉄に買われて、現在地に移築されました。

年に数回程度、特別公開で茶室の中にも入れますので、興味のある方は有楽苑のホームページを小まめにチェックしてください。


犬山には、他にもかの明治村があり(汽車、市電、乗り合い馬車が走っていて乗ることができたり、明治時代のレシピの洋食屋や牛鍋屋で食事ができたりと、単に古い建造物を集めた資料館ではなく、明治時代を体験できるテーマパークという性格になってきました。)、お猿専門の動物園である日本モンキーセンターがあります(ニッチな商売です)。

1泊2日くらいでゆっくりと見てみたい町です(ゆっくり見て回るなら、明治村で丸1日、犬山城と有楽苑で半日というところでしょうか)。終 再掲

◆裁判員制度が始まって10年

櫻井よしこ



「国民が参加する裁判員制度が始まって10年 今後も欠点は修正しつつ成
熟することを願う」

国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まって5月で10年、感慨深いも
のがある。

5月21日の紙面で「読売新聞」が特集したが、その中の全国50の地方裁判
所所長へのアンケート調査では、全員が「裁判員裁判は刑事裁判に良い影
響をもたらした」と回答している。

「日本経済新聞」がやはり同日の紙面で報じた最高裁判所の調査では、裁
判員経験者の96%が裁判への参加を「良い経験だった」と評価している。

10年間で裁判員や補充裁判員を務めた人は9万人を超すが、最高裁刑事局
長の安東章氏は「一人ひとりが真摯に裁判に向き合ってくれた」と感謝し
た。皆真面目に責任を果たしてきたのである。

裁判員制度を導入すべきか否かが論争されていた10年以上前、裁判官とい
う裁判官は導入に反対だった。司法は変わらなければならない、もっと司
法を国民の側に近づけなければならないと考えていた人々の側にも迷いが
あった。法律の知識もないいわば素人に、刑事裁判で被告を裁く資格があ
るのだろうかという懸念である。その思いは私も共有していた。

このような思いは大多数の真面目な日本国民の、人を裁くということに対
する人間としての責任感の裏返しであり、自らの能力の限界を認識した謙
虚さの反映でもあったのではないか。

当時の司法の現実は厳しかった。裁判にはどう見てもおかしなことがあっ
た。『裁判官が日本を滅ぼす』(新潮社)や『激突! 裁判員制度』
(WAC)などの著者である門田髀ォ(かどたりゅうしょう)氏は、山口
県光市の「母子殺害事件」の被害者、本村洋氏の思いを広く伝え、司法改
革の重要性を訴えた。

本村氏は1999年4月に、当時18歳だった犯人に、妻と幼い娘を絞殺され
た。愛する家族の命を無残に奪った犯人に、本村氏は極刑を望んだ。しか
し、山口地裁も広島高等裁判所も、犯人には「更生の可能性がないとはい
えない」として、死刑を回避した。

それは典型的な判例主義に他ならない。私は本村氏に複数回お会いし、数
時間話を聞いたが、氏は、「裁判官は相場主義に基づいて判決を下してい
る。それでは審理など必要ない」と厳しく批判した。

また、広島高裁判決後の記者会見では「古い判例に裁判所がいつまでもし
がみついているのはおかしい。時代に合った新しい価値基準を取り入れて
いくのが司法の役割だ」と語っている。この思いはやがて最高裁を動か
し、判例主義を超えた死刑判決が言い渡された(門田髀ォ(かどたりゅう
しょう)著『なぜ君は絶望と闘えたのか』新潮社)。

私にとって弁護士の岡村勲氏との出会いも非常に大切なものだった。氏は
代理人を務めていた山一證券に関する事案で男に逆恨みされ、妻を殺害さ
れた。自身が被害者になって初めて、いかに犯罪被害者が無視されていた
かに気づき、日本で初めて「犯罪被害者の会」を立ち上げ、司法改革の先
頭に立った。

司法は多くの面で改革を必要としていたのである。重要なことは、犯罪は
法律だけで裁いてはならないということだ。それは法を無視せよというこ
とではまったくない。むしろ、真の意味で法の精神を尊重せよということ
だ。法の執行に、人間の良識を反映させよということである。裁判員制度
が生まれ、法律の素人が裁判に参加し、自身の能力の限りを尽くし、良識
に従って誠実に、裁判員としての責任を果たした。その歩みが10年の歳月
を刻んだ。すばらしいことだ。

読売新聞のアンケートには、裁判の在り方が変わり「分かり易くなった」
「判決の説得力が増した」などの指摘がある。

国民参加の司法が法と正義に基づいて成熟していくために、裁判員制度を
支える社会の基盤を広げたい。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月1日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1281

2019年06月01日

◆中国の社債起債は1兆ドルを超えていた

宮崎 正弘


令和元年(2019)5月31日(金曜日)通巻第6094号 

 中国の社債起債は1兆ドルを超えていた。企業債務はGDPの155%
  海外送金、ついに2000ドルが上限となっていた

中国中央銀行の幹部だった人間が、海外留学の子供に送金しようと銀行に
行くと、「あなたは65歳以上ですので、1回の送金額上限は2000ドルま
で、です」と言われた。従来は、留学生への送金は1回3万ドルまで可能
だった。
 
北京駐在の日本人も、帰国しようと銀行へ行けば、「えっ、預金が下ろせ
ない」という異常な外貨制限に巻き込まれる。外国人に対しても、「ひと
り1年に5万ドルまで」という厳しい制限、じつは3年前から実施されて
いる。外貨準備高が急減しているため、外貨の持ち出しには警戒ランプが
灯ったからだ。

中国の表向きの外貨準備は3兆1000億ドル。対外債務を差し引き、さらに
過去の外貨流失を勘案すると、事実上ゼロに近く、さらに輸出が減って輸
入が増えているが、この状況が続けば、やがて外貨は底をつく。

「したがって人民元の為替レートは決壊するだろう」とするのは、従来小
誌が予測してきたシナリオだが、いまや中国にいる金融専門家の殆どが口
を揃えている。

社債の起債は2018年度に1兆ドルに達していた。つまり資金をドル建て
で、外国の金融市場から調達するほどの窮状に陥っているのだが、すでに
債権市場は中国社債に対して2%以上のチャイナプレミアムをつけている。

中国企業の社債は2015年が7740億ドル、17年が9270億ドルだったから、急
速に膨らんでおり、ナンバーワンのアリババさえ、ちかく香港市場で200
億ドルのIPOを行う予定という。
 
社債のパンク、株式暴落、そして不動産市場の大暴落が足音立てて近付い
てきた。
         
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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2035年には男子の3分の1、女子の5人に1人が未婚となるようだが、
それでは甲子園の野球大開は地区大会さえ開催できなくなる。

  ♪
河合雅司『未来の透視図  ――目前に迫るクライシス2040』(ビジネス社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

おそるべき未来図、2035年には男子の3分の1、女子の5人に1人が未婚
という状況が訪れ、甲子園は地区大会さえ開催できなくなる。「出産可能
な女性が消えていく」という、真っ暗闇がやってくる。

日本女性の未婚状況は、いずれ国を滅ぼしかねない。
 
かくして「日本消滅のスケジュール」が本書で示された。河合雅司氏が未
来を透視すると、こういう地獄が控えているようだ。
 
生活インフラを透視しても「美術館」が消え、ER(緊急病院)があちこ
ちで消え、そして町から銀行が消え、向こう三軒両隣が空きやとなる。現
実に現代日本の地方都市、田舎へ行けば駅前はシャッター通り、廃屋に近
い空き家が数百万軒あり、昼でも町がしーんとしている。

公園はあっても、遊んでいる子どもがいない。早朝の公園は老人達のラジ
オ体操組がちらほら。過疎の農村では村の鎮守のお祭りも開けず、神社は
廃り、孤独な老人が寝ている。

介護現場も、居酒屋も、コンビニも建築現場も顕著なほどに人出が不足
し、昨今は深刻な労働者不足を補おうと外国人の呼び込みに懸命だ。すで
に令和元年現在、日本にいる外国人は270萬人。これは未曾有の異常事態
ではないのか。

ところが、2040年には少子高齢化ではなく、「無子高齢化社会」となる。
こういう暗鬱な社会がまもなく出現し、介護労働者は払底する。火葬場は
満員となり、そのうち葬式の面倒をみる人材もいなくなる。

評者(宮崎)は、この悲観的未来透視シナリオを提示する、本書を読みな
がら、じつは180度異なることを考えていた。

なぜ子供を産んで増やそうとしなくなったのか。それは未来の夢を描くな
くなり、情感の希釈化、情緒の不在であり、共同体の喪失感からきている
のではないのか。

かつての日本には精神的絆で固く結ばれた共同体があり、全員が参加する
人生。農村であれ、漁村であれ、或いは貝の加工、或いは翡翠の鉱山集落
であれ、日本人の起源である縄文時代にはこうした心配事はなにもなかった。

この基本的な生活スタイルは江戸時代まで続いた。

伝統的コミュニティでは、現代人のなやむイジメ、引き籠もり、生涯独
身、少子高齢化などという問題はなかった。ストレスも少なく、突然切れ
て、保育園児を殺傷したり、通行人を刺したりという事件は稀だった。

もちろん「中学お受験」もなければ入試地獄もなければ、まして現代の科
挙といわれる東京大学法学部エリートの主知主義で、国家が運営されると
いうおかしな国家でもなかった。

たとえば縄文時代、集落の全員が、お互いに助け合い、徹底的に面倒を見
合った。

縄文集落の代表例である三内丸山遺跡では、30人ほどが一つの屋根の下で
一緒に暮らした竪穴住居が再現されているが、その建築技術の見事さには
誰もが舌を巻くだろう。共同作業で分担し合い、木材の伐採、調達、運搬
から、資材の組み立て、わらぶき屋根、部屋の中の祭壇つくりまで、全員
参加のコミュニティがあった。

だからお祭りが尊重され、祭祀が恒常的に営まれ、精神の紐帯が強固だった。

縄文集落の典型とされる三内丸山遺蹟の規模は五百人前後だったと推定さ
れ、集落にはまとめ役の長(おさ)がいて、春夏秋冬の季節に敏感であ
り、様々な作業を分担し合い、クリ拾い、小豆の栽培、狩猟、漁労はチー
ムを組んだ。各々の分担が決められ、女たちは機織り、料理、壷つくり、
食糧貯蔵の準備、そして交易に出かける斑も、丸木舟にのって遠く越後ま
で、黒曜石や翡翠を求めて旅した。

縄文の社会には「保険」もなく、医者もおらず、幼児死亡率は高かった
が、適者生存がダーウィンの言う人間社会、動物社会の原則であり、むし
ろこの大原則を忘れての偽善の平和、ばかしあい、生命装置だけの延命、
植物人間だらけの病人という末期的文明の生態はあり得なかった。

だからこそ人間に情操が豊かに育まれ、詩が生まれ、物語が語り継がれた
のだ。

ましてや待機児童とか、老老介護、生涯独身、孤独死などとはほど遠い、
理想的な助け合いコミュニテイィが存在し、平和が長く続いた。

縄文時代の1万数千年間、日本では大規模な戦争はなく、その証しは集落
跡から発見された人骨から、刀傷など戦争の傷跡はなく、障害者の人骨も
出てきたため集落全体が福祉のシステムであって、面倒を見合っていたこ
とが分かる。

或る人口学者は縄文最盛期の人口を26萬人と推計し、気象状況もしくは地
震、津波、寒冷化などによる飢餓で2万人にまで激減したこともあるとし
たが、現代日本に当てはめると、1億2000万が1000萬人になるようなこと
がおきたのだろう。

やがて弥生時代という新しい、闘争社会がやってきた。渡来人がコメの栽
培技術とともに流入し、日本に稲作が普及するが、この弥生時代から富の
分配をめぐって、集落ごとの喧嘩、出入り、暴力沙汰、戦争が始まり、日
本は一面で殺伐として社会となる。

この寓話は何を意味するか。

労働者不足だからと言って闇雲に外国人労働者を入れるという政治のパッ
チワークが国家百年の大計画に基づくとは、とても考えられない。

したがって問題は何か。解決策は奈辺にあるのか。

それは子供を増やすという古来から人間が自然に営んできた健全な社会に
戻すことである。それも児童手当とか、保育所の充実とかの修繕的な対応
ではなく、基本的、抜本的取り組み、それは女性が子供を産み、増やした
いという人類の基本の欲求が自然に起こるような社会の実現だろう。

男は男らしく、女は女らしく、強い男性の子供を産みたいという女性、生
きて行くための食糧確保を一等優先して考える発想、まわりが皆、子供の
成長を助けあう、縄文時代の思考、生活のパターン、人生のスタイルを取
り返すことから、始まるのではないのか。

◆敗訴していた創価学会

渡部 亮次郎


公明党が初めて衆議院に進出した時から、委員長を20年近く務めたのは国
鉄マン出身の創価学会員 竹入義勝氏。政界引退後の1996年、天皇陛下か
ら勲1等旭日大綬章を受けたのをきっかけに創価学会から糾弾されるよう
になった。

叙勲を機に朝日新聞の要請に応えて連載した「回顧録」で公明党と創価学
会の関係は「政」「教」一致であったことを赤裸々に暴露したことが創価
学会・公明党の逆鱗に触れた。

以来10年間、創価学会は機関紙「聖教新聞」で非難し続けた末、2006年5
月19日、公明党は「内部調査により、竹入が公明党委員長在職中の1986年
7月に自分の妻へ送った指輪の購入代金を公明党の会計から支出し着服横
領した」として、総額550万円の損害賠償を求める民事訴訟を東京地方裁
判所に起こした。

翌日には、創価学会の機関紙『聖教新聞』において提訴が大々的に報道さ
れ、提訴後も同紙には折に触れて横領を非難する記事が掲載された。

しかし2008年3月18日、東京地裁は「党の会計から私的流用したとは認め
られない」として請求を棄却。判決文では「横領したという当時は衆参同
日選の最中で、党トップの竹入氏が秘書や警護官もともなわずにデパート
で夫婦そろって高価な指輪を購入するのは不自然」と指摘。

その上で、購入した指輪の具体的な種類や形状が特定されていないことな
どを理由に、流用の事実は認められないとした。公明党側は即日、東京高
等裁判所に控訴した。

2008年12月4日に「互いを誹謗中傷せず、竹入が遺憾の意を表明した場合
は党側が控訴を取り下げる」との条件で和解が成立した。
学会側の事実上の敗訴であった。

この事件について、創価学会の機関紙『聖教新聞』は、着服横領事件を複
数回報道していたが、判決後も竹入との和解条項の全容は公表していない。

しかも一般のメディアも一切報じていない。この事実を明らかにしている
のは「ウィキペディア」だけである。それだけマスコミはいまや創価学
会・公明党に、広告料、コマーシャル料を通じて支配されている事を証明
している。NHKも聴取料不払いで脅されればひとたまりも無い。

創価学会・公明党は後継委員長だった矢野絢也氏苛めも何年も前から開
始。公明党元国会議員らが矢野氏の自宅に上がりこんで手帳を持ち去った
などの奇怪な出来事を巡り訴訟の応酬となった。

2005年、公明党の元国会議員である伏木和雄、大川清幸、黒柳明の3人
が、『週刊現代』に掲載された記事で矢野の手帳を強奪したかのように報
じられ名誉を傷つけられたとして、同誌発行元の講談社および同誌編集長
と、記事に実名でコメントを寄せた矢野らを訴えた。

この裁判で東京地方裁判所は2007年12月、原告側の主張を認め、講談社と
矢野の行為が名誉毀損に当たるとして同社と矢野に総額660万円(内330万
円につき矢野と連帯)の損害賠償金の支払いと、同社側、矢野それぞれに
謝罪広告の掲載を命じる判決を言い渡した。

同裁判には、矢野が3人に対して自身の手帳の返還を求める訴訟も併合さ
れていたが、同判決は「被告矢野は、原告らの求めに応じ、自らの意思に
基づき、本件手帖等を交付し、被告矢野宅内を案内したことが認められ」
と請求を棄却。矢野は上告した。

2009年9月1日、最高裁判所第3小法廷は、週刊現代による伏木・大川・黒
柳3人への名誉毀損は認めず逆に矢野のプライバシーの侵害である旨の主
張を認め、持ち去った手帳の返却と300万円支払いを3人に命令した東京高
等裁判所判決を支持、上告を受理しない決定を下した。これもマスコミは
報道していない。

創価学会は2度までも裁判に敗れてしまった。しかもマスコミはそれを報
道しない。

「週刊文春」2009・10・1によると、
<秋谷栄之助会長の時代は、創価学会は矢野氏との関係を上手にコント
ロールしていた。「ところが数年前、体調を崩し入院していた池田大作名
誉会長が退院後、自分が不在でも問題なく組織が運営されていたことで、
秋谷氏を遠ざけるように。

そして池田氏に追従する幹部たちが矢野問題を荒立て手てからおかしく
なった(学会幹部)。

秋谷氏は06年に会長を解任された。「後任の原田稔会長は選挙実務に疎
く、実質的に池田氏が采配している」(同前)が、公明党の比例区の得票数
は、秋谷会長時代の05年衆院選(898万票)をピークに凋落の一途。衆院
選の惨敗は「池田神話」の崩壊とも言えるのだ。

そこへ創価学会が「仏敵」としてきた矢野元委員長への叙勲を民主党の有
力議員が、内閣府に働きかけていることが明らかになった。

「仏罰論」の矛先は、今や創価学会・公明党自身に向かいかねない雲行き
となっている>。出典「ウィキペディア」2009・09・09・26