2019年06月16日

◆習近平、来日キャンセルの可能性

宮崎 正弘

令和元年(2019)6月14日(金曜日)弐 通巻第6111号 

 習近平、来日キャンセルの可能性。G20大阪
 香港の抗議行動弾圧に世界が抗議、孤立深める中国にペンス演説が追い
打ちへ

「香港騒乱」とでも言うべきか。雨傘革命を超える参加者。容疑者の中国
送還合法化への法律改正に反対する抗議の人並みは100万人。

香港返還いらい最大の動員となったのも、香港住民の切羽詰まった危機
感、将来への不安感の表れであり、げんに香港の未来を絶望し、バンクー
バーへ舞い戻った香港人の数、数万という。

容疑者引き渡しの法改正をめぐり、中国送還を合法化しようとする林鄭行
政長官ならびに立法府の親中派に対して、民衆は抗議デモで応じた。つい
に議会は開かれず、また法案の成立が不透明となった。抗議行動は引き続
き、警官隊と衝突し多数の負傷者と逮捕者を出した。

抗議側がひるまずに行動を続けるのは、香港の自治が完璧に失われる怖れ
が強く、謂わば香港住民にとって生死をかけた戦いである。

深センに戦車隊が入ったとか、警官に襲いかかるのは中国国家公安部のヤ
ラセとか、様々なニュースが飛び交っているが、国際的な反響は悉くが中
国に否定的である。

強い応援団が出現した。ペロシ下院議長は、香港問題を米国議会で取り上
げ、もし条例改正案を香港議会が承認した場合、貿易上の特権的な待遇を
見直すとし、米議会で法案を審議すると表明した。デモ参加者を支持した
のである。

なにしろ下院は民主党が多数派であり、日頃はトランプ批判に明け暮れて
きた民主党があたかもトランプ路線の先を走ったのである。
 それまで習近平は快適な旅を続けた。

ロシアのサンクトペテルブルグの経済フォーラムではプーチンから持ち上
げられ、中国とロシアは良好なパートナーシップだと言い合って(お互い
に眼を逸らしながら)、誰も眼にも明らかな欺瞞の握手を交わし、保護貿
易主義に立ち向かう等として米国を非難した。

6月13日にはキリギスの首都ビシュケクへ飛んで、第19回のSCO(上海
協力機構)で演説し、インドからやってきたモディ首相とかたい握手、お
たがいに平和を望み、中国は地域の脅威にはならない等と歯が浮いたよう
な発言。それよりキリギスでは、ジベコフ大統領から「中国はながい間に
わたってキルギスを支援してくれた。この恩は忘れない」とおだてられ同
国最高位の勲章を贈られ、いたくご満悦だった。


▼居心地の良さはロシアとキルギスで終わり、つぎの不愉快な旅が待っている

この快適な旅が終わり、つぎに待っているのが米国から突きつけられた諸
要求を飲むのか、飲まないのか。大阪のG20への出席は習近平にとって、
いまや不愉快千万のイベントなのである。

「もしトランプ大統領と習近平の大阪における首脳会談が実現しなけれ
ば、トランプ大統領はもっと強硬な対中制裁措置を準備している。中国か
らはまだ公式的な返答がない」とラリー・クドロー国家経済会議議長は6
月13「日、ピーターソン國際経済研究所における講演で表明した。

日本がやきもきし始めた。28日からの大阪G20ホスト国として、共同声明
がどうなるかも不透明になった。一斉に香港問題への言及があって中国を
糾弾するような内容になれば、北京としては立つ瀬もなくなるだろう。
習近平が来日を直前にキャンセルする可能性が浮上した。

孤立無援、四面楚歌は習近平だけではなく、韓国の文在寅大統領も、あら
ゆる策謀が成就せず、やけくそで来日キャンセルに追随する可能性がある。

まして24日に予定されるペンス副大統領の演説は人権問題、中国のチベッ
トとウィグルにおける血の弾圧が「人権を擁護する国につくのか」「人権
弾圧の国につくのか」と踏み絵を踏ませるがごとく、参加国に鋭く問いた
だし、世界へ向けて中国封じ込め、中国制裁を明確に呼びかける内容とな
るだろうとワシントンでは予想されている。

      ☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆⌒☆書評 しょひょう 
BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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中国はなぜ外国人特派員を日夜監視しているのか
  共産党幹部の日常生活も発言記録も「国家機密」だという特殊事情

  ♪
中津幸久『北京1998  中国国外退去始末記』(集広舎)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@

或る宴席でなぜか柴田穂氏と鮫島敬治氏の名前が出た。

柴田穂は文革時代の産経特派員で、「西単の壁」に貼られた壁新聞を克明
に見に行き数々のスクープをものにしたために国外追放になった。帰国後
に数冊の中国論を上梓されたが、うち一冊は評者(宮崎)が担当、よく新
宿や銀座のカラオケに行った。

鮫島敬治は日経新聞特派員時代に、追放ではなく1年半にわたって社宅軟
禁された。評者がインタビューして「ながい孤独を如何に堪えたか」とい
う質問には「『真向法』で精神安定を得た」と明確に答えたが、「なぜ体
験記を書かないのか」と質したことには「そのうちに」と言葉を濁した。
「そのうちに」ガンで亡くなった。

宴席で想い出噺をおえて帰宅すると、本書が届いていた。しかも奥付の日
付が6月4日、なにかイミシンだ。

どの国にも国家機密があるし、それを守ろうとするのは主権行為であって
当然だが、日本のようにスパイ防止法さえない国では、この常識は通らな
い。閣議決定は三十分以内で北京に筒抜けになる。なにしろ首相が中国人
工作員の女性と懇ろになった事件もあったが、あまり問題視されない。諸
外国なら首相弾劾に発展するだろう。

中国には国家機密のなかに幹部の日常生活や会議における発言記録も『機
密』に属するという特殊事情がある。

また特派員の周辺にまといつく情報屋には為にする情報工作を意図的に吹
き込み、相手国の世論を誤解させ、世論になにがしかの影響を与えようと
する諜報工作もたくみに展開されている。
 
 産経の江沢民死亡号外事件も、朝日の林彪健在という世紀の大誤報も、
毎日の陳敏爾浮上説も、「情報屋」がもたらしたガセだった。

著者の中津幸久氏は読売新聞中国元特派員。最初は上海、ついで北京。そ
して国家機密に触れた報道をしたとかの難癖をつけられて執拗に取り調べ
をうけた体験を持ち、とうとう国外追放の憂き目にあった。

以後、5年間中国入国禁止処分となった。10年後の北京五輪に乗じて取材
ヴィザを申請したが、やはり拒否されたという。

特派員時代には助手の中国人に挙動を監視され、ときに密告されたと書い
ているが、これは常識であり、ある時、評者も某新聞の特派員と会う約束
で、差し向けられた車に乗り込んだ。運転手も監視役と分かったのは、日
本語が分からない触れ込みだったのに、接触事故を起こしそうになったと
きに、当方がとっさに喋った、最新流行の日本語をちゃんと聞き分けたか
らだ。
 (あ、この運転手も工作員か)

特派員時代に、この著者はいかなる経験をしたか、それを当時の政治状況
に重ねて考えていくと、中国の外国人特派員への「気配り」<?>」が歴
然と読めてくるのである。
        

◆「中曽根君を除名する!」

渡部 亮次郎


河野一郎さんの命日がまた巡って来た。7月8日。昭和40(1965)年のこと。
死ぬ2日前(6日)の夕方、東京・麻布台の事務所を訪ねると、広間のソ
ファーで涎を垂らして居眠りしていた。

黙っていると、やがて目を覚まし、バツが悪そうに涎をハンカチで拭い
た。何を考えたのか「従(つ)いてき給え」と歩き出した。

派閥(河野派=春秋会)の入っているビルは「麻布台ビル」といったが、そ
の隣に建設省分室と称する小さなビルが建っていた。元建設大臣としては
殆ど個人的に占拠していたようだった。

向かった先はそのビルの4階。和室になっていた。こんなところになんで
建設省のビルに和室があるのかなんて野暮なことを聞いてはいけない。

「ここには春秋会の奴らも入れたことは無いんだ」と言いながら
「今度、ボクはね、中曽根クンを春秋会から除名しようと決めた。
奴はボクが佐藤君とのあれ以来(佐藤栄作との総裁争いに負けて以来)、
川島(正次郎=副総裁)に擦り寄っていて、数日前、一緒にベトナムに行き
たいと言ってきた。怪しからんのだ」

「河野派を担当するならボクを取材すれば十分だ。中曽根なんかのところ
へは行かないのが利口だ」とは以前から言っていたが、派閥から除名する
とは只事ではない。

思えば河野氏は喉頭癌のため退陣した池田勇人(はやと)総理の後継者と
目されていた。しかし、河野側からみれば、それを強引に佐藤栄作支持に
党内世論を操作したのは誰あろう川島副総裁と三木(武夫)幹事長だった。

佐藤に敗れた後も無任所大臣(副総理格)として佐藤内閣に残留していた
が,政権発足7ヵ月後の昭和40(1965)年6月3日の内閣改造で河野氏が残留を
拒否した事にして放逐された。

翻って中曽根康弘氏は重政誠之、森清(千葉)、園田直と並ぶ河野派四天
王として重用されてきた。それなのに川島に擦り寄って行くとは。沸々と
滾る「憎悪」をそこに感じた。その頃は「風見鶏」という綽名は付いてな
かったが、中曽根氏は元々「風見鶏」だったのである。

そうした隠しておきたい胸中を、担当して1年にもなっていないかけだし
記者に打ち明けるとは、どういうことだろうか。

7月6日の日は暮れようとしていた。「明日は平塚(神奈川県=選挙区)の
七夕だからね、今度の参議院選挙で当選した連中を招いて祝勝会をするか
らね、君も来なさい。ボクはこれからデートだ、では」

それが最後だった。翌朝、東京・恵比寿の丘の上にある私邸の寝室で起き
られなくなった。日本医師会会長武見太郎の診断で「腹部大動脈瘤破裂、
今の医学(当時)では打つ手なし」。翌8日の午後7時55分逝去した。享年
67。武見は{お隠れになった}と発表した。

当日、奥さんに招かれてベッドの脇に居た私は先立つ7時25分、財界人
(大映映画の永田雅一,北炭の萩原社長,コマツの河合社長らが「南無妙法
蓮華経」とお題目を唱えだしたのを「死」と早合点し、
NHKテレビで河野一郎を30分早く死なせた男として有名になる。

死の床で「死んでたまるか」と言ったと伝えられ、「党人政治家の最期の
言葉」として広くこれが信じられてきたが、河野洋平氏によると「大丈夫
だ、死にはしない」という穏やかな言葉で家族を安心させようとしたのだ
という。これも犯人は私である。

河野氏が死んだので中曽根氏は助かった。「河野精神を引き継ぐ」と1年
後に派閥の大半を継承。佐藤内閣の防衛庁長官になって総理大臣への道を
歩き始め多。風見鶏は幸運の人でもある。

以下はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』を参照のこと。

河野 一郎(こうの いちろう、1898年(明治31年)6月2日生まれは、自由
民主党の実力者。死後、従二位勲一等旭日桐花大綬章。河野は神奈川県選
出の国会議員のなかでは実力者であり、県政にも強い影響力があったので
神奈川県を「河野王国」と呼ぶ向きもあった。

参議院議長をつとめた河野謙三は実弟。衆議院議長であり、外務大臣、自
由民主党総裁、新自由クラブ代表をつとめた河野洋平は次男。衆議院議員
河野太郎は孫である。

建設大臣時代、国際会議場建設計画があり、選挙区内の箱根との声が地元
よりあがったが、日本で国際会議場にふさわしいところは京都である・・・
との考えで京都宝ヶ池に国立京都国際会館建設を決めた。しかし、完成し
た建物を見ることなく亡くなっている。

地元よりの陳情を抑えての決断は現在の政治家にもっと知られてよい事例
であろう。

競走馬のオーナー・牧場主としても有名。代表所有馬に1966年の菊花賞馬
で翌年の天皇賞(春)で斃れたナスノコトブキなどいわゆる「ナスノ」軍
団があった時代もある。

河野は担当大臣として東京オリンピック(1964年)を成功に導いたが、市川
崑の監督した記録映画に「記録性が欠けている」と批判して議論を呼び起
こした。

酒を全く飲めない体質だったが、フルシチョフにウォッカを薦められた際
に、「国益のために死ぬ気で飲んだ」とよく言っていた。

1963年、憂国道志会の野村秋介により平塚市の自宅に放火される。その日
は名神高速道路の開通日で河野はその開通式典でくす玉を引いている。

三木武夫が大磯の吉田茂の自邸に招かれた際、応接間から庭で吉田が笑っ
ていた様子が見え「随分ご機嫌ですね」とたずねると「三木君は知らんの
か! 今、河野の家が燃えてるんだよ!」とはしゃいでいた。「罰が当っ
た」と吉田周辺はささやいたと言う。二人は互いを不倶戴天と言ってい
た、終生。2008・07・05

◆国際政治は理想よりも力で動く

櫻井よしこ


「国際政治は理想よりも力で動く ウクライナの二の舞を演じてはならな
い」「現在の日本はロシアに侵略されてクリミア半島を奪われる前のウク
ライナとそっくりです」

ウクライナから来た留学生、ナザレンコ・アンドリー氏(24)がインター
ネットの「言論テレビ」で語った。来日5年、共愛学園前橋国際大学在学
中で、「雲散霧消」など四字熟語も自在に使いこなす。

どのように日本とウクライナが似ているのか、ナザレンコ氏の解説だ。

「自分たちが武力を持たなければ周辺国も平和的に接してくれると思い込
むことです。ウクライナも非核三原則を作って、保有していた核すべてを
ロシアに渡しました。軍隊も100万人から20万人に減らしました。私の両
親も含めてウクライナ人は性善説を信じたのです」

ここで少々説明が必要だろう。かつて旧ソ連の一部だったウクライナは、
1991年のソ連解体で独立した。当時のウクライナはソ連のいわば武器庫
で、核兵器、ミサイルをはじめ多くの武器が保有されていた。

これらの武器をすべてロシアに引き渡すべきだと、米英露3カ国が要求し
た。ただし武力放棄後のウクライナの安全は米英露3カ国が保障するとも
誓約した。同提案にウクライナは同意し、ブダペスト覚書を交わした。後
に中仏も同様の内容の覚書をウクライナと個別に交わしたことから、国連
安全保障理事会常任理事国すべてがウクライナの安全を担保する形が出来
上がった。これが94年だった。

ところが、20年後、ロシアは突然ウクライナからクリミア半島を奪った。
現在もロシアと国境を接するウクライナ東部にはロシア軍が常駐してい
る。恐らく何年か時間をかけて、ロシアのプーチン大統領はウクライナの
領土をより多く、取り戻そうとするだろう。

そこで疑問は、(1)なぜ5大国の約束は機能しなかったのか、(2)ウク
ライナ人はなぜ非核三原則に見られる「平和論」や大国の約束に頼ったの
か、だ。

(1)の答えは、ブダペスト覚書の第4条にある。そこには、ウクライナが
ロシアから侵略された場合、米英は「国連安全保障理事会において」ウク
ライナを支援すると書かれている。しかし安保理においてロシアは拒否権
を行使できるために、第4条は最初から機能しない空しい誓約だった。米
英は別に約束を破ったわけではないのだ。

(2)についてナザレンコ氏は次の様に述べた。

「非核三原則ですが、ウクライナ北部のチェルノブイリで86年、世界一恐
ろしい原発事故が起きました。国民は核に強い恐怖感を覚えました。しか
もソ連の技術は本当に頼りない。いつ何が爆発するかわからない。強い恐
怖と絶望で領土内に核は置きたくないと大多数の国民が考えた。それが非
核三原則の背景です。来日して、福島第一原子力発電所の事故について考
え、私たちは似ていると思いました」

ウクライナは歴史的にいつも侵略されてきた。古くはモンゴル帝国に占領
された。ポーランド、リトアニア、ロシア、トルコ、第二次世界大戦時に
はドイツに占領された。武力に屈服し、被占領国の歴史を生きたウクライ
ナがなぜ、武力を捨てたのか。

「楽観的すぎた。性善説なのです。時代は21世紀だ。冷戦は終わった。争
いはもう起きない。米英露の世界最強国が守ってくれる。ならば自国軍は
不要だ。軍を5分の1に縮小して、福祉に回す方がよいと考えたのです。そ
れに90年代はソ連解体でウクライナ人も経済のことばかり考え、国防に心
を致さなかったと思います」

尖閣諸島周辺には本稿執筆時点で連続55日間、中国の大型武装艦四隻が侵
入を続けている。国防を置き去りにしてウクライナの二の舞を演じてはな
らない。国際政治は理想よりも力で動くことを認識し、憲法改正を国民の
課題として考えるときであろう。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月15日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 1283

◆リハビリって、再び生きること

                          向市 眞知  ソーシャルワーカー

「リハビリ」という用語は訳さなくてもよいくらい、日本語になってしまいました。しかし、この用語がとてもくせものです。皆がこの用語の前向きなところにごまかされ、便利に安易に使ってしまいます。

医師は最後の医療としてリハビリにのぞみをつなげる言い方をします。家族は家にもどるためにはリハビリを頑張ってほしいと期待をかけます。患者様もリハビリを頑張れば元どおりになれると思います。リハビリとは「再び生きる」という用語と聞きました。この概念で考えるととても幅広い概念です。

病院にはリハビリテーション科があり、そのスタッフには理学療法士、作業療法士、言語聴覚訓練士という、国家資格をもった専門技師がそろっています。身体機能回復訓練に携わるスタッフです。医師が「リハビリ」という用語を使う場合にはこのようなリハビリテーション科のスタッフによる訓練をさすだけではなく、「再び生きる」心構えをもちましょう、という意味を含んでいる場合が多いのです。

しかし、患者様、家族様のほうはリハビリは療法士がするものと思い込んでいるケースが多いように思います。よく言われるのに「リハビリが少ない」、「リハビリをしてもらえない」というクレームがあります。療法士がするものだけがリハビリなら、診療報酬上点数がとれるのは一日20分から180分です。

「リハビリを受けさせたいから入院させてほしい」とよく言われますが、一日の何分の1かの時間のリハビリだけで「再び生きる」道のりを前に進むことはむずかしいものです。あとの時間をベッドに寝ているだけでは何の意味もありません。「リハビリのために入院している」というだけの安心感の意味しかありません。

いくら日本一の理学療法士の訓練をうけたといっても、患者本人が「リハビリをする(再び生きる)」心構えになっていなければ、空振りに終わってしまいます。マヒした身体に対して、拘縮してしまわないように理学療法士が外から力を加え訓練をすることはできます。でも、訓練が終わって身体を動かさなければもとのもくあみです。

しかし、言語訓練はそうはいきません。本人が声を出そう、話そうとしなければ訓練になりません。「絶対話すものか!」と口をつぐんでいる患者様に訓練は意味をなしません。まずは声を出してみよう、話してみようという気持ちになるように心理的にリラックスしてもらうことから訓練を始められると聞きました。

このことからわかるように、リハビリは本人次第なのです。そしてやはりリハビリも療法士と患者様の協同作業です。療法士さんの訓練の20分が終われば、患者様自らがもう一度リハビリのメニューをくりかえしてやってみることや、家族が面会時間に療法士に家族ができるリハビリを教えてもらい、リハビリの協力をしてみるなど、何倍にもふくらませていくことがリハビリの道のりなのです。

療法士さんまかせにしないこと、繰り返しやっていくこと、退院しても療法士さんがいなくてもリハビリ、再び生きる道のりは続いていること、それを実行するのは自分であることを忘れないでいてほしいと願っています。2006年4月の診療報酬改定で更にこの認識が重要になってきています。療法士による機能回復訓練が継続してうけられる回数の上限が疾病により90日〜180日と定められました。これ以上の日数の訓練を続けても保険点数がつかないことになりました。医療機関は保険がきかなくなればリハビリを打ち切らざるをえません。

患者様も10割自費で料金を支払ってまでリハビリを続けることはできないでしょう。リハビリは入院の中でしかできないものではなく、退院しても自宅でもリハビリを続けていくいきごみが大切です。

大阪厚生年金病院・ソーシャルワーカー

2019年06月15日

◆台湾は「分断国家」ではない

Andy Chang
  

産経新聞の台北、上海支局長を務めた川崎真澄外信部編集委員兼論説
委員が、台湾と日本との関わりについて講演し、台湾と中国は「分断
国家」であり、家族や友人、恋人も約40年も断絶されていたと述べた。
https://www.sankei.com/life/news/190612/lif1906120044-n1.html

これは間違いである。分断されたのは中国人であって台湾人ではない。

台湾と中国が一つの国だったなら現状は分断された状態だが、台湾は
中国の領土ではないし中華人民共和国が台湾を統治したこともない。

河崎氏は日清戦争で清国が台湾を日本に割譲したことで「台湾が中国
から分断された」と言うが清国は中華人民共和国とは違う国である。
日本はサンフランシスコ和平条約で台湾の主権を放棄したが、台湾を
中華民国、または中華人民共和国(中共)に「返還」したのではない。
勝手に「中国」と自称する中共が台湾の主権を主張する根拠はなく、
世界諸国も認めていない。

河崎氏は「家族や友人、恋人が40年にわたって断絶されていた」と述
べたが、彼らは蒋介石が毛沢東との内戦に敗れた際に台湾に流亡した
中国人たちであって台湾人ではない。彼らも「外省人」と名乗って台
湾人とは違うと主張している。つまり中国大陸の家族と断絶された生
活を40年も送っていたことは台湾人のことではない。しかも外省人は
台湾住民の15%だけだから彼らが台湾に流亡したからとて台湾を分
断国家と言うのは間違いである。

台湾はサンフランシスコ条約によって日本にも中国にも属しない国と
なったのである。つまり台湾の主権は台湾人にあり中国でも日本でも
アメリカでもない。河崎氏は台湾、上海に10年も赴任していた経験を
持ちながらこんな基本的問題に間違った認識を持っているのか。

中国大陸では過去三千年の間にいろいろな国が出来ては滅んだが、こ
れらの国々は歴史上まとめて中国と呼ばれていても決して一つの「万
世一系」の国ではなく、いろいろな民族が作ったもので繋がりもない。
春秋戦国時代、三国時代、五胡十六国、南北朝、南宋北遼、蒙古人の
元、満州族の清など、違った国が出来ては滅んだ歴史を持っている。

中国大陸とはいろいろな民族が争奪を繰り返した土地なのであるが、
清国の領土を中共が継承する権利はない。清朝が割譲した台湾を中共
が主権を主張することは出来ない。しかも台湾を割譲した際に西太后
が「台湾は化外(けがい)の地」つまり統治の及ばない土地だと述べ
たことも歴史に載っている。中共の主張を認めて中国と台湾は分断国
家と言うのは間違いである。

台湾の主権が中国にあると主張する人の一部は、台湾は漢民族の国で、
中国も漢民族の国だから統一すべきと言う。民族国家であるという主
張だがそれなら中国は真っ先にチベット、東トルキスタン、内蒙古、
満州から撤退すべきである。

河崎氏はなぜ急に台湾と中国は「分断国家」と言い出したのだろう。
あくまでも憶測だが河崎氏は魏鳳和中国国防相のお先棒を担いでいる
のではないか。

6月2日にシンガポールで開催されたアジア安全保障会議(シャング
リラ・ダイアローグ)で魏鳳和国防相は、アメリカは南北戦争の際に
リンカーン大統領のおかげで「分断されなかった」、中国は台湾が独立
するなら「一戦を交えることも辞さない」と述べた。シャングリラ・
ダイアログの十日後に河崎氏が台湾は分断国家と述べたことは魏鳳和
の演説と関係があるのではないか。時間的にみれば河崎氏は魏鳳和の
演説に追従して台湾は分断国家と言ったように思える。

at 09:12 | Comment(0) | Andy Chang

◆習近平、来日キャンセルの可能性

宮崎 正弘


令和元年(2019)6月14日(金曜日)弐 通巻第6111号 

 習近平、来日キャンセルの可能性。G20大阪
  
香港の抗議行動弾圧に世界が抗議、孤立深める中国にペンス演説が追い打ちへ

「香港騒乱」とでも言うべきか。雨傘革命を超える参加者。容疑者の中国
送還合法化への法律改正に反対する抗議の人並みは100万人。

香港返還以来最大の動員となったのも、香港住民の切羽詰まった危機感、
将来への不安感の表れであり、現に香港の未来を絶望し、バンクーバーへ
舞い戻った香港人の数、数万という。

容疑者引き渡しの法改正をめぐり、中国送還を合法化しようとする林鄭行
政長官ならびに立法府の親中派に対して、民衆は抗議デモで応じた。つい
に議会は開かれず、また法案の成立が不透明となった。抗議行動は引き続
き、警官隊と衝突し多数の負傷者と逮捕者を出した。

抗議側がひるまずに行動を続けるのは、香港の自治が完璧に失われる怖れ
が強く、謂わば香港住民にとって生死をかけた戦いである。

深センに戦車隊が入ったとか、警官に襲いかかるのは中国国家公安部のヤ
ラセとか、様々なニュースが飛び交っているが、国際的な反響は悉くが中
国に否定的である。

強い応援団が出現した。ペロシ下院議長は、香港問題を米国議会で取り上
げ、もし条例改正案を香港議会が承認した場合、貿易上の特権的な待遇を
見直すとし、米議会で法案を審議すると表明した。デモ参加者を支持した
のである。

なにしろ下院は民主党が多数派であり、日頃はトランプ批判に明け暮れて
きた民主党があたかもトランプ路線の先を走ったのである。
 
それまで習近平は快適な旅を続けた。

ロシアのサンクトペテルブルグの経済フォーラムではプーチンから持ち上
げられ、中国とロシアは良好なパートナーシップだと言い合って(お互い
に眼を逸らしながら)、誰も眼にも明らかな欺瞞の握手を交わし、保護貿
易主義に立ち向かう等として米国を非難した。

6月13」日にはキリギスの首都ビシュケクへ飛んで、第19回のSCO(上
海協力機構)で演説し、インドからやってきたモディ首相とかたい握手、
おたがいに平和を望み、中国は地域の脅威にはならない等と歯が浮いたよ
うな発言。それよりキリギスでは、ジベコフ大統領から「中国はながい間
にわたってキルギスを支援してくれた。この恩は忘れない」とおだてられ
同国最高位の勲章を贈られ、いたくご満悦だった。

▼居心地の良さはロシアとキルギスで終わり、つぎの不愉快な旅が待っている

この快適な旅が終わり、つぎに待っているのが米国から突きつけられた諸
要求を飲むのか、飲まないのか。大阪のG20への出席は習近平にとって、
いまや不愉快千万のイベントなのである。

「もしトランプ大統領と習近平の大阪における首脳会談が実現しなけれ
ば、トランプ大統領はもっと強硬な対中制裁措置を準備している。中国か
らはまだ公式的な返答がない」とラリー・クドロー国家経済会議議長は6
月13日、ピーターソン國際経済研究所における講演で表明した。

日本がやきもきし始めた。28日からの大阪G20ホスト国として、共同声明
がどうなるかも不透明になった。一斉に香港問題への言及があって中国を
糾弾するような内容になれば、北京としては立つ瀬もなくなるだろう。
習近平が来日を直前にキャンセルする可能性が浮上した。

孤立無援、四面楚歌は習近平だけではなく、韓国の文在寅大統領も、あら
ゆる策謀が成就せず、やけくそで来日キャンセルに追随する可能性がある。

まして24日に予定されるペンス副大統領の演説は人権問題、中国のチベッ
トとウィグルにおける血の弾圧が「人権を擁護する国につくのか」「人権
弾圧の国につくのか」と踏み絵を踏ませるがごとく、参加国に鋭く問いた
だし、世界へ向けて中国封じ込め、中国制裁を明確に呼びかける内容とな
るだろうとワシントンでは予想されている。

      
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中国はなぜ外国人特派員を日夜監視しているのか
  共産党幹部の日常生活も発言記録も「国家機密」だという特殊事情

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中津幸久『北京1998  中国国外退去始末記』(集広舎)
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或る宴席でなぜか柴田穂氏と鮫島敬治氏の名前が出た。
 
柴田穂は文革時代の産経特派員で、「西単の壁」に貼られた壁新聞を克明
に見に行き数々のスクープをものにしたために国外追放になった。帰国後
に数冊の中国論を上梓されたが、うち一冊は評者(宮崎)が担当、よく新
宿や銀座のカラオケに行った。

鮫島敬治は日経新聞特派員時代に、追放ではなく1年半にわたって社宅軟
禁された。評者がインタビューして「長い孤独に如何に堪えたか」という
質問には「『真向法』で精神安定を得た」と明確に答えたが、「なぜ体験
記を書かないのか」と質したことには「そのうちに」と言葉を濁した。
「そのうちに」ガンで亡くなった。

宴席で想い出噺をおえて帰宅すると、本書が届いていた。しかも奥付の日
付が6月4日、なにかイミシンだ。
 
どの国にも国家機密があるし、それを守ろうとするのは主権行為であって
当然だが、日本のようにスパイ防止法さえない国では、この常識は通らな
い。閣議決定は20分以内で北京に筒抜けになる。なにしろ首相が中国人工
作員の女性と懇ろになった事件もあったが、あまり問題視されない。諸外
国なら首相弾劾に発展するだろう。

中国には国家機密のなかに幹部の日常生活や会議における発言記録も『機
密』に属するという特殊事情がある。

また特派員の周辺にまといつく情報屋には為にする情報工作を意図的に吹
き込み、相手国の世論を誤解させ、世論になにがしかの影響を与えようと
する諜報工作もたくみに展開されている。 

産経の江沢民死亡号外事件も、朝日の林彪健在という世紀の大誤報も、毎
日の陳敏爾浮上説も、「情報屋」がもたらしたガセだった。

著者の中津幸久氏は読売新聞中国元特派員。最初は上海、ついで北京。そ
して国家機密に触れた報道をしたとかの難癖をつけられて執拗に取り調べ
をうけた体験を持ち、とうとう国外追放の憂き目にあった。

以後、5年間中国入国禁止処分となった。10年後の北京五輪に乗じて取材
ヴィザを申請したが、やはり拒否されたという。

特派員時代には助手の中国人が挙動を監視し、ときに密告したと書いてい
るが、これは常識であり、ある時、評者も某新聞の特派員と会う約束で、
差し向けられた車に乗り込んだ。運転手も監視役と分かったのは、日本語
が分からない触れ込みだったのに、接触事故を起こしそうになったとき
に、当方がとっさに喋った、最新流行の日本語をちゃんと聞き分けたからだ。

(あ、この運転手も工作員か)

特派員時代に、この著者はいかなる経験をしたか、それを当時の政治状況
に重ねて考えていくと、中国の外国人特派員への「気配り」<?>」が歴
然と読めてくるのである。
          


◆国際政治は理想よりも力で動く

櫻井よしこ


「国際政治は理想よりも力で動く ウクライナの二の舞を演じてはならない」

「現在の日本はロシアに侵略されてクリミア半島を奪われる前のウクライ
ナとそっくりです」

ウクライナから来た留学生、ナザレンコ・アンドリー氏(24)がインター
ネットの「言論テレビ」で語った。来日5年、共愛学園前橋国際大学在学
中で、「雲散霧消」など四字熟語も自在に使いこなす。

どのように日本とウクライナが似ているのか、ナザレンコ氏の解説だ。

「自分たちが武力を持たなければ周辺国も平和的に接してくれると思い込
むことです。ウクライナも非核三原則を作って、保有していた核すべてを
ロシアに渡しました。軍隊も100万人から20万人に減らしました。私の両
親も含めてウクライナ人は性善説を信じたのです」

ここで少々説明が必要だろう。かつて旧ソ連の一部だったウクライナは、
1991年のソ連解体で独立した。当時のウクライナはソ連のいわば武器庫
で、核兵器、ミサイルをはじめ多くの武器が保有されていた。

これらの武器をすべてロシアに引き渡すべきだと、米英露3カ国が要求し
た。ただし武力放棄後のウクライナの安全は米英露3カ国が保障するとも
誓約した。同提案にウクライナは同意し、ブダペスト覚書を交わした。後
に中仏も同様の内容の覚書をウクライナと個別に交わしたことから、国連
安全保障理事会常任理事国すべてがウクライナの安全を担保する形が出来
上がった。これが94年だった。

ところが、20年後、ロシアは突然ウクライナからクリミア半島を奪った。
現在もロシアと国境を接するウクライナ東部にはロシア軍が常駐してい
る。恐らく何年か時間をかけて、ロシアのプーチン大統領はウクライナの
領土をより多く、取り戻そうとするだろう。

そこで疑問は、(1)なぜ5大国の約束は機能しなかったのか、(2)ウク
ライナ人はなぜ非核三原則に見られる「平和論」や大国の約束に頼ったの
か、だ。

(1)の答えは、ブダペスト覚書の第4条にある。そこには、ウクライナが
ロシアから侵略された場合、米英は「国連安全保障理事会において」ウク
ライナを支援すると書かれている。しかし安保理においてロシアは拒否権
を行使できるために、第4条は最初から機能しない空しい誓約だった。米
英は別に約束を破ったわけではないのだ。

(2)についてナザレンコ氏は次の様に述べた。

「非核三原則ですが、ウクライナ北部のチェルノブイリで86年、世界一恐
ろしい原発事故が起きました。国民は核に強い恐怖感を覚えました。しか
もソ連の技術は本当に頼りない。いつ何が爆発するかわからない。強い恐
怖と絶望で領土内に核は置きたくないと大多数の国民が考えた。それが非
核三原則の背景です。来日して、福島第一原子力発電所の事故について考
え、私たちは似ていると思いました」

ウクライナは歴史的にいつも侵略されてきた。古くはモンゴル帝国に占領
された。ポーランド、リトアニア、ロシア、トルコ、第二次世界大戦時に
はドイツに占領された。武力に屈服し、被占領国の歴史を生きたウクライ
ナがなぜ、武力を捨てたのか。

「楽観的すぎた。性善説なのです。時代は21世紀だ。冷戦は終わった。争
いはもう起きない。米英露の世界最強国が守ってくれる。ならば自国軍は
不要だ。軍を5分の1に縮小して、福祉に回す方がよいと考えたのです。そ
れに90年代はソ連解体でウクライナ人も経済のことばかり考え、国防に心
を致さなかったと思います」

尖閣諸島周辺には本稿執筆時点で連続55日間、中国の大型武装艦四隻が侵
入を続けている。国防を置き去りにしてウクライナの二の舞を演じてはな
らない。国際政治は理想よりも力で動くことを認識し、憲法改正を国民の
課題として考えるときであろう。

◆淀川河底の「蕪村の生家」と「蕪村銅像」

     毛馬 一三

                         
江戸時代の俳人与謝蕪村の生家は、淀川の河底に埋没しているのは間違いないのですが、一体河底の何処に埋没させられて仕舞ったのでしょうか。詳しい場所は未だ不明です。

確かに、大阪毛馬の淀川堤防に「蕪村生誕地」と書いた「記念碑」が建立されてはいます。しかし「蕪村生誕し幼少を過ごした生家」は、この場所ではないことははっきりしています。

実は「蕪村の生家」が、冒頭に記したように、淀川堤防から眼下に見える「淀川の川底」に在るのは事実です。なぜ淀川の川底に埋没されたのでしょうか。これは追々。

徳川時代の淀川は、よく手入れが行われていましたが、明治維新後は中々施されていなかったのです。ところが、明治18年に淀川上流の枚方で大水害が起き、下流の大阪で大被害を受けたことをきっかけに、明治政府がやっと淀川の本格的改修に乗り出しました。

その際明治政府は、単なる災害防止ためだけではなく、大阪湾から大型蒸気船を京都伏見まで通わるせる航行で「経済効果」などの多目的工事に専念することを決めました。

そのために淀川の河川周辺の陸地を大幅に埋め立て、それまでの小さな淀川を 大きな河川にする大改修を立案したのです。

これに伴い、旧淀川沿いにあった「蕪村生家」地域は埋め立ての対象となり、すべて「河川改修工事」によって川底に埋められて仕舞いました。

さて、明治政府は関西の大型河川・淀川を大改修するため、オランダから招いた河川設計者・デ・レーケとフランス留学から帰国していた設計士沖野忠雄とを引き合わせ、「淀川大改修」の設計を依頼しました。

明治政府の依頼を受けた2人は、「大改修工事」の設計を創り上げ、明治29年から工事を開始しました。

とにかくこの大型改修設計は、大阪湾に京都の宇治川や桂川、奈良からの木津川を中津川に合流させ、一気に淀川として大阪湾に繫ぐ、巨大な設計でした。

そうすれば貨物蒸気船を大阪湾と京都を結んで航行させることが出来、逆に京都・枚方などで大水害が起きた場合でも大量の水量をさらりと、大阪湾に流すことが出来るのです。二本立ての「効果狙いの設計」でした。

勿論、上流の災害で流出してくる「土砂」が、大阪に被害を与えないため「毛馬閘門」設計も創りました。

これが淀川から大阪市内に分岐させる「毛馬閘門」の設計主旨だったのです。この「毛馬閘門」からは、淀川本流から分岐して大阪市内へ流れる河川を設計しました。その河川の名を「大川」と名付けたのです。

この「大川への分岐設計」で、上流の水害に伴う土砂流失の回避は実現し、大阪の上流からの防災は、今日まで護られているのです。

このように2人による設計書は、世界の河川工事技術水準に準じたもので、明治政府が施工した「河川大改修工事」としては全国的に見ても画期的なものでした。

同工事は、明治29年から明治43年まで行われ、設計通り完成しました。

ここから本題。この「河川大改修工事」によって、与謝蕪村が生まれ、幼少を過ごした大阪市都島区毛馬町(摂津国東成郡毛馬村)は、跡形もなく淀川に埋没させられ、深い川底に沈んで仕舞いました。

明治政府の強制でしたから、当時の住民は仕方なくそれに従ったようですが、川幅も660b(従来の30数倍)となり、浅かった河の深さも5bの巨大河川に変容したのです。

この住居埋没の強制工事で、前述の如く、蕪村の生家(庄屋?)は勿論、お寺、菜の花畑、毛馬胡瓜畑跡などの、当時の地域の様子は皆目全くわかりません。今は淀川の毛馬閘門近郊にある蕪村記念碑から、淀川の眼下に見える川底が「蕪村が幼少を過ごした生家地域」だと想起出来るだけで、寂しい限りです。

淀川近郊の蕪村家(庄屋)の後継者の方といわれる毛馬町の家を訪ね、「家歴」を伺いました。しかし、「地図」も無いし、お寺も埋没して「過去帳」もないために、蕪村生誕地が淀川の河底にありことは間違いないですが、今でもどのあたりの河底にあるのか分かないのです。」という答えが返って来ただけでした。

どうか大阪毛馬町の「蕪村公園」と通り過ぎて、「毛馬閘門」と「蕪村記念碑」ある淀川堤防の上から眼下に流れる「淀川」を見ながら、その河底に蕪村生誕地があることを想いつつ、蕪村が幼少期をここで過ごしたのかと、ゆったりと瞑想して欲しいですね。

ところで本題。淀川近郊の蕪村家(庄屋)は、大阪毛馬町に在る「淀川神社」の氏子でした。このため年間の祭事や祈願の折は、この「淀川神社」に父母と一緒に蕪村「幼名―寅」は、参詣に通ったことが、江戸時代の慣習から推察出来ます。

また蕪村が、毛馬村を出奔し江戸へ下る決意を固めた時、氏子の立場から「淀川神社」に参詣し、将来の生き方を祈願したことは、当然のことと考えられます。

そこで、今の「淀川神社」の境内に、私から呼びかけて協賛者のお力を頂き、「高さ1m60pの銅製の蕪村銅像」を建立しました。

望郷の念の強い「蕪村」は、この「生誕地参詣神社に銅像が建立した」ことに喜んでくれて帰郷して呉れるでしょう。また「淀川神社」も、「蕪村参詣神社」として、後世に伝承されるでしょう。

どうか「蕪村銅」のご拝観にきて頂くよう心からお願い致します。

取材先:国交省近畿地方整備局淀川河川事務所

2019年06月14日

◆「ロシア疑惑調査」の調査

Andy Chang

 
13日月曜、バー(William Barr)司法長官はコネチカット州のダーハ
ム(John Durham)弁護士に「ロシア疑惑調査の根源の調査」を命じた
と発表した。バー司法長官は最近2週間ほど、マラー検察官の報告書
について国会喚問と、ナドラー(Jerry Nadler)民主党議員からマラー
検察官のロシア疑惑調査報告の無検索全文の提出を命じられ、司法長
官として国家機密や個人情報を消去した報告書しか提出しないと応じ
て対立していた。だが民主党側は今回の「でっち上げ調査の根源を調
査する」司法長官の命令については沈黙している。

ロシア調査の根源とは誰が、如何なる理由で、どんな手段でトランプ
の疑惑をデッチ上げたか、誰がデッチ上げ情報を使って特別検察官を
指名したのかなどである。この命令に使用した「根源(Origin)」の意
味は非常に広い範囲を示している。疑惑をデッチ上げた大元は一般に
スティール文書と言われているが、スティール文書はヒラリーが100万
ドルを出し、民主党本部がコイ法律事務所を通してFusion GPSに調査
を依頼し、Fusion GPSが英国の元MI6諜報員スティールを雇って作り
上げた(ガセネタと判明した)文書である。しかもJOB/FBIはガセネ
タと知りながらこれを使ってロシア疑惑を作り上げたのである。

司法部のBruse Ohr、FBIのコーメイ長官や、Peter StrzokとLisa Page、
FBIはガセネタと知りながら何度もスティールに金を払った。FBIはガ
セネタと知っていながらFISA(国際諜報員調査)法廷にトランプ選挙
陣営の数人の調査を命じた。FBIは女性スパイをトランプ陣営に送り
込んだ。

ヒラリーが落選しトランプが大統領に就任した後もロシア疑惑を言い
立ててマラー検察官を指名した。マラー報告書がトランプの
ロシア癒着の証拠がなかったと結論した後も民主党側は独自でトラン
プのロシア癒着の調査を続けている。トランプは無実だと結論しても
民主党側は諦めずトランプ罷免の証拠を探しているのである。

今回バー司法長官が命令した「ロシア疑惑調査の根源を調査」とは一
連のトランプ大統領罷免の陰謀の「根源と行方」すべてを含む調査だ
から調査すればヒラリーはじめ民主党側の数十人の(有罪)関与が明
らかになる。民主党側が沈黙している理由がこれだ。過去二年間はト
ランプ側が沈黙していたが、これからはヒラリー、オバマ時代の司法
部、FBI、国務省、民主党議員、オバマの関与まで一切が調査される。

バー司法長官はダーハム氏を特別検察官に任命したのではなく、バー
司法長官が調査を主導すると言う。つまり、ダーハム検察官はバー司
法長官に調査結果を報告する。しかも検察官として資料提出命令権、
証人召喚権、陪審員招致の権利を持つので、調査で起訴相当となれば
有罪判決となったら監獄入りの可能性がある。

司法長官の調査は官僚に限られているが検察官の調査は官僚や議員、民間
人も含まれる。しかも13日の発表で明らかになったのはダーハム検察官が
数か月前から調査を始めていたことだ。いま話題になっているのはFBIが
トランプ選挙陣営に女性スパイを送り込んだことだ。

コーメイ元長官はスパイではないと弁解したが、正式の許可なくトランプ
の選挙陣営に調査員を送り込んだ行為をスパイかどうか、合法かどうかが
調査される。

トランプは傲慢な性格のためアメリカだけでなく全世界でトランプが
有罪で罷免されるのを喜ぶ人が多い。マラー検察官が2年近く調査し
てロシア癒着の証拠はなかったと結論したにも拘らず国会ではトラン
プの疑惑調査を続けている。無理に証拠を探し続ける民主党は異常で
ある。

「疑わしきは罰せず」という。トランプは疑わしいけれど証拠がない。
ヒラリーは個人のサーバー使用から個人のスマホで国家機密の交信、
それが発覚したら12個のスマホを破壊し、サーバーのディスクをフッ
酸に漬けてデータを完全消却した。個人サーバーの提出を命じられた
ら3300件のメールを違法消去したなど、20件近くの計画的違法行為が
ある。それなのにいまでも起訴されない。

疑いが晴れたトランプの罪を捜し続け、犯罪が明らかなヒラリーを見
逃すとは「いずこの国の習いぞや?」こんなアメリカは法治国家とは
言えない。ロシア疑惑調査の根源調査でDeep Stateを完全に滅却させ
ることに期待したい。


at 08:58 | Comment(0) | Andy Chang

◆カザフスタンの

宮崎 正弘


令和元年(2019)6月7日(金曜日)通巻第6101号 

 カザフスタンの「シルクロード鉄道」も頓挫していた
  初回融資が消えて中国開発銀行は、突如、投資に後ろ向きに。

カザフスタンにおける中国のBRI(一帯一路)プロジェクトの目玉の一
つは「シルクロード鉄道」の建設だった。

総額19億ドル、大半を中国が融資する手筈だった。

もともとシルクロード鉄道計画は2013年9月にカザフスタンを訪問した習
近平が、ナザルバエフ大学で講演し、「ユーラシア大陸各国の連携を緊密
化させ、相互協力によって発展を促すために「シルクロード経済ベルト」
建設構想を打ち出してからだった。

爾来、中国のカザフスタンへの投資はロシアを抜き去り、中国の存在感が
際立つようになった。そのうえ、ナゼルバエフ大統領が「一帯一路」を積
極的に支持したのは、かれの経済建設構想「ヌルルィ・ジョリ(明るい
道)」の方向性と一致していたからだ。

このためプロジェクトは正式に動き出し、2017年に中国開発銀行は立ち上
げの融資、3億1300万ドルのうち、2億5800万ドルを実行した。ところが
鉄道着工に振り向けられるはずの、この金額が他の目的で使われ、鉄道工
事は遅れた。随所で工事が開始されておらず、引き続きの融資はペンディ
ングとなった。

中国開発銀行は引き続きの融資実行に消極的、というより否定的となっ
て、カザフスタンのシルクロード鉄道は、事実上頓挫した。

このニュースに接して、筆者は或ることを連想した。
 
中国初の「国産」と銘打たれた空母のこと、お披露目から一度、洋上に出
て、西側ジャーナリズムが注目したが、すぐにドックに入り、そのまま出
てこない。
 
アジアタイムズ(6月7日)に拠れば、燃料機関に問題が発生し、「五日
間航海すれば、燃料が切れる」ということが判明したらしい。

空母が5日間で作戦終了ということになれば、無用の長物、艦載機の訓練
における事故の続発といい、この燃料短期終息といい、やることなすこ
と、やっぱり伝統的シナ式である。
         
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1906回】          
 ――「彼等の行動は生意氣の一語に盡きる」――石井(3)
石井柏亭『繪の旅 朝鮮支那の巻』(日本評論社出版部 大正10年)

              ▽

石井は上海で続く排日運動に興味を持ったのだろう。そこで事細かに綴っ
ている。

「排日に騒ぎが靜まつたら何處かへ旅立たうと思つて居るうちに、それは
却つて段々にひどくなつて行つた。工務局から傳單が禁止されたら、今度
はそれに代ゆるに『堅持到底抵制日貨』等の文字を大畫きした白旗を以て
された」。

フランス租界やイギリス租界の「目抜きの町筋の兩側の軒から之等の白旗
が翻る下を通るのは、日本人にとつて決していゝ氣持ちではなかつた」。

誰か知らぬが「抵制日貨」と彫った大きな版を作って、「それを電柱と云
はず壁と云はず手當り次第に捺して行く」。しかも夜明け前の仕業だか
ら、捕まえようがない。治安不安に商店は店を閉めだす。学生に強迫され
てのようだが、学生は自発的行為だと嘯くばかり。そのうえ尻馬に乗った
女学生までが排日運動に乗り出す始末だ。

上海市中にあるいくつかの市場も閉鎖され、「人は食糧に就ての心配をし
始めた」。「支那人は困りながらも何處かで何かしらを手にいれる」が、
在留日本人はお手上げ状態だ。

閉まった店の表戸は排日ビラで埋め尽くされる。店を休むから、不逞の輩
が町中に溢れ出す。治安は悪化するばかり。「罷業は苦力階級にも及ん」
だ結果、港の機能はマヒ状態で、鉄道は動かない。

1919年の6月も半ばになると、北京では「曹、章、陸と云ふやうな所謂親
日的官吏が罷められたことによつて、排日運動にも一段落がついた」。

そこで交通機関を中心に都市機能も回復しつつあるが、まだ完全に収まっ
たというわけではない。「市場は復舊したが、支那商店の或ものは單に日
貨を排斥するに止まらず『日人免進』と云う貼札をして日本人に物を賣ら
ぬと云ふ馬鹿げた眞似をして居る」ほどだ。

「日本人が支那服に假装して水道とか食品とかに毒を入れて歩くと云ふ馬
鹿々々しい流言が割合に下級民の信ずる處となつて」、日本人のなかには
「とんだ危害を被るものも鮮くなくなかつた」。「支那人に怪まれて害を
受けたものも仲々に多い」。

石井の友人の1人も「少し普通の支那人の相貌と異ふかして、或日車上に
在つて群衆に『東洋人』と叫ばれて困つたそうだ」。彼が上海弁で「よく
眼を洗って見ろ」と捲し立てると、彼らは笑いながら散っていった。「東
洋人」は、時に日本人に対する蔑称となり悪罵・軽蔑の意を含む。

石井は一連の反日騒動を総括して、「日本に居る支那留學生なども多少騒
いで居るやうだが、今日も(中略)さかり場の所々に持出した卓に乘つ
て、生若い學生が熱辯を振つて居るのを見た。傍には某々中學校の國恥講
演團と云ふやうな旗を樹てゝあつた。乳臭の學生に何の政治問題が解るの
か。彼等の行動は生意氣の一語に盡きる。それは民論でも何でもない」と
記している。

「乳臭の學生に何の政治問題が解るのか。彼等の行動は生意氣の一語に盡
きる。それは民論でも何でもない」と、石井は切り捨てる・・・さて排日
運動は「乳臭の學生」の「生意氣の一語に盡きる」ような行動であり、本
当に「民論でも何でもな」かったのか。

ここまできたら、またまた林語堂に登場を願うしかなさそうだ。
 
「中国人はたっぷりある暇とその暇を潰す楽しみを持っている」と説く彼
は、『中国=文化と思想』(講談社学術文庫 1999年)に「充分な余暇さ
えあれば、中国人は何でも試みる」とし、「蟹を食べ、お茶を飲み、名泉
の水を味わい、京劇をうなり」から「叩頭をし、子供を産み、高鼾を立て
る」まで全58種類の暇つぶしの方法を挙げているが、その43番目が「日本
人を罵倒し」とある。

ならば石井が目にした排日運動は「民論でも何でもな」く、単に「乳臭の
學生」による暇つぶしだった・・・としたら「生意氣の一語に盡きる」。
確かにフザケタ話だ。《QED》