2019年07月07日

◆米中貿易戦争はアメリカにも甚大な損失

宮崎正弘


令和元年(2019)7月7日(日曜日)通巻第6132号  

米中貿易戦争はアメリカにも甚大な損失をもたらしたことは明白だが。。。

余波は日韓台を襲い、漁夫の利で笑うベトナム、カナダ、ブラジル、カン
ボジア

高関税を掛け合って、報復合戦に突入してから1年が経った。
米中貿易戦争では、中国の損害も目立つが、アメリカ側も甚大な損失を
伴った。

米国からの大豆、自動車、液化ガス、鉄くず、木材、パルプなど30%から
80%の輸出減となり、ロスは2兆円前後と見積もられている。全体で38%
減少した。

中国からの対米輸出も集積回路、電気機械、部品など14%の減少を示し
た。現時点でみる限り、おあいこである(度合いは中国が低いように見え
るが全体量比較ではなく、金額ベースでそれぞれが2兆円前後のロスと
なっている)。

米中貿易戦争の余波は北東アジア、とりわけ日本、韓国、台湾の経済を襲
い、サムソンはじつに56%の収益減。スマホ輸出は事実上とまった。対中
半導体輸出が激減したからだ。そのうえで日本からの規制強化に遭遇し、
売り上げ予測は大幅な下方修正が迫られる。

漁夫の利で笑うのは木材と穀物の対中輸出が激増したカナダ、そして大豆
を中心とした穀物輸出が急伸のブラジルである。

また迂回貿易で沸き立つベトナム、カンボジアでは、中国企業の進出が顕
著なばかりか、両国の港では中国製品を一度陸揚げし「MADE IN 
CHINA」のラベルの張り替えが行われている。原産地偽装でアメリカ
へ船積みをし直すのだ。

米国のインテル、クアルコム、アップルは業績の大幅下方修正、中国の
ファーウェイも、3兆円の売り上げ減を予測しているうえ、韓国のSKハ
イニクッックスは株価が22%も落ち込んだ。

以上をみる限りにおいて米中は大けが、日韓台は重傷となり、商業主義的
な見地から言えば、「ろくなことはない」のである。

しかし米国は「目先の利益より国家安全保障が重要だ」と息巻き、トラン
プ政権より議会が強硬である。
      
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1921回】         
――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(15)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

           ▽

「其の無限の曠野、其の底知れぬ忍耐力」に対するに「繊麗なる日本の自
然と怜悧なる日本の人間」。この両者の間で「相互無關心に相互不感染に
存在し乍ら3千年の國交を續け」てきたことに、鶴見が首を傾げる。

そして「12萬方哩の小國たる日本と四百萬方哩の大國たる支那との關係」
は、とどのつまり徹底して「『見知らぬ國』である」と結論づけた。

「同文同種と言ふ抽象的な概念的な標語に累せられて日支兩國民は、あま
り相知つたと自惚れ過ぎた。相似ざる隣人達が、異なる環境に異なる文明
を抱いて生活し乍ら、相似たる者の如くに振舞つた。其の間から怏が渦巻
き起こつた」。

とどのつまり、「似ざる者の間に起る精神的反撥と物質的乖離とを一時の
權宜と半呑半吐の好意とを以て繋ぎ合わせようと大勢の人々が騒ぎ犇めい
た」ところに、問題の発端があったわけだ。

「日支兩國民」が揃ってそうだったのかどうかは判らないが、少なくとも
日本人が「同文同種と言ふ抽象的な概念的な標語に累せられて」、「あま
り相知つたと自惚れ過ぎた」ことだけは確かだろう。「あまり相知つたと
自惚れ過ぎた」からこそ、その後の悲劇――敢えていうならば嘗めなくても
いい苦労――を体験しなければならなかったに違いない。

この鶴見の指摘は正鵠を得ている。余りにも正しいだけではなく、中国に
関心を持つ日本人の大部分が今に至っても学び取ることのできない、ある
いは体得することを回避し続けた「不都合な真実」と言っておきたい。
やはり我々は「あまり相知つたと自惚れ過ぎた」のである。いや、より正
確に表現するなら、「自惚れ」に「自惚れ過ぎた」のだ。

あたかも当時は奉直戦争と呼ばれる軍閥間の内戦が行われていた。

北京に近づくに従って「鼠色の小倉服を着た支那兵」が目につくようにな
る。「停車場の壁や汽車の廊下などに、2尺5寸に1尺5寸程の大きな貼
紙がしてあ」り、そこには「汝等秋毫も犯すべからず」と。一方の大将で
ある張作霖の布告であった。

その狙いは「民心を害なふまいと言ふ支那の督軍の苦心と、其の苦心の背
後に在る支那の輿論の勢力、と言ふやうなことが、スーッと旅行者の腦裏
をかすめて通る」。

ここで鶴見は「埃及の沙漠に立つスフィンクスのやうな、昔からの謎であ
る」「支那に於ける民論の勢力」について考えた。それは「或時は無いや
うで、そして或る時は千丈の奇峰のやうに峙つて來る」。「其の正體を見
究めやうと思つて、多くの外國人と旅行家とが、北は北京から南は廣東ま
で走り歩いた」。その結果、「冷頭の物知り」は「支那に民論などあるも
のか」と吐き捨てる。

一方、「生一本な人道論者」は「支那は昔から民論の國である」と「握り
拳を固め」る。どちらにしても「民論」の正体を捉まえられない。

この「正反對の兩極端の間に、區々まちまちの評價が人々の性格のまゝに
生まれて來た」。それゆえに、「支那の民論の價値」は永遠に未解決の謎
であり、謎のままに「支那研究者の眼前に?はつて居る」のであった。こ
ういった図式は、21世紀初頭の現在も同じだ。

今年は中華人民共和国建国から70年である。前半の30年ほどの毛沢東の時
代を見ても、1950年代の半ば以降、言論の自由を掲げた「百花斉放・百家
争鳴」運動から始まり、反右派闘争、大躍進政策、そして文革。文革をみ
ても当初の敵である劉少奇を打倒すると、次は「毛沢東の親密な戦友」で
あったはずの林彪が毛沢東の敵とされ、やがては林彪と孔子とを一緒くた
に批判する批林批孔が展開され、遂には毛沢東の側用人として文革の旗を
振りまくった四人組が批判され・・・何が何だか判らないままに「毛沢東
の敵」が目まぐるしく入れ替わる状況が連続したにも関わらず、人民は対
応している。

どうやら、この辺に「支那の民論の價値」があるように思う。ともかくも
変幻自在で融通無碍なのだ。

「支那の民論」を前にしては反中・嫌中も親中も・・・暖簾に腕押し、糠
にクギ。《QED》 

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読者の声  どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 
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(読者の声1)夕方の民放各局のニュースを見ていたらアメリカ独立記念
日の模様と解説。軍事力の誇示はけしからんという反対派の意見を取り上
げていましたが、イギリスではバッキンガム宮殿の上空を、フランスでも
エッフェル塔上空を空軍がデモンストレーションする。

日本でも1964年の東京オリンピックでは航空自衛隊のブルーインパルスが
五輪を描いて国民は誇らしかった。国の守りを誇示することに何ら恥じる
こともないはず。

フランスなど左右で国論が分裂しても核兵器と原発については国の安全保
障上の理由から持つのは当然とされている。

頭でっかちの上に感情論が支配しがちなドイツでは原発廃止だの移民受け
入れ賛成だの極端に振れ、メルケルの治世に軍事力は崩壊、まともに飛べ
る戦闘機もなく、戦車は外国へ売り飛ばし陸軍も最低水準。フランスと
ポーランドに極右政権ができて第2次大戦の恨みと攻め込まれたらドイツ
が東西に分割されかねないほど。

番組ではワシントンDCのリンカーン記念堂を解説。記念堂の柱の数が36
本というのはリンカーン大統領時代のアメリカが36州だったから。また一
つ勉強になりました。

リンカーン大統領が奴隷制度自体に反対していたわけではなかったことは
高山正之氏の変見自在シリーズを読めばわかることですが、欧米人はス
ローガンやキャッチフレーズで国民も世界も騙すことにかけては長けてい
ます。

日本も欧米にはさんざん痛い目にあってきて最近やっとまともに対応とい
うか反撃できるようになってきました。

今にして思えば。1970年代から80年代にかけての日本は現在の中国同様、
自国の利益しか考えない世界経済撹乱の目障りな存在だったと言われても
おかしくないほどです。

家電のトップだったナショナル(パナソニック)の電気剃刀はフィリシェー
ブでしたが、オランダのフィリップスとの技術提携品とのことは一言もで
てきません。

国鉄のディーゼル機関車のエンジンも欧米製を模倣したもの、船舶のエン
ジンなど海外からの輸入かパテントだらけ。今の韓国を見ていると30〜40
年前の日本を見ているようで痛々しい気もします。

日本と韓国が違うのは戦争後の自助努力の差でしょうか

アメリカに負けた日本は潜水艦やレーダーなど世界トップクラスにまでな
りました。日米に冷戦のショーウィンドウとして育てられた韓国はなんの
苦労もなく自力で先進国になったと勘違いしています。朝鮮戦争で逃げ
回っていた韓国は自称世界水準のお笑い兵器ばかり作るのが関の山。

ひところブームとされた韓流ドラマ、国王に取り入ろうとする臣下、声
闘、さらには韓国お得意の告げ口まで、韓国人の性格を知るにはまたとな
い教材でした。

韓流ドラマを見た人なら朴槿恵の告げ口外交も韓国歴代大統領の絶対に非
を認めない姿勢もわかるはず。反面教師という点では韓国ドラマも貢献し
ています。作家の岩井志麻子氏は韓国人を「手首切るブス」といいました
が、夫も浮気相手も韓国人という韓国マニアの岩井氏の言はネットでたち
まち「リスカブス」(リストカットするブス)として定着しました。

付き合いたくもないのに無視すると「死んでやる」と手首を切ってはすが
りつく。男なら笑顔を見せただけで「この女は俺に気がある」というス
トーカーです。

2012年に留学先のタイで韓国人につきまとわれた女性のブログがまだ残っ
ていました。韓国人の「気持ち悪さ」をこれでもかというほど指摘してい
ます。
http://realjapanese.blog.fc2.com/blog-entry-512.html

 韓国人とはまともに話が通じないためネットではかなり以前から「○○ヒ
トモドキ」や「黒い山葡萄原人」(北朝鮮人の祖先) 、さらには「亜人」
となり、最近では「ゴブリン」とまで。ゴブリンスレイヤーというライト
ノベル・アニメでは、教えられたことはできる知能を持ち、人間の女をさ
らっては繁殖の道具にする悪辣で卑劣で狡猾な生き物という設定。パクリ
は当たり前で強姦魔の韓国人そのもの。

韓国人は「嘘をつかないと死んでしまう病気」と以前からネットでは揶揄
されていましたが、瀬取りの証拠を示しても絶対に認めることはないので
しょう。

政府の対応は生ぬるいように思えますが韓国人の実態を知らない日本国民
に対する啓蒙だと思えば長期戦でジワジワ締め上げるのが正解ですね。
   (PB生、千葉)

◆歳は足にくる(前)

   石岡 荘十


学生時代から体育会系で足腰には自信があるつもりだったが、古希を過ぎる頃から歳が足にきた。

ことの始まりは、高校の友人と花見がてら玉川浄水伝いの小道を小金井公園まで数キロ歩いたときだった。暫く歩くと左足がだるく、重くなって思うように歩けない。しばらく(数分)休むと回復してまた歩けるようになるのだが、また、だるく重くなる。

こういうのを間欠性跛行(かんけつせいはこう)といい、腰部脊柱管狭窄症の典型的な症状だとされている。跛行とはビッコを引くということだ。

人間の脊椎骨は上から頚椎(7個)、胸椎(12個)、腰椎(5個)、仙骨(1個)、それに数個の尾骨から成っている。脊椎骨の中心を走る脊柱管の中に神経の柱がある。

一つひとつの脊椎と脊椎の骨の間には椎間板というクッションの役割を果たす軟骨組織がある。そしてさらにこれらは靭帯や背筋などの筋肉で支えられている。

ところが、40代後半になってデスクワークが増えたせいか、足に痺れや傷みが来た。背筋が脊椎を支えきれなくなって5番目の腰椎がずれていると診断された。それから、少なくとも一キロ/週、泳ぐ習慣をつけて今日に至っているので、重い足を引きずってビッコを引くようになろうとは思いもしなかった。

脊柱管狭窄症、つまり神経の管が腰のところで狭まっている疑いがあるとのことで、腰のレントゲン、さらにMRIを撮ってみると、確かに、5番目の腰椎がずれている。が、神経には触っていないことが確認できた。脊柱管はどこも狭くなっているところはない。

しかし、MRIをよく見ると、3番目と4番目、4番目と5番目の間の椎間板がほかの椎間板より白く写っていて、炎症を起こしていると認められ、そのせいでごくわずか椎間板がはみ出して、脊柱管を押している。

治療法としては、腰椎を引っ張る、固定装具を使う、消炎鎮痛剤や飲み薬を使う、重症でそれでもダメなら外科手術をするということになる。みのもんたさんは手術をしたといわれるが、そこまでひどい症状は患者の一割程度だそうだ。

私の場合は軽症で、椎間板の炎症は飲み薬でなおる、ビッコの原因はほかにあるというのが整形外科医の診断だった。

では、ビッコの原因は何か。

考えられるのは、足に血液を供給する血管、動脈がどこかで狭くなっていて、栄養補給が足の筋肉の運動量に追いつかない動脈硬化ではないかと循環器内科の医師は考えた。

これを立証するのが、「血圧波検査」だ。両腕、両足に幅広のベルトを巻いて一斉に血圧を測定する検査法である。この検査をすると、動脈の詰まり具合と動脈の硬さ(柔軟性)がわかる。

結果は、左足だけが標準値に達していない、(専門的には「閉塞性病変の疑い」という)左足の血流は右足の7割しかないことが分かった。左足へ行く動脈のどこかが詰まっていた。

血流が詰まる動脈硬化は典型的な加齢疾病だ。脳の血管が詰まれば脳梗塞になるし、心臓の血管(冠動脈)が狭くなると、狭心症や心筋梗塞になる。私の場合は足にきたというわけである。

治療法は、脳梗塞や心臓梗塞と同じだ。血管の狭くなったところにカテーテルを入れ込んでフーセンで拡げるとか、バイパスを作るとか、などなど。

診療科の選択は大事だ。教訓は、大雑把に言うと、足が「痛むとき」は腰の神経になにかが触っているのだから、整形外科へ、「だるい・重いとき」は循環器内科へ、である。

多くの病気は、原因が分かり適切な治療が行なわれれば治るし、治療が適切でなければ治るものも治らない。癌の多くが治らないのは、原因が分かっていない。原因はわかっても治療法がそこまでいっていないか、誤った治療法がまかり通っているためだ、と私は思っている。

いわゆる「難病」といわれるものは、原因が明らかでなく、従って治療法もわからないものをいう。

と、考えると、足がだるくなる間欠性跛行は難病ではない。脳や心臓の梗塞と同じ加齢疾病だと考えればいい。治療法はあり、医師を選び抜けば高い確率で治る。調べてみて“悲観”は飛んだ。

ただ、このような治療法は対症療法に過ぎない。創造主に逆らって老いを押しとどめる智恵はヒトにもない。例外はない。

ガキは頭にくる、なにかというとキレるらしいが、歳は足にくる。(続く)


2019年07月06日

◆責任者=孫波に懲役12年

宮崎 正弘


令和元年(2019)7月6日(土曜日)通巻第6130号  <前日発行>

 中国初の空母「遼寧」の責任者=孫波に懲役12年
 多額の賄賂、機密を米国に漏洩した疑い。同造船集団の高官も連座失脚

2019年7月4日、上海法院は、空母建造に関して多額の賄賂を受け取った
ばかりか、機密を米国の情報筋に漏洩したとして、大韓部だった孫波に懲
役12年、罰金80万元(邦貨換算1280万円)を言い渡した。

情報筋は孫波への判決を「死刑」と予測していたため(スパイ行為は中国
では死刑が常識)、「あまりにも軽い」という批判がある。

起訴状によれば、孫とその夫人は業者らから840万元(邦貨換算1億3400
万円)の賄賂ならびに物品を浮けとり私服を肥やした。そのうえ空母の機
密を米国情報部に流した疑惑が持たれ18年6月から拘束されていた。同時
に系列の731研究所所長のジン・タオ(音訳不明)らも拘束された。

孫波は大連科技大学を1982年に卒業し、中国造船集団の子会社「大連船舶
重工業集団」に入社、その後辣腕を発揮し、またたくまに出世階段をのぼ
り、四年間に社長のポストに就いていた。

中国初の空母はウクライナから輸入して10年かけて改良をくわえ、実験航
海段階を経て直近では空母打撃群をともなってハワイ沖に現れた。しかし
事実上の中国初の国産空母「0001A」は4回の実験航海を経てドッグ
入りしたままである。情報筋は燃料が5日間で切れるため、とても空母と
呼ぶようなシロモノではないと評価している。

軍関連の汚職摘発は続発しており、軍需産業のメッカ四川省成都では、か
なりの軍幹部、軍需産業経営者らが汚職、機密漏洩で起訴されている。
     
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 パプアニューギニアに生きていた日本軍人の精神と団結力
  リスクの高い現地でいかにして企業を経営できるかの悪戦苦闘

丸谷元人『日本の南洋戦略 南太平洋で始まった新たなる戦争の行方』
(ハート出版)
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この稿を書こうとした矢先、中国が南シナ海へ向けて2発の対韓弾道ミサ
イルの発射をしたことがわかった。米国の発表では実験は6月30日に行な
われたいう。

米中首脳会談が行われた直後だった。明らかに「自由航行作戦」を展開中
の米仏英を牽制する狙いがあったと考えるのが自然だろう。同時に中国の
不誠実さを如実にあらわしている。

中国が狙っているのは「尖閣」や沖縄、台湾だけではなかった。

南シナ海の美しい珊瑚礁を破壊して人口島を七つも造成し、そのうち三つ
には滑走路、レーダー基地にミサイルを配備し、あげくにミサイル実験を
強行した。

南シナ海の人工島造成に続いて、中国は紅海の入り口を扼するジブチに中
国軍基地をつくった。マラッカを超えて、まずはミャンマーのチャウ
ピュー、つぎにバングラのチッタゴン、そしてスリランカのハンバントタ
港は99年の租借、インドの南端を回り込んだモルディブでは無人島を狙
い、パキスタンのグアダール港は43年の租借とした。
シーレーンの要衝を中国が軍事的に制圧するとどうなるか?

これらの事実経過を踏まえて、目を南太平洋に転じてみよう。

驚くなかれ、米国、英国、仏蘭西、ドイツ、そして豪、NZと、列強の権
益が錯綜して入り込んだ海域に14の島嶼国家があるが、台湾と外交関係
を維持する国々は、いまでは僅か6ヶ国を残すのみである。

中国が静かに接近し、経済援助と巨額投資を積み上げながら、政権トップ
に近付き、台湾と断交させてきたからだ。

小誌でもかなり詳細を報告してきたが、トンガ、バヌアツなどへ行くと立
派な中国大使館がある。ところがバヌアツに日本大使館はまだない。ビル
の一室に大使館開設準備室があるだけ。このバヌアツの北側のエスピリ
トゥサント島のルーガンビル港は中国が近代化工事を請け負っている。

中国の狙いルーガンビル港の「南太平洋のジブチ化」である。

フィジーでは、華字紙が日刊で発行されている。これらに関しての詳細は
拙著『日本が危ない 一帯一路の罠』(ハート出版)ならびに近著『地図
にない国を行く』(海竜社)に書き込んだ。

さて本書では、こうした中国の南洋戦略を論じ、とくにパプアニューギニ
アに焦点を当てる。

中国の登場によって当該海域の国々の政治家がいかに変化したのか、中国
の遣り方を現地の政治家は心よく迎えているのではなく、宗主国として威
張りちらしてきた豪への心理的反発が中国とのバランスをとるという危険
な綱渡り政治の出現となっている現実を綴るのだ。

随所に著者の思い入れが強く、重々しい筆圧を感じる。思いの丈を原稿に
たたき込んだという熱気が行間に犇めいている。

実際に著者の丸谷元人氏は豪に留学し、偶然なことからパプアニューギニ
アに通い始め、会社も経営して、首相や政治家の有力者とも親しく付き
合った経歴の持ち主である。だからこそ、これまでに欧米人やオーストラ
リアのジャーナリストが書いてきた『西側史観』とは、立場が明瞭に異な
り、上から目線ではなく、現地の目から見た政治地図を活写した。
 それゆえに貴重な報告である。

なぜパプアニューギニアの人々が親日的なのかと不思議に思いながら、戦
跡を訪ねるうちに何回も日本兵の幽霊をみた。およそ14万人が犠牲になっ
て、巻き添えでパプア人も相当数が亡くなった。それでも初代首相は日本
の教育を受けたソマレ氏で、大の日本ファンだった。

ラバウル航空隊、ガダルカナル、大東亜戦争での激戦地。。。。。

もっともエキサイティングな箇所は丸谷氏がパプアニューギニアにおいて
悪戦苦闘を重ねながらタクシー会社とジュース工場を経営した血の滲むよ
うな記録である。

「のろま、怠け者」「すぐに袖の下を要求し、それでも動かない」として
多くの日本企業はさっさと引き揚げた。「カントリーリスクがある」とい
う理由だった。

それはそうだろう、あまりにも文化、慣習が異なり、言葉は通じないし、
食事も喉に通らない。そのうえ、信頼した部下が丸谷氏が日本に帰国した
とたんに裏切り、横領、女遊び、会社は傾く。

そうして悪戦苦闘を続けながらも、丸谷氏を信じて再建のために、ついて
きた現地の人々が十数名いた。

なぜなら彼らこそは日本軍人が残していった勤勉、信頼、友情。そして日
本軍人の精神に深く感動した人たちであったからだ。
        
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【知道中国 1920回】         
 ――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(14)
鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

              ▽

南通州だけを考えるなら「その御心配はありますまい」と答えた後、「張
謇氏は居ずまゐを正して」、じつは同地においては「土地の収?が全人口
を養ふには足りません、一家八口なくては足りないものを、今で一軒當り
五口しか耕地がありません」。そこで近辺の海の埋め立てを計画している
というのである。

鶴見は張謇による民生向上を目指した南通州の開発事業を大いに称え、
「支那の先覺者の多くが、張謇氏の如く政治的功名心を抛つて、專心郷國
の開發指導に從事する日が到來したならば、それは、支那が眞の國民とし
て、蘇生復活する時であらう」と考えた。

その後、南通州はともあれ、鶴見の望んだような「支那の先覺者」がいた
としても、戦乱の渦中では「專心郷國の開發指導に從事する」ような暇は
なかっただろう。

鶴見は1945年11月に日本進歩党を結成し幹事長に就任。だが戦前に大日本
政治会総務であったことから、46年1月に公職追放処分を受けている。
中華人民共和国建国1年後の1950年10月、65歳の時に公職追放が解除と
なった。公職追放の間、雑誌『思想の科学』を息子の俊輔らに提供し社会
に向けた発言を継続した。

そこで思うのだが、さて鶴見は毛沢東による建国を如何に捉えたか、である。

毛沢東を「張謇氏の如く政治的功名心を抛つて、專心郷國の開發指導に從
事する」「支那の先覺者」であり、1945年10月10日を「支那が眞の國民と
して、蘇生復活する時」と見做したのであろうか。

文革が最盛期を過ぎ、林彪が不可思議な死を遂げ、批林批孔運動が発動さ
れ、四人組の専横が猖獗を極めていた頃の1973年に鶴見は死んでいるが、
さて最晩年の鶴見は、そんな中国にどのような眼差しを向けていたのだろ
うか。

歴史を振り返って思い至るのは、一般に日本では中国を見る目が情緒的に
過ぎるという「悪癖」だ。

文革のみならず天安門事件、改革・開放政策にせよ、隣国が抱いた淡い期
待、あるいは希望的観測に基づいた情緒的見通しなんぞ木っ端微塵に打ち
砕いてしまう。これこそが中国政治の本質であることを忘れてはならない。

『偶像破壊期の支那』の体裁は、前の3分の1が鶴見の訪ねた「支那の先
覺者」に関する記述で、真ん中の3分の1が社会に対する観察、残りの3分
の1が「現代支那大觀」と題する一種の政策論となっている。
というわけで、ここからは社会に関する観察になる。

先ず気づいたのが道路だ。

「修繕することなしに幾世紀の使用に服した支那道路は、肩を没する程の
深さに摩滅し鑿掘されて居る。其の先祖の轍の刻んだ險惡な道路の上を、
支那の農夫が三皇五帝の昔さながらに彈機の無い支那車の上に乘つて、種
類の異なる五六頭の動物を御し乍ら無關心に駛つて行く」。

まさか「肩を没する程の深さに摩滅し鑿掘されて居る」とも思えないが、
この部分を目で追ってみて、ひょっとして、これは道路の話ではなく、社
会そのものを指しているのではないかとも思った。王朝の交代は繰り返さ
れてきたが、歴代王朝の権力機構・統治制度は「修繕することなしに幾世
紀の使用に服した」ものであり、であればこそ、ちょっとやそっとの智慧
や工夫ではどうにもならないまでに「摩滅し鑿掘されて居る」。

かくて「其の先祖の轍の刻んだ險惡な」社会制度のままに、「支那の農夫
が三皇五帝の昔さながらに彈機の無い支那車の上に乘つて」いるように
日々を生き続けるしかない。

種類の異なる五六頭の動物を御し乍ら無關心に駛つて行く」ように、極め
て狭い日常空間で生活し、血縁と地縁――言い換えるなら《自己人(なか
ま)》――に繋がらない世界に対しては余り関心を向けない。《QED》

◆3度の失脚と復活

渡部 亮次郎


ご承知の如く私は中国については国交回復のとき、記者として田中総理に
同行し、6年後は福田内閣の外務大臣園田直の秘書官として日中平和友好
条約の締結に関与した。

振り返って日中関係の主人公は中国では毛沢東首席であり周恩来総理だっ
たが、隠れたる主役がトウ(ケ)小平だったと思う。だから産経新聞連載
中の「トウ小平秘録」を夢中で読みながら、彼に生涯初めて厭がる鮪の刺
身を食べさせたことなどを思い出している。

周恩来は日本に留学するがトウは16歳でフランスにわたる。1927年に帰国
し、ゲリラ活動を開始。紅七軍を政治委員として指揮するが、冒険的で無
計画な李立三路線に振り回される。

1931年、蜂起したものの根拠地を失った部隊と共に毛沢東率いる江西ソ
ヴィエトに合流し、瑞金県書記となる。

しかしコミンテルンの指令に忠実なソ連留学組が多数派を占める党指導部
は、農村でのゲリラ戦を重視する毛沢東路線に従うケ小平を失脚させる。
これが生涯3度の失脚の1回目。

ケ小平は、毛沢東の指揮した大躍進政策の失敗(数千万人の餓死者)以降、
次第に彼との対立を深めていく。大躍進政策失敗の責任を取って毛沢東が
政務の第一線を退いた後、共産党総書記となっていたケ小平は国家主席の
劉少奇とともに経済の立て直しに従事した。

この時期には部分的に農家に自主的な生産を認めるなどの調整政策がとら
れ、一定の成果を挙げていったが、毛沢東はこれを「革命の否定」と捉えた。

その結果、文化大革命の勃発以降は「劉少奇に次ぐ党内第2の走資派」と
批判されて権力を失うことになる。1968年には全役職を追われ、さらに翌
年江西省南昌に追放される。これが2度目の失脚。

そこでは政治とはまったく無関係なトラクター工場や農場での労働に従事
した。「走資派のトップ」とされた劉少奇は文化大革命で非業の死を遂げ
るが、ケ小平は「あれはまだ使える」という毛沢東の意向で完全な抹殺に
までは至らず、一命を取りとめた。トウ氏はせっせと毛沢東に助命嘆願の
手紙を書き続けた。

1972(昭和47)年9月の田中角栄総理による日中国交回復交渉に同行取材し
たとき、トウ小平の名は誰の口からも出なかった。出せば毛沢東の怒りに
触れ、命を失うかもしれないから当然だった。

漸く1973年周恩来の協力を得て中央委員に復帰する。73年4月、カンボジア
のシアヌーク訪中レセプションで副総理の肩書きで出席して2度目の復活
がわかった。

しかし1976年4月には清明節の周恩来追悼デモの責任者とされ、この第1
次天安門事件によって3度目の失脚。毛沢東夫人江青らの陰謀だったこと
がのちに分る。

いずれ広州の軍閥許世友に庇護され生き延びる。同年毛沢東が死去すると
後継者の華国鋒を支持して職務復帰を希望し、四人組の逮捕後1977年7月
に生涯3度目の復権を果たす。

中国では政治家や軍人の動静や異動についていちいち発表がないから、在
中日本大使館といえどもトウ小平3度目の復活の確認作業をどのようにし
ていたかは知らない。

しかし、個人的に廖承志氏とのパイプを維持していた官房長官(当時)園田
直氏は早くに知っていた可能性がある。日中平和友好条約の締結に極めて
積極的だったからである。

日中国交回復してから既に5年になろうと言うのに両国の政治・経済関係の
憲章となるべき日中平和友好条約が中国側の頑なな態度によってなかなか
締結できない。その中にあって福田内閣の官房長官園田直だけが早期締結
を唱えて自民党内右派の非難を浴びていたほどだ。

77(昭和52)年7月に復活したトウ小平は、秋には党副主席、78年春には第1
副総理、全国政協主席に選出された。一方の園田は77年11月には官房長官
から外務大臣に追われて就任。

そこで中国育ちの武道家をしばしば旧知廖承志の許(もと)に派遣。その結
果、中国政府がトウ小平副総理の下、条約の早期締結にカジを切り替えた
ことを確認する。

私は外相秘書官とはいえ、元は一介の政治記者であり、しかも外交につい
ては素人である。

だが、条約締結の見通しについて福田総理と園田外相の間に決定的なミゾ
の広がりだけは痛感するようになっていた。トウ小平の存在を知った外相
と全く知らない総理。総理には外務省情報しか入っていない。

トウ小平の胸には既に経済の改革開放路線が出来上がっており、そのため
には日本の資本と技術の導入が不可欠であり、更にそのためには日中平和
友好条約の早期締結が不可欠だったのだ。日本外務省はそこを読めなかった。

中華人民共和国は共産主義国家であるが、それは極端な独裁的人治国家で
あることを見抜いていなかった。トウ小平が以後1997年2月19日の死に至
るまで中国を振り回す人物であることを見抜けなかった。

3度の失脚、3度の復活。地獄から這い上がったと思ったら失脚。さながら
ジェットコースターのような人生の中で人生と人間と言うものの本質をや
や究めた人物トウ小平。彼は毛沢東を乗り越えた。

毛は死体となっても水晶の箱で薬品漬けで君臨しているようにしている
が、トウの遺骨は胡錦濤の手で上空に撒かれて墓はない。文中敬称略 参
考:ウィキペディア他2007・06・22


◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号 日本ルネッサンス 第858回

◆木津川だより 高麗寺跡 B

白井繁夫


飛鳥時代に創建されたと云われている古代寺院の「高麗寺跡こまでら跡」について、@では寺名が「高麗寺:こまでら」となった由来や時代の背景について、高麗寺跡Aでは発掘調査の出土品の中で、出土遺物の数量などが多くて年代を文様などから比較的に区分しやすい瓦(軒丸瓦.軒平瓦)から高麗寺について記述しました。

今回Bでは、昭和13年の第T期発掘調査の結果、国の史跡と認定された高麗寺跡の伽藍配置や瓦以外の出土品を精査して、V期調査まで(平成22年の第10次発掘調査まで)の間に確認された概要を下述します。

★高麗寺の創建は7世紀初頭、伽藍整備は7世紀後半、伽藍配置は法起寺式
  
 主要堂塔が東に仏舎利を祀る塔、西に本尊仏を祀る金堂を並置して、それを囲む回廊
が北の講堂、南で中門に接続している様式(南北回廊200尺:59.4m、東西201尺:
59.7mのほぼ正方形)
 高麗寺の伽藍配置は川原寺式から変化して法起寺式へと移行の初例と思われます。

★南門.中門.金堂が南面して一直線に並び、講堂の基壇が荘厳で特異な伽藍配置

川原寺式伽藍配置から法起寺式への変化の途上か?(添付の「各寺院の伽藍配置」参照)
高麗寺は西金堂の正面が南面し中門.南門と直線状に並びます。川原寺は北講堂.中金堂.中門.南大門は一直線状ですが西金堂は正面が東塔に対面しています。

(仏舎利を納めた塔より仏像を祀る金堂を重視する考え方か?
飛鳥時代から天平時代へと伽藍配置が変化する過程の先駆けではと思われます。)

高麗寺の講堂の基壇は三層構造の豪華さで、丁度川原寺の中金堂と同じ位置にあります。
高麗寺の初期設計時には講堂の場所に中金堂を予定していたのか?と思われるほど
基壇は荘厳な造りでした。
  
飛鳥時代、高麗寺が創建された時期には七堂伽藍を完備した寺院は飛鳥寺が国内では
唯一の寺院でした。その他の寺は一.二堂程度の草堂段階?(捨宅寺院?)であったと考えられています。

★高麗寺の南門の屋根には鴟尾があり、最古の築地塀が原形の状態で検出されました。

  南門跡は桁行20尺(5.94m)x 梁間12尺(3.56m)、屋根は切妻造りで鴟尾を
置いた八脚門、南門に接続する築地塀が南辺築地跡から原形を留めた、極めて良好な
状態で検出されました。

7世紀に築地塀が構築された例はいまだ検出されていません。8世紀の奈良時代になって  寺院の外画施設とする築地塀が一般的に用いられるようになったのです。

高麗寺の築地塀は7世紀後半のものであり、検出遺物は国内最古の出土物の例です。
白鳳時代の築地塀が残っていた事だけでも極めて珍しいのに、ラッキーにも壊れ方が建物の内側で原形を留めていたことです。

 (飛鳥寺南辺、川原寺南辺、東辺にも築地塀の存在説がありますが、現在も出土例は有りません。)

★高麗寺の終焉時期の推測

  文献上では廃絶が不明の寺院ですが、出土遺物の中から、平安時代の土器である灰釉陶器が見つかりました。この陶器から平安時代の末期頃(12世紀末から13世紀初)まで存続していたのではないかと云われています。

天武天皇は壬申の乱で功績のあった狛氏一族の氏寺の創建を認め、白鳳時代から奈良時代にかけて全盛期を迎えた高麗寺の状況ですが、聖武天皇が高麗寺の東方約3kmの瓶原(みかのはら)に恭仁宮を造営して、恭仁京(木津川市)へ遷都した頃(天平12年)、木津川の船上から見える高麗寺は南門の屋根には鴟尾が在り、当時は珍しい築地塀越に東塔が聳え西の輝く金堂など、当時の人々はこの大寺院を畏敬の念で仰ぎ見たことと思われます。

参考資料: 山城町史  本文篇  山城町
   南山城の寺院.都城 第106回 埋蔵文化財セミナー資料 京都府教育委員会
   木津川市埋蔵文化財調査報告書 第3.第4.第8集   木津川市教育委員会


2019年07月05日

◆半導体メーカーの悲鳴が聞こえる

宮崎 正弘


令和元年(2019)7月5日(金曜日)通巻第6129号  
 
 韓国経済の屋台骨、半導体メーカーの悲鳴が聞こえる
  中国からも大規模な撤退作戦が開始されていた

韓国企業は2017年を契機に中国から撤退を開始し、ベトナムに集中的に工
場を移管している。

最初の動きが目立ったのはロッテだった。2017年に所有ゴルフ場跡地を
THAADミサイル配備のために売却すると、中国はロッテデパートなど
で不買運動、営業許可取り消しなどの嫌がらせを続けた。

韓国のみならず日米欧の企業の相次ぐ撤退に慌てた習五区は、2019年4月
にロッテに対して遼寧省瀋陽のショッピンモールなどの営業再開許可を与
えたが、ロッテは再開する意思はないとした。
 
サムソンは天津の工場を閉鎖した。近く深センの主力工場も閉鎖する。韓
国製スマホは中国市場で20%のシェアを誇ったが、突如0・8%に急減
し、工場経営の採算が合わなくなった。同社はテレビの工場もベトナムへ
移管した。

2018年の韓国の対ベトナム直接投資は19億7000万ドルとなり、同期の対中
国直接投資の16億ドルを超えた。そして韓国からベトナムへの輸出は1992
年国交回復時の121倍、486億ドルに達し、まだ急伸中である。

ベトナム人は韓国人が大嫌いだが、投資と国民感情は別。ベトナム戦争中
の韓国軍の無謀な侵略加担と虐殺行為を追悼する施設はベトナム中につく
られている。

日本政府は7月4日から対韓国輸出規制を強化し、また「友好国」だった
韓国をブラックリストに載せて、軍事汎用品すべての輸出を規制する方向
にある。すでに韓国経済の死命を制する半導体の重要部品、部材の韓国向
け輸出制限は開始された。

具体的には有機EL使用の「フッ化ポリイミド」、半導体製造に不可欠の
「感光剤レジスト」、「エッチングガス」の3点。いずれも日本のシェア
は90%K〜100%だから、サムソンも、SKホトニクスも半導体を作れな
くなる。LGディスプレイも同様に製造の継続は難しくなるだろう。

フッ化ポリイミドは優れた絶縁特性があるので航空宇宙やエレクトロニク
ス分野の部品生産で幅広く使用されている。感光剤レジストとエッチング
は半導体素子の製造に使われ、露光用のマスク製造等の加工に用いられる。

弱り目に祟り目の韓国経済となったが、あの「韓流ブーム」の沸騰も希薄
となって、日本から同情する声は聞かれない。
     
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者
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   ♪
(読者の声1)海外の反応系のサイトには日本国内にいるだけではわから
ない日本と外国との差異を紹介するものがあります。G20サミットに出席
するため来日されていたトルコのエルドアン大統領ご夫妻と2015年の上皇
上皇后両陛下とのご会見の際の写真が話題になっているとか。
http://kaigainohannoublog.blog55.fc2.com/blog-entry-3119.html
https://blog-imgs-129.fc2.com/k/a/i/kaigainohannoublog/65487669_1351780878326302_1345454825378152448_os.png

たしかに侘び寂びというか神道につながる皇居宮殿の間とトルコの装飾過
多の金ピカ趣味とは正反対。トラブゾン市長と天皇陛下の執務室を比較し
た写真も興味深い。
https://blog-imgs-129.fc2.com/k/a/i/kaigainohannoublog/57164148_2355151288037241_7486995979753750528_ns.jpg

まるで油絵と水彩画・墨絵ほど違う。イスタンブルでも故宮でも金ピカを
見せられても何ほどの感動もないことを思い起こさせます。日本では伊藤
若冲など金ピカではなく色彩の鮮やかさと精緻な描写に感動もの。浮世絵
の多色重ね刷りも半導体基盤の多層エッチングも根は同じ。日本人にとっ
てはあたりまえに思えても、世界から見ると日本は魔法の国に見える。21
世紀は日本が世界の中心になる、というのは本当かもしれません。
  (PB生、千葉)


(読者の声2)4日の党首討論で、国防について野党は皆、日米安保に依
存すると言っていた。

トランプ大統領の片務不平等条約という苦情に対して、日本は米軍に貴重
な基地を提供しているから十分だ、その有益性を米国民に知らせるべき
だ、と言っていた。

1.釣り合わない取引:だが国防とは血を流すことだ。
米政府が在日基地借用を理由に日本国防のために米国青年の血を流すこと
を米国の母親が許すだろうか。それも日本人は血を流さないのだ。
これは釣り合いの取れない取引だ。絶対にNOだ。
2.政策の軽重:国家にはバイタルインテレストという概念がある。これ
は国家存亡に関わる最重大国益のことだ。日本にとってはそれは国防だ。
しかし米国にとって日本防衛はバイタルではない。世界政策の一つにすぎ
ない。

だから、国家方針が孤立主義に変われば日本から手を引くだろう。国防と
基地提供は国家の政策として別の次元の問題なのだ。

3.若い人の参政権の意味は自衛:18才参政権は、今度で3回目だが過去
あまり投票率は高くないという。これは無力感があるからだろう。

しかし選挙は自衛のためという見方はどうか。自分が悪徳政治家に売られ
ないためによい政治家を選ぶのだ。多くの政治家は無責任だ。石の下に逃
げ込む。残されるのは苦しむ若い世代だ。( 落合道夫)

  ♪
(読者の声3)G20大阪に出席後、日本に滞在して安倍首相との夕食会
を終えたエルドアン(トルコ大統領)は、帰路に北京に立ち寄り、習近平
主席と握手して「新彊ウィグル自治区のムスリムは幸せに人生を愉しんで
いる」と発言したと新華社が伝えています。

中国のイスラム信徒への扱いを「人類の恥」と糾弾したエルドアン、北京
で催眠術にでも引っかかったのでしょうか? (JJセブン)


(宮崎正弘のコメント)トルコのメディアがただちにエルドアンに真意を
尋ねたところ、「わたしはそんな発言はしていない。ムスリム問題は解決
策があり、そのための双方が最大の努力をしなければならない、と言って
きたのだ」として、新華社報道を完全否定しています。

エルドアンは話題を反米帰朝に切り替えG20でトランプ大統領と会談し
たおりもS−400導入に怒る米国が、F35のトルコへの引き渡しを中
止するとしていることに「トランプは取引は実行されるだろうと前向き
だった」とした。

トルコはNATOの有力メンバーだが、ロシアからs400システム導入を
決めたことで米国が激怒し、制裁のため、F35の114機供与をやめると圧
力をかけていました。

ペンタゴンはあくまでの制裁を続けるとしているが、エルドアンは「すで
に前払いが済んでおり、トルコ空軍パイロットはアメリカで訓練を受けて
いる。まとまった約束を反故にしてF35を引き渡さない等とは「強奪」で
はないか」と声を荒げたとトルコ有力紙『ハリイット』などが伝えています。
  ♪
(読者の声4)緊迫した世界情勢の中、日本は念願の国家としての自立の
絶好のチャンスを迎えていると云えます。ところが、多くの日本人の意識
は、未だに日本国民になる準備が整っていないようです。

自覚があろうとなかろうと、国家と国民は一体ですから、国家が長い間属
国として主体性を持てない状態になれば、必然的に国民も国家意識が薄れ
ていって、バラバラになって己の利益のみを追求するようになっていきます。

その極端な例が韓国人であり、その利己むき出しの韓国人が、そのまま国
家という体裁を取っただけの、国家ならぬ国家が現在の韓国です。日本も
いつまでも、属国のままでいると、韓国人のようになりかねません。

そうならないためにも、自分自身のルーツである日本国がどのように創ら
れ、どのように発展してきたかを知ることはとても大切なことです。

近年その分野の研究が進んで、本当の姿が明らかにされつつあります。と
りわけ、長浜浩明先生の研究は世間の注目を集めて、盛んに講演会が行わ
れているようです。その長浜先生の研究の内容を知って、私は、私が以前
に言語論から立てた仮説が、見事に証明されていることに、とても感銘を
受けました。

言語は、それが作られた時代の、その民族の精神構造の反映でもあります。

その意味で、言語は、精神的な古代遺跡と云えると思います。その言語の
構造に関して、日本語の構造が、世界の言語の中で、他にない極めて特異
な構造をしていることは、周知の事実であろうと思います。

日本語以外のほとんどの言語は、負ければ皆殺しか奴隷、という弱肉強食
の世を生き抜いていくために、自分を中心として、敵か味方か、を判別す
るために、まず意思・結論の叙述が先にきて、何時何処では後回しにされ
るという構造になっています。

これに対して日本語は、先に何時何処で何があったか、が先にきて、自分
の思いは最後に叙述する構造になっています。これは、皆殺しにされる心
配がなく、まず相手に伝えたいことから話すという、平和な共存共栄の日
本人・縄文人の精神構造を示しています。

ところが、その日本人の共存共栄の精神構造とは、似ても似つかない韓国
の言語も、日本語と似た文法構造を持っているという不思議な現象があり
ます。

この謎解きを、私は、2018年02月25日に書いた論稿の中で、次のように説
いておきました。

「韓国はどうかと云いますと、もともと韓国のご先祖様は、日本の一部で
した。その名残が、日本語と韓国語の基本的な文法構造が同じであり、似
た言葉が存在する理由です。私はこのことを2年前に書いたテキストの中
で次のように述べました。『これに関して私は、一つの仮説を持っており
ます。それは、昔の朝鮮半島は日本の一部だったという事情が反映されて
いるのだろうと思っております。』」

これを書いた時は、ほとんど論理性を主体として立てた仮説でしたので、
事実はそれほど多くはありませんでしたが、最近になって、それが本当に
事実であったことが分かってきました。

これが論理の凄さです。事実が後からついてくるのです。

このように、言語の文法構造が、日本語と韓国語では大事な点で一致す
る、という事実の意味するものを、その言語が作られた時期に、朝鮮半島
にも日本人がいたことを示すものだ、と説いておきましたが、長浜先生
は、縄文時代に、日本人が朝鮮半島にわたっていた事実を、考古学的な資
料と、発達した遺伝子解析が明らかにした事実から、その事実を科学的に
立証してくださったのです。

長浜先生によると、紀元前4千年前ごろ、縄文文明が栄えて人口が増えた
ために、その当時は先人が絶滅して無人となっていた朝鮮半島に、移住し
てきた日本の縄文人がいたそうです。そしてそれから2千年以上もの長き
にわたって、その地に住み着いていたようです。

そのことは、遺跡に残されていた、首飾りなどの黒曜石が日本産であるこ
とから証明されているそうです。そういう状態が2千年も続きましたが、
紀元前二千年ごろになると、北方の遊牧民などの乱入・侵略が始まって、
まともな武器を持っていなかった縄文人は敗れて、男性は皆殺しにされ、
女性は慰み者とされた結果、男系のY遺伝子は途絶えたものの、女系のミ
トコンドリアの遺伝子が残り、連綿と受け継がれて現在の韓国人の遺伝子
に存在するそうです。つまり、父系が途絶えて母系のみが残ったわけです。

では、言語はどうかと云いますと、おそらく縄文文化のレベルの高さから
日本語の文法構造が残ったのであろうと推測されます。

つまり、コミュニケーションツールとしての優位性から、日本語の構造が
そのまま言語の基本的な構造として残っていったと考えられます。しかし
父系が変わっていったために、その父系の精神構造が、その民族の精神構
造となっていったことによって、言語の構造と精神構造とが乖離した現象
が生じたのだと思います。

ここで注目すべきは、日本の萬世一系の父系が連綿と保たれた結果とし
て、見事な日本文明を創り上げ、その反映としての日本人の遺伝子の構
造、つまりはY遺伝子そのものが、周辺のアジア諸国のそれとは全く別物
の独自の構造を持っているそうですから、その見事なY遺伝子の父系を守
るという伝統が、いかに大事であるかが、この一事からよく分かると思い
ます。 (稲村正治)

   ♪
(読者の声5)日本政府の韓国に対する輸出規制がいよいよ開始。7月4日
は参議院選挙の公示日でもありアメリカの独立記念日でもあります。韓国
に対する制裁が日米で打合せ済みだったのはあきらか。

2013年にエルピーダを買収したマイクロンは広島の半導体工場を増設。
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45953470R10C19A6X20000/
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsudakenji/20190613-00129883/

東芝メモリも岩手県北上市に新工場を建設。まもなく稼働するもよう。
https://www.asahi.com/articles/ASLCX4VKRLCXUJUB00M.html

民主党政権による超円高放置や蓮舫率いる事業仕分けワーキンググループ
により潰された日本企業はどれだけあることでしょう。原発の稼働停止に
より電力料金は高騰、工場は電気の安い韓国にどうぞ、原子力の代替の太
陽光発電には中国・韓国企業をという見えすいた利益誘導でした。

「悪夢」のような民主党政権からほぼ十年、やっと日本は復活しました。
しかし今回の参議院選挙で消費税の増税中止や消費税廃止を訴える野党に
対し、自民党は消費是増税を掲げたまま。

年金問題でも新聞・テレビしか見ない世代は自民党にお灸をすえるという
選択肢を取る可能性が高い。参議院選挙の投票日までまだ2週間以上あり
ますが、経済指標の先行きが落ち込むなか、このままでは自民党はそうと
う議席を減らすかもしれません。

自民党には消費税増税でも選挙に勝てる秘策でもあるのでしょうか。
   (PB生、千葉)


◆「あきたこまち」の誕生

渡部 亮次郎


郷里の秋田県産の米「あきたこまち」が届けられ、コメの美味しさを堪能
した。新米が早く食べたいと、南国の早稲を買っていたが、比べるのもお
かしいぐらい秋田産が美味い。

「あきたこまち」の食味について公的食味試験機関「日本穀物検定協会」
1984年11月の総合評価は「0・944」。これは新潟県産「コシヒカリ」「0・
7〜0・8」、同「ササニシキ」は「0・5〜0・6」を大きく上回るものだった。

穀物検査官は「『あきたこまち』の高い数値はこれまで出たことがなかっ
た」と評した。これを契機にマスコミや流通業界の関心が高まり、とくに
県外における知名度向上に弾みがつき29年の歴史が流れた。

29年前の1984年9月7日に秋田県品種対策協議会を開催し、県農業試験場
が作り出した「秋田31号」を奨励品種に採用することを決定した。

同日、知事が県農協中央会長、県農業試験場長同席のもと記者会見を行
い、品種名を「あきたこまち」と命名し奨励品種に採用したことを発表した。

命名の由来は、秋田県雄勝町に生まれとされる美人の誉れ高い平安時代の
歌人「小野小町」にちなみ、秋田で育成した美味しい米として、末永く愛
されるように願いを込めた。

「あきたこまち」は、母親の「コシヒカリ」から良食味性を、父親の「奥
羽292号」から早熟性を受け継いでいる。このことから、寒冷地北部でも
新潟の「コシヒカリ」並の良食味米栽培が可能となり、倒伏や「いもち」
病に対する抵抗性も「コシヒカリ」以上の特性を持っている。

さらに、炊飯すると米粒に美しい光沢と粘りがあり、食味に関する特性は
申し分がなかった。

米どころ秋田県とは言いながら10a(1反歩=300坪)当たり平均収量は、
戦前(1945年以前)の200s台から1950年頃には350s台に急増。

その後、1955(昭和30)年は450s、1965(昭和40)年には550sと大幅な伸び
を示した。この要因は、戦後の食糧難時代に、農地解放に伴う生産者の増
産意欲の高揚とともに、保温折衷苗代、三早栽培(早播き、早植え、早刈
り)などの普及及び県の増産運動「健康な稲作り運動」と相まって、全県
民的な普及によって助長された。

こうした技術開発と多収品種の導入により1976年、1977年、
1980年には「単収日本一」となり全国で最も安定多収県として位置づけら
れた。また、全国の多収穫競作会では秋田県から「米作日本一」が続出す
るなど、多収技術が開花した時代であった。

しかし1970年代に入ると、全国的に米の生産過剰となり生産調整が始まっ
た。秋田県も政府米の在庫を抱えながら、多収栽培から脱却できない産地
であった。つまり、多収栽培を行うのではなく量より質、消費者に喜ばれ
る、売れる米づくりへと転換せざるを得なかった。

このような背景から、1974年に秋田県農協中央会が水稲育種事業の実施を
県に要請し、翌年に県が水稲育種事業の開始(再開)を決定した。

つまり秋田県では1913年から1941年までの25年間、交雑育種を手掛けて育
成したが、その後中断していたのだ。1977年の福井県農業試験場へ調査・
享受の折、同場で75年に交配した「コシヒカリ」(母)×奥羽292号(父)の
「福交60−6」のF2種子1株を譲り受けた。

譲受けた「福交60−6」は、1981年に系統選抜4年目(F6)を迎え、系統
名(地方番号)を「秋田31号」と命名した。1983年には系統選抜6年目
(F8)を迎え、1群8系統の栽植し2系統20株を選抜し育成段階を終了した。

当時「コシヒカリ」は育成して約30年になっていたが、それまで「コシヒ
カリ」を親に交配した品種を奨励品種に採用した事例がなく、「秋田31
号」が最初の品種であった。

しかも、「コシヒカリ」の欠点である耐病性、耐倒伏性、収量性を改善し
た早生品種で、食味は「コシヒカリ」を上回った。

県農協中央会と農協経済連が「美人を育てる秋田米」のキャッチフレーズ
を発表し、秋田県初の水稲新品種誕生に花を添えた。

県外出荷が開始された「あきたこまち」は、新品種V類の中で破格の仮渡
し金60Kg20,133円の高値で取引された。また、キャンペンガール「こまち
娘」が誕生し、市女傘を身につけた平安朝の姿と、秋田で育成した美味し
い米「あきたこまち」として大いに印象づけた。

出典:秋田県農林水産技術センター農業試験場次長 児玉 徹 氏作成の資料。


◆新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ

櫻井よしこ


「新潟選挙区、野党統一候補のおかしさ」

「アリさん、早くこっちによけないと、ひかれちゃうよ!」

幼い少女は、列になって道路を這っている蟻の群れが車に轢かれてしまう
と心配して、一所懸命、群れを道路の端に誘導しようとした。少女は横田
めぐみさんである。早紀江さんが当時を懐かしみながら語った。

「幼い頃のめぐみはいつもこんなふうでした。生きものは何でも大好き
で、変なものもしょっちゅう、家に連れてくるんです」

丸々とした頬の心身共に元気なめぐみさんを想い出してか、早紀江さんは
笑みを浮かべながら語った。

「ある日は両手に余る大きなガマガエルを、ナフキンに大事にくるんで家
にもってこようとしていたんです。お友達のお母様がめぐみが抱えている
大きな蛙を見てびっくりして私に電話してきました。めぐみは弟たちに見
せてあげたい一心でもってきたんですねぇ。小さかった頃、子供たちはい
つもこんなで、楽しかったんですよ」

早紀江さんも御主人の滋さんも、最初の子供は男の子だと信じ、名前は
「拓也」と決めていた。早紀江さんが隣の拓也さんを見ながら語る。

「生まれてきたのは女の子でしたからねぇ、めぐみにして、拓也という名
前は次の子のためにとっておいたんです」

ころころと笑う早紀江さん。

「拓也と哲也のお産もよく憶えています。拓也が最初に生まれて、もう一
人いるのに、私はすっかり疲れて、眠りかけたんです」

話をきいていた参議院議員の山谷えり子氏も私も、ここでどっと笑った。
早紀江さんが続ける。

「お医者さんが私の頬っぺをピチャピチャ叩いて、眠ってはいけません
よ、もう一人いますよ、眠る前に頑張りましょうと声をかけて下さって、
それで哲也が生まれたんです」

「神さまの御意志」

二人の男の子は小さい頃は喧嘩でプロレス技をかけ合った。団子のように
からみ合い、玄関先まで転がってガラス戸を破ったこともある。けれど弟
二人はいま両親を支え、めぐみさん奪還に向けて頼もしく行動している。
早紀江さんが続けた。

「めぐみちゃんは大変な人生を生きていますが、世界中の皆さんからご心
配いただいて、本当に幸せです。日本全国の人たちが気にかけて下さり、
安倍総理の働きかけで世界の指導者も拉致問題を知って下さっている。ト
ランプ大統領も真剣に拉致問題解決に力を貸して下さっている。家族には
大きな驚きですが、私は神さまの御意志を感じています」

この日、私たちは五嶋龍氏のコンサートを聴いたあと、一緒に食事をした
のだが、五嶋氏は拉致問題に非常に深い想いを抱き、解決を訴える多くの
コンサートを開いてきた。五嶋氏の母、節氏は拉致のニュースに涙し、家
族会を応援してきた。

拉致問題はいま、これまでのどの時より解決に近づいている。無論、並大
抵ではない。安倍晋三首相が呼びかけた日朝首脳会談実現の目途も立って
いない。それでも、私たちは拉致解決に近づいている。

「ここまで本当に多くの方たちが努力して下さった。姉と寄居中学で同窓
の塚田一郎さんもそうです」

拓也氏が語ったのは参議院議員の塚田氏のことだ。氏は関門新ルート(下
関北九州道路)整備構想に関して、首相や副総理を忖度したと発言して国
土交通副大臣を辞職した。

氏は福岡県知事選挙の応援でその場を盛り上げるために過剰なリップサー
ビスをしたのだが、この道路は地元も、立憲民主党も国民民主党も切望し
てきたもので、首相への忖度とは全く関係なく進められている。公職にあ
る人物が事実と異なることを語るのはとんでもないことだ。だからこそ、
塚田氏は自分の言葉を厳しく反省し、陳謝し、辞任した。

「そのことだけを批判し続けて、塚田さんの功績をまったく認めないのも
おかしい。塚田さんは私たち国民のために、地味ですが本当によく働いて
くれています」と、拓也氏。

「救う会」会長の西岡力氏も語る。

「一昨年9月、トランプ大統領が国連演説で、13歳の少女が北朝鮮に拉致
されていると語り、めぐみさん拉致事件を世界に知らしめました。背景に
塚田さんの力があったのです」

事情はこうだ。2017年5月に加藤勝信拉致担当大臣が訪米を計画したが、
要路の閣僚と日程調整ができず延期された。加藤大臣に同行することを考
えていた家族会、救う会は迷ったが、単独で訪米した。

「塚田さんがとにかく動こうと言って訪米が決まり、国家安全保障会議
(NSC)アジア上級部長のポッティンジャー氏に会えたのです。氏に拓
也さんがめぐみさんのことを語り、それを聞いたポッティンジャー氏が、
これからトランプ大統領に会うので、必ず伝えると約束してくれたので
す。その1週間後にめぐみさんに言及した国連演説があり、11月6日、ト
ランプ大統領が家族の皆さん方に初めて会って下さった」(同)

考え方もバラバラの野党

家族会、救う会の人々は、一様に、塚田氏が拉致被害者支援法改正、13項
目の対北朝鮮制裁の決定、米国人拉致被害者デービッド・スネドン氏救出
を目指す米議会の決議実現への働きかけなどを行ったことを評価し、未だ
に「忖度」発言で塚田氏を批判することを疑問視する。

7月に予定される参議院議員選挙の新潟選挙区は、全国で展開される与党
候補と野党統一候補の一騎討ち選挙区のひとつだ。新潟では共産党から国
民民主党まで一列に並んで弁護士の打越さく良氏を支援するが、これら野
党に共通項はあるのか。

たとえば拉致に関して、これまで共産党も社民党も力になったことなどな
い。国民民主党などとの決定的な違いのひとつであろう。

天皇と皇室についても、共産党は繰り返し「天皇制の転覆」や「天皇制の
打倒」を謳い、現委員長の志位和夫氏は「天皇の制度のない民主共和制を
目標とする」と語っている。共産党の主張に国民民主党は同意できるの
か。価値観がまったく異なる政党が統一候補の打越氏を応援するという
が、打越氏が当選したとしても、一体どんな政治ができるのか。

打越氏の現状認識にも違和感を抱く。16年9月21日付のネットサイト
「LOVE PIECE CLUB」に、「かなりリベラルと信頼する友人たちからも、
『慰安婦って、朝日新聞のねつ造なんでしょ?』と言われてびっくりする
ことも多い」と書いている。

朝日新聞は14年8月5,6の両日に、自社の慰安婦報道を、吉田清治氏の関
連記事すべてを虚偽として取り消すことで大誤報だと認めた。そうした指
摘を「びっくり」とはこちらがびっくりだ。考え方もバラバラの野党が担
ぐ極めてリベラルな打越氏と塚田氏の一騎討ちで、重要なことは、共産党
をも代表する人物の政治的立場を信用できるか、ということだ。

『週刊新潮』 2019年7月4日号 日本ルネッサンス 第858回

◆奈良木津川だより 高麗寺跡 A

白井 繁夫

「史跡 高麗寺(こまでら)跡」は木津川の右岸の棚田の中(山城町上狛)で、建物がないためか、観光客も少なく、飛鳥時代に創建された国内最古の仏教寺院「飛鳥寺」と同笵の瓦が出土した国の史跡の古代寺院跡と思われずに千年の時が経って来たのです。

この高麗寺跡の第T期発掘調査(昭和13年)から第V期(平成22年度の第10次発掘調査)までの調査で出土した遺物や伽藍跡から皆様と高麗寺の建立の様子や歴史を観て行こうと思います。

高麗寺は渡来氏族の狛氏の氏寺として7世紀初(610年頃)には存在していただろうが、出土遺物などから、12世紀末から13世紀初期ごろに消滅したと推察されています。

高麗寺跡の出土遺物には金銅製の破風(はふ)拝み金具、円盤等の建造物の装飾金具、南
門の屋根の鴟尾や最古の築地塀などがあり、更に各時代を現す文様の瓦や三層基壇の講堂など高麗寺の伽藍は驚嘆するような荘厳さで、文明の先端を行く寺院と推察されます。

最初に年代を調べるために、高麗寺の出土遺物で数量が多くて比較的に年代を決めやすい文様瓦(軒丸瓦.軒平瓦)を中心に4期に分けた瓦から始めます。

T期の瓦 飛鳥時代の瓦(軒丸瓦:十葉素弁蓮華文じゅうようそべんれんげもん)
   
  日本最古の寺院「飛鳥寺」の創建時の瓦と同じ型で作られている。京都府下では当然
  最古の瓦ですが、高麗寺から4点しか出土していません。(飛鳥時代に瓦葺の建物が確実に存在していたのか?堂宇は萱葺だったのか?)

U期の瓦 白鳳時代の瓦(軒丸瓦:八葉複弁ふくべん蓮華文、軒平瓦:重弧じゅうこ文)
     川原寺式の瓦と同笵でもあり出土量が圧倒的に多種大量です。

  川原寺式の瓦:古代瓦では最も文様が華麗で日本各地に普及した。地域文化の指標にもなった瓦ですが、高麗寺の瓦は原初的な川原寺創建時と同じ型の瓦から始まり、さらに発展した瓦など多種類が出土しています。(高麗寺は660年頃本格的に造営された伽藍建築の寺院となったのです。)

(川原寺は天智天皇が母(斉明天皇)の冥福を祈るため建立した寺で、飛鳥4大寺の一つ、
 壬申の乱で勝利した天武天皇が崇敬していた寺院であり、天武天皇に味方した各地の豪
族に恩賜として瓦の使用許可が与えられました。山城国では南山城に集中しており、地方では尾張、美濃、伊勢などが特に多い。)

南山城:木津川市の古代寺院では高麗寺と蟹満寺が有名です。
(前代の古墳時代:各豪族は氏族の権威の象徴として大古墳を築きましたが、飛鳥時代以降は氏族の権威となるモニュメントが大寺院の建立に変化しました。)

壬申の乱では渡来氏族の狛氏一族が大海人皇子に味方して大変貢献したため、高麗寺が
最初に川原寺の創建時の瓦(同笵瓦)の使用許可を得たのです。その後、川原寺式瓦は
高麗寺を核として南山城の3郡にも広がりました。

「蟹満寺:国宝の白鳳仏が有名」から川原寺式瓦の破片が出土したことから、白鳳時代
末期(7世紀末から8世紀初)に創建されたと云われているのです。
蟹満寺は前代に平尾城山古墳.稲荷山古墳を築いた豪族の後裔氏族が建立したのでは?と云われています。

V期の瓦 奈良時代の瓦(軒丸瓦:蓮華文、軒平瓦:均整唐草文)平城宮式瓦や「中臣」
   と文字がある平瓦、恭仁宮式軒瓦など恭仁京造営時に製造した瓦も出土しました
が多種少量のため、高麗寺の修理用として八世紀に使用した瓦と思われます。

W期の瓦 平安時代前期の瓦(軒丸瓦:蓮華文、軒平瓦:唐草文)修理用に高麗寺独特の瓦が少量作られた。(この時代以降の瓦は出土していないので、高麗寺の大伽藍は平安時代以降修理など出来ずに荒廃にまかされたか? 法蓮寺の棟札では金堂などが室町時代まで存在していたようですが?)

高麗寺を軒瓦から観た場合、飛鳥時代(610年頃)萱葺の堂?が創建され、白鳳時代、
川原寺式に準じた七堂伽藍の本格的寺院の造営(7世紀後半)が施工され、法起寺式伽
藍建築へ繋がって行きました。

奈良時代(8世紀)に聖武天皇が恭仁京(木津川市)へ遷都(740年)して都城の造営
時には高麗寺も独特の瓦を作り、他寺院にも供給しました。

しかし、平安時代初期の修理用の瓦の出土が最後でそれ以降の瓦の出土は有りません。
瓦から調べた高麗寺の創建時期の推測や隆盛時代は分りますが、歴史(終焉)は何世紀
か判断は困難です。

瓦以外の出土遺物や伽藍跡の発掘調査、昭和13年の第T期からV期(平成22年の10
次調査)まで、から高麗寺の概要を視ようと思います。(つづく)

参考資料:山城町史 本文篇 山城町、
南山城の寺院.都城 京理セミナー資料No.0106−327
史跡 高麗寺跡 第10次発掘調査概報 木津川市教育委員会