2019年07月02日

◆日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって

櫻井よしこ


「日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって近未来を切り開く道が自ずと
明らかになる」

安岡正篤氏は首相まで務めた宮沢喜一氏を「ヨコの学問はできてもタテの
学問がなっていない」と評した。安岡氏は、真の教養ある日本人は欧米の
事情のみならず日本の文化文明、歴史を修めなければならないと言ってい
るのである。

その意味で近年読んだ本の中でとりわけ重要だと感ずるのが白鳥庫吉博士
の書いた日本史である。当欄でも以前に少し触れたことがあるが、大正
3(1914)年に開設された「東宮御学問所」で時の皇太子、裕仁親王に日
本史を教えるために白鳥博士が書いた5巻に上る書である。いま『昭和天
皇の教科書 国史』(以下『国史』、勉誠出版)として手にすることがで
きる。

同書に特別の関心を抱くのは、米国の変容に始まり、国際社会が大激変す
る中ですべての国々が如何に国益を守り通すかに心を砕かざるを得ない時
代に突入しているからだ。米中対立の日本への影響はとりわけ強い。だか
らこそ、日本自身が足場を固める必要がある。経済と安全保障は無論だ
が、その前に安岡氏のいう「タテの学問」が欠かせない。日本人は自らを
どのような民族としてとらえるか、日本の歴史をどれだけ深く学ぶかに
よって日本の近未来を切り開く道が自ずと明らかになる。歴史の学びこそ
重要だ。

『国史』は歴代の天皇を軸にして描いた歴史だ。歴代の天皇には各々特徴
があるが、共通項は国柄継承の主軸を担ったことだ。遠い過去の天皇たち
は国家や社会、国民の暮らしと具体的にどう関わっていたのか、周囲の
国々や異民族とどう接していたのかなどが『国史』には実例に則して記さ
れている。それは巧まずして日本の国柄をわかり易く現代に伝える結果と
なっている。

前述したように、世界は激しく変化し、前例が通じにくくなってはいる
が、その中にあっても日本国の長い歴史や文化、即ち、国柄を構成する価
値観に基づいて対処すれば大きく間違うことはないだろう。

日本の国柄の基本は、世界一長い歴史をもつ皇室をいただく伝統の国だと
いう点にある。そこから生まれる価値観こそ大事にしたい。令和の時代の
いま、社会も国も水平思考で、皇室の特別扱いには異論さえある。だが、
皇室が日本人にとって特別かつ大切な存在であることに変わりはない。福
澤諭吉は『帝室論』で「一国の帝王は一家の父母の如し」と書いた。皇室
の力は安らぎをもたらす緩和力である。その皇室を、国民は敬愛の情でお
守りしなければならないと、福澤は説いた。

『国史』には福澤の視点と対をなす、皇室の国民に対する視点が次のよう
に書かれている。日本国の特徴は、天皇が日本国を「大きな家族」と見做
し、「君と民とがおだやかに和して国の基礎を強く固め」ていることだ、と。

天皇の慈しみは日本に移り住んだ異民族にも同様に注がれる。天皇は、
「(異民族を)従来の国民と同様に慈しみ、両者が溶け合って円満な国づ
くり」を実践したと『国史』は述べる。右の精神は第一次世界大戦後の
ヴェルサイユ会議で日本が人種差別撤廃を主張したこととも、対米開戦の
理由ともなった米国での日本人排斥運動への憤りとも、通底するのではな
いか。

日本の政情が概して安定しているのは天皇と皇室が高い次元からすべての
人々を公平に見て下さることにあるのではないか。ただ、歴史上、天皇や
皇室発の争いも確かにあった。それを『国史』は蘇我一族の横暴な振舞い
を例にして、どんな時も天皇は一氏族のみを寵愛してはならないと戒めて
いる。

皇室と国民の絆、人種の平等、究極の公正さなどの教えが各天皇の行動に
沿って綴られた本書が、いま一押しの書である。

さて、25年間にわたった連載は今回で終了する。読者の皆様には深く心か
らのお礼を申し上げたい。編集部の方々にも深く感謝申し上げる。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 最終回 

◆いま必要な「サラダ・ボウル理論」

                              石岡 荘十


日本では小さいときから障害を持つ子ども達を、特殊な存在として特別な学校で教育をすることが当然のように行われている。障害を持ち、盲・聾・養護学校で特別な教育を受けている児童・生徒は約10万人に上る。

「普通の学校へ通わせたい」
親がこう希望しても、障害を持つ子が一般の学校への入学を果たすには多くの困難を伴う。

受け入れられると、上記の地裁決定のように、それが美談風なニュースになるほど稀である。さすがに最近では、障害を持つ子どもが、障害を持たない同じ年代の仲間と一緒に学び成長していくことが、双方の人格形成に大きな意味を持つとして、障害児が一般の小・中学校で教育を受けるケースが増えているそうだ。しかし、まだまだ十分とはいえない。

私たちは障害を持った人をどのような存在として考えたらいいのだろうか。福祉国家として知られるデンマークで「ノーマライゼーション」という考え方が生まれたのはいまから半世紀以上前のことで、社会福祉を考える上で極めて重要な理念だといわれてきた。

ノーマライゼーションの理論は、はじめは、障害者が社会に適応していく手助けをする、そのことによって障害者が出来るだけ普通の社会に適応できるようにする、障害者をノーマルにするという考え方だった。

道路の段差を無くす、駅にエレベーターを設置する、車椅子の購入費を補助する------「まだまだ」と批判されながら、国や自治体の行政レベルで進められてきた様々な支援策の根拠になっている思想だと言ってもいいだろう。

このような施策は「同化主義」、つまり健常者を基準にして作られている社会のバリアーをなくし、障害者が健常者主導の社会に同化できるよう手助けをしようという考え方だ。

しかし、そこには多数の健常者がノーマルな存在で、障害者は「特異な存在」だという偏見がある。このような初期のノーマライゼーション理論には限界がある、と批判された。

そこに登場したのが、「多元主義」という考え方である。障害者を特異な存在としてではなく、当たり前の存在としてありのまま受け入れ共に生きていこうというものだ。

このような考え方を、「サラダ・ボウル理論」と言っている。一つひとつの野菜の個性をそのまま残しながら、いろいろな種類のナマの野菜をサラダの入れ物(ボウル)に盛りつけることで、別の味覚を創造する。そんな社会をイメージした理論だ。

障害者が健常者に近づくのではなく、目が見えない、耳が聞こえない、歩けなくとも、手助けは必要だが、そのままノーマルな存在として受け入れられるという考え方である。

重要な認識は、障害者をノーマライズするのではなく、健常者がひそかに持っている偏見をノーマライズするということだ。このような認識でいうと、現実は、明らかに健常者サイドに問題がある。

障害を持つ子どもは特別の教育施設に“隔離”されている。そんななかで、“普通”の学校で育った子どもに、大人になって突然、「障害者を特異な存在と思うな」と言っても、長年、無意識のうちに刷り込まれてきた差別意識や偏見を拭い去ることが出来るだろうか。

ノーマライズされなければならないのは、むしろ健常者と言われる人々が抱いている差別意識や偏見だと言えるのではないか。

自宅近くに聾学校があり、手話で話す生徒とバスに乗り合わせることがよくあるが、健常者と見られるほかの乗客が彼(彼女)らを「当たり前の存在」と受け入れている様にはとても見えない。

中には、見てはいけないものに出逢ったとでも言うように、ことさら目線を外らす気配さえ感じさせる。手話に興味津々の子どもの手を引っ張って、顔を無理やりそむけさせる親もいる。

「何で自分が-----」「まさか自分が------」
大きな病気になると、誰もがそう思う。ある調査では、障害者と認定された人、心臓病と診断された人は、100パーセントそう思うという。

だが人は経験して学習する。心臓手術の後、私は身体障害者となった。その経験は、身障者のことを改めて考えさせる “絶好”の大事件であった。よく言われるように「障害はその人の個性」である。自分もその個性を与えられたことで、別の世界が見えてきたような気がする。

日本は猛スピードで高齢社会に突き進んでいる。だから養老院、高齢者向け養護施設が盛んに造られている。それも空気のいい郊外に多い。

しかし、こうして高齢者をまとめて街から遠ざけ、若い世代の人たちの目に触れないところに体よく“隔離”する施策がノーマルといえるだろうか。

「養護施設と小中学校は必ず隣合わせに作る」くらいの英断がなければ、サラダ・ボウルを目指す意識改革は無理かもしれない。

2019年07月01日

◆中国社会科学院

宮崎 正弘


令和元年(2019)6月29日(土曜日)通巻第6120号  

 中国社会科学院、シンクタンクなどにアメリカ研究を要請していた
 習近平はG20出席直前の24日に政治局会議を開催、執行部の姿勢を確認

6月28日、つまり米中首脳会談の直前に人民日報系の『環球時報』は書いた。

「ポンペオ米国務長官は『クレージー』だ。かれが世界を混沌とさせた元
凶である。ポンペオが世界平和を脅かす存在であり、国務長官ふぜいで世
界政治を混乱させている。かれがタカ派のなかのタカ派だ」云々と。
このコメントはすぐさまCCTVに跳ね返った。

ほかにも中国のメディアは総合して、「トランプ政権内の一部の対中タカ
派がトランプ政権の貿易政策を誤らせているのだ」とし、対中強硬派とし
てほかに、ライトハイザーUSTR代表、ナボロ通商産業局長、ジョン・
ボルトン補佐官、ポッテンガー大統領国家安全保障局アジア担当主任らを
具体的に名指しした。

みてとれるのはトランプ政権内部の対立を煽り、あわよくば意見の分裂を
招いて対中貿易交渉の勢いを削ごうとしていることである。
この企図が見え透いているのは、米中貿易戦争が激化する直後から習近平
は社会科学院や各大学の専門家、シンクタンクに対して「アメリカ研究を
行い報告を出すように」と指示しており、かなりの予算をつけていた経過
がある。

げんに社会科学院が出した報告書143本のうち、米国研究が24本、貿易を
テーマとした報告書が12本と異例の夥しさをしめしている。(サウスチャ
イナ・モーニングポスト、6月29日)。

そのうえで、6月24日に習近平は緊急の政治局会議を招集し、対米通商交
渉に臨むための意見のとりまとめをしていた。

同時に各種の報道からほのみえるのはトランプ政権内でクシュナー、イバ
ンカ夫妻を、タカ派から切り離そうとしていることである。

   
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  樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 樋泉克夫のコラム 
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樋泉克夫のコラム
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【知道中国 1917回】               
――「支那は日本にとりては『見知らぬ國』なり」――鶴見(12)
 鶴見祐輔『偶像破壊期の支那』(鐵道時報局 大正12年)

            ▽

鶴見が次に訪ねたのが1883年に山西省五台県で生まれ、1960年に台北で亡
くなった閻錫山である。彼は1907年に日本に留学し、士官学校の予備校で
ある東京振武学校を経て陸軍士官学校へ。弘前歩兵第31連隊勤務の後、
1909年に卒業して帰国。この間に孫文が掲げた清朝打倒の革命運動に参加
している。

同連隊が八甲田雪中行軍を敢行し、多くの犠牲者を出したのは1902(明治
35)年のこと。ならば第31連隊勤務中、閻錫山は遭難事件についての様々
なことを聞いていたことだろう。因みに閻錫山が弘前を離れた四半世紀ほ
ど後の1935(昭和20)年8月、昭和天皇の弟宮に当たる秩父宮雍仁親王が
第3大隊長として弘前歩兵第31連隊に着任した。

八甲田雪中行軍、閻錫山、秩父宮雍仁親王・・・弘前歩兵第31連隊は近代
日本、さらには日中両国関係の光と影を巧まずして映し出しているよう
だ。それにしても日中関係がもつれる渦中で、時代は異なれ同じ兵営で過
ごした2人は互いにどのような思いを抱いていただろうか。やはり日中両
国の不可思議な縁を痛感しないわけにはいかない。

1912(民国元)年、閻錫山は袁世凱総統によって山西都督に任ぜられ、同
省の政治と軍事の全権を握る。以後、「保境安民」の大方針の下に「山西
モンロー主義」と呼ばれる一省自治を貫徹し、豊富な鉱産資源をテコにし
て工業化を進め、山西省を模範省に築きあげた。

その後、日中戦争に際しては、国民党、共産党、日本軍と等距離を保ちな
がら兵力温存に努めている。

1946年に始まった国共内戦に際しては自軍に山西省に残留した日本軍(暫
編独立第10総隊)を加え、人民解放軍と戦ったが劣勢は免れなかった。

中華人民共和国建国直前の1949年6月に国民政府で行政院長(首相)兼国
防部長に任命されたが、ほどなく広州を経て台湾に脱出。以後、蒋介石の
下で総統府資政(顧問)などを務めたが、晩年は反共主義の立場から著述
に専念している。

閻錫山に関するやや詳しい履歴を綴ったが、彼が打ち立てた模範省の「模
範」には、ある思い出がある。ここにも日中の不思議な“結びつき”を感ず
るゆえに、もう少し閻錫山について綴ってみたい。

話は日露戦争開戦前年の1903(明治36)年に発足した「自治協会」から始
まる。

同協会は2年後の1905(明治38)年2月、静岡県賀茂郡稲取村、千葉県山武
郡源村、宮城県名取郡生出村の3村を、「明治三大模範村」として表彰した。

模範村運動は明治末期から大正期にかけて、内務省の旗振りで展開された
地方改良運動で、中央政府の政策を地方で実施できる有能な吏員、それを
在野で支える有志集団(中小地主・上層自作農)を育てることを目的とし
ていたと言われる。

じつは千葉県山武郡源村で村長を務め、寝食を忘れ模範村運動に打ち込ん
だ並木家と親交があることから、いまから4半世紀ほど以前に、山西自治
運動をテーマにしていた中国の研究者を同家に案内したことがある。

最寄りの総武本線日向駅から、畑中の道を並木家に向かった。ゆるやかな
坂を上り切って冠木門を潜ると、目の前の床の高い豪壮な邸宅の向こうに
広大な山武杉の山林が広がっていた。
 
その昔、広い庭に多くの村人が集まり模範村作りに励んでいたことだろう。

ご当主の並木さんの弁では、先々代も先代も村人の先頭に立って運動に励
んだとのこと。「山西省の吏員が調査に来たことは代々言い伝えられてい
ます」「この辺りの景色は、大正の頃と変わってはいないと思います」と
言いながら、僅かに残されていた記録を見せてくれた。

模範村作りのための並木家の奮闘ぶりは、模範省建設にどう生かされたの
か。《QED》 
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読者の声 どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 読者
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(読者の声1)貴誌先号「安倍首相は「日中関係は完全に正常化された。
来年の桜の咲くころに国賓としてお迎えしたい」などと本気なのか、随分
と下手にでたものである。「水に落ちた犬を打て」というのが中国人のし
きたりだから、習近平側からみれば、日本は何か罠を仕掛けたのかと勘ぐ
るだろう。(引用止め)
 
この文脈から、ひょっとして中共は来年の桜の季節には無くなっているの
か、と言う希望的観測も浮かび、また、米國トランプとの話でそういう話
題があったのかと勘ぐりもしますね。

國賓と言うのは首脳会談と異なり、國家元首として、もう一段上の儀式と
して訪れると言う事です。しかし習近平には國家元首としての権威も権力
も最早、無いのではないでしょうか?

特に、これから米中の話し合いを進める中で、大嘗祭の頃には支那で別の
動きが起こり始めるような気もします。

出来る事なら実現してほしくない訪問ですね。この期に及んで、支那に尾
を振っている日本の醜い政治家が如何にも見苦しいですね。(CY生)

  ♪
(読者の声2)「日本の核自衛は米国次第か」

以下、ブレジンスキーの1970年代の著書「ひ弱な花、日本」から抜粋で
す。( )内は小生のコメントです。当時との違いは北朝鮮の核武装と中
共の強大化です。

ということは日本を巡る国防条件は一層厳しくなっているということです。

●自衛隊の高級指揮官の発想は第2次大戦の域を出ていない。陸上自衛隊
はとても現代の攻撃部隊とみることはできない。(制度に制限があり、本
気になれない)

●中曽根氏は自分の使命は全国民が国防を論じ方針を支持してくれるよう
にすることであると述べた。(現代の安倍首相にも期待される)

●日本独立の圧力になる原因は、不安感(中朝露の敵対)、経済関係(石
油輸送路保全)、ナショナリズム(国民の気づき)、対米信頼感の低下
(米国は身代わり被曝をしない)である(適中している)

●米国の軍事的地位の国際的低下。米国の孤立主義が日本の民族主義的な
軍事化を産み出すという考えは米国の定説である。(日本は他に生存の途
はないから当然である)

●日本が国防に反対する要因。国内政治(国民は自衛に賛成)、経済面の
制約(資金は問題ない)、地域的問題(中南北朝露の妨害)。

●米国は、太平洋防衛責任の日本の肩代わりは異存が無い。(瓶の蓋論は
対中共の米軍基地正当化の詭弁である)

●米国は日本国民が1975年までに在日米軍の撤退を期待すると考えるべき
である。(このあたりは日本側の独立意欲が低いということで予想とは
違っている)

●海洋国協力体制。これは日豪インドネシアの3国防衛協力体制である。
(中共の南シナ海侵略で現実的になってきた)
●日本の核武装と日米関係

1)日本の核兵器製造能力。原材料は保有しているが、兵器にする製造能
力とデータが無い。自力製造には3−5年必要だが、米国が支援すれば短
縮できる。

2)若年層の日本国民は核兵器の保有はやむを得ないと考え始めている
(北の核で適中)

3)日本の核武装体制。核弾道弾搭載潜水艦10隻。6割を稼働させる。自
民党の幹部は、さりげなく核ミサイル潜水艦保有の話をしたことがある。

4)米国が中ソ(北)の核の脅威を受けて極東から離脱する場合には日本
は歴史上おなじみの劇的な行動転換を起こす可能性がある。

5)日本の核自衛は、内外の大問題になるだろう。日本は国際的な反響を
減らすために、豪州と共同核開発計画を進めるかも知れない。豪州で開発
する。これも米国の了解が必要だ。

6)結論:日本の核自衛は結局米国の極東政策にかかっている。しかし長
い目で見ると日本は独立する方向にかっていることは間違いない。
   (落合道夫)

  ♪
(読者の声3)G20大阪サミットの様子を夕方のニュースで見てびっく
り。本会議とは別の会場、トランプ大統領・安倍総理・習近平主席が肩を
寄せ合うほどギチギチに狭いテーブルに並んでいる。

背景の参加国の国旗で確かにG20会場なのだとわかるのですが、貧相な
事務用の椅子とテーブル。日本では記者会見などでも事務用テーブルと椅
子があたりまえ、折りたたみのパイプ椅子のことさえあります。

タイにいた頃は記者会見であれ、商業施設内での発表会であれ、テーブル
や椅子はそこそこ立派でさらに脚が隠れるようクロスをかけるのが常識
だっただけに、大阪の会場にはがっかりを通り越して残念。安倍総理が各
国首脳を迎える場面、アナウンスが素人なのか聞き取りにくい。サミット
の開催費用がどこで中抜きされているのかわかりませんが、大阪を世界に
発信するのであれば、たこ焼きなど大阪の食を提供するだけでなく、国際
会議場としてのレベルアップが必要だと感じます。

さて、ギリギリまで日韓首脳会談にこだわった文在寅大統領ですが、安倍
総理は決して歯を見せず8秒の握手でおしまい、文大統領は退出を促され
そそくさと退場。安倍総理は他国の首脳には笑顔でハグしたりと親密さを
アピール。まさに韓国に対する積極的無視戦略。

朝日新聞が事前に報じた大阪城前での写真撮影(秀吉がらみで韓国に配慮
して変更するかも?)もしっかり行われ、文在寅大統領は昼の写真撮影で
は習近平主席の横で固まっていました。

宗主国のまえではネズミのようにおとなしい。朝鮮半島を巡るババ抜き
ゲーム、どうやら中国にババを押し付けることに成功したのかも。今回の
サミットの最大の成果は「日本は韓国に対する特別扱いはしない」という
ことが世界中に広く認知されたこと。これで日本は心置きなく韓国に対す
る制裁措置を実行できますね。PB生、千葉)


◆ASEANの口頭試問 

  渡部 亮次郎


ASEAN(アセアン)東南アジア諸国連合は、2010年現在は加盟10カ国だが、
当初は5カ国だけだった。

東南アジア諸国連合Association of South‐East Asian Nations)は、東
南アジア10ヶ国の経済・社会・政治・安全保障・文化での地域協力機構。
略称はASEAN(アセアン)。本部はインドネシアのジャカルタに所在。

域内の人口は約5億8000万人(2005年)と多く、近年の目覚しい経済成長
に拠り、欧州連合 (EU)、北米自由貿易協定 (NAFTA)、中国、インドと比
肩する存在になりつつある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

結成当初から日本は会談参加を希望していたが拒否されていた。後でわ
かったが、フィリピンが強硬に反対していたからだった。1978年になっ
て、ようやく外相会談への参加が認められ、当時、福田赳夫内閣の外相園
田直(そのだ すなお)がインドネシア・バリ島での会議に出発した。秘
書官の私にとって東南アジアへの同行は初めてだった。

政治記者から秘書官に転身してまだ数ヶ月。記者の癖は抜けなかった。園
田氏もそこを利用していた。中でも締結を目指す日中平和友好条約に関す
るマスメディアの反応探りに期待していた。

さて、バリ島。西洋式の立派なホテル。朝早く、会議会場の下見に出かけ
た。事務の秘書官(後の国連大使佐藤行雄氏)は会議での大臣発言の打ち合
わせに忙しいが、政務の私は、この場合は閑である。

しかし、見ておどろいた。ASEAN側が一列の5人が並び、向かいに日本の席
がただ1つ。「これじゃまるで口頭試問だ」と大臣に報告。大臣は「佐藤
君、せめて6角形にして貰えんかね」と命令。

希望通り、椅子は6角形に配置換えされた。面白かったのはその後。

会議の冒頭、園田氏が発言を求め「このたび皆様の口頭試問を受けに参り
ましたソノダです」と言ったから、会場は爆笑。一気に日本のペースに
なってしまったのだ。

その実、ASEAN側は「口頭試問」を考えていたのだ。特に、太平洋戦争
中、フィリピンに軍事顧問として滞在していたアメリカのマッカーサーに
副官(秘書官)として付いていたロムロ外相は、例の「アイ・シャル・リター
ン」以来の憎しみを消せないでいたから、この会議への日本の参加反対の
急先鋒だった。

聞けば園田はあの戦争中、特攻隊の生き残りだという。この際、徹底的に
虐めてやろうと企んでいたのだ。私がどこかから拾ってきた情報を耳にし
ていたわが外相は、「口頭試問」の企みを逆手に取ることで、一瞬にして
ASEANの懐に入りこむのに成功したのだ。

しかも、それ以来、ロムロは園田と親友になった。

園田氏は旧制中学しか出ていない。シナ事変以来、昭和20年の敗戦まで11
年間を戦場で過ごした。敗戦時は陸軍の戦闘機の操縦士から「特攻隊」の
隊長に指名。出撃の2日前に敗戦となった。

郷里、九州の天草で町の助役から衆院選に出馬して落選。町長を経て当
選。厚生大臣2度、官房長官、外相3度。70歳、腎不全により僅か70で逝去。

ASEANでのやり取りから、私は政治家は学歴では無い。頭の良さ、機転の
利かせ方にカギがあるとつくづく思った。鳩山や菅にあるのは学歴だけ
だった。2010・11・24


◆日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって

櫻井よしこ


「日本の歴史をどれだけ深く学ぶかによって近未来を切り開く道が自ずと
明らかになる 」


安岡正篤氏は首相まで務めた宮沢喜一氏を「ヨコの学問はできてもタテの
学問がなっていない」と評した。安岡氏は、真の教養ある日本人は欧米の
事情のみならず日本の文化文明、歴史を修めなければならないと言ってい
るのである。

その意味で近年読んだ本の中でとりわけ重要だと感ずるのが白鳥庫吉博士
の書いた日本史である。当欄でも以前に少し触れたことがあるが、大正
3(1914)年に開設された「東宮御学問所」で時の皇太子、裕仁親王に日
本史を教えるために白鳥博士が書いた5巻に上る書である。いま『昭和天
皇の教科書 国史』(以下『国史』、勉誠出版)として手にすることがで
きる。

同書に特別の関心を抱くのは、米国の変容に始まり、国際社会が大激変す
る中ですべての国々が如何に国益を守り通すかに心を砕かざるを得ない時
代に突入しているからだ。米中対立の日本への影響はとりわけ強い。だか
らこそ、日本自身が足場を固める必要がある。経済と安全保障は無論だ
が、その前に安岡氏のいう「タテの学問」が欠かせない。日本人は自らを
どのような民族としてとらえるか、日本の歴史をどれだけ深く学ぶかに
よって日本の近未来を切り開く道が自ずと明らかになる。歴史の学びこそ
重要だ。

『国史』は歴代の天皇を軸にして描いた歴史だ。歴代の天皇には各々特徴
があるが、共通項は国柄継承の主軸を担ったことだ。遠い過去の天皇たち
は国家や社会、国民の暮らしと具体的にどう関わっていたのか、周囲の
国々や異民族とどう接していたのかなどが『国史』には実例に則して記さ
れている。それは巧まずして日本の国柄をわかり易く現代に伝える結果と
なっている。

前述したように、世界は激しく変化し、前例が通じにくくなってはいる
が、その中にあっても日本国の長い歴史や文化、即ち、国柄を構成する価
値観に基づいて対処すれば大きく間違うことはないだろう。

日本の国柄の基本は、世界一長い歴史をもつ皇室をいただく伝統の国だと
いう点にある。そこから生まれる価値観こそ大事にしたい。令和の時代の
いま、社会も国も水平思考で、皇室の特別扱いには異論さえある。だが、
皇室が日本人にとって特別かつ大切な存在であることに変わりはない。福
澤諭吉は『帝室論』で「一国の帝王は一家の父母の如し」と書いた。皇室
の力は安らぎをもたらす緩和力である。その皇室を、国民は敬愛の情でお
守りしなければならないと、福澤は説いた。

『国史』には福澤の視点と対をなす、皇室の国民に対する視点が次のよう
に書かれている。日本国の特徴は、天皇が日本国を「大きな家族」と見做
し、「君と民とがおだやかに和して国の基礎を強く固め」ていることだ、と。

天皇の慈しみは日本に移り住んだ異民族にも同様に注がれる。天皇は、
「(異民族を)従来の国民と同様に慈しみ、両者が溶け合って円満な国づ
くり」を実践したと『国史』は述べる。右の精神は第一次世界大戦後の
ヴェルサイユ会議で日本が人種差別撤廃を主張したこととも、対米開戦の
理由ともなった米国での日本人排斥運動への憤りとも、通底するのではな
いか。

日本の政情が概して安定しているのは天皇と皇室が高い次元からすべての
人々を公平に見て下さることにあるのではないか。ただ、歴史上、天皇や
皇室発の争いも確かにあった。それを『国史』は蘇我一族の横暴な振舞い
を例にして、どんな時も天皇は一氏族のみを寵愛してはならないと戒めて
いる。

皇室と国民の絆、人種の平等、究極の公正さなどの教えが各天皇の行動に
沿って綴られた本書が、いま一押しの書である。

さて、25年間にわたった連載は今回で終了する。読者の皆様には深く心か
らのお礼を申し上げたい。編集部の方々にも深く感謝申し上げる。

『週刊ダイヤモンド』 2019年6月29日号
新世紀の風をおこす オピニオン縦横無尽 最終回 

◆特別の寄与の制度の新設

川原 俊明 弁護士

例えば、長男(死亡)の嫁が長年義父と一緒に暮らし、義父の世話を一人で献身的にしていたが、義父が亡くなり相続人が長女のみの場合。

 これまでは、何ら世話の一つもしていない長女が義父の遺産を独り占め
 できてしまうという不公平なものでした。

 ところが、この制度の新設により、被相続人(義父)に対して
 無償で療養看護その他の労務の提供をしたことにより、
 被相続人の財産の維持または増加について、特別の寄与をした
 相続人以外の親族(特別寄与者:長男の嫁)については、
 相続の開始後、相続人(長女)に対して、寄与に応じた額の金銭
 (特別寄与料)の支払いを請求することができることとなりました
 (民法1050条1項)。
 
 ただし、特別の寄与の制度においては、
 労務の提供が無償であることを要件としています。
 そこで、被相続人(義父)が労務の提供をした者(長男の嫁)の
 生活費を負担していた場合に無償性の要件を満たすかどうか
 が問題になります。

 その判断は、個別具体的な事情に基づいてなされるものと考えられます。
 例えば、長男の嫁が、義父が要介護状態になる前から義父と同居
 しており、義父がその生活費を負担していたような場合であれば、
 療養看護開始後も引き続き義父が生活費を負担していても、
 そのことから直ちに無償性が否定されることにはならないと考えられます。

 また、一般に、労務の提供の対価といえるためには、その財産給付の
 内容が労務の提供の程度に応じて決められているという関係にあること
 を要すると考えられるため、例えば、長男の嫁が義父からごく僅かな金銭を
 受け取っていたに過ぎない場合には、対価的な意義がない
 と判断される場合が多いと考えられます。

 この制度にも弱点があります。
 例えば、長男の妻が内縁の妻の場合には、この制度の適用外となります。
 この場合には、生前に義父から特別寄与料に応じた死因贈与を受けておく
 (遺言書に記載してもらう、死因贈与契約書を作成する)方法があります。