2019年07月20日

◆山科だより・日本初の産業用水力発電所

渡邊 好造


山科区にある京都市最大の施設は、”琵琶湖疎水(山科疎水)”である。

明治維新後、首都が東京に移ったことで人口の3分の1が流出し、このままだと京都は沈没するのではないか、そんな危機感もあって産業振興の狙いから手がけられたのが琵琶湖の水をひく疎水建設で、京都のあせりが生み出した産物といえる。

疎水は滋賀県大津市の観音寺、三井寺辺りを基点にして山科区北部の山の斜面に沿って、左京区蹴上までの約11キロメートルにわたる水路である。

明治18年(1885年)に日本人技師のみで着工した最初の大工事で110年前の明治23年(1890年)に完成した。日本初の"産業用"水力発電所建設が最大目的で、これにより蹴上発電所が翌明治24年(1891年)に稼動(現在も無人で運転中)、明治28年(1895年)この電力により国内初の市電が京都市内で運行された。

なお、最初の水力発電所は明治21年(1888年)の仙台市三居沢(さんきょざわ)発電所で、国指定有形文化財として今も残されている。

疎水建設の当初予算は60万円だったのが、明治政府の意向もあって、最終的には125万円に倍化され、当時の京都府年間予算の2倍に相当した(資料・京都市上下水道局)。

使用したレンガは1370万個、地下鉄・御陵駅の近くにレンガ工場跡の記念碑がある。現在の水路は、何回もセメントを吹付けて改修されているので、表面にレンガはない。

疎水は、大津・京都間の船による輸送手段としても活用され、昭和23年(1948年)まで利用された。そうした船便の名残りが、”蹴上インクライン(台車を使って船を引張り上げる線路)”の遺跡である。疎水は山科日ノ岡までの傾斜は緩いが、ここから蹴上へは急な下り坂となるので、このインクラインが利用された。

また、疎水の水路北側に沿って、上水用として第2疎水建設工事が明治41年(1908年)に着工され、明治45年(1912年)に完成した。こちらは全て暗渠となっているため山科の住民でも知らない人が多い。

筆者宅から疎水までの距離は約100メートル。ちょうどそこには3つ目の疎水トンネル(トンネルは全部で4つ)の入口があり、明治時代の政治家・井上 馨の揮豪による偏額(門戸等に掲げる横に長い額)が、当時のまま埋めこんである。

偏額には『仁呂山悦智為水歓』(じんはやまをもってよろこび ちはみずのためによろこぶ = 仁者は動かない山によろこび 智者は流れゆく水によろこぶ)の8文字が彫られている。京都あげての力の入れようが、ここにも残る。
 
京都はお寺中心の古都の印象が強いが、明治維新後は産業面でなんとか振興をはかろうと、日本の最先端技術を駆使して走り始めていた。
 
疎水に関しては、平成元年(1989年)8月に完成した左京区「琵琶湖疎水記念館」(地下鉄東西線・蹴上駅下車)に詳しい。
 
ところで、京都市左京区の南禅寺境内には、ヨーロッパ遺跡に似た赤レンガ造りの「水路閣」(疎水の水をひく水道橋)が残されているが、建設当時は京都の景観を損ねるとして大反対運動が展開されたらしい。

そんな反対運動の心意気が在ったのなら、何故あの悪名高い「京都タワー」建設時(昭和39年=1964年)にどうして発揮されなかったのだろうか。当時の京都市の人口131万人にあわせて高さ131メートルの灯台を模したコンクリート・タワーが古都京都にふさわしいと考えた連中がいたとは、とても解せない。

京都市は新景観条例を制定し、建物の高さ(最高31メートル)や看板の色・デザインを規制強化し、将来は市電の復活、電線電柱の地下化を目指す、といった百年河清を待つような方針が今頃になって出始めている。
                                    (完 再掲)

2019年07月19日

◆トランプと闇の帝国の戦い

Andy Chang
 

アメリカのマラー検察官はロシア癒着調査の報告を提出してから、以後は
国会の召喚に応じないと声明したものの、国会議員の圧力があったので今
月の17日に国会の司法委員会と情報委員会の召喚に応じることにしたが、
委員会の都合で24日に延期した。

この2つの委員会は委員が44人もいるので各委員の質問時間は5分しかな
い。みんな聞きたいことがたくさんあるので要点を練っていると言う。

マラー検察官はすべてを報告書に書いたから余計に言うことはないと述べ
た。それでも民主党側も共和党側も聞きたいことが山ほどある。

民主党側はマラーがトランプ有罪の証拠を見つけると期待していたのにマ
ラーが証拠はなかったと結論したので大いに失望した。

マラーはトランプが疑惑調査を妨害した証拠はないが潔白でもない、国会
が罷免できると述べた。検察官が調査したけど証拠がない、それなのに国
会が罷免しろと言ったのである。これでマラー検察官は中立でなく反トラ
ンプの仲間だったことが判明した。

だから議会の民主党議員は新証拠を探すため彼を召喚し、共和党側の委員
はマラーが検察官として公正でなかったことを詰問する。つまり国会喚問
ではマラー検察官の報告書そのものが疑問視される。

あろうことか検察官自身がトランプの罪を発見できなかったから国会
で罷免しろと述べたのである。調査委員会の委員長は2人とも民主党
員だがらマラー氏を召喚して報告書に書いてなかった新事実を見つけ
だすつもりだ。反対に共和党議員はマラー特別検察官が2年かけてト
ランプ大統領を調査したこと自体が陰謀である証拠を探す。

もともとマラー検察官は「ロシア癒着の調査」を任命されたのであっ
て調査妨害は任命の範囲外である。マラー氏は司法省の古参上級幹部
でFBIのコーメィ長官とも親しかったからロシア癒着が嘘だと知って
いたはずである。ロシヤ癒着の証拠はスティール文書だけである。

スティール文書はヒラリーの資金で作成した偽物と選挙の前からわかっ
ていた。わかっていたにも拘らず調査を二年続けた。反トランプの中
心人物、ワイスマン、ストロークなどを雇って調査を続けた。こんな
調査が中立公正であるはずがない。マラー検察官はなぜスティール文
書の信憑性、ヒラリーとスティールの関連を調査しなかったのか。マ
ラー氏も陰謀の仲間だったと考えれば納得がいく。

アメリカの闇の帝国とは大きな渦のようなもので、渦の中心はヒラリ
ーである。ヒラリーが犯した数々の罪を隠蔽するためにいろいろな政
府機関の複数の高級官僚が関与していた。彼女の罪を隠すために数多
の高級官僚が罪を犯し、罪の上に罪を重ねて行ったのである。

ヒラリーの犯罪は彼女が12個以上の個人スマホとクリントン家のサー
バーを違法と知りながら、しかも部下から何度も違法を注意されても
平気で続けて使用していたことに始まる。

Judicial Watch社がベンガジ事件を調査するため国務院とFBI、オバマ
とヒラリーと彼女の部下のメール通信記録を要求した。ヒラリーとオ
バマはベンガジ事件の真相を隠すため通信データの提供を渋った。こ
の調査でヒラリーが違法に個人のスマホを使って通信していたことが
判明し、しかもクリントンのサーバーが中国とロシアにハッキングさ
れていたことも判明した。

ヒラリーの罪を隠すため国務省、ホワイトハウス、司法省やFBI、CIA
のトップが証拠隠滅に加わった。ベンガジ事件に続いてオバマとエリ
ック・ホールダー司法長官のFast & Furiousの失敗事件、ヒラリーの
Uranium One事件、スティール文書の作成、トランプのロシア疑惑、大
統領罷免陰謀などいろいろなオバマ政権の犯罪がどんどん増えていっ
た。これがオバマ民主党の「闇の帝国」である。

彼らは数多の犯罪を隠蔽するためにトランプ罷免を始めたのであった。
ところがトランプは辞職に追い込まれず、闇の帝国の犯罪が暴かれる
ようになったのだ。

オバマ民主党は数多の犯罪を隠すためヒラリーを絶対に当選させたか
った。そのために複数のDOJ/FBI、CIAとDNAのトップが反トランプに
介入した。これだけ多くの民主党員が陰謀に参加したのでトランプが
大統領になってもトランプ下ろしを続ける必要があった。

マラー氏を特別検察官に任命してロシア疑惑を調査させたが、二年
かけても犯罪の証拠がなかった。だから次にトランプがマラーの調査
を妨害した証拠を捜し、それも証拠がないので国会が罷免するという。

闇の帝国は選挙の前、当選したあと、大統領になったあとも闇の帝国
はトランプの罪を追及し続けた。この間トランプは国会で民主党側の
ボイコットとメディアのフェイクニュースにさらされながら、この三
年で経済は向上し株価が高値を更新し続け、雇用増加と50年来の失業
率低下の業績を挙げた。国際問題でも中国、北朝鮮、イランなど良い
結果を得ている。それでもメディアとサヨク民衆のトランプ反対が続
いている。民主党はトランプ再選を阻むため罷免を続けるだろう。闇
の帝国が摘発されたら選挙どころか民主党の破滅となる。
                 (滞米台湾人地球物理学者)


at 11:09 | Comment(0) | Andy Chang

◆M・サッチャーの登場

渡部 亮次郎


マーガレット・ヒルダ・サッチャー(英語: Margaret Hilda Thatcher,
Baroness Thatcher, LG, OM, PC、旧姓:ロバーツ(Roberts)、1925年10
月13日〜 )は、イギリス史上初の、女性保守党党首、英国首相(在
任:1979年 ―1990年)。

5月4日は首相就任記念の日である。就任直後、表敬する園田直外務大臣
に随行して首相官邸を訪れた。煙草を吸っても灰皿を出してくれないので
弱った。それを機に私は禁煙して今日に至っている。
彼女が極端な煙草嫌いであることを知らなかった私が悪かったのであり、
その業績は尊敬している。

以下「ウィキペディア」によれば、首相退任後は1992年から貴族院議員。
保守的かつ強硬なその性格から 鉄の女(the Iron Lady)あるいはアッ
ティラ(Attila the Hun)の異名を取った。

首相退任後の2008年に長女のキャロルが、サッチャーの認知症が進み、夫
が死亡したことも忘れるほど記憶力が減退していることを明かし、2008年
8月24日付の英紙メール・オン・サンデーが詳報を掲載した。

それによると、8年前から発症し、最近は首相時代の出来事でさえも「詳
細を思い出せなくなってきた」としている。現在は表舞台には姿を見せて
いない(2012年初頭現在)。

1925年、リンカンシャー州グランサムの食糧雑貨商の家に生まれる。父・
アルフレッド・ロバーツは地元の名士であり、市長を務めた経験もあった。

父・アルフレッドを非常に尊敬し、サッチャーは「人間として必要なこと
は全て父から学んだ」と度々口にした。

オックスフォード大学で化学を学び、1947年に卒業。その後、研究者の道
に進み、ライオンズ社に就職した研究者時代にアイスクリームに空気を混
ぜてかさ増しする方法を研究した事がある。コロイド化学が専門であり、
Langmuir- Blodgett膜の研究を行っていた時期もある。

大学時代にはフリードリヒ・ハイエクの経済学にも傾倒していた。この頃
に培われた経済学に対する思想が、後の新自由主義的な経済改革(所謂
サッチャリズム)の源流になった。

1950年、保守党から下院議会議員選挙に立候補するが、落選。翌1951年に
は10歳年上のデニス・サッチャーと結婚し、法律の勉強を始める。1953年
には弁護士資格を取得。なお、この当時は女権拡張について強く訴えていた。

1959年に下院議員に初当選を果たし、1970年からヒース内閣で教育科学相
を務める。この時、教育関連予算を削減する必要に迫られたサッチャーは
学校における牛乳の無償配給の廃止を決定し、「ミルク泥棒」と謗られる
など、猛烈な抗議の嵐を巻き起こした。

1974年の選挙で保守党は敗北を喫し、翌1975年2月に保守党党首選挙が行
われる。

当初、サッチャーは党内右派のキース・ジョセフを支持していたが、ジョ
セフは数々の舌禍を巻き起こして党内外から反発を受け、立候補を断念し
てしまった。

そのため、右派からはサッチャーが出馬する。教育科学相の経験しかない
サッチャーの党首選への出馬を不安視する声も多かったが、エドワード・
ヒースを破り保守党党首に就任する。

同年、イギリスを含む全35ヶ国で調印、採択されたヘルシンキ宣言を痛烈
に批判した。これに対し、ソビエト連邦の国防省機関紙「クラスナーヤ・
ズヴェーズダ(現在でもロシア連邦国防省機関紙として刊行)」は1976年
1月24日号の記事の中で、サッチャーを鉄の女と呼び、非難した。

皮肉にも、この「鉄の女」の呼び名をサッチャー自身も気に入り、またそ
の後あらゆるメディアで取り上げられたために、サッチャーの代名詞とし
て定着した。

1979年の選挙ではイギリス経済の復活、小さな政府への転換を公約に掲
げ、保守党を大勝に導く。なお、総選挙の際、2週間で体重を9kg減らすダ
イエットを実施していたことが、サッチャー財団の保管していた資料から
明らかになっている。

仮に首相に就任すれば報道への露出が増すことを想定し実施したと推測さ
れている。ダイエットの中身は食事のコントロールが主で、卵を1日に4個
から6個食べる、肉や穀類を減らす、好きなウイスキーなどのアルコール
飲料は週4日までに制限、間食を絶つといった内容だった。

選挙後、女性初のイギリス首相に就任した。イギリス経済の建て直しを図
り、政府の市場への介入を抑制する政策を実施。こうした経済に対する思
想は新自由主義(ネオ・リベラリズム)あるいは新保守主義と呼ばれ、理
論的にはエドマンド・バークやフリードリヒ・ハイエクの保守哲学、同じ
くハイエクやミルトン・フリードマンの経済学を背景にしていると言われる。

1982年には、南大西洋のフォークランド諸島でフォークランド紛争が勃
発。アルゼンチン軍のフォークランド諸島への侵略に対し、サッチャーは
間髪入れず艦隊、爆撃機をフォークランドへ派遣した。

多数の艦艇を失ったものの2ヶ月の戦闘の結果6月14日にイギリス軍はポー
ト・スタンリーを陥落させ、アルゼンチン軍を放逐した。サッチャーの強
硬な姿勢によるフォークランド奪還は、イギリス国民からの評価が極めて
高い。

この際、「人命に代えてでも我が英国領土を守らなければならない。なぜ
ならば国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからである」(領土とは
国家そのものであり、その国家なくしては国民の生命・財産の存在する根
拠が失われるという意)と述べた。

イギリス経済の低迷から支持率の低下に悩まされていたサッチャーは、戦
争終結後「我々は決して後戻りしないのです」と力強く宣言し、支持率は
73%を記録する。

フォークランド紛争をきっかけに保守党はサッチャー政権誕生後2度目の
総選挙で勝利し、これをきっかけにサッチャーはより保守的かつ急進的な
経済改革の断行に向かう。

1984年10月12日保守党党大会開催中のブライトンで、投宿していたホテル
でIRAによる爆弾テロに遭っている。議員やその家族など5人が死亡、30人
余りが負傷した。

1990年の党首選では苦戦。結局11月22日に英国首相、保守党党首を辞職す
る意向を表明した。2012・5・3


◆選挙を前に激化する、朝日の安倍批判

櫻井よしこ


7月4日、参議院議員選挙が公示され、世の中は選挙一色だ。その中で「朝
日新聞」の反安倍報道が際立っている。7日の1面に政治部次長、松田京平
氏の署名入りの記事が載った。「『嘲笑する政治』続けるのか」と題して
安倍晋三首相を次のように批判した。

「(安倍晋三首相は)民主党政権の失敗と比較して野党を揶揄、こき下ろ
す。身内で固まってあざ笑う―。自分が相手より上位にあり、見下し、排
除する意識がにじむ」、「『嘲笑する政治』が6年半、まかり通ってき
た」、「このまま『嘲笑の政治』が続くなら、民主主義は機能しない」、
という内容だ。

安倍憎しの感情がメラメラと燃えているようだ。しかし現実を見れば、国
民の多くが民主党政権の3年余りを「悪夢」と感じているのではないか。
首相が「身内で固まってあざ笑」っているわけではない。その証拠に、政
権を失った後、民主党の支持率は下がる一方だった。だからこそ、2017年
10月の衆議院議員選挙を前に、遂に全員が小池百合子氏の下に逃げ込もう
とした。しかし排除されて、立憲民主党が生れ、紆余曲折を経て国民民主
党も生れた。

民主党政権時代の「悪夢」の再来は厭だと、国民が骨身に沁みて感じてい
るからこそ、その後複数回の選挙で自民党が国民の支持を受け続けたので
ある。にも拘わらず、この6年半が安倍政権がただ民主党を「嘲笑する政
治」であったとすれば、国民が安倍氏を支持するはずもない。朝日の余り
に曲がった見方こそ国民の意思を「嘲笑」するもので、傲慢さを示している。

どんな時でも選挙は国政の行方を決める重要事だが、今月21日の参院選挙
には特別の重要さがつきまとう。結果によって、首相に期待されている憲
法改正が可能になるか、或いは先延ばしで事実上、改憲不能に陥るかが決
まるからだ。

憲法以外にも、経済、年金、北朝鮮と拉致、皇室など重要な問題が山積し
ている。これらの課題、とりわけ憲法改正に安倍首相が着手するのが朝日
新聞はいやなのであろう。それが常軌を逸した安倍首相批判につながって
いると見てよいだろう。7月3日の「天声人語」はその凄まじい一例だ。

首相を犬にたとえる

同欄で天声人語子は「あくびは伝染する」と書く。「米国が中国に仕掛け
た貿易戦争さながら、日本政府が韓国への輸出規制に乗り出した」とつな
げている。「韓国側にも問題がある」としながらも、安倍政権の措置は
「筋違い」だと切って捨て、次の下品な批判を展開する。

「ちなみに人のあくびは犬にも伝染するらしい。忠誠を尽くす飼い主から
とくに影響を受けやすいとの研究結果がある。日本政府の場合は、こちら
に近いか」

安倍政権、つまり安倍首相を犬にたとえるのか。こんな非礼は誰に対して
も許されない。だが、朝日は、首相にはどんな下品な批判でも許されると
思っているのであろう。この感覚こそ、「自分が相手より上位にあり、見
下」す視線ではないか。

右の非礼な天声人語と同じ日、朝日は「対韓輸出規制『報復』を即時撤回
せよ」という社説を掲げた。そこにはこう書かれている。

「近年の米国と中国が振りかざす愚行に、日本も加わるのか。自由貿易の
原則をねじ曲げる措置は即時撤回すべきである」

朝日社説子は、韓国への「輸出規制強化」をかつて中国が尖閣問題を巡っ
てレアアースの輸出を止めた事例や、トランプ政権が安全保障を理由に鉄
鋼などの関税を上げた事例と同列に置いて、安倍首相の措置を非難するの
である。

順序が後先になったが、経済産業省が「輸出管理を適切に実施する観点か
ら、大韓民国向けの輸出について厳格な制度の運用を行」うと発表したの
が7月1日だ。➀韓国をこれまで「ホワイト国」と見做してきたが、そのリ
ストから韓国を外す手続きを始める。➁4日からフッ化ポリイミド、レジ
スト、フッ化水素の3品目を包括輸出許可制度の対象外とし、個別の輸出
審査を行う、とした。

世耕弘成経済産業大臣は7月1日、右の措置の理由として「輸出管理で不適
切な事案が発生した」ことを挙げたが、「不適切な事案」の内容について
は「守秘義務」があるとし具体的説明を行わなかった。

経産省の発表は直ちに多方面から反応を引きおこした。その中のひとつに
中部大学特任教授細川昌彦氏(元経産省貿易管理部長)の解説がある。氏
はこれは「輸出規制発動」ではなく、04年から韓国を優遇して簡略化して
いた手続きを03年までの普通の手続きに戻すだけだと説明した。本来は契
約毎に個別の許可が必要だが、輸出管理の点で信頼できる国であると見做
されると「ホワイト国」に指定されて輸出手続きが簡略化される。その場
合、3年間有効な包括許可をとることが可能で、いつでも輸出できるとい
うものだ。

理不尽な政府批判

安倍首相も繰り返し述べている。

「輸出禁止ということではありません。徴用工(朝鮮人戦時労働者)問題
とも関係ありません。これまで韓国に認めていた優遇策を元にもどしただ
けです。EU諸国は元々韓国をホワイト国にはしておらず、わが国はEU
と同様の政策を韓国に対してとるということです」

こう強調した首相も、世耕氏が会見で語った「不適切な事案」について、
7日時点ではまだ説明していない。

他方細川氏は、韓国に輸出した先述の品目が北朝鮮に横流しされる事例が
頻繁に起きている、むしろ常態化していると明言する(7月7日「日曜報道
THE PRIME」)。

軍事目的にも転用される先述の物質が北朝鮮に横流しされているのであれ
ば、韓国をホワイト国リストから外すのは当然だ。また再度強調したいの
は、今回の措置が包括許可から個別許可に戻したにすぎないという点だ。
朝日は3日の社説で、中国のレアアース禁輸と較べたが、その比較自体が
的外れだ。

朝日の社説のもうひとつの間違いは、同措置を朝鮮人戦時労働者問題に対
する日本政府の報復だと見做していることだ。今回の措置はいわゆる徴用
工問題とは何ら関係がない。従って朝日が言う安倍政権が「政治の対立を
経済の交流にまで持ち込」んだという非難は当たらない。「外交当局の高
官協議で打開の模索を急ぐべきである」という主張も、的外れだ。第一、
日本側は徴用工問題で話し合いを呼びかけ続けたが、韓国側が応じないの
である。

朝日の理不尽な政府批判は、安倍自民党の勝利は改憲につながると見て阻
止する為であり、朝日の偏ったイデオロギーの産物にすぎないということ
だろう。

『週刊新潮』 2019年7月18日号 日本ルネッサンス 第860回

◆おきゅうと って知ってる?

毛馬 一三


郷里福岡の友人が初めて案内してくれた博多料理屋で、「おきゅうと」が出た。

エゴノリという海藻から作った食品で、生姜、ゴマ、かつおぶしなどを振りかけ、それにポン酢を注いで食する。涼感を誘うツルッとした味わいと、磯の香りの食感が口内いっぱい広がった。

久し振りの味は、淡泊ながら旨みと滋味に溢れた、福岡特産の食感を十分に嗜め、郷愁を身近に感じた。

ところが、この「おきゅうと」を知る人は意外に少ない。筆者自身も、福岡出身でありながら、福岡から僅か離れた筑後・久留米で育ったので、「おきゅうと」の名前すら幼少の頃は耳にしたこともなく、食膳に上った記憶も無い。

筆者が、料理の一品として魅せられたのは、社会人になってからだ。以来、「おきゅうと」の愛好者になった。下戸なので、お酒のつまみではなく、専ら深みのある味を、ゆっくり箸を付けながら食する楽しみ方だ。

エゴノリが生育する日本海側の秋田、山形、新潟、長野の各県では「えご」、宮崎県では「キリンサイ」などと呼ばれて食用にされているらしいが、「おきゅうと」とは言わない。食べ方も福岡とは全く異なる。

さて、肝腎の「おきゅうと」の名前の由来だが、
1.「沖の独活(ウド)」説。エゴノリはウドの木の様に早く育つので、沖のウドが転訛した。
2.沖からやってきた漁師が作り方を伝授したから「沖人」(おきうど)説。
3.飢饉の際に簡単で大量に作られ多くの人を救ったから「救人」。
などの諸説あるらしい。

「おきゅうと」の食べ方だが、
・真空パックの中に5枚入っている添加物不使用
・厚さ約3mmの「おきうと」を、水洗いして、幅2〜3mmくらいに切る。
・それを器に盛りつけ、生姜、ゴマ、かつおぶしなどをふりかけ、醤油またはポン酢で食べる。また、酢味噌などでもおいしい。

いとも簡単に食することができる。しかもふりかけ材の工夫では、味付けが自分の好みに合わせられるだけに,楽しみも倍増だ。

大阪人でも初めて食べた時は、独特な味覚と触覚に戸惑うらしい。しかし2度目からは、仄かな磯の香り・海苔の風味、涼感を誘う喉ごし、溢れる旨みと滋味に魅せられて、愛好者は増えていると云う。

「おきゅうと」は「めんたいこ」と共に、数百年の昔から朝食の一品を占め続けて来た福岡・博多の食文化の代表であり、福岡・博多の人々はその重みを了知している。

残念なことに大阪では、「飲み屋」か「博多料理店」に行かないと「おきゅうと」には、お目にかかれない。近郊スーパーにはその姿が消えてから長い。情けない話だ。

郷里福岡に帰省した福岡高校同窓会の先輩が、地元でしか味合えない特製「おきゅうとの店に立ち寄り、味わいを実感してきた」と述懐していた。

こればかりは、郷里特性の「おきゅうと」だから、羨ましい限りだった。(了 再掲)  
参考:ウィキペディア       

2019年07月18日

◆郭台銘、独立候補で出馬の可能性がまだある

宮崎 正弘


令和元年(2019)7月18日(木曜日)通巻第6144号  <前日発行>

 郭台銘、国民党を離党し、独立候補で出馬の可能性がまだある
 他方、韓国諭(高雄市長)は地盤の高雄でリコール運動に13万人が署名

2020年の次期台湾総統に挑戦する候補者を選ぶ国民党予備選の第一段階
(世論調査)は、国民党執行部の強い思惑、すなわち勝てる候補選びのた
めに郭台銘を外すという基本路線が貫かれた。国民党主席の呉敦義の意向
が強く反映した。

結果は韓国諭が44・8%、郭台銘が27・7%、朱立倫は1年前の本命視か
ら転落して18%弱。4位は周錫偉(6%)、5位は張亜中(3・5%)
だった。

月末の党大会で、韓国諭(高雄市長)が正式に来年1月に予定されている
総統選挙への正式候補者となる。韓国諭は台湾の向日葵学生運動が国会を
占拠した折、民主主義の価値を評価した記録がない。郭台銘に至っては
「民主主義など糞食らえ」と暴言を吐いた。

直後の世論調査をネットで調べたところ、驚くなかれ、蔡英文が77%の支
持を集め、韓国諭は僅かに23%だった。逆転を示しているのである。

訪米で多数の有力者や議会指導者と面会した蔡英文は、アメリカの無言の
蔡英文支持を背景にして「韓国諭候補は経験不足、政治力量は未知数だ」
と語った。

落下傘候補として最初は泡沫扱いだった韓国諭が、相次ぐ失政で民進党の
支持層が蔡英文からはなれ、「瓢箪から駒」で高雄市長に当選した。それ
から僅か8ヶ月。はやくも総統選挙へ出馬するとは公約違反だと高雄市民
は声をあげた。

「市長の4年間、全力を尽くす。総統選? 出るわけがない」との公約は
最初から反古だったのだ、と高雄市民は怒りに満ちて街頭に飛び出した。
 
おりからの「反送中」運動で、100万、200万の動員を果たした香港は林鄭
月峨行政長官に「やめろ」と迫り、中国共産党は深刻に事態を受け止めた。

こうした香港の動きに刺戟され、台湾の国民感情にも変化が起きた。
香港市民の行動を目撃した、台湾人の多くが香港のアンチ中国デモを支持
した。国民党のいう「1国家2制度」の末路がどうなるか、身に染みて認
識できたからだ。

ところが、韓国諭は感想を聞かれて「私にはわからない」と発言して、北
京の顔色を見るような態度に支持者から失望の声が漏れた。

やはり郭台銘とおなじように、韓国諭は北京の代理人か」。

「あれではどちらがなっても国民党は馬英九と同じ愚を繰り返すだろう」。


 ▲台南市民が韓国諭辞任運動の署名を始めた

高雄市議会は10名余の市議会議員が記者会見を開き、韓国諭の即時退陣を
求めた。「総統選に熱中し、高雄市政をおろそかにした責任は大きい」と
したため、リコールを求める署名運動はさらに燃え広がる。

韓国諭を支える筈の高雄で、基盤となる大票田が韓国諭不信ムードに切り
替わったのだ。

高雄はもともと台湾独立運動のさかんな土地柄であり、国民党はながく相
手にされなかった選挙区である。この民進党の拠点を覆したのだから、国
民党は韓国諭に過剰な期待を寄せたのも無理はなかった。世情の移り気は
迅速である。

リコールに必要なのは58万人の署名、すでに13万人が韓国諭のリコールに
賛同した。連日、雨の中、リコールの呼びかけが続いている。

また台北などでは、黄色い雨合羽をきて、「偏向マスコミ糾弾」「中共匪
賊に迎合するメディア」を激しく非難する集会が行われ、香港の熱気が台
湾に移動したようである。

国民党予備選で大敗した郭台銘は、世論調査がすべてを代弁するわけはな
いとばかり、国民党を離党し、独立候補としての総統選立候補というシナ
リオを捨てていない。

そうなれば国民党はまたまた分裂の危機をむかえることとなり、2000年に
は中華思想統一派が党を割って出馬したために「漁夫の利」が民進党に転
がり込んだ。したがって郭台銘の立候補は与党・民進党にとっては歓迎す
べき事態である。

一時は有力とさわがれた王金平(元国会議長)は、いまや「過去の人」。
立ち回り先で待ちかまえる記者は1人か2人という寂しさだ。

台北市長の何文哲も、直後の発言を拾うと、総統選挙への意気込みを感じ
させる。だから台湾メディアは何文哲単独立候補シナリオにも備えてい
る。何文哲の立ち回るところ、記者団が十数名ついてまわる。

さて「台湾のトランプ」と比喩され、立候補の表明直後は圧倒的人気だっ
た郭台銘は、なぜ途中から失速したのか?

郭の両親は国民党の敗退にともない山西省を後にして台湾へ移住し、狭い
住居で十年を雌伏した。一家はキリスト教会の慈善事業で食いつなげたと
いう。

郭は母親に借金して7500ドルでプラスチック成型器を購い、部品製造のビ
ジネスを始めた。

成功の弾みとなったのは当時、興隆していた電器部品から電子部品、スマ
ホの大発展を見通して早くに対応策を講じたからだった。

郭はアメリカ各地を見て歩き、そしてIBM、デル、アップルを直接訪ね
て、かれらの欲しがる備品を聞き出し、その需要の高い部品を製造するた
めに人件費の安い中国大陸に主力工場を次々と造った。


▲強い指導者イメージをつくるトランプ選挙の遣り方を真似たが。。。

過酷な労働、やすい賃金、奴隷のような職場と悪評さくさくでストライキ
にも遭遇したが、郭台銘すこしも怯まず、強気の経営を続け、台湾一の財
閥になり仰せた。

郭は「台湾の松下幸之助」といわれ、巨万の富を築いた王永慶を深く尊敬
しているというが、経営理論を聞いていると、ばさばさと不採算部門を切
り捨て、効率集中型重視などの理論実戦家。筆者は大前研一の論理を思い
出した。

「私はトランプ大統領とも渡りをつけたし、習近平主席とも数度面会して
いる。台湾は米中技術戦争時代にサプライチェンの架け橋になれる有利な
ポジションにいる。メディアはまだ「G20,G20」と騒いでいるが、いま
では明確にG2だけなのである」とTIMEのインタビューに答えている
(同誌、2019年7月22日号)。

郭は予備選をトランプの遣り方に模したキャンペーンで戦った。巨費を投
じたテレビCMも頻度激しく、しかし力強い印象を作り出すために語彙を
慎重に選び、専門家を回りに固め、帽子もスローガンを前面に掲げ、人脈
とコネの強さを訴えた。だが、アメリカ流のキャンペーンの遣り方は台湾
のように情緒的、家族的社会ではむしろ反発を強めた。

台湾のシッリコンバレーと言われた新竹市などでは一部IT関連者の熱狂
的支持を集めたが、一般の市井に暮らす人々からはそっぽを向かれた。
     
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書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW
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 多民族国家に変貌を遂げるのか、日本の中に異国が幾つも誕生している
外国人コミュニティに生活し、かれらの日常に密着した実況中継型のルポ

  ♪
室橋裕和『日本の異国  在日外国人の知られざる日常』(昌文社)
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
日本全国どんな片田舎へ行ってもフィリピンのパブがあり、韓国人のス
ナックがあり、工業都市周辺にはブラジル人のたまり場があり、高田馬場
へ行くとミャンマー人のコミュニティがある。竹の塚にはリトル・マニラ
ができており、西川口の団地はチャイナ・コミュニティに変貌した。
 
ベトナム、カンボジア、ラオスからの難民は神奈川県大和市に集中して住
み着いた。西葛西にはリトル・インディアが形成されていた。

気がつかなかったのは八潮団地にパキスタンの中古車ディーラーがあつ
まって、既に、「ヤシオスタン」になっていること、なかではカラチの方
言が飛び交っている。西池袋には、北区、豊島区に住むバングラデシュの
たまり場があり、光が丘団地にはモンゴル人のコミュニティが出来ている
とか、ともかく「多国籍化」の変化が激しい。

評者(宮崎)はアジア、南アジアそして南太平洋諸国をめぐって世界各国
に散った華僑がつくるチャイナタウンの取材をしているが、この本の著者
は逆に、日本のなかに存在する「異郷」を精力的に探訪した。磁極が反対
側の人なのだ。

銀座のホステスには近年、客あしらいがうまい中国人女性が流暢な日本語
を操り、隣の店に行くとイタリア人やらアメリカ人ホステスもいる。上野
から鶯谷界隈には中国人経営の風俗店もあるという。

外国人コミュニテイィはすっかり日本の「日常の風景」となって、いまや
我が国では珍しくもない。

大相撲力士はモンゴル人が横綱、三役にはグルジア人とか、曙はハワイか
ら、武蔵丸はトンガ人だった。いまテニス、短距離、バスケットボールに
「日本国籍」の外国人、あるいは日本人との混血選手がいるが、だれも違
和感を感じていないようだ。

いや、彼らを声援し「日本、頑張れ!」と大声出して応援しているではな
いか。

こうなると、多民族国家に変貌を遂げる日がちかいのではないか?

ンビニの店員と居酒屋は、ほとんどが外国人。それも或る居酒屋チェーン
は特定のネパール人ばかりの店舗があり、コンビニは福建出身者が多いよ
うだ。福建省は広く北側の福州市より福清市からの中国人が目立つ。

「全国区的」に有名なのは新大久保のコリアンタウン、周辺には韓国系ば
かりか、いまでは「アジアのごった煮」状況となった。

北池袋のチャイナタウンには中国語だけで運転免許取得可能をうたう自動
車学校、24時間営業の保育所。在日許可延長、国際結婚斡旋の法律事務所。

本書では、これまで知られていなかった蕨市にいつのまにかクルド人が集
まり、「ワラビスタン」と言われていること。茗荷谷にはインド人シーク
教徒寺院があってインド人の社交場にもなっていることも書かれている

(評者、インドのヴィザの申請と受領に茗荷谷のインド・ヴィザセンター
に何回か行った経験があるが、なるほど茗荷谷にもインド人コミュニティ
が出来ていることは知らなかった)。

静岡県御殿場市の変化。富士山観光に来る中国人が、買い物を愉しむアウ
トレットがずらーり並んでいるのだが、300人の中国人店員が、中国語で
中国人ツアー客に対応しているというではないか。

彼らは逆に日本人店員に気を遣うというのだから、そんなことありか、と
驚いてしまった。

実際に筆者の室橋氏はタイに10年を暮らし、帰国後も大久保の外国租界の
ような町に暮らして、朝から晩まで外国人の日常生活をみてきた。そして
現状を細密に紀行文的に観察したのが本書。ユニークな文化論の登場と相
成った。

日本の中にいつの間にか形成されていた異国の実情をこれほど生々しく伝
えたルポは労作であり、初めて知る事柄が多かった。
        
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読者の声  どくしゃのこえ READERS‘ OPINIONS 
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   ♪
(読者の声1)日本経済新聞に「ワカタケル」という小説を連載中の池澤
夏樹ですが、いよいよ化けの皮が剥がれてきたと思います。

古事記の雄渾な浪漫を基盤にして大王ワカタケルの統治をダイナミックに
描いてきたのですが、このところは各地の豪族のワカタケルからの離心、
アマテラスオオミカミの系列に卑弥呼がいたという珍奇な設定になり、女

王の統治をほのめかすという、おかしな筋立てになってきました。

歴史解釈の隘路に陥ったのではないか。いや地が出てきたのでしょうか?
 いつぞや貴誌のコメントで宮?さんも、この小説に注目されていると書
かれておられましたので、お尋ねします。池澤夏樹はやっぱり「向こう
側」の作家でしょうか?(TY生、岡山)


(宮崎正弘のコメント)彼の父親は福永武彦で、『日本書紀』の現代語訳
もしています。

池澤は古事記、日本書紀を基盤に独自のイマジネーションを膨らませてい
ますが、ご指摘のように途中から左翼史観がちらつく場面が増えてきました。

雄略天皇は大和言葉でワカタケル、豪放な天皇として知られます。

参考のため、池澤は『科学する心』(集英社)というエッセイ本のなかで
昭和天皇に対して何と言っているかを紹介します。

「天皇であることと科学者であることはほぼ異なる資質ということが出来
るから、以下ではいささか不謹慎ながら慣例に反してこの人を裕仁さんと
呼ぼう」(中略)「やがて裕仁くんが長じて即位した」(同書
12p〜14p)。
 
この「さん」から「クン」呼びが次には「裕仁氏」となって、畏れ多くも
天皇陛下に対して、滅茶苦茶な呼称を羅列している。

その無神経な感覚で、古事記、日本書紀を読んだのだろうから、小説の成
り行きも先が見えてきたのではありませんか。

◆80にして初納豆

渡部 亮次郎


83で最近、納豆を毎朝食べてみて飽きない。脳卒中予防には血をさらさら
にするしかない、そのためには毎日「ワーファリン」を飲むことになった
が、困ったことに、この薬は納豆や青汁などをたべると効果がなくなる。

子供の頃、親父が納豆作りに殆ど失敗した為に、これまでは納豆を食べた
いと思うことは無かった。ところが、4月から薬が代わって「プラザサ
キ」になり、納豆はOKということになった。

それで4月の末から毎朝、納豆を食べ、14日に血液検査をしてもらったら
「プラザサキ」の効果には矢張り全く影響していなかった。

「好きならいくらでもOK」ということになったわけだ。

納豆は大豆を原料として、納豆菌で発酵させた日本の発酵食品である。日
本全国の食品売り場で容易に手に入れることができ、現在多くの日本人に
食べられている。茨城県・福島県を中心とした関東地方・東北地方では郷
土料理としても親しまれている。

大阪に30年前、単身赴任した頃は、何処にも納豆は売っていなかったが、
いまでは製法や菌の改良などで匂いを少なくしたり、含まれる成分の内
「ナットウキナーゼ」の健康増進効果がテレビなどのメディアで伝えられ
るようになり、この40年間を見ても国内各地域での消費量の差(一番少な
い近畿・中国・四国と福島・水戸など一番多い地域との差)は大きく縮
まっているそうだ。

「納豆」「納豆汁」などが冬の季語である事や、「納豆時に医者要らず」
という諺があったように、納豆の時期は冬である。

7月10日は「納豆の日」とされている。これは1981年、関西での納豆消費
拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ(7)とう(10)の語呂合わせ
で制定したもの。1992年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の
日」として制定した。

「納豆」という語句が確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に藤原明衡
によって書かれた『新猿楽記』である。同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛
納豆」という記述があることから、平安時代には納豆という言葉が既に存
在していたことが確認できる。

この記述の読み下しには諸説あるが(「舂塩辛」「納豆」、「舂塩」「辛
納豆」、「大根舂」「塩辛納豆」など)、「辛納豆=唐納豆」など、これ
は本来の意味の納豆、つまり現在の「塩辛納豆」を指すものであろうとい
う意見が多い。

納豆、つまり糸引き納豆についてであるが、「煮豆」と「藁」の菌(弥生
時代の住居には藁が敷き詰められていた。また炉がある為に温度と湿度が
菌繁殖に適した温度になる)がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来
たと考えられているが、起源や時代背景については様々な説があり定かで
はない。

大豆は既に縄文時代に伝来しており、稲作も始まっていたが、納豆の起源
がその頃まで遡るのかは不明である。戦国時代において、武将の蛋白源や
スタミナ源ともなっていた。

また江戸時代では、京都や江戸において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩
いていた。戦時中は軍用食として、戦後は日本人を救う栄養食として食べ
られ、日本に納豆が普及していった。

納豆は元来精進料理として納所(なっしょ、寺院の倉庫)で作られた食品
でこれが名前の由来という説が『本朝食鑑』という書物に載っている。

納所に勤めていた僧侶が納豆造りをしていたので、納所の字をとって「納
豆」になったという。又言う、『新猿楽記』の中で「精進物、春、塩辛納
豆」とあるのが初見で、この『猿楽記』がベストセラーになったことによ
り、納豆という記され方が広まったとされる。

納豆が日本独自の言葉であるのに対し、豆腐は中国から伝来した食品であ
り中国でもこの名前で呼ばれている。

血液凝固因子を作るのに不可欠なビタミンKや大豆由来のタンパク質も豊
富であり、現在でも重要なタンパク質源となっている。

「ワーファリン」の効果が減殺されるのはこのため。

総務省統計局の全国物価統計調査の調査品目にも採用されている。食物繊
維は100グラム中に44・9−7・6グラムと豊富に含まれる。

食物繊維はオリゴ糖等と共にプレバイオティクスと呼ばれる腸内環境に有
用な成分であり、納豆菌はプロバイオティクスと呼ばれ、これも腸内環境
に有用と考えられている。

O157を抗菌することがわかっている。納豆には殺菌作用が認められ、抗生
物質のない昔は、赤痢、チフスなどの伝染病に対し、納豆が一種の薬とし
て使われていた。

病原性大腸菌あるいはサルモネラ菌に対する抗菌作用も立証されている。
納豆には血栓を溶かす酵素が含まれており、納豆から単離したナットウキ
ナーゼを経口投与したイヌで血栓の溶解が観察されたという報告がある。

納豆をかき回して食するのは、納豆のねばりの中にあるグルテンの構造が
一定の方向になると美味しく感じるという経験を持つことによる。

途中から逆方向に混ぜるとこの構造が壊れて味が損なわれる(江戸東京グ
ルメ歳時記:林順信著)。

納豆に含まれるビタミンK2は骨タンパク質の働きや骨形成を促進すること
から、ビタミンK2を多く含む納豆が、特定保健用食品として許可されている。

また、ポリグルタミン酸にはカルシウムの吸収促進効果があるため、納豆
から抽出されたポリグルタミン酸が特定保健用食品とし
て許可されている。

納豆菌の一部には、安定した芽胞のまま腸内まで生きて到達してビフィズ
ス菌を増やし腸内環境を正常化する効果があることから、そのような効果
を持つ納豆が特定保健用食品として認可されている。

納豆菌を使用して発酵させる為、納豆菌特有の発酵時の香りがある。68種
類のにおい成分から構成されている。代表的な「ピラジン」は、アーモン
ド・ココア・パン・味噌・醤油にも含まれる香りである。

中には「アンモニア」成分もある事から、古くなったり製品管理が悪い場
合は、このアンモニア臭が強くなる。「わら納豆」は、藁の香りが加わる。

医薬品との相互作用

ビタミンK2は抗凝血薬(ワーファリン)の作用を弱めることから、ワー
ファリンの服用中は、納豆は避けるべきとされる。
(ウィキペディア)2012・5・19



◆選挙を前に激化する、朝日の安倍批判

櫻井よしこ


7月4日、参議院議員選挙が公示され、世の中は選挙一色だ。その中で「朝
日新聞」の反安倍報道が際立っている。7日の1面に政治部次長、松田京平
氏の署名入りの記事が載った。「『嘲笑する政治』続けるのか」と題して
安倍晋三首相を次のように批判した。

「(安倍晋三首相は)民主党政権の失敗と比較して野党を揶揄、こき下ろ
す。身内で固まってあざ笑う―。自分が相手より上位にあり、見下し、排
除する意識がにじむ」、「『嘲笑する政治』が6年半、まかり通ってき
た」、「このまま『嘲笑の政治』が続くなら、民主主義は機能しない」、
という内容だ。

安倍憎しの感情がメラメラと燃えているようだ。しかし現実を見れば、国
民の多くが民主党政権の3年余りを「悪夢」と感じているのではないか。

首相が「身内で固まってあざ笑」っているわけではない。その証拠に、政
権を失った後、民主党の支持率は下がる一方だった。だからこそ、2017年
10月の衆議院議員選挙を前に、遂に全員が小池百合子氏の下に逃げ込もう
とした。しかし排除されて、立憲民主党が生れ、紆余曲折を経て国民民主
党も生れた。

民主党政権時代の「悪夢」の再来は嫌だと、国民が骨身に沁みて感じてい
るからこそ、その後複数回の選挙で自民党が国民の支持を受け続けたので
ある。にも拘わらず、この6年半が安倍政権がただ民主党を「嘲笑する政
治」であったとすれば、国民が安倍氏を支持するはずもない。朝日の余り
に曲がった見方こそ国民の意思を「嘲笑」するもので、傲慢さを示している。

どんな時でも選挙は国政の行方を決める重要事だが、今月21日の参院選挙
には特別の重要さがつきまとう。結果によって、首相に期待されている憲
法改正が可能になるか、或いは先延ばしで事実上、改憲不能に陥るかが決
まるからだ。

憲法以外にも、経済、年金、北朝鮮と拉致、皇室など重要な問題が山積し
ている。これらの課題、とりわけ憲法改正に安倍首相が着手するのが朝日
新聞はいやなのであろう。それが常軌を逸した安倍首相批判につながって
いると見てよいだろう。7月3日の「天声人語」はその凄まじい一例だ。

首相を犬にたとえる

同欄で天声人語子は「あくびは伝染する」と書く。「米国が中国に仕掛け
た貿易戦争さながら、日本政府が韓国への輸出規制に乗り出した」とつな
げている。「韓国側にも問題がある」としながらも、安倍政権の措置は
「筋違い」だと切って捨て、次の下品な批判を展開する。

「ちなみに人のあくびは犬にも伝染するらしい。忠誠を尽くす飼い主から
とくに影響を受けやすいとの研究結果がある。日本政府の場合は、こちら
に近いか」

安倍政権、つまり安倍首相を犬にたとえるのか。こんな非礼は誰に対して
も許されない。だが、朝日は、首相にはどんな下品な批判でも許されると
思っているのであろう。この感覚こそ、「自分が相手より上位にあり、見
下」す視線ではないか。

右の非礼な天声人語と同じ日、朝日は「対韓輸出規制『報復』を即時撤回
せよ」という社説を掲げた。そこにはこう書かれている。

「近年の米国と中国が振りかざす愚行に、日本も加わるのか。自由貿易の
原則をねじ曲げる措置は即時撤回すべきである」

朝日社説子は、韓国への「輸出規制強化」をかつて中国が尖閣問題を巡っ
てレアアースの輸出を止めた事例や、トランプ政権が安全保障を理由に鉄
鋼などの関税を上げた事例と同列に置いて、安倍首相の措置を非難するの
である。

順序が後先になったが、経済産業省が「輸出管理を適切に実施する観点か
ら、大韓民国向けの輸出について厳格な制度の運用を行」うと発表したの
が7月1日だ。➀韓国をこれまで「ホワイト国」と見做してきたが、そのリ
ストから韓国を外す手続きを始める。➁4日からフッ化ポリイミド、レジ
スト、フッ化水素の3品目を包括輸出許可制度の対象外とし、個別の輸出
審査を行う、とした。

世耕弘成経済産業大臣は7月1日、右の措置の理由として「輸出管理で不適
切な事案が発生した」ことを挙げたが、「不適切な事案」の内容について
は「守秘義務」があるとし具体的説明を行わなかった。

経産省の発表は直ちに多方面から反応を引きおこした。その中のひとつに
中部大学特任教授細川昌彦氏(元経産省貿易管理部長)の解説がある。氏
はこれは「輸出規制発動」ではなく、04年から韓国を優遇して簡略化して
いた手続きを03年までの普通の手続きに戻すだけだと説明した。本来は契
約毎に個別の許可が必要だが、輸出管理の点で信頼できる国であると見做
されると「ホワイト国」に指定されて輸出手続きが簡略化される。その場
合、3年間有効な包括許可をとることが可能で、いつでも輸出できるとい
うものだ。

理不尽な政府批判

安倍首相も繰り返し述べている。

「輸出禁止ということではありません。徴用工(朝鮮人戦時労働者)問題
とも関係ありません。これまで韓国に認めていた優遇策を元にもどしただ
けです。EU諸国は元々韓国をホワイト国にはしておらず、わが国はEU
と同様の政策を韓国に対してとるということです」

こう強調した首相も、世耕氏が会見で語った「不適切な事案」について、
7日時点ではまだ説明していない。

他方細川氏は、韓国に輸出した先述の品目が北朝鮮に横流しされる事例が
頻繁に起きている、むしろ常態化していると明言する(7月7日「日曜報道
THE PRIME」)。

軍事目的にも転用される先述の物質が北朝鮮に横流しされているのであれ
ば、韓国をホワイト国リストから外すのは当然だ。また再度強調したいの
は、今回の措置が包括許可から個別許可に戻したにすぎないという点だ。
朝日は3日の社説で、中国のレアアース禁輸と較べたが、その比較自体が
的外れだ。

朝日の社説のもうひとつの間違いは、同措置を朝鮮人戦時労働者問題に対
する日本政府の報復だと見做していることだ。今回の措置はいわゆる徴用
工問題とは何ら関係がない。従って朝日が言う安倍政権が「政治の対立を
経済の交流にまで持ち込」んだという非難は当たらない。「外交当局の高
官協議で打開の模索を急ぐべきである」という主張も、的外れだ。第一、
日本側は徴用工問題で話し合いを呼びかけ続けたが、韓国側が応じないの
である。

朝日の理不尽な政府批判は、安倍自民党の勝利は改憲につながると見て阻
止する為であり、朝日の偏ったイデオロギーの産物にすぎないということ
だろう。

『週刊新潮』 2019年7月18日  日本ルネッサンス 第860回


◆大阪を行脚していた与謝蕪村

毛馬一三


江戸時代中期の大阪俳人で画家である与謝蕪村は、享保元年(1716年)、摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)に生まれている。生誕地が大阪毛馬村と余り周知されていない事実のことは本誌で既に触れている。

しかし、蕪村が俳人として大阪の中心部を活躍の舞台にしていたことには触れていない。むしろそれに気づかなかったのが本当のところだ。それはこれから追々。

蕪村は、17歳〜20歳頃、生誕地毛馬を飛び出て江戸に下っている。なぜ江戸に下ったのか。これすら未だはっきりしない。しかも蕪村は出奔以来、極度な郷愁は感じながらも、実際は生誕地「毛馬」に一歩も足を踏み入れていない。なぜだろう。

おそらく、京都丹後与謝から毛馬村の商屋の奉公人として来た母親が、庄屋と結ばれて蕪村を産んだものの、若くして死去したため、蕪村が庄屋の跡継ぎにも成れず、周囲からも過酷ないじめに遭わされたことなどから、意を決して毛馬村を飛び出したに違いない。

しかも蕪村が飛び出した先が、江戸の日本橋石町「時の鐘」辺に住む俳人早野巴人だ。だが、どうしてこんな超有名な俳人に師事し俳諧を学ぶことができたのか、田舎の毛馬村と江戸との結びつきや、師匠との今謂うコネがどうして出来たのか、ミステリーだらけだ。この時蕪村は、師の寓居に住まわせて貰い、宰鳥と号している。


<寛保2年(1742年)27歳の時、師が没したあと、下総国結城(茨城県結城市)の砂岡雁宕(いさおか がんとう)のもとに寄寓し、松尾芭蕉に憧れてその足跡を辿り東北地方を周遊した。その際の手記を寛保4年(1744年)に編集した『歳旦帳(宇都宮歳旦帳)』で、初めて「蕪村」と号したのである。

その後丹後、讃岐などを歴遊し、42歳の頃京都に居を構えた。 45歳頃に結婚し、一人娘くのを儲けた。島原(嶋原)角屋で句を教えるなど、以後、京都で生涯を過ごした。明和7年(1770年)には、夜半亭二世に推戴されている。

京都市下京区仏光寺通烏丸西入ルの居宅で、天明3年12月25日(1784年1月17日)未明68歳の生涯を閉じた。>出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

さて、蕪村は定住していた京都から船で淀川を下り、頻繁に大阪にやって来ていたことが、最近分かってきた。船から陸地に上がったのは、生誕地毛馬村とは全く正反対西側の淀屋橋や源八橋からで、ここから大阪市内にある数多くの門人らを訪ねて回っている。

蕪村は、俳人西山宗因のお墓(大阪市北区兎我野町 西福寺)を訪ね、大阪の蕪村の門下人の武村沙月、吉分大魯(よしわけ・たいろ)のほか、西山宗因の門下の上島 鬼貫(伊丹の人)の処を回っている。大阪市内の各地を回ったことになる   

特に、吉分大魯は、阿波の出身で、安永2年 (1773)から6年まで大阪「蘆陰舎」に滞在(安永7年、兵庫で没)しており、この「蘆陰舎」に蕪村は足繁く立ち寄っている。逆に大魯をつれて、淀川を船で上り、京都の蕪村門下を代表する高井几董に会わせるなど、京都―大阪往復行脚は活発だったようだ。(大阪市立大学文学部)

早い話、蕪村にとり大阪は活躍の場だった訳だ。これもあまり知られていない。

この句を、この茶屋町で蕪村が出句したかどうかはわからないが、北区茶屋町のこの周辺に蕪村が立ち寄っていたことは事実なので、これに因んでイベントを企画したという。  再掲

2019年07月17日

◆「拉致:朝鮮半島の闇、日本の闇」第29章

“シーチン”修一 2.0


駒光なんぞ馳するが如き。遊んだり、学んだり、寝込んだり、入院した
り、手術してもらったり、ボーっと過ごしたりしていたら、いつの間にか
令和の御代になっていた。

全国3500万の諸兄姉、ヂヂババの皆さま、お元気ですか? ようやく書く
元気が湧いてきた。以下は昭和の最後の3月の記事。廃車寸前の頃のこと。

・・・・

<ああ、春だなあ、と心が緩む、水温む。水辺の桜並木は八分咲き、屋上
庭園、その先の多摩丘陵も枯れた薄茶色から薄緑や白に変わってきた。6
時前にはお日様も拝める。噛みつくような寒さもなくなった。

1F床のタイル張りも済ませ、やるべき仕事≒趣味≒暇つぶし≒ゲージツのほ
とんどは終わった。今はどうでもいいが“兎に角ユニークな”木製花活け造
り、1Fの隅っこに“兎に角ユニークな”小さな花壇造りなどを楽しんでい
る。老後の手慰み、遊びみたい。

今朝は新しいガールフレンドに素敵なマーガレットを届けた。「私、お花
が大好きなの!」と大喜びしてくれたが、そうなると1週間に1度は届けた
くなる。次回は色とりどりで10鉢くらいは届けよう。

久し振りに夕食の天ぷらも作った。娘2人が持ち帰る分を含めると10人前
ほどになるが、材料を切って、すべて揚げ終え、キッチンをきれいにする
まで3時間立ちっぱなしで、もうエネルギーが切れてベッドに倒れ込んだ。

揚げ物をすると「油の臭いに当たる」ということなのだろう、ゲンナリす
る。近所の鶏の唐揚げ屋の人は朝10時から晩の9時までひたすら油鍋で揚
げまくるから、さぞやウンザリするだろうな。絶対に揚げ物は食べないだ
ろう。

帝国ホテルの村上シェフの大好物は奥様の作った秋刀魚の塩焼きだったと
いう。奥様が「舌平目のムニエル」を出したら、氏は「・・・ま、家庭料
理ではあるけれど・・・、それにしても俺の仕事を知らないんじゃない
か?」と諦観を新たにしたのではないか。あるいは「女はこういう味が好
みなのか」と興味を示したのかもしれない。


♪男と女の間には 深くて暗い川がある 誰も渡れぬ川なれど エンヤコ
ラ今夜も舟を出す


野坂昭如が唱っていたが、老人になっても女を理解できない。「男は永遠
に女を理解できない」ということは少しばかり分かってきたが・・・

出産は命懸けの仕事で、子を儲けてヒーヒー踏ん張りながら育て上げたと
ころで、子が老いた親の面倒を見るわけではない・・・それなのに子供を
産むというリスクを幸せそうに引き受ける女。損得を含めて理性的に考え
がちな男にとっては、たとえ出産機能があったとしても「ハイリスク、
ノーリターン or ローリターン」の出産なんてまず挑戦はしないが・・・
男にとって女は永遠の謎、理解不能ということが分かり始めただけという
感じだ。

アインシュタイン曰く「学べば学ぶほど、自分がどれだけ無知であるか思
い知らされる。自分の無知に気づけば気づくほど、より一層学びたくなる」。

名人とは「もっともっと高みへ上りたい!」と挑戦する人なのだろう。王
貞治は深夜に素振りをし、ブンブンという音を立てていたという。夢の中
でも思考を重ね、起き上がって素振りをする。「一番できる奴が一番練習
している!」、チームメートはおおいに感銘を受けたという。


「赤毛のアン」でお馴染みのモード・モンゴメリは今でもカナダの事実上
の「観光省大臣、観光親善大使、インバウンド振興協会会長」で、世界中
からアンの故郷プリンス・エドワード島を訪れる人々が引きも切らない。
モードも実に「学ぶ人」だったが、文系から理系まで幅広いジャンルにわ
たる知性と感性により、100年後の世界を的確に予測しているのには度肝
を抜かれた。モリー・ギレン著「運命の紡ぎ車」から。

<1924年には、モードは、きっと訪れるに違いないと確信していた新しい
啓示の源泉としての科学を、熱烈に支持している。

「これまでになされた啓示の数々は、すでにその使命を終えています。次
の啓示は科学の分野からもたらされるものと私は信じているのです。それ
がどのような形態をとるかは分かりませんが・・・」

5年後もなおモードはこの考えをまったく変えてはいない。

「人類は、成長し、賢くなり、何一つ不自由のない豊かさを手に入れるた
めには、何らかの代償を支払わねばなりません・・・

わたしたちは科学の素晴らしい発達の時代に足を踏み入れつつあるのだと
信じています。これまでに夢にも考えられなかったことが実現するでしょ
うが、偉大な文学や名画は生まれないでしょう。一度に何もかも手に入れ
ることはできないのです。

飛行機で世界を一周することが可能になるでしょう。また原子の秘密を解
くこともできるでしょう。でも、シェイクスピアやホメロスのような偉人
は生まれないことでしょう。彼らは神々とともに退場したのです」

1927年の初め頃、モードは原子力の未来を懸念していた。

「それは素晴らしく、また、啓示的なものでしょう。でも、美しいかし
ら? 原子からエネルギーを放出させる方法を発見すれば、動力というこ
とでは、イエスキリスト以来の画期的なものとなるでしょう。でも、私の
生きているうちは、いえ、私の子供たちが生きている間も、その発見がな
されなければいいと思っています。

良いにしろ悪いにしろ、、人間の生存の諸条件がすべてひっくり返され、
滅ぼされてしまうでしょうから。ありとあらゆるものが消滅するでしょ
う。私たちが今持っている金融機構も、価値基準も、生活様式も。まった
く新しい世界が生まれるのです。それに慣れた人々にはとても素晴らしい
世界かも知れません。彼らは、私たちの時代を振り返る時、暗黒と無知の
中をさ迷った時代とみなすことでしょう」>

核兵器、原発、レントゲン・・・1945年の米国によるヒロシマ、ナガサキ
の“原爆お試し爆撃”以来、あまりの凄まじい破壊力により、それ以後に核
兵器が戦争で使われたことはない。相手国の攻撃を抑止するための“脅し”
としての「伝家の宝刀」になっているが、偶然か故意を問わず、一旦、核
戦争(無差別大量殺戮)が起きれば双方の主要都市は恐らく潰滅するだろう。

「今のところは」米ロ、米中、米朝、印パ、イスラエル・中近東で核戦争
が起きることはなさそうだが、永年の憎悪や疑心暗鬼というマグマがある
のだから、明日にでも核戦争が始まる危険性が消えることはない。危い世
界なのだ。

原発は低コストのエネルギーを世界にもたらし、これからも普及していく
だろう。それにより生産性はたかまり、放射能の活用で医療も向上、普及
し、地球の人口は増え続け、やがて100億の大台を突破するだろう。しか
し、地球にとって人間は悪性腫瘍である。衣食住の発展とは森林が破壊さ
れ、河川や海が汚れ、都市化による温暖化が進むことで、その人間という
癌細胞がひたすらに増殖するのである。地球は耐えられるのだろうか・・・>

ま、永遠の成長はないし、宇宙自体の寿命が50兆年とか100兆年とか言わ
れているから、豆粒のような地球が100年後、1000年後にあるかどうかは
分からない。2億年続いた恐竜時代は一瞬で亡びた。

さてさて相も変わらず「全然進展しない拉致問題」。政治家や官僚は「臭
いものには蓋をして」被害者、被害者の可能性大という人々や家族が「死
に絶えるのを待っている」ようである。拉致の日本における司令塔は朝鮮
総連だ。その総連を叩き潰すどころか手厚く保護している、そのように見
えるのが日本の統治者の主流ではないのか。半島利権でもあるのか。

小生でさえ歯がゆいのだから拉致被害者やその可能性大の失踪者の家族は
辛くて辛くてたまらないだろう。同胞が悲しみ、苦しんでいるのを放置し
ていては、とても自立した一流国家とは言えまい。自前の憲法も作れな
い、米国の51番目のヘタレ州、State of Japan のままでいいのか。恥を
知れ、恥を!

綺麗なべべ着て、美味いものを食って、テレビ見てゲラゲラ笑って・・・
ご先祖様は泣いているぞ! ふにゃれの国を子に引き渡すのか。「“売り
家”と唐様で書く三代目」を繰り返すのか。このままではThe End だ。そ
れでいいのか、ということ。上がアホなら下もアホ、か。

古人曰く「戦時あっては敵、平時にあっては友」が普通の外交関係であ
り、戦時も平時もいつまでも続くわけではない。志那人は「治に居て乱を
忘れず」「外交は血を流さない戦争、戦争は血を流す外交」と言った。西
郷先生は「外交で侮られるな。常に“戦”の一字を忘れてはならない」と教
えた。

戦後の日本人は“戦”の一字を忘れ続けた。三島が諌死した思いがよく分かる。

「特定失踪者問題調査会」のHPを見て欲しい。小生の小論「全然進展しな
い拉致問題」はとりあえず今回で休筆とします。

発狂亭“癇癪ヂイヂ”雀庵の病棟日記から。

【「措置入院」精神病棟の日々(119)】【2016/12/27】【産経】「大晦
日 攻める出版 雑誌や新刊170点発売 正月需要狙う」。


書籍は売れない、雑誌も売れない。知りたいことのおおよそはネットで分
かるし、常識的に考えればニュースソースの信頼性はそこそこ判断でき
る。アナログ文字はやがてデジタル文字に代わるのだろう。時代の流れに
は逆らえない。

それにしても正月に本屋は開いているのか。客はいるのか。みんな遊びに
出かけているのではないか。

「温暖化問題の研究者が警鐘 トランプ流 新たな懸念 観測データ消さ
れる?」。1970年頃は「寒冷化」で、ここ20年は「温暖化」で研究費を
稼ぐのが理系学者のやり方だ。狼少年はまだ多い。

「過去データ長期流用 繊維流通統計、経産省廃止へ」。この世のデータ
は公的なものでもピンキリだということ。鵜呑みにすると方向を誤る。

「話の肖像画 山本寛斎(72)暗く辛かった初めての旅」は、戦後の1951
年、日本が貧しかった頃の回想。両親の離婚、そして京急上大岡から7歳
児が5歳と3歳の弟を連れて高知へ。ところが迎えの父はいず、児童相談所
へ。ひもじい日々が続く。数年後、父と義理の母親になる女が現れ、ばら
ばらになっていた弟2人も一緒に大阪へと住まいを移す・・・1951年は小
生が生まれた年で、まだ食糧不足が続き、国民は食べるのがやっとという
頃だった。

「兜町の風雲児 加藤あきら被告(75)が病死」。バブルの頃はおおいに
世間を騒がせたものだが、晩年はどうだったのだろう。奢れるもの久しか
らず、生者必滅、諸行無常・・・か。(つづく)2019/7/16